親父の怒り

風呂上り、何の気なしにテレビをつけると、
画面が明るくなるより前に耳に飛び込んできたのは、中年男性の怒りの声であった。

わずかに遅れて目に入ってきた映像は、いかにも隠し撮りといった感じで
部屋の隅の高い場所から、あるお宅の食卓の風景を写したものだった。

何かに激したように大きな声を出しているのは、食卓についている50代くらいの男性である。
どうも、向かい側に座っている誰かに対して怒りをぶつけているらしい。
相手の顔は、よく見えない。


こういう風にお芝居でなく本気で怒っている人をテレビで見るのがひどく苦手なので、
いつもならすぐにチャンネルを変えてしまう。
が、なぜだかその時は少し見入ってしまった。
何の番組なのか確かめたい気持ちがあったのかもしれない。

それは毎週放送しているバラエティー番組で、特に好きなわけではないんだけれど
その時間にテレビをつけていると何となくしばらく見てしまうという類のものであった。
画面の端に書かれた文字を読んで、やっと大体の内容が理解できた。


「自分の息子が芸人になりたいと言い出したら、親はどんな反応をするだろうか」というのを
いくつかの家庭の息子さんに協力してもらい、隠しカメラで撮影しているのだった。
私が目にしたのはそのうちの一つの家庭で、テレビをつけた時にはすでに息子さんの嘘の告白は終わっていた。


お父さんは少し線の細い、神経質そうな感じだったように思う。
怒鳴るというような怒り方ではなく、高ぶる感情を抑えきれないといった様子だ。
これがなぜこんなにも印象に残ったかというと、お父さんの怒る理由が予想していたものと違ったからなんでした。


そもそもが嘘の告白なものだから、息子さんの言い方にいまいち本気が感じられなかったのだろう。
お父さんは、そのことに心底腹を立てているのだった。


「芸人として成功するなんて、本当にごく限られた数しかいないんだよ」
と、父は言う。


「芸人になりたいなんて言われて、すぐに賛成する親なんていないぞ。
一万人いたら、9999人が反対されるんだ。
みんな、まずそこを通っていかなくちゃいけないんだよ。
お前にそれができるのか。
きちんと親を説得してやっていけるのか。
それぐらいの強い意志で言ってるのかって聞いてるんだよ!」

細かい部分は違っているかもしれないけれど、お父さんは大体こんなことをおっしゃっていた。


当の息子でもなく、芸人になりたいと思ったこともないただテレビを見ていただけの私が、
この言葉に非常にがつんとやられてしまった。


お父さんは、芸人という職業に反対しているわけではないのだ。
そうではなくて、息子の態度から真剣さが感じられないことに腹を立てているのだ。
その中途半端な気持ちを責めているのだ。


なんて素晴らしい怒り方だろう。
本当に、少し目頭が熱くなってしまったほど感動した。


もし自分が父親だったなら、こんな風に息子を叱ることができるだろうか。
そしてもし自分が息子だったなら、そんな父親の言葉にもめげないほどの強い意志を貫けるだろうか。


どちらもあまり自信のない私だ。


あんまり激しくお父さんが怒っているので、最後にカメラが部屋に入っていった時にはかなりハラハラしたけれど、
意外にもお父さんの怒りは空気でも抜けたようにへなへなと収まってしまった。

嘘だと知って「ほっとしました」と苦笑いしたのもまた、親心というものなんでしょうか。


とにかく、いいものを見ました。

親父の怒り

親父の怒り

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-09-20

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted