ほんのもり

少し むかし。どこかの町の どこかのこどもたちの ものがたり。

航海日誌 1

居間の隅。北の窓の横にある、足踏みミシンの下。
ここがよう子の秘密基地だ。
お兄ちゃんは、丸見えなんだから「秘密」ではないよ、と笑ったけれど、かまわない。
お兄ちゃんは知らないんだ。よう子がここから、どんな大冒険に出かけているのか。
何を言っても、何をやっても、よう子のことを笑ってばかりいるお兄ちゃんには教えてあげない。
教えてあげるもんか。


今日のよう子は、太平洋にひとりぼっち、筏に乗って 謎の島を目指しているのだ。
食料のはいったブリキ缶には、すでにミルクビスケットと、キャラメルキャンディーひと粒のみ。
のどを潤す、ヤシの実も空っぽ。(本当はヤクルトなんだけど、うそんこで、これはヤシの実)
絶体絶命の冒険家ヘイエルダールはけして諦めはしないのだ。

筏(ミシンの足踏み板)大風を受けぐらりと傾く。
ヘイエルダールはポケットからちびた鉛筆を引っ張り出して航海日誌をつけている。
「わたしは、あきらめない。
このあらしがとおりぬけたあと、
きっと、えめらるどいろにかがやく、しんぴのしまが
めのまえに、うかびあがるのだ。」
鼻の下に鉛筆を押し当ててしばらく考える。
えめらるどいろって、クリスマスにもらった、24色クレパスの中の一番大事にしてる色なんだけど、
あんな色の島なんてあるのかなあ?
すごく綺麗だから、まだ、2回しか使って無い。くだものを盛り上げたお皿を描いた時
メロンを塗るのに使ったけど、あんまり、本物の緑色じゃなかったな。
なんでだろう?クレパスの形の時は、本当にすてきな色なのに・・・。
金色と銀色のクレパスと、おんなじ。
ふしぎだ。
よう子は消しゴムを出して「えめらるどいろ」を消し、かわりに「びりじあん」と書き込んだ。
ビリジアンは12色クレパスにも入ってる普通のいろだけど、
やっぱり本物の緑色はこっちだな。
航海日誌にはかっこいい言葉を使いたいけど、嘘はいけないよね。
島はメロンの色じゃなくて、葉っぱの色だもの。
深緑色、よりビリジアンの方が外国人の書いた文章に見える。
日誌は3ページ目。
出港して、孤独にたえる夜、を書いて、嵐になったけど、
次のページで島に辿りついちゃったら少し早すぎる。
だけど少しお尻が痛くなってきたし最後のビスケットを食べてしまったら喉がカラカラになってしまった。
よう子はごろりと横倒しになって、コンティキ号から降りて、台所へ向かうのだ。


孤独な冒険家ヘイエルダールから、ふつうの小学2年生に戻ったよう子は
コップに牛乳を注いで飲み始めた。
勝手口のむこうから、男子の黄色い叫び声が聞こえて来る。

「シンペイ!馬鹿!右だ右だ!つつじ山公園に追い込んじまえ!」

4年のおのせしんご のだみ声だ。
ドロケイで、怒鳴られてるのは、同じクラスのしみずしんぺい。
おのせしんごは、よう子の登校班副班長。
班長の6年 しばざきさんは、背が高いけど女の子だからおのせしんごが少し怖いんだろうな。
4年生なのにでっぷりふとってて、よう子は威張りん坊の おのせしんごが 大嫌いだった。
並んで学校まで行く、登校班も嫌いだ。
もっと言うと、学校が大嫌いだ。

なんでも、一緒。何かと言うと、笛の音がして、背の順2列、とか出席番号順とか。
整列、行進、前えへならえ。

もうじき、日曜日の夜になる。
日曜日の次は月曜の朝・・・。



どうして私はヘイエルダールじゃないんだろう?
どうして私はこどもなんだろう?
早く大人になりたくて、かっこいい文章を書こうとするけど、知っている言葉が少なすぎる。

コップを洗って洗いかごに伏せて、居間に戻る。
今度はちゃぶ台の横に寝そべって、お兄ちゃんに借りたコンティキ号の冒険物語を読み始めた。
夕方の光が遠のいて、よう子のまわりは、青く黒い海・・・。
夜光虫の煌めき。
お腹の下で揺れる筏・・・。

本は、おもしろい。
大人になったら、もっとたくさん、本を読める。
自由に時間をつかって、好きなだけ勝手にできる。
こどもだから、わからない難しいかっこいい言葉たちがぜんぶわかるようになるんだ。

だけど、難しい言葉がわかるように教えてくれるのは、
その、大っ嫌いな学校である。

よう子のまるいおでこに、三本の深いしわがよった。

考えるのはやめよう・・・。
晩御飯まであと2時間、太平洋の不思議な旅を続けるのに、考えても解決しない「悩み事」で
くよくよするのは、もったいないのだ。

仔犬の様に手足をちぢめて、よう子はまた向こう側へ漂っていく。
うっすらくちびるをほころばせて、ポケットの鉛筆をにぎりしめて、

航海日誌は、まだまだ書き綴られるらしい・・・。

ほんのもり

ほんのもり

大人になった今、そどもの王国を 外側から指を咥えて見ています。 そこは 無邪気で 陽気で 残酷で 優しい。 いつか どこかで あったことがある。 そんな子どもが このおはなしの中に ひとりくらい、みつけられるんじゃないでしょうか?

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-09-16

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