時間を巡る衝突 2

傘を指さずに帰宅するというのは、やはり目立つ。
駅にたどり着いてギリギリのところで駆け込んだ俺は落ち着きを取り戻していた。
恥ずかしい…。
前髪からぽたぽたと滴る雫は、俺の涙をちゃんと誤魔化してくれているだろうか。
幸いなことに電車のなかに人は少ない。いつもより一本遅い電車だと、こんなもんなのか。部活動生がいないだけで、こんなにすっきりするとは。
ああ。そうか。単に人が少ないと言う訳ではなく、知っている人が少ないだけか。
このローカル電車には元々人は多くないのだった。
俺の最寄り駅まであと、三駅。いつも以上にはやくつかないものかと願いながら、雫が滴っていくリノリウムを眺めていた。
「今日は、帰るのゆっくりなんだね。」
声をかけられた。相手は、上河内さんだ。
顔をあげなくては、と思っていると、頭を何か柔らかいもので押さえつけられた。
「朝のニュースで降水確率90%って言ってたの、聞いてなかったのかな。」
柔らかいタオルに包まれて、水分が拭いとられていく。
「手、じゃなかったら、平気なのか。」
その独り言のような声に返事を返そうにも、涙声じゃ答えられない。ただ沈黙を返した。
「今日も家まで送っていってあげる。少し、話をしよう。」

やっと眺め続けていたリノリウムとお別れして歩きだす。だが、足どりは重い。
「体調、悪いとかじゃ、ないんだよね。」
苦笑しながら、上河内さんは気にかけてくれている。とても、喜ぶべきことのはずであるが、そんな素直な気分にはなれない。
家に送る、と上河内さんは言ったはずなのに、なぜかカフェに連れていかれた。大通りを一本外れたところにある、人気の少ないところだ。だが、こんな時間帯にあっても人が全くいないわけではないところから、穴場であることがわかる。
奥のテーブルに案内される。個室のようで心地がいい。
「さて。座って、何か注文して。奢るから、お金は気にしなくていい。おすすめは、ここの店長の気まぐれスイーツだよ。」
気まぐれスイーツ…。なんだそれ。
無言で首を降る。お腹は確かに空いていたけど、甘えるわけにはいかなかった。
「店長、気まぐれスイーツ2つ!」
2つ、と聞こえて顔をあげる。澄ました顔をして、上河内さんは、別に勝手に頼む分には問題ないだろ、と笑った。
「さて。連れてきちゃってごめんな? 迷惑だろ?」
「わかっているなら、しなきゃいいんじゃないですか?」
少し、強い口調で返す。胸が痛むのは気のせいだと押さえつける。
俺は俺が恋したこの人から早く逃げ出したかった。
「うーん、そうなんだけどさ。こうでもしないと、もう話さないだろうなって思って。反省はしとくよ。」
言いつつも、そんな様子は見受けられない。
「で。何のご用ですか。」
「ご用っていうか…。話すことが用、かな。なんか、話題ない?」
「帰ります。」
即座に立ち上がって踵を返そうとすると、目の前に大きな白い壁があった。
「少年、食べていけ。」
大きな白い壁、もとい、この店の店長さんが言った。手には暖かそうな食べ物が並んでいる。
店長さんの有無を言わせない態度に、俺は従わざる終えなくなり、再び席に着いた。
「はい、こっちが少年のぶんだな。」
「あれ、店長、俺の分忘れてない? てか、これ、スイーツじゃないでしょ。」
「雨に濡れた体で冷たいもん食べたら風邪引くだけだろうが。学校帰りで腹も減ってるだろうしな。気まぐれリゾットと、気まぐれポテトサラダ、気まぐれ肉料理だ。」
気まぐれすぎる。だけど、目の前で湯気をたてるそれらの食べ物は、それだけで俺の心を落ち着かせてくれた。
「まあ、食べなよ。あんな人が作った料理だけど、美味しいから。」
充分にいい人だとは思ったが、黙ってスプーンを動かした。
「…美味しい。」
「ん、その言葉さえ聴ければ十分だ。」
そうして、店長さんはまた奥の料理場まで戻っていった。
「え、店長、俺の分、俺の分忘れてないー?」
悲痛そうな上河内さんの声に呼応して、忘れてねーよと怒号が帰ってきた。
なんだか心が暖かくなって、頬が緩む。
「…今のやり取り、面白かった?」
「え。いえ、…すみません。」
「別に君が笑ってくれるんならいいんだけどさ。」
拗ねたようにそっぽ向く上河内さん。その様子が可愛らしくて、また笑った。
暖かいスープを両手で包む。白い陶器が、この店の光全てを反射してオレンジ色に輝いていた。
「すみません、でした。」
小声で、呟くように言った。
心から、申し訳ないと思っていた。こんなに優しい人に、俺は酷いことをした。
この人はなにも悪くないのに、酷いことをして傷つけた。
「謝らなくて、いいよ。俺も、馴れ馴れしすぎたかなと思う。嫌な目に遭わせてしまったね。」
こんなときでも、この人は優しい。
その優しさに触れて、この店の暖かい空気に触れて。俺の気は少し緩んでしまったらしい。
眼から暖かい雫が溢れた。
「え、ちょっと待って、泣かないで。どうしたの。あああ、ごめんね。えっと、えっと、店長ー!」
俺の涙に動揺した上河内さんが慌てて店長を呼ぶと、店長さんも飛ぶようにやって来た。
手には柔らかな真っ白のタオル。
否応なく顎を捕まれ、顔をあげさせられて優しく涙をぬぐわれた。
あ、と思う。
上河内さんから借りたタオル、使えばよかった。先程借りたタオルはまだ俺の鞄のなかに入っている。洗濯してから返す、と俺がいったのだ。
けど。
上河内さんがぽんぽんと涙を拭って微笑んでくれるこの状況を、俺は崩したくなくてただ黙って俯いていた。
「落ち着いたかな?」
聞かれて、頷く。この状況が名残惜しくはあるけれど、心配させてしまっているのだ、仕方がない。
「そうか。」
そしてそのまま、上河内さんの手が離れていってしまうかのように思えたのに。
「…。」
上目遣いで上河内さんの様子を窺う。なぜかこの人の手は俺から離れていかなかった。それどころか、慈愛に満ちたような優しい目で俺のことをみつめている。
どうしたんだろう。どうしてそんな目で俺のことをみるのだろう。
鼓動が速くなる。それでも、やはり俺はこの状況を逃したくはないのだった。
だのに、その手が離れていかないなと思った数秒後、上河内さんの手はするりと俺の頭から離れていった。
切なくなる。この人が好きなのに、気持ちを伝えられないもどかしさ。
「それで。本題に入ってもいいかな。」
俺が上河内さんの手をずっとみつめていると、そんな言葉で我に帰らされた。
「本題、ですか。」
話すことはない、とこの人は言ったはずだ。話すこと事態が用である、と。
なんだろう?
上河内さんの目を見つめると、ふ、と顔を逸らされた。
避けられた、とは思いたくない。
「うん。また、泣かせてしまうかもしれないけれど。」
店長さんがミルクティーを運んできた。厳つい顔に似合わない、ファンシーなマグカップ。ありがとうございます、と受け取り温かい湯気のたつそれを両手で包み込んだ。
「変な奴だが悪い奴じゃない。安心していい。」
安心など、とうの昔にしていた。ここの空気は、とても心が和らぐ。
だというのに。
俺の心に昨日の出来事が甦る。
「あの、本当に昨日はすみませんでした。俺、真知さんに酷いこと。」
「別に、気にするないで。俺も悪かったから。」
「そんな、真知さんが悪いなんて。」
ぺこぺこと頭を下げる。それにあわせて上河内さんも頭を下げる。
これは、まるで…。
「お前ら、水飲み鳥みたいだな。それに、気がついてるか。さっきからお前ら同じ話しかしてねえぞ。」
え、と上河内さんは言った。本気で気がついていなかったらしい。
俺たちは顔を見合わせて、三人同時に吹き出した。

時間を巡る衝突 2

前作から三ヶ月程度、でしょうか。
お待たせしました、と言いつつ待っていてくださった方はいらっしゃったのでしょうか。
次回からはなるべく早い更新を心掛けたいと思います。(2014 9/15)

時間を巡る衝突 2

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-09-14

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