主は悪戯をなさる
優しく燃える暖炉の火。
アームチェアに座ったおじいちゃんが、膝に乗った可愛い孫娘に語りかける。
昔のウェールズの田舎を舞台に、少女が体験した不思議なお話を書いたものです。
少し前に書いたものではありますが、よろしくお願いいたします。
優しかった祖父の記憶。しかし私は知らなかった。祖父の冒険を。
ゲホン! ゲホゲホ、ゲホン!
鼻が詰まってなかったら、きっとクシャミも連発したところだ。あたしはともかく本を閉じた。マスクをしてから開く方がいいと判断したからだ。
階下に降りると、玄関でママがエプロン姿で扉を閉めるとこに出っくわした。手に封筒をたくさん握っていたから、門のポストを覗いてきたんだろう。
「ママ、あたし宛ての手紙、きてる?」
サンダルを脱いだママは「んー」と言いながら、手紙の束をシャッフルする。
「フリッカ、……フリッカ。この2通がフリッカ宛て。オレンジの封筒はドミニク先生からね。相変わらず愛用の封筒で手紙をくれるのね。はい」
ママのボンレスハムのような腕が、あたしに向けて突き出されてきた。先っちょには2通の手紙。あたしの手には結構大きなその手紙も、ママの手のなかにあると、どういうわけか小さく見える。ママの胸元にいつもある女神のレリーフの白いブローチだって、あたしが着けたら倍くらいの大きさに見えるだろう。あたしはこれをジュニアスクール以来、昼には小さく見える太陽が地平線に沈むときは大きく見える、つまり対比するものの違いで大きさが変わって見える“お昼と夕方の太陽の法則”とひそかに呼んでいることは、親友のアリシアにしか打ち明けていない。
そんなことを思っていたら、ドミニク先生の手紙以外のもう一通は、アリシアからのものだった。
もちろん開けるのはこっちから。
前住んでいたナイトンから、ここカーディガンに引っ越して、半年ぶりの親友からの手紙! いったいどうしたことだろう。なんで半年も音沙汰がなかったんだろう。残酷なアリシア。
リビングのソファに座り込んで、もどかしく手紙を開けたあたしは、ほとんど一心不乱に手紙を読んだ。夢中で、ママがテーブルにレモネードを置いてくれてったことにも気がつかなかった。
なんてことない、いつもの調子の、アリシアの文書。おかしいじゃない。
「え?」
しまいまで読んで、あたしは我が目を疑った。アリシアがメッセージを結んだ日付が、六か月以上も前だったから。次いでドミニク先生の手紙も、急いで開けて見る。先生には悪いけれど、真っ先に最後の日付を確認させてもらった。
「なにこれ! こっちは……ひいふうみい……八か月半近く前のじゃない!」
そのとき、キッチンの方からはママの声。
「ああもう! 半分近い手紙が遅配もいいとこ! 電報の請求書まであるじゃない。延滞金がつく請求書はないでしょうね? 郵便局を訴えてやろうかしら」
あたしはママのところに行って、手紙の束を見てみた。やっぱり。あて先が前の住所のものは、みんなはるか昔のものだ。ちゃんと郵便局には引越し後の新住所も届け出てあるのに。ママがトサカにくるのも判る。かくいうあたしだって、ショートカットだったら髪の毛が逆立っていたかもしれない。ああ、アリシアの方こそあたしを“半年も返事を寄越さない不義理者”って思っているに違いない。今夜にでも手紙を書かなきゃ。ううん。電報を打つべきかも知れない。早くあやまらなくっちゃ。
「なんてこと。これなんか去年の消印よ。ジェノバから? ……おじいちゃん宛て?」
ママの声を聞いて、ふっと、あたしの心の中がセピアに染まった。おじいちゃんの事を思い出すとき、あたしの心の情景は、いつもとても優しいセピアの色になる。
今朝、おじいちゃんの夢を見た。だから今朝からあたしは一日セピアだった。学校から帰って、屋根裏の物置をあさって、おじいちゃんの遺品が入っている三つの木箱を探し出したのは、おじいちゃんが恋しくなったから。もっとも、うちひとつの箱からさらに小さな箱を見つけ、それを自分の部屋に持ち込んで、なかから埃だらけの本を取り出したとき、むせ返ってあたしの心の色は現実の色に戻った。
そうだ、あたしはマスクを取りに階下に降りてきたんじゃないか。おじいちゃんの思い出に浸るために。もう一度セピアを見るために。
でも、どうやら今夜はアリシアへの手紙を書くのが最優先みたい。
‡
二年前におじいちゃんが亡くなったとき、あたしは三日経ってから泣いた。一週間泣き続けないと、落ちつかなかった。途中何度かアリシアが、あたしを元気づけようとして、家に様子を見に来てくれたことは覚えている。でもパパやママによると、おじいちゃんが亡くなった翌日も、アリシアはあたしを心配してくれて、うちに泊まってあたしと一緒に寝てくれたんだって。全然覚えていない。ただ、おじいちゃんがお墓から抜け出してきて、あたしの頭を優しく撫でてくれた夢を、見た覚えしかない。それ以外、自分を取り戻して泣き始めるまでの3日間のことは、なんにも覚えていない。
おじいちゃん、エリオット・オーテムは、村で一番尊敬されるお医者で、同時に童話作家だった。あたしにはお医者の仕事はよく判らないけれど、童話では世界一だった。だから、去年ロンドンのチャリング・クロス・ロードで、おじいちゃんの本を見つけられなかった時は信じられなかった。
パパが言うには、おじいちゃんは、あたしに向けてお話を作っていたそうなのだ。知り合いの本屋さんに頼んで、ほんの数十冊だけ作った本を、あたしと近所の人にだけ渡していたって。
ハオヤク島に住むリーベの一族の物語があたしは大好きで、特に“沈まない船の船長・シーシキン”はあたしや友達のフレッドにとっては、英雄だった。
でも暖炉の前で、安楽椅子に座るおじいちゃんの膝の上で、温かいミルクを飲みながら、昔はシーシキン船長だったおじいちゃんの体験談を聞く権利は、あたしだけのものだった。それで、七歳まで、あたしはおじいちゃんの話は全部本当だと思っていた。でもそれがお伽噺だと判ってからだって、あたしはいつも本当に心から楽しんだ。パイプの香りがするなかで、あたしは大ダコが船を飲み込む話や、船が五回続けて沈没した話、幽霊船に追われた話、背中の三つの山に土人が暮らす鯨の話、船の周りに百本の竜巻が発生した話に、固唾を飲んだ。
おじいちゃんが亡くなった一昨年、夜空に大きな彗星があったから、あたしはおじいちゃんの病気が良くなるように、毎晩お祈りしていたんだけれど、彗星は願いを聞いてくれるどころか、おじいちゃんの魂を盗んでいった。あたしは星が嫌いになった。
半年前に、パパの仕事のせいであたしたちは、いままでずうっと暮らしてきたナイトンから、ここカーディガンにやって来た。あたしは大いに不服だったけれど、パパは場合によってはウェールズからイングランドに移る可能性もあったって言う。そうなると、あたしは文句も言えなかった。だって最悪の結果にならなかっただけ、マシだもの。イングランド人には、鳥肌が立つから。
引越しのとき、おじいちゃんの遺品はパパが整理した。そしてこの家の物置である屋根裏部屋にしまった。きっとパパは急いで詰め込んだんだ。本に積もった埃も掃除していないんだもの。だからかよわいあたしが本を開くと、部屋中に埃が舞ったんだろう。
昨晩アリシアに手紙を書いて、ミドルスクールに行く途中の朝、アイリッシュだと噂されている郵便屋のモニガンに会ったから、手紙を渡しておいた。
そして今夜、食事を終えたあたしは、マスクをして、三冊の本が入った小箱をすっかりキレイにした。
寝間着に着替えたあたしは、ベッドに潜りこんでナイトスタンドの明かりの中、三冊の本を開く。
最初の本には、あの懐かしいリーベ一族の童話があった。まだあたしの読んでいない話。おじいちゃんが童話のアイディアを書き溜めたノートみたい。ナイトスタンドの明かりは、心が優しいセピアに染まったあたしの視界までも、セピアに染めてくれる。皮張りの装丁のこの本に記された童話は、おじいちゃんの直筆。
じっくり読むのはちょっと後で。あと二冊はどんなに素敵な本だろう?
もう一冊は、全部白紙だった。そういえば、表紙もまだテカテカで新しい。
そして最後の一冊。三冊のなかで一番ボロボロの、皮も剥げた本。開けばなかは破れかけていて、紙はかつて濡らしたことでもあったのか、ゴワゴワのブヨブヨ。なんとなく、潮の匂いがする。内容は、あちこち滲んだインクで書かれている言葉が、どれも極端に難しい。あたしがまだ学校でも習っていない言葉がたくさんある。おじいちゃんの、小さい子にも判りやすい言葉で書かれた童話に親しんだあたしには、ちょっと不思議な感じがする。だって、字は間違いなくおじいちゃんのもの。でも、はっきりあたしに向けたものじゃないことが判る。ちょっとドキドキした。読んでしまって、いいのかな。
迷ったけれど、ページをめくる誘惑に、あたしが耐えられるはずがないことは、最初から判っていること。おじいちゃん、ゴメンネ。
日記……かな? 最初のページの出だしが「私は」になっている。「ロードアイランドに行くことになった」ふんふん。「医学の発展は目覚しい」「村を一時期とはいえ離れることに、忸怩たる思い」なんだろう? ジクジ? 明日辞書を引こう。
なにかよく判らないが、この「私」というのは、きっとおじいちゃんだろう。もしかすると、やっぱり日記というか、日々の出来事を綴ったノートなのかもしれない。
読み進めるうちに、あたしは呆然と、夢中になっていった。最初はなんてことない内容だったけれど、やがて……なんというか、とても奇妙な内容に変わっていくのだ。あたしは、あの暖炉の前でおじいちゃんの膝に座って、かつての冒険譚という名の童話を、また聞いているような気がしてきたのだ。でも、小さい子ども向けに噛み砕かれた文章ではない。それが些細な違和感にますます拍車をかける。
外では、夜の寒風が窓をカタカタと揺らす。港町のカーディガンは、ナイトンより風が強く冷たい。でも風の音以外はなにも聞こえなくて、あたしはなにか、死に絶えてしまった世界にいるような、このベッドのなかだけが唯一の安全圏のような気になってくる。
‡
私は、この機会を生かそうと、思いきってロードアイランドに行こうと決心した。五年前なら考えもしなかったことだ。アメリカなど何も無い地だと信じて疑わなかったからだ。以前、その論文で私を仰天させたリッテルン博士が、アメリカの市民権を取ったと知らなかったら、現在でもかの地になんの価値も見出さなかったに違いない。
医学の進歩は目覚しい。トリーヴスがロンドンを沸かせているという話は、伝え聞いたことがある。ただ、私は名誉に興味はない。それに、このリデリィ村には医者は私ひとりしかいない。アメリカに行くとなったら、これは長旅になることは間違いない。しかし、あのドイツ人のリッテルンが持つ最新の豊富な知識には、大きな魅力がある。去年、この村で患者で私を頼ってきた者のうち、ふたりを救うことができなかった。うちひとつは、ろくに病名も確定できない体たらくだ。
行きたい。行って彼に教えを乞いたい。村を一時期とはいえ離れることに、忸怩たる思いはあるが、私がヘボ医者のせいで、救えなかった人々の顔が、頭をよぎると、どうしようもなく落ちつかない。
(中略)
私が医者として、兄弟を誓った親友として、最も信頼しているあのチャールズが、居をわずかだが移すことを考えてくれるという。リデリィ村の患者が、彼を頼って行ける距離ではある。ナイトン以内には違いない。
「なんならリデリィの人には黙っていたっていいさ。きっと誰も気づきはしないよ」
と、人一倍悪戯好きで、ある意味人の悪い彼は言った。まあ、そうだろう。聞けば、彼の住むリデリェにも、最近、若い医者が越してきたとか。患者を何パーセントか取られて、彼も退屈しているのかもしれない。
もちろん、悪戯好きということにかけては、私も人後に落ちない。迷惑をこうむる人がいなければ、彼の話にも乗ってみようかと思う。
(中略)
待ち焦がれた手紙が届いた。リッテルンからだ。彼は私を歓迎してくれるという。こんなに嬉しいことはない。
もう私を引きとめるものはなにもない。チャールズには五年で帰ると約束した。その間、彼がリデリィ村も引き受けてくれる。
私は明日にでも、アメリカに旅立つ。
船を探すのに手間取り、ようやく一週間目にして高速帆船リトルアロウの船長と話がついた。航海中に船医をするなら、船賃はいらないという。所持金が心もとない私には大変ありがたい。そういうわけで、現在この船のなかで私はこの文章を書いている。乗員は、船長と私を含め二十一人だ。長い旅になるだろうが、皆、気持ちの良い連中だ。うまくやっていける自信がある。だが、アベリストウィスを出航してまだ半日だというのに、陸が恋しくなりつつある自分に、苦笑する。
コックのニックが、ティータイムにスグリのジャムを落としたお茶を入れてくれた。ロシア人に習ったお茶だという。甘すぎやしないかと私はおそるおそる口をつけてみると、どうしたことか全然甘くない。心地よい酸っぱさだ。身体も温まる。アメリカに着いたら私も試してみよう。ところでかの地ではジャムなど手に入るのだろうか。いやいや、お茶の葉だって怪しいものだ。そんなことを言ったら、船で一番ののっぽ、ローレンスが笑う。私の心配事など、メーンやマサチューセッツ、ロードアイランドなどの東部では百年前に解消されているそうだ。もっとも西部じゃあまだ、そうかもな、とのこと。
真夜中。なかなか寝つけなくてふたたびペンを取っている。風の音が強い。船もずいぶんと揺れている。書いていて、気分が悪くなってきた。船酔い、というやつだ。とっときのコニャックの蓋を開け、その蓋でふた口呑んだ。無理にでも寝よう。
朝が来たのが分からなかった。空はひどい曇天で、ちらとも太陽光など見えない。セント・デービズ岬を越えたことを船長が教えてくれたが、なんの慰めにもならなかった。海峡がこんなに荒れるのだろうか。コニャックは昨晩呑んだのではなくて、たった今がぶ呑みしたばかりではないかと疑いたくなる。船はそんな揺れ方をしている。雨もひどい。甲板になぞ出たくもない。
前の文章から五日が経過したことをまず記す。驚くべき事態になった。リトルアロウ号は転覆したのだ。四日前の真夜中だ。一筋も光のない漆黒のなかでのできごとだったから、海がどれほどの荒れ模様だったのかは、体感した範囲でしか判らない。例えるなら、樽に入って坂道を転げ落ちていくような感じがした。ダスティが、船は巨大な高波に飲まれたのだと言う。ともかく我々リトルアロウの二十一人は、冷たい海に投げ出された。しかしどういうわけか、嵐は船を引っくり返すと満足したのか、すぐに嘘のように止んでくれた。我々は転覆した船に捉まったが、船長が人数を数えると、二十一人全員が無事だということが判明したのだ。なんという奇跡だろう。
船腹によじ昇った我々は、他の船が通りかかるのを待って、二日後にイタリアの帆船、クリマルディ号に救出されたのだ。私は医療道具が入ったカバンだけは手放してなるものかと思っていたから、カバンに入れていたこのノートも、失わずに済んだ。ただ、だいぶ濡れてしまったので、乾くまでしばらく書けなかった。
クリマルディはグラスゴーに向かう途中だったという。リトルアロウの乗員にとっては、完全に逆戻りだ。なんとか出直す態勢を整えて、もういちどアメリカ行きの船を探すことになる。ただ、家に一度寄りたいから、せめてスウォンジーで降ろしてもらえないかと、クリマルディのレオレ船長に頼んでみた。リトルアロウの乗員には、その方が都合が良い。船長は招かれざる居候であるはずの我々の願いを快く承知してくれた。私はイタリア人の気持ちの良さに感動を覚えつつ、なんとか乾いたこのノートを認めている。
夕方、甲板に座ってぼうっとしていると、美しい黒髪と、どこか寂しげな瞳を持つ若者がコーヒーを私に差し出してくれた。私はありがとうを三回言ってカップを受け取った。彼が私の隣に腰を下ろしたので、彼が話し相手を求めていることにはすぐに気がついた。
彼はかたことの英語で、私はしどろもどろのイタリア語で話をはじめた。すぐに、私達は同時に吹き出した。ダリオと言いながら右手を差し出す彼に、私はエリオットと言ってその手を握る。
そして私とダリオは、すっかり仲良くなった。私が故郷の話をすると、彼も故郷の話をした。若く美しい、自慢の母親の話、豊かなブドウのなる農園の話、彼が出稼ぎをしなければならなくなった経緯に父親の死があり、いつの間にか人手に渡っていた実家の話、自分がいなくなって、母親についていてくれた弟が、身体を壊したらしいと噂に聞いたことなど、私は感慨深くそれを聞いた。彼は、肌身離さず持っているカメオを見せてくれた。カメオに彫られているのは母親の横顔だという。美しい女だった。
なんという奇跡だろう。前の文章から現在に至るまでに、我々を襲った劇的な状況の変化に身震いしつつも、私は主に感謝せずにはいられない。
私が新しい友人を得たその日の深夜、クリマルディ号もまた嵐に襲われた。リトルアロウ号を沈めたあの憎い嵐だったのかもしれない。
畳んだ帆を結ぶ綱が切れ、突風を受けてしまったメインマストがぽっきりと折れてしまった。間の悪いことに、そこに高波が押し寄せたのだ。
ごうごうとすさまじい嵐の中で、誰かが叫び続けていた。「沈むな。沈むな」と。
柱にしがみつきながら、私もその誰かに合わせて「沈むな。沈むな」と叫ぶ。やがてあちこちから、同じ声がし始めて、船のなかは大合唱になった。
揺れが大分おさまったのは、朝だったろうか。私はいつのまにか、眠っていたのかもれない。あるいは、呆けていたのかも。気がつけば周りがぼんやりと明るい。
立ちあがった私は、自分が酷い船酔いに参っているのだと思った。いや、実際もそうだったのだろうが、床が斜めだったからだ。甲板に這い出してみると、船長以下数名がげんなりとしている。
船は、ずたずただった。マストは折れ、あるいは飛ばされてしまっている。舵もやられていて、クリマルディ号は航行不能に陥ってしまっていた。
前回の沈没より、いくらかはましだろうが、五昼夜に渡って我々は、ただの箱と化した船で水平線を交代で見つめながら過ごした。ただ、我々の心は決して絶望に染まってはいなかった。リトルアロウ号の二十一人と、クリマルディ号のもとからの乗員十八名全員が、誰ひとりとして波にさらわれずに済んだからだ。
難破から六日目早朝のこと。見張りをしていたリトルアロウ号の老水夫、スチーブンが大声を上げていた。彼方から、一艘の汽船がもくもくと煙を上げて近づいてきていたからである。
船はクリストフ号という名前だった。インドへと向かう船とのことである。我々はインド洋に連れていかれてはたまらない。交渉すると、英国には戻らないが、リスボンでなら降ろしてくれるという。これはリトルアロウ号の乗員にも、クリマルディ号の乗員にも、譲歩できない線ではなかったから、我々は大人しく従うことにした。
このクリストフ号という船は、あまり大きくないが乗員もまた少ないようだ。船長を含めて十人なのだという。それが一気に四十九人に膨れ上がってしまった。やれやれ、えらい荷物を抱え込んでしまったと思っていることだろう。あてがおうにも、余分な船室もない。私たちは十人がひと部屋に詰め込まれたが、ダスティやニックたちのように、毛布一枚与えられて、廊下で寝起きしている身から比べると、不平を言う気にはとてもなれない。
かといって、窮屈なことには変わりない。日記はしばらく書けそうにない。
事の発端から書けば、長くなってしまう。ともかく、我々はまたも信じられない経験をしてしまった。クリストフ号の乗員を合わせた四十九人全員が、今はクリストフ号でない船に乗っている。まったく、私にももはやなにが起こっているのか判らない。我らがクリストフ号に身を寄せて三日後の夜。突然大きな音に目を覚まされた。何事かと思い、音の方角に向った私は、クリストフ号船長の制止に遭った。彼は、私にかたことの英語で「火はまもなく鎮火する。危険なことはない。危ないから行くな」というものだった。私が事態の説明を求めると、機関室が爆発したのだという。原因がよく判らないが、おそらく老朽化していた部品のひとつが、蒸気機関を破壊してしまったらしい。とんでもない杜撰な整備をしていたのだろう。
結局、このため船は航行不能となってしまった。昼になって甲板から海原を見やると、凪いでいるようだ。この恐ろしい勢いで続く不安はどうしたことだ。これでは帆船が通りかかる希望は薄い。細かい経過を省くにしろ、ともかく我々は十二日間、この狭い船の上で、ぴくとも動かないクリストフ号で、来る宛てのない救助を待ちつづけた。十三日目の早朝に船長が、フランス政府のカッター船を見つけたときには、四十九人全員が甲板に出て、伸びをしたものだ。
‡
なんだか、おじいちゃんではなくて、知らない誰かに担がれているような感じがした。
でも、くせのある字は確かにおじいちゃんのものだ。それにしても……こんな馬鹿な話はないだろう。一回の船旅で、こんなにも不運が続くなんて、ちょっとあたしには考えられない。
これも実はおじいちゃんが作った童話かも、って思いついたのは、パパからもらった皮の栞を挟んで本をいったん閉じて、ベッドをのそのそ降りてからだ。……童話。作り物のお話。では、おじいちゃんはそれを一体どうするつもりで書いたんだろう。あたしに読ませるため? そうなら、なんでこんな難しい文章なんだろう? 今のあたしならともかく、小さい女の子には読めないような文字がいっぱいある。あと、海賊もモンスターもウソつき船長も野蛮な種族も出てこない。ただ、ちょっとありえなさそう、というだけのヘンな話だ。
どうしよう。考え事のおかげでちっとも眠くならない。
……いま、何時なんだろう。一階に下りて大時計を見てこようか。ちょっと考えたけれど、止めた。代わりに、カーテンを開けて窓を開く。
窓に明かりが灯っている家はほとんどない。ずっと向こうに海がある。星以外に明かりがないのに、水平線は見える。左には山。どこにでもある、うねうね続く丸い山。高くて三角の形をした山がある国があるって聞いた。おじいちゃんからだ。そもそも、よその国には丸い山の方が少ないって。信じられなかった。でも学校でドイツの山の写真を見たとき、本当におじいちゃんのいった通り、連なる山々は
みんな三角で尖っていて、ちょっと怖かった。
おじいちゃんのことを考えていたら、また考えはさっきの本に戻る。あたしは海を見ている。この本でも、おじいちゃんは海ばっかり見ている。海がなんだか、怖くなりそうだ。
あたしはぶるっと身震い。冷たい風が吹きこんできたんだもの。戸を閉めてカーテンを戻して、海を見えなくしてからベッドに戻ろう。そして、続きを読んでみよう。
おじいちゃんたち四十九人を助け出したフランス政府のカッター船はエトナ号という船だった。船はアメリカに向かっているという。おじいちゃんたちリトルアロウ号の人たちには好都合だったけれど、他の人たちは「それは困る」と言って、どこか途中で寄港してもらえるように、エトナ号の船長にお願いしたけれど、なんだかとても気難しい船長は「急ぐから駄目だ」と頑として彼らの申し出を受け付けなかった。そしてようやくまた船の上での暮らしを綴った文章になる。二十日ほど、安穏とした日々が続いたけれど、また事件が起きてしまった。エトナ号はアゾレス諸島付近で座礁してしまったのだ。救命用のボートに乗り移り、全員が無事だったけれど、これでなんと六十七人が遭難したことになってしまった。半日後、アメリカの快速帆船シティ・オブ・ケベック号に救助されたから助かったが、もし今までのように何日も漂流していたら、今回は食料がないから危なかったかも。だって。
この船では、また安穏とした十五日分の記述があつた。だけれど日記は十五日目の途中でふっつりと途絶え、次のページをめくると、こんな文章が続いていた。
‡
紆余曲折があったものの。とにかく私は無事にアメリカに着いた。
現在、ロードアイランドに着いて、宿に入り、上等な食事とシャワー、上等なベッドで十二分の睡眠をとって、またこの日記本を開いている。
不思議だ。私は、だいぶくたびれてしまったこの日記本を、結局無事にアメリカに持ち込むことができたのだ。そこで、寝て起きた後であるのにまだ興奮さめやらぬ今、一気に残りページを埋めてしまおうと思った。
あのあと、実はシティ・オブ・ケベック号もまた航行不能に陥ったのだ。竜巻が船を襲ったのだ。船体はぽっきりとふたつに割れ、船首部分はあっさりと海の中に消えてしまった。かろうじて浮いていた船尾に捉まり、二日後にアメリカの客船、トマス・スピークス号に救助され、私たちリトルアロウの乗員にとっては六隻目の乗り換えとなった。
私の驚きなぞ、今度の航海ですっかり一生分使い果たしてしまったと思った。この時点では。
しかし、奇跡はまだ終わったわけではなかったのだ。五つの船が遭難し、ケガ人はともかく、ひとりの死者も行方不明者も出ていないことは、これ以上は考えられない奇跡だ。もう、それで充分すぎると言いたかったのだが、あまりにもとっておきの、まさに奇跡中の奇跡のような出来事が、この直後に待ち構えていたのだ。
もう、海に投げ出されて海水を飲む必要のない陸に居るいまも、ペンを握る手が震えてしょうがない。
十八日前、バミューダの海の上で、私は駆け回る羽目になった。トマス・スピークス号の船医、ジョーダン氏が奔走するものの、五隻の船の難破で、合計九十二人の招かれざる客を抱え、定員がはるかにオーバーしてしまったトマス・スピークス号では医者の数があまりにも足りない。そこで私は、ジョーダンの臨時助手を取りやめ、もうひとりの船医として仕事をする事になったのだ。
私は多くのケガ人や病人の対処をまかされた。そして二週間が過ぎた。
その日、ジョーダン医師との話し合いで、トマス・スピークス号に最初から乗っていた、ある婦人の診察が、私にまかされた。彼女はつい先週、船の上で五十歳になったという。隣室の一家が良い人たちで、ジョーダン医師とともに彼女の面倒をこれまで見てきたそうだ。もともとあまり船室を出なかったそうだが、ここにきて彼女はほとんど寝たきりとなり、危険な兆候が見られ始めてきたという。
私が彼女と 対面すると、なるほど、彼女はかなり弱っている。高齢で、やせ衰えていたのだ。気品のある婦人で、どことなく親しみを感じさせる女性だったが、それは健康な時だったら、のことだろう。病名はどうも特定できない。風邪をはじめ、さまざまな病気の初期症状は出ていたが、決定的なものは精神面にあるようだ。
婦人をこれまで最もかいがいしく面倒を見てきた隣室の娘さんは、アエーラと名乗ったが、彼女が言うには、婦人には家族がいないという。長い病に苦しんだ息子を5年前に亡くして、帰るべきところも無い故郷を捨て、知人を頼ってアメリカに向かう途中だったそうだ。
私は、家族を亡くして生きる気力を喪失したことに加え、長い船旅の疲れが原因だと考えた。
寝たきりになる直前は、病気のためか、記憶も混乱しているようで、一種の痴呆症も進んでいたと、アエーラが説明してくれたことにより、私は一計を案じた。もしかすると、婦人は息子を病気で亡くしたことを忘れている、あるいは忘れたがっているかもしれない。誰かが息子の代わりに彼女を元気付けてやれば、彼女はその人を息子と思って元気を取り戻すかもしれない。婦人を救うのは、医者でなく役者ということになりそうだ。私は五隻の遭難者たちのためにあてがわれた大食堂に駆け込んだ。
「すみません! 皆さんのなかに、イタリア北部出身の方はいませんか? 男性の方で、できれば30歳前後の人がいいのですけれど。ある婦人を助けるために、力を貸してください」
場は水を打ったような静寂に包まれた。私はここより、キャビンを一室ずつ廻った方が良いかも、と思案する。イタリア発のこのトマス・スピークスの客の方が、条件に合いそうな若者が多いだろう。
すぐに出ていこうとしたとき、聞き覚えのある声が私を呼びとめた。
「エリオット。僕はジェノバの生まれだけれど、条件に合うだろうか?」
振り向くと、ダリオだった。なんてことだ、余りの忙しさで、彼の特徴をすっかり忘れていた。
「おお! ダリオ。君はうってつけだよ。その黒い髪に、言葉にも南部独特の訛りがない。さっそく来て欲しい。君の演技力がひとりの婦人の命を救うかもしれんぞ!」
私はダリオの手を掴んで廊下を走った。走りながら、私はアエーラから聞かされた婦人の身の上を、死んだ息子さんのことを、ダリオへの呼び知識として話した。記憶に混乱がある老婦人が相手でも、些細なことでぼろが出ないとは限らない。
話しながら走っているうちに、ダリオは疲れたのか走る足が遅くなりつつある。私はいまいましく思ってダリオを振り向いた。
「なにをやっているんだ! ダリオ、君の同胞じゃないか。よしんば違うとしても、尊い人命を救うことになにを躊躇う必要があるんだい?」
そう言って、ダリオを見た私はギョッとした。この時の彼の顔を、私は一生忘れることはないだろう。
小麦色だったはずの彼の顔は、灰色をしている。船内のうす暗い照明のせいではなさそうだ。なにより、彼の両目からは滂沱の涙が流れ落ちている。
そして、かれはポケットに手を入れたと思うと、あのカメオを取りだし、ゆるゆると私の顔に向かって突き出した。
なぜ、私は婦人を最初に見た時に親しみを感じたのだろう。そして、ダリオのこの行為には、一体なんの意味があるというのだろう。
この時は、私こそ、最も混乱していた。
誰か教えて欲しい。一体この船上で、この海の上で、この世界で、何が起こっているのか、と。
次いで、私の身体を電撃が貫いたようなショックが訪れた。頭がまだ状況を充分に理解できないまま、私は阿呆になったように頭を激しく、縦に振っていた。しばらくしてから気づいたことだが、私もまた、ダリオのように両目から滝のような涙をこぼしていたのだ。
「うわああああああぁぁぁ…」
ダリオが、間抜けに突っ立ったままの私を置いて、絶叫しながら婦人の船室へと一目散に走り出していた。
私がようやく我に返ったのは、それからすぐのことだったと思う。多分、五分とは経っていまい。しかし、もしかすると、長いこと茫然自失していたかもしれない。嘘だ、信じられない、という気持ちが、私をようやく走り出させた。
婦人の船室に行くと、婦人はダリオと固く固く固く抱き合いながら、ふたりで号泣していた。
十五年、ふたりは会っていなかったそうだ。父の死後、働きに海に出たダリオが、いろいろな船を転々としているうちに、母親に付き添っていた弟が流行り病にかかって亡くなった。悪いことは重なり、家を手放した母親は、村を出て行かねばならなくなった。ふたりは、お互いの消息もつかめぬまま現在に至ったのだ。
婦人はたちまち元気となり、老いも痴呆もどこへやら。ふたりはそれから一昼夜、語り明かした。私は途中で席を外したので、きっと心ゆくまで再会を喜んだことだろう。
私に今後の婦人の心配など、あろうはずがなかった。
二日後、キャビンの一室を臨時診察室として、ケガ人や病人の面倒を見、多忙だった私のもとにダリオが訪ねてきてくれた。
なに、多忙とはいっても、最後の遭難からはもう日も経っている。それにこの船にはもうひとり、ジョーダン医師がいる。少しくらい、親友と語り合う時間をもらったって、罰など当たるはずはないだろうと思って、私は彼を歓待した。ダリオの瞳からは、もうあの寂しげな光は消えていた。
アメリカはもう目と鼻の先だが、着き次第すぐに彼は母親と一緒に、ジェノバに戻ることにしたという。これからは、彼が弟の代わりに母親の面倒を見て、陸で暮らすのだと言った。私はそれがいいと力強く賛同した。
出て行く際、ダリオがカメオを差し出した。あの、若き日の美しい母親を彫刻したカメオだ。私はもらうのに躊躇したが、ダリオは私に言った。
「これからは、本物の母親がいる。これはもう僕には不用だ。この、世にも不思議な航海で知り合い、最後には僕と母親を再会させてくれた、永遠の親友である貴方に、僕の思い出として持っていて欲しい」
この言葉で、私はもう躊躇はしなかった。カメオを受け取り、私たちは強く抱き合って、永遠の友情を誓い合った。
先日、ニューヨークの港でダリオと別れた。彼の横には、見違えて元気になった老婦人がいる。ふたりはこのままとんぼ返りでイタリアに戻るのだろう。ニューヨーク駅に向かう馬車の私を、いつまでも見送って、手を振ってくれたふたりの姿は、これから生涯、私が目を瞑ると脳裏に浮かぶことだろう。最高の思い出のひとつとして。
しかし、こんなことがあるのだろうか。アイリッシュ海から始まって、大西洋で五隻もの船が沈んだ。なのに、ただひとりの死亡者も行方不明者もなく、二隻目の船に乗っていた若者が、六隻目の船で生き別れの母親と再会したなどということが。そしてそれを、一隻目の船に乗っていた私が目の当たりにするなどということが。
まったく、主は悪戯をなさる。
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ママに起こされて、あたしは眠い目をこすりながら階下に降りた。もう少し寝ていたかったけれど、日曜日だから、教会に行かないと。食卓ではパパが、あたしが着替え終わるのを待ってくれていた。
昨夜読んだおじいちゃんの本が、とっても印象深くって、起き抜けのあたしのアタマのほとんどは、おじいちゃんで占められていた。
パパにおはようの挨拶をしてから、席に着いたママに、ちょっとおじいちゃんのことを尋ねてみる。
「ねぇママ。おじいちゃんって、船医をしていたことってあるの?」
いままさにお祈りのために手を組もうとしていたママは、キョトンとあたしの顔を見た。
「おじいちゃんが海に出たことなんて、ないわよ。おじいちゃんはあたしが生まれる前から、ナイトンでお医者をしていたの」
そう聞いて、あたしはやっぱり、おじいちゃんは最高の童話作家だったんだ、と思った。
「どうしたんだい? いきなり。おじいちゃんのことを思い出しちゃった? フリッカはおじいちゃん子だったものな」
パパが言う。
「そうだな。僕の父だって、本当にフリッカを猫可愛がりしていた。フリッカも誰よりもなついていたしな」
「あら、フリッカはあたしの父の方に、よりなついていたわよ」
「いや、そんなことない。フリッカ、どうだ? パパのお父さんとママのお父さん、どっちが好きだった?」
今度はあたしがキョトンとした。パパもママも何を言っているんだろう?
あたしが大好きなエリオットおじいちゃんは…あれ? パパのお父さん? ママのお父さん? そういえばいつも“おじいちゃん”としか呼ばれなかったから、よく判らない。
「あれ? エリオットおじいちゃんって、パパとママ、どっちのお父さんだったの?」
パパとママの動きが止まった。まずい、とんでもなくバカなことを聞いたのかもしれない。
「エリオットっていうのは、どっちだ? チャールズかい? それともウォルターかい? どっちもエリオットじゃないか」
ますます訳が判らなくなった。チャールズ? ウォルター? なんのこと?
あたしはボーッとしていたのだろう。パパがママを見つめてこう言った。
「きみ、もしかして…フリッカにはなんにも話してないの?」
「あら? あなたこそ。あたしは…そういえばなんにも言った覚えないわ。
ねえ、フリッカ? エリオットっていうのは、あたしのパパと、パパのパパの、ふたりで一組の名前なのよ? 親友だったふたりが、医者を志す前に、童話作家を目指していたときに使っていた名前なの。
どちらもナイトンで開業していて、リデリェ村のお医者があたしのパパ、チャールズ。リデリィ村のお医者が、パパのパパ、ウォルターよ」
「リデリィ村って、おじいちゃんが住んでいたところでしょう? …リデリェ村っていうのとは、違うの?」
「ああ! もうっ。ママは前に注意したでしょう? 発音に気をつけなさいって。このふたつは別の村よ」
「だって、おじいちゃんは両方使っていたよ」
ここまで聞いて、パパが天を仰いだ。
「フリッカ、ああ、フリッカ。まさか村人同様、君も、ずっと引っかかりっ放しだったなんて!」
なにか、トンデモナイジョークに、あたしが翻弄されていたような予感。
「じゃあ、いつも暖炉の前の安楽椅子で、あたしを膝に乗っけてお話してくれていたのは、どっち?」
「…ああ、やっぱり。…両方だよ。チャールズグランパも、ウォルターグランパも、どっちも交代で君と会っていたさ。あのふたりはよく入れ替わっていたんだ。双子のようにそっくりだったからね。君のふたりのおじいちゃんは。さらにメガネや髭、果ては着る服までいっつも示し合わせていた」
頭がクラクラしてくる。なにがなんだか判らない。
「えと、二年前に亡くなったのは…」
ママが言った。
「パパのパパ。ウォルターよ。あたし、チャールズパパが、悲しむフリッカをずっと抱きしめて、頭を撫でていたから、あなたは少なくともその時には真実に気がついたって思ったの。じゃあ、あの時あなたは、おじいちゃんを夢か幻か幽霊だと思って、甘えていたのね…」
「! じゃあ! じゃあじゃあ! 今、チャールズおじいちゃんは?」
「ウォルターパパを亡くして以来、すっかり弱っちゃって、ずっと入院しているの。でも、いまもちゃんと生きているわ。
で、ね。今日はあなたに知らせようと思っていたんだけれど…。おじいちゃん、先週までちょっと危なかったの。でも奇跡的に持ち直して、担当のお医者さんが、そろそろ面会も許可しようっておっしゃってくださるの」
奇跡! 奇跡! 奇跡!
昨夜から何度もあたしに関わってきた言葉! なんて心地のよい素敵な響きの言葉だろう。
「で、今日教会から帰ってきたら、お見舞いに行ってみようと思うのだけれど…」
「行く! あたし行く! ぜったいぜったい行くっ!」
パパが座り直して、手を組んだ。
「さあさあ! それなら早く食事を済ませるんだ。フリッカ、きみが落ちつかないのは判るけれど、教会には必ず行くんだよ? いいね?」
あたしはまだドキドキしている。パパの言うとおり、食事前のお祈りをしている最中だって、きっとそわそわしちゃう。
食事が始まると、ママがパパに話しかけた。
「そうそう。貴方のパパのウォルター宛に、一昨日船便で手紙が来ていたわ。それがねえ。一年近くも前の手紙なの。ウォルターパパが亡くなったことを知らないのだから、古くて遠い知り合いだろうと思ったのだけれど、ジェノバのダリオ・ジェマーニっていう人から。心当たりある? もしよかったら、今日チャールズパパに持って行ってあげようと思うのだけれど」
聞いた途端、あたしは椅子からずり落ちそうになって、かろうじてこらえた。
ジェノバの! ダリオ!
なんてこと! なんてこと!
「マ、ママママママ、ママ!」
驚きでろれつの廻らないあたしを見て、パパが言う。
「住所変更の届けはね。両方に出されていたんだよ。パパもママもひとりっ子だったからね。ママの実家はもうない。チャールズグランパが入院するまでは空家になっていたけれど、僕たちがカーディガンに引越した際に、処分したんだ。退院したら、一緒に暮らそうと思ってね。だから、チャールズ宛ても、ウォルター宛も、手紙はどっちもここに届くんだ」
そうじゃなくて! そうじゃなくて!
「ママ! その手紙、見たの?」
心外な非難でも受けたように、ママは目をぱちくりさせる。
「え? ええ。だってお許しをいただこうにも、ウォルターおじいちゃんは二年前に…」
「見たい! あたしにも見せて。お願い、このままじゃ、とても食事ができないよ!」
あたしに急かされて、ママはすぐに手紙を持ってきてくれた。お礼もそこそこに、あたしはなかの手紙を、取り出すのももどかしく開いた。
“親愛なるエリオット
前回最後の手紙のやり取りから、もう三十年数年は経つのでしょうか。そのときはアメリカで結婚されて、男の子を儲けたと聞きました。その後、お変わりありませんか? ウェールズへの帰りの航海は、きっとスムーズにいったのでしょうね。悪い報せは私の耳には入ってきていません。もし、あなたがアメリカに永住していなかったら、ですけれど。ああ、その時は、あなたに教えてもらったこの実家の住所宛てのこの手紙、あなたのもとには届いてないのかもしれませんね。
あの、幾重にも私の頭上に奇跡が降り注いだ航海は、いまだに昨日のことのように思い出されます。あのときは、本当にありがとう。あなたがいなければ、最後のとびきりの奇跡は実現しなかったことでしょう。
今頃になって、なんでいきなりこんな手紙が? って、訝しんでおられるかも知れません。ですから、早速本題に入ります。聞いてください!
母が、あのときあなたに助けられた母が、先日とうとう無事に九十歳を越えたんですよ! 信じられますか? あの日、すっかりやせ衰えて、死ぬのを待つばかりだった母が現在もまだ元気なんです! 私がジェノバに帰って、すぐに結婚したことは前にお伝えしましたが、現在母は十六人の曾孫たちに囲まれて、日に日に若返っているようです。すっかり、六十歳の私の方がおじいさんになってしまいました。孫たちの元気に振りまわされて、すっかり老いたことを実感するのですけれど、母の元気の秘訣はまったく、なんでしょう?
家族の写真を同封します。もしよかったら、エリオット、あなたの写真も送っていただけませんか? 家族たちに見せてやりたいんです。そして、あの奇跡の航海の話を聞かせてやりたいんです。
それではまた。いつか再会できる日を夢見て。
貴方の永遠の親友”
「作り話じゃなかった。信じられない。信じられない。あんなお話が、本当にあったなんで!」
感動にぶるぶる震えて、あたしは思わず声を出していた。
横ではパパが封筒を見て、なかに指を突っ込んで言う。
「まだ何かあるぞ。おや…写真」
パパが一葉の写真を見ている。あたしもママも、身を乗り出してそれを見た。
優しい優しいセピアの色。あたしにとってはおじいちゃんの思い出の色の写真。そこには、いかにも幸せそうなイタリアの大家族が、いた。やんちゃな子どもたちが、フレームの外に飛び出していかないように捕まえている四組の夫婦。太っている人もいれば、禿げている人もいる。そして中央に、おじいちゃんとおばあちゃん。つまり、きっとダリオさんとその奥さん。
──そしてそのふたりの中央に、さらにお年を召した品の良い大おばあちゃん。皆、幸せそうにニコニコと微笑んでいる。
──幸せそうに。
──にこにこと。
良かった。
良かった。
ありがとう。
ありがとう。
いったいどんな偉大な力が働いたのか、本当に主の御業なのか。とにかく、あたしはその何かに、ポロポロと泣きながらお礼を言った。
ありがとう。
この人たちを幸せにしてくれて。
ありがとう。
優しい世界を優しい笑顔でいっぱいにしてくれて。
「フリッカ、優しい涙だね。どうして泣いているんだい?」
パパが、優しくあたしに聞く。でも、答えをパパは待っては待ってはいないだろう。少なくとも今は。
「おや? この真ん中のおばあちゃん。どこかで見覚えがあるような気が…」
「あら、そういえば…」
ママが小首を傾げる。
でも、あたしには、その答えが解っていた。
「ママのブローチ、それ、おじいちゃんのだったんだね。カメオっていう名前、あたし初めて知ったよ」
「あ! 本当だ!」
「まあ! そういえば!」
カメオ、カメオ。おじいちゃんはダリオさんからもらったそのカメオを、大事に大事に取っておいたんだ。そして、亡くなるときに、息子のお嫁さんであるママに、託したんだね。奇跡の航海を共にして、死ぬかもしれないと何度も覚悟を決めて、共に生き残った親友の、お母さんの横顔を彫刻したカメオを。
教会で、あたしは何度も主にお礼を言って、教会を出るときには、手に握り締めたダリオさんからの手紙を、早くおじいちゃんに見せたくって、思わず走り出しそうになった。
チャールズおじいちゃんは、ウォルターおじいちゃんの冒険は知っていても、この手紙は知らない。最高のお土産だ。お墓のウォルターおじいちゃんにも、早く、一刻も早く教えてあげなくっちゃ。
───おわり───
主は悪戯をなさる
幾度も遭難を繰り返し、出会うはずのなかった親子が奇跡の再開を果たす──。
これは実際にあった事件を私なりに脚色して、それを遥か過去の冒険譚として主人公が知る。
優しい話を書いてみたくて挑戦した作品です。
もしこれを読んであたたかい気持ちになっていただけたなら嬉しいです。