ストロベリー
「ねぇねぇ、なんか服の感じ変わったね。」
「そう?」
「うん、まゆはそんなの着なかったよ。一個もフリルがない服なんて。」
「だって彼が」
あ、もうこの子わたしのすきな女の子じゃない。わたしが愛した女の子じゃない。彼氏ができて、その彼氏の趣味嗜好に合わせてファッションを変えたりメイクを変えたりする女の子はすきじゃない。それをするのは自分に自信がない子だから。この子は夏でも長袖のドレスにふわふわのパニエをはいていた女の子だったのに、今はこんなぺらぺらの安っぽいワンピースなんて着てて、かなしかった。
「ゆか、ゆかのそれかわいいね。」
「どれ。」
「そのワンピース、ゆかは昔からぴったり似合うものばかり持ってて体のラインが綺麗で羨ましかった。わたしもそういうの、着れば良かったー。」
「まゆはあれでいい。あれのほうがすきだった。」
わたしは小さい声で言ってメロンソーダを飲んだ。
「ゆかはまだこどもだから。ゆかにもすきなひとができたらわかるよ。」
彼女はコーヒーを飲んだ。
わたしはこどもじゃない。それなりにすきになったひとはいるし、今だって彼氏がいる。今のわたしをすきでいてくれるやさしいひと。
「それでね、このカーディガンは彼が」とか「この煙草は彼と同じ銘柄で」とか「この前彼の部屋で料理をして」とかいう彼女の話にわたしは曖昧に返事をして、ずっとメロンソーダを見つめていた。いつからこんなに普通の女の子になってしまったんだろうと思った。
「大学に行くとこうなるの。」
と彼女は言った。
量産型大学生お姉さんみたいになんてなって欲しくなかった。つまらない男の話も聞きたくなかった。
「まゆ、たのしそう。」
「たのしいよ。」
「素敵な男の子は女の子を語らないって本で読んだ。」
「…そう。まだ本ばかり読んでるんだ。」
まだ、って。
わたしたちは昔ふたりで図書館や本屋さんに言って本をみるのがすきだった。貸したり貸して貰ったりして、小説の中の男の子の話をするのが楽しかった。彼女が面白いよ、と貸してくれる本はいつも必ず面白かった。涙が出ないうちにここから帰りたかった。
「帰るね。」
「お金はわたしが払うからいいよ。」
「いい。」
500円玉を机に置いてわたしはすぐにカフェを出て家に帰った。
部屋に入ると彼がいた。
わたしたちは同棲している。
「おかえり、ゆか。」
「ただいま。」
「おいで、いまにも泣きそうだよ。」
わたしの彼氏は優しい。なにも聞かずに頭を撫でてくれる。
「ゆか。」
「なあに。」
「晩ご飯の買い物に行こうか。」
「うん。」
「手を出して。」
わたしの手のひらにはかわいいピンクの飴が乗せられていた。
「どうしたの、これ。」
「電車で隣に座ったこどもがくれたんだ。げんきになれるよって。」
「ありがとう。」
わたしは飴をたべながら彼と夕方の道を歩いた。彼の手はいつもやさしかった。野菜売り場で綺麗なトマトを見てあなたに似てるって言ったら呆れたように笑われた。晩御飯はクリームシチューにした。帰り道かわいいパン屋さんでどれでもすきなのを選びなさいと言われて、うさぎの顔のパンにしようと思ったけれど、さっき彼女にゆかはまだこどもだからと言われたのを思い出してクロワッサンにした。彼はその一連の流れを笑いながら見ていて結局うさぎの顔のパンも買ってくれた。彼は猫のパンを買った。うちに着いてクリームシチューを作ってパンを食べた。
「ねこ、おいしい?」
「おいしいよ。」
「耳から食べるの。」
「ゆかはどこから食べるの。」
「えっ、うーん。」
どこから食べようか迷っているわたしを見てまた彼はわらっていた。ごはんが終わってお風呂からでると彼がベットから言った。
「さっきの飴、何味だった?」
「いちごみるく。」
「よかった。」
「どうして。」
「なんでもないよ、湯冷めするからおいで。」
彼はわたしを抱きしめて言う。
「ほらね、ゆかはいつもいちごのにおい。」
「そう?」
「うん。ずっと忘れられないんだ。これからずっとずっと。」
わたしたちは静かになった。
わたしはいつも誰かといる時、しーんとしてしまうのが気まずくて何かと話をしてしまって(しかもつまらない話ばかり)、そういう自分が嫌いだったのでお互い話していなくても居心地がいい彼のことはすごく好きだった。
「陸くん。」
「なあに、なにかほしいの?」
「違うけど、なんで。」
「ゆかは僕に何か頼む時は名前で呼ぶから。いつもはねぇねぇ、とかきみは、とかあなたは、とかだけど。」
「そうだっけ。」
わたしの彼はわたしよりもわたしを知っている。
「星がみたい。」
「いいよ。ドライブに行こうか。外は冷えるからあったかくして。」
「うん、したくする。」
わたしは時々こんな風に星をみたくなる。わたしがお願いすればそのほとんどを彼が聞き入れてくれる。できるだけ厚いニットを着ていちばんあったかいコートを着てマフラーを巻いた。彼はもう玄関で待っていた。
「もこもこ。」
「ゆかはなにを着ても可愛い。」
彼は一日に何度も何度も可愛いと言ってくれるけれどいつも恥ずかしくて上手に返事ができない。
「さあ乗って、もうすぐ暖房が効いてくると思うから。」
「はあい。」
わたしは車内で昔からの友達が彼氏の影響で変わってしまった話をした。
「わたしはなんでもかんでも自分のものにしようとしすぎるのかもしれない。そういうのって、知らないうちに相手を縛ることになるのかもしれないのに。」
「うん、でもね、僕もゆかが他のひとに影響されてこの綺麗な黒い髪を汚く染めたり、突然へんな服装をしたりしたらかなしいかな。ゆかがゆかであることに変わりはないけど、きみをそこまで変えられるような存在に対して嫉妬する。」
「わたしもそうなのかな。」
「僕はほんとうに、今の瞬間のゆかがすきだよ。だから髪の毛だって一ミリも伸びなければいいのにと思うし時間が止まればいいのにと思う。そしたら僕らは永遠と語り合いながら夜道を走っていられるんだよ。」
「うれしい、そうなったらすごく。」
「うん。」
彼が運転しながらわたしの髪を撫でるのでわたしは安心して何時の間にか眠ってしまった。
目が覚めた時には展望台の駐車場に着いていて、わたしの手を握りながら彼も眠っていた。わたしが彼の頬にキスをすると、彼の口元が緩んで「寝てないよ」と笑ったのでわたしは恥ずかしくなってしまった。外は寒くてわたしたちは肩を寄せ合いながら星をみた。いちばん明るいのじゃなくてもいいから、4等星くらいの星にこのひととふたりで住めたらいいのに、と思った。空は真っ暗で星はきらきらしていて、世界の終わりはこういうものなのかな、と思った。
「世界が終わりそうなよる」
「こわい?」
「ちょっとだけ。陸くんは?」
「こわくないよ。世界が終わるのは命が終わるのとおんなじようなことだから、こわがるようなことじゃないよ。大丈夫。」
「そうなの。」
「ここのところ、地震や津波や大雨や異常気象や火山の噴火や、たくさん自然災害が起きてるよね。ああいうのは地球の悲鳴なんだよ。もうだめかもしれないっていうね。創造の神は自分の過ちに気がついたんだよ。だから一度終わるべきなんだ。いままでしてきたことや必死で築いてきたものはすべて無意味で無価値だってことに気づくべきなんだよ。」
「そうかもしれない。」
すべて消えればいいと思っていた。物質的なものも人間の思想もすべて。ビルも学校も道路もマンションも、常識も正義も偏見も仕事も恋愛も友情も人間も、すべてゼロに戻してまた最初からにするべきだと思った。この世にはくだらないものがありすぎる。だからわたしはこんなにも弱くなってしまったし彼女はあんなにもつまらなくなってしまったんだ。
「でもね、陸くんはね、」
「うん。」
「この世がどんなにくだらなくても、あなたはくだらなくないからね。」
「ありがとう、ゆかは僕の天使だよ。きみはたとえ生まれ変わっても天使だよ。」
きょうはよく眠れそうな気がする。きょうで世界が終わるかもしれないしあしたかもしれないし、まだもうちょっと生き永らえるのかもしれないけど、とりあえずあしたは、彼よりもはやく起きて朝ごはんを作ろうと思った。
ストロベリー
だらだら世界と人間の命が続いてゆくから変わらなくていいことまで変わっていってしまうんだろうなあと思います。変わらないではいられないけど、自分の大切なひとが他のひとと違う形でしあわせになってしまったらわたしはなにもできなくなるのでかなしいです。これからは多分こういう短編をかきます。