レガーロ島の悪魔
アルファミ2を参考にしている部分もありますが、うちのエルモは成長遅め。1章の挿絵はカスタムキャストでエリスを再現したものです☆ ※『悪魔』のスティグマータの位置は公式では臀部だそうですよ!!
イル・ディアブロ
地中海に浮かぶ小さな島、貿易島レガーロ。
港からの景色は、今日も水平線がわからないほどのレガーロ晴れ。
そんな中、いつもの活気とは違う、複数の足音と怒号が近付いてくる。
「エリス!そいつを捕まえろ!」
日本刀を構えてこちらに走ってくる少年――ノヴァが、あとは任せたと言わんばかりに叫んだ。
「うそぉ、こっちに来ちゃうの?」
エリスと呼ばれた少女は、困ったふうでもなく、面倒くさそうにため息をつく。
パステルピンクの髪が潮風に揺れ、追われている男を見据えた。
「…どいてくれや、可愛い嬢ちゃんよぉ!」
「うるさい人は嫌いよ♡」
にっこりと笑った彼女は、すっとレイピアを構えて踏み込んだ。
「っ…?!ぐっ…!!」
レイピアは男の脇腹に真っ直ぐ突き刺さった。
「あはっ!痛い?苦しい?でもまだ、これからよ♡」
美しい所作でレイピアを抜き、男の血を払った。
「エリス、もういいだろ!」
うるさいのが来た、と駆けつけた少年を一瞥した。
「えー!まだこんなの準備運動よ、リベルタ」
血気盛んなリベルタは、船の方で騒ぎを聞きつけて加勢に来たようだ。
「臓器は傷つけてないし、浅く刺さっただけじゃない」
「それで十分だ。助かった」
ノヴァが刀を鞘に収め、部下のコートカード達に男の確保を指示する。
「もういいの?ふぅん。じゃあ、今日のお仕事おーわりっ」
楽しそうに帰っていく少女を、野次馬が遠巻きに見送った。
「あ…悪魔め…っ!!」
呻いた男は、脇腹を押さえながら連行された。
レガーロ島を守る自警組織、アルカナ・ファミリア。そのファミリーの相談役代理というのがエリスの肩書きだ。
そして第15のカード――イル・ディアブロ【悪魔】と契約し、その証であるスティグマータは右肩に赤く宿っている。
*
「――そういえばノヴァ、怪我はなかったの?」
夕食の席で、エリスが不意に尋ねた。
「え?ああ…平気だ」
「そっ。ならいいんだけど」
話を切り上げるようにスープを口に運ぶ。
「相変わらず、エリスは仲間には優しいな!」
「もっと褒め称えていいわよ、リベルタ」
「敵だと判断したら容赦ねェけどなァ」
ヒャハハ、と笑うデビトに、ルカが諫めるような視線を向けた。
「そんなことないけど♡臓器を傷つけないように刺したのは優しさでしょ?」
「ジョーリィの錬金術関連の本がそんな形で役に立つとはね」
そう呟いたパーチェは、再び口いっぱいにラザニアを頬張った。
「人体の構造が頭に入っているのはすごいが、どうせなら医療に活かしてほしかったなぁ!」
はっはっは、と豪快に笑うダンテに、悪かったわね、と返して、ちらりとノヴァを盗み見た。
(確かに…ノヴァが怪我したとき、応急処置ぐらいはできたらいいかも)
エリスとノヴァが両想いという事実は、ファミリーの8割が気付いている。
最初は喧嘩ばかりしていた二人だが、少しずつ互いを認め合い、幽霊船騒ぎの頃には信頼が見てとれた。
「あれで隠してるつもりだもんなァ」
「微笑ましいじゃないですか。焚きつけてはいけませんからね」
デビトとルカのコソコソ話をかき消すように、ふっふっふ、とジョーリィが笑った。
「楽しそうに脇腹を突き刺す姿はまさに悪魔だったな」
「――ジョーリィには言われたくないかな♡」
「見てたんだな…。つーか、サングラスに似たんじゃねーの?育ての親だろ」
相談役補佐のアッシュが呟いた。サングラスとはジョーリィのことを指している。
「騒がしい…。私はそろそろ戻る」
律儀にそう告げて、ジョーリィは部屋を出た。
「ねぇ、エリス。よかったら明日は剣と一緒に巡回してほしいな」
「別にいいけどぉ…」
「エリス!お嬢様に対してそんな嫌そうな言い方しないでください!」
「ルカってばうざーい」
んなっ!と声を上げるルカにパーチェが苦笑した。
「まぁまぁ、落ち着いて~。大人げないよ、ルカちゃん」
「それに、エリスは素直じゃないだけだ。可愛いもんじゃないか」
「何よそれ。ダンテきもーい」
「…素直じゃないだけなんだ…」
自分に言い聞かせてるのでは、と思えてきた。
「でも、さっきのエリスの答え方はマシだよな。最初は嫌われてたじゃん、お嬢」
「…お前、デリカシーというものはないのか」
「何だと、ひよこ豆!」
「僕をひよこ豆と呼ぶなっ!もうお前との差もほんの数インチだっ!」
お馴染みのやり取りをスルーしたみんなは、フェリチータがファミリーに入った頃を思い出していた。
“――私、貴女のこと…だーい嫌いなんだもん♡世間知らずの、1人じゃなーんにも出来ないお嬢様”
「でも【恋人たち】の力を高めて、少しずつエリスのことがわかって、認めてもらえたから」
「貴女は知らないでしょうけど、勝手に心を読まれるのって最悪な気分よ♡」
「俺も同じ意見だからな、イチゴ頭」
「…うん。ごめんなさい」
「ほらほら!美味しいドルチェを食べて笑って!」
パーチェはラザニアをあれだけ食べておいて、ドルチェも勢いよく美味しそうに食べている。
「…あっ」
何かを思い出したらしいエリスは、眉間にしわを寄せた。
「明日はジョーリィと一緒に任務だったわ」
「そうなの?珍しいね」
「もう、やんなっちゃう。…だからフェル、悪いけど明日の巡回はパス」
「うん。また今度お願いするね」
*
翌朝。
「一応言っておくけど…相談役と相談役代理の不在時は、相談役補佐がみんなを助けるのよ」
時間の合ったメンバーで朝食を摂りながら、相談役トリアーデは今日の動きを確認している。
と言っても、ジョーリィは手製の葉巻で栄養補給しているのだが。
「それって普通、代理の役目じゃねーか…?」
「そうだけど、ご指名なんだから仕方ないじゃない。ま、そんなに遅くならないと思うけど」
「クックックッ…どちらが年上かわからないな」
ジョーリィの呟きに、近くで聞いていたフェリチータがふふっと笑った。
「本当だね。エリスもノヴァも1つ下なのに、しっかりしてるから」
「あら…ちゃんと留守番できるわよね?アッくん♡」
おう…とツッコミを諦めたアッシュにリベルタが口を開く。
「二人の留守中よろしくな、アッくん!」
「気持ちわりぃ!その呼び方はやめろ!」
「エリス、朝食が済んだならさっさと行くぞ」
くだらん、と言いたげなジョーリィに続き、エリスも席を立つ。
「お仕事の時間ね。――じゃあエルモ。私達もう行くけど、いい子にしとくのよ♡」
「うん。行ってらっしゃい、ジョーリィ、お姉ちゃん」
大人しく隣に座っていた小さな弟は、ルビーのような目を細めて手を振った。
月と悪魔と魔術師と。
「どうだ?私の創ったホムンクルスは。本当の弟のように溺愛しているな」
「そっちこそ父性目覚めちゃったんじゃない?」
エルモは見た目こそ病弱な男の子だが、ジョーリィの実験によって誕生したホムンクルスなのである。
「あそこが例の組織のアジトね」
「ああ、なんという名前だったかな。諜報部の報告によれば、下っ端連中から順に襲ってアルカナ・ファミリアを壊滅させる計画らしい」
「命知らずね♡それとも馬鹿なのかしら」
二人は買い物を装って島民に紛れながら、地下のアジトへ続く階段を一瞥した。
「そんな馬鹿な連中を痛めつける役に、お前を抜擢したのはモンドだ」
「あら。相手の力量がわからないから、1人じゃ行かせられなかったのかしら」
「モンドは、お前のアルカナ能力で奴らの視覚を奪い、私の錬金術で華麗に倒してほしいようだが」
「えー?全員に対して使ったら疲れちゃう!何人いるかは知らないけど…」
彼女のアルカナ能力は、視覚を奪うというものだ。“悪魔”という割には攻撃的な能力ではなく、むしろ戦意喪失させるための”悪魔の囁き”と言える。
「私も同感だ。…放っておけばいずれ攻めこんでくる輩だろう?ストレス発散した方が楽しめそうじゃないか」
「賛成♪地下墓地にしてあげましょ」
ジョーリィが地下に向かって錬金術を叩き込んだ。
「先に行け」
「じゃ、背中は預けるわよ」
階段を駆け降りていくと、慌てて戦闘態勢に入ろうとする金属音が響いていた。
「くそっ!何者だぁぁ?!」
「見ての通り、普通の可愛い女の子よ♡」
先ほどの錬金術で倒れている者も見受けられる。
「ふざけるな!我々に楯突く愚か者め…天罰が下るぞ!」
(ざっと数えて…30人。お揃いのロングソードなんて持っちゃって)
斬撃を鍔で受け流し、間合いを詰めて的確に突く。
時にはその細い剣先で喉や手足を切った。
「やだぁ、返り血付いちゃったじゃない!もうっ、きもいんだから」
「…それはお前が、血管の集中した所ばかりを狙うからだ」
呆れたような声と共に、ジョーリィの炎が背後から飛んできた。
「ぐぁぁぁ!!!」「がはっ?!」
「あらら、“天罰”下ったみたい♪」
尻餅をついて助かった男と目が合った。男は腰を抜かしたまま後退りする。
「ひっ…?!」
背中が壁に当たったとき、エリスは男の顔面を蹴り、そのまま壁にグリグリと踏みつけた。
男は鼻の骨が折れたらしく、鼻血を出して倒れた。
「えー!もう終わり?つまんなーい」
「…トドメは刺さないのか?」
「殺したらノヴァがうるさいんだもん」
振り向いた血だらけの少女を見て、ジョーリィは微かに眉をひそめた。
「…その姿で帰るのはやめた方がいいだろう」
「着替えなんて持ってきてないわよ。帰ってすぐにシャワー浴びればいいでしょ」
ジョーリィはエリスの首をぐいっと引き寄せ、頬の返り血をシャツの袖口で拭った。
「荒いわね…」
「エルモやリベルタ辺りに見つかれば大騒ぎだぞ」
「どうしてそこでリベルタの名前が出るのよ。確かにうるさい筆頭だけど」
葉巻をくわえたままの男を横目で睨む。
「お前にご執心じゃないか…クックックッ」
「いつの話をしてるのかしら。それに、あれはダンテの洗脳だったんでしょ」
“今のあいつには、フェリチータお嬢さんの隣に立つ資格はない”
(だからって、好意の相手を私にすり替えるなんて…)
当時のことを思い出し、怒りが蘇ってきそうだ。
「だったら…警備隊長殿に見つかればどうだ?」
「ノヴァは…ドン引きされるかもね」
「相変わらず素直じゃないな。軽蔑されたいのなら構わないが」
「ひとをマゾみたいに言わないでほしいな♡」
「そうだな、お前はサドだな」
「…否定はできないけど、それは貴方もでしょ」
「ククッ…私に似たのか?」
ふーっと煙を吐き出し、ジョーリィは踵を返した。
「増援はなさそうだな…帰るか。聖杯でも寄越すとしよう」
「リーダーがこの場にいたのかさえわからなかったわね」
「いずれにせよ、このレベルならファミリーの壊滅など夢のまた夢だな」
「そうね。私達が来るほどでもなかったじゃない」
地上への階段を上りながら、ジョーリィは自身のジャケットをエリスの肩に掛けた。
「街中で騒がれても困るからな」
「…ありがと」
*
「っ、エリス?!」
二人が館に戻って、一番最初に出くわしたのは運悪くノヴァだった。
(巡回からまだ戻ってないと思ったのに…確かに朝食のときには既に出かけてたわね)
「…何、文句ある?」
「文句も何も、血だらけじゃないか!ジョーリィが上着を貸すほどの傷なのか?!」
「…はぁ?」
「髪にも付いているし…どんな風に戦ったらこうなるんだ」
ジョーリィは、驚いているのか面白がっているのか――おそらく後者だが――無言で成り行きを見守っている。
「二人で任務だと聞いていたから、また危険な内容だろうとは思っていたが…!とりあえず、ルカとマンマを呼んでくる!ジョーリィ、こいつを部屋に連れていってくれ!」
「ああ」
「ま、待ちなさいよ!ジョーリィもなんで素直に従ってるのよ…!」
走り出そうとするノヴァの腕を掴む。
「どうした?――あぁ、パーパへ任務の報告か?それはジョーリィに任せればいい」
「もうっ、ノヴァ!落ち着いて!」
「…エリス?」
困ったような恥ずかしいような顔をするエリスを見て、ノヴァは訝しげにジョーリィを見上げた。
「クックックッ…私達の想像を越えてきたな」
「…は?」
「お前が思うより、愛されているじゃないか」
黙って、と睨んでも彼はおかしそうに笑っている。
「私、無傷だから。…これ、全部返り血なの」
「…え?返り血…って、それ全部返り血なのか!!」
「何よ…多分、一人も殺してないわよ。問題ないでしょ?」
「多分って…また残酷なことをしたんじゃないのか」
ノヴァの反応が面白かったのか、ジョーリィが少し楽しそうな声音で応える。
「…気になるなら行ってみろ。元々、後処理は聖杯に任せるつもりだった」
「あ、ああ」
「ジョーリィってばストレス発散とか言ってたから、急がないと死んじゃうかも♡」
「何だと?!現場に急行する!――それから、エリス」
「何かしら」
「お前が無事で良かった」
「えっ」
走り去るノヴァの背中を、呆然と見つめる。
(なっ…何なのよ…?!)
(私の娘はまだやらんぞ…)
(っ?!なんだ…悪寒が…)
*
翌日。
「じゃあ、今日の巡回終了。みんなお疲れ」
「お嬢、お疲れ。エリス様もお疲れ様でした」
「ご苦労様♡」
今日はフェリチータの希望通り、剣の巡回に同行した。
館の庭に着いて解散すると、コートカード達は業務に戻っていく。
「今日はありがとう、エリス」
「棍棒のサボり以外は、なーんにもなかったわね。つまんなーい」
相談役であるジョーリィはパーパ専属の相談役と揶揄される存在のため、内部監査はエリスとアッシュの仕事である。
「平和が一番だよ。また一緒に行こうね」
「たまにはリベルタでも連れて行ったら?」
「えっ?!でも…」
実はフェリチータとリベルタは恋人同士なのだ。ちなみにこれはファミリー全員どころか島民も知っている。
(リベルタはわかりやすすぎるのよ…)
「リベルタは、諜報部の仕事が忙しいから…」
「ま、少なくともパーチェよりは頑張ってるみたいね」
「――待ちなさいアッシュ!!」
「…ルカ?」
声の聞こえた方に行けば、アッシュとルカがこちらへ走ってきていた。
「どうしたの?二人とも…」
「あっ、お嬢様ぁ!アッシュを止めてくださぁぁい!!」
「えっ、と…?」
どうしようかと困っている優しいフェリチータの代わりに、エリスがアッシュの足を払った。
「いってぇぇ?!何すんだよ、ドSエリス!」
「追いかけっこなんてみっともないことしてるからよ♡」
「エリス…ハァハァ…あ、ありがとうございます」
「別にいいのよ♡部下のフォローも仕事のうちだから」
「ぐぇっ!」
立ち上がろうと四つん這いになっていたアッシュの背中に、可愛らしい笑顔で容赦なく座った。
「エリス…!成長しましたね。なんだかノヴァに似てきたようで、私も嬉しいです!」
「う、うん…。ノヴァは人に座ったりしないけど…」
「あら〜?人じゃなくて虎だと思ってた♡」
「てめぇ…部下を売って何が目的だ?!」
「私は錬金術師じゃないから、等価交換なんて求めないわよ。――あっ!相談役の仕事が溜まってるんだった」
「そうでしたか。引き留めてすみません。ありがとうございました」
アッシュから立ち上がり、小走りで相談役執務室へ向かう。
「…それで、ルカはどうしてアッシュを追いかけてたの?」
「あっ、そうでした!聞いて下さい、お嬢様!アッシュが私の手袋を盗んだんです!!」
「ルカの手袋って錬金術師に人気だね」
ジョーリィやルカ、そしてアッシュも錬金術師なのだ。
「つーか、サングラスの命令なんだよ」
「相談役補佐って、そんなことまでするんだ…」
「さぁ、アッシュ。観念して私の手袋を…あれ?」
「残念だったな。さっきエリスが持っていったぜ」
「んなっ?!何ですってぇー!!」
ルカはバッと館を見上げ、廊下に彼女の姿を見つけた。
「エリスーっ!!!貴女…!」
「あはは!だから言ったじゃない、“部下のフォローも仕事のうち”って♪それに『私達のお父様』のため、でしょ♡」
それだけ答えて、軽快に走っていく。
「ハァ…」
「なぁ、ドSエリスってサングラスのこと好きなのか?」
エリスとノヴァの関係を、アッシュはまだ知らない。
「…感謝してるって言ってた」
「育ててくれたことをか?」
「…私は心を読んで知ったから、これ以上はエリスに怒られるよ」
「そうですね、ご本人に聞かないと」
「…わぁーったよ!」
主従コンビの笑顔に見守られ、アッシュはエリスを追いかけた。
*
(今日こそデスクワークしてると思ったのに…)
コンコン、とエリスが地下の錬金部屋をノックする。
「ジョーリィ?私だけど」
「…開いている」
「入るわよ」
ガチャッとドアを開けると、不意に中から腕を引かれた。
「きゃっ…?!」
「おっとォ、エリス様じゃねェか」
ぐいっと肩を抱くデビトを、エリスは嫌悪感を隠そうともせずに睨む。
「至近距離でも美しいねェ」
「…あら、珍しい所で会うわね」
「ジジィに捕まっちまったんだ。なァエリス、オレを慰めてくれよ」
右腕を掴まれたまま、さりげなくレイピアを押さえられている。
エリスは左手でデビトの銃を抜き、銃口を向けて可愛らしく笑った。
「死んじゃって♡」
「おいおい、そんな笑顔で見つめられたらたまんねェな」
「…」
眼帯をしている右目を銃で殴ろうと、僅かに振り上げた途端に解放された。
「待てよ、相変わらず容赦ねェなァ…」
「弱点を狙うのは当然でしょ」
「クックック…エリス、それはファミリーに対して言うことではないな」
デビトの検査結果が出たらしく、ようやくこちらの会話に加わってきた。
「…アッシュの代わりに、これを渡しに来たんだけど」
「ルカの手袋か。ご苦労」
「ま、その手袋を使うだけじゃ、実験は成功しないと思うけど…」
「ほぅ…。何故だ?」
エリスは説明に困り、やがてそれを諦めた。
「騙されたと思って、ルカ自身――もしくは、エルモか私のことを考えながら実験してみたら?エルモが誕生したときみたいに♡」
「他のことを考えながら、だと?」
「何よ、比較実験は大事でしょ?…じゃ、剣の巡回も終わったし、溜まってる書類の整理するから」
「…ああ」
*
アッシュはとぼとぼと、地下へ続く階段を下っていた。
(感謝してる、か…)
「なァにシケたツラしてんだァ?アッシュ」
「…地下にいるなんて、珍しいじゃねーか」
錬金部屋の前にデビトがいた。
「好きで来るわけねェだろ。ま、おかげでエリスには会えたけどなァ」
「やっぱ来てるのか?」
「ルカの手袋だけ渡して帰ったゼ。書類整理するって言ってたなァ」
(あー、そっちか…)
「…おい、昼メシまだだろ?付き合え」
「え、おい、ちょっ…」
隠者と力と魔術師と。
「あっ、デビト!終わったの?って、アッシュも一緒?」
デビトに連れられてリストランテに入ると、ラザニアを頬張るパーチェがいた。
「待たせたな、パーチェ。コイツは、地下で会ったから連れてきた」
「俺は先に食べてるから平気だよー!検査お疲れー」
「とりあえずあのクソジジィ、改めてまじキメェな。吐き気がするゼ」
「ちょっとー!大丈夫なの?寝た方がいいんじゃない?」
この二人が普通の友人同士のような会話をしているのが珍しくて、アッシュは黙って座っていた。
「検査自体は特に何もされてねェ。ルカのおかげで調子良さそうだしなァ」
「それは良かった!心配で食事が喉を通らなかったからねー」
「どこがだよ?!」
アッシュは思わずツッコミを入れたが、デビトは慣れた様子でスルーした。
「ま、シエスタはあとでするとして、腹減ったな。メシだメシ」
デビトとアッシュも適当に注文した。
「デビトがシエスタよりご飯なんて珍しいね!俺のラ・ザーニア食べていいよ♡」
「お前こそ珍しいじゃねェか、パーチェ」
「まだいっぱい注文してるからねー♪」
「テメェは何人前食うつもりだ?いい加減ツケ払えよ、幹部長代理」
「ぐっ…肩書きを出すなんてズルいよ!エリスにも怒られたし…」
「ズルくねェよ、ホントのことだろ」
デビトはそう言って、目の前のラザニアを一口食べた。
「…で?アッシュを連れてきた理由、あるんでしょ」
「理由?偶然会ったからってだけだろ?俺はただドSエリスを追いかけてた途中だし…」
「面白ェ顔で考え事しながらかァ?」
それで連れてきたのか、とアッシュは理解した。
「…エリスは、サングラスのこと慕ってんだろ?」
「ジョーリィのこと?まぁ一応、面倒見てくれた人だしね。…え、なになに?ヤキモチ?」
「なんだそれ!妬く相手を間違ってるゼ」
面倒な二人に捕まった、とアッシュは思った。
「ヤキモチなわけねーだろ!!…育ての親だからってだけじゃなさそうだと思ってよ」
「錬金術にホレてんだろ。自分にない才能がうらやましいんじゃねェ?」
「でもエリスって、ルカちゃんには厳しい態度とってるよねー」
そりゃあ、とデビトは言いかけてやめた。
「感謝してるからだって聞いたが、イチゴ頭も帽子もそれ以上教えちゃくれねー」
「それで本人に聞こうと?」
ああ、と頷く。二人の昼食が運ばれてきた。
「…エリスの過去は、確かに本人から語られるべきだなァ」
「でもまぁ、なんて言うか…恨んでる俺達よりも大人なのかもって思うこともあるよ」
(恨んでるって、子供んときの実験のことか…?)
「ジョーリィの行動はパーパやファミリーのためだってわかってても、感謝なんてポジティブな捉え方はできなかったから」
ハッ、とデビトがわざとらしく笑う。
「ポジティブだと?イカれてるゼ、あの女。理解できねェ」
「こらこら、ファミリーの悪口言わないの!」
「…言い過ぎたか。ま、ファミリーには優しいよなァ」
「ジョーリィは、恩人であるパーパのために行動してるでしょ?きっとエリスも同じだと思うんだ」
「恩人のために、か…」
*
「ジョーリィ?…そうね、私にとっては恩人」
エリスの執務室にて単刀直入に尋ねたら、意外とあっさり答えてくれた。
「そうなのか…。まぁ、血は繋がってなくても親子だしな」
「うーん、順番は逆なんだけど」
「逆?…つーか、急に変なこと聞いてワリィ」
だんだん声が小さくなるアッシュに、エリスは首を傾げた。
「勘違いしないで。別にツラい記憶でもないし、聞かれないとわざわざ話す機会もないから。それで?」
(これが噂の…仲間には優しい相談役代理の顔か…)
「じゃあ、ドSエリスがサングラスに感謝してるって話は、命の恩人だからっつーことか」
「それはどうかと思うな♡」
「はぁ?何が」
何か間違っていたのかと不思議そうなアッシュ。
「あの人に感謝してる理由は、それだけじゃないから」
「他にも何かあったんだな」
「そうね…アッシュにも話しておくわ」
アッシュをソファーに座るよう促した。
エリスも仕事を中断し、アッシュの向かい側に腰かける。
「ハァ…フェルのときは心を読まれたから、自分の口から話すのは久しぶりよ」
彼女は伏せ目がちに呟いて、どこから話そうか考えているようだった。
「――私はレガーロ島の生まれじゃないの。小さい頃、両親と三人でレガーロ観光に来ていたとき、裕福な身なりをしていた私達は、賊に囲まれて…」
アッシュは神妙な顔で聞いている。
“下賤な者どもめ…!金ならいくらでもくれてやる”
“近付かないで!汚らわしい…!この子には手を出さないでっ!!”
エリスの家は貴族だった。
「貴族のプライドなんてくだらなーいもの、捨てちゃえば良かったのに。…護衛は連れてきてなかったし、結局、両親は殺されちゃった」
「そいつら、どうなったんだ?」
「…子供だからって見逃す気はなさそうだった。ここで死ぬのねって思ったとき、私の前に錬成陣が現れたの」
「サングラスのか?」
「そうよ。素直に、錬成陣を綺麗だと思った。実は今も好きだけど、本人には言ってあげない♡」
(“錬金術にホレてんだろ”か…)
アッシュはデビトの言葉を思い出していた。
「賊は全員、アルカナファミリアに捕まったわ。それから私は、葬儀のために一度故郷に戻ったんだけど――」
(両親の遺産は、遺言書に則って全て私のものになった…。それを許せない親族、そして私を誰が引き取るか…)
「…色々あって、すぐこっちに戻ってきたの。で、助けてくれた人達のことを調べて、ここに行き着いたってわけ♡」
へぇ、とアッシュが相槌を打つ。
「ジョーリィが面倒を見ることになった経緯も気になるけどな…」
「それは、私が付きまとってたからかしら?あの人って口数少ないし、一緒にいると落ち着くと思ったのよ」
「お前、うるさい奴は嫌いなんだもんな」
「そう♡でも他のみんながいなかったら、もっと常識の欠落した人間になってたでしょうね。あ、錬金術も少し教えてもらったんだけど…」
「おまっ、錬金術使えんのか?!」
「使えなかったから、知識だけ。だからエルモに教えてるんでしょ、あの人は」
笑っているのに、その言葉には棘があった。
「こうして、エリス様はアルカナファミリアに入ったのよ。あ、もちろんタロッコと契約できたから、だけど」
「もし契約できなかったら、ファミリーにはいられなかったんだろうな」
そうよ、と窓の外を仰ぎ、続きを語り始めた。
「ルカとパーチェとデビトのアルカナ能力が、ジョーリィの実験によるものだっていうのは…知ってるでしょ?」
「ああ。ファミリーのため、なんだろ?」
「そっ。あれはファミリーのためであり、パーパのため」
アッシュは意外にも、とても真剣な顔で話を聞いている。
「…私のアルカナ能力も同じ。ジョーリィの実験によってタロッコと契約したのよ」
「そう、だったのか。なんとなく、そうかと思ってたけどよ」
「だったら、簡単な話でしょ?」
エリスは可愛らしく首を傾げた。
「ジョーリィは私に力を与えてくれた。そしてファミリーでの役目を、居場所を与えてくれたのよ。これに感謝しなくて何に感謝しろって言うのかしら♡」
「っ、けど、実験って相当ひどかったんだろ?」
「デビトほどじゃなかったけど。――両親は力が無かったから死んだ。私は、そんなの嫌なの♡自分の身を守るのは、お金じゃなくて力なの」
「…なるほどな。実家に帰るより、ここを選んだんだな」
「答えになったでしょ?貴族の大変さはパーチェにでも聞きなさい」
エリスは立ち上がり、ぐーっと背伸びをした。
「仕事が溜まってるから、休憩終ーわり♪」
アッシュは納得して、大人しくエリスの執務室を出ていった。
*
「ハァ…」
(なんかもう、一気に疲れちゃった…)
再びソファーに体を沈めたとき、コンコンとドアが控えめにノックされた。
(まったく、仕事どころか休憩もさせてくれないの…?)
「…誰?」
「僕だ、ノヴァだ」
「…何の用?」
「用は、特にないが」
「はぁ?…まぁいいわ。どうぞ?」
中へ入ったノヴァは、ピンクベージュのソファーにエリスを見つけた。
手足をだらりと投げ出し、頭も背もたれに委ねていた。
「具合でも悪いのか?」
「違うわよ。…で、何しに来たのかしら?」
「言っただろう。用はない、と。…ただ、お前のため息が聞こえたから」
「盗み聞きは良くないと思うけど♡」
「通りがかっただけだ!」
向かい側の一人掛けソファーに座り、ふと彼女の執務机を一瞥する。
「そうだ、息抜きにお茶でもしないか?」
「…だったら、外に行きましょ。今日はもう、仕事の気分じゃなくなったから」
「あ、ああ」
エリスはゆっくり立ち上がり、執務机の上を片付け始めた。
「ついさっきまで、アッくんが来てたのよ」
「アッシュと言えば、またルカの手袋を盗んだそうだな」
「愛情表現が苦手なジョーリィの命令なの。許してあげて」
ノヴァは眉をひそめ、愛情表現?と聞き返した。
「お前も加担したと聞いたが。あまりルカをいじめるなよ」
「ルカちゃんを私が?…何のことかしら♡さ、行くわよ」
話をはぐらかされたが、ノヴァは怒ることなくソファーから立ち上がった。
塔と悪魔と死神と。
「風が気持ちいいわね」
カフェのテラス席で、帯刀したスーツ姿の男女は少し目立っていた。
「風にあたりたかったなら、薔薇園でもよかったな。マンマと一緒に…」
「私は二人が良かったんだけどなー?」
「なっ?!そう、だったのか?あ、ありがとう…」
(だってマンマがいたら、見透かされてる感じがして、なんとなく話しづらいんだもーん)
二人はカッフェを注文した。
「外に行こうって言ったのは私だけど、仕事はいいの?」
「今日の午後の巡回は棍棒だ。心配だが…幹部長代理を信じるしかない。マトモな報告書を期待している…」
「聖杯は真面目すぎるけど、棍棒の巡回はただの食べ歩きだものね。そのしわ寄せで聖杯が監査まがいのことをしてるし、どうにかしなきゃ…」
彼女も相談役代理として苦労しているのだろう。
「そういえばフレッドに聞いたが、おとといの女王会に参加したらしいな」
「ええ。私がいたら大アルカナの愚痴とか言いにくいだろうし、そもそも私は女王じゃないからって言ってるんだけど…ファミリーの女王様だからって誘ってくれるの。時々参加してるんだけど、みんな個性的で楽しいわよ♡」
「ま、まぁ…エリスが楽しいならいいんだ」
どのセリエのコートカード達も、幹部達に負けず劣らず個性が強い。
「世話好きなヴィットリオの提案に、笑顔の策士シモーネがノッて…フレッドが私をからかって、怖がったピノが三人を諫める。…って感じかしら」
「フレッド…!すまない…フレッドには僕から注意しておく」
「いいのよ。女王会の席では無礼講だし、何かあったら直接手を下すから♡」
「そ、そうか」
カッフェが二つ運ばれてきた。店員が去るのを見届けて、エリスが口を開く。
「――さっきまでね」
「え?」
「さっきまで、私の部屋にアッシュが来てたのよ」
(それはさっきも聞いた、と言えば怒るだろうか…?)
ここで彼女を怒らせるのは得策ではない。
「…それで仕事を中断していたのか?」
「私の、昔話をしたの」
(動揺しているのはそのせいか…)
「話しているうちに、つらくなったか?」
「そんなわけないでしょ」
こういう反応はいつも通りで、ノヴァは少しホッとする。
「…だが、遠い目をしている」
「…故郷のことを考えてただけ。屋敷のみんなとか、うざーい親戚のこと」
「エリスの家は貴族だったな。お前、たまには帰らなくていいのか?」
「…うちの屋敷は分家に譲ったはずだし、もう私の帰る場所なんてないの。そもそも帰ろうとは思わない」
ファミリーにとって、今はアルカナファミリアが居場所なのだ。
「帰る場所はあるだろう?というか、お前はパーチェと違って一人っ子なんだし、行事とか…」
「お墓参りには行ったわよ。何年か前だけど♡」
「ハァ…そういう問題か?」
ため息は周りの喧騒にかき消されたようだ。
「あっ、お姉ちゃん!!」
「エルモ…と、フェルとリベルタ」
三人はまるで親子のように、エルモを真ん中にして手を繋いでいた。
「あっれー?ノヴァもいたのかよ。小さすぎて見えなかった」
「エリスが見えて僕が見えないわけないだろう!」
いつもの喧嘩を始めたので、フェリチータがこそっとエリスに耳打ちする。
「…ごめんね、お邪魔して」
「私はただの気分転換中。そっちこそ、せっかくのデートに子連れ?」
「う、うん…。街でエルモと会ったから、そのまま三人で遊んでたの」
「ふぅん…エルモ、良かったわね♡」
しゃがんで目線を合わせると、とても嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、このあとはお姉ちゃんと遊びましょ」
「いいの?お姉ちゃん」
「ええ。買ってあげたいものもあるし」
「えっ、でもエリス」
「僕も付き合う」
リベルタとの喧嘩は終わったらしく、ノヴァがフェリチータの言葉を遮った。
「あら、仕事は?巡回はなくても、忙しいでしょ?」
「今日くらい部下に任せて問題ない。お前が元気になるまで一緒にいる」
「言うね~、ノッヴァ!」
「う、うるさい!」
「決まりね。リベルタ、フェルを頼むわよ♡」
可愛らしく首を傾げて、パチッとウインクしてみせた。
「お、おう!行こうぜ、お嬢」
「あ、うん。またね、エルモ」
「ありがとう!お兄ちゃん、お姉ちゃん!」
*
「それで、エルモに何を買ってあげたいんだ?」
「本よ」
三人仲良く手を繋いで繁華街を歩く。
「ジョーリィの周りには錬金術の難しい本とか、私が昔読んでた女の子向けの本ばっかりだから」
「でもね、ジョーリィが僕にもわかる本を買ってくれたよ」
ノヴァが驚いた顔でエルモを見下ろした。
「それも全部、何回も読んでるでしょ?館の書斎にもよく行ってるみたいだけど、エルモにはまだ早い本ばっかり」
「お姉ちゃん、全部知ってたんだ」
「知ってるわよ、もう。子供に気を遣われても嬉しくないんだけど」
ごめんなさい、と小さな声が耳に届く。
「…ま、それも成長してる証拠よね」
「そうだな。幼いのに我慢して偉いと思うが」
「本当?僕、偉い?」
「そうね…少なくとも、リベルタより大人だと思うな♡」
「…お前、そういうところ本当にジョーリィに似てるな…」
「うふふ♡視覚を奪われたいの?」
不穏なオーラを放つエリスの手を、弟がぐいっと引っ張る。
「着いたよ、本屋さん」
「さぁて、欲しい本を買ってあげるわよ」
「わーい!何冊までいい?」
「え?そうねー…自分で持ち帰れる重さまで?」
「わかった!」
素直に返事して、店の奥へ走っていった。
(…本当に、素直でいい子)
「エリスも本を読むのか?」
「錬金術の本はたまに読むけど。あとは、詩集とか?」
「そういえば、エリスの執務室に詩がいくつか飾ってあるな」
「考えさせられたり、癒されたりするから飾ってるの。…何よ、似合わないって言いたいんでしょ?」
「そんなことはない。ジャッポネの詩集──ワカなら、僕だって好きだ。…それに、飾られた詩からお前の優しさが伝わってくる」
「はぁ?…バッカじゃないの」
言葉とは裏腹に、彼女の頬は髪と同じ色に染まっていた。
去年の彼らであれば、間違いなく喧嘩に発展しただろう。
「…エルモを見てて。私が近くにいたら遠慮するかもしれないし、男の子の好みわからないから」
「あ、ああ…」
真面目なノヴァは、すぐにエルモを探した。
児童書コーナーに行くと、その小さな姿があった。
「迷っているのか?」
「あ、お兄ちゃん!」
片膝をついて目線を合わせると、エルモは嬉しそうに2冊の分厚い本を持ってきた。
「あのね…勇者と魔法使いの冒険と、こっちの図鑑で迷ってるんだ」
「僕は図鑑派だったが、そうだな…」
エルモが持っていた図鑑は、男の子が好きそうな乗り物&恐竜図鑑だった。
「どちらも買ってもらったらいいんじゃないか?」
「そんなのダメだよ」
「何故だ?エリスは1冊に絞れとは…」
「だけど、お姉ちゃんを困らせちゃダメだって、ジョーリィが…」
(まるで本当の家族だな…)
「もっと甘えていいんじゃないか?」
「え?…そうかな…」
「ああ。あいつは“子供に気を遣われても嬉しくない”と言っていたしな」
「うん…わかった!ありがとう、お兄ちゃん」
「ああ。エリスのところに行こう」
エルモは分厚い本を2冊抱えて、ノヴァと一緒にエリスを探した。
店内はそこまで広くなかったため、すぐに彼女は見つかった。
「欲しい本は見つかったかしら?」
エリスは本屋の紙袋を持っていた。彼女も何か買ったようだ。
「うん!あのね…これとこれなんだけど」
「面白そうね♡でも2冊だけで良かったの?」
「最初はどちらか1冊にしようとしていたぞ」
だってジョーリィが、と言う弟の手からスッと本を取り上げて会計を済ませる。
「私を困らせちゃダメって言われてるんでしょ?私は困ってないからいいの♡」
「お姉ちゃん、ありがとう!」
「どういたしまして」
紙袋に入れられた2冊をエルモに持たせて帰路につく。
「ねぇ、早く読みたいから早く帰ろうよ」
「焦ったら転ぶわよ」
ノヴァはずっと気になっていたことを尋ねた。
「エリスも何か買ったのか?」
「ええ、まぁね」
「?触れてはいけなかったか?」
「…これ、ノヴァに」
「僕に?…誕生日はまだ先だが」
「そういうんじゃないわよ。ただ…偶然見かけたから」
受け取った紙袋から出てきたのは、音符が羅列した薄い冊子だった。
「楽譜…これはジャッポネの曲か」
「そう。…ピアノが聴きたくなっただけよ」
「ありがとう、エリス。本当に嬉しい。…今度お礼に…」
「やだぁお礼なんて♡…それを弾くとき、一番に私に聴かせてくれればいいの」
「え?…ああ。わかった」
「じゃあ他には何もいらないから」
ノヴァは口を開いたが、前を歩くエルモの声に遮られた。
「お姉ちゃん達、早く早くー!置いていくよー!」
「こら、危ないから待ちなさい」
「…」
エリスはエルモの本が入った紙袋を奪い取り、空いている方の手を繋ぐ。
「自分で持てる重さまでと言っていたのに、エリスは優しいな」
「うるさいわね。こうしてないと危ないでしょ」
ノヴァもエルモの手を取り、3人並んで館へ帰っていった。
月と審判と死神と。
「――ということがありました」
マンマの薔薇園で、ノヴァはエリスのことをスミレに話していた。
「あら、デートできて良かったじゃない。プレゼントも貰ってラブラブね♪」
「なっ!マンマ…!」
「ふふふ、ノヴァったら照れちゃって可愛い。そういう顔も、あの子に見せたらいいのに」
「からかわないでください…」
人前でこんな恥ずかしい顔は見せられないとノヴァは思った。
「からかってなんかないわ。貴方とエリスは、まだ不安定だと思うの。このままだとジョーリィにとられてしまうわよ?」
「…?ジョーリィはエリスの父親です」
「血の繋がりはないもの。あの子は可愛いから。デビトが狙っているのはいつものことだけれど、性格的にはパーチェとも合いそうね。それに、アッシュも彼女を気にしている様子だったわね」
「…そう、ですか」
スミレの言葉は侮れない。
「とりあえず、ピアノの練習をしてらっしゃい。エリスに怒られちゃうから私は教えてあげられないけど」
「え?確かにエリスは自分が一番に聴きたいと言いましたが、練習は別なのでは…」
「まぁ!本気で言ってるの?そんなことしたら、きっとその楽譜は取り上げられて他の人の手に渡るわね。レガーロの男性はみんな楽器が上手だから」
「…」
想像したノヴァは怖くなって、一人で練習しようと決心した。
「それと、本当にただ弾くだけではダメよ?せっかく2人きりになる口実ができたんですもの♪」
「わ…わかりました」
マンマが不意に、ノヴァの背後に視線を移した。
「――ふふっ、女心は難しいのよ。特にエリスは、ね。それは貴方の方がよくわかってるでしょう?」
「あいつのこと、前よりは少しずつ理解できている、と思います」
「あの子はなかなか心を開かないし、滅多に本音を出さないから…。でも、ノヴァの前では素顔を見せることも多いみたいね」
えっ、とノヴァの唇から思わず声が漏れる。
「…そうでしょうか。エルモには敵いませんが」
「エルモのことは弟としか思ってないから大丈夫よ。エリスに必要なのは、甘えられる存在。だから嫉妬しないの」
「マンマ、何を!僕は嫉妬なんて…」
「はいはい♪いいから早く練習に行きなさい」
ノヴァは赤くなった顔をごしごしと擦りながら、薔薇園を後にした。
「うふふ…ああいうところは年相応で可愛らしいわね。ねぇ、エリス?」
スミレが名前を呼ぶと、エリスは物陰から現れた。
「…何を話してるか気になったから、立ち聞きしに来たけど謝らないわよ」
「私は気付いてたから、別に構わないけれど。私に妬くくらいなら、早く付き合っちゃえばいいのに」
「えー、そんなのつまんなーい♡マンマこそ、ジャッポネでは男を弄んでたって聞いたけど?」
「あら、ジョーリィが言ったのかしら?…否定はできないわね」
ほらね、と言わんばかりに鼻で笑った。
「だけど、ノヴァみたいな真っ直ぐな子の好意には、真剣に向き合わなきゃダメよ」
「…知らないわよ、そんなの。というか、私の心はお見通しでしょ♡」
「占いは得意だけど、フェリチータじゃないから心は読めないのよ」
「マンマと話してると、見透かされてる感じがするのよね」
嫌いなわけではないが、大人の女性は基本的に苦手なのだ。
「ごめんなさいね。じゃあ予想だけど…どうしたらいいのかわからないのね?」
「…そうね。両親はいないし、恋愛なんてしたことないし」
「恋愛相談ならいつでも大歓迎よ。私が嫌ならメイド達もいるし」
「恋愛なんて、他人に相談すること…?」
「そこからなの?あぁ、そうよね…。それなら、フェリチータとリベルタを参考にするのはどう?年も近いし」
スミレは、ふと思いついた身近なカップルを挙げた。
「リベルタを参考に?ノヴァはあんなに短絡的じゃないし、もっと真面目で仕事熱心だし、リベルタと違って子供も女の子も苦手よ」
「そういう意味じゃなかったのだけど…。エリスは本当にノヴァが好きなのね♪私も嬉しいわ」
「はぁ?どういう意味」
「…貴女はもっと素直にならなきゃ、ノヴァに嫌われちゃうわよ?ノヴァは少しずつ、自分の気持ちを素直に話すようになったんだもの」
「いいのよ?別に、嫌われても♡仕事に支障がなければね」
スミレが困ったようにため息をつく。
「でも、そうね…お互い恋愛経験少なそうだし、ゆっくり、二人のペースでいいのよね」
「一言多いのよ…」
(でもエリスの性格を考えると、本当はもっとノヴァに強引さを求めたいのだけど)
だが、これ以上言うと彼女が怒りそうだと思い、心の中だけに留めた。
「あ、そうだ。薔薇を少し分けてほしいんだけど♡」
「あら、珍しいわね。お部屋に飾るの?花瓶はある?」
「…ノヴァか誰かが持ってるでしょ」
「そうね、余計なお世話だったわね♪摘んでくるからちょっと待ってて」
スミレはそう言って、着物の裾を翻す。
(…本当はジョーリィの実験に使うんだけど、まぁいいわ)
近くのベンチに腰かける。
ふと仰いだ空は見事なレガーロ晴れだった。
*
(あんな笑顔で、こんなにたくさん貰ったら…流石の私も良心が痛むかも)
「――あら、ジョーリィ?ちょうど良かった」
「…エリスか。ずいぶん立派な花束を抱えているが、警備隊長殿にでも貰ったのか?」
「なんでノヴァに繋がるのよ」
ジョーリィがちらりとエリスの背後を見た気がしたが、サングラスでよくわからない。
「マンマに分けてもらったのよ。誰かさんが貰えないって嘆いていたから」
「クックックッ…これは私にか」
「なんかの実験に使うんでしょ?」
「これは…花の質がいいな。何かと使えそうだ」
新聞で包まれた花束を彼に渡した。
「…せっかくだ、部屋にでも飾れ」
ジョーリィが束から6、7本の薔薇を抜いて彼女に返す。
「あら、いいの?」
「これだけあれば私は十分だ。――待て、棘があるな」
片方の黒い手袋を外した。
「これで包んで持て」
「気味が悪いくらい優しいわね♡貴方こそ、フラスコに一輪挿しでもしたら?」
「…そうだな。エルモが喜ぶだろう」
(今まで花を飾ったりはしなかったけど…少し丸くなった今はどうかしらね?)
錬金部屋の方へ歩く背中に、心中で呟いた。
(あっ、花瓶…私、持ってないのに)
*
コンコン、と聖杯の執務室を訪ねた。
「私だけど」
「エリスか。入れ」
中に入ると、ノヴァの他に聖杯の小姓ルーチェがいた。
「あら、悪かったわね。仕事の話なら後にするけど」
「いいえ、エリス様。僕はもう終わりましたから」
「――今の話を、金貨と諜報部にも伝えておけ」
彼はノヴァとエリスに頭を下げ、執務室を出た。
「邪魔しちゃったわね。本当に大した用事じゃないんだけど」
「いや、それは構わないが…」
「?何よ、煮え切らないわね」
ノヴァの視線の先は明らかに、薔薇とそれの刺から守っている黒い手袋に向けられていた。
「お前は、何の用だ?」
「なんだかご機嫌ななめね。あぁ、この薔薇なら、ちゃんとマンマに言って貰ったわよ?」
「別に疑ってはいない」
「そう?もし余ってたら、花瓶を貸してほしいんだけど」
「…少し待っていろ」
彼は立ち上がり、棚の引き出しから花瓶を取り出した。
「執務室には、これしかないな。背の低い花瓶だから、茎を短く切って全体的に丸いシルエットにすればいい」
「それは素敵ね♡この薔薇が全て枯れたら必ず返すわ」
「すぐに枯らすなよ?薔薇園は僕も世話をしているんだ。それに、大切にしないとマンマが悲しむ」
手で軽く埃を払い、小さな花瓶をエリスに手渡す。
「綺麗な、ガラス製の花瓶ね」
「数年前、マンマに貰ったものだ」
(さっきからマンマ、マンマって…)
「私が使っていいのかしら?割らないように、大事に使うわね」
ああ、とノヴァは再び執務机に向き合う。
「花瓶のお礼に一輪あげるわよ。だーい好きなマンマの薔薇♡」
「…ジョーリィのために摘んでもらったんだろう?僕は受け取れない」
「何言って…?もしかして、さっきジョーリィに渡すところ、見てたの?」
「…ああ。言っておくが、偶然見てしまっただけだぞ!勘違いするなよ?」
と言いつつ慌てているのは、立ち止まって見ていたことを後悔しているのだろう。
「話の内容は?聞こえてた?」
「いや、聞こえなかった。聞こえなかったから、その……レガーロ流の求婚のように見えてしまって」
「…はぁ?」
花束を渡し、相手がその中から一輪抜いて渡してくれたら成功…というレガーロ流の求婚方法に見えたというのだ。
「バッカじゃないの!ティアラをしてないし、男女が逆でしょ!そもそも、ジョーリィとなんてありえないんだけど」
「そう見えたんだから、仕方がないだろう!」
「…ノヴァにしては突拍子もない発想ね」
顔を真っ赤にして、怒ったように声を荒げたノヴァ。彼の照れ隠しはとてもわかりやすい。
「それに、元々ジョーリィのためじゃないもん」
「え?」
「私が部屋に飾りたいって言ったら、マンマが喜んでたくさん摘んでくれたのよ。で、それを目撃したジョーリィが…」
(実験に使うなんて言ったら、私まで花を貰えなくなる…)
「ジョーリィが、分けて欲しいって言うから。私は上司に従っただけよ」
自分でも少し無理があると思ったが、動揺しているノヴァは納得したようだ。
「そう、だったのか…。自分が恥ずかしい」
「やだぁ、ノヴァったらヤキモチ?」
「っ、……そうだ。格好悪いだろう?」
「!…今日はやけに素直なのね」
薔薇園で盗み聞きしていたときの、ノヴァとマンマの会話を思い出した。
「ホムンクルスにも妬いちゃうくらいだものね♡」
「っ?!どうしてそれを…!まさか、マンマとの話を聞いていたのか?!」
「ええ♪だってぇ、二人で何を話してるのか気になったんだもん。だからお互い様よね」
「た、確かに盗み聞きはお互い様だが…」
「ヤキモチも、お互い様でしょ」
ノヴァは少し目を見開いて、彼女の名を呟いた。
「マンマに言われたの。“素直にならなきゃ、ノヴァに嫌われちゃうわよ”って」
「ぼ、僕にか…?」
エリスはクスっと小さく笑い、一輪の薔薇を手渡した。
「だから努力はするけど。ノヴァは私にもう少し優しくしてくれる?」
「えっ、あ…優しく、だな」
「…じゃ、花瓶ありがと。ピアノ、楽しみに待ってるから♡」
「あっ…」
パタンとドアが閉まり、遠ざかっていくエリスの足音が聞こえる。
「……つまり、どういうことだ…?くそっ、頭が整理できない…」
赤くなっているであろう顔を隠すように、机に肘をついて頭を抱えた。
コンコン、とリズムよくノックが響く。
「っ、次は誰だ?」
「チャオ!ノヴァ!」
入室を許可する前に、愚者は勢いよく入ってきた。
「…リベルタか。なんだ」
「いや、さっき聖杯から…って、お前、なんか顔赤いけど?熱でもあんのか?」
「う、うるさいっ!報告ならさっさとしろ!」
「はっはーん…さては、エリスといいことあったな?」
「はぁ?!」
驚いて勢いよく立ち上がると、ガタッと椅子が音を立てた。
「廊下で薔薇の花束持ったエリス見かけたし、お前も一輪持ってるし。ここに来てたんだろ?」
「それは…!ただ、花瓶を貸してくれと言われただけだ!!」
「本当かぁ?やっと付き合うことになったとか?」
「なっ…?!“やっと”とはなんだ?!まだだ!悪かったな!」
リベルタは馬鹿にした笑いをしようとして固まった。
「ん?“まだ”ってことは…お互いの気持ちは通じ合ったってところか?」
「いや、それは……!」
「なんだよ、図星か?!良かったなぁ!!そうか、それで幸せを噛みしめてたんだな!…俺もタイミング悪かったなー。やっぱいいや、出直すわ!」
「おい、待て!リベルタ、報告は…!」
呼び止める声も虚しく、彼は小走りで出ていった。
(…何故、お前が嬉しそうなんだ…)
ストンと椅子に座り、この日は仕事が手につかなかった。
悪魔と力と死神と。
「なーんか、ピッツァが食べたい気分ね」
エリスがため息混じりに呟いた。
「朝食を食べながら食べ物の話をするとは…お前はパーチェか」
「ワァオ!いいねー、エリス!俺もピッツァ食べたくなってきた!」
食い付いたパーチェに、ノヴァとルカが呆れた顔を向ける。
「じゃあさ、一緒に食べに行こうよー!最近できた店のピッツァが人気らしくてさ!」
「私の目の前で“ツケといて”なーんて言ったら、その胃袋をレイピアが貫くことになるけど?」
「ひぃぃっ!さすが相談役代理!遠慮しとく!」
ツケ前提の態度に周りは呆れ顔だ。
「パーチェ、貴方は街の見回りと称していつも食べ歩きをしているようですが?」
「ギクッ!ルカちゃん…?!」
「棍棒って、今日は午後から巡回だよね…?」
「お嬢まで!俺を疑ってるの?!今日の巡回でピッツァ食べたりしないよー!」
「…口では何とでも言えるからな」
そもそも食べ歩きをするなと言いたいが、今更すぎてノヴァも諦めかけている。
「ノヴァまでひどいよー!俺はちゃーんとエリスにも買ってきて、二人で食べるつもりなのに!!巡回のあとだから、夕食くらいの時間になっちゃうけど…」
「あら、楽しみにしてるわね♡」
「…二人で?」
「エリスの“美味しい!”って笑顔が見れるなら、お安いご用だよ!心からの笑顔はなかなか見れないからねー」
「…それは、僕も見たい」
ノヴァが照れたようにぼそりと呟いた。
「おや?珍しく素直ですね」
「だが!夕食会で食べるのならば、“二人で”というのは誤った表現だな」
「うーん、巡回から戻ったら夕食会の前に食べようと思ってね!ピッツァが冷めたらもったいないでしょ?」
「…確かに、ピッツァは熱々が美味い。が、二人で食べるというなら反対だ」
「えー!ピッツァ食べたい食べたーい!!」
パーチェが駄々をこねる。食事を終えたフェルのナイフが飛んできそうだ。
「うるさい!…しかし、そうだな…エリスの幸せそうな顔は僕も見たい」
「ノヴァ、“幸せそうな顔”ではなくて“美味しい!って笑顔”ですよ…?」
ルカの訂正はノヴァの耳に届かなかったらしい。
「というわけで、僕達の分も買ってこい」
「ええっ?!そんな…!!」
エリスはクスッと笑って、カフェ・ラッテを飲み干した。
「それがいいわね♡フェルも食べたいでしょ?」
「うん。食べたくなってきた」
「お嬢…!わかったよ、みんなの分も買ってくるよ…」
しゅんとする大型犬に聞こえないよう、ノヴァがこそっとエリスに耳打ちする。
「マーサに作ってもらえばいいんじゃないか?」
「ちょっとした嫌がらせよ♡」
「あー今すぐ食べたいなぁ…。いや!ダメダメ!みんなと一緒に食べた方が美味しいに決まってる!」
幹部長代理は一人で葛藤しているようだ。
「あぁ、お嬢様、そろそろ巡回の時間ですね」
「うん。じゃあ、行ってくる」
フェルとルカが食堂を出て行き、エリスも席を立つ。
「じゃ、私もそろそろ…」
「エリス。今日、少し時間とれないか?」
「何?今からでよければ」
「久しぶりに手合わせしたいと思ってな」
話を聞いていたパーチェが驚いて声を上げる。
「えぇっ!刀とレイピアって、リーチの長いノヴァが有利でしょ!男だし!」
(…長いレイピアもあるけど、重くて片手で扱えないから短いのを使ってるのよ)
「本当よね。私はか弱い女の子なのに」
「お前なら、刀とも対等に戦える。だから言っているんだ」
エリスは本日二度目のため息をついた。
「…わかったわよ。さっさと訓練場に行きましょ」
「行ってらっしゃーい!朝ごはん食べたばっかりなんだから暴れすぎないようにね!あと、あんまり怪我しないように!ほどほどにねー!」
「わかっている。お前は早く仕事に行け」
*
「――誰もいないみたいだな。おかげで集中できそうだ」
「からかわれながら戦うのも、精神的な訓練になりそうだけど♡」
ぐっ、とノヴァが言葉に詰まる。
「…一応言っておくが、僕はもちろん峰打ちで戦う。安心しろ」
「痣はできるけど、血は流れないってことね」
「僕はただ、腕が鈍らないようにしたいだけだ。一人で素振りするだけでは限界があるからな」
「…本当に真面目ね。まぁいいわ」
手首や足首を回して準備運動をするエリス。
「知ってるとは思うけど、レイピアはよく貴族のくだらない決闘に使われていたにも関わらず、殺傷力は低いって言われてるの」
「エリスも小さい頃から護身用として持たされていたんだったな」
「そう。実戦経験はなかったから意味ないわ」
(…両親が殺されたときも、何もできなかったし)
ノヴァは返事に困り、倣って準備体操を始めた。
「でも実戦でのレイピアは急所を狙う。命を奪いかねないから恐ろしい武器よね♡」
「…そういうところを気に入っているんだな」
「細ーいレイピアを構えた女の子なんて、たいていの人が油断するものね」
「さっきから脅しのつもりか?」
「一般論を言っただけよ?急所は外すから安心して♡――でも突きの攻撃って、手加減しにくいのよね」
「そのくらい、ちょうどいいハンデだろ」
さて、と二人は距離をとって向き合う。
「始めましょ。いつでもいいわよ」
「よろしく頼む」
どちらからともなく間合いを詰め、距離は一気に縮まった。
振り下ろされた刀をレイピアの柄で防いだ。両手で持っても腕が痺れそうな一撃だ。
(まともに受け止めたら力負けしちゃう…わかってたことだけど)
角度を変えてシュッと受け流したが、サムライノヴァはそう簡単には隙ができない。
カン!カン!キィン!と刃がぶつかり合い、エリスも真剣な表情になっていた。
「はぁっ!!」
彼女の足を狙った一閃は軽やかに跳んで避けた。キュロットスカートの前布がひらりとめくれる。
ノヴァの眼前には生足が。
一般的に空中では隙ができる。だが長い刀を大きく横薙ぎにしたノヴァにも少なからず隙はできる。
「やっ!!」
ノヴァの右側頭部に蹴りを入れて着地した。すかさず顔をレイピアで突くが、彼はギリギリで咄嗟に避ける。
「きゃっ…」
不意にレイピアを持つ右手を引かれて尻餅をつく。
「ったぁ…」
スッと刀を構える気配に、ハッとして脛を蹴りつける。
「いっ?!うわっ…!!」
ノヴァはバランスを崩し、エリスに抱きつくような形で倒れこんだ。
咄嗟に刀を突き立てることで衝撃は和らげたが、彼は明らかに動揺した。
「なっ…あっ、すまない!僕は、何を…」
慌てて離れようとする彼のネクタイを引っ張り、左頬にチュッと舐めるようなキスをした。
「エ、エリス…?!」
「斬れてたから、消毒よ♡」
顔を赤くしながら、自身の頬に触れて傷を確認する。
「え…?あ、避けきれていなかったのか」
「綺麗な肌に傷をつけちゃったわね」
「別に、気にすることはない」
「ノヴァにしては珍しく反応が遅れた気がする。私が“優しくして”って言ったのはそういう意味じゃないんだけど?」
「わ、わかっている!そうじゃない。その…お前、もう少し露出を抑えた方がいい。開襟シャツもどうかと思うが、それよりもスカートが問題だな」
話を逸らしたのかと一瞬思ったが、遠回りではあるが素直に話してくれるようだ。
「…スカートじゃなくてキュロットなんだけど。でもズボンは可愛くないじゃない?戦うときに動きにくいし」
「だが、短すぎる…!せめて、めくれないデザインにするとか!タイツを穿くとか!」
「タイトだったら、突くときの踏み込みとか動きにくいもーん。それに、これも作戦なの。ノヴァの反応を見てると、作戦成功みたいね♡」
「っ…!!」
ノヴァは顔を真っ赤にして口をパクパクしている。
「女を武器にするなんてノヴァは嫌かもしれないけど、命を守るために体を張るってことよ♪」
二人は立ち上がり、武器を収めた。
「賛成はできないが…まぁ、任務でそういう作戦が必要な場面もあるだろう。ファミリーに女性は少ないしな」
「そうでしょ?フェルだってミニスカートで蹴ったりするし、マンマは豊満な胸の谷間を惜しげもなく見せてるし♡あんなの私でも見ちゃうわよ」
パタパタと服の汚れを払うエリスの言葉に、ノヴァは何か言いたそうだったが口を噤む。
「ヒャハハ!わかってねェなァ、エリス様」
声のした方を振り向くと、いつの間にか金貨の幹部が廊下に立っていた。
「…あら♡今日はカジノじゃないのね」
エリスは努めて可愛らしい声で応えたが、目は笑っていなかった。
「あァ、ついさっき起きたんだ」
「だらしないカポだな」
「おチビちゃんは訓練場でイチャイチャしてたように見えたんだがなァ?」
「んなっ?!お前っ、いつから見て…?!」
ノヴァは動揺を隠そうとデビトを睨みつけた。
「それで?私がわかってないって言ったけど、一体何のことかしら♡」
「なァに、簡単なことさ…好きな奴は特別だってことだァ」
「は?何の話よ?」
「だァから、知らないお姉さんがセクシーな格好してンのと、好きな女がセクシーな格好してンのは違ェって話。どうよ?」
エリスは少し考えたあと、自分の服装をまじまじと見た。
「セクシーな格好してるつもりはないんだけど」
「チラリズムが逆にイイんだろ。つか、俺が言いてェのはそこじゃねェし!」
「デビト、いい加減にしろ…。それ以上余計な口を叩けば僕は容赦しない」
ノヴァは刀を握り、少し足を開いて構えた。
「おっと、からかう気はなかったんだがなァ。俺はただ…」
「ただ、何よ?」
「うらやましかっただけかもなァ。お互いがお互いの、心の支えになってる関係っつーか」
彼にしては珍しく真面目な返答だった。
(心の支え…?)
エリスはデビトの言葉を反芻し、ちらりとノヴァの横顔を盗み見た。
「…お前にもそんな存在ができたらいいな」
「ハッ、余裕のコメントだなァ」
「余裕なわけないだろう。僕とエリスがこうやって分かり合えたのはつい最近だ。お前もよく知っているだろう」
「あァ、もちろん覚えてるゼ?あれはあれで面白かったよなァ」
エリスとノヴァとリベルタが喧嘩ばかりしていた頃のことを思い出す。
「面白くなんかないわよ。ノヴァったらすぐ突っかかってきてたんだから」
「エリスだって今より嫌味で冷たかった」
「バンビーナがファミリーに加わってから色々とあったからなァ。おかげで俺達の絆も強くなったってワケだ」
「…そうかもしれないな。――そろそろ仕事に戻るぞ」
デビトは欠伸を噛み殺し、ヒラヒラと片手で応える。
「へいへい。じゃ、俺はイシス・レガーロに行くとするか…」
「いっぱい稼いでくるのよ♡」
「任せとけ。エリス様が膝枕してくれたら…もっと頑張れそうだがなァ?」
「貴様…!!」
落ち着きを取り戻していたノヴァは再び怒りをあらわにし、力強く刀を抜く。
対するデビトは早口で何やら呟いたかと思えば、姿が見えなくなってしまった。
「デビトっ!能力を無駄遣いするな!」
「独占欲の強ェおチビちゃんに一つだけ言っとくが、エリス様はまだお前のモンじゃねェだろうよ」
「っ!!」
ノヴァが動揺している間に、デビトの気配は完全に遠ざかった。
「独占欲なんて可愛いもんじゃない♡束縛とか監禁はごめんだけど」
「…すまない。僕はお前にとって何者でもないのに…その、ヤキモチばかり…」
「…私にとって…何者でもない?」
エリスは意味がよくわからず、思わずキョトンと見つめる。
「恥ずかしいからくり返すな…!」
「…そういえばさっき、デビトも何か言ってたわね」
「あいつの言葉は気にするな」
「…私はノヴァのものじゃないけど、ノヴァは私のものでしょ?」
「は?!」
サラッと放たれた言葉に、ノヴァは真っ赤になった。
「何よ、文句ある?」
「…ぼ、僕のものになりたくないということか」
「別にノヴァが嫌なんて言ってないわよ」
「だが僕はお前のものなのか?」
「ノヴァが私を優先しなかったらモヤモヤするし、私より他の人に優しくしてたら頭にきちゃう。だから貴方は私のものよ♡」
「そ、それは…エリス…」
混乱しているノヴァに、エリスは首を傾げた。
「マンマの助言通り、素直になってみたけど…おかしいかしら?」
「いや、その…驚いただけだ。――明日の夕食のあと、聖杯の執務室に来てくれないか?」
「執務室に?」
「ピアノ、あの部屋に置いてるんだ」
先日プレゼントした楽譜で弾いてくれるのだとわかった。
「…夕食会のあとは報告会があるんじゃないの?」
「明日の巡回は午前中だけにして、報告会は夕食前に終わらせる」
「あら…いいの?楽しみにしてるわね♡」
約束を取り付けたノヴァは、足早に執務室へと向かった。
悪魔と力と節制と。
相談役執務室の隣、自身の執務室にエリスはいた。
聖杯の書類はいつも安心してサインができる。
ジョーリィに伝えるべきことは特にないと判断し、次に現れた諜報部からの相談案件に目を移す。
外交などを担当する諜報部は、幹部長が率いているにも関わらず、様々な苦労があるようだ。
そのとき、パリーンという音で集中が途切れた。
ルカの研究室で実験器具が割れたか、食堂で食器が割れたか…まさか窓ガラスが割れたわけではないだろう。
「…そういえば、お昼ご飯がまだだったわね」
急いで回覧する書類もない。
仕事を中断し、食堂に向かった。
*
「あら…パーチェだったのね」
誰もいない食堂の奥、厨房にはマーサとパーチェがいた。
皿の破片を集めるパーチェを見て、先ほど聞こえた音と繋がった。
「エリス〜!ごめん、そんなにうるさかった?」
「私はただ、お腹がすいただけよ。マーサ、何か残ってないかしら」
おや、とマーサは朗らかな笑顔で迎えてくれた。
「誰かさん達みたいに、研究に没頭して食事を忘れてたのかい?」
「事務仕事に、ね」
片付け終えたパーチェと共に、食堂で料理を待つことにした。
「エリス、忙しそうだね。おれ、事務仕事って苦手なんだよね〜」
「サボった分、書類が溜まってただけよ。相談案件なんて、ほとんどがどうでもいい内容だし」
「そうなの?でも、何か困ったときに頼れる存在だからさ」
「そうねぇ…。ま、そんな私達も、困ったときは他の幹部に依頼してるものね」
頭ではわかっていても、たいしたことのない報告や相談案件が山のように届くとため息が出る。
「それに、毎日の報告書だって読んでるだろ?おれも時々だけど、幹部長代理として目を通してるよ」
「パーチェのあとに読むときは、いつも以上に注意して読んでるわよ♡」
「あ、おれのこと信じてないなぁ?!おれだって、お嬢頑張ってるなーとか思いながら…!」
「はい、お待ちどうさん!」
どん、と運ばれてきた料理に、パーチェは目を輝かせた。
「待ってましたー!ラ・ザーニアー♪」
「あら、ひよこ豆のスープ」
エリスは愛おしい人物を連想し、クスッと微笑んだ。
「ノヴァがいたら怒られてたんじゃない?」
「ノヴァがひよこ豆だなんて言ってないでしょ♡それよりパーチェ、これで足りるの?」
一般的には十分な量だが、この大食漢にそんな常識は通じないからだ。
「お昼は棍棒のみんなと食べてきたからね!でも小腹すいたなぁと思ってさ、エリスと同じようにここに来たってわけ」
棍棒の今日の巡回は午後からだと言ってた気もするが、この男の食事情を常識で考えてはいけない。
「で、食器を割っちゃったのね」
「うっ…しかも、あれってルカちゃんのお気に入りのお皿なんだよ〜!」
「呼びましたか?パーチェ」
突如背後からした声に、パーチェは飛び上がった。
「ルルルカちゃん?!呼んでないよ?!」
「あら、ルカちゃん♡ちょうどよかったわ」
「な、なんですか。嫌な予感しかしませんね」
ルカはあからさまに顔を引きつらせた。
「やだぁ♡大丈夫よ。もう手袋を奪ったりしないから」
「…最近、全く盗まれていないので、逆に不気味だとは思っていますよ」
そう?とエリスは笑みを深めた。
「私に感謝してほしいわね♡でも、その言い方だとまるで盗んでほしいみたいに聞こえるけど」
「貴女がジョーリィに何か言ったんですか?」
どうかしら、と誤魔化したエリスは、ベストのポケットから紙を取り出した。
「はい、お嬢様への依頼書よ」
「…エリスから、ですか?珍しいですね」
「残念ながら、ジョーリィからの依頼ね」
「ジョーリィですか…」
ルカは更に顔をしかめたが、以前ほどの憎悪は感じられない。
「そ♪だから、急いで渡してきてくれる?」
「わ、わかりましたよ…」
厨房にいるマーサと短く言葉を交わし、ルカは食堂をあとにした。
「――た、助かったぁ〜!ありがとう、エリス!」
「さて、どうするの?お気に入りのお皿だとしたら、すぐに気付くと思うけど?」
「正直に謝ったほうがいいよね…。でもこれから巡回だし、みんなにピッツァ買わなきゃだし…」
エリスは顔には出さなかったが、今朝のピッツァの約束をすっかり忘れていた。
(ノヴァとの明日の約束で上書きされちゃってたってこと…?――あっ、そうだ)
「だったら、ついでにお詫びの品でも買ったらいいじゃない♡」
「お詫びの品…?って、ラ・ザーニアとか??」
「…それはどうかと思うけど…シンプルに、代わりの食器でもプレゼントしたら?」
「あっ!そうだよね!似たようなお皿を探そう!」
自分で提案したことだが、パーチェが大きなラザニア用の皿を買ってくるところを想像して、エリスは口を開いた。
「…心配だから、私も手伝うわよ」
「えぇっ?!いいの、エリス?」
「ファミリーが困ってるときに、相談役が助けなくてどうするの?」
「ありがとぉぉ!代理だけどね!――よぉし!代理コンビで巡回するぞー!」
*
「こうやってエスコートされると、昔のことを思い出しちゃうわね」
歩くスピードを合わせてくれたり、話しながらドアをスッと開けてくれたりと、さりげなさがパーチェらしい。
「えっ、おれ貴族っぽい?」
「そこまで言ってないけど♡他のメンバーは基本的に対等な感じだし、デビトのはまた違うでしょ?」
でも、と否定しようとしたパーチェだったが、宙を睨んで考え込んだ。
「…あ〜、ジョーリィもルカもお嬢に対してだけかもね」
「でしょ?ジョーリィに今更女の子扱いされるのもキモいけど♡」
「ジョーリィの女の子扱いって、ちょっと馬鹿にしてるっていうかさ…」
それを聞いたエリスも、フェリチータに対するジョーリィの態度を思い返した。
「あぁ…。おじさんだもの、仕方ないんじゃない?」
「エリスには、割と雑な対応してるよね」
「対等って言ってくれる?」
ごめんごめん、とパーチェは困ったように笑った。
レガーロ島の悪魔
タロッコの封印はしたくないなぁぁ!!!でもアカデミアの設定も楽しそう…(灬ºωº灬)アルカナ2のジョーリィEDでジョーリィが視力失ったら、ノヴァが両親を目覚めさせたように、エリスが【悪魔】の力を使って視力を取り戻すって信じてる←妄想中です(*๓´╰╯`๓)