カプチーノ

あくまでわたしの理想です。

わたしはちいさな喫茶店で男の子と向かい合っている。
恋人ではない。
彼がわたしに恋愛感情を抱くこともない。
彼がカップを持ち上げてコーヒーを啜る。

「苦くないの、ブラック。」

わたしは甘党で苦いものが苦手なのでウインナーコーヒーを飲んでいた。甘いコーヒーの上にクリームが乗ってるやつ。

「苦くないよ、飲んでみる。」

「いらない。」

彼は同性愛者だ。女の子に興味がない。だからわたしがいくら可愛い仕草で彼を誘惑しても彼は何も感じないし逆に嫌悪感を抱くかもしれない。
はじめて彼を見たとき、素晴らしく綺麗な男の子だと思った。色白で華奢で整った顔立ちをしていて、驚くほど学ランが似合っていなかった。
彼もわたしとはじめて話したとき、とても可愛いね、と言った。その言葉の中に下心や性的なものは一切含まれていなかった。
お人形みたいでとても可愛い、きみだけが違う服を着ているみたいに見えるよ、と言われたので、うちの制服がブレザーだったらよかったのにね、と言った。
嫌味ではなく、本心で。

「ねねは、女の子をすきになったことある。」

彼は自分の話をする前にそう聞いた。

「どうして。」

わたしは答えた。彼のいうことがなんとなくわかっていたから。
彼は女の子から人気があったし何度も告白されたりしていたのに一つも受けなかったし、クラスの男子ともすこし雰囲気が違ったし、いつも小説を読んでいたから。

「僕はね、男のほうがいいんだ。」

「そう。」

わたしはそれしか言わなかった。話してくれてありがとうと言うつもりもなかったし、大袈裟に驚くつもりも同性愛者を非難するつもりもなかった。

「びっくりしないんだね。」

「べつに、すきになったひとが一回り年上だったことと大差ないじゃない。」

「すきだよ、僕は君のそういうところが。」

「ふうん。」

という感じで彼の一世一代のカミングアウトは呆気なく終了した。
未だに彼はその話をすることがある。

「ねねにだから話せたんじゃないかと思うよ。後にも先にもあんなのはじめてだったから。」

「ねぇ綺月、思い出した。」

「なにを。」

「わたし、恋したことある。おんなのひとに。」

「そう、でもなんで今になって。」

「ウインナーコーヒー。」

「ウインナーコーヒー?」

「七歳年上のおねえさんが、わたしはだいすきだったの。わたしが十五歳のときに出会ったおねえさんが。さっぱりしててお洒落で、でもいつもかなしんでるひとだった。あと、たくさん本を読んでるひと。」

「その話ききたい。」

「うん、彼女とわたしはおんなじ本を読んでたの。江國香織の、「いつか記憶からこぼれおちるとしても」っていう本。その中にね、柚っていう名前の女の子が出てくるの。裕福で顔も可愛くてわがままな女の子。その子が、普通の男の子と出会って恋をするうちに、可愛い洋服やアクセサリーにあまり興味がなくなっていってね、だいすきなお母さんとだいすきなお店を何軒も回ったのになにも買わずにウインナーコーヒーだけ飲んで帰ってくるっていうお話があったの。」

「その、柚って子はねねに似てる。」

「彼女もそう言ってた。わたしがねねちゃんのママだったら、いつか一緒にお買い物に行ってウインナーコーヒーを飲みたいって。」

「素敵じゃない。」

「うれしかった。絶対にいつかそうしたいって言ったの、わたし。そのときはまだウインナーコーヒーなんて飲めなくて、だから頑張ってコーヒー飲めるようにならなきゃって努力したの。」

「健気だね。」

「そう。そのひとに分けてもらってはじめて煙草を吸ったの。今も覚えてる、マルボロの赤の箱。それと花を貰った。花を貰って、あなたは花だから、美しいだけでいいのよ、って言ってくれた。」

「うん。」

「時々連絡を取り合っていたけど、お互い優しい恋人と出会ってそれもなくなってしまった。彼女が、彼が体に悪いから煙草を辞めなさいって言ったから禁煙するのって言ってるのを聞いたときかなしかった。もうわたしのおねえさんじゃない、きっと二人でウインナーコーヒーなんて飲めないって思った。そしたらね、そのすぐあとにわたし、コーヒー平気になったの。ブラックは無理だけどカプチーノくらいまでなら。」

「痛みに強くなったんじゃない。」

「痛みに強くなったわけじゃなくて、痛みに鈍感になったんだと思う。自分の感情に知らん顔するのが上手になっただけ。」

「でもたのしかったよ。」

「よかった。綺月は、どう。」

「相変わらずだよ。仲良くやってる。」

「そう。」

「この前紫陽花を見に行ったんだ。カメラ持って二人ともやる気満々で。」

「うん。」

「そしたら途中で大雨になってね、とてもじゃないけど写真なんて撮れないからって傘さして普通に見てきたんだ、紫陽花。僕はそれでよかったと思った。物質的に残しておいても忘れるものはいつか忘れてしまうし、頭の中で生き続けているものはいつまでも生ものだから。」

「うん、そのほうが素敵だと思う。」

「きっと何年か先、ひとりになって梅雨がきて、路地で紫陽花を見つけたときもあの人のことを思い出すよ、僕は。」

「わたしは金木犀。」

「思い入れがあるの。」

「うん、中学校の時にね、帰り道に金木犀がわーっと咲いてるところがあって、そこを通るとね、もう甘ったるいにおいが充満してるの、噎せ返るくらい。あの時はそれが金木犀だって知らなかったけど、いまはわかる。いまなら、あのひとをしあわせにしてあげる方法だってわかる。こどもだとおもっていたのに、知らないうちに大人になっちゃってるのがかなしかったな。わたしはいつまでも無知でいたかったから。」

「しあわせにしてあげられなかったと思うの。」

「たのしかった、としあわせだった、の真ん中へんかな。でも、優しかった。いまも優しい。」

「僕はさ、君を愛したりしあわせにすることはできないかもしれないけど、曲がりなりにも君がすきだし、これからも大事にしたいと思ってる。僕のこと思い出した時、君がそんな顔しなくていいように。」

「わたしも、女の子はすきじゃないけどあの子になら会いたいな、会って話をしてコーヒーでも飲みたいなって思ってもらえると嬉しいと思う。」

「そうだね。いつか飲めるようになるといいね、ブラック。」

「カプチーノで充分だよ。」

わたしたちはコートを羽織る。
もう冬は近い。夜は寒くて長い。
けれど、同じように孤独に震えている存在を慈しんでいるわたしたちは、大丈夫だと思った。何度も何度も恋をして、ひとりになったりふたりになったりしながら大人になろう、時には後ろを振り向きながら。

カプチーノ

カプチーノ

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 成人向け
更新日
登録日
2014-09-30

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted