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「どうして柑奈は、可哀想なものばかり、崩れ落ちそうなものばかりすきになるのよ。」と昔母が言った。

「場面緘黙で好きな人の前でだけ声が出せない精神病の少女とか、愛する人のために犯罪を犯して罪に罪を重ねる少年とか、家庭環境に恵まれずに学校で不可解な行動をする子供とか、言葉がうまく話せなくて雪の中で自殺した女の人とか、あなたが好きな人ってどうしてそう歪んでるの。」

わたしにもわからなかった。
けれど、世の中で正常と異常の見分けなんてつくわけがないし、本物の正常者がいたとしたらその人は完璧な異常者だとわたしは思う。

「あのねママ、柑奈の好きな人はもうみんな死んじゃったの。これからもそれを惜しむけど、でももうとっくに失ったものだから放っておいて欲しいと思う。」

「放っておく以外になにもしてあげられないわよ。」

「好きな小説の中の女の子が言ってたの。すごく好きな言葉があるんだけど、聞いてくれる。」

「どうぞ。ママに理解できるかは知らないけど。」

「理解なんてしなくていいよ。理解して欲しくて話すほど、わたしお喋りが上手じゃないし図々しくないもん。」

「わかったわよ、言ってみて。聞いてるから。」

「"心の奥に閉じ込めたものは、閉じ込めるだけの理由があって閉じ込められているのであって、それをあからさまにするくらいなら、病気のままでいいと思うし、病気が悪化して死んでしまうのなら、それも仕方が無いとわたしは思うのです。"」

わたしの方をみて微笑んだ母の目には涙がたくさん溜まっていた。
その時わたしは、母の心の中のものがいつか母を殺すかもしれないと思った。

「あのね、柑奈。誰にでも、墓場まで持って行くものはあると思うの。いくら分かり合える人と出会ってその人を愛せたとしても、自分一人で抱えてる方が軽い荷物も中にはあるのよ。だから、あなたの言った通り、閉じ込めておくことは大切なことよ。もしそれで死んでしまったとしても、それは選んだことだから仕方ないのよ。人生に後悔は付き物だけど、ママは柑奈に後悔して欲しくない。間違ってもいいけど、間違ったことを後悔するのは無様なの。そのためなら死んでもいいと思える方を選びなさい。」

母はいつでも優しかった。
優しくて悲しかった。



「なんかねー、この前彼氏の友達とカラオケ行ったんだけどー、」
「マジでありえなくない?死ぬー。」
「安くて可愛い服ないかなー、金欠でやばいんですけど。」
「てかそいつ、ほんと最低で、死ね!って思ってー、」

汚い顔。
汚い声。
汚い話。
彼女たちとわたしとどちらが正常者でどちらが異常者なのだろう。
教室の隅で死んでいった少女たちのことを惜しんでいるわたしの方が異常なのか、と考え始めると理不尽で溜息が出た。

「なんだお前。」

わたしの溜息が聞こえたらしく、一人の女がわたしを睨みつけた。
なんだお前という問いかけに対してわたしはどう答えるのが適切なのだろうか。
馬鹿と相容れないのは当然のことだと思っているけれど馬鹿のふりもできないくらい自分が馬鹿なことを嘆く必要性はありそうだ。

「なんだお前って聞いてんだよ!」

女が机をバンッっと叩いた。
どうして自分に関係のない相手に対してそこまで感情を昂らせることができるのか。
それで彼女は疲れたりしないのだろうか。
ただ座っているだけのわたしに文句をつけて、男の愚痴を言って怒ってないて、それが彼女の生き方なのだとしたらわたしはそんなのまっぴらごめんだと思った。

「…大丈夫ですか?」

「なにがだよ!」

「…手。」

「は?」

「なんでも、ないです。」

わたしはすぐにその場を離れて廊下に出た。
廊下に出たからと言って静かになるわけではないのだが、教室よりも無機質で安心する。
その時ぽんぽんと肩を叩かれた。
振り返ると見覚えのない顔の長身の男が立っていた。

「あ、やっぱりそうだ。」

「…あの、どちらさまですか。」

「ちょっといいかな。話したいことがあるんだけど。」

「なんですか。」

「俺は別にここで話してもいいんだけど、君はきっと困ることになるだろうから、場所を変えよう。」

わたしが困ること。
クラスで孤立して何かと話題を探られているわたしにとって、困ることや知られたくないことはたくさんあった。
一度わたしが街を歩いている写真がクラスに広まったことがあった。余程わたしの私服姿が珍しかったのだろう。この服のブランドはあれだこれだ、一緒にいる人はあーだ、写真一枚で盛り上がれる程度に馬鹿なのだ。

わたしは彼に従って後ろを歩いた。
上履きを見て、一つ上の学年の人だと気づいた。名札には「夏目」と書いてあった。
会議室の前まできてその人は周りに人がいないことを見計らって鍵を開けわたしを中に入れた。なぜその人が鍵を持っているのはわからなかったけれど警戒しないといけない、と思った。
ガチャンと鍵を掛ける音が静かな部屋に響いて、わたしは少し身を硬くした。

「噂に聞いててね、可愛いいじめられっ子がいるって。」

「…。」

「思ってた以上だよ。」

夏目という人はわたしのことを下から舐めるように見た。
気持ちが悪かった。
その人はわたしの目の前に歩いてきてあと数センチで触れるくらいのところで止まった。わたしが一歩後ずさりするとその人はまた一歩前に出た。

「話って、なんですか。」

ニヤリとしてその人は言った。

「きみのクラスにさ、鈴原って奴いるよね。」

心臓の鼓動が速くなった。
嘘をつくのには慣れているけど上手にごまかせる自信がなかった。

「います。隣の席です。」

慎重に、なにも悟られないようにわたしは答えた。

「俺見ちゃったんだよねー。」

「……なにを、ですか。」

怖い。わたしがここでしくじったら彼も終わりだ。

「君のクラスの女子が自殺した事件?の時にね、校舎の裏の、あそこの非常口から鈴原が出てくるの見たんだよね。」

「…そうですか。」

唇が乾いてうまく話せない。
まずい。それが知れ渡ったらまずいことになる。

「おかしくない?だって早朝だよ、4時とかそんな時間に学校にいること自体おかしくない?正面玄関のすぐ横にその子落ちたんだろ?気づくだろ、普通。音とかで。なのに通報したのは朝練にきた奴だって言うし、考えることは一つだよな。」

「…わたし、よく知らないので。失礼します。」

「知らないわけないだろ。」

わたしの両手をグッと掴んでその人は言った。

「だって昨日、君たち二人乗りして仲良さそうにしてたもんな。」

暗くなってからならわからないと思っていたのに甘かった。
見られてたんだ。
わたしはもうなにも言えなくなった。

「俺のうちは学校のすぐ裏なんだよ。だから偶然早く目が覚めたあの日裏から出てくる鈴原を見た。あいつは関係してるって分かった。なのに警察は自殺だって決めつけて、俺も一時はそうなのかなって思ってた。でもあいつ変だろ、あいつの目。なにも知らなきゃただの根暗な感じだけど、人殺せる目してるだろ。なんか知ってんだろお前も。」

さっきよりも大分感情的になってその人は言った。
わたしの腕を掴む力も強くなっていった。

「…いたいです。」

「言えよ。なんか知ってんだろ。」

「知りません。彼からそんな話なにも聞いたことがないし、わたしは知りません。」

「俺が一言警察に言えば簡単にひっくり返せるんだよ。きみの大好きな彼氏くんが警察に捕まっちゃってもいいの?」

「…。」

どうすればいいのだろう。
黙り込むことしかいまのわたしにはできなかった。
知らないふりをすることが、いまのわたしが彼を守るためにできる唯一の事だった。
彼はわたしを守るためにあんなにしてくれたのに、わたしはなにもできないなんて。

「まだこの話は誰にも話してない。君に話したのが初めてだ。こんなことが噂になったら君たちはもう一緒にいられなくなる。隠しといて欲しかったら俺の言うことを聞け。」

馬鹿の言うことだ。
どうせやらせろとか触らせろとかくだらないことに決まってる。
予想は大当たりだった。

「俺と付き合え。鈴原裏切って俺と付き合え。付き合って俺の言うこと大人しく聞いてれば見逃してやるから。」

ニヤニヤ笑いながらわたしの首やら足やらを触ってくる。
考えろ。
どうすればいいのか考えろ。
とりあえず、馬鹿が納得する方法を。

「わかりました。」

わたしはできるだけ可哀想な、いまにも泣きそうな声で言った。
嫌がることをするのが趣味なのだ、この馬鹿男は。

「聞き分けがよくて偉いな、そんなにあいつが大事か。」

「…わたしは、なにをすればいいんですか。」

「これから俺の言うことを聞けばいい。それだけだ。」

そう言って男はわたしに覆い被さってきた。
嫌悪感。地獄。床を這い回って抵抗していると、ふと壁の隅に「防音仕様」と書いてあるシールが貼ってあることに気がついた。
いまの時間帯外で部活をやっている生徒が多く校舎にはあまり人がいない。

「そう暴れるなよ。俺上手だから大丈夫だって。」

耳元で囁かれて吐き気と共にこいつを殺さなくてはという使命感が湧き上がってきた。
やれる。
職員会議は今日じゃないからこのあとこの部屋を使う人間はいないはずだ。
いまここで殺せなくてもあとからどうにでもできる。わたしは恩返しをしなきゃ。
今度はわたしが彼を救わなきゃ。
隙を見て立ち上がるとすぐそばにあった椅子の脚で何度もその男の頭を殴りつけた。
思ったより音は出なかった。
しばらくわたしの足首を強く握ったり立ち上がろうとしたり抵抗していたけど、手の甲を踏み付けて殴り続けると少しずつ動かなくなった。
幸い血は出なかったがまだ息はあるようだった。
ここでとどめを刺すと、下手すると大声をあげたりするかもしれないと思い、すぐに置いてあったガムテープで男の口を塞ぎ、会議室の後ろに固めてある机の下まで引きずっていきどうにか隠した。この机が夜までに動かされる可能性はかなり低い筈だ。
男を隠し終えて乱れた着衣を整え、椅子を元に戻し、男の持っていた鍵を持って部屋を出た。廊下には誰もいなかった。ラッキーなことに男の持っていた鍵には校内の殆どの教室の鍵もぶら下がっていた。これでいつでも学校に偲び込める。
鍵を鞄にしまい、わたしは職員室に向かった。わざと先生に、課題を忘れたので一度家に帰ってから持って来たいのだが何時まで学校が開いているかを聞いた。アリバイ工作の為だ。8時までだと言われた。8時に来て誰かしら教師に会って家に帰る。家に帰ったら必ず誰かと顔を合わせる。そのあと家族にばれないように抜け出して誰もいない学校に偲びこめばいい。
問題は殺したあとだ。わたしは今日まで夏目という男の存在を知らなかったので男の周囲のことがなにもわからない。誰とどんなトラブルを起こしていたかなどがわからない限り自殺に偽造するのは難しい。
死体を捨てたり埋めたりするとしたら男を校外に運び出さなければならないがかなり背が高くわたしより遥かに重たい男を運び出すのは不可能だ。
頭を抱えた。男を殺してわたしが自殺するしか方法はないのかもしれないと思った。ぐるぐると考えを巡らせていると後ろから肩を叩かれた。
あの男が追いかけて来たではないかと錯覚して飛び跳ねるくらいに驚いた。

「柑奈。探したんだけど。」

朝日だ。
少し機嫌が悪そうな顔をしている。

「あ……ごめんね、ちょっと用事があって。」

「用事ってなに。あの男誰だよ。」

「えっ、あっ、あー、なんか、よくわかんないんだけど…。」

「柑奈。」

朝日に肩を揺さぶられた瞬間、さっき男に触られた感触が戻ってきて気分が悪くなったわたしはその場にしゃがみ込んでしまった。
わたしに殺人なんてできるわけがなかったんだ。こんな中途半端なことになるくらいなら、あの男のいう通りにした方が朝日のためだったのかもしれない。

「柑奈、話してごらん。ちゃんと聞くから。」

優しく頭を撫でられてわたしは口を開いた。

「あの日、あの自殺の日の早朝にね、朝日のこと見たって人が来たの。その時だけじゃなくて、昨日自転車で二人乗りしてるところも見られてた。まだその話は誰にもしてなくて、黙ってて欲しいなら言うこと聞けって言われた。柑奈がなんでもすれば黙っててくれるって。だから、わかったって言ったの。とりあえず満足させてそのあとでどうにかしようって。だけど無理だった。気持ち悪かった。ひーくん以外の人に触られるの、無理だった。それで、会議室の椅子で…。でもまだちゃんと死んでない。意識はが戻ったらどうなるかわかんない。今日の夜殺そうと思ったけど柑奈一人じゃ片付けられないの。今度は柑奈がひーくんを守りたかったのに、ごめんね。迷惑かけてごめんね。」

「…なんで先に俺に言わないの。」

「ごめんなさい…。」

「お前は俺の言うこと聞いてればいいって言っただろあの時。そいつに何された。」

「なにって、ちょっと触られたくらいだけど…。」

わたしは自分のしたことを本気で後悔した。
彼は確実にあの男を殺すだろう。またわたしたちは深い穴に落ちる。

「柑奈、柑奈のおじいちゃんって近くに住んでるんだよな。農家だったよな。」

「そうだけど…。」

また恐ろしいことを考えているのはよくわかった。けれど今回はわたしに口を挟む権限はない。わたしの尻拭いを朝日にさせているのだから。

「鋸とか鎌とか、持ち運びが楽な農具とでかいビニールシート、あと制服のブラウスを一枚持って俺のうちに来れる?」

「多分大丈夫。」

「そこから七時半までうちで待機しよう。その後で柑奈は課題を出しに学校に行って普通に家に帰れ。今日の夜、お父さんは?」

「夜勤だから夜中まで帰ってこない。」

「オッケー、夜の九時くらいに、お父さんにおばあちゃんのうちに行って泊まってくるって連絡入れて。多分朝までに終わらないから。良かったな、明日土曜で。」

そう言って彼は微笑んだ。

わたしは約束通り言われたものを持って彼のうちに行った。
彼の両親は二人ともいなかった。

「ありがとう、やっぱりビニールシートは嵩張るね。」

彼は大きな旅行鞄に様々なものを入れていたがそれを見ているだけで気が狂いそうになったので目を逸らした。

「大丈夫だよ。俺がやるから。」

そして彼はあるところに電話を掛けた。

「はい、一泊で。チェックインが九時ごろになると思うんですけど。はい。夏目です。夏目雄哉です。二人。はい。はい、お願いします。」

「…ホテルに泊まるの?」

「そうだよ。楽しみだね、柑奈。」

彼は本当に楽しそうに荷造りをしていたけどわたしは笑えなかった。

「そうだ、柑奈。一度家に帰った時着替えを持ってきてね、制服でホテルはまずいし多分汚れるし。できるだけ大人っぽい服がいいな。」

「わかった。」

七時半になり、わたしは学校に向かった。
さっきとなんら変わりのない様子で、まだ男が意識をなくしているであろうことを確認した。
教師に課題を提出して校内の駐車場にあと車が三台残っていることを彼に伝えた。
わたしは家に戻り、できるだけ大人っぽい服と化粧道具を用意して、父が夜勤に出かけていることを確認した後もう一度家を出た。

学校の近くの公園で彼から連絡がくるまで待機する約束だった。
わたしはなにをしてるのだろう、と思った。
どうして朝日はそんなにもわたしがすきなのだろう、どうしてわたしはこんなにも朝日がすきなのだろう。

ヴーヴー。

携帯電話が鳴った。
車が全部いなくなって電気も消えたから学校に来い、という連絡だった。
裏口がまずいことがわかったので一回の吹き抜け部分からしかはいることができなかった。
校内に忍び込むと、朝日はまずスプレー缶を取り出して至る所に落書きをした。
不良が入り込んだことにするようだ。わたしたち二人は朝日が用意してくれたすぐに捨てられる運動靴と手袋をしてめちゃくちゃに落書きをした。
そして一通り一階を汚した後、靴をしまって靴下になって進んだ。靴下も同様後ですぐに捨てる。汗などが残らないように二重に履いてある。
会議室の鍵を開けて中にはいる。
男はさっきと同じ場所にいた。ガムテープのせいで息が吸えないらしく、瀕死の状態だった。

「柑奈、ビニールシート広げて。」

わたしは大きなビニールシートを広げて鞄の中から農具を取り出した。
やることはわかっている。バラバラにするのだ。
朝日は今にも死にそうな男の顔を眺めてから、ガムテープを雑に剥がした。男はそれで少し楽になったようで、息をハアハアしながらわたしを睨みつけた。

「よかった、元気そうで。まだ死んでもらうわけにはいかないから。夏目雄哉くん。」

夏目雄哉、さっきホテルの予約をする時に使った名前だ。偽名かと思っていたのにそこにもトリックはあったらしい。
男をビニールシートの上に寝かせると彼はにこにこしながら言った。

「俺の柑奈ちゃんに手を出すとこういうことになるんだよ。相手が悪かったね。」

そして鈍い音がした。
わたしはもう見れなかった。

「これが柑奈のこと触った汚らわしい手か。もう動かせないな。残念。」

鈍い音。
男はもう叫ぶごとすら出来ず、ただ呻くだけだった。
既に両腕は切断されたらしい。

「痛い?痛いと思うけどこうでもしないと。お前でかいから。」

鈍い音。
わたしが持ってきた農具ではそんなに簡単に切れないはずだ。
窓に斧を振り上げる彼の姿が映る。気が狂いそうだ。もういっその事気が狂ってしまう方が楽そうだ。
鈍い音。

両手両足が終わった。後は、首。
鈍い音。丸いものが落ちて転がる音。
わたしはもう立っていられなかった。その場で嘔吐しそうになったけれど堪えた。
内臓一つ一つが体の中で暴れている気がした。
どれくらい震えていたのだろうか。

「終わったよ、お待たせ。」

という彼の声がして恐る恐る振り返ると黒いビニール袋が五つならんでいて、彼がそれを鞄に詰めているところだった。

「じゃあいまからホテルに行こう。その前に河原で靴と靴下を燃やそう。立てる?」

「うん。」

鍵を閉めて、指紋や足跡を残さないように校舎から出て、防犯カメラに映らないように校外に出た。そのあとで河原にいき証拠になりそうなものはすべて燃やして灰は川に流した。ここまでに約二時間半。十時を少し過ぎていた。近くの公園のトイレで持って来た服に着替え化粧をしたけれど驚くほど肌がカサカサで手が震えて殆ど何もできなかった。

「いい、部屋は別々にとったから柑奈は一人の客として俺の後でチェックインして。」

「でも、さっき電話で二人って。」

「そう、ひとり来られなかったことにするんだ。それに、実質二人だしね。」

彼は旅行鞄を見ながら言った。

ホテルに入り、彼は夏目雄哉としてチェックインした。
わたしも偽名を使い安田美香と名乗ってチェックインした。
その後エレベーターで合流し、お互いの部屋番号を控えた。わたしは部屋に入り少し休もうと思ったがひとりでいるのが怖くてすぐに彼の部屋を尋ねた。

「一番匂いが付かないのは浴槽だから、俺はそこで処理するよ。眠れるなら寝た方がいいよ。顔色悪いし。」

「うん、でもわたしがやったことだからわたしも…。」

「できないだろ。柑奈はテレビでも観てればいいよ。」

わたしは彼が死体の処理をする音を聞くのが嫌で大きな音でテレビを見ていたけれど内容は全く入ってこなかった。
何時の間にか少しうとうとしていた時、浴槽の方から嫌な機械音がした。
ミキサーだ。ミキサーを鞄に入れているのを見た。
彼はバラバラにして捨てるというより原型をとどめない状態まで処理するつもりなのだ。

「柑奈、骨砕くくらいならできる?」

「…やってみる。」

肉を触るよりは骨を触る方ができる気がした。
袋にいれて、タオルで骨が見えないようにしてトンカチで叩いた。
さらさらのこなになったら少しずつホテルの窓から撒いた。あまり多く撒くと不振に思われそうだったので残りは後日公園の砂にでも混ぜることにした。
ミンチ状になった肉は流せるだけ洗面所とトイレと浴槽に流したがトイレは詰まったらまずいので結局肉も少し残ってしまった。残りは彼が早朝一度外に出て川に流すことにした。約六時間掛かって死体の殆どを処理した。最後まで残った頭部をどうやって粉々にしたのか、わからなかったし聞く気にもなれなかった。朝になって彼は言った。

「柑奈、俺と付き合うっていうのはこういうことなんだよ。でも今回のことは柑奈がわるい。他の男に手を出されたりするからこうなったんだよ。俺が柑奈のために人一人くらい簡単に殺せること知ってるんだから、もっと俺を必要としてよ。」

「ごめんなさい、ありがとう。」

「家に帰ってゆっくり休んだ方がいい。体が冷たい。」

「一緒に帰ろう、ひーくん。全部捨てたら一緒にお風呂に入ってお昼寝しよう。柑奈、そばにひーくんがいないとこわいよ。いまにも叫びそうになる。たすけて、一緒にいて、おねがい。」

「一緒にお風呂入ってくれるの?」

「うん、何でもするから、柑奈なんでもしてあげるから。」

「いいよ。じゃあおれがチェックアウトして15分経ったら柑奈も出ておいで。河原で待ってる。」

「わかった、すぐにいくね。」

ニュースを見ていると日本中の至るところで人が死んでいた。
殺されたり自殺したり水に流されたり車にひかれたり。
死はリアルだった。

「死は生の対極ではなく一部として存在している」

と有名な著者も言っていたように、死は決して特別なものではない。
生きているものはすべて死に向かっているのだから、人が死ぬのは自然の摂理だ。
殺されることも自然なのだろうか。憎しみは人の感情だけれど、人を殺してはいけないというのは所謂常識の話であって、感情と常識を天秤にかけたら感情の方が重くなるのは当たり前だ。

朝の河原は眩しかった。
キラキラと光る水面を見つめながらわたしは彼に聞いた。

「人殺しは悪なのに、どうして毎日この世界では人が殺されるのかな。」

彼は優しく微笑んでわたしに言った。

「必要悪っていうのが世の中にはあって、だから車はなくならないわけで、だったら悪い奴殺すのだって許されることなんじゃないかって俺は思う。それが正義で、それが秩序だって。世の中は狂ってるんだよ。俺も狂ってるけど世の中も狂ってるんだよ。法律上裁かれることをしてもうまく逃げ切れる奴がこの世にはごまんといる。そうなったらもう法律なんて法律でしかないんだ。法律って言うのが通じる相手にしか法律は通用しないんだよ。いまの世の中無法地帯みたいなもんだよ。だから大丈夫。法律なんかに縛られて裁かれるほど俺は馬鹿じゃない。」

「うん。神様に法律は通用しないと思う。」


腐り切った世の中で、この世の中が無法地帯で、常識という名の偏見に縛り付けられた人間を異常者とするなら、わたしたちはどんなに綺麗で美しくて正しいんだろうと思った。

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  • 小説
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更新日
登録日
2014-09-27

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