その引き金を引け

探究は時に命懸けだ。

世の中は時に不思議な事が起こる。
私にも起きた。
それは拳銃を手にした事だ。
買ったわけではない。かと言ってもらったわけでもない。もちろん盗んでもいない。
私は目的を持ち、その手段として拳銃を所持したわけではない。
あったのだ。かばんの中に。
意図的か、それとも偶然か、誰かが私のかばんに故意に拳銃を入れたのだ。
それは名探偵でなくとも推理できる至極単純明快でひどくつまらない謎解きだ。
しかしここからが謎だ。何処で入れられたかは定かではないのだ。家に帰ってかばんを開けたら入っていたわけだ、拳銃が。
私はそんな物騒なものとは無縁のごく普通の会社に勤めている会社員だ。
毎朝六時に起きて一時間後に家を出る。満員電車に揉まれて二つ電車を乗り継いで出社して大抵遅くても八時には帰宅する。毎日が判で押したような生活を送っている。
私のかばんは革製の黒いトートバッグだ。去年のボーナスで奮発した少々値の張る逸品だ。
かばんの中身に特筆すべきものはない。
ペンケース、タブレット、フェイスタオル、歯ブラシ、水筒、財布、手帳、それからミステリーの新作。等。
天気次第で折り畳み傘が入り、季節によってはカイロが入る、そんなありふれたものだ。
そこにありふれていない拳銃が入っていた。
さて、何処で入れられたのか。
私は首をひねった。
通勤電車か、昼食のカフェか、それとも会社内でか。
拳銃はそれほど軽くない。そこで初めて知った事だが。
何処で誰が入れたにしても帰宅するまで気がつかない私は間が抜けていたと言わざるを得ない。
その日の私は少々疲れていたし、考え事もしていた。
何かアクシデントが起きるのは大抵こんな時だ。わかってはいたが起きてしまった。
アクシデントというよりトラブルかもしれないが。
その日いつも通りに帰宅してキッチンに行き、かばんから水筒を取り出そうとして出てきたのが回転式のある意味古風な拳銃だった。
私は恥ずかしながら、しばし呆然となった。
空の水筒にしては重いわけだ。
私が最初に思った事だ。
帰宅すると見知らぬ女性が食事の仕度をしていた。しばし呆然となる。
その時の呆然はこんな時の呆然に近いと思う。
私は水筒をシンクに置き、拳銃をテーブルに置いて風呂場に向かった。
途中トイレに寄り用を足し、脱衣場に行って服を脱ぎ、洗濯ネットに入れて洗濯機に放り込んだ。洗剤を入れて洗濯機を回した。
棚からバスタオルと着替えを出してシャワーを浴びた。
シャンプー、リンス、洗顔、体全体をくまなく洗った。最後に熱いシャワーで体を流す。
バスタオルで体を丁寧にふいてドライヤーで髪を乾かす。部屋着に着替え、顔に化粧水をはたき、耳を綿棒で掃除してキッチンに戻った。
拳銃は変わらずテーブルにあった。
私は冷蔵庫からビールを、冷凍庫からグラスを取りだし、注いで一息で空けた。
なべに水を入れて火をかける。沸騰したら塩を少し入れた。
そしてパスタを茹で始めた。私の夕食だ。
茹で上がる間に私は冷蔵庫からソースの入ったタッパを取りだした。ナポリタンのソースだ。
電子レンジで温める。私はビールで喉を潤す。
パスタが茹で上がった。噛んでみる。頃合いだ。
私はパスタを皿に盛り、温めたソースをかけた。
ビールが空になったので食器棚からワイングラスを取りだし、ワインを注いだ。
ラジオをつけて私はナポリタンを食べた。
ラジオでは世界と日本の事件、ニュースを伝える。
戦争、世界情勢、経済、政治、殺人事件、交通事故、気象情報、そしてプロ野球の結果。
私にとっての大きな事件をアナウンサーは伝えない。
テーブルにある拳銃。
私はニュースに耳を傾け、ワインを飲み、ナポリタンを腑に落とす。
食べ終えると手を合わせ頭を下げた。
食器をシンクに運び、洗う。それらを食器かごに入れて残ったワインに栓をして冷蔵庫にしまった。そして私はコーヒーを入れた。
キッチンにコーヒーの良い薫りが漂う。
私はトレイにコーヒーとクッキーをのせてリビングに行った。
アロマを焚いて椅子に座り、ミステリーの新作を読んだ。
ページをめくり、コーヒーを飲み、クッキーをかじる。
少し眠気がさしたところで本を閉じた。
テレビをつける。一通りチャンネルを変えてテレビを消した。さして見るべき番組はなかった。
クッキーを口に放り込んでコーヒーを飲み干してキッチンに行き、カップを洗った。
拳銃は変わらずそこにある。
私は洗面台に行き、歯を磨いた。洗濯が終わっていたので部屋干しした。干してあった洗濯物をたたんだ。
私はたたんだ洗濯物をタンスにしまい、ベットに潜り込んだ。
何かアクシデントが起きた時、夜独りで考え込んでも良い改善案は出てこない。
たまさかに浮かんだ改善案は最善でない事が多い。
別れ話を夜するとロクな事にならない事と同じだ。
自分のペースを乱すべきではない。
私は目を閉じて眠りについた。

翌朝私は少し早く目が覚めた。それほど私は神経が太くはない。やはり拳銃が気にはなる。
拳銃は夕べと変わらずテーブルにあった。
私は顔を洗い朝食の仕度をした。
と言っても朝は少食だ。
トースト、ミルク、そしてバナナ。
淡色系の朝食だ。
私はラジオをつけて朝食をとった。
昨日報じた殺人事件の犯人がもう逮捕されていた。
私のかばんに拳銃が入っていた事例の逆が起きたと思った。
偶然。たまたま。何気なく。
世の中は不可思議だ。
私は朝食を終え、夕べの食器を片付け、朝食の食器を洗った。
洗面台に行き、歯を磨き、ヒゲを剃り、用を足してから身支度を整えた。
朝早く起きたため、出勤の時間までまだ余裕がある。私はキッチンに行き、拳銃を手に取った。
さて、こいつをどうするか。
私は思案した。
選択肢は二つ。手に入れるか、手放すか。
当然に後者に違いない。
であるなら警察に届けるのが最善であり、良識な市民の義務であろう。
しかし私はためらった。
拳銃が惜しいわけではない。面倒な事になるからだ。
警察に届けて事情を説明して納得してもらえるだろうか。
「気付いたらかばんに拳銃が入っていました 」
すぐ信用してもらえないだろう。当の本人が信じられないのだ、警察が鵜呑みにするとはとても思えない。
この説明の裏付けを証明できるものがまるでないのである。疑われて当然と言える。
きっと私は身の潔白に長時間費やすだろうし、不愉快な思いもするに違いない。
そして何よりこの事で私の深い位置の個人情報を警察が入手する事になるだろう。
これが警察に届けたくない最大の理由に上げられる。
私は生まれてこの方警察の厄介になった事は一度もない。運転免許も持っていない。
そして犯罪に加担した事も被害にあった事もない。
幸運な人生だったのである。
私はできるだけ自分の個人情報を漏らしたくない。警察にはなおさらだ。
それが幸運の理由のひとつだと私は確信しているのだ。
別に警察を嫌悪しているわけではない。
警察を疑っているわけでもない。
ただ信用できないというだけだ。
正規の手段によらないとなると廃棄である。
しかし今は至るところに防犯カメラが設置されている。
そこから拳銃が発見されて防犯カメラに私が映っていたらもう面倒事では済まない。
かと言って適当な廃棄場所をわざわざ探すのもバカバカしい。それこそ自分が犯罪者のようである。
残るは持ち主への返却だが、この拳銃のどこを見ても持ち主の名前の記載はない。当たり前である。一般市民の私にはここから持ち主に辿る糸口などどこをどう見てもわからない。わかったとしても手段がない。
やれやれ、と私は思った。
捨てるに捨てられない、返すに返せない。
別れた恋人との思い出以外にそんなものがあったのか、と私は自嘲した。
私は時計を見た。そろそろ出勤時間だ。
今日も満員電車と格闘だ。
私は思案をやめて拳銃を手に取り、かばんに入れた。
拳銃の処遇の方向性が決まるまで自分の手の届く範囲に置いた方が良いと思った。
もしかすると持ち主が接触してくるかもしれない。
しかしその可能性は北朝鮮が民主化するくらい低い確率だ。
その持ち主は処分に困って私のかばんに入れたはずだからだ。
しかしかばんに入れるものは決まっている。入らないわけではないが、私は何事も詰め込みを好まない。間は大切だ。
仕方なく私は水筒を諦めた。
ちょうど重さも同じくらいだからだ。
今日はどこかで飲み物を買わなくてはならない。
いつもと違うルーチンに私は顔をしかめた。
明日からまた水筒をこのかばんに入れたいものである。

この日の帰宅は九時近かった。自分の思い通りにいかないのが世の常であるから多少の残務は仕方ない。
途中のレストランで夕食を済ませた私は手と顔を洗い、部屋着に着替えた。着替えた衣類は洗濯ネットに入れてから洗濯機に入れた。
洗剤を入れて洗濯機を回す。洗剤のストックが少ない。週末は生活用品の買い物をしようと決めた。
今日一日拳銃をかばんに入れたまま過ごしたが私も周囲も、特段の変化はなかった。
私はかばんを気にする素振りを見せなかったし、それは周囲も同じだった。
私は拳銃をかばんに入れたのは社内の人間ではない心証を得た。
であるならやはり電車内もしくは駅のホームである公算が高い。
そしてそれは持ち主との接触の可能性を0に近くする。
あのごった返したホームや電車内では拳銃を入れたかばんの持ち主が私であると、きっとわからないからだ。
私は今日一日で拳銃をしばらく預かる事に決めた。特に使うあてはないが、邪魔にはならない。折り畳み傘と思えば苦にもならない。
どこか捨てる適当な場所が見つかるまでの間にしよう。そう決めた。
決めた私はキッチンに行き、緑茶を煎れて湯呑みと拳銃をお盆に乗せて書斎に入った。
壁一面の本棚と大きめのパソコンデスクのみが置かれた部屋。私のくつろぎの空間だ。革張りの椅子は一目で気に入ったので値札を見ずに買って後で値段を知って冷や汗が出た品だ。
私はそこに座り、パソコンを起動させた。
この拳銃の名称や仕様について知りたくなった。
検索エンジンを立ちあげてふと思った。
拳銃についての検索をする事でたとえば警察が行うキーワード探索に引っ掛かりはしないかと。
私はパソコンの前で腕組みをして考えた。
そうなるとその前にキーワード探索に引っ掛かるかどうかを検索しなくては。
少し考えて私は検索をやめた。
私は用心深く、臆病で小心でその上面倒臭がり屋なのだ。
私は拳銃を手に取り観察した。
軽くもなく、かと言ってそれほど重くもない。
見た目はよく手入れがされているように思う。拳銃の事はよくわからないが手入れされた道具の雰囲気はわかる。
この拳銃にはそれが感じられる。
私はおそらく誰しもそうするように、拳銃を少しキザに構えてみた。
何とも言えない沸き上がってくる高揚感は押さえきれない。
それはこれで人を支配できる愉悦だ。
私はそっと人差し指を引き金にかけた。
そして私は大事な事を確認していない事に気付いた。
そもそもこの拳銃は本物だろうか。
重さは本物のようである。質感も本物らしくある。
私は唸った。
本物か。あるいはレプリカか。
確かめるもっとも簡単な方法は引き金を引く事である。
私は銃口を覗いた。特に詰まった様子はない。
弾装には実弾らしきものが見える。
私は壁に向かって拳銃を構えた。両手でしっかり握り、脇をしめ、肩幅に足を広げて踏ん張った。
ともかく本物かどうかくらいは知りたい。
知の欲求は渇きに似ている。
どうにもならないものだ。
私は衝撃に備えて引き金に指をかけた。

翌朝私はいつもの時間に目が覚めた。
祭りの後に似た寂寥感と脱力感と疲労感とを滲ませて。
昨夜。
拳銃の引き金を引くと乾いた発砲音とともに銃口から飛び出した。
万国旗が。
私はしばらくその場に立ち尽くした。
火薬の匂いが書斎に立ち込める。
銃口からは萎びたネギのように万国旗が垂れ下がる。
状況を理解するまで時間が必要だった。
そして私はあまりのバカバカしさに笑いが込み上げてきた。
このオモチャの拳銃を入れた人物とそれを一時でも本物と勘違いして緊張した自分に。
バカバカしい。実にバカバカしい。
私は笑い者にされたと言うわけだ。
そう考えると言い様もない怒りがマグマのように私のマントルから吹き出そうになる。
見方を変えれば私はテロの標的にされたようなものだ。
だがそれも急激に冷めた。
それこそバカバカしい。
私は収納庫から工具箱を持ってきてオモチャの拳銃を分解した。翌週の不燃ごみの収集日に出すのだ。
私はバラバラにした拳銃の成れの果てを不燃ごみの容器に入れた。
そして私は風呂を掃除して少々熱めの湯をはり、湯船に長いこと浸かっていた。
風呂上がりのビールが美味しかった。
明日からまた水筒をかばんに入れる、いつもと同じ毎日が待っている。
だからビールが美味しかった。

人生には不可思議で不思議な事が起こる。
それは運命のイタズラではない。
誰かのイタズラだ。


おわり

その引き金を引け

読んでくださり、ありがとうございました。
バカバカしかったでしょ?すいません。
ほんとは男が苦悩して結局拳銃で犯罪を犯すみたいな話しだったんですけど。
性に合わないんですね、ハードボイルドは。
ご意見ご感想文句または愚痴がありましたらこちらまで。
amasama2011@yohoo.co.jp
皆様のご多幸と良識ある行為を願いつつ。

その引き金を引け

ある日拳銃をかばんに入れられて持ち帰った男。 かばんに入れた人物の狙いは何だ?

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-09-30

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