今日というこの日。

時間が怖いと言う私に共感してくれる人はそう少なくはないのではないだろうか。
例えばテストの前日に、これ以上時が進んでしまえば己は散々なる結果を弾き出すことになる、と自覚したときや鈍足なる人間が100メートル走のタイムを見せつけられたとき。
怖い、とは少し違う例えになってしまったがなくなってしまえばいいと思うことに変わりはないだろう。
そして今。私は時が進むのが怖い。
時が進み、彼の人たちが私の前から消えてしまうそのときが、怖い。
今が幸せであるがゆえに、私は時を恐れている。

なあ、諸君。
わかるだろう?

今日より明日の方が楽しいと言うときもある。一ヶ月前のほうが、と溢すことだって少なくない。
しかしそんなもの、ただの虚言なのだ。妄言、なのだ。
いつだって今が楽しい。
今日このときが、他のどんな日よりも最高なのだ。

一年間、私は一つの名の元に過ごした。
一年間、私は彼らと共に過ごした。
その一年が最高であるとしか、今をいきる私には言いようがないのだ。
これから始まる一年が最高であると、私はどうしても言えないのだ。
昨日という日を知っている以上、鬼を笑わせるわけにはいかないのだ。

どうしたらいい?
どうすれば、時を止めることが出来る?
もう一度彼らと共に過ごすには、私は何を犠牲にすればいい。

その答えを知るためには、きっと時を進めるしか手段がないのだ。
そして、時を進めた先の、一年後の今日という日に、また昨日までの一年を繰り返すため、私は思い悩むのだろう。

今日というこの日。

私が共にいたいと思った彼らと、これを読んだあなたがどうか、一年後に笑っていられますように。

今日というこの日。

下らん戯れ言です。

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-10-01

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