パパ、アイラヴユー。

 ねえ、センセイ。
 センセイは何が聞きたいの? わたしの話? それって、どんな食べ物が好き、とか、どんな音楽が好き、とか。そういう話? 違うでしょう? センセイは「カウンセリングのセンセイ」だものね。クラスの女の子達みたいに、そんな下らない話はしないわよね。
 学校のセンセイって、どうしてこんなにお節介なのかしら。わたしの成績が悪くなったり、学校に来なくなったりしただけでカウンセラーを手配するなんて。わたしよりも酷い問題児はたくさんいるのに。
 なぁに? わたしに悩みはないかって? そんなことを聞いて、どうするの。センセイ、わたしの悩みを解決してくれるっていうの。まぁ、一人で抱えているよりはいいだろうってことね。センセイには、わたしの抱えている悩みを共有する覚悟があるの?
 そう、じゃあ、いいわ。
 話をしましょう。わたしとパパの話。

    *

 始まりは、九歳のとき。
 夏の一際暑い日のことだった。母が、家を出て行った。わたしは今よりもずっと子どもで、詳しい事情は教えてもらえなかった。けれど、何となく分かる。母には、他に好きな男ができたの。母は熱心に化粧をして、よく外出していたから。娘のわたしがハッとするほどの美しさだった。
 母が自分のものを一つ残らず始末して出て行ったあと、パパは泣いた。
 パパは母を溺愛していた。ありったけの愛情を母に注いでいた。パパは母にいつも綺麗でいてほしくて、新しい服や靴をたくさん買ってあげていた。母の着るものを毎朝選んであげて、髪の毛を綺麗に整えてあげていた。家にいるときは母にぴったり寄り添って、「愛しているよ」と囁いた。夜になると、パパは母と一緒にお風呂に入って体を隅々まで洗った。もちろん眠るときは母をぎゅうぎゅうに抱きしめた。
 素敵でしょう? わたしは母が羨ましかった。いいなぁ、ってずっと思っていた。あんなふうに全身全霊で愛してくれる男の人は、きっとパパ以外にいないわ。それなのに、母はパパを裏切った。
 なんて可哀想なパパ。パパは、母が自分を愛してくれていると思っていた。母のことを信じていた。酷い女。でも、大丈夫。パパにはわたしがいるもの。
「パパ、泣かないで」
 そっと手を握ると、パパはわたしの体を引き寄せた。
「もう、パパには、茉莉乃しかいないよ」
「茉莉乃にも、もうパパしかいないわ」
 パパは強い力でわたしを抱きしめた。母を抱きしめていた腕で、わたしを。
 あぁ! この腕がずっとほしかったの! わたしの体は歓喜に打ち震えた。
「茉莉乃は、パパとずっと一緒にいてくれるかい?」
「うん」
「茉莉乃は、ママ……あの女みたいに、ならないでくれるかい? ずっと、パパの可愛い茉莉乃でいてくれるかい?」
 パパは失うことに怯えていた。わたしはにっこり微笑んだ。安心してもらうために。
「茉莉乃はずっとパパのもの。ずぅっと、ずぅっと、一緒にいる。パパ、愛してるわ」
 大丈夫。わたしは、パパの愛を裏切る愚かな女にはならないから。だから、わたしのことを母のように、いいえ、母以上に愛して。
 パパは嬉しそうに笑った。あの笑顔が、今でもわたしの脳裏に焼きついて離れない。

      *

 わたしとパパは二人きりになった。学校のセンセイや近所の人達は、父子家庭の子どもになったわたしを心配していた。いったい何をそんなに心配していたのだろう。わたしは体が蕩けそうなくらい幸せだったのに。
 二人の生活は三人で生活していたときよりも、ずっと自然なものだった。よく考えれば、それは当たり前のことだった。だって、わたしはもともとパパの体の一部だったんだもの。パパの遺伝子でわたしが出来たの。母よりも、パパに近い存在。だから、わたしならパパのことをよく分かってあげられる。
「そうか。茉莉乃はパパの一部なんだな。欠けていたパズルのピースが戻ってきたみたいだ」
 どうしてそんな大切なことに気が付かなかったのかな、とパパは笑った。
「今まで、間違っていたんだね。あの女は、いらなかったんだ。パパには茉莉乃だけが必要だったんだ」
 茉莉乃だけが必要! その言葉に頭がショートしちゃいそうなくらい喜んだ。そうよ、パパ。パパの愛を受け止められるのは、わたししかいない。わたしは、パパのためだったら、何だってする。
「茉莉乃。茉莉乃はパパのものだよ。パパから離れないでくれ。あの女みたいにならないで、可愛い茉莉乃でいてくれ」
 返事の代わりに、わたしはパパに抱きついた。

 フリルのついた白いワンピース、紺色の清楚なドレス、黒いエナメルのストラップシューズ、繊細なレースの可愛らしい下着。パパはわたしのために、プレゼントをたくさん用意した。
 パパはわたしを裸にして、着せ替え人形のように服を着せては脱がせた。真っ昼間、カーテンを引いた部屋の中だった。誰も知らない、わたしとパパの着せ替えごっこ。なんだか背徳的で、わたしは気持ちが昂ってクスクスと喉の奥で笑った。それはパパも同じだったみたいで、熱くなった体をわたしに押しつけては「愛している」とうわ言のように呟いた。
 毎朝パパに服を着せてもらい、髪の毛を整えてもらう。夜にはお風呂で隅々まで体を洗ってもらい、ぎゅうぎゅうに抱きしめられて眠りにつく。いや、それだけじゃない。パパはわたしをよく裸にした。何も身につけていないわたしが一番好きだと言った。パパは頭のてっぺんから爪先まで、傷がついていないか丁寧に確かめ、そこら中にキスをした。あたたかい舌で舐めたり、強い力で噛んだりもした。パパはわたしを愛している。その事実がわたしに快楽を与えた。
「あぁ、可愛い茉莉乃。食べてしまいたいくらいだ」
 食べて!わたしを食べて、パパ! 絶頂に震えながら、声にならない声で叫んだ。
「可愛い茉莉乃。可愛い茉莉乃。茉莉乃はずぅっとパパのもの」
 裸でぴったりくっつきながら、パパは言った。その言葉の甘さに、恍惚とした。
 わたしは、母よりも愛されていた。

      *

 本当に幸せだった。体が宙に浮いているような、心地いい日々。でも、そんなに長くは続かなかった。
 十一歳の春のこと。学校で教えられた。わたしの体について。
 同じ学年の女子生徒が一つの部屋に集められ、年配の養護教諭が優しく微笑みながら口を開いた。
「これから大事なお話をします。よく聞いてください」
 そう言って、文字がたくさん書かれた模造紙や絵を使って説明を始めた。女の体の仕組みについて。わたしはそのとき初めて、自分の体が何を抱えているのかを知った。大人に近づくと子宮は血を排出するようになり、やがて子を宿すゆりかごになる。それが女なのだ、と養護教諭は力強く説明した。
 女。その一言で、母を思い出した。パパを裏切ったあの女。わたしの体は、あの女と、同じなのか。その事実がインクのようにじわりと滲み、わたしに黒い影を落とした。
 周りにいた同級生たちは、気まずそうに視線を床に落としていた。自分では知らなかった体の秘密を他人に突然教えられ、戸惑っているようだった。
「あらあら、皆さん、びっくりしちゃったかな。じゃあ、いいお話をしてあげましょう」
 のんきな声で、養護教諭は笑えない話を披露した。
「女の人の体には、赤い花があるの。その花は大人に近づくと咲くんです。生理がくるというのは、綺麗な花が咲いて大人の女性に近づいた証拠なんですよ」
 バカバカしい。何が赤い花だ。そんなもの、今すぐ摘み取って握り潰してしまいたかった。
 ――可愛い茉莉乃。あの女みたいにならないで。
 わたしに懇願するパパの声が聞こえた気がした。
 どうしよう。女になってしまう。母と同じになってしまう。「可愛い茉莉乃」じゃなくなってしまう。きっと母からは逃げられない。だって、わたしは母の一部でもあるんだもの! パパに愛されなくなってしまう!
 焦燥感に胸を焼かれて、嗚咽した。
 パパ! わたしを捨てないで!

     *

 現実は残酷だった。月日とともに、わたしの体はどんどん成長した。身長が高くなって、手足が伸びた。胸がかすかに膨らんできた。腋の下や股に、淡い毛が生えてきた。皮肉なことに、わたしの顔は母に似てきた。十五歳のわたしは女になろうとしていた。生理だけは、まだ来ていなかった。
 パパはもう、わたしを「可愛い茉莉乃」とは呼ばなくなっていた。朝の着替えも、夜のお風呂も、わたしを裸にすることもなくなっていた。
「パパ。パパ。愛しているわ」
 泣きながらパパの背中に縋ったけれど、パパは何も言ってくれなかった。
 
 ある日、ついに全てが終わった。
 あの日は、具合が悪くて学校を早退した。重たい体を引きずりながら家路につくと、見慣れた後姿があった。見間違えるはずがない。パパだ。わたしのパパが、小さな女の子と手をつないで歩いていた。可愛い可愛い女の子。
 パパ。今度はその子に愛を注いでいるの?
 ぶち壊したい衝動にかられて、駆け寄った。怒りと悲しみがない交ぜになって、わたしの体をごうごうと駆け巡る。勢いよく女の子を突き飛ばして、パパに詰め寄った。
「どうして! どうしてなの!」
 女の子は恐怖に震え、泣いていた。パパは暗い瞳でわたしを見ていた。
「愛しているのに! わたしは! パパを! 愛しているのに!」
 ほとばしる感情をただただ叫んでいると、お腹に、ずきん、と痛みが走った。次の瞬間、足の間からどろりと生温かい塊が流れ出た。わたしの太ももを、赤い血が伝った。
 あ、あ、あ。花が。赤い花が、咲いてしまった。女に、なってしまった。
 ずきん、ずきん、とお腹が痛み、立っていられなくなった。霞んでゆく意識の向こうで、パパがわたしを見ていた。汚いものを見るような、冷たい目だった。お願い。パパ。そんな目で、わたしを見ないで。
 
 「可愛い茉莉乃」は消えてしまった。
 パパはあまり家に帰らなくなった。どこに行ってしまったのだろう、わたしを置いて。わたしには、パパが必要なのに。

     *

 わたしとパパの話はこれでおしまいよ、センセイ。
 わたしの悩み、分かってくれた? 解決してくれる?
 どうしたら「可愛い茉莉乃」に戻れる? どうしたらパパはまたわたしを愛してくれる?
 ねえ、センセイ。お願いだから、教えてよ。
 

パパ、アイラヴユー。

読んでくださった方、ありがとうございました。

パパ、アイラヴユー。

パパと娘の話。パパは変態。気持ち悪い親子。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2014-10-05

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted