カジノ問題から幻想へ至る話
カジノの話をしていたはずなのに、いつの間にか価値の分離、保存、増殖と言うある意味魔法についてかいていてビックリしました。勢いに任せてかくと何を書くやらわかりませんな。
カジノ。ギャンブルの王様とも言える施設。そのカジノを日本に作ろうと考える人たちがいるそうな。総理大臣などはカジノを日本の経済成長の柱として押っ立てようという方針を持っているそうです。
この話題のカジノ、私が聞き及んでいる限りでは3つの効能があるらしい。以下の3つがそれです。
☆効能のその1 カジノを含むリゾート施設建設および、そのためのインフラ工事などによる仕事の創出。
☆効能のその2 観光客の増加による経済の活性化。
☆効能のその3 カジノに税をかければ新たな政府の財源となる。
このようにカジノを合法化することによって、日本経済はさらなる飛躍と発展を遂げるそうです。
しかし、旨い事は二度考えよと申します。
そんな旨い話がある訳がない。そう考える方々が副作用として挙げるものを3つ、記憶しております。以下の3つがそれです。
★副作用のその1 カジノでじゃぶじゃぶマネーロンダリング。
★副作用のその2 ギャンブル依存症者の増加。
★副作用のその3 青少年の健全育成への悪影響。
これらに加えて、刑法で禁じられている賭博場の設置・運営を民間企業が行なうのは公正ではなく如何なものであろうかと苦言を呈されておられます。
このような意見を踏まえてか、元々なのかは知りませんが、厚生労働省はカジノができた場合は日本人の利用を禁止するという方針を出しているそうです。
このように自国民にカジノの利用を禁止するのは、他所の国を見てみると当たり前の措置のようです。
私もカジノを作るならば、そうせねばならないと思っています。
理由は、政府の考えるカジノの役割が経済活性化のための燃料供給装置だからです。その燃料供給元に自国民を加えてしまえば、何にもならない。上手く循環すれば良いが、まずそのようなことはないでしょう。例えるなら、自分自身を食べながら生きるようなものです。手を喰らい、足を喰らい、最終的には口しか残らないのではないでしょうか。
そもそも、ギャンブルを柱とした経済とは何なのだろう。何を生む訳でもない収奪装置を中央に据えて大切にする経済とは何なのだろう。そう考えたところで世界はすでにギャンブルで回っていることを思い出しました。
株やFXなんかは最たるものですね。金融業もギャンブル(さて、返ってくるかお楽しみ)。保険もギャンブル(交通事故に遭えば勝ち、遭わなければ負け)。
このギャンブルで回る世界で最も重要な物はお金です。増殖する無生物。不思議なお金。お金とはなんだろう。今までの読書経験に聞いてみました。
どうやらお金と言うものは価値の具現らしい。何か物があり、それに人が価値を見出す。その価値という幻想を具象化したものがお金だそうだ。そして、今、お金は再び本来の姿である幻想へと回帰しようとしているように思います。
金本位制が崩壊して以来、実質的にお金自体を担保する物はない。そんな紙切れや役にたちそうも小さな金属が価値を持つのは壮大なる集団幻想の賜物です。そして、現在、お金は紙やら金属からデータへと移行していっている。つまり、より幻想に近づいていると言うことです。
物に縛られることのない価値は幾らでも増えていきます。私は時々、考えるのですが、全てのお金を何らかの物に換えるとお金が圧倒的に余るのではないでしょうか。だから、最近はサービス業が隆盛を誇っているとか思います。つまり、どちらも実体がないので相性がいいのではないか、物がないから無理して売るものを作っているのではないかな。そんな風に思ったりします(これは妄想です)。
さて、だんだんと論旨がぶれて訳が分からなくなってきました。そこで、ここらで今回の結論でも書くことにします。
ファンタジーに憧れている人たち、現実と幻想を比較して嘆くことはありませんよ。この世界を回しているものは、間違いなく幻想です。そして、今まさに幻想に溺れようとしているのですから。
カジノ問題から幻想へ至る話
お金に興味がある人は「緑の資本論」とか読むといいよ。今回のこれはこれの成分が変な感じに発酵? 腐敗? して混入している予感がします。最後に釣りみたいな概要(結論部分のコピペ)を書いてすみません。作品の要素でファンタジーをチェックしてすみません。