幽玄館殺人事件 第4章 密室の意味
第4章 密室の意味
1
別館に戻ると一端、解散となり皆自身の部屋に引き上げた。宗平氏も「明日の朝食は本館の食堂で九時からになります。私は一階の使用人室にて就寝しますので、何かあった際にはお呼び下さい。また、ラウンジにある遊具や飲食物関係の物はご自由にお使いください」とだけ言い、一階の使用人室へと消えて行った。
俺は軽くシャワーを浴びると、寝間着用の服装(灰色のスウェット風ズボンと黒いTシャッ)に着替え、窓を開け煙草に火を点けた。
先ほどよりも風が強くなってきていた。煙を外に吐き出すと、あっと言う間に拡散してしまう。俺は窓から顔を出し、空を見上げた。すると、ちょうど月が雲に隠れてしまい、薄明りに照らし出されていた世界が暗転した。俺は流石に、いよいよ不安な気持ちになり、窓を閉め、煙草を灰皿に押し当てるとラウンジへと向かった。
ラウンジにはすでに中林を除く男性陣が揃っていた。水谷は相変わらず、カウンターバーに陣取って酒を飲んでいる。その隣には森田が居て何かを話し合っている様子だ。時折、水谷がくぐもった笑い声をあげている。中村と田中はビリヤード台の所にいて、ゲームを始めようとしていた。
「遊馬さん。やらないすか」
中村が両手に持ったキューを振りながら言った。俺は彼らの方に向かう。
「いいけど、全然上手くないよ」
「大丈夫すよ、俺もあんま上手くないすから。あ、でも田中はうまいよな」
「え、あ、はい。趣味で少しかじっていますから……」
田中は俯きながら小さな声で言った。
「そう、じゃあ田中君に教えてもらおうか」
俺は中村からキューを受け取ると、田中に言った。
「はい。何でも聞いてください」
田中は楽しそうに答えると、初めて笑みを見せた。そうして十五分ほどゲームに興じていると、二階から女性陣が降りてきた。
「ビリヤードですか、面白そうですね」
由梨絵は俺の隣に来ると、中村に言った。彼女は薄いピンク色で各所にひらひらのレースが付いた、上品な寝間着に身を包んでいる。突然、由梨絵に話しかけられ動揺したのか、中村は簡単なショットを見事にはずした。
「み、御巫さんもやりますか」
「いいえ、私は見ているだけで十分です」
由梨絵は手で髪をかき上げながら言った。その後、中村はどうでも良い内容の質問(彼にとっては重要なのだろう)をいくつか由梨絵にしていた。俺はその間、ゲームをしながら周りの様子を観察した。
倉谷さんは水谷達と、楽しそうにお酒を酌み交わしている。西岡さんと高野さんはソファでテレビをつけながらお喋りをしていた。しばらくの間、そんな状態が続いていたが、倉谷さんがいきなり席を立ち、片手にワインのボトルを抱えたまま西岡さんに抱きついた。その様子を見て、水谷が森田に両手を開いたポーズでニヤニヤしながら何か言っている。雰囲気からして、水谷と倉谷さんが何か痴話喧嘩をしたようだった。と、その時、ラウンジに備え付けられていた古時計が荘厳な鐘の音で午後十時を告げ、同時に男性陣の部屋側の扉が開き、中林が入ってきた。
「中さん。もういいんですか」
水谷がよく通る大きな声で言った。
「ああ、もうすっかり気分も良くなったよ。それより、伸二、せっかく自動卓が有るんだから麻雀をしようぜ」
中林は麻雀卓の方を見ながら言った。すると、水谷は申し訳なさそうに言った。
「中さん、すみません。実は、俺も昨日寝不足で、明日も有るし、もう寝ようと思っていたんですよ」
「そうか、じゃあ仕方ないな。他に打てそうなのは……。森田と中村、……それと田中くらいか」
「そんな、かんべんして下さいよ、先輩。俺らルールが分かるくらいで全然弱いんすから。カモられちゃうだけすよ」
中村が慌てて反論し、田中もそれに頷く。
「他に打てる奴が居ないんだからしょうがないだろ」
中林はニヤニヤと笑いながら、コップにアルコールを注ぎ、麻雀卓に座った。森田も特に異存はないのかすでに座っている。水谷はすまないなと言いながら(顔はにやけている)そそくさと部屋に帰ってしまった。
「そうだ、遊馬さん。麻雀打てないすか。助けて下さい」
「まあ、それなりには打てるけど……」
「中村、遊馬君が打てたとしてもあと一人足りない。お前、田中よりはうまいんだからどのみちダメだぜ」
中林は実に楽しそうに言った。
「そんな……。ああ、ついてないな……」
「それなら、私が中村君の代わりに打っても宜しいですか?」
突然、由梨絵が涼しい顔で名乗り出た。まあ、俺にはこの展開が読めていたが、他の面々には意外だったらしく、一瞬の沈黙の後、小さく笑い声が上がった。
「御巫さん、面白い冗談だけど、やめた方が良いわよ。私、ルールはよく分からないけど中さんが強いのは素人目にも分かるんだから」
西岡さんが立ち上がり、由梨絵に近づきながら言った。
「西岡さん。ご心配ありがとうございます。でも、ご安心を。私も麻雀は得意なんです」
「へえ、冗談じゃなくて御巫さん、麻雀出来るんだ。面白いね。でも、俺、手加減できるほどうまくはないよ」
「手加減の必要はありません。遊馬」
「はいはい」
俺は持っていたキューをビリヤード台に立てかけ、由梨絵について麻雀卓へと向かった。
「ルールは映像研のもので構わないかい」
「はい、構いませんよ。ただし、一つだけ条件があります」
「なにかな」
「私の席をそちらにして頂けますか」
由梨絵は森田がすでに座っていた玄関ホール側の席を指さした。
「いいよ。森田」
森田は席をどけると、由梨絵の上家側に座り直した。
「あと、お互い、不正ができない様、遊馬を私の対面に置いてもらえますか」
「……そ、そうだな」
中林は由梨絵の雰囲気に、やや押され気味に立ち上がると、森田の対面に座った。俺は中林が退いた席に座る。
「それで、映像研のルールはどのようなものなのですか」
「アリアリの聴牌連荘、二万五千点持ちの三万点返しで三十符四飜は満貫。九種九牌と四風子連打は親流れしない。あと、特殊な役は無いよ」
「分かりました。大体はミス研のルールと同じの様ですね。それでは、はじめましょうか」
彼女は強い。ミス研には麻雀好きの面子が多い(俺も含め)ので、初めのうち、彼らは由梨絵と積極的に麻雀を打ちたがっていたが、あまりに由梨絵が強すぎて勝てないので、最近ではよほどの事が無い限り打たなくなってしまっていた。
「よし、俺が起家だな」
東1局目、中林の起家でゲームが始まった。俺の手は中途半端にチャンタ寄りで、正直よくない。一方、親の中林は好調な様子で、5巡目にリーチが入った。由梨絵は序盤、様子見をするので、無論出てこない。森田も動く様子はなさそうだ。そうして、俺も回っている内に中林が親満をツモりあがった。
その後の展開は小場で、森田君が鳴きから二千点をツモあがり、中林の親を蹴ると、三人とも連荘せずに安いあがりばかり続き南場になった。
南一局目、東一局目と同様、親の中林に手が入っているらしく八巡目にリーチが入った。しかし、その直後、由梨絵が安牌で打った俺の七萬を鳴き、一発を消すと、どう考えても危険な牌を連続で通し、中林からタンヤオのみ千点をあがった。
「よく当たらなかったすね」
由梨絵の後ろで見ていた中村が言った。すると、由梨絵は振り返り、自身の頭の牌を掴み、微笑みながら言った。
「当るわけがありません。中林さんの待ち牌は、引っ掛け狙いの嵌三ピンですから」
中林は驚き、由梨絵を見つめた。この反応を見る限り、図星だったのだろう。それにしても三ピンか……。正直、由梨絵があんなに危険牌を打っていなかったら、俺が打っていただろう。助かった。
「すいません。ちょっと、トイレに行ってきます」
森田が立ちあがり言った。
「じゃ、じゃあ、俺もついでに行ってくるよ」
中林も森田について行く。彼らは部屋に向かっていった。トイレは各部屋に備え付けられているのしかないからだ。
「御巫さん、本当に上手いのね」
「そんな事はないですよ。それに、まだ、中林さんがトップです」
「でもさ、中さん、相当動揺していたよね。中さんが麻雀であんなに慌てているの、私、初めて見たよ」
倉谷さんと西岡さんが由梨絵の両脇に立ち言った。
「たしかに、見たこと無いっすね。あんなに驚いた顔。なあ、田中」
「え、あ、はい……」
中村に話を振られて、田中がまた慌てる。その様子をみんなで笑っていると、中林が戻ってきた。それから、少しだけ遅れて森田も戻ってくる。
「お待たせしました」
森田が席に着きゲームが再開した。しかし、それからの展開はまさに一方的で、由梨絵が鳴きで先行し、ひたすらにあがり続けた。彼女の強さの秘密はその観察力にあると、俺は分析している。相手の打牌を観察し、癖を見て、当り牌や聴牌速度を的確に読みとり、鳴きで出来るだけ速く聴牌して逃げきる。こんな事を正確にやられたら勝てるはずが無い。それでも、もし、勝手を知っている俺が彼女の上家にいれば全力で牌を絞り、妨害する事くらいは出来ただろうが、今、彼女の上家には森田がいる。森田の打ち筋を見る限り、決して弱くは無いし、牌を絞ろうともしているのだが、如何せん相手が悪すぎだ。由梨絵はどんな形からも鳴いてくる。こうなっては止めようがない。
結局、一時半近くまで、合計三半荘ほど麻雀を行ったが、すべて由梨絵が一着で終わった。俺たちが麻雀をしている間、他の者はラウンジで自由気ままに過ごしていたが、零時を過ぎたあたりから徐々に部屋へと引き上げていき、最後まで残っていたのは西岡さんだけだった。
「御巫さんもう終わったの」
「ええ、西岡さんは私を待っていくれたのですか?」
由梨絵が小さな頭を傾けながら言った。
「そうよ。じゃあ、一緒に戻ろうか」
「はい。ありがとうございます」
由梨絵は満足そうに微笑むと、西岡さんと二人仲良く二階の部屋に戻っていった。
「遊馬君。彼女はいつもあんな調子なのかい」
「ええ、そうですよ」
「そう、参ったな。途中から全然、勝てる気がしなかったよ……」
中林は疲れた様子で立ち上がると、肩を落としながらラウンジを出て行った。
「遊馬さん、僕らも戻りましょうか」
「そうだね」
俺は森田と軽くラウンジの片づけをしてから部屋に戻った。部屋の鍵を掛け、ベッドの上に倒れこむと、それまで感じなかった疲労感や眠気が一気に襲いかかって来た。俺はそれらに逆らわず、ゆっくり目を閉じて意識を失った。
2
二日目の朝、俺は窓が軋む嫌な音で目を覚ました。
ナイトテーブルに置いてあった腕時計を手に取り、時間を確認する。午前七時半、ざっと五時間強ほど眠った計算だ。普段の睡眠量と比較すると少し足りないくらいだが、学生の睡眠時間は非常に幅が広いので、誤差の範囲内である。
窓を開け、外の様子を覗いてみた。激しい風に草木がざわめき、悲鳴のような声をあげている。それに雨の音が重なって、耐え難いメロディを奏でていた。俺は雨が部屋に入らないように最小限だけ窓を開けたままにして、煙草に火を点けた。
何かとてつもなく嫌な予感がする。この情景が心理的にマイナスに働いている事は確かだったが、それにしても激しく胸がざわついていた。昨日、車中で由梨絵が言ったセリフが思い出される。
(……孤島、台風、館、痛ましい過去の事件そして探偵と助手。これだけの好条件が整っているのならきっと何かが起きる。起こらないはずがない。ミステリならね)
あの時、俺はミステリならなと、馬鹿にした。しかし、実際にこのような状況に身を置いてみると、本当に何か事件が起こるのではないかと思ってしまう。そんな事を考えていると、突然、一人で部屋に居ることが心細くなった。俺はまだ、半分以上残っていた煙草を灰皿に押しあてると、早々に身支度を整え、ラウンジへと向かった。
ラウンジに入るとそこにはすでに由梨絵がいた。彼女は昨夜と同じ寝間着姿でソファに腰かけ、人形の様な無表情でノイズの激しいテレビを見ている。先ほどまで考えていた由梨絵の言葉を再び思い出し、一瞬、思考が固まってしまったが、一呼吸置くことで難なく元の状態に戻れた。
「もう、起きていたんだ。はやいね」
「私は一日、四時間くらい眠れば十分なの。知っているでしょ」
「ああ、そうだった」
「それより、夕。この台風は予想以上に厄介みたいよ」
由梨絵に言われ、テレビを見てみると青い雨合羽を着て、黄色いヘルメットを被った男性のリポーターが風に煽られながら、懸命に話をしている所だった。
<<ええ、皆さんお判りになるでしょうか。ここ、御前崎の港は……猛烈な風と雨に晒されています。非常に強い……台風二三号は以前、その勢力を保ったまま、太平洋沿いを北上しています……。御前崎はつい先ほど強風域に入った……>>
いつも思うのだが、映像さえ撮れればこのような場所で、わざわざ危険を冒してリポートなんかしなくても良いのではないだろうか。俺は由梨絵の隣に座り言った。
「この人は、それなりに特別手当みたいなの出るのかな。もし、出ないのならテレビ局に就職するのはあまり賢明そうじゃない」
由梨絵はクスと笑い言った。
「バカ」
俺たちはそのまましばらく、二人でテレビを見続けた。テレビが伝えた断片的な情報を統合すると、台風は今、静岡県沿いの沖合にいて、非常に遅い速度で北上しているらしい。予報によると、千葉県沖に達するのが午後二時頃、それから完全に太平洋へと抜け、雨風が納まるのは夜中近くだという。まさにそれまでの間、ここは推理小説で言うところの「嵐の孤島」と化すわけだ。
八時を過ぎたあたりから徐々に人が集まり始めた。はじめに、中村が入ってきて、少し遅れて、田中、森田と続く。それから少し間を開けて、西岡、高野が降りてきた。高野さんは外の様子にかなり怯えているようで、西岡さんが必死に大丈夫だからと言っている。
八時半を過ぎた。たしか朝食は九時からだと言っていたので、そろそろ宗平さんが呼びに来るころだろう。しかし、外のこの様子では食事をしに本館へ向かうだけでも一苦労だ。朝食は別館で、簡単に済ますことになるかもしれない。と、どうでも良い事を考えていたとき、突然、後ろから大きな音がした。驚いて振り返ると、宗平氏がラウンジへと入ってきたところだったが、その様子は一見して不自然だった。
宗平氏は部屋に入ると力尽きたようにしゃがみ込み、肩で息をしながら青ざめた表情を浮かべている。俺たちは慌てて彼の元に駆け寄った。
「宗平さん。どうしたんですか」
西岡さんがしゃがみ込み、手を宗平氏の後ろに回しながら聞いた。すると宗平氏は顔を上げ、そこに集まった全員を見渡すと興奮を抑えるように片手を抑えながら言った。
「ほ、本館の玄関前で、おそらく、み、水谷様が亡くなっています……」
空気が凍りついた。外の雨風の音以外、何も聞こえないほどの深い沈黙が流れる。俺が視線をゆっくりと由梨絵に向けたとき、すでにそこに彼女はいなかった。玄関が閉まる音がする。
「まて、由梨絵」
俺は彼女を直ぐに追いかけた。玄関を出て、激しい風に煽られながら数十メートル前を走る由梨絵の後を追いかける。やがて、本館の玄関前までたどり着き、その前で由梨絵が止まった。
「なるほど、たしかに[おそらく]ね」
俺の位置からは由梨絵の体がじゃまをして、玄関前の様子がよく見えなかったので、彼女の真横に移動した。
「う、ひどいな……」
そこには思わず目を背けたくなるような光景が広がっていた。
玄関の扉に、水谷と思われる男の死体が寄りかかっている。男は昨日の夜、水谷がラウンジで着込んでいた灰色の寝間着姿で、手足を前に突き出した形で息絶えていた。玄関の真上にはバルコニーが突き出しているので、雨にはあまり濡れていない。
ここで、死体を水谷と思われる男としたのには理由がある。この死体には顔が無かったのだ。いや、正確には顔はある。しかし、一見すると、誰だか分からないくらいにその顔が潰されているのだった。
俺は由梨絵のようにずっとその死体を直視する事が出来ず、横に目を逸らした。するとちょうど、本館の角を曲がり、傘をさして、こちらへと向かってきた西岡さん達と目があった。
「遊馬君。本当に水谷君は……」
死体を見てしまった西岡さんは、片手を口もとにおきすぐに目を逸らした。彼女の他には宗平氏、森田、田中、そして中林がいた。彼らもあまりの光景に嗚咽を漏らし、苦悶の表情を浮かべている。
「中林さん。すぐに検死をしましょう」
こんな異常な状態の中、由梨絵は何時もと変わらぬ声色で医学生である中林を指名した。中林は困惑した様子で答えた。
「え、でも御巫さん。こういうのは警察の専門医がやるんじゃ……」
「この嵐です。警察はしばらくの間、来られません。その間に死体の腐敗が進んでしまいます。重大な証拠の消失に繋がりかねない」
そういうと由梨絵は死体の前にしゃがみ込み、ボケットからハンカチを取り出して死体に触れはじめた。その様子を見て、さすがに決心を固めたのか中林も続いた。
「死因は何でしょうか」
「……おそらく、絞殺だ。ほら、首の所に絞められた跡がある」
「細い痕ですね。ロープか何かで締められたのかしら」
「ああ、たぶんね……」
中林はきつそうな表情を浮かべていたが、由梨絵はかまう様子なく続けた。
「顔はここで潰したようですね。血の跡が扉や地面に飛散しています。でも、量は多くないわ……」
「たぶん、死後しばらくしてから潰したんだ。それで出血が少ないんだよ」
「……死後硬直はどうでしょうか」
中林は手を震わせながら死体に触り、顎や手足の部分を慎重に確かめた。
「頸部や手足などに死後硬直は見られるけど、手の指先なんかはまだ、なんとか動かせる。検死なんて初めてだから自信ないけど、死後九~十時間くらいじゃないか」
俺は腕時計を確認した。午前八時四五分。仮に、この検視結果が正確だとすると、水谷が死んだのは昨晩の午後十一時から午前零時付近になる……。まてよ、この時間帯なら高島夫妻以外の全員はラウンジにいたじゃないか。つまり、完璧なアリバイがある事になる。
「み、皆さん。ちょっとよろしいですか」
突然、後ろから弱々しい声がした。振り返るとそこには黒い蝙蝠傘をさした由美さんが佇んでいた。
「ああ、由美。警察への連絡はついたかい」
宗平氏は怯えた由美さんを落ち着かせるような声色で、優しく喋りかけた。どうやら宗平氏は由美さんに警察への電話を頼んでいたようだ。
「それが……。電話が通じないんです。本館の電話も、別館の電話も……」
3
水谷の死体にとりあえずブルーシートを被せると、俺たちは宗平氏の案内で、海から上がってきている電話線を中継している小屋へと向かった。小屋は入り江の近くに有り、そこまでは傘(由梨絵と俺の分は西岡さんが持ってきてくれていた)をさして徒歩で向かった。幸い、まだ傘がさせなくなるような強風ではない。
「そんな……」
小屋に向かう途中の入り江で宗平氏は小さな悲鳴を上げた。
「どうしたんですか」
西岡さんが聞く。
「船が……無いのです。昨日、台風に備えて碇を下し、堤防に厳重に結び付けておいたのに……」
「見てみましょう」
由梨絵はそう言うと、船が止めてあったという堤防沿いまで歩いて行った。俺達もその後に続く。海は激しくうねり、荒れてはいたが、とても碇を下し、岸に結び付けていたはずのあんなに大きな船を連れ去ってしまうようには見えない。
「ローブが切れています。でも、この切り口……。どうやら、自然に切れたわけではなさそうですね」
由梨絵は太いロープの切り口を俺たちに見せ、自嘲気味に笑った。その切り口は鋭利な刃物で切り裂いたような綺麗な断面だった。
「宗平さん、船の鍵はどこにありますか」
「それなら、ここに」
宗平氏はズボンのボケットから鍵を取り出した。
「他に予備の鍵はありますか」
「いいえ、ありません」
「では、犯人が島からの脱出に船を使用した可能性は低いですね」
つまり犯人はまだこの島に潜んでいるわけだ。
「水谷先輩を殺した犯人がやったんですかね……」
森田が少し声を震わせながら言った。
「おそらくそうでしょうね。宗平さん。他に船はありますか」
「いいえ、ありません。倉庫にゴムボートならありますが……」
「この嵐では使えませんね。つまり、私たちは物理的にこの島に閉じ込められたわけです」
「……そう考えると、電話線もダメだろうな。犯人が潰しているはずだ」
由梨絵と俺の発言で重たい空気が流れた。殺人を犯した犯人が島の船や電話を潰した。もちろん、この島では携帯電話も使えない。このような閉鎖空間で犯人がまだ、島に潜んでいるとすれば、その目的は一つに決まっている。つまり、まだ殺人を起こす気で、その獲物を逃さないように工作したのだ。
「な、なんで犯人はそんな事をし、したんですかね……」
田中がまたおずおずと手をあげ、分かりきった質問をした。どうやら彼は空気が読めない性分らしい。
「さあ、どうしてでしょうか……」
由梨絵は田中に優しく言うと、小屋に向かって歩き始めた。
4
結局、電話線もダメだった。小屋の鍵は無理やりこじ開けられていて、電話線は修復が不可能なほど執拗に切断されていたのだ。俺たちは仕方なく、別館に戻る事にした。
別館のラウンジに戻ると、暗い表情の中村、高野、そして倉谷の三人に出迎えられた。西岡さんが三人に詳しい状況を説明すると、三人はより絶望的な表情を浮かべた。特に倉谷さんはどうして伸二がと、顔を両手で覆いながら泣き崩れてしまった。西岡さんと高野さんが彼女をソファへと運び、落ち着かせる。
「とにかく、話をまとめてみましょう」
由梨絵がラウンジ全体に響き渡る、凛とした声で喋りはじめた。
「中林さん。死亡推定時刻は八時五十分頃の時点で九~十時間前ということで宜しいですか」
「……ああ、おそらくは。ただ、死体は雨風の激しい外に置かれていたし、その他、硬直に関する要因も無視できない。だから、その前後一時間くらいの誤差は十分に考えられる」
「なるほど。では、仮に死亡推定時刻を昨晩の午後十時から午前一時までの間としましょう」
「てことは、俺たちがラウンジにいた間に水谷先輩が殺されたてことすか」
中村が言った。
「そうですね……。ところで、昨晩、麻雀が終わった午後一時半頃までラウンジに残っていたのは麻雀面子の私、遊馬、森田君、中林さんそして私を待っていて下さった西岡さんの五人だけです。その他の方々は何時頃ラウンジを去られましたか」
全員がいっせいに由梨絵の姿を見た。皆、自分たちに疑いの目が向けられている事にようやく気が付いたのだ。
「じょ、冗談じゃないわ。私が何で伸二を殺さないといけないの」
倉谷さんは興奮して立ち上がり、由梨絵を睨みつけた。おそらく、彼女が由梨絵に見せるはじめての敵意だっただろう。しかし、由梨絵はそんな倉谷さんを見ても、務めて冷静に返した。
「私は倉谷さんや他の皆さんを疑っているわけではありません。ただ、ここは孤島です。私達以外に人間はいないはず。ですから、あくまで確認を取っているのです。ご協力をお願いします」
倉谷さんはまだ何か言いたそうな感じだったが、それを抑えて座り、深呼吸を二、三回ほどして気を落ち着かせると言った。
「そうね……。ごめんなさい、少し気が立っていたみたい……。私は零時半頃、千佳子ちゃんと一緒に二階の部屋に戻ったわ」
倉谷さんが証言すると、倉谷の隣に座っていた高野さんがうんうんと、大げさに頷いた。どうやら間違えなさそうだ。
「ありがとうございました。では、中村君と田中君はどうでしたか?」
由梨絵はすばやく中村達の方に向きなおり、言った。
「お、俺達は零時を少し過ぎたあたりで、田中の部屋にゲームをやりに行ったす。なあ、田中」
「う、うん。僕がPCゲームを持ってきたので、それをやりました……」
二人ともかなり緊張した様子で答えた。無理もない。さっき、由梨絵はあくまで確認のため、なんて言っていたが、本心では彼らを疑っていて、そのアリバイを確認しているのだから。
「ゲームは何時ごろまでしていましたか」
「たしか、二時頃までしていたと思います……」
田中が体を丸め、自信のなさそうな感じで言った。
「ゲーム中、何か不審な物音を聞いたり、気になった事が有ったりはしませんでしたか」
「無かったと思います…」
田中が小さな声で答えると、中村も頷いた。由梨絵は次に高島夫妻の方を向き言った。
「宗平さん、由美さん。大変に失礼ですが、犯行があったと思われる時間滞、どこでどのように過ごしていましたか」
由美さんはまだ、青ざめた表情を浮かべて落ち着かない様子だったが、宗平氏はすでにいつもの落ち着きを取り戻していた。由梨絵の質問に彼は一歩、前へ出ると、しっかりとした口調で答える。
「妻は二階の部屋に、私は一階の管理人室に居ました。私達は朝が早いので、部屋にもどりしだい直ぐに就寝いたしました」
「それは、何時ごろですか」
「私は午後九時半ごろに就寝しました。寝る直前、妻と二階の部屋で少しだけ話をしましたが、その時、すでに彼女も就寝する準備を整えていましたので、おそらく妻も同じ頃に就寝したのかと思います」
由梨絵はするどい視線を由美さんに向けた。
「由美さん、間違えないですか」
「は、はい。私も九時半頃に就寝したかと思います……」
由美さんは少し自信が無さそうに答えた。
「そうですか。分かりました。では、次に、宗平さん。貴方が死体を発見するまでの詳しい状況について教えて下さいますか」
由梨絵はまるで舞台に立つ女優のような貫録で、全員の意識を集めている。
「はい。私は今朝、六時に起床しました。その後、六時半にラウンジで妻と合流し、今日の動きを確認すると、私は別館の掃除を、妻は本館の厨房で朝食の準備を始めました」
「……あれ、それじゃあ由美さんが本館に入るときには、死体は無かったんですが?」
俺が言った。すると、宗平氏はいえいえと言いながら補足した。
「私たちはいつも、本館には裏口から入ります。裏口は使用人室に通じていまして、そこから厨房へと向かうわけです」
なるほど、それならば玄関にあったはずの死体をその時点では発見することは出来なかっただろう。
「七時を少し過ぎたあたりで、別館の清掃が終わりました。私はそのまますぐに本館の厨房に向かうと、妻の手伝いを始めました。そうして、朝食の準備が完了したのが八時一五分ごろです。私は後の配膳などを妻に任せ、本館を出てみなさんに声掛けをするために別館へ戻ろうとしましたが、外の悪天候が気になったので、本館の周囲を見廻ってから別館に向かうことにしました。まだ、風はそこまで強くはありませんでしたが、もしかしたら、何かが窓や壁に当たっていたりして、皆さんをご案内するのに危険があるかもしれませんでしたので。その際、その……」
宗平さんの表情が一瞬、曇った。
「水谷様を発見したのです。すでに水谷様に息が無かったことは明らかでした。私は非常に驚きました。そのまま厨房へと引き換えし、妻に警察に連絡をとるよう伝えると、別館に掛けこみ皆さんにその事をお伝えしました。以上です」
「宗平さんは死体を見て、すぐに水谷さんだと分かりましたか」
「……いいえ。正直、発見した直後は、混乱していて誰の死体だ、とまでは考えられませんでした。水谷様ではないかと思ったのは別館のラウンジで、皆さんのお顔を見渡した時に水谷様の姿が見えなかったからです。その他にも、中林様、倉谷様のお姿が見えなかったかと記憶していますが。死体は明らかの男でしたし、がっしりとした体形で、中林様の様に細身ではありませんでしたから」
「そうですか。……高野さん。私と遊馬が現場に向かった後、別館ではどのような動きがありましたか」
突然、指名され高野さんは大いに慌てたが、無駄な動きをしつつも必死に答えた。
「え、ええと。御巫さん達が出て行ったあと、西岡先輩がすぐに中林先輩を起こしてくるよう指示したので、中村君と田中君が中林先輩を起こしに行きました。その時、念のために中村君が水谷先輩の部屋をノックしたらしいのですが、反応が無くて、ノブを回してみても鍵が掛かっていて開かなかったらしいです。西岡先輩たちが本館へ向かった後、私たちは倉谷先輩を起こし、事情を説明しました」
由梨絵は中村の方を向いて言った。
「鍵が掛かっていたのは確かですか」
「はい。間違いなかったす。たぶん、今もかかっていると思いますよ」
「遊馬」
「はいはい」
俺は特に文句を言わず、水谷の部屋へと駆け足で向かい、施錠がしてあることを確認してすぐにラウンジに戻った。
「掛かっていたよ」
「そう。じゃあこれ」
由梨絵は黒い蝙蝠傘を優雅に俺へ手渡した。
「なに、これ」
「外に出て、水谷さんの部屋の窓が施錠してあるか確かめてきて」
「……了解」
俺はさすがに不満そうな顔を浮かべたが、由梨絵の指示には大人しくしたがった。外に出ると、心なしか先ほどよりも少し風が強くなっているように思えた。俺は急いで水谷の部屋の前まで向かうと、窓の施錠を確かめた。窓は間違えなく施錠されている。窓から部屋の中を覗き込むと、捲れあがったままのシーツや脱ぎ散らかした衣服などが見れた。部屋の中はまるでつい先ほどまで人が居たかのように、生活感にあふれている。
俺はラウンジに戻ると、その事を由梨絵に伝えた。すると、由梨絵は難しそうな表情を浮かべ、視線を下げ、髪を弄りながら宗平氏に言った。
「宗平さん。朝、別館の施錠はどうなっていましたか」
「きちんとされていたと思います。玄関の鍵は閉まっていましたし、ラウンジの窓やその他、廊下の端にある窓などすべてに鍵が掛かっていました。ただ、皆様方の部屋の施錠までは分かりませんが」
「二階にある空き部屋は施錠されているのですか」
「はい、特に使う予定の無い部屋は別館に限らず、すべて施錠していますから」
「……そうですか、妙な話になりましたね」
「何が妙なの、御巫さん」
西岡さんが不安そうに尋ねる。
「今回の事件。大きく分けると三つのパターンがあります。まず、内部の人間が犯人のパターン。ここで言う内部とは、私達十一人のことです」
由梨絵は突如、顔を上げるとラウンジ全体を見渡しながら言った。
「次に、外部の人間が犯人のパターン。外部とはもちろん私達以外を指します。この島には本来、高島夫妻以外は住んでいないので、この場合、犯人は殺人を行うため計画的に島へ潜んだことになります。そして、最後に外部と内部の人間が犯人のパターン。つまり、この中の誰かと潜り込んだ外部の人間が共に犯行を行った場合です」
今でこそ島は台風で閉ざされてしまっているが、本土から鬼島まではさほど距離が離れているわけでもないし、いくらでも島に渡る機会はあっただろう。それに島に住んでいるのは高島夫妻だけなのだから、よほどの事が無い限りばれることもない。由梨絵がこの第三の人物(達か)を可能性として考慮したのは当然だ。
「今までの話をまとめると、犯行が行われたと予想される時間帯に私、遊馬、森田君、中林さん、西岡さんの五人にはアリバイがあり、零時以降に引き上げた中村君、田中君、倉谷さん、高野さんの四人にも部分的なアリバイが認められます。そう考えると、消去法でアリバイの無い高島夫妻が一番怪しくなりまね」
由梨絵の一言に夫妻の表情が強張った。
「しかし、高島夫妻には水谷さんを殺す動機がありません。夫妻と彼は初対面のようでしたし、上陸してからトラブルがあった様子もない。最近では特別に動機もなく人を殺す、純粋な殺人鬼が多くいるようですが、夫妻はどう考えてもそのような人間には見えません。そこで、彼に恨みを持つ外部の人間が犯行を行ったのではないかとなります。外部犯ならば死亡推定時刻に犯行が可能ですし、むしろ、私達がラウンジに集まっていて、水谷さんだけ引き上げた状況は好都合だったでしょう。ですが、仮に外部犯だったとすると、犯人はどこから水谷さんの部屋に忍び込んだのでしょうか。玄関は鍵が掛かっていましたし、仮に何らかの方法で開けられたとしても水谷さんの部屋へはこのラウンジを通らなくてはなりません。一時半頃までは私たちが居たのですから当然それは無理です。そうなると、答えは一つしかありません。さて、それはどこでしょうか」
由梨絵は少し首を傾けながら西岡さんに言った。西岡さんは手を口もとにあてながら考え、自信がなさそうに答えた。
「……窓、かな」
「そう、その通り、窓です。犯人は窓から侵入した。これしかありません。ところで、この場合、パターンは2つ考えられます。一つは窓が開いていた、もしくは何らかの方法で水谷さんに開けてもらったかで直接、水谷さんの部屋の窓から入ったパターン。もう一つは、一階の誰かの部屋の窓が開いていて、そこから犯人が侵入し、廊下に出て水谷さんの部屋にドアから入ったパターンです。いかがです、あの時、一階のお部屋の方で窓を開けっぱなしのまま、ラウンジに来た方はいますか?」
由梨絵の問いに皆、窓は閉めていたと答えた。まあ、いくら孤島で安心だからと言っても、天気が崩れるのを知っているのに、窓の施錠をせずに出てくる奴なんていないだろう。俺も確実に閉めたと言い切れる。普段から几帳面な性格なので、煙草を吸うために開け閉めしていた窓の施錠は必ず確かめているからだ。それに、仮に窓が開いていたとしても、誰かが自分の部屋に入れば、皆、何かしらの違和感を覚えるはずだ。
「さて、水谷さんの部屋の窓から侵入した犯人は水谷さんを殺し、死体を運び出すと部屋を密室状態にするわけですが……。これが妙なのです。水谷さんの部屋の鍵はまだ見つかっていませんが、おそらく、犯人はその鍵を使って部屋を施錠し外に逃げて行ったのでしょう。ですが、ここで思い出して下さい。先ほど宗平さんが言っていました。朝、宗平さんが確認した際、別館の施錠は完璧にされていたと。つまり、犯人は密室を作ってしまった事で、さらに大きな密室に捕えられてしまった事になります」
部屋についている窓の施錠はねじ込み式で、外からトリックで締める事は不可能だ。俺はラウンジの窓を見てみたが、ラウンジの窓もどうやらすべてがねじ込み式のようで、部屋の窓と同様トリックは使えそうにない。そうなると確かに宗平氏の証言を信じるのならば、犯人は別館から出ることが出来ない事になる。
「では、犯人はどうやって別館から出ていったのでしょうか。実は答えは単純です。お判りになりますか」
由梨絵は器用に片目を瞑り、人差し指を立てながらラウンジを見渡した。
「……誰かの部屋から出ていった」
皆が困惑するなか、それまで腕を組みながら黙って話を聞いていた森田君が言った。
「正解です」
由梨絵は森田君に優しく微笑みかけた。
「マジすか? じゃあ、俺たちが寝ていた間に犯人が入ってきたのかもしれないんすか」
「……でも、部屋にそんな人が入ってきたら、すぐに分かるんじゃないですかね……」
田中が言った。
「そうだな。それに、その時、気が付かなかったとしても犯人が部屋から出ていったとしたら窓が開きっぱなしになるから、朝起きた時に気が付くんじゃないか。まあ、もとから窓を開けていたのなら分からないだろうが……」
中林がカウンタ―でグラスにウイスキーを注ぎながら言う。
「それ以前に、寝るときには部屋に鍵を掛けるのが当たり前じゃない? 鍵が掛かっていたら入りようがないわ」
「倉谷さんの言う通りです。普通は就寝する際、鍵を掛けますね。昨夜、鍵を掛けずに眠った方はいらっしゃいますか?」
由梨絵の問いかけに肯定的な返事をする者は誰ひとりとしていなかった。
「犯人に鍵開けの技術があれば別ですが、その場合も先ほど中林さんが言っていたように窓を閉める事が出来ないので分かってしまいます。つまり、犯人は部屋に忍び込んだのでありません。犯人は部屋の人間に入れてもらったのです」
「御巫さん。それはつまり……」
西岡さんは信じられないといった表情で由梨絵を見つめた。
「はい。ですから妙なのです。水谷さんの部屋を密室にしてしまうと、仮に主犯が外部犯だったとして、その共犯が内部、つまりは私たちの中にいる事となってしまいます。外部犯からすれば、私たちの中に共犯者がいたとしても、今後の動きを限定させないという意味合いで、できればその事を知られたくはないでしょうし、逆に主犯が内部犯だったならば、外部犯に意識を向けさせたいはず。そう考えると、部屋を密室などにはせずに、窓を開けておいて、外部犯がそこから逃げたと思わせる方が合理的です。ですが、犯人はわざわざ密室を作り、私たちの中に犯人、もしくは共犯者がいると示唆させました。これは、どういった意味なのでしょうか」
一同に衝撃が走った。密室を構築した事で主犯が外部の人間だったとしても、自動的に内部の人間の内、誰かがその共犯となってしまう。つまり、先ほど由梨絵が言ったパターンの内、外部犯単独での犯行の可能性が無くなり、いかなる場合でも、内部の人間が犯行に関わったことになるのだ。でも、待てよ、本当にそうなのか。外部犯単独で犯行を行うことは本当に不可能なのか? ……いや、出来る。出来るじゃないか。俺は思いついた仮説を由梨絵に話した。
「いや、由梨絵。ちょっと待ってくれ。こうは考えられないか? 犯人は水谷を殺害しそのまま、水谷の部屋に潜んだ。そして、朝方。高島夫妻が起きて玄関の鍵が開くのを待ち、隙を見て玄関から出ていった」
俺の仮説に多くの者が頷き、安堵の声を上げた。皆、自分たちの中に犯人がいると思うよりは、外部犯がいて、その者が襲撃してきたと考えた方がいくらか気が楽なのだ。しかし、そんな皆の淡い幻想を打ち砕くように、由梨絵は言った。
「それはありえません。ねえ、宗平さん」
由梨絵に言われて宗平氏は一瞬、戸惑ったがすぐに落ち着いた口調で言った。
「はい、先ほど申し上げるのを忘れていましたが、私と妻がラウンジに入った今朝の六時半。その時にはすでに御巫様はご起床されていまして、テレビをご覧になっていました。私がラウンジ等の清掃をしている間もずっとです。つまり……」
由梨絵は俺に微笑みながら言った。
「夕の仮説の通り、犯人が水谷さんの部屋に潜み、隙をみて玄関から出ていったとすると、必ずラウンジを通らなければなりません。でも、そのラウンジには私がずっといました。もし、宗平さんだけならば、宗平さんが二階の清掃に向かう際などに隙を見て出ていくことは出来たでしょうが、私はずっとソファに座りテレビを見ていました。一階の部屋側から不審者が出てくれば一目で分かる位置です。ですから、その仮説はありえません」
「……お前、いったい何時から起きていたんだよ」
俺は呆れ気味に聞いた。すると由梨絵は俺の方に寄ってきて小さな声で言った。
「六時にはもう起床していましたね。だから言ったでしょ夕、私は四時間くらい眠れば十分なんだてね」
5
それから長い間、沈黙の時が流れた。先ほどの由梨絵の考察で俺たちの中に犯人もしくはその共犯者がいる可能性が高くなり、皆、かなり精神的にまいっている感じだ。西岡さんと高野さんは相変わらずソファでうなだれている倉谷さんを介抱していて、中村はその斜め横に座り、一人、腕を組みながら唸っている。田中は麻雀卓の椅子に深く座り、意味もなく牌を触ったり眺めたりしていた。中林と森田はカウンタで酒を飲んでいたが、二人とも何か会話をする様子はなく、ただ、自分のグラスを見つめて周期的に琥珀色の液体を口に運んでいるだけだ。高島夫妻はそんな彼らに話しかけたり、お茶を配膳したりして場の空気を良くしようと努めていたが、皆の態度はどこかよそよそしい。アリバイの観点から言えば、夫妻は一番怪しいし、犯人が共犯者に選ぶのなら屋敷の鍵を管理している夫妻を取り込むのが一番、理にかなっている。そんな事を皆、考えているので、自然と警戒してしまうのだろう。そんな中、由梨絵は玄関ホール側の壁に寄りかかり、部屋全体の様子を見ながら考えこんでいる様子だった。俺は彼女のもとに近づき、周囲に聞こえないような小声で聞く。
「由梨絵、さっき話していた犯人が密室を作った理由。何か思いついているのか?」
すると、由梨絵は片目を閉じながら俺の方を向き言った。
「ええ、だいたいは。あれは恐らくメッセージね。私達に対する」
「……どういう事だ? なんで、密室を作る事が俺たちに対するメッセージになる」
「考えてもみてよ、夕。この島で密室殺人が与える意味を」
鬼島における密室殺人の意味。そう問われてまず、俺の中に浮かんだのは七年前の事件だった。七年前、幽玄館の本館で起きた四つの殺人。それらはすべて密室殺人だった。昨晩の花火の後、由梨絵はその事件について核心的な仮説を立てられたと話していた。つまり、由梨絵には密室殺人の答えが分かっている事になる。その事から見えてくるものがあるのだろう。次に思い出したのは鬼島の伝説についてだった。鬼島に住んでいたとされる鬼、その鬼は物を消したり出したりできる力を持っていて、その力は自分自身にも使うことが出来たという。その話を初めて西岡さんから聞いたとき、俺はその伝説が七年前の事件の見立てに使われていたのではないかと思い、もしもそうならば、犯人はいったい何を考えてそんな事をしたのかと犯人の思考をトレースしようとした。その時、由梨絵が言ったのだ。
(……遊んでいたのかもね)
その台詞を聞いて、俺は背筋に冷たいものを感じたのと同時に、何か核心に近いものを一瞬だけ掴んだような気がした。
「七年前の事件の再現か……」
「そう。そして、七年前の事件の真相を知る人間には、水谷さんの死と部屋の密室はある一つの考えを導かせる」
由梨絵は両目を開き、真剣な面持ちで言った。
「七年前の事件の犯人。彼が今回の事件にも関与しているかもしれないと」
「彼? 彼って誰なんだ。いい加減、教えてくれよ」
「……一晩考えても思いつかなかったようね」
由梨絵は腰に手を当て、ため息を吐いた。
「わ、悪かったな。でも、助手が探偵よりも早く真相を喋ってしまったら良くないだろ」
「あら、うまい言い訳を考えたわね。フフ、いいでしょう。その言い訳に免じて教えてあげる」
由梨絵は楽しそうに微笑むと、片手で髪を弄りながら言った。
「七年前の事件の犯人。それは竹岡時雄君よ」
幽玄館殺人事件 第4章 密室の意味