Eje(c)t
講談社BOX文庫の大賞に応募し、見事に落選した作品です。以下は講評
「完成度は高く惜しかったが、どこかで見た設定なのが残念」とのこと。
自サイトではプロによる美麗な表紙イラストも公開してます。
→http://bobeman.soragoto.net/eject/eject.html
Prologue
雨の音
降り注ぐ小さな雨粒が奏でる大合奏が、私を取り囲んでいる。気の早い雨粒達が地面に吸い込まれていくさーっという雨音。雨樋からのんびりと滴る雨粒の音、誰かが踏みしめた水たまりのさざ波。ころがった空き缶に垂れた雨粒が、鹿威しみたいに同じ調子で音を鳴らす。さーさー、しとしと、ちゃぷちゃぷ、とんとん。
目を開く。
月曜の朝、雨模様の灰色の空、沈鬱なため息が漂ってきそうな、駅のホーム。憂鬱そうな顔が並ぶそこに、私は立っていた。高校に向かう電車が来るのはあと3分後。スーツ姿のサラリーマンや、学生服の人群れは、雨粒で真っ白に染まった軌道の先に目を凝らしながら、早く来て欲しそうな、このまま永遠に来ないで欲しそうな、ため息一歩手前みたいな表情をしていた。ごった返すそんな人々の間で、私は灰色の空がこぼす雨粒の音に耳を傾けていた。雨音って、好きだ。雨の日は癖毛が酷くなるし、電車の中のにおいもなんだか表現しようのない嫌なにおいになるし、濡れるのだって嫌だけど、こうして駅のホームで聞く雨音は透明で、きれいだ。皮膚を通り抜けて、体の芯の方を静かに揺さぶってどこかにふっと消え去ってしまうような、そんな透明な音。
イヤホンをしている苛立たしげな女子高生や、耳に押しつけた携帯電話に頭を下げているサラリーマン、それに煙草をくわえた中年男の群れが、向かいのホームでせわしげに時刻表の並んだ電光掲示板を見あげている。何かの事故で電車が遅れているらしい。皆、一分一秒にいら立っている。私はなんだかぼぅっとした頭で、雨の音でも聞いてればいいのにと思った。向かいのホームに並ぶ、苛立たしげな顔、顔、顔、それに、ガスマスク。
「…………?」
あぁ――――なんだろう、奇妙な光景だ。私、まだ寝てるのかな?
白線に一列に並んだ見慣れた光景、その人群れを背にして、真っ黒な人影が、ホームの端に座って脚をぶらつかせていた。真っ黒なレインコート、真っ黒な編上げブーツ、真っ黒なガスマスク。私はそっと周囲をニネシォ・ノ・皈、・ ホタ 、ハ 。。。チ・筍シ・ ネ、ホコケ見渡してみた。どこかに、私みたいにいぶかしげな顔をしている人がいると思ったのだ。いなかった。誰も、彼の方を見てはいなかった。あんなに目立つのに。あんなに奇妙なのに。その真っ黒な人影は、遅れているデートの相手でも待っているかのような気軽さで、電車の滑り込んでくるホーム端に座っている。ぶらつかせた脚に、降り注いだ雨粒が弾ける。幽霊じゃない。死神でもない。あの人影は現実に存在し、実体を持ってる。だけど私以外誰も、あの奇行を行う奇人に ヘサ。。ェ。チ. シ マソサ エヨ。。気がついてない――――
『三番線に、電車が参ります。白線の内側に立って、お待ちください』
ホームにアナウンスが響き渡った。向かいのホームの人々が、ほっとしたような、やっぱり残念そうな、悲しい表情をした。ガスマスクは無表情だった。すり切れたゴム質のマスクからは、まるで生気を感じない。ただ、大きな二つのレンズを辺りに向けている。右へ。左へ。また右へ。また左へ
目が合った
光の加減で、レンズは灰色の空を写すばかりで、その中にある相貌は少しも見えなかった。無機質な大きい目が、こっちを見つめている。背筋を冷たい悪寒が走った。その時になってようやく、今私は恐ろしい目にあっているんだと気がついた。慌ててニネシォ・ノ・皈、・ ホタ 、ハ 。。。チ・筍シ・ ネ、ホコケ、 ート ヘサ。。ェ。チ. シ マソサ エヨ。。を逸らそうとしたけど、ダメだった。オメヘヘセ /a> | ヌ网、ハェ、ォ、エ、ォ、 | ・ ・ク、ヒソハ、 /a> ... ェ・鬣、・キ・逾テ・ヤガスマスクをかぶった人影は、いきなりホームの端からレールの敷かれた軌道に降り立ったのだ。目を逸らした視界の端で、私はその足を見た。傷だらけの黒革のブーツのつま先が、軌道に敷き詰められた砂利を踏みしめる。じゃ、じゃ、じゃ、じゃ――――私の体が、震え出す。逃げようにも、足がすくんで動けない。じゃ、じゃ、じゃ、じゃ、ブーツのつま先は、視界の端から段々と近づいてくる。こちらへ、まっすぐに、私の方へ――――
電車の音がした。
はっと私は顔を上げた。霧雨の向こうから、二つの乳白色の明かりが¥¯¥é¥ó¥ÉÆüµ¢¤ê "¥×¥Ã¥Áι" ¥¬¥¤¥É£² ¡Ý Åż֤ǹԤ¯SYLVIA た。電車の前照灯だ。ホームへすべりこんでくるその姿に、私はほっと安堵した。電車が入ってくれば、あのガスマスク男だって逃げるか、そうでなかったとしても、轢かれるに決まってる。結構なスピードで流れ込んできた電車の車体が、近づいてくるその黒い男の影に覆い被さろうとした時、私は心底助かったと思った。幽霊なのか、幻覚なのかはわからないが、これで助かったと思った。
違った。
電車は私の目の前で、まるで真上から踏みつぶされた空き缶のようにつぶれた。金属が引きちぎれる凄まじい音が辺りに響き渡って、列車がつなぎ目に沿ってオモチャみたいに跳ね上がる。その先頭車両の真ん前には、ガスマスクを俯かせた男が一人で、腕を伸ばして立っていた。じゃまな物を押しやる程度に伸ばされた手は、巡航速度でつっこで来たはずの電車の鼻先に添えられていて、手のひらを押しのけられた列車は分厚い透明な壁にぶち当たったみたいにへしゃげて、もろに跳ね返された衝撃で厚いフレームをめいっぱい歪ませていた。後続の列車が空に跳ね上がった。蛇行する蛇みたいだった。ホームは騒然となり、悲鳴と怒声が駆けめぐったけれど、それも押しつぶされた電車の上げる断末魔みたいな轟音にあっという間にかき消される。
そして阿鼻叫喚の地獄絵図になった電車をほっぽって、ガスマスクがまたゆっくりと歩みを進める。ホームにいた人々が逃げ惑う。私もそれでようやく足が動いた。反対側のレーンに来た列車に飛び乗った。今にも閉じそうになる扉に滑り込んで、ガスマスクの方へと振り返る。
目の前の光景が、じゃりじゃりという電子音と共にぶれた。目の錯覚だと思った。電波の受信状況が悪いテレビを見ているみたいに、世界全体がぶれるのだ。じゃりじゃり、じゃりじゃり、じゃりじゃり――――あっと思わず声を上げた。降りしきる雨の滴り。その雨粒の一つ一つが当たった所が、テレビの砂嵐画面のようになっている。まるで、現実というメッキがはがれたみたいだった。¥¯¥é¥ó¥ÉÆüµ¢¤ê "¥×¥Ã¥Áι" ¥¬¥¤¥É£² ¡Ý Åż֤ǹԤ¯SYLVIA そのメッキの下には、砂嵐画面のような、白と黒が激しく交錯する¥¯¥é¥ó¥ÉÆüµ¢¤ê "¥×¥Ã¥Áι" ¥¬¥¤¥É£² ¡Ý Åż֤ǹԤ¯SYLVIA 奇妙な材質の¥¯¥é¥ó¥ÉÆüµ¢¤ê "¥×¥Ã¥ÁAが 埋め込まれているのだ。ホームのあちこちに雨粒が落ち、メッキがはがれ落ちていく。世界全体がぶれる。じゃりじゃり、じゃりじゃり、じゃりじゃり――――
黒い人影が、世界がぶれる毎に、細切れになったフィルムを再生するように、近づいてくる。歩みはとてもゆっくりなのに、世界がぶれると、その姿はワープしたみたいにもといた場所から居なくなって、五 六歩も先の場所に姿を現す。
目と鼻の先に立った。
二つの大きなレンズは真っ黒に染まっていて、その相貌は少しも見えなかった。昆虫のように無機質な目は、じっと私を見据えている。彼はコートの中に手を突っ込むと、それを取り出した。黒金の拳銃だ。慣れた手つきでそれを動かし、私の額に銃口を押しつける。
「な、なんで……誰……」
私の喉はかすれて細切れの言葉をはき出した。ガスマスクが微かに反応して顔を動かした。
『現実の世界に戻る時が来た』
くぐもったその声は、思ったよりずっと若い男の声だった。
『現実の世界は2002年じゃないし、あんたは十六歳じゃない。本当のあんたは商社に勤めるサラリーマンで、年齢は48歳。そもそもあんたは女ですらない』
わけがわからない。
現実の世界? 本当はって――――?
「本ニネシォ・ノ・皈、・ ホタ 、ハ 。。。チってなに!? どうして ネ、ホタ 、ハ 、ホー网、、 ート 豕モ、キ。「ニネシォ・ノ・されなきゃいけないの!?」
"¥×¥Ã¥Áι" ¥¬¥¤¥É£²だった/:[@]-^私は「:。・。・「@\\していたのに、かれは¥¯¥é¥ó¥ÉÆüµ¢¤ê "¥×¥Ã¥Á¡Ý Åż֤ǹԤ¯だった。
『脳だ』
彼は頭を指先でこんこんと¥¯¥é¥ó¥ÉÆüµ¢。
『あんたの脳はもういかれてる。ほら、思考を形成する言語中枢もやられはじめてて、もうその影響が出てるだろ。あとものの数分であんたの脳は機能停止して死ぬ』
¥¯¥é¥ÉƵ¢¤ê "¥×¥Ã¥ÁÎLVIA 。5。チ2A$、ヌ、キ、ソナケ、ヒ、隍熙゙、ケ。ヒ、ケ、エ、、、ェ、、、キ、、、ヌ、ケ。ェソィ、テ、ニ、荀 、鬢ォ、、、ホ、 br />ヌ网ヲ。
『いいや、これは現実じゃない。現実の世界は2078年。2002年なんて遙か昔だ。ここはノスタルジーをかき立てるのがコンセプトのただのゲームワールド。ナノマシンとマイクロマシンのミックスジュースがあんたの脳に作り上げた幻の世界。あんたはそれにどっぷり浸かりすぎて、今や死にかけてる』
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彼é ¥Þ¡¤ ¤ª ¤è ¤Ó ¥¢拳銃の撃鉄を上げ ¥× ¥ê ¥± ¡¼ ¥· ¥ç ¥ó¡¦ ¥× ¥í ¥° ¥é ¥Þ ¤ò ÂÐ ¾Ý ¤Ë ¤· ¤Æ ¤¤ ¤Þ ... Âè 1 ¾Ï ¤Ç ¤Ï¡¤ OpenVMS Alpha ¤Î 64 ¥Ó ¥Ã ¥È¡¦ ¥¢ ¥É ¥ì ¥Ã ¥· ¥ó ¥° ¤Î ¥µ ¥Ý ¡¼ ¥È¡¤ ¤ª ¤è ¤Ó VLM …………
『おまえを排出(イジェクト)する』
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『名前?』
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『排出者(イジェクター)』
炸裂音。
銃口から放たれた真っ赤な閃光が私の頭に弾けて、世界は暗転する。
act1:排出者-insert- (前編)
それは左手が覚えている、唯一の記憶だ。
かすかな記憶の奥底に、あの時の思い出は埋まっている。たしか、六歳くらいだったと思う。あの頃、家の雰囲気は最悪で、両親は毎晩のように夫婦喧嘩を繰り返していた。母親が優しく寝かしつけてくれた後、自分はいつも、夜中に唐突に目が覚めるのだ。どうしてかはわからない。誰かに揺り動かされたわけでも、騒音が聞こえたわけでもない。ただ、すすり泣きがするのだ。部屋の扉の向こうから、忍び寄るような、すすり泣きが。お化けか、幽霊か、その類だったらどんなに良かっただろうと思う。その湿った嗚咽には、聞き覚えがあるのだ。いつも、ベッドに横たわった自分を撫でながら、優しく語りかけてくれる母親の声――――それに、よく似ていた。
その頃、母は毎晩毎晩、父の書斎の前で泣いていたのだ。
父は全身の血を鉄と入れ替えたような、冷たい人間だった。白々しくも優しい頃もあったが、それも自分の左手と左足に小児性の麻痺が発症すると、あっという間にかき消えてしまった。自分に向けられるのは、いつも死にかけの虫を見るような目で、それは母に対しても同じだった。母は優しい人だったけれど、強い人ではなかった。自分の動かない左手と左足を見つめては、いつも悲しげに目を伏せていた。母が悲しい顔をするのは嫌だった。母はその苦しみを父と分かち合おうとしたようだが、機械より冷たい父にはそんな優しさなどまるでなかった。開かない書斎の扉の前で母がひたすら泣き、父がそれの一切を無視するという、その一方的な夫婦喧嘩の源が、自分の動かない左腕と左足だという事は、幼い自分でも――いや、幼かったからこそすぐに分かった。母のすすり泣きを聞くと、自分が責められているような、いたたまれなくて、今にも泣き出してしまいたいような、激しい苦しみに襲われた
だから母がすすり泣く晩は、自分もいつも泣いていた。布団の中で胎児のようにくるまって、朝が早く来てくれる事を祈り、夜が明けるまで動かない左腕と左足を呪った。どうしてこんな体に生まれてきたのか、どうして学校の友達のように健常者に生まれなかったのか、そればかり思って歯を食いしばり、そして延々と泣いた。自分の嗚咽が聞こえる内は、母のすすり泣きを聞かなくて良かったから。
あの夜も、そうだった。
夜、理由もなく目が覚めると、それは母がすすり泣きを始める前兆だ。あの夜も唐突に目が覚めて、ベッドで仰向けに天井を見上げた時、もう限界だな、と思った。毎日毎日、積み重なっていた黒々と渦巻く感情が、小さな胸の内で一杯に詰まっていて、もう一晩もしない内にはち切れてしまいそうだった。そうなったら、自分はどうなるのだろう。揺れるレースのカーテンの向こうに身を投げてしまうのだろうか。自然とまた、涙がこぼれて、噛みしめた歯の奥から嗚咽を漏らす。いっそその方が、母と父のためかも知れない。自分のこの忌々しい動かない手と足が自分の命と共になくなってしまえば、きっと、母がこれ以上悲しんだりする事もなくなる――――
そこからの記憶は、酷く曖昧だ。
ただ、気がつくと自分は真夜中の街を、裸足で駆けていた。息を切らせ、苦しい胸を押さえながら、ただ、誰かに導かれるように走った。それは決して自分の意思ではなかった。だが、微かな――――本当に微かな記憶では、動かないはずの左手が、あの時はなぜか動いていた気がするのだ。進む道を指し示すように、左手は体の前に伸びていた。まるで、誰かに手を引かれるように。
郊外にぽっかりと空いている、昔の戦争で出来たというミサイル着弾痕(クレーター)の中で、その夜を過ごした。色濃い群青の夜空は高く、広く、星が瞬き、風に撫でられた周囲の草原が静かなさざ波の音を立てる。街の明かりが届かない暗闇は、ゆりかごのように心地よかった。
そうして朝を迎えると、朝日と共に祖父が現れた。あの時の祖父の手もまた、誰かに導かれているように、差し出されていたと思う。
「――――苦しいか」
祖父は長い沈黙と、戸惑ったような表情の果てに、それだけ尋ねた。自分は首を振ったと思う。がたいが良かった祖父は、しゃがみ込むとその大きな体で自分を抱きしめてくれた。その温もりは、一晩過ごしたその夜の心地よい暗闇と、よく似ていた。
あの瞬間、動かなかった左手に、何も感じないはずの左手に、なぜか温もりを感じていたのを覚えている。陽光の温もりか、祖父の体温とも違う。ひんやりとした――――でも、人の温もりだった。
それは左手に残された最後の記憶だ。
あれ以来、左手は温もりを感じる事もなくなった。
■
コール音がした。
電気ショックでも加えられたみたいに目が覚める。
体育館みたいに広い天井、ワックスの引かれた木床の冷たい感触、四方の壁に並ぶ採光窓から射す朝の柔らかな日射し。窓枠に止まった雀が、ちゅんちゅんと井戸端会議をしながら、飛び跳ねている
彼――黒瀬完爾が身を起こし、辺りを見渡すと、そこは武道場だった。ただっぴろい空間は静謐で冷涼な空気と、かすかな木の匂いに満たされている。黒瀬の所作に合わせて床が音を立て、その音が張り詰めた空気に反響する。ぼんやりとした頭で「ここは……」と考えて、思い出す。祖父の屋敷の離れにある武道場だ。天井付近にずらりと並んだ採光窓からの陽光が目を突き刺す。その光を手で遮りながら、腕時計を確認した。デジタル表示のそれが音もなく針を進めている。眼前にかざすと、薄いブルーのホログラムが宙に文字を描き出した。
<A.C.2078 April 08:32........ >
何をしていたんだっけ。寝ぼけてそう考えた。頭にかぶっていたフードを払った時に記憶が蘇る。そうだ、夜が明ける前、外にランニングに行ったんだった。ここに帰ってきてから、倒れ込んで横になっている内に眠ってしまったみたいだった。汗びっしょりになったウィンドブレーカーが、春先の風にあおられてかすかに揺れる。少し、肌寒い。立ち上がりざま、武道場の片隅に設置された鏡に映った自分の姿を見る。
硬い床での睡眠は、酷い寝不足と体力消耗を引き起こしたらしい。憔悴しきって、クマが目立つ顔。都会の路地裏で生ゴミをあさる野良猫みたいな顔つきをしている。長い間はさみを通していない髪は乱れきってまさに汚れた黒猫そのもの。右手で顔をぬぐう。左手は体の前で吊っていて、灰色の吊り紐がぶらぶらとゆれる。動かないのだ。幼少時に麻痺して以来、ぴくりとも動いた事はない。
コール音。
けたたましいその音が、かすかに屋敷の居間の方から聞こえる。黒瀬はうっとうしそうにその音源に目をやって、それから、胸元に手を伸ばした。そこには透明のプラスチックで出来たアイウェアが入っている。研究者や技術者がつけるようなしゃれっ気のない無骨なそれを、耳にかけた。
途端、黒瀬の周囲にコバルトブルーで半透明のタスクウィンドウが浮かび上がった。子供がはしゃぐような電子音がする。ウィンドウは彼の周囲をマリアの誕生を祝う天使達のようにくるくると舞い踊る。それぞれのウィンドウには透き通るような声で歌う歌姫が立体化されていたり、降水確率とNMエーテル濃度をグラフにして解説している気象予報士が動いていたり、飛び出すアニメーションが新商品の名を叫びながらうるさくぴょんぴょん跳び回っていたりする。
「オールカット。コール」
黒瀬は横に手を振ってそうつぶやく。するとやかましくがなり立てていたウィンドウの群れは次々と消えていき、代わりに屋敷の奥からデフォルメされたヘッドフォンマイクの立体像(フォログラム)が滑りこんできて、黒瀬の首にからみついた。同時に眼前に起動したウィンドウを、黒瀬は右手の指で叩いた。受信、というグリーンの枠で囲まれた文字がぺかぺかと点滅する。
『コールは五回以内でとれ』
ぶしつけにそう言う電話の相手に、黒瀬は小さく舌打ちした。タスクウィンドウには壮年の男が浮かび上がっている。枯れ木のようにやせて、とがった顎。落ちくぼんだ目に小さく、だが頑なな意志を据えた眼がぎらついている。短髪をオールバックにした黒髪。スーツを折り目が見える程きっちり着こなす。その映像の下には、通信相手の名前が表示されている。
"父"
『眞子がそっちに向かった』
黒瀬は屋敷に続く渡り廊下へ向かいながら、その凶報に嫌そうに視線を明後日へ飛ばした。
彼が一歩歩く毎に、ぎしぎしと左足の関節が音を立てた。足を上げる度、パンツの裾があがってくるぶしがあらわになる。焦げ茶色をした、合成樹脂の義足。
「なんで。呼んでないのに」
『本人に聞け』
尋ねたって答える物かと黒瀬はイラ立った。ろくに顔も覚えていない父が再婚すると聞いたのは去年の暮れ。知った事かと思っていたが、祖父が死んで以来、父の新しい家族は黒瀬にちょっかいを出すようになった。再婚相手の家族と円満な関係を築きたいのだろうが、血縁関係のある父と息子がうまくいっていないのに、そんな事が出来ようはずもない。
特に義妹は――義妹といっても同い年だ。黒瀬の方が三ヶ月生まれるのが早かっただけ――それがどうもわからないようで、ことある毎に黒瀬が住むこの屋敷にやってくる。その上口べたなのか気が弱いのか知らないが、おどおどしてまともに口を利かない。黒瀬だってよく喋る方じゃない。結局お互い無言でお見合いになり、気まずい思いをするのは黒瀬の方だ。
「わかってるんだぞ。あいつを使って、俺を懐柔しようって腹づもりなんだろ。そっちの家には死んでも行かないからな」
『相変わらずだな』
久しぶりにあった息子の変わらぬ姿に喜ぶ声ではない。抑揚もなく、低く抑えられた声音。
『お前は妄想病(パラノイア)だよ。屋敷の中に閉じこもって、自分以外は全部敵だと思い込んでいるが、その実は弱くて脆くて、ただのわがままなガキだ。お前に必要なのは"首輪"だよ』
腹の内がかっと熱くなった。黒瀬の腹の中いっぱいに詰まっていた炸薬が、父の言葉で一気に燃え上がる。
「何が首輪だこの野郎……! 好き勝手して俺を捨てたのは、お前だろ!」
受話器のホログラムの向こうで、父が鼻で笑う気配がした。
『だから迎えに来てやってるのに、お前が意地を張ってるんだ』
わき起こる怒りが押さえつけられない。拳をぶるぶると震える程握りしめ、噛みしめた奥歯の奥からこし出すように言葉をはき出す。
「俺に"首輪"をかけようとしたら、そいつをお前の首に掛けて、絞め殺してやる――!」
『そうか、好きにしろ。用はそれだけだ』
早々に切り上げようとする雰囲気をさっして、黒瀬は「待てよ」と声を荒げた。
「爺ちゃんの葬式も顔出してないのに、こんな事で電話してくんなよ。線香くらい上げに来たらどうなんだよ。お前の親だろ!」
返事を待ったが、いっこうにそれはなく、気がつくとコールは切れていた。黒瀬は小さく、口汚く毒づくとウィンドウを乱暴に操作してこちらからの通信も切った。
祖父が死んだのは、一ヶ月と少し前の事だった。
不仲の両親に代わって自分をずっと見守っていてくれたのは、祖父だった。ただっ広いこの屋敷に一人で住んでいた祖父は、幼い黒瀬を何も言わずに迎え入れ、以来十年以上の歳月を、二人はこの屋敷で共有した。二人でも持てあますくらい広いこの屋敷では、それほど親密な交流があったとは言えないが、それは二人にとって最適な距離感だった。左手と左足の麻痺が原因で他人の奇異の目に晒され続けた黒瀬には、祖父の空気のような存在感と、時折投げかけられる、どこか寂しげな優しい瞳が心地よかった。祖父もまた、自分をとても大切な存在として想ってくれていたと思う。父も母も、自分の事で手一杯で、自分に本当の意味で向き合ってくれた人はいなかった。だが祖父はそうじゃなかった。祖父は生まれて初めてできた本物の『家族』のようだった。
祖父の屋敷に来た十年前以来、黒瀬はほとんど家を出ていない。日も昇らない明け方にふらっとランニングに出かけ、朝日が眩しくなる前に戻るくらいだ。黒瀬にとって、屋敷の外の世界というのは――――『昼の世界』というのは、酷く縁遠いものに感じられた。友達も、先生も、すれ違う人も皆、自分と会うと変な顔をして、言葉に詰まる。黒瀬の左手と、左足に宿った不幸を哀れみながら、どう言葉を投げかけたものか思案するのだ。そういう表情が、一番嫌だった。母親の沈鬱な瞳を思い出すのだ。
いつしか、思うようになった。ああいう表情をする人々と、自分は、全く違う世界の住人なのだ、と。彼らは日の光を燦々と浴びる昼の世界の住人。自分は陰に身を潜めて息を殺す、陰の世界の住人。二つの世界の住人は、互いに相容れない存在なのだ。昼の世界の住人は昼の世界で生きればいい。陰に身を潜めている、五体不満足な男の事など、知りもしないでいればいい。そうしてくれれば、自分だって奇異の目に晒されなくて済む。そしてそれは、自分が昼の世界に求める唯一のものだった。だから黒瀬は屋敷に籠もった。屋敷の中は安全で、安寧で、安心できた。祖父は自分とどこか同じ匂いがして、側にいたとしても苦痛ではなかった。
それに祖父は、昼の世界を拒否した自分を、責め立てたりしなかった。もちろん間違った事をすれば叱ってくれる。むしろそれしかしてくれないが、それで十分だ。それで、両親よりはるかに自分の事を思ってくれているとわかるから。
幸いにも今は学校を通わなくても、量子ネットを使えば良質な通信教育が受けられる。運動をしたければ広大な屋敷の一角にある武道場で、祖父がなんだかよくわからない格闘技の稽古をつけてくれる。夜は人工筋肉付きの義足で毎晩ランニングもする。学校みたいに土日の概念はないから毎日それをやっていたら、通学するよりもずっと早いペースで高卒単位を取得できている。
そういう、最低限やるべき事を教えてくれた(勉強とか、運動とか)のは、全て祖父だった。黒瀬の世界は、真夜中のマラソンで見る誰もいない朝靄のかかった街と、祖父の言葉少ない教えだけだった。それでよかった。そうして過ごす時間は、自分が普通の人でない事をいちいち囁かないし、祖父から学べば学ぶ程、鍛えられれば鍛えられる程、自分はいつか、外の世界の誰にも頼らずに、一人で生きられるかもしれないと、希望と自信を持つ事が出来た。
その祖父は今、仏壇の額縁で永遠に微笑んでいる。
ついこの間の朝、目を覚まさなかった祖父はそのまま棺に納められた。悲しいとは思わなかった。ただ呆然とした。これまで自分に血肉を分けてくれたのは祖父だった。単純に勉強や運動を教えてもらったのではない、ここで暮らしながら、生き方そのものを教わっていたのだ。そして何より、祖父は家族だった。黒瀬にとって、唯一心許せる家族。それが、失われた。
人生という台本は今やあっさり失われて、手元に残ったは広大な屋敷と不完全でポンコツな自分の体だけ。これからどうやって生きればいいのか、さっぱりわからない。考える気にもなれない。それでも
それでも、現実は変わっていく。
時間は笑えるくらい残酷だ。祖父が死んで以来、ずっと足を止めたままの自分を、あっという間に追い抜いていってしまった。世界は一変した。安寧とした時は周りの大人達が廃墟を整理する重機みたいにひっぺがしていく。自分を誰が引き取るのかが自分の頭越しで相談されていて、屋敷を始めとした祖父の遺産――――遺産を、誰が手中に収めるか、親戚達が静かに奪い合いを始めている。そうして過ぎていった時間で、あれから世界は一ヶ月も経ったらしい。
とても信じられない。
自分はまだ、祖父が死んだあの時から、一歩だって動いていないのに。
■
仏間を抜けて、二階の自室に向かった。窓を開けると、無数のタスクウィンドウや宙に浮く半透明の有名人、ホログラムの通販商品が、部屋の中になだれ込んできた。
都会のど真ん中に立っているかのように、老若男女の声に辺りを取り囲まれる。昨日のサッカーの結果だとか、天気だとか、悲しいニュースだとか、政治家の汚職だとか、芸能人のスキャンダルだとか、代わり映えしない情報がキャスターの映像やワイドショーの映像だとかにのって漂ってくる。高らかに歌う歌姫――springだとかいう――が半裸に近いドレスを揺らして新曲を歌っている。近くにある全国チェーンのカレー屋が春期限定桃カレーの旨さを調理風景を交えて道行く人に教えて回る。この地域に多大な社会貢献をしているとV-tec Life社がさりげなく美しい音楽と共に空に虹色のロゴを打つ。
アイウェアを外した。
全て消え去り、水を打ったような静寂に包まれる。
見上げた空は染み一つ無いまっさらなコバルトブルー。まどろむような春の匂いがした。肌の下にしみこむような、陽光の温もりを感じる。見下ろす街はいつもの静かな朝を迎えていて、ぽつぽつと起こる喧噪以外には、やかましい音も、空飛ぶ人のホログラフもない。
情報偏在社会(ユビキタス)――――受信装置を身につけていれば、目に入る空間全てから情報を知覚できる社会は、およそ二十年前、黒瀬が生まれる四年程前に生まれた。以来膨大な情報が世界を席巻し、所かまわずがなり立てるCM や空いっぱいに広がる広告が世界にあふれかえった。まったく、迷惑な話だ。人生という道に頼んでもないのに看板が次々に立てられている気分だ。こうしてグラスウェアを外して感じる空っぽな静寂の方が、黒瀬は好きだった。
ふと、屋敷の中庭の向こう、家の敷地と外の世界を隔てる白壁の向こうに、スカートがはためいた。
桜並木が薄桃色に吹雪いていて、その合間から、沸き立つような笑みを浮かべた女子高生の姿が見えた。彼女たちのはしゃぎようからすれば、きっと入学した高校に初登校といった所なのだろう。桜吹雪にまぶしそうに目を細めている。
楽しそうなその姿を目に入れてしまった黒瀬の胸の内に、じわりと嫌な感覚が広がった。不安と、劣等感、ほんの少しのねたみ、そういうのが入り交じった、ドブ水みたいな感情。
陰った部屋の中から、明るい日射しの下で跳ねる笑顔をのぞき見る自分。
黒瀬は十七歳、本当ならあの輪の中に入ってもいいはずだ。酷いコントラストがある気がした。どこにも所属していない宙ぶらりんな気分。なるようになれ、そんな投げやりな気分。
ふと、屋敷の入り口に人影がたった。
「(……来た)」
黒瀬はウンザリしながら、その人影が押したチャイムの音を聞いた。うなだれたままアイウェアをかけた。
「ドアフォン」とユビキタス機能を呼び出す。顔を上げた彼の前に薄いコバルトブルーのウィンドウが現れ、そこに立体表示された人影の姿が浮かび上がる。セーラー服姿の女の子が立っている。正門に設置した感知器が撮影した訪問者の映像だ。
「眞子?」
『あ……うん』
常に下がった眉尻、白玉みたいにまん丸な目、病弱そうな色白の肌、ハーフみたいな栗色のショートの髪は少し癖がついている。彼女を見るといつも、あの耳が垂れ下がったウサギを思い出す。性格だってウサギそのものだ。
かわいそうなウサギだ。思う。なまじ善良だから、再婚した家族全員が仲良く暮らせるようにと、献身的にもろくに姿も見た事ない兄とコミュニケーションを取ろうとしているのだ。彼女は新しいパパ(黒瀬の父)に利用されているに過ぎない。父は彼女を使って黒瀬を籠絡させ、家に迎え入れる気なのだ。もっとも、それは保護者のいなくなった黒瀬を監視するための、世間体という奴を考慮したからであって、再婚を機に関係をやり直そうという気はさらさらない。実の父の葬式にも来ない人間なのだから、そう思ってまちがいないだろう。
『あ――』
何か用。そうかすれた声で尋ねると、黒瀬の義妹、眞子はそうやって言葉に詰まった。その顔は少し上気しているように見える。熱でもあるのか? 五秒くらい経ってから、言う。
『――――黒瀬さん』
またこれだ。黒瀬は頭をかきむしりたくなった。彼女と会うと第一声はいつもこうだ。「あ――――黒瀬さん」その『――――』の中にどんな逡巡があるのか知らない。お兄さんと呼ぶべきかお兄ちゃんと呼ぶべきかあるいは完爾くんと呼ぶべきか。距離感をはかりかねているのだろうか。そういう腹の探り合いみたいな人間関係が黒瀬は一番苦手だった。黒瀬の障害について触れて良い物か迷う「昼の世界の住人」の反応と同じからだ。
『今、大丈夫……ですか』
言葉を慎重に選んで彼女が言う。黒瀬は短く「大丈夫じゃない」と答える。彼女に悪いが、父の思惑通りほだされる気はさらさらないし、彼女だって、『陰の世界の住人』と話たりするべきじゃないと思う。返事を聞いた立体表示の眞子が、『え?』とその小さな口を開けてぱくぱくと開閉した。それから急かされるみたいに
『あ、あの、昨日ね。家での話なんだけど……あの、家だと、いつもお母さんが帰るの遅いの――遅いんですけど、だから私とお姉ちゃんでいつも交代でご飯作るの。それで』
…………何の話だよ。
道中、何を話そうか話の種を考えていたのかもしれない。思わぬ拒否反応に動揺して思わずドアフォン越しにその雑談を始めてしまったのか。ため息が出る程お人好しな奴だ。彼女は夢中になって話し続ける。それにしても、今日はとりわけ変だ。呂律が回っていない気がするし、少しふらついているように見える。まるで、夢見心地だ。
『お姉ちゃんのご飯、ホントはあんまりおいしくなんだけどね。……あ、それで、ホントは昨日が私の当番だったんだけど、私、部活で疲れちゃって、気づいたら寝ちゃってて、代わりにお姉ちゃんが』
「何しに来たのか言えよ」
ぴしゃりと黒瀬が言うと、まるで怒鳴りつけられたみたいに彼女は息を詰まらせた。それから酷く落ち込んだように肩を落としそうになって、しかし思い直したのか肩にかけていたバッグを右手でぎゅっと握りしめた。意を決したように、顔を上げる。
『今日、あの――今日のご飯、私が作るんだ。お兄さん、食べに来ない? おでんが好きなんだよね? あの、もう材料も買ってあるから』
「お前、もう来ない方が良いって」
黒瀬は苦々しく、はき出すように言った。これまでにも何度か食事に誘われた事はあるが一度も応じた事はない。彼女ははっと顔を上げると、突然身内の死をささやかれたかのように目を見開き、薄い唇を振るわせ、『え……』とかすれる声をあげた。
黒瀬は表情を歪めた。こんな顔、見たかった訳じゃない。拳を胸に押しつけて、ぐっと喉の奥で言葉を噛みしめた。
「俺はお前の家族なんかじゃない」
一瞬、彼女は下がり気味の眉を寄せて、どこでもないどこかに視線を彷徨わせた。目尻に涙がたまり、顔をうつむかせる。
「家族ごっこがしたかったら、俺抜きでやれよ」
『でも……でもこんな所で一人で住み続けるなんて、お兄さんだって』
「俺はお前の兄貴じゃない! 俺の家族は一人だけ――お前と、お前の家族は、関係無いんだ」
乱暴にドアフォンの回線を切ると、アイウェアを外した。門の方へと眼を向けると、彼女は呆然としていた。動かないしばらくするとうつむいて、帰って行った。盛大なため息をつく。外の世界の人と話すと、とてつもなく緊張する。別に、黒瀬だって彼女をいじめたいわけではないのだ。ただ、他に方法を知らないだけで。
眞子は父親と弟を自動車事故でいっぺんに亡くしたらしい。それは父から(一方的に)聞いている。それが三年前の話だというから、彼女は家族に飢えているのだろう。特に異性の家族に。黒瀬とて、今まさに家族がいないこの状況にゆっくりと毒ガスを吸い込んでいるみたいな不快感とかすかな恐怖、そして――孤独感にさい悩まされている。だが、だからといって安易に新しい家族に与したくない。ここで十年以上過ごしてきた祖父との時間を、迎えが来たからといって用済みとばかりに投げ出せるほど、黒瀬は現実的にはなれない。もっとも、いずれはこの生活にも限界が来るのだって、わかっている。
ふと、屋敷の入り口に車が止まったのに気がついて物思いから目が覚める。
黒塗りの、どこにでもあるようなセダン。黒瀬は目を細めた。車から出てきた老人が、コートの襟を正して、正門に歩いてくる。黒瀬は身をおこし、アイウェアを再びかけた。
『――――初めまして黒瀬さん、亡くなられたお爺さまにお線香を上げさせてください』
黒瀬は表示されたホログラムをじっと見つめて、黒瀬は声をあげなかった。誰も家に上げるつもりはなかった。この家は自分を守る防壁で、最終ラインなのだ。ここを超えられたら、自分を守るものはなにもない。"昼の世界"の人間に、"陰の世界(この世界)"を侵させるわけにはいかない。
『……ご在宅なのは分かっています。"正式な手段"を踏まなくてはいけまんせんか』
ドアフォンを切ろうとした黒瀬の耳に、声色の変わった老人の言葉が聞こえた。顔を上げ、ホログラムを見ると、老人はスーツの胸ポケットから手帳を取り出した所だった。その所作をじっと見つめていた黒瀬の目が、ゆっくりと、細められる――――
■
現れたその老人がさしだした手帳には、金色の菊の花が一輪咲いていた。
花の下には老人の名前が印字されている。
『麻戸 巧 "警部"』
仏壇の鉢形の鈴を叩いた老人――麻戸警部は義理とは思えない程長く遺影に頭を下げ続けた。
「今後はお父上のところで暮らされるのですか」
祖父へ線香を上げ終った老齢のその刑事は、ロウで固めたようなシワだらけの顔をじっと黒瀬に向けてそう言った。低くしわがれた声は酷くかさついていて、喋る度にマイクが誤作動したみたいな細切れの音がした。仏間の長机を挟んで向き合った黒瀬は口を開かず、首を振ってそれに答えた。
「では、どなたか引き取り手が?」
黒瀬は視線を膝の上に置いた手に落とした。麻痺した左手を、右手の上に載せる。吊り布に隠れていたが、その下に置かれた右手は固く握りしめられ、こわばっている。そうしていないと、緊張で今にも震え出しそうだった。額にはじわじわと汗の粒がにじみ出す感覚がした。――――祖父以外の人間がこの家に来る事など、今日まで考えもしなかった。いざ対面して人と向き合うと、相手が何をし出すのかまったく予想がつかず、得体の知れない異様な程巨大な恐怖を感じて、体が震えた。木目のある長机の上に置いた、茶の入った湯飲みで、うすい緑の水面が、小刻みに波紋を描いていた。
結局、質問に答える事は出来なかった。答えたくもなかったが。そうしていると、麻戸はどうとったのか、またかさついた声で
「……大変な時期にお伺いして申し訳ありません。黒瀬――完爾さん」
何でこいつ、俺の名前知ってるんだ。
そう思ったが、尋ねる事はしなかった。差し出された警察手帳を思い出す。この男は刑事なのだ。名前くらい簡単に調べ上げるだろう。それよりも、と黒瀬は思う。問題は刑事がなぜ線香なんてあげに来るかという事だ。
「……生前、お爺さんに変わった事はありませんでしたか。何らかの政治的な活動をしていたとか、交際していた方がいたとか」
変な事を訊く。何をしに来たのか言わない気なのだろうか。
ならばこちらから仕掛けるしかない。
「爺ちゃんは何か事件に関係していたんですか。誰かに殺された訳じゃなかったと思うけど」
声は緊張で酷くこわばっていて、情けない程かすれていた。黒瀬が奇襲したつもりのかすれ声に、麻戸刑事は答えず、居間の長机にあった灰皿をたぐり寄せて、煙草に火をつけた。
「ええ、そうでしょう」
それだけ言うと、煙草が半分になるまで黙ったままだった。
「Play fun!12というのはご存じですか」
麻戸はまた唐突に口を開いた。茶をすすりかけていた黒瀬は、一瞬呆然と麻戸を見つめ、それから、苦々しい思いでその名を反芻した。手にした湯飲みを机に置き、その水面に広がる波の環を見つめる。Play fun!12――こんなところで耳にするとは思わなかった。
その名が初めて世間に公表されたのは八年程前だった。だが黒瀬がそれを耳にしたのはもっとずっと前、物心ついた4歳か五歳くらいの頃だったと思う。まだ黒瀬が両親と暮らしていた頃……今よりはほんの少しは幸せだった頃、父の口からよく耳にした名だった。
Play fun!12。それは人類が夢にまで見たフル体感シミュレーターであり、もう一つの理想の世界を作る機械だと父は語った。誰もが手軽に理想の世界を作り出せる。それは限りなく現実に近い、だが現実より居心地の良い世界。ボールペンの容器に入ったミミズみたいなナノマシンの固まりを鼻から吸引して鼻腔の粘膜から吸収し、脳下垂体から進入したそれらを小脳から大脳皮質に至るまでまんべんなく偏在させると、全世界待望のフル体感仮想世界が現実になる――――何度も同じ説明を繰り返された。
父はPlay fun!12を開発したV-tec Life社の重役の一人だったのだ。父はよく、『私は新たな世界を創造しているんだ』と嬉しそうに口にしていた。普段は全身の血を鉄と入れ替えたんじゃないかと思う程冷たい父が、Play fun!12を語る時だけはまるで対等な友人のように話してくれた。それがうれしくて、黒瀬は必死になって父の言葉を飲み込んでいった。そんな自分と父を、母は不安といぶかしさが入り交じった表情で見つめていたが、当時の自分はその視線の意味に気づく事は出来なかった。
父が喜々として語るその夢の世界は魅力的で至上の宝のように思えた。だが、幼い黒瀬は父の口からPlay fun!12を知れば知る程、次第にその『エデン創造キット』に嫌悪感を抱くようになった。いや、嫌悪感は始めからあったのだ。時間が経つにつれて、それに気がついていっただけだ。
父は自分以上にこの機械を愛している。
今ではこんな簡単に言える事が、当時は幼すぎてわからなかった。子供のようにはしゃぐ父を嫌いになり、そんな自分が嫌いになり、Play fun!12も憎悪の対象になっていった。思えば、母も同じような思いを抱いていたのではないか。優しい母は毎夜、父の書斎の前で泣きじゃくっていた。Play fun!12はそういう記憶とセットの思い出となり、黒瀬の頭の片隅にうち捨てられていた。それを、この刑事は掘り起こそうとしている。一体、何が目的だ?
「このゲーム機が市販されたのは八年前……『鼻から吸引する』『脳に機械を入れる』そういったセンセーショナルな導入法が世間を騒がせました」
黒瀬が黙っていると、麻戸は知らないと見なしたのか、ぼそぼそと平坦な声で解説し始めた。
「連日連夜、ワイドショーやニュースで、自称知識人達が論争を繰り広げたものです。その倫理性、技術的信憑性、命と機械の宗教的係わり合い――――喧々騒々。しかし一年も経つとそう言った輩は消え去りました。世間の興味を引く新たな事件があったのか、誰かの横やりがあったのか――――いずれにせよ、ここ八年間でPlay fun!12は日本中に広がりました。三年前、ユビキタス機能が付加されたPlay fun!12が発売されたのがそれに拍車をかけた。大人から子供まで……今や変わり者や老人をのぞいて、導入してない人はいない」
黒瀬はむっと口を歪めた。あの忌々しい父への関わったものになど関わりたくなくて、Play fun!12は導入していない。自分は変わり者だと言われた気がした。テレフィルムとか、街の広告塔とか、ネットワーク上の交流場所(コミユーン)とかで散々話題になっているのは知っていたが、そもそもユビキタス機能なんて下品なものも嫌いで、ゲームもそれほど好きではない自分には関わりのないものだと思ってきたのだ。
「Play fun!12は導入してない。ユビキタス情報はアイウェアをかけて見るから」
「ではそれをかけてこちらをご覧ください」
麻戸刑事はなにかを掴んで差し出すような仕草をした。黒瀬が胸元から取り出したアイウェアをかけると、彼は一枚のテキストウィンドウを手にしている。半透明でコバルトブルーのそれを受け取って目を通した。
「外側中毒(アウターホリツク)、ご存じですか」
不意に、脈絡もなく麻戸はそう言った。黒瀬はしばらく思案してから、浅く頷いて返した。最近よく耳にする単語だ。テレフィルムのニュースでよくやっている。
Play fun!12が作り出す完璧な仮想世界――――現実と全く同じ世界で自由に創造された世界、その世界を外側世界(アウターワールド)と呼ぶ。それは当人にとっての理想の世界だ。だがその理想の世界は、機械が脳の中に描き出した幻想卿にすぎない。つまりこの世界の外側にある世界(アウターワールド)なのだ。にもかかわらず、その幻想卿にのめり込む人間は後を絶たない。その中でもとりわけのめり込んだ連中が、飲食も睡眠も排泄も、それに仕事も交友関係も家族も全部忘れてひたすらゲームに没頭し、ついには死に至る――――それが、外側中毒(アウターホリツク)。Play fun!12の連続プレイ時間が二日日を過ぎた時点から、その人の生命活動は急速に弱まり、タイムリミットの三日に至るまで生体機能がどんどん損傷していく。そして三日目に至ると、もはやその生命が終るのを止める術はない。
「今やアルコール中毒(アルコホリツク)より名の知れた中毒ですよ、この、外側中毒(アウターホリツク)という奴は。もっとも、俗悪なメディアではその死がゲームに熱中しすぎた愚か者の末路として面白可笑しく取り上げられるばかりですがね。……これを」
麻戸は胸元から、何かを取り出して卓の上に置いた。目を凝らすと、ケースの中に小さな、本当に小さな……糸か針金のような黒い線が見えた。
「検証は終ったので、差し上げます。あなたのお爺さんの脳から摘出したPlay fun!12です」
思わず麻戸の顔を見上げた。麻戸は眉一つ動かしていなかった。
「は? 摘出って……」
黒瀬はきょとんとした。
麻戸が黒瀬が持つテキストウィンドウを指し示す。
「それは死亡した夜のお爺さんのログイン記録です」
手元のウィンドウに目を凝らす。暗号図表か何かにしか見えない枠と数字の組み合わせが並んでいる。
「ログインって……Play fun!12(ゲーム)の? 爺ちゃんが?」
「ええ、あなたのお爺さんがアウターワールドにログインしたプレイ記録(ログ)です」
幾ら何でもあり得ない話に思わず吹き出した。70を超した爺さんだったのに、ゲームをしてただって? だが、笑みを浮かべた黒瀬を、麻戸は冷淡とも、哀れみともつかない目でじっと見つめるばかりだった。彼の目は、よく見ると左目が正気を失ったみたいに明後日の方向を向いていて、まるでそれだけが独立した生き物のようにぐろぐろと蠢いている。それが、獲物に焦点を合わせるように、ぴたりとこちらを向いて止まった。その目を見ていると、彼が冗談を言っているわけではないのだという予感が、じわりと胸の内で広がっていく。
「ログインデータには、あなたのお爺さんがログインした時間と、ログアウトした時間が記録されています。ご覧なさい、これが、あなたのお爺さんの外側世界(アウターワールド)での名前ですよ」
麻戸が指さした先には、短い英単語が一つ、ぽつんと置かれていた。
――――[Eject(排出)]
まるで暗号図表のようだったウィンドウの文字の意味が、おぼろげながらわかってくる。それはどうやら、『Eject』と言う名の誰かが、『IN』した時間と『OUT』した時間が淡々と記録されているようだった。最後の記録を見ると、死亡する前日の十時から、翌朝の五時まで『IN』状態だったのが記録されていた。
「そのログ、一番最初にお爺さんがログインした日も記録されています」
言われて、黒瀬はテキストウィンドウの上で親指をはじくような仕草をした。ウィンドウの中のテキストは流れるようにスライドしていく。それを四、五回繰り返した頃、画面はぴったりと止まった。一番最初の記録が、無機質に列記されている。
< 2042/ 11 / 23 / PM11:47 IN >
「Play fun!12が発売されたのは20 "65" 年――――」
黒瀬はテキストウィンドウから目を離し、麻戸に眼を向けた。
「あなたのお爺さん、Play fun!12が存在する20年以上前からログインしているんです」
■
祖父は酷く旧式(アナクロ)な人間だった。
家具のほとんどに人工知能が搭載され、電子機器の操作に音声入力が当たり前になっても、祖父は相変わらず留守番録音機能もないような黒電話を使っていたし、食事も自分で作り、エレベーターは設置せず自分で階段を上がった。祖父はそう言う生活を好んでいたし、そうじゃない生活を軽蔑していた。黒瀬もその生活に慣れきっていた。この家には普通に家にあるような、一々要件を訊いてくるような電子機器はない。家の鍵も開けっ放しだ。
その爺ちゃんが、ゲームをしていたって?
ありえない。
……ありえない、はずだ。
だが、人には誰しも秘密がある。
隠しておきたい過去、忘れてしまいたい過去、現在進行形のそれ。
黒瀬にだってある。例えば、幼い頃の記憶。よく周囲の子供達に馬鹿にされた。なにせ片手片足が動かないから、運動はろくに出来ないし、頭だって良い方じゃなかった。あの窮屈な学校と言う名の収容施設で、教師と言う名の看守によってもたらされる甚大なストレスのはけ口には打ってつけだったのだ――弱虫で無抵抗な自分は。情けない事に、散々いじめられたというのに、自分はいじめっ子達の輪の中に入りたくて仕方がなかった。だから媚びへつらってなんでもやった。そんな過去は全部、たき火にくべてやりたい。そういう過去と決別するために、昼の世界に背を向けたのだ。
そう、それと同じ事だ。
祖父は誠実で優しい人だったが、やはり秘密がないわけじゃなかった。
『私はこういう仮説を考えているんです』
一時間前、麻戸が講釈を垂れた『仮説』を反芻する。歯噛みしたい思いだ。ずらずらと並べ立てられた正論は、反論の余地がないだけにあまりに腹立たしかった。
『アウターホリックは単純な中毒症状ではない。ここ半年でアウターホリックで死亡した人間は急激に増加の一途を辿っている。過去の発症人数も、脈絡なく乱高下しています。こういう変動の仕方は、自然の物ではない。誰かが意図的にそうなるよう調整していると考えるのが自然です』
黒瀬は今、祖父がよくこもっていた地下室に来ている。寒々しい部屋だ。むき出しのコンクリート壁、洒落っ気のない事務的な家具が少し、それにゆったりとした黒皮のチェアが一つ、ぽつんと部屋の中央に鎮座している。祖父はよく、この部屋にこもって何時間も出てこなかった。何をしていたのかは知らない。だが、今では少し、それを辿る手がかりがある。
黒瀬は足下に転がっている、それを見つめる。
黒金のサブマシンガンが、静かに転がっている。
『あなた、お爺さんについてどれくらい知っています?』
『……どれくらいって』
『例えば40年前の極東戦争ではミコト・セキュリティサービス社の諜報部隊(インテリジェンス)――――通称 鴉隊の一員だったとか、戦後は長く心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんだとか』
『……何言ってんの、あんた』
『どうぞこれを』
麻戸が手渡した写真を、くしゃくしゃに握りしめてしまったそれを、胸元から取り出して見た。色あせたそれに映っていたのは、真っ黒な兵士達だった。固い友情で結ばれているのを誇示するように、彼らは肩を組み、不敵な笑みを浮かべて入る。その姿。真っ黒なゴム質のスーツが緩く彼らの全身を包み、真っ黒なハーネスがそれをきつく締め上げている。足下にはわずかにだぼついた裾を縛り上げる編上げブーツ。肘当て、膝当て、グローブに、弾倉やグレネードがいっぱいに詰まったベスト。肩を組んだ兵士達の、右から三番目。そこに映っていた。まぶしそうに眼を細める、若かりし頃の祖父の姿。
『お爺さんには、あなたの知らない過去がある』
写真を持った手を下ろし、床に転がるサブマシンガンと、無数の真鍮製の弾丸を見つめる。
この部屋に入ったのはつい昨夜の事だ。親戚の誰かがこの家の所有権を得たらしいので、部屋を整理する必要があると連絡があった。だから渋々とずっと手のつけられなかった祖父の自室の整理に手を出して――――そこで、『パンドラの箱』を見つけたのだ。アタッシュケース状のボックス。手軽に持ち歩くにはあまりにごついし、ケース全体を覆うような強固なロックが二つもついている。それを制御するデバイスにはタッチパネルとマイクがついていて、何の気無しに弄っていたら、唐突にロックが解除された。思わぬ事態に慌てた黒瀬の手から、ケースが滑り落ちて、そして、今この目の前に広がっている惨状が、まき散らされた。
『いくつかある考えられる事態の一つとして、こういうのはどうでしょうか。あなたのお爺さんはアウターワールド創設に一役買った人物だった――――それこそ、歴史上初めてあの世界(アウターワールド)にログイン出来る程』
『そして彼はそのシステムを利用して、意図的な大量殺人を実行する構造(プログラム)を組み込んだ。それが、我々が外側中毒(アウターホリツク)と呼ぶものの正体』
麻戸は短くなった煙草を灰皿に押しつけた。
『あなたのお爺さんには、大量殺人の嫌疑がかけられています』
あの日。祖父が目を覚まさなかった朝。
あの日から急速に事態は動き出していた。黒瀬には追いつけないくらい、急速に。昨日、この部屋の惨状を見た黒瀬は思わず逃げ出すようにここを後にし、気を失うくらい夜の街を意味もなく駆け回った。そして今、そのツケがあっという間に回ってきている。
何かが始まりつつある。それが、ゆっくりと真綿で首を締め上げるように、自分の周囲を取り囲み始めているのを、総毛立つ気配と共に感じ始めていた。
■
祖父が何を隠していたのか、それを知る必要がある。
出てきた銃をどこかで処分するにしても、一体祖父が何を目的としてそんな物を持っていたのか、そして麻戸刑事が物語ったように、なぜ脳に機械(デバイス)など仕込んでゲームなどしていたのか、それが知りたい。
昨日、この床に散らばった惨状を見た時、思わず逃げ出して何もみなかった事にしてしまった。今、それと再び向き合った黒瀬は、床に転がっているケースに手を伸ばす。その重い蓋に手をかけ、引き上げるように開く。
髑髏と目があった。
ぎょっとして黒瀬は身動きできなくなった。まごう事なき人間の頭蓋骨が、ばらまかれた銃弾にまみれた黒い保護パネルの中にしまわれていて、驚愕している黒瀬を冷然と見つめている。
こわばる手をなんとかのばして、手に取ると、木や鉄とも違う、乾燥しきった堅い石のような感触が、手の中に収まった。思いの外、軽い。
偽物ではない。フェイクと言うには、あまりに、あまりに……人間じみている。色濃く黄ばみ、所々褐色になっていて、歯並びはがたがた。額の骨ははきれいな丸ではなくて、ぼこぼことへこんでいた。なにより眼窩の下の骨は痛々しいほどに砕けて穴が開いていて、激しい衝撃を受けて損傷したのが明らかだった。生前の姿が――――ひいては死後直後の顔が、浮かびあがるようだった。観賞用やハロウィンの仮装用にしては、あまりに生々しい。
あなたのお爺さんに、大量殺人の嫌疑がかけられています。
麻戸の言葉がフラッシュバックした。
黒瀬はかぶりを振った。麻戸の言葉を受け入れそうになる自分を振り払う。違う。確かに祖父は、何かを隠している。骸の仮面はそれを悠然と物語り、反論を押しつぶしてしまう。だが、麻戸が言うような、殺人鬼だとは、思えない。少なくとも、黒瀬が知っている祖父は、厳しくも優しい、黒瀬が接してきた中で一番信頼の置ける人だったのだ。
頭蓋骨をどけ、アタッシュケースを閉じようとする。すると、保護パネルのとケースの縁の間が、妙に開いていることに気づいた。どうやら、まだ保護パネルの下に何かあるらしい。そういえば、ケースの厚さに対して、この容量の使い方はアンバランスだ。
指を押し入れて、保護パネルを外した。
ケースの底には写真の中で祖父が来ていた装備が、綺麗にしまわれていた。そしてその上に封をするように、大きなレンズが二つ付いた仮面(マスク)がぽつんと置かれている。何の気無しに手に取った。――――ガスマスクのようだった。だがそれは、あちこちすり切れて穴が開き、実用性はもはや皆無のように見える。無機質な大きいレンズが、じっと黒瀬のこわばった顔を映し出していた。口元についたボンベが、触るとひどく冷たい。
「……鳥?」
レンズの片方に、片方の羽を広げた鴉の絵が描かれている。こちらに飛びかかってくるような仕草、鋭く持ち上がった目、その背後には、達筆な漢字で『鴉』と印字されていた。
ふと、アタッシュケースに目を落とす。ガスマスクのあった場所に、何かが姿を現していた。どうやら、下敷きになっていたらしい。手に取ると、現代では考えられないほど分厚い、情報端末(PDA)だった。厳つい弁当箱のようだ。軍用だからだろうか。あちこちいじっていると、静かなドライブの作動音と共に、ディスプレイに光が宿った。
『コードの入力を待機中................』
国際共通語(ユニコ―ド)で書かれたそれだけの文字が、点滅していた。PDAの端にあったキーボードに気づき、祖父に教えてもらった国際共通語を苦労して思い出しながら、適当な語を入力する。
"kurose""enter""unrock""start""config".......
どれも反応しなかった。『コマンドは拒否された』と出てくるだけだ。ひとまずそれを置いておくことにした。最後に一つだけ、なにか打ち込めないかと考えて、麻戸がよこしたログを思い出した。他にいい案も思いつかず、自棄になってスペルも曖昧に、適当に打ちこむ。
"eject"
凄まじいビープ音が鳴り響いた。
耳元で警報機ががなり立てているようだった。耳障りな高音がぶるぶると震えながらPDA
から吹き出す。思わず、耳をふさごうとした黒瀬の足下で、突然何か、重々しく物が蠢く感触がした。はっとして畳の床に目を落とす。別段、何の変化もなかった――すくなくとも見た目は。だが足の裏の感触は、確実に何かが蠢くのを察知していた。
鳴り出した時と同じように、ビープ音は突然止まった。異国に突然放り出されたような気分になった。一体何がどうなって、自分の身に何が降りかかろうとしているか。
PDAを慎重にアタッシュケースの中にしまった。それから、おそるおそる畳に目を這わせ、自分でも何事かわからぬ事を決心すると、畳と畳の隙間に指を入れた。
「…………無茶苦茶だ」
持ち上げた畳にもたれかかるようにして、黒瀬はもはや虚脱してつぶやいた。
眼前に、奈落の底まで続いているような巨大なサイロが、ぽっかりと口を開けていた。
サイロの中に設置されていたハシゴを下ると、そこは下水道のように細長い通路になっていた。延々と通路は続いていて、先は少しも見えない。申し訳ばかりの青白い光が、暗い通路を陰影濃く照らしている。
背筋を得体のしれない悪寒が走った。本能が恐怖を告げていた。底の知れない洞穴へ落ちていくような、足下のおぼつかない不安感。とてもここを歩く気にはなれなかった。この先に一体何が待ち受けているのか、まるで見当がつかない。
だが、祖父が何を隠していたのか、知りたかった。想像を遙かに超えた嘘が、今一つ一つ目の前でほどかれている。ここでやめるわけにはいかない。怖じ気づきそうになる心を、胸を一つたたいて奮い立たせると、通路を歩き出した。
ブーツが通路を踏みしめると、砂利が音を立てる。その音が、遙か彼方の通路の先にまで、木霊する。
一時間は歩いただろうか。
途中から時間の感覚は無くなっていた。通路はとぐろを巻くように極めて緩い弧を描いていて、次第に地下に潜る設計らしかった。だが、いつまで経っても同じ景色が続き、黒瀬は次第に気が狂いそうになってきていた。一体、いつまで、ここをさまよえばいいんだ? これまで来た道中を考えれば、とても引き返す気になれず、蟻地獄に飲み込まれるように、黒瀬はひたすら歩を進めた。
そして、それは唐突に訪れた。
通路の先に、暗闇に覆われた四角い枠が現れたのである。始めは夢中を漂うようにぼぅっと見ていてわからなかったが、よく目をこらすと、わかった。それは入り口だったのだ。あふれんばかりの暗闇を抱え込んだ、四角く切り取られた入り口。
駆け寄った。暗闇の中に目を懲らしたが、何も見えない。入るしかないようだった。
通路からの頼りない明かりにかすかに照らされる部屋の中を観察する。奇妙な構造の部屋だった。得体の知れない大量のコードが床に散らばり、その根本を探ると、図書館のように整然と並んだ無数の金属の棚につながっていた。灰色の、飾りっ気のない棚の中には、録画デッキのような機械がびっしりと詰まっている。そこから出たコードが、ひたすら部屋の中央に向かって伸びている。
一歩足を踏み入れた時だった。唐突に、まばゆい光が天井から振り下ろされた。
巨大な空間が、遙か彼方の天井で次々と点る真っ白な光と共に、波のように押し寄せてきた。
半秒間隔で順々に点る明かりが、部屋全体を照らすまでに一分はかかった。一目見ただけでは把握できないような、膨大なドーム状の空間が、眼前に広がる。圧倒されて、息をするのも忘れた。野球でもサッカーでも、下手すれば軍事演習だってできそうな広大な敷地の中に、ずらりと無数の棚が並んでいる。数十台ではないだろう。数百台、下手したら数千台はあるだろうか。人二人分の高さはある棚が、ドームの中央を取り囲むように等間隔で、精確に、敷き詰められている。中央へ整然と正対するその様は、どこか宗教じみた狂気すら感じられた。棚から束になって垂れているコードは他の棚から這い出してきたコードと絡み合って部屋の中央の円形の広場に続いている。そこにはまるで天に続く御柱のような巨大な円柱の機械の固まりがあって、至る所で緑や青の小さなランプを点滅させていた。
その柱まで歩いた黒瀬は、辺りを見渡して唖然として嘆息した。この御柱を神に見立てて、機械の詰め込まれた棚が正対して祈っているようだった。
「ここが行き止まりか……」
これが祖父の秘密だろうか。しかしこれでは何が何だかわからない。この施設は、一体――――そこまで考えて、ふと胸元に何か熱を感じた。手を突っ込んで取り出したのはピルケース。それは麻戸が見せてよこした、祖父から『摘出した』というあのPlay fun!12だ。
あ、と声が出た。ピルケースに入った小さなイトミミズの先端が、かすかに赤く明滅している。まるで、呼吸するみたいに。
「反応してる……?」
この道の先は、Play fun!12を導入した先にあるという事か。
引きこもって暇を持てあましていたというのに、黒瀬は一度もこの世界最高の娯楽を脳に導入しようなどとは思わなかった。父への反発もある。だが本当のところそれは、何か、自分の奥底で言葉を持たない命が叫ぶ拒絶の悲鳴のような、そんな恐れを無意識に感じ取っていたからだった。今、Play fun!12を導入するという可能性と相対して、ようやくその感覚に気がついた。その恐怖は全身にとりついて、身動きが出来なくなる。だが、同時にそれを飲み込むような衝動が黒瀬の中でわき起こっている。知りたい――――祖父は一体、何者だったのか。何をしていたのか、何をしようとしたのか、それはつまり、この屋敷の中、日陰の世界しか知らない黒瀬にとってこれからどうすればいいのかという疑問の答えにもなり得るのではないかと思う。
ピルケースの蓋を開ける。
手が震えていた。だが蓋は問題なく開いた。ケースの口を鼻に押し込むには、強烈な拒否反応と戦わなくてはならなかった。胸の内から吹き出す吐き気を飲み込んで、一息はく。
覚悟は決まった。
一気にマイクロマシンを吸い込んだ。
すぐに変化が始まると思った。だが、何も起こらなかった。呆然と辺りを見渡し、代わり映えのしない様子に首をかしげたその瞬間、すさまじい頭痛が頭蓋の中ではじけた。
ずくずくと、まるで生き物が這い回るみたいに頭蓋骨の皮膚がうごめく。両手で頭を覆って、頭蓋の内側で爆発しているような頭痛と這い回るミミズの感覚を押しつぶそうとするが、それらは激しくなるばかりだった。硬い床に倒れ込む。気づくと、喉が激しく震えていて、自分がまるで獣みたいな咆吼を上げているのに気づいた。それを宙から眺めているような感覚に包まれた直後、電池が切れるみたいに意識が途切rrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr
<now loading......>
<now loading...........................>
<ロードが完了しました>
<適用を開始します.....................>
<初期アクセスポイントを設定中です.......完了>
<知覚統合のフォーマット..........CPへのアクセスを確立中.....................受容体にパッケージを適用中............pk3解析中...........Mary's roomはクオリアを解析しています..........クオリアを初期化・並列化しています.............................................解凍・適用完了しました>
< plauy fun!12が生体情報を取得しています....................適正値に修正しています..........感覚器
官のフィードバックを再構築中(※激しい感覚受容を行わないでください).........フィードバックルート構築............RCS(MMM)が設定されました.........>
<インターフェースシステム(CS)を適用中.......Play fun12の取得した生体情報を適用しています....................※左腕と左足の構築情報がありません! スキップされました。※バックアップログを参照して問題を解決してください..........構築情報にMary's senseを上書きしています...........四肢の統合知覚は正常に上書きされました>
※警告※
ハードウェアに重大な問題発生!(Px345521-22-735-4)ハードウェアの認識が重複しています。重大なシステム衝突が起こる可能性があります。ハードウェアの二重登録は絶対に行わないでください。生体機能が損傷する恐れがあります。
続行しますか?
>>>>>中止する(L)
>>>>>続行する(R or 10)...............(9).....(8)....(7)....(6)...(5)............適用を続行します
<以前構築したシステムに不具を発見しました>
<修正中..................................重大な生体干渉を発見しました>
<修正には医師と技術者の認証を受けてください(code:97721).......重大な生体干渉はスキップされました...........ルート障害は解消されました.......干渉システムは凍結・更新・隔離の処理が適用されました(デバッグログに記録されました)............>
※緊急※
重大なシステム衝突が発生しました
重複したハードウェアが相互干渉しています>>>>>>>管理権限が無いため修正できません
<詳細>ハードウェアが相互に機能し合っています。突発的な起動で身体・意識に重大な疾患を残す可能性があります。
現在までに27の箇所で脳の損傷が確認されました。
管理者権限を有したアカウントでハードウェアを凍結してください。
システムはセットアップを完了しました!
※バージョン情報を更新※
<V-tec Life ver7.2.5.11>
システム製造:東京サンライズ社
モデル:Play fun!12
起動の準備が完了しました。(5)....(4)....(3)....(2)....(1)........................
<起動中........>
<起動中..........>
<起動中..................................>
意識が急浮上した。
光の届かない深海から、一気に引き上げられたかのようだった。何が何だかわからず、あたりを見渡しているうちに、自分が今までずっと息をしていなかった事にようやく気づいて、慌てて空気を吸い込んだ。だが、思うように空気は喉を通らない。まるで、口と鼻に綿でも詰められたかのように息苦しい。その上、呼吸する音がくぐもって頭に響く。むせながら、ずいぶんな時間をかけて、なんとか体に酸素を行き渡らせた。
身を起こすと、そこは見た事もない、巨大なドーム状の中心部だった――――いや……頭を振って、意識をはっきりさせる。いや、見た事がある、この光景――――はっと思い出す。何を言っているんだ、祖父の部屋から続いていた得体の知れない巨大地下施設じゃないか。辺りを見渡し、寝ぼけていた自分の感覚を呼び起こす。
「…………」
何か、違う。
違和感があった。記憶の中のあのドームと、今目の前に広がるこの光景は、どこか一致しない。何か、何かが――――違う。そう、例えるなら、息づかいだ。この空間には、息づかいを感じる。自分だけの物じゃない。まるで、この空間全体が生きていて、じっと息を殺してこちらを見つめているような――――
背後で音がした。
硬質のブーツのかかとが、硬い床を踏みしめる音。人の気配なんてまるで感じていなかった。思わずはじかれるように振り返り、そして、身動きできなくなった。手がかかるような距離に、人の丈ほどの巨大な黒い滴りがたたずんでいたのだ。
まるで墨汁を垂らしたような人影だった。薄暗いドームの陰に滲んでいる。息もできない黒瀬に、影はにじり寄ってくる。水のそこから浮かび上がってくるように、顔面と思われる部位がせり上がってきた。思わず一歩、下がった。その顔は、祖父の部屋で見つけたあの、髑髏だったのだ。
髑髏は黙って黒瀬を見つめていた。死神だ。そう思った。黄色やどす黒い染みのついた髑髏はとうてい作り物には出し得ないリアルさがむき出しだった。黒いフードで顔を隠すのも、昔本の挿絵で見たものとそっくりだ。ぽっかりと開いた目が、黒瀬に見透かすような目を向けている。息が詰まった。
「イジェクター……?」
死神は低く、しわがれた声で――――いや、違った。低くもなければしわがれてなかった。ソプラノの綺麗な声だった。外見とはえらくギャップのある声だ。なんだ、こいつ。パニックを起こしかけていた黒瀬はすんでの所で立ち止まって、困惑した。
「――――だ……誰だ、お前」
かすれた声で、やっとそれだけの声が出た。髑髏はじっと黒瀬を見つめていた。顔は髑髏に覆われていて表情は読み取れない。だが、困惑している雰囲気だけは伝わってきた。無言で黒瀬に歩み寄ってくる。思わず後退するが、向こうの方が歩くのは速かった。
その姿は、髑髏をむき出しにした死神が真っ黒なローブを身にまとっている姿そのものだったが、近づいてくる毎にそうではないとわかった。ローブだと思っていた物は旧世紀のミリタリーコートで、それが小柄な体をすっぽりと覆っていたのだ。首にはなぜかえらくごつごつしたヘッドフォンをかけている。戦闘機を運ぶ船……たしか空母とか言う名前だったと思うが、あの搭乗員がかけているアナログな通信機器に似ている。無骨な型だったが、耳にかかる所が天井の光にきらきら輝くワインレッドに塗られていた。
黒瀬の見ている前で、そのコートの裾が、まるで生き物のようにするすると縮んでいく。ぎょっとして目を見張る。裾はどんどん短くなって、髑髏の膝上くらいまでになった。裾の下からはむき出しの華奢な足が現れる。すらりとしたそれは、ファッション製皆無の軍用ブーツに締め付けられている。コートの下には、なぜかスカート――――ではなくキュロットスカートを履いているようだった。ひらひらしたヒダの間から、ぴったりと肌にフィットしたショートパンツが見え隠れしている。それは最近流行のプリなんとかというタンパク質の素材で出来ていて、滑らかな光沢を放っていた。
彼女は本当に、鼻と鼻が触れあうような間近まで迫った。思わず黒瀬は身をそらそうとしたが、がっしりと双肩を捕まれて動けなくなる。
「動かないで」
彼女はそう言って、髑髏に手をかけた。
仮面をはぐように、髑髏がその手に落ちる。目を見開いた黒瀬の前で、彼女が頭を振って、フードを取り払った。まるで生き物のような長く艶やかな髪があふれ出てきた。髪は重力に従って地面に落ちる。――――長い。一体何年延ばしたらこんな髪になるのだろうか。無秩序に伸びた髪は、地面に触れる程だった。
「こっちを向いて」
呼び声に目を向けると、女がこちらを見つめていた。
声からして女だろうと思っていたが、思った以上に若い。同年代か、少し上くらいだろうか。丸顔で童顔だったが、顎のラインが綺麗であまりガキっぽくは見えない。すらりとした肌は健康的な明るい乳白色。すっきりとした鼻筋に、ほんのり桜色に染まった唇。異様に長い髪と奇妙な格好がなければ、卒業アルバムに一人はいる目立たないかわいい娘といった感じだった。何より、目が印象的だった。ぱっちりと開かれた二重の目は、揺らぐように瞳が煌めいていて、どこか精悍な少年のようだった。
真正面から、自分と同世代くらいの女に、こんなにまじまじと見つめられたのは初めてだった。なんだかいたたまれない気持ちなりながら、黒瀬は彼女の目を見つめ返した。
ふと、奇妙な事に気がついた。黒瀬の顔を反射しているその目が、小さな駆動音と共に微妙に色を変え、瞳孔が閉じたり開いたりしている。思わず、じっと吸い込まれるように彼女の目を見つめてしまった。これは錯覚だろうか? 瞬きを何度かくりかえしたが、彼女が非難するように目を細めたのでやめた。彼女の目は暖炉の火を背にした水晶のように気まぐれに色を変え、瞬いた。
不意に顔を離した彼女は、黒瀬の顔をまじまじと見つめた。そして両肩にかけていた手を黒瀬の頭の後ろに回した。まさか抱きついてくるのかと思った黒瀬はあたふたしたが、彼女にその気はないようで、黒瀬の後頭部で何かをいじっているようだった。
がぽ、と空気が抜ける音がした。
唐突に視界が開ける。なんだ? と思っていると、自分でも今の今まで気づいていなかった圧迫感が顔から離れた。ゴム質の、仮面のような何かが顔からはがされるのが見えた。
鼻と口、それに耳の覆いが取れ、清涼な空気が喉の奥へ流れ込んできた。音もクリアになる。地下室の匂いは仮面越しにかぐよりも何倍も濃密で、思わずむせそうになった。僅かに汗ばんでいた顔の皮膚を冷たい空気がぬぐっていく。寒気を感じた。レンズ一枚を隔てて見ていたらしい景色に、鮮やかなコントラストがついた。大人のままこの世に生まれくると、こんな気分なのかもしれない。
死神が黒瀬の前に体をもどした。その手には、ガスマスクが握られていた。ガスマスク? まさか、かぶっていたのはこれなのだろうか。どうしてこんなものを――――そう思っていると、女の顔がすっと視界に現われた。彼女は厳しい疑いの目をこちらに向けていた。じっとあらわになった黒瀬の顔を見つめて、さっと瞳を震わせる。
「どうして、ここに――――」
それっきり、彼女はじっと、黒瀬を見つめ続ける。
act1:排出者-insert- (後編)
おぼれる者は藁を掴む。黒瀬はこの得体の知れない人物に必死になってここに至るまでの経緯を語った。女はそれを、能面みたいな無表情で聞いていた。表情は変わらなかったが、不可思議なことに、彼女の目は話の所々でくるくると色が変わった。最初は透けるような茶色だった瞳は、次第に深い青色になり、次は紫、麻戸刑事の辺りで黄色にぱっと変わり、祖父のPlay fun!12を導入した辺りで、まるでパトランプみたいにぺかぺかと点滅する緋色に変わった。
「……これが、偶然……?」
彼女はそう言ったが、それが何を意味しているかはわからない。彼女は困惑しているようで、しばらく何事か考える仕草をしてから、言った。
「……いずれにせよ、あなたには全てを話すべきなんだと思います。きっと、イジェクターの遺志ですから」
なんだか奇妙な話し方だった。どことはわからないが、外国の文学を古い翻訳機でかけたみたいな違和感があった。抑揚もあまりなくて平坦だ。
彼女は辺りを見渡す。
「ここはアウターワールド。夢みたいな現実の、もう一つの世界」
彼女は謡うように語り始めた。その内容は黒瀬にとっては奇妙奇天烈で難解を極めた。「Play fun!12を利用した仮想世界をつなぐセントラルポイント、仮想世界の総称でもある」――こんな説明では何もわかるはずがない。黒瀬は起きている事態の異様さに駆られるように、他人――いや、ただの他人ならまだしも、自分の屋敷の地下に知らぬ間にいた異様な女だ――への恐れを押し殺して、小さなぼそぼそとした声で、延々と押し問答みたいな質疑応答を続けた。そしてようやく答えに近いらしい物にたどり着く。
「つまり、仮想世界なのか、ここ。ゲームの世界だっていうのか……現実の世界じゃない?」
彼女は目をまん丸にして言った。「正解」。
「あなたがいる現実世界を模して作られた仮想世界です。自動的に私のホストに送られてきたので、あなたの記憶をもとに受け皿として私が作りました」
くるっと目の色が変わった。オレンジだ。少し胸を張るような仕草をした(……薄い胸だな)。その瞳がきらきらと輝いている。何か伝えたいのだろうか。
黒瀬は辺りを見渡した。確かに、Play fun!12は現実そのもののみたいな空間を、感覚器官に仕込んだナノマシンででっち上げる事が出来るという触れ込みだった。実際に目にしたのは初めてだ。手近にあったコンパネらしき機械を軽く叩いてみる。硬い、金属の感触がはっきりと帰ってきた。息をすると冷たく、ほこりっぽい匂いがする。目の前の彼女だって、身なりはいざ知らず姿形だけは生身の人間そのものだ。とても作り物とは思えない。
「これが、ゲーム……?」
引きこもっている自分を担いで喜ぶような暇な人間がいるとも思えないが、こんな出会い方をした女の言動を信じる気にもなれない。
「アウターワールドをプレイした事がないんですか」
彼女が平坦な声でそう尋ねた。たぶん、普通の人間なら意外そうな声色と表情をしているのだろう。黒瀬が頷くと、彼女はまた目の色を変えて、黄色い瞳をぺかぺかと点滅させた。
「そう――――アウターワールドは、脳を利用した仮想現実空間の総称です。脳の中で、自分の好きな世界を、想像するままに創造できる。量子通信(ネツトワーク)を介せば、その世界をゲームとしてネットワーク上に公開する事も出来るんです。もちろん、他人の作った世界(脳)にアクセスする事も可能です」
そう言う彼女の髪がうごめいた。何かの見間違いかと思って目を凝らすと、地面までしたたっていた髪は植物の成長を早回しで逆再生したみたいにしゅるしゅると縮んでいく。彼女がピンと人差し指を立てると、髪はその指に甘えるように絡みついてから、また縮んでいった。そして後頭部で複雑に絡まると、まるで花が咲いているみたいなアップロールに変わる。
「これですか? プログラムが通してあるので、自由自在なんです。お邪魔ならもっと短くも出来ますが」
黒瀬の視線に気づいた彼女が何でもない事のようにそう言ったのを見て、ここが現実とは違うルールにのっとった世界なのだとようやく悟った。目の色がくるくる変わったり、服の裾や髪が伸び縮みしたり、いくら技術が発展したと言っても、現実では見た事も聞いた事もない。
「お前、誰なんだよ……爺ちゃんの知り合いか」
なんだか気味が悪くなって、今更ながらそう尋ねた。彼女の瞳がまたくるくる変わる。
「私はイジェクターのOSです。呼称は便宜上『コーディ』」
「イジェクター? コーディって……外国人か?」
「いいえ。所在地は日本で、私は『人』ではありません」
は、と呆れ笑いみたいな声が出た。コーディはそれにまた目をくりくりと光らせた。赤い。なんなんだろう、この目の変化は。もしかしたら、笑った事に腹を立てているのだろうか。「この施設がなんなのかわかりませんか? これが、私。ここが、私です」
黒瀬の頭に疑問符が浮かぶ。散文詩のような事を言い出した。
「ここがなんだっていうんだ」
「ここにある機械は前世代スーパーコンピューター『テラ』です。これが私を内包する外部装置(ハード)で、私はその内にプログラムされたソフトです」
突拍子もない話に半笑いになって閉口した黒瀬に、コーディは淡々と続けた。
「ここにある演算装置は総機能の三分の一の稼働で1秒間に約6.4×1018回の命令実行が可能です。これは、人間の脳が1秒間に発生させられる神経インパルスの最大数とおよそ同じ。私はこれらの演算機能を利用してイジェクターをオペレーションするためのプログラムです。ニュートラル状態ではほぼ人間と同じ意志、思考を有しますが、実体は持ちません。私はデータ状にしか存在しない仮想的な人格であり、見ようによっては生命です」
たたみかけられて、唖然とした。目隠しされて食べさせられた料理を、コックに解説されてるみたいな気分だ。何が何だかわからない。かすかに頭に浮かんだ言葉を、呆然と口にした。
「えぇっと……つまりお前は、人間じゃなくて、ここにある機械だってのか? その……」
「人工知能(A.I.)です」
コーディはぴしゃりと言った。
いよいよ無茶苦茶になってきた。今まで自分の正気を疑ってきたが、こいつの正気も疑うべきなようだ。もっとも、祖父について知る手がかりは、この不思議の国のアリスに出てくる気の触れた住人みたいな少女しかないようなのだが。コーディがくりくりと深海みたいな色の目を輝かせている。
「……なぁ、あんたが何者なのかはもういい」
「私はコーディです」
「それはもういいから。親切にしてくれてありがとう。それで、とにかく……俺が聞きたいのは、そうだよ、爺ちゃんだ。俺の爺ちゃん、黒瀬達吉って言うんだけど、知らないか?」
コーディは目をくりくりさせた。目は口ほどにものを言うというが、彼女は無表情な代わりに瞳に感情が表れるのかも知れない。
「イジェクターのアカウントの持ち主です」
「イジェクター? イジェクターってなんだ?」
「イジェクターはヒーローです。アウターワールドで、アウターホリッカーをイジェクトして救出する。救済者です」
黒瀬は目を細めた。聞き覚えのあるキーワードだ。ようやく本題に入れたらしい。アウター、ホリッカー。イジェクト……排出する(イジェクト)? ゲームの世界から、排出する、という意味だろうか。
「アウターホリッカーって、中毒起こして死ぬ連中だよな? 救済者って事は……爺さんはアウターホリッカーとかいう連中を助けてたのか? 殺したんじゃなくて?」
「殺してはいません。三日間の連続プレイで死亡するアウターホリッカーをゲーム上から排出する(Eject)事によって彼らを救っていました。私は彼をサポートするオペレーションソフト。そばで見ていましたので、間違いありません」
その後に続いた彼女の平坦な説明を総合するに――――どうやら、ゲーム中毒で死にかかった連中を、どうやってかは知らないが、無理矢理ゲームから追い出す(イジェクト)事で、助けて回っていたらしい。
自分でも驚く程、彼女の言葉に安堵した。思わず息を吐き、肩を降ろしたくらいだ。どうやら得体の知れない奴からとはいえ、「大丈夫」と言ってもらえたのが余程効いたらしい。思えば、家に引きこもっている内は、誰にも干渉されない代わりに誰かに相談する事も出来ない。唯一の相談相手であったはずの祖父は死んで今度は悩みの種になってしまった。その悩みを、得体が知れない奴だし、証拠もないとはいえ、誰かに「大丈夫」と言ってもらえたのが、孤独な身にしみた。
「そうか、よかった……。だけどなんで、爺ちゃんはゲームで人助けなんてしてたんだ」
「……私は命令を実行するだけで、その目的までは問いません」
黒瀬は少し考えた。もう少し何か訊きたい気がするが、質問が思い浮かばない。自分を機械と名乗る少女になんと尋ねた物か。まず、正気かどうかを尋ねるべきだろうが……まぁ、重要な事はだいたい訊き出せたと思う。
「わかった。ありがとうコーディ、えーと、それで、ここからどうやったら出れる?」
「あなたの脳は私がモニターし、支配しています。私の許可がなければ出られません」
脳、モニター、支配、許可。
何か不穏な言葉の羅列だ。なんだか気味が悪くなる。
「なんだそれ、よくわからないけど……じゃぁ、許可してくれよ」
コーディの目が、深い青色から、鈍い金色に変わった。輝きのない金色。
「できません。優先事項に反します」
「ゆ……え? 何?」
「私はPlay fun!12にインストールされたソフトです。この施設で演算された私は、Play fun!12を通してあなたの脳に顕現します」
「いや、だから」
「つまり」
コーディが先んじていった。
「私はあなたの脳に存在しています」
彼女の瞳の鈍い金色が、次第に熱を帯びるように輝きだした。
「そして私の製造理由(レゾナンスビリティ)はイジェクターの補佐。そして維持」
とりつかれたように話す彼女に底の知れない恐怖感を抱いて、黒瀬は彼女から身を離そうとしたが、その途端ぐぃと体が後ろに傾いだ。見ると、コーディが袖を引っ張っている。
「あなたにはイジェクターの役目を引き継いでもらいます」
は、と疑問のかすれた声を出した黒瀬に、コーディは次第に金色に輝く眼を向けた。
「前任のイジェクターが任務を放棄した場合後任者は私が選定します。私はあなたを選びます。現在私が認識できるのは前イジェクターのPlay fun!12を導入したあなたしかいませんから」
彼女の周囲に黄金色の無数の文字列が唐突に現れた。思わず身を引いた黒瀬の手をコーディは再度強く引いた。彼女は文字列を睥睨する。まるでパズルみたいに、文字列は上へ下へとかしゃかしゃ音を立ててうごめいて、黒瀬の周りを旋回し始めた。黄金色の鳥かごのように文字列は彼を取り囲む。
「マスターキーがあなたの名前で書き換えられます。あなたはこれより管理者権限を部分的に譲渡され同時に義務を負います」
何をしているのかは全くわからない。が、言いがかりに近い理由で自分が何かとんでもない事に巻き込まれようとしているのは分かった。役目を引き継ぐ? 選んだって……俺を!?
「な、なんなんだよお前!」
黒瀬は一気に手を引いてコーディの手を振り払った。
「何してんだよ、お前、頭おかしいんじゃないか!?」
コーディはすぐさま手を掴み返した。
「あなたを新たなイジェクターに任命します。あなたはアウターワールド上でアウターホリッカー達を救出する任を負います」
「なんだそれ? おい、手を離せ!」
「拒否すれば私は消滅し、あなたは死にます」
「死ぬって、なんでだよ、手離せって」
「あなたの脳には現在二つのPlay fun!12が存在し、互いに干渉し合って機能衝突を起こしています。それにより、脳の一部に重大な損傷を負っています。現在は私の管理下で安定していますが、私が製造理由(レゾナンスビリティ)を失って凍結されるとその効力は失われあなたは脳の機能分裂によって死にます」
また反論を一切認めない調子でたたみかけられて、一瞬黒瀬は絶句した。それからふつふつと怒りがわき上がって、
「――――適当な事言うな!」
「既にあなたの脳には記憶障害が起きています。あなたの記憶は欠落を都合良く補った偽物の記憶でできているんです」
「うるさい!!」
今度こそ、勢いよく彼女の手を振り払った。彼女の仮面のような顔を叩くように振り払う。だが、その手が離れた瞬間、まるで熟達した格闘家のような素早い反応で、彼女は即座に黒瀬の動かない左腕を掴んだ。
「この腕と足が動かないのも以前導入したPlay fun!12のバグが原因です。あなたはそれに、心当たりがあるのではないですか」
あるわけないだろ! そう叫ぼうとして、息が詰まった。最初はなぜなのかわからなかった。思わず声のでない喉に手を伸ばしたくらいだった。それは拒否反応だったのだ。無意識に嘘をつこうとする理性への、本能の制止。
まるで深い泥沼のそこから浮かび上がるみたいに、記憶がふつふつと浮かび上がってきた。それは黒瀬がまだ文字も読めないような幼い子供時分。まだ家族が"正常"だった頃。父が優しく手を伸ばしてきた記憶。その手には、糸のような黒い固まりの入った小さなボールペンの容器状のケースが握られている。口の開いたそれが黒瀬の鼻腔へ差し込まれる。その不快感に、思わず泣き声を上げて抵抗するが、あらがいがたい力で奥まで突き込まれる。そして何かが入りこんで来る感触、全身を襲う衝撃、恐怖に飲み込まれ、だが痙攣する喉は悲鳴もあげられない――――
『新たな世界が、お前を待ってる』
父が自分を睥睨している。身動きできない自分を置いて、父が行ってしまう。何かが壊れ始めたのを感じた。自分が信じて疑わなかった、何かが、その時、音を立てて崩れた。
「――――起きてください」
気がつくと、コーディがへたり込んだ自分の横で、膝をついてのぞき込んでいた。彼女の長い鬢が黒瀬の頬に垂れている。見開いた目で彼女を見つめる。不思議な事に、彼女の姿はまるでタスクウィンドウのように透けていて、ほのかにコバルトブルーに染まっていた。
「身体的損傷はないはずですが、復元した記憶に激しい反応を見せたので、一度現実の世界へ戻って――――」
黒瀬はその言葉を最後まで聞かず、彼女を突き飛ばすと、ドームの入り口へ向かって駆けだした。恐ろしかったのだ。彼女が、ではない。自分の中に埋没していた記憶が、幼い頃に感じた現実の薄っぺらさが、叫び出したい程、恐ろしかった。
息を荒くして、祖父の部屋を出て、その鍵を閉めた。とりつかれたように、地下室へ続く階段へ不要な家具を投げ込んでいく。そうして完全に封印すると、黒瀬はその場にへたり込んだ。逃れられない悪夢が続いているみたいだった。つり下げた、動かない左腕と、義足を見つめる。
『新たな世界が、お前を待ってる』
間違いない。父だ。父が幼い自分に、Play fun!12を導入したのだ。
でも、どうして――――思い出したくもない記憶が脳裏を駆け巡って、頭を抱えた。喉の奥から、こし出すようにやめろと叫ぶ。実際に出たのは、まるで言葉になっていない、押しつぶれた声だった。自分の中に、自分では理解できない何かが生まれた。昼の世界から追い出され、陰の世界でようやく自分の世界をつかみ取ろうとしたのに、わけのわからない理由で記憶までが黒瀬を追い出そうとする。これ以上、どこに行けっていうんだ――――
言うまでもなく、彼はすっかり混乱していた。そしてそんな彼の意識を現実に引き戻したのは、廊下の奥で聞こえた重い何かが床に転がる音だった。
ゆっくりと頭をもたげた黒瀬は、その音の方へ、おそるおそる近寄った。何度目かの角を曲がった時、思わず声を上げた。そこにあったのは、力なく横たわった少女の姿だった。それも、見覚えがある。数瞬、空白の時が過ぎ、それから、本能が声を上げた。
「ま、眞子!」
滑り込むように彼女の体にとりつくと、その体を持ち上げた。華奢で色白の体が、柔らかな鉛のようにずっしりと両手にのしかかる。だらりと下がった首を抱えると、彼女は目を見開いたまま、死んだように弛緩していた。彼女の瞳は、まるで見えない何かに焦点を合わせるように、せわしなく瞳孔を開閉していた。
『外側中毒(アウターホリツク)』
耳元で囁かれた。
飛び上がらん程驚いて声の方を見ると、宙に浮いた彼女が――――コーディが、こちらを睥睨していた。かすれた声で、思わずつぶやく。
「お前、どうやって――――」
『私はあなたの脳に存在しています。物理的な障害は意味をなしえない』
彼女は眞子へと目を遣る。
『……彼女、連続プレイ時間が71時間を既に超えています。あと28分で中毒症状を発症するでしょう』
黒瀬は慌てて眞子に眼を向ける。彼女の体は、まるで抜け殻みたいだった。ただ、瞳だけがうごめいている。
「アウターホリックって……眞子がか? こいつが、アウターホリック? そんなわけ、そんなわけあるかよ。ゲームしてる様子なんて、全然……」
『仮想空間をプレイしながら現実を生きる事は可能ですし、一般的です。本を読みながら食事をしたり、音楽を聴きながら運転するのと同じ』
不意に思い返す。今朝会った眞子は少し様子がおかしかった。呂律が回っていなかったし、視線も定まっていなかった。熱でもあるのかと思ったが、まさか、アウターホリックに陥っていたとでもいうのか。
「お前が……お前がやったのか!?」
コーディをにらみつける。こいつと出会って一時間もしない内に眞子が倒れた。理由も原因もわからないが、そんな都合のいい話があるか。コーディは何も言わなかった。
「何とか言えよッ!!」
その胸ぐらにつかみかかる。コーディは眉一つ動かさず、その瞬間を冷然と見つめていた。その目は冷ややかな黒真珠のような色をしている。そして黒瀬の手がその体にかかるという、その瞬間
「イジェクター」
彼女がつきだした人差し指が、黒瀬の額に触れた。その瞬間、突然世界が暗転した。今の今までそこにあった廊下の床も、壁も、畳張りの今も、柱も、縁側から差し込む光も、あっという間に暗闇にのみまれ、何もない空間に飲み込まれた。
彼女の目の色が変わる。どす黒かった瞳は極めて薄いコバルトブルーに染まった。それはユビキタス機能で表示されるタスクウィンドウと同じ色だった。彼女を包んでいた真っ黒なコートがたなびき、その下から、ぴったりと体にフィットしたゴム質のスーツが見えた。
彼女の口元がうごめく。
「インサート」
意識が吹き飛んだ。
突然畳の床が失われて、滑らかで硬い地面にたたきつけられた。腰を強打して呻く。
コンサート会場のような、すさまじい騒音が当たりを取り囲んでいた。呻きながら身を起こすと、無数の足が見えた。スニーカーやブーツ、ハイヒールと種々様々な靴が飛び跳ねている。どこからか照らされるオレンジの光が狂ったように足と足の間を泳いでいき、巨大なスピーカーから打ち出されたと思しきビートの音が延々と辺りにとどろく。人々はトリップ状態で跳びはね、歓声を上げていた。地面がまるで脈打っているかのように揺れる。
「起きてください」
立ち上がろうと膝をついたところで、手がさしのべられた。いつの間にかコーディが眼前に立っていた。黒瀬は乱暴にその手を振り払って立ち上がる。
「お前、何やったんだ!?」
辺りが騒然としていて自分の声も聞こえない。怒鳴る黒瀬に、彼女は平坦な声で
「アウターワールドへお連れしました。あちらを」
彼女はさっと明後日の方向を指さした。
どうやら、ドーム状の会場にいるようだった。天井に設置された無数のライトがオレンジの光を走らせていて、その光に照らされた観客達が、歓声と共に飛び跳ねている。まるでロックコンサートだ。観客席はドームの中心に向かって逆円錐状になっていて、その中央にあるのはボクシングでみるようなリングだった。もっとも、土を盛りつけて踏み固め、その周りをコースロープで囲っただけの、随分と粗野なリングだ。そこで二人が殴り合いの対戦をしていた。一人は長い赤髪でボンデージみたいな衣装を着て背中にコウモリの羽をはやした女。もう一人は上半身裸でボクサーパンツ一丁の黒人。その戦いは一見ボクシングに見えるが、どうも違う。ボクサーパンツの黒人が拳を振るうと、手元で何かが爆発したかのように炎が炸裂する。女の方は羽を使って時折重力を無視したように宙を舞い、とんでもないサマーソルトキックをかましたりしている。総合格闘技、としてくくるにはには無理があるだろう。一体あれは何だ?
『ワールドファイトクラブへようこそ』
突然、黒瀬の眼前にタスクウィンドウが起動した。Warld Fight Clubという文字がおどろおどろしく描かれ、拳が打ち合っている映像が流れた。女性の音声案内が映像に合わせて解説を始める。
『全世界三千二百万人を熱狂の渦に巻き込んだ格闘ゲーム、ワールドファイトクラブ。ここでは日々腕に覚えのある挑戦者たちがリングに上がり、血湧き肉躍る闘いを繰り広げています。参加は簡単。ワールドファイトクラブ付属のクリエイトソフトを起動して、四万八千のパーツから自由にキャラクターを作成してください。あなただけのファイティングスタイルができあがったら、後は挑戦者に名を連ねるだけ。三千二百万人のプレイヤー、そして最強の世界ランカー達があなたの挑戦を待っています!』
世界ランカーと思しき人物達がテーマミュージックと共にタスクウィンドウに現れる。『エンパイア・ブラム』、『マスター・チャン』『スカウト・ジョー』『不死鳥・アウレリウス』――――次々と現れる世界ランカーの中に、今リングで戦っている男の姿があった。『ブラスト・トム』……ボクサースタイルのファイター、必殺のブラストパンチが敵を粉砕! とある。
「挑戦者を見てください」
非現実的な事ばかりでくらくらしていると、不意に耳元でコーディの声がした。ぎょっとしてそちらに目を向けると、薄いスカイブルーの半透明になった彼女が、まるで幽霊みたいに宙に浮いていた。
「お前……眞子の所に戻せよ!!」
「戻っても無駄です」
「無駄って――」
「あの世界にはアウターホリッカーを救出する手段は何もありません。救急車を呼んだ所で、柔らかいベッドが用意されるだけで、30分もしない内に彼女は死にます」
「そんなの……そんなの信じられるかよ! ここから出せ!!」
「あれを」
コーディが指さすと、まるでそこに巨大なレンズが現れたみたいに黒瀬の前の空間が歪んだ。うぉんうぉんとわけのわからない歓声を上げて飛び上がる客達の姿はレンズ越しに消え、リングがズームアップされた。
『ブラスト・トム』が蹴り上げられるのが見えた。自慢のブラストパンチも挑戦者の女にことごとくガードされ、たたき落とされている。黒瀬の位置からでは女は背中しか見えないが、体の細さの割にすさまじいパンチを放っているのはわかる。どうやらこれはあくまでもゲームであって、体格そのほかの要素は現実と違ってまったく関係ないようだった。
女の肘打ちが、ブラスト・トムの顎をとらえた。
トムが大きく体勢を崩し、ふらついた。大歓声がわき起こる。女は極めて冷静にブラスト・トムに接近して、その喉をひっつかむと、そのまま宙に持ち上げた。自分の体重で首が絞まり、ブラスト・トムが目玉を飛び出させんばかりに目をかっぴらく。女はその頬にキスをすると、突然鋭い歯をむき出しにして首筋に食らいついた。その白く細い喉をごくごくと蠢かせる――――血を啜っているのか……?
ビクビクと震えるブラスト・トムの体。その顔から生気が失われ、目がぐるりと白目を剥く。干涸らびたその体が床にたたきつけられると、挑戦者をたたえる歓声が会場にわっとひろがった。女は歓声に舞うように応え、コーナーに戻ろうと振り返った。
黒瀬の目が見開かれた。
最初、黒瀬は目を瞬かせて、目にした物がよくわからずにきょとんとした。あいつ、なにやってるんだ……? かすかにそんな事をつぶやいた。
「おい……これ……」
唖然として、思わずかすれた声が漏れた。言葉の続きが出てこない。目の前の現実を――信じられないが、『現実』をみつめつづけるしかない。
「既に彼女は生体データで脳の17パーセントが機能不全に陥っています。それに――――」
見間違いかも知れない。黒瀬は人混みをかき分け、体を滑り込ませ、必死にリングに駆け寄った。リングに飛びついて、挑戦者の女の顔を見あげる。女はただ静かにコーナーにもたれかかっていた。燃えるような赤髪が闘いで乱れ、それが後光のように彼女の背後でうごめいている。体のラインが出るようにぴったりと張り付いたワンピーススーツ。真っ赤な髪に合わせた紫のルージュもひいていて――――こんなふしだらな姿は、普段からは想像もつかない。
「何やってんだよ、眞子!?」
新たに現れたチャレンジャーに殺伐とした目を向ける彼女の顔は、紛れもなく、義妹の、眞子のものだった。真っ赤な髪や、目、唇、表情、どれも彼女のものではなかったが、あの骨格や、肌や、醸し出される雰囲気が、どこか弱々しい彼女独特のそれとまったく同じだった。
「叫んでも無駄です」
眞子の名を何度も呼ぶ黒瀬にコーディがそう言った。
「アウターホリック状態ではゲームのプレイが全てで、他には何も反応しません」
冷静な彼女の口調が気に障った。目の前の現実も――現実?――理解できない、信じられない。黒瀬はただ、彼女に怒鳴るしかなかった。
「お前がやったんじゃないのか!?」
コーディは、まるで哀れむような目で、黒瀬を睥睨した。
「アウターホリックに陥る原因は一つだけ。現実世界の、仮想世界に対する優位性が失われた時です。現実の苦痛が現実と空想の逆転を呼び起こす」
黒瀬が何か言いつのろうとすると、彼女は「つまり」とそれを先んじて言った。
「これは無意識の自殺です。現実の苦痛が、彼女をアウターワールドへ追い込んだ」
現実の苦痛
彼女は家族を欲していた。今朝の記憶が蘇る。これまでに何度かあったのと同じような彼女の食事の誘いを、もう二度と来ないよう、手ひどい言葉で拒絶した。たしかにそうした――だが、それが彼女を自殺に追い込んだ? そんな簡単な事で? 彼女が死ぬ?
恐ろしい予感で冷たい汗が額を滴る。自分が見ている現実の向こう側には、生きている人間がいて、そこには、自分ではどうしても見えない陰があったのではないか。眞子は少々落ち込んだだけのように見えた――――だがもしかしたら、彼女はその陰で苦痛にもだえていたのかも知れない。突然家族を失った悲しみを抱えきれずに、一人で泣き崩れていたのかもしれない。その彼女が幼子みたいに差しだした手を、自分は――――
コーディは真っ赤なタスクウィンドウを空中から取り出して、黒瀬に見せる。14:56と表示されていた。
「時間がありません。もし――――彼女を助けるのなら」
彼女を助ける?
俺が?
途端、その事実が突然と実体を伴って黒瀬に襲いかかってきた。残り十五分で彼女は死ぬ。それを止めるには、自分がわけのわからないヒーローになって彼女を救わなくてはならない。このリングの上に立って、彼女を打ち倒さなくてはいけないという事か? そうしないと、死ぬ? 彼女が? そんな事、できるわけない。 片手も、片腕も動かないのだ、そんな事、できるわけ――――
「俺は……」
コーディが黒瀬に目を向ける。彼はうつむいたまま、恥辱にまみれて身動きできないみたいに、じっと立ちすくんでいる。
「俺は日の下にいちゃいけない人間なんだ。昼の世界の人間じゃない。日陰者の、陰の世界の住人なんだ。俺みたいな奴が、昼の世界に手を出す権利ない。俺はただ、陰にこもって、じっとしているべきなんだ。あの屋敷で、一人で――――」
自分でも何を言っているのかわからなかった。全身が無力感に飲み込まれる。できるものか、誰かを助ける事なんて――――胸の内で、誰かが囁く声がする。今までお前が誰かを救った事なんてあるか? お前は自分一人で生きる事すら出来なかった。助けられる側だったんだよ、お前は。そんな人間が、眞子を救う? 自分の事すら満足に出来なかったお前が? 無理だ。あきらめろ。今までだってそうしてきたんだ。腕も足も動かない自分を哀れんで、昼の世界を拒否しただろ? 未練たらしく誰もいない明け方にランニングなんかして、昼の世界にあこがれていたくせに、義妹がさしのべた優しい手を、つまらないプライドのために振り払っただろう? お前は逃れられない檻の中に自分から入ったんだ。誰の救いの手も期待できず、誰かに手をさしのべる必要もない、自分勝手で、一人っきりの檻の中に。
お前は、陰の世界の住人なんだ。
お前は誰も助ける事なんて出来ない。
「ここは外側の世界(アウターワールド)」
コーディの声が凛として響いた。
「昼でも陰でもない。あなたが何者であったのかなんて関係ない――――ここは現実の外側にある世界(アウターワールド)なんです」
光に導かれるかのように、黒瀬が顔を上げると、コーディは黄金色の瞳を静かに輝かせていた。
「ここにあるのはたった一つの事実だけ。この世界にも、現実の世界にも、どこにも、アウターホリッカーを救える人間はない。救急車を呼んだって彼女は助からないし、警察を呼んでも、軍隊を呼んでも、彼女は救えない」
コーディは言った。
「あなたです、排出者(イジェクター)。あなたにしか救えない」
彼女の後ろで、新たなチャレンジャーが地面に叩きつけられた。悪魔のような姿の眞子は、それを冷たい視線で見つめていた。会場を大歓声が包み込む。その瞬間、黒瀬の聴覚はまるで機能しなくなった。空っぽの空間に放り出されたみたいだった。無音。静寂。沈黙の世界。
やれるのか、俺に
何か根源的なものに突き動かされて、体が震え上がった。恐ろしくもあったし、浮き足立つような感覚にも似ていた。
――――きっと、イジェクターの遺志でしょうから
コーディの言葉が蘇る。祖父の遺志。一度途切れたその意志の先に、自分は立っているのではないか。足が震え出す。緊張感で体は言う事を聞かない。だが、それは今や恐怖によるものだけでないと思った。拳を握りしめた。今、始まろうとしているんだ。理由も目的もわからない祖父の意志が終わりを告げ、その道は自分に譲られた。一歩踏み出す勇気があれば、その道を――――あの屋敷の外へと続く世界に、足を踏み入れる事が出来る。
コーディ
かすれた声が出た。
「どうすればいい」
彼女はじっと黒瀬を見つめると、かすかに口元をもたげた。
「どうぞ――これからよろしくお願いします。排出者(イジェクター)」
彼女は勢いよく、ばっと腕を振るった。トレンチコートの裾がばたばたと音を立てた。右から、左へ、まるでカーテンが開かれたかのように、辺りの風景が暗闇一色に塗り替えられる。喧噪もけばけばしい光も観衆も消え去り、闇の中に漂うのは、黒瀬とコーディだけになった。
「本ゲームのゲームオーバー条件は『体力が0になること』」
彼女は両手を開いた。するとその両手の間に、いくつもタスクウィンドウが連なった帯が現われた。ウィンドウに向けた彼女の目は一気に瞳孔が開き、瞳の最奥に黄金色の輝きが現われた。その輝きがちらちらと輝くたび、帯に並べられたウィンドウは素早くスライドしていく。すさまじい早さだ。まるで印刷機械が無数の用紙を大量に刷っているみたいだった。
「彼女を救う(イジェクトする)にはこのゲームオーバー条件に彼女を追い込まなくてはいけません」
彼女は濁流のようにスライドしていくウィンドウからいくつもの黄金色に輝くウィンドウをすくい出し、それを丸める。そして彼女が黒瀬に指を向けると、その光の球体が一筋の光線となって黒瀬の頭に飛び込んできた。思わず目をつむりそうになるが、体の自由がきかなかった。
「本ゲームに使用するキャラクターや格闘スタイルを設定中……前イジェクターの経験を元にして、参考になりそうな経験をインストールしています」
突然、体の感覚が鋭敏になった。体が軽くなるような感覚が、頭に刷り込まれる。奇妙な感覚が黒瀬の脳を揺さぶった。
「プレイ中、任意のタイミングで『テラ』を使用し、約三秒間の間データの高処理を行う事が出来ます。ただし一度使用すると再稼働に24時間が必要です」
テラ? そう思うだけで、なぜか彼女にその意思は通じたようだった。瞳を紫色にぺかぺかと輝かせて、わずかに口元をもたげる。
「困った時はこう叫んでください『オーバークロック!』――できるだけ、大きな声で」
なんだ、それ。そんな恥ずかしい真似できるか。憮然とする黒瀬の頬を、コーディはかすめるみたいに撫でた。驚く黒瀬を尻目に、彼女はふわりと宙を舞い踊ると、
「インストール完了です」
そう言いながら、空中でハイタッチするみたいに手を動かすと、帯はさっと彼女の前から姿を消した。それから、彼女は両手を、壊れやすい何かをそっと受け取るように胸の前で合わせた。彼女の手の間に、黄金色の粒子が煌めいた。
「最後に確認します。一度なったら死ぬまでやめられません。また、ゲームオーバー条件を達成できなかった場合には、あなたも彼女の中毒症状(アウターホリツク)に取り込まれ、死亡します。それでもよろしいですか?」
彼女の手の内に現われたのは、あの傷だらけのガスマスクだった。無骨なゴム質の外装に、無機質なレンズ、口元を覆うリブリーザー。これをかぶるのが、最終承諾という事か。
祖父がどういうつもりでこんな真似をしていたのかはわからない。
ヒーローごっこがしたかったのか、強い使命感があったのか。祖父を知ろうとすれば知ろうとする程、祖父の姿は遠のいていって、今になってもその本意は知る由もない。イジェクターが、祖父にとってどういう存在だったのか、アウターホリッカーを、なぜ救わなくてはいけなかったのか、そして、本当に殺人の構造を仕組んだのは、彼なのか――――麻戸刑事が来てから生まれた疑念は、いまだ何一つ解明されていないのだ。
だが、今ガスマスクを手に取ったこの瞬間、その答えが一つ解けた気がした。
コーディは、今や芸術細工みたいな不可思議な均衡を保った笑みを浮かべている。人形が浮かべる笑みというのは見た事はないが、コーディの表情を見ていると、ショッピングモールのマネキンは揃って笑みを浮かべるべきだろうと思う。つくづく、奇妙な機械だ……おかしな祖父の忘れ形見。いずれにせよ、これ以上祖父の謎を解く手がかりは、こいつだけのようだ。飛び込んでみるか、そう思う。
「やってやる」
大きく息を吸い込んで、手にしたマスクを顔に押しつけた。
世界が反転し、意識が吹き飛んだ。
■
リングに次のプレイヤーが現われた。
世界ランカーのことごとくを倒した挑戦者にあてがわれたのは、世界最強のプレイヤー、エンパイア・プラム。196センチの巨体に引き締まったむき出しの肉体、軍用のカーゴパンツとブーツを履き、顔には無数の傷、禿頭、体にはチャンピオンの証であるベルトを肩がけにかけていた。落ちくぼんだ目の奥で光る鋭い眼光が挑戦者をとらえる。眞子は二、三人殺してきたかのような荒んだ目でそれをうけとめた。いよいよベルトを掛けた闘いが始めるのだ。おあつらえ向けに挑戦者の死へのタイムリミットは残り五分を切った。おそらくはこれが最後の闘いになるだろう。それを悟った観衆は、いよいよ最高潮に達して雄叫びに近い歓声を上げた。マイクコールが高らかにプラムの名を叫ぶ。ワールドファイトクラブ史上最も強い男が、命を課して現われた挑戦者にいよいよ応え姿を現した! 知らぬ者のいない歩く核兵器! ご存知、エンパイァァァァァァァァァ――――
しかしそこまでコールがかかった所で、プラムの姿は突然歪んだ。観衆がざわつく。リングの中央に歩み出て、肩を回していたプラムの姿は、まるで四角く切り取られたかのように歪み、左右にぶれる。プラムを取り囲む四角い空間が灰色の砂嵐に染まり、点滅を繰り返してから、突然電源が落ちるように彼の姿は消え去った。
代わりに一人の男が立っていた。
全身、真っ黒だった。真っ黒なゴム質のスーツが緩く彼の全身を包み、真っ黒なハーネスがそれをきつく締め上げている。足下にはわずかにだぼついた裾を縛り上げる編上げブーツ。肘当て、膝当て、グローブに、弾倉やグレネードがいっぱいに詰まったベスト、それら全ての装備を、真っ黒なレインコートが滴るように包み込んでいる。
顔にはガスマスク。
彼はゆっくりと呼吸していた。まるで、自分がそこにいる事を、呼吸で確かめようとしているかのように。会場は静まりかえり、静かに肩を上下させる彼を凍り付いたように凝視していた。呼吸をしていなければ、彼はまるで彫像だった。ポケットに手を突っ込んで、顔をうつむかせて立つ彼は、ファッション誌の表紙か、スタイリッシュなモノクロームの絵画のようにも見えた。
「…………イジェクター?」
どこかで誰かがささやいた。その小さなささやきは、枯れ果てた草原に投げ入れた火種となって観衆に火をつける。イジェクター? イジェクターなの? 疑問の声はすぐに確信の唱和に変わった。イジェクター、イジェクターだ! 唱和はすぐに歓声に取り込まれた。いつの間にか止まっていたビートのBGMが高らかに響くと共に、その唱和は会場を席巻した。
自分を取り囲む歓声に、イジェクター――黒瀬は圧倒されていた。引きこもりから一転、大歓声だ。眠っていた感覚が雷に打たれたみたいに呼び覚まされる。久しく味わった事のない、みなぎるような感覚が全身にふつふつとわき起こった。コーディは「イジェクターはアウターワールドの救世主」と言っていた。もしかしたら、観客は皆イジェクターの存在を既に知っているのだろうか。だとしたら、責任重大だな、そう思う。
『ゲーム、始まります』
緊張した声がした。再び宙に浮かぶ半透明の妖精になったコーディが、黒瀬の視界に滑り込んできた。
『時間は五分間、その間に相手の体力を0にして、彼女をゲームオーバーにしてください。これが唯一の勝利条件です。ただし、逆にこちらが体力を0にされたり、タイムオーバーした場合は、彼女の中毒症状(アウターホリツク)に取り込まれて』
心中か。
言葉にせず、そう思っただけだったが、コーディにはそれが伝わったようだった。彼女は急速冷凍したみたいな表情をこくりと動かした。
向かいのコーナーを見ると、もたれ掛かっていた眞子が、身を起こした所だった。一瞬だけ、凄惨な笑みを浮かべていた気がする。
右半身を前にして、半身の体勢を取る。麻痺の残る左半身は動かない。この不利な条件を覆すために、一気呵成に襲いかかって終らせるつもりだった。対する眞子はモデルみたいに腰を艶めかしく揺らしながらリング中央に歩み寄った。豊かな胸を強調するように背伸びする。いかがわしい歓声が上がる。馬鹿な事はやめろと叫びたかったが、彼女の目はあの瞳孔が開閉するとりつかれたような瞳をしていて、言葉は届きそうもなかった。黒瀬は祈るように心に誓った。助けてやるぞ……本当に。
「――お前を、排出(イジェクト)する」
小さくつぶやく。マスクに押しつぶされてくぐもったその声が、耳に届いた。
コングが鳴った。
次の瞬間、人間離れした動きで眞子の体が一瞬で視界の内から消えた。
『下がって!』
コーディの声にとっさに反応し、慌ててバックステップを踏む。すると砲弾のような速さで黒い影が下から上へ消えていった。眞子の体は、瞬きの間もなく黒瀬に肉薄していて、今の砲弾は彼女の放ったアッパーだと気づいた時には左のフックが迫っている。態勢を立て直す暇はない。バランスを崩すのを承知で右腕の肘を迫る拳に叩きつけて防御。何とか防ぐが眞子の連打は止まらずに右の肘打ちが迫ってきていた。左足を上げてわざとバランスを後方に倒す事でなんとかリーチの短いその攻撃はよける事ができたが、背中はもうコーナーロープに当たってしまった。それに気をとられたのが命取りだった。眞子はからぶった右の肘打ちを返しざま、腕を振って黒瀬の頭をなぎ払う。格闘術でも何でもない粗雑な一撃だったが、頭にハンマーでも叩きつけられたような衝撃が走った。意識に空白ができる。目は見開かれ、呼吸が止まった。
たたらを踏んだ黒瀬に、眞子が歩み寄った。駆け寄るわけではなく、歩み寄る。なめられているが、黒瀬に反発する力はなかった。彼女の蹴りが見えたが、よける事はできず、もろに鳩尾につま先が入った。胃液をはき出しそうになったが、理由のわからない力で腹の底に押し戻された。不快感に何度もえずく。くらった衝撃は、とても女のものとは思えず、大人の男とて余程訓練を積んでいなければこんな重い一撃は与えれまい。
『こちらのライフが20%減少、位相電位を抑制中――――彼女は現実の彼女ではありません、警戒して!』
黒瀬は致命的な思い違いをしていたのを思い知った。ここはアウターワールドであって、現実の世界の法則は何一つ通用しない。現実と同じようなリーチの取り方や、攻撃の重さの予測は、何の意味もない。目の前にいるのは、二日と23時間50分以上勝ち続けてきた化け物じみた歴戦の強者であって、義理の妹でもなければ、気弱なウサギでもないのだ。
え、弱いじゃん……。そんな困惑の声が観衆から漏れた。返す言葉も、余裕もない。
眞子は黒瀬の首をつかむと、軽々と持ち上げた。自分の体重が喉にかかる苦痛は想像以上で、まるで顔面に肉を注入されているかのように顔がぱんぱんに腫れ上げるのが分かった。眞子は目玉が飛び出しそうになっている黒瀬の喉に唇を寄せると、次の瞬間突然かぶりついた。
視界が真っ白に染まった。
『急速にライフ減少中! 感覚受容体pk3の振動異常値! 敵のコード属性で三秒間動けません!』
刺激過多な真っ白な世界の中で、自分がおもちゃみたいにぶるぶる震えている感覚があった。
『残りライフ25%を切りました! 一時的に感覚受容を全て制限して麻痺の解除を試みます……統合知覚体を再構成、随意神経ルートを確保したまま三者視点へ。3、2、1…今ッ!』
不意に体から感覚が失われ、意識が宙に浮いた。気がつくと黒瀬は自分の体を天井から眺めていた。幽体離脱……? 世迷い言は信じない口だったが、どうもそのようにしか思えない。抜け殻の体が悪魔の姿の眞子に首筋をかみつかれビクビクと痙攣している。その体に戻ろうと右手を伸ばすと、眞子につり上げられている体が動くのが見えた。右手を伸ばしている。もしかして宙に浮いているのは意識だけで、体は自分の意志で動かせるのか?
「(――――反撃してやる)」
次の瞬間黒瀬は首筋にむしゃぶりつく眞子の頭に右足を絡めた。その感覚はまるでラジコン操作だ。重心移動を利用して彼女に全体重をかけ、体をひねる。彼女は声なき悲鳴を上げて、二人分の体重を支えきれずにバランスを崩して倒れた。
マウントをとった。
その瞬間、急ブレーキを駆けられたような衝撃と共に、意識が体に戻る。
眞子が獣のような表情でこちらを見上げている。その息づかい、組み敷いた体が抵抗するのを感じる。
拳を振り上げた。
黒瀬は馬乗りの体制から、闇雲に顔面に向けて拳を振るった。容赦をする必要はないと思った。血しぶきが舞い鼻の骨が折れる音がしたが、そんなものにはかまってられなかった。目がつぶれ、咽喉をつぶし、喉に血が詰まって死ぬまで繰り返す。
が、片足だけの拘束ではやはり無理があったのか、彼女は十発も食らう前に黒瀬の足の下から抜け出して、曲芸師のようにバク宙で体を起こすと、獣のようなバックステップで距離をとった。黒瀬ものろのろと立ち上がり構える。眞子の顔はまったく崩れていなかった。きっと血みどろで見るも無惨だろうと思ったが、彼女はまるで痛みも感じてない風に額から垂れた血を舌でなめとっていた。右の眼窩からも血が垂れ、まるで血の涙を流しているようでもある。後は少し、青痣がついている程度か。おそらくは、ゲームの仕様として、あまり顔は崩れないようにしてあるのだろう。それがわかる位には、黒瀬はアウターワールドに順応していた。
『良いセンス』
コーディが現われて、瞳をエメラルド色にきらきら輝かせて言った。すぐに表情をただし、
『ですが片腕片足では限界がありますね。以前導入されたPlay fun!12に干渉して脳の四肢運動野の麻痺を取り除きます』
「ッほ、げは……」
黒瀬は荒い息をしている。声はかすれ、冷静さからはほど遠かった。眞子と比べても、劣勢なのは明らかだった。
「――――余計な、事すんな」
『既に修正を始めています。時間を稼いでください』
何か反論しようと思ったが、口から出たのは血のかたまりだけだった。どうせ左手と脚が動いた所で、今までろくに動かした事がない手足をまともに動かせるとは思えない。もっとも、このままではじり貧なのは分かっている。
コーディが、はっと顔を上げた。
『来ます!』
クロセがもうろうとする意識をつなぎ止めて眞子に眼を向けると、眞子は腰にかけていた鞭を手にしていた。彼女の手の中でそれが輝き出す。
『正面! スライドステップしてッ!!』
コーディが叫ぶ声が聞こえたが、体は動かなかった。鞭は獲物に襲いかかる蛇のようにのたくって瞬きする間もなくクロセの喉に絡みついた。
次の瞬間一気に首が絞まり、わけもわからぬうちに足が地面を離れた。冗談のような光景だった。頭に一気に血が上り、真っ赤になった視界(レツドアウト)の中で見たのは、遙か彼方地上に見える鞭を振り回す眞子の姿であり、つまり自分の体は彼女に軽々と振り回されていたのだった。右へ左へ振り回され、地面に叩きつけられ、その度に体に鋭く重い衝撃が走った。肺から空気が何度も押し出され、体からはすっかり酸素が無くなった。何度も血を吐き、胸骨が何本か折れた音がした。
最後に放り出された黒瀬は、リングサイドに叩きつけられた。すさまじい砂埃が彼を包み込み、観客達が悲鳴を上げてその煙から逃げ出した。
ジャッジがカウントをとろうとすると、眞子は鞭を振り回し始めた。悲鳴にも似た、イジェクターを呼ぶ声が観客の間から漏れ聞こえたが、彼が立ち上がる様子はなかった。
ジャッジが8カウントまで数えた時、眞子は鞭を土煙の中へ叩きつけた。とどめを刺したのだ。誰しもが思った。手応えを感じたらしい彼女は、引き寄せようと一気に鞭を引っ張った。
しかし、鞭がイジェクターを引き連れてくる事はなかった。何かが引っかかったように、鞭はぴんと伸びたまま戻ってこない。眞子はいぶかしげに、何度も引っ張った。土煙が晴れる。人影が現れ、眞子の目が見開かれた。
イジェクターが鞭を両手で掴んでいた。
眞子はぎょっとする。その一瞬の隙を突いて、黒瀬は一気にすさまじい力でそれを引き寄せた。眞子は悲鳴も上げられずにイジェクターへ吹き飛ぶ。黒瀬はもはや物理運動など無視してロケットのように飛んできた彼女に合わせて、限界まで引いた右腕を渾身の力を込めて彼女の顔面に叩きつけた。その小さな顔をわしづかみにすると、突進してきた力をそのまま直角に曲げて、曲芸のように地面に叩きつけた。
ぶしッ――と、口をふさいだ蛇口のように血が宙に舞った。
硬く踏み固められた地面は打ち付けられた彼女の衝撃を受け止めることなく、ダイレクトにその顔面に返した。鼻がへし折れ、皮膚が裂け、目がつぶれ、頭蓋が割れて頭血した。赤や、照明の色に染まった様々な液体がまき散らされ、くぐもった悲鳴が一瞬だけ会場に響いた。
歓声はかき消えていた。誰もが息を詰まらせ、押し黙っていた。
その静寂を裂くように、イジェクターは歩き出した。倒れ臥した眞子の体を背にして、リングの外へと向かう。
『動く手足の感覚はどうです』
彼の視界でコーディが舞い踊りながら、目をエメラルド色にきらきら輝かせて言った。
『悪くないでしょう?』
黒瀬は答えなかった。ぴたりと立ち止まる。
観客席から悲鳴が上がった。まるでゾンビのように、眞子がふらつきながら立ち上がったのだ。その瞳を真っ赤に輝かせ、鋭い歯をむき出しにする。両腕を突き出して黒瀬の背に襲いかかった。
黒瀬が口を開く。
「オーバークロック」
× × ×
黒瀬家の屋敷地下、すり鉢状のドームの中で演算装置が立ち並ぶその場所に、再び光が宿った。無数の機械群が静かに駆動音をあげ、チカチカとステータスランプを点灯させる。暗闇の中で、演算装置の群れがはき出す駆動音とランプの明滅は、まるで銀河が地上へ落ちてくる前触れのようだった。そしてドームの中央、一際大きな柱状の演算装置に光が収束すると、柱に稲妻のような光が走った。
× × ×
その瞬間、黒瀬は世界が酷く無力なものに成り代わったように感じた。いつも絶対的だった世界は、今や手中にあった。彼が思うように――例えば、彼以外の時間をはるかに鈍化させて、全てをスローモーションのように進ませる事すら出来た。背中から襲いかかる眞子の姿を振り返りざま片目で確認する。常人では反応できない速度で襲ってくる眞子だったが、今や黒瀬は常人ではなかった。彼は、今、この瞬間、この世界のあらゆるルールを超越していた。誰よりも早く動く事が出来たし、誰よりも早く感じる事が出来たし、誰よりも早く、敵を打ち倒す事が出来た。
体をヘアピンみたいに曲げた黒瀬が振り返りざま放ったハイキックは、眞子のつきだした両腕の間をすり抜けて、すさまじい力で彼女の側頭部に叩きつけられた。頭蓋は今度こそ、破裂するみたいにへし折れて血をまき散らした。インパクトの瞬間、黒瀬が知覚する現実の時間が元に戻る。クリアになった感覚が、激しく打ち鳴らされるコングの音を拾う。リングの上に、巨大な文字が浮かび上がった。
K. O. ! !
限界までふくらませた風船が炸裂したみたいに、観客達が立ち上がって大歓声を上げた。リングの上に立って、じっと挑戦者を見つめていたイジェクターは、自分を褒めたたえるその歓声に応える事もなく、むしろ、まるで自分の身を切り裂いたみたいに呆然と、倒れたアウターホリッカーを見つめていた。宙から突然現れた真っ黒なレインコートが――まるで誰かがその肩を抱いたように――彼の肩にかかると、彼は身を翻し、リングの外に姿を消した。
Eje(c)t