炭酸水少年
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お元気ですか。
行商の知人から「猫の目」なる飴をもらいました。
あなたが猫を好きだとお話しされていましたので送ります。
猫の目に見えるものが見える飴だそうです。
さてはていかに。
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小包にはガラス瓶と手紙が入っていた。
私のつくる雨の目薬の仲買人からの便りだ。彼は色々なところを旅し、時々私へ手紙をくれる。仕事柄、雨の多いこの町を離れられないので、彼からの便りはいつも興味深い。さて今回は「猫の目」という飴をいただいた。ガラス瓶へは好奇心に満ちた猫の顔が印刷された黄色い紙が貼られている。
「それなに。薬なの」
照明にかざして瓶を観察していると、長椅子から声がした。
「飴よ。猫の目っていうのですって。猫に見えるものが見えるそうよ」
長椅子の奥に身を沈めている少年へ瓶を渡した。
少年は幼さの残る手で瓶を転がし、様々な角度からそれを検分した。
屋根へ雨の落ちる音が聞こえ始めた。ベランダの雨貯蔵装置の作動を確認する。天気予報によれば今夜一晩かけて強い雨が降る。夏になって降水が減っていたので助かる。水道水や湧き水などでは私の目薬はつくることができない。天の泪を抽出するには、天然の雨が必要だ。
「舐めたら猫になるのかな」
「まさか」
「猫になったらどうする」
「出て行ってもらう。毛が入ったら装置が壊れるもの」
「本当に捨てられるの、僕のこと」
「生活が大事ですからね」
「へえ」
少年は蓋を開けて飴をつまんだ。
ぶどう色の飴は細い瞳孔を持ち、猫の目を模している。
少年は散歩しながら空ばかり眺める。視線は空ではなく電線や電信柱にあるのだと気づいたのは最近だ。どうしてそんなものを見ているのか。私の問いに彼はまっすぐには答えなかった。
「電線で糸電話しているみたいだ」
それは哀しい響きの声だった。私がそう感じただけで、彼は哀しくもないのかもしれない。電信柱と電信柱が、寄り添えない間隔を持って、ひそやかに声を交わす。私達は電信柱に似ている。手をにぎったとしても、それは電線を介した電信柱の距離でしかない。
そんなことを思い出して、私は少年から猫の目を奪った。
南国の晴天を連想させる少年の目が私を明らかにからかっている。
夏に灼けた腕が伸びて私から猫の目をやさしく取りあげ、もう一方の手が私の束ねた髪を引っぱり、長椅子へ腰かけさせた。少年は笑んでいる。片手で私の目を覆い隠す。
「実験」
猫の目を私のくちびるへ押し当てる。逆らえるはずもなく、私は口を開く。ぶどうの匂いが甘く満ちる。両肩に回された少年の腕の温度を感じる。首にやわらかい髪が触れ、息がかかる。
「こんな雨の夜には炭酸水の瓶の中へでも入ってはじけたいね」
雨のことなんて忘れていた。泡と一緒にはじけてしまいそうな少年。目を開いたとき、世界は何色に見えるのだろう。私は猫の目よりも少年の目を借りてみたい。そうしたらもう少し、糸電話の気持ちがわかる気がする。作業用エプロンのポケットに紐があったはずだ。それを探る。どこかへはじけ飛びそうな少年を留めるため、紐で手首をくくりつけておこうと思う。
炭酸水少年