サマーブルー
青春小説です。ゆっくり連載していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
これからどんどん夏は終わっていきますが、気にせず連載していきます。
01
1
煩くなく蝉。止まらない汗。女子の制汗剤の匂い。ジリジリ照りつける太陽。冷房の音。青春の、季節。夏。
「あちー。あちーよー。あちーあちー」
ひんやり冷たい机に頬をつけて、制服のカッターシャツをパタパタさせながら、伊敷春孝は、大きな声でぼやいた。
「なに!なんでこんなに暑いの!!」
そんな彼が、うがー!と効果音でも鳴りそうな勢いで顔を上げた時、教壇に立つ担任教師、古沢にジロッと睨まれて固まった。当然である。なぜなら今は、一学期最後のホームルームの真っ最中なのだから。
「伊敷。俺の話、聞いてたか?」
生徒指導の担当でもある古沢は、ベッタベタなほどに、体育会系のおっさんである。当然ながら、その迫力もベッタベタなほどに、すさまじい。そして、たった今注意を受けた伊敷春孝は、校則違反の茶髪にピアスと、古沢には普段から何かと目をつけられている。
「き、聞いてました!聞いてましたよ!!」
「ほぅ、なら言ってみろ。俺は今何の話してた?」
腕組みをした古沢に睨まれた春孝は、慌てて右後ろを振り返る。そこに座る友人の、江波冬史に助けを求めるためだ。しかしその助けを求める眼差しは、一瞬目があっただけで、すぐに逸らされてしまう。
くそ!冬史のやつめ!そう心で毒づき、次に視線を向けるのは、左斜め前に座る沖城夏樹。こっちを向けと必死に念じるが、彼は涼しい顔でスルーした。察しのいい彼なら、間違いなく春孝が困っていることには気づいているはずだ。
「おい、伊敷。仲間に助けを求めずに、さっさと答えんか」
再び古沢に注意をされて、春孝は悔しそうに頭を掻いた。
「・・・・聞いてませんでした・・」
そして、ぶすっとそう答える。
「ったく、嘘をつかずに、最初からそう言え馬鹿者。じゃあ続き、夏休みの諸注意の③番からな、しっかり聞いとけよ」
古沢はそう言うと、再びプリントに目を戻す。
クスクスと春孝を笑うクラスメイト達をキッと睨みつけると、春孝は大人しく前を向いて、古沢の話を聞くことにした。だって、また当てられちゃかなわん…。
最後のホームルームの終わりを告げるチャイムが鳴る。つまりそれは、夏休み開始を告げるチャイムでもあるわけで。数人の生徒は、チャイムが鳴っているスピーカーを見上げたり、友達同士で笑いあったりしている。
「これで一学期が終わるが、みな気の抜けた夏休みは過ごすなよ。三年であるお前らには、勝負の夏だ。就職、進学、それぞれ目標に近づけるように、この夏休みを活用するように。以上、解散」
古沢はそう告げると、教室を後にした。幾人かの生徒からは「テンション下がること言うなよー」とブーイングが起きる。春孝はぐっと伸びをして、座りっぱなしで疲れた体を解すと席を立つ。
「フユ、お前何で目ぇ逸らすんだよ!」
春孝は、席を立ちくるりと振り返ると同時に、声を上げた。先に断わっておくが、この〝フユ〟と言うのは季節の〝冬〟のことではない。
「知らないよ。話を聞いてなかった、ハルが悪いんでしょ?」
そしてこの〝ハル〟も季節の〝春〟のことではない。
「冷たいヤツめ」
「自業自得だろ」
「あ、ナツ。お前、俺の視線に気づいてただろ?お前まで見捨てやがってよぉ…」
そしてそして、この〝ナツ〟も季節の〝夏〟のことでなはい。
伊敷春孝の〝春〟と、江波冬史の〝冬〟と、沖城夏樹の〝夏〟。偶然にも三人とも名前に季節の文字が入っている彼らは、その季節の文字をお互いのあだ名として呼び合っているのである。そんな彼らは、お互いの名字が名前の順で綺麗に三人並んだことから、高校一年の時仲良くなった仲良し三人組である。
ハルと呼ばれる伊敷春孝。彼は、三人の中で断トツの馬鹿である。自分で染めた茶髪を、毎朝時間をかけてワックスでセットし、右耳に二つと左耳に三つ空いたピアスホールには、リングピアスが収まっている。そんな出で立ちからは、想像もつかないほど人懐こく、天然である。運動神経は良いが、とにかく勉強ができない。それでいて校則違反しまくりなもんだから、生徒指導兼担任の古沢とは、しょっちゅう追っかけっこをする羽目になっている。
ナツと呼ばれる沖城夏樹。彼は、とにかく非の打ちどころのない青年だ。綺麗でサラサラな黒髪に、細くクールな瞳。黒縁メガネは、その整った顔に良く似合う。それだけではなく、勉強もできて運動もできる。当然女にも、モテる。かといって女タラシではなく、他校にいる彼女一筋ときた。まさしく、男の敵と言っても過言ではない男である。
フユと呼ばれる江波冬史。彼は、三人の中で一番背が低い。一番背が高い夏樹からは15cm、春孝からは10cmも差がある。華奢な体格に、童顔で中性的な顔立ちの彼は、もともと色素の薄い茶髪の長い前髪をくくって、頭の上でピンで止めている。そんな出で立ちで気も弱い彼は、女子にも男子にも、可愛いとからかわれがちだ。本が好きで、勉強も文系なら得意分野である。また、三人の中で、唯一運動が苦手。
さてそんな彼らは、七月も終盤に差し掛かった今日、高校生活最後の夏休みを迎えたのである。高校三年の夏、将来のことに追われる焦りと、終わっていく高校生活への寂しさと、暑い夏に高まる興奮。青春を感じずにはいられない彼らの夏休みが、今始まる。
02
2
伊敷春孝は、恋をしている。
相手は、彼の小学校からの幼馴染である、空木朱音。三年二組の春孝たちとは違い、彼女は三年五組だ。彼女を一言で表すなら、〝無〟である。とにかく何を考えているのかわからないほどに、感情が読み取れない。容姿はごく一般的に言う美人という部類に入るだろう。だからこそ余計に、彼女の感情が読み取れない〝無〟の表情が際立つ。しかし、春孝は言う。そこがいいんだと。
「なぁなぁ、どうしたらいいと思う?」
夏休みに入って数日が経過した今日、夏樹と冬史は春孝の家に呼び出されていた。そして、部屋に入って出された麦茶に口をつけた後の、彼の一言目がこれである。
「……なにが?」
無言で何も答えない夏樹とは違い、冬史は親切にも主語のない春孝の質問に、返答をする。
「明後日、S町で祭りあるじゃん?でさ、アキを誘おうと思うわけよ、俺は」
ここでのアキとは、彼の想い人である、空木朱音のことだ。もとは下の名前で呼ぶのは照れ臭いからと、空木と呼んでいた春孝だが、彼女に近づきたい一心で、彼女にも何かあだ名をつけられないかと考えた彼が、強引にも編み出したあだ名が、空木の〝空〟を〝アキ〟と呼ぶというものだ。あだ名が決まった時「春夏冬があって、秋がないのもなんだかつまんないしな!」と、彼は得意げに笑った。〝アキ〟と呼びだした彼に対する彼女の反応は、「うん、いいんじゃない?」と素っ気ないものだったが、春孝はとても嬉しそうに何度も〝アキ〟と彼女を呼んでいた。
「で?誘えばいいんじゃない?」
さっそく春孝のベッドで漫画を読みだした夏樹は、漫画に目をやったまま答える。
「だーかーらー、そんなさらっと誘えるなら、お前らを呼び出したりしないっての!」
「でもさぁ、空木さんとハルは幼馴染なわけでしょ?そんなのさらっと誘える程の仲じゃないのが、不思議だよね。幼馴染の仲って緊張とは無縁のもんだと思ってた。こう、もう家族みたいなもんです!って感じのさ」
唇を尖らせて夏樹に抗議する春孝に、冬史は頬杖をついて答える。
冬史と夏樹は、朱音のことをアキとは呼ばない。彼女のことをアキと呼ぶと、春孝が拗ねるのだ。「自分が必死に考えたあだ名だ、気安く呼ぶな」と。気軽に呼べるからこそのあだ名だと思うのだが、大人しく彼らは彼女を名字で呼んでいる。
「幼馴染って言ってもさ…す、好きって、思っちゃうと、無理なもんなんだよ…」
春孝は、頬を染めながら、眼を逸らす。
「そう?俺別にユリと付き合うまでも、付き合ってからも、特に緊張した覚えないけど?」
そう答える夏樹が言うユリとは、夏樹の他校の彼女の名前である。
「お前はイケメンで、自分に自信あるからだろーが!!」
自分の後ろのベッドを振り返り、寝転がる夏樹に春孝は吠えた。
「まぁまぁ、落ち着きなよハル。ナツも意地悪言わないの」
「うっせー、童顔チビ!」
「は!?八つ当たりすんなよ!」
「もー、どうすりゃいーんだよ!なぁ、どーすりゃいーの!」
春孝は、顔を押さえて泣き真似をしながら嘆く。
「もー、じゃあメールとかで誘ってみたら?直接言うよりマシでしょ」
「メール…。なんて打ったらいい?」
「うーん…。普通に、明後日暇だったら、祭り行かない?とかでいいんじゃないの」
「そんないきなり祭り誘ったら、何で?ってなるだろ!」
携帯を取り出した春孝は、メールの画面を開いて、頭を抱える。
「だったら、軽く世間話でもしてから誘えば?」
呆れたように漫画から顔を上げ、夏樹が春孝の携帯を取り上げた。
「えーと、国語の課題の…読書感想文…なに…読んだ?…と。送信」
「あぁぁぁぁぁ!お前、何勝手に送ってんだよ!」
春孝は叫びながら携帯を取り返すと、送信済みの画面を見て顔色を真っ青にした。
「あぁ、いきなりメールなんかして、何だとか思われてないかな…」
「だ、大丈夫だよ、ハル」
「別にこんくらい普通だっての」
「うっせーイケメン腹黒メガネ!!」
「あーほら、返事来たんじゃね?携帯光ってる」
取り乱して怒る春孝をさらっと流して、夏樹はテーブルの上で光る春孝の携帯を指さした。
「うお!来た!来た来た!」
「空木さん、なんて?」
さっきまでの怒りはどこに行ったのやら、嬉しそうに携帯を見つめる春孝に、冬史は聞く。
「まだしてない。だってよ!」
「相変らずクールだねぇ…」
嬉しそうに答える春孝に、冬史は苦笑する。
「なんて返事したらいい?なぁ!」
さっきは勝手に送られて怒っていたくせに、後ろのベッドに寝転がる夏樹に春孝は聞く。
「そっかー。そういや明後日ってヒマ?って聞け」
「よ、よし、わかった!」
春孝は真剣な表情でメールを打つと、無駄に腕を高く上げて送信ボタンを押した。
携帯を正座してじっと見つめる春孝に、冬史と夏樹は顔を見合わせて苦笑する。そして程なくして、再び携帯が受信を知らせる光を灯した。
「き、来た!来た!」
「おー、なんて?」
興奮する春孝に夏樹は聞く。
「特になんもないけど。だって!」
「お、やったじゃんハル!祭り誘いなよ!」
「お、おう!祭り…一緒に…行かない?これでいいか!?変じゃねぇか!?」
急かす冬史に、春孝は打ち込んだメール画面を見せて、何度も確認する。
「変じゃねーよ。ほら、送れ」
夏樹も体を起こして画面を確認すると急かす。
「そ、送信!」
またもや春孝は、腕を高く上げると、送信ボタンを押した。春孝の心の中は、彼女と祭りに行きたい。ただその想いで溢れていた。
再び、受信を知らせる光がともる。
「き、来た…」
春孝は不安げに携帯の画面を見つめる。薄目で画面を見ながら、メールを開いた。その様子に思わず夏樹と冬史も、ごくりと唾を呑む。
「ど、どう?」
「………て…」
「え?」
返事を聞く冬史に、小さな声が返ってくる。
「いいって!!ヒマだから行く。って!!」
再び聞き返した冬史に、今度は満面の笑みと大きな声が返ってきた。
「おぉぉぉぉぉ!!」
「やったな!」
思わず、夏樹と冬史は顔を見合わせて、拳を作ってガッツポーズをした。
その後、時間と待ち合わせを決めるメールを、また三人で打つ。春孝は、終始嬉しくてたまらないといった様子で、携帯の画面を眺めていた。
03
3
二日後、春孝は気合を入れて、アキとの待ち合わせ場所に立っていた。ソワソワと辺りを見回しては、腕の時計で時間を確認する。気合を入れすぎて、待ち合わせ時間にはまだ早い時間に来てしまっていた。
「あいつ、もう来てんのかよ…」
「俺達も、見失ったら困るからって、早く来たのにね」
さてこの二人、何をしに来たのかと言えば、春孝の念願のデートを見物に来たのである。冬史はメガネをかけて服のフードを被り、夏樹はキャップを目深に被って変装をしている。
「そういやナツ」
「なんだ?」
「ユリちゃんと祭りデートは良かったの?」
冬史は、背の高い夏樹を見上げて聞く。
「ん?あぁ、何でも今日は塾なんだと」
「へぇー、えらいなぁ。さすが国立大目指してるだけあるね」
「……そうだな」
夏樹の彼女は、国立大を目指している。なんでも夏樹が受ける国立大に一緒に進みたいからという理由らしい。夏樹はそれを少し不満に思っている。以前彼は「自分の進路を、人に左右されて決めるなんて、おかしいだろ」と、そうぼやいていた。
「お、来たな」
しばらく春孝の様子を伺っていると、彼の想い人である朱音が姿を現した。
「浴衣じゃん。意外だね」
「浴衣とか怠いって言って、着てこなさそうなのにな」
朱音は藍色の浴衣に身を包んでいた。肩までの黒髪には、控えめな髪留めがついている。春孝は少し離れたこの位置からでもわかるほどに、見惚れて固まっていた。
「あいつ、固まってやがる」
「まぁ、〝可愛いよ〟とか気の利いたことは言えないだろうね。空木さんの前だと、シャイで緊張しいだから」
二人は頭を抱えて、ため息を吐いた。
「もう来てたんだ。待たせたよね、ごめん」
そう言って登場した彼女は、いつものように無表情で、〝ごめん〟の言葉も心からの謝罪のようには到底見えない。でも、春孝はそんな彼女が好きなのだ。浴衣で着飾り、いつもと雰囲気の違う彼女に、声も出ないほどに見惚れる程度には。
「お、おぉう。ま、待ってねーよ!全然!」
ようやく絞り出した言葉は、どもりまくりの情けないものだった。
「そう?ならいいけど」
そんな春孝に対し、朱音は冷静だ。
「ど、どこから回る?食いたいもんとかあるか?」
少し離れたところにたくさん立ち並ぶ屋台に目をやり、春孝は彼女に問う。
「特にないけど、晩御飯は屋台で済ますつもりで来たの。だから何か食べるつもりではあるわ」
「そうか!じゃあ、花火まで時間も結構あるし、適当に回ろうぜ!」
春孝はそう言って、彼女を促して歩き始めた。当然二人を見守るつもりの後方の影二つも、歩きだした。
「春孝、浴衣なんて持ってたのね」
朱音は、春孝が来ている黒の浴衣に目をやりながら聞く。
「お、おう。だいぶ前にな、買ったんだ」
嘘である。朱音との祭りの約束にこぎつけたあの日、冬史と夏樹を引きずって、買いに行ったのだ。色んな浴衣を時間をかけて吟味しては、二人に意見を求める春孝に、面倒くさそうにしながらも二人は付き合って浴衣を選んでくれた。
「そう。良く、似合ってるわ」
「えっ?」
まさかの反応に、春孝は唖然として固まる。そして一瞬にして顔に熱が集まった。
「たこ焼き、おいしそうね」
そんな春孝を見もしないで、朱音はたこ焼きの屋台へと、歩きだした。
「……反則だろ」
春孝は、真っ赤に染まった顔を押さえて呟くと、人込みで逸れないようにと彼女の後を追った。普段クールな彼女からのまさかの発言に、録音しとけばよかったと、そう思ったのは内緒だ。
「なにあいつ。何であんな真っ赤なの?」
「さぁ?あれ、顔押さえてる。泣いてんの?」
「あー、嬉し泣きじゃね?祭り来れて、浴衣姿見れて」
「もしくは鼻血出してるのかもね」
「あー、ありそう」
幸せそうな春孝の後ろを、こそこそと着いて行く男二人。この二人は、前を歩く青春真っ盛りな二人とは対照的に、はたから見れば怪しく、祭りに男二人で来る寂しい男達にしか見えないことを、まだ自覚していないのだった。
04
4
「たこ焼き、美味しかった」
朱音は、空になったたこ焼きのパックをごみ箱に捨てながら言った。
「そっか、良かったよ。次はどうする?まだなんか食べる?」
「んー、とりあえず食べ物は、いいかな」
「じゃあ、何か遊ぶか」
春孝は、顎に手を当てて、辺りを見回す。
「春孝は、何かしたいこととか、食べたいものとかないの?」
「え?」
「春孝、さっきから私のしたいことばかり聞いてる。私だけが祭りに来てるわけじゃないわ。春孝のしたいこともしましょう?」
春孝の目を見つめてそう言う朱音を、春孝は見つめ返す。春孝が朱音を好きな理由の一つが、こういう所だ。
朱音は、普段から気持ちを表に出さない。そのことから、冷たいだとか、何を考えているのかわからないと言われがちだ。また、誤解だって受けやすい。でも、春孝は知っている。朱音が、こうやって優しい人だということを。表情には出さないが、こうやって言葉に出してくれることだって、ちゃんとある。朱音は、優しくて、良い子なのだ。
「俺は、そうだな。射的とかしたいかも」
春孝は、笑って言う。嬉しいのだ。朱音の口から、春孝を思いやる言葉を聞けたから。
「…じゃあ、行こ」
朱音は、そう言うと、射的の屋台を探して歩き始める。素っ気なく歩きだす彼女だけど、きっとそれは照れ隠し。だって、声が少し、動揺してる。
「…アキ……い?」
「え?」
少し前を歩きだした朱音にかけた言葉は、彼女には届かないまま、人混みに吸い込まれて消える。
「何か言った?」
「あ、あぁ、なんでもない。行こう」
聞き返す朱音に、春孝は笑って首を振った。
また、後で言おう。「アキ、手、つながない?」って。きっと、勇気が出たら。照れ隠しで足早に、先を歩きだした彼女を見た時、思ったんだ。手をつなぎたいなって。人も多いから、逸れないようにって、理由をつけて。
「あ、射的あったよ」
「ん?お、ほんとだ」
屋台を示す朱音の指の先に、ポップな文字で〝しゃてき〟の文字を見つける。そんな春孝たちに、屋台のおじさんの威勢のいい声が飛んできた。
「そこのお二人さん。やってくかい?」
「あ、はい。一回お願いします」
「ありがとよ!一回三百円!」
お金を渡して、鉄砲を受け取る。
「アキ、何か欲しいものあるか?」
横に立つ朱音に目をやって聞く。それを見たおじさんが、視界の端で微笑ましそうに笑ったのが見えて、少し照れくさくなる。カップルに見えてたりして、なんて、つい思ってしまう。
「じゃあ、あのマスコットのキーホルダーがいい」
「ん、りょーかい!」
「頑張んなよ、兄ちゃん!」
朱音が指さしたキーホルダーを真剣に見据えて、狙いを定める。チャンスは五回。良いとこを見せるんだ、なんて考えて、引き金を引いた。
「はい、これ」
春孝の打った弾は、五回目にして目当てのものを倒した。女の子に人気の、有名なマスコットのキーホルダー。朱音はそれを受け取ると、「ありがとう」と、相変わらずの無表情で言った。でも春孝にはわかる。朱音は喜んでるんだってことが。だってキーホルダーを持つ彼女の両の手が、とても優しく、まるで両手で包むようにしてキーホルダーを握っているから。
「もうすぐ、花火始まるな。花火の前に、何か買って場所取りに行こう」
「そうね」
そう言って、春孝と朱音は、かき氷を二つ買うと花火が見える場所まで、歩きだす。
人が多い中、他愛もない話をしながら歩く。夏休みの課題がどうだとか、あの先生が何をしただとか、そんなことをただ話す。
「でさ、そんとき古沢が、俺を追っかけてきたわけ」
「春孝は、校則違反しすぎなん……きゃっ!」
「アキ!?」
朱音の話声が途中で中断されたことに驚いて振り返ると、朱音と通行人のカップルがぶつかっていた。地面には朱音の手から落ちたかき氷がぶちまけられている。
「大丈夫か!?」
「あ、うん…」
慌てて朱音に駆け寄ると、朱音の浴衣はかき氷で濡れてしまっていた。
「おいおい、しっかり前見て歩けよ」
「…すみません」
「あ?お前、謝るなら申し訳なさそうな表情しろよ。舐めてんのか?」
ぶつかったカップルの男の浴衣もかき氷で濡れてしまったようで、男は不機嫌そうに朱音に詰め寄る。朱音の謝罪はやっぱり無表情で、男の機嫌を逆撫でしてしまったようだった。
「すみません」
「こいつわざとぶつかったわけじゃないんです。勘弁してやってください。ごめんなさい」
もう一度謝った朱音は、頭を深く下げた。春孝も一緒に頭を下げる。その時、頭を下げた朱音の手が、少し震えているのが見えた。
「謝ったら済むと思ってんの?こっちは浴衣、汚されてんだぜ?」
「ごめんなさい」
春孝は、もう一度謝る。
「だからー、謝罪じゃなくて…」
「おいおい、見ろよ!何かもめてるぞ!」
「え!?なに!?やばい感じ!?」
さらに男が詰め寄ろうとしたとき、騒ぎに気付いた通行人の声がした。その声に釣られて、他の通行人が春孝たちに不審な目を向けだす。それによって男は居心地が悪そうに舌打ちをすると、彼女の手を引いて行ってしまった。
「アキ、浴衣汚れたろ?平気か?」
去っていった男と女の背中が人混みに消えたころ、春孝が朱音を振り返って聞く。
「あ、うん。少し汚れただけ…」
「水で拭いて、汚れ取らなきゃな。行こう」
春孝はそう言うと、まだ少し震えてる朱音の手を取って、歩きだす。
「人、多いからな。逸れると困るし…」
照れくさくて、前を向いたまま、春孝はそう呟く
「……うん、ありがとう、春孝」
少しして、朱音の小さな声が耳に届いた。
「おいおい、手つなぎやがったぞ」
「ハルにしては頑張ったね」
「変な奴に絡まれた時はどうなることかと思ったが…」
「助け出せて良かったよね」
「声でばれないかと心配だったけどな」
「ナツ、すこーし声高くして〝何かもめてるぞ!〟って言ってたね」
「馬鹿にしてんじゃねーよ。お前も、声低くしてただろ!」
春孝と朱音が手をつないで前を歩くのを見ながら、後ろで夏樹と冬史は楽しそうに、それぞれ買った、わたがしと林檎飴を齧った。
05
5
春孝は、人の少ない場所まで朱音を連れて行くと、縁石に彼女を座らせた。
「ちょっと待てな?」
そして、来る途中に自販機で買った水をあけて、自分のハンカチに染み込ませると、朱音の浴衣の汚れた部分を叩く。
「少し濡れるけど、我慢しろよ?」
「うん、大丈夫…」
しばらく無言が続く。なんだかむず痒くて、春孝は朱音を見る事が出来なかった。
「春孝、ごめんね」
「え?」
そんな沈黙を破ったのは、朱音の謝罪の言葉だった。
「さっき、私のために謝らせちゃって」
「あぁ、気にすんなよ。あんなの平気だって」
「うん…」
「それにさ、俺は、わかってるから」
春孝は、手を止めて朱音を見上げる。今は縁石に座る朱音の方が、しゃがんでいる春孝より目線が高い。
「アキが、ちゃんと申し訳ないって思って謝ってたことも、あの男にキレられて、怖がってたことも。それに待ち合わせの時、待ってた俺に悪いなって思ってたことも。射的で俺がとったキーホルダーを嬉しがってくれたことも。全部、全部、俺は、わかってるから」
「春孝…」
「何年一緒に居ると思ってんの。みんながアキのことわかんなくても、俺には手に取るようにわかるよ?照れてる時だって、嬉しがってる時だって、悲しんでる時だって、どんなにポーカーフェイスでも、わかるんだから」
春孝が朱音を見つめてにっこり笑うと、朱音は珍しくそのポーカーフェイスを崩して、少し驚いた顔をする。そして、眼を逸らす。
「今、照れたでしょ?」
「…っうるさい」
「あはは!珍しく動揺した!」
笑いながら、春孝は再び朱音の浴衣を叩きだす。お蔭で汚れはだいぶマシになった。
「春孝」
「んー?」
「ありがとう」
「え?」
「お礼、言ってなかったから。今日のこともだけど、私のこと理解してくれてることも、すごく感謝してる。ありがとう」
朱音は、滅多に見せない笑顔でそう言った。
「…っそんなの…アキのためなら、お安い御用だよ」
その笑顔に動揺した春孝は思わず「だって好きだから」と、口走りそうになった。慌ててその言葉を飲み込む。その途端顔に熱が集まって来て、思わず顔を伏せた。手に持つハンカチを、ジワリと汗の掻いた手で握りしめる。
「春孝?」
不思議に思った朱音が、春孝の顔を覗き込もうと、前のめりになった。
「…っアキ!」
それと同時に春孝が、顔を上げる。なんて言おうとしているのか、そんなことは春孝にもわからなかったけれど、衝動的に顔を上げた。
「「……!」」
当然お互いの顔が間近にあって、目が合った二人は、驚いて息を呑んだ。
「あ、えっと…ごめん…」
先に動いたのは、朱音だった。先ほどと同様、照れて目を逸らすと、動揺して真っ赤になった顔のまま、慌てて体を放す。
「あ…うん」
春孝は、それを阻止する勇気もないまま、ただ顔を俯けた。
春孝は、「ずるい。卑怯だ」そう心の中で呟く。だっていつもは、あんなに無表情じゃないか。それなのに今日は、浴衣なんて着て、動揺して表情崩して、おまけに笑って見せて…。こんなの、抑えられるわけない。
「アキ」
「え?」
春孝は、再び顔を上げる。そして春孝を見た朱音の目を、しっかりと見つめた。
「アキ、俺…お前のこと…」
「好きだ」と言った言葉は、花火の音に、かき消された。
「え!?なんて!?」
どおぉん!と大きな音を上げて、花火が朱音の後方で大きく開く。綺麗に重なったタイミングと、思った以上の音と迫力に呆気にとられて、見入ってしまった。
「春孝!なんて言ったの!?」
先ほどの声は聞こえなかったのかと判断した朱音は、今度は春孝の腕に手をやって、もう一度声を張り上げた。その背後では次々と花火が上がる。
春孝は、一度下を向いて苦笑する。
「あー、なんでもない!!」
そして顔を上げると、朱音に笑ってそう言った。
「花火!綺麗だな!」
朱音の後方を指さして、そう言う。
「うん!綺麗!」
朱音は振り返って花火を見ると、春孝に聞こえるようにと声のボリュームを上げて、そう言った。
春孝は、朱音の隣に腰を下ろす。朱音もそれと同時に、花火が正面から見えるようにと、座りなおした。そして、花火が全て打ちあがるまで、ただただ隣に座って、二人で静かに眺め続けた。その沈黙は先ほどの沈黙とは違い、むず痒くはなくて、同じように照れくさいはずなのに、何故か心地よかった。
「ハルたち、良い雰囲気だねぇ」
「だなー」
「俺たちは、男二人でこんな綺麗なもの見て、なにしてんだろう」
「言うな、馬鹿」
「ハルが手つないだころから、ちょっと思ってたんだよね」
「……」
「あ、もしかして、ナツも思ってた?」
「うるせぇ、俺は彼女いるから!お前とは違う!」
「うわ!何それ!嫌味かよ!!」
「うっせ!俺は来ようと思ったら女と来れんだよ!」
「はぁ!?でも実際俺と来てることに、変わりはないから!!」
「黙れ!童顔チビ!」
「なにさ!腹黒メガネ!」
打ち上げられた花火の光に照らされて、寄り添う影が二つ。その二つの影から離れた場所で、向かい合って言い争う影が二つ。まぁ、何にせよ、伊敷春孝の念願の祭りデートは、無事に終わったのだった。
06
6
江波冬史は、悩んでいる。
原因は、塾での模試の結果だ。文系は得意な彼だが、理系はとにかく苦手。特に数学。そんな彼の手には、先ほど授業の終わりに塾の講師から返された、赤い×がたくさんついた数学の答案用紙が握られていた。
「はぁ…」
塾の帰り道、薄暗い夜道を歩きながら小さくため息を吐いた。
「これきっと、母さんキレるな」
そう思うと、ますますテンションが下がった。
冬史の母親は、所謂教育ママというやつだ。成績に煩く、高校に入る前までは習い事もかなりやらされてきた。高校に入学してからは、冬史が反抗することも増え、また父親が理解がある方だったため母親を説得してくれて、煩く言われることも減っていた。しかし高三になり、大学受験を控える時期に入ったこの頃は、また再び口煩くなってきていた。
重い気分のまま、玄関のドアを開ける。いっそのこと寝ててくれないかなんて願うけど、時間的にありえないし、きっと冬史を待ってご飯すら食べていないだろう。
「ただいま」
いつもよりほんの少しボリュームを下げてそう言った。
「冬史、おかえりなさい」
だけどすぐにリビングから顔を出した母。そんな彼女に冬史は「ですよね」と言ってしまいそうになるが、慌ててその言葉を飲み込んだ。
「ご飯、出来てるわよ」
「うん」
にこにこと話す母にそう答えながら、冬史は靴を脱いで揃えるとリビングへ向かう。
リビングでは風呂上がりの父が、下着姿でビールを飲みながらテレビを見ていた。
「おう、おかえり!」
「ただいま父さん。今日は早いんだね」
「ん、たまたま早く仕事片付いたんで、まっすぐ帰ってきたんだ!」
「へぇ、珍しい」
「どうせ、飲みに誘っても行くって人が居なかったんでしょ」
得意げにビールを飲む父に、母は食卓にご飯を並べながらそうツッコむ。
父が居るなら、ラッキーだ。母に模試の結果を聞かれても、父がなんとか収めてくれる可能性がある。そんなことを考えながら、冬史はリビングのソファーに鞄を置いて、ダイニングテーブルに腰を下ろした。
「沙雪―!ご飯よー!」
母が二階に居るであろう妹の沙雪に声をかける。すぐに返事が返って来て、ドタドタという足音と共に妹が姿を現した。
「あー、お腹空いたぁ。お兄ちゃん帰ってくんの遅いのよ」
「しょうがないだろ、塾なんだから」
「ほらほら、食べるぞ。うまそうだなぁ」
「何よ、わざとらしい。そんな風に言うなら、普段から飲みにばっか行かないで、家で食べれば?」
「あはは、沙雪は厳しいなぁ」
「高校入ってから、また一段と生意気になっちゃって…。あ、そう言えば冬史。模試の結果出たんでしょう?どうだったの?」
母が最後に席に着きながら、そう口にする。冬史はいただきますと合わせかけた手を、机の上に下ろして、バツが悪そうに母を見た。母は「ん?」と不思議そうに首をかしげる。
「模試の結果なんて後でいいじゃん。お腹空いてんだから食べるよ?いただきまーす」
何と答えるか迷っていると、沙雪がそう言いながら箸を手にして食べ始めた。
「そうだな、冷めるもんな!いただきます!」
父もそう言いながら箸を手にして手を合わせる。そしてなんとなく察したように冬史を横目で見ると、にっこり笑って「ほら、お前も食え!」と言った。
「あ、うん。いただきます」
「そう?じゃあ冬史、あとでね。いただきます」
母もそう言うと、ご飯を食べ始める。冬史はそんな母に小さく返事をかえしながら、味噌汁のお椀に口をつけた
静かな食卓に、テレビの音が少し響く。江波家では、食事の時間はいつも静かだ。でも今日はきっと違う。なぜなら父が居るから。
「冬史、学校はどうだ?」
そう言った父を見ながら、「やっぱりね」と冬史は苦笑しながら思う。
「普通だよ」
「そうか!普通か!沙雪はどうだ?」
「普通だよ」
「沙雪も普通かー!」
「お父さんうるさい。黙って食べて」
そんな沙雪の冷たい言葉にすら、父は嬉しそうに笑う。
冬史の父は、ごくごく普通の父親だ。特別男前なわけでもないし、稼ぎがいいわけでもない。仕事帰りにはよく飲みにも行く程度にはお酒を好み、忙しい仕事に追われて家族とご飯を食べるのは休日だけ。そんな普通のサラリーマン。
でもそんな父は、普通の人より良く笑う人だと、冬史は思う。そしてとても人が良い。普通のサラリーマンと同じような生活をしているのに、父はきっと普通のサラリーマンより良く笑っているはずだ。それはきっと、家族を愛していて、仕事を愛していて、日常を楽しんでいるからだと、なんとなくそう思う。そしてそんな父は、冬史の良き理解者だ。
「冬史、友達とはうまくいってるか?」
「うん、こないだ祭り行った」
「お?S町のやつか?父さんも良く行ったなぁ」
そう言って、父は懐かしそうに目を細める。
「祭りなんか行ってるヒマあるの?高三なんだから、それくらい我慢して勉強しなさい」
しかし母は、不満そうにそう言って冬史を見た。
「いいじゃないか。息抜きにもなるし。S町のは花火がでかくて、綺麗なんだよなぁ」
「あー、うん。綺麗だった」
そう言って笑いかける父の横で不満そうな顔をする母をちらりと見て、冬史は頷く。
「だろう?沙雪も行ったか?」
「うん。みっちゃんたちとね」
「そうかそうか!久しぶりに行きたいなぁ。なぁ、母さん。来年は休みをとって行こうか」
相変らず不満そうな母に、そう笑いかける父。そんな父に仕方ないと、母はため息を一つ吐くと「そうね」と言って苦笑する。
父の裏が全くないことがまるわかりな、子どものような笑顔は、相手の人をも巻き込んで笑顔にする力がある。
「夫婦で祭りデートって…。歳考えなよ」
高校一年生で思春期真っ盛りの娘を除いて、だが。
でもそんな父を、冬史は密かに頼りにしているし、尊敬もしている。
サマーブルー