かきくけこ
「……くそが」
二日目 昼休み
別に何があった訳でもない。僕はあの後、むーちゃんと少しだけ険悪になってから家に帰った。けれど家に帰ったのは僕だけで、むーちゃんは僕が帰るのを見ていただけだった。振り向く度に恨めしそうな目付きを僕に向ける。家に帰るのを見られたくないからなのか、じっとりと僕を見続けた。なんだか、早く帰れ早く消えろと言われているようで、少しだけ、胸がジリッとやけた。
改めて僕は、むーちゃんが嫌いかもしれないと感じた。
夕陽はいつの間にか沈んでいて、空は暗い。
また、親に何か言われるんだなと思う。そんな川原。
むーちゃんの黒いおかっぱは、なびかなかった。
「<むーちゃん>の<むー>ってのは、無口って意味から来てるらしいぜあーくん」
三番の彼はそう言った。
昼休み。僕の教室で、給食を食べ終わり自席につくと。まってましたと言わんばかりの勢いで僕の目の前に立ちながら。
別にそんなに興味は無いのだけれど……。
「あーくん、あーくん。あーくんあーくんあーくん」
しつこく僕を呼ぶ。早く昼休み終わらないかな。そしたらこいつも自分の席に戻るのに。
うぜえ。
「えへへ」
キモいなこいつ。
「――やあっと、他人に興味が持てたんだね。俺は嬉しいよ」
そんなこと、思ってもないくせに。
嘘つきめ。
三番の彼はにんまりと、ではなく、むーちゃんとは別の、意地の悪い笑みを浮かべた。
「そおんな事はないさ。無関心なあーくんが、やあっと周りに心を開いてきたんだと思って、本当に俺は嬉しいのさ」
両手を広げて肩をすくめて、黒い目を細めた。
「因みに渡部さんはむーちゃんって呼ばれるのが大嫌いみたいだぜ?だから、呼ばれると暫く拗ねちまう」
そりゃそうだろ。
悪口みてえなもんだ。
「あんな風にね」
親指ですいっと、窓側の席を示した。
そこにあるのは、むーちゃん、つまり渡部くちはの席だった。
むーちゃんは顔を伏せるような体勢でぴくりとも動かない。朝からそうだ。
つまり三時間以上も、ということになる。
「なんだよ、謝ってこいってのか」
「そうだよ。彼女をあーゆー風にしたのは君じゃないか」
こいつなんかに昨日の事を話さなかったらよかった。
「別にたかが三時間――」
「――たかが三時間、だって?」
また彼は意地の悪い笑みを浮かべた。
嫌な笑顔だ。本当に。
彼の笑顔は彼の目と同じ位真っ黒で気味が悪い。
「……えへへ、すごいねあーくん。渡部さんが三時間以上もあのかっこだって知ってたんだ。凄いや、すごい進歩だよ。かなり渡部さんに興味を持ってるじゃないかぁ」
「……」
「えへへ……………好きなの?」
「あ?」
彼は笑う。
「んな訳ねーよ。いくと…………なめてんのか」
僕が凄んでも笑う。
いくとは僕の言葉には応えなかった。
予鈴が、鳴った。
まだ彼はにんまりと笑う。
「まあまあ、とりあえずさ俺は。早く渡部さんの機嫌を直してほしいのさ。なんたって―――」
彼は僕に近づき、小声で言う。
「明日の放課後。彼女にやって欲しいことがあるからね」
二日目 帰路
「私はあなたが大嫌いよあーくん」
むーちゃんはそう言い放った。
今はまだ、夕陽が出ている。昨日よりも高い。今のうちに帰ればまだ、小言を言われなそうだ。やれやれ、親ってのはメンドクサイ。
むーちゃんは僕から4、5メートル離れた位置からそう言った。
まだ、昨日の方が近かったんだどな………。
なんだか少しだけ、淋しい気がした。
ん?
あれ、何を言ってる?
淋しいだって……?
ヤバイな。
いくとが頭のおかしいことを言うから変な影響がきてる。
でも。
いくとから離れても言葉は離れない。おかしくなったのは僕の方か?
「ねえ」
「聞いてるの、あーくん」
むーちゃんは言葉を区切りながら、はっきりと発音した。風鈴のような声が、今の僕には綺麗とは思えない。
「聞いてるよ、もちろん。たけど、だからといって、僕に何て言ってほしいんだ?嬉しい、とか言えばいいのかよ。それはおかしいだろ。人に大嫌いなんて言われて、感想とか返事をするやつがいるかよ」
「私は言うわ。言ってみせる」
じゃあ。
「何て言うんだよ」
もちろん。
彼女はそう言って、人差し指を真っ直ぐ僕に向ける。
絆創膏が貼られた人差し指。
「勿論、私もあなたが嫌い」
ってね。と彼女は壊れた笑いを浮かべた。
僕は彼女に何をしたのだろうか。ここまで嫌われるのは今までに無かった。理由は、多分ある。けれども、僕にはわからない。知らない。
彼女は言い終わった後、くるりと僕に背を向け立ち去った。多分家に帰ったのだろう。昨日とは違う。彼女の行動。僕は彼女のことを遠目で見つめる。彼女の行き先は、昨日蹴飛ばしたジュースの缶のように、どこに行ったのか知らない。
僕は今日も変わらない……。
かきくけこ
「さしすせそ」へ