Need∴∃

Need∴∃

世界終焉のその後、地上には再び文明が発生していた。
新しく刻み込まれた神話によって動く世界。
神術という名の力を持って生まれた王たち。
各国には神光玉という、電気にも似たエネルギーの源。
何に不自由することも無い生活を営む民。
神話に基づく統治によって世界は永遠の平和を手に入れたはずだった・・・。

皆を愛することと一人を愛することのどちらが大切なのか。
何をもって平和とするのか。
戦いながら絡み合っていく人間模様。
それぞれが、それぞれを守るために戦う。
そんな戦争が生み出した答えは一体何なのか・・・。

愛と戦争が織り成す、遠い未来のファンタジー。

神話

『新世神話』

 数千年に及んで争いを重ね、混沌を極めた人間の世界に、九つの神が降り立った。

 最初に降りた神、イトは、時を止め、争いを止めるよう人間に警告した。

しかし、時が動き出すと、人間は最初の神を殺してしまった。

 それを見た二番目の神、ソウ・イルは、戦いを挑む者達を光に変え、飲み込んだ。

 それでも争いは止まず、三番目の神、アルムスが、今度は人間たちの武器を光に変え、飲み込んだ。

 武器の無くなった人間たちは、新たに武器を作ろうとした。

 それを見抜いていた、四番目の神、エクシールは、人間の文明の殆んどを、光で消してしまった。

 全てを失った人間たちは、それぞれの言葉で、神々を汚した。

 その騒がしさに辟易した、五番目の神、セイは、人間たちの頭に光を通して、言葉を忘れさせた。

 すると世界は再び本来の美しさを取り戻した。

 何も持たない人間たちは、お互いと神を敬うようになった。

 それを見た、六番目の神、アイデンは、新しい言葉、七番目の神、ログレスは、新しい文明を、それぞれ人間たちに授けた。

 それらは人間たちと世界に、平和な秩序を生み出した。

 これを喜んだ、八番目の神、ペアセは、新たな世界を見せようと、最初の神イトを復活させた。
 しかしイトは、最初の警告を無視した人間たちが、再び愚行を繰り返さないよう、やはり全てを消してしまおうとした。

 そこに最後の神、アヌ・リアドが現れ、機会を与える事の出来ないお前は、警告を無視した人間と同じだ、と闇の彼方に閉じ込めた。

 アヌ・リアドは、それぞれの神が治める、八つの国を作った。

 八つの国の八つの神は、人間との間に子を成し、それを後継者とした。

 千年近く生きた神々は、死後、それぞれが神の光の力を蓄えた球体になり、半永久の力の源を残した。

 神々は最期の時、もしもイトを開放すれば十番目の神が現れ、世界は再び変わるだろう、と伝えた。

~一部要訳~

『Ⅰ;序章』

 会議室のドアから出るなり、ソーマ=アヌ=リアドは溜め息を漏らした。長い前髪を後ろへ掻き上げる。伸びてしまった黒髪は、もう肩に届きそうだ。
「陛下、お疲れのようですね。」
「なんだ、来ていたのか。」
「はい。お迎えに参じるよう、将軍から直々に。」
黒髪を短く刈り込んだ、褐色に日焼けした肌の若者が、ソーマに傅いた。
「止めろ、アンセル。私はお前を軍部の右腕としているが、ただ優秀だからという訳ではない。俺はお前を親友と思っている。いつも言っているが、他の者が居ない時は普通に話してくれ。」
その言葉を待っていたかのように、アンセルと呼ばれた青年は、太陽を思わせるような笑顔で立ち上がった。
「んじゃ、まぁ、面倒だろうが、俺としては会議内容を把握しておきたい。」
彼の名はアンセル=ヒューガ。その肉体的に特異な才能と聡明さで、異例の昇進を続ける、二十二歳の若き中将である。一国の王であるソーマの右腕であり、無二の親友だ。ソーマはアンセルより四つ年上だが、アンセルを年下として扱ったことはない。
「内容か…。」
ソーマはうんざりした表情で、庭へと続く長い廊下を歩きながら思い出した。


「古代文明の解読は、一体どこまで進んでいるのだ!?」
最初に苛付きを見せたのは、三番目の神アルムスを称える、コウ国の王ホルス=アルムスだった。それぞれの国王は、神の名と力を後継している。短髪で髭を蓄えた、隆起した筋肉が自慢の短気な男。三十歳に即位をし、今年で八年目になる。この国は軍事に強い。
「進むも何も、まず言語が多種多様で、資料の真偽も定かではないのだ。衣食住、医療など、現代と共通した部分は発音が同じで表記が違うだけのものもあって容易いが、科学は大きく異なる。古代と現代では、エネルギーの元が違う。我々が使っているエネルギー、神光玉の力が古代で電気と呼ばれたものと類似している事は既に判明しているが、それを生み出すために、今では存在しない大地の生産物を使っている。今無い物から発展した物を復元するのは容易ではない。もう一つ言わせて貰えば、アステ国に封じられている古代文明の資料の開示が少な過ぎる。私にどうしろというのだ。やれることは全てやっている。」
誰とも目を合わせず、長口上をした初老の男はギル=ログレス。七番目の神の国、モンカの王にして考古学者。多くの研究者を輩出する国である。
「お言葉ですが、封印された古代の記録の開示は、基本的には禁じられています。数百年前に資料を開示したのは、生活の改善の為。あれは異例の事。我が国は神々が定めた法を重んじているのです。まして、それが兵器のものとなれば…。」
痩せこけた中年の男は、一切の感情を失くした様な、義務的な語り口で言った。彼は第四神国アステのゼファ=エクシール。
「ふん。笑わせるな。その禁忌を持ち去られたのはどこだと思っている?奴等はその古代の兵器を使ってきたのだぞ!」
ホルスが一層声を荒げた。
「我が国だけの責任とは思えません。許可無しに封印を解くには、相当な神力を持つ神術者が居る筈です。」
ゼファがちらっと、若い女性を見やった。視線の先に居るのは、第八神国タイラの王女セルーナ=ペアセ。医療の発展に従事する国だ。タイラ出身者には神術者が多い。神術とは自身の体内に流れる力を、自身とは異なる個体に反映させる事だ。言うなれば人体放電。これを使える者は神族である王族の血を受け継ぐものが殆んどだ。極稀に、血脈を持たずに使える人間も存在する。そういった者は神官として各国の神殿に迎えられる。
「その上、資料だけあっても、その内容を解読できる学者や、具現化する技術を持った者が居なければならない。」
「責任追及は止めましょう。ここで争っても仕方ありません。皆さん、お忘れですか?九の神の偉業の発端は、私たち人間間の争いだったのですよ?」
セルーナが少女のような声で、自身より遥かに年上の男達に諭した。とても二十歳には見えない。真っ青な瞳に長い金色の髪、人形のように整った顔立ちは、見る者を圧倒させる。
「そうは言っても、イトを信仰する者達の国家独立を拒否したのは、我々。その時点で彼らの蜂起を予測しなかったのは、我々の失態。戦争が始まってしまった以上、どの様な手を使っても、迅速に鎮めるのが我々の責務では?」
白くも見える銀髪を短くしている女性が、やや低めの声で一石を投じた。五番目の神セイの国、シレンセ国王女リン=セイ。その貫禄は男に引けを取らない。
「そうですね。死者が出ても、その骸を私の国の神器に投じれば、各国の神光玉の新たな力として充足されるわけですし。二年前も、あれはあれで助かった。」
淡々と語るのは、最年少の国王。第二神国王グラセウス=ソウ・イルは、まだ十五歳である。彼の国、イルズは世界の葬儀の一切を取り仕切る、死と再生の国だ。神器と呼ばれる巨大な金属の器の底は、地中深くまで伸び、そこから各国の神光玉に繋がっている。神光玉同士もそれで繋がったいるのだ。神が残したこれらの実態はまだ分かっていない。使う事は許されても、暴いてはならないのだ。それにしても、落ち着き払ったこの少年は、生まれながらに死と関わって来たせいか、既に戦後の後始末について考えているようだ。
「いやぁ、皆さん物騒だなぁ。ま、今のところイトの方は沈黙を続けているんだし、ゆっくり考えたらいいんじゃないの?」
時と場所と場合を完全に無視した喋り方。全く緊張感の無いこの男も国王だ。女好きで有名な第六神国ティティの王。名をカイル=アイデン。三十過ぎの軟派な男だが、腹の中が一番分からないと言う点においては、最も政治家らしいと言えるだろう。ホルスとは仲が悪い。案の定、ホルスが舌打ちした。
「ティティは打撃が少ないから、その様に呑気でいられるのだ!鎮まっている今だからこそ、奇襲をかけようと言いたいのだ、私は。ソーマ殿も何か言ったら如何か?二年前のリアズの惨劇を忘れてはおらんだろう。」
当たり前だ。忘れるわけがない。寧ろ、忘れたいほどのものだ。すぐにでも反撃に出たいと思っている国民は多い。しかし…。と、ソーマは眉を寄せた。
「下手にこちらから仕掛けて、寝た子を起こす様なことは避けるべきだ。だが、私はイトがこのまま沈黙を続けるとも思っていない。万一のため、古代文明の研究は進めた方が良い。しかし、それよりも急ぐべきは、このイトの沈黙の真意を解く事だ。」
あれだけの惨事を起しておきながら、そのまま一気に侵攻せず、沈黙しているのは何故だ?何を求めているのか?或いは、既に手の内にあるのか?ならば、それは何だ?処理出来ない疑問が頭を駆け巡る。
「確かに謎ね。我が国の調査ではイトを信仰しながらも、十番目の神の降臨を望んでいる。というところまでで行き詰まっている。」
リンが口惜しげに言う。部下達は優秀で、今まで思うように事が運ばなかった事は無かったのに。イトの初めての攻撃にも、リンの部下からの早い情報が被害を最小限に留めた。
「もしもそれが分かれば、戦わなくても良いかも知れませんね。」
セルーナは希望の光を見出せて喜んでいた。争いや憎しみは知りたくない。
「ま、どっちにしたって、相手を知らないんじゃ、打つ手も無いよねぇ。」


「我々リアズとコウ、モンカ、アステの四カ国から信頼できる者を集めて、古代文明兵器の研究を進める一団を結成し、残りの国にはそれぞれの方面からイトの調査を進めると決定した。全く、これだけの時間で決まったのはそれだけだ。」
ソーマとアンセルは大庭園の林檎の木陰に隠れて、他国の王達が外での立食会をしているのを眺めている。会議はいつもリアズで行われる為、ここは勝手知ったる庭だった。
「なるほど。」
と言ってアンセルは黙り、右の手首に付けた腕輪に視線を落とした。他の身なりとは合わない、青黒く変色した腕輪に。
 二年前リアズを襲った惨劇。その日、リアズは奇襲をかけられ、成す術も無かった。武芸を得意とする者の集団としての軍隊はあったが、その三分の一は実戦を前に動けなかった。長きに亘った平穏な生活が裏目に出たのだ。空挺から落とされた鉄の塊は、地面に触れると火に変わり、多くの犠牲が出た。未だに生死の判別がつかない者もいる。その中に、アンセルの姉、サティアも含まれている。当時、少佐だったアンセルはリアズの神殿の反対側で、侵攻してくるイト軍と戦っていた。その時、姉のサティアは、神殿で七人の神術者と、神官達と共に神光玉を守っていた。彼女は王族の血脈ではない。しかし、直径の王族に匹敵するほどの強力な神術者で、先代の国王の抜擢により、通常王族しか近付けない神殿内部に迎えられていた。リアズは辛くもイト軍を撃退し、神光玉は守られたものの、神殿は半壊しサティアは見つからなかった。その後、瓦礫の下から焼けて変色した彼女の腕輪が発見された。
「じゃ、俺は軍の強化に専念するか。」
同じ事を繰り返すのは、俺の方針に反する。今俺に出来るのは、リアズ軍の力を上げる事だ。サティアの為にも…。王族以外の神術者は、何故か精神の均衡が不安定な者が殆んどで、その為、四つ年上にしては人格的に姉という感じではなかった。それでも、アンセルにとってサティアは唯一の家族。妹のような姉、娘のような母だった。彼女を姉でなく名前で呼ぶのはその為だ。
「…ああ。任せたぞ。」
ソーマはアンセルに限ってだけ、他人の感情が分かる。ソーマもサティアとは数回面識がある。言葉は交わさなかった為覚えている事は少ないが、アンセルと同じ黒髪に黒い瞳の綺麗な女性だったと記憶している。一番印象に残っているのは、笑顔がアンセルそっくりだった事だ。アンセルは姉を失って、より強くなり、異例の昇進をした。ソーマは惨劇後二年間の彼しか、よく知らない。にも拘らず、ソーマが彼を血族より信頼しているのは、表面的な強さや頭の良さだけではなく、屈強な精神力の持ち主だからだ。彼はいつも無表情か、笑顔のどちらかだ。軍人としては珍しい。表面的な印象だけを見た者は、よく、自分とアンセルが似ているというが、それは間違いだと思う。
「お、あれ美味そうだな。食いに行こうぜ。」
「俺は遠慮する。折角会議が終ったのに、また腹の探り合いをするのは御免だ。」
「じゃ、ちょっと行って、お前のも取ってきてやるよ。」
「ああ。それは有り難い。」
「借りは返せよ。」
そう言って、アンセルは軽やかに、政治と言う名の闇の渦巻く人込みに消えた。王に向いているのは俺じゃなく、あいつだ。ソーマは常々そう思っている。政治的色彩の強い場で、相手の目線から意図を汲み取るのに長けているのは、アンセルの方だ。ソーマは感情というものが未だよく分からない。それは王としての英才教育の過程で、感情の発露の仕方を教えられなかったせいもあるだろう。感情の希薄と冷静さは別物だ。アンセルは自分の中の激情を知っていて、それを他人には分からせないようにしている。優しく、時に厳しい。だからこそ、部下から他国の上層部にまで慕われ、僅か二年で中将になったのだ。頂上まで登りつめるのは時間の問題だろう。
「やあ、ソーマ君。」
突然背後から声を掛けられ、ソーマが振り向くと、カイル=アイデンが立っていた。今日も真っ白な麻のスーツを着ている。光の加減で金色に輝く緋色の髪は長くウェーブがかかり、整った顔立ちが、余計に派手さを増している。
「…何の用だ。」
「冷たいなぁ。昔は本当の兄の様に慕ってくれていたのに…。仮にも従兄弟同士じゃないか。」
カイルの母親は、ソーマの母親の姉である。ソーマもカイルも血の繋がりを示す端整な顔立ちと、鮮やかな緑色の瞳を持っている。違うのは性格と歳と髪の色。数百年前までは、神族間の婚姻は認められていなかったが、最近では珍しい事ではない。確かに幼い頃のソーマは七つ年上のカイルを慕っていたが、女癖の悪さが発覚してから少し距離を置き、ソーマが即位してからは特に、個人的な関わりを持たないようにしてきた。
「アンセル坊やに取られちゃったなぁ。」
「勘違いするな。俺はあんたの部屋から泣きながら出て行く裸の女を何人も見ている。そんな奴を兄と慕えるか。それに、アンセルを坊や呼ばわりするのは止めろ。あんたより余程しっかりしている。」
「はいはい。アンセルがしっかり者なのは分かってるよ。ちょっと言ってみただけじゃないか。私がここに来たのは、アンセルが一人で腹黒い会話に加わっていたから、ソーマ君はどうしたのかと目配せしたら、素敵な笑顔が返ってきたので、また例のあれかと心配しての事なんだぞ?」
ソーマは会食の途中で姿を消す癖がある。
「心配には及ばん。アンセルが食い物を持って来てくれるのを待ってるだけだ。」
ソーマの言葉を聞くなり、カイルはふふんと鼻を鳴らした。
「なんだ、なんだ。坊やなのはお前じゃないか。世辞や厭味の一つも言えないようでは、一国の主としてはまだまだだな。」
それはソーマ自身が良く分かっている事だ。カイルもまた、ソーマの考えるところを良く分かって言っている。
「煩い。会議の後くらい、休みたいだけだ。」
しかし、カイルに言われるとつい言い返してしまう。こういうところは、他国の権力者には見られたくない。即位後、個人的な関わりを断っていたのはそのせいだ。
「そう言えば、セルーナ嬢がお前を探していたぞ。」
「何の用か聞いたか?」
「全く、お前は用が無ければ人と話をしないのか?あ、お前もしかしてアンセルとデキてるんじゃ…」
「おかしな事を言うのは止めろ。見境の無い自分を基準にするな。」
「酷いなぁ。いくらアンセルが私やお前に次ぐ美男子だからって、それはないよ。それならまだ、少しとうが立っているがリン=セイの方が…。いや、やっぱり若い方が…」
カイルは挑戦してみるか、等と呟いている。彼なりの冗談だと言う事はソーマも重々承知しているが、もし仮に挑戦したとしたら、アンセルはたとえカイルが国王であろうと彼を瞬殺するだろう。そう考えて、ソーマは少し笑った。
「で、セルーナの用は何なんだ?」
「ん?ああ。聞いてないけど、大体分かるよ。分からない?」
「面倒な男だ。分からないから、さっきから聞いているんだ。」
カイルが溜め息をついた。
「ただ話がしたいだけだよ。多分ね。」
「…。それだけか?」
「それだけって…。お前、神々の降臨から三千年の間、最も美しいと謳われる女性に好かれて、嬉しくないのか?」
「特にどうとも思わない。」
そもそも、ソーマには恋だの愛だのといった感情は理解できない。分からない感情には恐怖さえ感じる。女を知らないわけではないが、両親を見てもそういった感情を感じた事は無いし、自分がいずれ伴侶を得ても同じ様になるのだと思っていた。そうしてみれば、カイルの愚行も全く分からないとは言えない。
「大体、国の主同士の関係が、そういった感情によって良い方向に行くとは思えない。寧ろ迷惑だ。」
「可哀想じゃないか、そんな事言っちゃあ。可愛いのに勿体無い。」
「ならば、お前が代わりになればいいだろう。」
「ううん…。純粋すぎて、私には少し荷が重いな。…いや、かなり重い。」
「お前の方が酷い事を言っている気がするが?」
カイルが空笑いで誤魔化した。
「今日のところは、ソーマがここにいるのは内緒にしとくよ。おっと、お前の右腕が戻ってきたぞ。」
政治の渦から抜け出したアンセルが見えた。両手の皿には、料理が大量に盛られている。任務遂行時の様な身のこなしで、少しずつ人込みから離れていく。ソーマの居場所が知られないように、気を使っているのだ。アンセルは一度裏に回りこんでから、ソーマ達の前に現れた。
「やっぱり、カイル殿には見つかってしまいましたか。」
「よく言うよ。教えたんだろう?あんな素敵な笑顔で、皿の上の林檎を齧ったら分かるに決まってるじゃないか。」
「そうなのか?」
「いや、俺はただ、林檎をおいしく頂いただけですよ。」
と、アンセルが微笑んだ。この裏の無さそうな笑顔の前には、どんな大物も心を許す。あの卑屈なアステ国王のゼファや、理屈にこだわるギル、警戒心の強いリン=セイ、独裁的なホルス王さえ、アンセルに声を荒げる事は無い。むしろ、ホルスなどは彼を部下にしたいとソーマに打診した事もある。無論、ソーマは断ったが。彼を気に入らないのはグラセウスくらいだろう。しかし、グラセウスは、アンセルがというより、ソーマに敵対心を抱いている節がある。身に覚えの無いソーマはいつも、グラセウスを無視するか睨み付けるかのどちらかだ。
「君は本当に賢いな。」
「いえ、カイル殿には及びませんよ。」
ソーマには良く分からないが、アンセルはカイルを買っている。のらりくらりとした、女にだらしない苦労知らずの国王と、戦争で姉を失った気高く若き中将とでは、共通点を見い出せないが、この二人は意外なほど仲がいい。アンセルはカイルの柔軟さを評価している。アンセルが初めて彼と対面した時、彼の部下の一人がアンセルの若さと特殊な能力を痛烈に批判したのだ。しかしアンセルは、むっとしたソーマが言い返そうとしたのを宥めた。初対面ではよくある事だ。確かに若さは経験の少なさを象徴するし、神術を吸収して身体能力を上げる特異な体質は、他人から見れば脅威だろう。アンセルは黙って微笑んだ。それを見たカイルはその場で部下を降格し、アンセルに非礼を詫びた。他国の王の前で、なかなか出来る事ではない。それは一見、気弱で情けなく見えるからだ。が、その部下があっさり場を去ったところを見ても、カイルの国内の力は相当なものだろう。以来アンセルとカイルは互いを評価し合っている。
「何を話していたんですか?」
「そうそう、セルーナ嬢がねぇ。」
「ああ。探していらっしゃいましたね。」
アンセルがソーマを見る。ソーマはまさかと思い、食べる手を止めた。
「まさか、教えてないだろうな?」
「聞かれた時、林檎は食べなかった。…安心しろ。教えてないよ。」
「こいつは彼女が迷惑らしい。平和ボケしたお嬢さんは嫌いなんだとさ。代わりに私が彼女を持って行けと言ったんだよ。可哀想な事を言うだろう?」
「そこまで言っていない。」
「思ってるクセに。」
「それはお前だろう。」
「アンセルはどう思う?」
「セルーナ様ですか?それとも、彼女とソーマの事ですか?」
「うーん。どっちも。」
「そうですね…。セルーナ様はお綺麗だし、教養もおありですが、少々鈍いところがあるように思います。」
「そうそう。応用効かないんだよねぇ、あの娘。ま、ある意味、ソーマと似てるんだけどな。」
ソーマは少しむっとしたが、一緒にするなとも言えず、黙って食事を続けた。
「似ているものは、惹かれ合うか離れるかのどちらかだと言いますが、俺は、彼女とソーマは合わないと思いますよ。根拠は無いですが。」
「じゃ、アンセルは彼女に好かれたらどうする?」
アンセルが笑う。余りに現実味がないので、考える気も起きなかったが、カイルがどうしても答えて欲しそうだったので仕方なく答えた。
「ソーマの立場で考えるなら、自分にその気が無ければ直接はっきり言います。」
「おお、想像出来るよ。きっとあの笑顔でビシッと言うんだろうなぁ。君のそういうところが好きだよ。」
「こいつ、さっき年上の女より、若い男に挑戦するか、とか言ってたぞ。」
アンセルが噴出した。それがカイルの冗談だと言うのは彼も分かっている。一頻り笑ってから真面目な顔で呟いた。
「死にたいなら構いませんよ?」
「言うと思ってたよ。」
カイルも笑い出し、ソーマはひと時の間、国王である事を忘れた。


 会議から三ヶ月が経過しても、イトについての詳細は依然として掴めずにいた。だが他の事は変わっている。古代兵器については資料の開示により、着々と解明、研究が成されている。神術を動力とする新たな武器が開発、量産され、それを使った演習など、各国軍の強化も滞りない。神殿と王宮の周りのみだった神術による防壁も、神術者の数を増やし、人の多い地域まで広げた。入りきらなかった地域の住民には、避難勧告を出し、都市への移住を促した。人々の生活はより変わったようだ。軍に志願する者が増え、娯楽施設は緊急避難用施設に姿を変えた。武器の量産の人手も増加を辿っている。どの国も、イトに対する憎悪と闘志で満たされている。ソーマは複雑な思いでいた。書斎の窓から演習を行うアンセルと部隊を眺める。アンセルは中将とは別に、陸海空どの分野でも任務を遂行できる特殊部隊の結成に伴って、その隊長を任されている。
「やぁ、おはよう。」
一言も無しに書斎に入ってきたのは、カイルだった。
「今日も一層浮かない顔だね、君は。」
変わった事がまだあった。会議のあった三ヶ月前から、カイルは頻繁にリアズに来るようになった。市街で夜遊びし、ソーマの宮殿に泊り込むことも多い。
「今日こそ、自分の国に帰ったらどうだ。」
「国は大丈夫だよ。アンセル並みにしっかりした奴に任せてあるから。」
「そういう事じゃない。大体、こんな殺伐とした空気の中で、よく遊び歩いていられるな。」
「遊んでるんじゃないよ。偵察だよ。偵察。」
「それこそ、しっかりした部下に任せたらどうだ?」
「だって、君の様に国に閉じ篭って眉間に皺を寄せているのは、性に合わないんだよ。私の顔に皺があったら、女性が悲しむしね。」
やはり、ソーマには遊んでいるようにしか見えない。溜め息を付いて、再び窓の外に視線を戻した。
「流石だねぇ。アンセルは。」
カイルがソーマの隣に並ぶ。
「ああ。しかし、果たしてこれが正しいのか…。」
「おいおい、一番上が迷ってちゃ、下は混乱するだけだぞ。」
「分かっている。迷っているのではなく、先を案じているだけだ。イトを鎮圧したとしても、その後これだけの戦力を持て余す事になるのではないか、と懸念しているだけだ。」
「それは、その時考えるしかないだろう。とりあえず、お前とアンセルが健在でいる間は心配ないさ。」
どこまでも楽観的な男だ。溜め息も出ない。
「ソーマ、アンセルを見てみろ。あいつは強く賢いだけじゃない。人を育てるのが上手いと思わないか?」
「確かに。」
「あいつが育てて選んだ後継者なら大丈夫だよ。ま、道理でホルスが欲しがるわけだ。」
「誰に聞いたんだ?」
前にホルスがアンセルを迎えたいと言ってきた事は、誰にも話してない。
「こないだホルスに直接聞いたよ。珍しく向こうから話し掛けてきたと思ったら、アンセルとの仲を取り持ってくれないかと言われた。断ったけどね。私は男同士の見合いには関わりたくないから。」
「ホルスがお前のところに来たのか?」
「まさか。あの男が嫌いな人間の所に、わざわざ足を運ぶと思うかい?私の方がコウ国に行ったんだよ。」
「何をしに?」
「だから、偵察。私は何もリアズだけに来ているわけじゃないんだよ。確かに、回数的には陸続きのリアズが多いけど。」
そう言って、書斎の中央に世界地図の映像を出した。ソーマは驚きを隠せなかった。まさか、この遊び人が本当に偵察をしているとは思っていなかったからだ。
「何のために、偵察など…。」
「何って、イトの調査を決定したのはお前じゃないか。」
訳が分からなかった。イトは人の住みにくい北の荒野に陣取っている。いつからか、人がいないはずの土地に、人が住み、それがイトを名乗るようになり、独立国家を主張し、神光玉まで求めるようになっていた。
「人間は突然降って湧くものじゃないだろう。」
ソーマは言葉に詰まった。彼にとってイトの存在の認識は、今正にカイルが言ったようなものだったからだ。
「何かが存在するには、起源がある。元々人のいなかった地域に、人が居るということは、どこからか移住したわけだ。具体的に何処かというのはとりあえず置いておこう。移住したということは、前に住んでいた所で何らかの形で社会に組み込まれていた筈だろう?」
「確かに。」
「それをわざわざ住みにくい土地に移り住むなら、何か原因があったはずだ。結果的に多くの人間が移住しているとなれば、誰かが必ず何かを知っている筈なんだよ。」
「それで、各国の市街地に足を運んでいたのか。」
「そう。女性は寝物語が好きだからね。いきなり上層部を探るより、こっちの方が遥かに遂行しやすい。」
「何か掴めたのか?」
「ま、これは公式発表でないということで、話してやってもいいかな。うちの国に娼館が多い事は知っているな?」
「ああ。」
これも、ソーマはカイルの趣味だと思っていた。
「男とはいつの世も代わり映えしないものだ。各国の重要人物までが人目を避けて訪れる。しかし、女は大概口が軽い。中傷や脚色も混じっているが、娼婦たちの情報交換の速さは凄まじいのだよ。」
「で?」
「まぁそう急かすなよ。全体的に見れば平和な世界も、細かく見ればそうでもない。元々は社会に馴染めず、炙れた人間が集う場があったようなんだ。最初は細々と馴れ合いながら生活していたが、不思議な事にある日突然イトの血脈を名乗る人物が現れた。無論そんな者は存在するはずが無いのだが、生活に疲れて希望を求めていた矢先の事で、みんなこぞってそいつに付いて行ったらしい。ここまでは、イトはただの新興宗教。十年近く前の話だ。」
「十年前、というと…。」
ソーマが十六歳、カイルが二十三歳、アンセルは十二だ。その頃で思い出すのは、アンセルの入隊とサティアの神殿入り。少しずれるが、ホルスの即位。その数年後に自分も即位した。それくらいしか思い出せない。
「停電。一瞬だったが、国境を越えた停電が起きている。現代の歴史上、例の無い事だ。にも拘らず、原因究明は成されていない。色んな事が、ちょっとずつ気になる。リン=セイが直接的な線を追うなら、私は見落とされた点を探ろうと思ってね。」
「それでは、まるで、起こるべくして起こった戦争みたいな言い方だ。」
「ソーマ君。そういうものだよ、世の中は。悪者らしい悪者が、急に世界を滅ぼすのは物語の中だけだ。三千年語り継がれた神話も、鵜呑みにするには少々、粗が目立つ。この事、アンセルには話しておいた方がいいかもな。勘付いてはいるだろうが…。」


 演習中のアンセルを呼びつけ、事の次第を説明すると、カイルの想像通り、アンセルは全てを難なく受け入れた。
「君も、何か気になる事はないか?何でもいい。」
「そうですね…。一触即発の現状では、良い事かも知れないですが、数ヶ月前から開発支給されてきた武器について気になりますね。開発期間が短すぎませんか?会議での決定から一ヵ月後には既に量産が始まった。」
「ああ。私も気になっていたが、開発にうちが関わっていないんで、探りを入れられなかった。ソーマはどう報告を受けている?」
「資料の全面的な開示のお陰で、順調に進んでいるとしか…。」
迂闊だった。下唇を噛む。戦争一色の空気に呑まれていたのはソーマも同じ。順調でない事には注意を払っていたが、速やかな流れの底には無頓着だった。
「今更だけど、こういう状況下では、全てに疑いを持った方がいいぞ。本当に信頼出来るのはアンセルくらいだよ。ま、お前にはそういう奴がいるだけマシか。私など、愚か者扱いで、誰も構ってくれないんだから。」
カイルはソーマの気が反れる事を願って、拗ねて見せた。こいつが下唇を噛むのは自己嫌悪に苛まれている証拠だ。生まれた時から才能があるために、周囲に期待され、完璧である事を求め、求められてきたソーマには、小さな見落としも大罪に値する。カイルは今でも、この挫折知らずの従弟を弟のように思っている。完全でないのは罪じゃないと、もっと早く教えておけば良かった。カイルの思いを見て取ったのか、アンセルが口を開いた。
「それに、あの銃器。神術の力を充電させて放つものだ。まるで、俺の体と同じ構造だとは思いませんか?それで、気になった事がもう一つ。俺の存在です。歴史上、俺のような身体能力を持った者は神族の中にもいなかった。気付いたときには孤児で、サティアしかいなかった。サティアも、自分達がどこから来たのか知らない。なのに、いくら類を見ない神術者だからって、国の核を扱う仕事を唐突に抜擢するだろうか。さっきの話で思い出しましたが、サティアの抜擢は、停電の直後だった。」
「確かに、引っ掛かる話だな…。」
「今は亡き先代の国王達同士の遺物も探った方が良さそうだ。現在の国王との接点もな。」


俄かに、辺りが騒がしくなった。ドア越しに、誰かが叫んだ。
「陛下!アンセル様!襲来です!イトが…」
三人は部屋を飛び出した。
「方角は?」
「北方、十一時方向から空挺が一機接近中。まだ海上です。」
長い廊下を駆け抜けながら、詳細を聞いていく。外へ出ると、既にリアズ軍の空挺が数機上空にいた。アンセルが専用機へ向かう。機動性を重視した小ぶりな専用機の入り口で、アンセルはソーマとカイルが後にいる事に気付いた。
「何のつもりです!?」
「俺も行く。」
「馬鹿言うな!」
アンセルが足を止めて、ソーマの腕を掴んだ。
「王として、見届ける義務がある。」
「その王に何かあったら、後はどうする!戻れ!」
ソーマは黙ってアンセルの腕を振り解き、空挺に乗り込んだ。アンセルが毒づく。ソーマが頑固なのは知っている。
「私も行くよ。大丈夫だって。君は強い。」
カイルまでが空挺に乗ってしまった。仕方ない。アンセルが乗り込み、操縦室へ向かうと、二人も付いてきた。押し問答の時間はない。
「上げろ!最速で向かえ!」
アンセルの声と共に離陸、発進する。戦闘予測地区まで、半時はかかる。空中戦にならないことを願った。どの機体にも銃器が装備されてはいるが、まだ実験段階だ。イヤホンマイクをソーマとカイルにも付けさせた。
「敵機の映像は出せるか?」
「了解!」
室内の中央にホログラフィーが現れた。中型の空挺が一機。
「これだけか?」
「はい。その他、現在上空にいるのは全てリアズ軍です。」
どういうつもりだ?アンセルは考えるが、どの方向から考えても、我が軍に有利な状況しか浮かんでこない。しかし、わざわざやられに来る事などあるだろうか。空挺の数から考えても、圧倒的に不利だ。なのに引き返す気配は無い。秘策があるのか?一体…
「アンセル、考えすぎだよ。」
カイルが肩を叩いた。
「…ええ。そうですね。では、戦闘予測地点に着いたら、それ以上は進まず、陸上戦が得意な者は降りて待機。空挺操作の出来る者は、再び離陸し機内で、もしもの空中戦に備えろ。」
「はい!」
「まず向こうの出方を見る。以上を全艦に通信しろ。」
通信による戦闘任務統制が行われる。予測地区まであと少しのところだ。
「おい!アンセル!空挺が降りてきてるぞ。」
怪訝な顔でアンセルがホログラフィーを見る。敵機は確かに着陸態勢に入っている。地点はこちらが予測した地区の遥か北だ。どんどん下降している。遂には着陸し、中から灰色の服を着た戦闘員が降りてきている。数は三百程度。陸上戦なら、リアズが完全に数で勝っている。しかし、敵機は、戦闘員を降ろすと再び離陸した。速度を緩めて、陸の戦闘員が迫ってくる速度に合わせている様だ。
「当初の予測地点を一時方向に1キロ前方へずらせ。そこから俺達の機を最後尾に、後は十時から十二時方向の幅に、四層で十機全て扇形に配置。低空飛行に移行。指定地点に到達した者から、陸上戦闘員を下ろせ。降りた者は全隊、徒歩で敵に向かえ。空挺は離陸し、地上戦の後を追え。敵機の動きを見落とすなよ!以上、健闘を祈る。」
「伝達完了!」
今まで並行に飛んでいた、リアズ軍機が下降を始めた。
「陛下もカイル殿も、この機から降りないで下さい。いいですね?」
「分かった。」
「邪魔しないよ。あ、もう邪魔か…。」
「お前は、どうするんだ?」
「俺は降ります。空中戦より、陸の方が役に立ちますから。」
アンセルは装備を始め、他の戦闘員もそれに従った。装備が済むと、機長の席に行き、ソーマ達を指して、何事か囁いている。
「何と言ってるんだ?」
「多分、何かあったら、直ぐに避難する様指示してるんだろう。俺達は今のところただの足手纏いだよ。」
「着陸しました!」
「了解!」
ソーマは一時の感情で動いてしまった事を後悔した。自分の命を危険に晒すのは厭わないが、結果的に自分がアンセルの命を危険に晒している。アンセルは操縦席から戻って、外へ出ようとしている。すれ違い様にソーマは言った。
「アンセル、死ぬなよ。」
「…大丈夫。俺は強いって、カイル殿も言ってたし。」
いつもの、太陽の笑顔を残して、アンセルは機体を降りた。再び離陸が始まる。上空から見る人間は蟻の様だった。リアズが黒で、イトは灰色だ。
「敵の戦闘員の映像は見られるのか?」
「は、はい!陛下!」
映し出された画面に驚いた。銃器を持っている者も中にはいるが、殆んどが、剣などの直接攻撃系の武器だった。二年前、あんな惨劇を見た後にこれを見るとは思わなかった。リアズ軍は全員が銃器と剣の両方を使っている。窓から下を見ると、軍同士がぶつかり合う瞬間だった。そこまで高くないせいか、上空にいても、音が伝わってくる。案の定、灰色の粒は、どんどん黒い粒に呑まれていく。イトは後退しながらも、撤退しない。無駄じゃないのか?何がしたいんだ?
「ソーマ!空挺の底が開いたぞ!」
ずっとホログラフィーに齧りついていたカイルが言った。窓から更に上空を見上げると、確かに敵機の下腹がゆっくりと開いていく。その下は、丁度イトとリアズ軍の分かれ目だ。次の瞬間、轟音が鼓膜を揺らす。相互の軍はその衝撃で、少し距離が開く。高さ4、5mはあるだろう、黒い金属と思われる十字型の柱が、地面に突き刺さっていた。
「アンセルと通信できるか?」
「はい。繋ぎます。」
イヤホンを通じて、下の音がより鮮明に聞える。突然降ってきた巨大な鉄の柱に、おののく人々の声が聞える。
「アンセル!聞こえるか?ソーマだ。」
《ああ。聞こえる。》
「あれは何だ?一体何が起こってる?」
《遠くて分からない!…人だ!上の方に人間が吊るされてる。》
〝これを見るがいい〟
雑音に混じって、声が聞えた。どうも敵機から聞えてきているようだ。すると、敵機の頭部の斜め下に、大きなホログラフィーが現れた。
「あの映像を拡大してくれ!」
「はい!」
画面に現れた映像はひどく荒かったが、映し出されているのは、真っ白な足だと言う事が分かった。黒っぽい筋がある。血だった。滴った血を逆撫でるように、映像は上に上がっていく。脛から膝、腿。裸だった。
「これは…吊るされている人間の…?」
《ああ。女だな…。嫌な、予感がする。全員、全艦に告ぐ!退却だ!》
艦隊は少しずつ退いたが、窓から見える敵に近い黒い粒たちは、中々その場を動かない。まだ戦っている。自分達が勝っているという優越感が命令の無視に繋がっているのだ。
《全員退け!》
アンセルの怒号が聞える。
「ソーマ!見ろ!」
カイルがホログラフィーを指した。窓から戻って見ると、映像は遂に、吊るされた女の鎖骨まで上がっていた。血まみれだった。
「アンセル、敵艦のホログラフィーは見えてるか?」
《ああ。》
顎、唇。そして、顔が完全に映し出され、カメラは動きを止めた。
〝こうなりたくなければ、我々を受け入れろ。〟
敵機からの声が告げた。ソーマは眉を寄せた。青白いこの顔、見覚えがある。虚ろに開いた眼の中の黒い瞳。波打つ黒髪は…。
「あれは、お前の…。」
《サティアだ…。》
アンセルの驚きと絶望が伝わってきた。
〝これは警告だ。〟
敵機の声が響く。ホログラフィーに見入っていると、彼女の口元が動いた気がした。気のせいか?
〝もう一度言う。〟
いや、やはり動いている。項垂れていた彼女の頭がゆっくりと起き上がる。
〝こうなりたくなければ、我々を…〟

『▼▼▼▼▼▼』

彼女の頭が正面を向き、唇がはっきりと動いて、見開かれた瞳が黄色く変色した。それを境に全ての音が消え、映像も全て消える。次の瞬間耳を劈く高音が走った。
「くっ…。」
ソーマ達は耳を押さえながら、窓から外を見る。彼女を中心に、黒い膜のようなものが広がっていく。
「なんだ、あれは…。」
球状に広がる黒い膜は、全てを呑み込んでいく。それは、黒と灰色の粒が逃げるのを追いかける様に、どんどん広がっていく。
「アンセル!聞えるか?アンセル!」
イヤホンからは雑音しか聞えない。ソーマは何度も呼びかけた。


「ソーマ!聞えるか?」
撤退を促し、戦場を駆け抜けながら、アンセルも通信の途絶えたソーマに呼びかけていた。最初の退却命令を守った兵士たちは、次々に救助の空挺に乗り込んでいる。自分の専用機が上空にいるのを確認した。
《アンセル!聞こえるぞ!大丈夫か?》
同時にソーマの声が聞こえた。通信が回復したようだ。
「ああ。大丈夫だ。そっちは? 」
《大丈夫だ。あれは、サティアに間違いないのか?》
「…ああ。しかも…」
この惨状を起こしてるのもサティアだ。アンセルは逃げ惑う兵士たちの波に逆らって、サティアの居る方を見た。
「ソーマ、敵艦が見えるか?」
《ああ。だが、もう引き返している。》
「敵兵達は?」
《置いていかれたようだ。どんどん呑み込まれてる。お前は?今どこだ?早く逃げろ!》
奴らが兵を置いて逃げると言う事は、この展開は予想外だったということか?それにしても、どこまで広がる?一体何だ?目前に迫った黒い膜に呑み込まれた兵士の悲鳴が聞える。呑み込まれた人間は瞬時に黒く焼け焦げて崩れた。
《こんな神術見たことが無い…。》
ソーマが呟いた。…そうか。アンセルは兵士の波とは逆に歩き出した。
「俺が止める。」
《何言ってる!逃げろ!》
「神術なら、吸収できるかもしれない。」
《神術かどうか、分からないんだぞ?危険過ぎる!逃げてくれ!》
「いや。このまま広がったら、俺やリアズどころじゃない。世界が死ぬ。」
イヤホンを投げ捨て、向かってくる黒い膜に立ちはだかった。


「アンセル!おい!…くそっ。」
ソーマは再び途絶えた通信に、アンセルの覚悟を悟った。
「あいつ、一人で止める気か。」
カイルの言葉もソーマの耳には届かないようだ。もう、どうする事も出来ない。アンセルはやると言った事は必ずやる。ソーマは黙って、何かを耐えていた。
「アンセルの映像は出せるかな?」
カイルは乗組員に言った。
「あ、はい!やってみます。」
直ぐに映像が現れ、巨大化した黒い膜の前に、唯一人、立っているアンセルが映った。
「見届ける義務があると言ったのは、君だ。言った以上、見ろ。」
カイルは俯いたソーマの顔を上げさせた。


 アンセルは手を伸ばし、集中して黒い膜が触れるのを待った。自分だけを只管信じる。膜と接触する直前に、中心にいる唯一の家族が見えた。あらん限りの声でその名を叫ぶ。
「サティアァァアア!」
膜に触れた手のひらが熱い。止まった。黒い膜が微動だにしない。
「っ…」
アンセルの身体全体と黒い膜が大きく脈打つ感じがした。膜に触れた手のひらの輪郭が、俄かに発光し出す。徐々に光が膜に沿って広がって行く。反発されていた手のひらが、相手を失って、すっと膜の中に入った。手を伸ばしたまま、ゆっくりと膜に歩き出す。アンセルの身体が進むごとに、光は速度を増して膜を包み込んでいく。一度発光した場所は順々に元の空間に戻っていった。一歩ずつ踏みしめて、中心に向かう。膜も光も無くなった大地には真っ白な灰が降り注いでいる。半ばに差し掛かる頃には、光が膜の全てを浸食して、辺り一面、雪のように白い灰が舞っていた。アンセルは少し立ち止まって周りを見渡した。
「終った…か…。」
再び足跡を残しながら、サティアの下に歩み寄る。彼女は両手首を鎖で繋がれ、首飾りのように十字の鉄柱に掛けられていた。アンセルは銃で鎖を打ち砕き、ずり落ちてくる彼女を受け止め、そっと地面に横たえる。
「サティア…。」
反応が無いが、彼女の口元に耳を当てると、微かな息遣いが聞えた。生きている。抱き抱えて振り返ると、彼方でリアズ軍の空挺が着陸し、人が降りていた。その先頭にソーマとカイルの姿が見えた。


「アンセ…」
「行くな。」
駆け出そうとしたソーマをカイルが引き止めた。
「何がどうなるか分からない。ここで待て。…見ろ。アンセルなら無事だ。」
真っ白な灰の舞い散る中を、サティアを抱いたアンセルが、しっかりとした足取りで近付いてくる。後ろでは、危機を救った英雄を称える歓声が聞こえている。
「…分かった。」
ソーマは歓声の中に安堵を覚えた。死者も出たが、被害は少ない。二年前の惨劇を経て、初の勝利を祝う力が残っているなら大丈夫。更にアンセルが無事ならば問題は無い。
「しかし、アンセルの力がこれ程とは思わなかったよ。」
カイルは近付いてくるアンセルを見つめた。目を細めるとようやく彼の顔が見える。アンセルはサティアを見ていた。痛々しいような表情だった。彼のこんな顔を見たのは初めてだ。それは、危機を救った英雄の顔ではない。英雄と言うより、妻を失った夫のようだとカイルは思った。しかし、歓声がはっきりと届く距離になると、アンセルの顔はいつもの凛とした表情に戻っていた。英雄の名にふさわしい顔だ。アンセルとの距離が縮む中で、カイルはさっき見た表情の事は話題にしない事を決めた。
「アンセル!無事か?」
「ああ。俺は平気だ。…それより、サティアを医者に。まだ生きてる。」
カイルが上着を脱いで彼女に掛けた。


『Ⅱ;姉弟』

 一時間後、彼女は王宮の医院に運ばれ、ソーマとカイルは書斎でアンセルが戻るのを待っていた。引っ切り無しに入っていた、他国からの勝利への賛辞がやっと一段落したところだ。それと同時に、明日、緊急会議が開かれる事になった。
「君も見てみなよ。みんなお祭り騒ぎだ。」
窓から外を眺めていたカイルが楽しそうに言った。
「…これでいいのか?少なからず、死者も出ていると言うのに…。」
「明日追悼式をやるって伝えたんだし、今日はいいんじゃないの?」
「しかし…」
「気にするなら、次の戦いの事だよ。今日のは、リアズ軍というより、アンセルの活躍だ。自分達が強いと思い込んで、油断すると大変な事になる。」
「…確かにな。」
「ま、でも、その辺もアンセルがきちっとやってくれるだろうから、君は大きく構えていればいいのさ。」
ドアを叩く音が聞え、入室の許可をするとアンセルが入ってきた。
「失礼します。」
「待ってたよ。リアズの英雄殿。」
カイルの言葉を笑顔で返す。ソーマはいつもの対応に安堵した。
「からかわないで下さいよ。」
「サティアの容体は?」
「まだ眠っています。詳しい検査の結果はまだ分かりませんが、相当な虐待を受けていたのは確かでしょう。」
ソーマもカイルも、じっくりとは見なかったが、血管が透けるほど白い肌にこびり付いていた血液は頭に鮮明に残っている。
「あの出血では…」
「いえ、それが、どうやら殆んどがサティアのものじゃない。ぱっと見て分かる外傷は殆んど無いそうです。」
「じゃ、あの血は…。」
「俺は、返り血、だと思う。それと…。腕に、かなりの数の注射の跡が。検査結果は明日出るそうです。」
「目覚めるのか?」
「分からない。ただ、自分で呼吸できているし、眠っているだけのようだと。今出来るのは点滴くらいで、生命維持装置は必要ないということです。」
「そうか…。」
重い空気が流れた。この姉弟は戦争によって酷い仕打ちに合わされ続けている。サティアの状態を聞くに、生きていた事が良かったのかどうか、疑問を持たずにはいられない。
「…で、君はあの黒い神術をどうやって消滅させたんだい?私は君の力を聞いてはいたが、実際に吸収するところは、見たことが無いんでね。」
「俺達は、斜め上空からしか見ていなかった。」
「良く分からないんですよ、それも。でも、あれは俺達が普段知ってる神術じゃない。そして俺がやったのは吸収じゃない。」
「じゃあ、どうなったんだ?」
「多分、一番的確な表現は、中和。」
「…中、和…ねぇ。」
カイルは分かるような分からないような、という表情をした。
「あの場から持ち帰った灰を調べてもらうよう、先程、ギルに伝えておいた。一応現場も封鎖してある。あの時捉えていた映像も分析にまわした。」
「迅速な対応、ありがとうございます。」
「何故お前が礼を言うんだ?」
「サティアのせいで、多くが死んでいます。」
「あれは、イトが仕組んだもので、サティアは利用され…」
「いや。利用されたのはされていたんだろうが、黒い膜は奴らの計算外の出来事だった、と俺は思う。」
「根拠は?」
「まず、敵機が中型一機で戦闘員の数が少なかった。二年前の惨事から、リアズの兵力が上がるのは予想出来ていたはずだ。その二年前より少ない戦闘員を寄越したのは、あの鉄柱を落とした時奴等が言ったように、ただ警告の為だったのではないかと。」
「確かにイトは、警告をした神の名だ。それを信仰するなら、警告をしたというのも頷けるが、それなら何故、中途半端な数の兵を?どちらにせよ、あの数では勝ち目は無い。警告だけなら兵を下ろさずにした方が損害は少ないはずだ。」
「それは、こっちの兵力を確かめる意味もあったんじゃないかな?」
「それにしても、合点がいかない。」
「それについては、戦略として俺も疑問が残りますが、あの黒い膜が発生する事を予期していたと考える方がもっとおかしい。止める事が出来なかったら、世界は消滅しただろう。そうなれば、警告の意味は無い。もし、止め方が分かっていたなら…。」
「手放して逃げ帰るはずは無いな。」
「そう。止め方どころか、起きる事さえ知らなかったと思う。」
「少なくとも、あの場に居合わせた者は、警告のつもりでやった。それが、何かがきっかけであんな事になって、慌てて逃げた。アンセルはそう思うわけだね。」
「はい。」
カイルの含みのある言い方に、ソーマが食いついた。
「何だ。そのいやらしい笑顔は。…あんたは、違う見解なのか?」
「うーん。似ていて否なり。あの場に居た者は警告のつもり、というところまでは同じ。でも、あいつらよりもっと上はどうかな?」
「だとしたら、さっきアンセルが言ったように、知っていたなら最大とも思える戦力を手放して帰るはず無いというところに戻るんじゃないのか?」
「そうかな?止め方を知りたかった奴がいたとしたら?リアズの兵力というより、アンセルの力を試したかったんだとしたら?」
「それはおかしい。それなら、サティアの力を知っていた事になる。知っていると言う事は一度試した事があるという事だ。もしそうなら、俺達は今ここに居ないだろう。」
「うーん…。」
カイルはしばし考えた。今回がその実験だったとしても、アンセルを自分達の方に引き込んでいなければ、結局自分達からサティアを手放す結果になるし、やはり予め何かを知っていなければ実験も何も無い。そもそも、サティアが生きていたと言う事は、二年前にリアズを制圧しようとした惨劇で、捕らわれたと言う事になる。
「…そうか。二年前の惨劇は、リアズを、神光玉を狙ったんじゃなかったのか。」
「どういう事だ。」
「二年前、リアズに戦争をしかけたのはサティアを奪うためだったとしたら?」
「…そうですね。でも、何故、必要だったんですか?数居る神術者から、わざわざサティアを選んだ意味は?」
「兵器を作るためのエネルギー。彼女の神術力の強さ。」
「何を言っている。その二年前の時点で、イトは既に戦力を持っていた。だから惨劇に発展したんだ。」
「より強大に…。」
「でも、結局は手放したんですよ?温存すれば生きている間使える力を捨てるには、理由がある筈。」
「理由…。」
「その筋書きで方向性は合っていたとしても、今回起こった事に結び付けるには、少々足りない事が多いですね。」
「…だよねぇ。」
「自分で言っておいて、その対応は何だ。全く適当な奴だ。」
「まぁまぁ。今日は疲れてるし、また明日考えようよ。」
カイルは二人の肩を叩いた。
「折角だから、祝杯を上げようじゃないか。」
肩に置かれた手をソーマが払い落とす。
「一体何がしたいんだ、お前は?」
「何って、考えても仕方ない時は、飲んで食べて、寝るに限るって言ってるんだよ。」
「考えさせたのはお前だろうが!」
「だって、気になったからちょっと言ってみたんだよ。」
「やっぱり、お前はただの馬鹿だ!」
「やっぱりって事は、ちょっと私を見直してくれてたって事かな?」
「いや、違う。確信したんだ。改めてな。」
ソーマの本心はカイルの言う通りだったが、素直に頷いて弟呼ばわりされるのは癪だったので、逆の事を言ってやった。
「ソーマは本当に冷たいなぁ。さっき共に戦場を生抜いた仲じゃないか。なぁ、アンセル?」
「ええ、まぁ…。」
「お前は何もしてないだろう!アンセル、こんなふざけた奴に話を合わせなくていい。」
「まぁ、お二人とも。とりあえず、食事にしましょう。俺、腹減ってるし。」
「ほら、アンセルもお腹空いたってさ。」
「アンセルはいい。お前は駄目だ。」
ソーマがアンセルを連れて部屋を出る。カイルも後を追いながら、新たに調べなければならない事を考えていた。


「では、ソーマ様はご無事なんですね?」
セルーナは自室で一戦の報告を受けた。
「はい。先程、祝辞を入れておきました。明日会議が開かれます。」
「…どうして…」
「なんでしょう?」
「…いいえ。なんでもないわ。ありがとう。下がっていいですよ。」
「では、失礼致します。」
秘書が部屋を出て行った。窓から外を見下ろす。この国はいつもと変わらない。溜め息をついた。…どうして…。どうして、みんな私には何も教えてくれないんだろう。彼らの掲げる理由は分かっている。セルーナは身体が弱い。今日も、つい今しがた熱が下がったばかりだ。先代の彼女父親が、セルーナを王女に選んだのも神族の直系だからというよりも、手厚い看護を受けさせる為だったように思えてくる。勿論、彼女は世界屈指の神術者だが、その力を使うと身体への負担は大きい。神族でない神術者は精神への負担が大きいが、彼女はそれより実際の身体に症状が出る。ペアセの家系にはそういう者が多かったせいか、タイラ国の医療は飛躍的に進歩している。
「セルーナ様。」
ドアが叩かれた。
「なんでしょう。」
「リン=セイ様がお見えになりましたが、どういたしましょうか?」
「会うに決まっているじゃない。どうして?」
「いえ、お身体の方がどうか、判断しかねたもので…」
「私はもう大丈夫ですよ。リンを通して。」
「かしこまりました。」
しばらくして、リン=セイが現れた。濃い茶の皮のパンツに薄紫のシャツ。セルーナに反して活動的な彼女は、隣国と言う事も重なって、姉のような憧れの存在だ。
「調子はどう?」
「見ての通り、とても元気よ。」
セルーナはその場で回転して見せた。桜色の絹のスカートが、空中に綺麗な円を描く。
「そのようね。」
言葉ではそう言っても、本当のところそうは見えなかった。折れそうなほど華奢で色白のセルーナは、リンから見れば常に元気には見えない。
「リアズの一戦はもう知ってるわよね?」
「ええ。さっき聞いたわ。熱が下がったばかりで、仕事は秘書が全てやってしまっていたけれど…。」
「そう。それで、明日の会議なんだけど、多分戦場を映した映像を見ると思う。その映像なんだけど…。」
リンは言葉に詰まった。彼女は既に戦場の映像を見ている。悪夢のような映像に、セルーナが卒倒するのではないか、と心配してきたのだ。今先にここで見せておいた方がいいのか、明日彼女が倒れないように支えるか、迷いながら来たのだ。
「どうしたの?はっきり言って。あなたらしくないわ。」
「…そうね。あれは酷い光景よ。被害は別として、二年前のリアズの惨劇の比じゃないわ。」
「そんなに…酷いの?」
「ええ。だから、予め、あなたに見せて今失神するか、明日会議中にそうなるか、どっちがいいか迷って来たの。でも、一度見たら、明日また見るのは辛いかとも思うし。」
「大丈夫よ。今見るわ。」
「本当に?」
「大丈夫。」
リンは隠さないでいてくれる。映像の事より、それが嬉しくてセルーナは頷いた。
「わかった。」
リンが小さな薄い金属の円盤を機器に挿入した。悲惨な音は避けた方がいいと思い、音量は最小に設定する。映像は空挺同士が兵を輩出するところから始まった。敵兵が映る。上空から兵同士がぶつかり合うのが捉えられている。リアズ軍が圧倒的に押している。と、突然敵の空挺から黒い十字の槍が地面に突き刺さり、空挺から大きな映像が現れる。拡大された映像にはつま先から順に、人が映し出されている。女性だった。あの黒い筋と染みはなんだろう。やっとその顔が映し出された。綺麗な人…。虚ろな黒い眼。死んでいるの…かしら…。可哀想に。すると、そこで一旦映像が止まった。
「どうして止めるの?」
「ここからよ。ここからが、酷いの。覚悟はいいわね。」
「大丈夫だって言ったわ。リンは心配しすぎよ。」
リンが再び映像を動かした。その綺麗な女性の唇が微かに動いた。良かった、生きている。頭が動き、次の瞬間その女性はカッと目を見開き、黒だったはずの瞳が黄色に変わり、何か叫んだ。再び遠くからの映像に切り替わる。鉄柱から、いや違う。その女性から黒い膜が広がって行く。人が呑み込まれている。呑み込まれた人間の拡大映像になった。黒い膜に入った人間は沸騰しながら真っ黒に焦げて、最後には崩れた。
「っ…」
「セルーナ!?」
セルーナは最後まで見る前に、洗面台に駆け込み、戻した。気持ち悪い。足が震えていた。リンが映像を消して、セルーナに近付いた。震える背中を擦る。やはり、見せておいて良かった。倒れるより、よっぽど酷い。
「大丈夫?」
無言で頷いているが、とてもそうは見えない。
「…あの…女の人…、どう、なったの?」
「生きているらしいわ。今はリアズの王宮の医院に収容されてる。名前はサティア=ヒューガ。アンセル中将の姉。」
アンセルの姉、サティア。名前と共に光景を思い出し、セルーナは意識を失った。


「アンセル!よくやった!私はお前を前から買っていたんだよ!」
会議が始まり映像が流された直後に、ホルスが上機嫌で言った。今回の会議には、重要参考人として特別にアンセルの同席が認められた。アンセルはソーマの隣で、黙って席を立ち一礼した。カイルが察するに、アンセルはホルスに褒められた所で、全然嬉しくないらしい。いつもの笑顔すら出ないところを見ると、嬉しくないどころか嫌気が差しているんだろう。
「アンセル。座っていいぞ。」
ソーマはむっとしている。ホルスの、戦場を酒の肴にするような言い方が腹立たしかった。
「で?サティアの方はどうなんだ?」
「まだ、眠ったままです。検査の結果、長い間、覚醒剤と睡眠薬を大量に投与されていた事までは分かりました。激しい虐待の痕もあったと医師から報告を受けています。」
実はもう一つ分かっていた事があった。サティアには出産か流産の痕跡が見られると言われたのだ。そこから判るのはもう子供を持つ事は不可能ということ。しかし、医師もはっきりとは言えないと言ったこともあって、それはソーマとカイル、アンセルの三人だけが知り得る事になっている。その提案をしたのはカイルだった。
「あの白い灰はどうだった?」
話がサティアから反れるように、ソーマがギルに話を降った。
「今のところ、単なる灰だとしか分からない。しかし、あの鉄柱は…。」
ギルがアンセルを見た。
「アンセル中将は、あの鉄柱には触らなかったのか?」
「…しっかり触ったわけではないですが、サティアを下ろした時、触れていないとは言い切れません。」
「そうか。」
「なんだ、ギル。勿体ぶらずに早く言え。」
ホルスが急かす。
「調査に行った研究員の一人が、あれに直接触って、重症だ。」
「どういうことだ?」
「他の研究員は防護服と手袋を着用していたんだが、一人だけうっかり触ってしまったらしい。指先が触れただけだったが、そこから火傷の様なものが出て、時間を追う毎に広がり、肘の辺りにまできたので、結局腕を切断するしかなかった。今のところ、回復に向かっている。」
「そんな…。」
セルーナがより蒼白になる。さっきの映像で倒れなかったのはカイルには驚きだった。多分、リン=セイが何か手を打ったのだろう。横目でリン=セイを見ると、机の影でセルーナの肘を支えていた。
「それで、その切り落とした腕の解析は?」
「その前に、溶けて無くなってしまったのだよ。」
「細菌か何かの感染ですか?」
「いや、削って持ち帰った鉄柱の粉には、そういったものは無かった。もう一つ、質問したいのだが、サティアの治療に当たっている者に、そういった症状の出た人間はいないか?」
「いいや。そういった報告は受けていない。」
「ふむ…。やはりそれでは、細菌などによる病原体は無いな。」
となると…。ギルはあの状態に近いものを見たことがあった。それは古代文明の資料の中に、ほんの数枚しか無く、殆んどがその症状を写した写真だった。『核兵器による放射能汚染』とだけ記された資料。その兵器の作り方はおろか放射能とは何かも、どの文献にも載っておらず、完全に抹消されていた。ただ、今までの経験から、古代では今回のように人体から発生する力でなかったのは確かだろう。しかし、古代文明時代、人体からの放電、すなわち神術も存在しなかったようなので、今回サティアがそれを起こしたとしても不思議ではない。アンセルにしても・・・、これは素晴らしい発見だ。ギルは珍しく微笑んだ。
「でも、死体が出ないなんて、困った力ですよね。」
唯一人、アンセルに冷たい視線を送ったのは、グラセウスだった。
「これじゃ、兵器を作るのに莫大な力を消費したのに、何も戻ってこない。」
「…申し訳ありません。」
「アンセル、謝る事は無い。」
ソーマがグラセウスを睨み返した。
「元を正せば、イトの攻撃が原因だ。」
「それにしたって、迷惑な事に変わりないですよ。兵器開発のために足りない力を補うために神術を使って、セルーナは昨日も熱を出したって僕は聞いたけど?」
「そうなのか?」
「…ええ。でも、その事とアンセルの事は関係ありません。私の身体が弱いからです。」
「もう大丈夫なのか?」
「はい。昨日の熱も、元々少し体調が優れなかったからです。昨日一日休んだら、もうすっかり。」
セルーナが頬を上気させて微笑んだ。ソーマに心配された事が嬉しくて仕方ないらしい。ソーマは気付いていないとはいえ、罪な事をするものだとカイルが一瞥をくれると、隣にいたアンセルの方がにやりとして口元を隠した。ソーマは不服そうなグラセウスを睨むのに忙しいようで全く気付いていない。
「リン=セイのところで調べている、イトの事は何か発展があったのかい?」
「いえ、潜入させた人員からの報告で、特に変わったことは。イトの長とされる人物達は一向に姿を見せず、下の者はひたすら兵器を作っている。今回の一件があったので、サティアと思われる女性と接触があった者がいたかどうか、更に調べるよう言っておいた。ただ、食料や物資の出所はイトではないようです。どこから支給されているのかは、まだ。」
リンは言ってしまってから後悔した。彼女は隠し事をするのが苦手だ。諜報員からの連絡で、あれだけの量の物資を支給できるのは、国家レベルの何かが関わっているとしか思えないと言っていたのだ。もしもこの中にその関わりを知る人物がいれば、今の発言で部下を危険に晒した事になる。しかし、もし部下との連絡が途絶えれば、それは即刻この中の人物が関わっている事を示す。吉と出るか凶と出るか。リンは図らずして賭けに出てしまった。しくじった。その思いはリンに質問したカイルも同じだった。しかし、カイルの方はこういう事に犠牲は付き物と割り切っている。
「ゼファ、お前も黙っていないで、何か無いのか?」
ホルスが仮にも自分の父親と同じ世代のゼファに、命令するように言う。
「…私はただ、資料を管理するのみです。皆さんの様に特別な存在ではないですから。」
ソーマは彼が何故、ここまで卑屈なのか分からなかった。確かに、神術を全く使えないのは、現国王の中では彼だけだ。だが、ゼファもギルと同じく国王としての実暦は長い。
「今回の件はここまでにしませんか?僕は、サティアとアンセルの力をイトが知ったら、まず奪還しに来ると思うんだけど。」
「私も、その事が心配です。またリアズに攻撃があったら…。」
セルーナが胸を押さえる。
「そうね。彼らが警告だと言ったなら、次があるということは確かだわ。」
「私は、そう直ぐの事ではないと考えている。」
「なぜです?」
「もし、私がイトなら、危険な賭けには出ない。今の時点では、たとえ二人を捕らえる事は出来たとしても、アンセルを洗脳でもしない限り、力の制御は不可能だ。ならば少なからず、奴等がアンセルを調べる事は必至。アンセルの力量を知れば、そう簡単に落ちない事はすぐに分かる。制御できない力を下手に刺激したら、自滅する。今度こそ世界を滅ぼしてしまうだろう。」
ソーマの言葉は、室内に静寂をもたらした。それぞれが思いを巡らせていると、会議室のドアが乱暴に開いた。
「何だ?会議中だぞ!」
「す、すみません、あの、大変です!」
「奇襲か!?」
「いえ!サティア様が、お目覚めに…」
「本当か?」
「それが、酷く錯乱していて、手に負えず…」
聞き終わる前にアンセルが部屋を飛び出した。ソーマが続き、カイルも同時に駆け出す。ゼファとグラセウスを残して、他の全員が後を追った。


「どうなっている!?」
ソーマ達三人は、ほぼ同時にサティアの部屋の前に着いた。集中治療室は金属の壁とドアになっていて、中は見えない。閉ざされた両開きのドアの前で、医者が座り込み震えている。
「…き、急に暴れだして…」
アンセルがドアを開けようとするが、全く動かない。
「それで?」
「それで…、鎮静剤を打とうと…。そうしたら、全員外に弾き飛ばされて…」
「中にはサティアだけか?」
「はい…。」
「アンセル、退いてくれ。」
ソーマが神術で開けようとする。隙間が開いたが、すぐに中から押し返された。カイルが手伝うが同じ事だった。
「駄目だな…。」
「ソーマ殿!どうなっている?」
ホルスが追いついた。ギルも一緒だ。その奥に、セルーナとリンの姿も見える。
「サティアが閉じ篭っている。神術で塞がれているようだ。俺とカイルだけでは開けられなかった。」
「よし、手を貸そう。」
「私も手伝います。」
全員が同時に力を使っても、開いたのは精々拳が入る程度で押し戻される。何て強い力。セルーナは映像を思い出し、恐怖を感じた。
「すみませんが、セルーナ様、手をお借りしてよろしいですか?」
アンセルが片手を差し出した。
「え…。」
「俺が力を吸収してから、また少しだけドアに隙間を作ってください。そこから俺がこじ開けます。」
「分かりました。」
セルーナが手を出すと、アンセルがそっと握った。すると、一瞬身体が冷たくなったように感じ、身体が軽くなるような、不思議な感覚が訪れた。
「…ありがとうございます。」
アンセルが手を離すと、セルーナの身体は何事も無かったようにすっきりとしていた。
「では、皆さん、お願いします。」
ドアが軋みながら隙間を開ける。アンセルが空かさず手を入れ、片方を押し、もう片方の扉を手前に引く。人間とは思えない力がアンセルに満ちているのが伝わる。手前に引かれた方の扉がギリギリと音を立てて開いていく。
「くっ…ぁあ!」
蝶番が外れ、大きな金属音と共に扉が剥ぎ取られた。間髪を入れず、アンセルは部屋に飛び込んだ。ベッドが横倒しになり、医療器具の散ばった部屋の隅にサティアの姿があった。壁を背にして蹲っている。
「…俺だ。分かるか?」
反応が無い。近付こうと一歩踏み出すと、空気が破裂音を出し小さな稲妻がアンセルの体を鞭打った。防ごうとした腕に当たり、皮膚が裂け、血が流れる。視線をサティアに戻すと立ち上がっていた。垂れ下がった黒い髪の間から顔が覗く。どこを見ているか分からない瞳の色は、毒々しい黄色。アンセルが更に近付こうとすると、彼女は高低に割れた声で叫んだ。
『クルナッ』
ドンという鈍い音がして、金属の壁が大きく凹んだ。その衝撃にアンセルも弾き飛ばされそうになったが手で振り払い踏み止まった。さっきセルーナから吸い取った力がまだ残っている。サティアがもう一度叫ぼうと息を吸い込んだ隙に飛び掛り、彼女を両手で壁に押さえ付け、力を吸い取っていく。奇声を上げて、尚も暴れようとする彼女の瞳を覗き込んで彼は言った。
「…俺だ。アンセルだ。サティア…。」
動きが止まり、彼女の目の焦点が徐々にアンセルに合わさる。完全に目と目が合い、瞬いた彼女の瞳の色は、黒に戻っていた。
「…アン…セル…」
名を呼ばれて、彼は押さえ付けていた手を離す。
「…会いたかった…」
サティアはアンセルにそっと寄り添い、アンセルはそれを受け止めた。


 ソーマは国王達に今日のところは引き取ってもらうように頼んだ。リンは怯えるセルーナを連れて、すぐにソーマの指示に従ってくれた。カイルは君達は野暮だと言いながら、グラセウスとゼファを無理矢理連れて帰った。ホルスとギルは最後まで食いついていたが、アンセルが笑顔で謝ると、素直に帰って行った。サティアは新しい治療室に移された。アンセルと王達が帰るのを見届けて、再びサティアのところに向かう。遠雷が聞えた。
「…雨に、なりそうだ。」
「ああ。そうみたいだな。」
いつもと変わらないアンセルの声が返ってきた。長い廊下を歩く間、ソーマはアンセルに何と言っていいか分からずにいた。血を分けた姉弟と言うのは、ああいうものなのだろうか。一人で育ったソーマには分かるはずも無いが、考えずにはいられない。部屋の外から見ていたさっきの光景は、まるで、引き裂かれた一つのものが元に戻ったのを見ているような気がしたからだ。ソーマにとってアンセルは無二の親友だが、サティアは危険な兵器そのもの。その二つが重なる事など有り得ない。その筈が、先程最後に見た光景は全く違う印象を与えていた。
「遅かったねぇ。」
医院に繋がる扉を開けるとカイルが立っていた。
「お前、帰ったんじゃ…」
「帰るなんて言ってないよ、私は。」
「では、今すぐ帰れ。」
「嫌だ。」
「お前は、無神経すぎる。」
「そんな事ないだろう。だから、皆を帰すのを手伝ったじゃないか。まぁ、アンセルが帰れって言うなら、そうしない事も無いけど…。」
この言い方は帰る気が無いことを表している。
「そんな事は聞かなくても分か…」
「いいですよ。俺は。」
アンセルが割って入った。
「ほらね。」
カイルが満足そうに言う。
「こいつが王だからって気を遣わなくていいんだぞ?」
「気なんか遣ってねぇって。ソーマこそ、俺に気を遣うな。」
「俺は、別に…」
「いや。お前、普段、天気の話なんかしないだろうが。」
「それは…。」
全くその通りだ。ソーマは普段、相手の様子を探るような事はしない。
「それに、信用できる人物が誰か、サティアに教えておかなきゃならない。カイル殿が戻ってくれたのはいい機会でしたよ。」
「ほらほら。大体女性の扱いはソーマより、私の方が洗練されているしね。さぁ、行こうか。」
二人が歩き出してしまったので、ソーマも仕方なく後に続いた。サティアの新しい治療室は、さっきまでの集中治療室とは違う、部屋らしい部屋だ。アンセルが木製のドアを叩いて声を掛けてから中に入る。白いベッドに座っている兵器は、ソーマが思うよりずっと人間だ。ソーマとカイルを見て、警戒している。自分を見つめる目の鋭さはアンセルにそっくりだった。
「サティア。こちらはカイル殿。隣国の国王だ。ソーマは分かるよな?」
サティアは黙って、ソーマを見たが、首を横に振ってアンセルを見返した。
「神殿で、何度か会った事があるはずだ。」
「…私、神殿に、いたの?」
アンセルが振り向き、三人は顔を見合わせた。アンセルはサティアに向き直り、ベッドの箸に腰を下ろした。ソーマ達も側にあった椅子をベッドに寄せて座る。
「じゃ、覚えてるのは、何だ?」
「一番良く覚えてるのは…、家で、私が料理を。…その時、アンセルが、腕輪をくれた…」
「この腕輪の事か?」
アンセルが腕から外して見せた。
「多分…。でも、こんな色じゃなかった…。」
「サティア、それは今から十年も前の話だ。その日、俺は軍に入隊して、サティアは神殿に迎えられる事が決まった。それを祝った日のことだ。」
「十…年?」
動揺している。
「戦争の事は覚えてるか?」
「戦争…。足元で、たくさんの人が戦って…」
「いや。それは多分昨日の事だ。じゃぁ、昨日の黒い膜は?」
「何?それ…。」
沈黙が流れた。殆んどの記憶を失っている。アンセルが語り始めた。
「十年前、サティアは十六歳でこの国リアズの神殿に入って、神光玉を守っていた。それが八年続いて、俺は少佐になった。そして、イト神を信仰している奴等が戦争を仕掛けてきた。その時神殿も攻撃を受けて、そこにいた筈のサティアは行方不明でこの腕輪だけが見つかった。今から二年前の話だよ。俺は今二十二歳でサティアは二十六歳。」
彼女は目を見開いたまま、聞いていた。それはそうだろう。いきなり人生の半分近くの記憶を失くしてしまっている、と言われたら言葉も出ない。泣き喚かずに聞いているだけいい方だ。アンセルがソーマに許可を貰い、過去十年間の世界の動きを語るのに足りる映像を見せながら、現在進行中の出来事を説明する。現国王の顔や名前から、イトの蜂起のきっかけ、二年前の惨劇の映像が流れても、サティアはただじっと映像を見つめていた。急に全てを告げられても実感など無いに等しいだろうとソーマは思った。
「…で、次が昨日の映像だ。」
「ちょっと、アンセル?あれはまだ見せない方が…」
カイルと同じ様にソーマも思った。
「大丈夫ですよ。」
言う前に既に再生している。しかも音量を上げている。大音量で大きなホログラフィーを見ていると、まるでもう一度昨日を体験しているようだ。何度見ても悲惨な映像だった。時間を重ねる毎に、感覚のどこかではこれが本当に起こったとは思えなくなってきている。二年前の惨劇の方が余程現実味がある。映像が終る直前に音響と違う方向から声が聞えた。
「ミンナキエロ」
ぎくりとして振り向いた瞬間、サティアの瞳が黄色く見えた。
「皆消えろって言ったの。」
良く見ると彼女の瞳は黒のままだった。見間違いか。
「ずっと、悪い夢を見てた。さっき目が覚めた時居た様な金属の部屋にいて、動けない私を不気味な生き物が少しずつ食べていく…。途中でもう一人の私が出てきて、夢だって気付いたけど、止まらなかった。体が浮いてて、下に人がたくさんいたのを見た時も、違う夢が始まったと思った。もう我慢できなくて、みんな消えろって叫んだ。後は分からない。」
「…あの部屋の感じのせいで、目覚めた時も暴れたのか。」
ソーマの言葉にサティアが頷いた。その上、十年間の記憶の欠落で、アンセルの顔も直ぐに分からなかったのか。
「あの力、兵器として必要だ。切り札になる。」
いつものアンセルと違って、サティアには冷酷なほど明確に真実だけを告げる。見ているこっちがはらはらしてしまう。
「分かった。訓練する。」
と、サティアからは意外な言葉が返ってきた。
「私が言うのも何だが、無理はしなくていいんだよ?」
カイルが優しく言うと、サティアは怪訝な顔で見返す。
「無理じゃない。使えるようになる。」
「いや、そういう意味じゃなくて…。彼らは君に、その…。怖くないのかい?」
カイルは虐待の事を指している。乱暴された経験のある多くの女性は、その事を隠すようにする。相手を前にして怯えるのが普通だとカイルは思っていた。
「…何されたか、大体分かるけど、怖くない。覚えてないから。」
誰とも目を合わさず、独り言のように、事も無げに続けた。
「でも、やられたら、やり返す。」
昨日アンセルがサティアの体の血痕を、即座に返り血だと言った意味が、わかったような気がした。

 食事を取らせて寝かしつけ、アンセルはサティアの部屋を出た。書斎でソーマが待っているので、足早に向かう。サティアの復讐心に火を点ける事が出来て一安心していた。彼女の精神力は決して強いわけではない。だからこそ目の前に、夢中になれるものを掲げたのだ。本当は何でも良かった。一番手近にあったものが復讐だっただけだ。この戦いにはもう既に、自分もサティアもどっぷり浸かっているのだから、今更巻き込まないように手を回すより、更に攻めていく方が、二人には合っている。サティアは一度心を開いた者に対しては、何としても忠義を尽くす。今はまだ、日が浅いが、ソーマとカイルの名が自分の後に連なるのも時間の問題だろう。あの力だけでなく、アンセルは彼女の全ての制御装置なのだ。
「失礼します。アンセルです。」
「入れ。」
「遅くなってすみません。」
「いや、構わない。サティアはどうだ?」
「とりあえず、飯を食わせて、眠らせた。明日の会議で招集されることは話したが、供述の方向性は明朝と言う事にしてある。」
「…あれで、良かったのか?」
「いいんだよ。あいつは立ち止まって考え出すと抜け出せなくなる。考える隙を与えない事が一番だ。」
「…強いな。俺が思っていた印象とはまるで違う。それとも、彼女は変わったのか?」
「いいや。弱過ぎるから、選択肢が多ければ多いほど、悩んで自滅する。選択肢を予め設定しておくのが、俺の役目だ。」
サティアは変わっていない。元々切れると手が付けられなかった。それを鎮めるのがアンセルの役目。放出する力の大きさが変わっただけだ。不思議な事に、自分とサティアは比例して力を強めているようだった。
「何だか、お前の方が兄のようだな。」
「ああ。自分でもそう思う。でもこれが合ってる。あいつが何か不始末をしたら、直ぐに言ってくれ。説教するから。」
「そんな事して大丈夫なのか?」
「サティアは一度忠誠を誓った者には逆らわない。」
「…なんだか、野生の動物みたいな言い方だ。」
「その通りだよ。見ただろ?あの暴れっぷり。」
と、アンセルが笑う。
「ああ。セルーナは怯えて、失神しそうだった。」
冷静に思い出すと、おかしくなってきた。ソーマも釣られて笑い出す。
「しかし、状況の飲み込みの速さは、流石お前の姉、と言う感じだった。」
「言っただろ?あいつは一度忠誠を誓った者には逆らわない。俺が言った事は無条件に受け入れる。ずっとそうやって来たから、あいつにとっては簡単な事だ。…そういえば、カイル殿は?」
「一旦帰ると言って、さっき出て行った。やっと清々したよ。」
「カイル殿も、サティアを見て唖然としてたな。」
「ああ。あいつもきっと、あんな女に出くわしたのは初めてだったんだろう。動揺していた。」
「嫌われてないといいけどな。」
「いいさ。嫌うくらいで丁度いい。大事な人物に手を出されたら困る。どうせそそくさと帰ったのも、女のところへ行くためだろう。」
「…だと、いいんだけど。」

「お帰りなさいませ。」
「ああ。何か、変わった事はあったかな?」
「いいえ。軍部も滞りなく。」
「…例の件は何か進展したか?」
「はい。これを…。」
カイルの秘書が取り出したのは、手紙の束だった。
「前国王の部屋の、机から。二重底の下から出てきました。」
「中は見たか?」
「いいえ。隠されていたものを見つけるのが私の役目です。それ以上の事は命令されておりませんので。」
「そうか。ありがとう。下がっていいよ。あ、そうそう。今日はもう帰っていい。」
「ですが、仕事がまだ…」
「元は私の仕事だ。今日君は結婚記念日だろう。君の名で送った花が届いているはずだ。帰ってゆっくりしなさい。」
「ありがとうございます。では、失礼します。」
秘書が部屋を出ると、手紙の束を手に取った。宛名も差出人の名も無い封筒の色が、経過した年月を物語っている。自身の父親である前国王の部屋は、今でも放置されている。彼が亡くなり、カイルが即位したとき片付けずに封印されたままだ。カイルと父親の間には交流が無かった。期待も失望もされずに育った。無関心。お互いにだ。自分がやらずに、秘書に父親の部屋を探らせたのも、任務とはいえ今更関心を向けるのが癪だったからだ。部屋を放置していたのも、それが本音だった。それが今役に立つとは…。十年、もしくはそれ以上前に何かあるとすれば、その時の国王が何かしら知っている筈だ、しかし、同時期に既に国王だったギルとゼファは、知っているか否かは別として、直接聞いても無駄だろう。もし知っていて隠しているなら、聞いた時点でこちらの手の内を読まれ隠蔽工作がなされる。そう踏んだカイルは秘書に前国王に隠された物が無いか、秘密裏に調べるように指示した。死人に口は無いが、その代わり嘘も吐けないし、実際に動く事もできない。
「…後にするか…。」
手に取った手紙を机に仕舞った。今は何も手につきそうになかった。ソファに寝転び体を伸ばす。目を閉じると、黒い瞳の女の顔が浮かんだ。
「サティア…。」
復讐を誓った恐ろしい兵器。そう思おうとしても、昨日と今日に亘る凄まじい力を思い出しても、駄目だった。自分のものにしたい。新しい治療室で改めて彼女を見た瞬間から、その衝動は収まらずにいた。美しい女なら他にも大勢知っている。それなのに彼女だけが頭から離れない。気持ちと言うより、自分の血が、彼女を欲しがっているようだった。

【まず初めに、あれを我が国に収める事に賛成してくれてありがとう。大切に見守る事をここに誓う。我々の存在が偽りでなかった事に、そして新たな時代の幕開けに祝杯を挙げよう。】
【息子の不始末を謝罪する。彼の国を取り持ってくれてとても感謝している。】
【あれは封印した方がいい事実だ。神々の最後の忠告を忘れたか?】
【何を隠しているか、検討は付いている。世界の財産は共有すべきだ。】
「どう思う?」
「…うん…。」
どう思うも何も、頭がまだ働いていない。早朝と言うには早すぎる時間に、ソーマはカイルに叩き起こされた。ソーマは自室のベッドに座ったままだ。こめかみを擦り、眠気を追い払う。
「…これは、何の手紙だ?」
「それが分からないんだって。」
「どこにあった?」
「先代の王の部屋に隠されていた。今見せたのは、一番古そうで、筆跡の違う四通だ。後の手紙はここに書いてある・・あれについての経過報告とか、今見せた内容と似たようなものが続いている。…なんだと思う?」
「分かるわけ無いだろう。大体、差出人も宛名も無い上に日付も分からないんじゃ、調べようも無い。」
「そうなんだけど、やっぱり、何か臭うんだよ。」
「それならギルの所で筆跡や何かを調べてもらえばいい。」
「駄目だって。」
「何故だ?」
「だって、封印とか我が国とか、国単位の陰謀だったら、前国王と同期にいたギルもゼファも何か知ってて隠してるんだ。秘密のある奴に秘密の証拠を渡せる訳無いじゃないか。」
我が儘な子供の様な言い方に、ソーマは溜め息を付いた。
「…今のところ、お前の誇大妄想にしか聞こえん。それとも他に何か知っているのか?お前の方が、何か隠しているんじゃないのか?」
「違うって。」
「では、なぜそこまで陰謀とやらに拘る?」
「勘。」
「は?」
「だから、勘!そういう気がするんだよ。絶対。絶対おかしい。」
「勘、なぁ…。」
どうしようもない奴だと思う反面、カイルがおかしいと思うのも分からないわけではない。その上、このふざけた男の勘は意外と的中率が高い。困った。
「…では、この手紙の事は隠す事にして、現在の争いの起源に関わっていそうな者には、極力情報を流さないようにしよう。」
「良かった。信じてくれて。」
「違う。万全を期しているだけだ。全面的に信じたわけじゃない。」
「酷いなぁ。これから暫く一緒に暮らすっていうのに。」
「…今、何て言った?」
「今日から暫くここに居るから。さっき来た時、君の使用人に荷物運んでおいてもらったよ。あれ?言わなかったっけ?」
「言ってないし、勝手に…」
「大丈夫。私が国に居なくても、世の中は勝手に回ってくれるから。」
もう何を言っても無駄だな。ソーマは頭を切り替えて、カイルに提案した。
「お前の父親の書斎から見つかったのなら、俺の父親の遺品の中にも何かあるかもしれない。探してみよう。」
「ちゃんと取ってあるのか?偉いな。」
「お前だって、書斎をそのままにしてあったんだろうが。」
「いや、私の場合、興味が無かったから放置していただけだよ。はっきり言って存在すら忘れていたね。まさかこんなところで役立つなんて、人生分かんないもんだよね。」
「まぁいい。付いて来い。」
ソーマが敷物を派手に捲り挙げると、地下に続いていると思われる床の扉が現れた。取っ手を掴んで引張り上げると、長年使われていない事を示す蝶番の軋む音が響く。明かりを必要とする地下へ続く階段は相当古そうだった。
「アンセルは呼ばないの?」
「あいつ今日は疲れている。お前の途方も無い話に付き合わせるのは可哀想だ。知らせるのは何か掴んでからでいい。」
言い放って電灯を片手にどんどん降りて行く。人一人しか通れない幅の階段は螺旋状に長く続いていた。肉体労働の嫌いなカイルが付いてきたのを後悔し始めた頃、やっと開けた部屋に出た。明かりを点けると整理された戸棚や箱、歴代の王の肖像画、色々な物が置かれていた。
「先代の私物はこの中だ。」
「どこから探せばいいかな?」
「さぁな。俺も全く見当が付かない。父親と呼べるような間柄じゃなかった。どんな性格かも見当が付かない。勘はお前の専売特許だろ?やってみろよ。」
ソーマは眠気も手伝って、階段に腰掛けながらカイルががらくたを漁るのをただ眺めた。
「おい、これってお前が即位したときの肖像画じゃないか。仕舞ってないで飾れって。いい男なのに勿体無…」
「俺はそんなものに興味がない。そんな若い頃のものなど、威厳のかけらも無いからな。」
「…なんか中で、カサカサ音がする。」
「なんだと?」
ソーマがカイルから絵を奪い、振ってみると確かに音がした。ソーマは手近に飾ってあったナイフを取って、枠を外し、キャンバスの木枠から生地を剥がす。と、同時にはらはらと落ちてきた封筒には、やはり何もかかれていなかった。
「ほーらね。私の勘は当たるんだよ。」
得意になっているカイルを放っておいて、中を開けた。手紙と、二枚の子供の写真。
「【同じ筋に返すのが当然だ。しかしこの写真は返す。誤解が生まれるとも限らない。】」
「この字、私の先代の物に似ている…。」
カイルがさっきの手紙の最初の一枚を取り出して見せた。
「こっちがお前の父親の字じゃないか?で、今見つけたのが、この手紙に対する私の父親の返信…だとすると、収められたものはリアズにあるということだ。」
「そういう事になるが、引き継いだものなど何も無いぞ?」
「引き継がなくてもどうにかなるのは、置物か、逆に意思のある生き物。」
「この写真の子供か…。」
まだ髪も生え揃っていない赤ん坊と幼女だ。二人とも黒髪に黒い瞳。
「…アンセルと、サティア…かな?」
「まさか。サティアが力を発揮して神殿に来たのは十年前だぞ?収めるなんて言葉が使われてるくらいなら、もっと前からいい待遇で宮中に迎えられているはずだ。」
「だから、それを隠したかったんだよ。孤児って事にして、一般人の中に隠した。」
「なぜ隠す必要が?大体、どこにいるのかも分からないが、二人の本当の両親はどうした?殺したとでも?」
「特別な二人を産んだくらいだから、その線も考えられる。」
「だが、昨日のアレを見るまで、そこまで特別とは分からなかった筈だ。」
「じゃ、・・あれ以上に特別な何かがあって、その副産物がアンセルとサティアだったというのはどうだろう。とにかくこの二人は絶対アンセルとサティアだよ。」
「根拠は?」
「この二人はそっくりで、姉弟だという事は間違いない。更に後に写っているのは、建て替え前のリアズの孤児院。リアズで黒髪に黒い瞳の、これくらいの年齢差の姉弟の孤児は多くない。建て替え前に来た姉弟の孤児はサティアとアンセルくらいだと思う。改装したのは…」
「確か、十年位前だ。創立は二十二年前位だった筈だ。」
「この少女の歳は三つか四つくらい。赤ん坊は一歳になっていないように見える。そうすると、今の二人の歳とも大体合うし、それまでリアズに孤児院なんて無かったじゃないか。二人の為に作られたように感じるんだよね。」
「…お前、どうしてそんなに孤児院に詳しい?しかも俺の国のだぞ?」
疑いの眼差しを向けると、カイルは飄々と答えた。
「娼館と孤児院は一心同体なんだって。だから私の国には娼館と同じだけの孤児院がある。最初は孤児院を見て回るのは、娼館を増やし続けた責任を感じるためだ、と父親に連れて行かれてね。それが癖になっちゃって、他の国の孤児院まで見て回るようになってしまったんだよ。だから、君の国に限らず、大体の施設の概要は知ってる。」
「へぇ。」
少し感心しながら、ソーマは考えた。確かに他にも妙な一致がある。二年前の惨劇で行方不明になっていたサティアは、十年の記憶を失くしている。丁度十年前に神殿入りした日からだ。行方不明になった時よりも前に戻ってしまっている。神殿にいた間に、既に何かがあったということか。
「お前の仮説が合っていたとしても、それと戦争への繋がりが一向に感じられんのだが?」
「うーん…。答から問題を予測するのは難しいよね。ほんと。」
得意の空笑いが響く。
「…。お前、考えるのを放棄したな?」
「あ、戦争といえば、私達がイトの独立を認めていたら、戦争にはならなかったと思うかい?」
「…うむ…、そうかもしれないな。…いや、分からない。」
「私達が反対したのは、神話に基づく代々の教えが根元にあったからだと思う。あちらさんも独立は絶対に認めないだろうと、予期していたと思うんだ。どうして、私達はそこまでして迷信じみた教えに逆らえないのか、自分が不思議で仕方ない。その時点でもう、誰かの手のひらにいるような気がしてね…。」
「疑えば切が無いぞ。リン=セイが言っていたように、事態がこうなってしまった以上、迅速に終息させるしかない。」
「…謎を解かずして押さえ込んでも、また次が現れる。どっちに進んでも犠牲が出るなら、半永久の環を断ち切った方がいい。明日の会議で、サティアには一芝居打ってもらおう。」
「どういうことだ?」
その切り口で、何故その結論に至るのか分からない。
「彼女が特別なものとすればだけど、前王が二人関わっているなら、手紙の事を考えても、他に関わっている者がいるだろう。彼女が使えないと思ったら、さて、どうなるか。」
「ちょっと待て、国家レベルでそんな賭けは…」
「いや、何か起きるなら、起こってからがこの世界の本当の姿だ。見せてもらおうじゃないか。私の準備は出来ているよ。」
不敵に微笑むカイルを見ながら、ソーマは自分に欠けている何かを見た気がした。

 会議は大成功に終った。勿論、ソーマ達四人から見ての話ではあるが…。カイルの目論見通り、サティアが全く使えないという事を全員に信じ込ませる事ができた。使えるかどうかは、ソーマ達にも検討が付かなかったが、問題はそこではない。
 あの後、アンセルに全てを打ち明けると、彼はサティアに指示を出す事を快諾し、目的と要点のみをサティアに伝えた。あまりに簡略化されていて心配になったが、サティアは自ら拘束衣を要求し、それを着て会議に挑んだ。何も見ず、誰に何をされても反応しない。その姿勢を三時間に及んで貫いた。その隣で、アンセルは普段絶対に見せない、辛そうな顔をしていた。アンセルがサティアの精神力は脆いと言っていたが、ソーマには強いようにしか見えない。三時間もあの状態を続けろと言われて、出来る人間などなかなかいないと思った。途中、ソーマの方が、芝居ではないのではないかと心配になったほどだ。王達全員が去り、サティアの病室に戻った途端、彼女とアンセルがやっと視線を合わせて笑い出した。
「少し、やり過ぎた?」
「いいや。あれ位で丁度良かった。でも、涎が出た時は、どうすべきか少し迷ったな。」
「私もうっかりしてて、どうしようか迷ったけど、アンセルが動かなかったから放っといた。」
そう言ってまた笑う。初めて間近にする二人の笑顔はそっくりだった。アンセルがいればサティアも笑うのか。初めて目にする光景を前に、ソーマとカイルは状況を飲み込めず、出遅れた。
「…本当に、サティアには、驚かされてばかりだ。」
「見てるこっちがはらはらしたよ、もう。」
サティアはアンセルから視線を外すと、真剣な表情で言った。
「私の血液と尿の検査結果を見たいの。」
「ああ。多分ここからでも出せる。」
ソーマが機器を操作すると、すぐに紙が排出された。その束をサティアに渡し、サティアは読んだ後、自分の腕の注射根に目を落とした。
「おかしい。」
「…何が?」
「注射の跡が新しいのに、血液にも尿にも、微量の薬しか検出されてない。」
「投与した量が少なかった、とか…」
「…多分違う。自分が生きてるのかも分からなくなる位だったのに、この量でそれは有り得ない、でしょ?」
「…確かに…。」
しかも成分表を見ると、かなりきつめの薬剤が投与されている。カイルもその紙の束をペラペラと見た。
「なるほど…。排出される量がこの程度になるには、何日も掛かるはずだねぇ。けど、一番新しい注射の跡は精々三日前。」
「…はい。多分。それに、昨日見た一昨日の私の映像からみても、最後の薬が安定剤とか睡眠剤で無かった事は…分かるでしょ?」
「そうだな…。ということは、あの力の出現には、安定剤とは逆の物…覚醒系の薬剤が起因になっているのではないか、と言いたいのか?」
「そう。…試してみたい。」
「試す。…か…。」
ソーマは考えあぐねた。サティアの言い方が、まるで難病治療の被験者の様だったからだ。彼女の持つ力を病気とするなら、試す事は悪化を促進させるようなものだ。更にその力を利用しようとしている自分の方こそ、彼女に取り憑く病原体なのではないだろうか。善悪を決定し、他を導く立場にある自分が恐ろしくなった。ソーマが判別できる許容量を、遥かに超える事態が起こっている。今初めて、自分の置かれた状況を客観的に把握した。
「…ソーマ、責任は俺が取る。」
「アンセル、俺はそういう事を考えているのでは…」
「分かってる。だから、・・・・・総ての責任は、俺が取る。」
ソーマの肩に手を置いたアンセルの表情は硬かった。彼が果たそうとしている責任の広さが窺える。自分が最も近しい存在だと思っていた男は、自分よりずっと遠く高いところを目指す人間だという事を痛感した。
「いいな?」
「…ああ。他に、道は…ないだろう。」
「じゃ、何か不測の事態が起こっても被害の少ない、直ぐに封鎖できる場所を選んでくれ。立ち会う人間は…」
「私の事も含めてるよね?」
陽気な声とは裏腹の眼で、カイルがアンセルを見た。
「俺も、同行する。」
「止めても…無駄、ですね。立会人は俺達含めて、精々六人。医師や技術者は野心家でなく優秀で、出来れば家族のいない者の方がいい。」
「おぉ。なんだか極秘任務って感じになってきたねぇ。」
「貴様…これは工場見学とは違うんだという事を分かって言っているのか?」
「分かってるって。もう、真剣になりすぎるのも良くないよ?ソーマ君。」
「アンセル以外は離れていて。私はまだ何も制御できない。アンセルが止められるかどうかも、あの一件だけでは確実じゃない。」
「はいはーい。じゃ、私達は離れた…強化ガラスとか、そういうのの裏から見守る事にするよ。そういうのがあれば、ね。」
 王宮の裏に広がる大きな森の地下に、その場所はあった。監獄でもない、無機質で閉鎖されたその空間は、正に実験室だった。誰が何のためにこんなものを…?ソーマでさえ知らなかった場所だ。そこへ導いたのは、サティアだった。彼女自身も意識せずにこの場所を指したようだ。カイルがよく言う『勘』というものか…?カイルがその言葉を口にする時のソーマは、戯言を聞くように流していたが、突き詰めて考えれば、勘というのは小さな必然が旨い具合に重なった時、脈絡も無く突然閃くものだ。逆に考えると、この場所を見つけたサティアにはそれに足る小さな必然の体験がある、という事になる。多分、記憶を無くしているサティア本人もその場所を特定できたことが不思議に違いない。無くした十年分の記憶の中には、ここに訪れた事も含まれているのではないか。隅々まで見渡しながら、ソーマの目はサティアに向けられた。実験室の中央で斜めに立てられた寝台に、全身を固定されている。この実験室としか表現できない空間に、謎を多く抱えたサティア。彼女がここを知っている理由は、彼女が被験者だったからという事しか思いつかない。
「…本当に、強化ガラスがあるとは思わなかったよ。この部屋の存在自体も驚きだけど…。ソーマ君、君の国にはやたらと謎が集まってるねぇ。」
カイルがいたる所をこつこつと叩きながら話しかけてきた。が、ソーマが応えずにいると、独り言のように続けた。
「でも、ま、謎なんて、疑うから在るような物なんだけどね…。しかし、女の勘はすごい。」
ガラスの向こうでは、選り抜きの医師と技術者が機材の設置や、サティアにコードを繋いだりと、忙しなく動いている。前王…父親もこの場所に、今の自分のようにして居たのかも知れない。もしそれが今のおかしな状況に結びついているとすれば、自分は同じ轍を踏む事になるのではないか。ではその延長にある未来はどうなるのだろう。自分の父親の様に、収集の付けられない事を未来に押し付けるような、無責任な事はしたくなかった。
「おーい、ソーマ君、真剣に物事を考えるのは悪い事じゃないけど、拒絶と嫌悪感を剥き出しにして考えても、事態は好転しないよ?」
「…俺はただ、これが正しいのかどうか…」
「またソレですか。誰にとっても正しい事も誰にとっても悪い事も、人間社会では存在しないよ。あるとしても、そんなのは机上の空論。そんなものを振りかざすのは、自分勝手で自己愛に満ちた…」
「貴様のような奴のことか。良く分かった。」
「そうか、良かっ…く、ない。私の事じゃない…事もないか…。」
「落ち込むなら自分で言うな。」
「失礼だなぁ。私は落ち込んだりはしないよ。天気と同じで、からっとしているのが好きなんだ。君と違ってね。」
「どういう意味だ。」
「君は雨の日にわざわざ傘を持たずに出掛けて、ずぶ濡れになりながら何故傘を持たなかったのか考える人間だ。私の場合、傘を持たずに出る事はないし、大体雨の日は外に出ないからね。…分かった?」
「分からん。可笑しな比喩表現が多い上に話が長い。」
「私の詩的で優しさに満ちた言葉が分からないなんて、人生損をするよ。」
「いや、むしろ聞いた時間を損した。」
「酷いなぁ…。」
“…聞えますか?聞えていたら、マイクの下の点滅しているボタンを押して、話してみて下さい。”
技術者の声に従って、ソーマがマイクに話しかけた。
「そちらの声は聞えている。こっちはどうだ?」
“大丈夫です。では…”
アンセルとその他の者が短い言葉を交わしてから、彼らはアンセルとサティアを残し、ソーマ達のいる部屋に入ってきた。
「お前たち、何故…」
“陛下、俺がそっちに居るように指示しました。薬は俺が打ちます。これなら俺にも扱えるので。”
アンセルが翳したのは圧力型の注射器だった。確かにそれならば医師でなくとも扱えるだろう。
“では…”
アンセルが薬を打つと、サティアは一瞬体を震わせた。薬が効くまでに暫くは掛かるだろう。アンセルが彼女から少し離れ、強化ガラスと彼女の中間に下がった。
「心拍が上がっています。血圧上昇。脳波にはあまり変化が見られませんが、薬は効いて来ているはずです。」
モニターを見ながら、医師が誰とも無しに言った。サティアが肩で息をしているのが窺えるが、目に見える変化…あの力の気配は感じない。ぼんやりした目でかすかに口元を動かしているだけだ。
“…ダメ、みたいですね。”
「そうだな…。」
早くこの場を立ち去りたい。実験などどうでもいい。腹心の友の家族を犠牲にしようとしている事と、この場所に父親の影を感じる事が、ここから逃れたい想いとなってソーマを支配していた。
「では、ここまでに…」
「ちょっと待って。」
カイルがソーマを押し退けて、マイクに向かった。
「今、彼女は何と言っている?」
“…多分…、俺の、名前ですね。ずっと繰り返している。他には何も…”
「なるほどねぇ…。」
カイルは暫く間を置いて、アンセルをガラスの内側に呼び込んだ。
「どうしました?」
「うーん。発動しないのは、君のせいなんじゃないかと思ってね。」
「投薬の仕方が不味かったですか?」
「いやいや。そうじゃなくて、君が居る事が、安定剤の役目を果たしているんじゃないかと思ったんだよ。」
「どういう事です?」
「彼女が回収されて、病室で暴れた時、君が君だと分かった瞬間に彼女は大人しくなった。それから考えても、君が彼女の精神面に大きく影響している事は確かだ。神術自体、精神均衡に大きく左右するし、覚醒剤は元々精神均衡を崩すためにあるようなものだし…」
「では、どちらにしろ、今回の実験は失敗ですね。俺が居ることは分かってしまっている。」
「…それがそうとも限らない。と、思ったから、君をこっち側に呼んだんだよ。」
「…なるほど。では、俺は何をすれば?」
「君とは話が早いからいいね。…まず、私がマイクで君が君でない事の伏線を張る。そうしたら、君は彼女に、普段なら絶対にしない事をしろ。」
「…分かりました。」
アンセルは再び彼女の繋がれた部屋に入った。
“聞えるかい?サティア。君が信じているアンセルはそこにいる。でもそれが本当のアンセルなのか?本当にそうだと信じているのか?”
カイルが優しい声でサティアに語りかけている。
「ァ…ンセルは、ここ…。」
“今は夢?現実?それは、現実のアンセル?”
「…げんじつ…ゆめ…アンセル…」
少しずつ、サティアの体が震え始める。同じ事を繰り返し呟いて、彼女は少し離れたところに居るアンセルに顔を向けた。
「あん…せる…」
何も分からない子供のような目で、アンセルを見やった。アンセルは無言で一つ溜め息をしてから、彼女に語りかけた。

「アンセルだよ。安心して。・・・『姉さん』。」

彼女の震えが止まった。
「ァンせる…ちがう…ちがウ…ちガウ…」

『チガウ』

彼女が叫んだ声は高低に割れ、再びあの目に変わった。

ガラス越しにも不吉な空気が伝わっていた。
「脳波に大きな乱れ…あっ!」
ガラス越しのサティアからじりじりと黒い膜が発生している。繋いだコードや拘束具、自身の服までもを焼き崩しながら、次第に広がって行く。強化ガラスまでの中間点にいたアンセルが、あの時のように手を翳して、その膜に触れる。やはり同じ、身体の強い鼓動を感じていた。しかし、速度は遅いが、アンセルが膜に押されている。まずい。このままでは全員が巻き込まれる。
“避難を!止めきれるか判らない!”
アンセルの焦った声が聞こえた。
「落ち着いて、アンセル。君が君だという事をサティアが気付けば、何とかなるはずだ。」
“俺が…俺…”
「そう。こんな事態を起こした彼女に、君はどうする?それをやれ!」
アンセルが黒い膜に耐えながら、必死で探して居るのがわかる。こちら側は何もする事が出来ない。近付いて、アンセルの身体に神術を蓄えさせる事もできないのだ。所詮国の重要人物など、足手纏いにしかならない。ソーマはその事に、より圧迫感を感じた。戦場で友が死んでも、それが勝利なら立場的に喜ばなければならない事が苦痛だ。なら、ここで終らせるのも悪くないかもしれない。
「ソーマ!待て!」
カイルの声を無視して実験室に飛び込んだ。驚くアンセルの後ろに立ち、両手で彼の背中を支える。
「何やってる!戻れ!」
「いいからカイルの言った事をやれ!俺は後ろから力を送るだけだ!」
「くっそ…。」
アンセルがソーマから視線を外し、再びカイルの指示に集中する。これでいい。するとアンセルが突如息を吸い込み腹をくくった様子で膜の中心に叫んだ。
「サティア!これでソーマやカイルが死ぬ事になったら、俺はお前をただではおかない。お前を…。いや、お前に、俺を殺させる。サティアが…お前がこの俺を処刑するんだ!」
膜の動きが止まる。同時に、アンセルの手から光が溢れ出し、黒いものを飲み込んでいく。中和が始まったのだ。規模の小ささから、その工程はすぐに終った。後には変色した金属とサティア以外残っていない。少量の灰だけだ。サティアはすぐに駆けつけた医師に鎮静剤を打たれ、即座に眠りに落ちた。
「病室に運んでおいてくれ。目覚める頃に向かう。他の者は直ちに撤収。情報の漏洩が判明した場合、全員に責任を取らせるから、そのつもりで。ご苦労だった。解散!」
アンセルは肩で息をしながらもそこまで言い切り、ソーマに向き直った。
「ソーマ、ああいうことだけは止めてくれと、言っておいたはずだ。」
「だが、今回は結果的にあの行動がいい方向に向かわせたと思っている。違うか?」
「…いいや。ここは…、礼を言うべきだな。ありがとう。だがな、ソーマ。戦場で生き残れるのは死を恐れない奴じゃない。死にたくない人間だ。さっきのお前は前者だったぞ。本当に気を付けてくれ。」
「…それは理解できた。気を…つける。」
機器もそのままに、全員が足早に実験室を後にしていく。その後を怠惰に追いながら、ソーマはアンセルの言葉を考えた。絶対に生き残らなければならないのが、ソーマの立場。その為に命を落とす者が居る。自分はその事に、耐えていけるのだろうか?…大戦が始まって以来、ずっと感じてきた違和感だった。欠陥だらけの自分を守って、死んで、一体そこには何が残るというのだろう。それを名誉に感じていい程の人間ではないのだ、俺は。ただ、神族に生まれただけの中身の無い自分。欠けている物が多過ぎて、自分を特定できない。俺が居るべきなのは、ここではないのではないだろうか…。行く当てがないから、ここにいる。それが今のソーマだった。どこに向かう為に何をするのか。世界とその人々の未来の為に、アンセルは持てる手札の総てを投げ打ち、カイルは立場を超えて只管に真実を求める。『君は大きく構えていればいい。』カイルはそう言っていた。自分はそんな器ではない。そこまで大きくも小さくも無い。今までは中途半端な理想の高さだけがソーマの拠り所だったのだ。
「…これで、結果的には成功したわけだね。間一髪な感じだったけど。やっぱり私の勘は正しいね。」
「そう…だな…。」
「あのさぁ…」
カイルが溜め息を大きく一つ吐いて続ける。
「深い考え事する時は一人のときにしてくれないかなぁ。」
厭味な言い方をされて、やっとソーマは自分が今どこに居るのか把握した。
「…ここは俺の部屋だ。勝手に付いて来たのはお前だろう!そう思うなら一人にしてくれ!」
「やれやれ…、また例の『これで正しいのか…』とかいうやつ?」
「違う!…煩い。出てってくれ。」
「ま、どっちにしても、さっきの様子じゃ、自分じゃ解決出来ない事を考えてたんだろう?」
「出てけって言ってるだろ!」
もう一度、カイルが盛大な溜め息を吐いた。
「何かが動くときは、動くべくして動く。それまで私達は無駄に足掻いたりしない方が、物事は好転するよ。…私はサティアとアンセルの所に行って来る。」
冷めた目をしたカイルの閉めた扉の音が、いつまでもソーマに響いていた。

 怖い。大丈夫。逃げたい。逃げちゃダメ。みんなどうなるの?どうするの?私は?私はどうなるんだろう…?
「…セルーナ様!お怪我は!?」
怪我…?
「…して、いません…」
「良かった。今この飛行艇は全速で東方リアズ、ティティ方面に向かっています。今のところ、追っ手はかかっていません。」
追われてない…。国の重要人物だけが乗る事の出来る、豪華な空挺の中でセルーナは何が起こったのか分からないままでいた。早めの眠りに落ちていた彼女は警報と轟音に飛び起きた。窓から外を覗く間も無く、秘書達に担がれるようにして空挺に乗り込み、彼女を乗せると直ぐに飛行艇は離陸した。また、だ。また、誰も私に教えてくれない…。自分の下を離れようとした秘書に食い下がった。
「…教えて!何が起こってるの!?」
「…敵の、奇襲です。」
「みんなは?」
「…申し上げにくいのですが、タイラは…我が国で、残っているのは恐らく…我々のみでしょう…。」
タイラで残っているのは、自分達だけ…。
「…待って…、タイラでって、どういう事…?」
「隣国のシレンセも、ほぼ制圧されたようです。しかし、リン=セイ様も我々と同じくリアズ方面に向かったと。」
「シレンセも…」
「リン=セイ様と通信の準備をしますので…」
「ええ、お願いします。…イトが、こんなに強くなっていたなんて…」
「いえ…」
セルーナに背を向けようとした秘書が、再び振り返り、床を睨みつけて言った。
「敵の半数以上が、コウ国の戦闘服でした…。」
「コウ国…の?」
「はい。おそらく、コウ国はイトに寝返ったと…。」
「…ホルス殿、が…?」
「確認は取れていませんが、リン=セイ様も、そう…お考えのようです。」

 裏切るとは…。ホルス…
「くそっ…」
リンはひたすら奥歯を噛み締めた。悔しいの一言だった。国民の三分の一も避難しきれていないだろう。見届ける間も無く、先に避難させた者達の為に、自分も逃げるしかなかった。自分が生き残り、リアズかティティに難民救済を交渉せねば、折角生き延びた者達が路頭に迷う。戦争が始まってから、いつかこういう時が来る事は分かっていた。それなのに、最前線に立ち、戦う事が出来ない事が苦痛で仕方ない。今のリンにとっては、女であるという事も王という立場さえも、負担条件にしかならなかった。
「リン陛下!セルーナ様との通信が繋がりました!」
「そう。わかった。…悪いが、席を外してくれ。」
「御意。」
扉が閉まる直前に、リンは映像と音声を繋いだ。
「大丈夫?」
“リン!コウ国が寝返ったって、どういうこと!?”
元々高い声が、より高く響く。
「セルーナ…」
“どうして!?敵はイトではないの!?”
混乱は自分も同じだったが、錯乱したセルーナを見ると何故かリンは落ち着きを取り戻した。
「セルーナ!落ち着いて!」
“だって、だって私、何も知らない…”
「何も分からないのは、私も同じよ。」
“でも、私の秘書もリンと同じ意見だって…”
「…ええ。でも、それは敵兵を見た、感想よ。」
“私、敵も見ないまま逃げたの!国の人々を置いて逃げたの…!”
「…それは、私も同じ。悔しいけど、私達にはそうする事しか出来ないのが現状よ。だけど…いや、だから、私達は犠牲にしてしまった人々の為に、しっかりしなければならないの。繰り返さないために。分かるわね?」
セルーナが深呼吸した。必死で落ち着こうとしているのだ。無理も無い。彼女はリンと違って逆境に強くない。というより、もとより逆境らしいものに遭遇した事が無いのだ。
“リン…。私、どうすればいい?…何が、出来る?”
「今は、リアズかティティに受け入れ態勢を整えて貰うように、頼むしかないわ。」
“私、いつも誰かに頼ってばかり…。”
「仕方ないわ。でもセルーナ、あなたは頼ってばかりなんかじゃない。いつも神術で神光玉にエネルギーを補充しているのは、あなたよ。」
“…ありがとう。…そうよ!受け入れてもらう代わりに私を、私の力を使えないかしら?”
「ええ。そうね。考えておくわ。それより少し仮眠を取りなさい。あなたは疲れきってる。リアズに着いた時、毅然とした貴方を見せたいでしょう?」
“ええ。そうね。ではまた。何かあったら直ぐに知らせてくれるわよね?”
「勿論よ。じゃ、また後で…。」
通信を切ってから、リンは再び行く末を案じた。神光玉を持つ国が寝返った今、セルーナが神光玉に力を送る事は、敵にもその力を与えるという事になってしまう。今それをやられては困るのだ、とリンは彼女に言えなかった。彼女が折角導き出した明日への希望を、無下に打ち砕くような事は出来ない。そして、自分自身…リアズ、ティティへの亡命後、自分はどの地位に就くべきなのか…。いや、とにかくこの新たな戦況をどう解釈し、次に打つ手を考えなければ。ホルスの兵力もギルの開発したものでもっている。となれば、ギルも寝返っている事は必至だろう。ゼファとグラセウスの腹は読めない。確実なのはリアズ。ティティも入れていいだろう。密偵との連絡は既に途絶えている。多分、何か掴んだがこの状況と重なり、身動きできずにいるのだと思いたかった。死ぬなよ。目を瞑り祈っていると、受信を知らせる電子音と共に部下の声が聞こえた。
“リアズより、ソーマ殿から通信です。”
「分かった。繋いで。」
間を置いて、再びホログラフィーに映像が現れる。
“リン、怪我はないのか?”
「ええ。恥ずかしながら無傷よ。それより、難民の事…」
“ああ。分かっている。安全を考慮した結果、リアズ中心よりティティ側の国境付近に難民居住区を設置する事にした。報告があってすぐ受け入れの手はずを整えるよう指示した。もういつでも入れるようになっているだろう。”
「…ありがとう。迅速な対応と寛大な措置に感謝するわ。」
“いや、当然の事だ。”
ソーマも間違いなくホルスの裏切りと、イトに側に回ったかも知れない者たちのことを考えているだろう。難民より、その事を気にしているのが表情に出ている。もしかすると、対応が早かったのも何か勘付いていたからかも知れない。
「それにしても、ティティとの国境に居住区だなんて、よくこんなに早く話が通ったわね。ティティに連絡したらカイルは席を外していると言われたと聞いたわ。」
“…それは…”
“それは私がリアズに潜伏中だからだよ!”
深刻な空気を一瞬にして消し去る能天気な笑顔と声が、映像に割り込んできた。
「カっ、カイル!?どういう事!?」
“だから、潜伏中で、ソーマのところに居候。で、リアズに連絡が来た時点で、難民居住区の位置決定!”
「…はぁ?」
“迅速な対応が出来たのは、単に、私が素晴らしい勘でリアズに滞在していたからなのだよ。いや、礼はいらないよ?当然の事をしたまでだからね!”
「え…ええ。」
“しかし君は本当に女にしておくのが勿体無いくらいの強靭さだね。中身も外身も。あ、別に女性が男性より劣っているという意味の発言ではないから、気にしないで。”
「そ、そう…。」
リンは開いた口が塞がらないまま、言葉を模索していた。カイルは苦手だ。ただの道化かそのふりなのか、全く分からない。この状況下、もしカイルが敵なら後に八方塞がりになることは間違いない。しかし、ソーマは信頼できる。そのソーマがカイルと通じているのなら、カイルも信用していいのか?しかし、ソーマがカイルに乗せられているのだとしたら…。
“リン、すまない。全く、血縁者である事が恥ずかしい…。”
映像の向こうで、ソーマはカイルが画面に入らないように押し戻そうとしている。
“もう、酷いなソーマ君は。”
“そこでじっとしていろ!…。で、リンが掴んでいる情報で、今俺達に伝えておかなければならない事はあるか?”
「…いいえ。特に急を要する事は何も無いわ。密偵からの連絡は途絶えたまま…。」
“そうか…。では、今後の事を含めた詳細はこちらに着いてからにしよう。”
「ええ。…セルーナには休むように言ってあるから、難民交渉の結果は私から伝えておく。」
“分かった。それでは後ほど。移動中くれぐれも油断するなよ。”
「勿論。じゃあ。」
映像が消えると同時にリンは念の為、部下に敵の気配が無いか確認し、更なる注意を促した。何処も彼処も油断ならない事だらけだ。

「ちょっと、挨拶くらいさせてくれてもいいじゃないか!」
通信を切るなり、カイルが食いついてきた。
「煩い!挨拶どころか訳のわからん事を散々喋っただろうが!」
「だって…。君には出て行けって言われるし、サティアのところに行っても彼女はアンセルを介さないと喋らないし、会話をしたかったんだよ…。」
「会話って…。」
こんな状況でこいつを相手に会話などしていたら敵に塩を贈るも同然だ。
「…その、アンセルとサティアはどうだったんだ?」
「ああ。私が部屋について暫くしたら、サティアが起きた。」
「で?」
「で?じゃないよ!起きたんだよ?すごい事だと思わないのか?」
「何がだ?」
「何って、あの鎮静剤…はっきり言って、鎮静剤じゃなくて麻酔だよ。それを打たれて数時間で目覚めるなんて、激しい消耗はしているが、もう体質云々の話じゃないだろう。」
確かに。薬を打たれたときサティアは気絶するようにして眠りに落ちた。いや、意識を失ったと言った方が的確だろう。人一人を一瞬で昏睡させるほどの薬を投与したなら、普通目覚めるのには半日以上かかってもおかしくない。その上、カイルの先程の言葉から察するに、アンセルを挟んで話が出来るほど意識もはっきりしているという事だ。
「遺伝情報の検査結果も、特に異常は見られなかったはずだが…」
「優性にしろ劣性にしろ、現時点ではその存在すら解明できないって事なんじゃない?」
「そうだな。アンセルとサティアの話の内容はどうだったんだ?」
「うん…。喜んでた。」
「まあ、それは姉が異常なく目覚めれば当然の…」
「違うんだよねぇ。どっちかって言うと、喜んでたのはサティアの方で、力が使えるって事をすごく喜んでた。アンセルはサティアが喜んでる事に対して、安心したみたいだった…。」
カイルが複雑な表情で間を置き、ソーマを横目で見ながら続けた。
「普通の反応じゃないと思うけど、状況的に間違ってるとも言えない。…君じゃないけどあの二人を完全に巻き込んでるのが正しいのかと、彼らを見て思ってしまったよ。」
「…間違っていないことを、願うしかない。」
「…だね。もしかすると、総ての筋書きの最後は、あの二人で決まるのかも知れないな。今私達が踊らされている誰かの手のひらに、彼らが乗ってないといいんだけど。」
「どういう意味だ?」
「現在に至る大筋を描いた奴が、もし今、私達を転がしてるのと同一人物で、サティアとアンセルの共演まで計算していたら、もう私達が付け入る隙はないって事だよ。」
「そんな、大層な筋書きなど、本当にあるのか?思い過ごしじゃないのか?」
「…いや。現在への成り立ちの九割近くを把握している人物が、必ずいるはずだ。何かが動いた後の展開が速いのは、偶然を装う為にそれぞれの駒に付けた間隔が、何か異分子の作用で詰められてしまったせいだよ。そして、今のところその異分子に当て嵌まるのはサティアとアンセルの共演だと思う。」
「…だから、異分子が異分子として最初から組み込まれているなら、俺達は先を読むどころではない、という事か…。」
「そう。でも私はその可能性は低いと思っている。私達を躍らせている人物も、更に何かの手の内にいる方が話が分かりやすいし、希望も持てるからね。」
「まぁな…。結局俺に出来る事なんてはなから無いのかも知れない。」
「出来る事…ねぇ…。あ、そういえばアンセルが君にお願いしたい事があると言っていたよ。」
「内容は聞いたか?」
「いや、急ぎではないし、直接伝えたいから、一段落付いたらサティアの病室に来て欲しいって。」
「それを早く言え!…まあいい。分かった。では、行くとしよう。」

「サティアと俺の気持ちは固まっています。後はソーマが承諾するか否かだ。」
アンセルの提案はこうだ。また大きな衝突が起こった場合、敵兵の中心点にサティア一人を着地させ、サティア自らが薬で力を発動、味方の最前列にアンセルが立ち、味方に被害が及ぶ前に食い止める。…それはつまり、戦闘ではない。邪魔者の一斉排除だ。
「…アンセルはそれがいいと思うのか?」
「ううん…、良し悪しよりも、俺達の目が黒いうちに事態の終息を望むなら、その方が色んな意味で回転率が上がるってことだな。そしてあわよくば、せっつかれた連中がボロを出し、戦況が大きく変わる。俺達の優位な方に。」
「ではその方向で話を進めたとして、サティアを敵陣のど真ん中に置く事が出来るのか?」
「俺達がサティアを援護することはできないから…目標地点まではサティア一人で頑張ってもらうしかない。」
「…できるのか?」
一言も喋らないでいたサティアを見ると、虚空を見ながら声を出した。
「想像できる事は実践出来る。…薬さえ取り上げられなければ後は上手く行くと思う。」
「そうか…。ならば、承諾も何も、俺が礼と詫びをする方だ。」
「じゃ、俺の計画で進める。サティア。」
「何?」
「俺の指示で動いてくれ。演習はなしだ。」
「分かってる。」
「え!?いきなりぶっつけ本番で行くつもりなの!?」
カイルが少々裏返った声でアンセルとサティアを見た。
「ええ、心配しなくても大丈夫ですよ。戦闘の基本を俺に教えたのは、サティアですから。俺がモニターで戦場を見て、方向と敵の動きの一手先を読んで伝えれば、その通りに動く。」
「そう…なのか…。」
「もしかしたら、今俺が指揮している特殊部隊の者達より使えるかもな。ま、場合によりけりですが…。」
「場合による…というのは気になるな。どういった場合に不利益になるのか知っておきたい。」
「基本はサティアに博愛と協調性を求めてはダメだということ。サティアは俺と俺が直接関わる人物を被害に遭わせない事しか重要視していない。従うのは俺の直接指令だけだ。指示が無ければ状況に対応し一人で戻って来る。その場合、サティアにとっての敵は、自分の邪魔をする者全員だ。」
「つまるところ、アンセルとの連絡さえ途絶えなければいいということか。」
「そういうこと。」
「ソーマ陛下とカイル様は信用するよう、アンセルに言われたから大丈夫。反撃しない。」
「…じゃあ、いつサティアに初舞台を踏ませるか検討しないとね。」
「ああ。…それとアンセル、医師に頼んで力の発動後のサティアの消耗の程度と薬物量の比較資料を頼んでくれ。」
「分かった。…それで、リン=セイ様達は大丈夫なのか?」
「ああ、難民地区にはもう着いているだろう。様子をみて、リンと互いに情報の開示をするつもりだ。」
「うーん…」
カイルが唐突に腕を組んで唸った。
「何だ?リンも疑った方がいいという事か?」
「いやいや。セルーナだよ。あの子も呼んだ方がいい。」
「何か情報があるのか?」
「確実にあるとは言えないが、無いとも言い切れない。彼女の場合、何か重要な事を知っているのに、それが重要だと認識していない事がありそうだ。掘り下げた話をしているうちに意外なものが出てくるかもしれないよ。」
「…誘導尋問でもするような言い回しだな。」
「誘導ねぇ。多分君が世間話でもしてるうちに出てきそうなんだけど…。君は大人しいというか、無愛想というか…鈍いし、話が続かないからなぁ。」
「…貴様…事あるごとに一々…」
「その二人は信用していいの?」
ソーマがカイルに言い返そうとした時、サティアが二人に向かって話しかけた。アンセルを介さずに真っ直ぐソーマとカイルを見ている。その瞳に警戒の色は無く、ソーマは初めて彼女の見る世界に自分達が映ったのだという事を実感した。
「その…、リン様とセルーナ様は、会議に居た人でしょ?ソーマ陛下とカイル様と同じくらい信用していいの?」
「うーん、君がどの位私達を信用しているか分からないから、はっきりした程度は言えないけど…、とりあえず、もし何かされても、君が命に危険を感じない程度なら反撃しないでほしい…って感じかな。」
「分かった。」
サティアは短く答えて納得したようだったが、ソーマの方が今のカイルの言葉で、本当に伝わっているのかどうか確信できなかった。
「さっき、俺とカイルは信用しているから反撃しないと言ったが、もし俺達がアンセルの身を危機に晒した場合はどうなるんだ?」
ここまで絆の強い姉弟がもし今度こそ片方を失ったら、どうなってしまうのか心配だった。まして、世界を破滅させるほどの力を持った者が制御と指針を無くしたら…。カイルが問わなかったサティアの信用の基準が知りたかった。
「アンセルがいいって言わなかったら、何もせず二人に従えって、アンセルに言われてる。」
「本当に…そうするのか?もし、アンセルが判断を誤っていたら…」
「アンセルは絶対。他から見て間違ってても、アンセルが正しいと思った事は、私にも正しい事。だからアンセルは間違わない。」
鋭く重い一撃を食らったようだった。国を引張っていく立場として育てられたソーマにとって、何かに従うという事は逃げ道の一つだった。自分に責任の及ばない休憩所のようなもの。しかし、本当の意味で何かに従うというのは、絶対的な信念を伴うものだという事を知らしめられた。また同じ事が頭を掠める。そこまでの信念を持って守ろうとしているものの先にあるのは、確固たる信念がない自分だ。
「私達以外が、アンセルに危害を加えたら、速攻でやっちゃっていいからね。」
ソーマが固まっている間に、カイルが口を挟んできた。
「カイル殿…それはちょっと、行き過ぎでは…」
「いいんだって。私達が君達を失ったら、もう成す術なくなるんだから。死なば諸共ってやつだよ。血の気の多いイトや裏切り者が蔓延る世の中なんて、死んだも同然。どうせ破滅の一途になる。なんならもう今全部壊していい気もするけど、私はどうしても謎を解いてから死にたいんだよねぇ。だから、もしアンセルが居なくなったら、サティアの気の済むようにしていいからね。」
「…アンセル?」
どうしていいのか分からなくなったのか、サティアがアンセルを仰いだ。
「…まぁ…いいでしょう。…今カイル殿が言った事、意味は分かるな?」
「うん。」
「では、その通りにしろ。」
「了解。」
血の繋がった者同士が、その関係から逸脱した他人の為に人生をかける。こんなのはソーマにとって不自然で普通じゃない事だ。平穏を取り戻すためだと人は言うが、こんな毎日を送っていたら、何が平穏なのかさえ、分からなくなるのではないだろうか?せめて、自分は自分で守る世界に身を置きたい。自己を貫く何かを持っているこの三人の中に居れば居るほど劣等感に苛まれる。今まで王としてしてきた事の全てに拒絶感を覚えた。


「ホルスがイトに寝返ったことは確かだろうが、残りの三ヶ国とは連絡が取れない。ホルス同様に寝返ったか、制圧され捕虜になったか…、既に死亡しているのか…。」
ソーマは普段使っていた会議室とは別の、奥まった部屋にリン達を通した。カイルは勿論だが、アンセルも同席している。サティアは出席を拒否し、アンセルもそれに賛成したので、彼女は一人病室に残った。
「ギルは生きている可能性の方が高いわ。武器を開発するのに無くてはならない存在…生きている可能性云々、というよりホルスと組んだと考えた方がいいと思う。」
「そうだな。俺もその方向で考えている。ゼファには古代資料という利用価値があるが、明け渡してしまった後、生かしておくかどうかは疑問だ。グラセウスは…」
「あの子は…!…グラセウスは私達を裏切ったりするような子では…」
セルーナが言いかけて口を噤んだ。グラセウスが寝返っていないとするなら、大きな利用価値の無い者が生きている可能性は低い。例えその場は逃げ果せたとしても、日頃の彼の体力や精神力を鑑みるに、逃亡を長く続けられはしないだろう。生きていても死んでいても、どちらにせよこちらの有利にはならない。
「二人の生死の真偽は反故にしといて、何にしても音信不通って事は確実な味方は我々のみって事だよね。ま、この中にあちらさんの密偵でもいれば別だけど。」
カイルの放った一言に、アンセル以外の全員が息を呑む。
「…あなたがその、密偵とか?」
リンが疑わしそうにカイルを見やった。
「ちょっと、嫌だなぁ、冗談だよ。」
「そうかしら?この際はっきり言っておく。私は貴方を信用してはいないわ。私達が奇襲をかけられた時に都合よくリアズにいるなんて…」
「酷いなぁ。大体私は痛みに弱いから本格的な密偵とか、そういうのには向いてない。拷問でもされそうになったらって考えただけで、洗いざらい喋っちゃうって。ねぇ?アンセル?」
「リン=セイ様、安心してください。カイル殿は確かに女性に対して口説き落とすための小さな嘘は吐きますが、今のような状況に置いて、ともすれば全員を敵に回す結果になるような、笑えもしない事はしませんよ。」
「おいおい、アンセル、今のじゃ説得力に欠け…」
「本当に?」
「はい。俺の姉にかけて。」
「…いいわ。信じましょう。」
「…信じるのか…。ま、いいけど…。」
カイルが力なく乾いた笑いを漏らした。
「さて、今までの我々の戦い方は受身だったが、今後はそれでは駄目だ。」
「そうね。戦力は向こうが圧倒的に有利。今や私達の方が世界の邪魔者みたいね。」
「最初にイトを叩き潰さなかったせいで、立場が逆転するなんて、皮肉だよねぇ。で?どこから攻める?」
「それが問題ね。私はどこまで攻めるかということよりも、今はまだ退路が確実なところからの方がいいと思うんだけど。」
「いや、戦力的に痛手を負わせなければ意味が無い。そう考えると、まずコウ国…ホルスを落とす方がいい。」
「でも、コウ国は最短距離で行くと海を隔てて、山脈を越えた盆地にあるのよ?更にホルスの宮殿はそれよりも内陸部に位置している。確実に落とせるか分からないのに…」
「落とせるよ。」
「え!?どういうこと?」
「高い山脈に囲まれた盆地…。正にうってつけの実験環境だね。」
「そうですね。制圧されたと見られる周囲の国への影響も少なくて済みそうですし、向こうもすぐに亡命する事はできない。」
「リン、我々は今最強の兵器の側にいる。」
「…アンセルのこと?」
「いいや。サティアだ。」
「でも…彼女、この間の会議で…。」
「アレはお芝居。本当の彼女は廃人なんかじゃないのだよ。むしろ自分が切り札の兵器だということを良く分かっている。」
「俺達が仕掛けようとしているのは、戦争ではない。敵の一斉排除だ。」
「一斉排除…。」
セルーナが眼を点にしてソーマの言葉を復唱した。
「サティアを敵陣内の発動位置に落とし、あの黒い力を発動させる。味方の手前にアンセルを待機させ、ぎりぎりのところで停止させる。」
「ま、シロアリ駆除みたいなものだよ。」
「そんな…駆除だなんて…。中には一般の、いい国民だっているはずです!それまで、潰してしまうというのですか!?」
「セルーナ様、確かにその通りですが、今の状況では、命に優先順位を付けざるを得ない。我々と我々に命を預けている者達を項目の一番上にすると、ホルス率いるコウ国の壊滅が有益です。そうすれば向こうの士気は一気に下がり、当面の我々への奇襲は鎮まるでしょう。どう動いても、多少の犠牲には目を瞑るしかないんですよ。」
「…仕方ない…ということですか…?…皆さん、そう思っているの?」
全員が黙って眼を伏せた。
「そう…なのですね。…あ!サティアさんは?彼女は承諾しているの?今日ここにいらっしゃらなかったのは、納得していないからでは…」
「いいえ。…この計画を言い出したのは、サティア本人です。」
「そう。彼女が一番乗り気なわけ。この計画で一番危険が伴うのも彼女。この席に居ないのは、アンセル以外に何を反対されても、応じる気は無いからなんだってさ。」
「俺は、ソーマ陛下のご意思を尊重するのみです。」
「そして、私もアンセルにサティアを止めさせる気はない。」
「…そう…ですか。分かりました…。」
セルーナが俯き、それっきり黙ってしまった。納得できないが止める事も出来ないと悟ったのだろう。
「ところで、彼女の力だけど、解明されたの?」
「…それは、どの方向からの質問だ?」
「一番知りたいのは、確実に使えるのかということ。他は…ただの興味ね。」
「使えるかどうかに対しては肯定できる。しかし、あの力の由来等は謎のままだ。もう一つ確実なのは、標的の戦力が大打撃を受けるという事。」
「なるほど。それだけ分かれば充分だわ。…私情を挟むのは控えるべきだけど、まずホルスを落とせるなんて、願ったり叶ったりよ。」
リンがここへ着て初めての笑みを浮かべた。
「いいねぇ、その表情。それじゃ、満場一致ってことで進めますかね。今のところ最強兵器の存在を知っているのは、ソーマ、アンセル、リン=セイ、セルーナ、と私。」
「戦闘員の配備ですが、俺に一任していただきたい。俺が今指揮している十数人の部隊の事はご存知ですね?俺とサティアとその部隊のみで向かいます。後ろ盾として、海上に一機のみ移動避難用の空挺を配備。」
「サティアの回収は?」
「俺が…というより、必然的にそうする事になるでしょう。力を使った後のサティアの消耗は、短い間ですが、無いわけではない。そこを付かれて略奪されるのを防ぐには、俺が適任といえるでしょう。」
「…アンセルは、彼女を家族と思ってないの?」
セルーナが唐突に質問した。
「勿論家族ですよ。最愛の姉です。」
「では、何故そんなに危険な事をさせようとするのですか?守ってあげるべきではないのですか?」
「ええ。これが俺なりの守り方です。一人に執着しすぎてそれを守ったつもりになっても、周りの世界が崩れていたら、それは本当にそのものを守ったとは言えない。…そういうことです。」
「それは分かるのですが…。今のじゃ何だか…彼女…まるで…。」
うっかり呟いてしまった自分の言葉の先を、皆が待っているのに気付いたセルーナは慌てて取り消した。
「ごめんなさい。続けてください…。」

 カイルはただぼんやりと廊下を歩いていた。作戦会議では決行日以外の詳細な指示や意見が飛び交い、今までに無い活気あるものに終った。途中にセルーナの言ったことが気に掛かっていた。『彼女…まるで…。』その次に来るはずだった言葉はきっと、『物の様』、だろう。そういう扱いだ。分かっている。ソーマやアンセルが心からそう扱っているのかは否定も肯定もできないが、カイルの心中は違う。物として扱わなければならない立場と状況だから、努めてそうしているのだ。それを意識してやらなければ、自分は人として、女性として接してしまう。そうなってしまった時、今後戦っていく中で自分がどう変わって行くのか分からなかった。しかし、サティア自身の本音はどうなのか?今のような扱いを受ける事が、彼女の本望なのか?アンセルに焚きつけられた復讐心が、彼女の本音とは思えない。復讐という名でアンセルに力を貸せる事が嬉しい…。カイルにはそう見えるのだ。最初彼女が力を使った時、アンセルが何故あんな表情をしたのか、やっと気がついた。姉が姉でなく、人として扱われることはもう無いと、あの時既に感じていたのだ。気が付くと、サティアの部屋の前に立っていた。今彼女は一人、この簡素な部屋の真ん中で、寝ているのか起きているのか…?迷った挙句、一応小さく戸を叩き、名を名乗ってから部屋に入った。
「サティア…?」
彼女は窓という窓を全て開け放ち、ベッドの中央でその風を感じていた。
「…何を、しているのかな?」
「……何も。待機と言われたから、そうしているの。」
「君と話がしたいんだけど…。」
「どうぞ。」
サティアは目線を動かす事も無く、神術でカイルの前に椅子を移動させた。
「聞きたいことがある。…本当に復讐に身を投じたいと思っているのか?」
「…だって、アンセルの報復相手は私の標的でもあるから。」
「それじゃぁ…」
答えにならない。アンセルはサティアのため、サティアはアンセルの為に動いている。この良し悪しの判断が付かない輪の中で二人の絆は強くなっている。しかし二人は所詮二人だ。誰かがこの輪を切るかそのに入らなければ、不幸の悪循環は止まらない。カイルは、その役が欲しかった。自分が彼女の見る世界に登場しただけでは、満足できなかった。サティアの顔を自分に向かせ、ゆっくり彼女に口付けた。応えてくれとは思っていない。嫌われるならそれでもいい。彼女の口から本心をぶちまけて欲しい。人間らしく。そうすれば、自信を持って彼女を守り、戦っていける。言葉でなくても、神術で弾かれるか、殴られるか…それでも構わなかった。
「・・・」
しかし彼女は全く動かない。
「これは…嫌じゃないってこと?」
「…カイル様には手を出すなと、アンセルに言われてる。だから大丈夫。」
「…違う!そうじゃない!今君が人間らしく振舞ってくれたら…まだ取り返しが付くんだ。こんな扱いを受けないように出来るんだ。」
カイルは独り言のように呟いて、頭を抱えたまま椅子に座り込んだ。もしも自分に本音を言ってくれれば、彼女を安全な遠い土地に隠す事も出来るのに…。
「カイル様?…私も聞きたいことがある。ホルスは確実に私の力の圏内に居るの?頭を取り損ねたら、計画の意味が無くなる。」
カイルは不幸の輪を切り崩すどころか、この輪の強さがどれ程強固なのかを思い知らされた。と、同時に彼女は自分だけの事ではなく、後に居る平穏を取り戻したいと願う者達と、既に犠牲となった者達の復讐も兼ねているのだ。
「…そうだね。でも大丈夫。確実に首を取れるよう、手配するよ。」
この戦いが全て終れば、サティアもきっと人間らしさを取り戻せるはずだ。彼女の心に自分の名を刻む為に、カイルは自分の出来る全ての事を成し遂げる覚悟を決めた。


 決行の時は直ぐに訪れた。アンセルの不在時にもしもの攻撃が仕掛けられた時の為に、全軍は厳戒態勢に入っているが、アンセルとサティアの仕掛ける事態そのものは公開されていない。ソーマは海上に配備される予定の空挺に乗る事を主張したが、やはりアンセルの激しい反対に遭い、リンと王宮から随時映像と通信による観戦をするのみとなった。セルーナは自室に引き篭もっている。カイルは気になる事があるから自国に戻ると言い残して昨夜遅くにリアズを後にした。空挺は既にコウ国近くの海上におり、アンセル達の部隊はコウ国側の山頂付近に駐屯している。サティアは小型の圧力式注射器を手に、アンセルの行動開始命令を待っている。ソーマは緊張を崩すカイルが側に居なくて良かったと、中継されたアンセルとサティアの姿を見て思った。
“もしも敵に捕獲された時は…”
アンセルがサティアの首に金属の輪をはめると、固定する金属音と共に小さな電子音が鳴る。
“…これには発信機が付いているが俺以外の人間が、無理にこれを解こうとすれば頚動脈に直接薬剤が投与される。効果が表れるまでは数秒だ。その後は…、もう二度と悪い夢を見なくて済む。”
“アンセル以外なら…私自身でも同じってこと?”
“…そうだ。”
その意味は、敵に捕まったら自分で命を絶てという事だ。アンセルがわざと抽象的に言ったのはそうならないで欲しいという願いからだろう。しかし、どんな表現だろうが、たった一人の肉親にそう告げる事がどれ程辛いかは計り知れない。
“分かった。ありがとう。”
感謝の言葉を口にするサティアの顔は笑顔だが、言葉を受け取るアンセルの背中は痛々しかった。
“サティア、通信機は大丈夫だな?”
“うん。”
“では、全隊に告ぐ!これより作戦を決行!”
アンセルの掛け声と共にサティアが走り出し、映像はアンセルとサティアの動きを追う二つに分かれた。


カイルは内陸部の山脈の麓にあるホルスの宮殿裏に潜伏していた。アンセル達とは対角線上にいるだろう。逃走用の地味な空挺が一機、山脈の外側にある。カイルがここに居る事は、誰も知らない。こそこそする事も無く、ここまで辿り着けたのはコウ国の戦闘服を着ているのと、もし自分の顔を知るものが居ても、彼が道化であるという固定観念の賜物だろう。サティアはまだ発動予定区域にはほど遠いところに居る。それでも危険に変わりは無いという事は承知の上だが、サティアの計画を完璧にし、陰謀の尻尾を掴むためにはカイル自身も動いた方がいい。そんな詭弁で自分を正当化した。本当のところ、サティアに対する点数稼ぎだ。世界平和も真実も、どうでもいいと思うようになっている自分に気付く。今まで色んな事を適当にやり過ごして、期待も失望も関心さえ向けられなくても平気でいられたのは、心の深い部分で、自分は他人とは違う、もっと高尚な位置に立っているのだと思い込んできたからだ。しかし、サティアという本当に孤高の者の前では、自分も結局は世界の一欠けらなのだと思った。カイルは今、サティアの立つ場所に近付く為に、この場所にいる。


“待て。そこから検問までは歩け。辿り着いたら、一気に突破して、後は俺の言う方向に只管走れ。”
“了解。”
“今回は戦闘が趣旨ではない。一人に絞らず、掛かってくるものはなぎ払え!”
サティアは了解の言葉の代わりに、向かってきた男たちを神術で払い飛ばしていく。
“そうだ!右に進め!”
アンセルとサティアのやりとに魅入り、ソーマは胸が高鳴っていた。それはリンも同じだったのか、始まってから一時間弱、二人は一度も姿勢を崩していない。この姉弟の連携の素晴らしさ。他に例はないだろう。アンセルよりは身体的な動きは多少劣ってはいるものの、まるでアンセルが戦闘中、心に思う事を口にしながら戦っているようにも見える。指示を飛ばす前の呼吸まで、サティアは読み取っているかのようだった。
「ソーマ…。貴方は幸せ者ね。部下として人として完璧な者が側に付いている。残念というと失礼だけど、私にはこういう者はいないわ。」
「…部下と呼んでいいのか…。」
「ああ、アンセルは親友だものね。でも、間違いなく貴方は世界最高の者を従えているのよ。羨ましい限りだわ。」
世界最高の者が、世界を、ソーマを守っているのだ。だが、何かが違う。安全な地で生死を賭けた戦いを観戦する事が、俺のしたい事ではない。今ソーマに分かるのはそこまでだ。
「ソーマ!発動予定区域までもう直ぐよ!」
興奮気味のリンにソーマの迷いは伝わっていなかった。


 玉座で美酒に酔いしれていたホルスの耳に、微かな騒ぎ声が聞こえた。自身の優雅なひと時を邪魔された事に舌打ちしながら、部下に私設の有線通話装置で確認を取る。
「何事だ!?」
“はっ。どうも、侵入者が発見されたようです。”
「リアズ軍か?数は?」
“いえ、一人きりで検問を強行突破した愚か者がいたようで…。”
「ふん。世間に溢れた浮浪者の類か…。」
“ええ。若い女のようで、待機で退屈していた男共が追っていると。”
「…若い女…。容姿は?」
“長い黒髪の美しい顔立ちだとか…。お望みでしたら手を付けずにこちらへ…”
「その女、本当に一人か?」
“はい。それは確かです。”
「…そうか。では、捕らえたらそのまま私のところに持って来い。」
“かしこまりました。”
「お前も行け。」
“はい。”
通話を終了してから、ホルスはまさかと思ったが、思い直して玉座に深く腰を落とした。サティア、あの女のはずが無い。だとしても暴れるだけが精一杯のはずだ。廃人同然の思い通りにならない力は負担だ。リアズも厄介払いしたのかもしれない。
「始まったみたいですね。」
「誰だ!?」
部屋の奥からふらりと現れたのはカイル=アイデン。
「貴様…何の用だ?…誰か…」
「呼んでも無駄ですよ。今ここには私達しか残ってない。私はどうしても、貴方の本音が聞きたくてここに来たんですよ。ま、同時に最後の言葉になるでしょうが…。」
「何を言う。我が国の戦力は今や世界随一だ。カイルよ。お前のような道化にはどうすることも出来んさ。」
「うーん、それはどうかな?今私達が最強兵器として扱ってるのは、サティアとホルス殿お気に入りのアンセルですよ。」
「二人が!?」
「そ。最後の会議で、あんたはまんまと二人の芝居を信じたわけだ。脚本は私。愚か者を信じて疑わないのは、もっと愚かな証拠ですよ。」
「それでお前は、私を殺しにでも来たのか?」
「いいえ。私は特に直接手を下す用意はありませんよ。話を聞いたら逃げ帰るだけの臆病者です。」
「ほう。何が、聞きたいのだ?」
「イトとの関係、その正体、サティアとアンセルの出生、突然寝返った理由。」
「はっ。イトとの関係だと?あのように中途半端な宗教かぶれの貧民達に興味は無い。私は何も知らん。私はただ、ギルが秘密裏に開発していた武器を使いたかっただけに過ぎん。イトも邪魔になれば消すだけの事。」
「そんな事の為に、タイラやシレンセを制圧したのか?」
「力を持てばそれを最大限使ってみたくなるのが人間の本性だよ。イトの出現は幸運だった。試す相手が出来たからな。だが、奴らだけ潰すのではただの英雄を創るだけに過ぎん。それよりももっと大きな戦場にすることによって、もっと多大な力が生まれる。そして得た力を使ってみると、どうだ?世界が動いた。国同士が平等な力関係にあるなど、そもそも間違っているのだ。競い合ってこそ生まれるものがあるのだよ。私は世界を変える十番目の神になるのだ。」
「という事は貴方も自覚の無い一つの駒…ということですね。」
「駒だと?…笑わせるな!」
ホルスの放った神術でカイルは壁に叩きつけられた。
「貴様のように、弱い癖に口の減らん奴には虫唾が走る!」
言いながらホルスは玉座から立ち上がり、彼の神術はカイルを壁に圧迫し続けた。
「貴様がわざわざ下らん話をしに来たお陰で、私はあの女の力から逃げられる。ご苦労な事だ。お前が代わりにここで死ね!」
ホルスは更に力を強めようとした瞬間、カイルが笑う。
「…効かないんだよねぇ…。」
「何…」
カイルが腕を一振りすると、今度はホルスの方が彼の玉座に押し付けられた。カイルがホルスに近付くにつれ、その力は強さを増し、ホルスの身体は耐え切れずに悲鳴を上げ始めた。ばきばきと骨の折れる音がホルス自身にも聞こえる。それとは逆に、ホルスの口からは悲鳴すら出ない。息の根は止めず、呼吸の出来るぎりぎりの時点でカイルは力を止めた。
「神術はセルーナ嬢の代名詞になってるけど、実は私も同類なんですよ。滅多に本気は出さないけどね。さぁ、貴方はそこで、自分が築いたと思い込んでいる世界が崩れていくのを見ているがいい。最期の瞬間まで…。」


“そのまま進め。…後は、自分で判断しろ。”
アンセルはそう言ってサティアとの通信を切った。映像はサティアを映し続けている。ソーマは訳が分からずアンセルに怒鳴った。
「おい!どういうつもりだ!?」
サティアは指示を失いながらも、必死で追っ手を薙ぎ払い戦っている。
“…もう、発動予定区域には入っている。”
「じゃあそれを指示しないと…」
“駄目だ!俺が後に付いていると思っていたら、発動しない危険性がある。”
映像の中でアンセルが自分のイヤホンを地面に叩き付けた。アンセルを映す映像の隣で、一瞬振り返ったサティアの顔は不安に歪んでいた。彼女がアンセルを呼ぶ声が聞こえてきそうだ。それに耳を塞ぐように、アンセルが眼を閉じる。サティアが隙を付かれて倒れそうになった次の瞬間、耳を劈く高音と共に全ての映像が途絶えた。


 黒い膜は既にコウ国の主だった場所を飲み込んでいる。あの膜は回数を追うごとに広がりが早く、規模も大きくなってきているようだ。
“アンセル!聞こえるか!?”
付け直したイヤホンからソーマの不安そうな声が聞こえる。
「…ああ。大丈夫だ。」
サティアを映すはずの画面は真っ黒でもう何も映してはいなかった。アンセルは自分達の駐屯地点のかなり手前に待機していたが、迫ってくる膜の大きさに、一瞬たじろいだ。勿論直ぐに体勢を立て直したが、迷い無くこの力を使うとどうなるのか、という点において多少疑問が残る。
「…よし!」
アンセルは自分自身に気合を入れ、一気に両手を膜に押し付けた。今回サティアが最後に叫んだ言葉は何だったのだろう?この距離では自分の声が確実にサティアに届くか分からない。彼はこの膜もサティアの一部と考えて、語りかけた。
「俺はここにいる。サティアを一人で置いて行ったりしない。お前には俺が必要だ。おめでとう。よくやった。」
言い終わるか終らないかのところで、膜が大きく波打った。アンセルの両手を始点に波紋が広がってゆく。その波がアンセルからは見えない方にまで消えていくと、彼の両手が発光を始めた。光の広がる早さも、水準が上がっている。今までの工程が嘘のように、中和は速やかに事態を終息させた。残った山脈に囲まれた平地には、あの真っ白な灰が降り注いでいる。案の定、誰一人そこに残った者はいない。サティアと彼女を迎えに行くアンセルを除いては。


 成功…したな…。地味な空挺の中で戦地を迂回しながら母国へ進む。安堵しながらカイルは自分がしでかした事の大きさに気付く。人一人を半殺しにし、国一つを消し去る事にその手で直接関わったのだ。眼下に広がる真っ白で広大な土地からはその未来を想像することも出来ない。きっと今、この大地には、アンセルとサティアしかいないのだろう。彼らがリアズに戻る前に自分はそれを…サティアを迎えてやりたい。そしてあの夜彼女がした質問の正確な答を告げたいのだ。それに新たに分かった疑問がある。ホルスはギルが秘密裏に開発していた武器を使いたかった…と言っていた。ギルは馬鹿ではない。自分が作ったものの効果を試すのに、上手くホルスを乗せたのだ。もしかしたらイトに兵器や食料を横流ししていたのは彼かも知れない。秘密裏に開発したのは何故だ?絶対的に許されないとされた兵器開発への好奇心を、研究者として抑えることが出来なかったからか?…いや、咽越しのいい推論だが詰めの甘い結論だ。兵器の作成もこの展開の速さでは資料なくしてそれは成り立たない。…という事は、ゼファも何か知っているのは明白だ。しかし、連絡が取れず、どこにいるかの見当も付かない。
「…消された…のか…?」
ゼファは神術も使えずホルスと違って身体的にも弱い。脅されて抵抗したところで、ギルにすら勝てないだろう。秘密を握る足手纏いは…自分なら生かしておかない。ホルスの最後の言葉…力を持てば使ってみたくなるのが人間の本性。サティアを手の内にしているカイル達もまた、同じ道を歩んでいる気がする。それに…。最期の時、立ち去ろうとしたカイルにホルスは小さく呟いた。『あの女に、母は何かと、聞いてみろ。』と。


 アンセルは無事に回収した姉を部隊と共に海上の飛行艇に戻り、ソーマに任務完了と帰還時刻の伝達を済ませ、サティアの生命兆候を確認し、点滴などの簡単な医療行為を終えてからその意識を確認した。
「サティア…?分かるか?」
うっすらと開いた瞳は濡れたような黒で、疲れきっているようだった。無理も無い、今回の力の規模は、サティアと再会してから一番のものだったのだから。
「あ…んせ…ル…。」
「疲れただろ?本当によくやった。もう寝ていいぞ。」
「うん…。あ…これ…」
サティアは握っていた物をアンセルに渡した。サティアの手が離れてやっとその物が何か分かる。突入前にアンセルが渡した覚醒剤入りの注射器だ。良く見るとそれには…
「薬が残ってる…。これはどういう…」
問いかける間も無く、サティアは眠りに堕ちていた。再び注射器に眼を落とす。…一滴も使っていなかったのか?それでは自分がサティアを不安に陥れた事だけで、あの黒い膜は発生したという事だ。リアズでの実験では掴めなかった事実。それとも何か他にも発動のきっかけがあるのだろうか?だとしたら、一刻も早くそれを解明しなければ…。さっきコウ国にいた兵士達は全滅させられただろうが、ホルスが宮殿ごと消滅させられたかはまだはっきりしない。色々な考えが彼の頭を交錯するが、今アンセルが本当に知りたかったのは、今回黒い膜を発動させた時、サティアは何と叫び、自分の声がサティアに届いていたのか?という事だった。


『Ⅲ;兵器』

「やったわね!」
リンが普段見せない、嬉々とした顔でソーマに同意を求めた。
「…そうだな…。」
「嬉しくは、ないようね。」
「…リン…頼みがある。」
「何?」
「王位を降りて、俺もアンセル達の様に戦場に立ちたい。」
リンはソーマのその気持ちを、痛い程分かっていた。しかし…
「何を言ってるの!?この計画を統御したのは貴方じゃない。彼らと共に戦ってるのと同じよ!場所が違うだけで…」
「『…のと同じ』程度では駄目だ。…そうだ。まず場所が違う。それを変えたいんだ。こんな状況で、国だの王だのと…。今世界を動かしているのは我々ではない。重要な存在どころか、ただの足手纏いだ!今後、戦う者達の指導者や、守るべきものが、俺であっては駄目なんだ。だから、リンさえ納得してくれれば王の座をリンに譲りたい。」
ソーマがこんなに自分の感情をリンに向けてきた事は無かった。それだけ、今のソーマは追い詰められた心境にあるのだろう。直接戦えない辛さをリンも持っている。だが、王位を降りるなどという発想にまでは、行き着かなかった。
「…降りたとして、その次に待っている物の事は考えてあるの?」
「…いや…。だが、剣の腕は確かだし、神術も使える。実戦経験は無くても…」
「いいえ、違うわ。その事ではない。貴方は現職の王よ。うまく王位を降りる事が出来たとしても、それが突然軍人になる。他の軍人が本当に一緒に戦う仲間という意識を持てるかしら?」
「それは、俺が初めにそうしてくれと言えば…」
「どうかしらね?言ったところで、アンセル以外の軍人達は、貴方を腫れ物のように扱うでしょう。」
「では…リンは反対なのか…?」
「いいえ。賛成よ。戦う気持ちが私と同じなら、貴方がやった方がいいと思う。」
そう。いくら強くても女の私よりは…。
「何か、策があるのか?」
「ソーマ=アヌ=リアド。貴方には一度死んでもらうわ。」
「死ぬ…?」
「そう。そしてシレンセから難民として来た、ただのソーマになる。彼は軍人で、難民救済をしてくれたリアズに恩を返すために、リアズの軍人として、戦場に立つのよ。言葉にすると簡単に聞こえるけど、どんなに少なく見積もっても三ヶ月はかかる。その間に新たな戦いが起こらないとも限らない。…どうする?」
「出来る事ならやりたい。」
「…それに、残りの各国王の協力も要請しないと…アンセルは国王ではないけれど、一番説得に時間が掛かるでしょうね。」
「ああ。そうだろうな…。で、どうやって死んだ事に?」
「そうね…。全ての人が死んだ事に疑いを持たないようなものを考えなければ…。ごめんなさい。ここまで言っておきながら、それが思い付かないなんて…。」
「ううん…。あ、いた。いるぞ。こういうことに、やけに張り切った珍回答を導き出す奴が…。」
「!そうね。彼なら面白い発想を展開してくれるかも。」


「ただいま!いや、少し業務に手間取ってしまってね…。おや?戦闘は終ってしまったのかい?」
「とっくに終った。…カイル!これは競技ではないんだぞ!?」
「分かってるって。でも、録画してあるのだろう?…で、サティアとアンセルはどうなの?」
「無事、こちらに帰還中だ。もうすぐ着くだろう。」
全く訳の分からない奴だが、今後のソーマの進みたい道へは、この男の助けなくしては無理だろう。そんな事とは露知らずのカイルは、呑気に録画画像を見始めた。歓声でも上げやしないかと、ソーマは冷ややかに見ていた。が、意外にも苦々しい表情だったので声を掛けるべきかとも思ったが、思うだけに留めた。ソーマも、ついカイルに釣られて、また映像を見てしまった。アンセルがイヤホンを投げ、サティアの不安に満ちた表情が映る。そして彼女が転倒すると共に、一瞬の高音を残して映像は途絶える。カイルはそこで映像を切った。
「…どうしたんだ?」
普段のカイルなら、この場面から先を気にするだろう。結果が分かっていようとも、敵が完全に沈黙したか確認する筈だ。
「別に…。見ていられなかっただけだよ。君達の様子や言動で作戦の成功は分かってるしね。」
「そう…か。」
ソーマは何か引っ掛かるものを感じたが、カイルに話さなければならない今後の事を、アンセルが戻る前に話す方が有利と思い、ここぞとばかりに話を変えた。
「カイル。俺は、一度死んで、王位を降りる。」
「へぇ…。」
カイルはまだ映像の無い画面を見つめている。
「どうやったら誰にも疑われず、死んだ事になるか、意見を聞きたい。」
「死んだ事にして王位を……降りる!?何を言ってるんだ!?この世間知らずは!ちょっと、リン!ソーマ君がおかしくなちゃってるよ!?」
「おかしくないわ。私が提案したの。」
「リンまでおかしい!どうなってるんだ!?」
「騒ぐな!いつもおかしいのはお前の方だ!…最初から話す。まず、聞いてくれ。」
「だっ…、はぁ、はいはい、分かったよ。で?何がどうなったわけ?」
「ずっと感じてきた違和感はこれだと、今回の作戦で気付いた。俺が居たいのはここではないんだ。アンセル達と共に戦いたい。本当の意味で…。親友の命の陰に隠れて、生きるのは嫌だ。」
「それがどうして死んだりするわけ?」
「王位を降りて軍人になると宣言したところで、周りの環境は変わらないわ。」
「だから、死んだ事にして、シレンセからの難民として、一からリアズ軍に入隊する。」
「有り難い事に、リアズ国民の私への評価と信頼は厚いわ。仮留めとして、この戦いが終るまでは私がリアズの王位に就く。本当は私がソーマの役をやりたいけど…。女の私から王位を取って、軍人にしたところで、ソーマより役に立つとは思えない。」
「…だからって…。」
「私も国を追われた時、リアズに逃げずに戦いたかった。いいえ、あの時だけじゃない。この戦いが始まってからずっとそう思ってきたの。」
「リンは分かるけど…。ソーマ、お前には険しい道になるよ?いいの?」
「どこに向かっても、険しくない道は無い。」
「うーん…。」
リンの思う事も、ソーマの言わんとしている事も分かる。それだけにカイルは心配せずに居られなかった。両者は似ているようで全く違う見地から同じ結論に辿り着いているからだ。何かが変われば何かが変わる。どう影響するのか計算できない。
「だから、賛同してくれるなら、どうやって死んだ事にすればいいか、教えて欲しいんだ。」
しかし、カイルもサティアという異分子の存在で変わった。ソーマもきっとあの二人の異分子の存在に影響されたのだろう。人間はその世界を問わず、強いものに惹かれる習性がある。異分子からの影響を受けた者が、巨大な陰謀の図式に入っているかどうか…それを試す良い機会であるとも言える。しかし、それよりも…
「その意見を最初に言い出したのは、どっち?」
「俺だ。策はリンだが…。」
「ふーん。じゃ、協力するよ。どうやって死んだ事にするか、だったよね?」
「そうだ。…では、賛成なのか?もう…食い下がったり…」
しないのか?いつも厭味ばかりの筈が、カイルのやけに淡白な反応にソーマは少々戸惑った。
「しないよ。私だって、これでも一応、緊迫した状況は把握してる。」
「あるのか?」
「だからって、急かさないでよ。…誰にもって言うのは、国民に死んだ事を信じ込ませたいって事だよね。」
「ああ。ここにいる三人とセルーナ、アンセルとサティア以外全員だ。」
「じゃ、病気は駄目だね。自殺もちょっとなぁ、似合うけど。…事故、他殺…暗殺。演説中みんなの居る前でやってみる?でもそうなると実行犯っていう生贄が必要なんだよねぇ。でもこのやり方じゃあ、国内に裏切り者が出たという事で騒ぎになって、みんな一層殺気立って、内紛勃発ってこともあるかも知れない…。」
「…では、どうすれば…。それとも、そんな事は不可能だということか?」
「いや…、コウ国の撃沈はまだ公開していないんだっけ?」
「ああ。まだだ。」
「じゃ、今回ソーマはホルスを説得に行った事にして、その時一服盛られた。怒り狂ったリン=セイ様御一行が、その報復にコウ国を叩き潰した事にしてみたら?それなら難なく、ソーマは死んで、リンは英雄。王位の移行もし易くなる。ホルスとその近しい部下達はもういないわけだし。」
「情報操作するのか?」
「死人に口無し。使えるものは使わないと。大体情報なんて、操作するためにある様なもんだから、いいんじゃないの?そんな細かい事言ってたら軍人になんてなれないよ?」
「そうだな…。」
「それで?これ、アンセルには話したの?」
「いや…まだだ…。」
「…それはまた…」
カイルが意味深な含み笑いをする。
「彼の逆鱗に触れるだろうねぇ。何て言うわけ?」
「今のように、そのまま話すが…?」
「ってことは、賛同した私達は、またこの不器用で世間知らずの、補佐をしなければならない。と、いう事ですか。」
「厭味な事を…」
「違うって。事実そうなるの。ソーマ一人じゃ、あのアンセルを説得できるわけ無いじゃないか。…と、ちょっと思ってたからこそ、私に先に話したんだろう?」
ソーマは完全にカイルに読まれていた。そのために何と言っていいか分からない。言葉にも声にもなっていないような音を、口の中でもごもごさせている。
「…こういう時は『話が早くて助かった、ありがとう』でいいんだよ。…はぁあ~、もう、ほんとに心配だなぁ。ま、何とかなるか。そうだ!リン、シレンセの軍人に多い特徴ってある?なんでもいい。」
「そうね…。多少の神術を使える者も混じってるけど、剣術が一番強いわ。」
「それより、ぱっと見て直ぐ分かるようなものがいいんだけどなぁ。」
「見て分かる…。髪はもう少し短いか、後に纏めているか…。質問の趣旨を教えてもらえたら、もっと話が早いと思うんだけど?」
「ああ、ごめんごめん。死んだフリが上手く行っても、その後直ぐにソーマ陛下にそっくりのソーマが現れるわけだから、何か大きく違うところがあった方が混乱が少ないかと思ってね。保険として。」
「それなら、髪を後に纏めて、服を変えればそれなりになると思うけど…。」
「…。リン…?…ま、確かにその通りだけど、彼自身にこれといった特徴は無いって言ってるみたいで、些か失礼だねぇ。…とりあえず、ソーマ君はもっと社交的にならないと駄目だ。軍人は、任務とかけ離れた実生活の中からも、信頼関係を築くものだ。今までのように、用が無いから話さない、は通用しないよ。それに、庇護者から加護者になるってことは、私が何者かに狙われた場合、身を挺して私を守らなければならないという事だからね?」
「そんな事ぐらい分かってる!」
「ほらぁ、その口の利き方も…。他の人には分からない様に、慎重に。」
「……はい、カイル…殿…。」
「ふふん。そうそう。いやぁ、何だか気分がいいねぇ。あら?この点滅表示はアンセル達の飛行艇のだよね?」
「ああ。戻ってきたようだ。無事で良かった。」
ソーマ達がアンセル達の期間に気付くと同時に、ソーマに通信が入った。
“陛下。アンセルです。全隊無事帰還。サティアは昏睡中なのでこのまま病室に移します。他の実行部隊はどうなさいますか?”
「王宮内の寛げる広間で待機してくれ。他との連絡は取らないように。食事等用意してあるはずだ。アンセルにはこっちへ来て貰いたい。」
“何か、問題でも…”
「いや、大した事ではない。が、なるべく早めに頼む。」
“了解。”
通信が切れるとカイルがソーマの肩を叩いた。
「何が『大した事ではない』だよ。大問題じゃないか!…私は彼に怒られるのが嫌いなんだよ?この埋め合わせはしてもらうからね。」
「ああ。お前の墓穴は俺が掘ってやる。」
アンセルに叱られる事は百も承知だ。だからこそ、同じ立場に立ちたい。超えたい。いつしかソーマの深層心理では、アンセルは親友を通り越して父親のような存在になっていた。彼の後ろに隠れるのではなく、彼の後ろを守りたいのだ。馬鹿げた発想かもしれない。それでも、今自分が直接何か出来るのはこれだけだ。


「…ああ…全く…。」
結局ソーマは先程と同じように事の次第をアンセルに告げた。一部始終を黙って聞いていたアンセルは、話が終ると溜め息混じりにそう言った。
「…やはり、反対か?」
「勿論。」
「それは俺が王だからか?それとも友としての反対か?」
「・・・・・どっちもだ。」
答える言葉が異常に少ない。案の定、カイルが言ったとおり、怒っている。
「何故だ?実戦経験に乏しいからか?」
「それよりも、戦う事に執着しているところが問題だ。」
「しかし、戦わなければ我々は…」
「確かにそうだが、戦闘は問題解決への段階の…手段の一つに過ぎない。お前は戦う事が直接問題を解決すると思っている。それと、お前は何も考えずにただ戦うという事が出来るか?もしくは、理想を貫くためなら多少の矛盾があっても、感情を無視して命令に従う事が出来るか?一人の迷いは他の者にも感染し、結果味方を犠牲にする。それにも耐えられるのか?」
生きている限り、自責の念から逃れられる場所は存在しない。ソーマはアンセルにそう言われたような気がして、言葉が出なかった。勿論、ソーマとしては今の責任から逃げるつもりで、戦いたいと言ったわけではないのだが、選んだ道の険しさを改めて突き付けられると、自分の決意の程度が信用できなくなってきそうだったからだ。
「まあ…でも、カイル殿やリン=セイ様もご賛同で、ここまで話が進んでいるのなら、俺には反対する権利もないし、お前の気が変わるとも思えない。入隊は許可する。だが、俺の目の届く特殊部隊に入ってもらうぞ。それには心身ともに、もっと鍛えなければならない。耐えてもらうぞ。」
「ああ。頼む。…ありがとう。」

 世界を代表するリアズ王の死に、国民は嘆いた。その訃報が流れるや否や、リアズ国内のみならず、隣国ティティやシレンセの難民までもが、コウ国の陥落とホルスの死を声高に訴え、リアズ王宮前の広場に壮大な人の海が出来たほどだ。悲しみと怒りを称えた表情で、アンセルを従えたリン=セイは、王宮の門を隔てて彼らに叫ぶ。  
「今こそ、奴らに我々の力を示す時だ!我らを守る為、ただ一人、敵国に向かい、殉職した王の死を無駄にしてはならない!極悪非道なるホルスと、ホルス率いるコウ国の殲滅を、ここに誓う!」
この言葉に全員が沸き立った。幾日と置かず、コウ国陥落の映像が流されると、人々は恰も自身がその手で掴んだ勝利の様に喜び、再び色めきたった。リン=セイは英雄として崇められ、リアズ国民の信頼を獲得し、難なくリアズの、…名目こそ仮ではあるものの、実質リアズの『新王』としてその座に就いた。戦場での英雄アンセル、現状の国際情勢での英雄リン=セイ。その好一対が、より国民の関心と信頼を強化した。ほぼ完全な軍国国家の誕生である。
 一方、全国民への情報操作以前のホルス戦に関わった特殊部隊にも、アンセルは手を打っていた。自分達が攻撃した時、既にソーマは死んでいたのだが、国内を動揺させない為と、それによって任務に支障が出ないようにする為、そして奇襲作戦の情報漏洩による作戦失敗を防ぐため、知らせていなかった事実だった、と部隊に告げた。そして、ソーマはアンセルと二人、数ヶ月の過酷な訓練に励み耐え抜き、現在ソーマはシレンセの難民地区で生活をしている。名はそのままに、元シレンセ諜報員として日々を送っている。髪を束ね、頭から爪先まで大小の傷跡が残っている。初めこそ、難民の中で今までとは正反対の生活に不自由はしたものの、相変わらず、愛想も無く口数も少ない彼だったが、好奇心旺盛な子供達と接している内に、その親やその他の者達とも意思の疎通が計れるようになっていた。
「おい!ソーマ!母ちゃんが今日も家でメシ食ってけってさ。」
「有り難いが、そういつもご馳走になっては申し訳ない。自分の食料なら…」
「食材あっても、お前料理できないじゃん。ソーマの食事は食事じゃねぇって母ちゃん言ってたぞ。」
「…それは、そうなのだが…」
「いいから来いよ!」
ソーマの腕を無理矢理引張っていこうとするこの少年もまた、シレンセ難民の一人だ。名はジオ。歳は十一だと言っていた。彼は生き残ったシレンセの子供たちの中で、一番年上だ。状況が状況だけに、今彼はこの難民地区に居る子供たち全員の指導統率者…つまりは頼れる兄なのだ。初めてジオと話をした夜、ソーマは彼から仲間の証として、自分達が乗ってきた飛空挺のボルトを授け、代わりにソーマは僅かに持っていた金銭の中から自分が即位した時の記念金貨を見つけ、ジオに渡した。ソーマのその行動に対してジオは、仲間に入るのに金だなんて、なんだか政治家のクソ連中みたいだ。と言いながらも、今ではそれをこの地区の子供達の統率者の象徴として、金貨を勲章のように肌身離さず持っている。そして彼の母親は、母を亡くした子供たち全員の母でもある。
「ソーマ!あんたまた食材そのまま食べてたんだって?全く、リアズ軍に志願するつもりなら、もっときちんと栄養つけなきゃ駄目じゃないか!ほら、ぼさっとしてないで食べな!」
ソーマは彼女に弱い。温かみのある厳しい言葉には返す言葉が出ないのだ。今では、ソーマが配当された食料を代わりにジオの母親に渡す習慣になっている。
「い…いただきます…」
「あ、そうそう、軍志願者は明日王宮前に集まるようにって言ってたよ。聞いたかい?」
「ああ、聞きました。」
「はぁ…、あんたも行っちゃうんだねぇ。」
「何か気になる事でもあるんですか?」
「…いやね…。戦う事は反対じゃないんだけど…子供達がさ…。大きな声では言えないけど、戦争の最中に育った子供達は一体どんな大人に成長するのか、少し心配なんだよ。今日も戦争ごっこをしてたし、ジオは来年には軍に志願するって言い出すし…。母親としては、何とも…ねぇ。」
「…ええ…。」
ソーマに言えることは何もなかった。この戦争の火種と激化を誘ったのは自分だからだ。
「戦争の後に残るのは、何なんだろうねぇ。本当に前みたいな暮らしが出来るのか、心配だよ。」
「…そうなるよう…いや、そうして見せます。」
ソーマが固い口調でそう言うと、彼女は間を置いて大爆笑した。
「アンタは面白いねぇ。背中に地球でも背負ってるみたいだ。気張らず、危なかったらいつでも帰ってきなよ。いいね?」
「…はい…」
「じゃ、悪いけど、食べたら片付けておいてね。アタシはもう寝るわ。おやすみ。」
「はい。おやすみなさい。」
彼女が奥に消えると、ソーマはやりきれない思いでいっぱいだった。赤の他人の大の男を、血族であるかのように接してくれているが、本当はリアズ王だと分かって、騙されていたと感じたらどうなるのだろう。難民地区での生活の中で、人の温かさを知ってしまったソーマには新たな悩みがあった。騙している自分が、それを止めて王に戻った時、その王を…自分の事を人々は信じる事が出来るのか?そして、そうなるまでには多くの戦いと犠牲者が出るだろう。遺族はどんな気分なのか?最悪な気持ちだという事に変わりは無いが、その程度が生きるのを拒否するほどなら、リアズ王殉死作戦は中止した方がいいのではないかとも考える。しかし、
「ソーマ、ここまできたら引き返す事は出来ないぞ。分かってるな?」
と、難民地区に入った日にアンセルとカイルに言われた。勿論分かっている。結局リアズ王としての自分が死んだ事で何の功績が残ったのか?何も、だ。ここまでは自分のただの我が儘だった。副産物的に成し得たのは、リン=セイとアンセルの英雄軍事国家。これが利点になるのか欠点になり損失を生むのかは未だ分からない。そう、ここから始まるのだ。正にここから、ソーマと世界の新しい時代が始まる。明日の軍志願者試験で、圧倒的な成績を残さなければ始まらない。そうして初めて、ソーマは人として人のために戦う事が出来る。人である事さえ投げ打って戦うサティアや、アンセルと共に…。そうだ。『人として人のために戦う事』が俺の最初の目標だ。


「セルーナ様はまた体調を?」
リアズは連絡の取れないグラセウスの国、イルズに繋がる神光玉の導管を断った。敵に力を分け与えず、有事にこちらがその影響を受けないためにもその必要があった。ティティも制圧されたシレンセに伸びていた導管を断ち、今はリアズとしか繋がっていない。ということは当然、二つの神光玉だけでは足りない原動力を何かで補わなければならないのだ。サティアはホルス戦から一ヶ月も昏睡状態が続いた。目覚めた今も、未だあの時の力の発動条件が何だったのかは分かっていないが、戦闘時に備えて力を温存させているので、代わりにセルーナが、原動力を補充する役目の殆んどを担っている。ソーマが死んだ事になり、宮殿から姿を消してからずっと、彼女は引き篭もりがちで、今は親友の、リンがいるこの王室を訪れる事も少ない。
「ええ。まぁ、体調は以前各国に行き渡らせる為に使っていた力の量を考えれば、少なくなっているはずだから、そこまで大変ではないと思うけど…。それより精神的に耐えられない状況なのでしょうね。ソーマが…。」
リンは言いかけてアンセルを窺った。セルーナのソーマへの想いをアンセルが知らなければ可笑しな会話になってしまう。
「ああ。ご心配なのでしょうね。本当は生きていると知っていても、側近達はソーマが死んだと思ってセルーナ様に接する。ソーマと直接連絡を取っていなければ、俺だって本当は周りの言う事が正しいのではないか、と思ってしまうでしょうね。それに…当のソーマはセルーナ様のお気持ちを良く分かっていない。」
「分からないと言えば、サティアの事だけど…。」
「はい…。ホルス戦時の力の発動条件も分からないし、今回酷い昏睡状態が続いた原因も良く分かっていません。最初の実験では、薬を使い規模は小さかったが力の強さは大きく、俺が止めるのも困難なほどでしたが、昏睡状態は短かった。それに比べて、薬を使わなかったコウ国での力は、俺個人の感触でいうと以前の二回より中和も簡単でした。しかし、昏睡状態は長かった。分かっている事実はこれだけです。本人も理由が分からないようで、今までの映像や資料を読んでは、投与する薬物や条件を模索しているようです。」
あの時、黒い膜に話しかけたアンセルの声は届いていた、とサティアは言っていた。そして、発動したとき、サティアは何故か見知らぬ自分の母を想ったらしい。
「…すごいわね。貴方もサティアも、強くて冷静で。」
「いいえ。あの力も、発因が分からなければ…両刃の剣です。」


 カイルは今またサティアの病室に足を運んでいた。部屋の中は、彼女自身の検査書類が散乱している。カイルは今日こそサティアにホルスの最期を教える為に来たのだ。
「今日も元気かな?」
「はい。やっと全部の管を取ってもらえて、すっきりしました。」
彼女の首には、まだあの時アンセルが付けた首輪が鈍い光を放っている。
「…良かった。」
この枷を、彼女から早く取り去ってやりたい。カイルが黙って見つめていると、サティアが不思議そうに言った。
「今日は、何か用事があるんですか?」
「ああ…うん。随分遅くなっちゃったけど、あの作戦前夜の、君の質問に答えに来た。覚えてる?」
「…ホルスの事?」
「ああ。奴は、完全に消えた。この眼で確認したよ。」
「じゃあ、あの時、あそこに居たんですね。ありがとう。…でもカイル様が巻き添えにならなくて良かった。」
「後、もう一つ。奴が最期、私にこう言った。『あの女に、母は何かと、聞いてみろ。』ってね。これはどういう…?」
「氷の、女王。」
「今、何て?」
「孤児院に入ったばかりの頃、私とアンセルのところに色んな人が来た。その時、その男の人達の一人が言ってた。君の母親は氷の女王なんだって。アンセルが大きくなるまでは少し信じてたけど、週に何度も来ていた人が急に来なくなって、暫くして気が付いた。親が何かも分からない私を、慰めるために言っていたんだと。でも本当に氷の女王だったとしても、母が氷なのに、私は全て燃やしてしまうなんて可笑しな話。」
彼女はそう言って少しだけ笑った。最近はアンセルが居なくても、若干ではあるがカイルに笑顔を見せるようになっていた。昏睡からの回復も勿論なのだが、カイルにとっては彼女が微笑んでくれるようになった事が、一番嬉しい出来事だった。不本意ながら、ソーマを想うセルーナの気持ちが分かる。
「その男の人の顔、今でも覚えてる?」
「…。顔を見れば分かるかもしれないけど、頭に焼き付いてはいない。」
「そうか…。じゃあ今度確認してもらいたい。」
「わかりました。陛下…ソーマ様は大丈夫なんですか?」
「…。彼が、気になる?」
サティアが自分のものでないのは分かっているのだが、彼女がアンセル以外の名を口にすると、カイルはどうしても嫉妬心を感じてしまう。
「はい。アンセルは厳しいから、耐えられたかどうか…。」
「ああ、そう言う事ね。それなら大丈夫だと思うよ。丁度明日、軍志願者の試験がある。見に行くかい?」
「いえ。アンセルに耐えられたなら、大丈夫。多分、首席で通ると思う。」
「君もだけど、みんな戦うのが好きなんだね。」
「好きではなくても、誰かがしなければならない。その能力のある者が…。」
「なるほど。」
時に彼女は妙に客観的で現実的なことを言う。普段の物腰や行動が現実離れしているから、そう感じるのか…。常に世の中を冷めた眼で見ているカイルでさえ、はっとすることを言うのだ。その言い方も、判で押したような役人の決まり文句のように。
「カイル様も本当は強い。神術もセルーナ様より強いと思う。でも、隠してる。戦わないのは自分が戦場にいるより、もっと役に立つ場所がどこか、ちゃんと分かってる。だから無駄な事はしない。」
「それは…買いかぶりだ。」
カイルはサティアから視線を逸らす。照れている自分が滑稽だった。人を分析するのには慣れているが、それを自分に向けられる事は少ない。まして当てられる事などなかった。人は大抵自分を勝手に分析されるのを嫌う。しかし今、サティアに言われてカイルに反抗心が芽生えなかったのは、自分の彼女への感情のせいではない。この数ヶ月で、アンセルと自分自身以外の者に対するサティアの言葉と話し方には、含みや駆け引きなどといった、遊びの部分が皆無なのだと分かったからだ。多分彼女にしてみれば、人への賛辞も、単に林檎を林檎だと言っただけに過ぎないのだろう。それだけに、本当の自分を、初めて正当に評価されたようで嬉しかったのだ。
「それにしても変な偶然。私がこの前発動した時、何故か知らないその母を想った。綺麗で冷たい氷の女王様。」
「どうしてこうも重なる事が次々出てくるのか…。」
「偶然だけどそうじゃない。奇襲は偶然じゃない。でも私が氷の女王を想って発動したのは偶然。ホルスが私の母について話したきっかけは、偶然国にカイル様や私が入り込んでいて自分が死ぬと悟ったから、きっかけ自体は偶然。だけど、急に私の母の話を持ち出した。当の私がいないのに、死に際にわざわざそれを選んだのは、多分、偶然じゃない。」
「…氷の女王は…居ると言う事かな?」
「存るのと居るのとは違うけど、ここには氷に関係のある女王は無いし、誰も知らなかった。」
「しかし…ホルスは知っていた。」
「どうして氷の女王なんてお伽話みたいな事言ったのか分からない…。」
「うーん…わざわざ女王って言ったのはそれだけ重要なもので…女である事自体の重要性が高かったから…かな。」
「じゃあ、何故氷と付けたの?」
「凍結させたい問題が絡んでいたから…?」
「氷の女王はあって、私の母がそれなら、きっとそれが今の始まり。」
「そうか…。二年前イトが戦争の混乱に乗じて、サティアを奪ったのと同じだ。今回ホルスとイト達は何故か世界の中枢であるリアズを攻めずに、シレンセとタイラへ侵攻した。その上、逃げるリン達…王に追っ手をかけなかったのは、特別な何かを手に入れたかったからで、国土の略奪が目的ではなかったからなのか…。」
リンもセルーナも『氷の女王』の事は知らないだろう…どうやらシレンセとタイラに赴く事になりそうだ。そのもの自体が残っている可能性は低いだろうが、噂だろうが何だろうが、残った何かがあれば話は変わる。自分の父の部屋から出てきた、あの手紙の束のように。しかし赴く前に、二人と少し話しをしたほうがいいだろう。
「…関係ないのかもしれないけど、現王の先代は、何故殆んどが平均的に五十歳くらいで亡くなってるの?」
「それは…。分からない。私のところも、何故か急に衰えていって死んだ。言われてみれば、ソーマもリンも…ホルスとギル、ゼファ以外は皆そうだ…。流行り病だと言われただけで、原因も経過も死に際すら直接見てはいない。」
「いつもそうなの?」
「…いや、違うはずだ。通常に行われてきた戴冠式では、王が直接、次期王にその座を譲る。だから、私やソーマ達は引継ぎも無いまま急遽、跡を継ぐ事になったんだよ。あれは…異例の事だった。」
「最初に亡くなったのは誰だった?」
「最初がリンので、次が私、セルーナとソーマがほぼ同時期、最後がグラセウスだった。」
おかしい。自分でもやっと気付いた事だった。引継ぎ無しの慌しさで、悲しむ間すらなく流されるようにして、今に至る。きっと他の四人も同じだろう。
「じゃあ…母親は?」
「え…?」
「カイル様たちの母親が一人も残っていないのは、何故?」
そうだった。何故、皆、自分達の即位前に死んでいるのだろう…。


「…以上の番号の者は残れ。呼ばれなかった者は陸軍兵舎に向かえ。教官が待っている。解散!」
アンセルの指示通り、数十名が兵舎に向かう。その群の中にソーマの姿は無い。番号を呼ばれた三名は、困惑した眼でアンセルを見ている。ソーマもその一人だった。失敗はしていないはずだ。それともアンセルはやはり、俺を軍に入れる事を断念したのか?口を開きかけたソーマにアンセルが言った。
「お前達には、陸軍でなく、俺が指揮を執る特殊部隊に入ってもらう。よって、各軍兵舎ではなく、王宮隣接の特別宿舎に行け。今日からそこがお前達の家だ。今日はもういい。明日からの訓練に備えろ。以上、解散!」
アンセルが背を向けて去っていく途中、ソーマ達に振り返る。
「諸君、おめでとう。」
先程までの厳しい試験官とは別人のような笑顔で言い、その場を後にした。
「やった!すげぇよ!俺達!俺サンガ・ルゥ。サンガでいいよ。お前は?」
「…ソーマだ。」
「ソー…マ?」
何も考えずに名乗ってしまったが、不味かったかもしれない。サンガと名乗る青年は上から下までソーマを見ている。
「…へぇ~、リアズの前王様と同じ名前かぁ。小さい時とか比べられたり、からかわれたりしただろ?名前ってほんとに人生左右するよなぁ。」
「そうだ…な。」
良かった。全くばれていない。もう一人の男はラルド・ハフナと名乗った。寡黙で落ち着いた雰囲気から、軍志願に至るまでの経過を、なんとなく窺い知る事が出来た。
 アンセルの言った特別宿舎は、ソーマも知っているが、実際に中を見るのは初めてだった。普通の兵舎は大部屋で、十人程度が一つ屋根の下で暮らす事になるのだが、ここは一人に一部屋が充てられる。ソーマの率直な感想は『狭い』だったが、備え付けのベッドに横たわると、悪くないどころか、自分には丁度良いと思った。だだっ広い王宮の無駄な装飾の多い宮殿に比べると、むしろ心地良い。窓を開けると、目の前に生まれ育った豪勢な建物が眼に入る。ソーマは王宮に一番近い部屋を割り当てられたのだ。いつか、『全体的に見れば平和な世界も、細かく見ればそうでもない』とカイルが言っていたが、それは自分にも当て嵌まる事だったのかも知れない。傍から見れば一国の主で何の不自由も無いと思うだろうが、実際は…。
“ソーマ?聞こえるか?”
急に居るはずの無いアンセルの声がした。見ると、寝台の脇に小さな点滅灯が光っている。
「ああ。」
“その敷物を捲ると、中に王宮に繋がる地下通路の扉があるはずだ。訓練や実戦の場合以外はそこから俺達の居る部屋に来てくれ。他の兵には分からないように気をつけろ。”
「ああ。分かった。」
“では、後でな。”
敷物を捲ると、人一人がやっとの細い階段に、通路が細長く続いてる。只管歩いて、やっと、行き止まりのところで扉らしきドアノブが見えた。開けてみると、アンセルやカイルが待っていた。
「ここは特別会議室。私達以外は入れない場所だよ。わざわざ作らせたんだぞ~。」
カイルがいつも通りの厭味でソーマの帰還を祝う。リン=セイ、セルーナも喜んでいるようだが、それよりもソーマはアンセルに聞きたいことがあった。
「今日の試験には、私情を挟んだのか?」
アンセルが朗らかに笑う。
「まさか。俺はそう言う事はしない。熱意と、きっちり基礎をこなしている事が分かれば、余程の事が無い限りは受け入れる。」
「そう…なのか…?」
「ああ。お前が今回結果を出せなかったら、即、宮殿に戻そうと思っていた。しかし、やるべき事以上の力でぶつかって来た。経験が少なくとも、指示通りの事が出来れば、俺は素直に評価する。」
「良かった。…皆、手間を取らせて悪かった。ありがとう。」
「じゃあ、ソーマ君は満足したわけ?」
「いや。まだだ。俺はここが第一歩だと思っている。」
「ふーん。少しは大人になったようだね。」
「ところで、サティアは大丈夫なのか?」
「ああ。意識も体力は完全に回復したが、発動起因が分からず、目下模索中だ。それから、分かっているとは思うが、サティアを兵器として使っている事を知っているのは、俺達と実験に立ち会った者、特殊部隊の者のみだ。コウ国との一戦の映像も、若干の操作をして流した。国民たちは新兵器があると言う事くらいの認識しか持っていないだろう。」
「そうか…。」
「発動起因がはっきりしていれば、サティアを敵の本丸に潜り込ませ、一気にかたを付けられるんだが…。確実でない限り、奪われた時には大きな痛手だ。」
アンセルは相変わらず、実の姉にも客観的だ。しかし、そうせざるを得ない状況に陥らせたのには自分も一枚噛んでいる。そう思うと、これから待ち受けているだろう苦難を、アンセル達と共に乗り越えていく決意が新たになった。
「君が・・あのソーマだって気付かれなかった?」
「ああ。本名を名乗った。苗字は言わなかったが、今のところ誰にも疑われていない。」
「うーん…。それはそれで何か寂しい気がするのは、私だけかな…?まぁいいか。じゃあ、皆揃ったところで、今日一番の質問だ。誰か、『氷の女王』というのを知ってるかな?」
「何だそれは?全くお前はいつも唐突で話が見えにくい。」
「ある確実な情報筋によると、コウ国との一戦の頃、ホルスがサティアの母の事を話していたらしい。さっき彼女に聞いたら、先日の発動時に母親の事を思ったと言っていた。どうやら、それが『氷の女王』で、幼い彼女にそう教えた誰かがいたらしい。」
「それは只の御伽噺ではないのか?」
「いや、そうとも言い切れない。シレンセとタイラが襲われた時追っ手が掛からなかったのは、国土の略奪が真の目的ではなかったんだと、私は思うわけだ。奪いたかったのは…」
「『氷の女王』。つまり、二年前のリアズの惨劇…サティアの拉致と同様だと?」
アンセルがカイルの意図を読み取り、後を続けた。
「その通り。ただ、それが何なのか、見当が付かない。で、その話の延長で、彼女に聞かれた。何故、私達の両親が揃いも揃っていないのか、ってね。私は親子関係が希薄すぎて、前王の死因は流行り病で衰弱死したとしか聞いていない。その後直ぐに死んだ母親も似たような事を言われたくらいだ。」
「私も…そう言われました。でも、急な戴冠で忙しくて、その上イトが蜂起して考える余裕もありませんでした…。」
セルーナが申し訳無さそうに答えた。しかし、ソーマもリンも全く同じだ。一言に偶然と言うには余りある。
「でも、私の家系は代々あまり体が強くないですから…関係があるのかどうか…。」
「…セルーナのところが違ったとしても、他の三人が同じ様な時期に同じ様に親を亡くすのは、あまりに出来すぎだ。何かがあったとしか考えられない。そうだな…特にリン。最初に戴冠したのはリンだよね?その当時何か気になったこと無かった?」
リンは暫く周りの人間を見渡し、溜め息混じりに言った。
「…日記…。あれは、丁度即位した日。父の書斎を整理していて日記を見つけた。…身内の恥を晒すようで言いにくいのだけど…。思えば、私が七歳か、もっと幼い頃からずっと父と母の様子がおかしかった。日記を見て、その頃から他に女性が居たからだったのかと思ったわ。でも…もしかしたら、もっと複雑な事だったのかも。」
「日記は全部読んだ?」
「いいえ。ごめんなさい。浮気の事が書かれていると思い込んで、詳しくは見なかった。処分はしなかったけど、どこにやったか記憶が定かじゃない。」
「そうか…。でも、ぱっと見ただけで、君が浮気だと思ったのは何故?」
「確か…彼女は神々しく素晴らしい、とか、美しい、思ったとおりだ…とか、何しろとても情熱的な文章だったの。大体父は女性に対して、そんな詩的なことを言う人ではないと思っていたから…。」
「『彼女』と書かれていたのは、確か?」
「ええ。それは間違いないわ。」
「リンが七歳かもっと前ってことは、少なくとも二十五年以上前の事だよね。」
「そういう事になるわね。それに…サティアはソーマと同じ…二十六歳。」
全員が静まる。全員が、もしかすると、父親よりも前の代から続いている大きな螺旋階段の最中に立っている事に気が付いた。
「じゃあ、今分かっている事を時系列にすると、二十数年前、サティアが産まれたと思われる時期にシレンセの前王がサティア達の母で氷の女王と思われる『彼女』と接触して、二十二年前にリアズの孤児院にサティアとアンセルがやって来た。十年前に停電が起きて、サティアは神殿に迎えられ、アンセルは少佐としてリアズ軍に籍を置く。その八年後、イトがリアズに奇襲をかけ、サティアが行方不明になる。そして現在、サティアは戻ってきたが、神殿入りの日以降十年の記憶を失くし、ホルスはサティアの母親について意味深な言葉を残して死んだ。…うーん、これはいよいよシレンセに赴かないといけないねぇ。」
「そうですね。カイル殿の言うように、シレンセへの攻撃が、国土の略奪が目的ではなかったとするなら、行くしかありませんね。先ずはサティアも含め、部隊を召集し、作戦を練った方がいいでしょう。シレンセもタイラもどんな状況になっているか分からない。それに、ホルスから糸の切れた元コウ国軍やイトの輩がどうなっているか…。」


 ソーマは宿舎に戻り、アンセルの召集を待つ。作戦会議の前に、新入隊者の紹介をすると言われた。王座を退位する以前にこの部隊の者とは、面識はあまり無いし、アンセルが必ず助け舟を出してくれる筈なので、ばれる心配はないだろう。しかし、それと部隊内での信頼関係は別物だ。ソーマが取り留めなくどのように接していけばいいのかを考えていると、召集を促す警報が鳴った。
“全員中央広間に集合。新入隊員を紹介する。”
接し方の方向性が定まらないまま、ソーマは部屋を後にした。広間には既に何人かがおり、どうやらこの広間は隊員が自由に出入りできる娯楽場のようだ。多分、ここでくつろいだり談話をしたりするのだろう。隊員の数はアンセルと自分達侵入隊員の三人を含めた、計十三名で構成されている。
「なぁ、お前の部屋、どうだった?」
サンガが嬉しそうにソーマに聞く。
「…いや、特に変わったところは無かったが…?」
「じゃ、お前ン家は中流階級だったんだな。俺ン家大戦前から貧乏だったからさぁ、ちゃんとした自分の部屋なんか無かったんだよ。こんないい部屋与えられるなんて、俺、ほんと頑張って良かった。」
言いながら、号泣するような仕草をして笑った。
「そ、そうか…。良かったな。」
「給料がもらえて、部屋も食事も服まで面倒見てもらえるなんて…。さっき母ちゃんに報告したら、泣いて喜んでた。そうだ。お前もちゃんと報告したか?」
「いや…親はいない。」
「あ…悪ぃ。俺って何にも考えずに聞いちゃうんだよなぁ。でも、世話になった人がいるなら、ちゃんと報告しとけよ。」
「そうだな…。」
ソーマは自分の事が上手くいったことで、すっかり忘れていたが、ジオとその母親には報告しよう。確かに、アンセルの指導に耐えられたのは、彼女のお陰と言っても過言ではない。
「全員揃ったか?」
全員が揃ったのを見計らったようにアンセルが現れた。
「はい!」
全員が横一列にアンセルに向かって立つ。アンセルの後にはサティアがいた。彼女は隊員たちと同じ黒い戦闘服を身に着けていた。
「先ず、今日入隊した者を紹介する。三人、前へ。」
機敏とした動きで一歩前に出る。先輩の隊員に向き直り名を名乗っていく。
「サンガ・ルゥ。リアズ出身。二十四歳。独身。接近戦に自身があります。よろしくお願いします!」
「ソーマ…」
しまった。苗字を考えていなかった。黙ったまま、ソーマは他の者の困惑した空気を感じた。
「彼はシレンセの元諜報員だ。従って、様々な名を持っている。ここではソーマと呼ぶように。神術も使える貴重な存在だ。」
アンセルが見かねてその場を誤魔化した。
「では、次。」
「ラルド・ハフナ。三十六歳。傭兵として各地を転々としていました。夜襲専門だが大体の事は出来る。出生地は…コウ国。」
最後の言葉を聞くや、全員に不信感が漂っている。
「アンセル隊長、一体どういうつもりですか?」
一石を投じたのはコウ国戦の時に、駐屯地にいた面子だった。
「あの時は既に、ティティで傭兵をしていた。…そうだな?ラルド。」
「はい、大戦前からコウ国には戻っていません。縁は切った。」
「と、いうことだ。即戦力として、一番使えると判断し、引き抜いた。ここでは現在の忠誠心と能力で評価する。過去は関係ない。最大の敵はイトだ。以上が新入り。では、他の者も名前と地位を彼らに言ってくれ。」
「はい。エルド・ラン二十八歳。大佐。主に作戦時の大型空挺の操縦と、隊長と作戦の考案を担当している。」
「俺はディン・オムナ。中佐として、隊長の小型専用機を操縦。空中戦は一任されている。よろしくな。」
「少佐のグレイシー・コスタ。銃器の扱いに精通している。ラルドと同じ、夜襲も得意分野だ。小規模作戦での指令を担当している。」
「サンガ、ソーマはグレイシー少佐に配属する。次。」
「ルーク・ペリエ。ディン中佐の作戦下で狙撃を担当。」
「ラルドはルークと同じ中佐の下で動け。」
「了解。」
「次。」
「私はミーナ・ストローム。出身はモンカ。でも育ちはリアズよ。エルド大佐の下、各地の地理、戦闘予想地区などの予測を担当しています。あ、歳は十八。」
「ジリー・ヴェントよ。この部隊全体の軍医師。常時エルド大佐の大型空挺に待機しているわ。サティアの主治医も任されている。」
「私はクォン・ヒス。アンセル隊長の勅令のみで動きます。潜入捜査が主な任務です。」
「僕はイリヤ・ロキ。僕も隊長の勅令しか受けない。電子系の処理全般を担当。十八だけど、この分野で僕の右に出るものは、多分いないね。因みに、こないだ国民に流したコウ国戦の映像処理をしたのは僕。」
「そして、サティア。きちんと対面するのは皆初めてだろう。俺の姉だが、遠慮はするな。」
「サティア・ヒューガ二十六。…私はこの大戦の切り札になる筈のもの。だから、仲間とも人とも思わなくていい。より確実な切り札になるため、実験を反復中。」
一人、異様な雰囲気で佇むサティアに、隊員たちは畏怖の目線を送った。彼女が敵に回り、世界が崩壊するかどうかはアンセルにかかっている。今は問題ないが…。触らぬ神に祟り無しと言ったところか。
「ざっと紹介が済んだところで、イリヤ。シレンセかタイラの電子資料には侵入できたのか?」
「いいえ、駄目ですね。全ての電子体は落ちたままで、シレンセへの導管を一時的に復旧して、神術を送るかしなければ、間接的な接触は無理です。…ま、それか、僕の技術が足りないか。」
イリヤとアンセルがお互いをにやりと見合った。
「お前の腕で出来ないなら他の作戦で行くしかない。」
「何か、新たな動きが?」
「ああ。シレンセに侵入し直接…物質的資料と情報を持ち帰らなければならない事になった。戦闘は控え、なるべく目立たないように任務遂行にあたりたい、と考えている。」
「では、小型専用機を使いますか?」
ディン中佐の目が輝く。
「ああ。そうなるな。そして、今回は俺が直接赴く事になる。クォン、お前はシレンセに土地勘があるな?」
「はい。知らない場所は殆んど無いでしょう。」
「と言う事は、知らない…立ち入れなかった場所があるということだな?」
「はい。」
「今回の最重要目標は、多分そこにあるな。それと、王宮のどこかにあるシレンセ前王の日記だ。今回サティアは置いて行く。ジリー、頼んだぞ。」
「かしこまりました。」
「本任務の配置を決定する。ディン中佐、専用機での離着陸逃走経路の確保を頼む。クォン、お前が先頭に立ち目標地点まで誘導しろ。…そしてこれはとても異例の事だが…」
「私も行くんだよねぇ。」
部屋の隅から、あの場違いで陽気な声が響いてきた。しかも、優雅にお茶など飲んでいる。
「カ…カイル殿!…敬礼!」
驚いた大佐の号令で、全員がカイルに向かって敬礼した。
「やだなぁ、そんな硬くならなくていいよ~。ねぇ?アンセル。」
「…全員…敬礼止め。カイル殿が言った様に、硬くならずに聞け。」
「ま、なんで私が付いて行くかって言うとね、この一連の出来事の核心に最も迫っていける貴重な人材が、幸か不幸かこの私な訳。だから、お荷物だって事は重々承知だが、付いて行かざるを得ないんだよ、これが。しかも私は神術が使えるので、イリヤ君…だよね?彼が電子資料の収集をしている間だけの力を機器に与える事ができる。」
と、嫌味を含んだ目つきでちらっとソーマを見る。折角部隊に入ったのに、活躍する場を奪って悪かったね、とでも言いそうな目線だった。言い返したい気持ちをソーマはぐっと堪えた。確かにカイルはソーマよりも強い神術を持っている。だが、本当はこの男、ただ自分の好奇心を満たしたいだけなのだ。確かに勘は鋭いが、他は何の証拠も無く自分の思考を、詭弁で突き通しているだけなのが現状だ。
「…ということで、イリヤとカイル殿の護衛として、入隊早々だが、ラルド。お前も来い。」
「了解しました。」
「お言葉ですが、隊長。護衛ならば、俺が…。」
意義を唱えたのはルークだった。それもそうだろう。新参者の、まして敵の軍人だった経験のある人物の名を、自分より先に挙げられるのは、合点がいかなくて当然だ。
「それにも訳がある。グレイシー少佐の下に二人も新入隊員が入っている。この小隊が上手く組織として機能するかどうかを、明日からお前に見極めてもらいたい。監督のようなものだが、承諾してはくれないか?」
「…分かりました。」
ルークはアンセルのたっての願いと感じ、自身の意義を心に仕舞った。
「ありがとう。残りの者は、公私とも、各自やらなければならない事が山済みだろう。それを片付けておいてくれ。今回の作戦如何で、戦況が大きく変わり、忙しくなるかもしれない。こちらからの逐一の報告はエルド大佐にする。他も全て彼を通せ。今後の動きの概要は以上。…それから、これ以降、サティアは現在の病室からこの宿舎の離れに移す事になった。食事等、同じになる事もあると思うが、了承してくれ。何かあった時は、俺かジリーにすぐ連絡を。」
「了解!」
「では、本作戦に参加する者は、第一会議室へ。」
アンセルはカイルを含めた他の五人を連れて、奥の部屋に消えた。残された、ソーマ達九人は、そこに佇んだままだ。
「ねえねえ、とりあえず座んない?飲み物でも取ってくるからさ。」
ミーナという明るい少女の一言に促され、全員が休憩用のソファに座る。ジリーはサティアの隣に座っている。
「サティア?気分はどう?」
「…普通です。」
「そう。じゃ、まぁ仲間と思わなくてもいいなんて言ってないで、ちょっと話さない?」
「はい。」
「はいはーい。じゃ、早速、皆に質問攻撃しちゃいたいんだけど、いい?」
飲み物を持ってきたミーナがそれぞれに渡しながら聞いた。
「先ずは…ソーマ!なんか、死んじゃった前のリアズ王に似てるよね?っていうか、名前同じだし。」
ミーナは興味心身にソーマに近付いて、上から下までソーマを物色し始めた。
「あ…ああ…。」
ソーマは答えに困り、アンセルの補助が無い事を悔やんだ。このままでは、不味い方向に話が続きそうだった。
「ミーナ先輩~、それ言っちゃ駄目ですよ。本人も気にしてるんだから。有名人に似てると損のが多い。なぁ、ソーマ?」
「ああ…そうだな。」
サンガが意外にも、助け舟を出してくれた。
「うーん。確かにね。私もよく女優に間違えられたりして、軽めの苛めにあったし。…って只の自慢話になっちゃったじゃん。でも、コウ国に単身乗り込んで殉死なんて、超かっこいいよね。私結構好きだったし。…じゃあ、次はサティア。」
「何?」
「アンセル隊長って、普段からあんな感じ?」
「…大体は。」
「彼女いるのかなぁ…。」
誰に聞くでもなく、ミーナは空を仰ぐ。
「こら、隊長の個人情報を聞き出すのは止めろ。」
腕を組みながらミーナを諌めたのはレンツだ。
「はいはい。これだから夢の分からない人はやだ。カイル様も初めて間近にしたけど、やっぱり、かっこいいよね。」
「ミーナ、お前、結局誰でもいいのか?」
「失礼ね!私はかっこいい人が好きなだけよ。誰でもいいわけないじゃない!お金持ちでかっこ良くないと駄目なの!ほーら、これでかなり的が絞られるでしょ?」
「…でしょ…って言われても…。」
誰かの同意を求めたミーナにサンガが困ったような笑顔で返す。何故かソーマはこの光景を懐かしく感じる。だが、今後はこの仲間の中で、共に戦い、感情の幾つかを共有するのだ。
「ミーナ…さん?」
唐突にサティアが喋った。
「何?何?」
「アンセルは、見た目より、頭が良くて、活動的で、よく笑う人が好きなんだと…思う。」
「ほんと!?」
「多分。だから、ミーナさんは気に入ってると思う…。」
「やった!…あ、ここでは称号以外は特に『さん』とか使わなくて良いからね。」
今後この仲間の中で、共に戦い、感情の幾つかを共有する…その想いはサティアも同じだったのだろう、とソーマはサティアのぎこちない笑顔を見て思った。


 翌早朝、アンセル率いる六人の小型空挺の中で、カイルは残していくサティアの心配をしていた。自分とアンセル…ともすると、自分だけしか彼女を人として扱う気持ちがないからだ。早く任務を終えて、彼女のもとに帰りたい。帰って無事を確認したい。アンセルが彼女の側を離れている事が、気にかかって仕方がないのだ。
「カイル殿、準備は万全ですか?」
「あ…ああ。大丈夫だよ。」
「全員、不備はないな?」
「万事良好です。」
「では、これより本任務を開始する。」
「了解!」
全員の号令と共に、空挺の扉が開く。高い山一つ隔てた山中にこの小型専用機が隠されている。麓に降り立つと、異常なまでの静寂が彼らを迎えた。
「…これは…」
廃墟だ。戦争で崩された土地というより、人が見捨て、置き去りにされたような町だ。明らかに、これはただの侵略ではない、死体すら見つからないところを考えると、生き残った者は根こそぎ捕虜にされている確立が高い。植民地にさえされていないという事は、やはり、国土の略奪が目的ではなかったのだ。
「クォン、では先ず、お前が侵入できなかった場所に案内してくれ。」
「了解。」
先々に進むと、そこは神光玉があるはずの神殿の真裏だった。生い茂る木々の隙間から金属の格子が見える。
「何故お前ほどの者が、ここへ入れなかったんだ?」
「前シレンセ国王殿から禁じられていました。それに禁忌を破り、ここに入った者が出てきたことはありません。それに、私が諜報活動をするのは他国のみでしたので。仕事から逸脱した行為をする事はできませんでした。」
「なるほど。」
そう言いながらアンセルは木々を押し退けその格子を剥き出しにした。その中央に金属のハッチが見える。リアズでサティアが見つけた実験室への入り口に酷似していた。
「そういえば、この中に入る前王の姿を良く見かけました。そして、日に日に衰えていった。」
「そして、前王が死ぬと同時にここは封印されていたんだろうな。誰かが近づいた形跡はない。」
アンセルは意を決して扉を開けた。地価に伸びる階段も、サティアが見つけたリアズのものと似ている。
「よし。入るぞ。」
アンセルが先頭に立ち、隊員は次々に中に消えていく。
「…ん…?」
カイルは何かの気配を感じて振り返った。後ろに続くイリヤの肩越しに、長く波打つ黒髪の女が見えた。
「カイル様?どうしました?」
「いや、女性が…」
イリヤに目線を返してから、今度は二人が同時にその方向に目線を移した。
「あれ…?」
そこには誰もいなかった。
「見間違えじゃ…」
「いや、確かにいたんだよ…サティアが…」
「それこそ見間違いですよ。」
「しかし…」
「サティアさんは今リアズにいるんですよ?もし来ているなら隊長と連絡を取っているはずですし、リアズからここまでは空挺でもなければ来る事は不可能だ。」
「…そう…だな。」
イリヤに言われ、カイルは納得して、地下への入り口に入った。同じだ…。カイルは邪視感に襲われた。リアズの秘密研究室と酷似しているのだから、当たり前の感覚なのだろうが、見た目というよりも、その冷たい狂気ともとれる温度が、カイルの神経を逆撫でた。アンセルも、この列の先頭で、同じ感覚を抱いているのではないだろうか…。何が狂ったのか、何かが狂わせたのか、自分が見えなくなりそうだった。
「暗いですね。」
「え…?」
「ティティからの動力源を断っているんだから、当たり前なんですけど、明かりも付かないところで、僕が満足な仕事を出来るのかなぁ…。」
イリヤが不満そうな声を出した。
「…ああ、それは大丈夫。私が力を貸すから…。」
そう言ってイリヤに振り向いた瞬間、カイルは前を歩いていたラルドの背中にぶつかった。
「どうした…」
「行き止まりです。」
「なんだって?アンセル、一体…」
「行き止まり、というか、もっと地下に潜る為のエレベータが動かない。原動力が落ちているせいだ。」
「先には行けないと言う事かな?」
「…いえ、私たちだけなら、この扉をこじ開け、線を伝って下に行くことも出来るのですが…。」
「私が足手まといになっているわけか…。うーん、やって出来ない事はないよ?ここで私が引き返したら、電子体の分析は出来ないんだし、やるしかないでしょう。」
「しかし…」
「大丈夫だって。一国の主として、一応は鍛えてあるんだから。」
「アンセル隊長、ここは進まざるを得ないのでは?」
「…ああ。そうなんだが、何かこの状況を不穏に感じるんだ。誘導されているような、罠のような…。」
「アンセル。もしそうだとしても、今の状況ではここを進まないと、すべての流れが止まってしまうよ。」
「今は進むしかないのか。…分かりました。よし、ラルド、手を貸してくれ。」
「了解。」
ギリギリとこじ開けられた鉄の扉の下には暗闇だけが彼らを待っていた。


「ソーマ!お前は気持ちが前に出すぎている。それじゃ死ぬぞ!」
ソーマは初っ端からルークにどやされていた。
「この部隊の指揮官はグレイシーだぞ?少佐の指示前に動くな!責任を取らされるのはお前じゃないんだ。よく考えろ。」
「了解しました。」
「本日はこれで解散だ。撤収!」
ルークとグレイシー少佐の背を見送って、うな垂れた。逸る気持ちを抑えられないのは自分でも分かっている。カイルはアンセルと共にシレンセに行っている。アンセルにこれ以上の負担をかけたくないという思いから、ソーマは今ここにいる。しかし、これも無駄な足掻きだったのだろうか…。今考えてみれば、国王として居る事でアンセルの役に立つことができた可能性の方が高い。しかし、今のソーマは新兵として訓練を続けるばかりだ。他にも出来ることがあるはずだ。…サティア…。アンセル達がシレンセに向かってから顔を見ていない。アンセルが不在の今、彼女を守り切る事が、自分に課せられた、暗黙の任務のような気がする。そう考え付いて、彼女の部屋に向かった。多分まだ、自分の未知なる力の研究と実験と格闘しているのだろう。特殊部隊用の兵舎に後付された研究室に閉じこもっている。扉の前で立ち止まり、入るべきかを思案している内に向こう側から扉が開いた。
「あら、寄寓ね。」
煙草を片手に出てきたのはジリーだった。
「仕事は…研究は進んでいますか?」
ジリーは煙草に火を点け、深く一服してからソーマに視線をなげた。
「何とも言えない。…発動の決定的要因は『彼女の思う不安』っていう、不確実なもので、発動後は規模によって、昏睡状態が変わる。分かるのはこのくらい。」
「そう…か…。」
「ま、中に入って、彼女の様子でも見ていったら?彼女の存在を知っていても、ここを訪れるのは、私か今はシレンセに行っている、隊長とカイル殿くらいよ。」
ジリーはソーマを中に通し、彼女の部屋まで歩き出した。
「みんな、彼女を化け物みたいに思ってるのが、彼女には分かっているのね。だから、みんなとは極力近づかないようにしているみたい。あ!そうそう、かなりの小規模だけど、あの黒い膜を出現させるコツは掴んだようね。途中で力を消滅させることもできるようになったみたい。でも実戦で確実に使えるかまでは分からないわ。それに…」
ジリーはサティアの部屋の扉の前で立ち止まり、ソーマに硬い表情で向き直った。
「…実は今、実験自体は凍結させてあるわ。」
「なぜです?」
「彼女…もう身体的に限界にきてる。今またすぐに彼女の力を大きく使うようなことになれば、耐えられないかもしれない。」
「それは…死ぬということですか?」
「確実にそうなるとは限らないけど、確立は高いでしょうね。」
「その事…本人には…?」
「ええ、言ってある。…そのせいもあるのか、この間聞かれたわ。自分の存在と力が、死ななくてもいい人間を殺し自分までも死んだら、その罪を償うことはもうできない。そんな自分でも本当に必要なのか…って。勿論私はそんな質問答えられないし、彼女自身も、私に答えを求めて聞いたのではないんでしょうけど。そういう事を、ずっと考えているみたい…」
「…そうですか…。」
「…ま、でも結局、私達は彼女に頼るしかない。じゃ、入って少し話でもしてきて。私は点滴以外に彼女の負担を補えるかもしれない…何か、を探すか研究してくるわ。」
ジリーはサティアの部屋にソーマを通すと、部屋を後にした。サティアは資料の散在したベッドにうずくまっている。…自分の居場所。ソーマ自身も、かつては王座に就きながら同じ事を考えていた。ソーマは友のお陰でその場所を見つけることが出来たが、彼女は違うのだ。今の時点で彼女の居場所の選択肢は、戦禍における切り札の、一つきりしかないのだ。その上、彼女自体が必要というよりも、サティア自身も制御しきれない力だけが必要とされている。
「サティア…。我々はお前の力に頼り過ぎかも知れないな。」
「いえ、これはきっと、私がこの世に生まれたせいで始まったことのような気がする。だから、私がこの事態を一掃しなければいけない。世界を巻き込んでしまったから、元に戻すには、私が責任を取らなければ…」
「いや。お前一人の問題じゃない。責任を取るべき存在は他にいるんだ。」
「じゃあ…やっぱり、私は、そこにあったから使われただけで、本当は自分もこの力も必要ないもの。平和でもそうでなくても。」
「違う。あの力と、お前は、全く別のものなんだ!だから、俺は…。」
ジリーと同じで最後までちゃんと答えられない。そもそも、答えとして明確に伝えられるものではなく、無力な自分への恨みや色んな感情に、その答えが埋められているのだ。
「また平和になって、この力さえ要らなくなった私は、どうなればいいんだろう。」
「しかし、アンセルはお前の為にも平和を取り戻そうとしているんだ。アンセルにとっては…」
「アンセルが私を必要としているんじゃない。私にはアンセルが必要だと分かっているから、アンセルは側にいて、必要だって言ってくれる。でもアンセルは私以外にも必要とされていて、私はいつもただの足枷。…例えまた平和が訪れてもそれは変わらない。」
遠くを見つめるサティアの顔が儚げにみえた。本当はこの世の誰よりも、平和であることを望んでいるのだということが、良く分かった。だからこそ、元凶ともとれる自分の存在と力が許せないのだろう。あの力が不要な世界を願い求め、その平和な世界で、力ではなく、ただの人としての自分の存在を必要とされたい。誰もが思い描く理想への門が、サティアにとってはとてつもなく大きく、重い扉なのだ。
「ソーマ…頼みがあるの。いい?」
「ああ。できることなら…。」
「全ての事が終わったら、私の存在を消して。」
「…消す…?」
「私のすべてが不要になったら、名前も記録も、全て消して。私が死んでもみんなには生きていてほしいから。こんな力やそれを持つ私が残っていたら、また何かが起こるかもしれない。…きっと、アンセルがやってくれると思うけど、もしもアンセルが迷ったら、ソーマがやって。」
「…殺せと言っているのか?」
「殺すんじゃない。消すの。だって、私はみんなと同じような人間じゃない。」
人間じゃ、ない…。いや違う。そんなことはない。今まで出逢った誰よりも、人間らしい。何故もっと早く気が付かなかったのか…サティアが一番、人間を人間足らしめる存在だ。自分の心と体に鞭打ってまで、人の為に平和を求める者こそが、人間と呼ぶにふさわしい者なのではないだろうか。そんな彼女を兵器扱いしている自分達こそ、化け物だ。これから極力彼女の力に頼ることが無いよう戦っていきたい…。そうやって終息を向かえる事ができれば、サティアを消すことも無く、彼女の描く平和の中で、彼女は必要とされるだろう。社交性に難はあっても、理知的で、気高く美しく温かい。これほど他人を思いやる彼女を、死なせてはならない。…死なせたく、ない。


「すいませーん!ソーマって新兵を探してるんですけど。」
リアズ軍基地の入り口で、いかにも思春期を迎えたばかりの少年が、強面の門番に話し掛けている。
「名前、年齢、住所、その新兵との繋がりは何だ?」
「えーと、俺はジオって名前で、十一歳。シレンセ難民居住区から来た。ソーマは俺の友達で…。いーじゃん!ただ会いたいだけなんだよ!母ちゃんも元気かどうか気にしてるんだ。」
暫く電子体でソーマの情報を探ったの後、門番はため息混じりに告げた。
「…彼は、この基地にはいない。」
「え!?じゃ、試験落ちたのか!?」
「いいや。特殊部隊の新人として、王宮隣接の特別兵舎にいる。」
「まじかよ!すっげーじゃんあいつ!じゃ、王宮行けば会えるんだな。よし!おっさんありがとな!」
ジオは胸を躍らせて王宮の門を目指して走った。
「ぅわー…でけぇ…。」
王宮の門まで辿り着いたジオは、まずその巨大な鉄の門に圧倒された。これだけ頑丈そうで重い扉は自分一人では開けられない。かといって、事情を話したところで、すんなり通してもらえるかは、もっと怪しい。
「…よし!」
ジオは一目に付きにくい場所から、自身の身長をはるかに超える壁を乗り越える決心をした。王宮の高い塀沿いを、護衛に見つからないように、注意深く入れそうな場所を探す。半周もしないところで、小さな出入り口を見つけ、しめたと思い、ノブを開けようとしたところで中から女性が出てきた。扉の影に隠れるジオ。出てきたのは白衣を着た女性で、彼女は煙草をふかし始めた。扉は開け放たれたままで、丁度、ジオとその女性の間で扉が衝立のようになっている。彼女が少しでも何かすれば、ジオが目に入り、つまみ出されるだろう。ジオはひたすら息を殺して、彼女が去るのを待った。暫くの後、彼女は扉を閉め中に消えた。ジオが安堵して座り込んだ瞬間、再び扉が開いて、さっきの女性が顔を出した。
「何してるのかしら?」
「ごっ、ごめんなさい!」
走り去ろうとしたジオを女性は引きとめた。
「待って!怒ろうってわけじゃないの。何かあるなら聞くわ。ただの冷やかしで無い限りはね。」
「…あの…、俺はただ、ソーマに会いたかっただけなんだ…。シレンセの難民だけど、友達で…。ちゃんとメシ食って、元気かどうか、確かめたかったんだ。」
「なるほど。じゃあ、あっちに見える屋敷の建て増し部分が分かる?」
「…はい。」
「ソーマはさっきそこに行ったわ。まだ居るかは分からないけど。行ってみたら?」
「え!?いいんですか?」
「ええ。特に問題は…。あなた名前は?」
「ジオ。」
「私はジリー。じゃあ、あそこに入るまで、私が一緒に行くわ。そうすれば、こそこそしなくて済む。さっきみたいにね。」
ジリーはそう言って微笑むと、ジオを連れて、そこへ向かった。入り口まで来ると、ジリーは、自分は忙しくて別のところに行かなければならないから誰かに絡まれたら私の名前を出して、と去っていってしまった。少し緊張したが、ソーマに会えると思うと、自然にその扉を開ける事ができ、一つ一つ、どこにいるか探して回った。各部屋は様々な機械で埋め尽くされていて、まるで病院のようだ。しかしどの部屋にも人は居ない。結局すぐに一番奥の扉まで辿り着いてしまった。部屋の中に人の気配は感じられない。ここもさっきまでの部屋と同じで誰も居ないのかもしれない。そう思って緊張を和らげ、ジオは扉を開けた。
「あ…」
真っ白な肌に真っ黒な髪の女の人が、窓辺に立って、ジオの方に振り返っている。同じ人間とは思えない美しさを感じて、ジオは息を呑んだ。うっかり聖域に踏み込んでしまったような気まずさと、部屋にソーマが居なかった事も相まって、ジオは扉を開けたままの姿勢で、声一つ出せずにいた。
「…どうしたの?」
思いがけず、囁くように優しい声で問い掛けられ、ジオはやっと声を出すことを許された気がした。
「あ、あの…俺ジオって名前で…。」
「私は…サティア。どうやってここまで?」
「えっと…ここまではジリーさんって人に案内してもらって…。俺、シレンセ難民地区で一緒だった、ソーマってやつを探してるんです…。」
「ソーマ…」
「はい!ううんと、大人しいっていうか、すげぇ無愛想で、でも人が困ってる時とかは、俺みたいなガキの言うことも、真剣に話聞いてくれたりする基本的にはいい奴なんです。でも、そんな感じで不器用だし影薄いし…だから、ここでうまくやれてるかとか、俺心配で…。もし落ち込んでたら、今度は俺が助けなきゃって…」
緊張のあまり一気にまくし立てたジオの言葉に、彼女は噴出した。楽しそうに笑いながら、彼女は再びジオに聞いた。
「どうして、そこまでして助けに来たの?」
「それは…ソーマは俺の友達だし仲間だから。仲間がしくじったらすぐ助けに行くのが上に立つ者の務めです!」
ジオが喋ると彼女はまた笑った。優しい笑い声だった。
「分かった。とりあえず、扉を閉めて、ここに座って。」
ジオは彼女の言う通りにベッドの淵に座った。彼女はお茶を淹れて、ジオに渡し、彼女自身もそれを飲んだ。
「あの…ソーマはここに…っていうか、ソーマってやつ、知ってるんですか?」
「ええ。でもさっきここを出て行ったばかり。」
「ぇえ!?なんだ…会えると思ったのに…。」
「でも、もしかしたら、またすぐ戻ってくるかもしれない。暫くここで待ってみたら?外を探してもいいけど、あなたくらいの年の子がいたら、ソーマに辿り着く前に色んな人が…。そうしたら、今あなたが話したような事を、また何度も話さなきゃいけなくなる。」
「うーん…確かに。」
「一応、私から他の人達に、あなたがソーマを探していることが、伝わるようにしておく。」
「ありがとうございます!」
彼女は手早く通信を使って、ジオに話した通りの事を実践してくれた。
「そんなにソーマが好きなの?」
「うーん…。好きって言うか、息子を心配する父親の気分…。」
再び彼女は笑った。
「なんだか似てる。私の場合父親の役が弟だけど。私よりずっと賢くてしっかりしてて、弟のはずなのに父親みたい。…最初に話し掛けたのはどっち?」
「勿論、俺。それで仲間に入れてやるって、その証に俺達が乗ってきた飛空挺のボルトをあげたら、金貨を渡してきたから、それってなんだか政治家のクソ連中みたいだって言った。…でも、貰わないと悪いと思って…。けど、俺は金として使ったこと無いよ。ほら。」
ジオは胸のポケットからその金貨を自慢そうにサティアに見せた。
「これは俺がリーダーだっていう証拠で勲章なんだ。」


「セルーナ様?調子はいかがかしら?」
「体全体が重い感じだけど、これといって悪いところはありません。」
「そう。それは何よりです。」
「あの…ジリーさん?…ソーマ様は?」
神術の研究者としても群を抜いているジリーは、サティアとセルーナ両人の主治医でもある。そのため、入隊したばかりのソーマが前王の、あのソーマだということを知らされている。
「ああ。彼は訓練続きで疲れているけど、特に変わったことはないみたいですよ。さっきサティアの部屋で入れ違いになりました。」
「…サティアさんの…?」
「ええ。彼女も実験続きでぼろぼろ寸前。」
「…そう…。」
私だって、連日の神術提供でぼろぼろだ。なのにどうして、彼は、私よりサティアさんの事を心配するの?彼はあの人が現れてから、私の部屋にも、話し掛けも、私の体の心配すらしてくれなくなった。私が神術を提供しなければ、争いどころの話じゃない。あんな…破壊するだけで他の人々に何も与えない彼女に、どうしてそこまで気を回すの?皆を救っているのは、私の方なのに…
「セルーナ様!」
遠くでサイレンが鳴り、緊迫した声でジリーがセルーナの手を取った。
「どうしました?」
「どうやら敵の襲来です…。」
「私に出来ることは…」
「セルーナ様は軍部の地下に逃げてください。いいですね?」
「…分かりました…。」
「後でリン=セイ様と伺います。では。」
そう言うと、ジリーはセルーナを彼女の御付きの者に委ねて去っていった。そうやって、私はいつもどこかに匿われる。そして閉じ込められたまま、安全になったら外に出て、また神術を送り続け、本当の事を知らされもしない。何故かは知っている。心に負担がかかって体調が悪くなると、神術力に影響するから。皆、私が大切で必要だと言う。でも本当に私がここに居る意味はあるの…?ここに居るのが、私である意味は…。力さえあれば、私でなくても、誰でもいいのだ。私は誰からも、本当に大事にされているわけではない。大事にしているのは自分達の生活で、ただ力を大事にしているだけなのだ。でも自分の立場くらい分かっている。助けてもらった恩は返すのが人としての礼儀だとも思う。でも、せめて、あの人にだけは、力とは違う部分の私を見てもらいたかった。ただ…ただ、それだけの願いなのに…。それさえあれば、どんなに辛くても、頑張る事が出来るのに…。生きて…いけるのに…。セルーナを保護するための部屋の扉が閉まるとき、セルーナ自身の何かも、深く閉ざされた気がした。


「伝令!イトと思われる、不明の敵機がリアズに接近中!」
「敵艦との通信は?」
「ありません。こちらの動きは完全に無視です。武力行使で我々を押さえ込むつもりでしょう。」
「アンセル達はまだシレンセにいる。帰りを待つ余裕はなさそうだな。」
「はい。それに、アンセル隊長とは、暫く前から連絡が途絶えたままです。」
「そうか…。よし!ではそれ以外に残っている、特殊部隊全員を招集しろ!平行して、アンセルとの連絡が取れるよう人員を回せ。」
「了解!」
 暫くの後、ソーマ達は全員、軍部指令室に集まった。各々が忙しなく自分の出来る限りの能力を発揮しようとしている。軍部最高司令官が皆を見下ろせる一段高い台の上で、全員に向けて言う。
「敵に交渉の余地は無い。全力で戦い、全力でリアズを…お前達の家族を奴らから守るんだ!」
「了解!」
一言で全員の士気が上がった。巧いな…。ソーマはずっと最高司令官の地位をアンセルに回そうとしていたが、アンセルが今のところは現場で、と断った理由が分かった。現最高司令官は年齢的には戦地で実質的な戦力にはならないが、部下の目線で物を言い、彼らの士気を上げる事には長けているようだ。戦場に向かおうとして振り返り、ふと、サティアの姿が無い事に気付いた。後ろに控えていたジリーに問い掛ける。
「彼女は…使わないのか?」
「ええ。使える状態じゃない。現状も知らせていないし、命令も出していない。隊長との連絡が途絶えていることも…。あそこに居れば安全よ。色んな意味でね。セルーナ様も安全なところに…」
「そうか…。良かった。」
「え?」
「いや。なんでもない。任務に戻ってくれ。」
そう言って隊に戻って行くソーマの背を見て、ジリーはつぶやいた。
「…軍医の私に任務があるのはどうかと思うんだけど…。ま、仕方ないわね。」
この時、彼女は伝えるべきことの優先順位を誤っていた。


「…それで、ジオのお母さんはずっとソーマのご飯を用意してくれてたの?」
「そうそう。だって、俺だって初めて米をそのまま食べるソーマ見た時は、頭おかしいのかと思ったもん。母ちゃんなんか、珍獣発見みたいな目してた。」
「料理の才能どうこうっていうより、料理って事自体が何なのか知らなかったって感じ?」
「まさにそれ!んで、完全な野生児かと思いきや、意外なことを意外に良く知ってて…。上に立つ者はああでなければ、とか、こうでなければとか。」
「意味、分かった?」
「うーん、なんとなく。あいつ、変に言葉硬いから、聞いてるだけのこっちの方が疲れるんだよなぁ。俺が思うに、きっとソーマの父ちゃんは厳しい奴で、ソーマは今でもその父ちゃんの影から抜けられないんだよ。」
「…そうかもしれない…。ジオはすごく頭が良いんだね。アンセル…私の弟みたい。」
さっきまでとは違う、寂しそうな笑顔だったので、ジオは彼女が少し心配になった。
「弟さんも軍人?」
「うん。今はここを離れて危険な任務に行ってるの。」
「連絡は?」
「いいえ。むやみに連絡できないし、私は邪魔したくないから…。」
「心配?」
「うん。でもほんの数日、会ってないだけなんだけどね。」
「なんだ!それなら大丈夫だよ!便りが無いのが良い便りなんだって、母ちゃんが言ってた。」
「…そうだね。それに、ジオのお陰で、何だか気が晴れた。ありがとう。」
「大体、気分が落ち込むのは、こんな病院みたいなところに閉じ篭ってるからだよ!」
そう言ってから、ジオはようやく彼女の状況について考えた。病院みたいなところにいるということは、どこか具合が悪いからなのだ。
「…あ、ごめん、俺…。サティア、どっか悪いの?」
「ううん。ちょっと疲れてただけ。…悪いところと言えば、考えすぎる癖だって、いつもアンセルに言われてるけど。」
サティアが普通に笑ったので、ジオも自然と嬉しくなった。彼女を連れて会いに行ったら、ソーマはどんな顔をするだろう。きっと驚くに違いない。それに、こんな綺麗な女の人を前にした時のソーマの反応は、すごく面白そうだ。
「じゃあ、外に出て、ソーマ探しに行こうぜ!」


エレベータを伝って地下に辿り着いた時には、既に電波は圏外で、外部との連絡は取れなくなっていた。カイルが力を供給して、動き始めた機器の向こうには、信じられない光景があった。ガラス張りの柱のような大きな筒の青白い光の中、凍った溶液に包まれた人が収められている。それも、サティアそっくり…、否、複製のようだった。
「…これが、氷の女王…。少なくともサティアの母親って事は明白だな。」
そんな中、イリヤは着々と作業をこなし、引き出せる情報の取捨選択をしていた。
「イリヤ君、調子は?」
「…ええ、まあ…。電子体はすべて無事…というか、やむなく実験を中断させられてから、そのまま…って感じ。資料の削除も全くされてないようですよ。仕事はしやすいけど、資料の削除もしてないって事は、慌てて逃げ出したってことでしょ?…大丈夫かなぁ。僕、細菌とかには弱いんですよねぇ。…あ、出来ましたよ。皆さん中央のでかい画面にご注目。」
イリヤが指した画面に遺伝子の塩基配列が映っている。
「これは、ある一人…ま、話の進行上、これを被験者0として、その遺伝情報。で、これが被験者1…」
イリヤが次々と新たな遺伝情報をその被験者0の下に並べていく。
「…これが2と3.全部で四人の被験者です。…これ、意味分かります?」
「イリヤ君…?少なくとも私は分かるわけない上に、神術を送り続けるのは結構大変なんだから、早くしてほしいかな?」
「ああ、すみません、カイル殿。被験者0と1は他人ですが、2と3は酷似していて、間違いなく兄弟です。で、その親類が0と1なんだと考えていいでしょう。1は類似点が少ないですが、0は確実に2と3の親です。しかも、この0は染色体が女性だから母親。1が男性で多分父親の血縁者って事になる。2は女性で3が男性。そしてこの女性0が、この冷凍された女性のもので、名前はイトと記されている。真偽の程は遺伝情報の再検査で証明できますが、このデータを信じていいと、僕は思う。で、ここまでくれば分かるでしょうが、2の名前はサティア。3がアンセル。問題は1です。彼の名前はズース=アヌ=リアド。この記録によると、イトの発見は今から約五十年前。南の極地の氷の中から発掘された。彼女の子宮の中には冷凍保存状態の受精卵が二つ。摘出後、生物学的に成長過程で難易度が高く、交配時に有効な男の受精卵である3はそのまま保存。2の女の受精卵が試験的に解凍され、代理母に受胎されています。全て順調に進み、誕生し、約三年の経過の後、3が同様の手順で誕生。順調に育っているということは書かれていますが、場所なんかの詳しいことは書かれていない。ただ、今僕らが居るこの研究室では、この二人の事よりも、彼女の研究が主に進められていたようです。でも、僕が気になるのは、彼らのことより被験者1です。僕は専門外ではあるけど、この情報から見るに、彼の遺伝子の一部の塩基が不安定で、まるで無理やり異種交配したみたいだ。これじゃあ…。ズース=アヌ=リアド氏はリアズの先代の王ですよね?彼は幾つで亡くなりました?原因は知ってます?僕、世事には疎くて…。」
「…原因は…はっきりしないと言っていいな。他の…一般の人間より、短命であった事は間違いない。イリヤ君、引き出す情報がもう無いなら、力を止めていいかな?」
「ああ、はい。ご苦労様です。」
カイルが力を止めると同時に、明かりが消え、アンセル達の電灯の明かりだけになる。
「ふぅ…。ま、疲れただけの収穫はあったね。…アンセル?大丈夫?」
考え込んでいる様子のアンセルを見て、カイルは声をかけた。
「ええ。半分はなんとなく感じていた事だったので。しかし、リアドの血が流れているとは…。」
「私もリアドの血縁だから、君は私の曾曾…爺さん…っていうか、祖先の直子なのか…。」
「そうですね…。」
アンセルは何かが引っかかっていた。それが何なのか、何に対してなのか、全く分からない。ここで敵に襲われること…?いや、それは覚悟で来ている。そんな事じゃない。


 外は大きな騒ぎが起きていた。ジオは面食らって、サティアを仰ぎ見る。
「どうなってんだ…?」
「…多分、戦闘が始まってる。」
「ぇえ!?じゃ、ソーマには…」
「今は…自分の事だけ考えて。」
「どうしよう…」
「一緒に戦って、生き延びる。今はとにかく逃げるの。難民地区はどっち?」
「南東!俺、大丈夫かな…ぅわっ!」
二人に襲い掛かってきた大男を、サティアが弾き飛ばす。
「し…神術…?使…えるの?」
「ええ。ジオ…あなたは絶対、私が守るから!」
ジオを半分抱きかかえるようにして走り出す。しかし、走っても走っても、振り切っても振り切っても、敵は留まることなく二人を襲ってきた。


「ふーん…。彼女が本当に神話のイトで父親がリアズの神なら、隊長は僕達が今神と呼んでる者同士の子ってことか。」
皆が困惑と動揺で押し黙っている中、イリヤは突きつけられた事実に驚くでもなく、独り言を言い続けていた。
「…と、考えると、十番目の神は先々の神達が降臨した時からずっと今まで…。既にここにいたってことか。しかも生まれたのはサティアが先だけど実は双子…ううん…それだと隊長が…。あ!二人で十番目でいいのか。番号と人数は違…」
「そうか!」
イリヤの独り言にアンセルが反応した。
「どうしたの?」
「ああ…。」
アンセルは脱力感と体温が一気に下がるような感覚に襲われた。
「ちょっと?アンセ…」
「ここに入って、どの位経っている?」
冷静に考えられない。時計さえ、自分でまともに見られなくなっている。
「六時間以上です。…隊長?」
「連絡…リアズとの連絡を…。」
いや、もう遅い。連絡を取ろうと外への出入り口へ向かったラルドが悪態を吐いた。
「隊長。閉じ込められています。」
「じゃあ、私が神術で…」
「いや、多分外に出ても無駄です。やはりこれは罠だった。」
「え!?囲まれてるって事!?」
「いいえ。囲まれてはいるでしょうが、我々に対しての罠じゃない。」
アンセルがカイルを見て間を置いた。再びアンセルが口を開く前に、カイルはその続きが分かった。
「リアズに対しての罠。これは、俺とサティアを引き離すための餌だ。」
「サティアの奪還?」
「いや…それは副産物的に可能になるかも知れないが、多分、奴らはリアズの自滅を狙っている…」
“その通り!”
マイクを通していると分かるくぐもった声が響くと同時に、辺りが光を取り戻した。
“アンセル。やはりお前は頭が良い。気付くのが少し遅かったのは仕方ない。まあ、私の年の功かな。”
機嫌良く笑いながら喋る男の顔が大きな画面に映った。
「…ギル…。」
“まだ、状況が分かっていない者もいるようだな。…よし、では説明してやろう。アンセルがサティアと離れるとはどういうことか…。『不安』だよ。彼女の発動起因は『不安な状況』。今のようにアンセルの指示を仰げず、存在も確定できない状況で、彼女は不安の極地にいるだろう。それを突付けば、自然と彼女は発動し、リアズは大打撃を受ける。君達がここから生還できたとしても、帰る場所は既に無いかも知れないという事だ。”


王宮を飛び出し、難民地区に向かうサティアとジオは、小さな林の中で身を潜め、暫らく休んだ。ジオはただサティアについて走るだけだったが、彼女は神術を使いながらの疾走で相当の疲れが見えていた。
「サティア、大丈夫?」
「うん。ちょっと休めば…」
「俺、ここからなら一人でも大丈夫だよ?」
「でも…」
「ほんとだよ!ここは俺の庭みたいなもんだし、俺一人で行く方が目立たない。」
息を切らせながら、サティアはジオの瞳を覗き込んだ。
「…分かった。じゃあ、先に行って。私が敵を引き付けておく。向こうに着いたら、他の人達と、ティティ方向に散らばって逃げさせるの。振り返っちゃ駄目。…出来る?」
「…出来る。やる!サティアは?サティアはどうするの?」
「私は、ジオがそれを実行できる時間を稼いで、難民地区まで着いたら、取り残された人が居ないか確認して、大丈夫なら…最前戦に行く。」
「分かった!じゃあ、また後で!必ずだぞ!」
そう叫んで、ジオはサティアの元を離れた。林の中をするすると駆け抜けた。この林は熟知している。隠れられる場所も、最短距離も。早く戻って、皆を助けるんだ!ジオは再び取り出した金貨を強く握り締めた。皆を安全なところに避難させたら、今度は奴らに立ち向かってやる!サティアを助けに行くんだ!俺だって戦える。走れ、走れ、走れ!…そうしてジオは、やっとの思いで難民地区に踏み込んだ。だが、ジオが必死で辿り着いた自身の難民地区は、もう今朝とは違う世界が広がっていた。半壊した家、倒れた人、瓦礫、うめき声、叫び声…。ジオは踵を返して自分の家に走った。付いてこない自分の足がもどかしい。目指した彼の家は無事だ。良かった…。中から出てくる母親のスカートが見える。
「母ちゃん!大丈夫…」
しかし、母親のすぐ後ろには銃を構えた男が付いていた。安全なはずの自分の家から出てくる、銃を持った見知らぬ男。呆然と突っ立っていた息子を見つけ、母親は叫んだ。
「ジオォォ…!来ちゃ駄目!…」
急に大声を上げた彼女に、男は容赦なく銃弾を放った。
「かっ母ちゃん!」
一発だった。たった一発でジオの母親は地面に倒れ、ぐったりと転がった。駆け寄る彼の脳裏からは、自分も危険に晒されているという事実も思考も吹き飛んでいた。母親に一撃を加えた男を睨む。…母ちゃんは、戦争が悪いんだって言ってた。戦争が皆を殺すって…。でも、でも違う!違うじゃないか!今俺の母ちゃんを殺したのはこいつだ。こいつが、俺の母ちゃんを殺した…悪いのはこいつだ!
「ぅあああぁぁぁーッ!」
何も考えず、ジオはその男に突っ込んだ。が、男は纏わり付く木の葉でも払うように彼を足蹴にし、面倒くさそうに銃を構え、その流れで彼を撃ち抜いた。そして、何事も無かったように背を向け去っていく。痛い…腹が焼けるようだ。ゆっくり遠ざかる男を追いかける力も、気力も、思考も、何もかもが、血と共に流れていく。
「ジオ!」
サティアの…声だ…。薄れる意識の中、周りの騒音をかき消して、彼女の声だけが、ジオに優しく響く。来てくれた。約束を守ってくれた。身体の感覚も消えていくが、サティアが自分を抱きかかえた事だけは分かった。
「…俺…おれ、だめだった…。みんな、もう…」
「そんな事ない!ジオは…ジオは…」
周りの音が聞こえなくなっていく。景色から色が褪せ、白く波打つ深い穴に落ちていくような感覚がする。痛みはもう感じない。自分の体は頭の中だけになってしまったようだった。
「おれ、死ぬんだなぁ…」
「死なない!死なないで!お願い!」
もっと早く、サティアに会いたかった。話したり、遊んだり…。でも、最後に会えて、良かった。抱きしめてくれる人がいて、良かった…
「さ、てぃあ…、さてぃ、あは…しなないで…そーまも、みんな…。だれも…もう、なかないで…」
「…ジオ…?ジオ!?」
揺さぶっても、名を呼んでも応えない。息も聞こえない。それでもまだ、彼の小さな身体からは血が流れ続け、力の抜けた彼の手にはまだ、あの金貨がある。サティアは金貨ごと、ジオの手を握り締めた。
「いや。ゆるせナイ・・・」

『ユ・ル・サ・ナ・イ』


ソーマの耳に、遠方から、あの、全ての音を飲み込む高音が聞こえた。
「!?サティア!?」
振り返ると微かに黒い膜が見える。最前戦に立っていたソーマは、すぐさまジリーだけに繋がる通信に切り替え、話し掛けた。 
「ソーマだ!ジリー、どういうことだ!?彼女は使わないんじゃなかったのか!?それに向こうは難民地区だぞ!?」
“ええ!そうよ!…どうして…”
ジリーは言いかけてはっとした。あの少年、ジオ…難民地区から来た。彼女の元に、ジオを行かせたのは自分だった。
“…ごめんなさい。私が悪いの…。”
「何言ってるんだ!こんな時…」
“いたの…一緒に。あなたに会いに来たジオって子が…サティアと一緒に、居たの…。”
「なっ!?ジオが!?」
“貴方を探していて…。それで、貴方が居るかと思ってサティアのところに置いてきた。彼女は疲れ果てていたし今回使う気は無かったから、戦闘が始まったことを知らせなかった。あそこなら安全だと…。戦闘を知らずに…外に出たのかも…”
「じゃあサティアは…ジオを…逃がそうと…したのか…。」
“…多分…難民地区に帰そうと…。”
聞き終わらないうちに通信を切り、ソーマは持ち場を離れて駆け出した。もしかしたら、重大なものを、一気に奪われたのかもしれない。黒い膜に向けて走る。自分はアンセルのように膜を消すことは出来ないが、そんな事はどうでも良かった。しかし、ソーマが大きくなった膜に辿り着く寸前に、その膜が弾けて消滅した。その一帯には、アンセルが中和したときとはまるで違う、不完全燃焼した黒いモノ達が微かに火を放つ、焼け野原と化していた。だが、ソーマ躊躇無く、ただ必死にその焼け野原の中心へ向かう。噎せ返るような熱気の中、生きていてほしい、それだけを願った。それが誰でも、たった一人でも。目の先に黒い小さな膜の球体が映った。近付くと、中にはうずくまった姿勢のサティアが浮かんでいた。ジオの姿は無い。 サティアは昏睡状態になりながらも、きつく握り締めたその手には、崩れて散っていく灰と、鈍く光る物があった。
「サティア…」
ソーマが声をかけると同時に、彼女の手からその光る物が落ち、きん、と静かな音を立てて地面に落ちる。それはそのまま転がって、ソーマの靴先に当たり、動きを止めた。反射的に拾い上げたそれは…変色した、金貨。ソーマ王即位の記念金貨…。あの夜、ジオに渡した、彼の、勲章。ソーマがサティアに目線を戻すと、サティアは、小さな自分だけの黒い膜の中で、そのまま深い昏睡状態に落ちていた。もう何も見たくない。ソーマには彼女がそう懇願しているように見えた。


“新しいモノへの興味こそが、我々の進化の証だ。アンセルよ。わざわざ自らここに出向いたことも、その範疇を出ていないと言い切れるか?”
愚問だ。興味だけで動くほど青くはない。しかし、ギルには答えに迷ったように見せる。過去の生き証人は少ない。次に話はどう展開するのか、探らなければ…それが今自分に出来る、唯一の任務のように感じていた。
“よく考えてみろ。我々人間の最進化の証が我々神族だ。しかし、その我々の進化は既に行き詰まっている。カイル、お前なら感じているだろう?神術は代ごとに弱くなり、むしろ退化していると言っても良いくらいだ。ズースの遺伝子を見ただろう。あれは最悪だった。進化に行き詰まった種は、放って置けば破滅していくしかないのだよ。我々が今崇める神が降り立った時、その時点で行き詰まっていた古代の人間に進化の為の機会を与えてくれた。だが結局、長い歴史の中で、神族以外と無理な交配をし続けた現在の神族は、進化どころか、ただの雑種以下に成り下がった。これが神の名を語るに相応しいと思うか?やはり生命力の強さで、原種に勝るものは無い。アンセルとサティア、このイトと呼ばれる女、その3人は神の純血種だ。我々が更なる進化を遂げるのには、彼らが必要不可欠だったのだよ。”
「だからと言って、何故彼女を利用しなければならない?」
また、人を物のように扱う人間に出くわしたことに、カイルは苛立った。この凍結されたイトが、サティアに見える。
“リンの祖父と父親は優秀でね。自分やその他の王の短命を予測し、自分達の子息の不安定な塩基を、イトの遺伝子と照らし合わせ、欠陥だらけの受精卵だったお前達を修復したりもした。その過程で出来たワクチンのお陰で、明日死ぬかもしれない者を延命させた。お前の父親もそうだ。大きな目で見れば実験は失敗だったが、お前達が死んだと言っているソーマとそこのカイルは唯一の成功例だ。セルーナの場合は神術面の強化、という配列編集を行ったせいで、生命体的には弱くなってしまった。やはり我々程度の生物を神に近付けるのには無理がある。だから今度こそ、神の純血である、アンセルとサティアを、次世代の長として誕生させたのだ。二人を見ていると、なぜか心惹かれるだろう?それは彼らが特別で完璧な存在である証だよ。”
「その遺伝子操作の実験に使った子供は後どれくらいいた?」
“百か、その程度だろう。全て神族の者だし、子供といっても、たかが受精卵。有機物ではあるが、単なる細胞の一粒に過ぎん。グラセウスもカイルやソーマに比べると質は落ちるが成功だ。しかし、奴も娘のリンには手を出さなかった。ただ血が繋がっているだけの不完全な遺伝子の人間に執着し、可哀想にリンは劣等感を抱きながら育った。それを良しとした奴の心情は些か解せんが…。ま、それに付き合わされ、度重なる卵子提供や体外受精妊娠、流産に見舞われ、命を削ったお前達の母親はもっと悲惨だったろうが、それも仕方ないだろう。”
「…では、ギル。これが、我々がここに求めた、この時点の答えという事か…?リアドやその他の神々は実在し…イトも存在した。そして…彼女の子宮には双子。それも、遺伝子的に、リアドの血縁であることは間違いない。つまり、リアドの神は、自分の子を宿したイトを、反逆者として、永久凍土に封じ込めた。だから彼らは、今のこの状況を予測し、十番目の神の存在を匂わせた。それがリアドとイトの子…俺とサティア…そういうことなのか?」
“…まぁ、そういうことだろう。自分の子を母親諸共殺すとは、神も興味深い事をしたものだ。しかし、私は科学者。その時々で変わる人の心情などというものは分からん。それが神となればなおの事…。”
「貴方の貴重な講義はありがたいが、神族の強化の為に始まった研究が、何故、ここまでの戦争に発展した?」
“それとこれとは私には別の話だ。確かに、イト達やホルスが使った兵器を開発し、その威力をこの目で確認したかったが、戦争を求めたのは私ではない。”
「じゃあ、一体誰だ?誰がお前の後ろに居る?」
“言っただろう。私には他人の心情は分からん。私も人を利用するが、それは相手も同じ事。それに気付かず、頂点に立ったと思い込んだホルスは面白かった。違うか?カイル?”
「話を逸らすな。」
“逸らしてなどいない。相互に利用する…それが複雑に重複した結果が今だ。”
「兵器の威力はもう分かっただろう。質問を変えよう。お前は次に何をするつもりだ?」
“そうだな…。サティアのあの力を次の世代の原動力として使えるようにしなければな。セルーナとイルズの神器ではもう駄目だ。あれの力が必要になる。”
「どういう意味だ?神光玉があれば必要ないだろう。」
ギルがさも可笑しそうに笑う。
「知らないと言うのは、本当に怖い。あの玉の中身を知っているか?あれはもう役に立っていない。ずいぶん前から、世界はセルーナと神器で動いていたようなものだ。サティアも欠落した記憶の中の数年間、神殿で貢献していた。あれは薬で理性を鈍らせると凄まじい神術力を発揮してくれた。おお!そうだ!イルズに行ってみるといい。面白いぞ。“
サティアを『あれ』と呼ぶギルに、カイルは異常なまでの憎悪と嫌悪を抱いた。押し黙ったまま画面をじっと見つめていると、ギルを映し出す画面の端に、カイルは長い黒髪を捉えた。
「ん?今…」
その途端、また全ての電力が落ち、辺りを闇が支配した。


「なんだ!?どういうことだ?誰だ?私の邪魔をしおって…」
憤りを露わにしながらギルが振り向くと、消えた明かりの中で揺らめく黒髪が見えた。
「っ…お前…」
「喋りすぎね。それに、気に入らない。本物は私…。」
長い黒髪の陰に、ぎらりと光る刃が見えた。
「そっそれは…」
「もうお終い。サヨウナラ。」
「ひ、ひぃっ…」
揺らめく黒髪はギルの自由を奪い、一気に切り裂いた。


「リン=セイ様。先ほどの、新兵器の暴発のお陰で…とりあえず、奴らの攻撃は緩和されました。少し退いています。」
「そうか…。残っている者は?」
「一般市民が少しと、軍人は二百を切っているでしょう。」
「アンセル…特殊部隊の方はどうなっている?」
「アンセル隊長共々、シレンセに向かった数名とは、連絡が途絶えたままです。恐らく向こうでも戦闘が…。」
「分かった。ジリー以外は下がれ。アンセル達との連絡が取れるよう、随時気を配れ。」
…どうすればいい?最善策は?…敵地にも揺さぶりをかけるか?しかし、割ける人員は極端に少ない。この、四方を海と敵に囲まれた状況では、この場所から大きく戦況を翻すのは無理だ。
「…ジリー。サティアの方はどうなっている?」
「あの黒い膜の中で昏睡状態になっています。触れることも出来ないので、簡易テントを張り、彼女の存在を知る者以外は近付けないようにしています。」
「そうか…。」
サティアも使えない。元より、アンセルが居なければ使うつもりは無かったのだ。もし、サティアがもっと違う場所で発動していたら…。敵は真相という餌を使って、アンセルとサティアを引き離し、リアズの自滅を狙った事がようやく分かった。策略家のカイルも居ない。リンはジリーに向き直った。
「セルーナは無事?」
「はい。気落ちしていますが、神術に影響はないでしょう。戦闘の詳細は告げていません。」
「そう。それでいいわ。貴方も下がって。暫く一人で考えたい。」
「分かりました。失礼します。」
ジリーが立ち去るのを見届けてから、リンはソーマにあの通路を使って部屋に来てくれと頼んだ。暫くしてソーマは現れたが、彼もまた、憔悴しているようだった。
「…事情は…概略をジリーから聞いたわ。」
「そうか…。」
「残念だけど、悪い知らせがまだあるの。」
リンが話し掛けても、ソーマは何の反応もしない。だが、リンにはどうする事も出来ないと判断し、先を続けた。
「アンセル達と、全く連絡が取れない。」
「!?いつからだ!?」
「戦闘が始まる直前からよ。」
「サティアとアンセルを引き離し、彼女の不安を煽って発動させ、リアズの自滅を誘う…。全て計算されていたのか。」
「そのようね。だから、多分、向こうでも戦闘か何かになっている。…ソーマも、カイルと同じ様に、真実を暴かないとこの戦争は完全に終わらないと思う?」
「…俺達がまだ戦い、勝つつもりなら、それは重要だと思っている。俺達はまだ、何が本当の敵なのか分かってもいない。」
「分かったわ。じゃあ、彼らを助けに行くよう手配するわ。でも、割ける人員は無いに等しい。」
「俺が行く。」
「何言ってるの!?貴方はリアズの…」
「元、国王だ。こういう危険に立ち向かう為に奴は死んだんだ。」
まず、サンガを連れて行こう。しかし、それでは足りない。やはり…
「サティアも連れて行く。」
「でも彼女はまだ…」
「分かっている。暫く時間をくれ。」
兵舎に戻りながら、ソーマは自問自答を繰り返していた。本心では彼女を連れて行きたくない。ここにはもう自分以外で、彼女を人間として接する者は居らず、彼女をこんな所に置いておくのは耐えがたい。その上、このまま置いていけば、また同じ戦略で攻められ、下手をすれば、サティアを奪われる確率が高い。矛盾した考えだが、どうせなら同じ危険を奴らにも与えてやろう。もし敵がサティアの威力を知っていれば、自然と道は開かれるはずだ。だが、不慮の発動が起これば、ソーマ自身も危ない。それでも、彼女を再びアンセルと引き合わせる事が出来るのなら、それも本望だ。サティアを守る。この世界の乱れたものから、彼女を守りたい。


 幽閉されて数時間。セルーナはもう限界だった。来るはずのリンも姿を見せない。…見てみたい。この目で、どんなことが起こっているのか、起こったのか。力ばかりあてにされて、自分という個体に関心を持たれない事に耐えられなくなった。逃げ出そう、ここから。いつも大人しくじっとしている私の警備なら、油断しているはず。疲れてはいても私は神術も使えるし、きっと簡単に通り抜けることが出来るはずだ。初めての事で緊張のあまり心臓が飛び出しそうだった。扉には鍵が付いているのだろうか?半信半疑で、今まで一度も触れたことの無い扉の取っ手に手をかける。音を立てないよう、慎重に取っ手を回した。恐る恐る、開こうとすると、何事も無かったように重い扉はすっと開いた。
「…え…?」
部屋の外には誰も居なかった。左右の廊下を見渡しても、誰も居ない。想像とは真逆の状況に、セルーナは一瞬戸惑ったが、すぐにその理由に気が付いた。馬鹿にされているのだ。言われたことだけしかできないと。本当は違うのに…。全て、言われたからではなく、善意でやってあげていることなのに、それさえ分かって貰えていない。苛立ちを向ける方向が分からないまま、セルーナは走り出した。階段を幾つも上り、息を切らせて地上を見たセルーナはあまりの光景に膝を付いた。
「な…に?…これ…。」
左には崩れ果てた建物から煙が上がり、右…難民地区の辺りは、一瞬にして森林伐採が行われたような状態になっている。音は何も聞こえない。…皆、死んでしまったのだろうか…?
「ソーマ様…。」
セルーナは彼が難民地区で生活していたことを思い出し、遅いながらも夢中で難民地区まで走り出した。もう数本しか残っていない木々の間から、難民地区を見ると、すり鉢状の黒い大地の真中に、小さなテントが目に入った。


何故だ?カイルはアンセルの後ろに付きながら、只管考えていた。何故ギルはサティアの発動条件が分かった?コウ国で起きたこと全てを知っていたのか?ありえない話ではないが、彼女の『不安』がアンセルと密接な関係にあるということは、実験をしなければ確定は出来ないはずだ。そんな不確実な事で仕掛けに行くだろうか…。密告者が居るのか?…いや、例え確実でなくても、自分ならやる。発動せずとも、アンセルさえその場に居なければ、サティアを拉致する事ができる。再び薬で混乱させ、本来味方だったはずのアンセルのいる地で発動させれば、アンセルはそれを止めるしかない。その後アンセルが彼女を保護する前にサティアを手にすれば同じ事を繰り返し実行できる。不安が過ぎる。拉致された後、サティアが自分を保っている内に、今自分が考えた事と全く同じ考えに辿り着けば、自ら命を絶つだろう。あの、首輪で。そして、多分、彼女も至極早い段階で自分と同じ考えに辿り着く可能性の方が高い。サティア…。そういえば、電力が落ちる寸前、一瞬だけ映像に映った黒髪は、誰だったのだろう…。
「なんだかよく分からないけど、とりあえず外に出られて良かった。敵にも出くわさなかったし。」
あれだけ色々な事があっても、イリヤは自分の調子を崩さない。この鈍感な天才の何気ない独り言で、カイルはいつもの調子を取り戻した。今は目の前にある現実を見なければならない。無駄に考え、先走れば、自分達の首を締めることになる。自分がいつもソーマに言っていた事だと気付き、自嘲気味に少し笑う。
「イリヤ、油断するな。敵に囲まれている事実は変わらん。」
「分かってますよ。でも僕は基本的に戦闘員ではないし、データ持って逃げるくらいしか出来ないんですから、油断しないでほしいのは僕の方ですよ。…もぅ、ラルドさんは怖いなぁ…。」
「隊長。リアズとの連絡は?」
「ああ。俺達の通信はどうやらもう、この国内部でしか使いものにならないから、ディンの空挺の通信復帰が済み次第、連絡を取り、相互の状況を確認する。」
「アンセル?ギルの有難い講義が途中で打ち切られたところから察するに、どうやら、敵の中にも、脚本から飛び出て即興を演じ始めた人間が居るようだねぇ。」
「ええ。しかし何にせよ、リン=セイの言っていた日記も探しましょう。ギルが分からない、人の心情を綴った日記の中に、ギルが掴めなかったモノがあるかも知れないし、本来の目的はこっちでもある。」
がらんどうになった王宮での、危険な宝捜しが幕を開けた。


 仮設テントの中にはサティア以外、誰一人居なかった。彼女の存在を知っている者も、皆恐れをなして近付かないようだ。テントの外の警備員もテントからはかなり離れた所に待機している。中ではサティアがぽつんと浮かんでいた。自分の全てを消してくれと頼んだ彼女の言葉を思い出しながら、ソーマは彼女に向かって語りかけた。
「サティア…。お前の力を初めて目の前にした時から、俺はお前をモノとして見てきた。そう扱っていた。アンセルの姉であることさえ忘れるようにしていた。その方が楽だったから逃げていたんだ。昨日お前と二人きりで話すまで、そうだった事にさえ自覚が無かった。でも、違ったんだ。人間じゃないのは俺のほうだった。だから俺は今、誰よりも平和を願う、お前自身を、守りたい。消したりしたくないんだ。それにはどうしたら良い?」
必死に話し掛けている自分に驚いた。自分から人に対して、こんなに自分の感情を分かってもらいたいと思ったことなど無かった。
「…もう、何も見たくない。…そうだろ?俺も見たくないし、お前にも見せたくなどない。ジオを救えなかった、と悔やんでいるのか?それも俺と同じだ。だが俺は前に進む。アンセルを助けに行くんだ。お前はどうしたい?…そもそも、アンセルでない俺の声は、お前には届かないのか?」
人の気持ちを受け入れたいと思うことも、その人間の願いを叶えてやりたいと思った事すら無かった。それを変えたのは、自分でもアンセルでもなく、サティアの存在だ。
「サティア…すまない。矛盾してるのも我儘なのも分かってる。それでも俺にはまだ、お前とその力が必要だ。自分の最期に、生き抜いた価値があったと思えるように…」
腕を無くす危険を承知で、ソーマは黒い膜に手を入れた。刺すような痛みが心臓の鼓動を早める。
「お前はどうしたい?…頼む…応えてくれ…。」
応えてほしい。国単位の重く冷たい価値観を押し付けるのはもう止めだ。戦争での勝ち負けなど、もう問題じゃない。膜の中で燃えていく自分の袖を見ながら、それでもソーマはサティアに手を伸ばし続けた。このまま衰弱死したいというならそれでも良かった。
「応える事さえ嫌ならそれでもいい。ならばいっそ…この腕ごと、俺も焼き尽くしてくれ…。」


「リン様は、どの辺りに置いたと?」
広大な屋敷を見ながら、クォンが聞いた。
「はっきりとはしなかったが、書斎で見つけて、愛人がいたと思い込み、そのままどこかに押し込んだようだ。だから多分、リンの性格的に、前王の私物は纏めて普段は気にならないところに置いてあるだろうねぇ。」
「とすると…リン=セイ様の王室と寝室と書斎にはない。それに、リン=セイ様なら前王妃様の部屋にも置かないでしょうね。」
「うーん。目に触れたくないなら、人の出入りの多い、水周りではないでしょう。」
「…とすると…屋根裏とか、地下室。故人を偲べる感傷的な物は屋根裏。だけど、尊敬できないような秘密は大抵、地下じゃないですかね。地下に、個人的な書庫とかはありませんか?私なら、そういう捨てるに捨てられないものは忘れられるよう、地下に封印する。」
「…そうだな。とりあえず、王家の者しか入れない部屋の地下…そういうところから探してみよう。」
「そういえば、前王は、よく隣接の図書館に出入りしていました。」
「そこにはどんな本が?」
「新世神話や、歴史、後は医学書とか、そういったものが多かったように思います。」
クォンの言葉に、全員が図書館から続く地下室の存在から当たりをつけることで一致した。カイルはまた、なんとも言えない符合点を見つけた気分だった。つい先程、カイルたちは医学の見地から神話の真実に近付いた。まず、先々の神達によって若干歪曲されていた神話。そして、今起こっている大きな戦争は、神話で消された筈の神と、神々の遺言にある十番目の神を信じ、求め、独立しようとしたもの達を、我々が神話に基づいた考え方で拒絶した結果、戦いの歴史が始まった。人は『神』と聞くと、必ずそれを崇拝する。自分達より優れているものだと思い込む。それがそもそもの間違いなのではないだろうか?しかし、本当に我々が思い描くような慈悲深い神だったとしたら、いくら自分と意見が対立したからといって、自分の子を宿している相手まで、さっさと殺すなどという事はしないはずだ。その上、神の存在を複数残せば、いずれ今のように、意見の一致しない者が出てくる。そのくらいの事は、自分や普通の人間でも容易に考えつく。神を神として意識せず、ただの人物として神話の内容を考えると、単純で分かりやすい筋が見えてくる。自分が他の者より優位に立ちたいが為、邪魔者は消し、従う者だけを残しただけだ。一言『神』と付けただけで、その行動の裏に深い意味でもあったような感覚に陥るが、それを排除してしまえば、どこにでもある、弱者と強者の相関図だ。我々が『神』と呼ぶ者達の世界があるとするなら、我々が神と呼んだ人物も、もしかすると、そこでは尊敬されるような者でなかったのかもしれない。しかし、一つ水準を下げ、我々の世界に降りることで、簡単に頂点に立つことが出来た。それならば、自分に都合の良い世界が即座に出来上がる。そして、そこまでして頂点に立ち、力の誇示をしようとする人物像に当てはまるのは、その傲慢な考えとは逆に、元々の世界では尊敬とは程遠い、不利な条件を背負っている者…例えば、罪人。それと、もしくはこの世界が彼らにとっては一生戻れない流刑地なのだとしたら、予測できたはずの破綻を野放しにした事も、古代人を力で制圧しながらも平和を主張した神話の内容も納得できる。自分達さえ良ければそれで良かったのだ。我々が真に求める神ならば、同じ歴史を繰り返すことしか出来ない人間など、救うどころか端から興味など持たないだろう。
「カイル殿!見つけましたよ!地下室。でもここって…地下室っていうより、物置ですね…。」
「え?…ああ。そうだね。」
カイルは以前ソーマの部屋の地下室に入ったことを思い出した。
「ま、私にまかせなさい!必ず見つけるから。」
そして、もし、この世界が流刑地であったとするなら、我々がどうしても互いに争ってしまうのは、『神』と呼ばれてきた先人達から染み付いてきた悪い習慣が、そのまま根付いてしまっているからなのではないだろうか…。悶々とした考えの中、カイルは日記を探し始めた。


「何をしてるの!?」
サティアの様子を見にテントに入ったジリーは驚愕した。危険を充分理解しているはずのソーマが、あの全てを破壊する黒い膜に手を入れていたのだから。
「ちょっ…」
ソーマを引き離そうと近付いたジリーはソーマの神術に弾き飛ばされた。
「どうしたらいい?俺は…?必要なんだ…どうしても…お前でなければ駄目なんだ…。」
邪魔をしてはいけない。邪魔、できない…。今のこの二人に立ち入る隙間は無い。ジリーはただならぬ空気を感じて、その場にうずくまったま、黙ってま二人を見つめた。ソーマの腕が炎に包まれている。サティアへと伸びていくソーマの指先が、彼女の頬に触れた途端、膜が弾けて彼女は地面に屑折れた。ゆっくりと顔を上げ、向き直った彼女の目からは涙が溢れていた。
「…大丈夫か…?」
彼女は無言で頷いた。
「ジオが…」
「ああ。分かってる。」
「ごめんなさい…」
立ち上がろうとしたサティアの足には力が入らず、ソーマは彼女を抱き止める。
「謝るな。お前のせいじゃない…。」
心配するなとでも言うように、ソーマは力強く、悲劇と発動で消耗しきったサティアを抱きしめた。
「…ジリー。こいつを部屋に運びたい。」
「え…ええ。でも、貴方、腕は…」
「それも、こいつの部屋で。…いいか?」
無言で頷いたサティアを抱きかかえて、ソーマは立ち上がった。


2990年日10月 本日前王にして、我が父が逝去。戴冠は去年済ませている。希望、絶望、背徳、真実の全てを引き継いだ。代毎に酷くなる、神術力の低下や、交配能力の低下、寿命の低年齢化。これを食い止めるために、皆が躍起になっている。リアズやティティの王も既に治療を始めたらしい。しかし、実験段階でしかないモノを押し進めるのも、生まれる前から子供に完璧であることを求めるのも、私には出来そうにない。(中略)
2991年日1月 自分達を擁護して、国民に何の利益があるのか。ギルやその他の若い王にはこの実験や研究の事はなるべく伏せておくことに決定した。出来ることなら、この問題は我々だけで終わりにしたいと思っている。(中略)
2992年日1月 やはり、我々との完全な統合は難しい。人知れず、孤児院からゼファを引き取ったアステ王の決断は正解だった。多分、正当な後継者であるはずのゼファの兄は、もう持たないだろう。直系の遺伝子を使った治療は、成体の全細胞を治すには難しい。細胞の多くなった者に対して行っても、全ての細胞が、遺伝子の欠落を埋めることは出来ない。本来、生物は、同じ種同士での交配が正当なのだ。異種交配ならば、自然妊娠が出来てはじめて、亜種が出来、それを確実に繋げる事が出来なければ結局は同じ事だ。それならば、生物的に死んでいるモノから何かを得ても思うような結果は得られない。そもそも、同種間の交配を禁じた神の意図が解からない。(中略)
2992年月 イトに卵子が残っている。ティティの王は使う事を決意したようだ。しかし三千年以上前に生命活動が止まったモノを使うのは危険だと思う。劣化しているものが、果たして再び機能するのだろうか。しかし私は幸運にも、後々これを引き継ぐことになってしまうかもしれない娘ができた。(中略)
2993年8月 カイルが無事に誕生した。今回、イトの卵子は上手く機能したようだ。しかし実際に出産した王妃の産後の肥立が悪い。カイルのように遺伝子操作等をせず生まれた我が娘や妻には、可哀想かもしれないが元気ならそれでいい。自然なままで、生きていってほしい。それが我々神族の本来の姿だからだ。(中略)
2999年1月 リアズの世継ぎを作る為、リアズ王の僅かな遺伝子をイトの遺伝子を元に、強化して使う事になった。上手くいく事を願う。同時に、生存の可能性のある、イトの持っていた受精卵を使う事を決心した。生きている被検体があれば、今よりももっと安全で確実なものが得られるはずだ。(中略)
2999年12月 リアズの世継ぎ誕生と共に、更なる朗報が舞い込んだ。遂にこの時が来たのだ。彼女は素晴らしい。母親同様に美しく、強い生命力と神術。サティアと名づけた。我々など足元にも及ばない。このまま順調に進めば、弟となるだろう彼も同様にして誕生することが出来るだろう。未来を担う神の誕生を全ての者が待っていた。二人が順調に育てば、いずれ生体の卵子と精子を使う事になるだろう。近親交配は難しく危険だが、成功すれば、イトを遥かに超える力をもった者が誕生するだろう。(中略)
3003年2月 二人目の神が誕生した。名をアンセル。彼の成長を最期まで見られるかどうかは怪しいが、それでもこの喜びは表現できないものだ。教育や血脈、安全を考慮し、リアズに彼らを引き渡した。私は再び、この美しき氷の女王と過ごすことになった。(中略)
3004年6月 不妊に悩まされる親友のたっての願いで、イトの卵子と、タイラ王の遺伝治療を施した精子を使い、体外受精を試みた。どうやら、神族以外の者の卵子とは、あまり受精が出来なくなってきているらしい。この世界本来の種族は神の血を拒絶し始めたのかもしれない。胎児の様子は今のところ順調ではあるが、油断は出来ない。(中略)
3005年9月 タイラ王の長子、セルーナが誕生した。神術力は素晴らしいが、生命力は弱い。(中略)
3010年3月 サティアに初潮がきた。ついに女神のたまごを使える時が来たのだ。これが成功すれば、我々は再び神の名と強い力を引き継ぐことが出来るようになるだろう。被検体として名を挙げたのはイルズ王だった。彼は既にグラセウスという名まで考えたらしい。(中略)
3011年2月 グラセウスが誕生。申し分ないが、これといって新しい発見は今のところ無い。女神のたまごは若すぎたのかもしれない。考えてみれば、彼女はまだ十歳だ。神とはいえ、身体的に成人とは程遠い。その上、本人に気付かれないよう誘拐じみた事をし、卵子の採取に大量の薬剤と輸血を使用したことが、我々が期待したような結果を生み出さなかった原因かもしれない。(中略)
3015年11月 一瞬の停電。初めてのことだ。何が起こったのか全く検討が付かない。不吉な予感がする。(中略)
3015年11月 停電の原因はグラセウスだった。神光玉を開けてしまったらしい。中に入っていたものを見て、生きていたいという欲の恐ろしさを知った気がする。イルズのものは全く起動しなくなった。イルズ王は、応急処置として、極秘で神器に国民を投入すると決定した。生きている人間を、だ…。我々は、一体、何をしようとしているのだ?(中略)
3015年12月 神器だけでは力不足と判断。サティアに神殿入りをさせ、セルーナと力の補充に中らせる事になった。勿論、本人達はその事を知らない。まだ幼いながらも、聡明なアンセルに気付かれぬようサティアからの隔離目的で軍に入隊させ、サティアは投薬をさせられている。我々の尻拭いを神の子達にさせるとは…。サティアとアンセルの件からはもう手を引くつもりだ。他の者が生きる為に、生きる筈の命を消し、神さえも利用する。自分達のしていることに疑問を抱かない日は無い。(中略)
3020年 これが最期の日誌となるだろう。延命治療も、原動力の復帰も、所詮ここまでのものだった。研究は打ち切りと、封印を決定した。我々の手に負える問題ではなかったからだ。後世にこのまま引き継がせては、あまりに無責任だ。死ぬ運命なら、それは神が望んだことだったのだろう。しかし、自分の主義を押し付けたせいで、リンも私ほど生きられるか分からない。神はどこまで予測したのだろう。私には、神が何故、必ずと言って良いほど破滅の道へ進むこの世界と人類を残したのか、不思議でたまらない。もしかすると、彼らもこの世界が無ければ、生きることが出来なかったのかもしれない。
死を目前に私は思う。我が娘よ、お前だけは私と同じ間違いを繰り返さないでくれ。すまなかった。誰よりも、お前のことを想う。


ソーマはサティアをベッドに横たえると、ジリーが彼女に点滴をする間も、ずっと彼女の傍を離れず、サティアだけを見ていた。
「…まだ戦えるか?」
「…多分…」
「助けてくれ。アンセル達を助けに行く。俺だけじゃ、どうにもならない。」
本当は行かせたくなかった。あの力を使って、彼女がもっとぼろぼろになったり、命を落としてしまうなんて嫌だった。これ以上何かを失うのは耐えられない。しかし、誰もがそう思って戦っているのだ。アンセル、カイル、そしてそれは、サティアも同じ。誰かがまた何か失う前に、誰かが犠牲を払ってそれを食い止める。それが自分とその感情だけで済むなら、構わない。そもそも、犠牲にしようとしている、ソーマのこの想いも、サティアなくして有り得るものではないのだから。
「すまない…自分の不甲斐なさに嫌気が差す…。」
サティアの力が自分に在れば、話は簡単だった。犠牲になるのは自分一人で済んだのだ。
「いいえ…。本来不要な私への同情じゃなく…必要だと言ってくれた人はいなかった。この力だけでも、必要とされているなら…それでも構わない。もう復讐なんて…。私も…進む。ソーマと…みんなを助けに、行く。」
ジオが最期に願ったのは、もう誰も泣かないでほしい、ただそれだけだった。それを叶える為にサティアができるのは、戦争の火種となったモノ全てをこの世界から排除することだ。
「応えて…くれたんだな。…ありがとう…。」
ソーマは、震える彼女を支えるように、その肩を抱いた。
「ソーマ、邪魔して悪いけど、今度は貴方の腕よ。」
「あ…ああ。」
ジリーの前に差し出されたソーマの腕は…残っていた。完全な姿のままで。表皮には服が燃えたときに出来たと思われる、軽度の火傷があったものの、真皮や筋肉などの部分にはなんら異常が見られない。
「どうだ…?この腕はもう駄目なのか?」
「…いいえ。異常無し。極軽度の火傷だけよ…。感覚は?痛みとか…。」
「…いいや。びりびりして、なんとなく鈍感になっているような気はするが、激しい痛みは無い。」
治療しながらジリーは困惑を隠せなかった。あの膜に入った者のなれの果ては熟知している。無事に済んだものはいない。どういうこと…?
「…神術か何かを使って、膜に腕を差し込んだの?」
「いいや。…無意識に使ったかもしれないが、特別そういう意識はしていなかった。」
「一応、貴方の遺伝情報を採らせて。採血だけでいいわ。今後、他の兵達にも適用できるかもしれないから。」
「…分かった。」
他兵への適用は口実だった。何かが引っかかる。職業柄、隠された真実には慣れているが、今回のものは迂闊に手を出せるものではない気がする。そもそも、ジリー自身の失態が今に繋がっているのだから、何かを見つけたとしても、公開できるものではないだろう。しかし、せめて隊長だけでもこの場に居てくれたら、話すことが出来たら…。どうか、無事に戻って来て欲しいと、ジリーは願った。


「…見つけましたね。」
「ああ…。これで、現在の王達の出生の秘密は分かった。」
「うーん…分かったところで、戦争に関しては何の影響もでないなぁ。」
敵はこれを見せることで、何を伝えようとしたのだろうか?本当にただの時間稼ぎなのか?いや、最初に戻ろう。まず我々は何故ここまで出向いたのか?それは敵が手にしたい何かがここにあったからだと踏んだからだ。しかし、それにはサティアとアンセルの分断という罠が絡んでいた。だが、奴等にとって、ここに必要なものがあったことは確かだと思う。何が必要だったんだ?
「アンセル?君って、リアズの前王の時に軍に入隊したんだよね?」
「はい。」
「何か、不信に思った事は無かった?」
「いえ…特に記憶には…。」
「うーん…。サティアは十歳の時誘拐紛いの拉致で卵子を取られた。これも記憶に無いよね?」
「ええ…。全く気付きませんでした。でも、今から思えばその辺りから、サティアはなんとなく情緒不安定で、周りに対して警戒心を抱くことが多くなった気がする…。」
「そうか。私が聞きたいのは…率直に聞くよ?君のが取られててもおかしくないような、個人の生活とは無縁の状況で、そういうのなかった?」
「…。ありました…。あれは…確か、毎年ある健康診断で一度。自分一人が、別室に呼ばれ、俺が得意な体質だから、遺伝子に問題が無いか調べたいと…。その場は納得したのですが、言われてみれば、そんな検査は血液で充分なはずだ。」
「結果は知らされた?」
「そういえば何も…。それどころか、その時俺のを取って行った奴は、あれから一度も見たことが無い。」
「…それだね。イト達がここを占拠したのは君の精子が目的で、前シレンセ王の研究を引き継ごうとしてる奴がいるわけだ。」
「…上手くいけば、サティアを凌ぐ力を持つ者が出現する可能性は高い。そうなれば、また、世界の均衡は大きく傾く。」
「だから…か?…イリヤ。被検体0から3までの遺伝情報はまだ覚えているか?」
「え、ええ、まぁ、大体は。」
「じゃあ、0と1の間には似たアレルがなかったか?」
「ぱっと見の印象はありませんが、もしあったとしたら?」
「もし、リアズの神とイトが近親婚だったとして、自分達を遥かに上回る力の持ち主が生まれる可能性が高かったら、自分達がいい待遇で生きることが難しくなる。だから彼はイトを子ごと葬り去ったのでは…?そして、我々神族同士の結婚を禁じた。そうやって、力関係の均衡を図っていたのではないか?争いを極度に制限したのも、自分達の命が脅かされることが嫌だったんだ。それに、近親婚が続けば、その種族の子孫は必ず減少する。もしくは、先々の神達の全員が近親者であったなら、国が違うにもかかわらず、神族間の結婚を禁忌にしたのも頷ける。」
「…では、もし、サティアと俺の子が誕生していたら、敵は恐ろしい者を手にしていることになりますね。」
「いや、今はまだ、誕生しているということはないだろう。サティアはあの二年間の間に出産した形跡があったようだが、その時君のはまだここにあって、イト側にサティアの卵子だけが残っていたとしてもサティア自身はこっちにいる。君のは向こうもこないだ手にしたばかりだろうから…。体外受精に代理母を使うとなれば、そう簡単には生まれてこない。それにしても…関係図がまた変わってきたねぇ。父は違えど、私とサティア、アンセル、セルーナは兄弟で、グラセウスはサティアの子供…。」
とすると、ソーマは全員の従兄弟にあたる訳か…。それに、今更アンセルのものを持ち去ったのなら、行方不明になっていた二年間で産んだ可能性のあるサティアの子は、何にせよ駄目だったのだろう。しかし、自分達さえ良ければ良かった筈の神々が、何故無理にでも子孫を残したのかが解からない。王が死んで、世継ぎが居なかったとしても、本人にとって大した問題はないはずだ。…しかし、その座に自分が後釜として座りたい者はいただろう。そして、もし彼らの神術力に自分達の生活がかかっていたら、そう簡単に死なれては困る。代わりが要る。自分に従順な者達から切望され、損がないなら子孫を残すことに異論は無いか…。彼らが残したのは神術を使える子供達と、既に役立っていないとギルが言っていた神光玉、神器。それに、日記にあった『生きていたいという欲の恐ろしさ』とはどういうことだ?グラセウスが開けた神光玉の中と、イルズの状況が気になる。
「カイル殿。ゼファ氏が神族の血脈ではないことはご存知でしたか?」
「いや。私も全く知らなかった。…彼の卑屈さはそこからも来ていたのかも知れないなぁ。まぁ、それはともかく、要るもん取ったらさっさと逃げた方がいいんじゃないかな?」
「確かに。よし!全員ディン中佐の所へ戻るぞ!」
図書館を出た直後、彼らを銃撃戦が待っていた。


 見てしまった。聞いてしまった。彼と彼女。セルーナは元居た地下室に戻っていた。他にどこに行けばいいか分からず、ぼんやりと元居た場所に収まった。ソーマとサティアに起きたことを、全て見てしまった。覗くだけで何も出来なかった。怖さと嫉妬で身動きが出来なかった。サティアとあの黒い膜への恐怖と、腕を焼かせてまで救おうとしたソーマの彼女を想う気持ちに。恋や愛とは違うのかも知れない。…友情?深い友情。それとも同情?どちらにしてもセルーナが見た光景は、そう言ってしまうには深すぎる感情だった。部屋にはセルーナ以外、未だに誰もいない。リンさえ来ない。もう駄目だ。この戦いも、きっともう駄目なんだろう。誰も私には目を向けていない。そうだ。私がここから居なくなって神術力が供給されなくなったら、困って私に気付いてくれるかも知れない。…駄目だ、彼女が居る。私が居なければ、彼女が代わりに皆に力を与えるだけだ。そうなれば、サティアは戦いながら力を送り、皆に感謝され、尊敬され、…あの人にも、もっと必要とされる。私は誰からも必要とされていないのに。それならば…いっそのこと、皆に後悔させてやろう。私に目を向けなかったことを、心から感謝しなかった事を、…愛さなかったことを…。セルーナは再び重い扉を開けた。


 リンの部屋には残りの特殊部隊の面々が揃っていた。各々の立場から、アンセル達が音信普通になっている事に苛立っている。
「召集した理由は分かるな?」
「はい。隊長たちの救出ですね?」
「そう。今我々は窮地に立たされている。救出に廻せる人材は無いに等しい。本来なら彼らの自力の帰還を待つべきなのだろうが、この戦い…アンセルなくして勝利は得られない、と私は考えている。従って、数を減らす代わりに質を上げる事で、彼らの救出を試みようと思う。と、なると適任はやはり君達しか居ない。…どうだ?」
「勿論です。もしリン=セイ様からのご指示が無ければ、私の小隊のみで向かうつもりでした。」
言いながら大きく一歩前に出たグレイシー少佐に続くように、ソーマとサンガも前に出る。自分を忘れては困る、とでも言うように、ルークは三人より更に前に出る。
「俺も同様です。リン=セイ様の御前で失礼とは存じますが、俺は隊長に出会わなければここにはいなかった。正直な話、国がどうなるかということより、隊長のために戦ってきた。だから、隊長の救出を我々以外に任せてはおけない。彼がいなければ始まらないんです。それはレンツも同じ筈です。」
レンツは誇らしげにルークの肩を力強く掴んだ。その後ろでエルド大佐が頷きながら言う。
「私も同じだ。コウ国戦と同様、海上に私の空挺を配備します。それにはミーナも必要だ。」
「どんな場合の予測地区も、全て把握できるのは私しか居ません。」
「じゃあ、全員一致ね。良かった。ではその為に早く作戦の考案を…」
「私も行きます。」
全員が振り向いた先にはサティアが立っていた。その後ろには彼女に繋がる点滴を持ったジリーがいる。
「サティア!?貴方…」
「ご迷惑をかけました。もう戦えます。」
そう言うと、繋がっていた点滴の管を剥ぎ取った。
「…ジリー?彼女は…その…。大丈夫なの?」
「え…ええ、まぁ…。」
はっきり言って、大丈夫なはずが無い。ジリーはそう思いつつも、アンセルたちを助けるにはサティアを使うしかないと、口を噤んだ。
「リン陛下、私がこのままここに居るのは、色々な意味で危険が多すぎる。」
ソーマも口を開いた。
「サティアがいれば、多勢に無勢なシレンセの状況を一気に覆せる。」
リンは戸惑った。サティアが今ここに居ることも驚きだが、ソーマはどうやってあの状況から彼女を立ち直らせたのか…。
「確かにそうだけど…。我々は既に一度、奴らの思惑に嵌り、今のような窮地に立たされた。サティアを派兵することがまた奴らの思惑であったら…」
「サティアの捕獲が目的かもしれないということですか?それはないと思います。もしそれを目的にしていたなら、今回サティアを誘導的に発動させたのはおかしい。迂闊に手出し出来ないと知っていたから、今回の罠を仕掛けたのだと思います。だからこそ、シレンセにサティアが来て、確実に殺されることが分かっているなら、逃げる者は居ても、挑んで来る者は居ない筈です。」
「…ただ、私がここに居ないと知れたら、今沈静化しているここの戦闘が、再開する危険も高い。」
「そうね。…でも、アンセルが居ない方がもっと危険…ただの勘だけど。こういうことは早い方がいい。みんな、健闘を祈る。私も何とかここで踏ん張るから、頑張って。」
「了解!」


 大きな岩を盾に、アンセル達は銃弾を凌いでいた。先を急ごうと、身を動かしたイリヤが慌てて座り直す。
「わっ」
「イリヤ!大丈夫か!?」
「大丈夫じゃない!撃たれた!痛い!血ィ出てる!」
ラルドがイリヤの腕を見ると、確かに出血していた。
「…掠り傷だ。これは撃たれたとは言わん。」
「でも痛い!」
涙目で訴えるイリヤにラルドは容赦ない拳骨を食らわせる。
「どこが痛い?」
「あ…頭…。」
「よし。これで大丈夫だ。」
「酷いよ…。今ので僕の優秀かつ貴重な脳細胞が…」
「完全に包囲されていますね。もしかすると、ディンの空挺も占拠されているかもしれない。」
クォンが苦い顔でアンセルに言った。イリヤはまだぶつぶつ文句を言っている。
「ああ。だが、我々に残された道はそれしかない。なんとか空挺までは行かなければ。」
他の四人のやり取りを尻目に、カイルは岩の向かいにある木の幹から、敵の銃弾を穿り出した。
「ねぇねぇ、アンセル?敵さんが使ってる銃は金属の弾なんだね。」
「はい…それが?」
「金属なら、神術で避けられるかも。やったこと無いし、すっごく疲れそうだけど。」
「どうやるつもりなんですか?」
「うーん、私たちの周りに強力な神術の膜を張って、金属は神術に引かれるから、そこに金属の弾が滞在するようにするわけ。蜘蛛の糸に引っ掛かった虫みたいに。」
「…カイル殿…早く言ってくださいよ…。」
「だって、弾のことよく知らなかったし、やったこと無いし、もし勘違いだったり、私が途中で力尽きたら明らかに全滅だし…。」
「まぁ、そうですけど…。どの道、今の状況も全滅に一直線だ。やってみましょう。空挺までの道のりは約1キロ。こっちが持ってる銃器は弾を使う物ではないから、理論上は膜を突き抜けて、攻撃できるはず。俺が先頭に立ち、ラルドは最後尾で援護。中心にカイル殿とイリヤ。クォンは二人に密着して、もしもの時は二人を連れて逃げろ。」
「了解。」
「カイル殿の残力を考慮し、最短距離を行く。カイル殿、準備は?」
アンセルが目線を移すと同時に神術の膜が彼らを覆った。
「いつでもどうぞ。」
「よし!一気に行く。付いて来い!」


「離陸準備完了。」
「よし。それでは本艦は隊長の救出のため、シレンセに向かう。発進!」
九人の隊員達は、出来るだけ目立たない大きさの空挺でリアズを後にした。目的地まで数時間。こういう時間ほど、人を苛立たせるものは無い。ソーマはレーダーに映る、点滅しながらじりじりと移動する、この空挺の動きを凝視し続けていた。
「はい。」
ソーマの前にカップが降りてきた。
「え…」
「お・茶。」
振り返ると、半分呆れ顔のミーナがいた。
「あ、ああ。すまない。」
「…もう!あのさぁ、みんなピリピリすんのは分かるよ?でもこのピリピリはなんか違うの!すっごい負の空気!重い!特にレンツ、ルーク!銃磨きすぎ。殺しに行くんじゃなくて、救出ですから!こういう時って失敗するの。サティアもいるし大丈夫。それに、あの隊長が犬死になんて絶対無いから!ちょっとは気を鎮めなさいよね。」
「…ミーナさんの方がピリピリ…」
サンガが語尾を小さくしながら喋ると、案の定ミーナの天誅が下った。
「うるさい!私のはピリピリじゃなくて…むさ…ムシャ…?」
「ミーナさん、腹減ってんですか?」
「馬鹿!違うわ!…ほら、あれよ、むしゃくしゃして地団駄みたいな…」
「武者震い…って言いたいのかしら?」
「そう!それよ!」
「なんかすごく適当に言ってる気がするんっすけど…意味は?」
「…意味?…」
「重大な局面を前に心が勇み立って、身体が震える事よ。」
ジリーはサティアの横で書類を見ながら答える。
「ほら言った通りじゃん。分かった?新人クン。」
「どこが…。むしゃくしゃして地団駄、とは全然違うじゃないっすか。」
「大体合ってたじゃん。いーのよ。なんとなくで!はぁ。大声出したらすっきりした。」
ミーナはさっさと持ち場に戻る。
「…いつも、あれっすか?」
サンガがレンツとルークに聞く。
「大体はな。でも今回は切れるまでが早かった。お前らもこっち来いよ。」
ルークに言われてソーマとグレイシーは輪に入った。
「あいつは、隊長が命みたいなもんなんだよ。それは俺達みんなそうだろうが、あいつの場合、微妙に恋愛感情が入ってる。多分だけどな。だから、数居る専門技術者から隊長に選んでもらえた事が誇りなんだ。だから隊長が居ないと、自分の存在や誇りも危うくなる。あいつにとって、任務の成功は隊長への愛情表現。なんでもいいから傍に置いてくださいってな。」
「尽くす相手が居なくなると、挫折するタイプなわけ。それに…」
レンツはちらとサティアを見て続けた。
「今までは隊長に一番近いところに居る女はミーナだった。でもサティアが現れて、それが変わった事に気付いた。隊長の姉だとは分かっていても…いや、だからかもな。隊長と一心同体に見える姉のサティアは驚くような美人で、色々なところで重要人物。隊長への忠義心でもミーナに勝てるところはない。」
「でも、姉弟なんだし…」
「そこだよ。恋愛とは関係ないが、傍に居る、という観点から見れば、血の繋がりのないミーナは確実に一番にはなれない。ミーナにとってサティアは、隊長と自分の間にそびえる高い壁。嫉妬と憧れ、でも良い面もある。普通、好きになった相手の、自分と同じ性の兄弟が自分が足元にも及ばない人物だったら、その時点で相手にも引け目を感じて近付けない。だから、他の奴には邪魔されずに済む。」
「それでは…サティアがまるで防虫剤みたいだ…。」
「言い方は悪いが、そんなとこだ。」
「では、皆、彼女は人間ではないと思っているのか?」
ソーマは腹立たしかった。あんなになってまで、アンセルを助けに行こうとしている彼女に相応しい言葉だとは思えない。
「…違うさ。俺はな。…だが、彼女がそう望んでいないのに、無理やり仲良しごっこは失礼だし、そうすれば彼女を含めた全員が戦い辛くなる。俺達が守るのは、彼女でなく国だ。これ以上彼女を知ってしまったら…。」
レンツは苦々しい表情で、間を置いた。
「だからお互いに距離を置いてるんだよ。身体を犠牲にしている彼女から、俺達へのその思いやりまで台無しにさせ、傷付けたくないんだ。」
「多分、ミーナも、嫉妬とは逆の意味で、サティアを連れて行きたくないはずよ。なんと言っても隊長の姉であることは変わらない。もし何かあった時、辛くなるのは隊長なんだから。」
横にジリーが一人で立っていた。
「あれ?…サティアさんは…?」
「力の温存の為に寝かせたわ。」
…微妙な関係。ジリーはこの五人を見て思う。ソーマとレンツは完全にサティアを女性として見始めている。無理もないだろう。強く気高く美しいのに、自分以外のものに対する優しさは半端なものではない。惹かれない人間がいたら見てみたいものだ。隊長という壁がなければ、彼女と自分だけの安全な場所に拘束しておきたいくらいだろう。女でいながら素晴らしい学歴と仕事に恵まれた自分でさえ、彼女に惹かれる。たった一言、助けて、と言われたら、すぐにでも望むものを与えてやりたい。だから彼女はその一言を絶対口にしないのだ。叶ってしまう事が分かっているから…。


「リン様!大変です!」
ノックも一言もなく、リンの部屋に男が息を切らせて飛び込んできた。
「敵襲か!?」
「…いえ、セルーナ様が…。」
「発作か!?」
「居ないんです。どこを探しても…。」
「何?…まさか誘拐…?」
「分かりません。ただ、争った形跡もないので、ご自分で出られた可能性も…。」
どういう事か、全く分からない。…ソーマを追った…。いや、それは違うはずだ。彼らの任務の事を知っているはずがない。
「それに、セルーナ様ご自身が扉を開けようとしなければ、外からはリン様か、その指令を受けた者しか開けられないんです…。」
「護衛たちはどうしたんだ!?」
「それが…緊急の戦闘に出ていたようで、確認しましたが、かなりの時間、あの部屋の護衛はなかったようです。」
…何てことだ…。リンは部下を叱り付ける気力も残っていなかった。多分、セルーナは自分で外に出たのだろう。長い時間放置したせいで、どうなっているかを案じて出たのだ。出た先には、戦場。セルーナには地獄絵図と感じたに違いない。なのに何故引き返さなかったのか?理由が分からない。既に殺されているか、偶然の拉致ならセルーナの力が分かったと同時に奴隷として利用されるだろう。必然の拉致の可能性は低い。あの場所は、ごく限られた者しか知らないからだ。何故、もっと注意しておかなかったのか…。
「・・・他の者には?」
「いえ、まずリン様に、と…」
「賢明な判断だ。ご苦労。暫く…アンセル達が帰るまでは、胸に仕舞っておいてくれ。」
アンセル達の帰還。それまで持ちこたえられるか…。リンは遠くくすんだ空を見やった。


 アンセル達は敵の銃弾を方々から浴びせられながら、悠然と最短距離を駆け抜けていた。
「走るのは嫌いだけど、こんな風に堂々と通れるのは気分がいいねぇ。」
「ええ。敵の数もどんどん減ってる。この分なら、空挺は無事だろう。」
「カイル殿!ディンの空挺まで後少しです。頑張ってください!」
「了解~。」
陽気な声で答えたが、実際カイルは限界を感じていた。地下研究室での力の使用が大きすぎた。空挺までがぎりぎりだろう。しかし、生き抜かなければならない。でなければ、サティアにはもう会えないからだ。報われない想いだと言うことは、カイル自身が一番肌で感じている。それでも、どうせなら、彼女の腕の中で死にたい。
「見えました!無事です。」
「追っ手は?」
「ほぼ完全に撒いたでしょいう。カイル殿、もう大丈夫です。」
とは言われても、空挺までの数メートルで油断する事は出来なかった。アンセルが膜を飛び出し、名乗りながら空挺のドアを叩く。その声に反応して扉が開いた。
「隊長!無事でしたか!?」
「ああ。あっちの皆もな。」
「良かった。早く入って下さい!」
結局カイルは空挺の中に入る直前まで、膜を張りつづけていた。
「状況は?」
「この空挺は発見されていません。今のところですが…。」
「ああ。俺達が来たからには、ばれるのも時間の問題かもな。」
「それより、退去進路になっている方角に、無数の兵が置かれています。強行突破は無理に近いでしょう。」
「道理で…追っ手が少ない訳だ。検問のつもりか…ただでは帰さない。そういうことだな。リアズとは?繋がっているか?」
「…それが、向こうも戦場になったようで、その直前からは全く。」
「…やはりそうか。行き止まり、ですね。」
「そうでもないと思うよ。」
「何か策でも…?」
「うーん、いや、策っていうか、いつもの勘…。色んな人の性格と絆と感情的に、アンセルの残りの部隊が助けに来てるような気がする。」
「!?こちらに、ですか?」
「うん。リアズが戦場になってて連絡すらつかないって事は、相当押されてるって事でしょ?」
「ええ。」
「だったら、リンも敵の目論見に気付いて、我々が同じく危機的状況にあることも、もう分かっているだろう?」
「ならば、より助けの来る可能性は薄いのでは?」
「いや。逆だね。見捨てる筈は絶対にない。それに分断された、優秀であっても完璧でない部隊を、無理して使って潰すより、私なら、思い切って格下の兵は捨て、精鋭部隊を温存しておきたい。時間はかかっても、完全無欠な部隊と切り札を手にしている方が、一度は追い詰められても、後々戦況を変化させられる可能性が大きくなると思うんだよ。特に今回は、君達姉弟を分断できたからこそ攻め入った感がある。」
全員が考え込む。全くの憶測に過ぎないが、一理あることは確かだろう。
「それに、リンの性格…は、皆はよく分からないだろうけど、他の隊員はどう?アンセルや君達が危機の最中にいると分かって来ないはずがない、と思わないかい?」
「ですが…リン様がそう指示を出すかどうか…。」
「彼女ならそうする。理想の高いリンだが、結局アンセルみたいに実現力のある奴がいないとその思想を貫けない。それに意外と情に脆いし、結局セルーナと同じくお嬢さんなんだよ。…だから、多分来る。」
そう、そして多分、サティアも来るだろう。あの力で、道無き道を造るために。会えるかも知れない喜びと、あの力を使わせてしまう申し訳無さの狭間で、カイルの心は締め付けられた。
「では、カイル殿の言った事を基準に、救助を含めた俺達以外の分子がどう動くか、あらゆる筋書きを用意し、即時に対応できるよう、準備だ。即興でどこまでやれるかが勝負になる。」
憶測に過ぎなくても、今持てる希望と、今出来る事はそれしかない。それに、アンセルにも妙な確信があった。他の者に絶対とは付けられないが、サティアだけは、必ず自分の元に現れる。例えそこに、何が待ち受けていようとも。


 歩いても歩いても、そこにあるのはただの瓦礫と煙だった。誰とも遭遇せずにここまで来れたことが不思議だ。自分は弱くて一人ではどこにも行けないのだと思って生きてきた。…違う。本当は違った。周りの言うことに、素直に従っていたから気が付かなかっただけ。自分の周りの人間は皆味方だと思っていた。でもそれが違っていたのと同じなんだ。思い込まされて、利用されて…私の方が優れているのに何故従わなければならないの?騙されていた。いくら私の力が必要だからって、そんなのはおかしい。そう思うと、セルーナの口から笑い声が漏れた。少しずつ、その声が大きくなる。
「…どこにでも行ける…何でも出来る…選ぶのは私…」
そう言って見上げた空に敵艦の頭が見えた。…あそこに行こう。赤黒い空挺の頭部が、甘いチョコレート菓子に思えた。あそこなら、きっと私をちゃんと見てくれる。セルーナは駆け出した。近付く毎に、敵兵の姿が大きくなる。みんな私を避けている。怯んでいるのだ。この私に。セルーナの常軌を逸した自信と優越感は、最高潮に達していた。実際、敵兵は裸足で髪を振り乱した不審な女の出現に、どう対処をすべきか迷っただけなのだが、今のセルーナにそんな事は分かるはずも無い。真っ直ぐに敵艦の入り口に立つと、セルーナは声の限りに叫んだ。
「話があるの!中に入れて!」
いきなり騒ぎ始めたおかしな女に、敵兵はやっと、彼女を抑えようと掴みかかってきた。
「離しなさい!」
金切り声で言うと同時に、神術で回りの人間を全てなぎ払う。
「…あ、あんた…一体…」
「私?…私はセルーナ。今は亡きタイラ国の王女。セルーナ・ペアセよ!」
その言葉に周囲の者がどよめいた。しかし今のセルーナにはそのいぶかしむざわめきも、自分への称賛に聞こえる。
「私の力は分かっているでしょう?さぁ!早く扉を開けなさい!話があると言っているでしょう!?」
扉は開く気配が無い。馬鹿にされている。また、皆、若くて弱い世間知らずな小娘だと馬鹿にしているのだ。
「いいこと!?私は王女なのよ!?その扉をこじ開けることもできるわ!早くなさい!でなければ…」
セルーナが扉に向かって神術を放とうとした瞬間、じわじわと扉が開き始めた。周りの兵達は驚愕しながら、傅くようにそそくさと地面に頭を伏せた。
「随分無謀なことをされる方ですのね…」
完全に開いていない空挺の暗がりから、声が聞こえる。
「ようこそ。王女セルーナ様。存じておりますわよ。私達は来る者は拒みません。さぁ、中へ…。お話致しましょう…」
セルーナは圧倒されながらも開かれた扉の暗がりに進んで行った。相手の顔はよく分からないが、見覚えのある後姿だった。揺れる暗い色の長い髪。もっと顔を見ようと近付いた瞬間、背後の扉が閉まる大きな音で、反射的に後ろに振り返ってしまった。再びその姿に視線を戻すが、中は薄暗くてよく分からない。
「…あの…貴方は…?」
どんどん奥へ進んでいく、見覚えのある後姿が少しだけセルーナに顔を傾け、言った。
「私は、サティア。」
「え…そんな…だって…」
確かに、その見覚えのある後姿は、セルーナの記憶しているサティアにそっくりだった。
「私こそが、本物の、サティア。」
本…物…?
「分かっていただけた?」
でもサティアはリアズに…。いいえ。それも、私は騙されていたのかも知れない。ずっと自分を騙し続けてきた人達よりも、この人の方が正しいのかも知れない。…選ぶのは私なのだ。そうだ。あの時見た、彼と彼女も偽者だったのかもしれない。本当のあの人は、きっと本当にコウ国でホルスに殺されたのかも知れない。
「ええ。よろしく…サティア。」
もしも、この時、鏡があったなら、彼女は自分の微笑が歪んでいることに気付いたかもしれない。しかし、今ここに自分を映せるものは、自分の中にしかなかったのだ。


「エルド大佐!見えてきました!」
「ん…すごい数だな…。」
離れた距離からも、空挺や兵が分かる。まるで壁のように進行方向で連なっているのだ。
「隊長が逃げるにしても、こちらから来るにしても、通過するのはここしかないという事は分かっているようだな。」
「数だけの馬鹿集団じゃないって事かしらね。」
「うーん、それは指示を出した人間だけね。後は命令に従っただけでしょ。ここが一番危険な場所だって分かってる奴は居ない筈。いたらそれこそ本物のお馬鹿さんね。」
「ミーナ、サティアの配置は?」
「大体決めました。多分、隊長たちはあの山の頂付近に居るでしょう。そう考えると、手っ取り早いのは、この空挺で一気にそこまで突っ込み、その途中、敵陣中心にサティアを降ろす。上手く発動してくれれば、後は隊長に事態の収拾を任せて、サティアを保護し、悠々と帰ることが出来る。」
「サティアが不発、ないし、規模が小さすぎた場合は?」
「みんなで心中ってとこかな。」
「後がないって事か…。」
「でも、そもそも降ろす時にこの艦が攻撃に耐えられるかどうか。だから…」
「大丈夫。」
ミーナがまた別の考えを言おうとした瞬間、振り返ると、寝ていたはずのサティアがそこにいた。
「これを使う。だから、そんな事にはならない。」
彼女が手にしていたのは、圧力式の注射器。彼女に対する数々の実験で使われてきたものだ。
「投下位置到達直前に私はこれを打つ。そしたら、そのまま速度を落とさず、私の意識が完全に飛ぶ前に、装備なしの私を突き落として。地面に到達する前に発動させる。」
ソーマに向かって言う。まだサティアの中では、自分が不在の時はソーマに任せろと言ったアンセルの言葉が生きているのだろう。全てが終わったら自分を消して、と頼んだ気持ちも重なっているようだった。
「何言ってるんだ!?落下までに発動できなかったら…それより、それを使った時の力の規模を考えると、体が持たないんじゃないのか?死ぬかもしれないんだぞ?」
「どっちにしても死ぬかもしれない。なら、これにかけてみる方がいい。他にいい案がある?それに、一度艦を止めたり速度を落として投下したら、発動した時みんなを巻き添えにする確率が高い。」
「しかし、俺には…。」
「これなら私が発動後も生きていた場合、昏睡時間は短い筈だから、自力で逃げられるかもしれないし。」
「お前は…物じゃ、ないんだぞ…?」
真剣にサティアを見つめるソーマに、サティアも真剣な眼差しを返した。
「…ソーマができないなら、他の人がやって。私はこの為にここにいるの。…ジリーならできるでしょ?」
「ええ。それがあなたの望みなら。」
「お願い。」
「ちょっと待って。死…。最悪の事態が起きてしまったら…隊長に何て言えば…」
言い出した本人のミーナも、動揺している。そこまでしようとするとは、思っていなかったからだ。
「役に立てなくてごめん、全て忘れて。…そう伝えて。」
優しく、囁くような声だ。しかし、その中に、動かすことの出来ない強い意志を感じる。
「…分かった…。」
ミーナは絶対的な敗北感を感じた。いくらアンセルを思っても、自分が彼女の立場だった時ここまで出来る自信がない。彼女と隊長の絆への嫉妬で、軽い意地悪から口にした作戦案だった。どうせそうはならないと高を括っていた。まして、サティア本人が聞いているとは思わなかったのだ。こんな状況ですることじゃない…。嫉妬心を燃やした、甘い考えの自分に腹が立つ。今までとは全く違う意味で、サティアは人間ではないと思った。言うこともやる事も、感情も、人知を遥かに超えている。もし自分なら、自分の生死がかかっているのに、役に立てなくてごめんなどとは到底言えないだろう。自分自身を物だと言い切った、サティアの言葉の深さがようやく分かった。
「…決定だな。俺も他に何も思い付かない。サティアが発動しなければ、俺達も生きて帰れはしないかも知れん。覚悟は?」
「とっくに。なぁ?ルーク?」
「当たり前だ。俺よりグレイシーに言えよ。」
「先輩方、俺に限ってそれはないって分かってるでしょう。大体、覚悟出来てない奴なんているのか?」
グレイシーが振り向いた先には、サンガとソーマ。黙ったまま、眉間に皺を寄せているソーマに気付き、サンガが慌てて答えた。
「いや、確かにちょっとビビッてますけど、大丈夫っすよ。な?ソーマ…ソーマ?」
「あ…ああ。」
「お前…大丈夫か?」
「ああ。大丈夫だ。すまない。覚悟は出来ている。」
ソーマの様子が気になったが、気を取り直してエルドは進行方向に向き直った。
「よし。では、全速前進!」


「隊長!海上から一機、高速で近付いてくる空挺が…」
「敵か?」
「いいえ…多分、あれは…エルド大佐のです…ほんとに来た…」
「間違いないのか!?」
「は、はい!間違いないです!…やった!助かる!」
「ほら、言った通りでしょ?やっぱり私は天才的だな。こんなに長い時間、狭い所に男ばかりはうんざりしてたところだよ。」
「それにしても速度が早過ぎやしないか?」
「はい。敵機も対応できずにいるようです。」
「あれでは、ここに着いても帰りが…」
しかし、エルドはそういう勢いだけの馬鹿はしない。どういうつもり…。
「通り魔をする気だろうね…。凶器は彼女…。」
「…サティア…ですか…。」
来る気はしていた。しかし、こんな状況になるとは思っていなかった。カイルとアンセルの顔が曇る。


「投下地点まで、後三十秒切りました。」
「了解。」
ジリーがサティアを突き落とす扉の前で、彼女に薬を投与する。
「ジリー。」
ソーマが唐突にジリーとサティアの間に入った。
「何?」
「発動しなかったら、意識が混濁した状態のままで、神術を使う余裕はないな?」
「ええ。」
「と言うことは…」
「緩衝材が無いんだから、当然地面に叩きつけられる。彼女は分かってるわ。それでもこれを望んだの。」
「後十秒!」
ふらつくサティアの後ろで扉が開いた。物凄い突風が機内を吹きぬける。だが、サティアは既に状況が分からないところまできていた。
「それじゃ…」
「待て。」
「今更何を…」
「俺ならこいつの緩衝材になれる。」
そう言って、ソーマは扉を背にしているサティアの腹部に腕を回し、開け放たれた扉から彼女を連れて、勢い良く空中に飛び出した。
「!…ソーマ!…」
全身にこの世界の重力を感じながら、ソーマは後ろで自分の名を呼ぶ声を微かに聞いた。しかし、ソーマが聞きたいのは、今隣に抱いているサティアが、自分を呼ぶ声だけだった。


 エルドの艦は勢い良くアンセル達に向かってきていた。出せる速度の限界まで出しているだろう。
「…あ!」
その艦の後ろで、小さな黒い球体が地面すれすれの空中から、次第に広がっていく。それを黙視すると同時に、鼓膜を引き裂くかのような、あの高音が届いた。…間違いない。サティアだ。
「すごい!あれなら向こうは全滅間違い無しですよ!大佐の艦は上手くあの膜より先にここに到達しそうです!」
「…ああ。」
「…隊長?大丈夫ですか?顔色が…」
「いや。大丈夫だ。」
きっと、サティアに同調しているだけだ。無理矢理続けた実験で、あいつの身体は限界に近いはず…。にも関わらず、この規模の発動を起こしたなら、薬を使ったに違いない。いつか本当にサティアを失う事になるかも知れない事は、再会した時に覚悟していた。今更動揺など…。
「救助が着いても、すぐにここから出るなよ!いいな?」
「は、はい。了解しました!」
アンセルはそう言って、復帰した通信機を手に出口に向かう。
「どこに行くのかな?」
「…必要な所まで破壊が済んだら、すぐに止めなければ救助の意味がなくなってしまう。カイル殿も、あれで死にたくはないでしょう?」
「私は、彼女になら殺されてもいいと思ってるよ。」
「流石、浮名の数は伊達じゃない。いい殺し文句ですね。」
いつもと変わらぬ笑顔を返し、扉に手をかけたアンセルの背中に、カイルは呟いた。
「…生きていると思うか?」
「…分からない…。」
「…そうか。じゃ、気をつけて。」
「はい。」
外に出ると、高速で近付いてくる味方の艦と、その後ろに広がる巨大な黒い膜が、より現実的に見えた。…救助の意味がなくなる…。本当はそんなことより、早くサティアの力の放出を止めるためだ。そうすれば、今回はまだ、サティアを失わずに済むかもしれない。


 ジリーは閉ざした扉の内側で呆然としていた。一瞬の出来事で、起きた事を処理できずにいる。まさかこんなこと…。
「大佐!隊長が膜に向かっています!」
「よし!こっちの意図は伝わってる。気を抜くな!…ジリー。」
「…は、はい…。」
「今は考えるな。誰のせいでもない!それより、到着時に負傷者がいた場合に備えろ!」
「…分かりました。」
「皆もだ!いいな!」
エルドの言葉に全員が無言で頷いた。任務はあくまで隊員、そしてアンセルの救助だ。犠牲は付き物。それを覚悟の仕事だ。感情に影響されて本務を疎かにしてはならない。
「目標到達まで、残り二十秒!」
その時丁度、エルドの艦とアンセルがすれ違った。艦後方の窓に駆け寄ったミーナは、黒い膜を綺麗な白い灰に中和していくアンセルを見た。どす黒い膜を包み込む輝く白い光。隊長はどこまで気付いているだろう。
「隊長は?中和はどうなっている!?」
「中和はもうすぐ終息します。隊長に変化は見られません。」
「では、着陸に入る!レンツ、ルーク、グレイシーの順で隊員達の保護に向かえ!サンガは入り口で敵が来た時に備え、救助された隊員を中に誘導しろ。」
「了解!」
轟音と、砂埃を巻き上げながら、エルドの艦が地上に下りた。レンツ達はディンの小型艦へ向かい、扉を叩いた。
「レンツだ!全員無事か!?」
声を待っていたかのように扉が開き、イリヤが飛び出してきた。
「良かった!早く助けて!」
「分かってる。もう助けてるだろ?落ち着け。グレイシー!イリヤをエルド艦まで誘導しろ!」
「了解!イリヤ行くぞ!」
「ぅわっ」
イリヤはグレイシーの野太い腕に担がれてエルド艦に入っていく。
「ディン!残りは?」
「私と、カイル殿とクォン、ラルド…後は隊長です。」
「分かった。クォンとラルドは単独で行けるな?」
「はい。」
「では、俺がカイル殿を援護する。ルークはディンを!」
「了解しました!」
「でも!隊長は…」
「馬鹿!それはお前達の保護が終わってからだ!行け!」
ごうごうと吹き上がる砂埃の中で、アンセル以外の全員がエルド艦に退避する事が出来た。奥に進む通路を歩きながら、ディンがレンツに聞いた。
「…で、隊長は…?」
「今、回収に向かってる。」
「サティアのですか?」
「…ああ。多分、サティアだけ…だろう。」
自他共に認める耳聡いカイルがレンツの言葉に疑問を抱く。
「レンツ君…?その意味は、艦の中で教えてくれるのかな?」
「…はい。」
「分かった。ならば先を急ごう。」
奥に入ると、すぐにカイルは先程の言葉の真意を問いただした。
「ここに居る筈の者が一人居ないね?」
カイルの言葉に、ミーナは恐る恐る口を開いた。
「サティアをあの位置に降ろすと提案したのは私です。でも、空中からの投下は…」
「…彼女が言い出したんだね?」
「…はい。薬を使うから、意識が飛ぶ前にここから突き落とせと。最初はソーマに頼んでいましたが、ソーマは…」
「渋った。」
黙り込んでしまったミーナの代わりにジリーが答えた。
「はい。それで、私がその役目を。そしてその後…直前になって、彼女が発動しなかった場合に神術も使えない状態では、地面に叩きつけられるのか、と聞かれて…」


 雪であったら良いのにと思うほど、破壊された範囲は広かった。その中心部に近付くにつれ、アンセルに不穏な空気が漂ってきた。微かに見える、横たわった人間の大きさが違う。二人…?まさか、そんなはずはない。あの膜の中で、生きていられるはずが無いのだから。それにしても、やはり、何かがおかしいと思う。アンセルは駆け出した。辿り着いて愕然とした。呆然としたまま、通信機で連絡をとる。
「どういうことか分からないが、誰か応援に来てくれ。」
“アンセル?こちらはカイル。ソーマはいるのか?”
「はい…。…何故それを?」
“生きてる?”
「ええ。二人とも。どちらも意識はありませんが…。一体…」
“それはこっちに戻ってからにしよう。ジリーとルークを向かわせる。いいか?”
「…はい。了解です。」
ぐったりと仰向けに横たわるサティアの隣に、彼女を抱くように片腕をかけた姿勢のソーマがいる。双子だったと知ったばかりの姉と、血縁だと分かったばかりの親友が、そこにいた。


 二人を艦に引き上げると、すぐに艦は帰路に付いた。目指すリアズとは、未だに連絡が取れない。二人はジリーの処置を受け、別室にいる。その他の全員は司令室に集まっていた。アンセルはまず、二人がなぜああなったのかを聞いたが、誰かを責める事はしなかった。ソーマもサティアもやりかねない事は分かっていたし、それを止められる人間が居なかった事も頷ける。第一、そのお陰で全員が助かった事実は変わらない。
「隊長。…私が、私の読みが甘かったんです。」
「いや。ジリーのせいじゃな…」
「あったんです。同じ事が…。」
「同じ事?」
「…はい。ここに来る直前、サティアは小さな黒い膜に閉じ篭っていました。」
「ああ。さっき聞いたが…?」
「本当は、彼女が自分から、出てきたんじゃないんです。」
「どういう意味だ?」
「黒い膜にいる彼女を…ソーマが引き出したんです…。黒い膜の中に腕を入れて。私は偶然居合わせて、止めに入りましたが、ソーマに弾き飛ばされて、結局見ているだけに…。その後治療しようとしましたが、その必要はありませんでした。彼の腕は、多少火傷している程度で全く問題無かった…。私はそれを偶然としてしか意識してなかった。でもソーマは偶然とは思っていなかった。もし私がそれを考慮に入れていれば、彼がサティアの緩衝材になると飛び出す事も、予想できたはずなんです。なのに…」
「いや。それでもジリーのせいではないよ。普通なら誰だって偶然だと思うさ。向こう見ずなソーマ君が、偶然と思わなかったのは、血だよ。」
「ち…って…?」
「血。身体に流れる赤いやつ。遺伝子的直感かな。」
「カイル殿…それはまだ…」
「いーよ。もう。あの馬鹿ソーマは、死んだ筈の元リアズ王、ソーマ・アヌ・リアド。私の従兄弟様。自分も戦場に立ちたくて、死を偽装したんだよ。…で、私達がシレンセで調べてきた結果、彼とアンセル、サティアはリアドの血縁者。だから、アンセルがサティアの膜を中和できるように、ソーマもあの膜の影響を受けないのかもしれない。それをソーマ君は直感的に感じたのかも。」
「リ、リアドの血縁!?それは…前王の私生児とか…」
「いや、それがまた複雑なんだよねぇ。その辺は…イリヤ君。あの難解な説明、お願いね。」
カイルがイリヤの肩を軽く叩く。イリヤは待ってましたとばかりに、楽しそうにデータを開き、説明し始めた。
全員内容は理解できたが、ソーマの正体も相まってか、現実感が無いようだった。当たり前だろう。当のアンセルさえ、確たる現実感を持っているわけではないのだから。サティアが知ったらどうなるだろうか。アンセルがそうだと言えば、彼女は頷き、全てを飲み込む。でも、心の内は違うだろう。きっとまた、自分は一生アンセルに迷惑をかけながらしか生きられない、そう思う気がした。自分の存在が、アンセルの足枷にしかならないのだと、思い込んでいるのだ。アンセルがそうじゃないと言っても、それがアンセルの気遣いなのだとサティアは優しく微笑むだけだろう。…迷惑をかけるのと支えるのとは違う。アンセルは、肉親としてだけではなく、サティアを支えていきたいのだ。サティアをただの一人の人間として。それが自分の一生の仕事、誇れる仕事なのだ。それに、事実、アンセルはサティアに幾度も命を救われている、自分が生まれたその時でさえ。あの記録を見る限り、サティアの誕生の成功が無ければ、アンセルがこの世に誕生する事はなかったと示しているも同然だ。アンセルに危機的状況が訪れる度に、サティアは身体を張ってそれを止めにゆく。枷になっているのは、寧ろ俺の方なのに…。
「サティアには、俺から話す。」
アンセルは誰とも無しにそう言った。
「じゃ、ソーマ君には私から話すよ。…正体バラした事もね。」
ソーマ…彼は理解できるだろうか。この複雑に絡み合う神の遺伝と関係の構造を…。カイルは想像力に乏しい従兄弟を案じた。それに、ジリーが目撃した事も気になった。その時点ではあの黒い膜に触れることは死を意味していた筈だ。にもかかわらず、ソーマはあんな事をした。その気持ちは、もうアンセルの救助やそういった名目の元の行動ではないと感じる。彼女を生身の人間として見たのだ。そして、その延長で数時間前、あんな突飛な行動に出た。カイルは先程、自分で遺伝子的な直感だろうとぼかしたが、多分違う。ソーマも自分と同じ様に、サティアを見ているのだ。ソーマも恐らくジリーの見た現象は偶然だと思っていて、飛び出していった時も、発動したら自分が死ぬことを覚悟でやった事だとカイルは思う。
「…隊長…」
エルドが放心したように、アンセルを呼びかけた。
「何だ?」
「…ありません。」
「何…?」
「リアズがない。…全て破壊されています…」
「何だと!?」
全員が正面の窓に駆け寄る。
「…何よ…これ…」
ミーナが座り込む。
「奴の言ったこと…ただの脅しではなかったな…。」
眼下には、荒廃した国の残骸だけが残っている。ギルの言葉通り、彼らの帰る場所は、既に無くなっていた。

『Ⅳ;ヒト』

 アンセル達は、かなり上空からリアズの惨状を窺った。人の気配や破壊の状態までを具に観察したが、ここがかつてのリアズではない事だけが明確になっていくばかりだった。こうしていても仕方が無いと、断腸の思いでリアズに背を向け、ティティに向かった。ティティは多少の被害が出ているものの、まだ人が住む場所としての機能は残っていた。宮殿の裏手に上陸すると、カイルの秘書が出迎えてくれた。ソーマとサティアは眠ったまま、艦から敷地内の医療施設へと運ばれていった。
それを見届けた後、皆無言で一先ず宮殿に入る。秘書は黙ったまま、奥の部屋へと彼らを導いた。秘書が奥まった部屋の扉を開け、入り口から中を見せるように身を引いた。
「…リン!」
窓辺に座るリン=セイに全員が駆け寄った。
「みんな…!生きていたのね!」
「それはこっちの台詞だ!大丈夫か?」
「ええ。命だけは…。」
そう言って捲った膝掛けの下には、右足だけしか見えない。
「…また逃げるしかなかった。…ソーマとサティアは?」
居ないことに気付いて青くなったリンを見て、アンセルが笑顔を作った。
「大丈夫です。心配には及びませんよ。」
「…本当に…?じゃ、今どこに…」
「大丈夫!その話は置いといて、私はリアズで何があったか、まず聞きたい。悪いね。ここは私の国だから、私に従って貰うよ。話題もね。」
腑に落ちない顔で頷くリンを見て、秘書が話の糸口を語る。
「リン=セイ様は逃げたのではありません。カイル陛下に仰せつかった事を実行し、我々はリアズに援軍を送りましたが、対抗するには余りに非力で、その任務の殆どを救助に回しました。…すみません。」
「何故誤るんだい?私が命じたのは救助で、君達はそれを実行しただけだ。ありがとう。良くやった。」
「いえ、最初に私は命を守らず、戦おうとしてしまいました。しかし、陛下の仰った通り、我が軍は非力でした。その為に、犠牲を出してしまった…。申し訳ありません…。」
「いや。それは多分、君のせいではないだろう?ねぇ?リン?」
「ええ。彼らが来てくれなければ、足一つでは済まなかったわ。戦うことに執着して、私は彼らの避難要請をすぐ受け入れず、結局彼らを巻き込んでしまった。私自身瓦礫に足を奪われ身動きできなくなってから、やっと避難命令を…。」
リンが申し訳無さそうに目を伏せた。
「君の性格は分かってるよ。私達…。アンセル達の帰る場所を守ろうとか、そんなところだろう?ちゃんと計算に入れてある。…犠牲になった者にはすまないとしか言い様が無いが、それが一国一城の主の役目だ。」
そう言われて、リンは恥ずかしくなった。気ばかり張って、先の事は何も見えていない。平和だった頃、ふらふらとしているようにしか見えなかったカイルの方が、今は国王としての責務を一番果たしている。
「それに…セルーナも…消えてしまったわ…。」
「消えた?」
「ええ。アンセル達の救助に向かわせた後気付いたの。その時にはもう連絡が取れなくて…。」
「誘拐…ですか?それとも…」
「分からないわ。ただ、誘拐だとしても、計画的なものでは無い筈。多分セルーナは自分から地下の避難部屋を出たんだと思う。かなりの時間彼女を放って置いたせいで、セルーナは心配になって外に出たんじゃないかと。その時、丁度護衛が持ち場を離れていたの。外からは開けられないし、まさかセルーナが自分から出て行くとは思わなかったんでしょうね。私もそうだった。だから、あんなに長い時間…。でも、彼女が外の惨状を見て、どうして引き返さなかったのか分からない…。」
「私達を助けに向かったソーマ君を追おうとしたとか?」
カイルの言葉にリンが戸惑う。
「あ、そうそう。あれ、バレたから。と言うか、バラした。話がどうもややこしくなるし、あの馬鹿は自分で秘密を守りきれてないし、どうせ時間の問題だから言っちゃった。実際今はもう国としてのリアズも無いし、いいでしょ。…で?どうなの?」
「え…あ、ああ。その可能性はないわ。誰も救助に向かった事は知らないの。」
「ふーん。どの位放ってた?」
「戦闘が始まってすぐからだから…一日以上かも…。」
「おお…それはまた…可哀想なことを。」
カイルは驚いたような、呆れたような微妙な顔で、少し笑いながら言った。
「ごめんなさい…。一ヶ月は持つ食料もあったし…」
「分かってるよ。こっちは戦争だ。お嬢さんのお守りなんかしてる場合じゃない。」
「そんなつもりは…」
「事実は事実。つもりはなくても実際そうなんだから仕方ない。」
「…生きていると思う?」
「…うーん…。分からないけど、私の希望的には、生きていて敵に囲われているよりは、死んでいてくれた方が助かる。彼女の力を敵が知ったら…」
「使われるわ。そして、私達はもっと危険になる。」
「君もやっと青さが抜けてきたね。良かった。私とアンセルだけじゃ、心許なくて。」
「カイル殿、俺は貴方ほど軽くありませんよ。」
後ろから聞こえた鋭い声に振り返ると、アンセルがにやりとしていた。
「ちょっと!脅かさないでくるかなぁ。本気で怒ったかと思ったじゃない…。」
「そろそろ、イリヤがあの難解な説明をしたがってるので、カイル殿のお喋りを止めようと。」
「ああ、そうか。お願いね、イリヤ君…って、ちょっとアンセル、私は世間話をしてるわけじゃ…」
「イリヤ、日記の内容も含めて頼む。続いて、ジリーが今のソーマとサティアの状況を報告します。」
カイルが久しぶりに硬い表情を取ったのを見て、アンセルは含み笑いをしながらカイルに詫びた。これがあってこそ、カイルの実力は発揮されると、アンセルは思っている。そして自分もそういうカイルの傍にいる事で、一番良い状態の自分を保っていられる気がする。他の隊員達にとって、自分が何かに対応する時の表面的な感情がどう影響するかを考えても、これくらいの力の抜き具合を見せておいた方が良い。例え親友と双子の姉が昏睡状態でも…。そうだった。今はカイルもソーマも、サティアの事を自分以上に思ってくれている。弟として、それは嬉しいことだが、それによって、カイルとソーマの間に溝が出来てしまうか心配だ。それに、今回は無事だったが、サティアをこのまま使っていけば、確実にその命を縮めてしまう。サティアは圧倒的な力を持っている為に、使わざるを得ない。それに苦しむ者が、一人二人と増えていっている気がする。その為に強くなるか、弱くなるか…これは全く未知数だ。


 目覚めると、目覚めたのか疑問を抱くほど真っ白な部屋にいた。心拍の状況を知らせる電子音。病院か…。電子音が複数聞こえている事に気付く。はっとして横を向くと、サティアが同じ様に眠っていた。…生きていたのか…。喜びと切なさで、ソーマは胸を詰まらせた。手元に置かれたブザーを押すと、医師達が駆けつけた。
「大丈夫ですか?…陛下に知らせを!…今から精密検査をさせて…」
「待ってくれ。俺は大丈夫だ。それより彼女を…サティアを別の、医療機関で無いような普通の部屋に移してくれ。そっちが先だ。」
「し、しかし…」
「早くしろ。死にたくないならやってくれ。」
「は、はい!」
彼女は点滴や機器ごと別室に運び出されていった。…これで、目覚めた時混乱せずに済む。一人になってしまった部屋は寂しかった。ここはリアズではないようだ。一体どうなったのだろう。自分に対しての扱いを見るに、敵陣ではない。多分ティティだろう。ということは、全員無事だということか…リアズ…以外は。自分が目覚めたことはすぐ伝わって、アンセルとカイルがその内やってくる。だが、その前に、地上へと落下していく中、発動直前のサティアとの状況を伝えるべきか、迷った。あの時…彼女は薬で朦朧としていたはずなのに、直前でソーマに顔を向け、あの、恐ろしい筈の黄色い瞳と割れた声で、『イキテ』と言った。誰に対してなのか、誰に対してのものでもなかったのか、それは分からない。その後自分の意識はすっと消えてしまった。不思議な感覚だった。その後、自分が生きていたことを考えると、やはりサティアは自分にそう言ったのだろうか?もしそうなら、状況や環境、人間関係の中で自分が変わったように、彼女の中でも何かが変わり、発動条件も変化していることになる。
「…お目覚めかい?ソーマ君。」
「カイル…」
「君が突拍子も無い事をするから、全てバラさずを得なくなってしまったよ。」
「なんだと?」
「君がリアズ王でないと、全ての話が繋げられなくなりそうだった。我々が入手した情報を開示していくためにはね。」
「…そうか。すまない。」
「話す前に、もう一つ聞いておくが、最初に黒い膜に入った時無事だったのは、ソーマも偶然助かっただけだと思ってたんだよね?」
「ああ。」
「飛び降りた時は、死ぬ覚悟で?」
ソーマが頷く。
「…分かった。じゃ、簡単に言うと、君はアンセルと同じくサティアの力の影響を受けない。多分リアドの血のせいで。サティアとアンセルは、初代のリアズ王とイトの子だった。で、私とセルーナは父違いのアノ二人の兄妹。グラセウスは、遺伝子上はサティアの子にあたる。君は僕達の一番近い親戚だ。生まれた順に言えば、長男が私で長女がサティア、次男がアンセルでセルーナは次女。君は皆の従兄弟。グラセウスは、はと子。…で、サティアとアンセルは、誕生した時期が違うだけで、本来は双子だった。…話、付いて来れてる?」
「ああ。だが、それと、俺が国王とバラすのと、一体何の関係が?」
明かしてしまったのは面倒になったからだったのだが、率直に言えば無駄な話が長くなる事は明らかだったので、カイルはソーマを煙に巻く事に決めた。
「推測だが、アノ黒い膜に影響されないのは、リアズの血を引く者だけだからだ。その理由は、多分イトよりも初代リアズ王の方が強かったから。そして、ここはティティで、居る理由はリアズが壊滅したからだ。リンは左足を無くしているが生きてここにいる。それからセルーナはどっかに消えた。」
「…。国王だろうが何だろうが、そんな事は無意味な状況だ…と、言いたいのか…?」
「まぁそんな感じ。ある意味、君が一番望んだ状況になっているよ。」
「そう…なってしまったな…。」
「セルーナは、良い方に考えて死んでるか、悪い方に考えると、敵に力を利用されて、こっちは苦しくなる。今はどっちともいえない。で?報告する事が何かしらある筈だが?」
掴んだはずの発動条件に変化が見られる。ソーマは黙ってしまった。これが良い方向に向かうことなのか分からない。しかし、言わなくてもその内に分かってしまう事でもある。その時言っておけば良かった…ということになるのは避けたい。
「君がそれだけ黙ってるって事は、何かあるんだね。言ってしまえ。ここならまだ、私と君しかいないのだから…。」


「…アンセル…?」
「ああ。気が付いていたのか。」
「うん。ソーマがあの部屋から私をここに移してくれた。」
今まで眠っていたと言う、医者の話とは違った。ソーマは気付いていただろうか…。サティアが自分以外の者にそこまで気を回すことは今まで無かった。こうなると、サティアとソーマの間に生まれた何かは、思った以上に大きいだろう。しかし、今はサティアが何事も無く目覚めてくれたことの方が重要だった。
「…そうか。今回の事、ありがとう。ソーマにも礼をしなきゃな。」
「うん。…シレンセのこと、聞かせてもらえる?」
「勿論だが、今でいいのか?もう少し休んでからでも…」
「今、聞かせて。」
サティアの即答からは、自分には時間が無いのだ、とでも言うような気迫が感じられる。
「…。分かった。複雑だから、覚悟して聞けよ。」
アンセルは、なるべく詳細に、かつ冷静に全てを告げた。サティアが気を失った後の事も。
「ソーマに異常はない?」
「今のところそういう話は聞いてない。だから多分大丈夫だ。」
「そう…。」
「安心したか?」
「…敵は、私達に何を告げようとしたの?真意が分からないの。ただリアズを潰すだけのためだったとは思えない。そう思って戸惑う事も奴らの計算の内…?」
アンセルの問いかけには応じず、サティアは全く違う話に意識を移した。まるでソーマに対する何かの想いを、断ち切ろうとしている様に見える。だが、今はその事に触れたくない。単に状況を考慮しただけではなく、アンセルの中の何かがそうさせた。
「さぁ、それも何とも言えないな。それより、言っておきたいことがある。」
「何?」
「お前は自分をものだと言うが、実際は物じゃない。…もし、自分が俺の足枷だと思ってるなら、それは間違いだ。」
「…ありがとう。」
「違う!そうじゃない。気を遣ってなどいない。世話になってるのは俺の方なんだ。だからそんな風に言わないでくれ。…もう、無理するのは止めろ。」
「…無理してるのは…皆同じでしょ?」
「ああ…。だが、お前の無理は度を越えている。そんなお前を見て、本当に物として扱える人間はいない。少なくとも俺の隊やソーマやカイル殿。みんな、無理を続けるお前に、更なる無理をさせたくなくて、自分達も無理をしようとしてしまうんだ。」
「私が…みんなの重荷になっているの…?」
「違う。ただ、覚えておいて欲しい。あの力だけがお前じゃない。もし力を無くしても、お前が死んでも、誰もお前を忘れない。勿論俺も…。」
「…ミーナに聞いたのね。」
「ああ。…お前を忘れるなんて出来ない。誰も…。だから、俺の願いを聞いて欲しい。」


「…うーん。発動条件の変化…ねぇ。」
「ああ。でも、ただの例外だったのかも知れない。」
「ま、確かに、何事にも例外はあるからね…。」
違う。例外じゃない。直感的にカイルは思った。
「そういえば、その、最初にサティアを膜から引きずり出した時の事なんだけど、ジリーが来る前はどうだったの?」
「…。俺は最初、ただ、話し掛けていた。ジオのことや…」
「ああ。あの死んでしまった子の事?聞いたよ。可哀想なことをした…。」
「それで、アンセル達を助けるのに、どうしてもお前の力が必要だと頼んだ。しかしそれも、矛盾したままの、自分の考えを押し付けている事に気付いて、自分に嫌気が差して…。とにかく応えて欲しかったんだ。」
「それで?」
「だが、無理矢理応えさせようとしていることも嫌になってきて、嫌なら俺をそのまま焼き尽くしてくれと言った。サティアがいなければ、結局救助も何もできなくなるし、傷付いて、物のように扱われてきた彼女を、あのまま置いて一人で戦わせるのは死ぬより嫌だった。それなら自分もここで終わってしまう方がいいかも知れないと思ったんだ…。」
「馬鹿だね。ほんとに君の馬鹿さ加減には腹が立ってくるよ。」
言いながら、ソーマに激しく嫉妬している自分に気付く。勿論、ソーマが無茶な行動を取ったのは事実だ。だがそれ以上に、自分の居ない間に、サティアとソーマがここまで近付いているとは想像もしなかった。以前のソーマなら、サティアに対してどころか、誰に対しても、そこまで積極的に接しようとはしなかった筈だ。油断していた…。そんな自分にも腹が立つ。
「…この、ばーかっ!」
「な!?だが、あの状態がサティアにとって幸せとは思えなかった!それに俺が本当に死んでしまえば、リアズはもう自由だ。神話や神の末裔などと言う、ただの肩書きのもとで争いは始まったんだ。それがいなくなれば、人間は本来の生き方をする事ができる…」
「じゃあ、その人間の中に、サティアは含まれているのか?言っとくが、サティアも私達と同じ…いや、それよりももっと濃く、神の血を受け継いだ者だぞ?」
「・・・。」
「たかが君一人死んだところで、話は変わらない。私達のように彼女に近しい者が残っていなければ、彼女は結局、『本来の生き方をする人間』に、物として扱われるだけだ。大体、リアズ一つの話でもないだろう。…なぜ、そこまでムキになって、彼女と艦から飛び出す事になった?」
ソーマは黙って、カイルから視線を外し、静かに告げた。
「有事の時は、自分の存在を消してくれと、サティアに頼まれた。」
「…本人が、言ったのか?…いつ?」
「戦闘になる直前。」
「何て答えたんだ?」
「答えられるわけが無いだろう!俺はあいつだけは殺せない!死ぬなら一緒だ!」
怒鳴った後、ソーマは頭を抱えて黙り込んだ。やはり、彼女の発動条件は変わっている。今まではアンセルの身を案じるが為に、敵への攻撃が趣旨だったが、今回は皆を…ソーマを守ろうとしたのだ。お互いに無自覚かもしれないが、サティアとソーマの間には確かな絆が生まれている。もしかすると、これはまずい事になるかもしれない。今までサティアはアンセルだけを考えていれば良かった。だが、今はソーマや自分やその他の者達まで、一人で背負い込もうとしている。その事は、多分、彼女の死へと導く原因になってしまうかも知れないことだ。ソーマの感情は、サティアに対して、同じくらいの自己犠牲を払えるところまで来てしまっている。その想いは自分も同じだ。一番大切な者と共に戦い、その相手を幸せにする為に互いを犠牲にする。これでは『戦争』ではない。どこまでも純粋な者達の暴力革命だ。
「分かったよ…。とりあえず、今日はここで休め。私はサティアの様子を見てくる。」


「どうだい?そっちは。」
「ええ。俺が入った時にはすでに気が付いていました。話もできる状態です。」
「サティア…お疲れ様。」
カイルは切なそうに彼女の髪を撫でた。
「いいえ。私はこれしかできないから…。」
「ソーマ君が君をこっちに移したらしいよ。」
「ええ。サティアから聞きました。」
「え…。それじゃあ、ソーマが目覚めた時もう起きてたんだね。」
「はい…。」
他人だったはずのソーマの厚意を素直に受けたのは、やはり、彼女の中でも、何かが変わったのだ。そこに、自分が入り込める場所は、まだあるのだろうか?カイルは取り留めの無い嫉妬心を胸に閉まって、話を切り替えた。
「今戦いの、敵の真意は、多分、この世界の異物はお前達だという事を我々に示したかったんじゃないかと思うんだよねぇ。もっと意訳すると、異物は異物らしく、隅でこそこそ生きて人間に仕えろ。…格差の象徴として、神族が挙げられてるわけさ。」
「格差なんて、どこにでもあります。しかし、それを神族一つに的を絞って集団を動かしている、切れ者か狂信的な統率者がいるわけですね。」
「ああ。そして、未だそいつの影さえ見えない。…こうなってくると、やりたくないが、向こうから数人捕虜を獲得して、情報を得るしかないなぁ。」
「そうですね。」
「…誰が…行くの…?」
心配そうにサティアが呟いた。
「まだ決めてないけど、どちらにしても、アンセルと君は一緒でなければ駄目だ。同じ鉄は踏みたくないからね。」
「カイル様とソーマは?」
「私は…目立ちすぎるから駄目。それに、この状況で、今またすぐに国を空けるわけにはいかない。…ソーマ君は…。」
行くと言い出すに決まっている。それに、アンセルとサティアをこっちに残すなら、ソーマを入れないとすると、有事の際に人員が足りないだろう。しかし、エルドは何かの時のため、操縦士として国に残しておきたい。こういう時に動けるのは、ソーマを含めた7人。これなら多くて3人は捕獲できるだろう。
「カイル殿、ソーマは行かせた方がいいかと。俺とサティアが残り、カイル殿も動けないとなると、神術を使えるのはソーマしかいない。あくまでも提案ですが。」
「…ああ。そうだな。」
残念そうに振舞ったが、カイルは内心嬉しかった。ソーマが彼女との間に築いた絆を、その間に自分も築けるかもしれない。
「私も他に案は思い付かないな。…アンセル。少し向こうで話したいんだけど、いい?」
「何についてですか?」
「…うん…。彼女の発動条件なんだが…。」
「分かりました。サティア…」
「私は賛成。」
「え?」
「さっきの二人の提案。それが一番いいと思う。」
「分かった。じゃ、後でまた来る。」
サティアは頷いてから窓に向かった。


 戸を閉めて、カイルの書斎まで歩く間、二人は黙ったままだった。書斎の扉を締め切るまで、それは続いた。
「…彼女…。ソーマが行くなら自分も行くと言い出すかと思っていた。」
カイルにしてみれば拍子抜けだった。やはり、ソーマとの絆は自分が思い込んでいたものとは違うのか?
「サティアは、サティアの力は、暫く凍結します。サティアと約束させました。」
「え!?」
「もう限界でしょう。暫くは…。」
「…。だから、…か。」
「と、言うと?」
「…彼女が先程発動した際、艦から落ちていく最中に、朦朧としていたはずのサティアがソーマに向かって『イキテ』と言ったそうだ。その直後発動した。」
「なるほど…。それは確実に発動条件の変化ですね。だから、自分がソーマと一緒にいれば、また力を使ってしまうかもしれない。だから、さっきの案にも賛成を…。」
「彼女もなんとなく気付いているんだろうなぁ。」
「きっと、自分の為に命を張る、俺以外の人間がいた事に戸惑ってるんでょう。」
「アンセルの声が届かないところに二人の絆が出来てしまったみたいだね…。」
「ええ。はっきり言って好ましい状況ではないですね。やはり…今更ですが、サティアを人と関わらせたのはまずかったですね。」
「いや、それは仕方の無いことだ。彼女は意思も言葉も通じる、我々と同じ生き物なんだから。だが、ソーマがあそこまでするとは全く予想外の展開だよ。」
「はい。ソーマ然り、ジオという少年の事も考えると、これまでの発動を鑑みるに、自分が関わった人間に何か起こった場合にも、発動してしまうようですね。今までは関わる人間といえば、俺くらいのものでした。しかし、今、直接関わる人間は一気に増えてしまった。あいつは何かに直面した時、サティアがそれを不当だと思う前に、誰かが仕方ないこともあると指示しなければ冷淡に受け流すことが出来ない。…面倒なことです。」
言いながら、アンセルは微笑んだ。しかし、芯から面倒だとは思っていない。それはカイルも同じだった。
「そうだね。…でも、放ってはおけない。色んな意味で…。」
「ええ。そんな事をしたら、この世は風前の灯火ですよ。」
「全くだ。…ま、今の私達も似たようなものだけどね。」
「では、俺は皆に捕虜獲得の作戦案を伝えてきます。」
「よろしく。」
「あ、そうそう…」
アンセルが戸を開ける寸前で立ち止まる。
「カイル殿、くれぐれもソーマのようにあいつに深入りしないで下さいね?」
「え!?…分かってるよ。…君の仕事を増やさないのが、私の仕事。」
アンセルはカイルの言葉を聞いて、一度にやりとしてから、失礼、と部屋を出て行った。
「深入りねぇ…」
自分に何かあった時も、サティアは同じ事をするだろうか…。
「…うーん。もうどっぷりって感じだな…。」
一人になった書斎で、カイルは頭を抱えた。


「ソーマ。」
病室の引き戸からアンセルが入ってきた。
「話がある。ちょっといいか?」
「…ああ。サティアは大丈夫なのか?勝手に部屋を移したんだ…。」
「それはサティア本人から聞いた。あいつの方が先に目覚めたが、ソーマが横にいたから、また眠ろうとしたら、お前が部屋の移動を指示したと、聞いている。」
「…そうだったのか…。」
アンセルの話を聞いて、ソーマは気持ちを新たにした。
「アンセル、話の前に言っておきたいことがある。いいか?」
「ああ。話してみろ。」
「俺はもう、サティアを兵器でも物としても扱うことは出来ない。」
「…。そう言うと思った。だから、今回新たに立てた捕虜獲得の任務に、お前にも入って欲しい。で、サティアと俺、それからカイル殿はこっちに残る。今、サティアの身体は限界だ。俺が傍にいなければ、発動も何も抑制できない。」
「俺に…任せていいのか?」
「ああ。勿論。サティアを抜いた部隊で、神術を使えるのはお前だけだ。それと、有事の際の為、エルドとミーナとジリーにはここに残ってもらう。そしてイリヤにはここから、向こうの状況を探らせたい。」
「そうすると、残るは俺と、グレイシー、クォン、レンツ、ディン、サンガ、ラルドだな。」
「そうだ。この7人で任務に就いて貰いたい。獲得する捕虜の人数はできれば最大三人だが、一人でも構わない。それに性別も問わない。」
「もうその話は皆に通したのか?」
「いや。これからだ。今夜一晩は全員休ませる。それと、聞いているだろうが、お前の素性はバレている。その辺で何かあるか?」
「いや。今まで通りの接し方でいてもらいたい。それが負担だと言う者がいれば、クォンのように、アンセル直属の、神術使いと言う俺を武器として組み込む形にしてもらいたい。」
「あくまでも、実戦に身を置くつもりなんだな?」
「勿論だ。」
「よし、いいだろう。ではその方向で進める。」
「…サティアは…、お前が残っているし、大丈夫だな?」
「ああ。心配するな。…サティアより、自分の任務の心配をしろ。」
「そう…だな。」
明日早朝、会議を開くから休んでおけと言い残して、アンセルは部屋を出る。…変わった。ソーマは完全に以前の彼とは違う。以前は、一番に心配するのはいつもアンセルの事だった。今、彼の口をついてきた名前はサティア。このままいけば、誰かが必ず心に傷を負いそうだ。そして、傷付いた誰かを見たサティアはまた傷付き、それを感じた誰かがまた新たな傷を負う…この優しさと痛みの連鎖は、もう誰も止めることは出来ないだろう。切ない思いのまま、アンセルは再びサティアの部屋に向かった。


「どう?そのドレス。気に入って?」
セルーナは真っ白なドレスを身に付け、空挺内とは思えないほど豪華な部屋にいた。部屋の奥に構えられた、一段高い段の上には重厚感のある玉座があった。そこには『サティア』が当たり前のように腰掛け、セルーナを見下ろす。セルーナと同じ真っ白なドレスを着て、頭にはレースのヴェールを纏っている。
「ええ…とても美しいわ。でも今こんな高価なものを貰うなんて…」
「ありがとう。」
「え…?」
「ありがとう。と、言えば済むことよ。」
「…でも、みんな苦労しているのに私だけ…」
「貴方だから、よ。貴方だから許されるし、皆それを望んでいるはずよ。」
「…本当に…?どうして…」
「貴方は神の子なの。」
「それは…神族だから…」
「違うわ。あんな名ばかりの非力な者どもと、貴方は違うの。教えてあげるわ。彼らが貴方に教えようとしなかった真実を。」
「…真実?」
「そう。可哀想に、本当にずっと利用されてきたのね…。いい?私の母はイト。」
「イ…イトって、あの神話の…」
「そうよ。あれはただの神話じゃないの。事実の破片よ。凍結されたイトは実際にあった。その子宮の中には、受精卵が…。それが私。そして、そのイトの卵子を使って生まれたのが貴方よ。セルーナ。」
「うそ…」
「本当。信じられないことでしょうけど、それが事実なの。だから彼らは、両親さえも、神の神聖な力を受け継ぐ貴方を利用するために、正当な血縁を伏せていたの。本当に卑怯なやり方…。母親は貴方に冷たくなかった?父親は違っていたかもしれないけれど。」
言われてみればそうだったような気がする…。熱を出して倒れた時、傍らにいたのはいつも父。母親は自分を産んだ後、身体が弱くなったせいで起き上がる事も難しいからだと、周りはそう言っていた。
「…でも…」
「それはそうでしょうね。お腹を痛めて産んでも、自分の血は流れていないんですもの。赤の他人の子供を産ませられて、かわいいと思う方がおかしいわ。そう思わない?」
…そうだ。そうかもしれない。母親と二人で居た記憶は無い。母がいる時は父も必ず一緒だった。その時母は微笑んでいたが、それは王である父が傍にいたからだったのかもしれない。セルーナの母親は有力者の娘だったが、お世辞にも美しいと呼べるような女性ではなかった。地味で、会食の際には父親とセルーナの少し後ろに控えて、人と話すことは稀だった。セルーナはそれを女性らしい妻の鑑のように思っていた。だが、本当は血の繋がらない、自分よりも遥かに美しい『娘』を持つ母だったなら…。自分が同じ立場なら、きっとそうした。そうするしかない。目立たないように、『娘』と比較されないように。愛する夫である国王に嫌われないように…。
「貴方の母親と言っていた方も可哀想。きっと本当は貴方が憎かったでしょうね。」
母親と慕い、その死に際まで泣き続けるほど想っていた母は、ずっと自分に他人への愛想笑いをし続けていたのだ。
「っ、ひどい…。私は、私は…皆を信じていたのに…」
「ああ…。可哀想なセルーナ。…私の妹…。でももう大丈夫よ。私が貴方を、世界に認めさせてあげるわ。だから、もう、自分が非力だなんて思うことはないのよ。」
セルーナから涙が零れた。何も言ってないのに、彼女は自分の苦しみを分かってくれている。それはきっと実の姉だからなのだ…。彼女こそが本当のサティアなのだ。
「でも…アンセルは?」
「ああ、あの子も騙されたままなの。セルーナ、今までの貴方と同じ。可哀想な子。だから、二人であの子を救ってあげなくちゃ。ね?」
「…ええ。そうよね。私のお兄様でもあるんですもの…。」
「貴方は本当に賢い女性。今まで離れ離れでいたけど、姉として、とても誇りに思うわ。貴方は世界にとって、私と同じ様に、特別な存在なのよ。」
「とくべつ…」
「そう。特別なのは貴方の力じゃない。正当な神の子である、あなたの存在なの。だから、貴方はここで、それなりの扱いをさせるべきだわ。そしてそれが、この世界に生きる者全ての幸せに繋がるの。」
「本当に?」
「だってそうでしょう?世界を選べるのは神だけ。…それは貴方もなのよ。セルーナ…」
セルーナから彼女を疑う全てが消え去った。


 捕虜獲得に向かった隊員達を見送って、カイル達四人は空を見上げていた。アンセルはいつもと同じ様に統率者としての毅然な態度と口調で、優しく彼らを送り出した。矛盾する感想だが、これが彼なのだ。毅然な中に、温かさと彼らに対する信頼を織り交ぜ、全員の士気を最高点まで上げさせる事ができる。これは勿論卑怯な計算ではない。全員が彼のために彼の期待を裏切らない。そういう信念の確認を互いにしているのだ。リンは車椅子のまま後ろから応援の声を上げたが、いつもの勢いは消えていた。まぁそれも無理は無いだろう。カイルが驚いたのは、サティアとソーマだ。言葉も交わさず、目すら合わせなかった。こんな時、普通互いに想い合う者は、危険な任務に赴く者に対して、何かしら言葉をかけるものだと思っていた。
「サティア…」
「はい?」
「いや…その…。ソーマを随分避けていたね?」
自分の書斎に案内しながら、カイルははっきりしない質問を投げかけた。アンセルはリンに付き添って彼女の部屋に向かうというので、カイルはサティアをお茶に招いた。
「…私が…私さえいなければ、彼はあんな無茶をしなくて済だ筈。だから、関わらないでいる方がもっと安全だと…。」
「なるほど…」
そういう考え方もあるのか。しかし、ソーマはどう取っただろう?いや、ソーマも相手の気持ち、というより、自分の考えを優先させたように見えないことも無い。彼女の具合を知っているなら、尚更、自分がきっちりと任務をこなすことで、サティアの負担を最小限に留められる。それには、一旦彼女への心配や不安を断ち切って、任務にあたろうと思ったのかもしれない。
「…この部屋?」
「え…ああ、そうだよ。どうぞ、入って。」
サティアは部屋を見回しながら、一枚の写真のところで止まった。
「それが…産後の肥立が悪くて死んだ母。」
「すごく似てる…」
「ああ。全く不思議だよ。前王より、血の繋がらない母の方が似ているなんて。…君は…母親似だね。」
「そうみたいですね。…でも、もし彼女が殺されていなくても、私達を産んだとは思えない。」
「どうして?」
「母と今の私が本当に似ていたなら、きっと未来を考えて、その芽になる私達を潰したと思う。…それか、神話にあったように、自分もろともこの世界を消してしまっていたと思う。結局、母があの状態で死んでいなかったら、今私はここにいない。」
「…そう。…で?もしかして君は、母親の意思を継ぐつもりなの?」
「最初はそれも考えた…。でも、出来なかった。」
「アンセルが居たから?」
「違う。アンセル以外の人達がいる世界を、ちゃんと知ってしまったから…。それはカイル様のお陰。」
サティアが微笑んだ。
「私を異様なものとして見ずに、自然に触れるのは、今までアンセルだけだった。」
いつかの夜に口づけた事を指しているのだろうか…。カイルはどういう意味か聞けずに黙ってしまった。思えばそれが性分とはいえ、随分不躾な真似をしたものだ。それに、今は試験管を経由しているとはいえ、血の繋がりがある事を知ってしまった。自分で真実を求めた事が悔やまれる。はっきり言って、カイル自身は、そこまで血の繋がりを気にしていないが、知らなければ、そちらの方がもっと良かったと思う気持ちもある。
「…それは、もしかしたら半分血が繋がっていたからかも…」
カイルにしては随分と自虐的なことを口にした。言わなければ良かった、と後悔し始める前にサティアが口を開いた。
「それは違う。だって、セルーナ様だって血が繋がっていたけど、カイル様とは真逆だった。」
「そういえば、そうだったね。」
「血の繋がりと言ったって、遺伝子上で半分同じものを持ってるってだけのこと…。」
「関係ない…と思う?」
「…だって、そんな事、医学が関与していないところでは、もっと沢山あることだって聞いていたから。…違うの?」
「そうかもね。大事なのは、その人の気持ちで、血統なんかただの経歴程度に過ぎないのかも。」
その言葉を聞いて、サティアは再び微笑んだ。純粋な眼差しの、素直な嬉しさを表すその顔は、どんな罪も受け入れてくれそうなほど甘い。
「君の、その笑顔が好きだ。」
「アンセルと似てるから?」
「いいや。その顔が、本来の君だと思うから。それを守りたい。一番近くで。…それにアンセと君とじゃ好きの種類が…。」
カイルは言いかけて止めた。
「…種類?種類って何?」
サティアが首を傾げてカイルを見ている。…やっぱりなぁ…。彼女は人を男と女に分けて見ていない。極端に言えば、自分とそれ以外の二つにしか分けていないのではないだろうか。男女があることは知っていても、その違いの中に何が含まれるのか、完全には分かっていない。愛や恋や友情の違いも…。しかし、その事を今彼女に教えてしまうのは、自分の首を締める事になりそうな気がした。それと同時に、彼女とソーマの絆にも同じ事が言えると思う。隙があるならそれを自ら潰すのは惜しい。
「…いいや。…君には子供みたいに純粋な残酷さが残ってるね。」
「…?」
カイルはサティアの髪を優しく撫でながら、彼女を更に混乱させて、話から気を逸らす事にした。


「…アンセル…。…ごめんなさい…。」
リンもまた、掴み所の無い言葉をアンセルに投げかけていた。
「あの…なんて言ったら…。謝って済むことではないのは分かっているし、何に対してというより、父の事や…今までの全ての事に…」
「貴方のせいじゃない。」
「でも…。」
「じゃあ、こうしましょう。」
「え?」
「確かに今の貴方は国王としての責務と言う点では、遥かに今のカイル様に劣っています。」
「…その通りよ。」
「それに、ソーマに最前戦に居る事に賛成して、ソーマを焚き付けて、その後ろ盾をしたのも貴方だ。」
「ええ。でもそれは…」
「そう。あいつがそれを強く望んだからだ。」
「あの時は女の私がするよりも彼の方がいいと思ったから。でも、やっぱり私がそうすれば良かった。そうすれば…」
「こんな状況にはならなかった、と?」
アンセルの言葉を受けて、リンは我に返った。
「それは違う。貴方は分かっている筈だ。どの道こうなったと。リン様が今、申し訳なく思っているのは、今の自分に出来ることを、自分で見つけられないからだ。違いますか?」
アンセルの言葉が重く突き刺さる。痛いところを突かれて声が出ない。
「貴方は気丈な人ですが、素直に助けを請う事も大事です。貴方は率直で行動力も志も高い。だから俺や部下は貴方の下に就く事に何の不満も感じなかった。それは足一つ無くなったくらいで、挫けてしまうものなんですか?なら、俺は買い被りしていたようですね。」
「私は挫けているんじゃないわ!」
「それは本心からですか?」
「当たり前よ!」
リンは大声を出した自分に驚いた。そうだった。自分はいつもこうだった。何時の間にか自分で自分の自信を捨ててしまっていた。諦めたりするものか。高が足一つ。まだ命も力も残っている。出来ないことなど何も無い。悶々としていた自分を思い出して、リンに再び輝きが戻った。
「今すぐ私に出来ることはまだ残ってる?」
「ええ。山のように。では、手始めに、今一番危険と思われる分子について、詳しく聞かせて下さい。」


「…遅いなぁ…。」
ミーナはアンセル部隊用に用意された広めの部屋で、ジリーとイリヤがデータ解析や情報収集をするのをただ見ていた。
「何を言うんです!僕の仕事は地味ですけど、遅くはありませんよ!」
「はぁ?イリヤ、あんたの事じゃないから!」
「…なんだ。びっくりした。…ん?じゃあ何が…」
「隊長の事よ。」
ジリーが見かねて口を出す。
「ああ。なんだ、そんな事か。」
「そんな事とは何よ!リン様の部屋に行ったきりなのよ!?」
「じゃあ、まだ部屋にいるんじゃないですか?」
「いいえ、長過ぎるから違うはず!もしかして途中で何か…」
「あったら、すぐに来る筈ですよ。」
「来ないから心配してるんでしょうが!」
「だからまだリン様の…」
「それは違うの!だって車椅子押してっただけじゃない。」
「話ぐらいするでしょうよ。」
「何話すっていうのよ?あのね、ジリー。リン様は今やただの避難民なのよ?」
「じゃ、階級差が無くなって、話し易くなって、世間話でも…」
「ありえない!あの任務一筋の二人が世間話?話合うわけな…」
「あのね、ミーナ?貴方隊長の奥さんみたいな事言ってるけど、違うでしょ?恋人ですらないでしょう?彼は上司よ。」
「…そう…だけど…」
「だけど、じゃない。普通に考えて、隊長はリン様だから合うの。任務一筋同士だから合うのよ。他の話したって、リン様は知的で芯の強い方だから、隊長は話していて純粋に楽しい筈よ。誰かさんみたいに、雰囲気重視で実の無い女といるより、ずっと居心地いいと思うわ。」
「ちょっとジリー!誰か…って、私のこと!?」
「しっかりしない女は嫌われる。仕事なさい。ほら、これ。」
ミーナの前に大量の資料をどんと置く。
「手伝いなさい。」
「手伝え…って…。地理以外の事は分かんないわよ?私。…大体何よ?これ。」
「サティアが今まで発動した、場所、状況、使用薬、発動後の身体状況の記録。で、こっちが彼女が通常時に発する神術の量。それから、今後私達がどうしても必要になる神術力の値。」
「…で?」
「だから、この国に散らばってる人達をどこにどう集めたら、無駄な力を使わずに済むか検討して。」
「なるほど。」
「それと…」
「まだあんの!?」
ジリーが普通ならしないような分かりやすい溜息を吐く。
「サティアが不測の発動をした時に、できるだけ被害を少なく出来る地域の選択、もしくは退路の確保も、盛り込んで考えて。いいわね?」
「はーい…了解…。もう、みんなリン様とサティアのことばっかり、私だって頑張ってるんだからちょっとくらい…」
「…評価、して、欲しい…?」
あるはずの無い声が聞こえて、ミーナは青ざめながら振り返る。
「あ…えっ…リン、様…。」
「サティアは目障りか?」
その横にはアンセルの姿もある。
「い、いや…特に深い意味じゃ…」
「なるほど。」
「これかも知れないわね…。」
リンとアンセルは互いを見やって、顔を曇らせた。
「あの…私…」
「セルーナはそう感じたのかも。」
「はい?」
「だから、セルーナ様が戦場に自ら出て行ったのは、そういう不満があったからかもしれない。」
「そうすると、きっかけはどうあれ、死亡が確定されていないとすると、自分の意志で向こうに回った可能性が高くなる。」
「…私はまた、我々に不利な状況を作ってしまった事になるわね。」
「大丈夫ですよ。セルーナ様は純粋で騙されやすいからこそ、根は優しくて他人の苦しみを目前にできないお方だ。暫くすればすぐ矛盾に気付くでしょう。そういう時、人は二手に分かれる。強く冷たく現実を受け入れ、自分だけに都合のいい場所を確保するか…」
「罪に耐えかねて孤立するか…で、合ってるかな?」
「カイル殿。いつからそこに?」
「ついさっき。サティアが書斎で転寝しそうになっていたから、そっとして部屋を出たところ、君達二人が見えたんでね。」
「後を付けたんですね。」
「もう、アンセルはいつも誤解を生むような言い方をするんだから…。ま、その通りだけど。」
「カイル様、ではサティアは書斎に居るのでしょうか?」
「うん。」
「では、私は彼女のところへ向かいます。隊長、失礼します。」
ジリーが足早に部屋を去っていった。
「…担当医は大変だねぇ…。で、どう思う?多分私は孤立すると思うけど?」
「どうしてそう思うの?」
「だって、その筋で行くなら、あの娘は理想と現実が重ならなかったからここから出たってことになるわけでしょ?そんな事は当たり前って分かってない。それにね大体、一度逃げ出した奴はまた逃げ出す。物理的に無理なら、孤立すると言うか幽閉されるしかない筈だ。なら、完全に敵って訳じゃない。」
「そういうものですかねぇ?」
「うん、多分。私なんかよりずっと自己顕示欲の強くて頑固な娘だよ、あの娘は。サティアが邪魔だというのも、周囲の評価云々じゃなく、ソーマに見てもらえなかったってことが一番大きいんじゃないかなぁ。」
「だとしたら…。ソーマに対する恨みだけで、敵に回ったと?」
「恨みって言うか、むしろ逆に構ってもらいたいというか…。王子様が悪かったって、追いかけて来るのを待ってる様に感じるけど…。それと反抗期なんじゃない?かなり遅めの。そういう時はとりあえず、目の前の上手く行かない事は全部他人のせいにしがちじゃない。まぁ、厄介なことに変わりは無いか。ミーナちゃんとしてはどう?唯一まともな女性の心理が聞けそうだけど?」
「えっ!?私は…。」
「ミーナ、お前ならどうする?」
唐突にアンセルに聞かれ、ミーナは焦った。
「私なら…やっぱりそこまで想う人に認めてもらうためなら、なんでもしてしまう気がします。特に他に相手が居たら…。でも、何の関係も無い人達を巻き込んでいると知ったら、止める。そんな事をして、嫌われるのは当然だから…。でも、孤立じゃなくて、死んでしまうかも知れない。好きな人に嫌われたまま生きていける自信はありません。」
ミーナの言葉は重い沈黙を与えた。カイルは気になることがあると言ってイリヤとリンを連れ出し、部屋にはアンセルとミーナが残った。ミーナは全員に沈黙を与えてしまうような発言をしてしまった自分を責めていた。自分はいつも、油断している相手に対しては、つい本音が先に出てしまう。しかもよりによって隊長の前で…。
「…ミーナはそこまで想う人間がいるのか?」
「え…」
ミーナは戸惑ったが、アンセルは全く意に介さず、先を続けた。
「俺は…。まだそう思える人間が居ない。分からないんだ。セルーナ様は勿論、サティアに関しても、何故あそこまでソーマや俺を信じてくれるのか…。そこに愛国心など無い、個人同士に命をかける。…本当に、もうただの…国家単位の駆け引きじみた戦争じゃなくなってしまったんだな…。勝っても負けても、生き残った者には、大きな傷が残るだろうな。」
「…私は…。もし生き残れて、隊長…や、みんなも生き残れていたら、傷なんて残ってないと思います。隊長はどうなんですか?」
「そうだな…。生きていれば、どういう状況でも、それはそれで、生きて行くんだろうな。」
何の感情も出さずに淡々と答えるアンセルを見て、ミーナは少し悔しかった。
「随分、冷静なんですね。」
「冷たい、の間違いじゃないのか?」
笑顔で返すアンセル。いつもと同じのはずの笑顔がミーナには悲しく見えた。
「…。でも、いつも冷静で居るから、私達は安心して隊長に付いて行ける。」
それを聞いたアンセルがふっと笑った。
「今みたいなお前の気配りを俺は買ってる。」
「ちょっ、違います。今のはほんとの事言ってるだけですっ。」
アンセルの様子を心配して、真剣に話したミーナはかわされたような気がして腹が立った。
「…俺は、人の感情がどういう状況か、大体分かる。でも、それは同じ感情を分かち合っている事とは違うんだ。みんな、サティアに人間らしさが欠けているように思っているだろ?」
「えっと…。」
「気を遣うな。」
「そう…思ってました。最初は特に。でも、今は、みんなそうは思ってないと思います。」
「そうか。でも、自分達と同じ程度だとは思ってないだろう。」
「それは…そうですけど…。」
確かにそうだった。最初の印象から比べての事で、自分達と比較するなら話はまた別だ。
「俺も同じだ。サティアと俺は同じなんだ。違うのは、俺の方が感情表現を真似るのが得意なだけ。俺は上辺だけの感情で人と接してる。だからサティアより人間らしく感じるだけなんだ。」
「じゃぁ、隊長は、みんなに嘘を吐いてるって事ですか?」
「嘘じゃない。でも、その言動が本当の俺の感情と繋がっているのか、確信できない。大体、他人への影響を度外視した自分の中に、純粋な感情があるのか分からない。きっと『冷静』なんていう良い物じゃないんだ。」
「…それでも、隊長は皆に大切な人なんですから、責任、ちゃ~んと取って下さいよ!」
ミーナは怒ったようにその場を去っていった。その後姿にアンセルは自然と暖かく微笑みかけた。


おかしい。サティアの状態から察するに、ただ眠たいと言うことは色々な意味でありえないし、もしかすると命が危険になっているのかも知れない。ジリーはカイルの書斎のドアを叩く。
「サティア?入るわね?」
中ではサティアがソファに横たわっていた。ジリーは近付いて彼女の状態を見ようとした。
「…大丈夫。起きてる。」
薄っすら目を開けているサティアが言った。
「具合が悪いのかと思って、見に来たんだけど?」
「悪くない。寝られるか試してたの。」
「…そう。眠りたい?」
サティアは無言で頷く。
「じゃあ、いつもの薬を…。」
ジリーは睡眠薬をサティアに出そうと懐を探った。
「…それよりも、強いのある?」
「いいえ。これ以上なら、睡眠薬じゃなくて麻酔になっちゃう…」
笑いながら言いかけて、ジリーははっとした。
「サティア?もしかして貴方…」
「効かないの。」
「それは…いつから?」
「もうずっと。」
「じゃ、ずっと眠ってないの?」
「いいえ。力を使った後は、多分寝てる。」
「それは…」
睡眠ではなく、昏睡状態のことだ。ジリーの中で、彼女のオワリへの秒読みが始まった気がした。


「で、気になることってなんでしょう?」
カイルは二人を応接間に通し、リンを乗せた車椅子を日当たりのいいところに移動させてから、カイルは二人に向き直った。
「うーん。シレンセで二度見た、黒髪の女性なんだけど。」
「カイル殿~。だからそれはありえませんって。」
「ちょっと待って、何の話か分からないけど、サティアなら貴方達の救助に行くまでは、ずっとここに居たわ。」
「それは確か?」
「…疑うのも無理ないわよね。でも、彼女はセルーナと違って軍からもジリーからも完全な監視下に置かれていたし、その頃はちょうど、あの小さい黒い膜の中で昏睡状態になっていたわ。だから物理的にもそれはサティアでないと絶対に言い切れる。」
「ほら、だから気のせいだって言ったじゃないですか。大体あんなところに女性なんか居ませんよ。」
「いや、私達のいうサティアでないことは確かなんだろうが、どうも気にかかってね。イリヤ君、気のせいが極短い間に二度、しかもあのタイミングにあの場所で連続するのは、偶然にしてはどうも…ねぇ。」
「…確かに、確率としては…。でも、カイル殿が見たってだけで、実際いたかどうかは…」
「ということは他に見た人は居ないということ?」
「まぁ、そういう事になるけど、ギルの講義の途中に黒髪の彼女が映った次の瞬間、電力が落ちた。それを関連付けずに考えないのはおかしいと思わないかい?私が思うに彼女は裏で糸を引いている人間の一人じゃないかと思うわけ。」
「…しかも、一瞬で電力の操作をしたって事になると、神術使いと思っていいわね。しかも相当な力の持ち主。」
「その通り。それで、名前が挙がるのは、私達、試験管兄弟の誰か。」
「待って!セルーナは違うわ。私を介さずにあっちに行くなんて不可能よ。」
「そうなんだよねぇ。そうすると残るのは、グラセウス。でもあれは男だ。」
「他に考えるとしたら…。」
「試験管兄弟が他にいる可能性も、無きにしも非ず。」
「…父の日記や祖国の研究記録には残っていなかった。…でも、やって出来ないことは無いでしょうね。それだけの事が出来る人間は確実にいたのだから。」
「そういうこと。そいつらの研究の成果が、私達、試験管兄弟。」
「私、ちょっとサティアのところに行ってみるわ。」
「え!?寝てるかも知れないよ?」
「ええ。それならそれでいいの。起きるまで待ってる。前に『氷の女王』の話をした男が居るって聞いたでしょ?それが誰なのか、確認したいの。それが父なのか、それとも別の人間だったのか。」
「じゃあ、部屋まで…」
「大丈夫。これくらい一人で動かせるわ。」
「もし、ジリーがいたら、サティアの状況を聞きたいからって、こっちに呼んでくれる?」
「ええ。分かったわ。…陛下。」
リンは言いながら車椅子でカイルの部屋に向かう。自分で移動できることは分かっていたが、ついさっきまでそれをやらなかった。全てに投げやりになっていた証だ。今再び、自分の中に活気が戻ったことを感じて、一人微笑んだ。そのきっかけを与えてくれたのは、多分アンセルだろう。


車椅子で去っていくリンの後姿は、以前の凛とした彼女の姿だった。カイルは純粋に喜んだ。全員がいつもの調子を取り戻せば、全てが上手く行く。そんなあやふやな勘でも絶望よりはマシだ。イリヤに向き直って、カイルはもう一つ気になっている事を告げた。
「後ね、イルズの神光玉の中身のことなんだけど…」
話し始めたところで戸がなった。
「アンセルです。カイル殿、居られますか?」
「ああ。入ってよ。今丁度、イルズの玉の中身について話そうとしてたんだ。」
「そうでしたか。俺も、その件については一度、イルズに行くか、一か八かでこっちのを開けて見るかしたほうがいいかもしれないと思っているのですが。」
「そうそう。あれも深く関わっていることは確かだからね。うちのを開けてもいいんだけど…。ギル曰く玉自体は機能していないらしいし。でもねぇ…。もし違ったら、セルーナが居ない今、疲れきってるサティアに頼ることに…」
「カイル殿、それもおかしいと思いませんか?機能していないなら、今我々が使ってる力の元は何なんでしょう。サティアは今、神術を送ってはいない。」
「あ…?そうか。どういうことなんだ?」
「あの~、僕の意見、いいですか?」
イリヤが話しに入りにくそうに二人を見上げながら言った。
「ああ。勿論。どうした?らしくないぞ?」
「それが…思いっきり仮説で、何の裏も取れてないんですよ。だから、現実と事実と物証を重視する僕としては、あまりはっきり言いたくないというか…。」
「気にしなくていいよ。私をご覧。何時だって確証なんか持ってないよ。」
「カイル殿…それはあまり自慢しない方が…。」
「いいじゃない。大体当たるんだし。じゃ、こうしよう。合ってたらイリヤの意見、外れたら私の意見だったって事にする。よし!話して。」
「はい。では…。今神光玉は蓄えられていた力を使っているのだと思うんです。今までの話しから推察するに、神光玉は自身では力を生み出すことは出来なくとも、溜めておく事は出来るんじゃないでしょうか。そうでなければ、セルーナ様とサティアさん、イルズの神器からいくら力を流しても、全体に行き渡るまでや、彼女達が休んでいる間の時差は埋められない。」
「なるほどな。駄々漏れ状態では無かった事は確かだろう。」
「そう。…と、いうことは蓄える事ができる上に、力の放出量も、ある程度制御できている事になる。もしかしたら、蓄えて置くうちか、もしくは力を吸収している時か、そういう時には玉自身の中で少しずつ増幅させているかもしれない。そう考えると、力を送らない間の時間差が出ていない事も納得できます。」
「うん。いいんじゃない。その筋。それにイルズの玉が壊れちゃって停電したって話を盛り込んでくと、最初、まだ全ての玉が正常に機能していた時は、お互いに力を送り合って、増幅させた分を我々が使っていた…余りの分をね。環状にきれいに流れていたはずが、グラセウスが玉を開けて止めてしまった。神器を使って流れは回復したものの、勢いは遅くなって、増幅させる力も少なくなった。で、サティアやセルーナが借り出されることになった…と。あれ?イリヤ君、どうしたの。そんな顔して。」
イリヤがまるで未知の生物にでも遭遇したような顔でカイルを見ている。呼吸が止まってしまっているのではないかと思ったカイルに、アンセルが笑いを堪えながら言う。
「カイル殿、こいつは現実を理解するのには長けていますが、現実的な物がないところから想像を膨らませていくのには慣れてないんですよ。」
「ああ、そうなの。大事だよ?想像力は。特に男女の間では…」
「カイル殿!それ位にしてやって下さい。こいつの頭が壊れる。」
「はいはい、分かったよ。」
カイルとアンセルは顔を見合わせて笑い出し、ぽかんとしたままのイリヤを置いて、ひとしきり笑った。その光景を見て、イリヤが真剣に呟く。
「…聞かせて下さい…」
「は?」
「…だ、男女の間に大事な事…。」
二人は再び吹き出した。


アンセルと、変な別れ方をしたままでいたことが気になっていたミーナは、彼の部屋を目指していた。居なかったら、隊長が来るまで待っていよう。真剣な話じゃなくてもいい、話さなくてもいい。今は、隊長と時間を共有しているだけで、それだけでいいのだ。そう思いながら廊下を曲がりかけて、サティアの部屋から出てくるリンの姿が目に入った。…今は会いたくない。ミーナはリンをやり過ごそうと暫く影から様子を窺った。しかし、リンは自室へ繋がる廊下の角を曲がらず、隣のアンセルの部屋で止まった。
「うそでしょ!?」
驚いて駆け寄ろうとしたが、ミーナの思いを砕くように、リンはミーナに気付くことなく、そのままアンセルの部屋に消えた。行き場を失って、ミーナはふらりと隣の部屋へ入ってしまった。
「どうしたの?」
「えっ!」
…そうだった。アンセルの隣の部屋はサティアになっている。うっかりしたとは言え、一番接し方に困る相手の部屋に入ってしまったのだ。
「…ええっと…」
「…もしかして、アンセルのところに?それなら隣…」
笑って誤魔化そうとしたミーナの核心とも言える部分を、サティアは見抜いていたような言葉だった。
「そう…。だけど、違うの。部屋は…分かってる。」
「…お茶、淹れるね。」
微妙な訪問理由に、余韻まで付けておいて、突っ立ったままでいるミーナに、彼女は優しく微笑んだ。お茶を淹れる彼女の姿は、まるで戦争など起こっていないような、優雅な振る舞いだ。妙に落ち着くのに、それでいて自分の存在は、この場所とはあまりに不釣合いと感じる空間。小さな円形の食卓にお茶を置かれ、二つのうちの一つの椅子にサティアが腰掛けた。話さなくてもいい。そんな言葉が聞こえた気がした。
「あの…。」
「ん?」
「ごめんなさい。」
「え?」
「私、サティアに嫉妬してるの。今は…リン様にも…。」
「そうなの?」
「それが任務に影響してるのも自分で分かってる。」
「分かってるなら、大丈夫。」
そう優しく微笑む彼女を見ていると、また、あの完全とも言える敗北感に襲われる。どうして隊長の周りには、自分が手を伸ばすことも出来ないような人達が集まるのだろう。
「サティアは…私が思うような、恋心って、分かる?」
「…。ミーナがアンセルを好きなのは分かる。でも…恋が何なのか、それは良く分からない。」
その言葉を聞いて、ミーナはまた切なくなる。『俺はサティアと同じ』、隊長はそう言っていた。それが真実なら、自分の想う相手は、誰か一人の物になることは無いかもしれない。自分も含めて…。誰かのものになってしまうのは勿論嫌だが、自分の想いを解かってもらえないのはもっと嫌だった。
「ソーマとあなたに起こった事、全部聞いたわ。あなたはソーマのこと好きじゃないの?それは恋じゃないの?」
唐突に投げかけられたミーナの疑問に、サティアはうつむいた。まずい事を言ってしまったのだろうか。でも、ミーナはどうしてもその答えを知りたかった。どんな風に、どんな事を、どこまですれば、隊長に想いを解かってもらえるか、その答えはサティアが握っている確信があった。
「ソーマ…。私、もう、あの人も皆も危険に晒したくない。ソーマは充分やった。後は、私が片を付けなきゃいけない…。」
「答えになってない!それって、そう思うのって、ソーマが好きだからでしょ?」
「ソーマは…好き…。でも…他の皆だって好き。だから守りたいの。」
「違う!私が聞きたいのはそんなことじゃない!」
ミーナが勢い良く腰を上げた拍子に、お茶が零れた。ソーマはあそこまでしたのに…。自分のために相手が命を投げ出すような真似をしても、その想いは届きさえしないのか。今だって、ソーマや他の隊員達は危険な任務に身を置いている。それはサティアの負担を減らす為だと言っても過言ではない。それなのに…。それじゃ、あんまりだ。ミーナは自分とソーマを重ねて、興奮状態になっていた。サティアは黙って零れたままのお茶を見ている。まだ湯気の残る、その琥珀色の液体は、思いの他、ゆっくりと食卓の上に広がっていった。それを見ているうちに、ミーナは熱くなった自分の愚かさに気付く。彼らは特別なのだ。サティアもアンセルも、自分達の想像も及ばないほど、特異な巡り合わせの元に誕生し、今、この場所に居る。自分がそこに居合わせた事は、軌跡に近い。自分の納得できる答えを求める方が、どうかしている。
「あの…ごめんなさい。私…。」
「前と…違うの…。」
「え?」
謝ることしか出来ないミーナに、サティアは呟いた。
「前はアンセルが一番だった。一番しか居なかった。でも…今は違うの…。」
静かに告げた彼女の伏せた目は、ひどく困惑していた。ミーナには、その目から、見えない涙が零れたように思えた。


「いいかしら?」
「あ、リン様でしたか。どうぞ。何もありませんが…」
「いいの。さっき、サティアに『氷の女王』について話した男の事を聞いてきたところ。」
「それは、ご苦労様です。で、どうでした?」
「覚えていたのは、痩せ型で色白。喋り方が堅かった印象があるって事くらい。髪も普通で特に変わったことは無かったみたい。年齢は、聞いた限りの情報だと三十代後半から五十代前後かしら。でもその辺りの年齢は個人差が出過ぎるから…そこから何か掴むのは難しいでしょうね。」
「はぁ、そうですね。名前を挙げるとすれば、リン様の父上かイルズの前王。セルーナ様の父上は金髪でしたし除外して、残るは、ゼファ・ギル・ホルスとその父親達。もし他の研究員や何かだったら、数は無限大だ。既に死亡している可能性の方が高い。」
「ええ。もうここからは何も掴めそうにない。残念ながら。」
「いいえ。確認、ありがとうございました。」
「…それと…お礼を言いたくて。」
「お礼…ですか?」
「ええ。貴方のお陰で、今までの自分を取り戻せたと思うから。ありがとう。」
「それは俺の力じゃないですよ。過大評価したところで、きっかけを作った程度のことです。取り戻せたのは、元の貴方がしっかりしているからだ。」
「いいえ、アンセル。それが貴方だったからよ。他の人では、多分きっかけにさえならなかった。貴方には人を魅了してやまないものがある。だからなのよ。」
「…それはまた…。リン様にしては大袈裟な表現ですね。」
「それは見た目とか、人格とか、分かり易く説明できる種類のものじゃない、何か…。きっと存在そのものなのでしょうね。だから貴方が発する言葉にも行動にもそれは宿っていて、私達は例えそこに根拠が無かったとしても、騙されていたとしても、そしてそれを知っていても、貴方に耳を傾けてしまう。あのソーマが貴方を絶対に手放さなかった理由も、ソーマが王位を私に譲って、貴方と直接会うようになって初めて気が付いた。」
「俺はただ、軍部の補佐としての役目を果たしていただけに過ぎませんよ。」
「でも、王位の譲与から感じてはいたけど、確信したのは、先代達の研究結果を知った時。以前の私は貴方の意思がそのまま私の意思だったのよ。貴方の指示に従えることに喜びさえ感じていた。私は王として扱われたけど、実質は逆。王は貴方だった。」
「そんな事はありませんよ。王として居たのは貴方です。」
「確かにね。でも、事実はそうだったの。それはやはり貴方が完全な神の子だから?私には殆どその血が無いから神族以外の人達と同じ様に惹きつけられるのかしら。貴方から見た私達は…この世界はどう映ってる?」
「何故そんな事を?」
「私達よりも優れている貴方が私達をどう見ているのか知りたいわ。」
馬鹿げた事を聞いているのは分かっていたが、リンは真剣だった。アンセルもそれは分かっている。暫く間を置いて、アンセルは答えた。
「…。角砂糖を奪い合う蟻の小競り合い。」
「え…?」
「小さ過ぎて、見飽きた玩具にも値しない。」
「…」
青ざめたリンを見て、アンセルは微笑んだ。
「冗談ですよ。俺がそんな風に考えてると思いますか?第一、こんな台詞が似合うのは俺よりカイル殿くらいですよ。」
「…良かった…。」
「どうしました?リン様らしくもない。」
「怖いの。今日貴方という存在の影響力の大きさに気付いて、思ったわ。もし貴方が敵になってしまったら…。いいえ。全てに関心が無くなってしまったら、その時私は、きっと…今までの全てを否定してしまうかもしれない。」
「リン様は大丈夫ですよ。貴方は自分で思っているほど弱くない。それに俺は、そんな大した奴じゃないですよ。」
「それには賛成しないけど…、いいわ。それなら、覚えておいて。貴方は選ばれる側の者ではないわ。選ぶ方なのよ。」
…そして私は貴方に選ばれたい。リンは最後の一言を寸前で飲み込んだ。


「カイル殿、イルズの件なのですが…。」
アンセルはカイルの部屋に入るなり切り出した。
「ああ、まぁそこに座って。」
「神光玉の様子を見に行きたいと思っているのですが、どうお考えですか?」
「人員は?」
「俺とイリヤを考えています。」
「人選はどう決めたんだい?」
「イリヤなら物的証拠が難解なものでも、すぐに把握し、現実的な予測を即座にはじき出せます。俺はそこから少し勘を働かせつつ、イリヤの警護にあたれます。」
「サティアはどうする?」
「あいつは連れて行きたくない。直接見せ付けてはいけないものが、ある気がするんです。」
「置いていくのは構わない。原動力の事もある。ただ…」
カイルは彼女の誤発動と消耗を気にしていた。
「ソーマ達が戻ってから行くつもりなのか?それとも今すぐに?」
「実は…それが問題なんです。ソーマ達が何時戻るか分からない。戻った時自分が居ないのは色々な事を考慮しても避けたいことです。俺が居なくて、ソーマとサティアが遭遇した場合、もう何が起こるのか予想もつかない。…やはりあいつは連れて行くべきなのでしょうか?」
「…統率者の取捨選択…か。よし、サティアには少し辛い想いをさせるかも知れないが、一緒に行け。被害を考えた上での結論だ。個人の意見とは真逆だけどね…。」
「分かりました。」
「アンセル…。」
「何でしょう?」
「私はこれで、また君とサティアの間に、他を遥かに凌ぐ絆が戻ることを祈ってる。」
「俺も、それが一番な状況であると認識しています。しかし、一度溢れた器の水は戻ることは無いとも思う…。では。」
「すまない。」
部屋を出ようとしたアンセルを、カイルは引き止めた。
「君の仕事を増やさないのが私の仕事…あの約束を一番に破っているのは、私だ。」
「…分かっていましたよ。あれはほんの冗談です。第一、カイル殿は今、俺に個人的感情と異なる命を下した。それが出来ているのなら、あの約束を破った事にはならない。」
「サティアを、頼んだよ。私は、もう、彼女の居ない世界で、戦い続ける気もその意味も、生きる意味さえ分からない。私達は、異物は異物として、世界から消えるべきなんだろうか…。」
「例えそれが正しい選択だったとしても、皆が納得してそうするまでは、あいつは皆のために戦いますよ。これからもずっと。」
「そう…。そうなんだ…。一番傷付けたくない者を傷付けて、国を守る意味なんてあるんだろうか。この先を決めるのは一体…」
「誰でもなくて、誰でもある。過ぎた後で、その答えは出るかもしれないし、出ないかもしれない。これがこの戦いの要です。」
「そうだね。その通りだ。目が醒めたよ。…今のは忘れてくれ。」
カイルが自嘲気味に笑ったのを見届けてから、アンセルは部屋を後にした。サティアに新たな任務を告げに行く廊下を通りながら、今自分と直接関わる者達の事を考える。全員が迷っている。敵との明らかな違い。『戦争』と言う名の元では、これはこちらの負けを意味する。ただの『戦争』ならば…。しかし、そうではないという確信がアンセルにはあった。切り札はサティア以外にも、確実に存在している。それは周囲の者に対する強い信頼。肩書きも名目も、全て超えた信頼関係。青臭いありきたりなこの関係が、本当の意味での切り札になると、アンセルは思う。


「ぇえ!?また現場ですか!?」
イルズへの新しい任務を告げると、イリヤが真っ先に声を上げた。
「ああ。何か不満があるのか?」
「…不満と言うか…この間だって、危険な目にあったし…。だって僕は肉体派じゃないんですよ!?」
「だから、俺が後ろに付くんじゃないか。それに、俺だけが向こうで神光玉を前にしたところで、何がどうしたのか、具体的に情報を取捨選択できるかわからない。イリヤが適任だと思うが?」
「そう…ですけど…。」
言いながら、後ろに控えているサティアに視線を向ける。
「…大丈夫。力は使わない。アンセルに誓った。」
「そうなんですか…?」
「ああ。サティアを置いていくことは危険だと言うことは分かるな?それとも、俺だけが向こうに行くか?そうなったらサティアを制御する者は居なくなるぞ?でなければ、イリヤ、お前だけが行くか?」
「それは絶対に嫌です!無理です!…分かりました。行きます…。」

 降り立ったイルズは閑散としていて、シレンセを思い出させた。音も光も気配も無い、無気味な世界。リン=セイの父親の日記を思い出す。もしかしたら、この戦いが始まる以前から、この国には人が居なかったのかもしれない。神術を生み出すために、骸だけに留まらず、人命が犠牲になっていたようだ。国同士が離れているとはいえ、こんな状況になっていた事を知らないで居たことに恐怖を感じる。生きる事を望んだ筈の者を犠牲に生きた人々…しかし、もうここには、犠牲の上で生きようとしていた者すら居ない。この国は人を食い潰す事で機能していたのだ。これを崩壊と呼ばずに、何を崩壊と言うのか。王のグラセウスは何の疑問も抱かずに、人の居ない国で国王として居た。これが彼にとっての『普通』だったのだろう。死者に対しての言動が、あそこまで淡々としていたのも、多分このせいだろう。
「なんか…この間とはまた違う不気味さですね。静かな所は好きだけど、何か違う。何ていうのかなこういうのって…」
「自殺する前に整理した部屋…。」
サティアの呟きに驚くようにイリヤが振り返る。
「もう二度と戻らない事を知っていて、綺麗にした部屋みたい…この国全てが。」
「…言い得て妙…ですね。」
「そうだな。」
「ここには、深い悲しみの上に大きな優しさが被さってる。そんな感じがする。」
そう言ってある家の壁に頬を寄せるサティアを、イリヤは不思議そうに見ている。
「…隊長。本当にあの人が僕たちの最大の兵器なんですか?」
「何故だ?」
「僕には…あの人がそんな汚れ仕事をするようには思えない。頭だって僕と同じくらいいいと思う。強いし、冷静だし…。隊長とは関係なく、僕はあの人を尊敬せずにはいられない。どうして彼女じゃなきゃいけなかったのか…」
「それは…運命…。そうとしか答えられない。」
アンセルは答えながら、あのイリヤさえもがサティアを人間視している事に、何とも言えない切なさを感じた。イリヤはその高い頭脳の為、孤独に育ち、事実や正確さを重視してきた。それ故に、彼は情緒的なことを感じても、それをうまく言葉では表現できない。同じ様な育ちでも、サティアの方は、発する声の表情は乏しくとも、言葉そのものの持つ印象や重さに、人を圧倒させるものがある。感情的に喚くより、論理的なイリヤには、淡々と紡ぐサティアの言葉の重みの方が、より心に響くのかもしれない。イリヤから見たサティアは、自分が持てなかったものも持っている、理想の存在…と言ったところなのだろうか。
「ここは本当に誰も居ないようだな。シレンセのような罠の気配すらない。」
「ということは、敵にとって、さして重要なものは無い、ということでしょうか。」
「そうだな…。むしろこれを見せたいくらいなのかも知れん。とにかく神光玉まで行こう。すぐに着く筈だ。」
まだ家々を見て、何かの思いに耽っているサティアにアンセルは一声かけた。
「サティア。過ぎた事は元に戻せない。…行くぞ。」
その言葉で、サティアは我に返ったのか、先程までの愁いた表情が一変し、精悍な顔つきになる。正に軍人か、国家機関の暗殺者のようだ…個人的な感情や無駄な感傷の一切を断ち切ったその顔は、鏡の中の自分を見ているような錯覚に、アンセルを陥らせた。この世で唯一無二の実の姉に、そんな表情をさせている自分…。その為に、彼女が命を落とす事も在り得るのだと、今のアンセルには、もう、はっきりと現実として有り得る事なのだと身に詰まされる。そう思うと、立場を忘れ、守るべき筈の全てが疎ましく感じる。それを思うと、当人ながらも、自分が人や部下に対して、いかに冷たくぞんざいに扱ってきたかが窺えた。もし自分が指揮官という立場でなければ、きっと誰も自分に付いてくる者など居なかったろう。結局、アンセルにとって、何としても守りたいのは、血を分けたサティア唯一人だったのだ。アンセルはずっとサティアを守ってきたし、彼女に必要とされていた。アンセルが居なければ生きていけないほどに…。彼女を守り続けることが、アンセルにとっての生きる理由だった。それが証拠に、サティアを部下やソーマやカイルに引き合わせたのも、その内、周りの方から自然と彼女に心を揺さぶられ、やがて、任務でなくとも彼女を守ってくれる状況になると、ある程度予測していたからで、結果その通りになった。今までのアンセルならその為の犠牲なら例えそれが親友でも、『仕方のない事』と容易に割り切れただろう。だが全てが上手くいったわけではない。その原因は、自分が人の感情、特にサティアとソーマの感情について甘く見ていたからだ。今、サティアに関わる殆どの人間が、彼女を守りぬくことを、自身の生きる意味としている。アンセルの分身が必要以上に増殖してしまっているのだ。それを感じたサティアは、死にたいほどの重荷を背負いながらも、自らが生き続ける理由として、逆に自分が率先して戦地に赴き、彼らを危険から守る事を選んだ。今のサティアにとって、生き続ける事自体が罪で、彼らを守ることがその償いなのだ。事の諸悪の根源は、自分の存在だと思い込んでいるサティアにとって、そんな自分の為に人が死ぬのは、絶対にあってはならないこと。きっと自分だけが消えて収まるものなら、喜んでその身を切り裂くだろう。それが優しさ…なのだろうか。だとしたら、優しさの定義は千差万別とはいえ、アンセルのそれは優しさとは程遠い。そう考えると、自分が如何に邪であったかが浮き彫りになる。真の優しさとは、相手に好感を抱かせ警戒心を解かせる為の、物腰の柔らかさや、それを完全なものにする為の社交的な愛想笑い、戦火で生き残る為と称した厳しい訓練をさせる事でもないのだ。なぜなら、彼らが訓練や実戦の中で築いた絆さえ、当人達がどう捉えていようと、アンセルにしてみれば、真に彼らの為を思ったものではなかったからだ。サティアを守り抜く為の布石。真に優しさを向けていたのは、サティア唯一人だけだった。何にせよ、優しさを駆け引きに使った時点で、サティアに対するそれも、真の優しさと呼べるものから、気付かぬ間に遠ざかってしまったようだ。アンセルの優しさは、利益があるからする事で、結局は自分一人だけが利益を得る為のものでしかないのだ。今までの自分の優しさは見返りがあることを計算しての言動。それが他人にも繋がると信じていたのも、情の薄い自分を正当化し、更なる見返りまでも期待していた、自分の薄汚い本性に気付きたくない為の、無意識の逃亡。全くなんと卑怯で傲慢だったことか…。今まで自分が一番嫌悪していた人格を燻らせていたのは、当の自分だった。損得感情の欠片もないサティアとは正反対だ。きっと自分も、サティアの精錬潔白さに憧れ、一方では嫉妬する余り、本当の自分に目を逸らし続け、その上愚かにも、人格者としてサティアを越えたかような錯覚さえ抱いていたのだ。
世に在る全ての核心を象徴しているかのような神光玉に近付くに連れ、アンセルの苦悩は、彼の歩調に合わせるかのように膨れ上がっていく。そんなアンセルの、悶々とした脳裏に、ふと、リン=セイの言葉が頭を過ぎった。『貴方は選ぶ側の者。貴方自身が望もうが望むまいが、それは変えようの無い事実』。そうだった。その言葉の意味の奥にある事…。自分は、一瞬で世界を一変させるほどの力を持つ、サティアの管理、指導者でもあるのだ。サティアの望まない、自分の個人的な思いで、一つでも何かを踏み外せば、先にあるのは、この国の静寂を遥かに凌ぐ、無音の世界とあたり一面の荒野かもしれない。そして、純粋に平和を求めるサティアにとって、そんな光景は絶対に耐えることも出来ず、かといって自分が死へ逃げることなど許す事も出来ずに、日々自分を責め続けるだろう。そんな風に、意味無くただ生きるのは、生きているとは言い難い。そうなれば、今までの全て、目に見えない努力や積み重なった様々な思いやりさえも、一つ残らず無意味になってしまう。今頃になって、自分の醜さにやっと気付いたような自分に、果たしてサティアや皆が望む平穏な世界に導く、などという大役が務まるのだろうか…?そもそも、今のアンセルには、自分の選んだ道が、皆が望むものへと向かっているのかも、分からなくなってきていた。整然と、ただ佇む家々の間を歩きながら、自分が背負うものの数と、その大きさと深さに、アンセルは心で溜息を吐いた。
「アンセル?」
気が付くと、サティアが顔を覗き込んでいた。無表情だが、明らかにアンセルの異変を察知している。
「…いや。何も。おかしかったか?」
「ううん。それならいいの。」
逆転している。サティアはずっとアンセルの微妙な不安や動揺をそのまま自分の中に取り込んで混乱したりしていた。だが、今の彼女は違う。アンセルの心配はしても、その事によって自分が動揺するような事はなくなった。動揺による、ふいの発動を回避する為もあるだろうが、それだけでなく、今のアンセルと違い、彼女はもう、自分が背負う様々なものに対して腹を括ったからだろう。皮肉にも、元は双子で一心同体だったと知った次の瞬間には、もう自分たちの間に距離が出来ていた。いや、単にその事で、ぼやかされていたサティアと自分との間に、元々大きな『格の違い』があった事に気付かされただけなのかも知れない。そしてそれに気付いたのはアンセルだけ。それもそのはず、サティアは端からそんなものには興味が無い。もしかすると彼女は既にもう随分前から感じていたのかも知れない。それにそれが表に出ず、アンセルが今の今まで気付けなかったのも、アンセルへの気遣いでも何でもなく、単に興味がなかったから表面化しなかっただけだ。『格差』が在ろうが無かろうが、それが自分達に、影響を及ぼすことなど無いと思っていたのだろう。それが証拠に、今でもサティアはアンセルに対して、心からの尊敬と服従を誓っている。…出発前、カイルの言った『他を凌ぐ強い絆』を再び築くことはもう無理だろう。彼女は何かに依存せず生きて行かなければならない実情と、今は人に依存していられる状況では無いこと、むしろ周りに頼られる立場になったことで、本来の自分の強さを使わなければならない状況になってしまったからだ。だが、アンセルの思考はサティアとは違う。今までアンセルはサティアに頼られ守ることで、自分の強さと自信を確認していた。そんな惨めで情けない自分より先に、神殿に続く階段を昇って行く、サティアの背中を見ながら、アンセルは思わず彼女の腕をきつく掴んだ。
「どうしたの?」
「あ…いや、危険が無いとは言い切れない。だから、俺が先頭に立つ。」
「…分かった。」
サティアは黙って指示に従う。しかし、本当は『危険』云々からの言動ではなかった。物理的なことでなく、サティアが自分を追い抜き、そのまま振り返らずに行ってしまうような気がして、それが堪らなかったのだ。強かった筈の自分は、『自分が守るべきサティア』が存在して、始めて成立する強さだったのかも知れない。今になって、自分の中に潜む、どうしようもない脆さと、醜さの存在について確信した。
錆付いて不快な音のする、神殿の扉を開ける。ずっと閉じられたままだったせいか、漂う空気の湿気は高く、絡みつくように重い。自分の心のようだ。開けないように無視してきた奥底の想い。先日アンセルはミーナに、心から自分の全てを委ねられる相手など居ない、そんな感情は良く分からないと言った。勘違いもいいところだ。自分こそ、サティアに命も生きる意味も生きた証も、全てを捧げていた。自分や友が生き残っても、サティア無くしてどう生きていくつもりだ。近くに居ることがあまりに当たり前で、サティアがいない世界の想像すらした事が無かった。二年前の惨劇でサティアが消えた時も、その実感は無く、自分が強くなって戦い、勝利を収めればサティアの居る、いつもの生活が戻ると無条件に思い込んでいた。だから戦い、強くなった。自分が言った、生き残った者に残る疵というのも、きっと自分に対する言葉だったのだ。一番大きな疵を背負うことになるのは、自分自身かもしれない。他人に対して冷静で居られるのも、自分にはサティアが居る、という自己中心的な感情と安心感からもたらされるものだったのだ。サティアは分かっているだろうか。アンセルにとって自分がどれほど重要な存在かと言うことを…。もし今、もう一度、再会のあの時の二人に戻れたなら、迷う事無く、サティアを抱きかかえたまま離さずに、どこかに消えていただろう。
「あれみたいですね。何か煤けてて貧相だなぁ。うわ、すごい埃…。」
イリヤの声で我に返ったアンセルの目に映ったのは、蜘蛛の巣と埃に覆われて灰色にくすんだ大きな繭玉だった。近付いて初めて神光玉と分かる。
「隊長…開けます…よね?やっぱり…。」
潔癖なところのあるイリヤはあからさまな嫌悪感を示しながらアンセルに訊いた。
「当たり前だ。その為に来た。忘れたか?」
「分かってますけど、僕は…あんまり…」
「触れたくないんだろ?」
イリヤが笑顔とはいえない愛想笑いを返したので、アンセルは扉と思われる部分に手をかける。
「私も手伝う。」
「いや。いい。これは俺が…。」
この手で開けなければいけないモノだ。先程開けた、自分の卑しい本心のように。造り自体が球体と言うこともあり、力をかけられる隙間をつくるのに多少の時間がかかったが、その部分さえ掴んでしまうと、守るものを無くした器状の金属の塊は、無気力に重そうな音を立てて地面に転がった。中には…
「うっわ!ごめんなさい!隊長!これはちょっと…」
中を確認すると同時にイリヤはその場から少し離れた所でもどした。中には同じ様に球状のガラスでできた容器が、様々な絶縁済みの電線で宙吊りにされている。ガラスの容器の中には少し濁った緑色の液体と、崩れかけた、『脳』。その『脳』にも様々な所から電極が伸びている。
「イリヤ?大丈夫か?」
「…は、はい。すみません。」
謝りながらも、イリヤはまだ少し咽ている。
「いや。…こんなもの、誰だって気持ちの良いものじゃない。情報を得るのに、サティアの力がいるか?」
「はい。」
「…生きていたいという欲の恐ろしさ…。」
サティアが呟く。
「何だ?」
「あ…3015年11月の前シレンセ王の日記です。…サティアさん、よく覚えてましたね…。僕、数字なら覚えられるんだけど、文章はなぁ…。」
「なるほど…。では、グラセウスがこれを開けるまでは、この脳は生きていた、機能していた、ということか?」
「だとして、その上脳だけで十分な機能が出来たのだとしたら、停止するまでの事象の記憶はこの玉の中にあって、我々の動向もある程度分かっていたかもしれませんね。ってことは、今も活動している神光玉の脳は未だにそれを続けてるわけか…。これで神光玉の仕事内容がはっきりしてきた。生物は何かの刺激によって反応する。…考えたりしても同じだ。脳を使うと電気信号が出て、自然と自己電力は発生する。神術が使えるならその力の大きさは尚更ですね。完璧に繋がっていた頃は力だけでなく、ある程度の情報等の交換もされていたかもしれない。考えるという脳内活動によって原動力を作る、生き続けるためとして、情報交換で互いに刺激を与える。互いを刺激することで、力の増幅が完璧に行われていた。外的な力が必要になったのは互いの情報交換断絶が原因で刺激が少なくなったからでしょうね。つい最近までのようにサティアさん達が、莫大な神術を送り込めば、脳は負担を感じて、負担を処理する為に、否応無く脳内活動は活発になる。結果、サティアさんが力を送らない時でも、惰性的な脳内活動で原動力は途絶えずにいるのかも。」
「こうまでして生きようとしたのは…この状態でも生きていると定義したのは、子孫の私達を見届けるため?」
「うーん…僕は違うと思う。今までに手に入れたカミサマ達の情報から推察しても、多分、自分という意識が、完全な無になるのを恐れたからじゃないかな。」
「確かにこの状態なら、死にはしないだろうな。身体は無くても老いて死に、人々に忘れ去られるより、こっちを選んだんだろう。最期まで、自分達が創り上げたこの世界は、自分達のものにしておきたかった。」
束縛、という観点からなら、分からないではない感情だ。きっと殆どの者は、もし自分だけに都合のいい世界を創れたなら、むざむざと自身の目の届かない状態になったり、まして完全に他の者に譲ったりはしない。そんな事をするくらいならいっそ壊してしまおうと思う者も多いのではないだろうか。
「だとしたら、この電子媒体のどこかに、停止するまでこの脳が得ていた情報の残骸が残ってるはずです。壊れてるかもしれないけど。」
「出来るか?」
「勿論!僕を誰だと…。…えっと、当たりはついてますし、復元はもっと簡単です。サティアさん、僕が線を繋いで、合図したら、いつも神光玉に力を送っている時と同じ様にして下さい。量も時間も僅かで大丈夫です。」
最初に『脳』を見た時の反応が嘘だったかのように、イリヤは機敏な動きで仕事を始めた。笑みさえ浮かべているように見える。イリヤの合図でサティアが力を与えると、『脳』の入った濁った液体に一瞬大きな泡がうねり、仄かに光を発した。それから僅か一分足らずで、イリヤはサティアに送電中止を伝えた。
「情報は得ました。復元は今でも後でも、どこでも出来ますけど、どうします?」
「そうだな…。本当にもう得られる情報は無いのか?」
「ここと、この玉には。グラセウス殿の部屋に何かあるとすれば、無いとは言い切れませんが。」
「では、ついでに王室まで行って見るか。もしかしたら、行方不明とされてるグラセウス殿が居るかもしれない。どう見ても、この国へのは攻撃は無かったようだし、ただ周りと連絡が取れずに居るだけで…。ざっと見て、不審なものが無ければすぐに帰ろう。」
「了解しました!」
帰ると言う言葉に、浮き足立ったイリヤは先頭に立って王室へと向かった。王室への道のりは考えられないほど短かった。グラセウスの生活を垣間見たような感じだ。自室と、たまに神殿を行き来するだけで、国内が実際どうなってしまっているのかなど、知りもしなかったろう。再び宝捜しのような当ての無い捜査が始まる。今回は妙に鋭い勘のカイルも居ないし、どうせ何も無いだろうと踏んでいたアンセルは、なんとなく衣裳部屋の戸を開けた。綺麗で高級そうな衣装が並べられている。しかし、その衣装の列の途中に、妙な間隔が空いているのを発見した。何か引っかかって、その隙間の影から辿るように下床を見る。そこにあったのは美しい衣裳部屋に似合わない、擦れてくすんだ敷物の染みが、その奥へと帯状に続いている。直感的にそれを何度も通ったことを示す足跡だと感じ、衣装を押し退けてその黒ずみを追うと、目の前には壁があったが、その壁に遮られる事無く、帯状のくすみはそのまま壁の奥へ続いていた。奥に何かある…。そう思って壁を叩くと、そこに空間があると分かる音の変化がみられた。…緊急避難用の部屋?ならば、もしかすると、グラセウスがこの中にいるかもしれない。アンセルは躊躇無くその壁を蹴破った。グラセウスの名を呼び、自分も名乗りながら階段を降りていく。
「グラセウス殿!アンセルです!無事ですか!?」
反応が無い。手遅れ…だったか…?階段を降りきると、待ち受けていたのは、美しい装飾の施された豪華な部屋。誰も居ない。良く考えて見れば、この部屋の様子から察するに、避難所としての場所でない事だけは確かだ。無駄な装飾ばかりで、命を繋いでおくための設備は気配すらない。
「!?…これは…一体…」
アンセルは大きな鏡台の脇に陳列された、不気味な物に声を失った。


「そろそろかなぁ。」
書斎の窓から上空を見上げ、カイルは誰とも無しに呟いた。
「どっちですか?」
「う~ん…どっちも。」
部屋にはリン=セイ、エルド、ジリーにミーナまで居る。一同がカイルの書斎に介しているのは、全員がこの場を離れている者達を心配して臨戦体勢をとって居たいからなのか、カイルが階級差を気にしないからなのか、理由はともかく、カイルの書斎は二つの隊がこの場を離れてからずっとこの調子だ。流石に就寝時間になれば各自部屋に戻るのだが、それが過ぎるとここが溜まり場のようになる。それぞれの抱えるやり場の無い不安を、互いの存在で緩和しているのかも知れない。国王の立場としてはこの状態を許してはいけないのだろうが、今はカイル自身もその中に居ることで、様々な思いや葛藤から救われているのが現状だった。就寝時間が来て皆が居なくなり、一人になると、不吉な考えだけが次々と頭を通り過ぎていく。考えすぎた脳が疲れ果て、やっと眠りに落ちるまで、その不安からは解き放たれない。ただ待っている事しか出来ないことがその不安を増徴させるのだ。その部分に関しては、ここに居る全員が感じていることだろう。
「陛下!」
いつも礼儀を怠らない秘書官が、入室許可も得ずに、息せき切って書斎の戸を開いた。
「隊から連絡が来ました!間もなくこちらに到着だそうです。」
「本当か!?」
「はい!」
全員が安堵と不安の入り混じった溜息を吐いた。
「どっちからだ?アンセルか?」
「あ…いえ、ソーマ殿の方です。」
「…そうか…。彼らは無事か?」
複雑な思いでソーマ達の状況を聞く。カイルが本当に無事を知りたいのはサティアなのだ。自分自身もだが、ソーマもその事が一番気がかりだろう。彼はサティアとアンセルがイルズへ向かった事を知らない。その事をどんな風に伝えようと、ソーマを筆頭に帰還した隊員達は不安を隠せないだろう。
「ええ。そのようです。捕虜の獲得にも成功した模様です。」
「アンセルからの連絡は?」
「まだです。」
「…。分かった。とりあえず着陸に備えて、獲得した捕虜の対応準備を始めよう。機体を降りる前に目隠しを。それから、少し野蛮だが捕虜はそれぞれ離れた独房に入れてくれ。目隠しは入室してから外すように。」
数人でも仲間の存在を感じれば、誰も口を割らない。自分の生命の味方が、我々だけだと思い知らせなければ、わざわざ危険を冒して獲得した捕虜の意味が無くなる。
「かしこましました。」
「それから、着陸態勢に入ったら呼んでくれ。皆で出迎える。」
秘書官が命令を了解して部屋を後にすると、部屋は妙な沈黙が続いた。この部屋の誰もが、ソーマ達の帰還を手放しには喜べない。皆が描いていた最高の筋書きは、アンセル達が無事に帰還してから、彼らを迎えるという状況だった。任務を成功させ、長きに渡る緊張状態から開放され帰還し、歓喜して迎え入れてくれる筈の隊長が不在…それも極少人数で危険な場所に向かったと知れば、再び心休まらない時間が訪れるだろう。
“着陸態勢に入りました!”
部下からの通信で、全員がいそいそと広場に向かう。皆、まだどんな状態で迎えて良いのか分からないで居るようだった。強風を巻き上げながら降りてきた艦は傷一つ無く、激しい戦闘は無かったという事を告げていた。扉が開き、最初に出てきたのはルークだった。それに続いて目隠しをされた捕虜が三人続く。青年に初老の男、最後はまだ子供で年齢も性別も分からない。彼らは秘書官達に連れられ、速やかに独房へと消えていった。カイルや他の隊員達は、帰還した者達に、一人一人に握手と労いの言葉を告げる。
「とにかく中へ。報告とこちらの状況は中で話す。」
カイルの一言で、宮殿の中に移動する。やっと解かれた緊張状態から、あのソーマすら安堵の笑みを浮かべていた。会議室に向かう廊下でも、カイルは一言も話さず、アンセル達の状況をどう話すか考えていた。しかし、どうやっても動揺させずに伝えることは不可能だ。こういう場合は冷静に淡々と事実だけを伝える方がいいだろう。会議室の扉を抜ける瞬間にカイルは腹を決めた。
「皆、ご苦労だった。やっと戻って来て休みたいだろうが、先に捕虜についてと向こうの状況を聞かせてくれ。」
「はい。…しかし、隊長は…」
「大丈夫だ。とにかく話してくれ。」
アンセルが同席していないことに、既に不安を感じている。報告に支障が出ないよう、アンセルの件は報告が終わるまで後回しにしておいた方がいいだろう。
まず、捕虜の人選は、年代別にし、性別は全員男にした、と中佐のディンが報告を始めた。体力や精神面を考慮して、女性は連れてこなかった。年を経ているものはそれだけ昔からの情報を得ている可能性が高く、若者は今現在の敵の動きに精通している筈。しかし若いだけに血気盛んで口を割るかどうか怪しい。一方、少年は幼さ故に、ボロを出す可能性が高いが、こちらが知りたい事を答えても信用性に欠ける。ディンもカイルと同様、互いを接触させないことで、彼らの不安を煽る事が突破口になると考えているようだ。特に青年は柔軟性を持ち合わせている為に、小さな矛盾に敏感だろう。遅かれ早かれ彼が全てを語る事になり、こちら側としては、一番の収穫になるだろう。老人と少年は、この青年の口を開かせるための保険に過ぎない。
「そして…。」
「なんだい?」
「我々が侵入中、一番耳に付いたのは『イトの子サティア』という者の存在でした。勿論、我々の知るサティアでないことだけは確かです。聞く所に拠れば、その女性は、神然とした振る舞いと言動で、皆、その女を純血の神だと思い込んでいる。現在その女が、神もしくは王の座に就いているのも、恐らく、その女が弱者達に対し、彼らがこうあって欲しいと望む、神の在り方を裏切らずに居る事で、彼らの心を満たしているからでしょう。だから彼らは異議すら唱えず、そいつの為に全てを捧げている。崇拝し切っているようでした。しかし、実際にそいつを目撃している者は殆ど居ない。にも関わらず、昼夜問わず働き、自分達の生活水準が著しく低い事に気付いてもいない。完璧な洗脳状態にあるようです。」
「ふ~ん…なるほど。実際、そこまで自分達に都合のいい『神』など存在しないのにねぇ。…だからこそ、彼らは本物と信じたい。皆、楽な方がいいんだろうな。耳障りの良い甘い言葉に縋り付いていれば、都合の悪い現実は忘れて、ただ生きて『神』に従っているだけでいい。完璧の『神』の元に仕えているという大義名分さえあれば、何をしても許されるとでも思っているんだろう。優越感と自己満足と自我の放棄。…集団心理も一役買っているな。その『サティア』を名乗る人物、ある意味かなりのやり手な訳か。」
「はい。象徴としては完璧でしょう。しかし、私個人の感想に過ぎませんが、裏にそれを誘導している者が居るのではないかと…。」
「うん。その線は濃いな。もしかすると、私がシレンセで目撃したのはその女だったのかも知れない。とすれば、何時の世も、真の統率者というのは、単独行動はおろか、表に立つことはないだろうから…やはりその女も、自覚の有無は別として、また単なる役者の一人か。裏にまだ居ると考えていいだろう。それにしても、真偽の程やその経緯の真実までを知らないにしても、『イトの子がサティア』だという認識がすっかり定着している事には驚きだね。こっちは、ついこの間知ったばかりの事が、奴らには、周知の事実であるという事になると、その話が出回ったのは、過去、数年単位に遡るという事か…。となれば、その一番上に立つ、影の統率者は、極限られた人物だということになるなぁ…。」
カイルが余韻を残し夢想ながら、在らぬ方に顔を向けると、ソーマが強い口調でカイルに喰いついてきた。
「で?サティアやアンセルはどこなんだ?」
「う~ん…それがね…。」
カイルはもうこれ以上話を逸らせられないと腹を括り、アンセル達の現況とその発端を語り始めた。


「女神サティア様、少々問題が…。」
『サティア』とセルーナは王室で、お茶を楽しんでいた。そこに今、秘書官らしき人物が酷く申し訳無さそうに入ってきた。『サティア』がお茶を楽しむ時間を、くだらない事で邪魔してしまったとでも言うような顔つきだ。
「何事です?」
「…それが…」
「セルーナなら構わないわ。だって私達は神の姉妹なのよ。何事にせよ隠すことなど何もないわ。続けなさい。」
「はい…。実は先程発覚したのですが、我が国民三名が、行方不明で、恐らくリアズの捕虜になったのではないかと…。」
「それで?」
「いや…その…」
「三人程度、くれておやりなさい。」
「しかし…」
「何を喋ろうと、何をされようと、この国にとっても私達神にとっても、そこまで重要なことではないわ。下がりなさい。」
秘書官は席を離れ、部屋を出て行った。
「そのままにして…いいのですか?助けは…」
「必要ないわ。だってその三人は私達のように神ではないのよ。必要だと思う?」
「…でも…命が…」
「命が、何?」
「え…」
「ただの人間の命なんて腐るほど在るわ。人間達は皆、人の死の上に生きている。私達神が放って置いたら、無意味な破壊を繰り返し、無意識に自らの滅亡へと進んで行く、愚かな生き物…。だから私達神のように数少ない特別な存在さえ、きっちりと残って居てあげればいいの。守るべきは私達神だけでいい。そんな彼らの自虐を制限するには私達が必要でしょう?導く神が居なかったら、皆路頭に迷ってしまうわ。それを防ぐのが私達の役目。私達神を守り、従っていれば安泰だわ。大体、人間は数が多すぎるのよ。多い分だけ私達の仕事は多くなる。少しくらい減ってくれた方が良いかもしれないわね。そう思わない?」
と、『サティア』の口元は優雅に微笑む。
「…私は…。」
セルーナは返答に困った。世界にも自分の中にも、灰色の部分がある事を知ってしまったからだからだ。ここに来る以前のように、具体的な出来事に直面せず、全てを誰かが、善と悪、白と黒に分けてくれていれば、この問いへの返答も迷いは無かったろう。しかし、今のセルーナには、法や雛型、指示、判例も何も無いところに於いて、正しい答えというのが、存在するかさえも全く分からない。見る視点で、常に大きく変わる善と悪の中間部分が存在することを、身を持って感じた今のセルーナには、即答できないことだった。
「どうしたの?何かあるならはっきりと話して。」
「…いえ。何もありません…。」
沈黙は金…かつて自分が一番嫌った行動をしている。ここに来れば、本当の自分が見え、そして正当に評価されると思っていた。望んでいた。その事に間違いは無かったが、自分に下された『正当な評価』は、ただただ『無力』だということだけだった。そしてそれは、周りの嘘や環境のせいでなく、自分自身の心や信念が、そもそも弱いからなのだと悟った。だから結局、自分より強いこの女性に、付いて行く事しか出来ない。ほんの少し前、悪者だ、嘘吐きだと、憤りの対象にしていた人々は、きっと無力である事を自覚させないように、自分を包んでいてくれていただけなのだという事にも気付いた。でも、もう遅い。追い出されても、逃げ出しても、その後どうしていいのか自分には分からない。…そう。それに…私にはもう、ここ以外に居場所は無い。全ての優しさを、我儘で切り捨てた自分に、帰れる場所など無い…。それでも、この場所に居続けるくらいなら、戻って皆に蔑まれる方がましだった。


カイルが説明し終えた後の空気は最悪だった。
「俺達が帰ってからでも良かったんじゃないのか?」
ソーマが静かに意義を唱える。
「確かにそれも一理あるが、この状況では、情報の収集は早ければ早いほど良いし、どちらにせよ、あの三人が一番この任務に適していたのは事実だ。」
「サティアをモノとして扱いたくないと言ったのは誰だ!お前自身じゃなかったのか!?」
「そうだよ。これは任務で、彼女を行かせたのは一人の才能ある人間としてで、戦わせたり兵器として戦場に行かせた訳じゃ…」
「結局は同じだろう!お前は、どこがいつ戦場になるのか、分かってもいない!指示を出すだけのお前に分かる筈が無い!もし戦場になれば、あいつは力があるだけに、戦わざるを得なくなる!そこまで考えたのか!?まして、あいつは今…」
戦場で生き残れるほどの体力は無い。それも分かっていた。
「…考えたさ…。」
だからこそ、ソーマや他の隊員達の与り知らぬところで、彼らを送り出したのだ。知っていれば、特にソーマは反対しただろう。それでもサティアは振り切って行く。そうなった時、取り残されたような状態になったソーマは、益々彼女を追いかけ、守りきれない自分を不甲斐なく感じる傍らで、サティアへの執着に歯止めが利かなくなる。今でさえ、ソーマの行動の全ては、サティア一人の為なのだから。そして、もし彼女が二度と戻らなくなってしまった時、ソーマは総てを諦めてしまうだろう。それだけは絶対に避けたかった。そのためには、二人の距離を少しでも遠ざけなければならない。カイルは自らが、一番の悪役を買って出る事で、それを成し遂げようとした。そうしなければ、もしもの時、ソーマに落とされた不幸の雫の一粒は、波紋となって周囲に広がり、延いては、今我々に残された、最後の砦とも言える、自己犠牲や互いの信頼関係が危うくなる。正面に敵が居るのに、仲間同士で共倒れしてしまっては駄目なのだ。
「…なら、どうして…」
「他に選択肢が無かった。それだけだよ。」
冷淡に無表情のまま答えたカイルを、ソーマは前触れ無しに、躊躇も容赦もなく殴り飛ばした。覚悟はしていたものの、カイルは唐突に繰り出された、ソーマの拳に即座に対応出来ず、床に転がった。
「ちょっと!ソーマ!それはやり過ぎよ!」
ジリー達が止めに入ったが、そうするまでもなく、ソーマはそのまま、すっと黙って部屋を後にした。暫くの後、カイルはゆっくりと立ち上がりながら呟いた。
「…私だって、彼女を行かせたくは無かったんだ…」


 何度尋問しても、屈強な男達を前にしても、捕虜達は頑なに口を閉ざした。何か知っていて黙秘しているのか、何も知らないから喋らないのかさえ、分からない。『サティア』という言葉を投げかけた時だけは、必ず怯えるように跪き、祈りの言葉を全員が唱えた。だが、ただ一つだけ違う答えが返ってきたのは、和ませるための世間話の最中、出身地を訊いた時だ。老人はイルズと答えたが、青年と少年は『イト』だと答えた。洗脳状態が続いている故の回答なのか、帰化した事を示しているのか分からないが、少なくとも少年は嘘を吐いている様には感じないし、老人は違う事を答えたとなると、真実なのかもしれない。そう考えると、『イト』と答えた二人は、本当に『イト』で生まれ育った可能性もある。一方の老人も、軽く六十歳を超えているという点で信憑性に欠けるかも知れないが、もしかしたら、だからこそ危機感に鈍感で、こちらにとっては重要な真実と思わずに口にしている可能性もある。ディンは溜息混じりに、今日も捕虜達に変わりが無かった事をカイルに伝えた。
「やはり、老人の言葉を真実と考えると、彼らの世代がまず『イト』に移住し、青年と少年はそこで生まれた、二世三世なのかもしれませんね。」
「ああ。そうなると、『イト』に人が集まり始めたのは、軽く見積もっても二十から三十年以上は前の話だな。」
「それを知っている可能性のある者は、ここではあの老人以外には居ませんね。」
「ああ。可能性のある者は、これまた都合良く、皆死んでいる。後に、暴かれる事が無いように黙ったまま死んだのか、死んだから暴けないのか…。どちらにしても、我々の代以前の殆どの前王達が黙認してきたのは言うまでもないな。…で、老人の方は『イト』という国の起源を知っている可能性が高い事は分かった。そして、青年はその過程と戦争の発端、では少年は?一体何を知っていると思う?」
「難しい質問ですね。…子供は好奇心旺盛だから、もしかすると、他の二人が全く知らない事や、知ってはいけない事を知っているかも。それが重要な事という自覚無しに。」
「責め方を変えなければならないかなぁ。」
「そうですね。我々に対する恐怖感は殆ど無い。『偽サティア』の方が余程怖いんでしょう。それに我々も把握している情報が少な過ぎて、どこを突付けばボロが出始めるのか分からないでいるのが正直なところです。」
「…うーん…狂信者には、宗教的な矛盾点を突くのが早いかもしれない。そもそも彼らはこれが何の為の戦いなのか分かっているのか?神の為?だとしたら神は何を望んでいる?で、その神はその後彼らに何をしてくれるんだ?今もっとも矛盾しているのはなんだ?…守ってくれるはずの『神様』が助けに来ない事、自由を売りにしているのにこき使われている事、その上生活水準が低い事、平和を謳いながら戦闘を仕掛けている事、しかも犠牲になっている者の多くは何も知らない同じ人間だという事、…彼らが恐れる完璧の神…そのわりには随分粗が目立つ。それにしても、神光玉無しに、彼らはどうやって生活しているんだ?」
「それが…どうも、地下から何かを掘り出し、加工して原動力としているようです。」
「なるほどねぇ…。じゃ、故ギル氏はその辺の技術や開発にがっつり関与していただろうな。何がどこにあって、どう使うのか知っていたのは奴くらいだ。」
会話にそぐわない笑い声をたてる。ギルもホルスも全てを知っていて、会議ではイトを敵として防衛策を声高に訴えていた。全員がずっと彼らに騙されていたと改めて思うと、怒りを通り越して滑稽だった。彼らは戦争によって世界中に自分達の力を見せ付けたかったのだろう。だから彼らは、わざとイトに兵器を渡し、反逆を起こさせるように仕向け、自分達の作った兵器と力の威力を試そうとした。勿論、自分達が負けるはずの無い戦いの脚本を書いていた筈だ。だが誤算だった。名を挙げようとする気がはやり、負けるなどとは思いもしなかった事だろう。まして、イトでない者達によって。
「よし、あの青年に的を絞ろう。年齢的に見て、『矛盾』という事に一番敏感なのは彼だ。」
「了解しました。では…」
「いや、待て。私が行こう。」
「え!?…いや、しかし…」
「大丈夫。肉体的な『尋問』は性に合わないけど、心理的なものには強いんだよね。こう見えても。撹乱させて全ての事に懐疑的になれば、もしかしたら、聞きたいことが山ほど在るのは向こうの方かも知れないよ?」
カイルはソーマとのやり取りを払拭するように、捕虜達の下に向かった。


 カイルの部屋を後にして、ソーマは真っ先にサティアの部屋に向かった。案の定、戸は開いていた。常に閉まっていることがないのは、彼女自身がまだ、自分は『モノ』であるということを、自身にも周りにも言い聞かせたいからなのだろう。個人的な空間さえ、与えられる資格は無い、この事態の発端は自分だから…と。でも、その事で彼女を責める者はいない。だから自分で自分を罰そうとしているのだろう。自分が生きようと死のうと、必ず誰かが自分のせいで死ぬのだから。…いつになったら追いつけるのだろう。命をかけて彼女を守ろうとしている自分。しかし、それ以上のもの全てを投げ出して、生まれてしまったことさえ罪にして、それを償うように戦うサティアに…。ソーマは彼女を知るまで、命より大きな代償が在ることすら知らなかった。本当に、一番深く大きな代償とは、形として目に映るものではないのだと、サティアを見て思った。どんなに命がけで彼女を守ろうとしても、適う訳が無い。そもそも『命のかけ方』が、根本的に違うのだ。自分の命のかけ方は、突発的で後先考えず、単にその場の激情に駆られ、突き動かされた結果、命を危険に晒す事になってしまっただけだ。そういう、命を一気に放り投げるようなやり方は、犠牲心でも博愛心でもない。そこにはまだ、自分が痛みを長く感じなくて済むという利点が残っている。その上、誰かを助ける為だったと、残された者の同情を惹くこともできる。そんなのは、『犠牲』という言葉にかこつけた、自愛の果てに続く自殺行為でしかない。何故なら、そんな風に死んでしまえば、その後どうなろうと自分には関係無いし、いつまでも英雄として、悪者にされることも責任を負う事もないからだ。サティアは違う。彼女は自分自身とその命を、切れない刃先で、がりがりと削るように犠牲を払う。確実に死に近付くと知っていながら、事の最後を見届けるまで、ぼろぼろでも飽く無き生を貫く。身体、精神共に傷を負う事など少しも厭わない。例え最後に悪者と蔑まれようとも、それは、自分の死の後に続く未来や、周囲の人間が生き続ける為の、犠牲。名誉も何も、自分の全ての利点をかなぐり捨てたところに、真の犠牲心と博愛が存在するのだ。彼女にとって、死ぬことはむしろ利点で、苦しみながら生き続ける事が最大の犠牲と博愛なのかも知れない。
捕虜獲得の任務に出発した日、サティアが自分を極端に避けていたのには気が付いていた。そして、何故彼女がそうしたのかも、検討はついていた。多分、俺を自分に近付けせないことで、守る為だ。気付いていて何もしなかったのは、それでサティアの気が少しでも楽になればいいと思ったからだ。今の自分では、それくらいの事でしか、彼女の望みを叶えてやることが出来ない。カイルから話を聞いた時、憤りを感じてカイルを殴りながらも、その真相をどこかで分かっていたような気がしていたから、一発目を食らわせた後、直にその場を離れたのだ。カイルの命令があったからだけじゃない。きっとサティアは自分からも、行く事を望んだのだろう。それを分かっていながら、カイルを殴ったのは、サティアが自ら望んだ事だとしても、それを止めて欲しかったからだ。それはアンセルにも言える。サティアが自ら行った理由…。それは多分、どんな状態で戻ってくるか分からない自分達に、直に対峙しないようにする為だ。もし帰還した、捕虜を含めた自分達の誰かが負傷していたり、最悪の事態で死亡者が出ていた時、それによって自分の心が乱れ、不意の発動を引き起こしてしまう可能性を、彼女は恐れたのだ。死を選ぶ権利さえ奪われた彼女にとって、生きることは死より苦痛だろう。自身の中に生きる意味を見出せないのに、生き続けなければならない理由と責任だけが、鎖のように其処に在る。どうすればその呪縛から解き放ち、彼女の心に真の平穏を与えることが出来るのか…。そもそも自分には不可能な事なのか。…いや、可能性なら皆無じゃない。やってみせる。自分に、今生きている意味と、これからも生き続ける理由をくれたのは、サティアだ。ただの『恩返し』という意味でなく、今度は自分を筆頭に、サティアに救われた者達の感謝を受ける為に、生き続け、それをサティアの生きる意味と生きられる希望と、生きなければならない理由にして欲しい。
 例え…、また再び記憶を無くし、全ての記憶が無かったとしても生きてさえ居てくれれば、それだけでいい。それがソーマの生きる理由と意味だから。あの時…二人きりでシレンセの上空へ飛び出した、あの時、彼女の発した『イキテ』という言葉が、ずっとソーマを支えている。今もこれからも。自分が生き抜くことが、全てを救おうとする彼女のささやかな願いなら、どんなに苦しくても、絶対にそれを裏切ったりしない。これが自分にとって、たった一つ揺るぎない信念かも知れない。『必要。だから、そこに在る。』何に対しても、誰に対しても、どんな世界でも、それがそのものの全て。感じられるもの全部、それが存在するという事自体、どこかで何かに必ず必要だからだという事。彼女に自覚は無いかも知れないが、これまでの彼女の全てを通して、そう教えられた気がする。単純な言葉だからこそ、あらゆる事の真理に最も近い考えなのではないだろうか…。


「…こちら、アンセル。聞こえるか?」
“はい!ご無事ですか!?”
「ああ。全員無事だ。そちらの状況は?」
“ソーマ様達は任務に成功し、既にこちらに。カイル様は今丁度捕虜の所に向かうところなので…”
「いや、知らせるな。邪魔をしたくない。終わるまでカイル殿には伝えないように。いいな?」
“は!了解しました!”
「よし。今着陸態勢に入った。」
“了解。誘導します。”
「了解。では着陸後。」
通信機器を切り、振り返ると、イリヤはいつもの調子で椅子の上にうずくまるように大事な機材を抱きかかえて眠っている。サティアは窓から遠くを見つめていた。
「サティア…」
「…何?」
「ソーマ達は無事だそうだ。」
「そう…良かった。」
そう言って少し微笑んだが、心ここに在らずといった様子だ。ソーマ達の無事は心から喜んでいるのだろうが、それよりも、新たに直面した大きな問題に気を取られているのだろう。アンセルは彼女を連れてきたことに、心で詫びた。予測を遥かに超える、『見せてはいけないもの』があり、その上、予測した場所でもなかったせいで、自分の方が動揺し、サティアの目を塞ぐ事が出来なかった。もう、アンセルには彼女が何を思っているのか検討もつかない。たった一つの小さな証拠を目の当たりにしたせいで、彼女の立場は大きく変わってしまった。その『立場』は、アンセルには縁遠い存在で、経験できないものだ。自分達の誕生から始まる密接な関係の証拠を見つけた直後に、逆の現象を引き起こす証拠を見つけるとは…。それも、結果的にそう仕向けたのは自分だ。より残酷なのは、この運命か、それともそれを暴いた俺自身なのか…。


「やぁ。初めまして…でいいのかな?私はカイル。一応今ここで一番偉い人。君の名は?」
「・・・。」
「答えたくなければそのままで結構。ただ生憎私は喋るのが好きでね。君が黙っているなら、必然的に私はずっと喋る事になるけど…別にいいよね?」
青年はカイルには目もくれない。
「多少疑問があってね。ま、独り言だと思って聞いてくれ。君の出身はイトと聞いた。状況的にみて、戦争以前の他の国がどうなっていたか知らないことが沢山有るだろう。君達が攻撃を仕掛けてくる前はとても平穏でね。神光玉のお陰で、必死に働かなくても生活するだけなら何の問題もない世界だったんだよ。聞くところに拠ると君達は、神光玉が無くて、生きる為に別の原動力を作り出しているそうじゃないか。大変だねぇ。そんな苦労をしなくても、他の国に行けば、そんな心配などせず、自由に生きる事ができたろうに。…全く可哀想な話だ。私には君達がイトのお偉いさん方に、奴隷として扱われているようにしか見えないんだが…。」
青年の表情が変わり、カイルを睨みつける。若さ故の自信と誇りは、最大の武器であり、同時に弱点でもある。こちらの話に反応したなら喋り始めるのは時間の問題。少し前のソーマを思い浮かべながら、カイルは心から得意の嫌味な笑みを浮かべた。
「悪いね。私はおしゃべりな上に、無神経らしい。どこが気に障ったかはっきり言ってくれないと自分では止められないんだ。でも君は喋らないから、我慢してもらうしかないな。我慢といえば、『サティア』という人もかなり怖いようだね。本当は彼女にも我慢してるんだろ?君達は一生懸命働いて、ギリギリの生活をしてるのに、君達は彼女を殆ど知らない。顔を見たことも無いんじゃないのか?」
「そんな事は無い。俺は運良く、あの方の顔を見ることが出来た。一度だけ、作業場の近くで偶然…」
「運良く一度だけ…ねぇ。じゃあ、会話は愚か、彼女は君達にお礼すらまともにしてないんだ?」
相手が完全に喋り終わる前に話し出す。不思議なもので、こうなると、完全黙秘を続けそれまで話を聞こうともしなかった人間が、逆に喋る隙を探し始める。
「あの方は神聖なんだ…大体お礼など…」
「と、言う事は、彼女は君達を手伝うなんて事は勿論していないってことだろ?君達と一緒になって働いていれば、会話も顔も合わさないなんて事は無いはずだからね。でも働かない彼女が、のうのうと生きているのは、君達が苦労して作り出した原動力を、何の対価も無く使いまくってるから。そう思わない?」
「あの方は神だ!俺達を導いてくれた。今は寧ろ俺達があの方への恩返しとして…」
「恩返しねぇ…。道理でこちらが君達を拉致したのに、向こうに全く動きが無いわけだ。」
「助けが…?どういう意味だ…?」
「助けが来ると信じてたのか?」
「当たり前だ。俺はあの方や仲間を…」
「それにしても、助けにも来ないということは、彼女にとって君個人は、重要でも必要でも無かった事の現れだ。君の思ってる『恩』ってやつだって、きっと彼女は当然の事として受け止めてるんだよ。そもそもそれが君達からの恩返しだという事すら思ってないかも知れないな。彼女が必要なのは君達が生み出した力だけ。君一人居なくなった所で力がなくなるわけじゃないのに、わざわざ助けに来るはず無いだろ。そんな彼女をどうして『神』などと思うのか不思議だ。神は人を救済してくれるものなんじゃないのか?救済の神なら、君達の過酷な労働という『恩返し』を涼しい顔でと受け取ったりしない…いや、そもそも恩返しなど求めないし、もっと言えば、いくらなんでも過酷な労働と分かっているのに、それを傍観しているはずはないだろう。やっぱり彼女に利用されているようにしか見えないなぁ。」
「あの方は人を利用するような方じゃない!自由と自立へのを道を教えてくれたあの方に、俺達があくまで自発的にやっていることだ。強制されたわけじゃない。」
「じゃ、彼女は自由と自立への道が戦争と教えたのか?おかしいだろう?大体君は本心では、自由や自立は人から奪えるものじゃない事くらい、分かっているんじゃないか?君は…。」
青年は反論できる言葉を探して目を泳がせた。大抵の人間は、反論できない状況に陥ると相手の言葉を『正論』と受け止めてしまう。だが、実際、不変の『正論』はない。つまり真の『正論』など存在しはしないのだ。カイルにとって、それが分かっていない人間とやり合う事ほど容易いものは無い。
「時に、君はこの戦いが始まってから戦場に立ったことはあるのか?私には君にその経験があるとはとても思えないんだが、違うか?」
「…お前に言われる筋合いは無い。」
「おやおや、どうやら私の推理は当たったらしい。じゃあ君は、現場を知らないひよっこってわけか。なるほどねぇ…」
「なんだ!?さっきから聞いていればいい気になりやがって!戦場に立っていないのはお前だって同じだろう!?」
そんな事は無い。だが、カイルは一時、青年の描いた脚本に乗ることにした。
「何故そう思う?」
「何故?…はっ、ふざけるな!お前のように染み一つ無いいい服を着てる奴がそんな汚れ仕事を自分からするわけが無い!当たってるだろ?」
「まぁ、当たらずとも遠からず…かな。」
「どうせ、部下を顎で使って、貴様は安全な宮殿で気楽に過ごしてるだけなんだろ?お前みたいな苦労知らずの世間知らずが、思いつきで出した命令のせいで人が死んでも、その数さえお前は知らない!違うか!?」
「・・・」
一見、敵に対する侮辱の言葉が、実は口に出せない味方への不平…自分の嫌いな人間に発した言葉が、自分が嫌いな自分に向けた言葉だったりするものだ。戦渦でなくともこういった現象は多々ある。或いはこの青年も、知らず知らずの内に、秘めた怒りをこの場でぶつけているのかも知れない。
「俺は違う!まだ戦場には行っていないが、その代わりに戦場で深手を負った同胞を治療し、彼らがより良く生活できるように汗水垂らして働いてる!…貴様など、どうせ働くことすら知らずに生きてきたんだろう!何が神族だ!神を名乗るなら、俺達のような普通の人間を救ってみろよ!ただ突っ立てるのが神の役目か?それくらいなら神族で無くたって充分だ!」
感情を発露させられたなら、それを変えることも不可能ではない。カイルはこの青年から情報を聞き出すより、寝返らせた方が後々得られるものが多いと踏んで、話の方向性を変える。
「…そうかもな…。しかし、君達があくまで敵を『神族』と位置付けるなら、それは君達が諸手を上げて崇拝している、あの女も同じではないのか?こちらが掴んだ情報に拠れば、彼女も神族の一員だ。」
「…知ってる…。」
「知ってはいるのか…。で?彼女は働くことも無く、戦場にも行かない。君が思う、普通の神族と全く同じじゃないか。何故彼女だけが、君達にとって特別なんだ?何が違う?違いはなんだ?」
「あの方は、我々が自立した国家を建設する為に力を貸してくれている。」
「矛盾だね。真の自立を目指すなら、本来敵であるはずの、神族である彼女の力を借りるのはおかしいな。それとも用が済んだら処刑でもする気なのかい?」
「我々はそんな野蛮なことはしない。」
「まぁ、殺すというのは言葉のあやだよ。しかしそうとは言わないまでも、持ちつ持たれつ、お互い利用し合う関係なのか?」
「俺達は恩を仇で返すような真似は…」
「じゃあ、その恩ってやつはどうやって返すんだ?」
「それは…さっきも言ったように…」
「『恩と認識されてない恩返し』か?それともイトでの待遇?…となると、対価が物で無い以上、上限も制限も彼女が恩と感じるまでが基準だろ?それじゃ、彼女がいつまでも『恩』を感じなければ、国宝並みの待遇をすることになるだろうね。」
青年は黙ったまま、不吉な予感に顔を曇らせた。
「それじゃ見方を変えれば、現状もそうだけど、その先も、『恩』ってやつのせいでカノジョに縛られ、結局、崩壊させた筈の神族国家が、再び新たに誕生するだけだと思うがね。」
「…そんな筈は…」
「彼女は君たちに自由をもたらすと約束したんだろうが、それを絶対に実現させると誓ったか?誓ったとしても、彼女が本当にその約束と誓いを守る気があると思うか?もし本当にその気があるなら、君達の過酷な労働を黙認したり、悲惨な戦場に向かわせるはずが無い。はっきり言って、この戦いはそもそも武力無しで、話し合えば殺し合いなどしなくても、片付けられた問題だった。それを、戦えば死者が出る事くらい、真の神なら分かりきっている筈なのに、わざわざ戦争を始めた。」
「お前達に、俺たちの存在と力を認めさせる為だ。」
「それこそ、口頭で解決するものだった。しかし君達は戦いを選んだ。それは自分達で決めたのか?他国の状況など、ろくに知らない君達の発案なら、分からないでもない。だが、彼女なら戦争をしなくても、解決する事を知っていた筈だ。自由と平穏を重んじる神なら、まず、大量虐殺をしようとしている君達を止めるだろう。それとも、君達は止めに入った彼女に歯向いたのか?」
「違う…あの方に、歯向かうなど…。」
「ということは、彼女は悲惨な結果になる事を知っていて、人々が戦いに出向くのを止めもせず、むしろその後押しをした。」
「国や皆の平和と自由の為だ。」
「何にせよ、平和や自由を求めるなら、君達のしたことは、完全に逆効果だ。君達が戦争を仕掛けて来なければ、私達は平常通り自由で平和な暮らしが続いていた。今や見る影も無いがね。自分達の平和や自由を得る為と称して、君達は、何も知らない、同じように平和と自由を望む人々の、平和と自由を奪ったんだよ。その結果、全ての国から自由も平和も消えてしまった。戦争で犠牲を払うことが人の為になる事だと、本心から思うのか?犠牲になるのが自分の身内でも?」
「思ってない…。仕方…なかったんだ!俺達は何も分からないし、どうすべきかはあの方にしか…」
「やっぱり、君達の方向性を決めたのは彼女…。戦わなければ、無視され潰されるとでも言い出したのは彼女だろう?」
「…ああ…しかし…」
「それは本当に純粋に、君達を思っての事とは到底思えない。単なる自身の力の誇示。つまり、最初から君達の事など眼中に無く、自分だけに都合の良い、恰も自分が創造主かのように支配できる世界を手にしたかっただけじゃないのか?彼女が君達に過酷な命令を下し、人が死んでも涼しい顔で居られるのは、そもそも君達自体を、欲しいものを手にする為の捨て駒としてしか認識していない。そういう事の証拠じゃないのか?それとも、君達はそれを承知で戦っているのか?」
「そんなんじゃない。俺達は自分の意志で…」
「違うね。騙されたんだよ、君達は。自覚無き無知な者に嘘を吐く。これほど簡単に人を操れるものはなかっただろう。言葉の分からない赤子の手を捻るより、君のような人間の方が遥かに簡単だね。」
「侮辱しているのか?」
「いいや。ただ第三者として、冷静な意見を述べているだけだ。自分たちの手で、理想を現実にすることができないでいた君達の前に、ある日、幸か不幸か、彼女は現れた。その上、若く美しいだけかと思えば、君達とは正反対に、強靭な自我と確固たる主体性を持っていて、君達はただ圧倒されるばかりだったろう。そして…彼女は君達に、願いを叶えてあげると甘く囁いた。思想を貫く信念も、理想を現実に変える力も無い君達にとって、その時の彼女は正に神。立場を悟って生きることを諦める人間より、守るものも望むものも多い無知な人間の方が付け入る隙も多い。自分の手を汚さず人を使って目的達成を目論むなら、余程効率的だ。彼女はただ口先を動かすだけでいい。」
「俺達は、自由と自立を信念に戦ってる。あの方に騙されたわけじゃ…」
「いいか?そもそも君達は、自由だ自立だのが、信念だと言うが、そこが既におかしいんだよ。発する言葉としては耳障りが良いが、それだけで、具体的なものは何一つ見えてこない。どうも君達は理想が高いわりに、そうなるまでの構想が、実にぼやけていてお粗末。何故か分かるかい?」
「いや…」
「その信念は受け売りで、本来君のものじゃないからだ。大体君たちは彼女が現れるまで、固まって不満を言うだけで、自分達で何とかしようとはしなかった。誰かがいつか何とかしてくれる、そういう都合の良い妄想を抱いていただけなんじゃないか?だから、何とかしてくれそうな彼女と出会った瞬間、付け入る隙を与えてしまった。もともと君達の中には、真の自立を実現させる為の信念も気概も無かったから…ま、もしあったとしても、浅すぎたんだな。」
「そんな事は無い!自由と自立の為に戦ってるんだ!」
「やれやれ…。まず、信念とは、自分自身があらゆる可能性を、幾つも組み合わせて考えてた末に導き出した結論と目標を、なんとしても手にする為の覚悟の事だ。そして目標に向かう行動に問題が立ちはだかった時、初めて『信念』に基づいて決断をする、言わば羅針盤だ。目標と信念は繋がっているが、中身は全く違う。自由を信念に自立を手に入れるのも、逆に自立を信念に自由を手に入れるのも、誰かに属すのは本末転倒。自由と自立、信念と目標を混同している状態で、その為に戦う事を選んだのは大きな間違いだ。」
相手の言葉に混乱し、今までの全てを疑い始めた青年には、もうカイルの声しか聞こえていないだろう。話の意味云々より、大事なのはどちらが主導権を握っているかを叩き込む事。その為にカイルは、背景音楽のように喋り続ける。
「目標と信念は同じであるはずが無いんだよ。今君が言った信念は、元は彼女が自分を売り込む為に、『信念』という言葉を飾りとして使っただけで、意味があるとすれば君達の無償の労働力を得る為。人に刷り込まれたり便乗した信念など、せいぜい罪を犯してしまった時の保身の為。ただの言い訳だ。つい最近まで、理想の現実化の為に自分達が何をすべきかも分からなかった人間が、急に自らの信念など持てる筈が無い。」
「…。」
「確固たる主体性とやり遂げる力を持ち、君達に役目を与えてくれる人物が現れ、君達は考えることを放棄した。何故なら、彼女に頼っていれば、様々な厄介事を自分で考えなくて済むし、失敗しても自分一人が責められる事は無いからだ。それに、周囲が神と呼ぶ者の言いなりになっていれば、人が死んでも良心が咎める事も無い。ならば、おこぼれ程度の報酬しか得られず、歯向かうことも出来ないのは当たり前だな。自ら自我を放棄したのだから。…一方的に騙されたというより、実際は、君達自身、騙されでもしたほうが楽だったかも知れない。それを認めたくない気持ちは分かるよ。今までやってきたものが全て無に帰すのだからね。」
「…じゃあ、一体どうすれば良かったんだ…?あんな状況で…」
「ま、外交も目標に至るまでの経緯もそっちのけで、最終的な願望だけを叫ぶだけじゃ、誰も相手にしないのは当然だ。」
「俺達に信念が無いから、無視したとでも?」
「いいや、そんなことはしてない。しかし、何をどうする為に何がしたいのか分からなければ、助けたくても手の出し様が無い。その上君達は最初から血気盛んで、聞く耳すらない。いくら自由を手にする為とは言え、唐突に戦争をおっ始めるような輩を前にしたら、国民の為、我々は応戦せざるを得なくなる。それを我々が君達を無視し、敵と見なしたと考えるのは、安直過ぎる。」
「それなら何故、最初に俺達の国家独立の要求を退けた?」
「全面的に拒否したわけじゃない。簡単には変えられない掟があったからだ。…複数の人間を統率するには掟が必要なんだよ。イトにだって決まり事位あるだろう?イトは歴史が浅いが、私達の国は気が遠くなるほど長い歴史がある。人と歴史が重なるほど、掟も多くなるし、その意味も重くなるんだ。掟というのは長い歴史の中で、失敗から学び決定したものだから、それを変えるとなれば、当然話し合いが必要だ。まして、いきなり独立と騒ぎ立て、脅しをかけたりするような、子供じみた集団なら、独立の後も手がかかることは目に見えてる。それに、もし運良く君達が理想のものを手にしたとして、今まで味わったことも無い自由の中、その先どうするのか考えた者が居るか?」
「居なかった…。」
「それなら尚の事、その予測と善後策も、こっちが予め考えておかなければ、有事の際に打撃を受けるのはイトだけじゃないんだ。まして、イト国内の状況も分からないんじゃ、時間がかかって当然だろう。」
「…しかし、認めないと言ったのは…事実だ…。」
「確かにそうだが、だからと言って君達を潰すと言ったわけじゃないだろう。それこそ、さっき君が言ったように、私達はそんな野蛮なことはしないんだよ。」
青年から全ての敵愾心が消え、その頭を抱えるようにがっくりと肩を落とした。
「…。言ったんだ。」
青年が掠れて消えそうに呟く。
「…何を?」
「あの方達は、『本当は神光玉や神術なしでも、人間が自由に使える力が埋まっている。神族である王達が、それを黙っていたのは彼らがその地位を守る為に吐いてきた嘘なのだ。』と…」
「それで?」
「初めは半信半疑だった。でも、やってみたらそれはあったんだ。そして俺達は、教えられたあらゆる鉱物を掘り出し使うようになった。それから、俺達はあの方達の全てを信じるようになったんだ…。」
まずは飴、という事か。現実的に失うものが少ない者ほど、騙されやすいのは悲しい事実だ。そして、たった一粒の飴にも必要以上の恩を感じる。
「それにあの方は『純血の神は自分一人だけで、他の親族達は全員雑種で、真の力など持っていない。純血の神は、同じ様に純血の人間達を、そのまがい物達から守り、純血の人間が望む世界へ導く存在だ。この戦いは互いが自立した状況で共存する為、神と言う肩書きと権力だけを振り翳す、役立たずの雑種達を排除する為のもの。残念だがそのまがい物に言い包められ、疑問すら抱かない人間も彼らと同じで、排除するべきだ』とも言った。だから…だから…」
世間を知らない人間に、彼ら以外の人間は、皆、悪の手先と位置付けることで、罪悪感を抱かせないようにしたのか。殺すのが自分達と同じ人間だと言うことを忘れさせ、その命を奪う事に正当性をもたせた…古典的だが効果は絶大だ。
「話してくれてありがとう。そろそろ私も戻らないと。今日のお喋りはこれ位にしようか。」
「…今後…俺はどうなるんだ…?」
「どうもしないよ。ここから出すのにはまだ早いけど、一生閉じ込めておくつもりは無い。」
「じゃあ…どうすれば…?」
「それは、君が決めることだ。これが『自由』だよ。」
カイルが席を立ち、暫くして振り返ると、青年は放心状態でカイルを見つめていた。
「あぁ…。言い忘れていた事があったよ。話は戻るけど、戦場なら…私は経験しているよ。銃撃戦の渦中にもいたしね。そうそう、君、ホルスを知っているかい?」
「あ、ああ…」
「あの国で、奴の命が消えていく様を、私は目の前で見ていた。…丁度、さっきの私達と同じくらいの距離で…。ま、何事も経験は大事だよ。」
カイルはいつものように、右の眉尻だけを上げ、驕慢な笑みを浮かべて立ち去った。青年はカイルの余裕で嫌味な振る舞いに、微かな憤りを感じつつも、自分が如何に無力で無知だったかを思い知らされたことだろう。しかし、これが現実であり真実なのだから、どんなに時間がかかろうと認めざるを得ない。


『Ⅴ;終焉』

 思ったより、分かった事はかなりあったな…。今、カイルは数ある牢屋の前を通り過ぎながら、一人考えていた。殆どが予想していた通りだったが、あの青年は最後に『あの方達』と言った。こちらには姿を見せていないが、あの青年のお陰で、偽サティアの他にもイトで直接権力を持っている者が居るという仮説が、間違いの無いものとなった。今までその影が薄く、こちらが存在を掴みきれなかったのは、その人物が、単に『偽サティア』のように目立つ人間ではなかった、という理由だけの筈はないだろう。大体、そんな単純な理由で動くような事案ではないし、カイルが今までに描いていた相手は、そんな人物像じゃない。もっと狡猾で、その手中に収めると決めたものに対しての貪欲さは広く深く、ともすれば自分以上に先を読むことに長けている。それに、偽サティアと接触がある度、必ずカイルは、何となくだが、彼女の情緒はかなり不安定なのではないか、という印象を感じていたからだ。そしてこの手のカイルの勘は大抵当たる。だとすれば、そんな人物が一人で民衆を統率できるわけが無い。それでも彼女が神の象徴となっているのは、やはり後ろに控えている、そいつの采配に違いない。ならば実質全ての動きを決めているのはそいつだろう。それなら、控えていると言うよりも、むしろ自分が目立たないと言うことを逆手に取った計算の結果。平たく言えば、偽サティアはただの盾…。ということは、偽サティアに対しても相当の権力、あるいは影響力をもっているということになる。なら、イトでの真の権力者は偽サティアを思うままに動かすことの出来るそいつだ。この二人…一体誰なんだ?『神』という言葉が発端とも言えるこの争いに於いて、今更、こちらが全く知らない人物であると言う可能性は、無いに等しいだろう。かといって、戦争に一番乗り気だったホルスはもう居ない。…もしも、何かで助かって生きていたとしても、表に立ち人を操る程の力は残っていないはずだし、カイルの思う人物像とはかけ離れている。『神光玉以外の原動力』の存在を知るのは、王族だけという基盤の設定のままで考えると、やはり残る役者は、ゼファ、グラセウス、生死の分からないギルと、消息不明のセルーナ。セルーナは女性で、少々情緒不安定という点ではそう離れていないが、彼女が偽サティアを演じるのは色々な面で無理が多い。彼女に全くの別人を演じられるほどの、器用さは皆無だ。偽サティアの正体は保留として、彼女の取り巻きに身を潜め、全てを操っている真の支配者に焦点を向けると…。カイルの描く人物像に、一番しっくり来るのは『影が薄く目立たない』と言う点ではゼファだ。彼は養子で遺伝子的には神族ではなく人間。ならば人間だけの国を作ろうと考えたのも頷ける。だが、カイルは彼に興味が無かった為、ゼファの中にどこまでの力量があるかを知らないし、決定打を打てるほどの物的証拠も無く、状況証拠に繋がる過去さえ知らない。ついでに居場所もだ。上が変われば下も変わる。まず相手を知ることから始めなければ…。それには彼を緻密な罠にかけ、何としても、引きずり出すしかない。このまま即物的で稚拙な暴力で争い続け、世界がめちゃくちゃになる前に…。
「お見事。流石ですね。」
ふいの声にカイルは驚いた。声の主は地下牢の出入り口の階段に腰掛けている。
「全く…。で、いつからここに?」
「尋問が始まってすぐです。」
「何故知らせが来なかったんだ?」
「邪魔をしたくなかったもので…。最高の即興劇を逃す手は無いですからね。」
「全員無事か?」
声の調子で分かってはいたものの、やはり言葉でそれを確認したかった。
「勿論。」
「何よりだ。…ご苦労だった。おかえり。アンセル。」


 アンセルはいつもの部屋に皆を招集させていた。カイルを連れ、部屋に入る。
「みんな、心配させてすまなかった。だが、迅速に回収せねばならない電子情報の存在があったので、イリヤとサティアを連れ、イルズに向かった。」
「…で、そこには何があったんです?」
グレイシーが不服そうな表情で聞いた。自分達を差し置いて、隊長が危険な地に赴いたことがまだ、納得し切れていないのだ。
「脳。」
「え?」
簡潔すぎるほど簡潔に答えたサティアに、ミーナが聞き返した。
「神光玉の中に入っていたのは、祖先の脳だった。イルズのものは機能が停止していたため、半壊していたが、イリヤが機能していた頃の情報を採取してくれた。」
アンセルがサティアの補足説明をする。サティアの様子は、帰りの機内と同じで、周りの何かを疎外するように簡素だった。気にしながらも、アンセルは向こうであったことを一通り伝えた。
「イリヤ、復元した電子情報の報告を。」
「了解。」
 その種が誕生したのは今より遥か昔のことだ。その種とは、今で言う神族。我々が今は古代と呼ぶその世界に、彼ら9人は誕生した。その中にソウ・イルと呼ばれた者が居た。それがいまや半壊したグラセウスの国の祖先。
古代の国々は行き詰まった人間の進化のための研究にしのぎを削っていた。そんな時、群を抜いた研究の果てに、生まれたのが神族の9人の祖先。特殊な能力と、枯れつつある資源の代わりになる原動力を生み出せる、素晴らしい種族。だが、研究者によって育てられ開発されゆく彼らには名前が与えられなかった。研究対象として、感情移入されることの無いように…。しかし、その9人の中の一人がこう言った。
「僕ら同士で秘密の名前を付けよう。僕らだって他の子達と同じさ。いや、もっと素晴らしい存在だって、いつも言われてるじゃないか。」
彼らは自分達で互いに名前を付け合った。名前をつけようと言い出した彼は、その9人の中でも一二を争う能力の持ち主だ。彼は自分に『リアド』という名前を付け、他の子たちは統率者と一番であるという意味を込めた『アヌ』という敬称を付けて呼んだ。しかし、9人の中で一人だけ、自分には名前など要らないと言う者が居た。彼女はリアドと同じくらい強い能力の持ち主だったが、その一番の力は原動力と引き換えに、大地に荒野をもたらした。
「私は災厄をもたらす。だから『それ』と呼ばれるままでいい。」
と。そうして彼女はみんなから『イト』と呼ばれた。
 彼らが開発されて十数年が経った時だった。イトと同じ、荒野をもたらす兵器を使った大戦が始まった。始めこそ、重要研究対象として隔離保管されていた9人だったが、大戦は激化し、ある日突然9人は外の世界に放り出された。世界のあまりの醜さに、激しく動揺したイトは力を発動させて、世界中の人々に自分達の言葉に耳を傾けるよう言ったが、それどころか人々は彼女を脅威として抹殺した。殺されたイトを見て残りの8人は、世界が自分達の敵であると悟った。そしてそれぞれの特異な電磁波で、次々と身を守るための攻撃を展開していった。
暫くの後、世界は彼らに平伏し、研究者達は抹殺されたイトの脳を、イトの複製の身体に移植し、復活させた。仲間の再来を喜ぶ8人は、世界の再建に取り掛かった。降伏した人間達は大人しく彼らに従っていた。しかし、ある日イトは研究者達が原動力抽出のためといずれ再び世界を我が物にするため、更に強い力を持つ被検体をリアドとの間に儲けさせるために、イトを蘇らせた事を知った。それを知ってしまった彼女は、自分達ごと、リアドに世界を消してしまおうと告げ、実行に移した。リアドは残りの仲間のため、力を発動しかけたイトを殺した。イトの亡骸を前に、リアドは初めて涙を流した。そして、いつか真に平和が訪れた時、再び蘇らせ、それを見せられるように彼女を氷に眠らせた     。
だが、結局真の平和を作り出すのには何世代もかかり、脳だけの存在になることで、害の無い原動力の半永久的供給を試みた彼らにとって、イトの復活やリアドとの再会は夢物語となってしまっていた。ところが、シレンセの地中深くで眠っていたイトを、子孫達が偶然にも発見してしまった。今度は神族という生物として、進化に行き詰まっていた子孫達は、イトの胎内に受精卵があることなどを突き止め、研究を重ねていった。この時点で、各国の脳達はその行為を反対していたが、脳だけとなった身では、止めることも何も出来ず、ただただ行く末を見守っていたようだ。
「なるほどねぇ。これであやふやで真実味の無かった神話の正体が分かったわけだ。」
「なんか、可哀想…。」
三流芝居でも聞かされたかのような反応のカイルに相対して、ミーナが感傷的に言う。
「じゃあ、今残って活動している脳達はどう思っているのだろう。」
「あ、それについてですが、多分イルズの脳が壊れ、サティアさん達が莫大な神術を送ってからは、その負荷を処理するのに精一杯で、情報の交換などはされていないと思います。もしあったとしても、壊れた思考と考えてほぼ間違いないでしょう。」
「はっ。壊れた思考か。面白い。イトを操る誰かさん達と似ていると思わないか、ソーマ君。」
カイルを殴り飛ばしてから、ろくに口を利いていないソーマに、カイルは話しかけた。
「そうだな。しかし、壊れかけているのは、我々も同じかも知れん…。」
サティアと、それを取り巻く環境の事を指しているのだということは、カイルにも他の者にも直ぐにわかったが、サティア本人は、窓から遠くを見つめ、物思いにふけったままだった。
「今からこっちが入手した捕虜さんに、本物のサティアを見せたいんだけど?」
「それは…何故だ?」
ソーマがきつい視線をカイルに浴びせた。
「単なる興味が殆どだけど、私達も感じている通り、人は本物の前に立った時、本能的に何かを感じ取る。真の神に触れた彼がどうなるのか、気になってね。」
「カイル!お前はまた…」
「分かった。」
興味本位でサティアを使うなと言いかけたソーマを制して、サティアが答えた。
「私も、イトで生活していた人を見てみたい。」


 捕虜にサティアを見せる為、カイルとアンセルは他の者を残し、再び牢屋の前に立った。
「君に見せたいものがある。…これが原版のサティア。」
「原…版…?」
呟く捕虜の前に姿を現すサティア。すかさず捕虜はひれ伏したが、その雰囲気の違いに恐る恐る顔を上げる。
「どうだい?本物の感想は?」
カイルの言葉を鵜呑みにしたわけではないが、目の前に立つ女性の神々しさは、イトで自分が見かけたものとは明らかに違っていた。格。まさに格が違う。煌びやかな衣装も無い、化粧もしていないはずのその女性からは、美しさ以上の何かが溢れていることは明らかだった。
「酷い目に、あってきたの?」
「い、いえ!」
「私が、怖い?」
「そんなことは…!」
むしろ、もっと近くで彼女を見たいくらいだ。だが、彼女の周りには超えてはならない聖域のようなものが存在しているようだった。そして、それをより強調させているのが、その隣に居る短く刈り込んだ髪の青年。彼からも、圧倒的な気高さを感じずには居られなかった。…俺は…間違っていたのかもしれない…。
「名前は?」
「テム…」
サティアと呼ばれる彼女に聞かれると、考える間もなしに、答えが口をついて出てしまった。
「テム…。カイル様、これから、彼をどうするの?」
サティアが聞くと、カイルは先程と同じように飄々と答えた。
「どうとも。彼は自由が欲しいんだそうだ。直ぐにここから出すわけにはいかないけど、暫くしたら、本当に自由にするつもり。だから後は好きに生きればいい。」
サティアはアンセルを見たが、アンセルはテムから目を逸らさない。
「良かったわね。テム。」
「…サティア様!」
疑っていたはずの彼がついにサティアの名を叫んだ。これがサティアを真のサティアと信じた証。カイルは口の端に笑みを湛えた。
「何?」
「私は…、私はどうしたら良いのでしょう?私は間違っていた。間違った争いに加担して、多くの犠牲を出してしまった!どう償えば?」
「…それは…。」
償いの答えをサティアに求めるのは酷だった。自身の全てを犠牲にして、世界に償おうとしている者にとっては、きつい質問だ。
「それは自分で考えろ。それが『自由』だとさっきも言ったじゃないか。」
「でも…でも…」
頭を抱えるテムにサティアが鉄格子越しにそっと触れた。
「守りたいものを、必死で守って。それで私達が再び敵同士になったとしても、決して血は流れないはずだから…。」
ハッとした顔でサティアを見上げるテムの顔には涙が溢れていた。


 もう暫くで、テムがこちらに寝返ると踏んだカイルは、直ぐにその場を後にした。アンセルはサティアに部屋へ戻るよう指示し、サティアが見えなくなると同時に、カイルの部屋で話があると告げた。
「丁度いい。私も話があったんだ。」
アンセルにゼファの件で考えた事を全て伝えると、意外な言葉がカイルの耳に届いた。
「カイル様。偽サティアの件に関しては答えられますよ。正体が…分かりました。多分間違いない。」
「誰なんだ?」
「この箱の中身…グラセウス殿の隠し部屋から出てきました。今回一番の収穫は、神光玉のデータより、こっちでしょう。」
アンセルが箱から取り出すと、真っ黒で緩やかに波打つ長い髪の塊は、彼の片手で何かに縋るようにぶら下がって揺れた。
「このカツラを使えば、グラセウス殿はサティアそっくりになるはずだ。代理出産でも、遺伝子的に彼はサティアの子供。シレンセにあった俺達の母親と、サティアと俺の人相を見ても、俺達の遺伝子が殆どのものに対して優性であることは間違いない。グラセウス殿の父親の遺伝子は有って無いような物でしょう。顔は勿論ですが、性別が違っても今の彼の年齢なら、身長も低く、声もまだ高い。線の細い体型や肌の白さも…。それなら女性に…サティアになることも出来ます。」
「それにしても…なぜ、わざわざサティアを真似たんだ?正体を隠す為だったとしても、象徴になるだけなら、性別まで変えなくても済んだだろう。完璧な変装の為に、性別まで変えたとしても、実在の人物を語る方が、逆に難点が多い筈だ。誰でもない名前を語った方が自由に動けるし、足もつかないだろう。」
「全くの憶測ですが、彼はずっと前からサティアが生物上の母親だと知っていたんじゃないでしょうか。しかし、当のサティアはそんな事は全く知らない。それどころかサティアの周囲は、誘拐したりと、サティア本人や俺がこの件に気付かないように細心の注意を払っていた。…グラセウス殿は、会う事も名乗ることも許されなかったでしょうね。」
「そうだろうな。」
「しかし、恐らく初めの内は、母親が実の母親ではないという事と、精々名前くらいしか知らなかった筈です。それが何かのきっかけで、名前と顔が一致した。」
「…そうか…あの時だ…」
カイルはある日の事を思い出して頭を抱えた。
「サティアが神殿入りをした日だよ。」
「しかし…あの式典は、極限られた大物しか参列できなかった筈ですが…?」
「あぁ…でも私もグラセウスも遠巻きに彼女を見たんだ。珍しい事が行われる噂を聞いていたのに、招かれなかったから、影から冷やかしに行ったんだ。ちょっとした悪戯のつもりだった私は、得に興味があったわけじゃないから、式典自体やけに地味なのを見てしまったら、もうすぐに興味を失って、サティアの顔もまともに見なかった。でも、今考えてみれば、あんな異例の出来事の割に式典が地味だったのは、サティアの存在を、公にしたくなかったからだったのかも知れないな…。」
『それが重要な事と思わずに、大きな秘密を知っている事がある』自分以外の人間には、常にそう言ってきたカイルが、今、正にその立場になっていた。
「多分そうでしょうね。血縁の俺さえ招かれなかった。次期王の筈のソーマもだ。結局古株達が、その権力を使って周りを固め、発端が自分達の失態だったとばれないようにしていたんでしょう。で、何故そこにグラセウス殿の名前が出てくるんです?」
「そこが、私の数ある失態の長たるものになるかも知れないところでね…。会場に行く途中で、グラセウスが庭に一人で居るのを見かけて、暇そうだったから連れて行ったんだよ。今考えれば…って表現が沢山出てきて申し訳ないが、グラセウスがあんなところに一人で居たこと自体、既に不自然だな。」
「それで彼は、見たんですか?」
「ああ。…あの後暫く、いつも無愛想で可愛げのないグラセウスが、妙に機嫌が良かったのを覚えてる。」
本当は、踊りだしたいほど嬉しかったに違いない。だが、見てはいけないと言われていたものを見てしまった上に、彼女が神殿入りをさせられ過酷な労働をすることになった。真の原因は自分の失態だったということさえ知らない母親。そして騙し、自分の尻拭いまでさせる事になったという罪悪感から、その気持ちを必死で抑えていたのだろう。あの時グラセウスはまだ五歳の幼い子供だった。
「私と違って、あの子はサティアを見るという目的の為に忍んで来ていたんだろう。しかし、どうやって目的を果たすかまでは考えていなかった。それを考えながら、あそこをうろついていたところに、丁度私が現れたんだよ。子供と思って甘く見てた。結局私は五歳の子供に利用されたわけか…」
ホルスへの捨て台詞がカイルの頭を掠めた。愚か者を愚か者と信じて疑わないのはもっと愚かな証拠なのだ。グラセウスを愚かとまでは思っていなかったが、まさか五歳の子供が大人の自分を利用するとは思わなかった。カイルの心の中で自嘲と溜息が交互に聞こえる。
「…とにかくそこで、鏡に映る自分が母親にそっくりだと気付いた。きっと、鏡の中の自分に、サティアの面影を追っていたんでしょう。そのうち、もっと完璧にサティアを真似、鏡を使えば、誰に迷惑をかける事も無く、例え仮想でも、母親との逢瀬を叶えられるようになった。最初の内は、ただ自分の心を満たす為だけだったのかも知れない。」
「会う事が許されないなら謝ることも出来ないからね。…根っ子は産みの母への思慕だったのか…。それに加えて、グラセウスは自分の生物学上の母が各国にとって非常に重要な人物なのは、サティアが純粋な神の血を持つ者だからだ、ということにも気付いてしまった。そして、自分はそのサティアの唯一の息子だということが、ある種の誇りと生きる糧だったのかも知れない。しかし、その事は黙っていなければならない。グラセウスにとってはその黙秘さえ…。例え名乗り出ることが出来なくても、自分が口を閉ざし、同じ秘密を共有していると思う事が、彼にとって、唯一自分と母親の間に特別な強い絆があると感じられる、大事な要素になっていた…と。」
話に乗ってきたカイルを見て、アンセルは微笑んだ。自分一人では、ここまで想像することが出来ない。人の感情を分析していくことに長けているカイルの言葉は、証拠が無くても信用できる。人の感情自体は目に映らないし、本人が言わない限り誰にも分からない。だから、人はそれに注意を払わない。だが、生まれた瞬間から無感情で、人との接触が全く無い状態でもない限り、完全消去は出来ないものだ。感情そのものに証拠能力が無くても、そこから生まれた過去の言動がそれを裏付け、動機になる。そして、それが現在・未来での、その人間の行動の雛型になる。物質的な証拠の無いところからでも、広がる話の中に、今後重要になるものが隠されているのだ。なぜ今そうなったかと、断片的な過去の事実とを、照らし合わせながら分析し、それを基準に、欠けている部分の存在を認め、そこを想像していく事で、ある程度、相手の次の出方が予測できるようになる。物的証拠の有無と、その存在の可能性の有無はまた違うのだ。
「しかし何故、会う事の出来ない母を想うあまりの、そんな小さなごっこ遊びが、戦争を起こすまでの力に発展したんだ?それほど大きな心境の変化が、何時、何故起こったんだ?」
「第三者の出現…誰かに知られた…とか?」
「おお!それだ!そいつがきっと、今真の支配権を持っている奴だろう。秘密を知られて焦ったグラセウスは、母と自分の為に黙っていて欲しいと懇願した筈だ。」
「そしてそいつは黙っておくことを誓った。だが、グラセウスは気が気じゃなかったでしょう。」
「だろうね。相手に弱味を握られ、口約束を信用出来ない彼は、既に弱気でなんとしてもそいつの口を封じさせたかった。もしかしたらその為に、浅はかにも、自分では相手の監視をするつもりで、そいつに服従すると言ったのかも知れない。だが残念な事に、そいつがその思いの全てを、把握した上で利用する人物だという事に気付いていなかった。」
「グラセウス殿のことだ…。気付かなかったというよりは、神の子である自分を利用しようとする輩が、この世に居るなどとは思ってもいなかったんじゃないでしょうか。自分が神の子である事に、異常なまでの誇りを持っている彼にしてみれば、仮にそんな者がいたとしても、自分が本当に利用されるとは思いも拠らなかったのかも知れない。」
「むしろ、その話を利用して、間接的にサティアに自分の事を気付かせる算段までしていたかもな。かくしてグラセウスはイトの女王になったわけか…」
「…だが、そいつはその事も計算に入れ、どんどん彼を誘導していった。」
「そして、完璧で従順な偽の神様が誕生した。それだけ人を利用することが上手い奴なら、今やグラセウスは自分が本当は何者だったのかも、分からなくなっているかも知れない。
「サティアはこの事を?」
「分かりません。今話した事を直接伝えてはいませんが、勘付いてはいるかも知れません。俺は迂闊にも、このカツラをサティアから隠すように持ってきた…。全く、コレに何かあると言わんばかりに…。」
「…やれやれ、秘密は持たないに越したことは無いねぇ。ん?何?その顔。」
「…いえ、カイル殿からその言葉が出るとは…。」
「ちょっと、あのねぇ、私は秘密の塊に見えるかも知れないけど、それは逆に…。だから、つまりあれだよ。『私は嘘吐きだから信用するな』と言いふらしながら歩く、嘘吐きの中でも善良な方の嘘吐きだ。」
「同朋としてはあまり納得したくは無いんですが…。やけに説得力があるのは否めませんね。」
「だろう?だから私は嘘吐きなんだよ。」
「なるほど。」
「…アンセル、君の弱味は…何だろうね…?」
「さぁ…。サティアを全てから開放してやれない事、でしょうか。いや、それは弱味じゃなくて罪悪感ですね。…分かりません。」
「いい答えだね。分からないなら無いのと同じ様なもんだよ。自覚した時に初めてそれが弱味になる。だから、今のところ、君は完全無欠。無敵の英雄だ。」
…そう、自覚してしまったらもう遅いのだ。弱味という言葉と同時に、カイルの頭にはサティアの笑顔が浮かんだ。


 やはり、か…。指示を無視してカイルとアンセルの後を付けたサティアは、ドア越しに身を潜め、二人の会話を聞いていた。彼女は、音も気配も、感情すらも消したままに、その場を立ち去る。彼らがここを後にする前に、アンセルの指示通り、ミーナ達の元に向かわなければならない。何故なら、アンセルが自分の考えを私に隠したという事は、私に知って欲しくないから…。アンセルが自分に対して、今のように隠し事や小さな嘘を吐く時は、決まって、私を守ろうとしている時だからだ。その気持ちを無下には出来ない。例え、これから何が起ころうと、アンセルが自身を責める事の無いように、今はアンセルの望んだ自分として、振舞わなければならない。アンセルの背負う、一番の重荷は、この、私なのだから…。


 カイルとアンセルは、リン=セイやミーナ、他の隊員の待機する部屋へと向かった。
「やぁやぁ、みんな相変わらずの仏頂面だねぇ。」
部屋を見渡しながら、カイルはそれとなくサティアを見やった。窓辺から遠くを眺め、一人物思いにふけっている。テムのことがあった後だ、色々と考えるところもあるのだろう。
「いい知らせが一つ。捕虜にした青年…テムというのだが、さっきサティアに会わせた。俺の感触として、こちら側に寝返るのは時間の問題だろう。」
アンセルがちらりとサティアを見てから言った。
「我らが英雄アンセルは『時間の問題』と言っているが、私が見るにもう既に寝返ったも同然と言うところかな。」
カイルが自分の手柄のように言う。
「それを踏まえて、少々作戦を練りたい。テムを見るに、やはりイトの民全員を敵と見なすのはよした方が良いだろう。最終決戦時には、イトの民には安全なところまで避難してもらっておきたい。そこで、サンガ。」
「はい!」
「テムと一緒にイトに潜入し、多からず少なからず信頼を集めてくれ。そして有事の際…ここからは推測だが、要塞のようなものからなるべく遠ざけて欲しい。要塞には兵器が詰まっているだろうから、どうせ潰すなら、それごとやってしまいたい。」
「了解です。では、出発は?」
「そうだな、早いに越したことは無いが、今日はもう疲れているだろう。とりあえず、テムやこちらの装備が万全になるまで待機してくれ。」
「では俺たちは?」
レンツ達がまた蚊帳の外になりはしないかと心配している。
「潜入してもらうのは、後はラルドとクォンのみ。単独行動を取ってもらう。ディン、彼らをイトに運んでくれ。投下地点はミーナ、頼んだぞ。」
「了解!」
「残りは我々とティティにて待機。来るべき時に備え、潜入組からの情報如何により、作戦を考えよう。繰り返すが、サティアの力はあてにするな。それは本当に最後の切り札だ。使わずに大戦を終えることを最重要課題とする。以上。質問は?」
「ありません。」
「では、今日は撤収。明日も休暇としよう。悪いが、ジリーだけは隊員たちの健康状態を…。」
「了解。」
「よし、それでは解散!」
久しぶりの、隊長からの明確な指示に皆、安堵しながら自室に戻った。


 会議のときの様子から、サティアがずっと気になっていたソーマは、皆が自室に戻るのを確認してから、彼女の部屋に忍んで行った。部屋の扉は手をかけただけで簡単に開いた。
「何故、鍵を掛けない?」
ソーマはサティアの部屋に入るなりそう聞いた。
「…必要ないから…。」
「そんな事は…」
「鍵だけじゃない。この部屋自体、いずれ私には必要じゃなくなる。だから、そのときの為に、ここに私の欠片を置いていくわけにはいかない。ここは私の部屋でなく、ただの部屋でなければならないの。」
…何から伝えればいいのだろうか。どう伝えれば理解してくれるだろうか。同じ言葉を使っていても、相手のそれと、同様の意味を人に伝えるのは難しい。
「俺は…お前を愛してるんだ。俺のこの気持ちは、お前がいつも皆に対して捧げる犠牲心やなんかじゃない。皆じゃない。お前一人だけだ。サティア一人を愛してるんだ。違いが分かるか?」
ソーマの言葉が問いかけに変わった瞬間に、サティアはそれまで驚くように見開いていた眼を伏せた。
「ずっと…アンセルだけだった…。皆を知るまで、私の世界にはアンセルしか居なかった。でも気が付いたときにはもう、そうじゃなくなってて、そのうち段々と、私の世界には人が増えていった。世界が変わった。周りの皆が私の世界に居るようになった。広がってしまったの。皆を愛してる、大事なの。自分の命以上に…アンセルと同じくらいに…。」
「それは、俺の想いとは違…」
「そして今は…。私、おかしくなったのかも知れない。今の私は、アンセル以上にソーマを大事に思う。私は…人に順位なんて付ける事が許される存在じゃないのに。私にそんな事をする資格も価値も無いのに。だから、早く、おかしくなってしまった世界を消してしまいたい。私ごと…。」
「それは俺達…俺の望む答えじゃない。俺の事を大事と思うなら、逆に消えたりしないでくれ。それが俺の一番の望みだ。俺が生きている限り、お前が消えないで居てくれることが、俺の望みなんだ。」
ソーマが言い終わると同時に、サティアから涙が溢れ出した。顔は微笑んでいるのに、切ない眼差しで泣いている。それが、嬉しさと困惑の涙だと言うことが、今のソーマにはすぐわかった。
「…やっぱり、私、おかしい。こんなんじゃ、また、皆に迷惑を掛けてしまう。ソーマにも。分かってるのに…。でも、どうしていいか分からない。ソーマ…ごめんなさい。今の私を、許して。でも、必ず私が決着を付けるから。」
そうやって、震えながら泣き続ける彼女を、ソーマは抱きしめずには居られなかった。他人と心が通じ合うことが出来た喜びと、自分もそれが出来る一人の人間だったという安心。しかし、その為に生まれる障害や対処の仕方への不安。二十年以上、特殊な存在として、特殊な環境でしか生きられなかった彼女は、今やっと、人が何年も掛けて学ぶ事を、一瞬で知った。生まれたばかりの赤ん坊と同じ様なものだ。
「お前はおかしくなんか無い。皆の為だなんて、そんな言い訳で、生きることから逃げないでくれ。誰も望んでないんだ。そんな事は。死ぬ為に生きるなんて…」
「でも…先の事を考えたら、私の存在は…」
「分かってる。でも、十年後の俺より、今の俺を…俺の望みを大事にしてくれ。頼むから…」
それ以外は何も望まない。その為なら何だって…。サティアの涙を拭いながら、自分の頬にも、涙が伝うのを感じた。無意識に流れる涙がある事を初めて知った。


「グラセウス殿。」
「その呼び方は止めてって言ったじゃないか!勝手にここに入ってくるのも!」
小さな秘密部屋のその中には、女装したままのグラセウスが、一人座って居た。
「それは失礼致しました。女王様。」
「もういいよ。ねぇ?そろそろ気付いたかなあ彼女。親の真似をするのが子供なんだ。…で、何の用?」
「その件です。彼女、気付いたようですよ。」
不機嫌そうだったグラセウスの顔が一気に輝いた。
「それで!?僕の事、何か…」
「何も。」
「何…も…?」
「多少の衝撃は在ったでしょうが、向こうからの動きはありません。」
「…そう…。」
グラセウスの目の輝きは消え、一瞬にして、その色を変えた。
「じゃぁ、もっと僕の事が気になるようにしてあげなきゃね。」
「どうやって?」
「僕の事が二の次なのは、母さんの周りに手間のかかる屑が沢山居るからだ。それを排除してあげるんだよ。」
「彼女は苦しみますよ?きっと。」
「そんな事ないよ。確かに最初は苦しいかも知れないけど、暫くすれば、お荷物が減って楽になったって、僕に感謝するようになる。だって赤の他人と自分の子供とじゃ、比べ物にならない。子供の方がかわいいに決まってるんだから、大丈夫さ。」
「そういうもの…ですかねぇ?」
「そうだよ。貴方は親子の絆って、分かる?」
「いえ、残念ながら。」
「反抗して、ぶつかり合う事で、互いを理解しあう。そうやって、母さんは僕を理解したら、愛さずにはいられなくなる筈だよ。きっと僕に謝ってくるんだ。そしたら僕は直に母さんを許してあげる。そして、母さんは許した僕を、もっと愛してくれるようになる。我が子を敵にして赤の他人を守るなんてどうかしてるよ。母さんは、僕だけの母さんなんだから…。」
それに…、とグラセウスは思う。本当の僕の姿を知ったら、もっともっと愛してくれる。だって僕は母さんよりも、最も神に近い存在だから。僕の身体は男でも女でもない、この一切無駄の無い身体は、どんなにやっても消せない、生物の根源に必ず残る男女の醜い欲とも、全く無縁だ。それは僕が完全な神である事の揺るぎない証なのだ。
「あの部隊を、ティティに。」
「かしこまりました・・・。」


 ニセモノ…。気付いたのは一週間くらい前のことだった。いつものように二人でお茶をしている時、塞ぎ込んでいた私の手に『カノジョ』はその手を重ねた。…何かが違った。違和感の元は部屋に戻ってから気が付いた。『手』。アノ手は、自分の手とは大きく違った。リンとも、世話係の下女達とも違ったのだ。確かに、細く白く、よく手入れされたきれいな指先だが、その節は…。手の大きな女性もいるが、あの、少し角張った関節は女性のそれとは全く違う。それに気付いてから、セルーナは『カノジョ』を隅々まで観察して分かったのだ。声や喋り方、決め手は笑い方。皮肉を言う時や、大した事のない情報を告げに来た者達に対して、『カノジョ』は必ず鼻で笑う。その独特な笑い方に聞き覚えがあった。『カノジョ』はサティアではない。…グラセウス。


 皆が寝静まったのを確認して、サティアはこっそりと部屋を後にした。数機並んでいる最も小型の飛空挺に乗り込む。操縦の仕方は、エルドやディンの操縦を見て、大体のことは分かっている。戦いならまだしも、目的地まで走らせる程度なら可能だ。サティアは単身、イトへと旅立った。


『カノジョ』がグラセウスであることに気付いて、セルーナは、この場所に居たくないという思いを一層強めたが、それよりも、この事実を早くソーマ達に伝えなければならないと考えていた。しかし、慎重にしなければかえってみんなを危険に晒してしまうかもしれない。考えあぐねて、セルーナはリンならどうするか考え、計画を練った。セルーナはまず、体の不調を理由に、部屋に引き篭もる事にした。普段のグラセウスならその状態を不信に思わないだろうが、『カノジョ』でもある今のグラセウスが、完全に自分を信用しているとは、絶対に思えなかった。だから、セルーナは一週間、本当に寝込むことにした。案の定、『カノジョ』は頻繁に様子を見に来た。その『カノジョ』にセルーナはわざわざ、「自分は体も心も弱く、昔からよくあることなのだ」と、グラセウスなら当然知っている情報を伝えた。返ってきた言葉は憐れみと心配の言葉。だが、そこに、真の驚きはなかった。そのことがセルーナに更なる確信をもたらした。『カノジョ』はグラセウス。それに、セルーナが病気がちだということを伝えると、それ以降部屋に訪れなくなった。
ここからがセルーナの計画だった。夜になるのを待ち、自慢だった長い金髪をばっさりと切り落とし、その束を自分の身代わりに枕元においた。目立つ白いドレスを脱ぎ捨て、使用人用の出入り口から、こっそり外へと抜け出した。そして直ぐに身体に泥を塗り、掠め取ってきたシーツも泥水で汚し、それを被って平民達に紛れた。もし、全てがばれたら命は無い。だが、髪を切るとき震える自分にセルーナは言い聞かせたのだ。もう今までの自分ではないのだと。


 着陸した飛空挺からその要塞は直ぐに見つけることが出来た。サティアは近くまで走りぬけ、木陰に身を潜めていると、要塞の近くから逃げるように走り去る人影が見えた。格好は違うが、間違いなくセルーナだ。念のため、暫く彼女に追っ手がかかっていないか、様子を伺っていたが、大丈夫のようだ。逃げ切れる。これで、セルーナを巻き込んでしまう心配は無くなった。この様子だと、今はまだ誰もセルーナがいないことに気付いていないようだ。それに、これから自分が起こす騒ぎで、セルーナどころではなくなり、失踪したことに気付くのには、もっと時間がかかるはずだ。それだけの時間があれば、サンガたちがこちらに訪れ、それに乗じてセルーナは確実に逃げられるはずだ。


「居ないって、どういうことだ!?昨日、サティアの様子がおかしかった。テムとの話のとき何かあったのか?」
困惑したままカイルとアンセルに詰問するソーマ。
「私だって訳が分からない!テムとの話に別段変わった事はなかった!こんなこと…。私にだって予測できないことくらいある!」
カイルもまた混乱していた。時間も時間、まだ夜明け前だ。
「隊長!小型機が一機足りません。」
周囲を探していたディンが報告した。
「まさか…あいつ…」
口元を覆ってアンセルが言葉を飲み込んだ。言ってしまったら、それが現実になってしまう、とでも言うように。
「何なんだ!?言え!アンセル!」
「一人でイトに…乗り込んだのかもしれない…」
「どうしてそんなことを!?」
「もしかしたら…」
昨日、カイルと話していたグラセウスの件について、話す。
「あのかつらを隠して持って帰ったが、見られていたのかも知れない。」
「そして、私達が考えたような結論に至っていたとするなら、あるいは…『母親』としての責任を果たしに行ったのかもしれない。…昨日言ってた計画を早めるしかないね。」
「はい。若干の変更を…。クォン、一人で先に偵察に行ってくれ。テムの用意が整い次第、サンガとレンツもイトに。」
「了解。」


 セルーナが出てきた使用人の出入り口から入るのは止めた。要塞の真正面に回り、サティアは神術で強引に扉を開けた。金属のきしむ音が大きく響き、バンッという大きな音と共に要塞は大きな口を開けた。けたたましい警報が鳴っている。しかし、そんなことはお構い無しに正面から要塞に乗り込んでいった。向かってくる者は容赦なく弾き飛ばす。奥に進むごとに通路の装飾が豪華になっていく。この先だ。直感的にサティアは思った。重厚な金の扉を開け放つと、そこにはまだ幼さの残る少年が立っていた。
「いらっしゃい。母さん。ずっと待ってたよ。」
サティアの後ろで、金の扉が再び閉まった。


 潜入してすぐの事だ。クォンは我が目を疑った。容貌のすっかり変わったセルーナが、食料配給の列に並んでいたのだ。こっそりと近付き、確認するが、やはりそれはセルーナ。人気のない方へと進んでいく彼女の後をつけ、細い路地に入ったところで、クォンは後ろから彼女の口を押さえ、更に細い路地に連れ込んだ。
「んん…!」
暴れるセルーナ。追っ手?どうしよう…殺される…
「セルーナ様!」
セルーナは名を呼ばれ、困惑した。
「セルーナ様!私です!アンセル隊長直結の部下、クォン・ヒス。」
セルーナはその顔と名を瞬時に思い出した。そして、『アンセル』という名の響きに安心し、暴れるのを止めた。すると、直ぐに口から手が離れ、クォンのほうに向きなおされた。
「覚えておいでですか?」
「ええ!勿論!良かった…私…私…」
涙が溢れる。伝えなくちゃ…。でも、どうしてクォンがここに?色んな疑問が頭をぐるぐると回って、伝えなくてはならない事が上手く言えない。
「カノジョ…グラ…グラセウス…だったの!私それをみんなに…。ああ!早く…」
「落ち着いてください。グラセウスの事は殆ど分かっています。それで私達が潜入を…。ところで、サティア様を見かけませんでしたか?」
サティアさんが…?何故?
「彼女がどうしたの?どういうこと?」
「いえ、知らないならいいのです。兎に角、ディンに連絡を取りあなたをティティに。」
クォンは素早くディンに通信を取る。今ならまだ、直ぐに引き返してこられるはずだ。
《了解。南東、隊員回収地点で待て。直ぐに向かう》
「回収地点まで距離がありますが、大丈夫ですか?」
「ええ!」
決意の強さが、セルーナの体の弱さを打ち負かした。


「僕の事、もう分かってるんだよね?」
「ええ。」
「やっと、ちゃんと会えた!」
無邪気なままの笑顔で、グラセウスはサティアに駆け寄った。そして抱きつき、耳元で囁いた。
「僕は母さんの直系だから、あの黒い神術は効かないよ?」
「そうね…。でもこれは?」
何のことか分からず、サティアの顔を見ようとしたその時、グラセウスの背中に激痛が走った。
「なに…これ…。」
抱きしめるようにしてグラセウスを抱えるサティアの両手には、短剣がしっかりと握られていた。それが深々とグラセウスの背中に刺さっている。
「私はあなたの母親だから、これが唯一、してあげられる事…。」
「…いやだ…いやだ…。どうして?僕を愛していないの?」
「ごめんなさい。私はあなたより、世界を愛してしまったの。」
切ない気持ちで告げる。涙はもう枯れてしまったようだ。サティアは更に短剣に力を込めた。ぐふっと血を吐くグラセウスの声が、耳元で聞こえる。
「最期まで、僕の…思い通りには…ならなかった…ね…、むこうには…僕の部隊を…送った…」
短剣の切っ先が、グラセウスを付き抜け、かすかにサティアの腹部にも刺さった。温かい血が、肩越しに、両手に、腹部に流れるのを感じた。自分の子…。腹を痛めていなくても、事実に変わりはない。だからこそ、果たさなければならない。
「本当に…愛していないの…?」
「…」
涙で潤んだ瞳のグラセウスが聞いた。最後の言葉だということは直ぐに分かった。事切れる瞬間まで、やっとの思いで我慢していたサティアは、グラセウスの体から力が抜けると同時に、嗚咽と共に叫び声を上げた。
「家族とは、時に残酷ですね…。」
背後から聞こえた声と共に、首筋に痛みを覚えた。振り返ると、そこには注射器を手にしたゼファが佇んでいた。


 ティティに降り立ったディンが、セルーナを抱えながら機体から降りてきた。出迎えたカイル達に向かい、セルーナは口火を切った。
「聞いたわ。サティアさんのこと。それで考えたの…。私のように、何の訓練も受けていない人間が簡単にあそこから逃げ出せた…。追っ手が掛からなかったのは、運が良かったからじゃない。」
一気に考えを話すセルーナに、昔の面影はない。
「きっと、それどころでは無かったからよ。」
「確かに、君と入れ違う形でサティアがあそこに乗り込んでいたとしたら、『それどころ』じゃないね。」
セルーナ嬢も少し成長したか…、とカイルはふっと笑う。
「どうして追っ手が来ないのか不思議だったけど、サティアさんのお陰だったのね。」
サティアは、自分なりに母親としての責任を取ろうと奴のところへ出向いたのだろう…。アンセルは再びサティアに妙な距離感を覚えた。自分達は親と言うものを知らずに育った。だからと言うわけではないが、アンセルは未だ、『父性』の存在を自分の中に見出せない。しかし、今回のサティアの行動の端々には使命感と共に、『母性』が見えるような気がしたからだ。
「テムとサンガの様子は?」
アンセルは結果を焦りすぎだと思いながらも、聞かずにはいられなかった。
「そうですね…。あの調子なら、一ヶ月とかからず信頼を得られるかも知れません。テムはイトに不満を抱きつつある若者達を良く知っていますし、それよりも年齢が上の者達は日々の仕事がすでに拷問と化している状態で、戦うような気力は見受けられません。血気盛んな若者達さえ抑えれば、後は芋蔓式に付いて来るでしょう。それに、サンガは意外と人を口車に乗せるのが上手い。」
最後の一言を聞いて、カイルは目を大きくした。
「そういえば、サンガって存在感無いようでいて、人に溶け込むのが上手いよねぇ。」
「ええ。だから、この任務にはヤツが適任かと。」
「誘導の準備が整い次第、連絡をするように伝えました…出来るだけ早く、と。」
クォンがセルーナをちらりと見て言った。サティアが単身で乗り込んだにも関わらず、イト自体が打撃を受けていないことを鑑みても、こちらの状況は最悪だった。
「サティアさんは…どうするのですか?」
セルーナが誰ともなしに聞いた。
「…再び捕虜になっているだろうね。」
「はい。それ以外には考えられない状況です。黒い神術が使われていないのは、使える身体状況でなかったこともあるでしょうが、標的がグラセウス一本に絞られていたからでしょう。直系の彼にはあの力は効かない。」
「サティアの決意を考慮して、グラセウスは倒していたとしても、その後ろに控えている者には気を配っていなかったと考えるのが妥当かな。」
「サティアを突っ走らせてしまったのは、俺に原因があります。申し訳ない…。」
「いいや、私だってまさか彼女がそこまで母性的な責任感を持っているとは思わなかった。それにしても、憎むべきは…」


「アンセル隊長!イト方面から、通信が・・・!」
「とうとう出てきやがったな。全ての回線を開いて受信。こちらからの通信は届きそうか?」
「いえ、向こうからの受信のみに設定されていて、すり抜けるには時間が…」
「よし。厭味の一つでも言ってやりたいところだが、向こうさんの言い分を聞くとするか。…皆さん、用意は?」
「問題ない。」
ソーマが憎憎しげに言う。途切れ途切れの雑音が続いた後、まず聞き覚えのある声が届いた。
“頭の良いカイル君にしては、ここまでが長かったですね。思っていたより遅かったのは…もしかすると、あのいつまでも青臭い、死んだ筈の元王様が、足でも引っ張ったかな?”
言い終わるか否かの瞬間に、大画面に映像が映った。椅子に拘束され、俯いて、何事か呟き続けるサティア。その横には、そう、あのゼファが居た。
“見てください。この美しき女神は、自身の子を…グラセウスを刺し殺した!なんと素晴らしい愛情表現でしょう。しかし、私のことは考えていなかったようだ…ほら。”
薬か何かで虚ろな状態のサティアの髪をぐいと引っ張り上げ、顔を画面に向けさせる。
“この通り、薬で訳の分からない事を夜通しつぶやいている!実にうっとうしい!だが、この比類なき美しさはそんな些細なことなどどうでも良くさせる。…そうそう、どうでもいいと言えば、この世界。これもそろそろどうでも良くなってきた。今度この世界を創りかえる神は、どうやら私と言うことになりそうですね。”
投薬で朦朧としたサティアは、尚も言葉とは呼べない何かを呟くばかりだ。
“さて、自己紹介も済んだところで、最期に皆に言いたい事は無いかい?”
ゼファが更にサティアの髪をぐいと後ろに引っ張る。
“……さい…せいは…い、や…”
“再生か!中々気の利いたことを言うじゃないですか!世界の再生!これが私の望むこと。それからもうすぐ、亡きグラセウスの贈り物が届くだろう。それでは皆さん、ごきげんよう。”
そう言い残して、一方的に通信が途絶えた。ダンッと、ソーマが拳を壁に叩き付ける。やり場の無い不快感を残した通信に、皆が舌をかんだ。
「それにしても…酷い…。彼女があんなになるなんて、余程強い薬を使ったんだわ…」 
ジリーが独り言のように言った。
「どういう事?」 
そばに居たミーナはその言葉を逃さなかった。ジリーはっとして言った。
「実は…彼女には最近ずっと睡眠薬が効かなくて…仕方なく殆ど麻酔といってもいいくらいの薬を使って休ませていたの…だから…」
「…それって、向こうさんもそれに気付いてるって事?」
「彼女の様子を見る限り、そうとしか…」
ジリーは不思議そうに虚空を見つめながら考えている。
「でも、実験も何もしていないのに、おかしいわ…。」
「隊長!小型の空挺が一機、こちらに近づいてきます!」
「グラセウスの贈り物か・・・」
果たして何が来るのか。戦闘になることは間違いないだろう。
「全員、戦闘に備え、空挺の着陸地点へ急げ!」
アンセルの号令で、皆が外に出た。皆が緊迫しながら降りてくる空挺を見つめる。空挺への攻撃は、この銃では無駄だ。何が降りてくるのか。固唾を呑んで見守る中、降り立った空挺のドアがゆっくりと開く。
「暗くてよく見えない…。」
「気を抜くな!」
「そうだよ~。グラセウスの趣味の悪さは…」
「!?」
一人、二人、三人…次々と十人の刺客が降り立つ。その姿は…
「ア…アンセル…!?」
まだ幼さの残る顔のアンセルが、十人。
「サティアの次は俺の偽者か。」
アンセルは過去の自分達に苦々しく言った。
「ちょっと…?これは勝てる気がしないんだけど…?」
「カイル!気持ちで負けてどうする!?お前には神術があるだろう!」
「おーっと、そうでしたっと!」
カイルが一撃を放つ。と、シュウと火の消えるような音がした。
「な!?」
放たれた神術を、幼きアンセル達は吸収した。
「なるほど。神術を吸い取る能力も複製されてるってことか!なら、これしかないな!」
アンセルが剣を抜き、刺客たちに突っ込む。ソーマや他の隊員も続くが一人の複製にものすごい力で投げ飛ばされる。
「ぐゎっ!」
この人知を超えた力は…
「ソーマ!こいつら、神術を最高値まで充電してる!」
彼らはソーマ達には目もくれず、アンセルを取り囲んだ。どうやら彼らの任務はアンセルを狩ることのようだ。だが、この闘いに誰も手出しできない。体は一回りアンセルが大きいが、相手は数がいる。一体どうすれば…。
「アンセル!!」
誰も手出しできないでいる間に、アンセルが袋叩きのような状態になってしまった。中の一人の蹴りで、その輪からアンセルが転がり出た。
「ぐ…」
腹を押さえながら立ち上がるアンセル。瞳に魂の無い、幼きアンセル達はそれにゆっくりと迫った。
「…確かに?数じゃ負けてるけどな…」
一歩踏み出すアンセル。
「お前達複製と違って…」
更に向かっていく。
「本物はこういうことも出来るんだよ!」
一気に駆け出し、固まっていた数人を抱きかかえるようにして、その体に充電されていた神術を吸い取り、自分の力に変えていく。神術を吸い取られた複製達は人形のように転がる。残った複製達からも力を吸い取りながら、なぎ倒す。
「お前ら何してる!?少しは手伝え!!」
アンセルの本気を前に呆然となっていた隊員たちは、はっとして力の抜けた刺客たちに立ち向かった。
「でも隊長!これじゃ、出る幕ないですよ!」
言いながら、ディンが一人に飛び掛る。
「何言ってる!完全にやらないと回復してまた向かってくるぞ!!」
「了解!」
また一人、また一人と倒してゆくアンセル。最後の一人の首を掴み上げ、その力を完全に吸い取った。吸い取った神術が、アンセルの体からあふれ出し、暗闇の中、かすかに光を放っている。圧倒的な力。圧倒的な存在感。思えば、偽者が何人かかって来ようが、この男に勝てるはずなど無い…。誰もがその光景を見て思った。
「敵襲、完全鎮圧。」


「思った通りの結果でしょうか。」
「まぁ、そういうことになりますねぇ…。しかし、グラセウスも悪趣味ですね。ま、それも私の教育の結果と言うことになるかな。」
ゼファが直属の部下に向かって言う。
「次は何をすれば?」
「そうですねぇ。あなたが密偵だと言うことも、もう直ぐばれるでしょうし、もう向こうに戻る必要は無いですよ。」
「御意。」


「…居ない。」
「何がだ?」
「一人足りない。」
本部に帰るなり、カイルが誰ともなしに呟いた。不穏な空気に、若干の疲れを見せていたアンセルが目の色を変えた。
「…クォンだ。奴がいない…。」
「イトへ戻るように命令をして…は、いなかったよね?」
「はい。…くそっ。」
ダンッと壁を殴りつけるアンセル。吸い取った神術が残っているせいで、殴られた壁は大きく凹んだ。
「…シレンセで、我々を地下へ誘導したのも奴だった…。サティアの薬の強度がばれているのも、そのせいか…!」
「いいえ…隊長。それはやはりありえないんです。」
ジリーが口を挟んだ。
「それは、彼女と私だけの秘密でした。絶対に誰も聞いていたと言うことはないんです。」
「じゃぁ…?念のために物凄い薬を使ってるだけってこと?」
カイルが訳が分からないと言った様子で聞く。
「それなら、あんな風に、かすかな意識さえ保つことは出来ないはずなんです。」
「…そうか…!!あれは…。ソーマ、カイル殿、ホルスが裏切り者だと分かる前、最期に開かれた国際会議のことを覚えていますか?」
「ああ。サティアが拘束衣をつけ、使い物になら無い事を…あ!」
「そうです。サティア得意の演技。そして最後に呟いた、唯一意味を成す言葉…」
「『さいせいは、いや』…どういう意味か、やっと分かった。逆再生しろと言いたかったんだ!」
「あの映像は録ってあるか!?」
本部に沈黙が走った。
「隊長、申し訳ありません。あの映像はこちらに残せないよう細工されたもので・・・。」
「くそっ、折角・・・」
「僕、覚えてますよ?」
イリヤが飄々と言った。
「本当か!?」
「はい。一字一句。僕、言語学にも強いんですよ。」
「よし、今からイリヤの言うことを録音しろ。その後逆再生に!」
逆再生すると、『ワタシハダイジョウブ。ワタシガスベテヲオワラセル。ココデ…。ジカンヲカセイデ。』と繰り返されている。ソーマもアンセルもカイルも、サティアがどうするつもりか何となく感じた。
「力を溜めて、あそこで発動させる気だ。」
「溜めるのにどれ位かかる?」
ジリーに問う。
「数ヶ月から、半年か…いいえ、分かりません…でも…」
一呼吸置いてからジリーが言った。
「もし、『スベテ』に自分も入っているなら…3…1ヶ月でも可能かも…」
「駄目だ。それだけは絶対駄目なんだ。」


ゼファの要塞から忍んで出ていたクォンは、再び要塞に引き返していた。腕の中にはまだ生まれて間もない子供が抱かれている。泣かないように、少量の薬で眠らせてある。食料と引き換えに渡された子供だ。今のイトはそれほどに貧窮していた。かつて戦争を仕掛けた勢いは、地下に眠る鉱物の減少とともに、沈む一方だ。
「密偵、か…。面白い。」
そもそも、自分は誰のものでもない。自由に動き、したいようにする。こんなところにも、ゼファにも、リアズやソーマ達にも端から興味など無い。『密偵』なら伝えたはずの、サンガ達の任務のこともゼファに伝えてはいない。面倒な任務を課せられても鬱陶しいだけだ。気になるとすれば、アンセルとサティア。しかしそれよりも…。
要塞の奥にまで忍び込み、どこよりも厳重に閉じられた扉の前に立つ。だが、彼にとってそんな扉の一つ、何の問題も無い。ゼファしか知らないはずの、その扉の鍵を開け、中央に恭しく掲げられた楕円形の器の中にそれは居る。
「しー…」
それの小さな唇に人差し指を当て、体を救い上げると、先ほどまで抱いていた赤ん坊とすりかえる。彼が一番に興味の対象としたのは、アンセルとサティアの子。代理母にされた女は、この子を身篭ると、廃人になり、産み落とした後そのまま死んだ。どれほど力を秘めたものかが伺える。
「よしよし、いい子だ…。」
ゼファに赤ん坊の違いなど分かるはずもない。すやすやと眠るその子を抱え、クォンは闇へと消えた。


「だからさ、ここが俺達の本当の居場所なのかってことよ。」
数十人の青年達を相手に、サンガは熱弁を振るっていた。
「でも、俺達はサティア様のお陰で、こうして自由に生きていられるんだ。」
中の一人が言う。
「けどよ、そのサティア様だって最近は…っつーか、実際みたことあるのっているか?」
その場が静まり返った。
「俺は、見たものしか信じねぇ。」
「じゃあなんでここにいる?」
そうだ、そうだとどよめきが起こる中、サンガは物怖じせずに言った。
「俺は元々シレンセにいて、捕虜になったトコを隙を見て逃げてきた。戻る国もないし、戻る足もねぇ。だからここにいる。通報したけりゃしろ!でもな、一つだけ教えといてやる。シレンセじゃ、食いもんに困った奴なんか一人も居なかったぜ。」
「ほ、本当か…?」
「でも自由は無かったはずだ!早く通報して褒美を貰おうぜ!」
そう言ったのはテムだった。しかし、中の一人がテムに待ったをかけた。
「ちょっと待てよ!サンガの言うこと、俺は信じるぜ。」
「何でだよ!」
「お前こそなんで信じない?」
「それは…」
口ごもって見せるテム。これで、同じような意見の人間を代弁したことになり、おのずと反論してくる輩は減る。
「俺も信じる。…おい皆!あの噂、知ってるか?」
ラルドが言った。
「知ってるぞ!あれだろ、南東にある小さな集落で待ってれば、救援部隊が来るってやつだろ?」
「でも、俺達イトのやつらなんか助けてくれんのか?」
「俺は行ってみるつもりだぜ!どうせここにいたって食いもんもままならねぇ。」
「俺達もだけど、周りの大人たちも連れて行ったほうがよくね?」
同意する声がそこここから聞こえる。
「皆、手分けして少しずつ移動していこうぜ!今なら戦争に借り出される気配もないし。」
「よし!じゃあ、皆手分けして、一ヵ月後には、その集落まで誘導しようぜ!」
サンガがダメ押しすると、青年達に活気が戻った。


“ってことで、早ければ後一ヶ月で誘導は終わりそうです。”
「そうか。よくやったな。俺が見立てたよりも随分と早かったじゃないか。」
“いやぁ伊達に大家族の長男やってませんって~”
「なるほどな。で、やはりそっちにも一般で無い戦闘員はいるのか?」
“いますね。でも、大部隊ってほどじゃないです。要塞の門番と、多分内部の要所要所にいるでしょうね。”
「ゼファに動きは?」
“全くと言っていいほど無いです。不気味ですよ、実際。イトの民達も、何の音沙汰も無いんで、ほとんど何かを諦めてるような雰囲気です。まぁ、だから誘導も楽なんっすけど。”
「そうか…。動きに気付かれてはいないんだな?」
“はい。どちらかと言うと、もう人々には興味が無いんじゃないでしょうかね。発掘している鉱物も底を付いてきているし…。それに、その搾取にすら来ない状況です。”
「了解だ。誘導が完全に済み次第、突入する。追って連絡をくれ。」
“了解!!”
「通信終了。」
「はい!」
「傍受等の心配は無いな?」
「はい、隊長。」
「よし。」
本部を後にしながらアンセルは深いため息をついた。…後、少しだな。こちらの息とサティアの呼吸が合わなければ、全ては無に帰す。サンガ達の任務はサティアも知っているだろうが、要塞の奥に隔離されているなら、その動きは知るはずも無いだろう。もし、サティアが早まってしまったら…。いや、考えるのは止そう。今まで、俺達二人は全て阿吽の呼吸で難関を乗り越えてきた。今はその事実を信じるしかない。
「みんな、集まってるか?」
「はい!」
隊員たちとソーマ、カイルが作戦会議室に待機していた。
「これが、レンツが送ってきた要塞内部の地図だ。」
ホログラフィに画像が現れる。
「欠落している部分は多々あるが、恐らくサティアもゼファもこの中心に居るだろう。」
アンセルはクォンが居ればとふと思った。奴なら入れない場所など無い。しかし奴は裏切ったのだ。その言葉は腑に落ちないとも思うが実際奴は消えたのだから、そう考えざるを得ない。しかし、サンガ達の動きを勘づかれていないということは、一体どういうことなのだ?味方でもないが、敵でもないような気がした。
「アンセル?」
ソーマが訝しげに言った。
「いや、すまない。俺達が突破できそうな入り口はこの全部で、どれでもない。」
「どういう意味だ?」
「どこも同じような警備になっているだろうということだ。もしかすると、入れそうに見えるところが一番危険な可能性もある。従って…」
「正面ですか?」
「ああ。回りくどく行ったところで時間の無駄になり兼ねない。ならばいっそ正面切って乗り込んだほうが早い気がするんだ。サティアも多分そうしただろうし、俺達が乗り込むなら、そう来ると、誰もが思っているだろう。」
「そうだねぇ。今更奴の裏を掻こうとしても、私達は奴の書いた台本にどっぷり浸かってしまっているのが現状だ。唯一裏を掻いているのがサティア。それなら、彼女が予測しているように動くのが得策だろうね。」
「そうです。…って、カイル殿?まさか…」
「行くよ?」
「何を言っているんですか!?現職で残っている王はカイル殿だけなんですよ!?」
「はは。それも、サティアの発動とタイミングが合わなければ、無かったも同然になるわけだし、私は世界が終わるのか、続くのか、最後までこの目で見たいんだよ。」
「それは…そうですが…」
「足手まといにならない自信はある。」
「貴様、何を根拠に…」
「うーん。言わないつもりだったけど、まあいいか。…ホルス戦のとき、その最期を確実にするために、私はコウ国に居たんだよ。奴の目の前に。」
「なんだって!?」
「神術で奴を半殺しにして、自分の国が滅びる様を見せ付けてやった。神術を使った戦闘なら、そこにいるソーマ君よりも私のほうが上なんだよねぇ。」
「カイル殿…なんて危険な…。無事に終わって良かった…。」
「それに、私は氷の女王イトの血縁。不慮の発動が起きても、黒い膜にはやられない。」
「…どうせ、俺の制止は効かないんですよね?」
「そういうこと!」
アンセルは一つ溜息をついた。
「わかりました。今回、残った兵士達は全員、難民救助に当たらせます。従って、乗り込むのは俺達の隊のみ。向こうもそのつもりで待っているでしょう。…一体奴は何をさせたいんだ?」
「多分、遊んでいるだけだと思うよ。」
「…でしょうね。全く趣味の悪い遊びだ。ソーマ?どうかしたか?」
「嫌な、予感がするんだ。」
「うーん、ソーマ君の予感は私ほど当たりはしないし、気にしても始まらないんじゃない?」
「それは、そうなのだが…」
ソーマはカイルの言葉に乗るでもなく、一人思いを巡らせた。


「さて、そろそろ薬の時間だ。」
首筋に慣れた小さな痛み。サティアは、気が狂いそうなほど、真っ白な部屋の真ん中に横たえられていた。効かない薬を定期的に打たれては、効いているように見せかける。長く続けていると、本当に頭の中にモヤがかかってくるようだ。しかし眠ろうとしたところで、身体的に眠る事が出来ないのだ。少し鈍った思考の中で、グラセウスの最期が過ぎっては消える。彼のことはもう考えたくない。あれからいったい何日が過ぎたのだろう。窓のない部屋では一日の始まりも終も見当がつかない。まして眠れない体では…。力の充足感から予測するに、少なくとも二週間以上といったところか。次にサティアはアンセル達のことに意識を集中させた。力を溜める時間を稼いでほしいというのは、多分伝わっただろうが、その期間はどれくらいになるだろう。アンセル達は私の動きをどう読んでいるのか…。いや、違う。考える方向が逆だ。私をどう読むかは、きっと間違わない。そういう前提で動かなければ、互いを見合って誤差が生じる。そうなれば、その必要のないものまで焼き尽くしてしまう。自分一人で力を発動させ、事態を終息させたかったが、きっとそれは無理だ。私が見ている漆黒の未来が分かっていても、彼らは、来る。


 ひと時の静けさをまとった作戦本部の窓から、カイルは木陰に佇むセルーナを捉えた。
「どうしようかなぁ。」
「何がだ?」
相変わらず、唐突に意味不明なことを口走る従兄弟に苛つきながらも、ソーマは聞いてしまう。
「あれ、あそこ。セルーナがいる。」
「…ああ、そのようだな。で?」
「相変わらず冷たいねぇ。こと、サティア以外に対しては。」
「なん…。いや、いい。そもそも貴様のくだらない一言を構った俺が馬鹿だったんだ。」
「ちょっと、変なふうに大人にならないでよ。えーっとね、多分セルーナは、何か懺悔をしたいんだよ。」
「どうしてわかる?」
「背中が話したがってる。って言っても君には通じないよね。ほら、人と関わりたくないなら、どこかに引きこもるだろ?だけど、皆の気配を感じられるところにいる。かと言って人のわんさかいる本部には来ない。」
「それは彼女なりに邪魔をしないように、気を遣っているだけじゃないのか?」
「まぁ、それもあるかもしれないけど、大勢の人には触れて欲しくないけど、誰かには触れて欲しいってことなんじゃないかな?この微妙な距離は。」
「で、貴様は貴様が、その誰かになろうか迷っているということか。」
「そういうこと。なんなら君が行ってみる?」
「…貴様の言うことが正しいなら、俺では…役に立てそうもない。貴様が行ってやれ。」
「おや、私に対して珍しいことを言うじゃないか。」
「…この戦いで、悔しいが、貴様には負けを認めざるを得ないところが多々あると知ったからな。」
「…。ありがたいけど、一番負けたくないところで負けちゃってるんだよね…。」
「ん?どういうことだ?」
「ええっ!?まだ気づいてないの!?」
「だから、何がだ。」
「もういいよ。自分で言うなんて自虐趣味、私にはないから。じゃ、セルーナのところに行ってくるよ。」
あんな鈍感な奴のどこがいいんだ、サティアは。と、カイルは久しぶりに苛立ちを覚えたが、こんな小さなことで心を揺らされている自分に気づいて、苦笑した。
「さて。」
セルーナは何を懺悔したいのだろう。
「セルーナ?」
「あ…。」
「ここで何を?」
「…あの向こうにリアズがあったのですよね…。」
かつての都を遠い目で見た。
「ああ。でも話したいのは、リアズの思い出話じゃないだろう?吐き出しなさい。聞いてあげるから。」
セルーナは一瞬驚いたような眼差しを向けたが、気まずそうに俯いてから、話し始めた。
「私、サティアさんが小さな黒い膜に閉じ篭っているのを、影から見ていたんです。そこへ、あの人がやってきた。」
「ソーマ?」
「はい。あの人は必死で彼女に話しかけ始めた。ううん、話すなんて優しいものじゃない。懇願だった。無視されるくらいなら、傷付けられたほうがマシだとでも言うようだった。そこまでするあの人を見ても、私はタカをくくっていた。あの怪物が人の思いに応えることなんて無いと!」
「それが、応えた。」
「ただ応えただけじゃなかった。お互いを受け入れた。誰の入る隙もなかった。私の存在なんて、はなから無かったみたいに!だから…。思い知らせてやろうと思ったの。敵に回ることで、私の存在を…。」
「君は君で、無視されるよりましな方を選んだんだね。で、どうだった?」
「世界にとって、私の存在なんて無いのと同じだと思い知らされた。でも、それで良かったのかもしれない。世界を背負えるような人間じゃないから。」
「世界を背負えはしないけど、自分を卑下する程じゃない。君は一度向こうに回ったことで、強くなってるし、成長したと思うよ?」
「本当に?」
「ああ。」
「あの人は…皆は…許してくれるでしょうか…?」
「それはわからない。…でも…。」
「でも?」
「今のことを話す必要が、そもそもないと思うけどね。私に話すってこと自体、君は反省もしているし、第一、皆に許して欲しいというのが本音ではないだろう。どちらかといえば、どこまで罰してもらえれば、自分で自分を許せるか、なんじゃない?」
「そう、かもしれない…。」
胸に手をやって、セルーナは天を仰いだ。遠雷が聞こえた。
「そろそろ戻ったほうがいいね。…一番の罰は、誰にも理由や反省していることを話さず、理解を求めないことだ。私ならそうするし、今の君なら耐えられるよ。」


「今日は薬を打つ前に、見せておきたいものがあってね。」
「…」
「ほーら。ご覧。」
ゼファの肩越しに、赤ん坊が見えた。
「…。」
「君と、アンセルの子だよ。」
「っ…」
息が、うまく、できない。
「この子は、きっとアンセルより強力で、君より神々しく成長するだろう。」
そうだろう。そして、私たちより、遥かに過酷な運命が待ち受けているのだ。世界はこの子の前に塵同然の存在となるだろう。呼吸が、でき、ない。
「それじゃあ、薬を。」
投薬に合わせて、彼女は久しぶりに意識を手放した。


「これより、サティア救出の作戦を実行に移す!全員、首尾は整ってるな?」
「はい!」
イトで民衆の誘導をしている、サンガとラルドを除く全ての面々が声をそろえた。
「サンガとラルドには、先刻、民衆の誘導を最終段階に移すよう指示した。民衆を運ぶための飛空挺も先程飛び立った。残るは我々のみだ。」
イリヤには国内待機を命じ、ディン、ジリー、ミーナはイト到着後空挺内での待機、カイルを含めた残りの六人は、アンセルと共に本拠地へ乗り込む。
「今回の作戦が、本当の意味で最後になるかも知れん。…エルド!」
「はい!」
「お前無しでは、これまでの数々の作戦を考えることはできなかった。感謝する。」
「隊長…。俺は隊長と戦うことができて幸運です。」
「ああ。俺もだ。…ディン!」
「はい!」
「空挺での移動が重要となった昨今、お前の活躍がこれまでの救出劇を可能にしてくれた。ありがとう。」
「ありがとうございます!」
「グレイシー!」
「はい!」
「作戦の成功には、お前の補佐が欠かせなかった。支えになってくれてありがとう。」
「力になれて光栄です!」
「ルーク!」
「はい!」
「今までありがとう。お前の狙撃の腕は世界に通用する。今回の作戦でも安心して任せることができる。頼んだぞ。」
「任せてください!」
「ミーナ!」
「はい!」
「お前の地理解析はいつも正確だった。それに、いつも隊を明るくしてくれていた。ありがとう。」
「それは…あなたが隊長だったからです。私こそ、ありがとうございます!」
「イリヤ!」
「はい。」
「この戦いの多くの謎は、お前のお陰で解明できた。感謝しているぞ。」
「感謝はこっちの台詞ですよ。僕は今、珍しく国内待機を悔しく感じてるくらいだ。でも、足手纏いはもっと嫌ですからね。」
「そうだな。ここに待機するのが懸命だ。…ジリー!」
「はい!」
「…サティアの治療…、ご苦労だった。」
「医師として、隊長の下で働けて幸せです。」
「そして…ソーマ。」
アンセルは一つ呼吸をしてソーマに向き直った。
「お前みたいな馬鹿がいると周りが破滅する!」
「なっ…」
「だが、その馬鹿のお陰で、サティアも俺も救われた。お前は最高の馬鹿だよ!親友。」
「お前にそう言われるなら、馬鹿で良かった。いろいろとすまなかった。ありがとう。」
アンセルとソーマが笑いあう。
「カイル殿にも感謝しています。この戦いを制したのはあなたと言っていいでしょう。」
「いやいや、私はただの野次馬だよ。でも、褒められるのは嫌いじゃないね。特にアンセルからなら。君になら抱かれてもいいね。」
「うーん、カイル殿が女なら考えたかもしれませんがね。」
カイルとアンセルは軽口を叩き合って、お互いの精神が落ち着いていることを確かめた。これから起きる全てのことが、大したことではないとでも言うように。
「さぁ、それじゃあ皆、行くぞ!」


「女子供から先に並ぶんだ!」
サンガは声を張り上げていた。テムも整列を手伝っている。人々に活気がないお陰で、だらだらと続く長い列を統括するのも案外簡単だった。遠くに飛空挺が見えた。と、いうことは、隊長たちの最終任務も火蓋を切ったということだ。
「死なないでくださいよ。隊長…。」
サンガはイトの中心地に向かって呟いた。


「ルーク、どうだ?」
“配置につきました。門番狙えています。いつでも大丈夫です。”
イトの要塞を前に、ルークが門番の狙撃命令を待つ。アンセル、エルド、グレイシー、ソーマ、そしてカイルは入り口の手前で突入に備えている。
「よし。ルーク、撃て!」
小さな破裂音と共に、二人の門番が倒れこんだ。
「突入!」
カイルとソーマが入り口の扉を神術でこじ開ける。
「行け!」
案の定すぐに警報音が響き渡った。同時に、現れる敵兵。激しい銃撃を繰り広げながら、アンセルとソーマ、カイルは、頭上にある換気口へ入っていく。
「エルド、グレイシー!頼んだぞ!」
「了解!」
換気口の中は一人通るのがぎりぎりだ。激しい発砲音から遠ざかりながら、着実に要塞の中心へと近づいていく。
「さっきも言ったが、情報によるとこれは要塞の中心部の手前までで途切れている。もうしばらく行ったところで出るぞ。」
アンセルが言い終わるか否かの内に、けたたましく鳴っていた警報が鳴り止んだ。
「なんだ?一体どういうことだ?」
「まさか、エルド達…」
「今はよそう。」
「そうだよ。私の勘じゃ、ゼファが面白半分に停止ボタンを押しただけさ。」
「だといいがな。よし、降りるぞ。」
警戒しながら通路に出るが、そこに敵はいなかった。
「不気味だが、疑ってる暇はない。行こう!」
先へ進むと、半開きになった扉に行き当たった。
「多分、ここが中心だ…。」
アンセルが歩みを止めて言った。そのアンセルを追い抜き、ソーマが扉を開けた。
「サティア!」
真っ白でだだっ広い部屋の真ん中にサティアが座っていた。
「迎えに来た!さあ!」
「…。」
こちらの言葉は通じているはずなのに、サティアは動かない。薬が効いているはずはないのだ。
「どうした!?さあ、早く!」
近づこうとしたアンセルたちを制すように、足音がこだました。
「やあ、皆さん。お揃いですね。」
声だけが響く。
「ゼファか!」
「彼女は行きませんよ。薬以上の鎖が、彼女を放さない。」
「どういうことだ?」
「これが何かお分かりかな?」
やっと姿を現したゼファの、掲げた腕には赤ん坊が抱かれている。
「これは、サティアと、君。そう、アンセルの子だよ。二人の受精卵を代理母に生ませたんだ。恐ろしいほどの生命力で、代理母の女はこの子に食い尽くされたように死んだよ。」
「その子を…どうするつもりだ?」
「どうもこうもない。この子に必要なのは母親だ。サティアだよ。グラセウスに注げなかった愛情を、この子になら注いでやれるだろう。」
そう言って、ゼファはサティア手に赤ん坊を抱かせると、銃を取り出し、その銃口をサティアに向けた。
「近づけば殺す!とはいえ、君たちは彼女を絶対に見殺しにはしないだろう。結局、私に従うしかないのだよ。それに、ご覧、彼女はそこから動かない!それが答えだよ!私もその子も選ばれたのだ!彼女という神に!」
「本当にいいのか?それが君の望んだ答えなのか?」
カイルの問いにも応えない。
「サティア!一緒に帰ろう。」
アンセルが叫ぶ。しかし、その声が相手を動かすことはなかった。
「本当にお前の子なのか?」
ソーマの問いかけにサティアがピクリと動いた。
「確かめなくていいのか?」
「…たし…かめる…?」
サティアがやっと口を開いた。ソーマはひたすら見つめる。伝わってくれ。確かめるには、あの方法しかない。全てを解決する、唯一の方法。
「何を言っている?この子は間違いなく彼女の子だ!」
「私の…子…」
「そうだよ、サティア。君とアンセルの。おいで…。」
ゼファに言われるがまま、サティアはふらふらと彼の元に歩み寄った。
「だから、私達選ばれた者意外は、この世には必要ないんだよ。」
サティアがゼファを見て、その言葉の意味を咀嚼している。と、突然ソーマ達に振り返る。
「そう…私達以外…」
彼女の目の色が変わっている。アンセルを捉えた瞳はおぞましい黄色だった。
「サティア!」
叫んだアンセルはそのまま彼女と見詰め合う。間をおいて、二人の不思議な空気を壊したのはゼファだった。
「さぁ、私と一緒に新し…」
「私、達…以外…みンナ…」
喋るごとに彼女の声が高低に割れていく。
「サ、サティア…?」

『ミンナ、イキテ…』

目を見開いて硬直するゼファは赤ん坊と共に突如現れた黒い膜に呑まれていく。微かな叫び声を残して、黒く崩れていった。アンセルがソーマとカイルの手を強引に引張り、部屋を飛び出す。長い廊下を駆け抜ける。
「止めてくれ!アンセル!もう終った!」
「駄目だ!」
「でもあいつは…」
「駄目だ!今は逃げるんだソーマ!このままここの兵器全てを消す!止めるのはその後だ!」
「そんな力使ったら、今度こそ死ぬかもしれないんだぞ!?」
「分かってる。落ち着けソーマ。俺とサティアは全て分かってる!だから、今は全速力で走ってくれ!」


 黒い膜は全てを覆い尽くすほど大きくなった。これならもう十分だろう。アンセルが振り返り膜を止めようとした瞬間だった。弾けるような音と共に黒い膜が一瞬で消えた。同時に辺りで炎が噴出した。焦げて崩れるまでに至らなかったものたちが、最後の断末魔を上げているような光景だった。
「…どういうことだ?…」
「…足りなかった。力が、もう限界だったんだ…。」
「サティア、は?」
「分からない…」
「どうして…、どうして早く止めなかった!?」
食って掛かったソーマに揺さぶられるまま、アンセルはサティアがいるはずの方向を見つめたままだ。
「分かってるだろ?あいつがそう望んだって。理解した上で、こうする事がいいと考えた。」


 燃え上がる炎は永遠とも取れる時間を費やし、兵器と要塞を燃やし続けた。それは、誰をも近付けることなく、三日目に降った雨により、やっと終息を向かえた。それまでにイトの人々はティティや奪還した各国に避難し、セルーナは神術を神光玉に送り込み、各地で戦後の復興が開始された。そして、サティア…。三日目の雨でようやく炎の中心部に入ることが可能になり、アンセルとその隊員達によって発見された。…生きていた。瓦礫すら残っていない炎の中心部で彼女は一人、生きていたのだ。ただし、その意識は無く、救護施設に運ばれ、微かな生命反応だけを示すのみだった。
それから3ヶ月。リアズでは修繕された宮殿の会議室で、今後の世界情勢についての話し合いがなされていた。そこには、カイル、リン=セイ、セルーナ、アンセルにソーマも居る。ソーマは戦後の混乱に乗じた形で、全国民に真実を発表し、見事王座に返り咲いた。異議を唱えるものどころか、その行動力に賛辞ばかりが轟いた。そしてアンセルは、いや、むしろアンセルこそ英雄として、カイルやリンの後ろ盾もあり、あのギルやゼファ、グラセウスの治めていた国を難民地区として統括する、実質的な王となった。サティアが壊滅させたホルスの国には、未だに草の根一つ生えていない。サティアはまだ眠ったままだ。生命維持装置は必要ないものの、深い眠りに付いたまま…。誰もがその状態を忘れるように努力していた。大戦の一番の犠牲者。産んだ事実を知らないとはいえ、その手で自身の子を、しかも目の前で葬った気持ちは推し量れない。それを受け入れることを拒否しているかのように…、皆が自分の存在を忘れることを願うように、彼女は眠り続ける。更に3ヶ月が経ち、それから更に月日が経ってゆく。それでも、彼女を忘れる者など誰一人居なかった。毎日誰かしら病室を訪れ、他愛のない話や、世界情勢について話していった。時にはサティアの側を離れず、病室で夜を明かすこともあった。話しかけることが、あの大戦に深く関わってきた者たちの日課となっていた。
気が付けば、サティアがイト軍の空挺から十字の鉄杭と共に投下されてから、二年の月日が流れていた。会議の後の立食のたびに、ソーマが隠れていた林檎の木にも、再び花が咲いている。彼が会議の後に隠れることはもう無い。若き王達は、互いを真に信じることで、世界を動かしているからだ。復興が進んだ各国の民には活気が戻り、子供達は容易に軍人になりたいとは言わなくなった。
「ソーマ様!!」
会議の途中で、家臣が声と息を荒げながら部屋に転がり込んできた。
「どうした?」
尋常でない彼の様子に、一同が息を呑んだ。大戦が始まった時の事を瞬間的に彷彿とさせたのだ。
「サティア様が!」
「サティアがどうした!?」
「目を…目をお覚ましに…」
聞き終らない内に、その場に居た全員が、病室へと走り出した。また、混乱してはいないだろうか?いや、そんなことよりも…。サティアが昔同じような状況で目覚めた時のことを思い出す。
「サティア!」
乱暴に扉を開けたソーマの目に飛び込んできたのは、ベッドに起き上がり、開け放った窓から吹き抜ける風を感じる、静かなサティアの姿だった。ゆっくりとこちらを向き、次々と入ってくるカイルやアンセルの顔を見回している。混乱どころか、そこには何の表情も無かった。
「サティア、アンセルだ。分かるか?」
まだぼうっとしたままのサティアを見て、一同に不安がよぎった。
「サティア。こちらはカイル殿。ソーマは分かるよな?」
サティアは黙って、ソーマを見、アンセルを見返した。
「それに、大戦で、命を預けあった仲間たちだ。」
「…私、戦っていたの?」
アンセルが振り向き、全員が顔を見合わせた。アンセルはサティアに向き直り、ベッドの箸に腰を下ろした。ソーマ達も側にあった椅子をベッドに寄せて座る。
「じゃ、覚えてるのは、何だ?」
「一番良く覚えてるのは…、家で、私が料理を。…その時、アンセルが、腕輪をくれた…」
「この腕輪の事か?」
アンセルが腕から外して見せた。まただ、不吉な邪視感が全員を襲う。
「サティア、それは今から十年以上も前の話だ。その日、俺は…」
ふふふと、サティアが笑った。訳が分からず、ぽかんとしているアンセルやソーマ達に彼女は言った。
「忘れるわけが無い。今のは冗談。」
「それじゃあ…!」
「みんな、随分変わったのね。全て覚えてる。忘れたいことも…。でも、それよりも、あなたたちのこと、忘れたりなんか絶対に出来ない。」
「あれから、一年以上眠ったままだったんだよ。」
カイルがサティアの髪を梳いた。
「ごめんなさい!私があの時逃げられたのは、あなたのお陰だった…」
セルーナは涙ぐむ。
「ありがとう。全てがあなたのお陰よ。」
そう言ったリンは、もう車椅子ではなく、義足で歩けるようになっている。それを見て、サティアは再び微笑んだ。
「いいえ、誰か一人のお陰なんかじゃない。みんなが居たから、みんな戦えた。私こそありがとう。」
感謝を告げたときの笑顔は輝くばかりだった。そのことに全員が驚いた。サティアもまた変わったのだ。それはきっと、眠り続けていた間に、皆が話しかけていたことが、伝わっていたからに違いない。
「…あの最後の夜、言ったことを覚えているか?」
ソーマがずっと聞きたかった事だった。
「ええ。…私にはもう、力は残っていない。それでも私は必要?」
一陣の風が部屋に吹き込んだ。
「さぁーってと。それじゃ、私達は会議の続きがあるから行こうかねぇ。っていうか、さ、みんな出た出た。」
カイルがおどけた調子で、ソーマ以外の人払いを始めた。
「ちょっとどういう…」
「リンはそういうところが鈍いからダメなんだよ。ねぇ?アンセル?」
「そうですねぇ。でも俺はそこが好きですよ?」
「えっ…」
リンが頬を赤らめながら部屋を出る。最後にカイルが部屋を出ると、扉の脇にアンセルが立っていた。
「フラれましたね。」
アンセルがカイルに言い、カイルは開け放したままの部屋に残された、部屋の奥に居るソーマとサティアを肩越しに見て歩き出した。
「はっきり言うねぇ、君は。やめてよね、一応傷付いてるんだから。」
その背後でバタンととの閉まる音が聞こえた。
「あれ…?今…」
カイルが振り返る。アンセルも同様にしてから、二人は一瞬顔を見合わせた。
「…姉さんらしい。」
ふっと笑うと歩き出すアンセル。
「ほんと…って、今、なんて言った?」
「行きますよ!カイル殿。会議の途中でしょう?」
「そうそう。…いや、でも、やっぱり色々気になるんだって!」


「今、扉が…」
「きっと、アンセルが。」
「そう…か…。」
誰かが閉めたようには見えなかったが、ソーマの力でもないなら風のせいかもしれない。
「もう一度言わせてくれ。俺は、お前を、お前だけを愛している。他には何も望まない。」
サティアの真正面に向き合ってソーマは告げた。
「私が世界に望むのは、平和と…ソーマ、あなただけ。私ももう一度聞かせて?」
「何だ?」
「力が無くなった今でも、この世界に、私は必要?」
真剣な眼差しのサティアにソーマは微笑みかけた。
「…必要。だからそこに居る。」

Need∴∃

この度は、私の作品を読んでいただき、誠にありがとうございました。

この作品を書き始めたのは4年前。最初の2年でほとんどを書き終えていました。が、当時の私の原動力は、恋人でもあった唯一の読者の存在でした。もうお分かりかと思いますが、その2年で破局。その後、読者を失った私の筆は遅くなり、そうこうしている内に、一度目の結婚、半年後に離婚を経験し、新たな読者である、今の伴侶を得ることに。そんなドタバタを経験しているうちに、約2年のブランクが出来てしまったわけです。

さて、この作品ですが、『存在すること』の意味を追求したつもりです。(あまりどろどろしない程度に書いたつもりです。)なぜそんなことをテーマにしたかというと、単に、当時の私がうつ病を発症していたからに過ぎません。そして、そこに戦争という壮大なものを絡めたのは、私が広島出身ということが、深層心理に働いていたのでしょう。自分で書いておいて、言うのもなんですが、これを書くことで、大分救われました。必要だから存在する。つまり、存在しているということは、どこかで何かが必要としているからなのだということ。それが地球単位の話であっても、例えば、自分の食べこぼしを虫が必要としていたという程度のものであっても、必要だということに変わりはないのです。うつから復活した私は、どんな些細な存在理由もありがたく感じるのです。

この作品を読んでくださった方が、少しでも何か感じてくれたら、とてもうれしいです。では。

Need∴∃

世界終焉のその後、地上には再び文明が発生していた。 いつからか人のいないはずの地に、国が生まれ、彼らは『イト』という破壊の神の名を騙る。 神光玉の略奪を目的とした彼らは各国への侵略を開始した。 彼らの手中には、何故か封印されたはずの古代の兵器が・・・。 永きに渡る平和のせいで、成す術もない国々に彼らは容赦なく襲い掛かるイト。 各国を統べる国の王、ソーマは、変わった能力の持ち主で、自国軍の若き中将アンセルとともに戦いに身を投じていく。 実は、アンセルの姉サティアは王族で無いにもかかわらず、類稀なる神術の使い手で神殿で神光玉を守っていた。 しかしサティアはある日の襲撃で、行方知れずとなっていたのだ。 残されたアンセルは、平和を取り戻すこと以外に、報復も誓っていたのだった。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-01-13

CC BY-NC-ND
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CC BY-NC-ND
  1. 神話