平成・徒然草/エッセイ真似事集
【伝統文化の担い手不足】
昨日、筆者が習っている地唄の、毎年恒例の地元三曲協会主催の市民文化祭が
あり、久しぶりの舞台の緊張を経験したが、年々参加者や、聴衆の人数の減少が
顕著になるのを実感している。いくつかの原因が考えられるが、入場が無料のため
チケットの値段が問題ではないのは明らかである。又、年々高額になりつつある
入場料にもかかわらず、人気のロックや歌手等のコンサートのチケットが手に
入らぬほどの人気があるのも事実である。以前筆者の属する地唄教室に『金の卵』
ともいうべき小学生の男の子が居り、師匠が幼稚園児の頃から手塩にかけて育てた
にも関わらず二年前にやめてしまった。師匠の落胆ぶりは言うまでもないだろう。
この問題は単に地唄のみではなく、あらゆる伝統文化の担い手不足の一端を示している
ように思われる。しかし、地唄と同じ三味線の伝統音楽にもかかわらず、津軽三味線
は若い世代に人気が広まり、コンクールで上部に入る人々は若い十代、二十代の人々
なのである。その理由として考えられるのは、テンポが速く若い人に会うフィーリング
を持っていることや、人気がある若い津軽の弾き手が入ることなどが考えられる。
一方我が地唄に関して言えば、それこそ地味で止まりそうなテンポで眠くなるような
フィーリング、若い人には退屈なように聞こえるかもしれない。だが今増えつつある
高齢者層には会う音楽とも感じられる。しかし、鑑賞には或る程度の地唄に関する知識
歌詞の理解が必要なことなど、受け入れにくい要素があることも否めない。地唄が
始まった京、大阪にはその演奏によって舞う地唄舞の流派が存在するが、今回の筆者の
文化際においても、地歌の舞い手とコラボを組めば、入場者も増え地方(地唄奏者)
立ち方(地唄舞の踊り手)共に聴衆にアピールでき、双方に有益ではないかという意見も
出たが、舞手の人達の舞台にかかる経費(衣装、着付け、メイク、鬘、以外に、伝統的な
ご祝儀等)の膨大なことから、その分担が負担になるなどの難題がありなかなか実現しない
ようである。昔は、小さな子供の習い事には日本舞踊があり舞台の踊りのほとんどは日舞で
あったが、今やその多くはダンス(今流行のポップスの合わせて踊る)ものに変わっており、
その人気は高まるばかりである。気軽に始められ、レッスンにかかる費用等もリーズナブルで
あるばかりではなく、そのカッコよさが受けているようだ。(筆者の孫は二人ともはまっている。)
日舞の美しさや芸術性は世界の人々が知る所となり、様々な伝統文化や芸術が世界的評価を高めて
いる反面、当事者たちは、受け継いだものをどう次世代に、しかも質を落とすことなく伝えていくか、
という難しい課題に直面している。
(2017/11.06)
【 平和な暮らしを 】
この前の参議院選挙で野党が敗北し、政権与党が過半数を獲得、これで与党勢力は
衆参両議院で多数派となった。これは如何なる法律も意のままに成立させることが
出来るようになったことを意味する。安倍内閣は憲法改正に意欲を示しており、もはや
それを何時でも行う力と機会を得たのである。古今東西を問わず、国の実権を握り
人々を支配しようとする人々は社会の特権階級に属する者たちで、その地位と財力
に物を言わせ自らの財産と特権的地位を維持拡大すべく、あらゆる手段を使って
自分たちよりもはるかに人口が多い一般の人々を支配し、コントロールしようと
躍起になっている。普通に考えれば、一般の所得の低い人々の方が圧倒的に数が
多いので、その代表が国会で多数を占め、自分たちに有利な政策を行い今のような
不平等な格差をなくせるはずなのに、どうしてそうならないのか。様々な考えや意見が
あるだろうけれど、私たち一人一人が社会の仕組みや政治の在り方に対してキチンと
したものの見方や意見を持ち、それを人々の前で堂々と言える事が大事で、それが
社会の変革をもたらす大きな要因になるのではないかと思っている。今の政権担当の
政党はどんな階級の人々で構成されていて、どんな人々の献金を受けその人々の為に
どんな政策を行っているのか(政党と言うものは、支持者に有利な政策を行うのが当然
である、なぜならば彼らの支援なしでは成り立たないから)、それを知れば格差に苦しむ
私たちの側に立っている政党はどれで、選挙の時はどの政党に属する人に一票を投じ
ればいいのかが分かる。単純に言えば、格差の主な原因は国民が働き作りだした富の
多くを、一分の数少ない人々が独占していることが問題なのである。それを無くそうと
する政策を打ちだしている政党はどれか、それを助長しようとしている政党はどれか
しっかり見極めて一票を投じる必要がある。但し、経済よりも優先するものがあることを
忘れてはならない。平たく言えば金よりも大事なもの、つまり一つしかない命のことである。
それを危険にさらす戦争を起こしてはならない。平和な暮らしを維持することこそが最重要
課題であることを肝に銘ずべきである。選挙はこれで終わりではない。次の機会に向かって
さらに連帯を強めていこう。
「市民連合万歳! 戦争政策に反対し、平和のために行動するすべての人々、万歳!」
(2016/07/24日曜、今日も朝から蝉の声うるさく、暑くなりそう)
【 老と向き合う 】
私は生来の怠け者で、多くの人々のように身体が動かなくなるまで一生懸命働こうという
気が起こらない、雀の涙ほどの年金で何とか働かないで過ごす方法はないものか、などと考
えているのだから、全く自分ながら困ったものである。ただ幼い頃は貧しい農家に生まれて
いたせいか、贅沢な暮らしには馴染めない。貧乏性がそれを邪魔するのである。少しぐらい
傷んでいたり、消費期限が過ぎていたりする食品でも腐敗していない限り捨てることが出来
ないし、着る者も安物を身に着けている方が落ち着く。それに調理の仕事にもついていたので
安くて栄養の或るものを調理できるし、掃除洗濯も何とかこなせる。健康に関する知識も
それを得るための運動や食事にも気を使っているつもりである。家内の義父の介護を見る
につけても、一人しかいない娘にあのような苦労をかける事だけは、何とか避けたい。
雨露を凌げる家もまだ存命中は、地震や台風の被害さえなければ大丈夫である。ただ、家内
だけは思うようにはいかない。我が儘で勝気な性格は生涯変わりそうにないからである。
多分、私が彼女を介護する事になるのは容易に想像がつく。彼女を嫁に貰った利点のうちで
これだけは頷けることが一つだけある。それは、彼女が小柄である、ことである。大柄の
相手の介護は想像以上に重労働となる。読者の相方の何れか大柄のタイプの人ならば
それ以上太らないよう、できるだけ体重を落とす努力をすることが、お互いの老後の
為に必要となる。ぜひ留意されたい。 (2015/11月6日金曜、晴れ夏日なり)
【 芸に生きる人々 】
美貌と才能に溢れ、多くの人々に愛され、華やかな場所でライトや拍手喝采を浴びる人々
いわゆるスターと呼ばれる人々に、多くの人たちが憧れ自分立ちもああなれたらどんなに
幸せだろうと想う存在、しかし彼らの中で長寿を全うできる人は少ないのではないか、と
最近感じるようになった。きっかけは、私の三弦の師匠が体調を崩し風邪をひいたときのこと
である。心配する私の気をよそに、無理をし、ついに肺炎を起こしてしまった。肺炎は風邪とは
全く違い、治療せずに放置すれば呼吸困難に陥り命も落としかねない怖い病気である。
通常の弟子との稽古もキャンセルし家で床に伏していると聞き、心配でお見舞いに伺ったら
なんと稽古場で琴や三味線尺八の音合せをやっているではないか。ベルを押すと真っ青な
顔にマスクを着けた私の師匠が現れたので驚いてきくと、舞台本番が近づいてきているので
その下合わせに演奏するメンバーがきて、今その最中だと言う、おそらくその表情からして
熱もあろうし、時々枯れた声で咳もしている。本人は大丈夫よと言うが、なぜ断らないのか
と聴けば、2週間前もキャンセルしているので断り切れなかったと苦しそうな声でいった。
メンバーが帰ったらすぐに寝るからと言って、手持ちの惣菜を受け取ると稽古場に戻って
いかれた。その日は、午後四時まで下合わせをしたという。ほかにこの月は舞台出演が
3回、もちろんそのための下合わせも別の日にしなければならない。もうプログラムも組まれて
おり、自分が穴を開ければ別の出演者を探したりしなければならず、関係者に多大の迷惑を
かける事になり、主催者側が再びそうなればと、出演依頼を躊躇することも考えられ、仕事が
回ってこなくなることも考慮せねばならないのである。町場の三味線の師匠であってもこの通り
の状態である。ましてや当代の人気スターたちの日常は想像を絶するものであるにちがいない。
不眠不休、病気でも休むことは許されない。その影響はその人気の大きさに比例して計り知れない
程大きいからである。そのせいなのか、彼らの寿命も短く、早く此の世を去る人が多いと感じるのは
私の考えすぎだろうか。ちなみに私の師匠は、今日も完治せぬ病を引きずりながら撥を握り続けている。
( 2015年4月8日水曜日9:40 小雨 肌寒し)
【 母の誕生日に】
事情を話せば長くなるが、わたしの母は今、とある介護付きの共同住宅で一人暮らしている。
きょうが誕生日で、今年で満九十二歳になったが、認知症に罹っており、短期の記憶障害つまり、
今したことが思い出せない症状以外は、車いすに頼ってはいるがすこぶる元気である。
わたしは家内と二人で、家内の両親の介護にあたっているため、たまにしか会いに行けないが、
行ったときは退屈しのぎに、車椅子を押して、近くの飲食店や和菓子の店に連れて行ったり
、部屋で楽器を演奏してあげたり一緒に唱歌を歌ったりするが、最近図書館で源氏物語を借りて
読み聞かせたところあまり喜ばないので、今日、吉川英二氏の新平家物語の内、源義経が兄頼朝に
初めて謁見する黄瀬川の場面を読んで聞かせたところ、源氏物語の時よりも興味を示したように
思われたので、そのことを家内に話すと、母はその内容を理解できているわけではなく、ただ理解
しているふりをして相槌を打っているだけだと言われた。「違うと思うなら、物語の筋書きを聞いてみたら
わかる、認知症に罹っているんだから。」そういってのけた。そうは思いたくないが、確かに一語一語に
「それは、そうだ。」とか「可哀想に・・。」だとか、いちいち感想らしき言葉を挟んでいたし、それに読んで
いる間中、認知症患者特有の、あちこちの塵を指でつまんだり、セーターの毛玉を捜してはむしり取ったり
爪をいじったりもしていた。喜ぶだろうと一生懸命に読んであげたのに、ただ理解しているふりをしている
だけだとすれば、かえって母には苦痛の時間だったのだろうか。そう思うと情けない気分になった。
( 2015/02/08 母の92歳の誕生日に)
【 さらば、我が友よ】
愛するものとの別れは、辛く悲しいものである。それは人だけとは限らない。およそ十数年の間
付き合い続けていた、わが友の一人が、いや正確には一匹がこの世を去ってしまった。まだおとといの
ことである。その名をクロといい、どこからともなくやってきた彷徨いネコで 、自ら語りはしないので
あくまで推測ではあるが、人懐っこいことからどこかの飼い猫でおそらく捨てられた者と想われる。
彼女は、若いころ一度子供を産んだことがあるが、近所の人々がお金を出し合って避妊処置を行ったため
それ以降は一人で、我が家と駐車場を挟んだ、Mさんの雨露を凌げる軒にダンボールの住処を設けて
もらい、主にMさんから食べ物をもらって暮らしていたのである。これを聞くと多くの猫好きの人から
なぜ家の中に入れてあげないの?という声が上がりそうであるが、実は彼女は花粉症にかかっており
絶えまなく、くしゃみがとまらないのである。ひどいときには十数回もくしゃみを続けることもある。
そのため、Mさんの軒や玄関の引き戸の下などには鼻水が飛び散り、その様子から家の中で買うのは
難しいと判断したらしい。周りの人々は時々餌はくれるが今言った理由で触りたがらない。それに彼女は
猫には珍しく、無精なのであり自分の毛づくろいをしない。そのため体全体に毛玉ができて密生しており
それがさらに人々のスキンシップを得られない大きな理由の一つとなっていたのである。見かねた私は
以前飼っていた犬の毛玉取りとブラシを使って、毎日少しづつブラッシングをしてやり、約三か月掛けて
毛玉を完全に取り除いてやった。するとそれ以降、私とのスキンシップを嫌がらなくなり、ブラッシングを
する際も仰向けになり、気持ちよさそうにあくびをするまでになったのである。体の毛も艶がでだし、中には
おとなしいい性格も幸いしてか、背中をなでてくれる行きずりの人や子供も現れた。ただ、くしゃみだけは
相変わらずではあったが。しかし歳を取り、今や人間でいうと八十を超える高齢者となった昨今、暑い夏や
冷たい冬を越すのが体に応えないはずはない。毎夜湯たんぽを入れてもらい、ふかふかの座布団の上で
寝ていたにも関わらず、今年の冬の冷え込みに食欲を落とし寝たきりとなり、大好きな刺身を鼻先に持って行っても
首を振り食べなくなっていた。今朝ダンボールを覗き込むと、かすかに波打っていた腹部はもう動いてはいなかった。
ただ、四、五日前に私が与えたマグロの刺身をおいしそうに食べたことが、せめてもの心の慰めになったのではと思っている。
去年まではブラッシングの後、並んで日向ぼっこをしたのに、寂しくて悲しい。わが友、優しいクロよ、みんなに楽しい思い出を
くれて ありがとう。 さらば、わが心の友よ、お互いに、今度生まれ変わった時、またどこかで会おうね。
( 2014年 12月24日)
【旧態依然たる選挙に】
衆議院選挙が今月十四日に実施される。 およそ選挙とは、世の中の或る階層の人々が、自分たちの利益を
代表する人を国会に送り、自分たちに都合のよい法律や政策を行って貰う為に行うものであり、政党の代表者は
決して国民全体の利益を代表するものではありえない。なぜなら国民は貧富、、社会的地位、職業的な違いなどに
よる様々な階層の人々の集まりだからである。例えば、或る階層の人々の意見を取り入れそれを政策に反映すれば、
必ずそれによって不利益を被る人々が出てくるのである。或る政治家、または政党が或る団体から政治資金を受けて
いたとしよう。彼らは輸出によって利益を得る立場の企業の集まりならば、円高を助長したり、或は雇っている労働者の
利益を優先するような政策を行うような議員には、二度と支援は行わないだろう。言い換えれば、政治家たちが言う国民
とは、自分たちを支援し、自分が政治家としての職業を続けさせてくれる人々の事を言っており決して国民すべての人々を
代表して言っているのではないのである。もう一つ選挙にとって問題なのは、投票に行かない人達の数である。極端に言えば、
その国の人々の僅か10%にも満たない人々しか投票所に行かなかったとしても、それによって当選した候補者や政党が、
国民の代表だと大きな顔で国の行く末を決めることになる。今でも無党派層と呼ばれ支持政党を持たない有権者はおそらく
全有権者の30%近くに達すると思われる。どんな人々であれ、自分の意見や考えを持っている。自分の意見が社会の
あり方や暮らしの良しあしに反映させることが出来ると自覚すれば、人々は自らすすんで選挙に加わろうとするだろう。
今やネットの時代である。金がかからず、誰でもWEBサイトのページに意見や経歴を載せるだけ立候補でき、投票の文字を
クリックするだけで選挙をすることが出来れば、きっと世の中も変わり、今の時代に適応した政治システムが出来るに違い
ないと思うのは私だけだろうか。
( 2014/12/08
【 久しぶりに都往路を歩いて】
地唄の師匠の舞台出演が京都であったので、久しぶりに京都に出かけた。
会場は京都御所の近くで、市バスを利用するか近くの駅から歩かねば
ならない。バスの方が便利だが、利用する人が多いため、降りるときに
人の間をすりぬけなばならないし信号待ちに度々会う。僕はそれが無い
地下鉄を利用して、歩くことにした。JR京都駅は相変わらずの大勢の人々で
混雑していた。地下街に降りたが、通路が入り組んでいて地下鉄乗り場を
見つけるまで右往左往したが、やっと市内の地下を東西に貫く烏丸線に
乗り、今出川通の駅で降りた。この駅で降りたのは理由があり、京都御所の
北側に位置する今出川御門と同志社大学の間のこの通りを東に向かうと
その先の、河原町通りとの交差点の近くに、妙音弁財天という演奏家がよく
訪れるという祠があり、そこに寄って今日の師匠の晴れの舞台の成功を祈願しよう
と考えていたからである。此処の弁天様は像ではなく、さるやんごとなき
皇族の方が大切にしていたという、一幅の弁財天を描いた仏画である。
こじんまりした祠の格子扉の向こうに二十センチ四方ぐらいの白い紙が
飾ってあり、絵柄は良く見えなかったが、それがどうも弁天様の仏画らしい。
祈願の後、お守りでも買おうとしたが、左の古い販売所は夕方五時を
回っていたせいか、閉まったままで、横の呼び出しチャイムを何度も
押したが一向に反応が無い。諦めて祠を後に会場に向かった。
師匠の舞台が無事終了して外に出ると、京の町はすでに夕闇の中にあった。
賑やかな河原町通りの人混みの中を歩いた。この賑わいと歩く国際色豊かな
人々や、若いカップルの姿は四十年前とちっとも変っていない。途中の
地下鉄のある市役所前まで来たが、切符を買ったり列車を待つのが面倒、
ええいままよ、とJR京都駅まで歩くことにしたが、思ったより道のりが遠く
体力の衰えを身に染みて感じることとなった。そうかあの頃はまだ二十代
だったからなあ・・・。やっと京都タワーが見えた時の嬉しかったこと。
然も、新快速電車には乗ることが出来たが、混んでいて気分が悪くなり
大阪駅の構内で、少し休まねばならなくなった。電車を乗り継ぎ
家に帰り着いたころには、午後10時を回っていた。ぼくも二十代の
あの頃は、僕の傍を今日通り過ぎたあの若い人たちのように瞳も心も
輝いていたかと思うと、少し深まりつつある秋の夜のせいか感傷めいた気分になり
なかなか寝つかれず、しばらくぼんやりしていた。(H/26/10/18SUT)
【 台風が近づいている 】 ( H26/10/03 SUT )
又、大きな台風が近付きつつある。我が家は、ともに暮らす義理の父が、40数年前に
建てた物であり、木造モルタル塗りという構造をしており、昨今のモダンなタイプとは
大きく違い、老朽化していることは否めない。近くに河川はなく山肌に立っているわけ
ではないので、多少の大雨には耐えうるが、問題は強風である。風速30メートルでも
二階の部屋全体がみしみし音をたて、怖くて寝て居られない。異常気象により予想される
巨大な勢力を持つ、スーパー台風の瞬間最大風速は70メートルを超えるかも知れない
と言われており、そんなものが来襲したら、我が家は忽ちの家に吹き飛ばされ、跡形も
無くなるに違いない。私が小学生の頃に我が国を襲った伊勢湾台風の時は、かつて
故郷に存在した、生家の入り口の戸が吹き倒され、父と二人で懸命に両手で抑えて
凌いだ記憶が今でも脳裏にありありと思い出される。過ぎ去ったあと、我が家の主な
収入源であった2か所のミカン園も、色付きかけていた実がほとんど吹き落され、
木がなぎ倒され枝が折られて、経済的にも立ち直れないほどの大変な被害を受けた。
富裕な人達はともかくも、食うことに精いっぱいの我々庶民にとって家などは簡単に
立て直せる代物ではない。壊された家を片付ける費用さえ出せないのが現実なのでは
あるまいか。ただ、今回も反れてくれればと、神仏に祈ることぐらいしか出来ないのである。
そんな不安を抱きながら、今夜も気象衛星の映像を気にして、眠れない私なのである。
【山ブドウの実】 (H・26/09/20・土曜)
私は、早朝のウオーキングのコースを、その時の気分や、時間の制限、季節の移り変わりなどによって
変えることがある。例えば、目が覚めるのが遅くなってしまって、夏の陽射しがすでにきつくなっている朝には、
木がおい茂っている道を選んだりする。昨日も、いつもの道に人が多かったので挨拶するのが面倒と、別の道を
選んだ。少し遠回りだが、あまり人が通らない小さな祠がある林の中を抜けようと思ったからである。ところがその
祠の細い道の真ん中で、一人体操をなさっている方がいたため、その道も右に迂回して住宅地を通り小さな公園の
池の脇を降りようとした時のことである。右側のフェンスに垂れ下がっている蔓上の植物の枝に、小さな球状の実が
密集した長さ5センチくらいの房状のものが眼に入った。「これって、まさか!?でもよく似ている・・。」そう呟いたのは、
その房状の物が、明らかに葡萄のミニチュアにそっくりだったからである。よく見ると。青い粒の中に紫色に熟した実も
混じっている。フェンス上の方についている房は小鳥に食べられたのか、軸だけしか残っていない。試に紫色の実を
指でをつぶすと出てくる中身も葡萄そっくりだ。思わず味を似ようと思ったが、もし、葡萄とは別の植物で、毒を持つもの
ではと怖気づき、一房持ち帰り近くの菜園に居た安達のお爺さんに聞いた。「安達さん、これって、山ブドウの実じゃあ
ないのかな。」「わしの在所の丹波の山にある野葡萄はもっと粒がおおきかったで。」そう言って首を傾しげられた。もう
一人の、和歌山県熊野の出身の松本さんも、「うちらの山じゃあ、山ブドウは見かけ何んだ。」と言われた。道下の花に
水をやっておられた翁さんの奥様は「や!これ可愛いやん。増やして鉢植えにしたら、頂戴よ。」と仰った。近所の情報
では分からないので、ネットで検索をすると、山ブドウの写真には葉が普通の葡萄のように切れ込みがあるが、私がみた
この果実の葉は丸みを帯びていた。山ブドウ以外にエビズルと呼ばれる葡萄の野生種が有るらしく、こちらの葉も写真の
画像で見る限り、切れ込みが有るように思われた。私が山ブドウに興味があるのは、自分が鉢植えのブドウ栽培をやって
いる以外に、中学生時代に国語の教科書に載っていた宮沢賢治の作品の中に、山梨と呼ばれる野生の梨が出てくるの
を読んで、自分の周りの山野にはない野生の果物とは、どんなものか食べてみたい、と思ったことに起因するように思わ
れる。山ブドウも愛好家の中には栽培し、ワインにして販売している方もあるらしい。ただ、生で食べると酸味が強いと言わ
れているので、苗を買うのをやめていた。でも今回見つけたものは、ほんとにアクセサリーにしてもいいと思うほど可愛く
美しいので、栽培法をダウンロードして育ててみたいと思うが、草花にしろ、果物にしろ野生種の栽培は極めて難しく、だから
こそ面白いと仰る愛好家の方に比べて、怠け者で飽きっぽい性格の私には、果たして出来るかどうか・・・。
【ひょんなことから鈴虫を飼うはめに】
去年の初夏のある日、私が16年の長きにわたって生業としていた、レコード楽器店の
馴染み客で、近くに住む歯科の技工士をなさっていた方が、あるアクリル製の大きな飼育箱を
持ってこられた。何かと思って中を覗いてみると、黒い色の、白い長い触角をうごかす蟻くらいの
昆虫が無数に蠢いている。なんですか、これはと聞くと、鈴虫の幼虫だという。知り合いに
貰ったのを数匹飼っていたところ、生れた卵が孵化し始末に困っている。貰ってくれないかと
言われて、私がどうしょうかと戸惑っているうちに、さっさと置いて帰えられてしまった。
私が子供の頃は家が農家だったせいもあって、田んぼや畑の近くには、日暮れになって
鈴虫が鳴いている草原があり、捕まえたりしたことがあって、生育環境はよく知っていたので
、枯草や餌の茄子や隠れ場所になる素焼きの鉢の破片などを入れて育てたところ、
その年の11月ごろまで綺麗な声で鳴いていたが、やがて冬には短い命を閉じたのか、
鳴き止んだので、そのまま外に雨ざらしのまま置いて忘れてしまっていた。ところが、
今年の五月ごろにふと思い出して飼育箱をのぞいてみたところ、何と無数の蟻くらいの
幼虫が、白い長い触角を揺らしながら底一面に蠢いているではないか!慌ててもう一つ
飼育箱を用意してふたつに分けて、餌を与え育てていたところ、次第に大きくなり体長
2センチになって普通の飼育箱では、上を下えと重なり会って動きが取れなくなっているので
ホームセンターに行って、縦40センチ、横60センチ、深さ30センチの透明の洋服を入れる容器
を二箱購入、逃げ回る数百匹はくだらない一匹、一匹を悪戦苦闘の末、暑いさなか4時間余りを
かけてやっと入れ替えることに成功、上に陽除け用の簾を掛けた頃には、短い8月の日はとっくに
暮れていた。そのあと飲んだ冷たい麦茶の美味かったこと・・・・・。
そして数日後、夜が来ると、2、3匹ずつ鳴き始め、お盆のころには一斉に鳴き揃って、うるさい
ほどに成って来た。妻が寝られないとこぼすので、夜は風呂場に入れてドアを閉めなければなら
ないほどに、狭い我が家は鈴虫の大合唱に包まれたのである。そして彼らの鳴き声は夜通し続き
あくる日の真っ昼間の正午過ぎまで止まない。そして夕方4時頃になると再び鳴き始めるのである。
あんな小さな身体で、何処にそんなエネルギーがあるのかと驚嘆せざるを得ない。
そんな元気いっぱい鳴いていた鈴虫も、九月の半ばを過ぎるころから次第に鳴かなくなり
十月に入ると、先にに役目を終えて死んだオスの後を追うように、産卵を済ませたメスもその一生を
終えて、飼育箱の中は再び、あくる年の初夏まで静寂につつまれるのである。
【ねえ、ママ。これってなあに?】 (H26、9/10)
我が家の前の道を通る人たちの中に、時々、「これってなあに?」「さあ、何だろう?ママわかんない。」なんて
会話をかわす方がおられる。その日は毎週月曜か木曜日である。この日は、生ゴミの回収日で、丁度私の家の
前の交差する路地の角が、隣近所のごみが集められる場所、その上に竹竿の先に、我楽多が繋がれた、高さ
3メートルくらいのみょうちくりんな紐ががゴミの上に垂れ下がっているのをご覧になって、話しておられるのである。
これは既にお気づきの読者もおられると思われるが、ゴミを荒らしに来るカラスを怖がらすための、いわゆる【脅し】
(最近はこの言葉も使われなくなってしまった)で、私が無い知恵をしぼり何とか作り上げたしろものなのである。一番
上には、丸い形の放射状に広げることが出来る壊れたタオル干しに、カラカラと鳴るビールの空き缶などがぶら下げ
られており、その中心からゴミ小山の上に垂れ下がっている白い紐には、試行錯誤の結果、カラスが警戒して近寄
らぬ針金の輪の連ねたもの、キラキラ光る厚みのアルミ箔で出来た蛇を連想させる形をしたもの、黒いビニール袋の
中に古新聞を押し込めて拵えたカラスの死骸に似せて作ったもの等が、ところどころに括り付けてあり、その紐の一番
上には、角の生えた、大きく見開いた三角の眼と、牙の生えている大きな口を開けた鬼の面が辺りに睨みをきかせて
いる。これを私がゴミの回収日の、まだカラスが現れる前の薄暗い早朝に設置し、回収車が通り過ぎたあと取り外して
いるのである。この、なんだかわけの分からぬ代物が、利口な(と言うか、悪がしこい)カラスには不気味で警戒心を
呼び起こすらしく、高台のマンションの上にとまっている見張り役のカラスが教えるのかは不明だが、彼らのゴミ漁り
が今のとこ治まっていることは確かなようである。カラスは鳥類の中でも、最大級の容積のある脳みそをもっており、
その行動を観察すると、そのことが実感できる。私も、早朝の散歩の途中で、カラスがアスファルトの路上で、木の実の
位置を替え、通る車のタイヤに引かせて割らせて食べているのを、目撃している。又ある時テレビの投稿動画で、なん
とカラスが凍り付いたスレートの屋根の上で、平たい金属片に乗って、何度も繰り返しまるでサーフィンを楽しむかの
ように滑り降り遊んでいるとしか見えぬ姿を見てびっくり仰天した記憶もある。もう一つだけ、彼らの驚きべき、実際に
私が出くわした光景をお話する。ある日散歩に出ると、キャンプ場がある、生い茂った林の上を、50匹をくだらない
カラスの大きな群れがカアカアと鳴きながら旋回しているのが見えた。私自身もこんなにたくさんのカラスが飛んでい
るのを見たのは初めてで、異様な感じを受け、丁度その旋回の中心ぐらいの道で上を見上げると、確かに私の頭上を
中心に群れが旋回しているように見えたので不思議だなあ、何やってるんだろうと、ふと足元に眼をやると、何か黒い
物体が眼に入った。よくみて見ると、何と一匹の黒いカラスが、張られたフェンスの傍で体を横たえて居るではないか!
私にはそれを見た瞬間に、彼らが、ひょっとして仲間の弱った一羽を心配して、或は元気付けようと、上空を旋回している
のではないかと直感して、身体中に恐怖にも似た戦慄が走るの覚え、しばし呆然とその場に起ちつくしてしまった。その
ころは、鳥インフルエンザがマスコミを賑わせていた時期で、触れるのを避けて、そのまま通り過ぎたが、カラスがただ
の鳥ではなく、時には忌嫌われ、時には神の使いとして恐れ敬われていた理由の一端を垣間見たような、二度と出会え
ない貴重な体験をさせてもらった。おそらく、我々の遠い祖先の生きた太古の時代から現代に至るまで、人々の傍に
いつも居り、これからも、私たちの傍で暮らして居るであろう黒い大きな鳥、カラスに対する興味は尽ることが無い。
平成・徒然草/エッセイ真似事集