愛しの都市伝説(5)
五 コンコン伝説
商店街のはずれに神社がある。神社と言っても、小さな鳥居と小さな社があるだけだ。手水も拝殿も、控え所もない。地元の氏神様で、コンコン様と崇められていた。名前のとおり、狐を祭っていた。
普段は、近所の人が、散歩がてらに手を合わせたり、掃除をしたりするぐらいだが、年に一回は、祭りが行われた。祭りと言っても、商店街が客を呼ぶために、コンコン様に名を借りたイベントとなり、形骸化していた。その形だけのお祭りも開催されなくなって久しい。コンコン様のことは地元の人からも忘れ去られていた。 その社の中から、扉を開けてそっと窺っている者がいた。コンコン様だ。
「いやあ。昔はよかったなあ。みんな、オイラのことを信じていてくれた。そのお陰で、人に夢を与えることができたんだ。
例えば、商店街での収穫祭。商店街の歩道に稲を植え、稲穂が垂れると、商店街の連中に稲を刈り取らせ、そのお米で餅をついて、地元の人だけでなく、商店街を訪れるお客さんに振る舞ったんだ。それが幻想でも、みんは、一生懸命、汗をかき、稲を刈り取り、その米を蒸して、木の臼で餅をついたんだ。誰も幻想だなんて思わなかった。信じて疑わなかった。コンコン。
他に何があったっけ。そうだ、虹のかけ橋だ。商店街の入り口から出口まで、虹をかけたんだ。そりゃあ、子どもたちは喜んだ。虹を渡れるんだから。市内各地から、この商店街に人が集まり、親子で虹を渡ったんだ。中には、虹の橋から落っこちる子どもいたけど、虹の下には雲のクッションを敷き詰めていたから、怪我をすることはなかったんだ。コンコン。
雲のクッションに寝転びたいために、虹の橋の上から飛び降りる子どもたちもいたっけ。一日、商店街は人で溢れ返った。みんな、幻想を心から楽しんでくれたんだ。コンコン。
それから、大縄跳び。オイラの九つの尻尾を使って、縄跳びをしたんだ。最近の小学生は、運動不足で、その癖、栄養だけは、ジャンクフードばかり食べて、素材をそのまま生かした喰いもんなんて食べなくなったからなあ。調理してんだけど、素材の形が分からないから、魚だって刺身のまま泳いでいると思っているし、ごはんの上に切れ身が乗ったまま、海でぐるぐると回転していると勘違いしてんじゃないのかなあ。円盤状の輪切りの牛がいるとか、串に刺さったまま鳥が空を飛んでいると思っているんじゃないだろうか。
だからこそ、街に来て体を動かしてもらわないといけないんだ。少年よ、ゲーム機を捨て、街で遊ぼうだ、一人でする縄跳びはつまらないけれど、みんなでする大縄跳びなら楽しいはずだ。しかも、縄が一本じゃなくて九本なら飛びがいがあるはずだ。でも、九本もあればすぐに引っ掛かって、面白くないじゃないか、だって。そこは、こちらも考えているよ。尻尾をゆっくり動かしたり、わざと、地面につけたりして、みんなが飛べるようにしているんだ。
他に何があったっけ。コンコン様にちなんだ、仮装行列だ。これは、幻想と現実がないまぜになった、一大イベントだった。 参加者は、みんな、思い思いに、顔に墨や絵の具で染めたり、服装も、きつねやたぬき、はてまた、ゆるキャラの着ぐるみを被ったり、正義のヒーローやマンガの登場人物に扮したりした。これは、現実。そして、行進したんだ。コンコン。
もちろん、先頭はキツネの花嫁。あの狐(こ)、可愛かったなあ。当り前か、オイラの願望が花嫁になったんだもん。その後ろを、様々なコスチュームの人間たちが練り歩く。そして、圧巻が、花火。行進が終わり、夜も更けた頃に、商店街のドームの屋根が開く。そこには満天の星空。その星空に、花火が打ち上がる。
第一章が、生き物たちが動き出し、植物が芽吹き、満開の花を咲かせる春。夜空がピンク色に染まったっけ。第ニ章が、夏。天の川をバックに、宇宙の神秘を醸し出す無数の星をイメージした花火の乱舞。第三章が、収穫のお祝いの秋で、お米やさつまいも、みかんに栗、これ、全部、オイラの大好物、が、花火の形となって打ち上げられる。そして、大収穫祭をテーマに、フィナーレ.は、オイラのあの狐(こ)の顔が花火となる。よかったなあ。コンコン。
あの頃の賑わいは、夢だったんだろうか。半分夢でもあり、半分現実だったのかな。もちろん、このオイラ自身も夢の存在なのだけど。コンコン。 こうしたお祭りもなくなり、今では、誰も、オイラを祭ってくれなくて、社も朽ち果て、やがて消えていくのかなあ。コンコン。これは、鳴き声じゃなく、咳だ。戸の隙間から風が吹き込んでくるから、風邪でもひいっちゃったみたいだ。もう、寝るか」
お社に灯されていたろうそくの火が隙間風で消えた
愛しの都市伝説(5)