二人の男は止まらない。
当たり前の事するのになんで後悔なんかするんだ?
「なあ」
「なに?」
「ここって裏道なんだよな?」
「そうだよ」
「裏道ってのはあれだろ?要は近道って事だろ?」
「まあそうなるね」
「普通に行くより早く着けるって感じだろ?」
「うん」
「じゃあなんでこんなところで信号に捕まってんだよ。しかも全然信号変わんねえし。なんだよ、これ」
「しょうがないじゃん。交差点の八割は信号機が設置されているんだから。信号機がない道なんて抜け道だよ。細いし狭いし。この道順が一番早く着けて安全なんだから。そんなに怒んないの」
「本当か?」
「本当だよ。さっきも説明したでしょ」
「違うって。本当に交差点の八割は信号があるのか?」
「さあ。適当」
「適当かよ、おい。だけどなあ、文句も言いたくなるぜ?ここ田んぼ道だぞ。見通しだってスゲエいいぞ。見通し良すぎて富士山見えるぞ、たぶん。なんでこんなところに信号つけるんだよ。もったいない」
「さあ、なんでだろうね。まあこの道って道幅が広くて直線が長いじゃない?だからスピードの出しすぎで事故が多いんでしょ、きっと」
「知るかそんなもん。大体事故るヤツは気をつけねえのと気遣いがねえから悪いんだ。そんなバカどものために俺らは進む事が出来ねえ。冗談じゃねえぞ」
「そんなにカッカしない。信号はもうすぐ変わるよ。ほら、信号に夜間感応式って書いてある。ぼくらの車に反応して変わるんだよ」
「それにしては全然変わんねえぞ」
「今はそう感じるだけだよ。すぐ青に変わるよ」
「なあ」
「なに?」
「無視していっちまおうぜ」
「ダメだよ」
「なんで?」
「信号無視だから」
「いいじゃねえか、別に。周り見ろよ。車なんて一台も走ってねえじゃん。お巡りだっていやしねえよ。な、いっちまおうぜ。」
「ダメだよ」
「おい」
「ダメったらダメ。それに焦ったらもっとダメ。今重要なのは急ぐ事じゃなくて目立たず普通に運転する事だよ。シートベルトをきちんと絞める、法廷速度を守る、そして信号を守る。移動にリスキーな行動はいらない。だからダメ。アクセルから足を離して」
「焦ってねえよ、別に。だけどこんな田んぼ道の信号でポツンと止まっているのも目立つんじゃねえか?」
「赤信号で止まるのは普通でしょ?大丈夫だよ。それに軽トラックだし」
「田んぼ道には軽トラが似合うってか?そんな理由で軽トラにしたのかよ」
「違うよ。軽トラックは荷台があって積み降ろしも早いし小回りが効くしね。便利じゃない?」
「だけどその荷台にあるもん見られたらどうすんだよ」
「大丈夫だよ。シートしてあるし」
「ブルーシートがな。しかも押さえてあるから形がもろバレだし」
「バレないって。そりゃめくったらバレるけど。でもめくる人なんていないじゃん。こんな真冬の真夜中にマラソンしてる人なんていないよ」
「韻を踏むなよ、韻を」
「心配性だな、ひろみは」
「ストレートに名前で言うな。女みてえでイヤだって言ってんだろ」
「何を贅沢な。ぼくなんて太郎だよ。鈴木太郎だよ。本名なのに仮名みたいって何度言われたか。しかも次男なのに」
「わ、わかった。名前の事を言った俺が悪かった。肩を震わせるな。気を鎮めろ。こみかめに血管浮いてるぞ。大声張り上げるなよ。目立っちまうぞ」
「そうだった。目立っちゃダメってぼくが言ったんだよね。ぼく短気だからな、すぐ頭に血がのぼっちゃう」
「お前大学出てんのに気が短いんだよな」
「性格と学歴は関係ないよ」
「そりゃそうだな」
「そうだよ」
「なあ」
「なに?」
「信号、全然変わんねえじゃん」
「そうだね。全然変わらないね」
「渡ろうぜ」
「ダメだよ。警察に捕まりたくない」
「心配性はどっちだよ。大体どこに警察がいるんだよ。見ろよ、誰もいねえよ。日本の人口疑いたくなるくらいだよ。それにこの道が一番安全って言っただろ?大丈夫だよ」
「そりゃそうだけど。でも油断したくないんだ。ほら、登山でも登る時より降りる時の方が危険だって言うでしょ?こんなつまらない事で捕まりたくないんだよ。捕まったらごまかしのしようがないもん」
「まあ無理だろうな」
「ここでぼく達の持ち物はぼく達自身だけなんだから」
「そうだな」
「ねえ」
「なんだよ」
「後悔してる?」
「何を?」
「とぼけないでよ」
「ふん。たとえばお前、腕に蚊が止まっていたとするだろ?当然パチンと叩くよな、蚊を。で、その蚊はすでに血を吸っていて掌とか腕に血がついたとする。それでお前、蚊を叩いた事後悔するか?」
「しない」
「だろ?しないだろ?一緒だよ、それと。ついた血はティッシュとかで拭けばいい。後悔なんてするわけない」
「わかりやすいね。でもちょっと季節外れのたとえだね」
「うるせえな。いいだろ、別に。たとえなんだから。わかりゃいいんだよ、わかりゃ」
「ひろみらしいね」
「おい」
「なに?名前で呼ばれて気が立った?」
「違うわ。なんで窓開けんだよ。さみいだろ。」
「タバコだよ」
「ダメだ」
「なんで?この車禁煙にしたの?」
「俺がしてんだよ、禁煙を。嫌がらせか」
「禁煙?いつから?」
「さっきからだよ。ちょうど買い置きがないしな。ついでに禁煙する」
「へえ。これで何回目だっけ?」
「うるせえな。めげない男なんだよ、俺は」
「一本やろうか?」
「悪魔だな、お前は。禁煙してるって言っただろ」
「コンビニとか寄ればよかったのに。お金あるじゃん」
「ああ、あるよ。ありがたい事にたっぷりとな。でもお前、今コンビニ寄れねえだろ。普通」
「それもそうか」
「そうだよ。どっか抜けてんな、お前は」
「じゃあ失礼して」
「あ、コラ。なんで吸うんだよ。この人でなし」
「ああ美味しい」
「なあ」
「なに?一本欲しい?」
「そうじゃねえよ。信用出来んのかよ、ええとなんだっけ」
「ああ、新和興業?」
「そう、新和興業」
「しっかりしてるよ。業界大手だし。メルセデスって感じで」
「なんだそれ。メルセデスが怒るぞ、きっと」
「ちゃんとしてるって事」
「ちゃんとしてるってのも変な話しだな」
「だってちゃんとしてるんだもん」
「まあ、お前が言うならそうなんだろ。信用するよ。で、いくら?」
「五十万」
「五十万?高けえな、おい。きょうびは棄てる方が高くつくんだな」
「言ったでしょ。メルセデスだって。そうだ、メルセデスのCEOが何故メルセデスの値段が高いのか、その理由を言っていたんだ」
「なんでだよ」
「高級だから」
「なんだそりゃ」
「モノが良いって事。安心だって事。自信があるって事。ぼく達は安全も買っているの。そう思えば安いもんだよ、五十万なんて」
「そうかあ?別に置いてきてもよかったんじゃねえか?」
「行方不明になった方が都合が良いの。置いてきたら事件になっちゃうよ」
「冗談だよ。俺はこれでも金の使い方を知っているんだ」
「いつも金ない金ないって言っているくせに」
「うるせえな。金の使い方知っているから金がねえんだよ」
「口が達者だね、ひろみは」
「太郎」
「なに?」
「良かったな。蚊を退治出来て」
「うん。スッキリした」
「アミちゃんもきっと喜んでいるよ。なんせ気が強かったからな」
「うん。きっと太一もね」
「太郎」
「男の子だったんだ。その時警察から教えられた。アミちゃん、教えてくれなかったんだもん。だからその時考えたんだよ。初めてだったから要領得なくて。参ったよ」
「いい名前だよ」
「ありがとう」
「親父の勤めを果たしたな」
「最初で最期になっちゃったけどね」
「太郎」
「なに?」
「後悔しないな?」
「しないよ。どうして?」
「俺と違ってお前にはやり直しができるからさ。仕事もお前ならすぐ見つかるし、時間が経てばきっとまた結婚だってできる。別の人生を送れる。今ならまだそれができるからさ」
「ひろみ」
「なんだよ」
「アミちゃんはもうやり直す事ができない。太一は始める事もできなかった。二人にできない事をぼくにはする事ができない」
「ふん。そう言うと思った。ただの確認だよ。言っておくけど俺は後悔しねえからな。たとえお前が抜けても俺はやる。やられたらやり返す、悪さをしたらゲンコツをする、当たり前だろ?赤信号は止まれ、くらい当たり前だ。俺は当たり前の事しない方がよっぽど後悔する」
「ありがとう」
「おい。礼はまだ早いんじゃねえか?蚊がもう一匹残っているぞ」
「そうだよね」
「荷台のもんとっとと片付けて蚊を叩きに行こうぜ。うっとうしくてたまらん」
「ひろみ」
「なんだよ」
「後悔してる?」
「してねえって言ってんだろ、しつこいな」
「違うよ。ぼくとアミちゃんの事」
「なんだよ、それ」
「ぼくと結婚しなければこんな事にはならなかったって思ってない?」
「太郎」
「なに?」
「女が好きな男と結婚したのになんで後悔なんかするんだ?」
「ひろみ」
「二度とこの話しはすんなよ。次は口じゃなくて手が出る」
「ゴメン」
「前を向こうぜ、前をよ」
「ひろみ」
「なんだよ」
「信号、変わった」
「あ、本当だ。ったくなげえ事待たせやがって。どうなってんだよ。こんな田んぼ道に信号つけるわ、しかも全然変わんねえし。事が済んだら警察に怒鳴りこんでやる」
「事が済んでから行くんだ。いいね、それ。ぼくも行くよ」
「太郎」
「なに?」
「頼みがある」
「なに?改まって」
「やっぱりタバコ一本くれ」
おわり
二人の男は止まらない。
読んでくださりありがとうございました。
信号を守りつつ、重大な犯罪を犯した彼等。
守るべきは法か、それとも尊厳か。
彼等は尊厳を選びました。
誤りでしょうか?