魔法少女? カリンさんのとある一日
魔法少女がいるなら、魔法お姉さんがいてもいい。
魔法おばさんがいてもいいし、魔法男の娘がいてもいいよね?
毎日のように夜空を見上げる事が、少年の日課になっていた。
天体観察が目的ではない。暗闇の中に浮かぶ星の命を見る事で、癒しを得ているのだ。
少年、リクにとって唯一心安らぐ時間である。
中学受験戦争で勝利を獲得したものの、勉強についていけず、塾へ通うのも億劫になっていた。
自然とついていけなくなったわけではない。目的を見失ってしまった、というわけだ。
有名校へ進学し、有名大学へ入学。その後はどこぞの大手企業へ就職という、家族一体の目標。
学歴優遇思考の両親から与えられた道を、リクは幼い頃から歩き始め、順調だった。
つい最近になって、リクは全てが嫌になった。将来の夢を嬉々として語る友人たちに、自分が持っていないものを感じた時、初めて違和感を覚え、そして初めて自分について考えるようになった。
そして今日も、いつものように自宅がある高層マンションの屋上から空を見上げる。
冷たいコンクリートの床の上に持参したバスタオルを敷いて、寝転がりながら。
屋上へ通ずる扉のカギを偶然拾ってから、日課のように訪れていた。管理人が落としたと思われるが、特に紛失騒ぎはなく、新しい錠に変更もされずじまいだ。
カギを拾ったリクは管理体制の怠慢を嘆いたが、落し物を届けない事に罪悪感が生じた為、以降触れることはなかった。
時刻は午後9時過ぎ。普段であれば塾にいる時間帯だ。
リクは学生カバンを枕にして、星を眺める。
自由という開放感を満喫出来たのは、せいぜい最初の数日だけ。
それからは両親に対しての不信感や、眩しい友人たちとの距離感、塾という足枷に悩まされていた。
自分が何をしたいのか、どう成長したいのか、まったく見えなかった。
掴めない霧を掴もうとしているようで、その度に頭を掻き回す。
考え方がわからない。
何から解決していけばいいかわからない。
こうやって夜空を眺めていても、癒されはするが何も進んでいないのだ。
今日の夜空は風が強く、雲が次から次へと流れていく。
リクの体にも容赦なく強風が吹き付けられる為、今日はそろそろ帰ろうかという判断をした。
気が重いのか、のそのそと起き上がる。敷いてあったバスタオルを畳んでカバンへしまい込む。
嵐でも来るのかと思うほどの風が吹くなんて想定外だったが、リク以外にも実感している仲間がいたようだ。
「わぁっ!」
風に乗っているようで乗り切れていない飛行物体が、リクの体目掛けて飛んできた。
そして、ぶつかる。
ぶつかりあったリクと物体はお互い離れるように床へ倒れ込み、身構えていなかったリクの体は硬いコンクリートへ打ち付けてしまった。
「いって……っ」
唐突に、そして体を走る激痛に表情を歪ませ、うめき声をもらす。リク自身は何が起きたか把握しきれず、襲い掛かる痛みの原因箇所を早急に、無意識に感じ取った。
左肩から床へ倒れ込んでしまい、強打した為と即座に判明。
徐々に痛みが引いていく感覚を察知して、少しづつ肩を動かしてみたが、どうやら骨折や脱臼はしていないようだ。
痛むものの、動かせている。
大事にならなさそうで安心したリクは、強く瞑っていた瞼をゆっくり開いた。
眼前は特に異常無し。ゆっくり上半身を起こして周りを見回すと、激痛を招いたと思われる原因が転がっていた。
「なんだあれ……」
リクは唖然とし、転がっている物体、いや、人らしきものを見た。
星明かりがすっかり雲で覆われてしまってほとんど暗闇だ。その為シルエットが曖昧になっている。
高層マンションの屋上で、一体何とぶつかるというのか。
もし人だとすれば、マンション住人が侵入してきたのだろうか、とリクは考える。
自分のように、他の誰かが鍵を所持していても不思議ではない。
リクの体にはまだ痛みが走っているが、興味のほとんどを物体へ持っていかれた為、痛みの感覚を忘れていた。
痛みを忘れてしまう程リクは驚き、同時に好奇心を物体に刺激されている。
正体を知りたい。
リクは人らしき物体へ近づいてみることにした。
吹き付ける風は後方から、後押しするようリクの体を押している。
身長150センチ弱の細身体型ではうまく支えられないのか、よたよたと足元を気にしながら近づいていく。
人らしき物体のシルエットが、ハッキリと見てわかる場所まできた。距離にして30センチ程だろうか。
とても近くで見下ろす。
人のような物体の正体はやはり人であり、うつ伏せで床へ倒れ込んでいた。
短めのサイドポニーテールに、なんとも表現しづらい服を纏っている女性は、とても大人っぽく見える。
その服装を、リクは今まで見たことがなかった。
簡単に言い表すなら、ミニワンピース姿。
底が暑いヒールと膝上まである長い靴下。ひらひらとした裾の短いワンピースの上部は、セーラー服に似た大きめのリボンが特徴的だ。
セーラーワンピースとでも言うジャンルがあるのか謎だが、あるならそれに属されるだろう。
華奢な腰元で巻かれている太いロープの端は足元まで伸びていて、大きな鈴のようなものが括りつけられている。
風で捲れ、スカートの奥から下着まであらわになっているが、リクは気まずさからなるべく見ないよう意識した。
意識はしたがやはり目線がそこへ向かれてしまう。
暗闇の中映える純白に、リクは呼吸を乱された。
しかし女性はいつまで待ってみても反応がない。まさか、という最悪の事態がリクの脳内を過ぎる。
体を揺らして呼びかけてみようと思ったが、もし脳にダメージがあるなら揺らしてはいけない。
叩いてみるにしても相手は初対面であり、女性だ。
リクは悩むが今は緊急事態だと判断し、床に伏せている女性の肩を軽く叩いてみた。
反応はない。しかし呼吸はしているようなので、ひとまず安心した。
リクは女性の耳元まで少し近づき、声をかける。髪から漂うほのかな香りは、とても甘い匂いがした。
女性と接近したことがほぼないリクは胸を高鳴らせていた。
同級生にはない色気を、この女性から感じている。
リクは邪な気持ちを抑えながら、女性に声をかけ続けた。
風はやがて嵐になり、今にも雨が降りそうな雲をせっせと運んでいる。
地上を歩く者から空を飛ぶものまで、容赦なく吹き付けていた。
「だぁぁぁぁぁぁ」
強風の中、喚きちらしながら何かがこちらへ飛ばされてきていた。リクは呻き声がする方へ振り向いてみると、丸い発光物体がオレンジ色の淡い光を放ちながら、風に巻き込まれている。
丸い風船のような体から短い手足がバタバタと蠢いていて、バランスを保とうとしているのがわかる。
が、バランスはとれておらず、先ほどの女性と同じように風に巻き込まれていた。
「だぁぁからっ! こんな日にっ! 飛ぶれんしゅうわぁぁぁぁいやだったんだ!」
空中でもがきながら悪態をつけているその物体は、着地だけは見事に決めてみせた。丁度風が緩やかだったおかげだろう。
しかしその丸い体は風に抵抗する術はなく、着地したものの遊ばれるように転がされ、給水タンクの管につっかかってしまった。
いそいそと体勢を整え、管を背にして女性へ罵声を浴びせ始める。
「おい馬鹿リン! 今日は俺様の魔法で帰還してやるからさっさと起きやがれだ! まったく、嵐に乗るのは高等の俺様でもコントロールが難しいっていうのに……あん?」
球体の体を持つ物体はリクの存在に気づいたようだ。
サッカーボール程の大きさを短い足で支えているようで、その体の上には鏡餅のような頭が乗っかっている。
「なんだおめぇ! じっと見やがって気色わりぃ!」
「そ、そんなこと言われても……」
世にも奇妙で、手足が生えて喋る球体を見掛ければ誰だって凝視してしまうだろう。
未知との遭遇を果たした者の中で、目をそらして気にしないなんて事があっただろうか。
今のリクの様に、呆然と口を開けている様はごく一般的である。
「んー……リゴットなの?」
意識を失った女性から、微かに声が聞こえてきた。
どうやらお目覚めらしい。体を少し起こし、こちらの様子を伺っている。
「やっと目が覚めたかか馬鹿リン。ほら帰るぞ」
捕まっていた管から離れ、フラフラと低空飛行で女性の元へ近づいていく、リゴットと呼ばれた物体。
「うまく飛べると思ったのになぁー……あぁ頭いたいーぐぁんぐぁんするー……」
痛む箇所を手で支えながら女性が立ち上がった。よれていた服を軽く叩き、風で乱されたポニーテールを解いて手で梳かす。
リクの気配に気付いた女性は、カツカツとヒールの音と鈴の音色を響かせて近寄り、笑顔を見せた。
「もしかしてぶつかっちゃった人?」
「あ、あのっ」
リクは自分の中にある好奇心を女性へ向けたが、うまく言葉にならないようだ。話したい事がまとまらず、話したい気ちだけが募っていく。
言葉が出ずに俯くリクを見て、女性は何かを察した。
「あ、さっきぶつかっちゃってごめんね、びっくりしたよね? まさか人が飛んでくるなんて思わないよねー」
軽快に笑う。
「怪我とかしなかった? 癒し魔法なら大得意よ!」
「そ、そうじゃなくてっ」
パッと顔をあげて女性の顔を見つめた。言葉に出来ないもどかしさから手のひらに力が入り、無意識に握り締めてしまう。
「あ、もしかして……わたし達におどろいてる感じ?」
コクコクとリクは頷いた。明らかに普通ではない出会いを果たした相手に対して、疑問を、驚きを持たないはずがない。
「そっか、そうだよね……。ごめんね、自己紹介すべきだよね、うん」
女性は、その辺でバタついているリゴットの腕を掴み、引き寄せた。
「わっ、おい馬鹿何するんだよ!」
「この子はリゴット、私の先生なの。口は悪いけどすごく優しいんだよ。ねっ?」
「う、うるせーな……」
照れているのか、かろうじて聞き取れる程の声量でぼそっと呟く。
「私はカリン、見習い魔法少女……じゃなくて、魔法お姉さんやってるの」
「……魔法、お姉さん……」
魔法少女というのは、リクが知る中では、可憐な少女が魔法の力で変身し、悪と戦うというものだ。
カリンは、そのお姉さん版といったところだろうか。
「おい馬鹿リン、帰るぞ」
カリンに掴まれ腕の中に収まっているリゴールは、不機嫌そうだ。
「そうだね、今日は大人しく復元魔法の練習するよ、頭まだぐぁんぐぁんするー……」
「あの……」
リクの声かけは、虚しく風にかき消された。
ただ1人屋上で佇む。
早かった。一瞬にしてカリン達の姿が消えてしまった。
リクはあたりを見回すが、いない。
本当に帰ってしまったのだろうか、なんとも慌ただしい人達だとリクは思う。
結局何も聞けずじまいだった。名前は向こうから名乗ってきたが、リクが知りたかったのは魔法の方だ。
どうやって使ってるのか、自分にも使えるのか、あの発光生物はなんなのか。
架空でしかなかった魔法が存在しているなんて、リクは嬉しくて仕方ない。小さい頃から魔法という不思議な力に憧れ、人目につかない場所でよく魔法の練習をしたものだ。
瞑想してみたり、感じてもいない気配を察知しようとしたり。
最近になって現実を見るようになり、練習は途絶えてしまっていた。
魔法なんて実際には有り得ないと決めつけたからだ。
しかし、魔法は存在していた。
しっかり見て、痛みをもって体感した。確かに魔法だったと断言できる。
魔法でないなら、カリンはどこからやってきたのか、リゴットは光るぬいぐるみなのか、一瞬にして消えてしまった方法は手品なのか。どう説明できるだろうか。
雲の隙間から月が見え隠れし始めた。
柔らかい月明かりが屋上を照らす。
床の上でチカチカと光を反射する点滅に気付いたリクは、手を伸ばして拾い上げた。
小さなカギだ。
よくカギを拾うな、と思いながら鍵を調べてみたが、特にこれといった手掛かりは得られなかった。
今日屋上へ来た時には落ちていなかったという記憶を信じてみると、カリンが落とした可能性が高い。
しかし彼女に接触することもできなければ、落とし物としてどこかに届けても、カリンが取りに来るとは限らない。
リクは、預かる事にした。
確信はないが、持っていたらまたカリンに会える気がするからだ。
鍵をカバンへしまい、リクは屋上から離れた。
足取りは軽く、これから襲いかかってくる両親のプレッシャーもなんてことはない。
今のリクは夢に満ち溢れている。
人が想像することはいつか実現する、なんて言葉を聞いた事があるが、まさにそうであったと感動に浸っていた。
魔法の存在が、リクの迷いを吹き飛ばしたようだ。
★★★
後日、リクとカリンは街中のとある雑貨屋で偶然再開した。
カリンは先日の奇抜な服装ではなく、大人びた格好をしていたのでリクは気付かず、カリンから声をかけてきた。
二人は談笑し、このチャンスを逃すまいとリクは質問魔のように喋り続けた。
カリンはそんなリクの姿に引かず、笑顔で答える。どうやらカリンも質問があったようで、会話は途切れることがなかった。
拾ったカギはカリンが所有する自転車のカギだったと判明し、カリンが不便な生活を強いられていた事も知ることができた。
「それで、突然ですが僕も魔法使いになりたいんです。どうしたらなれますか?」
「うーん、なれるけど……」
「けど?」
カリンは一息おいてから答えた。
「男の娘になっちゃうけどいいの?」
「おとこのこ?」
「あ、男の娘と書いて、男の娘」
聞いたことがある単語だった。男の子だけど男の子じゃない、でも男の子。可愛くて女の子のようにも見えるけど、男の子。
そんな男の子を愛する人に名付けられたジャンル、それが男の娘だと、リクは理解していた。
「え、な、なんでですか……」
「魔法使うには魔法衣っていう服を着るんだけど、なぜか女性用しかないの。初めて変身する時に、その人の能力や性格に合わせた女性用の服が、自分の魔力で作られるんだ」
★★★
カリンと出会ってから数ヶ月がたった。
勉強についていけるようになり、以前抱えていた迷いは晴れていた。
将来は警察官になると決め、夢へ向かって充実した毎日を過ごしている。
両親も賛成してくれた。
屋上へは週3日ペースで登っている。
見習い魔法娘として、屋上を拠点にして人々をこっそり助けている。
服装については、リクの為、割愛することにしよう。
魔法少女? カリンさんのとある一日