practice(144)





 消したテレビの表面に写る私の姿を認めて,彼は私の背中を正しにかかった。
「また背中が曲がってるよ。ほら。」
 と椅子と背中の間に入れられた手に力は込められて,私の背中は真っ直ぐというよりも,前にお腹を突き出した格好になる。
「ほらまた逃げる。きちんと伸ばして。」
「逃げてないよ。力を受けた格好が,これだよ。ほら,随分と格好悪い。曲がってるぐらいが丁度いいんだよ。」
 そういう言い訳で,本当に逃げようとしても彼の手がまだ背中に残っているものだから,曲げる加減も抑えつけられて,しかも今度はお腹のほうからも挟撃された結果,私の背中は彼が思うところの真っ直ぐになったみたいだった。「うん。」と彼はひとこと納得する。テレビに写る私のその姿を見れば,弓なりに疑問がつきそうな変な感じとともに,これが世にいうところの正しい背中の形状と納得しようとして,脇腹をツイストしてみたり,首を回して無理に背中を見て,多角的考察による背中の位置関係を覚えようと試みた。もちろん一人で出来るようにするためである。いつまでも彼の手を借りるわけにはいかない。
「肩がね,ここなんだよ。」
「肩なんて。見ようとして首でも動かしたら,ほら,こうして付いてくるでしょう?ズレちゃうよ。必ず。」
 と私は実際に動かして,見せる。
「いや,首だけ動かせばいいんだよ。君は肩も一緒に動いてる。」
 と彼は私の肩に片手をやる。もう一方の手は私の首と顎に触れて,左を向いてと指示をする。言われたとおりに私は首を左に向ける,と肩が確かに彼に押されて,そこから先の景色が見えない。電気点けっぱなしで勿体ないという台所には,彼を叱れる数少ないの機会が待っているというのに。ぐい,ぐい。
「首だけ。肩は待たせる。」
「うん,やってる,んだけど。」
「くっつけるつもりで,やってみたら?」
「うん,こんな感じ。」
 彼の手と私の肩が押し合う,出会える瞬間が望めそうにない。
「体,硬かったっけ?」
 彼は疑問と首をひねる。
「こういうの,体が硬いっていうのかな?」
 私も負けずに疑問を呈す。しかしその答えはどちらからも顔を出さない。右も向いてみたけれど,同じ結果が出たところで,どちらも向かなくなった私はぐるりと首を回してみて,彼は私の両肩を揉んでくれた。とりあえずの決着として,彼は私にさっき直したときの,あの窮屈な感じを覚えておけばいいんじゃない?と提案した。テレビの表面に写る姿を見ながら,二度,三度と背中を調整して,自分なりの弓なりを再現してみた私は彼を見て,尋ねた。
「これで正しい?」
「うん,綺麗だね。その方が。」
 質問と答えが微妙にズレていたような気がしたけれど,綺麗だねと言われて悪い気が寝返りを打ったので,気にせず話を進めることにした。途中の分は,籠に収められた卵の列にトカゲの王子様が入り込んでしまい,マントと髭を奪われるところで止まっていたのだった。書くものの先を立てる。原稿用紙は文字をゆっくりと登場させる。漢字は書き順まで,守ってしまった。
「窮屈?」
「うん,とても。でも頑張る。」
 綺麗は早々に手放すわけにはいかないのだ。



 それからこれは,一緒に御飯を食べたあとの話。
 北の寒いほうにあるという彼の実家から,敷き詰められた新聞紙とともにダンボール箱いっぱいに届けられた缶詰めをそこから取り出して,台所のスペースから丈夫な棚へと手を伸ばして移していた時,私は彼が悩んでいる様子を見ていた。彼は手書きの電話帳の整理をしていた。あいうえお順に従って,市外局番から電話番号を書き写す,性別が変わった人がいたのなら,ハガキなどを参照して書き直す。知り合って,新しく載せる人もいるから,作業量は増えるといえば増えるのだけれど,珍しくしかめっ面をして,眉間に下手くそな皺を寄せて,腕まで組んで,「うーん,うーん。」と声にまで出す原因はすぐに思い当たらなかった。難しい漢字でもあるんだろうか。カナ字で記すべきふりがなだって,今は空欄にしとけばいいのに。
「何か問題ありー?」
 腕と一緒に胴まで伸ばして,私は物置から低い踏み台を持って来れば良かったと少し後悔をしていた。
「うーん,うん。問題ありー。」
 彼の腕組みは見慣れない。
「なにー?その問題って。」
 私は爪先立ちも止めて,数缶を台所に残して,彼が座るリビングに向かう。洗濯物を取り込んだ時から点いていたテレビは,カラフルなCMを流していた。
 彼はさっき,私が座っていた椅子に座っている。私は肩から覗き込んで,「なに?」と問題をそこに探しながら聞いてみた。開いている『い』の段の頁には,アキコとかミキコとか似たような名前もあって,ゴンスケさんはやっぱり目立っていた。電話番号は◯◯◯ー。あとは目で追うのが面倒になった。
「どれよ,どれ。」
 と私は彼の肩にぶつかって,彼をせっつかす。「うん,うん。ほら,ほら。」と彼は頁に向かって指を差した。ふらふらしているその箇所をきちんと特定しようと,私は彼から体を離した。指は二つの箇所を示していた。別々の人,上と下,それほど離れてない。どちらにも共通するのは,電話番号が複数記載されていることだった。その枠内の市外局番は同じ,でもその後に続く番号が違う。勤め先とか自宅とかの区別もないから,どちらも自宅なんだろうと,私は勝手に思ったのだけれど。彼は思い出そうとしているのかもしれない,何せそれは彼の字だしと,私は彼のつむじを見ながら思った。
「掛けてみたら?」
 と彼の耳に言ってもみた。
「うーん,うん。うーん。」
 と彼の腕組みはもぞもぞ動いていた。私はまた,台所に戻って,缶のラベルに記載されている長い賞味期限の印字と,珍しい煮込み料理に使われている具材とかに目を通して,それから表の絵として大きく口を開けているご本人(?)を改めて拝見して,私は彼に声をかけた。
「明日は,これでいい?」
 顔を上げて,缶を見て,彼は一言頷いた。
「よし。」
 と気合を入れて,私はまた丈夫な棚に腕を伸ばした。胴も爪先も引っ張られて,二段重ねを完成させようと,懸命の努力は続く。せっかく台所を出たのだから,物置から低い踏み台を取ってくれば良かったのに,と後から思いもしたけれど,あと数缶だったと考えたら,あれでもまあ,と布巾を絞りながら納得もする。彼は結局その番号に電話はせず,枠に合わせて切った紙に,複数のまま記載して,あとから剥がして正式に『その番号』を清書するという方法を編み出していた。
 「うん。うん。」と言いながら納得をしていた彼に,私は両面テープを渡してあげた。切ってあげたりとか,そんな手伝いはしなかった。テレビのバラエティ番組のコーナーで,カレに腕枕をしてもらうかどうかを,何パーセントかで尋ねていたから,私は彼を見て,「ノー。」と心中で答えてみた。パーセント表示は予想より高かった。えー,という声が番組内のあちこちから,カラフルにあがっていた。



 コンソメを入れると美味しくなると,遅くに彼から教えて貰った。



 空いた缶詰めを洗う風景。パンかライスか,という二択に関しては冷凍していた残りを解凍していた私の怒気を含んだ主張により,しこりを残さない解決をみたけれども,せっかくのお休み,晴れた気持ちのもとで,何処に行こうかということが決まらなかった。私はぶらぶら散歩でもいい,彼はぶんぶんドライブでもいい。何だったら車で遠出をして,着いたところでのんびり散歩してもいいし,彼はほっほっと,走ってもいいと言う。
「それは嫌。」
 と私が言ったから,走ることは無くなった。けれど,それも目的地を絞るのにそれ程役には立たなくて,彼は仕事場の棚から折り畳まれた地域別の地図を持って来て,テーブルの半分を占めるぐらいに広げる。そのセレクトは今日一日で行けそうなところに限られていたから,一応考えているんだなー,と私は呆れ半分で感心して,ボードゲームを思い出し,自室に向かって,クリップの塊からいつか失くなりそうな小さいサイコロを二つ摘んで,手のひらに乗せよりは,とそのまま部屋を出て,リビングに戻った。サイコロは彼が広げた地図の上に無事に転がる。丸が一つと,丸が五個と,違う顔を天辺に見せている。彼は私を見て,言った。
「見えやすいように,番号は赤ペンにしよう。」
 それから十二まで,彼が地図の上に書いて,(あまり意味はなかったけれど)私は端を抑えて待った。映画は流れて,雨が降っていた。返却日は今日の午後の十時だった。
「野うさぎがいるところ,なんてどうかな?」
「意外と広そうだから,条件としては不適じゃない?」
 私の声は彼に答える。
「へぇー,そうなんだ。物知りだね。」
 と彼の声は私をからかう。
「ええ,そうなんです。知りませんでしたか?」
 と私は受け流そうとして,丁寧にきちんと対抗する。「ついでに,」と彼が受けて,蕎麦の美味しいところなんてどうでしょう?と,私に聞いて,私は「あ,あのお店なんていいんじゃない?」とひらめきとタイミングで提案してしまうと,彼も「ああ,あそこか。うん,いいかも。」と応じてしまう。そのお店への距離と時間はそんなにかからないということから,車を出すことにはして,サイコロはやっぱり振ることになった。番号はランダムに書かれた。
「うさぎがいたらさ,見にいこうね。」
 と彼が言う。
「野生がいいんでしょ?」
 と私が先回りをして,聞く。彼はそうそう,と頷いてから,「動きが見たいんだ。跳ぶところとかさ。」と続ける。「仕事に必要だっけ?」と私が確認すると,彼は首を振り,
「いや,例えば,年賀状とかさ。上手く描けそうじゃない?ハガキにぴょこん,って。」
 と楽しそうだった。私は言った。
「『兎』の出番は,まだまだ先だと思うけど。」
「いやいや,先でもいんだよ。」
 彼は言う。
「フンもするよ。丸いの。可愛い感じだけど。」
「知ってる,知ってる。」
 彼は笑う。そういや,ずっと飼育係だったって,話してたのを思い出した。鳥は籠から逃がしたけれど,それは偶然の積み重なりによるんだって,言い訳していたときに。その籠は今もきちんと使われている。黄色い造花の,花瓶の隣。
「じゃあ,振るよ。」
「いっせーの,だよ。」
 摘んで投げたら,床に落ちたけど,サイコロは二回目で無事に転がった。二と六で,八番になった。



 彼の部屋に入って,本棚に地図を押し込んで,ついでに以前聴かせて貰ったCDを一枚盗んだ。手に取ればジャケットも気に入った。だから私は,あとで聴く。

practice(144)

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  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-10-05

Copyrighted
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