歌が魔法になる世界5
電波系歌姫と騎士のお話シリーズ。
アンダンテの早さは時代によって変わる
まだ世界が豊かな歌で満ちていた頃がありました。
それはもう、随分と昔の話で、そんな時代があったことを伝える絵本は埃を被り、誰も目にとめません。
神様と人々の間には巫女という存在があり、人々は巫女を通して神様を信じていました。
それもまた、昔の話です。
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その人が、白い廊下を歩ききると、そこには一人のオレンジ色の女性が音に合わせて歌を歌う。
幻想的な空間、彼女を囲うように水が宙を舞い、清廉な水の歌を歌うその姿はまるで何にも縛られていないように見えた。
しかし、そんなことは決してないのだろう、その目には憂いが見えている。
まるでその目とは不釣り合いに笑うから、まるで眠そうに見えるのだけれど、違う。
この娘の姉曰く、オランジュは、神への感謝を忘れたこの世界を憂いているのだという。
感謝、と言われても正直、その青年…クリストバルドにはピンとこない。
それはきっと、彼女と、その姉しか知らないのだろう。
彼はそう結論づけて自己完結させた。
只でさえも謎過ぎる娘なのに、一つ一つに反応していたらよけいに疲れるのがオチだ、と。
ともあれ、しずやかなる清廉な演奏と、その歌声はその庭に満ち足りている。
そんな光景に青年は言葉をかけるのに戸惑った。
これは本当に歌なのだろうか?
ただそこに存在している、そんな意味を成さないこれが?
だが、どこか…
どこか、このまま、聴いていたい。
そう、青年は感じていた。
しかし、この時間は長くは続かなかった。
「メェ君!」
「クリストバルドだ、オレンジ!」
青年の存在に気づき、嬉しそうに駆け寄ってくる彼女に、とっさにいつもの返事を返してしまう。
その瞬間、歌という支えを失った水達は垂直に落ちてあちらこちらに飛沫をとばし、板の飛び出た奇妙な形の箱から美しい音を鳴らしていた黒いローブの人に直撃した。
黒いローブの人は池をかこう白石の上でいきり立ち、嗄れたおじいさんの様な声で怒鳴りはじめる。
「ブホォっ!!!貴様、何をしておるのだ!!!この崇高なる私の体が頭からずぶ濡れだぞバカ者っ!!
たまには貴様の気まぐれな心をヒトの迷惑をかけない方向で働かせてはどうなのだ!?」
顔は見えずとも、いかにも怒りを全身で表すその人に向かってちょっとあっいけねっ☆とでも言うくらい軽いノリで、オランジュは後ろに振り返り、手を合わせる。
「あっ、ごっめーん!」
「……まぁ良い色惚けのミズチなど構ってられるか。私は次の歌姫の所へ行く!」
「ごーめーんってばー許して?」
「ふん!知るものか!!このバカ女め!」
緊張感に欠けるそのやりとりから、何となく親しさがにじみ出ているのは気のせいではないだろう。
ずかずかと如何にも許さないとアピールしながら歩いていくその黒い後ろ姿はふ、と途中でかき消える。
クリストバルドが首をひねると、オレンジは笑って彼に耳打ちする。
「あの人、うたひとの間をまわって楽器で演奏してくれるの。
楽器って言うのは、うたひとが歌うときによく魔法で音を鳴らすでしょ?あれを魔法じゃなくて道具で鳴らすの。
その道具のことを楽器っていうのよ。」
クリストバルドが聞きたいのはそこではなく、途中でかき消えたことなのだが、質問は受け付けない、とばかりにオランジュは構わず話を続けた。
「楽器で魔法を使える人は殆ど居なくなってしまったから、今は廃れてしまっているけれど、太古の昔は魔法ではなく、楽器で演奏しながら歌を歌っていたんだって。
私思うんだ、たぶん“かみさまのうた”を皆に歌って聴かせていたのも、同じ時代なんじゃないかな、って。だからきっと、“かみさまのうた”には演奏が必要なんじゃないかなーって。」
なるほど、と彼は思う。
ああして、演奏をしながら回っていると言うことは、先ほどの移動も黒ローブの人物の魔法なのだろう。しかし、彼にはわからない単語が出てきたのでまずそちらから聞く事にした。
「カミサマノウタ?うたひと?」
質問をし、首を傾げる彼に、オランジュは少し苦笑いをする。
「あ、そっか。まだ話してなかったっけ。…他の人には内緒だよ?」
そう言って少し大人びた、まじめな顔をして彼女は姿勢を正して口を開いた。
空気が一瞬で変わった彼女に、クリストバルドも自然と姿勢を伸ばす。
「“かみさまのうた”は巫女が歌う、神様から授かった歌のことなの。
昔々は人々が神様に感謝の歌を捧げ、神様は恩恵を歌にして人々に与える。その間を繋ぐのが巫女の役割だったのだけれど…
今は人々は神様に感謝する事も忘れて、歌姫を使って陣取り合戦に夢中なの。
神様に恩恵を受けられなくなって久しいこの世界は徐々に荒廃していってる。
そうして、また資源を取り合って、人々は争い合うの。
…私は、巫女の一人としてこの世界にどうにか恩恵を再び届けたい。
そうすれば、世界が豊かになって、人々が争い合わなくても良いんじゃないかなぁ、って思うの。
でも…」
オランジュは、しゅん、と眉をさげてうつむいた。
「神様に捧げる感謝が、もう、ないの。
今の世界じゃ、神様に、今日もありがとう、って思いながら歌ってる人って、もう殆ど居なくて…。」
寂しそうな彼女に、クリストバルドは一瞬腕を伸ばしかけて、引っ込めた。
少し迷って、そのかわりにいつもより少しだけ柔らかな笑顔を見せて彼は声をかける。
「…そんな顔をするな、おまえにそんな顔をされると調子が悪くなる。
人々の、ということは別に歌姫やディーヴォでなくともいいんだろう?
……いざとなったら、俺も…歌ってやらんでも、ない。」
その言葉に、ばっ、っとオランジュは顔を上げる。
青い瞳をビー玉の様にまるくして、彼女は口を開いた。
「…歌えるの?なんか下手そう…。」
「オイ。なんだ、その言い方は!人がせっかく思いきったのに!!」
怒る彼に、あはは、と子供のように笑うオランジュ。
その顔は本当にうれしそうで、彼は少しみほれる。
「ごめんね!嘘だよ!…ちょっとびっくりしただけ。ふふっ」
「お前な……いや、お前の言うとおり、俺は歌った事なんて一度もない。下手くそだし、魔法にもならん。やはりそれではダメか。」
ちょっとだけヒネてしまった彼に、オランジュは笑顔で言った。
「ううん、下手でも、いいの。魔法じゃなくても、いいの。祈りは上手い下手じゃないもの。ただ、歌がどんなものかがわかっていれば、それだけで、神様に感謝が届けられるのよ。
いつか、君が歌の本当の姿に気づいたら、一緒に歌おうね!絶対、約束!」
歌の本当の姿?
そう思う彼の疑問は尽きなかったが、しかし、きっと彼女はこればかりは教えてくれないのだろう、と悟る。
こればかりは、自分で答えを出さねば意味がない。
…そう、いわれた気がした。
「わかった。約束だ。必ず、答えに行き着いて見せよう。」
クリストバルドは口の端だけをあげて、笑ってみせた。
まるでいたずらをする少年の様に。
今度はそんな表情は見たことの無かった彼女が、彼にみほれるばんだった。
「ありがとう!本当に、ありがとう…。」
頬を染めて俯いてしまう彼女に、クリストバルドはまた手を伸ばしかけ、今度こそ抱きしめるかと思われたその時、ごっっと鈍い音がその庭に響きわたる。
なにごと、と顔を上げたオランジュが見たのは、明後日に跳ね返っていく拳ぐらいの石と、頭に豪快にたんこぶをこしらえて倒れていく彼、そして、般若の様な形相で此方に走り寄ってくる自らの姉であった。
「オランジュに手をだすなぁぁああああ!!!!!!」
その甲高い声は、中庭の六角形になった空へと登っていく。
あーもしかしたら、この声なら神様に届きそうだなぁ、なんて現実逃避をしながら、オランジュは姉のヴェールの腕に収まったのだった。
【歩く早さが、時代とともに変わるように、祈りの内容もまた違うのかも知れない。】
歌が魔法になる世界5
…シリーズ?