第2曲 飛翔 ~Aufschwung~
第2曲 飛翔 ~Aufschwung~
苦しい。息が出来ない。
反射的に首元に伸ばされた彼女の細い腕をつかんだ。
開かない目を無理やり開き、薄れゆく意識の中で彼女を見つめる。
彼女は泣いていた。
笑いながら目元に涙を貯めている。
彼女は今、どんな気持ちなのだろう?
彼女と笑うことは出来た。
彼女と泣くことも出来た。
でも、彼女の気持ちは何時も分からない。
僕と彼女は違う生き物、だから分からないのかな?
それとも……
そんな事を考えながら、僕の意識は無くなった。
1
朝だ。昨晩、宿泊したホテルの一室。そこで僕は目覚めた。ベットの上で上半身を起こし、辺りを見渡す。
カナミが寝ているはずの隣のベットには誰も居なかった。僕は焦った。彼女に僕は置いて行かれたのかもしれない。昨晩の彼女とのやり取りを思い出し、僕は首筋を摩りながらベットを出ようとした。と、その時、後ろから抱きつかれた。
「おはよう、貴志」
「カナミ! 僕のベットで寝てたの?」
「うん。昨日の夜はごめんね。抑えきれなかったんだ」
「いや、気にしないで」
カナミは普通の人間ではない。人間の突然変異体、新人類のミトコンドリア・イブである。彼女は本能的に旧人類を殺したいと思ってしまうらしく、僕以外の人間は利用価値が無くなると本当にすぐ殺す。彼女と出会い、約半年の間にその光景は嫌と言うほど見せつけられた。
「もう二日も誰も殺して無かったもんね。僕の事は遠慮なく殺してくれていいから」
「ダメ、貴志が居なくなると色々と困るから」
カナミは僕の頭を撫でながら言った。どう考えても、普通の人間である僕を連れて、彼女が居た研究所から逃げるのは負担にしかならないと思う。彼女と出会い、最初の1週間ほどは、僕の目の前で次々に殺さていく人々を見ながら、僕もすぐに彼女に飽きられて殺されるのだろうと思っていた。もともと、その覚悟は出来ていたし、その瞬間を変な意味で期待さえしていた。しかし、彼女は今に至るまで僕を殺していない。昨晩のように殺そうとした事は何回もあった。でも、殺されない。今の僕にとって、彼女が全てなのは確かだが、彼女にとっても僕は何かしら特別な存在なのだろうか?
「そろそろ、お金も少ないしこの町で探そうか」
彼女は食べ物の話でもするかのように、にこやかに言った。この町で探そう、つまり殺してお金を奪う人間を探そうと言っているのだ。
強盗殺人、半年前の僕ならばニュースでその単語が出るたびに重苦しい嫌な気持ちにさせられた。しかし、人間慣れてしまうもので、自らも殺人を犯し、彼女と共にその補助を日常的にこなしていく中で、そのような感情は既に無くなってしまっていた。
「うん。じゃチェックアウトしようか」
「OK! さーて、着替えるか」
カナミは軽く背伸びをすると、手で僕に出ていくようジェスチャーした。身支度をするから出て行けという事らしい。僕は荷物をすぐにまとめて部屋を出ると着替えるため、フロアに設置されているトイレへと向かった。
2
着替えを終え、僕はホテル一階のフロントにあるソファに腰かけながらテレビを見ていた。
次々とニュースが読み上げられていくが、その中に僕らが関わったニュースは無い。逃げている立場もあり、僕らはなるべく殺す人は最小限に抑えている。逃亡資金の調達とカナミの本能的欲求を抑える以外の殺人は行わないし、場所も選ぶ。しかし、どんなに抑えてもこの半年で相当数の人は殺したし、カナミの突発的な欲求を満たすため往来のある場所での殺しも何回か行った。それでも、僕らの事はニュースにはならない。恐らくは、カナミの存在自体明らかにするわけにいかない、研究所側の工作なのだろう。そうだとすると、研究所は警察やメディアにも力が及ぶ存在と言う事になる。十中八九、研究所の裏には国以上の大きな組織がついている事になる。
「貴志、お待たせ」
カナミが降りてきた。彼女は紺色のブレザーに丈の短いスカートをはいている。以前、心臓のみを電気で止めて、綺麗に殺した女子高生が着ていた服だ。資金調達のために人を殺す際、カナミはこの服を着る。流れとしては駅前などの繁華街で彼女が適当な人物を選定し、いわゆる援助交際を持ちかける。そうして僕が控えている車へと案内をし、乗り込んだところで彼女が意識を奪う。そのまま車で人目のつかないところまで運び、彼女が望むように殺し、お金だけ奪いそこに放置するというものだ。
僕は立ち上がり、カナミと共にチェックアウトの手続きのためフロントへと向かった。フロントの若い女性スタッフはどこか幼い僕と女子高生姿のカナミのコンビを訝しげに眺めたが、それだけで特に何もなく手続きは終わった。
3
外は昨晩、降った雪が軽く積り真っ白な世界だった。僕らは新雪に足跡を付けながらホテルの駐車場へと向かった。
「さて、夕方まではだいぶ時間があるけど、何しようか?」
僕は愛車である黒いワンボックスタイプのライトバンに乗り込みながらカナミに聞いた。ちなみにこの車も、殺した人から奪ったものである。僕は逃亡中に誕生日を迎え15歳になったが、当然、車の免許など持ってはいない。独学で車の操縦方法を覚えたのだ。
「適当にドライブしようか。ご飯も食べないとね」
カナミは助席に座り、律儀にシートベルトを締めながら言った。
「分かった。じゃあ海沿いの道を走りながらご飯屋さんでも探そうか」
「海! いいね。それで決まり」
「了解」
彼女は海が好きだ。思い返してみれば、初めて出会った時も彼女は一人、海を見つめていた。
義父を殺し、自らも自殺するつもりで訪れたあの海岸。僕以外の人間はほとんど訪れないであろうあの岩場で彼女と出会い、僕は初めて恋をした。そして、形はどのようであれ、救われたのだ。僕は雪にタイヤを取られないように慎重に運転しながら横目で彼女を見た。
美しく長い黒髪に綺麗に整った顔立ち。見た目は深窓の令嬢といった清楚な感じだ。頭部は僕の手のひらより少し大きいくらいしかない。この頭に普通の人間の何倍もの処理をこなす脳みそが入っているのだから、少し不思議だ。そして、何よりも彼女の個性的な特徴はその瞳の色だった。彼女の瞳は朱色を帯びているのだ。カラーコンタクト等の人工的なものではなく、先天的に赤いのだそうだ。
「ねえ、貴志」
突然、彼女に声をかけられた。僕は運転に集中しながら返す。
「どうしたの?」
「私ね、研究所で閉じ込められながら、ずっとまた海が見たいて思ってた」
「うん」
「もう一度、海が見れたら死んでもいいて考えていたんだ」
「……」
「でもね、貴方に会って話しているうちに自分でもどうしてか分かんないんだけど、何故かまだ生きていたいて思うようになったの」
車は海岸線へと差しかかり、助席側からは海岸が望めた。カナミは窓を開け、海をみつめる。磯の香りが車内に充満した。
「次は、あの子達のようになりたい」
カナミは海沿いを低く飛び交う海鳥の群れを指さした。
「あの子達のように、自由に空を飛び回りたい。もちろん、貴志も一緒にね」
「うん。一緒に飛べたらいいね」
信号待ちのため車を止めた。カナミの言っていた海鳥の群れを見つめながら、僕は僕らの未来にそんな日が訪れるのか想像したが、すぐにやめた。
答えが明確だからだ。この時間は長くは続かないし、これ以上の幸せは望めない。
僕らは決して、彼らのように大空へ飛び立つことは出来ないのだから……
第2曲 飛翔 ~Aufschwung~ 完
第2曲 飛翔 ~Aufschwung~
読んで頂きありがとうございました<(_ _)>
今回の話は貴志視点で書いています。次作はカナミ視点の予定です。
ゆっくりめに更新すると言いましたが、割とアイデアが出てきて早めに更新できました。今後もお付き合いいただければ幸いです。
最後に世界観の補足ですが、物語の時代は現代の日本とほぼ同じだと思ってください。また、カナミの旧人類に対する殺したいと思う欲求は非常に強いものだと思って読んで頂ければと思います。この部分については今後、物語を進めるなかで、もっとうまく表現できればと考えています。