歯車の創傷
六つの詩で、一つの詩という形です。
HalLUCinAtiOn
『蒙昧ネオン、蜃気楼』
鏡の中に僕は幽霊を見た 幽霊は
忽ち金属質の液状に蕩けて
蛇口を通して皮膚に溶け込み
血液を辿って心室に居座った
『防空ネット、警告音』
幽霊の歌が耳の奥にこびり付く
幽霊の髪が瞳の裏まで競り上がる
幽霊の爪が心臓の壁を掻きむしる
叫ぶも 僕にそれを止める手立てはない
『監視カメラ、蓄音器』
一度外に出れば 夥しい数の目玉が僕を睨みつける
空中に 地上に ビル群の隙間に 前を歩く人の背広に
僕が何かしようものなら 目玉は一斉に喚きだす
血走った眼を半球に割って 幽霊の声で喚きだす
『無声ラジオ、処方箋』
鏡には 病的に青い 海蛍色の幽霊が浮かぶ
背後で 涎を垂らしながら分裂していく目玉の群衆
耐え兼ねて鏡を殴り割れば
幽霊も目玉も消えて 僕の血液が鮮やかに滴った
勲章
雑居ビル2階
冷えたコンクリート廊下の隅に
染み出す雨水が闇の澱を生んでいる
背筋のひどく曲がった店番は
窓越しに空を見つめる
小さく千切れていく薄紫の大雲
排水パイプの口から垂れる水が
じわじわと石を削っていく
雑多なアンティークに塗れた部屋
ゴミ箱に詰まっているのは
紙魚に食われた啓発本と
血と汗の染みついたユニフォーム
彼の心臓は語りだした
「お前は一体どこにしまった
かつて真っ直ぐに張った胸にて
貴い輝きを誇らしげに放っていた
あの 黄金の勲章を」
彼は答える
「錆びたから捨てたのさ」
「錆びたのは誰の責任だ
少しヒビが入った不格好さに絶望して
自分より立派な勲章に
自身の勲章を 恥じ入ったのではあるまいか」
彼は答える
「簡単に壊れる勲章を 信用できなくなったのさ」
「勲章はお前の確かな爪痕だ
ゴミ箱に打ち捨てた生きた証を
再び漁り返すつもりはないか?」
彼は答える
「下品な真似はできっこないのさ」
心臓は諦めてまた無言になる
彼はまだ空を見つめている
少し拳が固い
Gallery
僕は絵を見ている
額縁に囲われた絵を見ている
名も知らぬ作者に描かれた絵を見ている
笑い合って 手を取り合って
そんな ありふれた絵を見ている
僕が一歩 絵の前に踏み出すと
宝石で彩られていた触れがたい額縁が外れ
切り取られていた景色が時間を浴びて
流れ出した映像は現実に投影され
笑い合っていた顔が僕に向けられて
取り合っていた手が僕に差し出されて
そして僕もその手をつかんで
そんなありふれた夢を願いながら
錆びた車椅子に乗せられたような気分で
僕は絵を見ている
時限爆弾
愛を知った私は 少し遅れて憎しみを知りました
紙一重の転換点はきっと
幸と不幸の天秤が大きく崩れる時
幸福とは 時間で薄れゆく消耗品
だから我々は それが消えてしまわないよう
抱擁によって互いの幸せを調節し合い
その総量を 愛する人と同量に分配する
しかし あなたは私の差し上げた幸福を奪い去り
あろうことかそれを費やそうとしている
愚かな男に 愚かにもあなたはそれを費やそうとしている
あの頃のキッチンタイマーは今も動いています
しかし いつ壊れてしまうか分からない
分水嶺は 私にも不明瞭です
平穏な時を刻んでいたタイマーが ある時刻を指すなり
一瞬にして 一切を破壊する残酷な爆弾に変わる
今日は 悪魔の寄り添う十六日
あなたが狂気と言い捨てた私の感情は
あなたへの純粋な愛に他ならなかった
林檎花火
脈動する心臓大砲から打ち出された
血液結晶の光を放つ 林檎が一つ
林檎は空に昇っていく
よろよろと緋色の軌跡を垂らしながら
絶えず働きかける絶対重力を遠くに振り切り
地平の果てまで覆われた 闇色の緞帳を斬り裂いて
そうして間もなく辿り着いた頂点にて
林檎は轟音で爆発する
同心円状に破裂する果肉
一等星も霞む果汁飛沫の輝き
噴き出た化学的緑炎は一層燃え上がり
花火の残滓が地べたを這いずる蟻共を焼き殺す
それは一瞬だった
月の消えた夜空 誰もいない河川敷で
ひっそりと終える 林檎の復讐
Mechanical Flowers
宇宙色の闇の下 腐食した土に押し出されて芽吹く
一方は巻き螺子 一方はコイルの
見るからにアンバランスな双葉対
システマティックに成長していく芽
電源供給と駆動部品に頼らなければ
一人で咲くことも叶わない きわめて惨めな植物だ
養分となるべき空気で錆びて 雨水に狂わされる
所詮は誰かの捨てた 廃材の寄せ集めでしかないから
その癖 細々な手入れが必要なのだから厄介なものだ
きれいに咲いている隣の花が恨めしくて
時折 雌螺子の隙間から蝋蜜を垂らしてみせるが
自分が錆びない為だけの潤滑油に 無邪気な蝶は見向きもしない
「生まれたからには気高く生きねばならないが
一向に花になれない偽物の自分に
どう咲けと言うのだろうか」
怒るように嘆く花はしかし気付かないのだ
彼の周囲一面に咲く綺麗な花々もまた
花畑に埋もれるため 懸命に花を模した機械であることに
歯車の創傷