私は多分、誰とでもセックスできる
蓋
28歳、事務系OL。
都会すぎず田舎過ぎない、地方都市に一人暮らし。
社会人6年目。現在遠距離恋愛中の彼氏あり。
仕事にも慣れ、職場と家の往復の毎日を過ごしている。
そんな私の悩み事。
私は多分、誰とでもセックスできる ということ。
現在の彼氏とは、付き合い始めて3年が過ぎた。
きっかけは友人からの紹介で、とんとん拍子に交際することとなった。
最低なことに、身体の関係を結んだのは付き合った初日。
しかも、彼と私は最初から遠距離恋愛で、逢えるのは月に1、2回。
逢った日は、貪るように身体を求め合った。
外でのデートもそこそこに、ただただ、快楽に溺れた。
付き合いはじめて半年が過ぎる頃、私は彼との結婚を考え始めていた。
遠距離恋愛には時間とお金がかかるし、
何より、そばにいたい。彼を、一番近くで支えたい。
そんなきれいごとを並べる一方で、私は恋に恋をしていたのかもしれない。
私は事務の仕事をしていたし、彼の住んでいる街のほうが都会であったこと、
自分はまだ25歳になる年で、転職も容易いと思っていたことが、
私の浅はかな考えをどんどん後押ししていた。
そんな折、彼氏の浮気が発覚した。否、私が浮気相手だったのか。
簡潔に言えば、前の彼女と繋がっていた。
連絡先だけではなく、身体の関係も――――。
彼のことを信じきっていた私には、青天の霹靂だった。
一瞬にして、目の前が真っ暗になった。
ただ、5分もすれば、驚くほどに私は冷静になっていた。
「ああ、人間そんなもんか。」
もちろん、別れを切り出した。さながら、木曜22時ドラマの主人公の気分で。
でも彼は、ただひたすらに力いっぱい私を抱きしめて、
「君が必要なんだ、本当にごめん」という言葉を繰り返し耳元で囁く。
私は、不覚にもうれしいと感じてしまった。
こんなにも誰かに必要とされること、この先にあるのだろうか。
・・・なんて馬鹿なことを考えていたら、もう、別れることはできなかった。
今思えば、ひとりになる勇気を持つことが私にはできなかったのだろう。
そして、私は今も、変わることができないでいる。
幸いなことに私は会社から退職を引き止められ、彼の元へ行く話はいったん白紙となった。
そうして1年が過ぎた頃、彼に異動の辞令が出された。
これまでの片道300キロから、片道1000キロの遠距離恋愛へ。
逢う頻度は2ヶ月に1回に減り、私は友人らとの関係を密なものへと変えていった。
環境が変わり、物理的にひとりになった彼にとって、
何も知らない土地でがんばって仕事をしていくには、私の存在は大きいのだと言う。
彼の口から私との「結婚」という言葉が出てくることが増えた。
今、私は、優越感で何かに蓋をしているのかもしれない。
過去、ゲンザイ
もともと私は、モテナイ女だった。
162センチMAX65キロの「オオオンナ」。
もちろん告白したところで振り向いてくれる男性などいなかったし、
自分の巨大っぷりには全く言い訳のしようがないことは自覚していたので、
私は中学・高校の青春時代を、俗に言う「暗黒時代」として過ごしていた。
そして私は、地元の私立大学に進学。
思い出として残っていく写真に写し出される醜さに落胆した私は、一念発起。
15キロのダイエットに成功し、周りの目が変わっていくのを感じた。
もちろん、モテモテで困っちゃう★ ・・・・なんてことはない。
ただ、男女ともに話しかけてくれる人が増え、友人と呼べる人も増えていった。
そして、私に初めての彼氏ができた。
彼とは5年弱付き合い、結婚するものだと周囲に思わせていたが、
社会人1年目の冬に私のわがままで別れを告げた。
今となっては真面目を絵に書いたような素敵な彼に、「バツ」をつけずに済んで良かったと心の底から思う。
話は戻るが、私に彼氏ができたのは大学1年の頃。
しかし、そこから私は冒頭に書いた自分の悩みに直面していく。
私は大学時代、2つのサークルに属していた。
ひとつは彼氏ができるきっかけとなったテニスサークル。
もうひとつは、スポーツ愛好会というのは名ばかりの飲みサークル。
大学3年生までは、前者でマネージャーとして活動していたが、
同年代の引退とともに活動量が減ったため、
大学で行動をともにしていた友人たちが頻繁に参加していた
後者のサークルのほうへ参加する機会が、自然と増えていった。
そこは大学生。かつ、男女混合飲みサークル。
ニュースで報道されるような乱れた活動なんかは一切しなかったが、
なにぶん人との距離が近かった。
私にとって「男性との距離が近い」それだけで別世界に足を踏み入れた心地だった。
ただ、せいぜいメールのやり取りや、男の子の家になだれ込んで皆でお泊り、まで。
この頃はまだ、彼氏以外とのキスもセックスもしなかった。できなかった。
一度、彼氏に他の男の子とのメールのやり取りが発覚したときには、
泣いて謝って「もうしません!!」なんて宣言をしていた。
そして、私は社会人になり、現在の会社に就職した。
大学生上がりの田舎モノには、社会というものはとてもキラキラしていて、
たくさんの人に、モノに、環境に恋をした。
今になって思えば、その気持ちはすべて憧れだったのかもしれない。
女の子扱いなんてされたことのなかった私が、
年上の男性方からあだ名で呼ばれて、ちやほやされる。
大学時代よりも見た目に垢抜けていたこともあり、
大学時代の「それ」よりも内容は濃くなってゆく。夢見心地だった。
このころから、私は誰とでもキスができる自分に気づいていた。
さすがに毎日とっかえひっかえ遊んでいたわけではなかったが、
お互いに「嫌いではない」相手から求められると拒まなかった。
そして社内で仲の良い男性の先輩の家に遊びに行き、朝までTVゲーム、
ベッドでいちゃつき、そのまま出社・・・なんて最低な生活を楽しんでいた。
でも、そんな日々は長くは続かなかった。
罪の意識を感じることで自分を追い詰めていることに酔っていた私は、
大学時代から付き合ってきた彼氏に別れを告げた。
今になって思っても、あの頃の私は本当に未熟だった。
自分の都合だけで相手を振り回し、
彼が私を心から大切に想ってくれていることに意味を見出せなかった。
いや、見出そうとしなかった。
口先だけで感謝や愛情を伝え、極論、彼をだまし続けていた。
あのまま彼との関係を続けて結婚していれば、
それこそ本当に木曜22時ドラマのような結末を
相手に、相手の家族に迎えさせていたかと思うと心底ゾッとする。
ちなみにその後、その社内の先輩にアタックするも玉砕。
久々に、「ひとり」の時間が私に訪れた。
ニンゲン
いきなりだが、私はイイコだ。
基本的に相手には逆らわないし、自分の意見を無理に押し通すこともしない。
幼少時代にも目立った反抗期はなかったし、犯罪に手を染めた経験はもちろん無し。
中学時代には生徒会副会長を務めていたし、お酒は弱く、タバコも吸わない。
「一日一善」は、すばらしい言葉だと思って生きているし、
自分でこの言葉を実行できた日は晴れやかな気持ちになる。
人との対立が苦手で、叱られることへの耐性が無いことが背景にあるのだろうか。
幼少時代の私は、割と孤独な時間が多かったように思う。
両親は共働きだったが、父方の祖父母と同居していたし、
年の離れた兄がいたので、物理的にひとりになる時間はほとんどなかった。
ただ、祖父母は事あるごとに喧嘩していたイメージしかないし、
両親は早朝に家を出て夜遅く帰ってくるからあまり話さない。
兄とも、性別の違いもあり、あまり近しい間柄とは言えなかった。
そして私は祖父母や両親の怒号が自分に向くことを恐れ、
自然と叱られないためにイイコにしておく術を身につけていった。
その甲斐あってか、両親から叱られた記憶はあまりない。
――――ただ、両親から抱きしめられた記憶も私には、ない。
それゆえに、(と、言い訳にするのは両親に心苦しいが)
私には、「親から教わるべき、人としての最低限のこと」で備わっていないものが多い。
故意に人に対して攻撃的な態度をとったり、傷つけたりということはしないが、
自分では全く問題の無いことだと思って行動したことが
相手にとっては「信じられない」レベルのことであることや、
俗に言う「空気」は読めないことも多い。
ただ、社内の先輩からはよく気のつくコだと評価されることもしばしばだし、
そう評価されたいがために私なりにがんばっている。
万人受けする性格ではないけど、受ける人には受けるんじゃないかな。
なんて自惚れた自己評価をしてみたりして。
外面がいい、ということにもなるのかな。八方美人とも。
ただ、ニンゲンらしさはなくさないように心がけている。
大抵のことは一人でできる(やろうとする)けど、ドンくさい。
ほうっておけない。それが、私が考える愛される人間像。
――――私は、そういうニンゲンを演じている。
いや、あくまで自己満足の範囲だから、実際に演じられているかどうかは定かでないが。
ともあれ、中学・高校時代の私に比べれば、性格は格段に明るくなったし、
家庭環境も落ち着いて、両親と話す機会も増えてきた。
ただ、私は、自分の「素」が分からない。
何をもって自分の「素」とすればいいのか。
どうしたら、自分の「素」を「素」として認識できるのか。
私の中の「私」がどこにいるのか分からなくて、
私は「私」を認めてあげたいのに認めることすらできない。
ニンゲンって、むつかしい。
私は多分、誰とでもセックスできる。
前述にて、自らをイイコと表現したが、それは恋愛以外のところ。
「私は多分、誰とでもセックスできる」
これである。
私は、性行為に対してとてもハードルが低い。
理由は簡単。キモチイイから。
ぬくもりを求めるがゆえに、超えてはいけない線を越えることを私は厭わない。
ただ、ひとつだけ、挿入に関しては、簡単には受け入れられない。
理由は簡単。「子供を作る」行為だから。
「私が多分誰とでもできるセックス」とは俗に言う「前戯」までなのかもしれない。
――――キスをして、キスをされる。
相手の耳に、首筋に、舌を這わせる。
触れるか触れないかの距離から、そっと身体を触って、相手のぬくもりを感じてゆく。
力強く抱きしめられながら、相手の頬を、唇を、人差し指と中指でなぞり、
抱きしめられている腕から手へと舌を這わせ、指を咥えて、大切に、大切に嘗めていく。
脚をからめて、足指をなぞり、身体を密着させる。
言葉は呑み込んで、ただひたすらに目で求める。
声は噛みしめて、目を伏せてじっと耐える。
目を瞑り、相手の息遣いを耳で感じて、
相手のそれにあわせるように、相手の腕や腰に自らの手を這わせて、求める。
何も考えずに、時間の流れも忘れて。ただひたすらに、繰り返して。
ギリギリのラインで、決して一線は越えない。
背徳感を感じながら、それでも求めて、求められたい。
ニンゲンの本能のまま、
メスとして、オスに求められているという悦びが私の中に満ちてくる。
自らの存在価値を、相手の息遣いから見出していく。
その相手は、「普通のオンナノコ」なら、愛する人ただ一人で。
きっと、本能だけで求められることには嫌悪感を抱くのではないだろうか。
そこに愛という、不確かで、でもとても確かなものを求めるのではないか。
私は、――――ちがう。
少し前までは、私も「普通のオンナノコ」だったはずなのに。
私は、私がほしいのは、不確かな愛じゃなくて、物理的なぬくもりで。
だから、
多分、そこにあるのが、ただの本能だけでもいいのだろう。
だから。
私は多分、誰とでもセックスできる。
私は多分、誰とでもセックスできる
2014.9.11 大幅加筆修正。なんかもう、別のコになりました。
2016.6.22 またもや大幅加筆修正。懐かしい気持ちでいっぱいです。