ぼくと、彼女。

ぼくと、彼女。

 ぼくが最初に見た彼女は、目をキラキラさせてぼくを見ていた。

「お父さん!この子どうしたの?」
「買って来た」
「まさかいきなり仕事帰りに買ってくるなんて…」
「オス?メス?」
「オス」
「へぇー、男の子かぁ…。可愛いなぁ」
「もうすぐあんたも小学生だしね、しっかりお世話してあげるのよ?」
「うん!まかせて!」
 小さなケースから、ひょこっと顔を出したぼくの目に映ったのは、男の人と女の人と女の子。
 ぼくはこの家で、飼われることになったらしい。



「名前、どうしようか」
「タマとかでいいんじゃないのか?」
「タマなんて普通すぎだよ」
「じゃあ、ニャンとかどうかしら?」
「えー、チャチャとかどうかなぁ。この子茶色くて可愛いんだもん」
「いいけど。確かペットショップでは、セバスチャンって名前だったのよね?随分と庶民的な名前になったわね」
「いいの!今日からこの子はチャチャ!」
 そう言って彼女は、ぼくに笑いかけた。



 彼女は、いつもぼくを愛してくれた。何度もぼくの名前を呼んだ。ぼくは彼女が大好きになった。


「チャチャー、寝るよー」
 ぼくは、彼女と毎日一緒に寝た。
「ちょっとトイレ…」
 彼女がトイレに行ってる間も寂しくて、トイレの前まで着いて行った。
「もー、ほんとチャチャは好き嫌い多いんだから」
 好き嫌い多くて、ごめんね。
「あー、またマーキング!」
 マーキングで何度も部屋も汚したね。



いつからかな、男の人は、ぼくを虐めるようになったね。彼女にもたくさんひどいことして、彼女は怯えて、泣くようになったね。


「お父さん、怖いんだ」
「お母さんは、お父さんしか必要ないんだ」
 彼女は、よくぼくをギュッと抱きしめて泣いた。ぼくは小さな手で、彼女にしがみついた。
「爪、痛いよ」
 そうすると、彼女はそう言って少し笑ってくれるから。
「大好きだよ」
 そう言って、ぼくの頭にチュッてしてくれるから。



「こいつ、いつも被害者面しやがって。マーキングも直らねーしよ」
 男の人は、そう言ってぼくを追い詰める。暴力はしないけど、雰囲気が怖くて、ぼくはいっつも怯えてた。
 でもその日は違った。ぼく、叩かれたんだ。本気ではなかったけど、痛かったなぁ。
「やめて!やめてよぉぉぉぉ!」
 いつも怖くて、男の人に歯向かえない彼女が、初めて泣きながら男の人に反抗したね。男の人は、バツが悪そうにテレビの部屋に戻っていった。
「大丈夫?痛かったね、チャチャ、痛かったね」
 ぼくと彼女しかいない部屋で、彼女はまたギュッてぼくを抱きしめたんだ。その小さな体に、ぼくは爪を立ててしがみつく。彼女は「痛いよ」って言わなかった。



「おい、風呂行くぞ」
「…うん」
 週に一度、男の人は彼女をお風呂に連れて行って、一緒に入る。それはいつまでだったかなぁ、彼女が小学校ってやつを卒業する少し前まで続いたかな。彼女は怖い男の人と二人でお風呂に入るのが、嫌だったみたいだ。だっていつも顔色を悪くして、表情が固まってる。
 男の人は、たまに寝てる彼女の部屋にこっそりやってくる。すぐに出ていくけど、彼女はその後ぼくを抱きしめるんだ。
「許してあげてって、お母さんに言われたよ。やっぱり、お父さんが一番大事なんだ」
 ある日彼女は、そう言って泣いた。ぼくは、何にもできなかったよ。ただ、傍にいてあげることしか、できなかったよ。



 彼女が、制服ってやつを着て、学校に行くようになった。いつも朝忙しそうに、制服ってやつに付いたぼくの毛をとってる。長毛でごめんね?でもね、自慢の長毛なんだよ、これ。
「中学校に、行くようになったら、すっかりチャチャとの時間も減っちゃったなぁ…」
 ある日の夜ぼくと布団の中に入って、彼女は残念そうに呟いた。
「でも、毎日夜は一緒に寝れるから、幸せ。ずっと一緒に居てね、チャチャ」
 ぼくも、ずっと一緒に居たいよ。



「離婚するかも、だって。酷いかなぁ、私。喜んじゃってる」
 りこんってなぁに?

「まーた、お母さん、お父さんを許したよ。何回目だ…」
 彼女が中学校ってのに通いだして、だいぶ経った頃、男の人と女の人は、良く喧嘩するようになった。彼女は、もううんざりって顔をしてる。
「お父さん嫌い。でも、お父さんしか見ないお母さんは、もっと嫌い」
 そう言って泣く彼女。大丈夫だよ、ぼくが君を守るから。
「チャチャは、大好きよ」
 隣に座るぼくを抱き寄せて、彼女は少し笑った。



「お父さんでてった。嬉しいはずなのになぁ…」
 ある日、彼女はそう言って、泣いた。
「嫌いだったはずなのになぁ」
 あぁ、泣かないで、笑って。
「チャチャ…」
 彼女に抱き寄せられたぼくの体には、彼女の涙がたくさんたくさん落ちてくる。ぼくの自慢の長毛は、涙で濡れて、へにゃってなった。



そのまま時は流れて、彼女は高校生ってやつになった。ぼくも随分歳を取った。最近体がだるいや。
「チャチャー、ご飯だよ」
 でも、彼女の前では、そんな素振り見せないよ?だって心配かけたくないもん。
「あー、まーた残してる。ほんといっつも好き嫌いしてー」
 そうやって怒られるけど、好き嫌い多くて良かったなって、思っちゃう。だって、食欲なくて残しても、誤魔化せるからね。



「チャチャ、いつまでも元気でいてね。ずっと一緒だよ」
 彼女は昔から、よくそう言う。彼女はぼくが大好きなんだ。ぼく凄く愛されてるんだ。彼女の友達は、よく彼女に「どんだけ好きなのよ」って言ってる。でもぼくは、そんな奴らに心の中で言い返すよ。良いだろーって。



 でもね、ちょっと心配。ぼくが居なくなったら、壊れちゃわない?大丈夫?



 ぼく、もうダメみたい。まだ10歳なのになぁ。もっと一緒に居たかったのになぁ。
「チャチャ―」
「チャーチャー、どこー?」
「あ、こんなところに居た!チャチャー」
「チャチャ?寝てるの?」
「……チャチャ?」
「チャチャ!!」
 ごめんね。ごめんね。笑ってる顔が好きだったのに、今までで一番彼女は泣いてた。なんてったって、突然だもんね。ごめんね。


 でもね、ぼくずっとそばに居るよ。だから、笑って。壊れたように泣き叫ぶ君を見るのは辛いよ。



 普通、ペットにお葬式なんてしない人も多い中、彼女はぼくのためにお葬式をしてくれた。だからぼく、彼女に会いに行ったんだ。
「ねぇ、お母さん。今日夢にチャチャが出た」
「チャチャね、私のこと見守ってくれてた」
「チャチャ、私の心の中に、ずっと居るんだね」
 彼女は、そう言って少し笑った。



 うん、ぼくの大好きな笑顔だ…。

ぼくと、彼女。

私にとって、特別な思いがたくさん詰まった作品となりました。
少しでも心に残ってくれたらなと、思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

ぼくと、彼女。

ぼくと、彼女の話。 ぼくが初めて見た彼女は、キラキラした笑顔で、ぼくを見つめていました。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-09-08

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