桂花茶を飲みながら

桂花茶を飲みながら

大学からの帰り道に、風に乗って何処からともなく漂ってくる金木犀の香りを感じて、亜紀はどうしようもない焦燥感に駆られた。亜紀は金木犀の香りと金木犀が咲く季節が大嫌いだ。

金木犀の香りを感じると、去年の秋に両親が離婚するまで住んでいた家を思い出すからだ。その家の小さな庭に、小さな金木犀の木があった。亜紀は幼い頃から秋になるとその金木犀の香りを感じて育った。父親の女癖の悪さが原因で両親の不仲は亜紀が小さな頃からで、去年まで離婚しなかった事が亜紀には不思議なくらいだったけれど、その理由は亜紀自身が一番良く分かっていた。

今、母と祖母と一緒に暮らしている母の実家に着くと、亜紀はまた憂鬱な気分になる。母の実家の庭にも金木犀の木があるからだった。それもかなり大きい。

亜紀ちゃんおかえり、そう言って祖母は嬉しそうに亜紀を出迎えて、金木犀のお茶飲む?と亜紀に勧める。そのお茶は金木犀の花びらを乾燥させて作った桂花茶と呼ばれるお茶で、亜紀はその香りのせいで胸がムカムカする。金木犀の季節になると、祖母は金木犀の花びらを集めて金木犀のお茶、桂花茶を手作りする。どれだけ金木犀が好きなんだ、と亜紀はますます胸がムカムカする。

いらない、と返事をして亜紀が素っ気無く自分の部屋のある二階に上がろうとすると、こんなに良い香りがするのにね…と祖母は桂花茶の香りを楽しんでいた。

亜紀はイライラして、金木犀の香り嫌いなんだよね、あんな木切ればいいのに。と祖母にひどい言葉を投げかけてしまった。

「あの木は…あれは亜紀ちゃんのお父さんとお母さんの縁結びの木だからね…でもそうだね、もう無い方が良いかもしれないね」祖母は淋しそうに呟いた。
「縁結びってどういうこと?そんな話し聞いた事ないけど?」亜紀は驚いた。
「お母さんには内緒だけど、亜紀ちゃんのお父さんが昔偶然この家の前を通りかかって、その時に金木犀が満開だったんだけど、あまりに良い香りがするもんだからお父さんたら香りに釣られて勝手に庭まで入って来て、そこでお父さんとお母さんは出会ったのよ。良い香りですね〜そうですよね〜なんて話しながら二人はすぐに盛り上がってたわよ」
「何それ…気持ち悪…」
亜紀は花などに一切興味の無かった父親の事を思い出して、本気で気持ちが悪くなった。けれど、女遊びばかりする父親だから、女を口説く常套手段として花を使っていたのかもしれない…と妙に可笑しな気分になった。

「亜紀ちゃんのお父さんは花には興味無かったけれど、金木犀の香りはすごく好きだったみたいね。だから亜紀ちゃんの家にも金木犀の木があったでしょ?」
「興味があるのは女の事だけみたいだったけど。金木犀の木なんか無い方がすっきりする」亜紀がそう言うと祖母は笑った。

父親と母親の出会いの話しを聞くと亜紀はますます金木犀の香りが嫌いになりそうだった。二人が出会うきっかけになったあの木を今すぐにでもノコギリで切り倒したい衝動に駆られた。そんな気持ちを察してか、祖母はノコギリ、物置にあったはずだけど…と物置にノコギリを探しに行った。

祖母の飲んでいた桂花茶はまだ温かくて、金木犀の甘い香りが湯気と一緒にゆらゆら揺れている。この香りがお父さん一番好きなんだよ、と父親が教えてくれた事を亜紀は覚えている。女遊びばかりして離婚したくせに、元気か?と頻繁にメールを送ってくる父親が鬱陶しいと思っている。そんな父親と、亜紀が二十歳になるまでは離婚しない、と言っていた母親の事を煩わしいとさえ思っている。そして今更なんで離婚したのか、と憎んでもいる。自分が金木犀の香りが嫌いな理由を亜紀自身が一番良く分かっている。本当は亜紀も一番大好きな香りだったはずなのに。

「ちょっと錆びてるけど、使えそうよ」ノコギリを片手に祖母が戻って来た。
「…今日はいいや」そう言って祖母の飲みかけの桂花茶を亜紀はグビグビと飲み干した。
「…そうね。もうすぐ満開だから、それからでも遅くないわね。亜紀ちゃんのお父さんも香りを嗅ぎにここにやって来るかもしれないし」祖母は笑う。
「何このお茶、美味しくない…美味しくないけど…おばあちゃん、おかわりちょうだい」このお茶を父親も飲んだ事があるのだろうか?大嫌いで大好きな金木犀の香りが身体中に広がって、何だか亜紀は泣き出しそうな気持ちになる。そんな亜紀に気付かぬ素振りで祖母は嬉しそうにおかわりの桂花茶を注ぎ始めた。

桂花茶を飲みながら

桂花茶を飲みながら

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-10-01

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