はひふへほ
「あーあ、もう…………………」
10日目 教室
散々な目にあった。
むーちゃんがまた怒ってたからだ。いくとはいつものように笑っていたけど、けれどやっぱり、早く機嫌取りをしてこいと僕に言う。
<まったくまったくまったくまったくまったく、何なのさ。渡部さんは。それとあーくんは。機嫌が直ったり機嫌が悪くなったり、コロコロコロコロ変わりやがって。いったいいつになったら安定するんだよ。これだから、馬鹿ってのは嫌なんだ。しかも、二人の相手をしなきゃならない。本当勘弁してくれよ。本っ当、自分たちの事ばかりじゃなく―――― 俺の事も少しは考えながら行動しろよ>
えへへ、とは言わなかった。
笑っている。
そういう風に、ギリギリ見える顔だった。色んな意味で、限界なのかもしれないな。
何がかは分からないのだけれど。
いくとは誰に対して言っているのだろう。むーちゃんに対してか、それとも。
僕にか。
いや、二人にか。
さっき、そう言ってたし。
でも、いくとは僕ら以外にも……
<――本当、もう。あーくん。薫さんに会ったみたいだね。薫さんと話したみたいだね。薫さんと遊んだみたいだね>
いくとは溜め息をつく。
落胆を表す溜め息。
薫さん。彼はそう呼ぶ。前に一度殴られ、血を出したその後から。
その呼び方に、敬意は無いようだけど。
<あーあ。最悪だよ、あーくん。俺はこんなことしたくなかったのに、やりたくなかったのに。全てが最悪へと転がってるよ。全く、本当>
<――――俺の気持ちも考えてほしいよ>
えへへ、と最後にいくとは笑った。
感情の出ていない顔で。
目は、黒かった。
――――気持ち?
気持ち、誰の?
いくとの、気持ち?
僕?
分からないよ
ムズムズする
気持ち悪い
は、口癖
誰の?
むーちゃんの?
むーちゃん
渡部
渡部くちは?
10日目 川原
「作戦会議をしましょう――――あーくん」
副担任による、くそ長いHRが終わった後。僕は通学バッグを背負って帰ろうとしたときき、呼び止められた。そして、通せんぼをされた。
両手を左右に開き、僕が通れないように。文字通りの通せんぼ。必死らしさが伝わる、かわいらしいもの。
――――――――かわいらしい?
そしてむーちゃんは言った。
「作戦会議をしましょう」
と。
強い意思が声に出ていた。風鈴は強く鳴る。
けれど、むーちゃんの意識は僕から少しだけ外れているようだった。目線は僕の横を通り抜けているようだ。横を。
誰に、だろう。
少しだけ、心の奥がジリッとした。
――――――――ジリッとした……なぜ?
僕は振り向くけれど、そこに居たのは何もなかった。
ただの机。三番の奴の机だろうか?
分からない。
とりあえず、むーちゃんがそこを封じていると、僕を含め誰もそこのドアから出られないから、少し渋った風にして僕はむーちゃんについていった。
――――――――渋った風?
風……本音じゃあない?
まぁ、走ってもうひとつのドアから出ればいいのだけれど。
彼女なんて簡単に出し抜ける。
だけれど僕はついていった。
だから、僕とむーちゃんはここにいる。
いつもの場所。
いつも、薫といたあのベンチへ
ん?
あれ?
10日目 川原2
「わ、私の場所なの。お気に入り」
彼女は笑った。前と変わらない。ガギギとした、ぎこちない綺麗な笑顔。
何故、彼女がここに、このベンチに僕を連れてきたのかというと。
なんのことはない。ただ、場所が被っただけのようだ。
ただの偶然。
「帰ってきたときに、いつも。ここに座って夕日を見るのが好きなの」
そう言って、むーちゃんはストンとベンチに腰掛ける。
穏やかに。
いつも。
よくも、薫と鉢合わせしなかったなと感心する。鉢合わせしていたら、どっちのお気に入りの場所になっていただろう。あるいは、二人とも今と変わらず、二人とものお気に入りの場所になっていたのかもしれない。分からない。
「それで?」
僕は片手を腰にやり、夕日を見ながら言う。
夕日はいつもより、高めの位地だ。
今日が五時間授業で僕の帰る時間が早かったからだろう。五時間授業。なんて素敵な響きだ。
「――うん?」
むーちゃんは首を傾げる。
なんのことか分かってないらしい。
馬鹿なのかコイツは。
「いや、だからさ」
まだ、傾げている。
二つの潤んだ目で僕を見つめる。
良い気分では、ない。
「作戦会議ってなんだよ。何なんだよ」
むーちゃんは、あぁ、と思い出したかのように言った。
忘れるなよ。僕の貴重な放課後の時間をお前に使っているんだぞ。
…………。
おいおい、まさか。
それをただの暇潰しだとか、下らねぇこと言うんじゃねぇぞ。
――――――――僕の貴重な放課後の時間をお前に使っている?
なぜ?
何のために?
メリットがあるから?
「えっと、言葉のまんま……だよ、あーくん」
答えになっていない。
僕はわざとらしく舌打ちをする。
分かりずらいのは嫌いなんだ。
時間のむだ。
「だから、なんの作戦会議だってんだよ」
僕はベンチにドカンとむーちゃんの横に座る。薫みたいに。
「そんなのも分かってなかったの?あーくん」
呆れたように彼女は言う。
「私達の学校を統廃合から、守るためよ」
彼女は笑わない。
しごく真面目な顔で言った。
僕は少しだけ、残念に思った。
無理なのに、絶対に出来ないのに、と。
呆れた。
落胆した。
「そんなことも分からないなんて、気持ち悪いね」
ガギギと笑う。
馬鹿にしたように、穏やかに笑う。
初めて出会ったときとは、別の笑顔だった。
彼女は無口ではなかった。
逆に、誰が彼女を無口だと思ったのだろう。今の彼女をみると、全く、そんなことを想像できないのに。そいつも、馬鹿なのだろうか。
10日目 自室
今日も門限を越えた。
けれど、母親には小言を言われなかった。多分、薫を恐れてのことなんだろう。薫は強い奴だからな。いろんな意味で。
うちの母親は外の圧力には弱い。逆を言えば、内では強いということだ。嫌な性格だ。そして、嫌な病気だ。
いくら僕でも、病人には口を出せない。出したくない。
僕は結局、むーちゃんには力を貸さないことにした。
今のところは、だ。
――――――――今のところ?
じゃあ、時間が経てば、時が満ちれば力を貸すのかよ。
あのとき。
むーちゃんは、僕をじっとりと見つめ。
諦めたような言葉を言った。
何を言ってたかは忘れた。
僕に理解できなかったからかもしれない。
だから、僕は今夜、何もせずに寝る。
何もしたくない。
そんな気分だった。
雲がかかる月。
はっきりとは見えない月の全容は、気持ち悪いものだった。
満月なのか欠けてるのか、僕には分からない。
電気を消した。
今日も僕はわからない。
はひふへほ
「まみむめも」へ