“きかんしゃやえもん”にあこがれた、ただの中古電車のはなし

電車の“いちろう”と“はるこ”の兄妹は、いちろうは全身が平凡な青色、はるこは平凡な赤色にのっぺりと塗られています。それでも新しければまだいくらか見栄えがするのでしょうが、塗りがあちこちはがれかけたり、隅っこの方が錆びたりしています。中途半端に古ぼけているけれど、珍しいほど古いわけでもありません。交通事情の変化からか、最近はあまり出番がなく、居場所が消えつつありました。

いちろうとはるこがいつも思い出すのは、昔出会った、蒸気機関車“やえもん”のことです。
「はるこ、覚えているかい、やえもんさんは、時代遅れの汽車として、みんなに笑われていたんだ。あやうくスクラップにされてしまうところだったんだ」
「ええ、お兄ちゃん。でも、最後には、博物館に入れてもらえたのよ。今でもみんなに大切にされてるそうよ」
「性能がよくなくても、ぼろぼろ傷だらけでも、価値をわかってくれる人はちゃんといるんだ」
「わたしたちも、まじめに生きていれば、いいことが待ってるのね」そういって、いちろうとはるこは、都会の駅で豪華列車や高速列車に囲まれて「時代遅れ」とからかわれても、じっと我慢しているのでした。

ある日、とうとう、銀色に光る新しい電車がやってきました。いちろうやはること交代するのです。
「とうとうぼくらも引退か」
「そうね、でも、わたしたち、きっとこのあとも大事にしてもらえるはずよ。やえもんさんだってそうだったんだもの」

鉄道の人は、首を振り振り言いました。「ほんとなら、スクラップにするしかないんだが」
「そんなあ」
「わたしたち、やえもんさんみたいになりたいの」
「おおそうか。それじゃあ」
そう言って鉄道の人は、はるこの頭に、機関車の煙突のような形をした作り物を載せました。
「博物館の裏にある児童公園から依頼があってな。機関車みたいな形の遊具がほしい、ニセ物でもいい、っていうんだ。お前さん、これかぶって行ったらいい。」
「おじさん、妹にニセ物になれっていうんですか」
いきり立ついちろうと対照的に、はるこは、しばらく考え込んでいました。やがて、意を決したように、
「わたし、これでいい」

こうして、はるこはニセ機関車、いえ、公園の遊具となりました。今では毎日「ニセ汽車」「インチキ汽車」「ほしかったのはこんなんじゃない」といわれながら、子供たちと遊んで暮らしています。

いちろうはそれを見ていて、言いました。「ぼくは、ニセ物なんて呼ばれたくないよ」
「かわいそうだが、おまえたちはもう、ほかには役に立たないのだよ」

「ぼくも、やえもんさんと同じように、時代に遅れても自分の姿を守ってきたんだ。価値があるはずでしょう?」
「それは違うな」鉄道の人はため息交じりに言います。「時流に流されないでいることが許されてるのは、昔を生きた者だけだ。お前さんみたいな、さして年寄りでもないもんが時流に流されないなんてのは、時流に乗る力もない者の言い訳さね」

車輪やら、平凡な青に塗られた鉄の板やら、その他の部品が積み上がった小山ができました。その向こうに目をやると、ニセ汽車が設置された公園が見えます。

さらにその遠くに、博物館に展示されているやえもんの姿がありました。もともと彼には何も関係のないことですから、何が起こっているのか一切気づくこともなく、やえもんはみんなに敬意を払われて、その日を楽しんで過ごしました。

“きかんしゃやえもん”にあこがれた、ただの中古電車のはなし

このおはなしは、「やえもん」の原作者であらせられる阿川先生が現在どうしておられるのかを、まったく知らずに書きました。
あとになって、阿川先生が現在、別段それほど衰えたわけでもないのに老人保健施設に自ら入居を決め、「もう小説は引退した」と言って、古い文学を読み返したりなどして、まるで現代に背を向けるかのように、日々を過ごしておられるらしいと聞きました。
このおはなし、けっこう間違ってなかったかもな、と思ったものです。

“きかんしゃやえもん”にあこがれた、ただの中古電車のはなし

阿川弘之先生の名作絵本『きかんしゃやえもん』の、後日談、のような。 パロディ(本来の意味での)。 パスティーシュ(清水義範氏の言う意味での)。 けっこう鬱エンドにつき注意。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-09-25

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