エイ
感想とかくださると嬉しいです。
つらいときに書きなぐった小説とも言えないかもしれない何かではありますが、
読んで下さる人がどのように感じるか知りたくてたまらないです
腸の午後
エイは悩んでいた。
悩んでいたのがわからなかった。
そう思っていた。うん、悩みなどなかったのかもしれないとも思わなかった。
私はただ、エイはさっきまで悩んでいたのだと今思った。
なぜならエイは私の真下で腸をぶちまけていたのだから。
私は少し広めで長めの自分の影をみながら、エイから流れるもののにおいをかいだ。
何もかもが、臭かった。
私の口、私の手、私のしっぽ・・・・。
異臭を放っていたわけでもなく、ただ、いつも通りに臭かった。
だが、悪いことじゃあない。
みんなみんな、悪いことじゃあない。
「はは」
肩のすじが妙に痛い・・・。
私は何をしているのだろう。
上空には、何かが浮かんでいる。
クジラ・・・のような、でも腹の白い、影がかかって灰色になっているその一部に
ぽっかりと穴が空いている。
その穴から、少し長くて、細い舌のようなものが数10本出し入れされている。
きっと近くにいたら、その突起と突起がずれるたび、ねちょ、ぐちゃって嫌な音がするんだろうな。
私は、そうとだけ思うとつかんでいた手すりを離し、屋上を後にした。
17年後の今日、私は殺された。
昼休憩だ。ひるきゅーけい?
はは、人生悲しいよねぇ。ご飯食べるよーんんだ。
でっぷり太った僕の体は、別に食べ物が好きなわけではない、ただ口が寂しいだけ。
健康的な、それこそジョックス的なクラブに入って汗とか汁とか相手に見せびらかすルートもあるっちゃあ、あったんだよ?それでもまぁルートとかループとか考えるのがめんどいからこうなったんだろうけれど。セレンディピティなんて・・僕の体には起こらなかった。当たり前のように、みたものに刺激され、当たり前のように、みるものに攻撃される日々。
まぁ、痛みなら結構耐えられるんだよ、意外と。案ずるより産むが易しってほんとよ。
殴られてみればこのくらいかなとか人によって基準がわかってきて、その比較で安心できたりするんだよねぇ。
比較があれば、より強くても、より弱くてもなんか耐えられちゃうんだよね。比較がないときの、こわいなぁってブルブルしてるときが一番こわいんだよ、わかる?
ヤンキー集団にコンビニ前や、電柱の近くの座れるところ(彼ら器用によくあんな場所みつけれるよね、えらいえらい)ですれ違う前がこわいのと一緒。あれみんなが耐えてるんだから結構なぐられても平気だよ。
たぶん、全自動殴力みたいなのあって、朝一発、かえってきて一発、丁度寝たときに一発(これは地味にやだ)されても、なんとも思わない自信がある。あ、あれ?それあるって?マッサージ機?ああ、そういわれればそうかも。進んで殴られてるよね、あれ絶対そうだよ。
あぁ、学校のカースト、すべてのカーストはまだわからないけれど、少なくとも学校内でのカースト制度では、頭の良さや運動能力なんてものはまったく関係ない。
その人の振る舞いによって、他人がどのように反応するかで、その人のカーストはほぼ決まる。
そして、子供時代は親の考えの気持ち悪いコピーなわけだから、いや、考えというのは正しくないのか、振る舞いをコピーしていって後付けで子供なりの理論をあてはめて『自分の考え』ってやつにしているわけだから、子供のカーストは親のカーストと同じになりやすいとも言える。
しかし、その理論、受け取り方に疑問をもったり、親が反面教師化している子供はその親となるべく同じふるまいにしないようにするので同じではなく、反対(どっからどこまでを反対というのだろう・・・裏って何ですか(笑))になってしまうのだと、そうなったと思い込んでいるいたいけな『被害者』の僕は思うのです。
そうだ今僕はご飯を食べている。飯ではない、ご飯をちゃんときちんとねっちょりした茶色の元々白いものが濁った目のようなハイライトがまぶしくて、そしてナウい唐揚げを口にほおばっている。コンビニでしょう、どうせ?
いやいや、僕みたいな被害者はそんなコンビニエンスみたいなところにいけるわけないでしょう?わかっている、そこんとこ。
行動するって、学校の外に出て買いに行くなんて、どんだけの比較ない状態においこまれる可能性があるのかわかる?
すべてその人のさっきまでの感情と、それ以前の反復行動によって形づくられた自分というものの発露をしめすためと、新たな自分形成のきっかけをお前に与えてやるぅ!といわんばかりのパンチをくらうのは、正直ちょっとしんどいなと思うのです。
唐揚げの話をしていたね、僕がいったいどこで唐揚げを手に入れたか。その話をしていたね。
なに、簡単さ、僕は魔法ってやつが使えるんだよ。
・・・ってここで、実は魔法ってのは、と語りだすと思うでしょう?
それか『ぴゃぁあああ』とか謎の生物の鳴き声が聞こえて肩に乗ってきて僕の唯一の友達を紹介するね、こいつは・・・とか語りだすと思うでしょう?
時間は有限なのです。なのです。だからこう考えて唐揚げとかいろいろほおばっているうちに昼休憩は終わったのです。
僕は今から5限にいかなくちゃいけない。
言い切れない程の物語
びぃろ~りぴぃろり、ぴゃぁあああ???
あんま動くと痛いって!ほらほら、足をこっちに向けて!!
でもですよぉ~先生!
私なんかなんか、うわぎゃぁ~うぎょうぇ~って言えるかなって思って
それに必死になってただけですよぅ。
なのになのにぃ~!勝手にぺろりってはがれたのですよぅ!
はいはい、痛かったね。もぅちぃっとだから我慢我慢。ほら今度はこっち!
ぴょぁああ~~!
日枝光は魔法が使える。
いや、彼女自身が魔法とも言えなくもないが、つきつめて考えると魔法が使えると言ったほうがただしい。
以下、彼女と保健室の先生との会話である。
ここで諸君に彼女の魔法がどんなものか知ってほしい。
せ、せんせぇさ、イトシノキミっている?
あん?
いとぉ~しのきみ!
あかる、教えて信ぜよう!
愛しの君何回も言うときよしこの夜になるんだよ!
ぴょ!?いとしのきよしいとしのこのよるいとしのきこのよるいとうしろ・・・・・
ぴゃぬぬぬ!!
きよしね!
きよしがイトシノキミなのね、先生!
ははは!私のトリックにひっかかったか若造め!
正解は伊東四朗でしたぁ~!ざんねん、むね~ん!
・・・
まぁ、冗談はさておいてだな、この足出すのやめてくれないか?
にゃんで?
今は真夏!真夏といえば汗!汗といえば腋臭!
腋臭を隠すための汗の重ねぬりはまるで厚塗りのファンデーション!
ってことで脇の間にそのぬめぬめしたものを絡ませると私の悩みの種である脇汗は隠せるが、
あかるの体温で私の汗は吹き出ることになる、そうすれば塗りに塗ったファンデーションのほうがヤバい。
わかってくれるか?
ぬぅん・・・。
もちろん、わかってくれっていっても、はその足をひっこめてほしいわけじゃあない。
に?
先生ねぇ、与えるのがすっごく好きなの。
だから、今から光に魔法を与えて信ぜよう!
にぱぱ!?
はい、賢明な諸君はもうわかってしまったかな?
・・・だろうね、このぉ、賢明ちゃんめ!おちゃめさんなんだからぁ!
とにかく光は魔法が使える。
いや、彼女自身が・・・(以下略)
話があうやつなんていない。その言葉を聞くと笑っちゃうよね。
自滅してくのはあんただよ、ばーか。わかってんのか、お前、そこのお前だよ。
単にてめーは疲れてる。疲れてるんだ。うつのやつがうすっぺらなように・・・
何人いると思ってんだ、その中でお前の実存を満足させてくれるような話題を提供してくれることなんて
あったか?そして、その会話は何になる?続くのか?近ければ差異しか見えない。
人をみれば、僕のつかれが見える。あらかさまに僕は今疲れている。
だってこんなにうがーってなることがなかったし、ウガーってなったのを認めたくないからの行動のほうが
強力だなぁなんてことを考えてもどうしようもなく宇賀ーってなるのをおさえきれなくて、というかおさえきれてると思っているからやっかいで、人って所詮そんなもんだよね、というぐだぐだ感を認められれば楽なんだよ、投げちゃえば楽ってなことで、僕は私は今物理的に投げてみた。なにって?そりゃあ・・・・人。
・・・なわけないよ、わらっちゃうテンプレ人間みたいに僕は狂っている訳ではないのだよ諸君。
僕が今投げたもの、それは魔法のステッキさ・・・。
そう、僕もまた魔法が使える一人。
そして、説明者でもあり、殺人者でもある。
僕は知っているわけではない、しかし、僕が語り直さなければ、誰もやってはくれないのだ。
理由はある。だが、今言うのは無粋だ。
さて、物語を始めよう。
僕が作った物語。・・・とは言い切れない程の物語。
再誕とはいうけれど
「しにたい、もうやだ」
僕はこの言葉をいつも吐く。まぁ、なんだっていい。
ただ、感情が高ぶれば何でもいいのだ。
僕は言葉の力を信じている。
知っているかい?どっかの偉い人がした実験で
老人っぽいキーワードや快活を連想させるキーワードを
ただみるだけで、その人たちが部屋に出たときの速度が違うことを。
その時の感情は記憶に残らないが、行動は習慣になり、周りがそれを規定し、自分のアイデンティティに加えるんだとしたら、
死にたくないときでも、死にたいってつぶやき続けることで、僕は僕になっているのかな。
僕はもうどうだっていいんだ。
道行く人が早歩きに見え、同じ行動と同じ言動を繰り返し、看板持ちのあの年老いてでっぷり腹の出た醜いおっさんは今日もあそこに立ち続けている。そこだけが止まって見え、僕は吐きそうになる。(しかし決して吐かない)
ここはどこだ、と聞かれれば何なく答えられる気がする。ガイジンに尋ねられたって、なんとかジェスチャーでできる気がする。
しかし、今はもうどうだっていい気分だ。
僕は歩く。学生服におさめたはずの僕の腹の産毛がかすれるのが妙に気持ち悪い。
お腹から銃を取り出しているところを想像する。
めちゃねちゃな粘液とともにその銃口を口に加えられたらエクスタシーに達して死にそうだ。
もしその粘液に自分の脂肪が、白いてかてかしたぷりっぷりっの脂肪がついていて、僕の中に戻ろうと食道を我れ先にとふせいで、それを蹴散らそうと僕が銃口をぶっぱなしても、僕は・・・・死なない。
いや、実際には絶対死ぬんだよ?でも、もしそうしても僕はどうしようもなくどうだっていい気分をぶちこわすこともできないままなんだよ。それは、死なないのと同じでは。
また僕aとか僕xとかが出てきて同じようするんだ。
看板持ちのおっさんの腹を殴りたいと思う一方、知り尽くしてしまった彼の着てる服のローテションに一着新しいのを加えてあげたいと思う気持ちを抱えながら・・・。
僕は歩く、僕はとにかく歩き続ける。
じっくり考えたってなにもない。よくわからない鼓動を抱えながら僕は歩き続けた。
僕のこと知ってる?なんてアイデンティティクライシスに陥っているわけでもない、けれど、そういってしまいたくなる時もあるという風な言い訳をわざわざつくって、僕はこの言葉を吐いていた。
「知っている。」
そう答えた少女はどことなくエイに似ていて、僕は・・・泣いていた。彼女は何か差し出した。
差し出した途端、そのものは少女の手から離れ、宙に浮かんだ。
僕はいたって普通に、いや無意識といっていい程自然に、目の前に浮かんだ粘膜状のものを手にとった。口に含む。味は・・・しない。
こうして僕は殺人鬼になった。そして新しく誕生した。
軟体生物あかりん登場☆
日枝明里は軟体生物だ。
そして魔法使いあかりんだ。
彼女はそっと靴を脱ぎ、おぼつかない手で丁寧に靴を揃えて、端に置いた。
テレビの音が漏れている。申し訳ない程度ってレベルではない。まるで玄関にテレビがおかれていると錯覚するほどだ。
格子戸を音がしないように開ける。台所兼居間が見える。その奥で、座った年老いた老婆と、でっぷりと太った中年女性がテレビの前に座っている。
あかるの母親と、母方の祖母だ。
テレビを見ているようでもあり、そうでもない。目をこちらに向けようともしない。
そりゃそうだ。耳が遠い老婆と一緒に生活し、彼女も耳が悪くなってしまったのだから。
いや、細かく言えば違う。母は生まれてからずっと祖母と生活しており、祖母の耳が悪くなったのだ。
そして彼女もそうなった。いたって自然の成り行きだ。その圧倒的な許容があかるには恐ろしくてたまらなかった。
なぜ、テレビの音を制限しようとしない?母は祖母が二階で寝ていても音量を変えようとしなかった。
私が少し下げてというと、「おばあちゃんが音量の変え方を知らないでしょ」と却下された。
なぜ、教えようとしない?母親は最初から諦めきっているようだ。祖母のことだけではなく、あらゆることを諦めているし、許容している。
諦めと許容は違うという。そうかもしれない。そして母もどちらでもないのかもしれない。
彼女は起きたことすべてをすぐ自然の状態だと思えてしまうのだろう。客観的な意識が欠けている。
あかるには学校で、チョコレートや、パンを少しずつ食べるクラスメイトくらい理解できなかった。
彼らはなぜそんなに余裕があるのだろう。なぜひとかけらで満足できるのだろう。いつそのひとかけら分を体が欲しているのかと理解できるのか。考えても考えてもよくわからないのであった。
居間兼リビングを抜け、きしむ階段をのぼる。物置権あかるの部屋に入る。物置と自分の部屋が一緒になっていることを彼女は知らない。母親も祖母も知らない。皆、都合良く解釈している好例だ。
ランドセルを脱ぎ、学習机の上に置く。小綺麗に整頓された机だ。机の上に敷いているシートには知らないキャラクター三匹。一見悪趣味な色のねずみのようだが、タマネギのようなフォルムの頭が明里に安心感を与えてくれる。ピンク、青、黄色の同じ顔をしたそのキャラクターが足や手を前に出して元気よさをアピールしている。
丁度、あかるが置いたランドセルがキャラクターの胴体部分を隠していて、真紅のランドセルの上からキャラクター三匹の笑顔が覗いている。
あかるの部屋の六畳のうち、二畳は服や布団を入れた箱が堆く積まれている。
あかるのために新しく購入されたものはランドセルのにある教科書類、学習机の中の雑多な文房具類、布団で寝かせているぬいぐるみしかなかった。ランドセルや学習机は母親が祖母に買ってもらったもののお下がりだ。 母親が買おうとしなかったわけではなく、あかるが、そうした方がお母さんが喜ぶと思っての判断だった。
あかるは本を読まないが、古書の埃っぽいにおいが大好きだったし、何よりおじいさんが死んだばかりで迷惑をかけたくなかった。
今では買ってもらったほうが良かったと後悔している。母親が自然に受け止められる前にそうすればこんなことにはならなかったのに・・・。
ポカリが買えない
入学式の日。母親に連れられ、意気揚々と学校の門にくぐった。体育館にパイプ椅子が並べられ、そこにちょこんと座った。
先頭には黒いスーツに身を包んだ中年の男性が「一年一組」という赤い旗を持って座っていた。あかるはその旗に強い不安を感じた。
母親とは離れて座らなければならなかった。後ろの保護者席を何度も何度もふりかえって母親の姿を探した。
しかし、六百人以上もいるであろう体育館の中では、とうとう見つけることができなかった。
次に教室に入ると、皆が机の上にランドセルを置いていた。あかるは手ぶらだ。自分の名前のシールが貼られている席に座り、爪と指の間の皮をはいだ。あかるが不安になったり、緊張するとしてしまう癖だ。
幼稚園で友達が出来ず、寂しくて皮をはぎすぎたことがある。血だらけの手をみて先生は驚いたが、迎えにきた母親のむっとした顔は今でも鮮明に覚えている。
あかるが着席して四分もしない間に、中年の男性が教壇の方の扉から入ってきた。体育館で、赤い旗を持っていた人物だ。
いかにもベテランで、ネクタイがもったいない程似合っていなかった。いや、ふさわしくないといったほうが自然だ。
彼には、高そうなネクタイやネクタイピンでコーティングする必要性が感じられなかったのだ。それはベテランっぽいからとか、中年だからってわけではなく、なんとなく違和感があった。そういう人はいつも、どの場所だっているものだ。
彼は入学おめでとうのあいさつをし、教科書の山を科目ごとに教壇に並べ始めた。
あかるは彼の話を聞いて三つ理解した。
一つ目は、入学式の案内のハガキが届いていたこと。二つ目はそこに教科書を配るのでランドセルを持ってきて下さいと記載されていたこと。三つ目は、それを母親が忘れていたこと。
あかる以外のクラスメイトたちは、もらった教科書を嬉々としてランドセルの中にいれている。教科書のことなんか知らないし、今分かっているのは表紙のイラストと文字だけなのになぜ、クラスメイトたちはあそこまで喜んでいるのか。あかるには分かっていた。
あかるはランドセルの重みが羨ましくてたまらなかった。あの背中にくるあの重み。結局彼女は手に教科書をいっぱい抱えて帰ろうとしたが、どうも持ちきれそうになく、幾度となく落としてしまった。何度も学習し、積み重ね方を変えたりしたのに、肉体の限界は残酷だ。
仕方がなく、理科の教科書だけ持って帰ることにした。偶然一番上に積んでいたからに他ならないが、帰り際にぱらぱらめくると、イラストがたくさん載っていてあかるをわくわくさせるには充分のものであった。
気づくと小学校に立っていた。僕の母校?なわけない。
まったく知らない、見たことのない小学校だ。
どん、と後ろから押された。びっくりして振り返れずいると、黒のフォーマルな服でまとめた三十代くらいの女性が「あら、ごめんなさい」と言い、ランドセルを背負った子供を連れて奥に進んでいった。それより僕死んでなかったんだな。実体はあるようだ。
周りを見渡すと、四、五組くらいであろうか、さっきの女性と同じようにフォーマルな服装をまとった女性が、十歳にも満たないであろう幼いランドセルを背負った子供を連れていた。
彼女達は学校の中に併設された、おそらく体育館らしきところに続々と入っていく。
「入学式・・・?」
僕は、人ごみに逆らって小学校の外に出た。
知らない・・・。歩いている人も、見渡す限りの簡素な住宅街も、まったくと言っていい程知らなかった。
唯一、知っているものといえば、小学校の門を出て、横断歩道を渡ったところにある自動販売機のコーラとポカリスエットのみだった。
急に喉の乾きを感じた。しかし小銭を持っていなかった。ポケットに財布を入れていたはずなのに。どこかで落としたのだろうか。
ふう、落ち着こう。僕は・・・僕は自らここに来たのではなかったか?
とたんに記憶がフラッシュバックするーわけもなく、なんとなくそんな気がしただけだった。
あまり自分の意識を信じないことだ。後付されて、妙に納得してしまうだけだ。そして実際にしてきたことなど分からなくなってしまう。
しかし実際にしてきたとはなんだろうか。誰かがそれを証明してくれるわけでもないというのに。事実なんて物語にいらなければ捨ててしまえばいい。そして新しく作りなおせ ばいい。いつだってそうではなかったか?
とは言っても今どこにいるかという現状把握は必要に決まってる。
どうやらここは、見るからに田舎だが、森の豊かな僻地ってわけではなさそうだ。どこかに地図や、売店があるはずだ。よし、歩こう。その前にポカリを・・・あ、金がなかったんだった。
わかりやすくてつまらなくて
「M県T市」
驚くほどあっさり地図は見つかった。
現実にある土地だ。僕の住んでいるY県に近い。とりあえず一安心だ。よかった。僕の頭が創りだした幻想世界ではないようだ。
「ランドセルのない子。かわいそうな子」
また頭の中で声がした。また・・・?あれ?前にしたのはいつだっけ?もう少しで思い出せそうな気がするんだけど。
聞いたことある声だ。当たり前か。前にしたことがあるもんな、あれ?いつだっけ?
ん?今僕が声に出してる?ううん?そんなことないよね。うん。
「とりあえず今は帰宅しよう」そう心に強く決めた僕は、目の前の地図看板で駅の場所を確認する。
幸い駅はここから歩いて二十分くらいだ。いつもは二十分も歩くとなると憂鬱で、股ずれも悪化するから避けたいところなんだけどまあ一応緊急事態だし仕方ないよね。あ、金がない・・・まあスリに合ったっていおう。なんとかなるでしょ。お金はあとで絶対払うし。なんなら電話番号だって住所だって本名だって駅員さんに教えちゃうよ僕。うん、たぶんなんとかなるよね。まあめんどいけど歩くか。
「かわいそうな子、か」ふいに忘れかけていたことを思い出した気がした。
僕はいつもそういわれてたような・・・母親に?いや・・・誰だったっけ?
三十代ぐらいだろう。いや見方によっては五十代にも見える女性が、地べたに座っていた。
地下鉄の電車が通過する音はうるさい。それにもかかわらず、彼女は一点を見つめて苦しそうに顔を歪めて微動だにしない。ホームとホームの間の小汚い椅子がすぐ近くにあるにも関わらず、自動販売機の裏の柱にもたれかかっている。添え木のようなひどく痩せこけた体を投げやりにほおりだして、肩まで伸びたちぢれた髪を一定の間隔で触っている。半年以上前に明らかにパーマをかけたであろう人工的なちぢれ毛が異様に不自然だった。
彼女は何を感じ、何を思い立ち、どんな姿で、どんな声色で、どんな樣子で美容院に頼んだんだろう。人間の想像できない色気が怖かった。
女性を窺うようにして六歳くらいの女の子が立っている。深い青のワンピースは絹のように滑らかで、普段着ではないことが一目で分かる。赤いランドセルが不自然なほど光っているように感じた。丁寧に揃えられた教科書がその中に入っているのが見える。痩せぎすの女の子の体には不釣り合いなほど背筋を伸ばし、少し首を曲げて女性を見ていた。親子なのだろうか。彼女も入学式だったのだろうか。そう考えるのが自然なようだが、何かひっかかった。僕はというと、かろうじて白色だと認識できる二線の内側に入って電車を来るのを待っていた。
周りに人は女性と女の子しか居ず、等間隔にあいた自動販売機のまだずっと奥に二、三人居るのが見受けられた。
僕は彼女らに背を向け、手書きで書かれたお粗末な時刻表を思い出そうとした。丁度さっき僕が到着すると同時に地下鉄が通り過ぎただけで、一向に来る気配がない。
さて、何時だっただろう。線路の奥のフェンスには気の遠くなるような歯医者の大きな看板がかかっている。なんて投げやりなイラストだ。
なぜこの手の看板はいつもいつも歯がゆさを隠そうとはしないんだろう。虚しくならないんだろうか。苗字に犬が入っているだけで、犬に医療器具を持たせ、医者の格好をさせるなんて。その犬は決まっていつも茶色と白だし・・・犬っていうものを舐めすぎていないか。電話番号まで中途半端に「ワン」をつけていて、何かしら描いてるほうも、頼んでいるほうも謎の安心感の共有が感じられる。なんかここまでやってれば安心だ。みたいな。あほか。
「う・・・ぁ・・・」
僕が歯医者の看板から、その隣の眼鏡屋にターゲットを切り替えようとしたその瞬間、背後からうめき声が聞こえた。
野太い声だ。とても女性が発したとは思えないが、目の端でとらえた限りでは予想通りあの女性が発していた。
泡を吹いていた。目は焦点が定まっておらず、柱にもたれた背中を上下にこすりつけるようにしながら荒く息をしている。前につきだした両手の指の関節という関節を思い切り曲げ、怪獣ごっこをするような滑稽なポーズをとっている。
「ああ・・がぁっ・・・があああ」
泡を吹き出した口からよだれが次々と溢れでて、目からは幾筋の涙がつたっている。
僕は何もその場を動けずに、どうしようという気もおこらず、ただ見ていた。
その時ふと視線に気付いた。少女だ。ランドセルを背負って、女性の姿を伺っていた少女がこちらの方をじっと見ていた。
今までは気付かなかったのだが、その女性にそっくりだった。ただ、それよりもっと、魚のエイに似ていた。
空虚な目だった。何も訴えかけていない。助けなんて求めず、悲しそうでもなかった。感情が読み取れなかった。
親戚の葬式に無理やりつれてこられたような顔をしている。目には見えないが悲しいときにとる態度を学習しているような、そんな表情だった。
しかし、自分が思い込めば、助けてほしいと訴えかけているような目でもあり、なんというか・・・無表情だった。女性が激しく震えたと思うと、彼女のスカートが湿り、水が線をつたって溢れだしてきた。水は目の前にいた少女の足を濡らしながら進んでいく。失禁した水たまりの中の泡がきらめいて妙に美しかった。
僕はどこか冷静だった。いや・・・いつもか・・・僕はいつも・・自分が・・いや、何もかもがよく分からなかった。自分の感情さえ・・・なんかううん・・・なんか・・・やだなこういうの独白みたいで、すっごく恥ずかしいからやめよう。ほんと、狂ってしまったといえば聞こえがいいが、あああ、結構普通っぽい人でも狂うんだなあとか、見るからに薄っぺらで趣味とかなにもなさそうなこんな人が狂うなんてなんか・・そんなもんかぁとか何とかしみじみと感じた。
分かりやすい狂った表現で、見てるほうが笑っちゃうくらい・・・あの少女も見るからにホラーっぽいし、ああ・・・何だかつまらない・・つまらなさすぎる。
もっともっと、僕をわけわからなくさせてくれ。もっともっと・・・僕を・・・ああ、あほらしい、やめたやめた。
僕は普通に地下鉄に乗り帰宅した。なぜかその日はよく眠れた。よかった。運動するといいことあるんだな。アーメン。
テロップの装飾は基本何時間かけてつくるものなのだろう
まじめな道徳家が、地獄を創造したように。道徳なんて使い捨ての道具だろう?ものさしの1つにしかすぎない。それが100円均一商品のように、安価で誰でもが手に入るから、みんながそれで図っているだけ。もっと世界はカオスだろうけど主観は恐ろしく狭いんだ。
利他的な行為と、自分の意思というものを一致させた方が生きやすいのはそのせいだ。
二つの一見矛盾を、本気で信じるしかない。
こんなことを考えるのは思春期だからって?若いからだって?世の中はうんぬんだって?罰しないと罰しないと罰しないと罰しないと罰しないと・・・だって?
劣悪な生育環境だ?ネグレクトだ?母親の愛だ?だからっていつまでそんなロマンを信じるんだ。そんなもの鶏が先か、卵が先かを思い悩むようなもんだ。
良い悪いなんてないだろう?そこにあるのは判断しかない。そしてその判断も意思なんてものはない。
言葉のように伝わりづらく、今日の朝ごはんのように自然に無意識に行われるものだ。 そうだろう?
僕の隣で彼女はテレビを見ている。ゴールデンタイムのバラエティだ。時々たるんだ頬が少し緩む程度で、声をあげて笑ったりはしない。
なるほど、上品なおばさんだ。笑うときに眉を八の字にさせ、くぼんだ目の影をさらに濃くさせる癖があるようだ。若いころはやや愛嬌のある顔のせいで、好意を寄せられることは少なそうだが、今は年齢に合ったとても魅力的な表情をしている。
僕はといえば、テロップの装飾の過剰さが気になって上手く入り込めなかった。くそ。あの文字ひとつつくるのに2時間はかかりそうだ。まったくいい仕事だ。
すると彼女と目が合があった。そらす。目が合う。目を見開き、眉が八の字になる。自分の脇腹を見る。脇腹に刺さったナイフを見る。
眉がさらに八の字になる。目が合う。目が合う目が合う目が合う目が合う目が合う目が合う目が合う目が合う目が合う目が合う目が合う目が合う・・・
彼女が僕の肩にしなだれかかってきた。
僕はその頭をそっと右手でさわり、さっきのバラエティ番組を見る。やはりテロップの装飾が気になった。
僕と不良とインスリン
「うん、飽きちゃったな。」
殺しはもう飽きた。何より面倒くさい。このエネルギーを勉強に使ったほうがいいな。うん。そうしよう。
やめた。飽きた。もう・・・何もかもとっくに飽きていた。「あえてやるんだ」と誰かが言った。
そうか・・・そうですか。僕はもう飽きてしまって・・・単に疲れているだけだとも思うけれど・・・もう言葉とかどうだって良くて・・・怪獣とか、うん、怪獣かな、そういうのとかきてくれて侵略・・・いや、それも飽きそうだ。なんだろ・・・やはり行動したらいいのか、ううむ・・・考えるから飽きるのか・・・虚しいというか飽きたという方が正しい。ああ・・・この温度、鏡見るだけで吐きそうになる顔。
いつまで僕なんだ。今日も僕なのか。ああ普通に学生生活に戻るか。ああああああああああああああああああああああああああああああ。
これが承認に飢えているやつなのか?僕が少女だったらよかったのに。少女だったら、さっき読んだ漫画のように、医学生の実験体になって、変な注射を打たれまくって、それでも「まぁいっかーエヘヘ」って笑うと、医学生が少しだけ感情を動かしてくれるのに。 へぇい、陳腐って言うなー。美しいじゃんかあ。ああ・・・それより咀嚼しよう。唐揚げがふにゃちんすぎるっっ。どんだけ醤油かかってんだこれ。ご飯がたりないって。いちいち気になるなあ。
お昼ご飯の時間です。僕はやはり唐揚げ弁当を食べています。別に他に何をしているわけじゃございません。
そうそう、唐揚げの話は前にしたよね。どこで手にいれたか。僕は魔法が使える・・・なんてエラソーなことぶっこきましたが、いいえ、全然、まったくもって使えません!すみません。一限目の休憩中に学内の売店に行き、買うだけです。
朝のホームルーム前が理想なんだけれど、ちょうどその時間になるとちらほら朝ごはんを買うやつがいて鉢合わせちゃうし、そもそもお弁当が出来ていなくてパンしか置いてない。二限目終わりになると弁当の種類は豊富になるけれど、不良と呼ばれるものたちが自動販売機前でたむろしだすから、見た目的にインパクトのありすぎる僕みたいなやつは格好のターゲットになる。まあなってもかまわないんだけれど、多分授業に遅れることになるし、授業に行かないと落ち着かないタイプな僕は、そういうことを考え必然的に1限目終わりに焦点をしぼったってわけだ。うむ。
ここの学校の不良は朝から元気で困る。だるさを必死で演出しているが、ほとばしる若さには勝てず、糖分を補い、血糖値を上げてインスリンで下げて、それをだるさの演出パワーに捻出しないといけないようだ。努力とはそういうものなのだと教えてくれる。大変ご苦労です。
でも、僕だって努力しているつもりだ。悲しいかな、いつも努力をしつづけないと生きていけない。
悲しくないか。さて、昼休憩もあと5分。 そろそろ教室に戻ろうか。次の授業は現国です。
たしかあのときっていう回想はだいたい後付け
白い、溶けかけのチーズのような、滑りのある体が光っていた。
哺乳類の体。クジラのような巨大なフォルムが、教室の天井近くにぽっかりと浮かんでいる。
いや、教室全体を覆っていると言ったほうが正確だろう。影はある。が、他のやつらは気づいてない。
窓から入る日差しを浴び、体の表面を幾重もの斜線が色彩を変えて光っている。
たった今水から出てきたかのようだ。よく見ると体中に古傷のような切れ目が入っている。
そして何よりも奇妙なのは、体の中央に記号的といっていいほど丸い穴が空いていた。
直径五メートルくらいだろうか。真っ黒で中に何も見えない。
ああ、一番後ろの席で良かった。全体が見渡せるなあ。
僕がこの光景を目にして思ったことを包み隠さず言おう。
見た瞬間「まただ」と思った。そしてそう思うと同時に僕は混乱した。
記憶が取り出されるのが遅い。曇った薄汚いガラスに古い血がこびりつき、何かの悲鳴を伝えているように・・もどかしい。
また・・・?そう・・・まただった。
・・・青い空。
人がいない。
昼休憩。
そう・・・そうだった。
前に見た時、あれは校舎の外にいた。前に見た時は屋上より三百メートルくらい離れていた場所にあったっけ。
とにかく猛暑だった。
彼女の半袖を見ていた。彼女?誰だっけ?
ああ・・・ああ・・・そうか、そうだったのか。
あれが僕を小学校に飛ばしたのか。
ーたしかあのとき
恵理子、屋上いこ
あかりーと呼ぶ声が聞こえる。直ぐ側、っていうか隣にいた。
「ん、なに」
シャーペンで消しカスを刺しながら反射的に声を出す。
「あかりんはさ、帰んないの」
「この日誌かかなきゃ帰れないの」
「ふうん、こういう制度、あったっけ」
まただ、知ってるくせにとぼける。
「ん、あるよ」
「ああ、あったあった。日直ね!私が周って
きたのは何年前の話だったっけ。遠い昔の
ことのようだよ」
「君は休みがちだからね。というか日直の日
を見計らって休んでんじゃないの」
机をバンと叩く。
「おお・・・病弱な私がそんな姑息な手を使
うとでも?」
「嘆かわしい・・・嘆かわしい・・・」
ゲホッ、ゲホッと大げさに咳き込み、あかるの机に手を置いたまま地面に座り込む。無視して日誌を書き続けることにしよう。無視されたほうが彼女は嬉しいようだ。
穴あけパンチで二つの穴が開いた紙に黒い紐を通して縛っただけの簡易的な日誌は、手垢にまみれ、ある箇所から1穴が破れ、紙が千切れかかっていた。
こういうの千切れかかった部分を見ると、無償に千切ってしまいたくなる。なんでだろう。
昔から、蚊に刺されやすい体質だった。
そのせいで出来たいくつもの瘡蓋を「出来ている」ものから「出来ていない」ものまではがせるものは全部剥がした。
「出来ている」「出来ていない」の基準は簡単だ。血が固まって盛り上がり、周りに腕の皮が薄く被さっているものが「出来ている」瘡蓋で、血は固まっているが、血の量が少ない、もしくは、傷が深く、凹んだ傷口部分に血が溜まっていて固まっているものが「出来ていない」瘡蓋だ。
剥がせずにいられなかった。
体中あちこちに離散している血の斑点は、遠くから見ても分かる程目立った。肌が白いせいだ。
最初、幼稚園に入園した頃は、母親も体中血だらけになった私を見て、心配し、悲しんだ顔をみせた。
しかし、しばらくそれが繰り返されるにつれ、母の態度は変わっていった。
私を気遣う言葉をかける保母さんをばつが悪そうに見ると、「帰るで」とだけ言って私を見ずに歩き出した。
私が性懲りもなく、いかにも痛々しげそうな血を流し続けることによって、自分の気を引こうとしていると思い込んだようだった。
そうじゃない。そうじゃないんだ。そう言いたかったけど、少しも自信がもてなかった。
やっぱり、みてほしかったのかもしれない。でも、そんな目的ありきの行動はつまらない。もっと私は深淵にものを考えられ、世界はもっと広いんだ。と思い込みたかったのかもしれない。意味はいつだって、解釈の層を厚塗りし、馬鹿に明るい壁をした家のような、嘲りを持った態度で私を待ち構えるんだ。
私はそんなの信じない。信じないったらありゃしないのだ。
母は、「我慢できないの?」とだけ言い、そのまま前を向いて歩き出した。それ以来、時々しか手を握ってくれなくなったなあ。
そして、私を怒鳴りつけたりした後に、急に優しくなって握ってくれることが多かったなあ。
後ろから、迎えに来た園児を乗せた車が追い抜いていく。私は母の少し猫背気味の背中を見ながら、人はドラマみたいにちゃんと服を着ないんだなあとしみじみ思った。ありゃりゃ、何の話をしていたのかしら。
教室に2人だけ。恵理子はちょっとだけ大きな声で喋ってる。私は少し愛おしく思う。だって、「誰もいないとき、部活で仲良い人だけがいるとき、家でいるときだけよく喋る、私はそんな子じゃありません」って言わんばかりの、普段と変わらない感じを演出しようとしてしきれないあの感じ。
恵理子はやっぱり可愛い。もうもうもう可愛いなあもう。
分かっているのかなあ。週に1度、私が恵理子をオカズにマスターベーションすることは、恵理子に深みを与えてあげていることなんだよ。
恵理子のその脳天気な顔を見ていると、子供っぽいいたずら心がわきでてくる。
あの、悩みを打ち明けると、真剣なアドバイスを言ってくれる人を、「でも」で全部返したくなるあの感覚。
こちらもつらいんだけれど、その感覚が痛気持ちいいんだよねぇ。ついついやっちゃうよね。うんうん。
恵理子がしてやったかのような目を浮かべてこっちを見てくる。見るな、暑苦しい。
「中村がさぁ」
「やめろ。知らん」
「だって中村がそういったんだよ?私じゃないもん」
中村のことはどうだっていい。さっきの顔がむかつくから、とにかく否定したくなっただけ。
私は目の前の日誌を閉じ、恵理子の肉厚の手をみていった。
「恵理子、屋上いこ」
キスはうつの味?
「もう仕方ないんだよ。」
「何かうつの人っぽいよ、それ。」
「あはは。嫌い?」
「どうして?」
「なぜ、きくの?」
「なぜって・・・」
「何を基準にしたいの?私?」
「嫌いじゃないって言って」
「嫌いじゃない」
「そっか」
「あんたばかだね」
「そっか」
「死ぬの?」
「ううん、やめた」
「ふぅん」
「嫌?」
「死んじゃえ」
「そっか」
「じゃ」
「なんで?」
「え?」
「良くわからないな、やっぱり良くわかんな
いや。私、このまま会話を続けると引き止
める方向に言っちゃうんだとおもう」
「そっか」
「DV嫁になりそう、私、将来」
「あかるん」
「何で謝ったりするのかな、いや、心の平穏
なのかな。私、そういうの欲しいのかな」
「あかるん」
「私、どうしたらいいかなあ」
「うぅん。とりあえず、どうしたいの?」
「気持ちってそんなに大事?」
「うぅ~ん。大事さレベルでいえば、うな重
とうな丼の差異ぐらいじゃないの?いや高
級すぎるな。もっと安くて比較できそうな
食べ物かぁ・・・」
「私も思いつかないや」
「恵理子・・・私ムズムズしてきた」
「え」
「キス・・・したいの」
「いいよ」
「自分としたいって思ってるの?まさか」
「うん、そうでしょ」
「そうだよ」
「ベロベロベロ~ってしないよ?」
「別にいいよ」
「大人だねぇ」
「うん、そうかもね」
屋上のドアに背もたれて、キスをした。
その後、こういう取り留めのない会話をずっとし続けた。
あっはっはっ。イタイ女子高生の会話を聞き続けるのはさぞ、苦痛でしょうな。すいまへん。
それから、もう一度キスをした。すっごく愛おしかった。
恋愛という概念は近年入ってきた流行のものなんだよね?
私は彼女のどこに神をみつけたのだろう。あ、彼女が私の神を引き出してくれたってことか。なんて儚いなあ。
ランドセルのない子
彼女はいつも泣いていた。
いつもいつも。何かを忘れて泣いていた。
時に廊下に立たされた。
先生にからかいの許可証を受け取った皆は、こぞって彼女をからかった。それでも彼女は忘れ続けた。何かに取り憑かれたように。
忘れればみんなに注目してもらえるから?
負ののアクションでも無視よりはまし?
そんなことを思っていた私は半ば嘲るような視線で彼女をみていた。
いや、彼女ではなく、許可証が貼られすぎて彼女がみえなくなっている彼女を。
当時は、それも役割だと思っていた。役割に準じて生きることは、少なくとも混乱と退 屈を紛らわせてくれる。彼女なんてものがその許可証の奥にあって、きっとそこでは自分のセルフイメージと、ここでの扱いとの差に苦しんで自分なりの理論を苦し紛れに生成し続けているんだと思っていた。
でも、私の認識はあることをきっかけに変わり、それにつれて彼女がみえなくなった。
恵理子の葬式には行かなかった。
近所に大きな葬儀屋があるなんて、なんて家の子に生まれちゃったのだろう。それだけが、悔いだよ。私は彼女のことを想いたいと思った。
歩道がない1本道の道路の端を規則正しく歩きながら、そう考えた。
でも、なんだかなあ。何も思えなくなった。何もかも。
ふと猫が横切った。白くてところどころに茶色のブチ模様が入った猫。
猫はただ、いるだけだ。この場に居合わせて、そしてすれ違っていくだけだ。そして、蟻や幼虫や、あらゆる微生物やバッタが通り過ぎていく。
そんな感じ。時間は直線上に進んでいないと誰かが言ったっけ。
でも、私は今、時間は進み、通り過ぎていくって思い込みたかった。
エピソードを作り出し、思い出すごとに時間は蘇るのだとしたら、彼女のことを何も想わないでいることによって、何かを進めたい。
過去にしたら、いい。
私は恵理子が死んだ今と同じ気持ちになっていた。
思い出さないと通り過ぎた。
でも、彼女はなんだったんだろう。ほんとに、彼女はなんだったんだろう。
わかんない。わかんないや。
私は壊れちゃったのかな。なぜ、わかんないことだらけなのかな。
私は何を奪われちゃったんだろう。あのクジラに。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
何も言うことがなくなっちゃった。
これ以上は話せない。
私が言えるのは、いつもいつも、よくわからないことだらけだなあ、へーえってことだけ。
気づくと私は小学校の正門に立っていた。
入学式と書かれたデカデカと煩雑な看板が門柱に立て掛けられている。
彼女にもう一度会おう。
「ランドセルのない子」に。
さりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさり
私は、学校を辞めた。
母は泣いた。おばあちゃんに辛い思いをさせて嬉しいの?と泣いた。耳の遠いおばあちゃんに私が退学したことを伝えたのは母なのに。
でも仕方がない。
いつもごめんなさいで終わるゲーム。
叱責↓反発↓罵倒↓反発↓金切り声タイム↓謝罪。
このループで大概は満足した顔をしてくれる。
なぜすぐ謝らないのって?早めに謝っても「口先だけ」って言ってゲームを始めたがるんだもん。
乗ってあげるのがいいんだよ。そんなの。たったの1時間くらいだもん。というか、今は時間は有り余るほどあるから、時間つぶしにも丁度いい。
母親もそうだろう。きっと嬉しい。
この退屈に耐えられないのは問題だな。
何かがあって振り切ることの難しい人と、最初から選択肢にものぼらない人がいる。どちらがハードプレイかと言えば、前者だ。前者だが、その人には強度がついてくる。
難しい・・・。すべてがフラットに見えはしない。身長すら精神で変えられない。
何を言っているんだか、と思うこともしばしばで、そう考えるとすぐ眠たくなって寝てしまう。
わからないからって問い続ける、問い続けるとある日、ドアを開けたらピストルで撃たれる。無限の解釈の作品のみが、自分をアップデートし続けてくれる。
そしたら、私は思考を辞めることが出来、そして、死ぬことができるのかもしれない。
厨二病乙って誰かが言ってくれれば、私は反射的に恥ずかしさで、とりあえずは笑うのかもしれない。
私は、そう。うつろな目を閉じかけた時、六畳の和室部屋の天井いっぱいにひろがった巨大なクジラの腹のようなものがあった。
今までなぜ気付かなかったのだろう。小刻みに動き、呼吸のように腹のようなものをへこませたり、ふくらませたりしながら、ぷかぷかと浮いている。
両端が切断されていて頭部らしきものが見当たらない。いや、もしかしたら部屋に突き刺さっているのか、途切れているのかもしれない。
代わりに、一際目立つのは、白い腹のようなものの真ん中にぽっかりと空いた、どす黒い血のような穴だ。
穴の内部か少し見え、粘膜上のぬめぬめとしたピンクの肉片のようなものが無数にこびりついている。胃の中をカメラで覗いているときに近い。胃カメラ検査したことないけれど、テレビで見たし。
私はそこから一歩も動かすことができず、ただじっとその穴の中を凝視しつづけた。
一瞬も逃さないように。
するとそれに答えるように、穴の中から無数の赤いてかりを帯びた突起物が出てきて、いそぎんちゃくのように穴の周りに咲いた。
突起物が互いにこすれる度に糸をひきょ、ぎちゃっという生理的嫌悪感をもよおしそうな音を出す。
そこからは圧巻だった。白い腹のようなもののあちこちに中央に空いていたような穴が出来て、そこからいそぎんちゃくの花が一斉に咲いた。
みるみるうちに白から赤に切り替わったそれは、伸縮を繰り返し、その度に赤い突起物が伸びていった。
わたしのまわりを取り囲むかのように、少しずつ、少しずつ、突起物が絡まり合い、糸をひきながら伸びていくその光景を、母親が見たら何と思うだろうかという考えがふとよぎった。
とうとう古びた学習机にまで到達し、私の肌に触れた。生温かくて、繊毛のような細かい毛が生えているのだろうか、少しくすぐったい。
もともと私に向かってきたかのように伸びてくる幾重にも重なりあった突起物の塊が、私を半分まで覆った。
私はその時、誰かがテレビで言っていた、「そこでいい悪いっていう判断じゃなくて、それを前提としてどうするかってことを僕は常に考えているんです」という言葉をぼうっと頭の中で反芻していた。反芻していたというよりかは、リスニングの勉強をしながら、朝食を食べているときのような感覚に似ていた。
意味はなく、音だけになったその言葉は、私の気を紛らわせるには充分だった。
他にも色んな言葉が頭で流れた。動物なんだから、もともと。何かをしようじゃなくていいんだよ。寝て食って死ぬんだからさ。うん、だからこそっていう考えもいいんじゃないかな。どうでもいいんだよ。
ああ、やっと私は覆われ、何かがひとつだけ満たされたように感じた。
死を予感するような、局所だけを予感することで、不安になってやけ食いに走るとき、冷蔵庫に伸びた手を、優しく剥いでいってくれるような、そんな感覚。
中学に入り、夏休みの課題図書を探しに市立図書館に行った。
そこで立ち読みした分厚いハードカバーのタイトルが、見るからに怪しい、卑猥な4字の漢字だった。
中を開いてパラパラとめくると、「さりさりさり」という文字が並んでいて、その字の羅列に怖くなってすぐ本棚に戻した。
今頭のなかでは、その「さりさりさり」が流れている。
さりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさり・・・
さりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさり・・・
粘膜が体に張り付いている感覚が何故かなく、伝わってくるのはこの字だけ。
さりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさり・・・
さりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさりさり・・・
私は、首から上だけが浮いて、その物体の体内に入っていく予感がした。
ゆっくりと、頭で思う方向に進んでいっている気がする。
これって、脳で念じると義肢を動かせるってやつと同じ感覚なのかな。
せせこましいぶにぶにした肉をおしのけ、粘膜を顔にびしゃびしゃ浴びながら、私は大きな空洞の中に入っていった。
しばらくして開けた場所に出た。四肢が全部ついた私が立つのに充分余裕がある高さで、奥行きは暗くて見え辛いが広そうだ。十畳はありそう。
私は真下を見てみた。うん、やはり体がない。頭だけ浮いている。髪の毛がもし長かったら髪の毛も切れていたのだろうか。よかった短くて。
いや、今はそんなことどうでもいい。水だ。池といっていいだろう。
赤黒い部屋の中に肉でかこまれた池があった。
私はその丁度真上を浮いているようだ。
一つ目だった。それも中央に大きな目がついているわけではなく、恐らく二つついていたであろう場所に一つだけ、人間と同じ比率の大きさでちょこんとついていた。
フォトショップで加工し忘れたかのような不自然さを抱えた小人が、池から浮かんできた。
壁の肉片を器用につかみ、器用に壁に登っていく。水から出たそれの体は足が一本しかなかった。
いや、その表現は正しくない。私から見て奇妙だというだけで、彼にとっては完全に違いないだろう。
足は、おたまじゃくしのような形状で、骨がないように見える。手だけで生活出来るようにか、手のひらが大きく、また指が一見七本以上はありそうで、花びらが肉の周りに咲いているようであった。
くにゃくにゃと足で上手くバランスをとり、肉片の少し反り返った壁をしっかりと掴んで登っていく。
一メートルぐらい登ると、そこら中にぼこぼこ空いている穴の一つにすぽんと体ごと入り込んだ。
その中で器用に体を動かして穴の入り口方面に顔を向けた。彼の寝床なのだろうか。
そう見つめていると、ふと今の自分の姿について疑問が浮かんだ。
美術の教科書だったっけ?いや図書館の本かな。女の人が指をさしている方に、発光した生首が浮いている絵。
私今あれみたいな感じ?でも私本当に生首なのかな。違う気もする。脳みそだけどっかに繋がれて夢をみてるのかな。はは、それ何てSF。
って、ありえるかも。そもそも生首だけで人間生きれないよ。
ああ、これは夢なのだと思ったけれど、夢だったら、起きたってどう分かるのか。そう考えれば永遠に考え続けれる。
それもいいかもしれない。そんなことでも暇がつぶせるのなら、なんだって考えていよう。私は今とても冷静。
冷静になったら疲れた。もういいからこれを終わらせたい。
「・・・・・」
声が出なかった。口のかすれる音さえしない。舌を出そうとする。何か出る。舌だ。目の端に自分が伸ばしただろう舌が見える。
口はあるのか。じゃあ何故声が出ない?
舌を動かそうとする。あれ、いつの間に目の前にぴろぴろとてかった舌、これ私の舌?
形状は長い以外は人間の舌と大差はない。しかし舌先が細かくたわしのように別れていて、一つ一つが意思を持っているかのように小刻みに動いている。
四、五分だろうか。眺め続けていた。
すると舌の横幅がどんどん圧縮されるように縮まり、拳より一回り大きいぐらいの紐になった。
それと同時にタワシ部分が一斉に広がり、中の空洞が丸見えになった。
私。私だった。
出産途中のように頭だけ飛び出て私を見ていた。
先程と同じ私。でも何か不自然。ああ、そうか、左右対称だからか。これが周りから見える自分なんだね。ふぅん。
「なんなの」
とっさに私は話しかけていた。
目は焦点が合っていない。私の方向を向いているのだが、どこか目がうつろだった。
しばらくして、粘膜で張り付いていたように口をぺりぺりと剥がして、彼女は答えた。
「かわいそうなこ」
「私?」
「かわいそうなこをみつけてあげて」
「は?」
「とても、かわいそうな・・・」
口からゴボゴボと唾液が溢れ出ながら言う。振り絞るように、目をひん剥きながら。
目から涙が溢れる。鼻水も垂れ流し、顔は小刻みにふるえている。
「ランドセルのない・・・こ」
「騙されるな」
急に大きな声がした。声の方向を向くと、先程の一つ目だった。
ああ、なぜ気付かなかったのだろう。見えない天井のような上の暗闇の正体。
洞窟の中のコウモリを発見したときのような、大量の一つ目が一斉に穴から顔を出し、私を見つめていた。
糾弾するかのような、厳しく、怒りに満ち満ちた鋭い目だった。
私は、立ち竦み(あ、気持ち的にね)何も言えなくなった。目は彼らの方向を捉えて離せない。
これが驚き。驚きという名の驚き、ベスト・オブ・驚き。
いつの間にかもう一人の私は消えていた。
それを確認したと同時に意識を失った。
デニッシュパンより軽い命
決定的な、正当性のある、わかりきったもので、万人が認めてくれる、そんなものが殺人だと思った。
けれど、それはまた国や、所属するグループによって違うことも明らかで、そんな話がしたいわけじゃなく。
殺人を犯した自分でさえも、言い訳が可能で、殺された方にとっても言い訳は可能だ。
きっと、僕が明日殺すからっていっても、彼女は逃げ出さないだろう。
彼女の解釈は成長する。困難なほど、成長しつづけ、これも1つの愛の形だという陳腐な物語に落とし込めれば、それはそれは大層に人工的なベールをくるんだエイエンのものとなる。ように見える。
僕は彼女に明らかに間違って欲しかった。だから、僕が明らかに近いと言われる殺人というものを持ちだしてみたのだけれど、そこで、何かをしてくれるわけではなく、呆けたように僕の手を見つめるだけだった。
はっきりとさせたい、イチかゼロ思考。融通がきかない。そう妹は言ったっけ。罵るわけでもなく、トーンも変えずに。
そうだよねお兄ちゃんって。そう言った。僕はずっとそう思ってきた。あらゆる自分の解釈をそれに当てはまるように出来るのだから、簡単だった。
僕は妹に与えられたようなもので、それを僕が生きることだとおもっていた。
僕は、中学生のとき、ブランド品の財布を持ってみた。もっている人が格好いいのだとされていたから。
結果は、からかわれるでもなく、見向きもされなかった。僕は財布を見てもらえるほど解像度が高くないようだった。
ドット絵は、ドット絵。1ピクセル茶色を加えようが、そんなことはみえるはずもないのだ。
ドット絵が殺人を犯す。これはクラスメイトにとっては、断罪すべきもので、結束と暇つぶしと、とんでもない快楽を与える。
個人的に断罪してもいいという、新ルールが生まれ、ますます国になっていく。
僕は、選択をひとつもしたくなかったんだ。ああ、そうだった。
選択しないことも選択だとか、そういうのは認識しなきゃいいだけで、エンターテイメントにも生きられない。というか、そもそも、生き方とか、個人とか考える必要すら面倒だったし、すべて決めてもらって、それをこなすだけにしたかった。
目に入ってくる情報や、その他なんだっていい。とにかくもう面倒でたまらなかったしそれを考えているときは、いつもトイレに行きたくなったときだった。
恵理子が死んだのはそんなことをグルグルと考えながら、口にものを詰め込んでいるときだった。
死体を盗もうかと思ったけれど、そんな気力もなかった。腐ったりすると面倒くさいらしいし。以前読んだ小説によると。
ドライアイスを買いに行くのが面倒だ。
だから恵理子を頭の中で飼うことにした。
自分と同じ不細工な太り気味の妹。吐き気がするほどに上を向いた団子鼻から息が漏れ僕にさっき同じものを食べたであろう息をふりかけ、話しかけてくる。
彼女の命令は絶対だった。
でも如何せん、僕の冷静さは、そこでも恵理子に人格を与えることを許さず、一ヶ月の間、飼い慣らしてみたものだけれど、命令はせずに、精々裸になって、僕の処理を手伝ってくれるのみだった。
まあ、このままでもいいかな。そう思うとあっという間に高校を卒業してしまって、就職とやらは出来ず、週2回働くフリーター生活になってしまっていた。
恵理子は変わらない。笑ってもくれる。僕はもう、それで良かった。
奥の待合室でタバコを吸っている兄ちゃんを尻目に僕はピザの具材を並べていく。
覚える必要なんかない。目の前にはメニュー毎のレシピを書いた紙が貼られている。それを見ながら多すぎず、少なすぎないと思われそうな量をつかんで並べていくだけだった。
これが一生続いていくのだろうか。そう感じるのは若気のいたりなのかもしれない。
けれど、僕には他の選択肢なんか何一つみつからなかった。
システムを考える側が面白いのはわかるけれど、僕には、勉強して大学に行く意欲も、
現実面で言えばお金のほうもなかった。
そりゃ、泥棒するよ。うん。泥棒する。そのほうが手っ取り早い。
この有り余った体力と、磨り減った精神力を使って、僕は恵理子を創造し続けた。
でも、僕に命令は下してくれなかった。なんで?
僕は、「死んだほうがいい」といってくれるだけでいいのに。
この虚しさは、虚しさは・・・。
僕はよく寝るようになっていた。
起きると安い菓子パンを口にいれるだけ詰め込んで、テレビを少し見て、また寝る。
そして、週に二回だけ、家の近所の個人が経営しているピザ屋に行くだけだった。
ある日、洗面所に立つと、僕は涙が少しでた。
鏡に写った自分に、会いすぎた。もう飽きたよ、その顔。僕は飽きすぎると泣けてくることを理解した。
菓子パンを食べる。今日はピザビックパン。感触が耳に伝わって、飲み込むことが笑ってしまうくらい意識できて、僕はそれを繰り返した。
いち、に、いち、に、いち、に
そう言って咀嚼運動を繰り返す。恵美子。恵美子。恵美子。恵美子恵美子恵美子。
僕の恵美子が消えた。咀嚼する度に消えていくのがわかった。恵美子が噛み砕かれ、千切れ、肉も血も散らばず、恵美子はくにゃくにゃになって、四方にちらばって、消えた。
いち、に、いち、に、いち、に、いち、に、いち、に、いち、に。
それでも僕は噛むのをやめなかった。
止めることが面倒だったそれだけだった。
恵美子は消えた。仕方ないなと思った。
急に自慰がしたくなった。パンツをずりおろし、咀嚼をしながら、僕はいつもより速く自慰をし終えた。
気づけば四つめのパンだった。デニッシュパンだ。布団の中で咀嚼した。いち、に、いち、に。
涙が止まらなくなった。何故だろうかは分かっている。僕は、期待しすぎたんだ。
期待しすぎた。
恵美子は普通のやつだったし、僕は恵美子を好きでもなんでもなかった。
臭い枕と布団が、僕を捨てる紙袋のようにくしゃとまとめて包んでくれた気がした。
このまま生き続けて死ぬだろうから、誰か僕を殺して下さい。
「クジラ・・・」
そうだ。あのクジラみたいな生物だ。
あれに殺してもらおう。そう決めてからは早かった。
恵理子が死んだあの日。きっと彼女が呼んだんだ。暗くて見えなかったが、彼女に会えば何か知っているはずだ。
会いに行こう。彼女に。
うん、そうだったはずだ。
僕は、そういったはずだ。
声には出していなかったかな、まあ、そんなことどうでもいい。
気づいたとき、僕は包まれていた。
布団に潜っているときのような杜撰さではなく、大切だからゆえにきつく握り締める理想の、皆が言う母親のような厚みだった。
恥ずかしながら、少し泣きそうにもなった。
目を開ける感覚はあった。でも、なんて言ったらいいのかな、そこが綺麗にきりとられたように、麻酔のときの皮膚を縫う感覚のように、意識に靄がかかっていた。
視界はどうだ。見えなくはない。少し酔うけれど。
ああ、わかった。わかったわかった。
僕は、眠りに落ちたのだ。あるいは、死んだのだ。あるいは街に出たのか。
靄がかかっているというのに、何かが起きることに注視できるというのか。出来はしない。うん。
目にもう一度意識を運ぶ。瞬きを繰り返す。
粘着状の目やにがこびりついたように、ぬちゃり、ぬちゃりと瞼が交尾し、僕の水晶をどこかにしまい込む。
僕にいたっては、無意識に掴んでいたであろう手に持ったものが爪と皮膚(いや爪と指の間と言えばいいか、いやどこまでが指でなんだろう、ああ、そんなことどうだっていいのに!)の中に入りこんでいることがもどかしくてたまらなくなっていた。
爪同士を絡ませて取り除こうとも思ったが、手は思った通りに動かず、指が大きく空を切る。
途端に爪らしき鋭利なものが親指に突き刺さった。
視界がひらけていく。ああ、そうなのか。僕の体じゃないのか。僕は最初からわかっていたかのような納得が訪れたことに不満を感じなかった。
ぽっこりと出た腹が見える。全身が薄い緑と灰色を混ぜたような色をしており、衣服は身に着けていない。
指は九本。左右に四本ずつ分かれていて、一本は、手のひらを返したところにある。人間と同じ親指のような役割なのか、その一本だけ、他の指より太い。
すべての指に長い爪が生えている。
小人というか、ゴブリンに近い感じなのだろうか。周りの景色といえば、薄暗くて、とにかく赤い。
赤い肉をスライスしたような破片が、そこら中に散らばっている。ゲームでみた、体内をモチーフにしたステージに似ている。
床中に空いた小さな穴から液体がこぽこぽと溢れ出ている。途端に穴が勢いをつけて液体を吸い込む。
水なのか、血なのか、それすらもわからないほどに赤い色に塗れている。
僕は周囲を見回して、出れそうなところがないか探した。
十畳程の空間のひしめき合った肉の壁には一切出口らしきものが見当たらない。
試しに壁を押し付けるように触ってみる。弾力のあるバスケットボールのような感触。爪で裂いてみようとするが、固すぎて裂けない。
床の穴を広げようと、穴の中に爪を突っ込んでみるが、穴は浅く、直ぐに固い地面にぶつかった。というよりも僕の手の握力は思ったよりずっと弱いようだ。水のコポコポという音が増していく。
十分ぐらいその場で立っていただろうか。
足の甲までしかなかった床の水が膝のあたりまできていた。
僕は今になって何もわからないことが怖くなってきた。
じゃぶじゃぶと水の音をならし、五メートルぐらい先の奇妙に床が突き出している小島のような場所に移動する。
周りには何もない。わからない。周りが暗すぎる。
「はあ、はあ」
口からだらしなく息が漏れる。
どうやら体力は変わっていないようだ。
重い腰を上げ、小島に倒れるように乗り出す。
その時、水が大きな音を立てて沈んでいく。吸い込まれているといったほうが正しいか。
丁度小島の対角線上あたりに大きな穴がぽっかり空き、その中に水が流れこんでいた。
なんだ、定期的にこういったことがあるのか。今、僕も行かなければいけない。それは分かっていた。
けれど、出来なかった。樣子をみたい、というよりも何がなんだかわからなくなっていた。
水が吸い取られていく。同時に穴も塞がっていく。僕は見ることしか出来なかった。
痛くもないふくらはぎを執拗にさすりながら、穴から大きな舌のようなものが突き出たそれを、じっと見つめる。
僕にはもう、何もない。だから見つめる。見つめるしかできる事はなかった。
するとどうだろうか。穴がもう一度大きく穴をぱっくりと開いた。その中はやはり体内のように真っ赤で、繊毛のような触手のようなものが、数百、数千と壁にびっちり張り付いて、個々を主張するように、それぞれが勢い良く動いていた。
その中で、小さな玉が動いている。視認したときにはもう外に飛び出ていて、僕の目の前に移っていた。
玉は、顔だった。ほのかに懐かしい顔。
恵理子・・・なわけはなく、懐かしさは各パーツのせいだろう。
目も鼻も口も輪郭も、使い古されたような懐かしい顔だ。
平均的な顔というよりも、やや野暮ったく目だけが切れ長で鋭く光っている。女性だ。
女性に違いないと思った。髪が長かったという単純な理由だけだったが、もしかしたら違うのかもしれない。
とにかく頭が痛くなった。この痛みから逃れたかった。そのためには何だってはしないが、ある程度のことはするかもしれないと思えた。例えば、1週間朝6時に起きてジョギングとか。あ、もちろん1時間限定で。それ以上の痛みだったが、逃れるためにそれ以上のことをする力が無いと思った。
僕には結局ピザをつくることぐらいしかできないんだ。あ、ピザの生地とか具とかは自分で調達出来ないだろうし、ピザ屋に行かないと作る気にならないから、ピザもつくれないんだろうけれど。
個人の動機の威力を信じ過ぎだよ皆。ルサンチマンで人は動けないし、続けないし。虚しくなっても楽を選んじゃうよどうしても。だから自分を見つめるだなんてことは結構危険で、それやっちゃうと「本当」という悪魔のワードが出てきて地獄に落とされちゃうんだ。落とされた横に天国があったり、なんだかわかんないところがあって、ころころころころ転がっていくんだよ。
そして死ぬ。のかな。どうなのだろう。それじゃああまりにも安易だ。いや安易なのかもしれない。
トライ・アンド・エラーの回数を寿命にすればいいのに。そうしたほうがもっとやれる気がする。このやれる気がするっていうのもやっかいなんだよな。ああもう、バイトするなら就職するべきなんだよ。ほんとほんと。
でも面倒くさい、面倒くさい。あえてやるも面倒くさい。僕はもうやんなっちゃったよ。
明日食べるパンのことだけを考えて生きていけれたらいいのに。食って寝る。これでいいのだよ。
そういうことをうつろな目で考えていたらいつの間にかその頭だけの女が何かを喋っていた。
はじめてのけんおかん
「がそうよ」
「一緒に、さがそうよ」
「さがせばいいんだよ」
僕はまいった。そう言うと同時に彼女が無邪気に笑ったからだ。
「へ」
「一緒に行けば、いいんだよ」
「きっとみつかるよ」
「え」
「何だ。何がみつかるんだ」
「ランドセル」
「ランドセル?」
「なくしたのね。可哀想に」
どこかで聞いたワードだ。ランドセルをなくしたかわいそうな子。
僕のことを言っているのか?
「僕が?」
「なくしてるでしょ。ほら」
そう言って長い長い舌を出してそこから飴玉のようなものを目の前にちらつかせた。
「え?」
「ほら」
「これ?え?とったらいいの?」
「はやく、他の子も待ってるんだよ」
ぬちゃり。粘膜を剥がしてその玉を手にとった。水晶のように何かが映るのだろうか。
暗すぎて良くわからない。手にとってぼうっと眺めていると、彼女が笑った。
「我慢しなくていいんだよ」
「その飴はあなたのもの」
飴。はっきりとそう言った。飴。いやしかし、ぶっちゃけ食べたくない。
何でこんな人の体内から出てきたくさそうな胃液まみれのものを食べなきゃならんのだ。
食べたふりして隠そうか。いや落としてしまう危険性もあるぞ。落としたら貴重な手がかりが台無しだ。ええい。食べてしまえばいいんだ。
でも食べれない。どうしても気持ち悪い。
「僕のじゃない」
目をふせながらそういうと粘膜の塊がじゅぼっと吸い込まれていく音がした。
舌を引っ込ませたようだ。機嫌を損ねてしまったか。でも、仕方ないよ。いらないんだもん。
「じゃあ」
そう言って私の顔の横に彼女の頭を寄せてきた。
「一緒に探しに行こう」
彼女は僕が対話した女性の中で一番の笑顔を見せた。
「ランドセルのない子を」
目が光っていた。少し充血気味の、愛らしい細い目が僕のお腹辺りを見ながら微笑む。
僕は見とれて髪を触りたくなったけれど、ぐっと我慢して、その代わりに頷いていた。
「ーうん」
ホワイトソース
約1世紀前には、人の考え方の癖は性格で片付けられていたと聞いた。
うん。今でもそんなところあるよね。今だとそういう「タイプ」って言うと通じる話だ。
タイプや性格って言うことでそれ以上突っ込んでこまなくなるし。それを踏まえた上で考えると、性格は神話のようなものなのかもしれない。
僕は繋がっている。時代に繋がれて、虫けらのように解決される虚しささえも、僕自身のものではなく、僕はアップデートされる基盤だけを持ってこの太った体を晒しているに過ぎなかったのだ。
生前のどうでも良かった恵理子を思い出しては、僕はパンを今日も食べるのも、僕なりのアップデートってやつだ。
ま、明日はおにぎりかもしれないし、牛丼かもしれない。
でも、そんな感じでいいのかもしれない。
僕はもうこの考え方から逃れてもいいのかもしれない。
この考え方の不合理さに甘んじて僕なりに楽しくやっていたんだ。いつもいつも。
けれど、もうそれはやめたいなあと。無理かもしれないけれど。
僕は駅のホームにいた。
M県T市のホームはいつもガラガラで、かといって無人でもない、程よい田舎の駅。
来るのは確か2度めだったかな。いい匂いがする。
僕は人殺しをするタイプってやつじゃないだろう。自分ではそう思う。
けれど人を殺したことはある。それも死刑になる数ほど。つまりは、無知な若者が鉄砲で人を殺したより多くの数だ。
僕は涙なんてしないけど。
そうそう、目的だね。この地にきた目的。生暖かい顔にささる風が、いつものように爽やかな真昼に、この地に来た目的。
目の前にいるのだ。また。
以前と変わらず、あの親子のような2人が。
僕は知らなかった。あの失禁して、尿まみれの女があんな顔をして立っているなんて。
エイのような顔をしたあの子の細すぎる腕から生えた産毛が逆立つように、風に揺らいでいる。
僕はじっと彼女達を見つめた。彼女の赤いランドセルには、綺麗な反射光が描かれていた。
「ランドセル、素敵だね」
彼女は小首をかしげて、うふふっと笑った。口の右端を引きつるようにして笑う子だった。
「こうてもろてん」
「うん。素敵だ。ぴかぴかしてる」
母が彼女の手をひいて、ホームにちょこんと設置されているベンチの方に向かった。
僕に背を向けて、少女は歩いて行く。少し小走りに揺れるランドセルから、何かが漏れていた。
「ちょっと、待って」
僕は少女が振り向くであろう角度に移動し、少し屈む。
「何か漏れてるよ」
「んっ」といって僕が指さした後ろ側を彼女も首を精一杯曲げて見た。
「なんやろお」
「なんか汁でてるわあ」
赤いランドセルから、黒く染みだした液体が、地面に数滴落ちている。コンクリートの上のそれは、黒く光り、見方によっては真っ赤にも見えた。
なんだろう。お弁当の残り汁?
血。もしかして血なのか。
いやいや、僕の勘はそこまで鋭く無いはずだ。ミステリー小説の冒頭にするには、引きがあっていいかと思うけれど。
人の臓器のような・・・。
彼女のランドセルはランドセルじゃなかったんだ。
君のための、君に対しての、ランドセルなんかじゃなくて。
それは、僕とか、他のやつらのような。
何かを言うか、何かをしかけるか、それを迷っていた。ああそうか、そうだったのか。
僕は全てを悟った気がした。
僕はさっきまで、そのランドセルの中にいたんだ。赤くてぬめぬめした、あの中に。
彼女が集めただろう飴玉を、叩き砕くように入れた臓器だらけのランドセルの中に。
それからの行動は俊敏だった。(気持ち的には)
僕は、まっすぐに母親と思われる女性の方に歩み寄って。首に手をかけた。
冷静だった。だって全てを悟ったっていう位なんだよ?とにかく冷静だ。昨日つくった最後のピザの名前くらいは思い出せそう。
うーん、エビクリーム・・・なんだっけ。 チーズがいっぱい入っている系のピザだったことは覚えてる。だって生地の耳部分の周りにさ、いっぱいチーズが散らばって隣で作っていた新人のアルバイト少年に怒られたもの。もったいないだろうって。それで覚えてたんだよね。クリームチーズエビ・・・大体ピザなんてものは具材を単に並べた名前なんだよな。馬鹿でも分かるようにさ。その分紅茶なんかは敷居が高いよね。っていうかさ、高い、安いって、結構、いやかなり馬鹿っぽい言葉だよね。安い、高いってなんだよ。上か下とか、そういう感じが馬鹿にもわかるから流通すんだろうね。エビとかさーシーフードとかさー、あ、エビ使ったってことはシーフード系のピザだったかも。あれ、でもホワイトソースは使わなかったはずだ。だって、ホワイトソースを使うときはさ、店長がすごいもったいぶるんだよね。トマトソースとの扱いの差は仕入れ値の差なのかな。そこらへんの仕組みすらよく分かってない僕なんだけどね。しかしあのアルバイトの少年。昨日脛に大きな絆創膏貼ってたけど、あれなんだったのかな。普通あんなところ怪我しないよ。しかも分かるように半ズボンなんか履いてきちゃってさ、何考えてるんだろう。まあ、俺アピールみたいなのはしなさそうな子だったから、別にそんな意図はないのかもしれないな。ただ、患部を外気にさらしていたわってあげたいという彼なりの体に対する優しさなのかもしれないな。こんなくだらない行動一つにも自分を大切にしているかしてないかって一目瞭然だよね。傷の対処法からでも、なんだって人はその人柄が分かっちゃうものかもしれないな。とすると、あれだ。自分が好きなものとかそういうことではなく何にに対してもやれば彼自身を形成しているんだな。当たり前だけど。放屁でも仕事でも同じなんだな、つまりは。なんでこんなことを思ったんだっけ・・・。そういえば、シーフード系の具材は、季節のせいもあって、今使わないようにしているんだったような。朝説明された気がする。でも、僕はアルバイト少年の脛しか見てなかったんだったっけ。あれれ。
リリース直前
「えりこ・・・」
彼女は泣きもせずに、ギチギチと絞められるまま、単語のようなものを口走り続けた。
聞こえたのは、その言葉だけだった。
意味を紡ぐのは受け取り側だということを痛感する。
恵理子なんて、こいつが知っているわけもないのに。
もしや、レズビアンの彼女の名前かもしれない。れいこかも、えみこかもしれない。もう一度本当かと聞かれたら、すぐ気が変わりそうな、そんな言葉の音を残して、彼女は息絶えた。
さて、何で僕、えりこをさっきの少女だと思わなかったのだろうか。親子関係で、最期に娘の名前を呼ぶっていうのは、十分に考えられるっていうのに。
反射的にとしかいいようがない。
この娘は、えりこじゃない。
「えりこ・・・」
そうつぶやくと、彼女は「え」と言った。
何も聞かないでおこう。
僕は、帰るんだ。
そして、明日も明後日もパンを食べながら、ピザの具を並べ続けるんだ。
明日は、久しぶりに牛丼屋で親子丼でも食べようかな。
さあさ、帰るんだ。僕は来た電車に一本遅れで乗り込み、T市を後にした。
うん、まいった。
さあさ、まいったぞ。
この隣にいる子をどうにかしないと。
僕には何かをしようという気がなかった。
無論、隣にいる女性にだ。
穏やかな朝は、こんなにも気持ちがいい。
僕の悩みは、いつもに増して、何も思い浮かばなかった。
彼女の淡い色全部がぬごっと動くと、僕は玄関の方に足を滑らせた。
ベランダの方から見える彼女は、洗濯物でも干すのだろう。がらりと窓を開け、外に降りた。僕にできることは、そう。ひとつだけだ。後ろについてきている彼女をランドセルごと手で囲むようにしてしゃがむ。
「32歳くらいだ。たぶん子供もいる。君と同じくらいの歳だろうな。」
目は見れないので、前髪部分を見る。彼女はあの赤ん坊特有の目つきで僕を見ているのがぼんやりと分かる。
あの赤ん坊の目つき。ペットショップでよく見る、あの目つき。あ、ペット側じゃなく、ペットを飼おうとしている人間の目つきね。あの万能感にあふれんばかりに動物を見る目つき、あれが一番赤ん坊っぽい。そう思いませんか皆さん。
「あの人がいい?」
彼女は何も言わなかった。僕のほうを見るようでもない。
「お前、なんでついてきたんだ」
今日はよく喋る。と思った。菓子パンを食べるとき以外、口を開けることはあっただろうかと自嘲気味に思う。
「僕は、帰りたいんだよ」
おうちに、と言いかけた途端。彼女は、転けた。何もないところで、その場で転けた。
これは倒れたといったほうが正しいんだろうか。とにかく少女の顔が地面に張り付いた。
赤いランドセルから、みるみるうちにあの独特の匂いがわき出し、薄いピンクの粘膜状になった液体が髪の毛や衣服にからみつきながら地面を侵す。
僕はとっさに、ベランダの方にいる女性をみた。
彼女は笑っていた。手に広げていた洗濯物であるはずのものが、何やら小さく蠢いている。
小さな触手、繊毛のような、いや、小さなミミズのようなと形容するほうが正しいか、ぷりぷりとしたものが何百、何千とからまりあった物体が、手に絡み付いていた。女性はそのことに気にも留めない様子で、僕のほうだけをみてずっと笑っている。
どのような笑い方だろうか。顔の見えない笑い。表現がおかしいかもしれないが、笑っているのに、笑っていない。
ああ、鼻が膨らんでいない。筋肉の流動がわからないのだ。口が口角をあげたまま、生まれてきた人間のようだった。
僕は口の中に懐かしい味が広がったような気がして、何もできなかった。
僕の周りには、ピンクの液体が広がって、それと分離するようなどす暗い赤色の固形のつぶが流れている。
少女も、彼女も起きてこない。
起きる?起きるとは、何と自分の都合の良い言葉だ。起きている、起きていない。そんなことはどうだっていいんだ。
自分の都合がいいことが起こってほしい。そういうことでしかなかったはずだ。
なら、行動しようか。
今の僕は、秩序を求めて彷徨うウォリアー(僕はいつもPRGの最初の職業は戦士を選択しない。理由はないがいつもだ)なのだ。
何も言わずに蹲る少女のランドセルを持とうとしたが、少女がお腹を抱え込むような体制なので、少女自体を運んだほうがはやいと気づく。
よく噛むと言われる近所の家のハムスターを持つときのように、上から掴む場所をシュミレートし、一気に下から掬い上げる。
洗濯のりが手についたような感覚がきもちわるいな。それしか思わなかったが、ひとまず歩きだす。
「この子を返さなければならない」
セーブポイントはすごく前に
僕はぶつぶつとそう言っていた。次第に早足になっていく。
僕はそう、秩序が欲しかったんだ。意味では強度が薄い。圧倒的な体積、肉の集まり、存在感、彼女がいるってこと、空間を侵して彼女は僕に物理的に接近する、そんな絶対のものがほしかったんだ。
この子を連れてこれば、次第にこの子中心の生活になるだろう。
恵理子ももう必要じゃなくなる。エイの顔ようなこの子が、僕をしばってくれる。
僕の子供になってくれる。そう、彼女は僕の子供になることができるんだ。ぞっとするほど、生活が変わる。
しかも、勝手に着いてきたんだと自分に言い聞かせれば、何も罪悪感も持たない。
僕は偶然に身を任せて、これをいつも待っていたんだ。そう、彼女が僕にとっての全てを開く鍵なんだ。誰かの歌詞だっただろうか忘れてしまった。
でもとっさに思ったんだ。
「この子を返さなければならない」って。なぜだろう。
本当はわかっている。
逃げれないんだ。いつだって、これ、ここから逃げられない。
後回しにしてもいつかやってくるなんて、そんなことはないだろけれど、自分自体が決まりみたいなものだから、同じことは繰り返しやってくると言ってもおかしくはないのかもしれない。僕はもう、使い古された像でも建てるのが難しくなっているんだ。
気力がないから、もうインスタントのものでしか、代用できなくなっているんだ。
横断歩道のない、細い路地の反対側に行こうとしたとき、ふと思った。
「どこに行けばいいんだ。」
そしてここがどこか分からないことに気づいた。家の最寄り駅で降りたはずなのに。大通りに出ればすぐわかると思って、普段と違う道を選んだのが悪かったのか。さてどうしよう。わけもわからずイライラする。すると また、頭の中で声がした。
「ランドセルのないこ、探しにいこうよ」
僕は何がなんだかわからず、耳を塞いだ。
もうやめてくれ。何度も何度もそう叫ぶ。
僕は今まで通りの生活がしたいんだ。つまらないし、こう言った後で、また後悔するかもしれない。けど、現状を維持したい。そこまでして変えるのはもうたくさんだよ。そんな小説があったら読み続けられるわけはないね。意味ありそうでなさそうでよくわからない断片の物語なんか、誰も必要としていないんだ。お姫様をお城から救い出すそんなファンタジー小説のほうが千倍ましだ。
僕は安心したいんだよ。もううんざりなんだよ。疲れているんだよ。
ああ、格好悪いさ。僕は何もしたいってわけじゃないんだ。ちょっとしたメタ視点を道具に使って、ただ生きているだけさ。
珍しい話じゃない。こんなの誰も一緒さ。僕はそんな人間じゃないんだよ。行動なんかおこせるわけはない。
何だって、頭の中の話さ。何だってね。ついでに言うと、恵理子をオカズにしたが、射精する直前は、好きなAV女優の顔を思い浮かべているんだ。
醜女の恵理子なんかじゃなくね。はは、何でって。そりゃ、死んでんだから、気持ち悪いじゃないか、おまけに罰が当たりそうだしそういうのって少しは気にするよね、ね。そうなんだよ僕は。びびってるんだよ、今の現状にさ。単に。だから僕は、そんなホラーとかさ、そういう大きいことして欲しくないんだよ。あなたが僕以外の人にそういうことするのは別にいいんだよ。でもさ、僕はやめておいたほうがいいと思うな。そんなことしたとしてもさ、今現代、誰も動いちゃくれないよ?せいぜいSNSのネタにされるのがオチ。分かってる?
僕はね、さっきのさっきまで、あの少女誘拐のね、あの妄想のね、少女を抱きかかえるところまでは、何かできるかもって、すっごく、すっごく思ってたよ。でも、実際問題それで、自分の生活が一変するってきいたらさまあ普通に考えてさ、びびるよね。で、もういいやってなるよね。いやもちろんさ、それが普通とか言わないよ?さっきの話と矛盾してるかもしれないけどさ、まあ、確率を考えれば、生活が変わるって思ってそれを喜ぶ人だっているはずだよ。人はほんとうに多種多様だからね。だからさ、もうさ、いいじゃないか。僕は言うのも疲れたし、なんだか眠いんだよ。
もうやめてくれ・・・。そう言って目を開けた。
いやだなもう。あの肉壁の部屋。ランドセルの中にいた。
苦悩の確率
あのエイの顔をした少女と、母親が目の前に背を向けて手をつないで立っている。
そして、さっき脳内で会話してたと思わしき少女の顔をした少女が、人間の形をして座っている。
「あ・・・」声はでない。うーん、困った。
ああ、脳内会話をずっとしていたわけだから、脳内で話しかければいいんだ。
「ねえ、君。君というか、そちらにいる女性
や、お嬢様でもいいんですが、何かきこえ
たらお返事くださるでしょうか」
無反応のようだ。
「たぶん、僕と同じで声が出ないのでしょう
ね。ではリアクション・・・例えばそうで
すね。なんだっていいんですが、ああ、そ
うだ、左手をあげるとか左手が動かなかっ
たら右手でもかまいません。とにかく僕に
わかるように、何かしらのリアクションを
してくれないでしょうか。」
無反応。呼吸はしているようだけど。ゲームのアイドル状態でももっと多彩な動きをしてくれるぞ。現代のゲームはすごいんだ。
「もしかして、肉体が動かないのではないで
すか。僕もそうなんですよ。(今動こうと
して気づいたんだけどね)いやあ、困りま
したね。局部麻酔を打った箇所みたいな、
なんというか、ゴムのような感覚に包まれ
ているという感覚だけはあるんですが。と
にかくどうしましょう。」
僕が一人脳内会話を続けてしばらく経った。体感で2時間弱。
視線の端を何かがよぎる。僕はそれを知っている。というか、心待ちにしていた。
以前、僕であったものだ。あの9本指の何か。ああ、一つ目だったのか。どうりで見えにくかったわけか。いや、一つ目だから見えにくいってことはないのかな、そこらへんのところはよくわからない。僕はとっさに動いて、その物体を引き止めようとしたが、やっぱり移動できなかった。足が動いている感覚はあるのだが、前に進まない。あの近所のハムスター、何て名前だったっけ。ふとよぎった。
しかしどうだろう。一つ目は僕のほうに歩いて、這ってくるではないか。足で上手くバランスをとりながら。その姿が哀れみの感情を引き起こさせる。地を這う身体欠損者。哀れみはとても自動的な感情だったのだ。スイッチを押すように簡単に発動してしまう。
一つ目は、僕を通り過ぎ、淡々と這っていく音だけが聞こえる。
僕は、なぜか想像で殺した女性のことを思い出していた。
子どもが生きがいになるの。彼女は言っていた。つまらないのだろうなと思った。子どもが巣立ってしまったらとか想い合ってくれていないからとかそういうのではなく、子どもの感情は抜きにして・・・。
個人の衝動とか・・・何かの苦しみ、希望とか・・・。
ここだけ時間が静止して、つまらないことばかりが死ぬほど増えて、些細なことにとらわれて、そしていずれ死ぬ。
それだけじゃないか。逆に言えば期待しすぎとも言えるこの感情はどうしたら良いのだろう。
ラットが自分の脳に埋め込まれた電極を刺激し続けるように。報酬の予感を追い求めながら・・・ずっと満足は得られない・・・いや、辞めよう。そういうもんだ。
うつ病の認知療法本にも書いていただろう?マイナスのストロークがどうのこうのって・・・ちゃんと読んだのに。
とにかく予感はうんざりなんだ。うんざりだ。何しても!何しても!何しても虚しいのに変わらない。
個人の自意識の問題なんてとっくに解決しておけと自分でも思うが、こればかりはなぜか考えてしまう。
自分の現状を把握しろ?はあふざけるな。
それがなんだっていうんだ。それが、何。
いやしかし、現代そういうシステムだったとしよう。承認を受けないと生きていけないとしよう。何か、創作、仕事で評価されたとする。あるいは友人に、恋人にあなたって面白いわ、いつまでも一緒にいたいって思われたとする。一時期にせよ、有名になったり、ちやほやされたとして、承認欲求がみたされたとしよう。それから先、僕はどうするだろう。一時期でも、生きるまでずっとでもいい。とにかくそれを維持しようとして、うけるものはどれか考えたり、他人のアイデアにすがったり、新しい挑戦を避けようとするかもしれない。
もしくは、それがわかっていて、あえて新しいことをやったりとして、上手くつきあっていくかもしれない。
ああ、なんだ、結局体験してみないとわからないのかもね。ただ、信じてるけど、信じないから、そういってるんだけなんだ。
いい家具、いい環境に恵まれ、ありとあらゆるきっかけと義務と規律を与えて僕を縛ってくれる。
走りだすことができる。頑張ることはとてもとても簡単なのだ。何もしないことよりもずっと簡単なんだ。
でも、どこかで、僕はそれを軽蔑しているんだ。僕だけじゃない、皆もそうだろう?走り続けることの簡単さに、飽き飽きしているからこんなことを考え、言葉を紡いでいるんじゃないか。でも、いずれ皆負けていく。頑張らないことに負けていく。
そしてがむしゃらに頑張る。皆に褒めてもらえる。そして、頑張れない日はいいようにごまかす。それも皆、信じてくれる。
「皆、僕をみて。ほら、こんなに頑張っているんだ。見返りがほしいな。誰か僕に気づいて。よしよし、つらかったんだね。セックスでもしましょう。ううん、これは愛の証。人はひとりじゃ生きられないからね。それでも苦しいんだよ、頑張っているんだこんなに、認めてくれないんだ。ううん、でもそんなことわかってる。人は理不尽なんだよね。そうよ、でも生きないとね。生きていればね、そんなことも悩めるんだ。それって素晴らしいことでしょう。え、中に出した。うふふ、子供・・・できちゃうね。ごめん、あまりに君が好きで、半ば意図的だったんだ。子供って私そんなに好きじゃないけれど、いいの?いいよ、僕は好きなんだから。」とかなんとか言ってわかっているふりした会話を続けて、死ぬまで生きるんだぜ。こんなのには耐えられないんだよ。
意味がないと、生きられないんだ。わかるんだ。わかる。それでもなお、信じられないんだ。僕はもう何も信じられないんだ。
何を考えても、何で慰められたとしても。そういうシステムだといいきかせても、何しても、僕はもう生きていられないんだ。
生きていけないんだよ。いや、待てよ。そもそもなんで死ななきゃいけないんだろう。挫折すると、死ぬって・・・生きていけないから死ぬっておかしいよね。生きる死ぬも、一かゼロなんかじゃ決してないんだから。僕はもう寿命的には約半分死んでいて、それが急速になるか、どうかで。しかも、僕が今飛び降りたり、首をつっても、死ねるって限らないんだよ。すぐに発見されたり、打ち所が良かったり、ロープがきれちゃったりするかもしれない。じゃあ、確率の低いところ、確実に死ねそうなところに行けばいいじゃんっていわれると「はあ、結局交通事故と同じで確率の問題なんだ。死とか神秘的なものじゃないんじゃん」と、がっかりしまくってしまう。曖昧なものなんだ、はっきりしたものは何もないんだって。そしたら、急に自殺衝動がとてもチープなものに思われて、ああ、まあ、生きるとか死ぬとかどうでもいいのか。終わるときは終わるし終わりが続きだったってときもあるし、そんなものなのだ。ってごく自然に納得できる。決意なく納得するのはとてもいいことだと思っている。体感は秩序をもたらしてくれるから、素晴らしいんだ。
僕は、秩序がほしい。安易でもいい。何もなくてもいい。
こういうことってあるよね
「それで?」
少女は僕を見て、尋ねた。おそらく、僕の目をじっと見ている。僕はみることができないので、みないが。
気がつくと前にいる親子も振り向いてこっちを見ていた。僕ははっとした。
母親と思しき女性は、首に大きな痣がついている。少女は変わっていないように見えるが、なんだろう。血が通っていないような、あ、前髪に隠れて見えなかったが、額が血で滲んでいる。前髪が血を吸って束になっている。なんだなんだ。
僕は、思い出してはいけないと思った。いや僕の思い出は外部デバイスで保存されていて、今、その本体が僕の記憶を要求し、そして結合しようとしている、そんな感覚におそわれた。
僕はあのとき彼女に何をした?彼女がホームに座り込んだ時、何をした?いや、その前に地下鉄に着いてから、何をした?
少女が何もないところで転けたとき、僕は本当は何をしたんだ?洗濯物を干そうとした女性に、何をしたんだ?なぜ、洗濯物が触手の、人の・・・・臓器みたいになっていたんだ?
僕は、僕は、何をしたんだ?・・・何興奮しているんだ?はは・・・ははははは・・ははは
罪悪感とか、そういうのにさいなまれる僕じゃなかったはずだ。禁止することで何かに囚われることは避けつづけてきたはずだ。
いや、僕じゃない。僕のはずはない。寝よう。疲れているんだ。今直ぐ寝よう。
僕はーーーー大層なことを、人生がぞっとするほど変わることを、いくつも、知らぬうちに、やってしまってはいないか?
うまくうまくごまかして、生きてきたのは、僕もそうだったんじゃないか?
「おにーさん、見たことあるなあ」
少女の声がした。エイに似ている女の子だ。いやだ、僕をみないでくれ。どこか前に見た少女より、陽気さが備わっているように見えた。
もしかして、あの少女じゃないのか、そうであってくれ。僕はそう思い続けた。つまり、思い出したくないんだ。記憶違いにしておきたかった。
けれど僕は、今目の前にいる少女をみたとき、以前みたときとまったく同じことを、直感的に思った。スイッチのように簡単に、彼女をみるだけで、言葉が流れてきた。
「黒目がちの腫れぼったい目と、薄すぎる唇
特徴のない鼻・・・何より口の中が、そこ
だけ年老いたように黒すぎる。それでも人
ごみの中にいたら・・・少なくともクラス
の中には一人くらい同じような顔をしたや
つがいるだろうありふれた顔なのだろう。
ああこういう子が化粧で化けるんだなあと
思われそうな子なのだろう」
少女が近づいてくる。僕の目の前に来る。
変な白い靄がかかっているわけではなく、不自然なほどくっきりとそこに立っていた。
時々、目の端の乾燥を止めるように、用心深い瞬きをしながら、こちらを見ている。
会話。会話。会話。
会話するための意識がみつからない。
自分の深いところから取り出さなければならないくらい、まるで小学三年時の二番目に印象深かかった記憶を思いだせと言われるくらい困難に感じられた。
逃げようと思った。逃げるという選択肢がRPGの戦闘コマンドのように右端にピョコンと出現するのが分かった。
こんなとき、漫画やドラマのように逃げれないと人は言うが意外に簡単に出来そうじゃないかと冷静に思ったりした。
再び、先ほどの言葉が迫ってくる。
僕は大層なことを、人生がぞっとするほど変わることを、いくつも、知らぬうちに、やってしまってはいないか?
いくつも
知らぬうちに
シュミレーションレベルが高い人はポイント高い
「うわあああああ」
僕は叫んだ。
「何だって言うんだ!社会に出ても同じだそ
して、永遠に同じだ絶望感だけが残る僕が
見るこの世はこんなにもやっぱり腐ってい
る気持ち悪い綿で絞め殺されて歯がゆい言
葉ばかりが飛び交い人は死に、ぽこぽこ生
まれるああもう嫌なんだよ頭ではわかって
いるんだ頭では!ああ、ああ、ああ・・・
集団に属しそのときの言葉を覚えまた捨て
ていく何かに属すだけで暴力をふるってい
るんだ悲しいかな世界は思ったよりも単純
で平坦で気付いたからって自分も悪魔だと
いうことに変わりない悪魔ってのは悪いか
らとかそういう安易な意味ではなくてまあ
安易ちっちゃあ安易なかんじなんだけれど
言語化できないあのもやもやとした感じの
あれを悪魔と呼ぶ以外ほかにないじゃない
か!とにかくうるさいんだよお前らは!い
つもいつもさ!うるせえええええんだよ!
だまれよてめえはやく死ねよくが!」
僕は今言ったことを後悔なんかしていない。だって、僕の目の前は死人ばっかりだし少女のランドセルの中で起こっていることにすぎないのだ。
日枝光は魔法が使える。
それは、あらゆることを考える前に前提にしてしまう魔法。
彼女の母親も同じ魔法が使える。
囚われることで狂うのは避けたかった。
避けたかったけれど、どうにもならないことも知って、その感情も受け入れた。受け入れていくと次第ととらわれなくなる。
そうやってこのスマートな体型を維持した。何のため?そんなの簡単だよ。
恵理子・・・恵理子のことを考えた。
宮本恵理子。私の唯一の友達であり、母親の唯一の友達。
私はそうは思わないが、可哀想なほど他人の微細な合図を自分により良くフィードバックさせてしまう癖があると思われている。
つまりは、脳天気な痛い奴。だからクラスメイトが彼女を語るとき、常にある種の軽蔑が含有されている。
恵理子の母親が彼女が幼い頃から精神病に入院しており、数年後に自殺したという噂をきいたことがある。
皮肉なことだが、それ以外に彼女に深みを持たせるものは何もなかった。
むしろ、丸々と肥え太った体と、脳天気な態度が深みをもつことを全身から拒否しているようでもあった。
私は大人しく暗い子をやっていれば安全に過ごせるのにと思いつつも、彼女が発するノイズに誠実さを感じずにはいられなかった。
学年が上がるにつれ、ヘラヘラとした脳天気な態度に拍車がかかっていったのも、クラスメイトの混乱を無意識に感じたせいかもしれない。
そうそう、中学生のころ、彼女の黒目がちで小さな丸い目と薄い唇が、魚のエイと似ていると誰かが言いだした。
それ以来、彼女の友人は恵理子を少しばかりの揶揄を込めて「エイ」と呼ぶ。
私がそれに反発し、嫌じゃないのと半ば同意を強制するようにきいたのだけれど恵理子は
「笑顔が似合うってことでしょ~。うひひ。
いいじゃん。」
とだけ言って、私に反論の隙を与えないように新しい話題を持ちだした。
恵理子、恵理子恵理子恵理子・・・。
私だけの恵理子。私は何をしたかったの。
なぜ、恵理子だったの。なぜ。恵理子が私じゃないの。
うわああああああん
うわあああああん
うわあああん
ああああああああああああああん
そう言って泣き崩れる私を想像して、別にやってみてもいいかなと思った。
でも、やっぱり面倒くさい。この、面倒くささは何なんだろう。
昔、父方のおばあさんが死んだ。どうやら医療ミスが原因だったらしく、おじいさんは怒り狂って医者と家族に暴言を吐きつけた。
医療ミスってどのレベルのミスなのかは良く分からない。彼にとっては、ミスと言えるレベルのミスだったらしい。完璧にしてくれるはず、治してくれるはず。あ、死んで欲しいと願う人もいるね。どっちにしろ、医者に求める程度が高いよね。
家族、親戚や、親しい人っていう絶対の基準を設けてくれるから、ミスって断定しやすくなるし。
ほんと表裏一体ってこのことなんだなあ。不思議。
んで、そういうことをぶつぶつと考えながら、おじいさんの話をきいていたわけだ。
ある種の攻撃への執着が、少し気持ち悪いような異物感を覚えたが、それは娘として考えちゃいけないことなんだ!とピュアに思いつつ。
そして葬式が終わった。
体力を奪われ、医療ミスを訴える気力すらなくなったおじいさんを見て、私は葬式の役割ってやはり色々あるのだなあと感心した。
普段も面倒くさいで死ぬような選択をし続けているわけだけど、逆に、それが快活に生きてもどっちでも同じような気もしたりする。いや多分同じ。
フラットとはこのことか。フラット、お前もか。
なんだかんだで魔法が最後[最終話]
私は今、小学校の教室にいる。今日は入学式だ。
緊張する。詠実が後ろを振り向いてこっちを見ている。ふう、見ないでよ、やだなあ。
左隣は化粧と香水臭いし。お母さん、大丈夫かな。緊張するとめまいがして、血圧上がるのよね。
しかし詠実にどう言い訳したらいいかな。ランドセルを持ってこいなんて忘れてた。
今どき、ハガキで連絡ってどうなのよ。みちゃいないっての。
まあ、ランドセルはもう注文したし、もうすぐ届くから別にいいわよね。
詠実もとくに気にしてなさそうだし。あ、隣の子に話かけてる。へらへら笑ってるわ。
ほんと、自分から生まれたとは思えないくらい社交的。良かったんじゃない。
きっと詠実は、何も知らずに充実感をつかめられる人間になるわ。
右隣に立っているお母さんをつっつく。
「ほら。ほらみてよ、詠実。もう仲良くなってる」
すると、不機嫌そうにむすっとしていた母から吐息がもれ、次第に笑みを浮かべはじめた。
「詠実は誰とでも楽しそうでいいね」
いいことだねとつけたしてから、また押し黙った。
普段から上品ぶってる母親の悪い癖だ。会話を続ける気がない。
そんなんだから、今になって友達1人もいないんだ。かわいそうな人。
「ん」
そういえば、お母さんは、私が小さいときから一人だった。誰も尋ねてくる人なんていないし年賀状も事務的なものしかなかったっけ。
昔はたぶん美人の部類に入っていて、仕事もバリバリやっていたはずなのに。仕事。あれ、お母さんは何の仕事をしていたっけ。
お母さんのこと、全然知らない。お母さんあなたは何を感じて生きているの。
そう思うと、急に宮本恵理子のことを思い出して泣きそうになってしまった。
どうしても、恵理子と母親がかぶってみえる。容姿なんて雲泥の差なのに。恵理子がきいたら笑っちゃうよ。
きっと生理前だからだね、もう、こんなことを考えるのはやめたはずなのに。
あらゆることは過ぎ去っていくんだ。思春期に悩んだことさえも、何もかも忘れちゃって、気まぐれに恋なんてして、子供を生んで・・・。
もう何も気に留めなくなっていたというのに。第一私は忙しいんだ。
でも、この感覚は何だろうね。うれしいような、かなしいような。
恵理子、聞いてるかな。あのとき話したこと覚えてる?
もう1人ね。もう1人いたんだよ。私の隣に。
なぜ気付かなかったのかな、今まで。
ランドセルを忘れた子は私だけじゃなかったんだ。
そうだよね、お母さん。恵理子。そしてエイ。
私はあなたをずっと忘れてた。
私達はずっと一緒だったんだ。生まれたときから。
不思議だ。お母さんになぜ気付かなかったのだろう。
もっと、気に留めてあげられなかったのだろう。
そして翌日、私、日枝明里は殺された。
犯人をつきとめてください。
ヒントは魔法。あなたに幸あれ。
エイ