おしまいの日

人生最後の日をどんな風に過ごしたいか、という質問を唐突にされ、しばしたじろぐ。


そんなこと、怖くて考えないようにしていた。
自分の人生の最後についてなんて、あまり考えたくはない。
が、よくよく聞いてみると、あくまでも想像の話なので好きに決めていいのだと言う。

なんだ。そうか。好きに想像すればいいのだ。
と、のんきな気持ちになったら、深く考えずにこんな光景が浮かんだ。


そこがどこなのか、私にも分からない。
ゆるやかな傾斜のだだっ広い丘の一面に、青々とした草がやわらかく生えている。
丘を上った向こうには何があるのだろう。
下から見上げると、その先には雲の広がる青空がただ広がっているだけである。


風は強くもなく弱くもなく、時折さわさわと吹いて額を涼しくする。
汗がにじむほどの暑さでもなく、冷えるほどの寒さでもない。
長袖一枚くらいでちょうどよく過ごせるような、実に快適な陽気なのだ。


丘の斜面に、少しずつわらわらといろんな人が集まってくる。
知っている限りの人に声をかけて、大勢集まってもらったのだ。
特別な日だから、誰でも彼でも呼んでしまう。
苦手だと思っていたあの人やこの人も、今日くらいはいてもいいことにする。


そこかしこに数人のグループができて、草の上にシートを敷いたりして
なんとなく軽い宴会のようなものが始まる。
小さい子供もいたりするので、みんなお酒はほどほどに
悪酔いして騒ぎ立てるようなこともしない。

どちらかというと食べる方がメインで、おにぎりやサンドイッチ、からあげや魚の照り焼き、
野菜の煮物やサラダやフルーツなど、それぞれが食べたいものを好きなだけ頬張る。
お隣のグループが初対面の人たちでも、青空の下おいしいものを食べるという共通の楽しさがあるため、
みんなすぐに打ち解けて飲み物や食べ物を気軽に分け合っている。


そんな中、今日の密かな主役である私は、丘の斜面に散らばったたくさんのグループの中を
少しずつ移動しながら回って歩く。
あるところでは酒を注いでもらい、あるところではおかずをつまみ、あるところでは手作りのケーキを分けてもらう。

くだらないことで涙が出るほど馬鹿みたいに笑ったり、誰かのいい話を聞いてじーんとしたりする。
そんな風に、さりげなく、一人一人の顔を見て回っていく。


全てのグループを回り終わると、もうお腹もいっぱい、しゃべり疲れて喉も少し嗄れている。
みんながいる丘の斜面をもう少し下ったあたりに、数本の木が並んだような小さな林がある。
私は輪の中をこっそり抜け出して、林の陰の草の上にごろんと横になり、
ぐううううと大きく伸びをする。


なんと楽しかった一日だろう。
久しぶりに会えた人もたくさんいる。
苦手だったけど、きちんと話してみたら良いところを見つけられた人もいる。


空はどこまでも高く晴れ渡り、涼しい風がずっと吹き続けている。
ご飯もお酒もデザートも、とってもおいしく頂きました。
満足満足。満腹満腹。
そうしてそのまま力を抜いて、気持ちよく大の字になったまま、目をつむる。



そこで、終わる。



私の人生が終わったことに、みんなまだ気がついていない。
日が暮れるまでにはもう少し時間があって、
そこかしこでおしゃべりは続き、その合い間に飲み物や食べ物を互いに勧めあう。
さわさわと風に揺れる草の上を、みんなの笑い声が丘の上まで上ってゆく。
その先には、相変わらずの真っ青な空。



・ ・深く考えずに浮かんだ光景にしては、悪くないと思う。
決して広いとは言えない交友関係ではあるけれど、みんなにいっぺんに会ってしまうというアイディアも気に入っている。


もちろんこれは私が勝手に想像した、おとぎ話のようなものでしかない。
おしまいの日のことは、自分でも分からない。
でも、なかなかよかったのではないか。


なかなかよかったのではないかと思う。

おしまいの日

おしまいの日

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-09-06

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