オハナシノタネとキャスケット
弟の誕生日祝いに、旅する帽子人からオハナシノタネを買った。
どんなオハナシノハナが咲くのか尋ねたが、帽子人は黒くて長四角い顔をうんともすんとも動かさず、 ポケットからコーヒー豆を出してかじるだけだった。
「だから、どんなのが咲くのかわからないけど、どうぞ」
「ふうん、ありがとう」
弟はコーヒー豆をきちんと飲める状態に変化させて提供してくれた。ずいぶんもったりした黒さのコー ヒーだ。こんなコーヒーも飲めるように弟はいつのまにかなっていた。 ところで、オハナシノタネを育てるには帽子が必要だ。オハナシノハナは帽子の記憶や感情を栄養にする。弟へ適当な帽子はあるか尋ねると、いくつか心当たりはあるようでしばらくコーヒーをすすり、やがて「あれかな」とクローゼットを開け、箱の中から子ども用のキャスケットを取り出した。もう使え ないようなものを持って家を出たとは知らなかった。弟は合理的な性質のほうだから。
「みんなでお花見した時にかぶってたやつ」
「友達と?」
家族ではお花見も海水浴も旅行もしたことがない。弟はくしゃみを我慢するように笑ってキャスケットを寄こした。
「いや。兄さんもいたよ」
記憶が浮上してこない。
「いつよ?」
「さあ。でもいたってば。裏の空き家で咲いてたでしょ。さくら」
思い出せないままに復路の夕焼け電車へゆられ、雨音にまぎれてシャワーを浴び、さくらさくらと念じ て布団へもぐり、はてなはてなと夢へ落ちるれば、はらりはらりと花びら落ちる。キャスケットの弟が 玩具ロボットを父に、毛糸人形を母に見立てている。私は泥だんごをこしらえる。こっちはあんこ。そ っちはずんだ。これはごま。どれも泥だんご。弟の前へ並べ、さあお食べなさい。
翌朝弟へ謝罪の電話をさせていただく。
「いや、実際食べて大変なことになったのって兄さんだよ。食うわけないじゃないの、おれ」
「うそ」
「ほんとう。どんなオハナシノハナが咲くか楽しみだよね。ケッコンシキに贈ってあげるから」
くしゃみこらえ笑いで弟は通話を切った。 玄関へ掛けていた新しいキャスケットを掴み、早朝余白だらけの電車へゆられ、弟のアパートのドアを強打した。まったくおまえはいくつになっても。と、あとは怒鳴るばかりである。
オハナシノタネとキャスケット