完全なる調和の世界で
加藤は閉ざされたドアの前で静かにため息をついた
「もう一度言うぞ。北島、そろそろ学校へ来てみたらどうだ?」
「それはできません」
「クラスのみんなからのメッセージ、持って来たんだ」
「わたしには必要ありません。先生、持って帰ってください」
「なあ、話を聞かせてくれ」
返事はない。加藤は閉ざされたドアの前で静かにため息をついた。北島は、加藤が2-Bの担任になったときから登校拒否の生徒だった。なぜ、北島が登校拒否をしているのか、加藤はそれが知りたかった。加藤から見た2-Bクラスの生徒たちは健全そのもので、登校拒否を生み出すような環境にはとても思えなかった。9月に行われた合唱コンクールではクラス全員で力を合わせ、念願の優勝を果たし、みんな涙を流して喜んでいた。北島とこの喜びを分かち合えないのが唯一の心残りだという生徒たちを見て、加藤は必ず北島を学校に連れてくるのだという気持ちを強くした。
クラスのみんなからのメッセージに目を走らせる。
「綾瀬も長谷川もみんなお前のこと待ってるぞ」
「わたしは、みんなのためにも出て行かないほうがいいんです」
「どうしたんだ」
「出て来てほしいと思っている子はひとりだっていないから」
「そんなことを言うなよ」
まさか、あの子たちがそんなことを願っているなんて。加藤は、みんな優しい子ばかりだ、と小さく呟いた。クラスで飼っていたウサギのチーコがいなくなってしまったときも、クラス一同でチーコのことを心配していた。チーコが早く戻ってきますように、と祈っていたな。ひょっこりとチーコが帰ってきたときは人騒がせなコだ、とみんな怒っていたっけ。北島がクラスへ戻ってきたら、みんなは喜んで迎えてくれるだろう。
「本当よ。みんなわたしはこのまま引きこもっていたほうが良いって思ってるわ」
「そんなこと、あるわけがないじゃないか」
「わたし、いなくなったほうがいいんだわ」
「馬鹿、そんな悲しいことを言うんじゃない」
まるで熱血教師のようだ。いままた、ああいうドラマが流行っているらしい。昨日も綾瀬がそのドラマがどれだけ面白いか熱弁していたな。いざこういう場面になるとスラスラと言葉が出てくるあたり、案外自分にも資質があるのかもしれない。
「わたし死んじゃったほうがいいんだわ」
「死んだほうがいい命なんて、ひとつだってないんだ」
そういえば、これと同じようなことをチーコのお葬式でも言ったな。いなくなったチーコは車にひかれて死んでしまったんだ。校庭の隅、みんなでお葬式をしたんだ。あれ? でもチーコは戻ってきたんだっけ? 加藤の思考がぐるぐると回る。
「みんなわたしの顔だって憶えていないのよ」
「まだ一年も経ってないんだ。忘れたりするはずがないだろ」
…北島ってどんな生徒だったっけ? そういえば加藤は北島の姿を見た記憶がなかった。担任になったときにはすでに登校拒否だったとはいえ、同じ学校の生徒だ。顔も見たことがないというのはおかしいじゃないか。なんだかとても大事なことを忘れているような、とても大事なことを思い出しそうな、不安な気持ちが加藤の胸に根を張った。死んだはずのチーコがいつのまにか戻ってきていたのはなぜだったか。
「わたし死んじゃったほうがいいんだわ」
「死んだほうがいい命なんて、ひとつだってないんだ」
これ、さっきも言ったな。加藤はそう思いながら必死に思い出そうとしていた。北島のことではなく、自分のことだ。俺、2-Bの担任になる前、何してたっけ? そもそもなんで先生になったんだっけ。混乱の中、なぜか綾瀬の言葉が頭に浮かんだ。”すっごく面白いんだよ、あのドラマ。あんな熱血先生がいたらいいねって、クラスみんなで話してたんだ”
「わたし死んじゃったほうがいいんだわ」
「死んだほうがいい命なんて、ひとつだってないんだ」
登校拒否になったクラスメートを連れ出しにきた熱血先生。加藤は自分の境遇を改めて把握してみる。まるで例のドラマのようだ。
「みんなわたしはこのまま引きこもっていたほうが良いって思ってるわ」
そうだ。”登校拒否になったクラスメート”をみんなで心配することが彼女たちの望みなのだ。”登校拒否になったクラスメート”はクラスの優しさを示すシンボルなのだ。決して扉の外に出ることは許されない。加藤には目の前の扉が決して開くことがない、扉の形をした壁に見えた。
「あれ? 先生、気づいちゃった?」
扉の前、もう、その問いに応えるものは存在しない。みんなの思う”熱血先生”はたとえ何があろうと諦めてはいけなかったのだ。
北島は、新しい先生がやってくるのを待つことにした。
++超能力者++
2-Bクラス
ESP:皆の妄想が一致すると、現実になる
完全なる調和の世界で
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