今宵、迎えにゆきます。
「なにしてんの」
ものすごく怪訝な顔をしたドンヘの顔が鏡に入り込んだ。ウニョクは鏡に向かって舌を突き出しながら、じっとその赤いものを睨みつけていた。
「ひはひ」
「え?」
「ひはひんはほ!」
「・・・わかんない」
ウニョクは舌を出しながら何かを訴えている。ドンヘはそんなウニョクにそろそろと寄り、耳を近づけた。
「なんつった?」
「いたい」
言って、ウニョクは鏡に背を向ける。ドンヘもその後を追う。痛いって、何が?ドンヘの質問に答えることもなく、ウニョクは部屋にすたすたと歩いて行った。
「ヒョクってば」
痺れを切らしたドンヘがウニョクの腕を掴む。廊下で二人、対峙している。
深夜3時の、沈黙。
「こっち来い」
それはいとも簡単に破れた。ウニョクはドンヘに掴まれた腕を翻し、反対の手でドンヘを導く。弾けるようにドンへは扉の反対側につれて行かれた。今度は二人、部屋の中だ。
「口内炎」
ウニョクが決まり悪そうにつぶやく。
「口内炎できたの。ほら、ここ」
突きだされた舌をじっと見ると、その先っぽにぼんやりと赤い炎症ができていた。熟れて傷んだいちごみたいだ。
「いたそ」
「いたい」
「かわいそ」
「いたい」
ウニョクはベッドに音を立てて寝ころんだ。ドンヘは床に膝をついて座る。ウニョクはスマートフォンの画面と数十分格闘して、そのあとやっとドンヘの方を向いた。ドンヘはそのあいだ、黙ってウニョクをじっと見ていた。
「お前、そうやってれば俺がこっち来いって言うとでも思ってんだろ」
「うん」
ドンヘは待ってましたと言わんばかりに嬉々としてベッドに飛び乗った。うお、という声がウニョクから漏れ、ドンヘはがしりとウニョクに抱きつく。そして、危険なまでに白い首筋に鼻先を押し当て、目を綴じる。
「いいなんて言ってないけど」
「ヒョク、好き」
大きく息を吸い込んで、あの独特の体臭を鼻孔に擦り付ける。ウニョクの体温を感じるとき、ドンヘは絶対的な安心感に包まれ、自然と涙が溢れそうになる。ウニョクの体温はいつもちょっとだけ低い。それが熱くなってくるとき、それがいいんだ。それが好きでたまんない。ドンヘはさらに強くウニョクの首筋に鼻を押し当てた。
「くすぐって」
ウニョクの言葉もお構いなしに、口を開いてその絹のような白い肌を湿らした。ひた、と音がするような感触。無味乾燥のウニョクの首を丁寧に愛撫して濡らしていくこの快感は、何にも耐えがたい。
「やめろってば。俺今日疲れてんだって。べろ、痛いし」
「べろは関係ないでしょ」
「あ・・・あ、る・・・」
早足のドンへの武器はもうすでに彼の顎の付け根にまで到達していた。ぐりぐりとそこを押す。ウニョクは捩るように首をすくめた。まるで磨かれた木の節目のような滑らかさに、たまらずドンヘは吐息を漏らす。
「やばい、ここ。ちょーぐりぐりしてんだけど。えっろいなぁ。俺いろいろやる気出ちゃうよ」
「だからやめろってば!耳元で囁くんじゃねえ!」
「きゃはは」
がぶ、とその出っ張った部分を食むと、ウニョクは驚いて変な声を出した。ひゃっ、とか、そんな声。かわいいなあ、と思う心を抑えるつもりでドンヘはウニョクの頬に触れた。
「ヒョ~ク」
「んだよ」
「キスしていい?」
穴を開ける覚悟で強く見つめると、ウニョクは根負けしてしぶしぶ頷いてくれた。恥ずかしかったのか、触れている部分がどんどん熱を帯びてゆく。ドンヘの唇はまずウニョクの瞼を覆った。
「ん」
優しく、舐めてやる。ドンヘの舌の水分をすべて、この肌にそそぐように。ああ、ウニョクはここから世界を見て俺を見て、ここから涙を流すんだ。そう思うと、当てた舌の筋肉がほどけた。優しくしてやりたくなった。全てを支配したような、それでいて何もつかめていないような惨めな気分になった。
「ヒョク、肌きれいだね。真っ白で、危ないよ。汚れちゃわないか、俺、心配だな」
「お前が汚してんだろうが」
「ちがうよう。俺は洗ってあげてるんだよ。たくさんの空気の中で汚れちゃったウニョクの肌を、俺が舐めて拭ってあげてるの。きれいになりますように、って気持ちをこめて舐めてるのが、ヒョクにもちゃんと伝わってくるでしょ?」
屈託なくドンヘが笑うと、一瞬困った顔をした後、ウニョクも少しだけ微笑んでくれた。
こく、と頷くウニョクの額をそっと撫でた。自らウニョクは唇を開き、ドンヘを誘う。こんなに積極的でいやらしい唇に育てた記憶、ないのに。ドンヘは意地らしい気持になりながらも、嬉しかった。それと同時に、一過性の傾きに身を委ねる目の前の愛する人を思って、少しだけ申し訳なかったのもまた、事実だった。
「ひはひ」
ウニョクの舌の先っぽを、ドンヘの舌の先っぽが迎えに行く。優しく、膿んだ炎症を舐めてやる。行為よりもはるかに直接的で官能的な接触。ピンと緊張してつま先立ちをするように伸ばしたウニョクの舌が、怯えるように、悦ぶように、ほんのわずかだけ震えている。
「どう。痛い?気持ちいい?」
「なんで腫れてるとこわざわざ舐めるんだってば。痛いにきまってる・・・ああ、じんじんしてきた」
「じゃあ、ほら。力、抜いて」
瞬間に、ウニョクの舌がスライムのようにとろけた。追いかけて、ドンヘはざっくりと自分のものをウニョクの口内に差し込む。歯型、歯の裏、頬肉、少し熱を持った傷口。ぎゅっと目を綴じていたウニョクも、舌の緩みとともにだんだんと気だるげな表情に移ってきた。
「やばい・・・ドンヘ、触って」
「触っていいの?」
「もういいから・・・今さら聞いてきたりして、ばかじゃね・・・」
ドンヘはそっとウニョクの腰に手を当て、確かめるように脱衣を施した。露出した身体にはじっとりと汗が滲んでいた。熱が溢れてウニョクの肌はほんのり赤かった。
ベッドで二人、対峙している。深夜3時の、沈黙。
もう一度キスから初めて、今度は痛くないように、傷口は避けてあげた。
わずかな光で繋がった今宵は、遠いところに果てていく。月が見えれば何でもいい。だからとりあえず高く、遠くへ。
昇っていく気持ちは快楽とは反対のところで蠢いていた。
ウニョクが好きだなあ。
いつだって、そう思っている。意味もなく、大事にしたかった。
拭った汚れは俺が天井に昇華させてあげるんだ。
神様に、返してあげるんだ。
意味という意味を知らない大人になれてよかったと、ドンヘはぼんやりと思った。
今宵、迎えにゆきます。