下書き


最近はSNSが普及してわたしはあまりメールのアイコンを開かなくなったから気がつかなかったけれど、一件だけ下書きが残っていた。

「宛先:
差出人: 遠山ゆき
件名:

こんにちは、げんきですか。
あの日のこと、わたしなりに申し訳なかったと思っています。単刀直入に言う前に、すこしずつでも話しておくべきだったのかもしれません。
わたしとあなたの価値観が違うのは当たり前のことだと思っています。でも、どちらかが必死にそれに合わせようと思ったら、そんなことしたら、いつか壊れてしまいますよね。おかしくなりますよね。あなたはよくわたしに「変わるから」と言っていたけれど、わたしはそんなのハナから信じていなかったし望んでもいませんでした。
後悔しています。わたしがもっとはやく気づくべきでしたね。その点ではわたしも馬鹿です。これからもずっとそうやって自分の物差しでひとを測って  」

これを書いたときがいつなのか、どんな気持ちで書いたのか、今日まですっかり忘れていて怖くなった。
痛みを忘れてしまうことが本当の死なのだろうと思った。
ラジオをつけると、昔母がよく聞いていた歌手の音楽が流れてきて、あの頃は良さなんてわからなかったのに少し成長したいま、曲の歌詞が理解できてしまった。嬉しいのか悲しいのかわからなくなって、あの頃はただのメロディーだったものがこんなにもわたしに向かって攻めてくることがすごかった。
この歌は死ではなかった。いままで死んでいたけれど、思い出す美しさもあるのだなと思った。


「ねぇ、わたしが死んだらどうする。」

「えー、ゆきちゃん死ぬのー。」

わたしの恋人はへらへら笑いながらテレビを見ている。
アパートの一室で恋人同士と思われる二人が死んでいたというニュースが流れていた。自殺か他殺か調査するらしい。自殺しようと思って本人たちが死んだのに、後になって他人に部屋の中漁られたりしたらたまらないよな、と思った。

「いいなあ。」

「んー。」

「いや、なんかちょっと羨ましいなあ。心中とか自殺とか、できるひとってそこそこ強そうだなあって俺は思うよ。戦う勇気も逃げる勇気もない奴らでごった返してるんだから。世の中。」

大人だったら、なんて不謹慎な、と言うだろうか。
わたしはそれでいいと思った。完全に弱者のわたしが格好つけても痛々しいだけだ。
不謹慎なことを言って笑う彼が誰にも咎められないように、彼の哲学は彼とわたしだけのものだから、命を懸けてでもわたしはそれを守りたい。

「ゆきちゃん死んだら俺も死ぬよ。」

彼がわたしを抱きしめながら言った。いつもと変わらない屈託のない笑顔で。
いまここで死にたいと言ったら殺してくれるだろうかと考えたけれど口には出さなかった。

「柊羽が死んだらいろんな人が悲しむからだめだよ。わたしがいなくても大丈夫、女の子にモテるし友達もいるんだし仕事もしてるし、それに、だって、わたしが死ぬのと柊羽が死ぬのとでは圧倒的に違うの、なんで、なんで愛されるの、なんで、」

いつも考えていたことが突然堰を切ったように流れ出す。時々ある。いつも上手に伝えられない気持ちが、不本意な悪意を持って垂れ流される時がたまに。

「柊羽はいつも誰かに告白されたり誰かから連絡が来たりしてもわたしをとってくれるけど、それはとってもうれしいけど、そうじゃないの、そうじゃなくて、わたしをとるならわたしだけとってほしいよ、そういうの、聞きたくないんだもん、誘われた、とか、そういうの聞いたらわたしは顔も見たことない相手にやきもち妬かなきゃいけなくなる。知らない間に柊羽のまわりのひとみんな嫌いになる、なんでもっと孤独にならないの、なんで柊羽のまわりには泣いてくれる人がたくさんいるのよ。」

支離滅裂だ。
自分がすきな人に対してどうしてこんなに残酷な気持ちになるのかわからなくて悲しかった。もっと綺麗に愛せると思ってたのに。
彼は何も言わず目に涙を溜めながらわたしの背中を摩ってくれていて、また自己嫌悪に陥った。優しいって、凶器みたいなものだ。もし彼がいまここで、わたしに馬乗りになってわたしのことを殴って、「俺とお前の違うところなんて一目瞭然だろ」とでも言い放ってくれればわたしはなにも惜しまず自殺できるのに、こんなのってあまりにも残酷だ。
わたしがいくら泣き喚いても彼の友達が0になるわけでも世界中の女が彼に魅力を感じなくなるわけでもなく、彼の過去がまっさらになるわけでもない。もし彼の過去がまっさらになってしまったら、わたしもきっと彼に魅力を感じなくなってしまう。
どうしようもない。
わたしのこのネジの取れかかった心とアイスクリームみたいにベタベタになった脳みそをどうにかしない限りはどうしようもない。
すべて冷静に受け止めて割り切って行けるほどおとなにはなれなくて、すべて無邪気に壊していけるほどこどもにもなりきれなかった。

すこし気持ちが落ち着くと楽になった気がした。楽になってはいけないのに、彼を傷つけたことでわたしの傷はすこし浅くなる。苦しんでいる姿に救われるなんて本当に最低。わたしが自分自身のことを最低で底辺だと思っているのは、自分より下の人間を無意識に排除している最高に差別的な卑下だと思う。悲劇のヒロインは最終的に這いつくばってでも幸せになってゆくけれど、いまのわたしに這いつくばるだけの力はないし、全力で一山越えたとしてもまた目の前に山がそびえたっているのも想定できる。
わたしが今も生きている理由は彼だけ。ひとつだけ。逃げ場がないのは苦しいけど、それくらいじゃないとわたしは命を懸けられない。

「柊羽。」

「なんか飲む?」

「ぎゅーってしてもいい。」

「どうぞー!」

もう笑ってる。嬉しそうに手を広げる彼の胸に飛び込んで、いきてるんだなあと思う。
初めて息をしたような気持ちになる。
わたしは彼がだいすきで、一周回って憎みたくなるくらいすきで、わたしも彼が死んだら死ぬんだろうなあと思った。
今の世の中たくさんの人が、誰でもいいふりをしてどうでもいい誰かをすきになったりしているけれど、ほんとうはみんなわかってるんじゃなかろうかと思う。心の中にちゃんとみんなひとりくらいいてほしい。どうでもよくない誰かが。そういうひとがちゃんといれば、みんなもっと怒ったり泣いたりできるのに。彼がほかの誰かにとってどうでもよくないひとだったらそのときはまたわあわあ泣くかもしれないけど。
ひとの不幸の上にひとの幸福が成り立っているんだとしても、そうやってバランスとってるのかもしれないけど、わたしたちは度外視してほしいな。綺麗事みたいなのはわたしたちと関係ないところで語られればいい。
かなしいさみしいって泣いてだいすきよって笑って、壊れても不具合が起きても気づかないふりできたら、そのとき叶えられる。

「なにが?」

「わたしのゆめ」

下書き

下書き

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 成人向け
  • 強い反社会的表現
  • 強い言語・思想的表現
更新日
登録日
2014-10-05

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