夢のあとで。
「ねえ、僕を殺して」
カーテンの陰から、ジョーの声がする。
手を伸ばして、カーテンをめくってみてもそこに姿は無くて。
「僕を殺してよ」
声が、部屋のあちこちから聞こえる。
ぐるりと見回しても、その声が何処から聞こえているのか判らない。
「何故だ? 何故俺にそれを言う?」
問いかけに、答えはなく。
「僕を、殺してよ。ハインリヒ」
わんわんと、ジョーの声が繰り返し響く。
「やめろ。そんなことを言うな……!」
俺は耳を塞ぐようにして頭を抱えた。
カチカチと時計の音が聞こえる。
俺は額を押さえるようにして、軽く頭を振った。
「どうしたの? ハインリヒ。なんだか顔色悪いよ」
ベッドから身を起こして、ジョーが俺の顔を覗き込む。
「なんでもない。……ちょっと、夢見が悪かっただけだ」
「へえ? どんな夢?」
面白そうな顔をしてジョーが聞いてくる。
夢の内容など、言えるわけがない。
「忘れた」
「なーんだ」
つまんない、とジョーがベッドに寝転んだ。
俺はその上に覆いかぶさって、ジョーに口づける。
「くだらん夢なんかより、お前との現実の方がいい」
「そうだね」
するりとジョーの腕が俺の首に巻きついてきて、引き寄せられる。
俺は、ジョーの身体に手を滑らせながら、唇を塞いだ。
「ハインリヒ。僕を、殺して」
またかと、俺は夢の中でため息をつく。
あれから幾度この夢を見ているのだろう。
耳元で囁くように、部屋の中で喚くように、言い方は違えど内容はいつも同じ。
「僕を、殺して」
お前はそんなにも死にたいのか。
それとも俺がお前を殺したがっているのか。
そんなはずはない。
俺の望みはお前の笑顔。
この腕の中で、いつでも笑っていられるようにしてやりたいのに。
だが、何度も何度も繰り返しその言葉を聞かされていると、暗示にかけられたような気分になってくる。
殺してやることが、ジョーの幸せに思えてくる。
ジョーは、死にたいのか?
俺は、ジョーを殺したいのか?
判らない。
ただ、頭の片隅からその言葉が離れなくなってきている。
「僕を、殺して」
やめろ。
やめてくれ。
「ハインリヒ。僕を、殺してよ」
……何が本当なのか判らなくなってしまいそうだ。
「――ひ、あ、…っうんっ……ああっ……」
俺の身体の下で、華奢な肢体が揺れる。
大人になりきらない微妙なところで成長を止めている少年の身体は、今は汗と体液でどろどろに汚れて。
それでも艶めかしく動くその姿は、なんとも言えない色っぽさがあって、思わず見とれる。
「……どうしたの? ハインリヒ」
荒くついていた息がようやく治まったのか、汗と涙で濡れて上気した顔を上げて、ジョーが聞いてくる。
「いや……」
そっと、頬を撫でてみる。
陶磁器の様に滑らかな、肌。
普段は冷めた色なのに、今は紅く色づいた唇。
少し潤んで妙に妖しい光を宿している、目。
全てが妖艶で美しく俺を誘う。
「このままの姿でお前を留めておきたくなるな」
「なあに? それ」
頬を撫でていた手を滑らせ、その白い首に手をかけてみる。
ジョーの表情は変わらない。
身体を起こし、ジョーの上に馬乗りになって、もう片方の手を添えた。
両手で首を包み込んで、じわりと力を込める。
ジョーは何も抵抗しない。
ぐっと、首を絞める。
一瞬びくんと身体を揺らしたジョーは、反射的に俺の手首を掴み――だか、俺の手を外そうとはしない。
「何故だ? 何故お前は」
これは夢だろうか。
ジョーは抵抗をしない。
それどころか、俺を見上げて僅かに口角を上げてみせる。
声にならない声で、俺に囁く。
「ボクヲコロシテ」
これは夢だ。
これは夢だ。
このジョーを殺せばもう、こんな夢は見なくて済む。
何がジョーの幸せなのか、迷わなくて済む。
だから。
体重をかけて、締め上げる。
がくがくとジョーの身体が痙攣する。
大きく開けた口の端から泡の混じった唾液が零れる。
首を、握り潰すつもりで力を込める。
ごきりと、嫌な音が聞こえた。
仰け反っていた首が、力なくぐにゃりと曲がる。
ぱたぱたぱたと、動かなくなったジョーの上に冷たい汗が落ちる。
握り続けていた首から手を離して、深いため息をつく。
……もう、これで、こんな夢を見なくて済む。
だから、どうか。
早く俺をこの夢から醒まさせてくれ。
俺が殺したジョーのいる世界から、解放してくれ。
カチカチと、静かな部屋に時計の音がいやに響く。
夢が、醒めない。
動かないジョーと2人の時間がどれだけ過ぎたのか。
どうして、いつまでも夢が醒めないのか。
カチカチ、カチカチ。
時計の音以外何の音もしない部屋で、流れ落ちる涙はそのままに俺は冷たいジョーの手を握り締め続けた。
夢のあとで。