春曇、咲けども咲けども
前篇
「受験受かりますよーに!」
神社のお参りの作法のことはよく知らないが、私は取り敢えずぱんぱんと手を叩いてお礼し目を閉じて、今一番願ってやまないことを口にした。
もうやれることはやったんだ、あとは神頼み神頼み!此処はあまり有名ではない神社だけれど、小さい頃からずっとずっとお参りしてきた思い入れのある神社だ。しかもそのお願いは不思議と叶うことが多い気がする。まあ、明日雨が降りませんようにとか彼氏さんと喧嘩した友達が仲なおりできますようにとか、そんな些細なことなんだけど。
ふう、と息をついて私は帰ったら炬燵に入って英単語帳見返そうと意気込みながら再び目を開けた。そして、固まる。お賽銭箱の上に、小さな男の子が胡座をかいていたのだ。
「…!…!?」
「やあ、いつものおねえさん。寒そうだね、風邪を引かないように気をつけて…って、聞こえないか。」
「…え…あ…の…君、いいい、いつからそこにいたの…?」
「…!」
男の子は呆然とする私にびっくりしたように目を丸くした。そしてばっと身を乗り出してその大きな瞳を輝かせる。あまりの勢いに、私は思わずたじろいでしまった。
「おねえさん…僕が見えるの!?」
「へ…み、見える、よ?」
「…!僕、すっっごく嬉しい!」
男の子はお賽銭箱の上で満面の笑みを浮かべながら、ぴょんぴょんと跳び跳ねた。そんなに暴れたらお賽銭箱が壊れてしまうよと注意しようとしたが、私はある重大なことに気がついて口を嗣ぐんだ。男の子は、跳び跳ねていたのではなく浮いていたのだ。
「ぎゃああぁ!!ゆゆゆ、ゆゆゆうれい…!?わあああああなんまいだあああなんまいだあああ!!!!」
「!?お、おねえさんちょっと落ち着いて…!大丈夫だよ、僕は幽霊ではないから」
「へ…」
手を会わせて自分でも意味の分からないお経を唱えていると、男の子は私を落ち着かせようとしてくれたのか浮くのをやめてまたお賽銭箱に座り、私の目を真っ直ぐに見据えて告げた。
「僕は、氏神なんだ。」
「う…うじがみ。」
「そう、氏神。ある一定の地域を守る神のことをそういうんだ。」
私は依然としてぽかんと間抜けな顔をしながら彼の言うことについて必死に頭をフル回転させ、理解しようと努力した。
「じゃ、じゃあ…あなたは神様なの…?」
「うん!僕はね、ここで、君や君の家族、友達…君を中心にして広がるたくさんの優しい繋がりを見るのが、大好きなんだ!」
頬を染めながら純粋な笑みを浮かべる男の子。私は何故か彼に触れてみたいと思って、手を伸ばしてみた。しかしその手は彼の体をすり抜けてしまう。でも不思議と怖くなくて、私は彼の手の上に自分の手を添えた。
「ずっと見守ってくれて、ありがとう。」
「お礼を言いたいのは僕の方さ。君は、毎月一度はお参りに来てくれるだろう?この神社は本当に小さくて、みんなに忘れられつつあるから、君みたいな人がいるのは本当に嬉しいんだ。」
笑みを崩さずにそう言う男の子に私もにっこり笑んだ。
「みんなが忘れても、私は絶対に忘れない。約束する」
小指を差し出すと、彼もすっとすり抜けてしまわぬよう私の小指にうまく自分の小指を絡めた。
「僕は――――それだけで、存在できる。ありがとう。」
次の瞬間、ふわりと男の子が消えてしまった。まるで夢のようだった。ぎゅうっと耳たぶを引っ張ってみる。痛い。どうやら、夢ではないらしい。
後篇
マフラーを巻き直して、私ははぁっと白い息を吐き出した。
無事に念願の第一志望に受かった私は、受験勉強であまり来れなくなっていたあの神社に合格の報告とお礼をしに行こうと思い、上機嫌で家を出た。
あれ以来あの小さい男の子とはちょくちょく会えることがあり、受験勉強の合間に神社にお参りに行っては彼と色んな話をした。学校のこと、友達のこと、家族のこと。男の子はいつも目を輝かせながら私の話に耳を傾けてくれて、私もそれが嬉しくてつい長話をしてしまうこともあった。
受験に受かったことを話したら、また喜んでくれるかなあ。楽しみだなあ。
緩む頬を押さえながら、私は神社の鳥居へと続く階段を登った。
しかし、様子がおかしいことに気がつく。
ガガガガという耳をつんざくような機械音と、木々の間から見えた黄色いショベルカー。みるみるうちに取り壊されて行くお社。余りのことに何も言えず、呆然としながら原型を無くして行く神社を見た。しかし、すぐに氏神様のことを思いだし、私はヘルメットを被った作業員さんの腕をひっつかみ、必死に訴えた。
「なんで…っなんで壊しちゃうんですか!!此処には、神様が住んでるんですよ!」
「こないだこの神社の神主さんが亡くなってね、管理する人がいなくなったのを期に取り壊すことになったんだよ」
「だからって、こんな…っ」
「それにこの近くに高層マンションが立つんだ。その建設のためでもあるんだよ」
何ヵ月も前から決まっていたことだから今さら中断することはできないと言われ、すぐに追い払われてしまった。彼は、こうなることを知っていたのだろうか。知っていても、私に笑いかけて、不安にさせないようにしてくれていたの?どんどん崩れていく神社の姿に、私の頬をつーっと一筋の涙が伝う。
『泣かないで』
「…!!う、氏神様…」
後ろを振り返れば、そこには穏やかに笑みながらふわふわと浮遊する氏神様がいた。その笑顔にも胸が痛んで、涙が止まらなくなる。
「あのね…、私、合格、したよ」
『おめでとう、よく頑張ったね。』
「氏神様のお陰だよ」
『ううん、僕はなんにもやっていないよ。君の努力の賜物さ。』
「氏神様がいたから頑張れたの…っ、だから、消えないで…!」
溢れる涙が止まらない。次から次へと流れて、乾いた石畳に落ちる。氏神様はふわりと私の目の前までやって来て、涙を拭うように私の頬に手を添えた。
『僕は、消えないよ』
「え…」
『君が覚えてくれている限り、僕は消えない。だから、どうか泣き止んで。』
彼はそう言いながら困ったような顔をする。その年に不相応な表情に私は目を瞬かせ、そして小さく笑みを浮かべた。
「また、会える…?」
『もちろん。君がそう望むのなら』
彼に手を伸ばしても、掌は空を掴む。触れたいのに触れられない。すると氏神様はふわりと私の体をすり抜けないように抱き締めてくれた。
「氏神様…大好き」
『僕も君が大好きだよ』
耳元で酷く優しい声が囁いたと思えば、もう目の前には何もなくなっていた。途端に虚無感が襲いかかって来たけれど、私はもう泣くことはしなかった。境内の隅に植えられた桜の木を見上げれば、蕾が膨らんでいた。
もうすぐ、春が来る。
春曇、咲けども咲けども