Linker -salvage-

マルスにとってはこれは遠い過去の物語。

これは天界大戦の前日談であり、
──四天星の物語である。



すべての物事は継り
すべての物質は繋がり
すべての時間はつながり
すべての空間も同じく

もとより神の御身の中

それでも人は神を求めん

Real(1)

 私は空に近いこの島がとても気に入っていた。地上より遥かに澄んだこの大気。時折島を通過する雲の冷たさ。居住区の真っ白い壁。外道に敷き詰められた鉱石の煌き。そんなひとつひとつの単純な事が小さな頃に過ごした環境を思い出させてくれるからだろう。
 いつもより太陽が近くにあるような暖かさの中6管区中枢塔への通りを歩いていた。まだ早朝なので人通りが少なくすれ違う人も農地へ向かう人ばかりだ。中枢塔へ向かっている私はたいそう目立っているに違いない。いつもの時間であれば人通りも多く、木が森に隠れるように交差する人混みの中に紛れる事が出来るのだけれど。私は人の視線を感じないようにいつも以上に視線を空に向けてなるべく胸を張って歩くようにした。こうすれば少しは楽だ。幼い頃は下を向いて他人の視線を切って歩いていたのだけれど、ある人に出会ってからは変わってしまった。
 早朝に起きたせいか、まだ眠気がとれておらず頭がボォーっとする。こんな時はなぜか忘れかけている昔の事を思い出してしまう。歩きながら見ている空が昔見たものと同じような気がするからだろうか。


 私が生まれたのは地上の東大陸中央部の山岳地帯であった。此処と同じように標高が高いため酸素が薄く空気がとても澄んでいた。母と私が住んでいた家屋も白い石材でできた小さな間取りのものであり、そんなところも含めて天界とは環境がよく似ていた。


「こんにちは」
 いつものように門番の天使に挨拶をする。
 この生活を初めてもう何年立つのだろう。此処に来るまでどのような生活を母と送っていたのか、この頃記憶は定かではない。この単調な生活の中で記憶が白濁してきているようだ。いずれ私の幼い頃の大切なものは一片のかけらもなく消えてしまうのではないか、そう思おうとやるせなくなる。叶うならばあの場所を再度訪れたいと思うのは悪いことであろうか。私達は地上を捨てこの地を選んだ。安全な生活。平穏な生活を求め天へ逃げた。いや、「逃げた」という事ではないのだろう。こうすることでしか生きる道がなかったからこれを「選んだ」のだ
 第6管区中枢塔への門をくぐり第6神室へと向かう。壁は無機質な白。床は6管区主神アテナ様の紋が刻まれたタイルになっている。アテナ様の紋は武神であるあの人を連想させる双剣が互いに交差し背景に太陽が描かれている。他の管区には入った事は無いが内装は同じでその管区に合わせた紋が床に貼り付けてあるのだろう。なんて味気ない。これを建造した人はどれだけ心寂しい人だったのだろうか
 通路に響く足音に耳をすませながら初めて此処を歩いた時を思い出す。


「大丈夫かい」
俯き続けていた私に年老いた天使が話しかけてきた。しかし私にはそれに返事をする元気は全くなかった。母と一緒に寝ていたはずだった。私はいつの間にかどこかも分からぬ場所に連れて来られていた。母とも会っていない為、事情は全くわからず私は泣くことしかできなかった。そんな私に初めて話しかけてくれたのがこの老天使であった。
「お母さんには後で会えるから泣かないでおくれ」
老天使は大きなその手で私の頭を撫でた。落ち着かせようとしてくれたのであろう。しかし、私は泣き止むことができず「お母さんはどこ」と繰り返しつぶやくのだった。老天使は困ったのであろう、撫でていた手を離し私を包むように抱いて歌を歌ってくれたのだ。なんとも懐かしいようなメロディー・・・歌詞は分からないがとてもやさしい歌だったことを覚えている。私が泣き止むまでそう時間はかからなかった。
「お母さんとは必ず会える・・・だから私についてきてくれるかね」
今思えば、あの時老天使はそう言うことしかできなかったのであろう。私は頷き老天使に連れられてこの第6管区神室への通路を歩き出したのだった。


 重厚な木製の扉の前に着いた。扉には床と同じ紋が全面に彫り込まれとても壮麗で、行ったことは無いが教会の入り口の様に感じる。私はその扉に2度単調にノックをした。
「リアルか?入ってくれ」
中から覇気のある女性の声が響いた。我が神にして武の神アテナ様だ。私はきれいな装飾が施された銀の取っ手を握り部屋の中へ入って行った。今ではあまり緊張することなくこの扉を開くことができるがここに来た当初は近寄ることさえ躊躇っていた。


 老天使に連れられて一面白い廊下を歩いていた。白いその空間に私の心は萎縮してしまっていた。何も色も無いお陰で感情までも真っ白になってしまったのだろう。
「今から君をあるお人に会わせたい」
老天使は私の手をしっかり握りそう言った。そこから伝わる優しさや温もりが、この真っ白になってしまっていた私の中に暖かさを取り戻してくれたことを覚えている。いつもの私なら知らない場所で知らないおじいさんに手を引かれ同じ言葉を掛けられたならば大声を上げて泣いていたに違いない。
私は頷き、老天使の手を力強く握った。老天使は振り返り笑顔を見せると私に合わせるように一歩一歩ゆっくりと進み出した。


「そこに座って待っててくれ。例の如くホコリまみれだが、なに・・・気にするな」
机に積まれた書類の間から顔を出した我が神アテナ様だが、みごとに仕事に追われておいでのようだ。いつもの様に客人用の椅子へ座る。目の前の机を見るとかなり掃除されていないのか雪の様に真っ白にほこりが積もっていた。
「リオルデ卿は4日前から私の命で離れておってな、ひとりじゃとこの有り様だ」
「そうだとしても少しは掃除してください!」
私はため息を付きながら立ち上がりアテナ様の後ろにある窓辺に置いてある雑巾を取りに行った。
「しかたなかろう。私は掃除、洗濯、家事は全くできんのだ」
このひと・・・本当に神様なんだろうか。
呆れつつ机へ戻る。
「それで今回の呼び出しはなんなんですか?体を動かしたいって言うんなら仕事片付けてからの方がよろしいかと思いますが」
雑巾で机をひと撫でする。雪面に一筋の道が出来上がる。
「わかっておる。そういう事ではなくてな・・・」
トントンとペンで机を打つ音が聞こえ始める。何か厄介な事を頼むつもりなのだろう。こういう仕草からして神とは到底思えない。話し方はおじいさんのようだが、姿は20代前半の女性であり格好もかなり露出をしているせいか余計に人間っぽい。一度、季節の変わり目に寒くは無いかと問いかけた事があったが、そんな感覚はとうの昔に捨ててしまったらしい。衣服は動きやすさが一番という事だと言う事だ。
「この手紙を持って第3管区へ向かってはくれんか」
ぽいっと渡された手紙を見ると宛名も宛先も書かれてはいなかった。
「これは?」
「新規入居者に対する居住区の割り当て申請書と配置申請書」
此処では新たに人が来ることはほぼ無い。なぜなら此処に神の許可なしに辿り着く事はできないからだ。地上からこの高度まで来る手段もない。私が此処に来たのも「神による介助」だった。


 老天使に手を引かれて歩いた。廊下に響くのは二人の足音だけだったが寂しさは無かった。ただこの人について行けばきっと母さんに会えると思っていたからだろうか。それともこの老天使の包み込むような優しさのお陰なのだろうか。
 目の前に大きな木製の扉が見えてきた。
「いいかい。これからこの中にいる人にお話を聞きにいく」
「怖くない?」
私は此処に来て初めて口を開いた。重厚な扉が昔母に聞いたドラゴンのいる部屋を思い出したから突然怖くなったのだ。老天使と繋いでいる手が自然と震えた。
「大丈夫じゃ。ここに居られるのはとても心優しいお方じゃ」
 老天使の温かく大きな手が私の頭に置かれた。不安ではあったが私はその言葉を信じて小さく頷いていた。
 重量感のある扉が老天使の手によって開かれる。中には窓があるのだろうか、眩しいほどの朝日が隙間から漏れだしていた。
「その子供か」
中からぶっきらぼうな女性の声が聞こえてきた。声から威圧感があるようなそんな印象を受けてしまって私はまた俯き、部屋の中に入っていった。
「アテナ様、遅くなりまして申し訳ございません。この子が最後かと思われます」
老天使は私の手を引きながら部屋の中央にある長机へと向かって歩いていた。そこにこの声の女性がいるのだろうか、私は怖くて不安で怖くて下を向いたままだった。
ゴトッと椅子を引く音が聞こえ、コツコツとこちらに向かってくる足音が聞こえてきた。足音一つ一つが威厳に満ちているようにはっきりとした音を鳴らしている。
「ふむ、なかなか可愛い娘ではないか」
床を見ている私の視界に老天使のものでは無いブーツがこちらに近づいていた。
「はじめまして、私は6管区主神アテナという者だ」


「新規入居って誰か此処に来たんですか?!」
私は今も資料と葛藤している我が主に問いただした。もしかしたら私の仲間なのかもしれないのだから。
「そうらしいな」
「らしいなって知らないんですか?」
主はめんどくさそうに顔を上げた。書類にサインを書き続けてきたせいか年に似つかないその端正な顔には疲労が見て取れた。
「ふむ・・・詳しくは第3管区のクロノスに聞いてくれ。その方が良かろう」
クロノス様・・・時の神にして三大神の一人。天界においては法律整備を中心としておられる方だ。まだお会いしたことは無いがとても聡明な方なのだろう。
「ではよろしく頼むぞ」
アテナ様はまた書類に目を通し始めた。なんと一方的なお人なんだろう。私は手紙をバックに入れ主神室を出た。


「ではアテナ様、失礼致します」
話の内容は難しくて分からなかった。何か深刻な事を話していたのだろう、話の途中に見た老天使の顔はなにか悲しそうだった。老天使は私の手を握り部屋の外へと連れだした。その手は先程とはうってかわってか細く感じた。
「すまんな、お話難しかったろう」
老天使が私の頭を撫でながらひざまずき私の目を見つめながら話しててくれた。今、私がいる場所が昨日まで住んでいた山の上ではなくお空に浮かぶ島であること。これからは此処が私のお家になること。そのお家はこのおじいさんの家であること。これからはおじいさんと一緒に暮らしていくこと。
──お母さんとはもう会えないこと。


 私は第6管区正門への道を歩いていた。ここから第3管区へ向かうためには第6管区中央通路へ向かいそこから第3管区正門まで真っ直ぐ進めば着くはずだ。此処では基本的に他の管区への立ち入りは禁止されている。そのため、そこを通るためには通行証明書が必要になるのだが私はアテナ様直属ということもあり、身分証の提示のみで行き来することが出来のだ。しかし、通例として特権があったとしてもほぼ自分の配置された管区内で生活しなければならず、私も今回はじめて天界中枢部である第3管区へ向かう事となった。天界は中心部から外側に向かう様に第1管区、第2管区・・・という様に配置されており、外側に行けば行くほどその専有面積は大きくなり、道も複雑になっているのだが中枢部(第1から第3管区まで)は主要施設がほとんどであるが為、迷うことはほぼ無い。
第3管区のクロノス様の直下には一人天星人がいるらしい。まだあったことは無いがアテナ様曰く、顔立ちは端正で頭も良いが雰囲気が暗く近寄りがたい男だということだ。
──今回の訪問で出会えれば良いが。
同族として興味があった。私は母さん以外に見た事なかったのだ。


私は崩れる様に泣いたのだと思う。老天使が横で慰めてくれていたのもなんとなくだが覚えている。気がついた時には翌日の朝で、見慣れない部屋の子供が寝るには少し大きめのベッドで寝ていた。後日聞いたところによると、いつの間にか私は泣きつかれ寝てしまい老天使が自分の家へおんぶして運んでくれたのだそうだ。
その日見た夢はたぶんとても悲しい夢だったのだろう。涙で目が腫れぼったかった。起きてすぐ私は家の中を探し始めた。母さんが笑顔で調理場に立っているかもしれないなど、ありえない事が次々と浮かんで、私は深刻な現実をただただ思い知るのみであった。小さな私にはそれはとても過酷だ。私は家のすべてを見て回った。クローゼット、戸棚、机の引き出し、地下の倉庫・・・だけどやっぱりお母さんはいなかった。私はベッドに戻って毛布にくるまり泣いた、この現実が起きた時になくなるように、暗い闇に包まれてこのどうしようもない感情を閉じ込めたかった。
ふと意識が戻ると私の頭を優しく撫でている手があった。おじいさんだった。
「いろいろと手続きがあってね、帰るのが遅くなってしまった。申し訳ない」
それからもおじいさんは私の頭を撫でながら話をしてくれた。主に自分の事を・・・昔話のうように語った。


第6管区中央道路を歩く。この道路は地中に埋められた道路であるため、外の景色は見えずなんだか寂しいく感じる。天界の中でも一番嫌いな場所だ。あの時感じた闇をまた見てしまうような気がするからだろう、私は道を真っ直ぐ見据えながら歩いて行く。なるべく遠くを見て出口付近から見える光を探す。
私と同族の人はどのような人物であれ必ず過酷な日々を送っているはずだ。地上では天星人は迫害を受ける身分であった。遠い昔に人間と共存していたはずの我々はいつの間にか人間に嫌われるようになってしまった。その時に生きていた人々は戸惑ったてあろう、なぜ我々は嫌われ、疎まれなければならいのだろうと。考えても分かるはずがない、他人が何を思い考えているかは暗い闇の様にどんなに近くで見たとしても何も見えないのだ。


おじいさんとの生活が始まった。それは私が天界に生きる事が始まったという事。
はじめは戸惑ってばかりだった。地上で暮らしていた頃は水を汲みに行くために山道を片道2時間歩いた先にある水場まで行かなければならなかった。それで一日が終わるなどよくある日常だ。しかし、此処ではそんな必要はなかった。おじいさんが言うには各家庭に水は割り当てられ貯水槽と呼ばれる場所に貯まるらしい。あとは必要になった時に貯水槽から伸びている管の先にある弁を開けるだけで水が出てくるのだ。食材についても仕事を農業にしている方が育てたものを一度すべて集めて各家庭に配給されるらしい。こういう制度があるため飢えることはまず無いということだ。他にも役割分担がはっきりしているお陰で私達は皆幸せに暮らしていけるということらしい。
おじいさんも若いころは農業を行っていたらしいが年をとってからはアテナ様の仕事の補佐をしているようだ。なので朝から夕方までは私一人の時間になっていた。時々はお昼になると家に帰ってきてご飯を一緒に食べてくれていたので寂しくはなかったと思う。
──それに私には友達もいた。


第3管区まではまだ遠い。このまま歩いて行ってもいいのだが天界には6本の中央道路に沿うように機構列車が走っている。普段は貨物用なのだが許可がある場合は乗車可能だ。私は先にある停車場へと向かい、先にある個人認証端末にカードを挿入した。これで、次にここを通る列車が停車し、私を乗せてくれる。
列車は一日12本運行しており、運転はどういう仕組かは分からないが自動で動いているらしい。こういう技術も地上に住んでいた頃を思い返すと夢のようものだ。ときどきこういう技術が恐ろしく感じるときもある、何もかもが私達の意思以外で動いているような気がしてしまうのだ。
──列車が来た。鉄で出来た少し錆びた階段をカンカンと音を立てて登る。列車は先頭車両のみ人が乗車出来きるようになっている。乗車場へ来るとそこに一人の天使がいた。
「何をしているの?」
天使は驚いた様に肩をびくつかせこちらへ振り向いた。リーベンヘイグだ。
「リアルか!驚かせないでよ」
「リーグ!あなた、また勝手に列車にのるつもり?前に怒られたばっかりでしょ」
ハハと照れ笑いしながら頭をかきこちらへ近づいてきた。「悪戯のリーグ」私の初めての友達だ。今ではなんでこんな奴と友達になったのかちょっと後悔している。
「そんなに怒んないでよ。でも、リアルで良かったよ、他の人だったらまた部屋に閉じ込められちゃうし」
うん、久しぶりに会ったけどこんな奴だった。いつもいつも周りに迷惑を掛けて。近づいてきたリーグの頭をポカリと殴る。
「私に見つかっても閉じ込められるのよ、勘違いしないで」
リーグはその場にへたり込み顔を伏せ大げさに痛がって見せた。そんなはずは無い。かなり手加減して殴ったのだから。少し不安げに見ているとパッと顔を上げて笑って見せた。
「大丈夫だよ」
ほら、またこういうことをする。私はいつもこいつに翻弄されてばかりだ。もう一発本気で殴ろうかしら。
「・・・顔が怖いよ、リアルちゃん」
ボカッと頭を殴った。今度はちょっと本気でイラッときた。
「ちゃん付けするな!」
ほんとに痛かったのだろう。リーグは頭を抱えるようにうずくまってうめき声を上げている。
──全く、初めて会った日からなんにも成長してないんだから、こいつは。


一月の時間が過ぎた。おじいさんとの生活にも慣れ始めた頃だった。朝起きるとおじいさんが何かを探しているようだった。
「おはよう、リアル。すまないが私のメガネを知らないかい?どうにも見つからんのじゃ」
私は寝ぼけた眼をこすりつつ頷いた。おじいさんはよくメガネを置き忘れるらしく、それを見つけるのは私の役目だった。何故かおじいさんはメガネを以外な場所に置きっぱなしにする。最初に見つけた場所はお風呂場だった。メガネを付けたままお風呂に向かったのだろうか?次は屋根の上。もうこれについては理由が分からない。とても意外なところで花壇の中ということもあった。
私はまず家の中を探し始めた。クローゼットの服のポケット、貯水槽の縁、タンスの上、食器棚の中。けれど今回は全く見つけることができなかった。
「まさか外に置いてきたのかの」
一緒に探していたおじいさんはそう言うと外へ出かけていった。私は迷っていた。おじいさんと一緒の時以外は家の中で過ごしていた私は、外の世界が怖かったのだ。足が微かに震えている。この時私が戸惑ったままだったら今の私はいなかっただろう、私は小さくて大きな一歩を踏み出すことにした。理由はおじいさんのため。幼かった私にとってはとてもとても大きな一歩だった。
──私は扉を開き外の世界を歩き出した。
日差しがとても眩しくてしばらくは目を瞑っていた。眩しさだけではなく外に出ている恐怖もあったが今はそれを考えている場合ではない。私は目を開いて歩き出した。まずは、おじいさんが仕事へ向かう道を歩いて探してみよう。
一度だけ私はおじいさんとこの道を歩いたことがあった。確かあの家に住み始めてすぐのこと。おじいさんが仕事に出かける時、私は一人家に取り残されるのがとても怖くなって駄々をこね一緒に仕事場までついて行ったのだ。はっきりとした道順は覚えていないが大丈夫だろう、大きな道しか通っていないはずだ。
家を出て大通りへと向かう。一人で歩く道はやっぱりとても心細い。
「こんにちは」
ふと脇道から出てきたおばさんに声を掛けられた。当然だが知り合いではない、私にはまだこの地域に知り合いなんて一人もいなかった。恥ずかしくておばさんの顔を見ずに小さな声で「こんにちは」と返す事で精一杯だ。
「あら、あなたは・・・おじいさんの家に住んでる子?」
コクっと小さく頷く。まだ私は俯いていたままだったのだがなんで分かったんだろう。この辺には私くらいの子はいないのかな。
「やっぱり。この辺りには子供は少なくてね。おじいさんからお話も聞いていたからね」
私はチラリと目線を上げおばさんの顔を見てみた。目は一重で細く四角いレンズのメガネ、髪は白の混じった銀髪でくるくるカールしているなんとも人の良さそうな・・・というわけではなく、どちらかと言えばちょっと恐い感じのおばさんだ。そういうイメージがつくと私は余計に地面を見つめてしまう。口調は優しいのに私はなんて気が小さいんだろう。
「あらあら、俯いて。私はとって食いやしないよ」
おばさんは私の頭を撫でてそう言った。悪いことをしてしまった。おばさんのその言葉が私に罪悪感を与えてくれたお陰で顔を少しだけ上げようとすることができた。おばさんを見ると手は私の頭に置いて撫でてはいるが目線は周りを見ているようだ。
「おじいさんは一緒じゃないの?」
おばさんは不安な表情で私を見た。たぶん、一人で歩いている私がおじいさんと離れて迷子になっていると思ったのだろう。失礼ね、私は子供だけどそこまで子供じゃないわ。私は顔をしかめるとおばさんを見つめ、これまでの経緯を丁寧に説明してやった。
「あら、そうなの。おばさん早とちりしちゃったわね。ごめんなさいね」
私は胸を張って首を横に振った。大丈夫よ、おばさん。私も大人げなかったわ。・・・子供だけど。
「でもおじいさんってメガネ持ってたのね、通りで会うときはいつもつけてないから知らなかったわ」
「お仕事の時以外は外しているそうなんです」
「そうなの」
「あの・・・よくおじいさんが立ち寄る場所とか知りませんか?」
おばさんは頬に手を当てて目線を空へ向けた。何か思い出してくれるといいんだけど。ある程度目星がつかないとこんな広い地域で探しものをするのは小さい私には所詮無理な事なのだ。少しの間考えていたおばさんからため息が漏れた。
「ごめんなさい。おじいさんを見かけるのはいつのこの通りなの。それ以外で見かけた事は無いわ」
「そうですか・・・」
これだと、この大きな通りを隅から隅まで探すことに。さすがに我慢強い私でも骨が折れそうだ。
「ああ、でもこの大通りにある文具屋付近で見かけることが多いからそこに忘れてるのかも」
「文具屋ですか?」
「そう、もうちょっと先に行ったところ、左側にあるわよ」
文具屋か、おじいさんのお仕事は書くことが多いって聞いたことがあるからいろいろ必要なものがあるのだろう。そこのお店で買物している時にメガネを忘れた・・・なんか納得できないな。普通すぎるような。でもいまのところこれしかヒントはないのだからと私は行って見ることにした。おばさんにはお礼を言って別れ、大通りを歩きはじめた。此処はとても人通りが多く色々と生活に必要な物が揃っている。私が此処に来るのももちろん初めてのことだ。いつもなら俯きながら隅っこを歩いて行くところだけど、さっきのおばさんとの会話で少し人に慣れてきていた私は、堂々と人の波の中に突入していった。おじいさんのために頑張らないと。
通りに入って少し経つと軒先にインクやペンを置いてるお店が見えてきた。おばさんの言っていた文具屋だろう。店内をチラッと見る限りでは人はいないようだ。私はこの辺にメガネが落ちているかもしれないと思い地面を舐めるように見つめながら店内へ突入した。
「──いらっしゃい」
ビクッと体が飛び退いた。お店の奥から声が聞こえてきた。
「何か探しものですか?」
ヌゥっと人影が伸びてきた。なんて大きな人だ。まるで壁の様で私は物陰にさっと隠れてしまった。その人は頭をポリポリと掻いて困ったような表情をした。
「ごめんごめん。こんなに大きい人だとそりゃこわいよな」
男の人は膝を折って私の目線くらいまで縮まり笑った。といっても何かぎこちなくてそれが余計におかしかった。悪い人ではないようだ。たぶん子供が苦手なだけなのだろうと私は悟った。物陰から少し頭を出しておじいさんのメガネを拾わなかったか聞いてみた。
「メガネ・・・もしかして丸いレンズで銀縁のものかい!」
知ってる!この人知ってるんだ!私は隠れていた事を忘れて男の人の目の前に立ち大きく頷いた。
「そうか。今私の息子に警備隊へ持っていく様に言いつけたところだったんだ。たぶんそんなに遠くに行っていないと思うから」
男の人は店先に出て左側を指さしてこう言った。
「この通りを真っ直ぐ進むともう一つ大きな通りに出るからそこを右に曲がるんだ。その先に警備隊の人がいるお家があるから。そこに行くまでにボサボサ頭の金髪で緑色のジャケットを着た半ズボンの少年がいたら僕の子供だ。名前はリーベンヘイグ」
私はお礼を言うとすぐに飛び出して行った。私は走った。大通りは人が多いが走れない程ではなかった。こんなに全力で走ったのはいつ以来だろう。山に住んでいたころは走り回れるような安全な場所はなかったからもしかしたらこれが初めてなのかもしれない。私は風を切るように走った。先を見る歩いている人の隙間からふらふらと金髪の頭が歩いているのが見えた。
──あの子だ!
「リーベンへイグ!」
気がついたら声が出ていた。今までの私からは考えられない行動だ。金髪のその子は振り向きこちらを見るとなぜが怯えた表情をし、向き直って走りだしてしまった。
──なんで逃げるわけ。
私はそれを追いかけた。なんで私を見て逃げる必要があるのよ。もう、絶対捕まえてやる。
「ちょっと待ちなさい!」
男の子はかなり足が速く全く距離が縮まらない。というか、なんで私追いかけっこなんてしているんだろう。もうあの子わけが分からないわよ。男の子は巧みに人混みに紛れながら私を撒こうとしているようだ。とにかく絶対捕まえてやる。私はさらに速度を上げた。──あの子ほんとに速い。
男の子は全くスピードを落とすことなく走っていた。私の方はそろそろ体力の限界が近づいてきたようだ。息が苦しい。そろそろ限界かも。前を見ると男の子はこちらを振り向くと勝ち誇った様に笑い右の路地へと入っていくのが見えた。
──負けないわ!
私の数少ない闘志に火がついた。


──何なんだ、あの娘・・。
住宅街の路地を全力で走り抜ける。聞こえるのは風を切るゴウゴウという音と後ろから追いかけてくる女の子の声。というかあの娘は一体なんなんだよ。俺なにか悪いことしたかな。いや、今日はまだ何もしてないはず。昨日は先生の家の窓ガラスにペンキで落書き、広場のアテナ様像にカラーリング、あとは・・・結構色々やってるな。我ながら誇らしい仕事ぶりだ。という事はあの娘は悪事ばっかりやっているこの俺を捕まえる様に依頼された凄腕の傭兵か。後ろを見るとまだ追いかけてきていた。初めてだ、ここまで俺についてこれた子供は。だけど捕まるわけには行かないけどね。
俺はさらに脇道に入り、木箱やゴミ箱が乱雑するコースにでた。ここに入れば必ず逃げ切れるはず。俺は木箱を飛び越えどんどんスピードに乗る。どうだ、ついてこれるか。


さらに路地に入った。建物の隙間で薄暗く左右に木箱やゴミ箱があってかなり走りにくい場所だ。あの子はこんな場所まで知っているのかと関心する。男の子は木箱を颯爽と飛び越え更に加速したように見えた。まずい、このままじゃ引き離されちゃう。
一度お母さんからとても怒られたことがある。水運びに時間がかかってしまって日暮れが迫っていた。私は急いで家に帰るために使ってはいけない力は使ってしまったらしい。家についたのは日が沈みきる前でその姿をお母さんに偶然見られてしまったのだ。お母さんはその力はもう絶対に使ってはだめだときつく私に言いつけたが私は密かにその力を使っては水汲みを続けていた。
──お母さん、ごめんなさい
風が私の体を包む。体が中を舞う感覚。例えるなら暴風の中を駆け抜けているようなものと似ている。私が力を入れて一歩を踏み出とそれは足元で爆発し空を飛ぶ様に駆ける。


後ろから風が吹いた。四個目のゴミ箱を飛び越えた時だった。気になって後ろを振り向くと風を纏い俺に迫るあの子の姿があった。よく見ると額にぼんやりと光るものが浮かび上がっている。あの子はもしかして・・・
俺の肩に女の子の手が乗せられていた。俺の負けだ。


「つかまえたっ」
息を切らしながら目を見開いている彼に言った。その目はかなり驚いているようだ。
「お前、なんで追っかけてくるんだよ!」
カチンときた。何だこの男の子は。
「そっちが逃げるからでしょ!」
「なんだよやる気か!」
男の子は拳を作って構えをとる。いや、そんな事するわけないでしょ。はぁと溜息をついて額に流れる汗を袖で拭き取り落ち着いて話をしようと試みる。
「あなた、メガネもってるでしょ。それを渡して頂戴」
ああ!これじゃ脅してるみたいじゃない。私ってこんなに口下手なのかと今更ながらに気がついた。それでも男の子は意外と怯えず背負っているバッグからゴソゴソと何かを探し始めた。
「もしかしてこれのことか?」
銀縁の丸メガネを取り出した。おじいさんのメガネだ。
「そう、それよ。ありがとう」
私は手を伸ばし受け取ろうとするが男の子はそれをひょいと上にあげて渡さなかった。なんのつもりよ。
「誰も渡すとは言ってないぜ。これが欲しかったら俺と勝負しろよ」
呆れた。さっきまけたばかりでしょ、あなた。
「なんで勝負しなきゃいけないのよ。いいから返しなさい!」
手を男の子に向けてつきだしてみたが、首を振って断ってきた。うう、なんなのこの子は。
「勝負で勝ったら返してくれるのね」
この条件をのまないとこの子は返してくれないと悟って、私は勝負を受ける事にした。負ける気もしないしね。
「当然だ。俺も男だ。男に二言はねぇよ」
「もう十分男らしくないわよ」
「う、うるさい。いいからついてこい」
男の子は先に歩き出していた。なんだか面倒になってきたわね。
「ねぇ、あなた・・・えーっとりーべん・・・」
「リーベンハイグ!リーグでいいぞ」
リーグは前を歩きながら答えた。先ほどと違って落ち着いた口調だ。
「リーグ、メガネ届けようとしてくれてたんでしょ。ありがとね」
といってもお父さんから言いつけられて届けようとしていたのは知っているんだけど。それでもちゃんと届けようとしてくれたというところは感謝したかったのだ。リーグは「別に。」と一言つぶやくと頭をポリポリと掻いた。照れてるのかな。後ろからだとその表情を見ることはできず勘ぐるほかなかった。


リーグを先頭に路地を抜けて広場へとたどり着いた。この広場は街の人達の憩いの場でベンチに座って本を読んでいる人や立ち話をする人などで賑わっていた。もちろん私がここに来るのは初めてだった。広場の中央にはアテナ像が剣を天に掲げて立っている。リーグは広場の中央へ歩き像の前で止まった。近くに来るとかなりの大きさであることが分かる。掲げている剣も像とは材質が違うようだ、光に反射してキラキラと輝いている。
「いいか、よく聞けよ」
リーグは振り返り私を見据えながら話し始めた。勝負の内容はこの像の仕掛けを動かすための鍵を取ってくる事。なんでもこの像にはある仕掛けが施されているそうなんだが最近は全くそれを起動させる事が無いらしい。
「で、あなたはそれを見てみたいと」
ぎくっとリーグの体が揺れた。図星だったようだ。
「うるさいな~、なんでもいいだろ。いいか、鍵がある場所は大体分かっている。」
リーグはポケットからチョークを取り出して地面に地図を書きだした。広場を中央に三本の大通りが伸びている。北側に伸びる大通りから3ブロック進んだ先にある左の脇道に入り3軒目の家に丸をつける。
「ここにあるの?」
「そう。ここは何十年も前から誰も住んでいなくて今は倉庫になっているらしい。その中にこの像の鍵があるはずだ。」
「それでどっちが先に鍵を手に入れるかって事?」
リーグはニヤリと口を歪めると首を横に振った。
「違う。像の仕掛けを先に動かした方が勝ちだ。いいな?」
なんか罠がありそうな気がするけど、これを飲むしかないかな。たぶん負けないし。
「いいわよ。じゃあはじめましょう」
リーグと私は像から北の大通りに向かって並んだ。ドクンドクンと鼓動が聞こえる。意外だな、私緊張してるんだ。隣のリーグの顔をみると笑っている様に見える。たぶんこいつは毎日こんな事をして遊んでいるのだろう。
「この石ころを投げるから地面についた時にスタートな」
私はコクっと頷いた。
ドクンドクン。
鼓動が少し早くなった。
石がリーグの手から放たれる。
ゆっくりと弧を描く。
もうすぐ地面だ。
私は無意識だろうか、足に力を入れる。
コンッと乾いた音が聞こえた。


列車の中は祖末なものだ。座席も鉄を簡単に溶接しその上に薄っぺらなクッションが置かれているだけだ。もともと人が乗るように作られてはいないのだから当たり前といえば当たり前なのだが、もっとこう・・・せめてちゃんとした椅子ぐらいは置いてほしい。長時間座っているとおしりに振動が直にくるためかなり痛くなるのだ。私は立ち上がりおしりをさすり、床に直に座っているリーグを睨んだ。
「こっちみないで」
「み、見てないよ!」
リーグは顔を赤らめて目線を明後日の方へと向けた。
──ホントになんで乗せちゃったんだろう。怒られるのは私なんだけどな。
あのあとリーグに頼み込まれてな、何度か跳ね返したが結局は私が折れてしまっていた。どうにも私はリーグの「頼みごと」に弱い。昔からそこは変わらないのだ。そっぽを向いているリーグを見つめる。さっきの表情とは違って今はキラキラとした目をしている。一体何を考えているのだろう。椅子に座りなおす。
「ねぇ。何をする気なの?」
リーグは突然話しかけられ驚いたようだ。こっちを向いたまま固まっている。
「なにが?」
「だから、そんなに列車に乗りたいのはなんか目的があるんじゃないかって聞いたのよ!」
「目的も何もただ列車に乗りたかっただけだよ」
こいつこのままはぐらかすつもりね。私はもう何度もこいつの悪行を見てきたから経験で何か良からぬ事を考えているのは分かる。けど、今回のこいつはかなり意地があるようだった。さっきの乗車場でのやり取りも昔ならそこまで粘らず後日私に見つからないように忍びこむ事を選んであっさり撤退したはずだ。そんな「悪戯のリーグ」が今回は全く引かなかった。
──なにか時間的な制約があることなのかも・・・
リーグの目を真っ直ぐ見つめてみる。目を逸らされる。怪しい。やっぱりこいつはなにか大きな事を狙ってるんだ。リーグは私がここに来る事は予想外だったはず。なぜなら私がここに来たのはアテナ様から突然お使いを頼まれたからだ。つまり、こいつはこの私の目的地である第3管区に用があるというわけでは無い。大体第3管区へ向かうことならわざわざ列車に乗る必要がない。だったらなんでこいつは執拗に列車に乗りたがったんだろう。そこに意味があると思うのだけれど。
私はなにげに唯一の窓を眺めて真っ黒な外を見た。そこにはところどころに停車場の明かりがあり、たまに人影が見える時がある。この列車の終点は第2管区付近の整備場となっているため第3管区以外の停車場には止まらないのだ。そのため、第4管区などに用がある人はこの次の列車に乗り込む必要がある。
──つまり・・・こいつは第3もしくは第2管区さらに言えば神管(第1管区)などの中枢部に目的があるということ!
「ねぇ、もうすぐ第3管区に着くよ」
リーグがいつの間にか私の目の前にいて肩を叩いた。しまった。虚を突かれてしまって顔が紅潮する。私は隠すように顔をそむけて立ち上がった。長時間座っていたせいだろうか。おしりがかなり痛い。やっぱりちゃんとした椅子が欲しいな、ここ。


また私は走っていた。今日は此処にきてから一番、いやもしかしたら、生まれて初めてこんなに限界まで遊んでいるのではないだろうか。山にいた頃は私と同年代の子供はおろか全く人がいない、お母さんとの二人暮らしだったからこんなに遊べる事はなかったのだ。毎日水汲みや洗濯、放牧していた羊の世話、作物の水やりなどで遊ぶ時間がそもそも無かった。だからだろうか。今、こんなにくだらない事なのにとても楽しかった。
北へ真っ直ぐ伸びる大通りを全速力で走り抜ける。やっぱり地の速さはリーグの方が上だ。私はリーグの背中を追いかける形となった。あの力を使えば簡単に追い抜く事はできるが、こんなに人が多い場所ではさすがに使えない。お母さんとの約束はもう破ってしまったけど、人前ではこの力は使ってはいけないという事は守りたいと思っていた。
リーグが先に路地へと入っていった。私もその後を追う。路地に入ればあの力を使って追い抜いてやる。
路地へ入ると人通りは途絶え日当たりも悪くなり、物陰が見えにくい程暗くなった。私は例の如く力を使い風を纏い始めた。先ほど使ったせいか風はそれほど集まらなかったがこれでも十分だ。どんどん先へ行くリーグに向かって第一歩を踏みだした。足元の風が暴風となり爆発し私を先へと飛ばす。一瞬にしてリーグの背中に追いついた。もう一歩踏み出す。更に加速しリーグを完全に追い抜いた。3軒目の家が見えてきた。左足に力を入れ体制を右向きにして地面を滑りつつブレーキをかける。右を見るとまだリーグがここまで来るには少しかかるだろう。
私は倉庫のドアを開けてみようとしたが案の定、かなり頑丈な錠前があった。これは正面から入るのは難しそうだ。
──どこか別のところから入れないかな。
倉庫の全体を見てみると2階があり、窓が板で打ち付けられて開かないようになっていた。もしかしたら何十年を手入れをしてないだろうから板が外れやすくなっているかも。
──上まで飛べるかな。
私は風を纏い足に力を入れた。もしかしたらこれが今日使える最後の力かも。右を見るとリーグはすぐそこまできていた。時間が無いし迷っている暇はない!
──いっけぇ!
両足を膝から限界まで折り、力いっぱいに飛んだ!
風が真下から吹いてくる不思議な感覚。私は空を飛んでいた。遠くに太陽が西に沈みかけているのが見えた。少しずつ街がオレンジ色に染まっていく。やっぱり此処はとても綺麗な場所だ。
頂点にまで達したのだろう、真下に引っ張られる様に落ちていく。倉庫の屋根はすぐそこにまで迫っていた。私は集中して着地の瞬間だけ風を足元に集めた。覚悟を決める。失敗したらたぶん大怪我だ。ドンッと足に衝撃が走る。力が弱まっていたせいか少し足に負荷がかかったようだった。足首を触ってみるが少し痛む程度のようだ。
私は屋根を伝い窓を一つ一つ調べることにした。どこかに板が外れやすくなっている場所があればいいのだけれど。一つ目正面入口の真上へ向かう。屋根から足を踏み外さないようにゆっくり進む。下を見るとそこにリーグがいた。こちらを見上げている。たぶん入り口を開けることができなくて他の場所から入る方法を探しているのだろう。うん?よく見るとリーグの視線は私の足元付近を見ているようだ。・・・そういえば私今日は・・・スカートだ!
「ッ見るな!」
私は足共に転がっていた石ころを掴むとおもいっきりリーグの顔面へ投げつけた。グッっという呻き声が聞こえてくるとリーグは顔を覆いながらうずくまっていた。ちょっとやり過ぎたかな。
私はリーグの様子を見ていたが勝負中の情けは無用と先に進む事にした。正面入口の真上の窓に着いた。板を調べてみたがここはダメのようだ。次は西側に回りこんでみる。一歩ずつ丁寧に進む。西側は日当たりが悪いせいか屋根が滑りやすくなっていた。時間を掛けてゆっくりと歩く。西側の窓へ着いた。正面と同じように板が貼り付けられ窓は開けられない様になっている。
──はずれて。
板を掴み力を入れて揺すってみる。ギィっと音を立てて釘が動くいていることが分かる。さらに力を加える。板は思っていたよりも簡単に外れた。よし。私は窓を開けて中の様子を伺う。真っ暗でなにも見えないがほこり臭く最近まで誰も入っていない事が分かる。私は意を決して窓枠に足を掛け中に飛び込む。床にあったほこりが舞いごほっと一つ咳き込んでしまう。手を口に当て取り合えず壁際にあるタンスの引き出しの中を探し始める。すべて確認してみたが中身は全部空っぽだった。もう一度周りを見てみるがここにはほとんど荷物がなく生活していた痕跡も全くなかった。数十年住んでいる人がいないというのは本当らしい。次に机の中を調べてみる。引き出しを引くとカランと音がした。
──まさか・・・
暗くてよく見えないが何か鉄で出来たものだ。手で触ってみるといつも私が見ている鍵とはかなり形が違うけど、たぶんこれが仕掛けを動かす鍵なのだろう。
──見つけた!
私は急いで部屋の隅にある階段を降りた。そういえば正面入口には鍵がかかっていたはず。どうやって外に出よう。二階から降りるのは無理だ。もう力は使えない。そういえばリーグはどうしたのだろう。アイツが素直に諦めるわけは無いだろうし。かと言って倉庫の中に入っている気配は無い。どこに行ったんだろう。考えながら私は念のために正面入口のドアに手をかける。すると、カチリと音がしてすんなり開いてしまった。
「えっ」
私は驚きのあまりその場で固まってしまった。なんで?私が調べたときにはちゃんと錠前で鍵がしまっていたハズなのに・・・
「もらい!」
開け放ったドアの影から突然手が飛び出してきた。一瞬のうちに手に握っていた鍵が奪われる。
──しまった、罠だったんだ。もしかしたらあの錠前の鍵はリーグがもともと持っていたのかもしれない!
リーグはすでに走り去っておりかなりの距離が空いていた。まずい。このままじゃ負ける。わたしは全力でリーグを追いかけはじめた。力はもう使えない。私の自力でどうにかしないと。走りだしたがリーグとはかなりの距離ができてしまっていた。それでも今出せる力すべてを使って走り続ける。路上に置かれている木箱を飛び越え得る。リーグはこの木箱を飛び越える動作を利用して少しづつ加速しているようだ。さらに距離が開く。
──負けるか!
私は一か八かの戦法を取るしかなかった。使えるかどうかは分からないが風を集める事に集中する。もしかしたらまだ残っているかもしれない。微かであるがまだ体の隅に力のかけらが残っているようだ。風を纏う。たぶん使えるのは一歩分だけだ。それでもリーグを追い抜くことが出来るかは微妙なところだ。さらにもう使うタイミングは今しかない。大通りに出てしまうと私の力は使えない。だから、使うなら・・・
──今だ!
大きく一歩を踏み出す。風の如く飛ぶ。リーグの背中に近づいてきた。あと少して追いつける。しかし、私の力はそこで尽きてしまった。だけど、まだ諦めるわけには行かない。私は持てる限りの力を振り絞って走る。リーグをあと少しで追い抜ける。
路地を抜け大通りにでた。リーグとの距離は縮まらない。人を避けながら走る。はじめは意識していなかったが人を避けながら走ると思いの外スピードが落ちてしまう。またリーグとの差が開く。このままじゃ本当に負ける・・・


列車が止まった。第3管区に到着したのだ。列車にはまだリーグが乗っていた。
「このまま乗って行く気なの?」
リーグに問う。もちろん答えは分かっている。しかし聞かずにはいられない。こいつはなにか企んでいるのは確かなのだから。リーグは窓越しに頷いた。このまま乗って行ったとしても他の管区へのゲートを開くには許可証が必要になる。だから放っておいても問題ないと思うのだけれど、同時嫌な感じもするからどうしようもない。
リーグは窓越しに頷いた。やっぱりこのまま乗って行く気なんだ。列車のドアが金属が擦れる音を立てながら閉じていく。
──あぁ、またアイツ軟禁されるな
私の心配を他所に列車はいびつな機械音を出しながら動き出した。窓にはのんきに手を振るリーグの姿が見えた。私はそれに小さく手を振り返しながら馬鹿な男を見送ったのだった。
第3管区神室へはもう少し距離がある。私は足早に停車場を離れた。


ハァハァと息を切らし私は広場に立っていた。リーグとの競争は私の完敗だった。広場に出た時には私の足は限界を迎え歩く事しかできなくなっていた。私は髪を伝って地面に落ちる雫をただ淡々と眺めた。俯き、リーグに見られない様に泣いていたのだ。
「俺の勝ちだな」
リーグは持っている鍵を像の裏側にある小さな穴に勢い良く差し込んだ。キンと不思議な音が辺りに響いた。頭に響く嫌な音だ。私は袖で涙を拭いて顔を上げた。リーグはいつの間にか私の横にきていたようだ。泣いていたことに気づかれたかと思ったがそうではなく、目をキラキラさせて像を見つめていた。その瞳を見ると負けた悔しさを忘れてしまいそうになる。
「おい、みてみろよ」
リーグは私を見ずにそう言った。いつの間にか先ほどの耳ざわりな音は止んでいた。不思議に思い像を見るとアテナ神像が持つ剣がうっすらと輝き始めていた。なんとも言いようのない輝きだった。宝石で例えるなら翡翠のような色合いだ。
「きれい・・・」
見とれていた。なんとも神々しい輝きだ。なにか力が湧いてくるようなそんな感じがする。ザワザワと像の周りにいた人たちもそれを眺めていた。ほうぼうからため息も聞こえてくる。なんでこんな仕掛けを隠していたんだろう。理由は分からないけどみんなにこれを見てもらえて嬉しい自分がいた。そんな事を思っていた時だった。ふと私の手をリーグが握ってきた。
「これ、返すよ」
反対の手には銀縁の丸メガネがあった。
「どうして?」
「こんな綺麗なものが見れたんだ。俺はそれで十分だったんだ」
私の手にメガネを渡す。涙がでてきた。ありがとうとリーグにお礼を言ってそれをポケットにしまった。
「あのさ・・・」
リーグは私の手を強く握ると小さな声で何事かをつぶやいたがよく聞き取れなかった。
「なに?」
「お前の名前・・・教えてくれよ」
なぜか、顔が紅潮していくのがわかった。私は俯きつつ呟いた。
その時だった。今考えると当たり前なんだけど、大声で私達の方に向かってくる人がいた。
「まずい!地区長だ!」
えっ、と思うとすぐにリーグは走り出していた。私は取り残されこちらに向かっていた地区長もリーグを追いかける様に向きを変えて追いかけていった。たぶん、これはかなり危ないことだったのだとその時初めて気がついた。広場をグルっと回って逃げるリーグとそれを追う地区長をみて私は笑っていた。いつ以来だろう。こんなに笑ったのは。たぶん・・・山にいた時。母さんと一緒の時以来だ。
「リアル!また明日な!」
そう言うとリーグはまた路地裏へと走っていった。私はそれを見てまた笑っていた。
──なんなのよ
私は呆れつつ自宅へ向かって歩き出した。日はもう傾き始めていた。


第3管区入管ゲートに向かって地下道を歩く。リーグと別れてもう30分近く立つ。たぶん停車場にはもう着いたはずだ。
──アイツもう捕まったかな
ほんとにリーグの行動には頭を抱えさせられる。もう子供じゃないから怒られるだけじゃ無いのに。私は18歳になった時にアテナ様から第6管区警備隊に入隊するように指示された。それからはリーグとは敵同士になった訳だけど、それでもアイツは色々とやらかしていた。根っからの悪戯好きというのだろうか。一応アイツにも仕事が割り当てられていた。確か水道関係だったような。仕事ちゃんとしてるのかしら、アイツ。
入管ゲートに着いた。ここでは他の管区から許可なしに入る事を禁ずる為に許可証を提示しなければならない。無断で入ろうとすると私みたいな警備の方のお世話になることとなる。どこかのバカみたいに。地下道に設置されているゲートは基本的に無人であり、ゲートの横にある端末に個人認証カードを入力するようになっている。私はカードを取り出し端末に差し込んだ。単調な電子音がなるとゲートが開きはじめる。ここからは私にとっても未知の世界だ。いつかのように胸が高鳴る。私は第3管区中枢塔へ向かって歩き出した。
3時間ぶりに日が当たる場所に出る。日差しはすでに真上にまできていた。
──もうお昼か・・・
そう思うとなんだかお腹が減ってきた。私は足早に近くにあった広域地図へ向かう。予想通り、第6管区に比べてかなり面積は小さいようだ。大体半分程度か。居住区もかなり小さい。ほとんどが何かの施設のようだ。私は中枢塔への道順を確認し、歩きだした。この道を真っ直ぐ進むと着くようだ。距離もあまり無いらしい。あと1時間程度でお仕事は終わりそうだ。
第3管区は想像通り私の住んでいるところとほとんど変わらなかった。以前、アテナ様からの命令で第9管区へ向かったことがあったがその時も同じようにがっかりしたものだった。少しぐらい建物が変わるかと思ったが全くそんな事は無かった。違いがあるとすればそれは人通りの少なさだろうか。第6管区は居住区が広く住んでいる人もかなり多かった。第9管区にいたっては商店街もあった。しかしここは歩いて10分ほど経つがまだ誰ともすれ違っていなかった。
──ここの警備は簡単そうね
そんなくだらない事を考えつつ歩いていると目の前に壮大な門が見えてきた。第3管区中枢塔への入り口だ。門の柱にはクロノス様を表す紋様が刻まれていた。時を表す波紋を元にした模様だろう。アテナ様の紋様とは違って繊細で美しい感じだ。
そんな風に門の前で呆けていると門番が訝しげな視線を投げつけてきた。私はいそいそと門番へ向かい個人認証カードと手紙を取り出して訪問内容を説明した。このように人が配置されている門では個人認証の他に口頭での説明と事前連絡の有無を確認することとなっている。
「確認しました。どうぞお通りください」
門番から手紙と個人認証を返却される。一応私はアテナ様の側近としての位があるため、この管区においてもある程度の自由が効くのだ。と言ってもそれも誇示していくとかなりの反感を買いその管区の出入りができなくなるのでそんな事をする馬鹿はいないだろう。門を抜けた先はまた見たことのある光景だった。上下左右とも真っ白な壁。床にはクロノス様の紋様だ。
──やっぱりこの廊下は好きになれないな。
少し歩くと同じように壮麗な扉が現れた。クロノス様の神室だ。私は身なりを整え扉に2度ノックをした。
「アテナ様より便りをお持ちいたしました」

Cold(1)

 長くここに篭っている。しかし未だに分からない。我々はなぜ神に助けられる存在なのか。元素魔法を使えるのはなぜなのか。なぜ人から迫害を受けなければならなかったのか。生まれた時から此処にいた私は物心つく頃にはクロノス様の側近として常にお側に付き従う様になった。クロノス様からはありとあらゆる事を学んだ。歳相応の子供では絶対に学ばない事も淡々と学び続けた。そんな事を続けていくうちに私の中にはふつふつとこの世界に関して疑問に思える事が多々出てきていた。クロノス様に直接聞いたことが何度かあるが答えては頂け無かった。知らないのかそれとも教えたくないのか、おそらく後者だろう。
──いずれにしろ、知りたいのなら自分で探すほかないか
 立ち上がり奥の本棚へ向かう。ここの蔵書は歴代の側近がまとめた物だ。しかし、どうにも的を射た書物はない。書かれているのはこの天界で起きた事をまとめた物、遠い昔に起きた戦の話。この天界には外縁部を主に戦場の跡が多数見受けられる。家が崩れ、壁には様々な傷が付いている。数百年前に受けた地上からの砲撃の跡だ。戦の発端は我々天星人が神から特別扱いを受けたことによる。神は地上で孤立していた天星人を天界に隔離することを望み、それを贔屓目に見ていた人間の反感をかった。それから数百年、数千年と天界と地上は争いを繰り返していた。地上にほそぼそと生きていた天星人も人間に次々に虐殺されてしまい、今では確認できている天星人の数は天界に3人のみだ。私と第2管区に一人、会ったことはないが第6管区にも一人いるらしい。我々はもう絶滅危惧種だ。地上でも同じだろう。もしかしたら、地上にはもういないのかもしれない。我々は世界の都合に引き回され終には消える存在なのだ。
 また、新しい本を手に取る。この書棚の年代は近年のものだろう。紙はまだ色あせておらず、書かれている文字もまだ読める。内容はどうやら魔導に関する物なのか、複雑な式が書かれている。
──古代略式魔法「術」に関する報告書・・・
 表題にはそのように書かれていた。パラパラとページを捲り内容を読み取る。「術」とは現代でいうところの短縮魔法のような物らしい。通常、魔法を発現させるためには式を展開し体内に内包するリンを任意結合させ行うものだが、修錬を積むことによって式を略し思考によってリンの任意結合を行う事による。これの利点は何よりその発現までのスピードだ。魔法は式を展開するその作業自体にかなりの時間を要する。それが強大な魔法であればなおの事、戦闘においてはこれは致命的だ。ではすべての魔法を短縮化すればいいのではないかと思われるがそれはほぼ不可能に近い。上位に位置する魔法の式を短縮化するためにはその修錬だけで一人の人生に終わりを迎える程の時間が必要となってしまう。よって、短縮化するのは下位の魔法、つまりは式が単純で覚えやすい物に限るのだ。
 しかし、この「術」はかなり特殊な魔法らしい。いや、内容を読むと魔法とは言えないもののようだ。式を利用せず単純に思考のみで発現させるリンの力。私達の種族でいうところの「魔契の義」と同じような物だと考えられる。ここに一つの術が記載されていた。思考のみで利用出来るため、理屈と努力によって使える様になるかもしれない。
 私はその本を抱え外へ出た。窓から差し込む日は南中に届きつつある。


 私が「魔契の義」を発現させたのは15年程前のこと。クロノス様の命で魔導師から「魔法」の講義を連日受けていた。私達、天界への移住者ははじめに魔導師から「属性」についての解析を受ける。どのような方面に力を発揮するのか、所属する神はどなたが良いのかここで決定するのだ。私のその解析によって見つけ出された所持属性は「空間」と呼ばれる特殊属性。天星人は必ず4原素を所持しているものであるが私はその中でも4原素の中心に位置する「空間」と「時間」の片方を所持していた。これによって私は通常では配属されない中枢部第3管区クロノス様に使えることとなった。それからは魔導師様に付き、魔法についての基礎知識、「魔継の義」をおこなう事を毎日続けていた。正確な手順を踏まず魔法を発現してしまうと被害が出てしまう可能性があるため、代々継承されている方法を使用する必要があるのだ。「それ」が起きたのはなんともあっけなく2度目の講義を受けていた時だった。頭の中に今まで感じなかったイメージが湧いてくるのを感じ、それが波紋の様に体中に伝わるような感覚に襲われた。魔導師の先生が言うには空間に「ゆらぎ」を発生させたらしい。先生も初めて見る魔法らしくとても驚いた顔をされていたのを覚えている。その後はクロノス様から直に手ほどきをしていただく事が増え、現在では自在にその力を操れる程となった。


──これからは自分で学び力の幅を広げる事に邁進しなさい
 14歳になった頃、クロノス様から教えて頂いた書庫を利用して自分で魔学について学ぶ様になった。その書庫に蔵書されていたものはクロノス様の従者の一人であるサリノアが集めたものらしい。私の天界に置いての母代わりの人だ。魔導師として此処にいる我々の同族はすべて彼女の教えを受ける事となっていた。もちろん私も例外では無い。魔契の義も彼女から受けたのだ。なかなか風変わりな人で自分のイメージに基づいた魔導師の格好というものを常に意識し自分の体に似つかない大きなマントを羽織り、フードで顔を隠した格好をしていた。
「あら」
廊下を歩く私の後ろから聞き慣れた声が聞こえた。サリノアだ。
「熱心なことね、あなたは本当に優等生タイプなのね」
今日は青色のマントを羽織っている。いつも気分によって色を決めているらしい。それに見慣れない杖を持ち歩いている。
「ああ、これ?さっき作ったのよ。やっぱり杖は必要かなって」
どうやらイメージ沿った魔導師にさらに一歩近づくことができたようだ。見た目から魔法を使って生成したのだろう。彼女は「森」と呼ばれる属性を有してるため木材の加工はお手のものだったろう。杖は自然には見ることはめったに無いだろうねじれた形をしておりなにやら魔力を持っているような禍々しい造形だ。
──無口よね、ちっちゃい頃はもっと可愛かったのに
サリノアは小声でなにか呟いたようだがそれを無視した。見ると彼女はあからさまに肩を落としている。自分自身反抗期というわけではないがあまり話をする気にはなれなかった。
 真実を知ったのは2年前の事だった。私はサリノアの手伝いで書庫の整理をしていた。その時に見てしまったのだ、私の両親はすでに死んでいるという事実を。書いてあったのは戸籍が記載された一枚の紙切れだ。なんとなくではあったが両親は死んでいるのでは無いかと幼い頃から気づいてはいたのだが、真実を突きつけられると精神的な苦痛は避けられなかった。それからはサリノアとは距離を置くようになってしまった。理由を説明することはできない。サリノアに対して何かしらの恨みがあるというわけではない。むしろ感謝している。だが、あの時から私はサリノアに対して引け目を感じているのだ。
「その本、術についての本でしょ」
私の抱えている本を指さして言った。サリノアが集めた本なのだから中身は知っているのだろう。
「ええ」
今日はじめてサリノアに対して声を出した。
「あなたでも扱うには難しいかもしれないわよ」
「あなたはどうなのですか?」
「残念。私には反転属性だから扱えないのよ。それに魔力消費もかなりのもののようだし」
反転属性とはつまり所持する属性とは相反するものと言う事だ。魔法を扱うための大原則、所持属性と魔法属性を同一にすること。このルールが守られていないと魔法は発現しない。
「これの属性は一体何なのですか?」
サリノアの口元が笑っているように見えた。
「宿題よ。それの属性を求めて見なさい。それができないと術の発現なんて不可能だわよ」
やはりこの人は性格が曲がっているようだ。所持属性は性格に影響を与えると聞いてはいたが。
──なるほど、曲がるはずだ
杖と彼女を見比べながら私は頷き、廊下を歩き出した。
「そういえばクロノス様が呼んでたわよ。急ぎじゃないようだけど、今から行って来なさい」


 クロノス様の神室は先ほどの書庫とは別の建物にある。サリノアと別れた私は本を抱えたままクロノス様の元へ向かう事にした。用とは多分ひと月前に保護されたという私の同族についてだろう。もう地上では絶滅していると言われていたにも関わらず未だに生きているとは驚きだった。私は地上に降りた事は無いがかなり過酷な扱いを受けると聞いた事がある。奴隷も同様だという。十数年前に保護された第6管区の者は人里離れ山岳地域に隠れ住んでいた。今回保護された者も今までどこかに隠れていたため見つけるのが遅れたのだろう。さらにどうやら一人で生き延びていたらしい。剣術はかなり卓越したものを持っている様で第12管区で警備隊に即時入隊したとクロノス様が嬉々とお話くださったのを思い出す。私が何より興味深いと感じたのは何よりその所持属性だ。ここまで住居の手続きが遅れたこともそこにある。
 クロノス様の神室に着いた。中から話し声が聞こえてくる。先客がいるようだ。先客の用事が終わってから来ようかとも考えたがそれもなんだかもどかしく感じ念のために中の様子を伺うためにノックをしておく。3度ノックする。
「コルドです」
「ああ、入ってくれ」
銀色に装飾された取っ手を握り扉を開ける。入れと言うことはこの客人の話は私にも関係があるということだろう。中に入るとそこには一人の女性が立っていた。白いスカートに上には鈍色に光る肩当てと同鎧を着けている。腰には2つの剣がある、通常より幾分か短く双剣の使い手であることが予想出来る。姿から警備兵ようだ。ここでは見たことが無いので他の管区からの使者だろう。それも管区間の移動を許されているという事はかなり高位だ。
「サリノアから用があると聞いたのですが・・・」
女性の横より一歩後ろに立つ。いつもはクロノス様の真正面に立つようにしているのだが、このような場合はなるべく今のような場所に立つように気を配っている。
「ちょうどいい機会かと思ってな。こちらは第6管区アテナ直属の警備兵リアルだ。お前の同族だよ」
リアルがこちらに振り向き頭を下げた。これで私を含めて4人になった。そのうち一人はまだ会ったことは無いが。
「私はコルド。クロノス様のお側で魔導師に所属しております」
私はリアルに対して軽く頭を下げる。所作を見る限り落ち着いた様にみえるがどうだろうか。
「今日は例の男の申請書を持ってきて貰っただけだが・・・お前も同族に会いたいだろうと思ってな」
「そうですが・・・」
私はなぜかそこまでの喜びを感じることは無かった。初めてあった同族であるガゼルについても同様だった。私にはそういう感覚が鈍いらしい。
「リアルも楽しみにしていたらしいのでな。話したい事もあろう」
リアルはこちらを見て微笑んだ。どうやらあちらには話したい事があるらしい。
「ですが、そちらの書類は・・・」
「これは私が処理しておく。たまにはお前も休め。サリノアから聞いているぞ。連日書庫に篭りっぱなしだと」
一つため息をついた。これは断れないようだ。
「分かりました。では失礼致します」
踵を返して扉へと向かう。なんだか今日は疲れそうだ。あのリアルとかいう者が何を話したがっているかは知らないが少しだけ迷惑に感じてしまっていた。

Real(2)

 扉が閉まる。コルドは先に出て行ってしまった。第一印象はまさにアテナ様の言うとおりの男らしい。取っ付きにくそうだ。主神に対してもあの態度というのが私には信じられなかった。
「すまないな。ああいう性格なのだ」
いえ、と私は断りを入れた。事前に話を聞いていて良かったとつくづく思う。知らずにあんな態度を取られたら何をしていたか分からない。
「昔はあれほど冷たくはなかったのだがどうにも両親の事に気づいたらしくてな。サリノア・・・コルドの育ての親だがそれに対しても冷たくあしらう様になったようだ」
私にはその気持ちは良くわかった。両親の不在を突然言い渡されればそれはもういつもどおり振る舞う事はできなくなる。世界が大きく変わってしまうのだ。だから周りとの距離感がつかめなくなる。
──だけど・・・
「大丈夫だと思いますよ」
そう思う。経験からだがその距離感はいずれ思い出す。私にとってのおじいさんやアテナ様と同じように、コルドも・・・大丈夫だろう。
「時間が経てばいずれ分かってくれますよ」
クロノス様は驚いた様に目を丸くし私を見た。そんなに驚かれるとなんだか恥ずかしくなる。確かに柄に無いことを言ったけどやっぱり同族だし、自分と同じ境遇にある人は放って置く事はできない。
「ありがとう。君はアテナにそっくりだな。意思と慈愛に満ちている。コルドの事をよろしく頼む」
そう言うとクロノス様は頭を下げた。なんだろうか。此処に来るまでは神様というものを高尚なものの様に考えていたがそんな事はないようだ。人と同じだ。初対面で描く人格と実際に交流を持った後に感じる性格とは違うのだ。そう考えれば納得は行くが、それではなんと寂しい生き方なのだろうか。──私は頭を下げて「お任せください」と約束を交わした。
 「それでは私も失礼致します」
私は深く頭を下げる。
「ああ、今日はご苦労だった。アテナにもよろしく伝えといてくれ」
クロノス様は立ち上がりドアへと向かった。立ち姿を見て気づいたがアテナ様同様かなりお若い様に見える。この方たちは天界創世時からいらっしゃると言うことなので千年以上は生きているという事になる。そう意識すればやはり人では無い神という存在だと認識してしまう。
「コルドは目の前の廊下を左手に行った先の部屋にいるはずだ」
クロノス様は左手でドアを開け私に通るように促した。それに頷きクロノス様の前を横切るとき、一言こう言われた気がした。
──オモウヨウニイキナサイ


 バタンと扉が閉まる。左手を見ると奥に扉が見える。あそこにコルドがいるのであろう。かなり待たせているので
 


「ふん、貴様は私に喧嘩を売っているのか?」
「今更気づいたの?」
私は腰に刺した短剣に触れる。
「いいだろう。模擬戦闘はごぶさただからな。加減はできないがそれでもいいな」
コルドがマントをめくり剣を見せる。魔導師のくせに一端に剣を持っているなんて・・・こいつなんなの?
「ここでは場所が悪いな。移動するぞ」
右手を私に差し出しながらそう言う。
「なによ」
「だから、移動するといっているだろう」
「だからなんで手を出してくるわけ?」
コルドは右手をそれでも引っ込めない。
「いいから握れ」
意味が分からなかったがとりあえず右手に触れてみる。すると、なんだろうか景色に歪みが走ったような、体が前に持っていかれるようなそんな感覚に襲われたその瞬間──私は原っぱにいた。
「なに!なんなの?」
「12管区外縁だ。北東部にある草原地帯に飛んだ」
「飛んだ?」
コルドは何も言わず私との距離を開ける。あれは多分高速移動。いや、そんなものじゃない。もっと高位の魔法だ。
「準備はいいか?」
剣を抜く。警備兵が使っている通常のロングソードと同じようだ。私も雑念を他所に置き二 本の剣を抜く。アテナ様直伝双剣術を他人に使うのは初めてだが負けはしない。こいつの傲慢な性格をへし折ってやる。
「行くぞ」
一瞬だった。コルドが目の前に現れた。速いなんてものじゃない。こいつはやっぱり私とコルドの間の空間を飛び越えてきている。下段から上段にかけて切り上げが来る。双剣を下段に交差させ受ける。
──キィィン
すかさず右手の剣を抜き脇腹を突く。が、コルドは元の位置に戻っていた。速すぎる。目で追う事なんてできない。
「空間の魔法ね」
私は剣を逆手に持ち替える。コルドは剣を下段に構えていたが私から剣閃を少しずらす。
「ああ、これが私の魔法だ。どうだ?これ以上やると怪我では済まなくなるぞ」

ExStory(Rebenhigue)

轟音鳴り響く地下通路を走り抜ける。逃げる事に特化したこの足を今は追いつく事に利用している僕がいる。
──リアル
中枢区への地下通路は入り組んでいて一般の人は殆ど辿り着く事はできないだろう。でも、僕にはそれができた。何度も探索し見つけた最短通路だ。右の壁を注意深く観察しながら走る。照明が当たらない目立たない場所に点検口が設置されているはずだ。そこから行けば中枢区へは直ぐだ。慎重に急ぐ。轟音はまだ遠い。だけど、いつアイツらがここまで来るか分からない。地下に入る前に空を見たのだがそこには見たことのない船が浮いているのが見えた。あれに乗っているのだとしたら外縁区からこちらまでの距離など関係がない。いつ中枢区へ攻め入ってきたとしても可笑しくは無いのだ。
──速く、もっと速く
リアルの様に魔法が使えればもっと速く着くことが出来るのに、と今頃になって何の力も無い自分に憤りを感じる。初めて出会った時からリアルが天星人であることが分かっていた。近所のおばさんたちが噂していたのだ。アテナ様の補佐をしているおじいさんの家に保護された天星人の娘がきたということを。僕はその時までその存在に出会った事は無かった。このところ天界に移住してくる人は全くいなかったのだ。理由は単純で保護対象である天星人がすべて死に絶えていたからだった。地上では天星人は忌み嫌われる。人間には無い「魔法」という力。それが初めは尊敬されいつの間にか畏怖に変わり、今では差別の対象だ。
──バカみたいに幼稚な話だ
話してみれば分かる、ただの女の子、ただの人だ。なんのかわりもないのだ。初めて見たリアルの天星紋。額に浮かび上がるとても綺麗な紋様。確かにはじめは驚いた。だけど、話してみるとただの子供だったのだ。僕と同じただの子供だ。勝負に負けて悔しがる顔も恥ずかしがる顔も笑顔も周りの娘となにも変わらない。だから僕は命じたんだ。
──これから俺とリアルは友達だ


左の壁際にうっすらと切れ目が見える。点検口だ。腰に携えている短刀を抜いて切れ目に突き立てる。かなり硬い。何十年も放置されていたのだろう。錆びて開きにくくなっているようだ。気のせいだろうか。轟音が近づいてきているようだ。
──急げ。急げ、急げ。
突き立てている短刀を上下に動かしテコの力を利用して扉を開ける。中からこちらに空気が漏れる。かなりホコリ臭い。僕は背負っているバッグから布の切れ端を取り出すと口に巻いた。ここからはかなり狭いため這って進む事しかできないがそれでもゲートを通らずに辿り着けるこちらの方が幾分か速く着く事が出来るだろう。僕は点検口の中へ入っていった。


数日前、僕は列車に乗り第2管区まで侵入していた。目的はもちろん動力炉を探す事だった。この巨大な島を浮かせている動力。一体どれほどのものなのか単純に見てみたかったのだ。それを教えてくれたのはペテロと呼ばれていたおじさんからだった。子供のころからペテロにいつも色々な噂話を聞いてはそれを実行していた。好奇心の塊であった僕にとってはペテロの話は夢のようなキラキラと輝いて見えるものであったのだ。だから今回のこの話も疑いもせずに信じてしまったのだ。
──中枢区の最下層にはこの天界を浮かべている動力炉がある
ペテロから教えてもらったルートを辿ると簡単に中枢区へ侵入することができた。今思えばこの時に引き返すべきだったのだ。第6管区へ戻るといつものように今は空き家で倉庫になっているところへ行く。鍵はペテロから子供の頃もらっていた。ここは俺とおまえの秘密基地だと言われ喜んだものだ。ペテロに嬉々として中枢区へ入れた事を話すと大きなバックを僕に渡した。
──これを持って次は動力炉へ行ってくれ。そこにこれを置いてくいるんだ
話を詳しく聞くとペテロは第2管区からの要請で動力炉の点検を行う予定で、その時に使う道具が入っているから先に僕に運んでほしいと言うことだ。
──お前とは長い付き合いだからな
そう言いながら僕の頭をワシワシと撫でた。この時の僕はペテロが僕のためにわざわざこの荷物運びを与えてくれたのだろうと感謝したほどだった。ペテロが言うにはこの仕事は内密にしてくれと言うことだった。もともと動力炉自体が機密らしいからそれも当たり前だと思った。


点検口の中を這いずりながら進む。リアルはこのさきの中枢区のどこかにいるはずだ。正確な場所は分からないが現地で情報を集めれば見つけることが出来るだろう。街に轟音が響き渡ったのは日も上っていない早朝だった。

Linker -salvage-

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Linker(仮)の前日談にあたる物語です。 現在編成中

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-10-08

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  1. 1
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