私の中のこころ旅

40年ほど前の丸亀城

 俳優火野正平が相棒の自転車『ちゃりお』に乗り、視聴者から寄せられた思い出の場所を訪れ手紙を読む、NHKで放送されている旅番組「にっぽん縦断 こころ旅」が気に入り夫婦で毎日のように見ている。時には見覚えのある風景がでたり日本の田舎らしい場面、町で出会う人々と火野正平の会話など上手くマッチし良く彼を使ったものだと感心させられる。番組を見ていて誰だって思い出の風景やもう一度訪れたい場所はあるだろうな感じ、自分の中の思い出の風景、訊ねてみたい場所はと思い出を呼起こすとこれが以外にたくさんありすぎるほど。その殆んどは若かりし頃訪れた場所なので多感な青春期に何でもしておくものだと今になって思うが、その中で『私のちゃりお』にまつわる場所となるとこれが思い浮かんだ。

 高校生の時、同級生は当時流行のスズキのGT38、ヤマハミニトレGT50、ホンダDAX ST50といったバイクを買ってもらってたし、中には中古のスバル360を買い、当然タバコの臭いが満ちていてるその車を学校に無断で通学に乗って来ては学校近くに路上駐車したままだったつわものもいた。今では車好きな私はその頃なぜか自転車小僧だった。世が世であればツール・ドゥ・フランスに出たいと考えているかも知れない。モーターバイクに興味がないわけではなかったが、生まれつき天邪鬼なのかバイク免許年齢になっても興味が湧かず自転車が好きでアルバイトしては二台購入した。一台は黒いフレームの新聞配達と通学用、もう一台薄いブルーメタリックのサイクリング専用で二台とも親の世話にならず自分のバイト代だけで購入したものだから大切に乗っていたものだ。
 50kmや80km走ることはなんとも感じない体力と脚力をもってどこへ向かうかといえば山道を行く。俺は山岳サイクリングが好きと勝手に思い込んでいた。香川県の金毘羅さんがある象頭山山頂だったり、小豆島の寒霞渓だったり国道の徳島県境だったり。馬鹿は高いところへ登りたがるというのはまんざら嘘でもないようだ。日帰りで行った小豆島への小さな旅は今は亡き友人とのこころの旅でもある。
 丸亀城の記事を見てそういえばあそこもこころたびの一つだなと昔のシーンが蘇った。

 中学の同級生だった女の子が高校の同級生の女の子を紹介してくれるということで、落ち合う場所が丸亀城内にある市立図書館だった。自宅からその場所までは当時国鉄でも少々時間が掛かる距離だが、毎日十数キロを自転車で新聞配達している私にとっては近いもの、まして今で言うサイクリング用の軽快なバイクに「女の子を紹介してもらえる」というターボが加わり意気揚々とそして颯爽と丸亀城内西側にある図書館へ向かってペダルを漕ぐ、爽やかで天気のいい日で黒い学生服を着て自転車を漕いで切る風で汗もかかなかった。
 図書館が選ばれたのは彼女たちが試験勉強をするためで、当然私もその頃は考査の時だったはず。しかし一緒に勉強などするはずもなく女の子に会えるって思いだけで掛けていった。丸亀高校を過ぎ、堀を渡り図書館の玄関に着いた私は、息を整え館内に入り二階へ上がると部屋の中ほど明るい場所にある長い机を挟み同級生の女の子と同じ紺色の制服を着た女の子と向かい合って座っているのが目に入る。ショートの髪を耳に掛け椅子に座って勉強している姿から華奢で小柄な子だと感じた。近づいていくと同級生の女の子は私に気が付いたようでその子の所へ向かい小声で挨拶したのだろう
「この子私の同級生でNちゃん、こっちは私の中学同級生のF君」などと紹介して貰ったはず。Nさんは私を紹介されても軽く会釈した程度で言葉も交わさず再び目線を教科書と参考書に向けた。
図書館で試験勉強中の二人と話が弾むわけもなく、また二人だけで話でもしたらと言われるわけもなくただ少し時が過ぎた。気まずい雰囲気を断ち切ろうと「じゃあ俺帰るわ、またね」そういって二人に別れを告げ図書館を後にする。
  女の子のことなどあまり気にもせず、さてここまで来てこのまま帰るのもなんだかなと思った私はお城でも見てみようと大手門へ向かった。丸亀城は現存天守12城の一つで珍しくまだ大手門も天守閣も残る、それは石垣のラインが美しく昔の細みな客船のシャーラインを感じさす。その高さは日本一の城だそうだ。当時は堀の水は緑色に汚く濁りそこに沢山の亀がいた。そんな堀でも貸しボートがあり親友とここを訪れ後輩の女の子を乗せてボート遊びをしたもの思い出だ。
 その堀を渡り大手門を越して左に曲がり天守閣へ向かう道に「見返り坂」という長いそれは急な坂がある。今は綺麗になっているだろうか、当時はただ赤土の急峻な坂だった。なにせ歩いて登っていても一服してどれだけ来ただろうかと見返ることからその名がついているらしい坂だ。さてその坂を見ると威圧感のある斜度に負けたいていは自転車はそこへ置き、歩いて天守へと向かっていくものだろうが、ここで馬鹿ほど高いところ・・・がムクッと顔を上げる。 その堀を渡り大手門を越して左に曲がり天守閣へ向かう道に「見返り坂」という長いそれは急な坂がある。今は綺麗になっているだろうか、当時はただ赤土の急峻な坂だった。なにせ歩いて登っていても一服してどれだけ来ただろうかと見返ることからその名がついているらしい坂だ。さてその坂を見るとたいていは斜度に圧倒され自転車はそこへ置き、歩いて天守へと向かっていくものだろうが、ここで馬鹿ほど高いところ・・・がムクッと顔を上げる。
「行かんの? ん?行けないの? 」と悪魔が囁いた訳だ。
上目使いで坂の頂上に目をやりふっと息を整えると「いったらんかい」とその坂を上りだした。ギヤを下げシットアップし、がむしゃらにペダルを踏む。確かに急ではあったが毎日の新聞配達で太ももは競輪選手かと見まがうほど発達し、何より若く体力があったので一気に上りきった記憶がある。坂の頂上は一旦平坦になり折り返し天守へと向かうがそこで自転車を止め、はあはあと乱れる呼吸のまま今来た坂を振り返り「ほら上れたやろ」とちょっと自慢げだった自分が今でも記憶に残っている。苦労して上った達成感というのだろうか、少し登山家が登頂したときの気持ちにも似ているのかなと感じるものがある。

 その紹介してくれた女の子とは殆んど会うこともなく、特別な感情を持つことも無く数年が過ぎ、今の妻と付き合っていたときの事だ。今の妻と友人の話をしていた時「私の親友のNさんがね」と、聞いたことのある名前が飛び出した。あれ?と思いその子○○の学校を卒業したこんな子じゃないのと聞くとそうだという。何で知っているのと聞かれ事情を話したが、よもやこんなところで昔紹介された女の子の名前が現れるとは思って居なかったし嫁さんは私がNさんを知っていることに少し驚きを感じていた。
 そして少しして妻の親友2人が同じ日に結婚式を行った。チームメイトでもあった友人の結婚式に参加するがもう一人の親友にも会いたいという
「誰って」と問うと聞かされた名はそのNさんだった。
 夕方だったろうか披露宴会場の高松のホテルへ今の嫁さんを乗せ向かい会場になっているホールの前の椅子で披露宴が終わるのを待つことしばし、宴会がお開きとなり放たれたドアから来客のざわめきと共に出てきたのは満面の笑みを浮かべた新郎新婦で、ドレスを纏ったその彼女は高校生の時に紹介された女の子が成人した姿そのものだった。来客を見送った後の少しの時間、嫁さんは幸せそうなNさんと親しげに話をする傍らで私はただNさんを懐かしい目で見ていた。図書館で感じた「しっかりした感じの人だな」はその時も変わりなかった。
 毎年嫁さんに届く年賀状の葉書の束にそのNさんの名を見る度、あの図書館での姿と見返り坂のことが呼び起こされ実に縁の不思議を感じる。

私のこころたびは・・・と投稿し、まさかあの坂を69歳になった火野正平に上ってくださいとはいえないが、毎日自転車を漕いでいる火野正平を見ては「今の軽い自転車いいな、また乗ろうかな」とさえ考えさせられ今は細くなった太ももをさすりながら
「丸亀なんて近いもの、一度ドライブを兼ねて見に行ってみようか」と考えた。

丸亀城の「見返りの坂」 これが私の中での思い出の風景

私の中のこころ旅

私の中のこころ旅

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-10-02

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted