小さな私

小さな私

「ねえ、世の中に相思相愛の人ってどれぐらいいるんだろうね」
腕の中で眠ったかと思っていたみのりが突然そう呟く。
スマートフォンから目線を外さずに心が答える。
「本当にそういう人って実はあんまりいないのかもね」
「なんで?」
「だって人の心は移ろいやすいものだからさ。
結婚したって心がずっと一定の人なんてあんまりいないよ」
「そうかな?」
そう呟いてみのりが顔を上げる。
「だめ。下から見上げないで。不細工だから」
「大丈夫だよ。可愛いよ」
「はいはい」
そう言って心はみのりの頭を腕で押して元の体勢に戻そうとする。
「ここちゃんは俺のこと好き?」
「好き好き大好き」
「適当に答えないで!」
「拗ねても可愛くないから。・・・普通に好きだよ」
「どれくらい?」
「・・・・ねえまだ酔ってる?なにその質問」
「酔ってないもん!ただそう思っただけだもん!」
「どれくらいってなに。どう答えてほしいの」
心がスマートフォンを放棄してみのりの首に両腕を回す。
「もちょっと上きて」
「いやだい」
「その話し方!イライラするからやめてよ」
「はーい」
みのりがもぞもぞと上に動いて今度は心の顔がみのりの胸に埋まる。
「はい、交替ね」
「ふう」
髪の毛をなでられながら心は目を閉じる。
「言っていいんですか?」
「いいですよ」
「なんかさ、今日たまに行くコンビニの横が更地になっててさ」
「うん」
「前何が建ってたのか全然思い出せなくてなんか切なかった」
「わかる」
「あとね、今日は車じゃなくてバスで移動してたんだけど」
「うん」
「車運転してる時は必死だからそんなこと考えないんだけど」
「うん」
「今視界に入ってる人たちはみんな私のこと知らないんだなって思ったらなんか面白かった」
「うん」
「私の名前とか性格知ってる人なんかほんの一握りでその中であくせくしてる自分がちょっとむなしかった」
「そんなもんでしょ」
「だよね」
「なんか飲む?」
「まだ飲むの!?もうやめときなよ」
「いや、牛乳とかお茶とかさ」
「なんで牛乳」
「おっきくなりたいんだい!」
「はいはい。でも買ってないよ」
「明日の朝どうすんの」
「ブラックでいいじゃん」
そう言って心は回された腕をほどいて起き上がる。
「えーまだ話したいー」
「誰だよ。もういいよ。もう2時回ってるし寝ようよ」
「やだもん!」
「きもいから。はいはい。寝よう寝よう」
心がオーディオの上部をやや乱暴に叩く。
「それそんなにやらなくても止まるよ」
オーディオの持ち主であるみのりの声がやや不機嫌になる。
「ごめんごめん」
「心そういうとこがほんとがさつ」
「はいはい。電気消す?」
ベッドサイドの照明に心が手を伸ばす。
「・・・・・」
「なに、怒ってるの?ごめんって」
スイッチを切って心がみのりの腕の中に潜り込む。
「なんでも自分の物だと思って扱って」
「はーい」
「そういうところ直してくれたらもっと好きになる」
「・・・・・」
「あ、照れてる」
「照れてないよ」
「嘘つき」
そう言ってみのりの唇が心の唇をそっと塞ぐ。

隣からみのりのいびきが聞えてくる。
スマートフォンを見るともう3時を回っている。
明日も仕事なのになにしてるんだろう、私。
特に見るものもないのでスマートフォンを枕元に置く。
じわりじわりと不安が心に押し寄せてくる。
今日本当に話したかったのはあんなことじゃなかった。
なんで言い出せなかったんだろう。
あんなどうでもいい会話で終わらせずに
もっと話を聞いてもらえばよかった。
なんだか急に怖くなってみのりの方に体の向きを変える。
先輩が北海道に旅行に行った。
そのお土産を多分私だけがもらえなかった。
外に出てる間に配っていたからしょうがないのかもしれないけれど、
今までこんなこと一度もなかったのに。
それからの時間は自分が先輩に一体何をしたのか。
なぜ怒らせてしまったのか。
そればかりを考えて仕事をしていた。
心の中に疼く傷がある。
ずっと誰にも言わなかった古い記憶。
その傷が今頃になってまたしくしくと疼きだす。
どうすればいいのか。
なにをすればいいのか。
幼いころの自分と照らし合わせて考えてみるけれど
よくわからない。
たまたまなんだと思う。
でもその「たまたま」が重なっていったら?
「いつも」になってしまったら?
みのりの背中にそっとおでこをこすりつける。
なぜか涙が流れそうになる。
こんなにたくさんの人がいる中で
私のことを知っている人なんてごく僅かで、
そのごく僅かな人々の中でさえ居場所がなくなってしまったら、
私はどうやって生きていけばいいんだろう。
仕事は辞めたくない。
先輩が辞める気配もない。
同期はもう男ばかりだしこんなことを話して
噂が広まっても困る。
みのりを起こそうか。
でもみのりだって明日仕事だし、
こんなくだらないことをねちねち考えている女とも思われたくない。
みのりからおでこを離して起こさないように背中を撫でてみる。
彼の体と心は、私を置いてもう明日へと向かっている。
私も早く寝て、こんな気持ちはリセットしないといけない。
想いを噛み砕くように生きて、噛み砕けなかったらまたその時考えればいい。
目を閉じる。
「やっぱバターサンドは美味しいですね」
後輩の声が頭に響く。
また涙が出そうになるのを堪えて心は静かに布団を頭までかぶる。


小さな私

小さな私

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-09-19

CC BY-NC-ND
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