Grace a Heart around me

　淡い紫色の花が白い窓枠にもたれるように枝垂れている。五枚の花弁が黄色い花粉をつけた王冠を囲っているドレスいたいで。その先には緑の氾濫する春の庭が広がっていた。彼に差し込む。白い太陽光と花と草の繊細な影が降りる。白く眩しいワイシャツや頬にも。頬杖をつき、庭を眺める目は眩しげに半分閉ざされている。淡い色の花の先に、この学園で飼っている白孔雀が歩いていた。
「夏芽」
　彼、春谷夏芽（はるたに　なつめ）は青野聖（あおの　ひじり）を振り仰いだ。
「青野先輩」
　彼女はブレザーをいつでも腰に巻いてボブヘアにした女生徒で園芸部の部長でもあった。ここは部室でもあり、園芸部員は彼ら以外にも二十名いる。
「新しい苗よ。前回みんなで初夏の草木で揃えた。校長先生にも確認表を渡したわ」
　彼女は苗が揃った五段のカートのある入り口を示した。
「どうもありがとうございます。僕の役割なのに」
　この学園の草花は彼らが造園をしており、共に公務員のおじさんも樹木の管理をしていた。彼からいろいろな話を聞くことも多い。
「いいのよ。ちょうど生徒会の提出物もあったから」
　聖は彼の横に来ると窓枠に腕を立てた。
「この花ももう十五年目だそうよ」
「へえ……」
　淡い紫の花は蔓性で、すでに枝化した蔦は窓を片方からぐるりと何重にも飾っていた。折り重なり薄く陽を透かす草に隠れトカゲや蜘蛛、テントウムシなどが見られる。蝶も蜜を吸っていく。蜜蜂も。
　これは園芸部の先輩達が交配を繰り返して掛け合わされた品種の花でアロマ・ガラジオ・ティス・ターラサスと名づけられていた。ギリシャ語で「青い海の薫り」という意味だった。この花には薫りが無く、そして学園の門を出て南へ進むと望める海原は朝日の淡い時刻、美しい淡い紫に染め上げられる。
　夏芽も生まれていない十六年前、この学園で起きた出来事がきっかけで生まれた花なのだという話は聞いていた。当時、庭には硝子のドーム型サマーハウスがありハープが飾られていたらしい。それを毎日奏でていたのがハープ部の藤堂律子という女生徒で、十五歳までヨーロッパで音楽留学をしていた経験のあるプロだった。日本のハープ協会ジュニアの部にも在籍しており何枚かＣＤも出していた。
　その彼女が園芸部の先生と恋仲になったらしいのだが、その先生が彼女を失って後、美を称えて着手し始めたようだ。当然学校側に知られるわけにはいかず二人はほぼ毎日秘密裏に朝早くから誰にも知られずに海の朝日を二人で眺めてきた。律子は名の通り旋律の女神の様であって、そしてどこまでも心が美しかった。そのために傷つきやすくもあり繊細過ぎた。窓を隔てて視線で交わされる愛情は旋律の先に、そして草木の間に育まれ、いつしかそれは部員達の間で囁かれ始めた。先生は優しくて多少頼りない部分もあったが憎めない人で生徒達から人気があり、誰もそれを教員や口外するだろう生徒に言う事は無かった。そしてまた律子も寡黙な性格でお淑やかだったので、誰も彼女を陥れようという者はいないかに思われた。
　だが、律子を思う男子生徒は多かった。特に同じハープ部の男子、宮古比呂（みやこ　ひろ）はそれが目立っていた。同じ協会に入り彼も三歳の頃からハープを習ってきておりＣＤでも共演をすることも多々あった。だが律子は彼とは恋愛感情が無く、いつでも比呂は追いかけるばかりだった。彼女のために作った「蔓」という曲。それは甘く切なく、恋に行方不明になった指先の様なためらいがちな旋律が効果をもたらす楽曲だった。
　比呂は次第に律子の視線に気づき始めると園芸部の先生、佐伯にジェラシーを持ち始めることになる。それは既に蔦の様に彼の心を縛り付けて放さないほど。彼は佐伯先生をある日呼び出し、律子の事を諦めなければ彼女は近いコンクールに打ち込めなくなると詰め寄った。佐伯は悲しげに比呂を見て、首を横に降った。それは出来ないと。ただただ佐伯は遠くを眺め、屋上から見える青い海を見つめていた。

　学園は山を所有しており、一部区画された場所にハーブが育てられている。園芸部は山の在来の草花の研究も兼ねてハウスのハーブ採取も行っており、わりと行動範囲は広かった。当時佐伯は山に数箇所ある小屋の一部を綺麗にして園芸部用に使用していたのだが、そこで学校の生徒がジギタリスの使用により問題を起こし発見されたことをきっかけに立ち入りが禁止され、ほかの小屋が利用されるようになった。その事でその施錠された小屋は佐伯が秘密裏で使い続けるようになった。
　比呂はいつも控えめな性格の佐伯の不可解な言動が気になり小屋に来た。