死神さんのお仕事

ヤカ 作

  1. 第一章 上
  2. 第一章 中
  3. 第一章 下
  4. 第二章 上
  5. 第二章 下
  6. 第三章 上
  7. 第三章 中
  8. 第三章 下
  9. 番外編
  10. 第四章 上
  11. 第四章 中
  12. 第四章 下
  13. 第五章 上
  14. 第五章 下
  15. 第六章 上
  16. 第六章 下
  17. 最終章 上
  18. 最終章 中
  19. 最終章 下

かつてどこかの小説サイトに載せていた作品を何度目かのリメイク。

第一章 上

時刻は夜中の1時を回った。
多くの人々は眠りにつき、住宅街にともる灯りは少ない。
昼間には子供たちが遊びまわった公園は静まり返り、設置された背の高い電灯に蛾が群がる音がするだけ。
砂場に青白い光が舞う。
置き忘れられたスコップが青白い光を纏って宙で踊る。
やがて青白い光は幼い少女の姿を現した。
スコップをまるで握っているかのように宙で操り、砂場で遊んでいる。
少女は砂場にしゃがみこみ、スコップを砂場に差して砂を掬い、自身の足元に積み上げる。
その行為を繰り返し、次第に砂は形をなす。
砂場に差すスコップの音と似た音が少女の背後で重なった。
「何してるの?」
青白い光を纏った少女が振り返ると、そこには人が1人立っていた。
黒色のコート、首には黒色のベルトと金色の四角いチ留め具がついたチョーカー。
身長は170センチほどあり、しゃがみこんだ少女が見上げると巨人のようにみえた。
公園の淡い電光がその顔を照らす。
耳にもかからない短い髪、優しく笑う鼻筋の通った顔。
少女は首を傾げて立ち上がり、スコップは砂場に埋もれた。
「お兄さん、だれ?」
その人を男性と判断した少女は、宙に浮かび、顔を黒を纏う人の顔に近づけた。
その人は苦笑し、少女の頭を撫でた。
夜の少し涼しい風が黒色のコートをなびかせる。
そこから見えたのは膝丈のスカート。
「死神だよ。お姉さんだけどね」
少女は更に首を傾げた。
しばらくの沈黙のあと少女は地面に座り込んだ。
視点の定まらない瞳で死神を見上げた。
「あたし…死んじゃったの…?こんなに元気なのに…?」
公園の光に照らされる少女の白い腕には針を刺した痕がいくつも残っていた。
その頬はこけ、今にも折れそうな白く頼りない手足。
長く伸びた髪はやせ細っていた。
死神は少女の前にしゃがみこみ、小さく頷いた。
「大丈夫。私がちゃんと迷子にならないように送り届けるよ」
死神が笑いかけると、少女は大きく頷き笑みを浮かべた。
死神はその笑みの意味を理解し、右手を払うように軽く振ると、手に収まるように大きな鎌が出現した。
長さは死神の身長ほどあり、刃は銀色に光っていた。
刃の根元には半楕円の傷のような痕、柄は木でできている。
笑顔だった少女が体を震わせ、身を強ばらせた。
死神は少女をみて、優しく笑い頭を撫でる。
「大丈夫。刃は使わないよ」
死神は鎌を回し、柄の先を少女に向けた。
柄の先は丸くなっている。

「在るべき場所へ…おやすみ」

死神が柄の先で少女の胸のあたりに軽く触れた。
少女を纏っていた青白い光が噴き上げるように天に向かう。
少女は青白い光に温かさを感じた。
「ありがとう…死神さん…」
やがて少女の形は青白い光の中に溶け込み、光は夜空に溶け込んで消えていった。
死神はその様子を微笑みながら見送った。

*****

死神は右手を払うように振り、鎌を消した。
公園のベンチに座ると、仕事前に近くの自動販売機で買った冷たい紅茶の缶を手に取った。
まだ缶には冷たさが残っている。
プラグを起こし、缶を開けて一息ついた。
すると、ベンチの前に一匹の獣が現れた。
死神は獣に笑いかける。
猫のような耳と尻尾、フェレットのような伸びやかなクリーム色の体、蝙蝠のような翼を背中に生やした獣。
首には死神と同じ黒と金のチョーカーをしている。
「リーパー」
死神は相棒である『使い魔』の名前を呼んだ。
くりくりとした愛らしい使い魔の顔は瞬時に怒りの表情へと変わり、飛び上がったかと思うと一回転し、その尻尾を死神の頬に叩きつけた。
威力はないものの突然の攻撃に死神はよろめき、危うく紅茶の缶を落としそうになった。
「美緒!お前ハ仕事、おそい!」
リーパーの話し方はあまり流暢ではない。
死神には必ず一匹の使い魔がつくのだが、他の使い魔は流暢に話す。ある種、リーパーの特徴といってもいい。
「ちょっと頭撫でてただけだよ」
「サッサと鎌デ捌けバいいんだ!」
美緒と呼ばれた死神は缶に口を付けた。
使い魔であるリーパーのお説教は聞き飽きている。
子供相手に甘いだの、女性に対して紳士的すぎるだの、男性に対して媚びを売っているだのと何かしら理由をつけて、美緒の仕事ぶりに文句を言う。
「死神ナンゾやめて、普通ノ人間に戻レ」
決まってリーパーは最後のこの一言で説教を終える。
説教のほとんどを聞いていなかった美緒はベンチの背もたれに寄りかかり、空を見上げた。
晴れているのに星が見えない闇を抱える空が見えた。
美緒は目を閉じてリーパーの話から意識をそらしていった。
「聞いてルノカ!」
小さな翼で美緒の顔のそばまで飛んでくるとリーパーは首に巻き付くように美緒にしがみついた。
「はいはい、聞いてる聞いてる…、……あ」
美緒が声を漏らしたのとリーパーの耳が微かに動いたのはほぼ同時だった。
美緒は立ち上がり缶の中身を飲み干すと、自動販売機横のゴミ箱に捨て、夜の空へと飛んでいった。

*****

美緒が降りたったのは先程の公園から数キロ離れた交差点。
道路には通学路を示す文字がかかれ、住宅街と反対方向の坂の上には小学校がみえる。
電柱のそばに少年が1人青白い光をまとって空を見上げていた。
年は小学校低学年であろうか。短パンにTシャツ姿である。
電柱のそばには花束と炭酸飲料の缶が置かれていた。
(また子供の『死した魂』か)
現世に彷徨う死んだ生き物の魂を『死した魂』と呼んでいる。
生き物は死ぬと、魂が死んだ身体から切り離される。多くの生き物の魂は在るべき場所へと自ら還る。
しかし、この世に未練や後悔が強いと在るべき場所に還ることをせず、現世を彷徨うことになる。
その魂は青白い光を纏い、生前の姿を形成する。
他の生き物に比べ、人間は『死した魂』と化すことが多い。
『死した魂』を在るべき場所にかえすのが死神の仕事である。
美緒は特に子供の『死した魂』との仕事が得意ではなかった。
「こんばんは」
美緒は後ろから話し掛けた。少年は振り向き、じっと美緒を見て首を傾げた。
「兄ちゃん、女装が趣味なのか?」
美緒はその身長と中性的な顔立ち、凹凸の少ない肉体から男性に間違えられることが多い。
まだ身長が伸び続けていることは美緒にとって悩みの種である。
「お姉ちゃんだけどね」
「えー!女なのか!」
少年は目を丸くして美緒を上から下まで見回した。
美緒は頭をかくと、少年の肩に触れた。
少年の視線が美緒の顔に戻り、再度首を傾げる。
「君はね、死んだのだよ。ここにいちゃいけない」
美緒が子供を苦手とする理由の1つは、説明をしても死を理解できないところにある。
公園の少女のように死んだ自覚がないままでいることも少なくない。
加えて駄々をこねられる可能性が一番高い。
リーパーが鎌ですばやく済ませば良いという意味は時間がかかりすぎることを懸念していることもある。
しかし、少年から返ってきた言葉は美緒の考えと異なった。
「俺、死んだの分かってる。天国に行かなきゃいけないのも分かってる。でもその前にやらなきゃいけないことがあるんだ!」
少年は自分の状況を理解していた。
真っ直ぐで真剣な瞳で少年は美緒を見ている。
美緒は少年の頭に手を置いて、荒っぽく撫でた。
「一応聞こう。やらなきゃいけないことを。あと、君の名前ね」
少年の顔が一気に明るくなった。
未練があるならば解消させてからあるべき場所に導くのが美緒の仕事スタイルである。
死神の中には効率を重視し、鎌の刃だけを扱い、強制的に引導を渡す者もいる。
どちらが良いわけではなく、向き不向き、臨機応変に対応する必要がある。
「俺、信二。玲がさ、俺がいなくなって元気ないんだ。だから俺、大丈夫だよって言いたいんだ。元気だせって」
「玲って友達?」
美緒の問いかけに信二は目を輝かせた。
興奮するように両手を握り拳にし、上下に揺さぶる。
「玲は俺のおとなりさんで、幼稚園の頃からの友達!すげえ可愛いんだ!」
信二の様子に美緒は思わず笑みを浮かべた。
信二の頭を優しく撫でる。
死神はチョーカーをつけている間、死した魂を視ることができ、触れることがてきる。
「いい友達なんだね」
信二が首を傾げ、口を開いたが、美緒が突然しゃがみこんだため口をつぐんだ。
美緒の手には白いチョーク。
「姉ちゃん、なにそれ」
「信二が迷わないための魔法だ」
美緒は信二を囲むようにチョークでコンクリートに円を描いた。
多少信二が立ったり座ったりできる余裕のある円。
美緒はチョークをコートのポケットにしまい、両手の平を音を立てて合わせた。
すると、チョークで描かれた円が淡い桃色の光を放つ。
「これで悪い奴にも連れて行かれないし、迷子にもならない」
言わば結界である。
『死した魂』の行動範囲を制限することができる。
美緒はゆっくり立ち上がると、信二にまた明日と告げ、帰宅することにした。

第一章 中

翌朝10時、美緒は自室で目を覚ました。
明け方死神の仕事から帰ってきたあと、自室の窓から戻り、床に就いた。
壁には死神が着用するコートがかかっている。
美緒は欠伸をひとつすると、ベッドから起き上がり、机に貼られた紙を覗き込んだ。
(しまった。今日は1限があったのか)
美緒は現在大学2年生。
普段は昼間は大学に通う大学生。
死神はみな昼間の顔を持つ。
普通の人間がある日『神様』を名乗る男に「死神にならないか」と誘われ、承諾したものが死神となる。
美緒も『神様』を名乗る男に誘われて死神になった一人だ。
1限目の講義開始は9時からであるため、既に遅刻である。
自宅から大学までは電車を乗り継ぎ、40分ほどかかる。
大学についたころには1限目の講義は終了しているだろう。
美緒は1限目の講義を諦め、そのあとの予定を確認した。
(次の講義は3限か…。今から向かって学食でごはん食べようかな)
美緒は自室にある二階からキッチンのある一階へと降りた。
家には誰もいない。父と姉は美緒が幼い時に亡くなり、今は母と二人暮らし。
母は仕事にでかけたようで、キッチンにあるテーブルには「いってきます」の手紙。
洗面所に向かい、顔や手を洗い、うがいをすませてからキッチンに戻る。
冷蔵庫から麦茶が入った瓶を取りだし、コップに注ぐ。
テレビをつけるとニュースが流れた。
連続ひき逃げ事件の犯人が捕まったニュースが流れている。
「あ」
美緒はテレビで流れた被害者の顔写真を見たまま小さくため息をついた。
被害者は20代後半の男性、60代の夫婦、そして、小学生の男の子だった。

*****

支度を整え、美緒は大学に向かう。
カバンの中には筆記用具と財布、携帯電話など普通の学生が持ち歩くもの。
その他に金色の留め具がついた黒のチョーカー。
死神には様々な道具が支給される。
チョーカーは『死した魂』を見えるようにするための道具。
チョーカーなどなくても『死した魂』が見える者も極わずかにいる。いわゆる霊感体質の人である。
美緒はその分類ではないため、チョーカーがなければ死神としての仕事ができない。
死神の仕事中にきている黒のコートは空を飛べるようにし、姿を死神と霊感体質以外の人に感知させないようにする。
鎌は死神の象徴ともいえる武器。『死した魂』をあるべき場所に返すことができる。
その他にもチョークのように死神をこなすために様々な道具や魔法がある。

美緒が電車に乗ると、妙な雰囲気を覚えた。
人が、いない。
混雑した時間帯ではないが、1つの車両の女性が1人だけ座っている光景は異様であった。
(これは…もしかして)
美緒はカバンから黒のチョーカーを取り出し、首に収めた。
視えたのは座っている女性の前に立つ青白い光。
そして、禍々しい気配。
(『悪しき死した魂』か…)
『死した魂』の中でもこの世に悪意や憎悪を持つ魂を『悪しき死した魂』と呼ぶ。
俗にいう悪霊である。
電車の中に他に人がいないのは、人が本能的に危機感にも似た違和感を感じたからだろう。
女性の前に立つ青白い光は男性の形を成し、女性を見下ろしていた。
美緒はゆっくりと男の背後に近づくと、次第に男の声が聞こえてきた。
「おまえのせいだおまえいのせいだおまええのせいだおまえのせいだおませのせいだおまえのせいだおま」
その瞳は光を失い、体は傷だらけ、口からは涎が垂れていた。
座っている女性は体調が悪そうに頭を抱えており、美緒の存在に気付かない。
女性に男性の悪意がまとわりつき、体調に悪影響を与えているのであろう。
一種の呪いである。
美緒はその男性に見覚えがあった。しかし、どこで見たのか思い出せない。
「まあ、私がやることは変わらないよ」
美緒は右手を振い、その手に鎌を出現させた。
鎌を自在に収納できるこの魔法も死神に支給される魔法の一つである。
美緒は鎌を握ると、左斜め下から右斜め上に振り上げた。
鎌の刃が男の体を切り裂く。
男がゆっくりと美緒の方を振り向く。
「話の通じない相手に話はしないよ、かったるい」
美緒は右手を軽く振り、鎌を収納した。
青白い光がやがて天に上るように消えていく。
男の表情はどこか穏やかであった。
頭を抱えていた女性がハッとしたように頭をあげ、周りを見回している。
もう不穏な空気は電車の中を漂っていない。
女性の前に立っていた美緒を不審に思ったのか、女性が美緒を見上げた。
「…えーと、私、霊媒師をしておりまして、今、除霊をしたところです。他の方には内密に」
昼間に仕事をした場合に美緒が使う言葉である。
やっていることに大きな嘘はないが、死神と言っても信じてもらえる可能性は低い。
誰にも気付かれずに仕事ができた場合は何も言わずに去るようにしている。
女性は美緒の言葉を信じ、肩を震わせながら口元を押えた。
大きな瞳から大粒の涙を流す。
「そう、だったんですか…きっと、彼が…いた、んですね…」
女性には身に覚えがあるようだ。
女性は美緒の服を掴むと、美緒を下から見上げた。
美緒はしゃがみ、女性の手を服から離させると両手で包み込んだ。
「大丈夫です。彼は安らかに眠りました」
美緒の言葉に女性は安堵の表情を浮かべた。
美緒は男性が呪いにも似た行為を行っていたことは話さないでおくことにした。
「…私、彼が死んで、悲しくて…ずっとそばにいたから…」
「お友達だったんですか」
「いえ、恋人でした。でも、犯人も捕まったし…彼が安らかに眠ってよかった…」
美緒は女性の言葉に納得した。
『悪しき死した魂』の男性に見覚えがあったのは、ニュースでみた被害者であったからだ。
電車が駅に到着した。ドアが開くと人が流れるように入ってくる。
女性は立ち上がると、美緒に一礼し、ホームに降りて行った。
電車のドアが閉まる。
窓越しに女性を見ると、ホームで待っていた男性と腕を組んで歩いて行った。
美緒はチョーカーを外してカバンにしまい、大学の最寄駅まで座ることにした。

第一章 下

夜、美緒は再び信二のもとを訪れた。
黒いコードに黒いチョーカー。死神の制服をきちんとみにつけて。
「よし。じゃあ、まずその玲ちゃんに会いにいこうか」
信二の周りに描いたチョークを足でこするように消す。
時計をみると時刻は夜の9時を回っていた。
小学生であれば眠りについてもいい時間であるため、美緒は信二を連れて玲の家に向かうことにした。
玲の家は小学校の近くであった。
玲の家は坂の下に位置し、並んで信二の家もある。
他にも数軒の家がある。電気がともっている。
しかし、玲の家だけは灯りがともっていなかった。
「玲ちゃんの部屋は二階?」
「うん。でもいないや」
信二は玲の部屋を窓から覗き込む。
そこに人は誰もいない。
「玲のママもパパもおしごとが忙しくて、玲はいつも夜ひとりだって言ってた」
小学生がこんな夜更けにどこにいったのだろう。
肝心の玲がいなければ信二の未練を解消することが出来ない。
『死した魂』を感知する力は死神に備わっているが、相手が生きた人間ではどうすることもできない。
「あっ!!」
突然信二が声をあげた。その声が響くことはない。
美緒は首を傾げた。
興奮したように信二が両手を握り拳にて上下に振う。
「俺、思い出したよ。姉ちゃん!玲は学校の噂を実行しにいったんだ!」
「噂?」
美緒が聞き返すと信二は大きく頷いた。
「夜9時以降に学校の裏手にある祠に1人でいくと幽霊に会えるってやつ!」
小学校で流行しそうな七不思議の一つのようなものだろう。
しかし、信二の死を悲しんでいる玲であれば実行する可能性は高いと言える。
その噂に則り、美緒と信二は小学校の裏手に向かった。
小学校の裏手は雑木林になっていた。
「美緒」
「あれ、リーパー。いたの?」
仕事にでるときにはいなかった使い魔がいつの間にか肩に乗っていた。
「ウルサイ。ここは、神聖。空飛ブは失礼ダ」
祠があるという場所。なにか神聖な場所なのかもしれない。
美緒と信二はリーパーの言葉に従い、雑木林を歩くことにした。
小学校から離れるように奥に進むとそこには小さな祠。
その前にしゃがみこむ一人の少女。
「お願い。祠さま、玲ひとりで来たよ。信二に逢わせて…っ」
小さな背を丸め、両手を合わせて必死に祈るように祠に向かって声をかけている。
今にも駆け寄りそうな信二の肩を押え、美緒は信二に待つように言った。
コートを脱ぎ、近くの木にひっかける。
肩に乗っていたリーパーはいつの間にか木の枝に座っている。
「お嬢さん、こんばんは」
美緒が声をかけると驚いた表情で玲が振り返った。
「私は死神です」
「死神、さん…死神さん!」
玲は立ち上がり、美緒の足にしがみついた。
足元から美緒を見上げる。その目には涙がたまっていた。
「信二に逢わせて!玲、おれいもさよならも言ってない!おねがいっ!」
強く美緒のズボンを掴む小さな手。震える手。
美緒はしゃがみこみ、玲の目元を手を覆い隠した。
「少しだけ見えるし、聞こえるよ」
美緒が手をはなすと、玲の目が淡く青い色となった。
美緒が退くと、玲の視線の先に信二がいた。
玲は大きく目を見開いて声をあげて泣き出した。雑木林に声が響く。
信二が玲に駆け寄り、玲の肩に触れようとした。
しかしその手は玲の体をすり抜ける。
信二は首を横に振った後、にっこりと笑った。
「玲。俺、死神の姉ちゃんに言って玲に逢いに来たんだ」
「うん、うんっ。玲ね…信二におれいが言いたくて、さよならだって言ってなくて、だって急に…」
「うん…。ありがとう。でも、俺、玲の笑った顔が好きだよ。な?」
信二が笑ってみせると、玲は涙を一生懸命ぬぐい、それでも拭いきれなかったが、笑顔を見せた。
何度も頷き、少しの間二人は最後の別れの挨拶をした。
美緒は邪魔をしないように信二のむこうにある木で不機嫌そうにしているリーパーのもとへ歩いた。
「全く。時間がカカリ過ぎだ」
「いいんだよ。これで」
美緒は少し離れたところから二人を見た。
泣いているが二人は笑顔だった。
「姉ちゃん。俺、もう大丈夫だよ」
信二の言葉に美緒は右手を振って鎌を取り出した。
鎌の柄でその背中を軽くついた。
信二の纏う青白い光が空に昇ろうとする。
「ありがとう、姉ちゃん。玲、元気でな」
そう言い終えた後、青白い光は消えて行った。
玲はいつまでも光が消えて行った先を見上げていた。
その目はもう黒くなっている。
「信二は…天国に行ったんだ…」
ぼんやりと、満足そうに玲は空を見上げていた。
美緒は死神のコートを着ると、リーパーを肩に乗せ、雑木林を後にした。
玲の姿が見えなくなった頃、遠くの方から声が聞こえた。
「ありがとう!死神さん!」
美緒は笑みを浮かべ、雑木林を抜けたため空へと飛んだ。
また他の迷子になった『死した魂』を探し、あるべき場所へと還すために。

*****

「いやあ、友情っていいね」
美緒が肩に乗るリーパーの頭を撫でながらつぶやいた。
リーパーは小さな手で美緒の手を払う。
「オ前には、アレ、友情にミエタか?」
「え?」
「ワタシには、愛情にミエタ。特別視。幼いが、十分な恋ダゾ」
子供だからと言ってバカにするな、とリーパーは美緒を注意した。
美緒は首を傾げ、指で頬をかいた。
(じゃあ、何が違ったんだろう)
信二と玲、昼間であった男性と女性。
同じ事件の被害者であり、同じように相手を特別視していた。
片方は相手を想い、片方は相手を呪う。
美緒はそれを友情と愛情の違いだと思っていた。
(私にはわからないや)
ピクリとリーパーの耳が動く。
「いた。次、反応」
「うん、わかってるよ」
美緒は反応がした方へ飛んで行った。
死神の仕事は今夜もまだ続く。


◆第一章 了◆

第二章 上

美緒の家の最寄駅から少し離れた場所にあるゲームセンター。
休日には利用者が多く訪れ、子供から大人までゲームを楽しんでいる。
3階建てのゲームセンターの1階にあるシューティングゲーム。
現在人気であるこのシューティングゲームは設置されている全てのゲームセンターとネットワークでつながっており、スコアを共有する。
ゲーム終了時にはランキングが表示され、全国で何位であるかなどの情報を確認できる。
銃を模したコントローラを画面に向け、敵を倒すゲームである。
そのストーリーの良さも人気の一つであり、リアリティのある映像効果とコントローラーの反応の良さが高評価を受けている。
土曜日の昼下がり、そのシューティングゲームの前に人だかりができていた。
ゲームの終了を知らせる音楽と共にランキングが表示され、歓声があがる。
画面には全国1位、命中率100%、ハイスコアの文字。
美緒は銃型コントローラーを所定の位置に戻した。
「美緒っ、すごいね!また更新したね!」
美緒の隣にいる少女が美緒に抱き着くように近寄った。
二つ結びにした髪はまとまることを知らず、毛先が外を向いている。
「ありがとう、鈴」
「今度は向こうの射的ゲームでぬいぐるみ取ってほしいなー」
「はいはい」
美緒は荷物入れにいれていたカバンを手に取ると、鈴と共に射的ゲームへ向かった。
高山鈴は美緒が小学生のころからの友人である。
積極的な鈴はよく美緒を遊びに誘い、今日は鈴の家に泊まりに行く。
美緒はシューティングゲームや射的など銃を模したゲームを得意とする。
小さいころによく行った縁日では鈴の好きなものを手に入れていた。
今もすぐさまぬいぐるみを手に入れ、鈴に手渡す。
「ありがとう美緒っ」
「どういたしまして」
鈴はぬいぐるみを抱え、美緒はカバンを持ってゲームセンターをあとにした。
荷物を置きに鈴の家に向かう。
「美緒、ちゃんとアレ、もってきた?」
「ん。ああ」
鈴の言葉に美緒はカバンをあけ、鈴に中身を見せた。
中には死神のチョーカーとコートが入っていた。
鈴は満足げに頷くと、美緒の服の裾を引っ張り、電柱を指さした。
「あそこに幽霊さんがいるから導いてあげて」
「了解」
美緒はそういうとチョーカーを首に収め、死神の表情を見せた。
鈴は死神ではない。
極まれに肉眼で『死した魂』を感知することができる人間が死神以外にも存在する。
鈴のまとまらない髪は『死した魂』を感知するためのレーダーなのではないかと美緒は思っている。
鈴の体質を美緒が知ったのは死神になってからだ。
死神の仕事中に窓辺にいた鈴に姿を見られた。
死神のコートを着ているため、普通の人間には感知できないと思っていたことろに名前を呼ばれ美緒は驚いたのだった。
仕事を終え、美緒はすぐに鈴のもとに戻った。
再び鈴の家に向かう。
鈴の家は駅をはさんで美緒の家とは反対方向になる。
「ねえ、美緒。美緒を死神にした人ってどんな人?」
人通りの少ない路地で興味で瞳を輝かせながら、鈴が美緒を下から見上げるように問う。
美緒の身長が女性の平均より高く、鈴の身長が女性の平均より低い。
美緒の中性的な顔だちも相まって、はたから見れば二人は恋人同士に見えるだろう。
「そうだね…一言でいうと、神様とは名ばかりの普通の男だよ」
美緒は少し笑いながら死神になった日のことを鈴に話した。

*****

美緒が死神になったのは数か月前。
大学での試験も終わり、その夜は早く眠りについた。
気が付くと、美緒は知らない場所に立っていた。
薄暗く果てのない大広間。
二列に並んだ柱が平行に果てまで立ち並んでいる。
「どこ?」
見上げた天井は思ったよりも高くなかった。小学校の体育館ぐらいだろう。
柱は床から天井まで伸びている。
一番近くの柱に触れてみると、不思議な感触だった。
大理石のように冷たいわけでもなく、木のような温もりもない。
鋼のように硬いわけでもなく、ゴムのような柔軟性もない。
表面は波打ったデザインだが、ざらついているわけでもなく、ツルツルしているわけでもない。
(なにでできているんだろう…)
美緒は柱の伸びる方向を向いた。
遠くに淡い光が見える。
美緒は引き寄せられるように淡い光を目指して連なる柱に沿って歩いて行った。

淡い光の正体はランプだった。
スズランのような形をしているランプは壁に設置されていた。
どうやら行き止まりのようで、T字路のように左右に老化が伸びている。
今までと違って、左右の廊下には扉があった。
ホテルのように何室も部屋が並んでいる。
スズランのランプの下にドアノブがあった。
ぼんやりとした頭で気が付かなかったが、どうやらランプは扉に施されていたらしい。
美緒はドアノブを握り、おもむろに扉をあけた。
そこは大きなホールだった。
中央に円形のステージのような場所があった。
そこには豪華ではないが、事務用の椅子とは異なる肘置き付の椅子。
椅子には一人の男が座っていた。
「よお、よく来たな。桜木美緒」
それが美緒と美緒と死神にした男との出会いだった。

第二章 下

男は肘掛けに右肘をたてて顔をつき、左足のかかとを右ひざに乗せて座っている。
ジーンズのズボンに白のタンクトップ。
金髪、右耳に緑のピアス、鋭い目つき、企むように笑った顔から覗くとがった犬歯。
年齢は美緒よりも年上に見え、30代にみえた。
「どなたでしょう」
美緒はこの状況を夢だと思っていた。
夢の中に知らない人。夢は深層心理、つなぎ合わせた記憶などをみせると聞いたことがあった。
記憶の中に目の前の男は見つからなかった。
完全に知らない男。
「俺か?俺は神様だ」
美緒は眉間に皺を渋い顔をした。
「どう見ても神様より悪魔の方が似合いそうだけど」
首を横に何度か振った後、ため息交じりにつぶやく。
神を名乗る男は笑顔を見せて、声をあげて笑った。
「ああ、みんなに言われる。どうにも見てくれがちょっとな」
「せめてジーパンとタンクトップはやめたら…?」
「そうだな。今度服を作れる友達がいるからそいつに頼んでみよう。神々しいやつをな」
親しみにやすい男だった。
纏う空気が柔らかく、その表情を見ていると妙に警戒心が薄れてしまう。
(これが神様…)
美緒は神様にもっと近寄りがたいイメージを抱いていた。
「なんだかとても人間くさい」
思わず気持ちが声にでていた。
さっと口元に手を添える。
「ああ。そうだな。俺は厳密には神様じゃねぇし。『世界の管理者』というポジションだが、説明が面倒だから神様を名乗ってる」
世界の管理者、聞き覚えのない単語に美緒は首を傾げた。
しかし、世界と管理者という単語から想像は容易であった。
世界を管理する者、それは神様にも等しいのではないかと美緒は思った。
しかし、今はそこが重要ではない。
「で、その神が私に何の用?」
これが本当に神からの啓示にも似た状況ならば何か用があってのことだろう。
神は真面目な表情を浮かべると、立ち上がった。
人差し指を軽く振ると、美緒の背後に椅子が出現した。
美緒はよろめき、椅子に腰をかける。柔らかなクッションが当たる。
「美緒、お前は幽霊って信じるか?」
美緒は天井を見上げ、毛先がまとまらない友人を思い出す。
「幽霊を信じるわけじゃないけど…友達が視える人だから、私は友達を信じてる」
「そうか。じゃあ、これから俺がいうことはとりあえず聞いてもらえそうだな」
そういうと神は美緒の前に先ほどまで自分が座っていた椅子を持ってきた。
勢いよく座ると、足を開き、両ひざに手を乗せた。
「死んだ魂はあるべき場所に自分で還る。だが、この『世界』では迷子になるやつが多い」
神はそう切り出して話を始めた。
還ることができない『死した魂』はこの世を彷徨う。
彷徨い続けた結果、戸惑い歪み狂い、『悪しき死した魂』となってしまう。
『悪しき死した魂』は狂暴化し、生きた魂を襲う傾向にある。
迷子になった魂や狂暴化した魂をあるべき場所に導く者。
「それが死神だ。美緒には死神になって欲しい」
「死神…。こう、骸骨が鎌を持ってるイメージ」
「骸骨になれとは言ってない。鎌は支給する。その他にもいろいろ特権はある」
『死した魂』は夜になると活動的になる。
死神の仕事は夜行われるため、日々の生活に支障が出てしまう。
そのため、死神の特権として、現在の地位・状況を保持するという特権がある。
「大学生の美緒でいえば、わかりやすいのは学力だな。テストの順位が落ちることはない」
「…現状維持」
「ああ。まあ、お前は頭いいから現状維持でも十分だろう。他にもいろいろ特権があるがな」
死神としての行動に必要な道具、魔法を使うことができるようになる。
通常の人とは異なる存在となる。
「『悪しき死した魂』の相手をすれば怪我もするし、場合には命を落とすこともある」
「危険な仕事…か」
「ああ。それでもやってくれるか」
真っ直ぐな瞳で神は美緒を見ている。
美緒は目をつぶった。
(お父さんやお姉ちゃんは死神に導かれたのだろうか…自分で還ったのか…)
亡き父と姉を思い浮かべる。
父と姉は美緒がまだ幼いころに事故で亡くなったと母から聞かされている。
美緒自身は父と姉は写真の中の存在でしかない。
ちくりと胸や頭が痛む。
「やるよ」
美緒は目を開け、小さく頷いた。
神は笑顔を見せた。
「ありがとう。助かる。お。もうすぐ朝だな。まあ、詳しいことはこいつから聞いてくれ」
そういって神が指を鳴らすと、美緒はふいに上から押しつぶされる感覚に襲われた。
下を見ると大きな穴が開き、椅子ごと落ちていく。
暗く深い闇。遠くなる光と覗いている神の姿。
そのそばに見える小さな羽の生えた動物。
突然の落下に美緒は頭を抱えた。
「…今度逢ったら殴ろう、そうしよう」

*****

「それで朝起きたらリーパーが部屋で寝てたんだ」
「ふーん。その人面白い人だね。鈴も逢いたいなあ」
「今度聞いておくよ。どうやら普通にこっちの世界にこれるらしいし」
話をしているうちに美緒と鈴は鈴の家に到着した。
鈴がかばんから鍵をとりだし、中に入る。
鈴の部屋に行くと、美緒が取得した景品が綺麗に並べられていた。
「御両親は?」
「お仕事だよ。そのうち帰ってくるかなあ」
鈴は今日手に入れた新しい仲間を並べる。
満足そうに笑みを浮かべ、ベッドに倒れこんだ。
無邪気な鈴の姿に美緒は微笑み、ベッドに寄りかかるようにそばに座る。
「美緒に死神さんのこといっぱい聞きたいなあ。お友達とかいるの?」
鈴の質問に美緒は頷いた。
「やっぱり同級生みたいなのがいて、同じ時期に死神になった人とかいるんだ」
「そうなんだあ」
「美月っていう同じ年の人がいてさ、地区も近いから『美』コンビとして最初は一緒に仕事したりもした」
死神の中で親しい友人を思い出す。
美しく長い黒髪。左目の泣きほくろがチャームポイント。
「あ。見たことあるかも…前に隣の駅に夜用事があった時に飛んでたよ。あー、死神さんだあって思ったもん」
「鈴は視えるからね。仕事中だったんだよ、きっと」
鈴は枕に顔をうずめる。
美緒は優しくその自由奔放な髪を撫でた。
鈴はまるで喉を鳴らす猫のように満足そうな顔を浮かべた。
「美緒ー。ゲームしよう」
「シューティングなら」
「だーめー、鈴負けるもん。アクション!」
「はいはい」

*****

鈴が寝付いてから死神の仕事に向かい、気配が少なかったため、早めに切り上げた。
鈴の家に戻り、床に就く。
鈴はベッドで眠り、美緒はその横に敷かれた布団で横になる。
楽しそうな寝顔を浮かべると鈴をみて思わず顔をゆるむ。
(明日は何をして遊ぼうか)
ゆっくりと眠気が襲ってきたので、そのまま身を委ねることにした。
気が付けば朝になっていた。
しかし美緒を起こしたのは鈴ではなく、リーパーだった。
「起キロ!」
強烈な尻尾ビンタに美緒は体を起こした。
相変わらず怒りの表情が多い使い魔である。
「おはよう、どうしたの…?」
リーパーは死神の仕事には口を出すが、美緒のプライベートに口をだすことあまりない。
友達と遊んでいるところにやってくることも今までなかった。
鈴がリーパーをぬいぐるみのように抱きしめ、頭を撫でる。
リーパーは羽をばたつかせて抵抗しているが、あまり効果はないようだ。
「…葬式ダ。支度シロ」
空気に緊張が走る。
はしゃいでいた鈴も口をつぐんだ。
「死神の服、イイ。バ神のトコ、行くぞ」
リーパーは神のことをバ神と呼ぶ。
本人の前で言っているところを美緒は見たことないが、仲はあまりよくないようだ。
美緒はカバンからコートを取り出し、私服に着替えコートを着る。
チョーカーを首に収め、身支度は整った。
玄関に向かい、靴を履く。
「じゃあ、鈴。ちょっと行ってくるから」
「うん」
美緒は右手を振って鎌を出し、柄を玄関の床に軽くたたきつけた。
美緒が入れる分だけの穴が出現し、そこに身を落とす。
つながる先は神のいる神殿。
見上げると、もう鈴の家につながっていた穴は消えていた。
代わりに足元に小さな光。
もうすぐ到着のようだ。
「で、誰の葬式…? 死神だよね」
「……行ク、わかる」
リーパーはそういうと美緒の肩で小さくなっていた。
美緒はその頭を優しく撫でた。


◆第ニ章 了◆

第三章 上

死神が仕事中に亡くなることもあることは美緒も理解していた。
死んだ死神は病死など事件性のない形で彼らの日常からも姿を消すこととなる。
神殿の一室には写真が飾られていた。
写真立ての前に美緒は立ち、唇を噛みしめてうつむいた。
「…美月……っ」
今は亡き友人の名をつぶやく。
同じ部屋には声を上げて泣く者、壁に拳を打ち付け堪える者、神を問い詰める者。
美月は周囲からとても愛されていた。
使い魔不足の際に新しい死神の指導を務めたことも多く、尊敬の念をいただいていた死神も多かった。
(美月は死神よりも女神が似合ってた…)
慈悲深く、優しく、包み込むようなその姿は今でも美緒の頭に焼き付いていた。
「なんでだよ!なんで美月が!」
男の死神が声を荒げて神を問いただす。
胸倉をつかみ、目に涙をためながら今にも神に殴りかかろうとしていた。
美緒はその肩に手を置き、強めに掴む。
「やめなよ」
間に入るように神と男の死神を引きはがす。
男の死神は舌打ちをして、一歩下がった。
「神も弁解するなりなんなりしなよ」
神は目を閉じて首を横に振った。
「俺にその権利はない。気が済むまで殴ってくれて構わない」
美緒はため息をつくと、神に背を向け、声をあげて泣く小さな死神の頭を撫でた。
ポケットからハンカチをだし、小さな死神に差し出す。
拭っても拭っても涙が止まることはない。
「せめて最期の状況説明だけ。知ってるんでしょう、神様」
美緒が言葉尻を強めに言うと、神は小さく頷いた。
「狂暴化した『悪しき死した魂』が美月を襲った。…数年前に殺人を犯して逮捕された人間だった」
生前に殺人などの罪を犯した人間は狂暴化する速度が他に比べて格段に高い。
美月は元々戦うことが得意な死神ではなかった。
むしろ戦いをなるべく避け、安らかな気持ちであるべき場所に還ってもらうことを望んでいた。
その鎌の刃はほとんど飾りでしかないと思われるほどに。
「しかも不意打ちだ。帰りがけに突然目の前に現れた相手が持っていたサバイバルナイフで前から一突きだった」
美緒にしがみつくように小さな死神が再び声をあげて泣いた。
眉をひそめたのは殴りかかろうとしていた男の死神だった。
「なんで『悪しき死した魂』がサバイバルナイフなんて持ってんだよ」
「……思い入れのあるものは一緒に持ってきちまう…こいつに限った事じゃない」
「くそっ!」
男の死神は頭を何度もかき乱した。
この一件は多くの死神に緊張感を与えることとなった。

*****

多くの死神は既にそれぞれの日常へ戻って行った。
美緒は一人で美月の写真の前で座っていた。
背後で足音がする。
「今、相手は?」
振り向かずに問うと、足音がもう一つ。
「戦闘能力の高い優秀な死神に探してもらってる」
「姐さんか…あの人なら安心だ。でも管轄地区が全然違うからなあ…」
死神の中で最強の死神と呼ばれる人がいる。
美緒はその人を姐さんと呼ぶ。
戦闘能力が高く、鎌を使って仕事をするタイプの死神である。
「美緒、お前に頼みがある」
美緒が振り返ると、そこには見慣れない少年が立っていた。
肩まで伸びた黒髪。とても愛らしい表情をしているため、少女にも見える。
美緒が立ち上がると、身長は美緒よりも低かった。
(高校生ぐらいかな。それにしても…)
美緒は少年をよく見た。
どこかで見たような顔をしていた。
長い睫、小さな顔、左目の泣きほくろ。
「こいつは美月の弟だ。緋月っていうんだ」
美緒は納得し、大きく頷いた。
振り返って写真を見ると、そのチャームポイントである泣きぼくろと目元がよく似ていた。
視線を少年に戻し、手を差し出す。
「よろしく、緋月」
「宜しくお願いします」
緋月は深く頭を下げた。礼儀正しい子でのようだ。
美緒は視線を神に移すと、首を傾げた。
「で、頼みって?」
神は緋月の肩に手を置くと、美緒を見た。
「こいつの指導係。使い魔不足でな」
美緒は目を丸くした。
そしてゆっくり首を横に振った。
「私は指導係って柄じゃないよ」
今まで指導を頼まれたこともない。
教えるほど戦闘能力が高いわけでも仕事がうまいわけでもない。
リーパーがうるさくはやく死神をやめろというほどに。
美緒の自己評価とは異なり、神は美緒の肩をたたいた。
「死神は指導係に向くやつはそもそも少ない。今一番の適任は美緒だ」
神の言葉がちくりと胸にささる。
美緒は視線を落とし、振り返ろうとしてとどまった。
小さくため息をつき、頭をかく。
「仕方ないなあ。はやく使い魔不足を解消してよね」
「おう。助かる」
本来死神の指導は使い魔の役目だ。
使い魔は死神のサポートを担う。死神に関する知識を多く持っている。
その使い魔が不足している場合は死神が新人の死神を教育する。
「じゃあ、死神セット持ってくるから隣の部屋に移動して待っててくれ」
そういうと足早に神は部屋を立ち去った。
死神セットとは基本的な道具の事を指し、コートもしくはジャケット、チョーカー、鎌が主である。
美緒は緋月を見た。
緋月は美月の写真から目をそらそうとしない。
美緒は緋月の背後にそっと近寄った。
「…緋月。隣の部屋に行こう」
「先輩…」
「先輩なんて柄じゃないよ。私は美緒。別に敬語とかいいから」
「美緒…さん…」
ためらいがちに緋月は美緒の名前を呼んだ。
美緒は部屋と出ようと部屋のドアノブに手をかけた。
ついてこない緋月を振り返って見る。
「緋月?」
「美緒さんっ!」
緋月は勢いよく振り返った。
視線が美緒に刺さる。
その目は真っ直ぐで力強かった。頬には泣いた痕。
「俺、姉貴の仇を討ちたい!手伝ってほしいっ」
緋月の声が部屋に響いた。

第三章 中

夜の風が美緒の頬を撫でる。
多くの建物を見下ろす位置でとどまり、夜の街を見回す。
時刻はもうすぐ1時になろうとしている。
企業が入ったビルにはまだ部屋の明かりがつき、住宅地の明かりは消えている。
あくびを一つすると、自身の足元を見る。
今は公園の真上にいる。
緑化が進み、樹木が植えられた公園は夏でも涼しい木陰が出来る。
上から見下ろすと暗い森のようにも見える。
その木々をかいくぐり、体をよろよろとさせながら緋月が美緒のもとへ向かってくる。
「はい、もうちょっと。頑張ってー」
手をひらひらと振り、美緒は空中にしゃがみこむ。
今、緋月に死神の基礎移動を教えている。
空を飛び、自由に動けることは死神にとって大事なことである。
(うーん、なるほど)
基礎移動は30分も移動していれば次第に慣れてくる。
美緒は15分ほどで基礎移動を習得した。
神が緋月を紹介した際に「素質はあるがセンスがねぇ」と言ったことを美緒は実感した。
基礎移動を教え始めてから早1時間。
ほんのわずかに慣れてきてはいるが、その進捗は悪い。
まだその素質は現れていないが、センスがないことは明白だった。
息を切らしながら美緒のもとへと昇ってきた緋月は美緒のコートを掴む。
美緒はコートを掴む手を外し、緋月の両脇に腕を通し、その背を美緒の体に預けさせる。
緋月は少し顔を赤らめたが、疲れからかすぐに首をだらりと垂らした。
「か、体が重い…」
「力入れ過ぎ。こう、足の裏にブロックがあるイメージ…かな。いつも着地することろに床があるというか…」
美緒は飛ぶというよりも蹴る感覚で空を飛んでいる。
美緒は緋月を抱えたまま、3歩ほど飛んで見せた。
夜風が緋月の頬を撫で、緋月は心地よさそうな顔を浮かべる。
「と、いうわけで、もう一回」
美緒は緋月を投げ捨てるように腕を振った。
支えを失った緋月は公園の木々に向かって落ちて行った。
踏ん張ろうと緋月は足を下に向け、表情を硬くしていた。
次第にその姿は美緒から見えなくなった。
増すはずの落ちる速度が減速していたので、激突することはないだろうと美緒は少し安堵した。

天候は晴れ。
リーパーは姿を見せていない。
リーパーは仕事についてくることもあるが、いないことも多い。
今夜は特に『死した魂』の気配もしないので緋月の練習に付き合うことが出来る。
美緒は空中に寝ころび、仰向けになってぼんやりと空をみた。
(…まだ捕まえたっていう報告を聞いてない…)
最強の死神が美月を襲った『悪しき死した魂』を探していると神は言った。
美緒は緋月の仇討ちに賛成したわけではない。
(気持ちは理解するけど、ここは姐さんに任せるべき)
相手は武装している。
基礎移動もままならない新人の死神が適う相手ではない。
美緒も戦闘能力が高いわけではないので、対峙しても拘束魔法を用いて逃げるつもりである。
「何寝テイル」
ふいに腹部に重みが伝わった。
上半身を起こすと、腹に上にはリーパーがいた。
「緋月待ち」
「マダ、基礎移動か」
「うん。結構慣れるまで大変みたい」
リーパーは不満そうな表情をしたが、文句は言わず美緒の腹の上で丸くなった。
どうやらリーパーも今夜は忙しくないことを感じているようだ。
美緒がその体を撫でるとまんざらでもない表情を浮かべている。
リーパーの体は全体的にクリーム色だ。けれどよく見ると金色の毛が混じっている。
ふわふわとした毛並に癒される。
「緋月ノ家、式紙おいてきた、カ?」
「うん。ちゃんと置いてきたよ」
式紙は死神が使える魔法の一つである。
人の形に切られた紙に名前を書き、念じることでその人物と全く同じ姿をした身代わりができる。
しゃべることや自己判断して行動することはできない。
夜中に自宅にいないことで騒ぎにならないようにするための手段である。
「特に緋月の家は美月が病死扱いになったし…夜中に緋月の様子を見に来たりもすると思う」
美月は睡眠中に心臓麻痺を起こし、そのまま息を引き取ったことになった。
緋月の様子を見に来た緋月の両親を心配させないため、美緒は緋月の部屋に緋月の式紙を置いてきたのだ。
寝る真似くらいは式紙にもできる。
美緒も念のため自室に式紙は置いている。
「…式紙を出現させるのにも10回くらいかかったなあ…出来た式紙はそっくりにできてたけど」
「美緒、初めハ4回かかった。出来たノ、下手。女ダッタ」
「私は女だよ」
リーパーと思い出話をしていると、背中に嫌な悪寒が走った。
リーパーを肩に乗せ、起き上がる。
「リーパー」
「アア」
リーパーが毛を逆立てるように威嚇の表情を見せた。
黒く強い気配。
『悪しき死した魂』の気配。
美緒はハッとして、すぐさまその気配をめがけて飛んだ。
黒く強い気配のいる場所には緋月がいるはずだからだ。
「接触、危ナイ。美緒、いそげ」
リーパーの言葉に頷き、美緒は全速力で進んだ。

第三章 下

美緒はその気配から少し離れた木に身を隠し、様子をうかがった。
己の不甲斐無さに下唇をかむ。
既に『悪しき死した魂』と緋月は接触してしまっていた。
しかも状況は劣勢。
緋月は右腕から血を流し、木にもたれかかり追い詰められていた。
息も荒く、汗も流しており、辛そうな表情を浮かべている。
(致命傷はなさそう…でも…)
相手が悪い。
相手は無傷。余裕の表情を浮かべた体格の良い男。
細く小柄で女性にも見える緋月とは体格差がある。
何より相手は、サバイバルナイフを持っていた。
美緒は無意識のうちに手を強く握っていた。
(…美月を、襲ったやつだ)
美緒は左人差し指の第二関節にかみついた。
美緒にとって冷静になるためのおまじないのようなものである。
(無暗に飛び込んでもダメだ。相手は殺すことにためらいがない。体格差もある、どうする)
指から血がにじむ。
ハッとして美緒は首を横に振った。
どうやら相手は緋月をすぐに殺すつもりはないらしい。
「お前が…」
緋月がよろめきながら立ち上がった。
その目は戦意を失っていない。
「お前が姉貴を殺したのか」
緋月の問いに男はケラケラと笑いながら、緋月を指さした。
「あー、どっかで見た顔だと思ったよ。あの時の妹か。お前のお姉ちゃんはいい声で鳴いたぜ」
男が浮かべた笑みに美緒は悪寒を覚えた。
緋月は目を見開き、鎌を握りしめた。
右足を力強く踏みつけ、男に対峙した。
「俺は、お前を倒す!お前を上にいかせるわけにはいかねぇ!」
男は眉間に皺をよせて緋月を上しか下になめまわすように見た。
そして大きなため息。
「お前、男か。興味ねぇや。男はいい声で鳴かないからな」
男が欠伸を一つ、体を伸ばして緋月に背中を向けた。
逃げる。
男は上を見上げた。
少し振り返って緋月を見ると、唇をなめた。
「上、ねぇ…」
男は再び上を向いた。
緋月はハッとして、さらに鎌を強く握った。
その姿を見ていた美緒は目を疑った。
「なに、あれ…」
リーパーが木から顔をのぞかせ、アア、と頷いた。
「あれは、『死神の目』ダ」
緋月の鎌の刃の根元には大きな瞳があった。
黒い瞳がきょろきょろと動いている。
美緒は自分の鎌を見た。
刃の根元には半楕円の傷のような痕。
これは鎌の傷だと美緒は思っていた。
しかし、目を閉じている状態だった。
美緒の鎌は目を閉じたまま。
「素質アルは本当だナ。鎌、死神ヲ認めた。サラ、る力を得ル、とか噂」
緋月が両手で握った鎌を振りかざし、男の背中に向かって振り下ろす。
「あめぇよ、坊ちゃん」
振り返った男が鎌の先を左から右ではじいた。
金属同士がぶつかる嫌な音がする。
元々小柄で腕力も戦闘経験もない緋月はバランスを崩し、鎌を落とし、片膝をついた。
「鎌を剣とかだと思ってんのか。使い方ちげぇだろ」
男が緋月に一歩近寄る。
「教育が必要だよな。もう鎌なんて握れなくしてやるよ」
男の目が獲物を捕らえる獣の眼差しに変わる。
貧血も相まって緋月は動けない。
男はサバイバルナイフを逆手に持ち替えた。
ナイフが緋月の心臓めがけて振り下ろされた。
緋月は諦めた表情を浮かべ、目を閉じた。
しかし、ナイフが緋月に刺さることはなかった。
「え…」
落としたはずの緋月の鎌が緋月の盾になるようにナイフを受け止めた。
『死神の目』は黒い瞳をきょろきょろと動かしている。
男も突然のことに怯み、一歩後ろに下がった。
「緋月っ!」
隙を見つけた美緒が地面すれすれで飛び、男と緋月の間に入った。
緋月の手を握り、そのまま飛び、男から距離を取る。
地面すれすれで飛んでいたこともあり、緋月を引きずることになり、砂埃が舞い上がる。
男はサバイバルナイフを順手に持ち替え、砂埃を払うように腕を振った。
緋月をかばうように美緒が男と向き合った。
「なんだ。上にいたのは男かよ」
「よく言われるけど、私は女」
美緒は男に近づこうとしたが、緋月が美緒のコートの裾を掴む。
泣きそうな顔を首を横に振った。
美緒はしゃがみこみ、緋月と目線を合わすと、頭を撫でた。
優しく微笑む。子供の『死した魂』を導くときのように。
「大丈夫」
それだけを伝え、立ち上がった。
一度ゆるんだ緋月の手が再びコートを握りしめる。
「だめだ。失いたくない」
「ガタガタ抜かす、ナッ!」
そう言って、リーパーが緋月の腹部に頭突きを入れたあと、チョーカーを口で外した。
よろめいた緋月はそのまま地面に倒れこんだ。
「あ、からだ、おも、い…?」
立ち上がろうとする緋月だが、何かに押さえつけられるように感覚に襲われ動けない。
リーパーは緋月のチョーカーを咥えて、木の根元で丸くなる。
美緒は首元を自身の頭を罰が悪そうにかく。
「教えてなかったね。使い魔にチョーカー外されると、死神は動けなくなるんだ。暴走を防ぐためにね」
美緒は男に向き直り、鎌を握りしめた。
「お待たせ」
「おい、イケメン嬢ちゃん。何しやがった…」
男は一歩も動けず、サバイバルナイフを握りしめている。
美緒は男の足元を指さした。
男の足元を囲むように光る線。いびつな円を描いていた。
美緒はポケットからチョークを取り出した。
それは信二に使った行動範囲を制限するチョーク。
「あんたはその円からは出られない」
リーパーが同じチョークを尻尾でいじっている。
美緒とリーパーは木の陰から飛び出し、男の足元に半円ずつ描いた。
「無策じゃやられるから死神らしくちゃんと仕事させてもらうよ」
鎌を振うが、全て男のナイフにはじかれる。
美緒は飛び上がり、男の後ろに回った。
しかし男はすぐさま振り返り、ナイフを美緒の胸に突き立てた。
持っていた美緒の鎌が地面に落ちる。
男は叫びにも似た笑い声をあげた。
「残念だったな!イケメン嬢ちゃん!」
男の笑い声はすぐに止んだ。
ナイフに刺さっていたのは「桜木美緒」と書かれた紙。
「残念、式紙でした」
男の背後で美緒は緋月の鎌を使い、柄の先を男の背中に突き立てた。
美緒は飛び上がった後、式紙を男の背後に落とし、自身はゆっくりとその場に降り立っただけ。
男の体が青白い光へと分散していく。
振り返って美緒の伸ばされた拳は美緒に届くことなく、男の叫びと共に空へと昇った。
やがて夜の公園が普段の静けさを取り戻した。
美緒は自分の鎌を拾うと、緋月に近づいた。
「ごめん。仇とっちゃった。そろそろ帰ろうか」
緋月の鎌を緋月のそばにおき、リーパーから緋月のチョーカーを受け取る。
美緒が緋月の首にチョーカーを収めると、緋月は起き上がり、美緒を抱きしめた。
「ん?」
緋月の体は震えていた。
美緒は優しくなだめるように緋月の背中をたたいた。
「よしよし。怖かったね。よく頑張った」
「怖かったよ!美緒まで失うかと思った!」
緋月は美緒の両肩を持ち、美緒と向き合う。
その顔は赤く、手は微かに震えていた。
「俺、美緒が好きだ!はじめ見た時から素敵だなって。俺、強くなるから!」
美緒は照れることもなく、真顔で首を傾げる。
その反応に怯みかけた緋月だが、言葉は止まらない。
「その、だから、まずは友達からっていうか、ゆくゆくは恋人に…好きになってもらうように」
顔を真っ赤にし、上目づかいで美緒を見る。
美緒は小さくため息をついた。
「ごめんね。私、人を好きになるってよくわからないんだ」
美緒は申し訳なさそうに言葉をつづけた。
「この年で初恋もないし、恋人もいない。恋愛感情ってよくわからない…だから、ごめん」
諦めさせるための言葉ではない。
男性に対しても女性に対しても恋愛としての『好き』という感情を持てていない。
緋月は口元に手をあて、肩を落とした。
「…待てよ。ということは、俺が美緒の最初の恋人になることもできるわけか…」
「ん?」
緋月は勢いよく立ち上がった。
「絶対惚れさせるから!」
緋月は笑顔を浮かべ、鎌を拾い、夜空へと飛んで行った。
公園に残されたのは美緒とリーパー。
リーパーが美緒に近寄り、肩に上る。
「疲れた、カエル」
「うん」
あっけにとられていた美緒も立ち上がり、体を伸ばす。
「あ。神に報告しなくちゃ。姐さんが探してたら悪い」
「ソウダナ」
美緒は鎌を地面に突き立てる。
その目はやはり閉じたまま。
神への報告をするために開いた黒い穴に身を落とした。

◆第三章 了◆

番外編

美緒から美月を襲った『悪しき死した魂』を導いたという報告を受けた神は、美緒を見送り、そのまま自分の仕事部屋へと向かった。
部屋の中には無数の鏡。
神が鏡の1つに触れると、その鏡の表面が波打つ。
波打つ鏡は色を変え、やがて波が収まる。
そこには木の上で気絶している緋月が写った。
神は小さく息を吐き首元をかくと、鏡に触れている手に向かって押すように力を込める。
次第に神の手は鏡に沈み、その体は部屋から消えた。

神が降りたったのは緋月が気絶している木の真上。
「やれやれ…」
そう言って緋月に近付き、背負う。
小柄とはいえ高校生男子。
重さに少しよろめき、体制を立て直す。
瞳を閉じた鎌がふわふわと浮かび、その柄がひとりでに木に押し合った。
柄の先に黒い穴があく。
神は鎌が自身についてくることを確認しながら、穴に身を落とした。

神殿に戻ると、客室に直行し、ベッドに緋月を放り投げた。
柔らかなベッドは緋月を包み込むように受け止めた。
(やっぱ素質はあるんだけどなあ)
死神になりたてで『死神の目』を開眼させた。状況が緋月の成長を早めたのかもしれない。
神は椅子をベッドの横に置き、腰掛ける。
(なかなか飛べなかったりしたのは、固定概念が強いとみた)
飛べない、出来ないという考えが緋月の成長を妨げた。
そんなことを考察していると緋月が目を覚ました。
ボーッとした表情であたりを見回し、やがてその視界が神をとらえた。
「あれ?神さま?」
「よお。伸びてたお前を連れてきた。気分はどうだ?」
「ああ、平気。ありがとう」
疲労が全面に表れているが、顔色は悪くない。
ハッとしたように緋月は神の服を掴んだ。
「俺、美緒に告白しちゃった!好きって言っちゃったよ!うああああっ!!」
手を放すと、今度は枕に顔を埋め、足をばたつかせる。
足を動かす音と共に少々の埃が舞い上がる。
神は少し笑みを浮かべながら、緋月の様子を見ていた。
赤らめた緋月の顔はまるで純粋な少女のようだ。
「お前が美緒を好きになるとはな…。姉と弟で好きな好みも似るのか」
担当区域が近く、近いタイミングで死神となった美緒と美月。
何かあったときに連携ができるようにと神は美緒と美月を逢わせた。
初めて美緒と会った美月は、美緒が帰った後に頬と赤らめ、「桜木さんって素敵な方ですね」と神に言った。
今は亡き美月のその時の表情と緋月の今の表情はとてもよく似ている。
「美緒は女だぞ」と言った時に見せた美月の少し残念そうな表情も神の記憶に残っている。
緋月は枕を抱えたまま身を起こすと、胡坐をかいてベッドに座る。
「あれ?神様、知らなかったの?」
首を傾げる緋月に対し、神は膝に肘を置き手に顎を乗せる。
「何をだ」
「姉貴は女の人が好きなんだよ。俺も女が好きだし、美緒みたいなかっこいい系だけどどっか可愛いタイプは俺ら姉弟の激好み」
にっこりと笑顔を浮かべ、Vサインを神に向けた。
神はその嬉しそうな表情を見ながら、小さく美月に詫びの言葉を思い浮かべた。
「神?」
少し表情を曇らせたせいか緋月が心配そうに声をかけてきた。
神はすぐに切り替え、少し鼻で笑うようにおどけた表情を見せた。
「美緒が可愛いかー?お前より背たけぇし、肉もついてねぇから抱きしめても固そうだよなー、あいつ」
神の言葉に緋月は口元を歪ませながら顔を赤らめた。
持っていた枕を神に投げつける。
枕は神の顔に命中したが、痛みはない。
「神様の変態っ!スケベ野郎!なにが、抱きしめるだよ!固そうだよ!」
興奮し、ベッドの上に緋月が立ち上がる。
神は枕を軽く握ると、緋月の腹をめがけて枕を投げつけた。
「そんぐれぇで赤くなるなよ。初心だなー、お前」
「うるせぇよ!じゃあ、何か!神は胸とか尻に肉のついた女が好きなのか!」
枕を受け止めた緋月が今度は神をめがけて投げ返す。
神は飛んできた枕を右手で掴むと、目を細めて笑う。
「…ああ、俺はそういうのが好きだな」
神は枕をベッドのもとの位置に戻すと、ベッドに乗り、緋月の頭を撫でる。
緋月は神の様子をうかがうように顔を見ていた。
「ま、せいぜい美緒を振り向かせられるよう頑張るんだな。あいつは難しいぞー」
「…うん。俺、帰る。明日も学校だし…助けてくれてありがとう」
そういうと緋月は急ぎ足に部屋を出て行った。
神は緋月が暴れて乱れたベッドを適当に直すと、椅子も元の位置に戻す。
(美緒が可愛いタイプねー…今度よく見てみるか)
神は緋月の着眼点を意識しながら、己の視野の狭さを考えることにした。
数日後、やはりわからず“自分の好みではない”と結論づけたのであった。


◆番外編 了◆

第四章 上

美月を襲った『悪しき死した魂』を討伐してから十数日経った。
緋月も死神としての仕事にも慣れ、次第に美緒の手を借りずともひとしきりこなせるようになってきた。
美緒の手を離れる日も近そうだと思っていたら、飛行中に壁に激突し、足を捻挫してしまった。
新人であり怪我をしているとなると、仕事もしづらいため、しばらく緋月の担当区域を美緒が担当することになった。
そんな時、神から美緒へ呼び出しがかかった。
リーパーと共に神のもとを訪れる。
美緒は緋月の担当使い魔が決まったという話だと思っていた。
「緋月の使い魔決まったの?」
「いや、それはまだだ。今日は美緒とリーパーに頼みがあってな」
神は美緒とリーパーを向い合せた。
リーパーは面倒臭そうに神をにらみつけている。
「使い魔の能力を強化した。美緒、リーパーのチョーカーを外してみてくれ」
「チョーカー?」
美緒はリーパーの首元を見た。
細くふかふかした体に収まる金の留め具がついた黒いチョーカー。
これは死神とおそろいの物。
使い魔が死神のチョーカーを外すと、死神の行動不能にすることができる。
(逆はやったことなかったなあ)
顎をあげ、美緒の行動を待っているリーパーの視線がささる。
美緒はリーパーのチョーカーをそっと外した。
すると、一瞬目がくらむような光がリーパーから放たれた。
思わず美緒は目をつぶる。
「ナッ!?」
リーパーの声に美緒は恐る恐る目を開いた。
そこには見知らぬ少女が立っていた。
細く美しい金色の髪、毛先に向かってウェーブがかかっている。
小柄な体に豊かな胸。上向きの尻とむっちりとした太もも。
少し日本人とは異なる鼻筋の通った愛らしい顔と青い瞳。
チョーカーのない死神のコスチュームを身にまとった少女がそこには立っていた。
「え、え?」
困惑して美緒は神と少女に視線を何度も泳がせた。
神は顔がにやけそうなのを必死にこらえているのが見て取れた。
少女は戸惑い、ぎゅっと手を握りしめていた。その手は微かに震えていた。
神が咳払いをし、美緒をみる。
「このところ『死した魂』の狂暴化も相次いでいる。だから対策をいくつか考えていてさ。それの一つ」
神は少女に触れようとして、手を引っ込めた。
美緒に向き直り、美緒の手からチョーカーを取る。
「使い魔の人型化だ。手を貸してほしいときとか、使い魔の姿じゃ不足することもあるだろうからな」
そういってチョーカーを少女の首に収めると、再びその体が光り、目の前にはいつもの相棒の姿が現れた。
その表情は怒りで満ちていた。
「…ナンの、ツモリだ」
リーパーの怒りは神に向いていた。
神はへらへらと笑い、少し逃げ腰である。
美緒もリーパーの尻尾ビンタを何度も食らわされる神を想像したが、
リーパーは大きくため息をついてふらふらとどこかへ行ってしまった。
その場に残された美緒は神の顔を見た。
「あの姿、神の好み?」
「ああ、俺の好みだ」
とても愛らしい姿だった。
「まだ全ての使い魔には実装していない。とりあえずお試しってことで、リーパーだけだからさ」
「それで自分好みの姿にした、と」
神は笑みを浮かべたまま黙った。
肯定と受けとった美緒は少し呆れながらも呼び出された意味を理解し、神のもとを後にした。

*****

美緒は緋月の担当区域分も見回りを行っていた。
自分の区域には鈴がいる。何かただならぬ気配を感じれば鈴から連絡がくるようにしていた。
彼女は『死した魂』を導くことはできないが、感知することはできる。
慣れない区域だが、前に一度だけ美月が体調を崩した時に来たことがあった。
(あ。『死した魂』の気配…いや、うーん…)
住宅街から少し離れた場所に一軒家があった。
随分と古い家だった。
どこか西洋の雰囲気を感じるデザインの家。
部屋には灯りがついていない。
微かに『死した魂』の気配がした。しかし、気配が安定しない。
美緒は家に入ろうとして近づいたが、踏みとどまった。
家の前に一台の車が止まったからだ。
車からは中年の男女がでてきた。
慌ただしく家に入っていく。
「お母さんっ!お母さんっ!」
「お義母さん!しっかりしてください!」
美緒は家に背を向けた。
ふわりと夜空へと飛んでいく。
(…まだ私の出番じゃない)
おそらく明日も緋月の担当区域を美緒が担当する。
明日も出番がないことを祈りながら、美緒は他の場所を見て回ることにした。
遠くにサイレンの音を聞きながら。

第四章 中

美緒は翌朝目を覚まし、大学にいく準備をした。
リーパーは昨夜帰ってこなかった。
たまに帰らないこともあるので特に気にせず、美緒はリビングへ向かった。
「あら、美緒ちゃん。おはよう」
リビングには美緒の母親がいた。
「おはよう。お母さん」
「朝ごはん食べていくでしょう?」
「うん」
看護師を務める母親は小さいころから美緒を懸命に育ててきてくれた。
事故で亡くなった父親と姉との思い出はあまりなく、家族との思い出と言えば母親と過ごした日々である。
椅子にすわると、母親がテーブルに卵焼きとこんがりと焼けたパンを並べる。
レタスやキュウリ、トマトの入ったサラダも用意された。
「スープ飲む?お湯で溶かす奴だけど」
「あー、いらない。ありがとう。いただきます」
美緒はそういうと朝食に手を付けた。
パンをかじるとパン屑が落ちるので、皿を添えて床やテーブルに落ちないようにする。
噛みしめた時にサクサクといい音がする。
「美緒ちゃん。今週末の予定は?」
母親の視線がリビングに隣接している母親の部屋へ移る。
つられて美緒も視線を動かすと、開いているドアからは黒いスーツのような服がみえた。
「あー、そっか…もうその時期か。大丈夫、空いてるよ」
「そう、悪いわね。いつも」
「ううん。親戚の人だっけ? 毎年お墓まいりいくよね」
父親と姉の墓参りのほかに、美緒の母親が毎年行く人がいる。
ついてきてほしいと言われるため、美緒もついていている。
幼少のころから毎年続いているため、その人がどんな人なのか聞いたことはあまりなかった。
おそらく母親にとって大切な人なのだろう、と美緒は考えていた。
「じゃあ、お母さんは夜勤だから寝るわね」
「うん。おやすみ」
「おやすみ。いってらっしゃい」
少しさびしげな母親の背中を見送った。
母親の部屋のドアが静かにしまったような気がした。

*****

普通の大学生生活を終えた美緒は、死神の準備をした。
緋月の怪我もよくなったため、明日からはまた緋月が復帰する。
美緒は昨夜気になった家を再び訪れることにした。
住宅街から少し離れた一軒家。
灯りはついておらず、人気はない。
代わりにはっきりと安定した『死した魂』の気配。
(今日は仕事あり、か)
ないことを祈っていたが、そういうわけにも行かなかった。
美緒が家をぐるっと見回すと、二階の窓から青白い光がみえた。
窓ガラスを軽くノックすると、中にいる青白い光が形を成し、おばあさんの姿を現した。
おばあさんは美緒の姿をとらえている。
美緒は一礼すると、窓をすり抜けて部屋の中に入った。
「こんばんは」
そこにいたおばあさんはとても綺麗な人だった。
綺麗にまとめられた髪は白いが、少し残った色は金色。
澄んだ青い瞳。
少し日本人離れした顔は、その人が日本人と外国人の血が混ざった人だとわかる。
美緒は既視感を覚えていると、おばあさんは微笑んで美緒に一礼した。
「ええ。こんばんは、死神さん」
おばあさんの言葉に美緒は目を見開いた。
鎌を握る手に思わず力が入る。
「死神をご存知ですか」
「知ってイルわ」
ゆっくりとした口調だが、どこかたどたどしい日本語。
おばあさんは美緒から視線をうつし、ベッドサイドをみる。
視線の先には一枚の写真があった。
「妹ガ死神、でした。二人ダケ秘密」
「なるほど。それでご存知だったんですね」
納得した美緒は少し緊張を解いた。
美緒が写真を覗くと、そこには二人の少女。
二人とも金色の髪、青い瞳。
片方の少女は短いショートヘアー。年齢からして姉だろう。
もう片方の少女は毛先にいくとウェーブがかかっている。
美緒は思わず指先をかむ。
「パパに連れられ日本にきました。でもパパいなくなって、二人で生きてキタ。妹も死んだ。でも、迎えは妹かと、思ってタ」
少しさびしげな表情を浮かべている。
しかしすぐに美緒に顔を向け微笑む。
「デモ、こんなかっこいい人。これも嬉しい」
気を遣った言葉だろう、と受け取った美緒は微笑み返した。
今夜はズボンを穿いてきたため、誤解させてしまったと美緒は反省した。
「…さあ、どうぞ」
おばあさんは胸の前で手を組んだ。
祈りをささげるような姿勢で目を閉じる。
死神を知る『死した魂』の対応は格段に速かった。
美緒は鎌を握ったが、首を横に振った。
「少し、待っていてください」
そういうと美緒は窓から外に出た。
おばあさんはきょとんとした表情を浮かべていた。
「リーパー!リーパー!」
美緒は大きな声で使い魔を呼んだ。
すると物陰から小さな獣が姿を現した。
「ナンダ」
「頼みがある」
美緒は地面に降り立ちリーパーにかけより、首の収まっているチョーカーを外した。
一瞬その体が光り、金色の髪の少女が姿を現した。
その表情は不機嫌だった。
「ナンダ…」
「この家に『死した魂』がいる」
「…ああ」
二人の視線はおばあさんのいる二階に向いた。
美緒は自分の鎌をリーパーに突きつけた。
「私の代わりに死神のフリをしておばあさんを導いて」
「…なぜダ?」
そっけなくため息交じりにリーパーは美緒の言葉を待つ。
「おばあさんの妹さん、死神だったみたい。写真に映っていた妹さんはリーパーそっくりだった」
神はリーパーの人間の時の姿について深くは答えなかった。
死神だった妹。
神はその妹さんを元に使い魔の人間化の姿を作ったのだろう、と美緒は思った。
「本人じゃないのはわかってる。でもさ…」
二人だけで生きてきた、と言ったおばあさんの表情は寂しそうだった。
俯く美緒の顔をリーパーは手で掴み、上を向かせた。
親指と人差し指が美緒の頬に食い込む。
「…今回ダケだ」
そういうとリーパーは美緒の顔を捨てるように手を放し、二階の窓に向かった。
鎌をしっかりと手に持って。
美緒は体制を立て直し、空を見上げた。
月夜に照らされたリーパーの姿は、金色の髪が輝くようになびき、とても美しかった。
(あんだけ美人ならモデルにもしたくなるか…)
美緒はこの件をリーパーに任せ、美緒は他の場所をみて回ろうとその場を離れた。

第四章 下

リーパーに鎌を渡し、仕事を任せたため、美緒はパトロールだけをすることにした。
幸い他に『死した魂』の気配はない。
鎌も持たない状態で『悪しき死した魂』と遭遇すると危険である。
ふいに視線の先が歪んだ。
美緒は違和感を覚え、目をこすった。
再度目を開いてみてもやはり空間が歪んでいる。
歪みはやがて黒い穴となった。
(なんだ、呼び出しか)
見覚えのある黒い穴は神の居場所へと誘う入り口。
死神の方から神の神殿へ行く際は鎌を使う。
逆に向こうから呼び出しがある場合はこうして目の前に道が開く。
美緒は警戒することなく、中に入った。
美緒の姿を完全に呑み込むと、黒い穴は小さくなって消えた。

*****

出口は大広間につながっていた。
神はそこにおらず、あたりを見回すとカーテンが揺れていた。
誘われるように美緒はカーテンをめくり、奥へと進む。
普段はいることのない6畳ほどの部屋があった。
部屋は薄暗いが、中央に置かれている大きな装置が淡く青色に光っているため、視界ははっきりしている。
1つのボタンがあるだけの台座とその上に乗る卵型の物体。
青い光を放っているのは卵型の物体で、縦の長さは2メートルほどあるように見えた。
ちょうど人1人入れるような大きさの卵型の物体は擦り硝子なのか中に何かがいるのはわかるが形をとらえることはできない。
「よお」
大きな装置を見つめたまま振り返りもせずに神は美緒に挨拶をした。
美緒は近くにあった椅子に座る。
「なに?私、死神の仕事中だけど」
「そう怒るなよ。呼びつけて悪かったな」
神はそういうと装置のボタンを押した。
卵型の物体の表面が剥けるように消え、中から淡い青の煙が広がった。
反射的に美緒は口を押えた。
次第に煙は晴れ、台座に影。
「紹介するぞ、新しい使い魔だ」
そこには黒い使い魔がいた。
リーパーと同じくフェレットのような体と猫のような耳と尻尾、蝙蝠のような翼。
毛並は美しく、表情はとても穏やかだった。
黒い毛並でわかりづらいが、左目の下にほくろのようなものがある。
「…」
美緒は背筋が凍るような感覚にとらわれた。
思わず服の胸周りを掴む。
「どうした」
美緒の見上げたまま固まっている生まれたばかりの使い魔に神が声をかけた。
すると、使い魔は手で口元をおさえ、恥じらうようなしぐさを見せた。
「いえ…とても、素敵な死神さんだと思いまして…私のパートナーの方ですか」
美緒は使い魔から向けられる眼差しに覚えがあった。
神は使い魔をすくいあげるように抱くと、首を横に振った。
「いやあ、お前の担当は別だ。女みてぇな可愛い男だ」
「そうですか…」
黒い使い魔は少し不安そうな声で視線を下げた。
「こいつはお前が担当する死神の最寄区域を担当する死神だ。困ったことがあれば頼りにしろよ」
神の言葉に黒い使い魔は嬉しそうに頷く。
その優しい眼差しは、慈悲深い雰囲気には見覚えがあった。
「なに、黙ってんだよ、美緒。お前も挨拶しとけ。サポート頼んだぞ」
声をかけられ、美緒は我に返った。
神に抱かれることで視線が近づいた黒い使い魔が期待する眼差しを美緒に向けている。
「ああ、うん。よろしくね」
「はい。よろしくお願いしますね」
神は黒い使い魔に別室に行くよう促した。
黒い使い魔は一礼してから別室へ向かった。
小さな部屋には神と美緒だけ。
大きな装置は静かにその殻を閉じた。
音が鳴りそうなほど静かな間が開く。
「…何か言いたげだな、美緒」
先に沈黙を破ったのは神だった。
その表情は悪戯を思いついた子供のようだった。
美緒は小さく奥歯をかむ。
「…あの使い魔、美月だね」
恐る恐る口にした言葉は予想よりも美緒に重くのしかかる。
神は白い歯を見せて笑う。
「お前本当に直球勝負好きだよな。俺は少しツンデレぐらいの方が好きだぜ」
否定はされなかった。
美緒は手を強く握りしめる。
「あのリーパーが人間になったときの姿は、本人だったんだ…っ」
使い魔の姿のリーパーは毛色がクリーム色だが少し金色が混じっている。
美緒は額に手を付けて首を横に振った。
「私、悪いことしたかも…」
今しがたリーパーに頼んでいることを振り返る。
本人の立場に立てばどのような心情だろうか。
神は美緒の肩を軽くたたいた。
「心配すんな。死んだ死神を使い魔に変える時に人間の時の記憶は奪うルールだ。あいつは何も覚えちゃいない」
美緒は視線を翻し、神をにらみつけた。
神の表情はいつものようにヘラヘラと笑っていると思った。
しかし、一瞬垣間見えた表情はひどくつらそうに見えた。
「だから気にすんなって。アメリーにとっちゃこの上ない導かれ方だろうからよ」
そう言葉を発するころにはいつもの表情になっていた。
「アメリー?」
「ああ、リープ…っと、リーパーの姉さんの名前だ」
美緒は軽くため息をついた。
死んだ死神は使い魔になる。
生まれたばかりの美月であった使い魔は一目で美緒を死神と判断した。
「使い魔にするときってさ、死神に関する記憶は奪ってない、とか?」
美緒は尋ねると、感心したように神は頷いた。
「ああ。元々死神を使い魔にするっていうのは、教育にかかる人手不足を解消するためのルールだ」
記憶を奪い、姿を変え、仕事をさせる。
死神は死んでからも休まることはない。
神は人差し指を自身の唇にあてた。
「これは秘密だ。誰にも言うなよ」
「…言いづらいよ」
美緒は後頭部に手を当て、軽く掻いた。
「…でもさ、美月だった使い魔を緋月につけるのはちょっとどうかと思う。いずれ人間化ルールは全使い魔に反映するんでしょう?」
緋月は美月の弟。
神は先ほど美月であった使い魔の担当は女のような男だと言った。
そして緋月の最寄区域を担当する死神は美緒である。
その美月であった使い魔がチョーカーを外すことで美月の姿に戻ったとしたら、緋月はどんな反応をするだろうか。
「ちょっと酷じゃない?」
神は口をへの字に曲げた。
口先をとがらし、視線を落とす。
「まあ…それはそうだが…採用されて全適用になるのはおそらくあと30年ぐらい先だからいいかなーって…」
小さな声でバツが悪そうに言い訳を漏らす。
「試行の許可もらうのにだって50年近くかかってるしな」
美緒はぎょっとし、目を丸くした。
「ご、ごじゅ…? 神なのに許可とか…はー…」
多くの情報に美緒は混乱し始めた。
神は首を傾げた。
「言わなかったけか。俺は本物の神様じゃなくて代理みたいなもんだって」
美緒は初めて目の前の男と逢った時のことを思い返す。
この男は面倒だからと神を名乗っていると言った。
「美緒、『世界』のルールってのは簡単じゃねぇんだ。バランスとかいろいろあんだよ」
口角をあげてニヤニヤと目の前の男は笑っている。
詳しい説明をする意思は感じられない。
美緒も深く追求するのはやめた。
「と、いうかよ」
神は美緒の額を指ではじいた。
痛みは大してなかったが、思わず美緒は額をさする。
「死神が鎌も持たずにウロウロしてんじゃない。最近は『悪しき死した魂』も増えてんだからな」
「わかってるよ」
「それにお前はあんまり鎌の扱い得意じゃねぇだろ」
その物言いは見慣れた使い魔を思い出させた。
美緒が思わず声に出さずに笑っていると、神もつられるように笑った。

◆第四章 了◆

第五章 上

週末、緋月は死神の仕事をこなしていた。
担当となった使い魔は緋月と同じで新人だが、柔らかな表情と温かみのある話し方は好感を覚えた。
死神に対する知識も豊富であり、緋月とも仲良くやっている。
(リーパーのほかに使い魔なんて知らなかったけど、優しい使い魔でよかった)
何かあるたびに怒鳴られていては緋月の精神が持たない。
今日は自分の担当区域以外に美緒の区域もまわる。
美緒は遅くまで遠くにでかける用事があり、担当区域を回ることが出来ないと連絡があった。
緋月は鼻歌を歌いながら夜空を飛び回る。
「何かいいことがあったの、緋月」
緋月の使い魔となった神無月がクスクス笑いながら緋月の隣を飛ぶ。
緋月は神無月といると、時折既視感を覚える。
けれどそれがなんなのかはわからない。
「美緒が俺に担当区域を預けてくれたってことは、美緒に頼りにされてるってことだろ」
満面の笑みを浮かべる緋月の頭を神無月は優しく撫でた。
「うん、そうね。慣れないところだけど、一緒にがんばりましょう」
「うん。よろしくな」
幸い、今日は『死した魂』の気配がしない。
日付をまたぎ、灯りがつく家は少なくなってきた。
学校、公園、病院、交差点…『死した魂』が集まりやすい個所を重点的に見回る。
一軒の家で老衰した男性を見かけたが、すぐにあるべき場所へと自ら向かっていった。
死神としての仕事は不要である。
美緒の担当区域を回っている途中、緋月はあたりを見回す。
神無月は首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや、なんか視線が…」
振り返った先に一軒の家があった。
二階の窓が開いており、窓辺には一人の女性がいた。
幼そうな顔立ちだが、年上にも見えた。髪はひどく乱れている。
揺れるカーテンから覗く部屋にはたくさんの人形があった。
その女性と視線が絡み、女性は緋月に笑いかけた。
緋月は唾を飲んだ。冷や汗が頬を首筋を伝う。
彼女と目が合った。
一般の人には見えない死神のジャケットを着ているのに。
すぐさま右手から鎌を取り出し、戦闘態勢に入る。
神無月も視線を緋月の視線に合わせ、目標をとらえた。
焦ったのは女性の方であった。
両手を大きく振り、首を横に振る。
「違う違う!鈴は怪しい人じゃないよっ!美緒のお友達なのっ!」
緋月は神無月と顔を見合わせた。
神無月は小さく頷き、緋月は右手を振って鎌を収納した。
「ねえ、こっちに来て。お話ししよう。今日はお仕事ないでしょう」
子供のように笑う姿に敵意はないように見えた。
緋月は神無月を肩に乗せ、近寄った。
「美緒の…友達?」
緋月がそう聞くと、女性は大きく頷いた。
「鈴は美緒と小さいころから友達だよ。緋月くん、君の話も美緒から聞いてるよ」
そういうと鈴は部屋の中に戻り、一冊のアルバムを取り出すと、窓辺に戻ってきた。
アルバムを広げ、得意げに写真を指さす。
「これが中学生の時の美緒。学ラン姿なんて貴重でしょう」
緋月は食い入るようにアルバムに顔を近づけた。神無月も後ろからのぞく。
写真には男装ミスコンテストで一位を取り、苦笑いする学生服姿の美緒が写っていた。
緋月はポケットからスマートフォンを取り出した。
「…鈴さんっ、写真を写真とっていいですかっ!」
「いいよー。美緒には内緒だよー」
「もちろんですっ!」
緋月の警戒心は一気にとけた。

鈴は美緒との関係と『死した魂』や死神が視える体質であることを話した。
緋月も神無月も納得し、鈴が出したお茶を飲む。
「鈴さんは美緒と仲良しですよね」
「うん。そうだよー」
緋月は鈴にコップを返すと、鈴に力強い視線を向けた。
その頬は少し赤く染まっている。
「俺…、美緒が好きで…。でも振り向いてもらえないっていうか、好きっていうのがわからないって言われて…」
次第に緋月の視線が下がる。
美緒と出会い、その見た目に惹かれた。
次第にその優しさ、強さ、どこか寂しげなところに目が離せなくなっていた。
初めて『悪しき死した魂』と対峙したあの日、全てが終わった後緋月は美緒に告白をした。
「絶対に惚れさせる」を断言し、アプローチを続けているが、手ごたえがない。
相談する相手もおらず、不安になってきたところであった。
緋月が鈴に視線を戻すと、鈴から笑顔は消えていた。
緋月の心臓が嫌な脈を打つ。
「…緋月君、君は若いし…これからもっといい人にも出会うだろうから他の子にしときなよ」
緋月はむっとして眉間に皺を寄せた。
鈴はその表情をみて首を横に振る。
「緋月君に魅力がないとかじゃないよ。美緒は…、今のままじゃ恋愛感情を持つことない。断言する」
風がカーテンをなびかせる。
まとまらない鈴の髪は意思を持つかのように揺れる。
緋月は首を横に振り、鈴から視線をそらした。
「…どうして…」
鈴は口元に手を当て、しばらく黙ると、小さく頷いた。
「君なら話してもいいかな。黙っていられそうだし」
そういって鈴はアルバムを棚に戻した。
自室に持ち込んだ湯沸かし器からお湯をティーバックの入ったコップに注ぐ。
鈴から渡されたコップから立ち込める湯気が紅茶の香りを運び、緋月の鼻を刺激する。
「今日、美緒がどこに行っているか知ってる?」
突然の質問に緋月は戸惑いながらもコップを受け取った。
「お母さんとお墓詣りに行くって聞いてる。毎年のことで、場所がちょっと離れてるし食事会があるから遅くなるって…」
鈴は緋月の返答を聞き、小さく何度か頷く。
「誰のお墓参りか知ってる?」
「遠い親戚らしい、とか言ってたかな。美緒もお母さんについていくだけだからって言ってたし…」
鈴は窓辺に座る神無月の頭を撫でた。
鮮やかな黒い毛並である。
「…おばさん、まだ話せないんだ」
「なあ、美緒が恋愛感情を持てないことを何の関係が…」
鈴は顔を上げると、空を見上げた。
雲は晴れ、月がよく見えた。
「美緒が行っているお墓詣りの相手は、美緒のお母さんだよ」
緋月は首を傾げた。
「え? だって、美緒のお母さんはまだ」
「今いるおばさんは死んだ美緒のお父さんの再婚相手。産みのお母さんは美緒が生まれて少しして交通事故で…」
緋月は視線を落とした。
「毎年の食事会は美緒をおじいちゃん、おばあちゃんに逢わせるために開かれてる。おばさんとしては償いのつもりなのかな」
鈴の言葉に緋月は眉間に皺をよせ、目を細めた。
鈴は目を細めながら口角を上げる。
「さあ、本題に入るよ。ちょっと聞くには辛いかもしれないけど、緋月君には期待しているよー」
鈴は緋月の胸に触れた。
「美緒のナイトになれるってね」

第五章 下

美緒を生んだ母親は美緒が生まれてしばらくした後に交通事故でなくなった。
何かと苦労もあったが、美緒の父は自身の両親、妻の両親と共に美緒を育ててきた。
毎年妻の命日が近づくと、食事会を開いた。
繊細な父としては美緒に母の存在を忘れて欲しくなかったのだ。
「優一さん、私たちとしては孫の美緒を連れてきてくれて嬉しいけど…あなただって次の幸せを考えてもいいのよ…?」
美緒の母方の祖父母は決まって美緒の父をそう促した。
繊細で優しく臆病ではあるが、ここぞというところで力を発揮する美緒の父の幸せを皆願っていた。

美緒が6歳になったとき、父は縁があり再婚することとなった。
「美緒…、お父さんはこの人と結婚する。美緒のお母さんになる。あとお姉ちゃんもいる」
父32歳のときであった。
言葉を選び、娘の様子を伺っていた。
その指には噛んだ痕が残っていた。
「よろしくね、美緒ちゃん」
「お姉ちゃんになるけど、いいかな」
新たに母となる女性と姉となる女性。
母となる女性は父よりも少し年上で、姉となる女性はもうすぐ成人を迎えるという。
美緒は首をかしげたあと、笑顔を見せた。
「みお、お母さんもお姉ちゃんもできてうれしいな」
“母”に対するイメージが希薄であった美緒にとって大きな問題ではなかった。
こうして4人での暮らしが始まった。
繊細な父と大胆な母、優しき姉。
新しい母と姉にはほかに親戚がおらず、恒例の食事会は行われていた。
優しき姉も祖父母ができ、喜んでいるように見えた。
皆が幸せになると誰もが想い、続くと信じていた。

全てが狂ってしまったのはたった1年後の事であった。

その日、看護師である母は夜勤にでかけていた。
二階で寝ていた美緒は一階から物音が聞こえたため、降りてきた。
大きな物音。
飛び散る赤い液体。
「おねえちゃん…?」
リビングには姉が父を包丁で刺す光景が広がっていた。
血と涙で顔を濡らした姉。
床に敷かれたカーペットの上に転がる父。
小さな美緒は混乱していた。
姉の視線が父から美緒へとゆっくり移る。
天井から照らす光が包丁を光らせる。
「おとうさん…?」
美緒は一歩一歩ゆっくりと父に近付き、目の前に座り込んだ。
呼びかけに応えない父。カーペットに沁みていく血。
「美緒…」
見上げた姉の表情は暗い。
「おねえちゃんね…優一さんが好きなの…。父親だなんて見れなかったの…」
血が混じった涙が美緒の顔に降り注ぐ。
温く美緒の頬を伝う。
「好きで、好きで…でも、優一さんはお母さんが好きで、前の奥さんも好きで…」
しゃがみこんだ姉は横たわる父に寄り添う。
愛おしそうにその冷えていく体に触れる。
「強引に一度だけ愛してもらった。嬉しかったなあ…。優一さんの手、大きかった…」
頭を優しく撫でる父の手は美緒も好きだった。
けれど目の前の父はもう頭を撫でてはくれない。
「美緒…。恋ってつらいね…。好きになるってつらいよ…苦しいよ、憎いよ…」
苦しげに姉は声を漏らす。
美緒は立ち上がり、優しく姉の頭を撫でた。
姉はハッとして顔を上げ、顔をくしゃくしゃに歪め、大きな瞳から涙をこぼした。
「美緒…あなたはやっぱり優一さんの娘なんだね……男の子じゃなくてよかった…」
姉はよろめきながら立ち上がった。
その表情は安らかだった。
そうして、そのまま包丁の刃を首に添えた。
自身の首に。
「美緒は私のようにならないで。恋なんかしないで。人を好きになっちゃ…」
流れるように引かれた包丁は深く首を切り裂き、美緒の顔に血の雨を降らせた。
わずかに動いた唇は何か言葉を発しようとしたが、声になることはなかった。
その体は父に重なるように倒れこんだ。
美緒が手を伸ばそうと近付いたとき、何かが美緒を突き飛ばした。
その勢いは強く、小さな美緒の体は飛び、柱に頭を打ち付け、そのまま気絶した。

翌日、夜勤から帰宅した母がその惨劇を発見することとなる。
病院に担ぎ込まれた美緒は精密検査の結果、体に異常はなかった。
検査を終了した美緒を母は抱きしめた。
「美緒ちゃん、…あなたは私の娘よ。だから、嫌じゃなかったらこれからも」
「…お母さん、何言ってるの?」
美緒の記憶は滅茶苦茶になっていた。
父や姉の死を見たことも忘れ、産みの母親がいたことも忘れた。
医師は精神的ショックを受けての防衛反応だろうと言った。
はじめはわからなかったが、成長する過程で恋愛感情に欠けていることも判明した。

*****

「おばさんは、食事会を欠かさない。いつか美緒が全てを思い出した時に選べるように縁を残すつもりなんだと思う」
鈴は静かに話を締めくくった。
緋月は涙を流し、袖で顔を拭った。
神無月も緋月のそばで涙を流す。
「だから、中途半端な気持ちならやめて。鈴、怒るよ」
その眼差しは鋭く緋月にささる。
緋月は首を横に振ると、拳を握った。
「中途半端じゃない。俺は美緒を幸せにする」
その言葉を聞くと、鈴は笑顔を見せた。
「まあ、がんばってねー」
「でも今の話に納得いかないこともある」
緋月の言葉に鈴は何度か瞬きした。
「どうして、そこまで知ってるんだ。現場にいた美緒は覚えてないし、おばさんだって仕事だったはずだ」
目撃者は記憶をなくした美緒だけ。
この騒動は警察が入り、事件ともなったが、誰が加害者なのかは明らかにならなかった。
鈴は目を伏せて小さくため息をつく。
「おじさんとお姉さんが私のところに来たの。美緒を頼むって」
小学校入学後、美緒と鈴はすぐに仲良くなった。
鈴にとっては特殊な能力を受け入れてくれる唯一の友達であった。
美緒は父に鈴のことを話しており、父は鈴のことを半信半疑で覚えていた。
「ざっくりだけど教えてくれたよ。私が根掘り葉掘り聞いたのもあるけどねー」
「そうだったんだ」
「あとこの事件の真相を知っている人はもう一人いるよ」
鈴は自身の唇に人差し指を当てる。
緋月は頷くと、鈴は笑顔を見せた。
「当時この辺はアラタさんっていうおじいちゃん死神が担当してたの。その方はもう亡くなったけど、アラタさんの使い魔はまだ現役」
鈴は癖のある自分の髪を指に絡める。
鈴のところへ来る程に未練を残した二人を死神が見過ごすはずはない。
「何かの運命なのかな…。今は美緒の使い魔をしてるんだよねー」
神無月はその手を口元に当て、緋月は額に手を当てた。
二人の脳裏には見知った一匹の使い魔が浮かんでいた。
「緋月君、美緒に何かあったときはよろしくね」
鈴は笑顔で緋月に告げた。

◆第五章 了◆

第六章 上

(ああ、どうしてこうなったんだろう)
美緒は木の後ろに隠れながら、指をかんだ。
額から垂れてくる血が視界を遮ろうとする。
なるべく動きが大きくならないように指先で軽く血を拭う。
幸い傷は浅そうだが、追いかけまわされたせいで疲労がたまっている。
美緒は息をひそめながら行動を振り返ることにした。

*****

緋月に仕事の代理をしてもらったお礼を言い、仕事に戻ろうとした。
「待って、美緒。今度さ…休日にご飯食べにいかないかな?」
恐る恐るうかがうような表情で顔を赤くしながら緋月が美緒のコートの裾を掴んだ。
上目づかいで美緒を見る表情は女の子のようだと美緒は思った。
「いいよ、別に。きちんとお礼しようかな」
美緒の言葉に緋月は首を横に振った。
「違うよ。デート!デートしようって誘ってるんだよ」
「ご飯食べに行くのと違うの?」
「そうだけど…」
「うん、だからいろいろとまあ、お礼に」
緋月は頬を膨らませ、小さな声で「じゃあそれで…」とうつむいた。
美緒は緋月の態度に首を傾げたが、追求する気はなかった。
神無月は緋月の後ろで苦笑いを浮かべている。
「そういえばリーパーは?」
緋月が美緒を周りを見回すが、リーパーの姿は見えない。
「ああ、リーパーはよくいないよ。何してるのかな」
「もしかしたら、神様からの御説明を受けているのかもしれません」
神無月が美緒のそばに寄ってきた。
美緒がその頭を優しく撫でると、神無月は恥ずかしそうに身をよじらせた。
「最近、神さまが新能力をつけたー、とか言っててさ。使い魔に説明があったらしい」
緋月の言葉に美緒は背筋が凍る感覚を覚えた。
思わず神無月のチョーカーに視線が動いた。
悟られないように小さく息を吐く。
「へぇ…どんな能力?」
緋月か神無月の返答を待つ。思わず喉が鳴った。
「死神の能力強化だっけ?」
「はい。なんでも最強の死神と呼ばれる方に先行で実施した結果、全死神に適応されるようになったとか」
詳しくは各々で試してみろ、と神は使い魔に説明したらしい。
美緒はほっと胸をなでおろした。
「最強の死神…姐さんか」
以前に美月を襲った『悪しき死した魂』を探すために動いていた現在最強の死神。
その死神としての戦闘力の高さから最強と呼ばれている。
しかし、その時は風邪で寝込んでいたため、結果的に美緒が仕事を片付けることとなった。
(姐さんに先行で実装ってことは、使い魔の人化ではないか…)
胸をなでおろした瞬間、背筋に悪寒が走った。
張り詰めたような空気。
振り返った先には何もいない。
緋月に視線を向けたが、神無月と戯れている。
「じゃ、私は仕事に戻る」
「うん、俺も。じゃあ、美緒、今度な」
嬉しそうに手を振って去っていく緋月と神無月の姿を見届けた後、美緒はすぐさま気配の方へ飛んだ。

近付くにつれてその気配は濃くなっていった。
(重い張り詰めた気配。これは、ただの『死した魂』じゃない)
以前に対峙したサバイバルナイフを持った『死した魂』を思い出す。
(あれに近い。でも、なんか違うような…)
気配を追って飛んでいくと、そこは美緒の担当区域からは離れた場所になっていた。
山が近く、自然に囲まれた空地にその気配はあった。
空地の上で空中に止まり、周りを見回したが、何もいない。
木が多く、あたりの視界は開けていなかった。
風が吹き、雲の隙間から月が覗いた。
木の隙間から何かが光ったのを美緒は見逃さなかった。
(ちょっとまった。あれは…)
美緒はすぐさま光があった場所へ降り立った。
再び雲が月を隠した。

「大丈夫!?」
美緒が降り立ったそばには人が倒れていた。
黒いジャケットに身を包み、手に鎌を握った男。
死神だった。
美緒が男に触れようとしたが、手を伸ばしてすぐに下した。
下唇を噛み、目をそむける。
「…くっ…」
その死神の肩と背中は大きな傷で切り裂かれていた。
助かるような傷ではなかった。
(この傷…ナイフとかじゃない…動物…?)
爪痕のような傷が残されていた。
美緒は右手を振って鎌を取り出した。
(死んだ死神は使い魔になる。なら、神のところへ連れて行こう)
地面に柄を突き立てようとした瞬間、背後でがさっと物音がした。
振り返ると、そこには美緒の身長をはるかに超えた大きな熊がいた。
熊はその手を大きく振り上げ、美緒をめがけて一気に振り下ろしてきた。
美緒はとっさに身をひるがえし、距離を取った。
よく見れば、熊は青白い光を纏っていた。
「…珍しい。熊の『死した魂』だ」
『死した魂』となるのは人間だけではない。
迷子になる他の生き物もいるが、数が少ないだけ。
倒れている死神の傷と熊の爪。状況は見えた。
美緒は鎌を握り直し、熊の『死した魂』と向かい合った。
距離は十分にとる。涎を垂らし、威嚇する熊から視線は外さない。
美緒は鎌の扱いが得意ではなかった。
しかし、熊が相手であっては交渉することは難しい。
柄でつくことで導くためには相手側にも気持ちに多少余裕がなければならない。
(あの熊の動きは機敏だし、仕留めるなら一発)
チョークで動きを止めるなどの小細工をしている余裕はない。
(別に首を刎ねなくてもいい。刃先が体に刺されば…)
死神の鎌は『死した魂』をあるべき場所に強制的に送還する力を持っている。
その力が発揮されるためには『死した魂』の体に数センチ食い込まなければならない。
美しく鎌を操る死神は“刈り取る”動作が出来るが、美緒はその域に達していない。
美緒は足に力を入れ、一気に踏み込んだ。
鎌の刃先が届く範囲まで熊に近づいた。
鎌を振り上げ、刃先を熊の背中にめがけて振り下ろした。
しかし、美緒の左の視界に大きなものが近づいてくるのが映った。
美緒は小さく悲鳴をあげ、その大きな手に吹き飛ばされた。
地面にたたきつけられ、右肩を強打した。勢いがあったため、全身を強く地面にこすりつけてしまった。
美緒が振り下ろすよりも早く、熊の平手が美緒の腹部に叩きつけられたのだった。
(まずい…、これは、応援を…)
にじむ視界で思わず自身の使い魔を探すが、誰もいない。
緋月には告げずにきた。
(正解だったな…)
鎌の刃に目を向けると、柄の近くに描かれた半円は閉じたまま。
美緒は小さくため息をつき、鎌を杖代わりに立ち上がる。
殺意をむき出しにした熊の『死した魂』は美緒を見ていた。
一歩一歩近づいてくる。
「…私じゃ力不足かな…」
美緒は鎌を握りなおすと、奥歯を噛み締めた。
熊が雄たけびを上げた。
自然と鎌を握る手に力がこもる。
(くる!)
美緒の頬に汗が流れる。
しかし、熊が攻撃をしかけてくることはなかった。
熊が目の前に倒れた。
その雄たけびが消えると同時に熊を包んでいた青白い光が夜空へとのぼっていく。
「え」
美緒がその光を追っていると、やがて熊を仕留めた人物がみえてきた。
美緒は安堵しかけた。
しかし、背筋に走った悪寒が美緒に再び鎌を握らせた。
「よお、桜木美緒」
目の前に立っていた男は肩に真新しい傷を持っていた。
そして、黒く強い気配を纏っていたのだ。
「さっきの死神…」
さきほど倒れていた死神だった。
(あの傷でよく…)
顔をよく見れば見覚えがあった。
美月の葬式の場で神の胸倉をつかんでいた男。
「…うまいこと動けるもんだな…。なんか力もみなぎる気がする…」
その言葉はどこか虚ろで、美緒に向けられた目は寒気を漂わせた。
美緒が瞬きした次の瞬間、死神が目の前に接近していた。
ハッとして身をひるがえしたが、振り上げられた男の鎌が美緒の額にあたった。
深くはないが大きめにつけられた傷から血が垂れてきた。
距離を取るが、動いた拍子に腹部が痛んだ。
美緒は木が生い茂る方へ身を隠すため走りだした。
男はゆっくりと追ってくる。
「俺から大切な人を奪った落とし前つけてもらうぜ」

第六章 下

美緒は息を殺しながら自分に敵意をむける死神をよく見た。
黒い気配を纏い、青白い光が男を包んでいる。
冷静に考えればあの傷で助かるわけがなかった。
(死神の…『死した魂』…しかも、『悪しき死した魂』だ…)
彼が纏う気配は美月を襲った『悪しき死した魂』とよく似ていた。
熊の『死した魂』に襲われた死神は、その場で死を迎えた。
様子からして死神の能力を有したまま。
(力もスピードも向こうが上。こっちは負傷。向こうは死んでるし…)
死神の鎌があたりの木や草を刈り取る音が聞こえる。
興奮状態で美緒を探している。
とても交渉は無理であろう。
美緒は自身の鎌を見た。その半円は固く閉ざされている。
緋月が『悪しき死した魂』と対峙した際、緋月の鎌は瞳を開き、緋月を守った。
(まだ、認めてくれてないってことかな)
美緒は力を込めて柄を握る。
勢いをつけて、死神の背後に降り立った。
死神はすばやく振り返る。
「待って。私がいつあなたから大切な人を奪ったっていうのさ」
美緒の言葉に死神の眉間に皺が寄る。
死神は落とし前をつけると美緒に言った。
しかし美緒には身に覚えがなかった。
「桜木…お前、まさか気づいてなかったなんてこたぁねぇよな…」
「…身に覚えがない」
死神の目が怒りに満ち、見開かれる。
次の瞬間、死神の鎌が振り下ろされた。
美緒は直撃寸前で避けるが、コートは引き裂かれた。
「あんなに想いを寄せられながら、身に覚えがないだと…!テメェはどこまで罪な人間だ!」
死神の雄たけびに肌がしびれるような感覚を得た。
熊の『死した魂』と同等の叫び。
瞬時に距離は詰められ、振り上げれた掌が美緒の頬をはたき倒した。
美緒は地面に倒れこみ、肩を強打した。
「…想い…?」
美緒は死神の言葉に緋月を思い出した。
緋月は美緒を好きだと言った。その想いは知っている。
(…でも、奪うって…別に緋月生きてるし…そもそも私は誰も殺してなんてないけど…)
体中が痛み、考えがまとまらない。
目の前の死神が怒る理由がわからなかった。
「美月だ」
死神の言葉に顔を上げると、死神は大粒の涙をこぼしていた。
鼻水もたらし、その表情はぐしゃぐしゃだった。
「美月…?」
「美月は、美月はなあ!!お前が好きだったんだよ!俺が告白したら、テメェが好きだから無理だって言われた!」
美緒は鎌を抱え込むようにして、いつでも飛び出せるように身を固めた。
腹部が痛む、肩が痛む、頬が痛む。
息が荒くなる。深く呼吸をすることも辛い。
「…それと奪うのと何が関係あるの?」
美緒は死神の足元に飛び込み、鎌で脛を狙った。
数センチでいい、食いこめばいい。
その考えは甘く、狙いは外れた。
死神は膝をあげ、美緒を蹴り倒した。仰向けになった美緒の肩を踏みつける。
「ぐあ…ッ!!」
「関係あるさ…テメェがいなけりゃ、美月は俺のもんだったんだよ。テメェが俺から美月を奪ったんだ!」
肩を踏む力が強くなる。
美緒は奥歯を噛み締めた。
「桜木…お前、死神に向いてねぇぞ。鎌の使い方が下手すぎんだよ」
見下ろす死神の目はひどく冷たかった。
死神は夜空を見上げた。澄んだ星空がみえた。
「…そういや…美月の『死した魂』を看取ったっていう報告きかねぇな…あんな死に方して未練がねぇはずねぇよな…」
その言葉は虚ろで、ひどく不安定だった。
『悪しき死した魂』はとても不安定で、その精神は生前よりも歪んでしまう。
(こいつだって、別に悪いやつじゃないのに…)
美月の葬式で出逢った彼は頭に血が上りやすいようだったが、決して悪い人間には見えなかった。
(未練…強い想い…これが恋…?)
頭の奥が痛む。まるで遮断機が下りる時のような音で頭痛がする。
その音を振り払うことができない。
視界がにじむ。涙が出そうになる。
痛みではない、胸の奥が締め付けられるような感覚が涙を引き寄せる。
「そうだ」
死神の言葉に美緒はハッとした。
音はもう聞こえない。
「美月を探しに行こう。美月も俺を待ってるはずだ。美月のエリアはあっちだったな」
死神の足が美緒から外され、美緒は肩を押えた。
身体の痛みに今度は涙が出そうになった。
「美月、待っててくれ…俺が、迎えにいく。いや、俺は美月を殺さない…誰からも傷つけられないように、こいつで…」
死神の手にはチョークがあった。
チョークは『死した魂』の行動範囲を制限する。制限された空間では誰も『死した魂』に触れることはできない。
美緒は地面を這う。死神を止めなければならない。
(美月の担当区域には緋月と神無月が…)
緋月は美月に似ている。顔も雰囲気も。
死神の心理状態で死神と緋月が遭遇したら…美緒は自身の考えに悪寒を覚えた。
(止めなくちゃ…)
もう声をあげることも辛い。
死神はもう美緒のことは眼中にない。
まっすぐに美月の担当区域に向かってしまう。
這いながら鎌を握る。視界に映った鎌にもどかしさを覚えた。
死神の言う通り、美緒は鎌をつかうことが苦手だ。
狙いは定まらない。距離感は鈍る。そもそも軽くはない。
(もっと、ほら、アレみたいにさ…)
右手の人差し指が動く。
ゲームセンターや縁日ではそれを使った遊びが美緒は得意だ。
鎌ではなく、それであれば目の前の死神を止めることが出来るのに。

「じゃあ、お前の好きなもんにしろよ、美緒」

声が聞こえた気がした。
右手にかかる重み、指先に感じるトリガー。
今まさに夜空へ舞い上がろうとする死神に向けて、美緒は反射的に撃ち放った。
放たれた弾丸は死神の背中に刺さり、死神は驚いた表情のまま青白い光が人の形を失い、夜空へと昇って行った。
雲の切れ間から差し込んだ月光に映し出された弾丸は鎌の刃と同じ色と光り方をしていた。


*****


空地に静寂が訪れた。
美緒は地面に倒れこみ、手に収まる銃を見た。
(鎌が…銃になった…)
その形は世界で最も信頼性が高く、知名度が高いと言われる銃の形に似ていた。
鎌よりも断然に美緒には扱いやすく、狙いも外さない。
(これが緋月が言ってた死神の能力強化ってやつね…)
身体の痛みに動くこともままならない。
誰かが迎えに来てくれるわけもなく、痛みが引いて動けるようになるのを美緒はじっと待っていた。
「ヒドクやられたな」
美緒が首をひねると、そばにはリーパーがいた。
銃化した鎌がもとの鎌に戻る。
「リーパー…ありがと…」
美緒はほっと胸を撫で下ろした。
リーパーがいるのであれば、緋月を呼ぶことや神の場所へ連れて行くことが出来る。
考えてみればリーパーの顔を見るのは久しぶりのような気がした。
リーパーは静かに美緒の指先に近寄り、身を伏せると指先にチョーカーを当てた。
「この姿、やりづらい。人にシロ」
「ああ…確かにね…」
美緒は神がリーパーに先行して人化を採用したことに感謝した。
震える指先で美緒はリーパーのチョーカーを外した。
リーパーの姿は人となり、ウェーブのかかった金色の髪をなびかせ、豊かな胸が揺れる。
その表情は静かだった。
「ひとまず…治療かな…。お腹も痛いし、肩も痛いし…」
「悪いな、美緒」
リーパーの柔らかな人の手が美緒の首元に触れた。
瞬間、美緒は地面に押しつぶされる感覚に襲われた。
疑問の声も上げることが出来ず、視界が揺らぐ。
リーパーが美緒のチョーカーを捨てる姿がみえた。
美緒は口を動かしてリーパーを呼んだが、声にならなかった。
リーパーは静かに美緒を見下ろし、鎌を拾い上げた。
「しばらくすれば緋月が来る。安心しろ。お前はもう十分動けないから、チョーカーを外した時の拘束も弱い」
流暢にしゃべる姿は別人のように見えた。
使い魔が死神のチョーカーを外すと、死神は身動きが取れなくなる。
既に負傷した美緒を動けなくするためにかかる圧力は普段よりも弱い。
「鎌は返してもらう。これは私の鎌だ」
リーパーの言葉に鎌に目を向けると、その半円は開き、金色の瞳が開いていた。
そしてリーパーは鎌を地面に突き立て、神の神殿へつながる穴をあけると、美緒を残して立ち去った。


◆第六章 了◆

最終章 上

一人の女性が泣いている。
横たわる男性のもとへ倒れこみ泣いている。
(泣かないで)
身体が動かない。
頭をぶつけたのかな。
(ひどいな…何も突き飛ばすことないじゃない…)
ひゅーひゅーと裂けた喉から音が漏れている。
(ああ、これが恋なのだろうか…好きという感情はこんなにも…)
暗く揺れる視界。
わずかな光で輪郭を得る二人の陰。
霞んでいく。
消えていく。
まだ遠くに、けれどあの時より近くに。


*****


「美緒っ!」
美緒はかけられた声にハッとして目を覚ました。
目の前には心配そうに顔を覗き込んでいる緋月と神無月の姿があった。
ゆっくりと美緒は体を起こす。
首元に触れると捨てられたはずのチョーカーが収まっていた。
「あれ…私…」
意識がはっきりしない。
周りを見回せば熊の『死した魂』と戦闘をした公園にいる。
ゆっくりと記憶を振りかえる。
熊の『死した魂』はおそらくこの区域の担当である死神によって導かれた。
しかし、その死神は既に致命傷を負い、息絶えており、『悪しき死した魂』へと変わっていた。
美緒は神無月に視線を向けた。
「よかった…良かったです、美緒さん…」
泣きじゃくりながら小さな獣の手を美緒の手に添える。
自身の腕を見ると、黒い包帯のような布がまかれていた。
身体の痛みが軽減している。
完全に回復したわけではないが、受けた攻撃と現在の痛みが見合わない。
自動で回復するような能力は死神に備わってない。
「この黒いの…?」
現在考えられる回復の要因はこれしかない。
緋月が目に涙を浮かべながら美緒を抱きしめた。
安堵のため息が聞こえてきた。
「…俺のセカンドスキルらしい。ほら、死神の能力強化の話」
緋月が美緒と別れてからここで美緒を介抱するまでのことを話し始めた。


*****


自分の担当区域に『死した魂』はおらず、緋月はのんきにパトロールを続けていた。
すると、そこにリーパーが現れた。
「あれ?美緒と一緒じゃないの?」
「…緋月、美緒、危ナイ」
視線を合わせず、どこか投げやりにリーパーはそうつぶやいた。
「美緒の担当区域より先、ずっと先、公園アル。美緒、『悪しき死した魂』と交戦」
緋月は血の気が引く気がし、神無月と顔を見合わせた。
リーパーに案内してもらおうと思った時には既にリーパーの姿は遠くにかすんでいた。
懸命に追ったが追い付けず、しかも途中で見失ってしまった。
近くを見回してみると、空に昇っていく青白い光を見つけた。
すぐさまその場所に向かうと、地面に倒れこみ気絶している美緒を見つけた。
「美緒!美緒っ!」
懸命に声をかけても返事はない。
神無月がチョーカーが外れていることに気付き、そばに落ちていたチョーカーを緋月が付けた。
美緒を押えてつけていた呪縛が解かれたが、腹部からは血がにじんでいた。
首元から見えた肩は青くなり、内出血していることが分かった。
「すぐに救急車…っ」
地面に鎌を置き、ポケットに手を突っ込んだが、こんなときに限って携帯電話も財布も忘れてきていた。
焦りと苛立ち、不安、恐怖、様々な感情が緋月を襲う。
「くそっ!!」
己の拳を地面にうちつけた。
せめて止血しなければいけないと思い、ポケットに入っていたハンカチを破ろうとする。
ドラマやアニメのようにすぐに切れて包帯代わりにできると思ったが、ハンカチは手ごわかった。
「あー!もう俺が持ってるの鎌だけじゃねぇかよ!」
すぐにでも美緒を治したい。
いつも誰かのために傷ついてでも動く彼女を守りたい、支えたい。
感情に任せて意味もなく鎌を握ると、鎌が一瞬だけ光り、すぐに堅い感触が消えた。
「え?」
驚いていると、手の中の鎌は黒い薄手の布状の物に変わっていた。
幅は狭いが、とても長いそれは通気性の良さそうな素材だった。
直感的にそれで何をするべきか理解できた。
「ごめん!美緒!」
美緒の服を少しだけめくり、神無月に手伝ってもらいながら、美緒の体にそれを巻きつけていった。


*****


「そうして、しばらくしたら美緒の顔色もよくなってさ。本当に良かった」
いつまでも美緒を抱きしめて放さない緋月の背中を神無月が叩いた。
緋月は驚いたようだが、美緒を放す様子はない。
「なに?」
神無月はハッとした表情を見せたあと、咳払いをした。
「美緒さんはけが人です…体に障るから…」
美緒は周りを見回した。
緋月と神無月をよそに美緒は別の事を考えていた。
(私の鎌がない。リーパーの姿もない)
美緒の鎌を使って神の元へ向かったリーパーは記憶違いではないようだった。
『悪しき死した魂』と化した死神を強制的に導いたのは美緒の鎌。
銃となった鎌。
(あれが私のセカンドスキルってやつか)
緋月と方向性は違う。
各死神に合わせた能力なのだろう。
美緒は緋月をはがすと、立ちあがり服の中に手を入れ、黒い布を取り出した。
身体からすべて取り終わると、緋月に返した。
緋月の手元に戻った黒い布は鎌の姿に戻った。
緋月の鎌の『死神の目』は開眼し、黒い瞳をきょろきょろと動かしていた。
その視線が美緒に刺さる。
動いていた瞳は制止し、何度か瞬きした。
「わっ」
緋月の鎌は緋月の元を離れ、美緒の前で地面に突き刺さった。
神の元へとつながる黒い円が広がる。
『死神の目』は美緒から視線を外さぬまま、何度も瞬きを繰り返している。
「……あなたは何か知ってるのかな…」
まるで追えと言われているように美緒は感じた。
『死神の目』の仕組みを美緒はよく知らない。
リーパーが緋月の鎌を見た際に少し話していた程度。
――『死神の目』は鎌が死神を認めた証。
――更なる力を得るという噂
リーパーが手にした美緒の鎌は金色の目をしていた。
(迷ってても仕方ないか)
美緒は緋月の鎌を手に取った。
『死神の目』は美緒を見つめている。
「緋月。借りるね」
そういうと美緒は神の元へとつながる黒い円に身を落とした。
「え!?み…っ」
自分の名前を呼ぼうとした緋月の声を遮るように円は閉じた。
神の元へとつながる穴に身を落とした先の着地点はいつもバラバラだ。
初めて行ったときは長い廊下を歩かされた。
その次からは神のいる部屋の前に降りれるようになった。
「まさか今日はその場に降りられるとはね」
美緒が降り立った場所は神がいつもいる部屋だった。
そこには傷だらけで血まみれの神と血の付いた鎌を持つ人型のリーパーがいた。
「で、リーパー。何してんの?」
美緒は静かに呟いた。

最終章 中

鎌で切られた痕のある椅子。
ボロボロになった神の服。
額や腕、足からは出血しており、Tシャツとジーパンは朱くにじんでいる。
神とリーパーは数メートル離れて向き合い、美緒は二人と三角形を描くような位置に降り立った。
神にもリーパーにも数メートル離れている。
座り込んでいる神は動けそうもなく、リーパーと美緒は走り出せば同時に神のもとにたどり着けるだろう。
「…何をしているか、か」
リーパーの声は静かだった。
その瞳ははっきりとした意思をもっているにも関わらず、どこか遠くを見ているように感じた。
「神殺しだ」
リーパーは美緒に血のついた鎌を向けた。
『死神の目』は金色の瞳をしている。その視線は緋月の鎌に向いているような気がした。
美緒は大きく息を吐いた。
「神殺し…か。何、神のことが嫌いなの?」
美緒が親指を立てて神を指す。
リーパーは美緒から視線を外し、眉間に皺をよせて神を見た。
「…憎んでいる」
奥歯を摺合せ、強い目力で神を睨み付けている。
歯ぎしりが美緒に聞こえてきそうなくらいだった。
美緒はため息交じりに神を見た。
何も話さず、途切れ度切れに呼吸し、リーパーを見つめている。
その表情は美月の葬式で見たことがある表情だった。
「また“弁解する権利はない”ってやつ?」
神は答えず、肩を落としている。
美緒は親指を少し噛んだ。
鋭く弱い痛みがじんわりと体に溶けていく。
「リーパー。一応ね、その人は私の知り合い。理由もなく、目の前で殺されるのは気が引ける」
「…理由を話せば邪魔しないということだな。お前はそういうやつだったな、美緒」
死神と使い魔は共に生活している間柄。
理由を問えばリーパーが話すと美緒は踏んでいた。
そして、返答も予想通りだった。
「死神の仕事中だった…こいつは私を…っ」
怒りに震えるリーパーの言葉に美緒は大きく頷いた。
「やっぱりあったんだ…死神だった時の記憶」
神は死んだ死神を使い魔に変える時、その記憶を消すと言った。
その言葉通り、神無月には記憶がないように見えた。
けれどリーパーには時折違和感を覚えていた。
「そうだ。私は全て覚えている…。だから、姉を看取らせてくれた美緒には感謝している」
神を横目に見ると、目を見開いていた。口はだらしなく空いている。
何度も瞬きを繰り返して、リーパーを見ていた。
「…雷のなる夜だった…」
リーパーが声を震わせながらつぶやいた。


*****


リーパーはリープという人間だった。
父親に連れられ、姉と共に日本にやってきた。
母が病に倒れ、帰国を許された父親と共に父の故郷へと帰ってきたのだった。
異国の見た目を持つ姉妹に対して、周囲の風当たりは強かった。
日本自体も落ち着きを取り戻したばかりのタイミングであったため、
村の人に受け入れてもらうのには時間がかかった。
母の母国にも居れず、父の母国でも辛かった。
そんなとき、リープは神と出会った。
ヘラヘラとした態度が気に入らなかったが、次第に素直じゃないだけで優しい人だと知った。
死神にならないかと誘われ、死神となった。
当時の仕事は山のようにあった。
いつも彼はそばにいた。
時折人に紛れて町を並んで歩いた。
恋仲となるのに時間はかからなかった。


そんなある日、リープは仕事中にひどい傷を負った。
相手は元兵士であり、死神の『死した魂』であった。
なんとか導くことはできたが、歩くこともできず、その場に倒れこんだ。
冷たい雨がリープの体に降り注ぐ。雷が鳴る。
意識はあるのに身体は動かない。
視界はぼんやりとしている。瞬きもできない。
しばらくして近づいてくる足音。
それが神であることはなんとなくわかった。

助けに来てくれた…、そう安堵した。
普段は素直になれない。
憎まれ口を叩いて、相手の愛の囁きに照れてしまう。
名前を呼びたかった。自分だけに教えてくれた本当の名前を。

けれど伸ばされた手はリープを抱きしめなかった。
(え)
リープの体が少しずつ変わっていく。
緩やかに穏やかに、人の形が糸をほどくように崩れていき、代わりに別の体になっていく。
見覚えのある獣の体。
(嫌だ!嫌だいやだ!私は生きている!なんで!なんでこんな!)
叫びは声にならない。
ぼんやりとした視界でとらえた神の表情はひどく冷たく見えた。
雨が髪を顔を濡らす。その滴がリープに降り注ぐ。
意識はそこで途絶えた。

次に目を覚ましたときには、神殿にいた。
神はいつものようにヘラヘラとした表情を浮かべ、自己紹介をしてきた。
「何にも覚えてねぇだろうが…死神の制度の事はわかるだろ?お前の名前は…リーパーだ」
その態度は仕事の態度。
「…アア」
こうしてリープはリーパーとなった。


*****


「こいつにとって私はその程度だったということだろ?」
リーパーは語り終えた後、嘲笑した。
静かな神殿にさらに沈黙が走る。
沈黙をやぶったのはリーパーだった。
「裏切られた…だから殺す」
美緒は天井を仰いだ。
リーパーの話を聞きながらひどく頭痛がし始めた。
またあの遮断機が下りるような音。
痛みを払う様に首を振る。
「そうか、事情は少しわかった。でもよくわからないな…」
頭の痛さがひどくなる。
リーパーは大きくため息をついた。
「…美緒、お前にはわからないだろうな。その点は同情する。だが、わからないやつが口を出すな」
リーパーの鋭い視線が刺さる。
美緒は首を横に振った。
「リーパーさ、神を殺したいんだよね?」
「ああ…」
「じゃあ、なんで急所狙わないの?」
リーパーの体が一瞬はねた。
美緒は首を傾げる。
「やっぱり憎いって感情はさ、どうしようもないと思うんだ。せっかく鎌もあるんだし、さっさと済ませればいいのに」
神はおそらく抵抗しないだろう。
何かしら神にも理由があり、死神からの抗議に抵抗しない姿勢を見せている。
リーパーが言葉に詰まる。
美緒は神に近づき、背後に立つと、両手を掴んだ。
背中を踏み、胸を前に倒させ、完全に神を拘束した。
突き出すように伸びた首は鎌で刎ねるのには最適である。
「美緒、何の真似だ」
驚いたのはリーパーの方だった。
「え?手伝おうかな、と。こいつ、本物の神様じゃなくて…なんだっけ?代理なんだよね」
「世界の管理者だ。私も知っている」
「そう、それ。だからまあ、やってやれないことはないだろうし…」
視界が赤く染まっていく気がする。
頭痛がひどく、思考がまとまらない。
遠くの方で女の人が泣いている気がする。
苦しいよ…憎いよ…と嘆いている。
リーパーを見ると今にも泣きそうな表情を浮かべていた。
その表情は彼女に似ていた。
「リーパー?」
鎌を持つ手は微かに震えている。
その視線は神に向けられている。
遮断機の音が小さくなっていく。
脳にへばりついた何かが落ちていく。
「お姉ちゃんもお父さんが憎かったのかな」
脳からそれが落ちるのと同時に喉から言葉が流れ出た。
遮断機の音はもうしない。
「美緒、お前…」
リーパーが驚いた表情で美緒を見ている。
もうその表情はリーパーであった。
「リープ!」
それまで黙っていた神が声を荒げた。
美緒は驚き、手と足を放した。
「言い訳にしか聞こえないだろうが、聞いてくれ。あの時リープは死んでいたんだ」
神がゆっくりと立ち上がる。
リーパーは思わず一歩下がった。
「嘘だ!私はあの時、意識があった!死んだなんて感覚はなかった」
リーパーは一歩前に足を踏み出した。
「そうだ!お前に殺された!まだ生きていたのに使い魔にされた!よりによってお前に…!」
リーパーの言葉に神は苦しそうに泣きそうな表情を見せ、俯いた。
「…死神の特権の一つだ。死んだときの感覚がないんだ…」
死神の特権。
死神としての行動に必要な道具、魔法を使うことができるようになる。
現在の地位・状況を保持するという特権もある。
全ての特権を美緒は知らない。おそらく他の死神もそうだろう。
(そういえば熊とやりあったときのあの死神も…)
死んだことを自覚している様子はなかった。
リーパーは首を横に振った。
「嘘だ!」
「嘘じゃない」
「じゃあ、なんだ…私はずっと…」
リーパーが持っていた鎌を落とした。
ゆっくりとそばに崩れ落ち、座り込んでしまった。
「お前はひどいやつだ…いっそ美月や新田のように全ての記憶を奪えばいいものを…」
リーパーが自身の大きな胸を抱きしめる。
神はよろよろとリーパーに近寄り、優しく抱きしめた。
「ごめん…。リープに俺を忘れて欲しくなかった…それが術を鈍らせたんだろうな…」
神の抱きしめる腕がより強くなる。
「リープ…、苦しんでくれたってことは、俺また期待していいのか」
「直政…」
神の手がリーパーの頬に添えられた。
ちらりと見えたリーパーの顔は真っ赤に染まっていた。
美緒は思わず二人に背を向けた。
ゆっくりと音をたてないようにその場を去ることにした。
頭はもう痛くない。

最終章 下

翌日、美緒は神のもとに呼び出された。
神のそばには人型のリーパーがいた。
美緒が去った後、二人は和解したようだ。
「なに、私は痴話げんかに巻き込まれたの…?」
憎まれ口を叩けば、リーパーが顔を赤らめて視線をそらした。
神は満足そうに笑っている。
「いやあ、悪かったな。でも美緒のおかげで俺とリープはまたこうして一緒に居られるしな」
神はリーパーの腰に手を回し、抱き寄せた。
「バ神!放せ!」
「はー…やっぱリープ可愛いよなー…いい匂い…俺、すっげぇ幸せ」
神からハートが飛び出ているような錯覚に陥る。
リーパーもまんざらでもなさそうだ。
「あー、もういいや。私、用事あるから帰るよ」
「待った待った。リーパーの件だよ」
美緒は帰ろうとしたが、足を止めた。
黙って神の次の言葉を待つ。
「いやー、使い魔の人化の件を却下されてさ。適用はリーパーだけになった」
話を聞くと、どうやら許可を出す立場の人から今回のリーパーの叛逆を受けて人化は却下されたという。
しかし気まぐれなのかリーパーの人化までは却下されなかった。
「美緒。悪いが、この件は他の死神に」
「いえるか、色ボケ」
美緒が吐き捨てるように言った。
しかし、美緒はリーパーの件を鈴にだけ話してしまった。
服にウェーブのかかった金色の髪がついており、鈴に見つかった。
鈴の追及を逃れることはできず、リーパーの人化のこと、神とは恋仲であることを話さざる得なかった。
(鈴は死神じゃないし…いいか)
神はいたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「あと、色々思い出したんなら、緋月のこともちゃんと考えてやれよ」
美緒は神の顔に向かってリーパーのチョーカーを投げつけて、その場を去った。


*****


美緒は自宅に帰ってきた。
今日は非番の母が家にいる。
「おかえり、美緒ちゃん」
台所で自家製の栄養ドリンクを作っていた母が迎えてくれた。
「ただいま」
美緒は台所に隣接するリビングの椅子に腰掛ける。
栄養ドリンクを作り終えた母が向かい合う様に椅子に座った。
「お母さん」
「なあに?」
「…今度、お母さんが非番の日にさ、産みのお母さんの実家に連れて行ってよ」
美緒がそういうと、母は目を丸くした。
そして静かに涙し、視線を落とした。
「思い出したのね…」
「うん」
母は小さく頷いた。
神に刃を向けたリーパーの姿が亡き姉に重なった。
それがきっかけとなり、一気にすべてを思い出した。
あの夜のこと、なぜ毎年あの場所にいくのかということ。
「きちんと娘として孫として逢いに行きたい」
「そう…」
「でも、私にとってお母さんはお母さんだから、一緒に居たい。ありがとう、お母さん」
母は涙を流しながら笑い、美緒もつられて泣いた。


*****


「私、少しわかったよ」
使い魔の姿に戻ったリーパーと共に美緒は今日も夜空を駆ける。
「愛し方って色々なんだね」
相手の幸せを願う信二と玲。
変わらず支えてくれる母。
二人だけの世界に連れて行きたかった姉。
トラウマをつけさせたくなかった父。
気付いてほしいと嘆いたリーパー。
忘れないでほしいと願った神。
「鈴や緋月が慕ってくれるのも愛なのかな」
「…緋月に同情スル…」
リーパーが肩を落とす。
ふと道路に青白い光。
「さて、今日もお仕事やりますかね」
「アア」
夜空をかける黒い影。
愛を知った彼女はこれからもその鎌を振らずに仕事をしていく。
鎌に金色の瞳を宿らせながら。

死神――神から死を任された者。



『お仕事 完了』





死後、彼女は使い魔になることはなかった。

◆死神さんのお仕事 了◆

死神さんのお仕事

完結致しました。
何度目かのリメイクでやっとすべてを書き切れたと思います。
こまごまとした設定がいろいろあったので今回は全て拾おうと考えておりました。

『桜木美緒』が生まれたのは10年近く前でした。
その頃は「かったるいが口癖で、その美貌(笑)を生かして仕事をしていく死神」という娘でした。
それがだんだんと周囲に巻き込まれていく苦労人となり、今の『桜木美緒』になりました。
最初は鈴はおらず、美月も「緋月の姉」としてしか登場しませんでした。
使い魔を生前の死神にする制度はありましたが、『死神玉』という飴玉をなめている間だけでした。
なんだかんだと大筋のストーリーは変わらず、こまごまとした部分を変えながら
こうして何回目かの『お仕事完了』にたどり着きました。

ご覧いただいた皆様、ありがとうございました。
描いてor書いていいのよ!!←

死神さんのお仕事

魂を導く死神のお話。全7章完結済み。

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2014-09-18

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