友達のトモダチ

みんな、繋がっているんだ


私はここに登録をするにあたり、Googleの解析サービスにも登録をしました。
結構便利ですね、これ。利用する参考になります。
それによると私の作品を読んでいただいた方の約七割は新規の方、残りの三割はなんとリピーターの方なのです。
なんと言う事でしょう。これって僥倖でしょうか。
私のよくわからない作品を繰り返し読んでくださっている方達がいるなんて。
目頭が熱くなります。
たとえサクラだとしても一向に構いません。読んでいただいた事に変わりはないのですから。
そうですよね?ね?
そして私の作品は平均で十名の方に読まれています。
たった十人?て感じでしょうけど、私の作品以外に一万六千以上もの作品があって、その中で私のつたない作品を読んでくださった慈悲深い方々が十人もおられるのです。私は満足しています。それにこれから増えるかもしれないでしょう?
ないとは言えません。何が起こるかわからない、それが人の世です。
でも平均という数字を迂闊に鵜呑みにしてはいけません。だって平均ですから。
たとえば。
江戸時代の平均寿命はおよそ四十歳でした。
でもみんながみんな四十前後で亡くなっていたわけではありません。
これは当時、乳幼児の死亡率が異常に高かったからなんです。
権力の有無に関わらず、一定の条件を満たしていれば長寿の人はいたでしょうし、実際いましたよね。
平均が事実を表しているわけではないんですね。
何でもよく噛んで体に取り入れないとお腹をくだします。
これは何かの本の受け売りです。念のため。
さて、十人というとちょうど私の友達と同じくらいの人数です。
ここでの友達とはお互いを「さん」や「君」の接尾を用いずファーストネーム、もしくはニックネームで呼び合う、用事がなくても電話をしあえる間柄と言う意味です。
少ないですか?まあそうでしょうね。
私の手は小さく、多くのものを抱える事が出来ません。友達百人なんて私には到底無理なんです。物理的にも精神面でも。
そう、私にはこのくらいがちょうど良いのです。そして私の友達はいいヤツ等ばかりです。なんと言っても私と友達になるくらいですから。
本当にいいヤツ等なんです。彼等は。
私の友達は他の誰かとも友達です。その友達のトモダチは私とは友達ではありません。なぜならその友達のトモダチが私の友達なら私の友達のトモダチではなく、私の友達となるからです。
ですので私の友達のトモダチとは私は面識はありません。
私の友達は私とは別のコミュニティーを形成しているわけです。
ですけどテレビで少し前にこんな事を放送していました。
自分の友達のトモダチ。そのトモダチのトモダチ。これを六回程行うとその六回目のトモダチのトモダチは自分に戻るというものです。
まさにホンマでっか?って感じですね。
でもそうかもしれません。
世の中は広いのに世間は狭いってよく言いますよね。
「トモダチのトモダチは皆トモダチだ」
その昔、タモリさんが言っていました。
これって案外本当の事なんでしょうね。
今読んでくださっているあなた、ひょっとするとあなたの友達のトモダチは私の友達のトモダチかもしれませんよ。
いえいえ、その友達のトモダチは私かもしれません。
という事はあなたは私の友達のトモダチかもしれないって事ですね。
人は意外なところで繋がって社会を成し、そして歴史が生まれていくんでしょうね。
身勝手で自己本位な行動、言動は慎まないといけないな、と思います。
だって見えない糸とあるいは意図で私達は繋がっているのですから。
だからタモリさんはこう続けました。
「世界に広げようトモダチの輪!」


おわり

友達のトモダチ

読んでくださりありがとうございました。
しつこいですがご意見ご感想お待ちしております。
最後に思わず「輪!」と言ってくれたら嬉しいです。

友達のトモダチ

私が日々の暮らしで感じた事、思った事、思い出した事を書いています。 気軽に読んでくれたら嬉しいです。 今回は繋がっているかも?です。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-09-17

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