事故

誰にでも起こる”事故”これを題材にした物語です。
主人公は誰もいません。また、本当に幸せになる人もいません。
現代の金にまつわるお話です。

 三島敏夫は、家族で給料日後の食事をしようと、車を走らせていた。月に一、二度の外食は三島の家族の恒例になっていた。
 その日も休日であり、回転寿司に行く途中で、ショッピングセンターで買い物をしていた。今日は特に娘の絵美が、私立の中学校に入学するための買い物で、敏夫は息子の健斗と、ゲームセンターで待っていた。
 さんざん、シューティングゲームや、格闘ゲームをした後、健斗はクレーンゲームに興じていた。
「おい健斗、もうアンパンマンは取れないだろう。そろそろ終わりにしなさい。お母さんたちおそいねェ」
「うん、もうちょっと」
 と、ガラス越しにアンパンマンを見つめながら、健斗は言った。
「もう二千円もやってるんだよ。いい加減にしなさい」
「でも、もうちょっと」
「あと、5回だけだよ。分かった」
 このゲームは、俺の小遣いの中から出しているんじゃないかと、敏夫は心の中で彼の妻である布美子を罵った。
 小銭の5百円も使ってしまい、アンパンマンもとれないまま、敏夫はいらいらしながら携帯を取り出した。
 その頃、布美子と娘の絵美の、通学用のカバンと靴を選び終わったところだった。
「ついでに、お母さんの靴も見たいからちょっと待ってて」
 と買い物袋を、娘の絵美に押しつけながら、
ずんずんと靴売り場を歩いて行った。
 布美子は、絵美の入学式に履いていく靴を選び出した時、携帯が急に鳴り出した。夫の敏夫からだった。
『もしもし、まだか?』
「もうちょっとよ。待っててよ、まだ買い物中だから」
『もう6時半だぞ、6時って約束だろう』
「もう、絵美が選ぶのが、時間かかっちゃったんだから、しょうがないでしょう」
『早くしろよ。全く』
「分かったわよ」
 布美子は、苛立たしげにケータイを、畳んだ。
 ようやく、7時近くになって、ゲームセンターに布美子と絵美が上がってきた。
「まったく、落ち着いて買い物もできやしないわ」
「時間位守れよ。健人もお腹空かしてるだろうが」
「じゃあ、絵美にも言ってよ、なかなか決まらないんだから」
「だって、こんなスーパーじゃいいのがないんだから、しょうがないでしょ」
「贅沢言うんじゃない」
 健人がたまらずに「お腹空いたよ」と布美子の袖を、引っ張りながら体を左右に揺すった。
「お前も、いっぱいゲームしたんだから。もう、ほんとに」
 小遣いを随分遣わされた敏夫は、腹立たしげに駐車場に向かった。街灯は点いてはいるが、薄暮のような薄暗さが駐車場を覆っていた。
 敏夫は口論しながら、車をバックさせ、出口の合流帯に向かった。注意が口論によって散漫になっていたのであろう。合流する角に、箱型のトラックが停っており、見通しが悪くなっていた。敏夫は電気も点けずに左折すると、″ガン″と衝撃があった。
「わっ、やっちまったよ」
 ちょうど曲がったところに、真っ黒なセダンが停っており、バンパーの角が当たってしまった。
 敏夫は頭を抱え、ハンドルをバンッと叩いた。前のセダンの運転席と、助手席から20代、30代の身体の大きな、目付きの鋭い、しかしきちんとした身なりの男たちが降りてきた。
「困りますねぇ。本当はおたくが先に降りてきて、挨拶するのが筋じゃないですか」
 敏夫は、ちょっと震えた声で「すいませんと」言いながら、車を降りていった。バンパーを見ながら、若い方の男が言った。
「車に乗ってもらえますか」
「え、でも・・・」と、敏夫が戸惑っていると、助手席側のドアが開き、「どうぞ」という落ち着いた声がした。若い男が、敏夫の背中を押した。
 車に乗ると、頭をきちんと分けた年配の男が座っていた。男4人が車の中で、無言で座っていた。敏夫はたまらずに
「すいません・・・」
 と、小声で言った。
「まぁ、よくあることですよ」
 年配の男は、口元に笑美を浮かべンながら言った。
「車の程度はどうなんだ」
「バンパーが凹んだ程度ですね」
「そうかぁ、ちょっとした衝撃だったけどな。まあ一応、免許証を見せてもらいましょうか。
なに、かたちだけですよ」
「免許証ですか」
「ええ、今は急いでますし。まあ、別にバンパーぐらいなら請求もしませんから」
「笑いながら男は、名刺を差し出した。『黒沢経済研究所 所長黒沢 明』とあった。
 経済研究所って、総会屋かなぁ。と普通ではない雰囲気を敏夫は感じていた。免許証を、運転席の男が見るともなしに見ていたようだが、年配の男と話しているうちに、運転席の男が「どうもありがとうございました。今、こちらにおすまいですか」とさりげなく訊いいた。
 回転寿司店で、並びながら敏夫は布美子にほっとした表情で言った。
「よかったなぁ。たいしたことにならずに」
「すごい車だったから、びっくりしたよね」
 さっきの喧嘩は嘘のような表情である。
 やっと席の順番が回ってきて、みんなで席に座った。
 家に着いて、子供達はテレビゲームに夢中になり、運転のために、酒の飲めなかった敏夫は、風呂から出てビールを飲んでいた。
″ピンポン″
「誰か来たぞ」
「はーい」と、布美子はインターホンに向かった。
『先程の事故のものですが、申し訳あるませんが、ちょっとお話がありまして』
「・・・はい、少々お待ちください」
 とインターホンをきって布美子は、敏夫に「ねー、あなた。さっきの車の人が事故の件で話があるって。何かしら」
「えっ」と、ビールを持ったまま、敏夫は一瞬凍りついたような顔をした。
「とにかく、ちょっとでてよ」
 布美子は、子供達に自分の部屋に行くように手を叩きながら敏夫を急かした。
「分かったよ。着替えるから、ちょっと待ってもらってくれ」
 と、敏夫は普段着に着替えた。慌ただしく玄関を出ていくと、家の前にあの車が停っていた。20代、30代のがっちりした男たちに、両脇を抱えられるように、車に乗りこんで敏夫は愕然とした。年配の男が、首に白いコルセットを巻いて、目も虚ろに座っていた。
30代の男が、凄んだ顔をして敏夫をじっと見つめた。
「うちの社長が、頚椎をやられましてね」
「そんな馬鹿な」
「馬鹿?社長が怪我をして、明日の大事な商談の為の資金を、調達できなかったのが、馬鹿だと」
「いえ、そんな・・・」
 何を言ってるのかも分からず、敏夫は歩道を歩くOLを見つめた。
「あの、なんの話か、ちょっと」
「わかった。詳しい話は、事務所で話しましょうか」
「事務所って・・・それはちょっと」
「ちょっとじゃないでしょう」
 有無を言わさずに、車は走り出した。布美子に説明もしなかったな、と思った。脇の下をつつっと冷や汗が流れていった。風呂に入ったばかりなんだけど。と下らない事を何故か考えている自分が不思議だった。
「家に電話しますか」と若い男が、携帯電話を差し出した。
「ちょっと、出てくるから」
『え、なに?大丈夫なの?なんの話?』
「大丈夫だと思うよ」
『警察に電話しましょうか?どうすればいい?』
「そうだなぁ。でも、大丈夫だよ。また電話する」
『でも・・・』
「じゃ、行ってくる」
 少し考えこんでいたが、布美子は2階の子供達に風呂に入るように、階段を上がっていった。
 高級車の、後部座席の本革シートに身を沈めながら、おずおずと敏夫は切り出した。
「あの、詳しい話というのは・・・」
 30代の男が、運転しながら
「詳しくは、事務所でお話しますよ」
 と、振り向きもせずに言った。車は、都心に向かっているようであった。
 高速道路に乗り、15分位走りインターチェンジを降りた。それから5分ぐらい右に左に走って、10階建てのさほど大きくないビルに、車が横付けされた。
 若い男が、年配の男を車椅子にゆっくりと乗せた。「痛い」と、一度だけ年配の男が言った。
 あのぶつかり方で、この怪我はないだろう。
と、敏夫は心で思った。
 エレベーターで8階まで上がり、医師針の廊下を歩き、一番億の事務所に入った。入口に『黒沢経済研究所』と書いてあった。敏夫は少し胸をなでおろした。
 応接セットに通され、年配の男は車椅子に乗ったまま、ゆっくりと話し出した。
「今日、明日の商談の為の資金を、用意する予定だったんですがね。こんなことになってしまいましてね」
「こんなことっていうと、その御怪我は?」
「この怪我って。これはあなたに当てられた時の、頚椎捻挫ですよ。おいッ」
 と若い男に手を挙げた。若い男は、胸のポケットから封筒を取り出し、敏夫の前に広げ
た。紙には“診断書、頚椎捻挫”と書いてあった。敏夫は信じられない思いで訊いた。
「あの衝突ですか?」
「あの衝突はないだろうが。それはあんたの勝手な思い込みだろうが。こっちは医者に行って、治療してもらい、診断書までもらってるんだよ」
 30代の男が、凄みのある顔で迫った。その言葉を手で遮るように、年配の男が若い男がテーブルの上に広げた紙を手で指した。
「今日、あの後資金を借りる相手のところに行くつもりでおりましたが、この怪我で行けなくなりましてね」
「はあ、それが何か」
「何かじゃありませんよ。あなたのおかげで資金が調達できなかった。それで、その資金をあなたにお願いしようと思いましてね」
「そんな馬鹿な」
「馬鹿なことあるかよ。えっ、あんたなにか。自分でぶつけておいて、シラァ切るつもりかよ」
 若い男が、立ち上がり気味になって怒鳴った。
「シラを切るなんて」
 敏夫は、顔面蒼白になり、言葉を失った。
若い男を、指先で制しながら年配の男は諭すように言った。
「まあまあ、資金とは言っても全額ではないんですよ。今日借りる予定だった、金利の安い金融屋は、この状態なのでキャンセルしてしまいました。それで、少し金利の高い金融屋から借りないといけなくなりましてね。その金利の差額分は、あなたにお願いするのが筋だと思いましてね」
「金利ですか・・・」
「ええ、資金と元々の金利は、我々がお支払いします。10日後には、お返し出来ますから、5万円位ですか」
「今日の事故は、これでチャラってことなら、得だろうがよ」
 若い男が、チンピラのような口調で迫った。
「5万円ですか?」
「車だけだって、あんた。15万はかかるだろうよ。得だろうがよ、えっ」
「はぁ」
「どうですかねぇ。お願いできませんか」
「5万くらいなら今ありますけど、どうすればいいですか」
「いやいや、さっきも申しましたが、10日後位に返す金なので、はっきりした金額が読めない。そのとき精算って形で、お願いしたいんですよ」
「はぁ」
「じゃ、澤本を読んでくれ」
 年配の男は、30代の男に命じた。
「15分くらいで来ますんで、ちょっと待ってもらえますか。私もこうやって、経済研究所なんてゆう看板を出して、投資や投機で商売してますと、いろんな人間を知っていますんでね。ところで三島さんは、どちらにお勤めですか?」
「私ですか。中小の金属会社です」
「どちらです?」
「はぁ、角田金属です」
「ほー、いいところにお勤めですな。しかもお堅い。ハハハ」
 敏夫は、笑えなかった。早く帰りたい。と敏夫は心底思った。とりとめのない話をしてるうちに、澤本と名乗る恵比須顔の男が、満面の笑顔で小腰をかがめながら入ってきた。鞄を膝に抱えながら名刺を差し出した。
「はじめまして。私、金融業を営んでおります、澤本と申します」
「はぁ、はじめまして」
 鞄の中から、なにやら書類を取り出し、3通ひろげた。
「では、こちらの書類を確認していただいて」と説明しだした。
「ちょっとまってください。私が借りるんですか」
 敏夫はびっくりして訊いた。30代の男と20代のおとこたちは、豹変した。
「当たり前だろうが。えっ、誰のせいでこんなことになったんだよ」
「今になってシラばっくれようって気かよ」
「なめんじゃねえぞ。こら」
「この野郎、海に沈めちまうぞ」
 椅子を蹴りながら、二人は暴力団のように敏夫に迫った。敏夫は生まれて初めてののことで、生きた心地もしなかった。
 年配の男が、手首を上げると、二人は嘘のようにしずまった。
「まあまあ、三島さん。あなた、よく考えてくださいよ。金のことですから、心配なのはわかりますけど、信用してもらわないと」
「しかし、いくらなんでも。幾らかも分からないし、説明だけでサインって急に言われても」
 恵比寿顔をこれでもかと綻ばせて、澤本は説明を始めた。
「これは大変失礼しました。
元金は5百万でございます。これのお利息が、10日という事でございますので、利息の差額ということでございますから、えーと、もとが・・・%として、そうですね。その差は4万5千円になりますね」
 電卓をリズミカルに叩きながら、澤本は笑顔で言った。敏夫は納得のいかない顔で
「では、4万5千円は今、現金で払います。
5百万なんてとても」
 澤本は満面の笑で、年配の男を見た。
「うちはかまわないけど、金利が延びてもうちはその分の利息は払わないよ」
「それは困りますよ」
 敏夫もたまらず
「伸びるんですか」
 と訊いた。
「いや、例えばのはなしだがね。これはビジネスだからねぇ。ピッタリ10日って訳にはいかないよ」
「こまりましたねぇ。お話がまとまりませんと、うちはお貸しすることが出来なくなってしまいますが」
「それは困る。絶対に必要なかねだ。幾ら儲かると思ってるんだ」
 澤本は困った顔をして、証文の作りようがないと、首を振った。
「サイン出来ねえってのは、俺たちを信用出来ねえってことか。えっ」
「借りるのはうちだがよ、予定のところから引っ張れねえってのは、あんたのせいだろうが」
 と、責め立てられ、頭がぼーっとしてきた。助け舟を出すように澤本が提案した。
「それでは、まあいきなり5百万の証文にサインてのも確かにないかもしれませんね」
「しかし、三島さん。あなたは、責任上。また、私への慰謝料としてもこれは、少し義理があるんじゃないですかね」
「しかし、5百万の借用書にサインっていわれても・・・」
 揉み手をしながら澤本は
「じゃあどうでしょう。証文を2枚に分け、1枚は4百90万もう1枚は10万円。10万円はえーと、三島さんにサインしていただくということでどうでしょう。そして、差額を黒沢さんが、返済の準備が出来た時点で精算ってことでいかがです」
 ちょっと考えて、年配の男が了承した。澤本は、4色ボールペンで10万円の数字を書いて、敏夫にサインを促した。
 疲れたのと、5百万円が10万円になったこともあり、敏夫は注意をしながらも借用書にサインをしてしまった。
 ニコニコしたまま、澤本は5百万円を机の上に置いた。
 若い男の運転で、敏夫は自宅に戻った。車を玄関に横付けされて、敏夫は降り際に若い男はじゃあな、と言ってすぐに車で走り去った。じゃあな、という言葉に敏夫は違和感を覚えた。
 そして何事もなく、10日が過ぎていった。
黒沢からも、澤本からも連絡もない。三島敏夫は、記憶を頼りに敏夫は、黒澤経済研究所を探した。間違いないと思われるビルの8階に上がってみたが、作りは同じでも黒澤経済研究所は見当たらなかった。1階で、出入りしている人に訊いてみると、確か「8階はずっと空きですよ」と教えてくれた。
 金利はどうなったんだろう?。と考え、敏夫は詐欺にしても、10万円ならなんとかなるな。と不思議には思いながらも、バンパーだけでも10万円以上はするだろうし、結果的に良かったかもな。でもあの夜のことは一体なんだったんだろうと、首をひねるばかりだった。
 それから1箇月も過ぎると、事故の日の事も忘れかけていた。金曜の夜、敏夫が駅から自宅への帰り道、歩いていると。ワンボックスカーが歩道に横付けされ、男たちが二人降りてきて、両脇についた。
「三島さん。ちょっと借金についてお話があります。車に乗っていただけますか」
 と有無を言わせず、両腕を掴んで車に引っ張り込んだ。敏夫は、あっという間にスライドドアから、車に連れ込まれてしまった。両側から男たちに挟まれ座らされた。
 車が勢い良く走り出した。助手席から聞き覚えのある声が聞こえた。
「三島さん、ちょっと借金についてお話があります。少しお付き合いいただけますか」
「あなた、澤本さん」
 とそこには、あの恵比寿顔だった澤本が、あの時の笑顔とうって変わった顔で座っていた。
「こまりましたねぇ。三島さん。黒澤さんが居なくなっっちゃいまして」
「居なくなった?」
「ええ、どこへ行ったのか三島さん知りませんか」
「私は、何も」
「どうしてくれます。三島さん。え」
 まるで敏夫が、黒沢を紹介したような口ぶりである。
「いや、わたしは、黒澤さんがあなたを連れてきて、それで、あなたを。しかも、私のしゃっきんって10万円ですよね」
「10万円?知りませんよそんなことは。私たちは、誰が金を借りたかっていうより、誰が返してくれるかってことが、大事だからねぇ」
 同じ人間とは思えぬ表情で、助手席から横目で見た。
「は、10万円だとよ」
 車はこうそくにはいって、スピードをあげた。流れる光を敏夫は、見るともなしに見ていた。敏夫は、何を考えていいのか分からなくなってしまった。車は順調に高速道路を走り、湾岸線に入りインターチェンジを降りていった。
 ネオンの少ない、工場か休日のオフィス街のような通りを抜けていった。さらに右左折を繰り返し、車のライトも見えない通りで、車が停った。
 両側から抱き抱えられるようにして、車から降ろされた。電気の点いてない、真っ暗なビルの一室に連れ込まれた。
 コンクリート剥き出しの部屋に、机が一つ置いてあった。広々とした室内は、最近使われた形跡はなかった。
 言葉遣いも別人のようになった澤本が、「座らせろ」とパイプ椅子を指しながら、鞄から書類を出した。
「これが証文ですわ。5百万円。利子は“トイチ“」
「トイチ?」
「10日で一割。10日事に利子を入れてもらわないと、利子にも1割掛かりますから、700万ぐらいになってるな。どういう返済をしてくれます」
「返済って、10万円しか返済しなくてもいいわけですよね。借用書だって10万円分しかサインしてませんし。後の文は、あの黒沢さんから返してもらってくださいよ」
澤本は、蛇のような表情の無い目で
「よく見てくださいよ」
 と借用書を広げた。借用書には間違いなく、500万円という数字が書き込まれていた。10万円でも、490万円でもなく。
 震える手で、借用書を見つめ
「詐欺だ」と、つぶやくように敏夫は言った。
「詐欺だとぉ。こらッ」
 と、いきなり椅子を蹴倒され、頭をコンクリートの床に、しこたま打ち付けた。痛む頭をおさえ、立ち上がろうとする敏夫に男たちは、かわるがわる上から蹴りつけた。
「そんなもんにしとけ」
 と澤本は、男たちを制した。無理やり椅子に座らされ、頭を机に押し付けられた。
「ウチはな、トイチで看板あげて商売してるんだよ。普通の金融屋だと思うなよ。オラっ」
「しかし、10万円にしかサインしてないし」
「よく見てみろよ。サインしてんだろうが。誰の字なンだよ、これは。それにな、金はよ
誰かから返してもらわねえと、採算とれねえだろうが」
「採算って。なんで私が・・・」
 結局これは詐欺である。借用書の金額欄には、4色ボールペンのなかに、消えるボールペンが差し込まれており。後で書き換えられたのである。そのために見ている前で書いて安心させ、サインさせたのである。プリンター印刷ではいくらなんでもそうはいかない。
しかし、その詐欺のことはたいしたもんだいではない。いかに敏夫に理由をつけて、借金をさせるかが、問題であった。
 それから、敏夫は朝まで代わる代わる責められて、意識が朦朧としてきていた。
 携帯の電源も切られ、家族に連絡はしていないが、今までの敏夫の行動からみて当然警察に連絡しているはずがなかった。
 飲まず食わずで朝まで怒鳴り散らされ、早く楽になりたいという思いと、トイチではどうしようもないという思いが交錯し、連中が言うようにほかで借り直ししても早く開放されるのが第1ではないかと、考え出した。
 恵比寿顔の仮面を脱いだ澤本が、諭すように言った。
「どうだい、あんた。ウチでの借金だと、10日に70万の利子払わないと取立てに行くぜ。月に200万も払えねえだろう。だったら普通の利子のところからゼニ引っ張ったほうがいいんじゃねえのかい」
 一晩で目の下にクマが出来、青白い顔をして敏夫は「ええ・・・」と力なく頷いた。
 車でファミリーレストランで食事を摂り、どこで金を借りるか澤本が訊いた。
「どこか知ってるところはあるかい。三島さん。
「ありませんよ」
「じゃあ、適当に入ってみるかい」
 繁華街を車で走ると、即日ご融資。という看板がをめがけて、車が停った。夜であればネオン街の真ん中であると思われる通りの、パチンコ屋の、真向かいのビルの2階に″サラリーローン″と窓全体に書いてある店に澤本と若い男に挟まれるように入った。
 一癖もふた癖もありそうな、店員の説明を聞き、審査が通ればその場で融資できるということであった。敏夫は融資できなければいいと思う反面、早く開放されたいというおもいで交錯した。
 必要書類に記入し、免許証・社員証を渡し30分ぐらい経ったころ、一癖もふた癖もありそうな店員が戻ってきた。
「保証人は、どうしましょうか。三島さんは取り立てて他で借金もしてなさそうですし、奥さんでも構いませんが。どうなさいます。できたら他の人を立てていただくのが、一番いいんですがね。それだと今日中には無理ですが」
「いやいや、奥さんでいいならそうしてもらいましょ。ね、三島さん」
 澤本が割って入ってきたが、さして断る理由もなく、妻の名前を書き込み、また審査ということで、店員が奥にひっこんだ。沈黙の中で疲れた頭に、FMラジオの音楽が頭に響いた。
 「審査は、OKでございました。ありがとうございます。ご返済は振込になさいますか。
元金定額返済でも元利均等払いでもどちらでもお結構ですけど。利子はきちんと収めていただかないと、元金増えちゃいますからね」
「利子は幾らになりますか」
「9万1千5百円です」
「9万・・・」
 敏夫は月200万の、利子は論外だが9万円もどうしようもない金額だと思った。しかしこのまま逃げられるわけもなく、じっと拳を握りしめた。
 奥から店長ぜんとした男が、笑顔で732万円を机の上に置いた。
「それでは、732万円でございます。お確かめ下さい。後でなかったと言われても知りませんよ。ハハハ」
 この人たちは一体なぜ笑ってるんだろう。と敏夫は自分に関係の無いところで、お金が動いてることが不思議でならなかった。
 澤本は、金を鞄に詰め込むと、挨拶もせずに店を出ていった。机には借用書がおいてあった。

 マチ金から、732万円を一気に借りてしまった。ここがどこかも分からずに、敏夫はふらふらとさ迷い、コンビニで駅までの道を尋ねると、ここは横浜であった。駅で交番の場所を尋ね、警察で調書をとった。
 警察では、事故の時の車の特徴意外、ナンバーも分からず取りとめのないものになってしまった。
 他人事のような警官は、ぶつかったときに呼んでもらうのが一番だと言った。そんなことは、分かってる。
 次の高利貸しについては、トイチという金利が法的にあるはずもかく、当然逮捕できるはずであった。借用書を預け、名前・会社所在地は、でたらめである可能性が高いことが分かった。
 これでは、完全な詐欺である。
 マチ金は、多少問題があるにせよ、法的には正式に許可を受けて店を出しているとのことだった。多少とはなんであろう。
 他人事で、どちらかというとやる気のなさそうな警官は、後日分かったことを連絡しますが、携帯がいいのかと訊いた。
 電車で家に帰り、妻の布美子に事の次第を説明した。
「それって詐欺じゃないの。なんでサインなんかしちゃったのよ」
「ああ、でもあれだけ脅されれば、しょうがないだろう。まるでヤクザだ」
「しょうがないじゃないわよ」
「疲れてるんだから、大声出すなよ」
「出したくなるわよ。なにやってんのよもう」
「好きでやったんじゃないだろう。じゃあ、脅されて怪我でもすれば良かったっていうのか」
「そうじゃないけど。車なんかぶつけるからよ」
「お前がいつまでも、買い物なんかしてたからだろうが」
「あたしのせいだっていうの」
「そうじゃないけど・・・」
「なによ」
「マチ金の借金は、警察ではどうにもならないらしい。今回の件は、刑事事件と民事とが入り乱れているらしい。」
「どういう事?」
「つまり、詐欺を証明して、弁護士をたてて借金を棒引きにしてもらうってことだ」
「じゃあ犯人が捕まらなければ、返さなきゃいけないってこと」
「そういうことなんだろうな」
「そんな」

 後日、警察の助言もあり横浜のマチ金に、説明に行った。
 例の一癖もふた癖もありそうな店員が
「ウチには関係ないことですね。警察が金を返してくれるんなら、別ですけど」
「しかし、全くの詐欺みたいな話でして」
「だって金借りに来たのは、間違いなくあんたじゃないですか」
「それはそうですが、あのときは脅されてしょうがなくて」
「そんなの知りませんよ。732万渡したじゃないですか」
「しかし、それは全部あの高利貸しが持って行ってしまいましたし。私の手元にはないんですよ」
「それじゃ、警察でお金を回収してもらって、返しに来てくださいよ。なんで罪もないウチが732万もガミ喰わなきゃならねえんだ。ッたく待ってもいいけど、金利がつきますよ」
 けんもほろろであった。
 ちょうど三島敏夫の家は、2年前に敏夫の親から援助してもらい、東京郊外に家を建てたばかりであった。中堅企業の、エリートであると自負している敏夫夫妻は、娘の絵美を苦労して有名私立中学校に入学したばかりであった。
 敏夫の父も、悠々自適の老後を贈るはずが、このところのリーマンショックによる不景気で、経営が行きづまり、小さな会社を畳み、田舎の方で会社だった事務所を貸して、細々と暮らしていた。
 月々9万円の利子だけでも、今の敏夫には今の生活のままでは無理な金額である。

 一年後、敏夫は遠回りしながら駅から自宅への道を、とぼとぼと帰宅の途についていた。なぜ、こんなことになったのかいくら考えても解らなかった。無力感・無気力な自分をいま、精一杯抱えて歩いていた。
 結局、なんとかなると思って、生活をしばらく変えないうちに、利子が利子を呼んで今ではておくれになっていた。
 家のそばに来ると、最近の見慣れた光景の『金返せ』の貼り紙。剥がしても剥がしても、貼りに来る。朝から晩まで、電話は鳴りっぱなし。近所に聞こえる怒声・罵声。
 親・親戚借りられるだけ借りて、返済したがもういくら返したのかも、借金が幾ら残っているかもわからなかった。
 娘の絵美は、妻布美子の実家に預け、公立の中学校に転校していた。
 息子の健人は、まだ10歳ということもあり、今の環境が決していいとは思えないが、母親と引き離すのは忍び難く、いまだに一緒に暮らしている。
 ニュースやドラマで観るような光景。まさか自分に降りかかってくるとは、夢にも思わなかった。女遊びもせず、タバコも吸わず、年に何回か付き合いで馬券を買う程度。酒は飲むが、溺れるほどではない。こういう生活が自分に降りかかることはないと思っていた。
「ただいま。なんだまた呑んでるのか」
「ほっといてよ」
「いい加減にしとけよ」
「大きなお世話よ」
 最近、布美子は1年間責め立てられてきた取り立て屋が、一人が若い男に代わり、ひとりの時などは同情的なので、ほんの少しだけ落ち着いて見える。
 今月は、月末に取立てに来たのは若い男一人だった。今月は、ボーナス月のため金額は利子以上に返した。
若い男は、同情的な顔をして布美子を見た。寂しそうな目をしていた。
「奥さん。いつもすいません。大声出して」
「いえ、今日は一人なんですか」
「ええ、風邪ひいた二躰です」
「どうして、奥さんみたいな人がこんなことになったんです。ウチみたいなとこから借りたら酷いことになりますよ」
「・・・」
「もっと早くなんとかなったでしょう」
ソファーの横に座って、布美子の横に座った。男は布美子の二の腕に、そっと手を持っていった。布美子は少し身構えたが、男の顔を見ると涙が浮かんでいた。
「こんなに魅力的なのに。こんなことにまきこまれちゃって・・・可哀想に」
「え・・・」
 ここのところ、閉じこもりがちで、優しさに飢えていたのか。つい、口とは裏腹で強引に布美子は抱かれてしまった。敏夫とは夫婦の間のことは、絶えて久しかった。
 敏夫はかいしゃや、帰り道でも借金返せ。死んで返せ。死ねばいえのローンもなくなるんだろう。と苛まれる日々が続いた。
 冬になり、またボーナスで少し息がつけたような気がした帰り道。取立てに合わないように習慣づいて、遠回りしながら公園に立ち寄って、缶コーヒーを飲んでいた。クリスマスシーズンで街は賑やかだったが、公園は静かだった。
 寒さの中、震えながらじっと砂場を見つめていた。ネクタイを緩め、定まらない目で辺りを見回し、公園の中を行ったり来たりしだした。
 また、ベンチに座っていたが、ふっと立ち上がると桜の枝にネクタイを回し、輪を作るように結んですっと首を入れた。
 衝動的であった。死体が発見されたのは、翌日の朝であった。
 マチ金では布美子を誑かした男が、一癖もふた癖もある男に、敏夫のことを報告していた。
「社長。敏夫が自殺しました。もう搾り取れませんかね。あの嫁さん収入無いですし」
「まあ待て。敏夫が死んだら、保険で家のローンがなくなる。もう三島んところは、家しか残ってねえだろう。もう少し繋いで家を処分させろ」
「わかりました」
「それで、一旦海外へ身を隠してやり直すんだ。ってしむけな。もう俺たちと付き合いたくねえだろう。おめえもウチ辞めたことにして、まともに就職したようにみせときな。取立ては、またカズにやらせるか」

 それから数ヶ月が過ぎ、男の奨めもあり自宅を処分した布美子は、台湾に向かって出発するところであった。
「じゃあ向こうへ着いたら、シェラトン台北に予約とってあるから。僕も後で行きたいけど、困ったことがあったら李さんっていう人が訪ねてくるから、日本語ペラぺラだからなんでも言ってね」
健人は、ニコニコしながら飛行機を見ていた。
「健人。楽しみだね。でも1週間ぐらいで帰ってくるからそしたらデイズニーランド行こうな」
「うん」
「じゃ、布美子さん。借金も返済できたし、残りの金額も2千5百万あるし。少しのんびりして、新たな生活頑張りましょうね。もうお酒はほどほどに」
「ええ、絵美のこともあるし」
「そうですよ」
 と肩を叩いた。

「子連れでもよかったんですか。向こうで困りませんか」
「大丈夫だ。向こうには話つけておいた。ガキは臓器売買にでも売り飛ばすんだろ。いい金になった」
「さすが」
「それより2千5百万は大丈夫なんだろうな」
「間違いありません。通帳と印鑑持って行ってますよ」
「それならいい」

 しばらくして、三島敏夫の家に大手不動産会社の看板が立った。
 近所の奥さんたちが、三島敏夫の家を見ながら噂していた。
「三島さん、ずーっと借金の取立てでビラ貼られたり、すごかったけど、だんなさん自殺したりしてどうしちゃったのかな」
「何したんだろうね。娘、私立行ったりしてね。奥さんも派手だったからね・・・」

事故

みなさんも気をつけて生活しましょうね。

事故

さあ、みなさんもよくある家庭サービスに繰り出してください。 「お気をつけて」

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • ミステリー
  • 成人向け
  • 強い暴力的表現
更新日
登録日
2014-09-17

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