寸暇

それはどこにでも存在していて、普段は私と一定の距離を保ってこちらをじっと見つめているだけなのだが、何でもない日常の合間合間、例えば私が当てもなくぼーっと物思いに耽っていたりなどする時に、本当に予期できぬ、ふいに発作のように、喫茶店にいようが、デパートで買い物をしていようが、はたまた駅のホームで電車を待っているときだろうが、歩道橋の階段を登っているときだろうが、知人と久方の再会を喜んでいるときであろうが、容赦無く私を目がけて襲いくってくる。
それ、というのは常に枯れ果てることなく次から次へと沸き上がってくる混じりけの無いただの空気だけできた球体の群れで、それは大小様々であり、透明だったり不透明だったり、とにかく次の瞬間に生まれでてくるその球体がどれだけの密度なのかは予測できない——その群れが私の身の回りをぴったりと取り囲む気配を感じ、ふと、ああ、今すぐそこ、私の右の方に何か得体の知れない無が産まれた、そう思った次の瞬間にはもう辺りの空気を吸い込んで異様に膨れ上がり、周囲から次々と私の立っている(あるいは座っている)位置の辺りに迫り来て圧迫し、そうしてすぐに縮んで消え、またその出来事に目を瞬かせている瞬間に次のそれが、産まれては膨らんで私を窮屈なほうへと追いやって、その群れを成している球の一つ一つの個が、全くてんでばらばらの調子でこれを繰り返し続ける。私は息が段々と苦しくなり、けれどそれが始まったらその場から身動きを取ることもできず、じっと息を殺しながら、肌にまとわりつくように膨張しては泡の様にはじけ消える、はじけ消えはするけれども決して死ぬことの無いその群れの気が済んでまた私から一定の距離まで離れていくまで、ただ体を固くして足元に焦点を合わせてやり過ごすことしかできないのである。
この正体が、言葉に置き換えると「不安」というものなのだ、ということを私はつい最近知人に教えてもらって知った。
幼い頃からどんな時もひどく釈然としない、暗澹とした気分に浸っていることのほうが多く、晴れやかな、穏やかな、そんな気持ちになるのは昔から眠りにつくためにふとんの中へ潜り込む最初の一瞬だけで、これもまた、しばらく寝返りを打っていると今日やるべきであったあれが終わっていない、これが決着ついていない、とひどく自分に対して鬱憤を感じ、また暗澹な気分へと沈み浸かるのだが、そのひどく重いザワザワとしている感情は、また不安とは少し違うようだ。私はこれを何と呼ぶのが正しいことなのかを知らないけれど、最近私はこの感情から一時的に自分を救うためにタバコを吸うようになった。自分が口にするようになって、なお一層のこと、タバコは美しいものだ。一筋、たゆやかに昇っていく紫味がかった青い煙が、上の方では何方にも分かれて、そしてあの独特なくっきりとした香りとは裏腹にうっすらと消えていく。肺から吐き出した煙も真っ白から透明へとグラデーションを見せて、そうして私はタバコを吸っている間だけは何からも逃げず、どこからも罪悪感を感じること無く、そこに私しかいないように思われ、ひどく心の底から満ち足りた気分になり安心できる。「お金を出して早死にすること無いじゃない」なんて、お門違いの台詞を吐く人間もこの世にはいるが、彼らは喫煙者の持っている孤独や哀しみが一生理解できない。いや、しようとしないのだな、と頭の片隅で考える。さらに私は長生きをしたいと思ったことは一度も無い。4歳の頃から人生の目標は「35歳までに死ぬ」ことだった。早死にはいいもんだ。みんな、どんな人間であっても長生きはするものじゃない。早く死ねればそれに越したことは無い。お年寄りが嫌いなわけではない。むしろ、わたしはお年寄りが好きだ。私自身も、祖母祖父っ子である。何にせよ、タバコは私にとっては、今は無くてはならないものであり、雨が降っている時の一服ほど、好きなものはない。

雨というのは不思議なものだ。朝起きてカーテンを開け、そこに太陽の光が見当たらず、かわりに冷たい滴が控えめに鼻先に落ちてきて、耳をすますと静かにしとしとと雨音が聞こえてきた時の、あの言い知れぬ高揚感は何にもかえられない。冷たい雨と暖かい雨があって、これは決して雨水の温度の話ではなく、外気に当たる前に、見ただけで雨の冷たさや暖かさが伝わってくる、あれには雨にも意思があって空から沈んでくるのではないかと小首を傾げる。窓から街を見下ろし、色とりどりの傘が、——せわしなく進んでいたり、ゆっくりだったり、回転していたり、またはその場に留まっていたり、——大の大人が2人も入れるくらい大きかったり、はたまた人形のおもちゃのように小さかったり、———あの様子をベランダの手すりに頬杖をつきながら、時にはわざわざコーヒーを淹れてそれを持って飲みながら、眺めるのが好きだ。もちろん、自分が傘をさすのも好きである。手荷物が多いと傘に入りきらなかった部位が濡れてしまって、取り返しのつかないことになることも多々ありはするけれども(特に書類の束を用事があって持ち歩いているときは大変だ)、傘に雨滴がパラパラぶつかる音も、地面に当たって水滴が砕け散る音も、あるいは雨が辺りを湿らせた香り、いつもよりもしっとりとしている空気、そんなものもいちいち、小さく微笑みながらその空間にずっと居続けたくなる。私は数年前から心臓を悪くしていて、呼吸が、以前のように自然な感じでうまく吸い込み吐き出す、ということができなくなったのだけれども、雨の日にはわりとまともに楽な気持ちで息をつくことができる。雨の日には草花や木々の表情も、こころなしかいつもの乾いた太陽光を浴びている時より、パッと華やかに、色づいて見える気がする。
私はコーヒーが好きだ。ブラックで砂糖ミルク一切無しか、あるいはカプチーノに限る。
口に含むと、まず一瞬まろやかな口当たりが、続いて深く酩酊感を感じさせてくれるあの苦み、そしてなんともあっさりと澄んでいる後味のキレの良さ。えぐみが出ているコーヒーと、酸味のある豆を挽いているコーヒーは残念ながら少し苦手だ。いつだったか何かの雑誌で読んだ、「沸騰したてのお湯で淹れるのではなく、70度ほどの、少し冷ましたお湯で」という一文を、何年か経った今も忠実に実行し続けている。アイスコーヒーはあまり好きではないから、夏場のどうしようもない暑い時期以外はなるべく飲まない。コーヒーは香りも色も味も、何もかも一つにまとめて愛おしいと思う。明日は久しぶりに街角にあるこぢんまりとした珈琲屋さんに行って、コーヒー豆を買ってこよう。それからあそこのパン屋さんにも寄って、朝一番限定の焼きたてのパンをひとつひとつ眺めながら、———そういえば新作のベーグルが出たらしいから試しに買ってみようと思う——コーヒーに合うような、美味しいサンドイッチも買って来よう。
なにか楽しいことをして、わざとでもいいからせめて明日だけは明るい気持ちを演じないと。焦る気持ちを押し隠しながら、私は一度振り返り、まだカーテンを開けたままにしている、小さいガラス窓から外をみる。夜の小さな星の集まりが、静かにチラチラ、ゆらめいていた。

寸暇

寸暇

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-09-20

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