頂点
2012/01/21
太陽は数刻前に、地平線の彼方へと沈み、空に広がるのは暗闇ばかり。しかしまだ街は眠らない、夜。路地には煌々と松明が焚かれ、人々の喧噪が溢れる。どこまでが家屋で、どこからが道であるかを区別する必要はない。酩酊する人もそうでない人も、歌って踊るのがしきたりだ。
その出店には中央に大机が用意されている。連れ立って訪れた仲間の歌い手は、その上に胡座を掻いて、我が物顔で歌いはじめてしまった。周りの人間たちも手慣れた調子で囃し立てるので、慌ててその輪に入る。こうして思い立ってはこの店の遊びに興じていたせいで、国一番の楽師が訪れる店として繁盛しているようだった。
間違いではない。花舞祭でも最終日を占める面子ばかり仲間になるのだから、仕方のないことなのだろう。その中でもこうして集まるのは、素行の悪い方だけであることには目を瞑っていて欲しいところだ。
夜の路地の音楽には取り憑かれるような魅力があった。いつも新しい音と情報が溢れていて、刺激のない日はない。触発されるように、伝統の舞にも愛着を感じるから、やめられないのだ。そして何より、路地の人々は音楽を愛していた。その中で踊る心地よさは何にも代え難い。
歌い手はどこで仕入れたのか、全く聞いたことのない歌を諳んじる。どこの国の歌だろうか。独特の音階には、彼の異彩を放つ声によく似合っていた。負けじと商人から倣ったばかりの踊りを舞ってみせる。本職として、このような遊びの場で報酬を与らないと公言してあるので、店や客は代わりに酒を仕入れてくるようになった。飲めない口ではないので、ありがたく頂いているが、一度だけ正体不明になって担がれて帰った経験があるため、飲みすぎはよくないと躾けられてしまった。路地に出ない連中から白い目で見られるようになったのはこの頃だったか。その面々を思い出すと、酌に伸びたの手が止まってしまう。
「体調でも悪いのかい」
「花舞祭が終わったばかりだから、まだ疲れてるみたいだ」
下手な嘘をついて笑う。嫌なことは踊って忘れてしまえばいい。
路地の夜は陽気な人々の熱気のせいで明るい。はじめて来たときも、その愉快さに救われたものだ。ただ昔とは違うこともある。評価を受けるのが嫌で、逃げるように路地へ駆け込んでいた子どもはもういない。
なぜ流行の踊りを舞台に出さないのかと聞かれたことがある。流行は嫌いなのだと思われていたこともある。
流行は楽しいものだが、見ていて美しいものではない。こちらが楽しいだけでは、報酬は頂けない。見ている者も、踊れない者も集まる場所では、やはり多くの人に受け入れられる舞を選ばなければならない。
そのために、知らないものを見て、多くの舞を覚える。
期待を負う、頂点の表現者としての務めだ。
頂点
続きません。
いつか物語になればと思います。