即興小説①
すべて制限時間15分の代物です。多少は修正してあります。
15、タイトル:たとえ分からないとしても
お題「知らぬ間の彼」 必須要素「100字以内」 学生カップルの話
100字はさすがに無理だったので、これだけ必須要素を放棄しました。
14、タイトル:脱出の機会
お題「つらい監禁」 必須要素「右肘」 誘拐された男の話
13、タイトル:いざというとき決まらない人
お題「闇の狼」 必須要素「一発ギャグ」 堅気じゃない女と男の話
12、タイトル:気まぐれの人助け
お題「安全な狸」 昔ばなし風の男の話
11、タイトル:バカにもバカをやった理由がある
お題「馬鹿な机」 卒業式の朝の女子中学生の話
10、タイトル:追いかける理由
お題「イタリア式のにおい」 何かから必死に逃げている男の話
9、タイトル:社長と私
お題「馬鹿なカリスマ」 社長を冷めた目で見る女の話
8、タイトル:店員が聞きたくなかった会話
お題「簡単なぬめぬめ」 リア充なカップルの話
7、タイトル:せめてもの安らぎを
お題「気持ちいいライオン」 動物園の飼育員の話
6、タイトル:遺恨の昇天
お題「とんでもない魚」 心残りがある男の話
5、タイトル:不安のその先
お題「運命の嘔吐」 不妊治療の妻と怪しい夫の話
4、タイトル:求めたのは日の光
お題「朝の朝日」 何かを求めてもがく女の話
3、タイトル:気づかない希望
お題「走る暴走」 ネット中毒な大学生の話
2、タイトル:帰れなかった私に
お題「輝く洞窟」 思春期な女子高生の話
1、タイトル:魔王の最期
お題「免れた螺旋」 勇者と魔王の厨二な話
たとえ分からないとしても
高校で同じクラスの彼と、一か月前から交際を始めた。
自分から告白して、好きで付き合ってるから別にいい。ただ彼は物静かで、とてもミステリアスな人だった。
今どきまだ二つ折りの携帯電話で、ラインもツイッターもやっていない。ミクシィもフェイスブックもやっていない。
交友関係は本当に直接会ったことがある人だけで、連絡は携帯電話の通話とメールのみ。ここまで達観している人も、今どき珍しいと思う。
だから彼と仲良くなれた自分は、本当にラッキーだったと思う。同じクラスでなかったら、きっと口もきかなかったと思う。
逆にその潔いところが彼の長所でもあるかも知れない。余計な人間関係に悩まされることもなく、現実の自分を大事にする生き方だ。毎日ツィッターでつぶやくことに余念がない自分とは違う。
たまに、ミクシィやフェイスブックの日記を覗くような、彼の日常を見てみたいと思わないこともなかったけど、それも気にならなくなった。
一番彼と一緒にいる時間が長いのが、私だと思ったから。
今日も放課後、アイスを買って公園のベンチで食べながら、今日何があったかということを話し合っているところ。
「今日の英語、よく分かんなかった」
「あとで教えてやるよ」
私の何気ない愚痴にも、優しく付き合ってくれる。
きっと私が知らない一面も、彼は持っていると思う。ただそれは、知る必要がある時にきっと自然に分かることだと思う。
ただ今は、この現実にいる彼との付き合いを楽しみたい。そう思うと、私も優しい気持ちになれるような気がした。
脱出の機会
いつも通りに今日の勤務を終えて、会社から自宅へと帰る途中だった。
特に怪しい商売というわけでもなく、まっとうな会社の、ただのテスクワークをしている身分で、このような扱いを受けるいわれなどありはしない。
一体どうしてこんなところにいるのか、彼自身にもわからない。
真也は右の手首に、長い鎖のついたを手枷はめられて石の壁にくくりつけられ、閉じ込められていた。拘束されているのはその右腕だけだが、鎖が邪魔で自由に動き回ることが困難だ。さんざん動き回って肘が壁にこすれ、擦り傷から血が滲んでいる。たとえ牢屋のカギを手に入れても、この手錠を外さなければ身動きが取れない状態だった。
つまり、ここを脱出するためには二つの鍵を手に入れる必要があった。
娯楽はなく、ただ便器と水道の蛇口だけが設置されて、ベッドが一つ片隅に置かれている。日に三度、見張り番がパンとスープを差し入れにやってくるので、飢える心配はない。どうやら彼を閉じ込めた犯人は、何かの理由で生かしている必要があるらしい。
彼もなんとなくではあるが、死ぬまでここから出られないということに察しがついたのだろう。ここを出るためには、死ぬしかないと。
やがてストライキとして、食事を拒否するようになった。水道の水も飲まず、ただベッドに寝転んで一日を費やす。これを3日も続けていくうちに、起き上がるとめまいを起こすようになった。
さらに食事を拒否すること2日。監視役ではない、身なりのいい男がやってきて、牢屋の前で立ち止まるなり、彼にこう告げた。
「死んでも死体はそのままにしておく」
どうすることもできなくなり、次の手を考えるため、真也は運ばれてきたパンにとうとうかぶりついた。
いざというとき決まらない人
どう見てもその女は、普通ではない。
裏の世界に生きる職業で、真昼間に街中を歩こうものなら、交番の警察に職務質問されることは必至。目つきからして、堅気ではない。
依頼があれば偵察から潜入、暗殺まで一通りをこなす、とある組織の一員だ。
女は色気はあったものの、鋭すぎる視線は一般の男たちでは直視できない。なので、流し目も第三者からすると睨まれているとしか思われない。
身分はどうあれ女だ。男に恋することもあれば、恋されることもある。しかし寄ってくるのは自分自身と同じ道筋の男、まともであるはずがない。さりとて、人並みの立派な男を所望したくとも、そういう人種はそろいもそろって、裸足で逃げてしまう。
それがまともな反応だと女はわかってはいたものの、自分が人であることに変わりはない。失恋は悲しくもあり、辛くもある。
今日も女は堅気の男に恋破れ、安い酒をラッパ飲みしながら組織の仲間相手にぐだを巻いていた。
「なぜまともな男は揃いも揃って、あたいを避けるんだ! あたいだってこんな世界にいなけりゃ、高給取りの一人や二人、手玉にとって……」
「ああ分かってる分かってる。辛いよな、ああ辛いよな」
ソファに寝そべる女の傍らでビリヤードをしていた男は、相手の顔を見ないままに適当な相槌を打ち、最後にこう言った。
「そばにこんないい男がいるってのに、この女は……」
「9ボールも落とせやしないやつが粋がってんじゃないよ!」
ずっこけた勢いで、男は生まれて初めて、9を落とした。もっとまともな時に落としたかったと彼は思った。
気まぐれの人助け
村の若者は畑仕事に精を出し過ぎて、気付いたら夕日も沈みきる頃合いだった。
畑から村の家まで、歩いても半刻はかかる。家に着くころにはすっかり夜になってしまうことだろう。焦った若者は鍬を持ったまま、わらじを踏みしめ、駆け足で道を進んだ。
すでに近辺に仲間はいない。自分たちの体調を見て、疲れて先に帰ったのだろう。熱中すると周りが見えなくなるのは彼の悪い癖だった。
遠くからひぐらしの物悲しい鳴き声と共に、梟のさえずりも聞こえ始めた。すでに土の上、自分の影はない。山の頂の向こうへと、日は完全に隠れてしまった。
ああ、どこかに灯りはないものかと途方に暮れていたところ、奇妙なものが見えた。畑や田んぼを仕切る、あぜ道のど真ん中に、畳まれた提灯が落ちている。近寄って拾ってみれば、ご丁寧にも新品のろうそくに、まさに今さっき、火がつけられたばかりの様子だ。
このそよ風の中、外身の皮には焦げ跡ひとつない。
「不思議なこともあるもんじゃが、ありがてぇ。もらうとするか」
おかげで若者は無事に、村へと戻ることができた。
帰ってきた若者を見て、隣近所に住んでいた村人があわてて駆け寄ってきた。
「ああ、与七どん。良かった良かった。いまみんなで探しに行こうと思ってたとこだよ」
「心配かけてすまねぇ。こいつのおかげで何もなく……ありゃ、無い! どこ行った」
話しているうちに、持っていたはずの提灯は跡形もなく消えていた。
「ありゃ、狸だ」
「化かされただよ、与七どん」
村の外へと逃げていく狸を見て、与七は首をかしげつつも、笑っていた。
「ありがとさん」
バカにもバカをやった理由がある
卒業式の日、彼女は自分の机を愛しそうに撫でていた。
中学三年生になってからというもの、いつもその席に座りながら授業を受けていた。代々この机に座っていた生徒たちはあまり頭がよくなかったらしく、その板の表面は凹凸だらけ、穴や文字がこれでもかと書かれている。
ノートを筆記していた時やテスト中、なんど紙に穴をあける羽目になったかというのは、数えるまでもないことだ。
何度目かわからないが、今一度彼女は頭の抜けた先輩たちを真似て、机に傷をつけられないかどうか、試みているところだった。
とても褒められた行為では無かったので、同級生たちが皆、まだ来ていない早朝の教室に一人、忍び込んでいる。カッターを使って切り込みを入れるものの、表面的な傷はつくが、どうしてもくっきりとした線にならない。
「どうやるんだろ、これ……」
「毎日の積み重ねだろ、その落書きも」
「うひゃあっ!」
突然背後から声をかけられ、彼女は仰天してから振り返った。隣りの席の男子生徒が一人、あきれた様な顔でこちらを見ている。
慌てて手元を隠す彼女を見て、彼は口をとがらせていた。
「お前がそんな事するなんて、意外」
「いや、これはその。興味本位っていうか……」
「あ、わかんなくもない。ただそれ、一日じゃ無理だよ。毎日やんないと、深くは残んないよ。最後に鉛筆でこするのがコツ」
「えっ、そうなの?」
やったことがあるのか、という非難の気持ちを混ぜて問いかけると、彼は肩をすくめている。
「にわかとは違うんだよ、にわかとは。歴史が違うんだよ」
「そんな歴史いらないよ!」
笑いながら彼女が答えると、彼は途端に真面目な顔つきになってこう言い返してきた。
「何か残したかったんだろ、みんな」
わかんなくもない、と彼女は心の中で同意した。
追いかける理由
どこまで行けば気が済むのだあの女は、と思いながら俺は走っていた。
「だから言葉がわかんねーんだってば!」
俺のような平平凡凡な内気な男が、金髪美女に追い回されているという姿は、なかなかに興味深い光景だろう。俺自身、なんでこんなことになっているのかまったく理解できない。
電車の中で肩を叩かれて以来、笑顔でごまかして逃げた俺だったが、駅のプラットフォームに出てからというもの、ずっと追い回されているのだ。
Tシャツとジーンズ姿でダッシュしている地味な俺と、ウェーブがかった長いブロンドを靡かせた碧眼の美女は、神話のモーゼのワンシーンのように人ごみの海を割り、どこまでも全力疾走していった。
駅の改札という最難関を突破したものの、階段かもしくはエスカレーターか、と迷っていたところで、ついに俺は彼女に御用となった。
「ノー! ノー! アイアムエイゴツウジマセン、ソーリー!」
「私、日本語話せるから! 逆に英語がわからないわよ」
「オーイエス!……って、先にそれを言え!」
「言ってたのに逃げてたの、あなたでしょ?」
肩で息をしながら、俺はようやく彼女とまともに顔を合わせて話し出した。
「お、俺に何の用です? 痴漢なら冤罪です!」
「人の話を聞かない人なのねあなたは……まあいいわ。道を教えてちょうだい」
「おおい! そんなことのためにこんな大逃走劇を繰り広げたってのかよ?」
「一番あなたが優しそうだったんだもの」
「……えっ?」
「複雑だからちゃんと道、教えて。あそこのコーヒーおごるから、行きましょ!」
無理やり喫茶店に引きずり込まれて豆の香りを感じるにつれ、なんて情熱的なナンパだ、さすが外国人は違うと、俺は感じ入った。
社長と私
彼は今日もその力を十分に発揮していた。
尊大な態度は相変わらずだったが、それに見合う実力者であるため、誰も社長に逆らえるものなどいやしない。副社長の私ですら異議申し立てをするときは、細心の注意とタイミングと彼の機嫌の良さを考慮に入れ、提言しなければ聞き入れてももらえない。
これは大企業の一代表者として、いい傾向とは言い難い。独りよがりの考えに偏ったところで、周囲がイエスマンだらけでは、そのまま突っ走ってしまう。
重役会議の後、私たち二人は社長室へと引き上げた。取締役たちの苦い表情と、私に向けられた何かを訴えるような視線が目に焼き付いている。
仕方なく私は、自分の眼鏡の位置を直し、今日も痛む胃をさする。そうしてから、ボスチェアにふんぞり返る若き御曹司の側へと、寄って苦言を弄した。
「まだあの商品は企画段階です。今からスポンサーをうつのはいささか早計では」
私の紺のタイトスカートと、ストッキングに包まれた白い太ももを、あからさまに凝視しながら彼は言った。
「だからいいんだ。あれは企画だけでも魅力がある……予算を確保して研究開発すれば必ずヒットするだろう」
一歩下がり、ノートと両手で足をガードしたまま私は直立して反論する。
「他の研究開発をしている部所が黙っているわけが」
「言い伏せる。まかせておけ」
何かあれば責任を取らせよう、と思いながら、私は踵を返した。
「セクハラですよ、その視線」
それでいて、なんだかんだで毎回、協力してしまう私も、この社長にはかなわないのだ。
店員が聞きたくなかった会話
「今から待ち遠しいなー、今夜が」
どこか、彼の様子に違和感を覚えた私は、いぶかしげにこう言い返した。
「……念のために聞くけど……これ、何に使うものか知ってる?」
私の問いかけを聞いて、彼はテーブルの中央に置いてある、きらびやかな細工のガラスのビンを指さして、いけしゃあしゃあとこう答えた。
「何って……ナニじゃないの?」
「これは化粧品なの! そういうもんじゃないの!」
彼の頭を音高くはたいて私は激高した。そうしてしまってから、個室のレストランで本当に良かったと安堵した。話し声や音が少しでも外に漏れなくて済むからだ。
イタリアンを楽しもうと思い、以前から気に入って二人のデートに使っているこの店に入り、注文が終わり、一息ついていたら、プレゼントをもらった。なんだろうとわくわくしながら開けたら、高級で有名なメーカーの美容液が入っていた。
万歳して喜んでいたら彼はとんでもない勘違いをしていた、ということだったらしい。
あきれてものも言えなくなったところで、冷静に考えた。でもこのプレゼントは、いいものであることに変わりはない。実用性もあるし肌がきれいになる。それに方向性はどうあれ、私のために彼が大金をはたいて買ってくれたことに変わりはない。
空咳をしてから私はありがたく、その美しい贈り物を受け取った。
「でも、ありがとう。大事に使わせてもらうね」
心からの笑顔でそう言ったが、彼は尚もこう言ってのけた。
「俺のためにこれを塗ってくれるのか……色っぽいだろうなー。楽しみだな!」
「だから違うってば!」
突っ込みを返しながらも私は、プレゼントひとつでこうも盛り上がれる自分たちは幸せだと、ふと思ってしまった。
せめてもの安らぎを
「いつ見てもあいつ、寝てるよね」
「ガオーって言わないかな、ガオーって!」
動物の檻の後ろ、お客からは見えない位置に若い青年が一人、作業着姿で佇んでいる。彼はこの檻の担当である飼育員で、中の住人が赤ん坊だったころから世話をしている。いわば親のような存在だった。
子どもたちの不満や文句の声をよそに、雄ライオンは広い檻の中で堂々と、惰眠をむさぼっていた。立派なたてがみは寝癖がついてぐしゃぐしゃになり、無残なものだったが、彼自身はとんと気に留めていない。それどころかますます、ごろごろと頭を振って毛をもつれさせている。
その様子を見て、飼育員の青年はそっと微笑んでいる。
「あいつはいつも変わらないな、少しはサービスしてやればいいのに」
しかし、人間のエゴで捕えられている状態で、さらに愛想まで振りまけというのは、いくらなんでも無謀な夢というものだ。
彼はおそらく死ぬまで、この動物園から出る事はできない。年老いて立てなくなるまで、ここで見世物にされる一生を送るだろう。
餌の心配もなく、身を守ってもらえる。だがそれは、自由というかけがえのないものを引き替えに手に入れたものだろう。
もし意思の疎通ができたとして、そこまでして彼はこの状態を望むだろうか、と考えて、青年は即座に首を横に振った。
彼の両親はサバンナの野生動物だ。おそらく彼自身にも、野生の血が流れているに違いない。ため息をついた青年は顔を上げ、仕事に取り掛かるべく歩き出した。
「今日はお前の好きな和牛の霜降りだ、俺のおごり……せめてそれだけでも」
そして今日は丁寧にブラッシングをしてやろう、と心に決めた青年は、持ち場へと向かっていった。あの我が子は自分がブラシをかけてやった時、一番安らぐ顔をしてくれる。
それしか自分には出来ないと、青年は再びため息をついた。
遺恨の昇天
いつか、死んだ父に連れて行ってもらったことがある。
車で走った山の奥の奥、釣りにはうってつけの深い渓谷があった。その景色の素晴らしさと思い出が忘れられず、大人になった俺は一人で道具を持ち、車を走らせてその場所へと向かった。
昔、そこに落し物をしたことがある。自分にとっては大事なもので、いくら探してもそれっきり見つからなかった。それが心残りになっていたのもある。
なかば憑かれたように運転していた。いま覚えば、誰かに誘われるような気持だった気がする。自分一人だったというのに奇妙だった。
山に一人で行くなんて、いつもの自分なら正気の沙汰じゃないと思ったことだろう。
大岩が転がる隙間を流れる澄み切った水は、深い所に行っても川底まで曇りなく見える。
てっとり早く準備をして俺は川に入った。釣竿を垂らしながらも大自然に目を奪われて、ゆったりとした気分で周囲を見渡した。
奇妙なものを見た。遠い川の奥深く、何かが光っているのが見える。あそこはかつて、俺が足をつっておぼれかけ、身に着けていたバッジを無くしたところだった。
落し物を見つけなければ、という奇妙な心地でいっぱいになり、いてもたってもいられなくなった俺は、釣竿を投げ捨ててその場所へと向かった。
光っていたのは大きなマスの鱗だった。釣竿を使うまでもなく、軍手をはめていた手で、むんずと掴んでマスを抱え上げた。
そして俺は度肝を抜かれた。
「な、なんだこいつ! これで生きてるのか?」
それは俺が昔、落としたバッジだった。その安全ピンがマスの体を完全に貫通し、めり込んで体の一部のようになっていたのだ。
どういう経緯かわからないが、その状態でそのマスは生きながらえていた。
「おまえ、助けてほしくて、ずっと呼んで待ってたのか? 俺のこと……」
ピンを抜いて、キャッチアンドリリースしたマスは、元気に川の向こうへと泳ぎ、消えて行った。
不安のその先
彼と結婚してから、苦節三年。未だ、子供は生まれていない。
ありとあらゆる不妊治療を試したが、成果は得られなかった。自分の両親からは気を落とすなと励まされ、すでに二人の子持ちの姉からも元気を出せと背中を押してもらった。
彼の両親と兄からも、同様の気遣いを感じたが、ある時、私は聞いてしまった。
自宅にいた時だ。いつものように夕飯の支度をしていると、彼が会社から帰ってきた気配がしたので、洗い物の手を止めて飲み物の準備をしたが、十五分たってもリビングに入ってこない。トイレに用を足しに行ったとしても遅すぎる。
私は彼の体調を心配して、廊下へと出て行った。ノックをしてからトイレに入っても誰もいないので、外にいるのだろうかと思いながら玄関へと向かう。これがいけなかった。
玄関のドア越しに話し声か聞こえたのだ。彼は家に入る前に、携帯電話で誰かと電話をしていたらしい。私はドアに耳を押し当てた。
「ああ、彼女はもうだめだよ。見込みがない……他の相手を探そう。なに、他の相手なんていくらでもいる。始末? 簡単にできるよ。これでさようならさ……はははは!」
私はその場で、ずるずると座り込んでしまった。水に飛び込んだ時のように視界がぼやけてきたが、かまっていられない。慌てて取り繕ってトイレへと入ったが、本当に海にでも入水したい気分だった。
「ただいまー! いま帰ったよ」
我慢しきれずに私は言った。
「ごめん、いま入ってるの。用意したから先に食べてて」
「そう? わかった」
入ってくる気配がするが、およそ十分間、私はそこに籠っていた。
彼は私の分も食事をよそってくれていた。一息ついてご飯を一口食べた。飲み込んだ途端、強烈な吐き気を催して、私はトイレへと逆戻りした。
胃の中のものを全部吐き出した私が振り返ると、彼はにやりと笑っていた。変な味がしたので、何か入っていたのかもしれない。
ぞっとする笑みで彼はこう言ってきた。
「ゲームで浮気相手が妊娠したんだ。君も妊娠するとは……おめでとう!」
彼が本当に喜んでいたかどうかは、私にはわからない。
求めたのは日の光
暗闇の中で私は必死にもがいていた。
手でかいても浮かばず、足を動かしても進まず、底なしの湖の深みへと落ちていくような感覚だった。どちらが地上か地底かわからない。夢中で顔を上げた時、口と鼻から、酸素を含んだ大泡が浮かんでいくと同時に、冷たい水が浸入してきてむせ返る。
あわてて咳き込めば咳き込むほどに空気は逃げていく。しかし、焦りながらも気が付いた。大泡が向かっていく方が地上だ。あれを追いかけるんだ。
息も絶え絶えに、最後の力を振り絞って両手をいっぱいにかき、両足をバタつかせて大泡を追いかけた。私から生まれたその透明な空気の玉は、やがてつやりと白い光を肌に映し出した。
地上が見える。体中の酸素を使い切ってもなお、私の大泡を追いかけていくにつれ、奇跡が起こった。太陽が見えたのだ。
決して逃がすものか、あれは私の希望だ。私の大泡が天へと飛び出し、水面に溶けて消えたすぐ後、右手の指先が、ついに水面をとらえた。
視界が白くぼやけていくと同時に、体中を温かい布で包まれている感覚がした。そして息苦しい感じがしたが、口に何か、当てられているらしい。
状況が分からないまま、薄く晴れていく景色を求めて瞬きを繰り返していると、横から泣き叫ぶ声が聞こえた。
「景子! 景子! 良かった……あんた助かったんだよ!」
母さんが私の手を握りながら、目に涙を浮かべている。
その背後では、窓が開いている。後光のようなまぶしい朝日が浮かび、私を出迎えてくれた。私は思わず、酸素マスクの中でくぐもった声を上げた。
「おはよう」
気づかない希望
僕はその日もパソコンに張り付き、動画サイトと2ちゃんねるとピクシブの巡回で、無駄に時間を浪費する日々を送っていた。
運動を最後にしたのはいつだったか、なんてことは覚えちゃいない。家と大学の往復以外の移動をすることがないので、歩くこと以外に体を動かしちゃいないのだ。おかげで僕の腹筋は緩みっぱなしだが、彼女もいない僕には関係ない事だ。人に見せるわけでもなし、何を気にすることがあろうか。
昼からつけっぱなしのパソコンは半日以上たっても、まだ僕のために動き続けている。ディスプレイには可愛らしい、アニメの美少女キャラが映っている。
「かわいい……といえば、確かにかわいい。けどな……」
僕はアニメオタクだが、人生を捨てたわけじゃない。現実の美女か紙の中の美女を選べと言われれば、間違いなく前者を選ぶ。そのくらいの理性は保っている。
ただ理性はあれど、勇気が出ないのだ。それさえあったらいろんなことに挑戦できるが、僕はそれほど頑張り屋じゃない。だからてっとり早く、二次元に逃避してしまう。
集中してディスプレイを見ながらマウスをクリックしていると、不意に机の上に置いていた携帯電話がうなり声をあげた。
「おおうっ、何だ?」
マナーモードにして机に置いていると、バイブレーターの振動が心臓に悪い。二つ折りの携帯電話の背に、一瞬現れた電子文字は、大学の同級生の女子の名前だった。
だが大して親しい相手というわけでもないので、僕はそのまま無視して、パソコンのディスプレイに目を躍らせる。
無駄だとわかっていても、パソコンから離れられない自分が歯がゆい。そんな気持ちもやがてすぐに消えてしまった。
帰れなかった私に
重いリュックを背負い、私は家出の勢いのままに走り続け、小学生のころに見つけた裏山の洞窟へと入っていった。
いつまでいるか、どこまでいくか、などということは考えていない。ただ兄がどうしても許せなかった。私が彼からもらった、命よりも大事なペンダントを壊して、謝りもしなかったのだから。
女子高の制服のまま走り続け、街灯もなくなった場所にその洞窟はある。今夜はここで野宿しようと心に決めた。
下したリュックから大きな懐中電灯を取出し、ボタンを押して中を照らした。
水が滴っている。上からは鍾乳石が垂れ下がり、つららのように天井いっぱい、びっしりと伸びている。そして私は、怖気づいた。暗がりの中には、誰かがいたのだ。
そんなまさか、こんな夜中に人がいるはずがないと思いながら、私は声を荒げた。
「誰かいるの?」
もぞりと服の塊が動き、むさくるしいひげ面の男が顔をこちらに向けてきた。
「……なんだ、ガキか」
30歳ぐらいだろうか、と思ったのもつかの間、カチンときた私はすぐに反論した。
「ガキじゃないわ、もう16よ!」
「あーあーガキだガキ。どうせ処女だろ? 22歳以下は触手も動かん。さあ何してる、パパとママのところに帰んな」
「帰らない!」
「なんだよ、家出娘か……チッ、面倒くせぇ……」
登山家のような恰好をしたひげ面のその男は、おもむろに立ち上がって、太い毛むくじゃらの手で私の腕をつかんだ。と思う間もなく、引っ張られていく。
「えっ、や……やだやだー! 何すんの、大声出すわよ、変態!」
「だから何もしねえよガキなんかに……ほれ、これやるから、帰れさっさと」
手に握らされたのは、小さな青い鉱石だった。でこぼこしているが、ライトで照らすときらきらと点が反射している。
「なにこれ……きれい」
「ここで取れた鉱石だ。ほれ、ママにやれば怒られないだろ……いけ、仕事の邪魔!」
「は、はいぃ!」
驚いて私は家に飛んで帰った。いとも簡単に、あの男に乗せられてしまったのが悔しかったけど、やっぱり家が一番だと思ってしまった。
魔王の最期
火山口のような場所だった。
マグマが煮えたぎり、どこまでも熱く燃え盛るあの紅い海に放り込まれたが最後、二度と生きては出られまい。
仲間はすべて死に絶え、たった一人になった勇者は崖のふちまで、宿敵の魔王を追いつめていた。その喉元に鋼の剣を突き付けられてもなお、魔王はおびえる様子すら見せなかった。
「ふふ勇者よ、よくぞこの魔王をここまで疲弊させたものよ。だが忘れるな、何度でも我は生まれ変わる、そして貴殿も……永遠に輪廻転生を繰り返し、再び我と対峙することだろう」
自身も息絶え絶えになりながら、勇者は眉をピクリと動かして見せた。
「ああ。何度でもその首、掻っ切って見せるとも。それが俺と貴様との定め」
「いいではないか、いいではないか……次はどんな手で、貴殿の仲間を消滅させてくれようか」
余裕の高笑いを上げた魔王に、勇者はみるみる食って掛かった。
「抜かせ!……よくも俺の仲間を……なに、何だこの光は」
鋼の剣の先端から光が灯る。やがてそれは目もくらむ白銀の閃光となり、対峙する二人を包み込んでいった。
途端、白一色の世界に吸い込まれた二人は、ここにはお互いしかいないことを悟った。人の気配がまるでなかったからだ。ここは完全な無の世界だった。
「何だこれは? 珍妙な……貴殿の最後の魔法か」
「俺じゃない。これは……うわっ」
さらに輝きを増した剣の先端から、透ける緑の羽が生えた、美しい女性の妖精が現れた。勇者は息を呑んだ。それは先ほど、魔王に滅ぼされた自分の最愛の人だったのだ。
「私の最後の魔法……今こそ!」
「うぬ。おのれこれは浄化魔法……うわああああっ」
浄化の光によって、魔王は砂のように崩れて消えた。そして視界は徐々に戻り、元の崖の上へと勇者だけが降り立っていた。
「これは……そうか、俺と魔王との呪縛を解いて……あいつは! 俺のために!」
平和を取り戻した勇者は、こうして故郷へと帰ることができた。
即興小説①
数が多いので区切ります。