君のピアス
不良の女の子の片思い物語。
プロローグ
私はいつも、一人だった。
友達?
私は気づいたら、一人だった。
親ともあまり顔を合わせなかったし、友達は変わり果てた私の姿をみて、きっと、近づかなくなったのだろう。
わかりきっていた。
だから、寂しくない…はず。
なのに。
なんで、君は、私に声をかけた?
なんで、君は、私に優しく近づいてきた?
それがわからないよ。
同情?
同情できる人なんて、いるわけがないよ。
じゃあ、なんで?
彼は………なんで………。
出逢い
……疲れた。
日々がこの頃、辛いよ。
なんでだ?
この学校に来ている意味がないようにも感じてくる。
中2で、こんなこと考える人、いるのかな?
『私って必要なのか』って。
こんな重いこと、考えられる中学二年生のみなさん。
いたら、返事をしてください。
……こんなことに悩んでいたら、ダメですよ。
せめて、私、一人だけに悩ませてください。
今日もひとりぼっち。
いつからだろう。気づいたら、一人だった。
髪の色が気にくわなくて、金髪のカツラを買った。
それを学校で被っているからかな。
何回も先生に言われた。『そんなこと、やめなさい』って。
でも、外さなかった。
外したら、誰も自分の存在に気づいてくれないんじゃないかって。
なんか、怖かったんだ。
ひとりぼっちになるのが。でも、なってるわけで。
どうしようもできなくて。
私は何もできない、小さな一匹のアリんこだ。
学校生活をダラダラと過ごし、ようやく、放課後になった。
部活に所属しているわけでもないから、すぐに玄関に向かう。
靴を履き替えて、校門を出た。
……今日は何をして、暇つぶしをしようかな。
歩き出して、公園にたどり着いた。
小さな子供がいなくて、公園の定番の遊具である、ブランコが今日はガラ空きだ。
2人座れるブランコ。きっと、私の隣に座ってくれる人なんていないもの。
きっと、ブランコを独占できるだろう。
座って、こぎ出す。
風に乗って、気持ちがいい。清々しい気持ちになるような気がした。でも、そんな簡単に気持ちが軽かったら、こんなに苦しまないよ。
寂しいな。
ブランコを漕ぐのをやめて、ただ風任せで、ブランコに揺られていた。
すると、誰かが、ブランコに座った。
誰だろう、と思い、隣をチラッと見る。
私の学校の制服だ。
学ランだから、きっと、男子生徒だろう。
顔は見たことがあった。1年生…だろう。
私の1個下か。
チラッと見終わると、今まで見ていた光景に目を戻した。
隣のブランコも風に揺れて、動き出した。
……彼は、どうして、こんなところにいるのかな。
聞いてみたかったけど、やめた。
初対面で、そんなことが聞けたら、すごいと思う。
人見知りの私にはできないことだ。
「なんで…、悲しそうな顔、してるんですか?」
そう尋ねられた気がする。誰だろうと思って、横に視線を移動させた。
目があった。
彼の目は鋭く光っているような気がした。
第一印象『怖い』
「……私に言ってる?」
「はい。いつも、悲しそうな顔、してます」
「……私が?」
彼は頷いた。
なんで、私のことを知っているんだろうって、思ったけどすぐにわかった。
私の頭が金色だからだ。
「……心配してくれなくて、いいよ」
「お腹、空いてるんですか?」
「は?」
私はそんなこと、一言も言ってない。
でも、彼はブランコを漕ぐのをやめ、風に揺られながら、ポケットの中を探っていた。そして出てきたのは、黄色の包み紙にくるまれた飴だった。
「どうぞ」
「いや、いらねぇよ」
「いえ、どうぞ。飴で空腹を満たされることはないけど……。お腹が空いていると、悲しくなりますから」
彼は照れたように笑った。可愛いな、と一瞬思った。一瞬だから、思いはすぐに消えた。
「…ありがと」
せっかくだからと、仕方なく貰った。
貰ったからには、食べたいなぁと思って、包みを開けて、飴を口の中に入れた。
パイナップルの味がした。
「…おいしい。…ありがと」
「どういたしまして」
彼もまた、パイン飴を口の中に入れて、食べていた。
これが、彼との出逢い。
天使と悪魔の同棲
昨日の出逢いは、なんだったんだろうって考えていた。
何でだろう、何でだろう。
あの人と会ったこと、あったっけ?
1日は長いようで短い。
授業は長くて、だるくて、聞いているだけだと、子守唄にしか聴こえなくて。
でも、それが積み重なれば、もう、1日の半分が終わっていて。
早いなぁ。
今日も、暇だ。何をしよう。
帰りの挨拶を言ってから、教室を出る。
いつもと同じように、一人で歩く。
別に、寂しくないよ。でも、一人って悲しいね。
前を歩く生徒たちは二人とか、三人のグループで帰っていて、笑いあっていた。
いいなぁ、笑ってて。
笑いあえる人がいないよ。
ただただ前だけを見つめて、歩く。
細い道をまっすぐに進めば、住宅地が広がる。カラフルな屋根が並んでいて、気持ちは明るくなるような気がする。
私の家はその住宅地を通り過ぎ、昨日の公園の前を通過した後の、灰色の外壁のアパートの102号室である。
……遠い。
歩かなければ、辿り着かないのだが。
しばらく歩いていると、悲鳴が聞こえた。
女の人が出す、甲高い声ではなかった。
きっと叫んでいる人は男性だろう。野次馬になりたくないから、まっすぐ歩いていたつもり。なのに、その声は、どんどん近づいていく。
……何だよ。
辿り着いた。家じゃなくて、あの現場に。
テンションが上がるような気がするこの住宅地の中、私たちの中学校と、お隣の中学校の生徒が喧嘩していたらしい。
優勢なのは、私たちの学校。
3人対7人。普通、人数が多い方が勝つような気がするが、3人の方が勝っていた。
きっとあの悲鳴は、この他校の男子生徒の声だ。
彼らは怯えた目をしていた。
その3人の顔が見えなかった。私に背を向けて、彼らと対峙しているからかな。他校の生徒たちは倒れていた。
「弱っ。弱い奴に用はねぇよ」
3人は、去っていく。彼らが私の前を通ったとき、見覚えのある人物がいた。
先頭を歩く青年。彼は、きっと、昨日の…………。
もしかして、彼は、彼らは………。
この頃、1年生で乱闘を起こす生徒がいるらしいと、約2週間前に担任が言っていた。その人数は3人で、彼らは同じ学校だが、あまり、関わらないようにと、担任は忠告していた。
もしかして、あの3人は……………。
彼らが前を歩いていく。
その後ろをしょうがなく、私は歩く。
別に、歩きたくて歩いているわけじゃない。ここしか、家に帰るルートがないんだ。
前の連中に気づかれないようにと、ゆっくり歩く。
振り向くなよ。
彼らはずっと、前を歩く。
……緊張感がやばい。
公園に寄ろう。昨日の公園にまた立ち寄った。
公園の中に、自動販売機があるから、カルピスを買った。
公園を見渡せば、またブランコがガラ空きだ。
また、占領しようと思って、ブランコの一つの椅子に座って、カルピスを一口。
ひんやりしてて、甘い。
さっきまでの緊張感が溶けていくような気がした。
風を浴びながら、漕ぐ。
ブランコって、楽しいなぁと改めて思った。
一人じゃなかったら、もっと楽しいのかな。また、変なことを考えていた。…バカだな。
限界まで、漕いで、空を仰ぐ。
今日も青空が広がっていた。
ブランコが空に近づいてから急降下するとき、お腹がくすぐったかった。
上がって、下がっての繰り返し。
時間を忘れて漕いでいると、隣に誰かが座った。今日は、誰かな。
急降下しているときにふと見た。………あ。
『あ』
つい、声が彼と揃ってしまった。また、彼だ。
漕ぐのをやめて、自然に止まるのを待つことにした。彼も、ここのブランコが好きなのだろうか。
「ここ、好きなの?」
「……はい。……先輩も?」
「うん。好き」
「同じっ…スね」
彼もまた、空を仰いで、清々しそうな顔をしていた。
顔は優しそうに笑っていた。でも、さっきは……。
「喧嘩……好きなの?」
気づいたら、口が動いていた。こういうデリケートのことを尋ねたら…。きっと、私は殴られる。もう言ってしまったことは消せない。だから、殴られる覚悟をした。
「喧嘩…?」
彼はキョトンとした顔で、こちらを見ていた。すると、彼は続けた。
「喧嘩じゃない。…暇つぶしっス」
「……最低だ」
「……感じ方は人それぞれっス」
彼も反論した。思わず、覚悟を決めていたが、彼は殴ろうともしなかった。ずっと、ブランコに乗っていた。
お互い、黙った。気まずい空気にしてしまったなぁ。また後悔。気まずい空気にしてしまったから、下を向いていた。すると。
「ねぇねぇ、君たち」
誰かに声をかけられたと思ったら、制服を着た警察の人がいた。
…あれ? 私、何か悪いこと、しちゃったのかな。
私は顔を上げ、返事をした。
「ここのブランコ、中学生以上は、使用禁止なんだ。ごめんね」
優しい声で言われたため、反論できずに、両者は黙って降りた。警察の方はそれを見届けると、公園を去って行った。
ブランコから離れ、顔を見合わせた。
彼が変顔をしたのでも、面白いことを言ったわけじゃない。
でも、私は笑ってしまった。
第三者から見ればこの光景は面白く映っているのかな。
彼も大きく笑っていた。
「子供になりたいわー」
「俺も。このときだけ、小6になりたかったなぁ」
「私もそう思った」
「いや、先輩は、小6に見えるっスよ」
「身長か? おい、舐めんなよ。私より大きい小6の方は、どうすんだよ。見た目で判断しちゃダメだよ。…そういう、あんただって、制服じゃなければ、なれるよ」
そういう彼だって、身長は私と同じくらいの大きさだ。
これからが成長する時期だからね。しょうがないんだけどさ。
「あー、そっかぁ……。じゃあ、今度、私服で来るっス」
すんなりと私の意見を受け入れていた。素直だなぁと思うべきなのかな。
「じゃあ、今度は、先輩も私服で、そのカツラを脱いで一緒に乗るっスよ?」
「……なんで、カツラだって…、わかるの?」
私がカツラだってことを誰にも言っていないのに、なぜ、彼はわかったのかな。
「…直感っス。なんか、先輩は髪を染めないような気がするっス。ま、本当の地毛が気になるっスけど、あえて、聞かないようにするっスね」
彼はまた笑った。
一緒…か。この言葉の響きがいいなぁ。
「ありがと。…昨日も、今日も」
「どういたしましてー。でも…。昨日のことはわかるっスよ? 今日は俺、何も先輩にしてあげてないっスよ」
「いや、してもらったから、大丈夫」
彼には言わないけど。
とても久しぶりに誰かと笑いあった気がする。
彼はたくさんの人と笑いあっていると思うけど、私にとっては嬉しい限りで。
「あんた、名前は?」
「優未っス」
「いい名前だね。羨ましいよ」
「…先輩は?」
「梨子」
「先輩も可愛い名前っスよ。俺なんか、バカにされるっスよ? 女みたいな名前だなって」
「そういう奴は、何もわかってないんだよ。名前は親の人が想いを込めて決めた名前なのにさ。バカにしちゃって。…私は……好きだよ」
この言葉の後に、「名前が」と付け足した。
彼はまた、笑っていた。
「ありがとっス。俺も好きっスよ、梨子っていう名前」
「ありがとう」
また、昨日のように、公園で別れた。
優未君……か。
他の人にとって、彼の存在はどう思われているか、わからないけど。
私にとっては天使だ。
私に暖かいものをくれた気がするから。
雷と陸と海
彼と関わったことで、私を見る先生の目が変わった。
だからといって、彼が悪い人だと断定して言えない、気がする。
私はいつものように、下校していると、校門の前で、彼が待っていた。
「お疲れさまっス」
「おう。 誰を待ってんの?」
「梨子さんっス」
彼は笑ってくれた。いつみても、いい笑顔だなぁ。
「一緒に、帰りたいの?」
「そうっス」
「……ありがと」
彼と並んで帰る。そういえば、彼にはもう二人、仲間がいるはずだが…。
「あの、二人は?」
「あ…。…会いたいっスか? あいつらは喜ぶと思うっス」
興味は少しあった。彼の周りにいる人物は、どんな人たちなのだろうかと。
「…会ってみたい」
「了解っス」
彼は嬉しそうだった。楽しみだ。
彼についてきて、到着したのは木造の小屋だった。その小屋は、三人のうちの一人(優未君ではないみたい)の家の人の所有地なんだとか。
小屋を開けると、そこにはいつか見た彼らの姿があった。
ヘッドホンをつけ、灰色のパーカーのフードを被った男の子と、黒縁メガネをして、ノートに何かを書きつけている男の子。
至って普通だ。
「麗虹、雷斗。お客さーんだよっ」
彼らは同時に私をみた。最初に食いついてきたのは、ヘッドホン少年。
「あー! 金髪の先輩さんだ! お疲れ様で〜す」
ヘッドホンを外し、声をかけてきた。気さくな人なのかな。
「紹介するっス。ヘッドホンが雷斗っス。んで、勉強中の奴が、麗虹っス」
勉強中の彼はこちらを見て会釈した。
大人しそうだが、よくわからない。彼はもしかしたら内心、残虐なことを考えているかもしれないし。
「優未、この方は?」
「ん? あー。梨子さんだよ」
「へぇー、可愛い名前だね」
雷斗という少年は、子供らしく笑っていた。
優未と、同じ世界観を持っているのだろうか。
「…ありがとう」
「これからは優未が連れて来てくれるの? 梨子さんのこと」
「うん。梨子さんが嫌じゃなかったら」
「……いいの? 私がいたら、空気、悪くない?」
「いや、大丈夫っス」
ここにいるのも、悪くない。
この日から、時々、彼らの小屋に顔を出すことになった。
ヘッドホン
あの三人のいる小屋には、よく行った。
そこに行くと、必ず誰かがいて、三人それぞれがやりたいことをしていた。
優未は寝転がって寝てたり。
私が行くと、たくさん話してくれたり。
雷斗は相変わらずヘッドホンで音楽を聴いていたり。
彼も優未と同様、ヘッドホンを外して話をしたり、聞いてくれたり。
麗虹はスマホでゲーム。ときどき、ノートを広げ、黒縁メガネをして勉強していた。
話をしてみると、前者の二人とは違い、あまり話してはくれないけど、聞き手になって相談を受けてくれた。
みんなみんな、いい人だ。
喧嘩をする人たちには見えなかった。
今日も、顔を出した。
何回も、何回も顔を出していると、もう一人でもその小屋に行くことができた。だから、一人で来た。
扉を開けると、そこには雷斗がいた。相変わらず、ヘッドホンをつけて。
優未と麗虹はどこかに出かけているのだろうか。それとも、教室の掃除だろうか。
「あー、梨子ちゃん! いらっしゃーい」
彼はなぜか私をちゃん付けで呼ぶ。嬉しいような、少し腹が立つような…。嬉しいと思う感情の方が多いけど。
「一人?」
「うん。 今日は、すぐ帰る?」
そんなことを聞いてくるから、子供っぽい。
「ううん、帰んないよ」
「やったぁー!」
彼は嬉しそうに笑った。
扉を閉めて、小屋の中にあるイスに座った。
彼は何を聴いているのだろうか。聞きたくなった。
「…何、聴いてるの?」
「え?」
ヘッドホンを付け直して、彼は音楽を聴いていたらしい。
ムカついたけど、もう一度言い直した。
「…何、聴いてるんですか!」
「あー、ONE ON ROCKっていうバンド。聴く?」
私が頷くと、彼は私に近づいて、ヘッドホンを渡してくれた。
ヘッドホンをつけて、聴いてみた。ROCKっていう感じの音楽が頭の中を流れていく。…かっこいいと思った。
「ノリノリだね、この音楽」
「でしょ、でしょ」
また彼は笑った。彼は通学のときのリュックからイヤホンを取り出していた。
たぶん、彼も音楽を聴きたいのだろう。
「ちょっと、貸して」
ヘッドホンを外し、彼に渡す。彼はワークマンに接続されていたヘッドホンのコードを外し、イヤホンに変えて、片方のイヤホンを渡してくれた。
「ん」
「ありがと」
受けとって、耳につける。彼はこのバンドが好きなんだとか。
曲を聴いているときに、彼が質問してきた。
「ねぇ、梨子ちゃん」
「んー? 何?」
「あの三人の中で、誰好き?」
あの三人? 誰のことだろうか。
「あの三人って?」
「俺たち、三人のこと」
いきなり、何を聞いているんだ。そんなの選べる権利なんかないだろう。
「何、言ってるの?」
「えー。答えてくれないの?」
彼はふてくされたように、顔をそらした。こいつ、きっと…。
「もしかして、私のこと、好きなの?」
すると、彼は急に飛んだ。勢いで、聴いていた音楽が聴こえなくなった。あーあ。
「な、何、言ってんの? いや、違う…から、うん。これ、ほんとだから」
彼は顔を赤くしていた。立ち上がっていた彼は私の隣に座り直した。
母性本能が心の中を満たした。
「もう、照れんなって」
そう言って、彼の癖のある髪をもしゃもしゃと撫でた。
彼は何も抵抗せずに撫でられていた。
可愛いなぁ。
そのまま、撫でたまま、彼と音楽を聴いていた。
黒縁くんの忠告
もう秋が深まった、11月。
冬になりそうだ、寒すぎて。マフラーを常備するようになった。
今日もなんとなく、あの小屋に顔を出した。
珍しく、行ってみると、優未と麗虹がいた。
優未は私に気づいて、手を振ってくれた。
「やっほー、先輩」
麗虹は読書をしていたが、会釈してくれた。
小屋に入って、私はなんとなく、優未の近くに座った。
優未は私に気づくと、なぜかすり寄ってきた。猫か。
「猫みたい」
「えへへ」
彼はスマホをいじっていた。何かのゲームをしていた。
「ねぇ、麗虹。何の勉強してんの?」
「あ? ……数学」
彼は読書が終わったのか、数学の勉強を始めたらしい。なんか、得意そう。彼のメガネは理数系な顔を作り上げていた。
「数学、できるの?」
「まぁ。英語よりならできます」
「すごいね。私、国語じゃないとできないよ」
「…俺もっス」
優未はおバカそうだ。私と同じく。
「あ、俺、外出てくるっス」
「…彼女と電話?」
「いねぇっスよぉ」
そう言うと、彼は電話を置いて、外に行ってしまった。
麗虹と二人きりだ。雷斗は、きっと、家に帰って音楽を聴いているのだろう。
中学生のくせに、生意気だ。
私は高校に入学しないと、スマホを買ってもらえないのに…。憧れというか、 僻みである。…いいなぁ。
「梨子先輩」
急に呼ばれて、驚いた。彼から呼ばれるとは思わなかった。
「ん? どうした?」
「あの、俺らといても、知らないですよ」
「………どういう意味?」
彼は数学の問題を解きながら、続ける。
「先生に、怒られても、知らないっスよ」
………私、何か、したっけ。
彼の言っていることがわからなかった。
でも、数日後、理解した。
優男
彼の忠告はその数日後、本当に起こった。
放課後。担任に呼びだされ、職員室へ。
怒られた理由は………。すぐわかった。わかりたくもなかったけど。
説教が約一時間ほど、続いた。
反論はするものの、一方的に先生に言われまくられる。
……細かいなぁ。
帰る頃には、空ももう、暗くなっていた。ため息が出た。
校門の前に行くと、優未がいた。
「何…してんの?」
「来ないなぁ…と思って」
「もう、細かいのはうんざりだよ。…あんたも、早く帰りな」
彼の前を通り過ぎ、首に巻いていた、マフラーに顔をうずめた。
顔は怖い。なんでも、映し出しているようだから。
彼は何も言わず、私の横を歩き出した。
……今日は、あの小屋に行きたくないよ。
「あの小屋、行かないから」
「おっす。……公園、寄らないっスか?」
彼は私に笑いかけてくれた。
その笑顔も少し、痛かった。
「何があったっスか?」
前に行っていた公園。さすがに、ブランコには座らなかった。
空っぽのベンチに座った。
本人の前で、怒られた理由を言いたくなかった。
黙り込んでしまう。
何か、言い訳を作らなければ。
「………テストのこと」
「テスト?」
「そう、テスト。……点数がどれも……悪くてさ」
この時期、大きなテストはない。成績に関わるようなテストはない。
でも、彼は学年が違うから、きっと信じてくれるはずだ。
「……そうなんスか?」
「そう、そうそう」
私は決して、マフラーから、顔の半分を出すことなく、彼と接した。
バレたくない。
だから、目だけで笑った。
どうか、バレないように。
彼も笑ってくれた。…信じてくれたのかな。
「じゃあ、帰ろ? 私、勉強、しなくちゃ…。あはは、しなきゃなぁ…」
彼よりも先に立ち上がって、手を振った。
「じゃあ…。バイバイ」
私は前を向いて歩き出す。彼は黙ったままだ。
これでいい。
彼が尋ねてきたら、この関係は無くなってしまうだろう。だから、訊いてこないで、優未。
振り向かずに歩く。このまま歩けば、きっと公園を出られるだろう。
そう思っていた。
でも。
「待つっス」
彼の言葉がすぐ近くで聴こえるなぁと思っていたら、約数センチまで、彼は近づいていた。
あまりの近さに、驚いてしまう。
彼に強く、腕を掴まれた。
私より大きくて、暖かい手。……男の子はずるい。
「……離して」
「嫌っス」
振り払おうとしたけど、彼の手はびくともしない。
怒らせたかな………。
「何、どうした。テストが悪かったから、遅くなったの。だからなに?」
「へ?」
「あんたが気にすることじゃないじゃん」
「…りーちゃん……?」
「ほんと、本当にさ……。構わないでよ」
私は俯いた。あぁ、泣きそうだ。
すると、彼は私との距離を縮めて、私を抱きしめてきた。
どうすればいいのか、わからなかった。
ただ、驚くことしかできなかった。
「……ごめんね、りーちゃん」
「……何、謝ってんの?」
「りーちゃんは………。嘘が下手くそっス。そんな嘘、俺だったら、すぐわかるっスよ。ばかっスね」
「うるさい…。バカなんて、言われたくない」
「へへっ。……泣かないで」
彼にはバレバレで。
マフラーで顔を隠していたけど、彼に抱きしめられてから、もう涙が溢れてきた。
泣かせたのは、紛れもなく、優未だ。
「泣かせたのは、優未のせいだから」
「はいはい」
彼は離れてから、私に笑いかけた。
こんな泣き顔……、見られたくないよ。
「さ、嘘を見破ったし、帰るっスよ」
彼は私の前で、背を向けた。
「俺、おんぶするっス」
「いや、いいよ……。重いし」
「いや、泣き顔、人に見られるっスよ?」
彼はわかってくれていた。私は人前では、あまり恥ずかしい思いはしたくない。
……それはみんな?
隠したかったから、乗ることにした。
「重くても、知らねぇからな」
私が乗ると、彼は歩き出した。
彼の背中は暖かく感じた。……ほぼ、同じ背丈だったはずなのに、彼は大きくなってしまうのだろう。
「…りーちゃん。家への道、教えてほしいっス」
「………うん」
彼に道案内をした。
私の家はこの公園から、すぐ近くにあった。
別れも近い。
「あんた、恋してる?」
突然、知りたくなって訊いてみた。
彼は突然すぎて、焦っていた。
「へ、へへへへ? いや、してないっスけど」
「ふーん…。あんた、きっと、いい恋ができるよ」
だって彼は優男で、かっこよくて。
年下のくせに、頼れる存在だ。
「あ、ありがと…っス」
彼は照れているようだった。そんな姿がおかしくて笑った。
もう、アパートに着いてしまった。
「……ありがと。ここだから」
そう言うと、彼は降ろしてくれた。
「…じゃあ、また明日」
「おう。ありがと」
彼は来た道を戻っていく。50mくらいまで彼が歩いていく姿を見つめて、なんとなく、叫びたくなった。
「うみー!」
叫ぶと、彼は振り向いた。
「なぁーんすかぁー?」
「すきだよぉー!」
最初より、大きく叫んでしまった。
この気持ちは、どっちの意味なのか、私にはわからないけど。
叫んでしまったものはしょうがない。
彼はどんな顔をしているのだろうか。遠くにいるから、見えないけど。
「おれもっすぅー!」
彼から返ってきた言葉が嬉しかった。
もう一度、手を振ると、彼も手を振りかえしてくれた。
……幸せだ。
怒られたけど、いい一日だった。
明日も頑張ろ。
空には星が散りばめられていた。
冬空の笑顔
あの日から………。
冬を越えた。
冬の間、彼らと会わなかった。
なんというか……。
気まずかったというか、会えたのだが、会いたくなかったというか…。
雪がときどき、降るこの地。
やはり、肌寒かった。
春休み。
春休みが明けると、もう3年生だ。
……受験か。どうしよう、と頭を抱えてしまう。
友達もいない私はずっと、家にこもっていた。
カツラなんてかぶる必要がなかった。
大人になったら、絶対、金髪に染めようと考えている。
…早く、大人にならないかな。
家には誰もいない。母は、出版社に勤めていて、週に一、二回ほどしか来ない。父は単身赴任である。一年に一回ほどしか、この家に帰ってこない。
だから、私はいつも…。ある意味、一人だ。
……会いたいなぁ。
誰にかな。自分でも、わかんない。
起床8時半。
ダラダラライフである。
起き上がって、顔を洗って、朝食。
今日は、目玉焼きを焼いて、トーストを焼いた。こんがりしたパンにバターを塗って、食べる。
一人は慣れたけど、ある感情は消えない。
私、そんなに弱かったっけ。
ゆっくりと食べて、片付けた。
……何しよう。
すると、珍しく、ドアのチャイムが鳴った。
誰だ。郵便配達の人かな。
玄関まで駆けつけ、ドアを勢いよく開けた。
「はーい」
「…………」
目の前にいたのは、優未だった。
彼の姿は会わないうちに、変わってしまった。
髪の毛は変わらないものの、左耳には銀色のピアスがつけられていた。
……ピアス。
穴を開けるとき、痛くないのかな?
彼はキョトンとした顔をしていた。
「……優未?」
「え…。もしかして……、りーちゃん?」
なぜ、首を傾げているのだろうか。こちらが逆に首を傾げたかった。
あ。理解した。
「あ、ごめん。さようならー」
その勢いで扉を閉めた。
カツラ…、忘れてた。
自分の頭を触った。見慣れたこげ茶の髪の毛。自分が嫌になる。
……彼は、どうして私の部屋がわかったのだろうか。
もう一度、扉を開けてみる。彼はまだ驚いた顔をしていた。
「いつまで、そんな顔、してんの?」
「…………可愛い」
小声でそんな風に聴こえた。…気のせいか。
「…久しぶり」
「おっす。…元気だったっスか?」
「うん。あんたも元気そうだね」
「まぁ…。バカは風邪、引かないんで」
私が笑うと、彼も笑って、なぜか私を抱きしめてきた。
いきなりすぎて、赤面した。
あの時、抱きしめてもらったのはいいものの、二回目なんて、ないと思ってた。
「……ずっと、逢いたかったっス」
「…うるさい」
そう言うと、彼から離れた。
なんで、私だ? 同級生がいるではないか。私をバカにしすぎだ。
「んで? …何の用?」
「ん? あぁー。りーちゃんに会いたくて、来ちゃって。アパートの場所はわかったっスけど、どの部屋かわからなくて。雷斗と一緒に、家を訪ねてたっス」
「え。それ、迷惑じゃん」
「大丈夫っス。あいつは、対処法が上手いっスから」
そう言うと、彼は上の階に向かって、叫んだ。
「りーちゃん、見つけたよぉー」
すると、勢いよく、階段を駆け下りる音が聴こえた。きっと雷斗だ。
彼の姿は変わっていなかった。いつもと同じように、ヘッドホンを首にかけていた。
「久しぶりですぅ〜、梨子ちゃん」
彼は無邪気そうに笑った。
また、会えたなぁ。
不意にそう思った。
「麗虹は?」
私が尋ねると、二人は顔を見合わせ、悲しそうな顔をした。
「……来てないっス。勉強してるっス」
「そっか。ま、いっか。……あがる…よね?」
そう尋ねると、彼らはまた笑顔を取り戻した。
外はやっぱり、寒くて。
彼らの頬は赤くなっていた。
ホットケーキ
彼らを家にあげたのはいいのだけれど……。
どうしよう。
私の家は……。殺風景だ。
「お邪魔しまーす」
そんなことを知らずに、彼らは家に入ってしまった。
彼らは第一声に何を言うのだろうか。
彼らはリビングにある、クリーム色のソファに並んで腰掛けた。
「…綺麗だね、梨子ちゃんの家」
「そ、そう?」
「うん。綺麗」
ヘッドホン少年、雷斗が先に口を開いた。よく、勇気をふりしぼって、第一声を発したなと感心。
「あ。先輩」
「ん? 何?」
「ホットケーキ、作ってよ」
「……はい?」
優未は、持ってきた灰色のリュックの中から、ホットケーキミックスを取り出した。
「これで、ホットケーキを作って欲しいっス」
彼はニコニコと笑っていた。
……断れないなぁ。
私は無言で頷いた。仕方ないか。
彼から受け取ると、私は作業を開始した。
私は冷蔵庫から卵だの、牛乳だのを取り出して、かき混ぜていた。
途中から、雷斗が手伝ってくれた。
作業の途中で、お尻をフリフリさせて踊る姿が印象的だった。
「…踊ってるの?」
「そうそう。踊った方が、楽しいよぉ♪」
彼につられて、私もお尻をフリフリさせて、笑いあった。
優未は、一人で何かをしているらしい。
二人で焼く前までの手順を終わらせた。
交代交代で、彼と一緒にホットケーキを焼いた。
不器用な形ばかりのホットケーキ。焦げてはないから、美味しいはず。
「梨子ちゃん、うますぎてショック」
「なんでや。雷斗は、思ってた通りだ」
「うぅ、ひどいや…」
楽しかった。食べる前に、もうお腹がいっぱいだった。
出来上がったホットケーキを3人で食べた。
甘くて、美味しかった。
朝ごはんを食べてから約30分後に、間食。
やっちまった。
ホットケーキを食べ終わって、彼らは帰ってしまった。
もしかして、ホットケーキが朝ごはんだったのだろうか。…んなわけ、ないか。
膨らんだお腹を抱えて、部屋のベッドに横になった。
二度寝ができるだろう。
私は瞳を閉じた。
…もう、今日一日は終わってもいいや。
カララオケケ
4月になった。
中3……か。実感がわかなかった。
少しは勉強をした方がいいかなと、机に向かった。
春休みの課題があったのを忘れていた。…やらなければ。
国語はともかく、数学や英語はよくわからないから、解答を見て、納得しながら、答えを写した。どうせ、忘れてしまうし、社会で役に立つか、わからないし。
約1時間ほどで、英語の課題が終わった。
休憩のために、席を立った。
冷蔵庫に何か入っていなかったかな…と、探索する。
すると、いつ買ったかは忘れたけれど、プリンがあった。
大丈夫、賞味期限は切れていない。
プリンを取り出して、自分の部屋に向かおうとしたら、ドアのチャイムが鳴った。
……。
郵便配達の人って、ドアのチャイムを鳴らすだろうか。
首を傾げつつ、プリンをキッチンのシンクに置いて、玄関へと向かった。
扉を開けると、今日もまた、ヘッドホンを首にかけている、雷斗の姿があった。
「……どうしたの?」
「あ、茶髪だねぇ」
「あの時も、確か、茶髪だったよ」
「あ…。そうだったっけ」
あはは、と彼は笑った。のんきな人だなぁ。
「んで、どうしたの?」
「あ。あの、梨子ちゃんに折り入って、相談があって」
「うん。 何?」
「今から、カラオケ、行かない?」
「…突然だね」
突然すぎて、わけがわからなかったから、苦笑いをした。
「今から、麗虹と、俺でカラオケに行くんだけど、梨子ちゃんもどうかなーって」
「……優未は?」
「優未は…。今のところ、来ないって言ってたけど、梨子ちゃんが来てくれたら、きっと来てくれるよ」
「私がいたら、来るの?」
「そうですぅ。俺はそう、確信してんだぁ」
カラオケ……か。
初めて行くような気がする。複数で行った方が楽しいのかも。すんなりと受け入れることにした。
「行く。…歌、あまり歌わないから、下手だけどいい?」
「勿論! いこいこ!」
私は手短に身支度をし、カツラを被って、外出した。プリンはきちんと冷蔵庫にしまってきた。
3人でのカラオケ。
序盤は、彼らの歌声を聴くことにした。
麗虹は、GReeNや、bock numberなど、年相応の曲を歌っていた。雷斗は勿論、ロック系。彼の歌は上手かった。毎回、採点で90点代を叩き出していた。
私はジュースを飲みながら、耳を傾ける。
途中で、本当に優未がやって来た。場の空気が変わり、彼は盛り上がる曲を歌っていた。
私が歌う出番は来ないだろうと思っていたけど…。
来てしまった。
「先輩も歌ってよぉ」
と、優未が口を開いた。彼を一瞬、睨んでから、断る。
「いや、いいよ。私、歌わなくてもいいから」
「俺も、梨子ちゃんの歌、聴きた〜い」
雷斗もゆるい口調で促す。
……歌うしかないのか。
「麗虹、マイクとって」
「ういー」
彼もノリノリでマイクを渡してきた。
私は、麗虹はこういうノリには乗らない人なんだと思っていたのだが……。やっぱり、カラオケは好きだよね。
採点はなしで、歌った。
こいものがたりの、「さくら」を歌った。
私のお気に入りの曲で、何より、もう少ししたら、桜の季節だから。
彼らは黙って、私の歌を聴いていた。盛り上げて欲しかったのに、しんみりとした空気を作りだして、完唱した。
第一声はなんと、意外なことに、麗虹だった。
「…うますぎて、声が出ないっス。あの、先輩のこと、姉貴って呼んでもいいっスか?」
なぜか、優未のような口調になった麗虹。
これは現実?
彼の意外なキャラクターに驚いた。
「……いいけど…。なんで、突然……」
理由を聞こうと思ったら、優未も割り込んできた。
「俺も、俺もー! 先輩のこと、姉貴って呼ぶっス!」
なぜか、嬉しそう。
彼の私の呼び方はさまざまあって、よくわからない。
先輩って呼んだり、りーちゃんと呼んだり…。ついには、姉貴という選択肢も増えてしまった。りーちゃんという呼び方は、きっと、雷斗に対抗しているのだろうか。でも、雷斗や、麗虹がいるところだと、そう呼ばない。…なぜだろう。
………別にいっか。
雷斗は変わらないらしい。
この思い出は、印象的に心の中に残っている。
家出
春休みが終わった。
中3ライフが始まった。あーあ。
私は相変わらず、ダラダラと過ごす。長いようで短い日常。
四月、五月、六月とあっという間に過ぎ、夏休みになった。
部活に入っている訳でもないから、本当にあっという間だった。
七月の後半。
中学校生活最後の夏休みが始まった。
勉強をやる意欲がわかなかった。きっと、今回もダラダラと過ごしていく
だろう。
彼らとは春休みのカラオケ以来、会っていない。
去年の冬、怒られてからあまり会わなくなってしまった。
会わなくても、生きていけると思ってた。
でもね、寂しいなと心の中で思う自分がいた。…変なの。
学校でも、時々すれ違うが、一言、二言、言葉を交わすだけで終わる。
…夏休みか。頑張らなきゃな。
朝は遅く起きて、ダラダラと朝食。
ただの休みの日と変わらない過ごし方だ。
机の前に座ったけど、全然やる気が出なかった。
……面倒くさい。
誰か、来ないかなーと、あり得ないことを考えてみる。
例えば、優未が来て、一緒に笑ってくれないかな。
『こんなんじゃ、ダメじゃないっスかー』って。二人で笑いあえたら…。
…なんで、優未?
自分でも、わからなかった。
もしかして、あいつのこと………。
ピーンポーーン。
ドアのチャイムが鳴った。
誰だろう。
玄関に駆けつけ、扉を開けた。
噂をすれば、というやつである。
本当に、優未が来た。
長袖のプーマのジャージに、ドナルトのTシャツを着ていた。
「やっほー、りーちゃん。…遊びに来ちゃった」
照れたように笑っている。
なんで、私より、女の子らしい言動ができるのだろう。少し、女子力を分けてほしい位だ。
嬉しいような、少し腹が立つような…。よくわからない感情だ。
「…いらっしゃい」
私も微笑んで、出迎えた。彼は青いリュックを背負っていた。どこかにピクニックだろうか。
「…ピクニックに行くの?」
そう尋ねると、彼は笑いだした。
「実は…。家出っス」
彼を部屋の中に入れると、語ってくれた。
彼のお母さんと彼が口論になり、彼の方が出て来たのだそうで。
きっと、テストについてだ。
「だから、出て来ちゃったっス」
「あの…。聞いてもいい?」
彼が頷いたので、質問した。
「…なんで、私の家?」
皆さんもわかっていらっしゃると思うが、彼と私は一個、歳が離れている。一個下の後輩である彼は、どうして、先輩である私の家に来るのだろうか。彼の周りには、麗虹や雷斗がいるはずなのに。
「え…。なんでって、りーちゃんが先輩だからっスよ」
そして当然だとでも言うように、彼は言った。
「先輩の家だから、きっと、お母さんはわかんないっス」
なるほど。
彼はきっと、私の存在について、言ってないのだろう。
私もだ。
学校での出来事は、1週間に一回、帰ってくる母や1年に一回、帰ってくる父には言わない。言っても、わかってくれないってことが明白だから。
「了解した。…んで、どうすんの」
「へ? 泊まるっスよ、りーちゃんの家に」
「そっか、泊まるのか……。ん? 泊まる?」
「うん、泊まるっスよ」
彼は嬉しそうに笑った。
男女間が彼にはないのかな。
「…男子の先輩とかいないの?」
「いるっスけど、嫌っス。りーちゃんが大好きだから、行きたくないっス」
どういう意味だよ、と声に出さずに質問した。
「ね、いいでしょ?」
……ま、年下の後輩だからね。
変なことは起こらないでしょ。
「…いいよ」
そう返事をすると、彼はまた屈託のない笑顔を浮かべた。
……彼の笑顔には一生、勝てないのではないだろうか。
りんご
「ねぇ、りーちゃん」
「ん? なんだよ」
私は自分の部屋の机の上から、国語の参考書とノートを持ってきて、リビングで勉強していた。彼も持って来たのであろう、数学の課題をやっていたが、10分後には、飽きたようだった。
「…ブランコ、行きたいっス!」
「…は? 課題は?」
「そんなの、後からでもできるっス」
彼は胸を張って言ったが、きっと最終日直前になって、焦る人の仲間入りをするだろうと思った。
しかも、ブランコって…。
出会ったきっかけであったが、もう小学生だなんて、思ってくれないだろう。誰も。
私の身長は変わらないが、彼の姿は変貌してしまった。
彼との身長差は20センチを超え、彼の左耳には銀色のピアスがされていた。
もう二人のことを小学生だとは言わないだろう。
「無理だって。また、警察の方に注意されちゃうよ?」
「まだわかんねぇっスよー。行ってみないと」
彼はいたずらを企むように笑った。
「…仕方ない。行ってあげる」
「やったっ! じゃあ、レッツラゴーっス!」
彼はノリノリだった。…可愛いなぁ。
久しぶりに来た公園。
本当に久しぶりだなぁ。
また、ブランコの二つの席はガラ空きだった。
彼は先にブランコに座って漕ぎ出した。
カツラは、被らずにここに来た。誰か、知ってる人に会わなきゃいいけど。
彼に続いて、ブランコを漕ぎ出す。
…風が心地よかった。
「ふぅ〜♪ やっぱ、ブランコは楽しいっス」
彼は隣でニコニコと笑っていた。私もつられて笑った。
「あの人、来なきゃいいけどね」
「そうっスね」
また笑いあった。彼はどんどん変わっていってしまうなぁ。
私は……。
「りーちゃんって、やっぱり………」
じーっと見つめる視線があったから、その目を見返した。
目があって、数秒後に、私が視線をそらした。
…恥ずかしい。
彼は顔色を変えずに、私の顔を見つめるが、私はドキドキしまくりだった。
「……なんだよ」
「…可愛いっスよね」
「……はい?」
突然、言われて恥ずかしかった。
顔が赤くなるばかりだ。
「な、何、言ってんだよ!」
「えへへ、照れてるし。…可愛いなぁ」
彼は目を細めて、笑った。
なんか、腹立つ。
私はブランコを漕ぐのをやめて、風に乗った。自然に止まるのを待ち、降りられるほどになると、飛び降りた。
「もう! 先、帰ってるよ」
私は彼の様子をうかがわず、歩き出した。
「待ってよぉ」と叫ぶ声が聴こえたが、振り向かず、歩き続ける。
早足でこの場を去ったのは
私のリンゴみたいに紅くなった顔を
君にみられたくなかったからだよ。
彼に追いつかれ、彼は私の横を歩く。
「はー。楽しかったぁ♪」
「はいはい」
「お腹すいたっス」
「はいはい。何か、作るね」
「ありがとっス」
彼は笑うことが多い。
笑ってる顔が一番だ。
私の顔は汚いから、笑ったってそんなキラキラした顔にはなれないけど。
君の笑顔は輝きすぎだよ。
だから、私は照れっぱなしだ。
君と
家に帰ると、勉強を再開した。
優未は勉強をしたり、ゴロゴロとリビングで寝ていたり。
…私の家でも関係ないそうだ。
昼ごはんは、各自で食べた。彼は家を出るときに、コンビニで何かを買ってきたそうで。メロンパンを食べていた。
私は冷蔵庫の中に入ってたサラダと、バターロールを食べた。
「…いつ、帰るの?」
「…明日の午前中には帰るっス。だから、今日は悪いっスけど、泊まるっスよ?」
「うん…。いいよ」
なんで、素直に答えてるんだろ。
私は、優未のことなんて、好きじゃないよ。…たぶん。
彼はまた、嬉しそうに笑った。
突然、彼に対する質問が浮かんだ。
「ねぇ、優未」
「…なんスか?」
「…あんたたちって、前は喧嘩してたでしょ?」
「…そうっスね。でも、もうしてないっス。…なんでだろ」
「へ? 喧嘩って、誰が好きなの?」
「……麗虹っス。麗虹は大人しそうに見えて、よく考えて、俺たちの中で一番、強いっス。…でも、俺たちがりーちゃんと会ってから…。もう、なくなってたっス」
「…そうなんだ」
初めて知った。そう言われてみれば、彼と出会ってから、彼らの噂は日に日に聞かなくなった。
やっぱり、人って変わるものだ。
時間は過ぎていき、夕方になった。
夕ご飯のおかず…。どうしようかな。
「ちょっと買い出し、行って来るね」
「ええー? 俺も行くっスよ!」
彼もついてきたから、また、並んで歩いた。
だんだん空が暗くなっていく。夕方の路上に二人の影が並んだ。
やっぱり、彼の方が大きいなぁ。
近くのスーパーで、買い物をした。
なにが食べたいか、と尋ねたら、彼はふざけながらだったけど「オムライス」と答えてくれた。
笑いあいながら、食材を選ぶ。…楽しかった。
家に帰るときも、話しながら。
あーあ。優未のような人が同級生だったら、きっと恋をしているだろう。
…年下だもんなぁ。
叶うわけがないもん。
家に帰宅すると、私は調理をし、その間に彼は入浴していた。
一緒にご飯を食べて、一緒にテレビを見て、笑いあって。
「寝るところは、ベッドに寝てね」
「はーい。りーちゃんは?」
「このソファ」
と、座っていたソファを叩いた。
彼をベッドに案内した。
ベッドは、私の部屋にあるが…。
「この部屋…。誰の部屋っスか?」
………そうなんだ。
私の部屋は、殺風景だ。
今流行りのキャラクターグッズを集めているわけではないし、好きなものがないから、置くものがなくて。ただシンプルに、勉強用の机と、ベッドと、クローゼットしかない。
だから、嘘をついた。
「…両親の部屋」
すると、彼は納得する。
「あー、了解っス。…じゃあ、りーちゃん、おやすみなさ〜い」
「うん。おやすみ」
彼にあいさつをすると、自分の部屋を出た。
ため息が出た。
風呂に入って、髪を乾かす。
ソファに寝転がって、目を閉じた。
同じ家に、彼がいるとは信じられないなぁ。
おやすみなさい。
桃のにおい
小雨の降る音が聴こえる。
目を開けた。見覚えのある天井。
……あれ? ここ…。私の部屋の天井だ。
あれ?
じゃあ、優未が泊まりにきてることって…。夢だったのかな。
てっきり、ソファで寝ていると思っていたのだが…。夢だったのかな。
あー。夢か。
だから、ここに寝ているのか。
妙に納得して、また眠りにつこうとした。
仰向けの姿勢から寝返りをうって、毛布に顔を寄せた。
………ん?
私の家の匂い…じゃない。
柔らかく、桃のにおいが漂っていた。
毛布ではないのかなと、もう一度、目を開けた。
それは毛布ではなくて、白いTシャツだった。真ん中にクマのキャラクターがプリントされていた。
私は枕の上に寝ていたわけではなく、毛布にもぐるように、下に下がっていたらしい。
枕元を見上げると、黒髪の男の子が眠っていた。
……あれ?
夢…じゃないの?
じゃあ…。私、どうしてここに…?
考えたけど、わからなかった。
でも、この隣にいるのは、優未なのは変わらなくて。
枕元へ上昇して、もう一度彼の寝顔を見た。
ぐっすりと眠る彼の顔は可愛かった。
つい、目を細めてしまった。
彼の髪を撫でてみた。私より少し固い髪の毛。彼の性格のように、まっすぐだった。
起こさないように、わしゃわしゃと撫でてみた。
おかげで彼の髪の毛はぐしゃぐしゃだった。起きた時の顔が楽しみだ。
ふふっと静かに笑って、彼に背を向けるように寝返りをまたうった。
軽く目を閉じていると、急に彼の手が私の腹元に回ってきて、そのまま、抱きしめられてしまった。
…彼には男女間がないのかな。
急に変な感情がこみ上げてきた。どうしちゃったんだろう。
動いたら悪いなぁと思い、そのままじっとしていた。
「…りーちゃん」
「………あんたが、この部屋に私を連れてきたの?」
「うん。…ごめん」
「いいよ、別に。…よく連れてこれたね」
「うん…。りーちゃん、軽いから」
彼は笑いながら、更に強く抱きしめてきた。
心臓がバクバクと、高鳴っていた。どうして彼は、平気でできるのだろうか。
私で練習…しているのだろうか。
「…もう、こんなことしないでね」
「……なんで?」
そう聞かれたけど、答えられなかった。
だって、期待しちゃうんだもん
やっぱり、私は優未のことが好きなのかな。
「…ありがとね」
「どうしたっスか、いきなり」
「ううん、なんとなく言ってみただけ」
そう答えると、私のお腹の上の腕をくすぐった。
すると、彼の腕は離れていく。
「うわっ! くすぐったいっスよ」
「へへっ、お返しだ」
私は起き上がった。
窓の外での小雨は止んでいた。
また、いつ降るかわからないけど。
空っぽの部屋
起き上がって、私の部屋を見渡す。
……やっぱり、何もないや。
昨日、彼には嘘をついたけど…。バレなきゃいいな。
彼は起きて早々、あくびをしてからスマホを弄り始めた。…生意気なような、ませているような…。
ま、いいや。
私が部屋を出ようとすると、
「りーちゃん、トイレ?」
と、変な質問をしてきた。…何言ってんだ、こいつ。
「あ? 先、トイレに行きたいの?」
「ううん、違う。終わったら、帰ってきてね」
「……おう」
部屋を出て、トイレに行ってからまた、自分の部屋に戻ってきた。
変わらず彼はスマホ弄り。
「…スマホで何、やってんの?」
興味が少しあったから、聞いてみた。
「ん? LINEっス」
「ふーん」
私はベッドに腰掛けると、彼も起き上がって私の隣に座った。
…やっぱり、桃の香りがした。
「りーちゃんは、いつ、買ってもらうっスか?」
「高校に入れたら…ね」
「じゃあ、俺、りーちゃんと同じ高校に入って…。りーちゃんと毎日、LINEするっス♪」
「…ありがと。高校、入れるかな…」
「…入れるっスよ。りーちゃん、頑張る人だもん」
何も知らないくせに……。
私は私立の高校に入ろうと思っている。
私が目指している私立の高校は、髪型が自由。制服はあるが、私服で登校する生徒が多い。でも、勉強や部活に対して、真面目な人が多いのも特徴だ。サッカーとか野球といった部活が強い。
だから、入りたい。
でもな……。この頃、頑張ってないから…。不安でいっぱいだ。
ま、一応、返事をする。
「あ、ありがと」
「それより、りーちゃん……」
「ん? 何?」
「ここって、今はりーちゃんの部屋っスよね?」
「え……………………」
つい、黙り込んでしまった。バレてしまったら、バカにされる。
こういう経験はたくさんあるから…。嫌だったのに。
彼はなんて、反応するのだろうか。
変な汗が出てくる。
「だって、この机、りーちゃんのものばっかっス」
「………じゃあ、どう思った?」
「…何が……っスか?」
「ここが私の部屋だったら……。何もなくて、空っぽだし…。バカにするの?」
「いや、しないっスよ。いいじゃないっスか、何もなくても」
「え……」
「すきなものって、無理に作るもんじゃないっス。気づけば好きになってるものっス。だから…、俺はバカにしないっスよ」
彼は笑ってくれた。バカにしたような笑い方じゃない。いつもの笑顔だ。
「…ありがとう」
「うんうん。俺が、りーちゃんの好きなもの、作ってあげるっスよ」
「……それはいいや」
「え? なんでっスかぁ⁉︎」
私も笑った。こんな人、初めて見た。
朝ごはんは卵焼きに、ウィンナーを焼いたおかずに、ご飯と味噌汁。
食べ終わったら、彼は帰ろうとしていた。
「仲直り…。ちゃんと、するんだよ?」
「わかってるっス。お邪魔しました〜」
彼は荷物をまとめて、部屋を出て行った。
私も外に出て、彼を見送った。
「バイバイ、優未」
「うん、バイバイ。りーちゃん、また来るかもっス」
ヘラヘラと笑ってる姿を見送った。
…私も頑張ろう。
お客さん
夏休み中、自分では頑張ったつもりだが、結構やった。
ときどき、優未や雷斗が来てくれた。
その時は彼らのことをもてなさないといけないのだけれど、彼らは応援しにきたらしい。
後輩は嬉しいものだ。
夏休みが明け、秋も家に帰ってから勉強。
秋が更けてくると、もう二人に会うことはなかった。
麗虹と夏休みの時から会わないのは、きっと彼も気を使っているのではないかと想像した。
冬も勉強。
2月23日が試験の日だった。
私立青春高校。合格発表日が3月1日。
その日まで頑張ろう。
弱音を吐かずにがんばった。部屋に自分の好きなものがないから、余計頑張れた気がする。
勉強、勉強、勉強、勉強、勉強。
寝る時間はちゃんととれていたから、授業中、寝ることはなかった。
年が明けて、2月20日。
今日も勉強をしていた。でも、来客があった。
今日は平日の水曜日。
まっすぐ家に帰宅し、机に向かっていたら、ピンポーンとチャイムが鳴った。
…誰だろう。
玄関に駆けつけて、扉を開けた。
そこには……。
マフラーを巻いた優未と……隣には可愛らしい女の子がいた。
セミロングくらいの髪を二つに結んだ、多分彼の同級生だろう。
「やっほー、姉貴」
「おう。…何、恋愛報告?」
その言葉を言うと、彼はぐいっと家に入ってきて、小さい声で話し始めた。
「(ほんの5分でいいんで、ここ、俺の家設定にしてください)」
「(何、言ってんの? …つーか、その女、誰よ?)」
「(いいから、いいから。後で説明するっスから)」
と言うと、彼は定位置に戻り、彼女に話す。
「…姉貴がいいって。…今日だけだからな」
「うん! ありがとう♡」
彼女は私の目の前で、彼と腕を組んだ。
目の前で見ると、恥ずかしいなぁ。
彼女……なのかな。
嬉しいような、悲しいような……。切ない気持ちになった。
きっとかつと
「お邪魔しま〜す」
彼女はズカズカと入ってきて、リビングに行った。
誰なのかわからないまま、家に入れてしまった。なんとも、言えない。
「(りーちゃん、部屋で勉強してて。俺、5分で帰らせるから)」
そう言って、いたずらっ子のように笑う優未。頷いて、部屋に入った。
……勉強に集中できなかった。
どうしてくれるんだよ、ったく。
なんとなく、歴史の教科書をパラパラとめくった。
時計を眺めたら、5分より早く、3分ほどで彼女が帰ってしまった。
『大好きだよー♡』と言う甲高い声が聴こえた。
やっぱり、愛されてるなぁ。
そう思っていると、彼が部屋に入ってきて、ベッドに倒れこんだ。
「あー、やっと帰ってくれたぁー」
「あの子、可愛いね」
「ちぇっ」
彼は彼女のことが嫌なのかな。
彼が言うには…。
彼女は違うクラスの女の子で、この頃、彼に会うために、クラスに遊びに来るらしい。
今日は、彼の家に行きたいと言い出すため、仕方なーく私の家に連れてきたのだとか。
……なぜ、私の家?
「なんで、私の家なの?」
「自分の家に、連れて来たくなかったっス。あんな奴、嫌いっス」
「ほんとうは〜?」
私がからかうと、彼は泣きそうになっていた。
「大嫌いだって言ってるじゃないっスか!」
彼は私に抱きついてきた。
「あいつはキモいっス。俺、知らない人に抱きつかれるの、大嫌いっス! あいつは本当、大嫌いっス。大大大大大嫌いっス!」
「…なんで、抱きついてきたのよ」
「…消毒っス」
彼が離れていったので、少し実験しようと思った。
小さないたずらが思いついた。
「うみーーーー!」
と言って、抱きついてみた。彼は…どういう反応をするだろうか。
彼は…………。
「りーちゃん……?」
勢いよく、抱きつきすぎて、私が上に覆いかぶさる形に倒れこんでしまった。
自分で仕掛けたつもりなのに、赤面してしまう。
「えっ…。ご、ごめん」
離れようとしたら、逆に腕を掴まれ引き寄せられた。
「どうしたの、りーちゃん」
彼は嬉しそうに笑った。
「…嫌、じゃないの?」
「うん。…だって、りーちゃんだもん」
逆に抱きしめられてしまった。
……やっぱり、敵わない。
「私は嫌いじゃないの?」
「そりゃあね。あ、忘れてた」
彼は私を抱きしめたまま、起き上がった。
腕を離して、彼はリビングへと行ってしまった。
戻ってくると、彼の手には「きっとかつと」という、チョコのお菓子があった。
「はい。あげるっス」
「あ、ありがとう」
「何も、考えなくていいっス。りーちゃんは合格するっス」
「これ、届けに…きたの?」
「はいっス。……いらないもの、連れてきちゃったけど…」
「いいよ、全然。…ありがとね」
私が彼の頭を撫でると、嬉しそうに笑った。……犬か。
「じゃあ、帰るっス」
彼はリュックを背負って、玄関へと向かった。
「ありがとね。…私、頑張るよ」
「おっす! 応援してるっスよ」
彼は手を振って、帰っていった。
…ありがとう。
私、頑張るよ。
春
……試験の日。
緊張はしたけど、解答用紙に全て、答えを記すことができた。合っているかは別として。
カツラはつけずに、受けた。
…そりゃあね。
でも、試験だというのに、茶髪の人がいて、驚いた。
面接も練習していた甲斐があって、面接官の質問をよく聞いて答えられた。
あとは結果を待つのみ。
3月1日。
合格発表の日。
家に帰宅すると、すぐ青春高校へと向かった。
高校の校門を入ってすぐのところに、結果が表示されていた。
私の受験番号は142番。
…ありますように。
私と同じように、結果を見に来た生徒たち。ぞろぞろと表示されているところに並んでいた。
142、142、142……。
………あった。
その数字はしっかりと掲示されていた。
合格したのだ。
青春高校に。
嬉しくて、嬉しくて、涙が頬をつたった。
久しぶりに。
合格したことを受け入れて、家へと帰宅。
鍵をかけて家を出たのに、鍵が開いていた。
……お母さんかな。
扉を開けると、母の姿があった。
一週間に1、2回くらいしか帰ってこないため、久しぶりの再開である。
「おかえりなさい」
「……ただいま」
久しぶりにこの言葉を発した気がする。
母は、もう結果を知っていた。
「おめでとう。いつも、頑張ってたものね」
…何も見ていないくせに。よく、言えるよ。
そう言いたかったけど、あえて口に出さなかった。
「ありがとう」
「合格のお祝いに、スマホ、買ってあげるからね」
「……うん」
私はソファに座って、テレビをぼーっと眺めた。
…久しぶりにぼーっとテレビを見た気がする。
母が料理をしてくれていた。久しぶりの手料理だ。
何もかもが久しぶりすぎて、新しい世界にいるようだった。
夕ご飯はロールキャベツだった。
暖かくて、美味しかった。自分では作れない味である。
ゆっくりと風呂に入って、早いけどベッドに横になった。
……もう、いらないことを考えなくてもいいんだ。安心した。
安心したせいか、瞳を閉じたら、眠りの世界へと入り込んでいた。
渧泣たんぽぽ
合格発表の日が明けて、5日ほど経った。
母は、また会社へと戻ってしまった。また一人の日々だ。
卒業式は誰も見に来なかった。二人とも仕事の都合があったから。
卒業式だからと、泣いている女子生徒が多かった。
どうして泣いているのか、わからなかった。
進路が決まってしまった私にとって、中学校から早く抜け出したかった。
すすり泣いている生徒たちが多すぎて、情けないと思った。
2時間ほどの卒業式が終わると、生徒たちは記念にと写真を撮り始めた。
写真というものが嫌いな私は、そそくさとその場を去って、家へと帰宅した。
………やっぱり家の中は落ち着く。
静かな空間の中で私はベッドに横になった。
制服のまま寝転がったが、もうこの制服を着ることはないのだろう。だから、しわくちゃになってもいいや、と思っていた。
ピンポーンと、チャイムが鳴った。
優未かな。
そう思いつつ、玄関へと向かった。
扉を開けると……。
優未ではなく、雷斗がいた。
黒と赤と白のチェック柄のマフラーが似合っていた。相変わらず、ヘッドホンを首にかけていた。
「ちーっす、梨子ちゃん」
「ちーっす。…どした?」
「卒業、おめでと。合格もおめでと」
「……ありがと。どうしたよ、急に」
「……あがってもいい?」
「……いいよ」
彼は一人で来たらしい。
彼は家に入ると、ソファに座ってリュックから何かを取り出していた。
私は彼にココアを出した。彼は甘いものが好きだから。
砂糖を一個入れたココアを彼の前に差し出すと、嬉しそうに笑っていた。
「はいっ、合格祝い」
「ん? 何…これ…」
受け取ったものは大きな包みだった。開けていいか、と尋ねると彼は頷いてくれた。
包みを開けると、抱きしめられるサイズのヒツジのぬいぐるみがあった。このヒツジの羊毛の部分が薄い黄色だった。タンポポのような淡い黄色だった。
ふんわりと暖かい匂いがした。
「うわっ、かわいいっ」
つい、抱きついてしまった。可愛すぎて、可愛すぎて……。
「よかった、喜んでくれて…」
彼も嬉しそうに笑ってくれた。
「ほんとに、ありがとう」
「おっす。…わかんなかった。梨子ちゃんの好きなものが。…だから、なんとなく、このぬいぐるみにしたんだぁ」
「…ごめん」
迷惑かけたなぁ。
買ってもらったことも迷惑をかけてしまったけれど、好きなものがないと、相手は何をプレゼントしてあげればいいのかわからないから。たくさん、悩んでくれたに違いない。
「卒業式……、泣いてなかったね」
「うん。泣かなくてもいいもん」
「今なら………泣いてもいいよ」
「え?」
「梨子ちゃんだって、あの学校でたくさんいろいろなことがあったでしょ。だから、泣いてもいいと思う。愚痴をこぼしたっていいと思うよ。……俺が聴いててあげるから」
「……ううん。………大丈夫だよ」
なーんて言うのは嘘で。
学校の中では泣きたくなかった。泣き顔をあまり、人には晒したくないから。
でもさ。
今、考えてみると、寂しい思い出しかなかったから。
雷斗が黙ってしまったけど、私は口を開いた。
「ねぇ、雷斗」
「なぁに?」
「……泣き顔、笑わない?」
なんとなく、質問してみた。そんなことしないって私はわかってた。でも、一応ね……。
「え? ……笑ってあげるよ、全力で。ぐしゃぐしゃな梨子ちゃんの泣き顔、笑ってあげる」
もう遅かった。
いろいろな想いが込み上げてきて、もう涙が頬をつたっていた。
寂しかったなぁ。悲しかったなぁ。
彼らと出会わなければ、きっと、憂鬱な日々だっただろう。
何も言わず、彼は抱きしめてくれていた。
彼の学ランの制服に私の涙がたくさん付いた。
あと1年、この制服を着るはずなのに。汚れてしまう。
「ほんとに、泣いてるし……。きっと、いいことあるよっ♪」
彼は明るく声をかけてくれた。
いい後輩だなぁ、本当に。
泣き止んで、鼻をすすりながら、ヒツジのぬいぐるみを目にした。
微笑んで笑っているかのように思えた。
このヒツジは、雷斗のようだ。
「ねぇ、雷斗」
「ん? 泣き止んだ?」
「うん。ありがとう…。このヒツジって、他に何色があった?」
「えぇっと……。この色の他に、淡い水色と淡い桃色があった気がする…。…もしかして、揃えるの?」
「え? なんか…。その三色、あんたたちみたいだからさ」
すると、彼は大笑してくれた。
「じゃ、俺も手伝う。…そのヒツジたちって、着せ替えができるらしくて、アクセサリーとか服とかたくさんあったよ」
「あ、楽しそう。…じゃあ、二人だけの秘密でそれ、集めよっ」
私が提案すると、彼はうん、と頷いてくれて私を強く抱きしめた。
意外すぎて、声が出なかった。
「秘密って、いいっすね」
彼の発言に、意味がなさそうでありそうな気がした。
彼が帰ってから、もらったヒツジを眺める。
このヒツジには、ヘッドホンを買ってあげようと思った。
エヘヘテレパシー
卒業と高校入学祝いに念願のスマホを買ってもらった。
白のスマホ本体にイチゴのようなケースを買ってもらった。
私らしくないけど、イチゴが好きだから。
いろいろと設定していくうちに、LINEというアプリをインストールした。
LINEというアプリのことをよくわかっていなかった。
だから、優未や雷斗に教わった。
友達の数は三人。
優未と雷斗と麗虹。
麗虹とは、実際あまり話さないのに、LINEではよく喋った。
打つのが早くない私だが、少しずつ慣れていった。
優未とは宣言通り、毎日会話した。
卒業した私だから高校の入学式まで休みである。まだ修了式を終えてない彼らとは夜からしか接することができない。
三月の中旬。
今日も夜6時くらいにLINEの通知が彼から来た。
『りーちゃん、元気ぃ⁇』
いつも、この言葉から始まる。
ゆっくりと字を打ち間違わないようにキーボードを打った。
『元気だよ。いつも、ありがと』
なぜか、お礼まで言ってしまう。
嬉しい、と示すスタンプを送信した。
すると、彼からスタンプが来ると思ったら……、言葉が返って来た。
『すきだよ』
どういう意味だろうと疑問に思い、尋ねる。
『……なにが?』
『ん? りーちゃんのこと』
『…バーカ。』
と送信すると、彼からエヘヘと笑うウサギのスタンプが送られた。
…本当にバカだな。なにもわかってないから。
『バカじゃないもん。』
『はいはい』
なんとなく、彼の彼女だったらと妄想してみた。
同い年じゃないのにさ。
でも、笑いあっていそうな気がした。
嘘か事実か。
彼がどう信じるかわからないけど。
思いきって、メッセージを送ってみる。送ってしまったら消せないけれど。
『私も……すきだよ』
送ってしまうと後悔。
彼はきっと、浮かれて調子に乗るだろう。
『ほんと? 嬉しいなぁ。
年なんか、関係ないからね』
……なんだ、このメッセージ。
自分の気持ちが彼には全て知られているようで。
……腹立つ。
エヘヘのスタンプも、彼のことも。
『…黙れ』
『エヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘ』
彼は「エヘヘ」の言葉が好きなのかな。
本当、女の子らしい。
そんな彼が好き。
いつか、恋人同士になれるといいけどな。
…叶わないけど。
パーリー
4月に突入した。
もう、春休みが終わってしまう。
学校側から課題が配布されて、終わらせたものはいいものの、後はぐうたらと過ごしていた。友達がいないため、遊びに行くことがない。
勉強はせず、携帯ばかり弄っていた。
携帯と仲良くなって、字を打ち込むのも買った当初よりは早くなった気がする。
4月の第1土曜日。
今日もまた、遅く起床しダラダラと朝食をとる。
この1日の大半も携帯をいじることになろう。
インターネットで柄にも合わない可愛らしい画像を集める。
やることがないから、仕方なく…だ。
昼ごはんもダラダラと食べ、また携帯を弄る。
今日の朝、充電したはずなのにもう半分ほど減っている。
……退屈だ。だからといって、勉強する気にはなれない。
中学生も春休みであろう。きっと優未も……。
自分からLINEで話しかけたことがない。きっと、相手だって迷惑であろうし…。
気を遣ってしまうから。
そう思っていたら……。
ピンポーンとドアのチャイムが鳴った。久しぶりの来客だ。
あの人だったらいいなぁと胸を弾ませながら、扉を開けた。
そこに立っているのは、オシャレな格好をした優未の姿だった。
嬉しかった。けど、素直にはなりたくない。
「おっす、りーちゃん」
「お、おう………。急に、どうしたの?」
彼は嬉しそうに笑いながら答えてくれた。
「パーリっス、パーリー♪」
「は、はぁ…」
彼に誘われて、パーリーに参加することになった。
ちょっと待ってと声をかけ、部屋の中に戻った。金髪のカツラを取りに行くためだ。
「あ、またつけてる………。付けなくても可愛いのになぁ」
バーカ、と彼に言い、家を後にした。
「たっだいまー」
「お、お邪魔します…」
彼に着いていった結果、彼の家に着いてしまった。
彼の家は洗剤のようなふんわりといい匂いがした。こんな空間で過ごしていたら、私も女の子らしい性格になるのかな。
彼が今まで履いていた靴と同じようなデザインのスニーカーが二つほど並んでいた。
きっと、優未だけではないと確信した。
出てきたのは彼のお母さんらしき人物。目のぱっちり具合が彼とそっくりだ。
「あら、お客さん? ………可愛いわね。彼女さん?」
「違いま…」
「そう、彼女だよー。すごいでしょー」
彼のせいで言葉が遮られてしまった。
お世辞なんて言わなくたっていいのに。人は気を遣ってばかりだなぁ。
「よくそんな可愛い彼女ができたこと。あ、みんな上にいるから、ゆっくりしていってね」
「はい…。ありがとうございます」
軽く微笑んで、彼のお母さんに挨拶をした。
彼の部屋は二階にあるため、階段を上る。上っている途中で、
「お母さん、綺麗な人だね」
と彼に声をかけてみた。すると、彼はすぐ首を横に振った。
「ないない」
その返事の仕方が面白かった。
彼の部屋ともう一つ部屋があった。ドアの前にはネームプレートがあって、「ゆう」と記されてあった。
後で聞いたら、1個上のお姉さんらしい。そういえば、あまり関わったことがないけど、「佐戸川 悠」という男の子らしい名前の女の子がいた気がする。
仲の良さそうな姉弟の姿が色鮮やかに連想できる。
「うみ」と記されているネームプレートが掛けられた扉を彼が開けると、クラッカーが弾ける音が聴こえた。
びっくりして、私が部屋を覗く。彼も勢いがありすぎて驚いているようだった。
「梨子ちゃん! 合格、おめでとう♪」
「遅くなってごめんなさーい♪」
ノリノリの2人である。部屋にあるテーブルの上にはホットプレートと何かが入ったボールがあった。
「あ、ありがとう」
「ささ、姉貴。座ってよ」
テーブルの前に正座した。この部屋は優未の匂いがする。あの桃のような匂いだ。
合格祝いなんて、突然すぎてびっくりした。
ホットケーキパーティーの始まりだった。
雷斗がホットケーキの生地の素を作っていたらしい。
やっぱり、雷斗は焼くのが下手だった。
久しぶりにたくさん笑った。この後輩たちはいい人たちばかりだ。
「俺、姉貴と同じ高校に行くっスよ!」
優未がそう言った。
彼は左耳にピアスをしているから、もうこの近くで彼が入れる高校は青春高校しかないからだ。
麗虹も卒業式から会わないうちに、髪が茶髪になった気がする。彼が言うには、「プールに行き過ぎた」と言っているけど……。
雷斗も同じく青春高校を志望しているらしいけど………。
「んで、また俺ら4人で高校ライフを満喫するっスよ〜♪」
優未の嬉しそうな笑顔につられて、麗虹も笑った。雷斗は、笑っていなかった。
……どうしてだろう。
「姉貴、高校の事、たくさん教えてくださいっスよ」
麗虹に言われて実感する。
あと数日後に入学式がある。
誰か、話が合うような人がいればいいなぁ。
「おう。私も待ってるよ」
彼らに笑いかけた。…頑張ろ。
金色の髪
入学式。
クラス発表が入学式当日であった。
もともと友達のいない私にとって、どのクラスにいても変わらないのだけれど。
私はC組だった。
同じ中学校出身の人がいなかった。少し、嬉しかった。
いつもと同じように金髪のカツラを被り、1年C組のクラスへと向かった。
階段を上がっていくと、さまざまな生徒がいた。茶髪だったり、ピアスをしていたり、制服を着崩す生徒もいた。
それでも、勉強や部活を頑張ろうとする人たちが多いのだ。
C組に入ると、見知らぬ人たちがたくさんいた。さっそく、友達作りに励んでいる人も。
私は気付かれないように、前の黒板に貼られていた座席表を確認する。窓際の前から2番目の席だ。
…前か。先生に見られるなぁ…。
席に移動し、着席した。隣の席の人はまだ来ていないらしい。
隣の席の人がどういう人かなと思い、一応、名前を見てきた。「竹村 実花」という、可愛らしい名前だった。確実に女の子……のはず。
何をしたらいいかわからなくて、窓の外を眺めていた。
雲ひとつない青空。私に笑いかけているようだった。
ガタガタンと、隣の席の椅子が動く音が聴こえた。ふと隣を見れば、金髪の女の子が座っていた。
セミロングの長さの金髪を二つのお団子にして結ぶ彼女。
彼女がきっと、実花さんだ。
声をかけてみようかな。でも、恥ずかしいなぁ。
同じ金髪でも、声はかけづらい。仲間だなぁと思いつつも、声はかけづらいものだ。
うーん………。
悩んでいたところ、相手が声をかけてくれた。
「あの……。その髪って、ヅラですか?」
「はい?」
いきなりの質問に驚いた。ヅラって……。聞き方が面白いなぁ。
「えぇっと……。ヅラですけど…」
そう答えると、彼女は目をキラキラと輝かせた。
「ほんと? 私もね、ヅラなんだよ〜」
嬉しそうに笑う実花さん。……可愛いなぁ。
「仲間ですね」
「うん! 私、実花っていうの。あなたは……なしこさんじゃないよね?」
「うん。りこって読むんだ」
「へぇー。可愛いねぇ。よろしくね、梨子ちゃん!」
「うん。よろしく…。ちゃん付けじゃなくていいよ」
「ほんと? わかった! よろしくね、梨子」
「よろしく」
明るい性格の女の子。私とは対照的な人だと思う。
光と闇のような関係だと思う。
初めての友達だ。
共通点
実花と接していくうちに私との共通点が多いことに気づいた。
まず、第一に同じ金髪のカツラをかぶっていること。髪の長さは同じようで、彼女の方が若干長い。
そして、意外にも、明るい性格の方なのに、前の学校でひとりで過ごしていたらしいということ。……ありえない。
だって、こんなに可愛くて、明るくて…。嘘だと思ったけど、事実らしい。
「ほんとだって。同級生となんて、過ごさなくてずっと後輩と過ごしてたよ」
そして。
後輩と仲がいいということ。
結構、共通点が多い私たち。だから、よく話もあった。
入学式が終わった後、身体測定や、部活動集会などの行事がスムーズに進み、約1週間後には、さっそく授業が始まった。
私は変わらず、窓の外を仰ぎ、空の表情を眺めていた。
笑ってたり、ムッとしたり…。
泣いた顔ももう少し、時間が経てば見られるだろう。
隣の席の実花は……。
授業用のノートの1ページにパンダのイラストを描いていた。
その授業が終わった後、聞いてみた。
「なんで……。パンダ?」
「えぇ? 見てたの?」
笑いながら、彼女は答えてくれた。
「実はね、後輩でパンダみたいな人がいるんだ♪」
女の子かな。
パンダ系女子って、どういう感じの人なのだろう。
「パンダ系女子?」
「ん? ううん、パンダ系男子」
男子?
私はキョトンとした顔をしていたに違いない。
でも、わかった。
彼女は照れ臭そうに微笑んでいたから。
私との共通点。
彼女も後輩に恋をしているということ。
逢いたい
授業が辛い。
高校だから、中学校と違い、授業の進度が早い。
特に、数学の授業では以前の甘さが思い知らされる。問題を解くのが遅い私は、ノートに板書を写すことができなかった。
隣の実花は、数学だけは熱心に取り組んでいた。黒板に記されている字がピンクや黄色のチョークで書かれていても、シャーペンでスラスラと写し、問題に取り掛かる。
全て正解していた。
数学だけは熱心だった。
古典や化学となると、またノートにパンダの絵を描いていた。
6月に突入すると、テストがある。
彼女は勉強をせず、後輩と遊びに行くらしいが……。
私も優未と会いたいよ。
「パンダ君はいい人?」
「え? あー、パンダ君? うん、かわいいよ」
お昼休みはよく、彼女の後輩について尋ねていた。自分のことは言わなかった。恥ずかしかったから。
彼女は男子の後輩2人とよく、ゲームセンターに行ったり、カラオケに行ったりしていたらしい。
名前は、きっとニックネームだろう。
ケロ太郎と、シェイシェイという男の子と遊びに行っていたらしい。
彼女が想いを寄せているのは、きっと、シェイシェイという人物だ。
テストではいい点を取りたいと思い、帰宅部の私は家へ帰ると、嫌々と机に向かった。
なんの教科から勉強を始めたらいいのかわからない。
……苦痛だな。
英語の教科書を和訳してみたけど、うまくできなかった。
うーん……。
ピンポーンと、チャイムが鳴った。時刻は午後5時を過ぎていた。中学生組も学校が終わる時間だ。
半信半疑で、胸を躍らせながら、ドアを開けた。
そこには……。
学ラン姿でヘッドホンを首にかけた雷斗の姿があった。
期待とは少し違って、心が虚しかった。
「い…いらっしゃい」
「おっす。梨子ちゃん、ごめんね、突然きて……」
「ううん、大丈夫だよ。…どうしたの?」
そう聞くと、彼は言いにくそうにこう答えた。
「あの……。相談があるんだ…」
My Way. Myself.
彼を家にあがらせて、冷蔵庫に入ってあった麦茶をコップに注いで差し出した。
「ありがと」と、応えてくれた。
……なんのことだろう。
すると、彼が重い口を開いてくれた。
「相談っていうのは……。重いこと…ではないんスけどね」
うん、と私は頷いた。
私に相談しに来てくれたのだから、応えなければ。
私はゴクンと、唾液を飲んだ。
「俺…。実は…」
彼は私を見て長い話をしてくれた。
「俺、青春高校に入学したいなって思ってるんだ。でも…。もう、梨子ちゃん達と一緒に連んでいられないんだ」
「俺…。青春高校にある、軽音楽部に入ろうと思ってるんだ。もともと、バンドとかロックとかに興味を持ってて。俺、実は、ギターが弾けるんだ。やりたいことを見つけられたんだ」
「うん。いいことじゃん。頑張ってよ」
「う、うん」
全然、相談することではないではないか。安心したのだが、彼は笑ってくれない。
なんのことを相談したいのだろうか。
「…まだ、解決なんてしてないよね?」
「……うん。問題はこれからなんだ」
また、彼は話してくれた。
「あの2人に……。このことを話してはいないんだ」
だから、と納得する。
だから、あの時、笑っていなかったんだ。
でも、思う。
「そんなの……。気にすることじゃないよ」
「え…」
「だって…。自分のやりたいことでしょ? そりゃあ…。あの2人は何て言うか、わからないけど…。許してくれるって。もし、許してくれなくても、私は雷斗と変わらずに接するよ」
私が笑いかけると、彼の顔が綻んだ。
「ありがとう、梨子ちゃん」
そして、彼の心配は的中する。
きいろいアタマとロッカーの存在
彼の打ち明けから2日後のこと。
たしか、土曜日のことだった。
勉強がもうだるくて、机の上に転がるシャーペンを弄っていたら、ドアのチャイムが鳴った。
…誰だよ、もう。
そう思いつつ、玄関に駆けつけ、扉を開けた。
そこには、私服姿の優未がいた。
「いらっしゃい」
「りーちゃん…。どういうことっスか」
彼の眼差しが怖かった。…なんのことか、その時は気づかなかった。
後々、気付くことになるのだが。
彼を家にあがらせ、麦茶を出す。
雷斗と同じシチュエーションだ。
すると、彼は単刀直入に本題へと切り出した。
「雷斗のこと、聞いたっスよね」
「……うん、聞いたよ」
「…なんで、止めなかったっスか」
……へ?
止める? 彼のやりたいことをなぜ、止めなければならないのだ。
「なんで…止める必要があるの?」
「だ、だって……」
「俺ら、いつも四人だったじゃないっスか。なのに…、なのに……。あいつ、一人で決めちゃったっス」
…………彼は寂しいのかな。
雷斗がいなくなってしまうことに。
でも、彼が死ぬわけではないし、高校が一緒に入学できれば会うことはできるのだ。そんな、難しく考える必要はないと思うのだが…。
「雷斗が抜けるからって、もうあんたたちの関係は終わるもんなの?」
「終わらないっスけど…」
「じゃあ、いいじゃん」
「よくないっス! そもそも、なんであいつ、俺らじゃなくて、りーちゃんに相談したんスかぁ?」
そんなこと、知るかぁぁぁぁって、叫びたかった。
そんなこと、本人に聞けばいいのに。彼のことを子供らしいと思った。
でも、雷斗が私に相談してきた理由をなんとなく、察することができた。
彼らが私のためにホットケーキパーティーを開いたとき。
優未と麗虹は「また四人で一緒に遊ぼう」と言っていたときのこと。
彼は1人だけ、笑っていなかった。
ノリノリの2人に言えるわけがなかったんだ。
でも、本人の前で……この事実を言えるかな。……言えないな。
勢いがあれば言えると思うけど。
「理由なんて、わかるわけないでしょ」
「もう、腹が立って仕方ないっス!」
知らねぇぇぇぇぇぇ!本当に叫びたかった。
「何? 雷斗がいなくなることが嫌なの? それとも、自分だけやりたいことやって、ずるいなぁとか思ってるの? だったら、好きなこと、やればいいじゃん」
「誰もそんなこと、言ってないっスよ!」
「でも、そう聞こえるけど。やりたいことあったら、麗虹だったら許してくれるはずだよ。優未と違って」
「はぁ? なんスか、その言い方。だったら、俺だって言いたいこと、言うっスよ」
「おう、言えるもんなら言ってみろコラ」
「りーちゃん、金髪なんて、似合わないっスよ」
「はい? 今、関係ねぇだろうがぁ」
なんの話をしているんだろう、これ。
全然、話の終わりが見えなくなっていた。
「関係あるっスよ! そもそも、なんでカツラつけてるんスか! 地毛の方が似合ってるのに…。そうやって、自分が可愛いのを隠してるんスかぁ?」
「んなわけ、ねぇだろうが! 可愛くないからこんなことしてるのに」
わかってないなぁ。
「じゃあ、なんでっスかぁ?」
「……笑われるから言わない」
「笑わないっス。雷斗じゃないっスから」
あまり言いたくなかった。
だって……。
「言ってほしいっス」
もう、どうなってもいいやって思った。
彼の反応はもうわかりきっているけど…。もう言ってしまおう。
「……私は…。話すことが苦手で。話しかけることなんて、あまりできないから。人見知りだし…さ。慣れた人は、大丈夫…なんだけど。でも…。寂しくて、誰も私のことを見てくれないんじゃないかーって思ったとき。気づいたんだ。存在に気づいてもらえるように、目立てばいいんだって」
「だから…カツラを?」
「そう。…笑っちゃうよね。……でも、ダメだった。逆に無効だった。金髪だから、目立とうとしたら、逆に誰も近づいてくれなかった。…バカだよね。自分から動こうとしないでさ、待ってばっかりだよ。だから…。寂しい思いばかり。わかってるけど、できないことなの。寂しいんだ」
全て打ち明けると、スッキリする。
だからと言って、打ち明けられた相手にとっては嫌な思いしか味わえないだろう。
「なんすか…。それ」
やはり、私の推測通りだった。このセリフは彼の怒りを買うのだ。
「それ、じゃあ、俺たちの存在ってりーちゃんにとって、なんなんすか?」
「ただの………後輩。なに? あんたは私のこと、ただの先輩だって、思わなかった?」
わざと突き放す。
もう、今日は会いたくない。
ただの後輩、だなんて嘘だし。私は、他の2人にはそう思っているかもしれないけど、当の本人のことは、そう思ってなくて…。
もう、今はあいたくないや。
彼の表情は、怒りと悲しみに満ちていた。
………怒らせちゃったなぁ。
「………もう、いいっす」
彼は麦茶を飲み干して、勢いよく扉を開け、出て行ってしまった。
彼の飲み干したコップを眺めて、クスクスと笑った。
そのあと、頬に涙がつたった。
初めて、親以外の人と喧嘩した気がする。
喧嘩……というか、口論か。
人を傷つけるって、面白いようで、心が痛い。
自分がどうして涙を流しているか、わかった。
お母さん
今日は雨が降っていた。
強いようで弱いような、なんとも言い表すことができない雨の強さだ。
彼と口論を起こして、丸一日。
経ったけど、まだ心が痛かった。
明日からテストだというのに。
勉強する気になんて、なれなかった。6月だものね。雨がよく降る。
ベッドに横になりながら、雨音に耳を傾けていた。
憂鬱だ。…本当に。
何もしたくない。
ピンポーンと、ドアのチャイムが鳴った。
……誰よ、もう。
優未なんて、来るわけがない。
雷斗は自分の夢を打ち明けてから、彼とLINEのトークもしていない。
じゃあ、もしかして……。
玄関に向かい、扉を開けると…。
傘をさした、麗虹の姿があった。
……あれ、家の行き方、彼は知っていただろうか。
疑問に思いつつも、迎えた。
「お、麗虹だ。…どうしたの?」
「お話があって……。いいっスか?」
頷いて、彼を家の中に入れた。
カツラを被っていなかったから、彼は驚いていたけど。
「姉貴の髪って、カツラだったんスね」
「うん…。まぁね」
昨日、言われたことが胸に刺さってきた。
なぜ、また刺さってきたのかわからないけど。
…別に、彼のセリフが痛かったわけではない。…んだけどな。
彼を座らせ、いつものシチュエーションで迎える。そろそろ、新しい麦茶を作らなきゃな。
「姉貴」
「ん? なぁに?」
彼が何を話そうとしてるか、だいたい予想はついていた。
「優未のこと、あまり悪く思わないでほしいっス」
お母さんみたいだなと思い、ふふっと笑った。
「ほんと、麗虹はお母さんみたいだね」
「そんなこと、ないっスけど…。でも、あの2人とはずっと、一緒にいるから…。もう、相手の嫌なところとか、わかってきたっス」
彼は照れたように、頭をかいた。
「そっか…。大丈夫だよ、心配はいらないから」
「…それはよかったっス。優未は、姉貴の言っていたこと、気にしてたっス。あいつ、姉貴のこと、好きすぎるっスから」
彼は面白そうに笑った。
……へ?
好きすぎる?
「……どういうこと?」
「え? 例えば、俺らにバレないと思ってるのかわからないっスけど、姉貴のこと、『りーちゃん』って、呼んでるんスよね?」
「………うん、そう」
「…やっぱり。丸わかりなんスよ、あいつ」
へへっと笑う麗虹。
すごいなって感心した。
「よくわからないけど、姉貴のことは慕ってるんスよ」
「…それはよくわかるよ」
「だから、姉貴も…」
彼は続けた。
「…俺とか雷斗には、あまり言いたいことは言えないかもしれないけど。優未には言ってもいいと思うっス。もっと、頼ってもいいと思うっスよ」
お、お…。お母さん。
本当のお母さんではないけど、言葉が胸に染みた。
「…ありがと。…ねぇ、麗虹」
私は彼に尋ねてみたかった。
彼のこと。
「雷斗のこと………。どう思っているの?」
彼は黙り込んでしまった。でも、何秒も経たぬうちに、答えてくれた。
「あいつのやりたいことをやらせればいいと思うっスよ」
「…教えてくれて、ありがと」
彼はそれだけを伝えに来てくれたのか、雨の中を帰っていった。
彼のコップには少し、麦茶が残っていた。
帰るとき。
扉の前で、もう送らなくていいと、彼は言った。
いつも、優未や雷斗が帰るときは外に出て、送っているのに。
彼が外に出てから、数秒後に外に出て、彼を送ろうとした。
扉を開けた時だった。
そこに、人影があった。
雨の中で
扉を開けると。人影があった。
…誰だろう?
でも、すぐにわかった。
傘をささずに、扉の横でしゃがみこむ優未の姿があった。
屋根があるからいいけど、髪だけ少し雨のせいで濡れていた。
目があった。
すぐに目をそらして、部屋に戻った。
タオルを持って、玄関に向かった。扉を開けて、彼にタオルを渡した。
「……ありがと」
彼は受け取って、髪の毛を拭いていた。
麗虹にここの家の場所を教えたのはきっと、彼だろう。
何を言えばいいのか、わからなかった。気まずいのもあるし…。
だからと言って、部屋に戻るわけにもいかないし。…何か、 話した方がいいかな…。
「………あの…」
「りーちゃん」
彼に呼ばれて、彼を見つめた。
「言いすぎちゃって…。あの時は、ごめん」
素直に謝る彼は、なんて純粋な子なんだろう。また母性本能が心を満たした。
「私も…、ごめんね」
「ううん」
急に、抱きしめたくなった。彼が幼い男の子に見えて。
彼の頭を引き寄せて、抱きしめた。彼の頭はタオルに包まれていたから、洗剤の匂いがした。
「……りーちゃん?」
「ごめん。……でも、ちょっと黙ってて。ただ、こうしたいだけだから」
彼は何も言わずに、抱きしめられていた。
もし、彼のような人が柴犬とか、ゴールデンレトリーバーのような忠犬だったら、きっと、みんな飼うだろう。…だって、いい子なんだもん。
私も何も言わずに、抱きしめていた。
………何分経っただろうか。
「りーちゃんだけ、ずるいよ」
そう言われて、首をかしげる。
「もう、抱きしめるの、やめるっス」
……嫌だったのかな。
離すと、逆に、腕を掴まれて、彼の胸の正面に引きつけられた。
彼の姿勢はしゃがむのをやめ、外だというのに、あぐらをかいていた。
引きつけられた勢いで、彼の膝に座り込んでしまった。
「ちょっ…………」
「りーちゃんだけ、ずるいっスよ」
そう言って、抱きしめられた。
彼の服はあまり濡れていなかった。でも、抱きしめられるとは思わなかった。
髪を撫でられた。
「……やっぱり、茶髪のほうが好きっス」
彼に言われて、嬉しかった。
でも、カツラを被っていないと不安になってしまうんだ。
優未といるときは、いいけど。
「……ありがと」
雨の中、私は彼と仲直りすることができた。
みかんとパンダ
テストの日々が始まった。
やっぱり、高校に入ると、テストの仕組みが違う。全8教科を約3日間に分けてテストをした。
午前中だけテストをして、それだけで解散。
やっと、2日目が終わった。
明日の教科は、現代国語や化学など、数学のような気難しい教科ではない。
というわけで、実花の家に遊びに行くことになった。
目的はもちろん、勉強。明日のために、化学の勉強をすることに。
彼女の家は電車に乗らなければ行けなかった。
学校から直接、彼女の家に向かうために、電車に乗った。
電車に揺られて、約30分。桜駅というところで、彼女が降り始めたので、着いていった。
電車に乗ってから徒歩で約10分。
彼女の家は一軒家で、庭には手入れがされた花が咲いていた。
……いいなぁ。
「ただいまー」
「お邪魔しまーす」
そう声をかけたけど、返事がなかった。きっと、彼女の両親は共働きで外出中なのだろう。
彼女の部屋は2階にあり、開けると、サンリコの有名キャラクター、マインメロディのグッズが多かった。可愛いなぁ。
私はそういう好きなものがないから…。あんな、殺風景な部屋なのだろう。
彼女はお昼ご飯として、カップヌードルを提供してくれた。
一緒にふぅふぅしながら食べた。インスタント食品は久しぶりだった。
それからは化学の勉強。
ノートのまとめをしながら、問題を解いていく。
うーん…。わからない。
相談しながら解いていったけど、わからないものはわからなかった。実花に聞いたとしても、彼女はいつも、ノートにパンダを描いているから。教科担任の話を聞いているわけがなかった。
彼女の描くパンダは可愛らしくて、丸っこくて。リボンをつけたパンダや、笑う姿のパンダが多かった。
しばらく取り組んでいると、彼女が席を立った。
「ちょっと、トイレ行ってくるね」
彼女がいなくなってからも集中して頑張ったけど、参考書を読んでわかろうとしたけどダメだった。わからないって、辛い。
すると、ピンポーンと、ドアのチャイムが鳴った。
……あれ?
1階に降りて、トイレを探した。
「実花。お客さんだよ?」
すると、意外な返答が返ってきた。
「ちょっと、出てくれない? 長くなりそうだから」
え?
頼まれたから、対応するしかない。わからないことがあったら、彼女にまた聞けばいいのだから。
勇気を振り絞って、家の扉を開けた。
そこには……。
制服を着た青年がいた。……高校生だろうか。
切れ長の目が綺麗だった。美青年だ。ワイシャツを着ているから夏服だろう。背が大きく、優未くらい…かな。白黒の模様のついたリュックを背負っていた。
彼は驚いていた。
「……あれ、みかんちゃん、お団子やめたの?」
み…みかんちゃん?
彼の発言に驚いたが、彼が誰なのか、予測がついた。
私が黙っているから、ようやく人違いだと気付いたらしい。
「あ。ごめんなさい。あの、実花さんに、これ…」
と言って、渡されたのは果汁100パーセントのオレンジジュースだった。…酸っぱそう。第一にそう思った。
「あ。ありがとうございます」
私は微笑んで、扉を閉めた。
すぐに彼女に確認をする。
「ねぇ、実花」
「ん? なぁに?」
「オレンジジュース、もらっちゃったよ?」
と言った途端。
彼女がトイレから飛び出してきた。
「シェイシェイだぁー!」
彼女は叫んで、玄関へと駆けて行った。
………あれが。
噂のパンダ系男子である。
彼女は5分後に帰ってきた。嬉しそうに笑っていた。
やっぱり、彼のことが好きなように見える。
そして、彼女は彼のことを詳しく話してくれた。
片想い物語。
彼との出会いは中2のときだった。
1個下の彼は中1だった。
彼は1年生だというのに、美男子で、スポーツ万能、性格もいいという、完璧男子だった。
そして……。そんな完璧男子はナンパをよくしていた。
自分がイケメンだと自覚しているのだろう。同い年の人はもちろん、年上の先輩にも声をかけ、カラオケやカフェに誘っていた。
そんな彼に声をかけられた人は、幸せそうに見えた。
彼のファンクラブまでできてしまった。
それに比べて、私は……。
暗くてクラスでは、影の存在だった。どうせ、私がいなくたって、きっとこの世界は成り立っていけるだろうと思っていた。
彼の噂は聞いていたけれど、自分には関係ないと思っていた。
しかし………。
7月の上旬。ある日の放課後、彼に声をかけられた。
『一緒に、カラオケ行きませんか?』
声をかけられるだなんて、思ってもいなかった。絶対、ないだろうと思っていた。
彼は屈託のない笑顔で笑いかけた。
嬉しかったけど…。
反対に、彼はこの屈託のない笑顔を他の人たちにも見せているのだろうと思うと、少しだけ吐き気がした。
だから、嬉しかったけど、断った。
『ごめんなさい。……他の…人を、誘ってください』
そう言って、逃げるように駆け出した。
次の日の放課後。
また、彼に声をかけられた。……しつこい人だなって、その時は思った。
『俺…。初めてだ』
『……何がですか?』
『……ナンパ、失敗したこと』
…まだ言っているのかと、ため息が出た。
『……知らないです、そんなこと。私に言われても…。他の人を誘えばよかったじゃないですか』
年下の相手なのに、つい、敬語になってしまう。
『だから……、決めました』
彼はまたあの笑顔で笑った。
『俺、あなたについていきます。ナンパ、失敗したままじゃ、俺のプライドが傷つきますから』
何だそれ。
勝手すぎるでしょ。そう思った。
でも、それからはずっと、彼は私と一緒にいた。もう、ナンパはしなくなっていた。
彼は勘が良くて、彼のことはあまり知らないのに、私のいろいろなことに気付き始めた。
私は暗い女の子だということ。
自分からあまり発言しないということ。
そして。
私には友達があまりいないということ。
そんなこと、本人に言わなくたっていいはずなのに。
夏休み前に、彼はこんなことを言った。
『実花さんは……。あまり、笑わないね。いつも、1人だし……』
『…関係ないじゃん。あなたに』
関わってほしくなかった。私と対照的な彼に、私の気持ちなんて分かるわけがないじゃない。
『私に…、ついてきて、何がしたいの? 人の弱みを握りたいの? 弱みを握るために、いろいろな人をナンパして、観察してたの? だったら、嫌な人だね、あなた』
あまり、言いたいことを言わない私は、いつの間にか、たくさん、思いを彼に吐き出していた。
『そんなだったら、私についてこないでよ。普通に、他の女の人、ナンパしてればいいじゃない』
言っていると、スッキリした。
言われる側は、憂鬱なんだろうけど。
『………ごめん、なさい』
『……終わった?』
そう言うと、彼はなぜか笑っていた。みんなに見せる綺麗な笑顔じゃなくて、悪戯心が混ざった笑顔だった。
『…うん。終わった。…だから、ごめんなさい』
『じゃあ、俺の番ね』
彼は黒く笑った。
何を言われるのか、怖かった。
でも、何も怯える必要がなかった。
『じゃあ、笑ってよ。心がスッキリしたら、笑えるはずだよ』
『…笑いたくない。ブサイクだし』
と言うと、彼は私の頭を撫でてくれた。
もともと、背の低い私は、とっくに中1の彼に越されていた。
『言ったな、その言葉』
『言いましたとも』
『その言葉、忘れんなよ。誰にも、実花の笑顔見せんなよ』
意地悪そうなセリフ。でも、言われたことがなくて、キュンとした。
恥ずかしくて、笑うしかなかった。
照れたように、気が抜けて笑ってしまった。
彼は私の笑顔を見て、少しだけ、頬を赤く染めていた。
夏休みに入ってから、彼に会わない日々が続いて。
私は明るくなろうとして、金髪のカツラを買った。被って、これをきっかけとして頑張っていこうって思った。
夏休み中は………。寂しかった。彼に会えなくて。
もうこの時から自覚をしていた。
私は彼に恋をしているんだ、と。
夏休みが明けてから、また彼に会って。
彼は変わらずに、一緒にいてくれた。
毎週金曜日は、私の発言の日になっていた。たまに、涙が溢れた時があった。
その時、彼は背中をさすってくれた。
ずっと一緒にいてくれた。
最後に『笑ってよ』と、声をかけられて、笑いあった。
金髪のカツラを被ったら、
『似合ってるけど、地毛の方が………』と言われた。
でも、クラスで少しずつだけど、クラスメートと話せるようになっていた。
中3になって。
彼とは変わらずに一緒にいた。
ケロ太郎、というニックネームの少年と仲良くなった。
ケロ太郎は、彼の古くからの友達だったらしい。温和な性格で、基本、ゆるかった。
彼らとは、よくカラオケや、ゲームセンターに向かって遊んでいた。
その年の夏休みに、ケロ太郎は教えてくれた。
『彼のナンパは、別に女の子が好きなわけではなくて。彼の周りの同級生が彼を利用していたんだ。依頼してきた同級生のために、女の子を誘って、その依頼主と会わせる。すると、彼が関わった二人はカップルになることが多かったのだ』と。
……じゃあ、私のときのナンパは、誰かに頼まれていたのかな?
でも、絶対ない。私のことだもん。
すると、彼は続けた。
『あいつは、きっと実花ちゃんを笑わせたかったんだよ』
………そっか。
彼は、私に幸せを分けてくれたんだ。
私にとって、彼はパンダのような存在だった。
パンダは、可愛くて、癒しを、幸せを分けてくれる。
そんな彼が大好き。好きだけど、彼にはきっと伝わらない。伝えようとしてないから。
私が青春高校の入試に合格した時。
彼は言ってくれた。
『俺も、青春高校に入学する』
と笑ってくれた。
『いいの? 本当に行きたいって思ってる?』
『うん。だって、実花と一緒にいたいから』
彼の口説き文句は上手いなぁと思った。
『…バカでしょ、ほんと』
『ううん、バカじゃないよ。大バカだよ』
何それ、とまた笑いあった。
その時は、笑いあえたけど。
実は問題があった。
化学のテスト
「あれ? 続きは?」
彼女を急かしたけど、もう言ってくれなかった。
問題って何なのだろう…。
「明日、テストが終わったらもう、放課後でしょ? だから、テストが終わったら今度は梨子の家で、女子トークっ! その時に話してあげるよ」
彼女は焦らすように笑った。
暗い女の子には、見えないんだけどなぁ…。
その時はうん、と納得して頷いた。でも。
彼女の家から帰宅してテスト勉強。
うーん………。
今日の話が気になりすぎて、テストに集中できなさそうだ。今も集中できてないのだから。化学は本当に、わけがわからない。
明日のテストがどうなるのやら…。
テスト最終日。
現代国語はなんとか持ちこたえた。
問題は化学である。昨日、わからなくて放置していたところがテストに出てしまった。最悪だった。間違ってもいいや、と答案を頑張って埋めた。…合っている自信がない。ま、いっか。
テストが………。
ついに終わった。
約束通り、彼女は私についてきて、家まで来た。
昼ごはんは私が作ったチャーハン。
「おいしいっ」と笑ってくれた彼女が印象的だった。
自分から話してと促すことはできたと思う。でも、わざとらしいかなと感じ、黙っていると、彼女から口を開いていた。
「ふぅー。ご馳走さまでしたぁ♡ さてと。私が話したかったことをお話ししますかね。相談だから、乗ってよね」
「うん、乗るよ」
私が頷いたから、彼女は話し始めた。
シェイシェイこと、彼の名前は木下 夜月。
彼とは何回もカラオケに一緒に行ったのだが、彼の歌は絶妙に上手かった。
彼はバラード系の歌が得意で、甘い声だった。
ギターも弾けるらしい。
話を聞いていくうちに、どこかで聞いたことのある話だと思った。
雷斗は、正反対でロックやポップ系の歌が上手い。
もしや、と私は直感した。
「シェイシェイはね、言ったの。『青春高校に入学したら、軽音楽部に入るんだ』って」
直感が当たってしまった。
彼女の相談内容はきっと、このことだ。
今まで一緒にいたのに、高校で同じ高校に入ったとしても、離れ離れになってしまうということ。きっと寂しいに違いない。
「私…。どうすればいいのかな。寂しいし、今まで一緒にいたから…」
悲しそうにうつむく彼女。
私もどうしたらいいのか、わからなかった。
餅を焼いてみた
何がわからないか。
それは、彼女に対して何を言ってあげればいいのかということ。
先日、優未とこのことについて話したとき。
私は彼に綺麗事のようなことを言っていた。
前回のことを踏まえ、綺麗事を言うべきか、同情の気持ちを言うべきか、わからなかった。
彼女の相談に乗るとは言ったものの、何も言ってあげられない。
この部屋の空気が苦しくて、トイレへと逃げた。
どうしよう、どうしよう。
用もないのに、トイレに来てしまった。時間稼ぎ…できるのかな、と考えていると、ドアの外で実花の声が聞こえた。
「梨子、お客さん」
お客さん? この時間に優未が来るわけがない。中学生はまだ終わってないはずだ。
…となると、宅急便?
出たくなかったから、返事をする。
「ごめん、実花、出てくれない?」
昨日の仕返し…と言うべきであろうか。とにかく、実花に対応させた。
彼女は「わかった」と返事をしてくれた。
トイレと玄関は近いようで遠い。
声がくぐもって聞こえた。正体は誰なのだろう。
しばらく時間が経って、実花の声が聞こえた。
「梨子ー! なんか、イチゴオーレもらっちゃったよ?」
「え⁉︎ どんな人から?」
「えぇーっとね、高校生っぽくて、髪が黒くて、左耳にピアスしてたよ」
あ。
もう、わかった。誰なのか。
「もう、帰っちゃった?」
「ううん、まだいると思うよ」
私はトイレから飛び出した。なんで、飛び出したんだろう。でも、実花の相談に乗れる人物だと確信した。
実花の前を通り過ぎて、玄関へと駆けつける。
扉を開けると……。
ずっとスタンばっていたのか、立ちつくす彼の姿があった。制服ではなくて、私服姿だった。
「あ! りーちゃん♪」
そう呼ばれ、なぜか抱きしめられた。
どうした、どうしたと心拍が急に高くなる。そういう不意打ちはダメだと思う。
「優未……。イチゴオーレ、ありがとね。あの……。なんで抱きしめてくれてるのかな」
そう尋ねると、答えてくれた。
「だって…。りーちゃんそっくりの人が出てきたんスよ? そりゃ、焦るっスよ!ドッペルゲンガーかと思ったっス!」
そういえば…。
実花の好きな人である、シェイシェイ君にも、間違われた気がする。
やっぱり、似てる…のかな。
「ま、俺は見抜いたっスけどね」
彼の声のトーンが上がった気がした。きっと、ドヤ顔をしているのだろう。
本題を話そう。
「ねぇ、優未」
「なぁに、りーちゃん」
「頼みたいことがあって…さ。時間、ある?」
「あるっスよ。今日、学校自体が休みなんで」
彼が承諾してくれた。
彼を家に入れて、実花と対面させる。
やっぱり、彼は驚いていた。
「……りーちゃんって、双子だったんスか?」
深刻そうな顔で尋ねてくる。おもしろかった。
「違うよ。同じクラスの実花」
「どうも〜。いやー、イケメンだね、梨子の後輩っ」
実花は目を輝かせて言う。優未も照れていた。
「そんなこと、ないっスよ。実花さんだってかわいいっスよ」
…なんだ、この会話。
実花も照れていた。……なんだ、この複雑な気持ちは。
実花の相談内容を彼に教えると、「あぁ!」と納得。
……実花と優未だけでも会話できるだろう。
自分の家なのに、この2人の間にいるのは気まずいと思った。
「じゃあ、お二人で」
そう言って、退出した。
部屋に逃げた。
実花の呼ぶ声がしたけど…。
部屋に入って、ベッドに横になった。そういえば、制服のままだった。
うーん……。
私はなんて、ひどい態度をとってしまったのだろう。
この苦しくて、悲しくなる気持ちって、何なのだろう。
ヤキモチというものだろうか。
スキだから
どれくらい経っただろうか。
5分は経った…と思う。目を閉じれば確実に寝れる気がする。
……寝ようかな。
すると、部屋の扉が開いた。
顔を上げると、優未の姿があった。
「………優未…」
「話、終わったっスよ。あとは、女子トーク、続けるっスよ」
笑っていたけど…。許してくれたのかな…。
「う、うん……」
私は起き上がって、彼とすれ違った。
実花に会うのも気まずいなぁ…。
リビングに行くと、実花はニコニコと笑っていた。
「いやー、優未君…だっけ、名前。すごい良い子だね」
「う、うん…。ごめんね、いなくなっちゃって」
「ううん、大丈夫。梨子の話、聞けたしね」
彼女は嬉しそうに笑っていた。
「へ? なんの話?」
あいつ……。何を彼女に話したのだろうか。
「え? まぁ、いろいろよ。いいなぁって思っちゃった。シェイシェイとも、そうだったらなぁって思っちゃった」
「いつもシェイシェイって、呼んでるの?」
「うん。いつも、シェイシェイに頼ってばっかりだから…。頼られたいよ」
……私、頼られてるっけ。
私も頼ってばかりだと思うのだが…。
「優未君のおかげで、スッキリしたよ。‘‘離れたって、想いは消えないはずだ’’って。カッコイイね、この言葉」
嬉しそうに笑う実花。
……よかった。優未に頼って正解だった。
…やっぱり、頼ってるじゃん。
すると、もう帰ると実花は言い出した。
「あとは、2人で〜♪ 私もシェイシェイに会いたくなっちゃったから。会いに行くんだ♪」
そう言って笑いながら、彼女は玄関へと向かっていった。
「え…。なんか、ごめんね」
「ううん、大丈夫。梨子だって…。大丈夫だからね」
彼女が何について言っているのか、わからなかった。
その時は。
彼女を送り出して家に帰ると、彼がリビングのソファに寝転がっていた。
「あ、おかえり〜」
愛らしい笑顔で迎えてくれる、優未。
なんて、犬みたいな男の子なんだろう。
「た…ただいま…」
…上手く言えていただろうか。
そういえば、彼に飲み物を出していなかった。
「…麦茶でいい?」
「うん、いいよ」
彼は相変わらず、寝転がっていた。
麦茶の準備をしている時、彼はわかっているのか実花の話をする。
「あの先輩、可愛かったっスね。 あの人って、付き合ってるんスか?」
「……まだだと思うよ。付き合っちゃえば。実花も優未のこと、いい子だねって言ってたから」
…つい、言ってしまう。
ヤキモチを焼いてることなんて、きっと丸わかりだろう。
…そういえば、付き合ってないんだよね、私たち。
彼の気持ちなんて、わからないし。
抱きしめたりしてくれるけど、私のことを本命だとは思っていなさそうだし。
麦茶をコップに注いで、彼に差し出す。
…もう、顔を合わせられないよ。
彼はソファから離れてテーブルの前に座った。
向き合って座ると恥ずかしい。つい、顔をそらしてしまう。
あーあ。あんなこと、言わなきゃよかった。
後悔する。
対照的に彼は麦茶をゴクゴクと飲んでいた。ニコニコと。
彼の笑顔は可愛いようで、この場が暗いムードで包まれているときに見ると、腹立たしくなる。
逃げたかったけど、ここが私の家だしなぁ。うーん…。
「ねぇねぇ、りーちゃん」
「…なぁに」
「隣に座ってもいい?」
「やだって言ったら?」
「言われても、座るっスけどね」
と言って、彼は向かい合っていた席から私の隣へと移動してくる。気まずいなぁ…。
俯いていたら、彼はコン、と頭を私の頭にぶつけてきた。痛くはなかった。彼なりに気を遣っているのだろう。
「へへっ、りーちゃん、ヤキモチっスか?」
図星だから、何も言えない。
でも、恥ずかしいから首を横に振った。
「へへっ。可愛いっスね」
彼のクスクスと笑う声が聞こえた。
「う、うるさいっ」
私が彼に寄りかかると、彼は支えてくれていた。やっぱり、優しいなぁ。
彼は暖かかった。やっぱり、すきだなぁって思ってしまう。彼の本心はわからないけど。
「ヤキモチ焼いてるんだったら、お互い様っスからね」
へ?
彼の意外な言葉に耳を疑った。
「今、なんて?」
「へ? もう言わないっスよ」
彼はまた笑っていた。照れているように聞こえた。
「大丈夫っスよ。心配しなくても」
彼はまた笑っていた。
「りーちゃんのこと、大好きっスから。嫌いになっちゃったらピアスしてる意味がないっスよ」
「ピアス…?」
私にはわからなかった。彼がどうしてピアスをしているのか。
てっきり、オシャレ目的なのだと思っていたのだが。
敢えて聞かなかったけど。
スキだから。
ヤキモチって焼いてしまうものなのかな。
The Star Festival Day
テストの日々が終わり、テストも返ってくるが結果なんて気にしない。
数学はなんとか赤点にならなかった。青春高校の赤点の点数は32点。ギリギリセーフの35点だった。それに対して隣の席の実花は89点と同じ高得点。やっぱり、数学が得意なのかな。
全8教科の総合は実花とほぼ同じ点数だった。化学もギリギリセーフだった。
6月の行事といえば、テストくらい。運動部に所属していない私にとって‘‘県大会’’は無縁である。
6月もスローペースだったが、過ぎ去っていくものだ。
…もう7月だ。
7月の行事といえば………。あ。
あまり、言いたくはないのだけど、7月7日…つまり、七夕の日が誕生日なのだ。…だからといって、祝ってくれる人なんていないのだけど。
ちょうど、誕生日が土曜日。
誕生日は祝ってほしいけど、祝われることはないから土曜日だという事実が嬉しい。…悲しいような気もするけど。
…7月に突入する。
第一土曜日がやってきた。
私の誕生日である。
実花には誕生日の日付を教えていたから、祝ってくれていた。
早めのプレゼントとして、イチゴのクッションをもらった。部屋のベッドに飾ると、可愛らしかった。
雷斗からもらった黄色の羊毛にヘッドホンをつけたひつじのぬいぐるみの隣に、また彼から買ってもらった、ピンク色のひつじのぬいぐるみを置いていた。…何か、アクセサリーを買ったほうがいいなぁ。
自分に誕生日プレゼントを買おう。
起きてご飯を食べて、スマホをいじる。もう少ししたら行こう。……ひとり…か。
……やっぱり、寂しいなぁ。
すると、LINEで着信があった。あ! 優未からだった。
「もしもし」
『もしもし? りーちゃん?』
「うん、私だよ」
『えへへ、よかった。…あのさ、今遊びに行ってもいいっスか?』
き…奇跡だ。好きな人が家に来てくれるのだ。
彼に誕生日のことなんて、伝えていないのに…。嬉しすぎる!
「うん、大丈夫だよ」
『オッケーっス♪ じゃあ、今から行くっスからね』
彼からの着信が切れた。
誕生日のことがたとえ、祝われなくたって。
彼と会えることだけでしあわせだ。
恋人ごっこ
ピンポーンと、ドアのチャイムが鳴った。
扉を開けると、灰色のアメリカンショートヘアのような猫の着ぐるみを着て、左耳に魚のピアスをした彼の姿があった。…か、可愛い。
…今日って何か、イベントあったっけ?
「い、いらっしゃい」
「おっす、りーちゃん」
彼の笑顔はやっぱりいいなぁ。可愛いし、カッコいいし癒されるし。
家にあげると、彼に今日は炭酸水をあげた。
炭酸水は私がなんとなく飲みたかっただけであって、特別な意味なんてなかった。
「ありがとっス〜。今日は七夕っスね」
彼はニコニコと笑いながら声をかけてきた。
…七夕だからといって何かあるわけではないと思うけど。
「うん、そうだけど…」
「七夕だから、会いにきたっス」
「は、はぁ…」
言わなきゃ伝わらないけど、言いたくはない。
言ったらわざとらしいし。
だからといって、テレパシーなんて通じる訳がないし。
「あのね、りーちゃん」
「ん? なぁに?」
「俺、りーちゃんとお出かけしたいっス」
「…私と?」
「そうっス」
何の根拠があるわけでもなさそうだ。ついでに、あのピンク色のひつじのぬいぐるみにアクセサリーを買ってあげよう。
ふたりで行った方が楽しい…はず。
考えた末に一緒に行くことにした。
彼をリビングにいてもらって、出かける為の服選び。
うーん…。
だからといって、可愛い服があるわけがなくて。
普通に、黒色のスカートにクリーム色のパーカーを着ていくことにした。彼が着ぐるみを着ているのだから、暑くないと思うのだが…。
リビングに行くと、彼が目を輝かせていた。
「……やっぱ、可愛いすぎるっス」
ボソッと言っていたから、確かじゃないけど。
そう言っていたら、嬉しいのにな。
もしかしたら、「…やっぱ、可愛くないっス」と言っていたのかもしれないし。
カツラを被ろうとしたら、彼に止められてしまった。あーあ。
家を出て、彼は「駅前に行きたい」と言いだした。
だから、そのまま着いて行くことに。
彼とは久しぶりにたくさん話した…気がする。
彼だって今年は受験だ。
会えなくなる日々が続くはずだ。
高校のこと、麗虹のこと、雷斗のこと。
なぜ、あの二人が話題に出てきたのか経由がわからなくなったけど、気にしなかった。
電車に揺られて約10分。
ようやく、この地域で栄えている駅前に到着した。
さすがに、駅前は人がたくさんいた。ため息が出た。
「りーちゃん」
隣に並んでいた優未に声をかけられた。隣を見ると、手を差し出されていた。
「はぐれないようにっス」
ニヒッと彼は笑った。
……いいのかな、甘えちゃって。
彼の手に自分の手をゆっくりと重ねる。彼は私の手を引いて、歩き出していく。
やっぱり彼の手はあたたかいなぁ。
最初に、可愛らしいものからユニークなものばかりまでたくさんの種類の雑貨が売られている店に行った。
ここには、雷斗が買ってきてくれたひつじのぬいぐるみも売られているから、そこでアクセサリーを買うことに。
ピンクは麗虹にしようと思った。だから、黒縁メガネのアクセサリーと数学の問題集…っぽい小さな本のような雑貨を持たせることに。
私が買い物をしている時、彼は店の中で何かを見ているだろう。
会計を済ませ、店内をぐるぐると回りながら彼を探していると、あ、いたいた。
彼は1月1日から12月31日までの366日の日付が一冊ずつ記されている本の棚にいた。
計366冊。
その中で彼は2月22日の本を手に取っていた。
「誕生日、2月22日なの?」
急に声をかけたから、彼は驚いていた。
「そうっス。はー、受験日の前日が誕生日って、嫌っスね」
彼は苦笑いだった。
「…誕生日、祝ってあげるよ。忘れなければ」
「ありがとっス。…りーちゃんは? 誕生日、いつっスか?」
言いにくいなぁと思いつつ、言う。
「7月…7日」
「おぉー、七夕じゃないっスか………。ん? 七夕⁉︎」
彼は読んでいた本を勢いで閉じてしまった。
…そんなに驚くことだろうか。
「りーちゃん! なんで、大事なこと、言ってくれなかったんスか?」
彼はショックでいっぱいの表情のようだ。そんなに思ってくれるなんて思わなかった。
「そんな、いいよ。別に…」
「よしっ! 俺、精一杯のお・も・て・な・しをするっスよ!」
そう言って彼は笑ってくれた。
まず彼はカフェで私の大好きなイチゴパフェをおごってくれた。
甘くて、つい顔が綻んでしまった。
あとはそのカフェで語ってくれた。
誕生日おめでとうだの、七夕っていいっスねだの。
誕生日の話からどんどん遠ざかっていく話題。…やっぱり、面白いなぁ。
猫の格好でも恥ずかしがらずにいる彼に関心した。
「ちょっと待っててほしいっス」
そう言って灰色の猫は行ってしまった。
スマホを弄っていたけど、すぐ飽きてしまう。
パフェの追加で頼んでいたココアも飲み干してしまった。
…退屈だ、と思っていた時。
私の好きな声が聴こえた。
「りーちゃん♪」
そう呼ばれ、声のする方を見ると、彼が大きな包み紙を持ってきてくれた。
どこかで買ってきてくれたのだろう。
「え…。優未、これ…」
「プレゼントっス。ごめんね、少なくて…」
差し出されて恐る恐る受け取る。
「じゃあ、帰るっスよ」
そう言って彼が歩いていく。
プレゼントは家に帰ってから開けるしかなさそうだ。
頑張ってついていく。彼が会計を済ませてくれた。やっぱり、奢りらしい。
「ありがとね、優未」
「いいっスよ、別に」
笑ってくれた。
プレゼントなんかなくたって…。
君の笑顔を見れただけで嬉しいんだ。
何も可笑しいことなんてないのに、笑ってしまう。
「…なに、笑ってるんスか?」
「ううん。…なんでもない」
にやける顔が止まらなくて、ついニヤニヤしてしまう。
「笑ってる方が、やっぱり可愛いっスね」
そう言いながら、私の手を握る彼はカッコよかった。
約束
家に帰ってから、彼からもらったプレゼントの中身を見る。
あ…。
中は、小さな袋とひとまわり大きな袋に分かれていた。
小さな袋を開けると…。うすい桃色のベルトが可愛らしい、腕時計が入っていた。
銀色の文字盤には小さなイチゴの模様がたくさん散りばめられていた。…可愛いけど、私に似合うのだろうか。腕につけなくても、ただ眺めるだけでつい、微笑んでしまう時計だ。
大きな袋の方にも手を伸ばす。中にはクッションのようなものが入っていているように思えた。触れただけでふわふわしていることがわかるから。
正解は………。
あのひつじシリーズの水色バージョンだった。これで、3色揃ったことになる。もう、水色のひつじの左耳には、銀色のピアスがされていた。
……自覚していたのだろうか。
つい、笑みがこぼれた。このひつじたちのことをわかっていたのだろう。3匹目をピンク色のひつじのぬいぐるみの隣に置く…前に。
可愛かったから抱きしめた。
このひつじの羊毛がどのひつじよりも、一番早くペシャンコになってしまう気がした。
お礼のメッセージを送ろうとしたら、彼からLINEでメッセージが届いていた。
『誕生日、おめでっとさん☆
何歳だ…。あ、16歳…すか? …いいなぁ。
俺と2歳も離れちゃったっすね。
でも、俺だってすぐ追いつくっすよ☺︎
プレゼント、気に入ってくれたら嬉しいっす♡
りーちゃん。
好きっすよ、ほんとうに。
俺が無事に青春高校に入学したら、いっしょに登校するっすよ?
んで、いっしょに帰りたいっす♪
でわでわ、少し長くなっちゃった…。ごめんっす。
りーちゃんにとって、幸せな1年になりますように。』
…長っ。でも、嬉しかった。
男の子でも長文を書くんだなぁと感心した。
そのお礼も含めて、メッセージを送るのが面倒くさいから、電話することにした。
……出てくれるかな、と期待していると、すぐ彼の声が聴こえた。
『もしもーし、りーちゃん?』
「うん、私だよ。LINEとかプレゼントとか…。ありがとね」
『ぜんっぜん、大丈夫っスよ! …それよりも…。りーちゃん、そういう大切なことは教えてほしいっスよ』
彼からそんなことが言われるなんて、思ってもみなかった。
「へ? ……うん。ごめん」
『…俺こそ、ごめんっス。…来年は絶対、いいものをプレゼントするっスよ! でも、誕生日のこと、知れてよかったっス』
「え……?」
『…だって、俺が誕生日の本棚の前にいなければ、りーちゃんを祝うことができずに、遊びに行ってたんスよ? いやー、俺はやっぱ、さすがっスね』
きっと、電話越しでドヤ顔をしているに違いない。
…いい子だなぁ。でも、調子に乗らないようにたしなめる。
「それは、偶然だから、うん」
『そんなこと、言っちゃダメっスよぉ。りーちゃんはロマンチックな考え方ができないんスか?』
「はーい、そうでーす。できましぇーん」
『……素直になるっスよ』
「はいはい」
彼が同じ高校に入れるかは別として…。
彼は受験生だから、もう会えなくなる日々が続いていくだろう。だから、自分からメールとか電話はしちゃダメだね。
「…ほんとにありがとね」
『おうっス! りーちゃんは言いたいことあったら言うっスよ? わかったっスか?』
「………わかったよ」
『オッケーっス! じゃあ、りーちゃん。今年もいい一年になるといいっスね』
「うん。…バイバイ」
通話が切れた。
頑張れと心で思った。
私は応援するくらいしかできないけど。
七夕に約束したのだから。守らなくちゃ。
夏祭り
私の誕生日が過ぎると、その5日後の12日に町内の縁日がある。
私の家の近くに神社があってそこで毎年7月12日に縁日が行われているのだ。神社の社は小さいものの、その周りの敷地は広く、出店がたくさん出店する。その神社には恋愛の神様が祀られているらしいが、効果はどうなのか、わからない。
まだ両親が共働きをしていなかった時は、毎年両親と行っていた。
でも、親も友達もいない今の私にとって、行く意味がないのだ。
実花がいるではないか、という方もいるとは思うが、実花は電車に乗って青春高校に来ている。つまり、この町内の縁日についてはわかるはずがなくて。
教えたら、きっと来るのだろうけど、言っていなかった。
その事実を祭りの1日前に気づいた。…もう、遅かった。
いくら近所だからとはいえ、縁日には行かない。
家に帰宅して、ベッドに横になった。
あーあ。
その時だった。
電話が突然鳴り出した。誰だろう、と画面を見ると「雷斗」という名前が。
電話に出る。何の用だろう。
「もしもし?」
『もしもし、梨子ちゃん? 元気だった?』
久しぶりに彼の声を聞いた気がした。元気だったよ、と返事をする。
「どうしたの?」
『あのね、明日って……。誰かと縁日行く?』
「ううん、行く気ないから行かないよ」
『え? マジすか? じゃあ、一緒に行かない?』
…誘われた。断る理由なんてなくて。
「………いいよ」
『マジすか⁉︎ やった〜♪』
電話の向こうの彼は嬉しそうだった。
『じゃあ、明日の午後5時に、迎えに行くね』
「うん、わかった」
じゃあっ、の声とともに電話が切れた。
…久しぶりだな、縁日に顔を出すのは。
部屋のクローゼットの奥を探してみると、昔…といっても2、3年前に着ていた浴衣があった。浴衣は、白地に金魚がたくさんデザインされている。身長はさほど変わっていないから、きっと着れるだろう。
明日が楽しみだ。
次の日。
学校での時間の流れはゆっくりと流れていった。
放課後になって、急いで帰る。
浴衣は隣の部屋に住む、山田さんに着付けてもらった。山田さんは、私を小さい頃から知っていて、親戚のような存在だ、今では。
「これ、つけていきな」
そう言って、黒くて、白い花が散りばめられたかんざしを渡された。
「わぁー! ありがとう」
かんざしをつけてもらって、自分の部屋に戻る。
自分だけ、張り切りすぎな気がする。
そんな自分が馬鹿馬鹿しく思えた。
ドアのチャイムが鳴ったのはその10分後のことだった。
扉を開けると、黒地の甚兵衛を着ている雷斗の姿があった。
「うわっ! 可愛いね」
彼は笑ってくれた。私は照れて、笑うことしかできなかった。
「じゃ、行こ〜」
そう言って、彼と並んで歩いた。
「優未と麗虹は?」
「あー、2人は俺と別々です。…なんか、ごめんなさい」
「なんで謝るの? 謝ることなんてないのに…」
もしかして…。まだ、自分の進路の話を引きずっているのだろうか。別に一緒にいたっていいと思うのだが。
「いや、優未とか麗虹がいないから…」
「大丈夫だよ。雷斗がいるだけで充分だよ」
「あ…。ありがとう」
彼は照れて笑っていた。
歩くこと5分ほどで、神社に着いた。
縁日があるからということもあり、神社が人でいっぱいだった。
彼と離れたら、きっと迷子になってしまうだろう。
階段を上ると、社が見えてくる。出店は社を中心に円を描くようにして、店が並んでいた。わたあめ、焼き鳥、フルーツ飴…。どの出店も賑わっていた。
「梨子ちゃん、食べたいものある?」
「うーん…。まだいいや」
とりあえず、どんな出店があるのか、見て回ることにした。
ヨーヨーすくいがあって、雷斗が黄色のヨーヨーをすくっていた。
しばらく歩いて、社の周りを一周した。
まだお腹が空いていないから、何も買わないでいた。
人が増えていく。
「あ。姉貴だ!」
声のする方を見ると、こちらに手を振る麗虹と優未の姿があった。ふたりとも、私服がかっこよかった。
雷斗の表情に変化はないから、わだかまりはなさそうだ。
「えぇー! 雷斗、バンドの奴と行くって言ってたじゃん」
「あー、バンドの奴がさ、急に行けなくなったって言うから…、梨子ちゃん、誘ったんだぁ。いいでしょ〜」
雷斗は嬉しそうに笑っていた。
麗虹は、「よかったね」と言って笑っていた。
優未は、なぜか不機嫌そうだった。
「あ、そうだ。これからは四人で回らないっスか?」
麗虹が提案すると、優未も同意した。
私もいいと思った。三人が揃っていないと楽しくないと思うから。
「じゃあ、行こ行こー!」
雷斗が先頭に立って歩き出した。雷斗の隣には麗虹が並んで歩いていく。
私の隣には優未の姿があった。
「りーちゃん、浴衣、似合ってるよ」
彼は不機嫌そうな顔を変え、笑って言ってくれた。
「ありがとう」と言い、私も笑った。
金魚すくい
四人で歩き出してから……。
改めて、出店をよく見ることができた。
ふと、金魚すくいの店に目が引き寄せられた。
雷斗と見ているときは、別に視界の中に入ってこなかったのに。
つい、立ち止まってぼんやりと眺めてしまっていた。後ろから来る人が私を避けて歩いていく。
急に立ち止まったから、優未もびっくりしていた。私の少し前を彼は歩いていたから。
「りーちゃん?」
彼の呼びかけで、やっと金魚から目を離すことができた。
彼が戻ってきた。
「金魚…?」
「うん。でも、もういいや。…ごめんね」
私が歩き出そうとしたら、彼が金魚すくいの店の前に歩き出して、財布から300円を取り出していた。
「……優未?」
「ん? あー、俺がやりたいだけっスから」
彼は私に笑いかけてから、出店のおばちゃんに300円を渡していた。
前の2人はもうどんどん前に進んでしまっただろう。
追いつくには大変そうだから、私も彼の金魚すくいを見ていることにした。
金魚は綺麗だと思う。
ゆらゆらと水槽の中を泳いで、自由で。憧れてしまう。
おばちゃんから、モナカで作られたポイを握りしめ、彼は金魚たちとにらめっこをしていた。
私も彼の隣にしゃがんで、金魚を眺める。…やっぱり、綺麗だ。
真っすぐに金魚を見る彼の横顔に目を向けた。彼の左耳には相変わらずピアスが付けられていた。つい、金魚ではなくて優未の横顔をずっと見てしまっていたようだ。
「あぁ! …あー。1匹だけか…」
彼の声で正気に戻る。袋に入れられた1匹の金魚。お腹がポコリと膨らんでいて、可愛らしかった。紅色の金魚が口をパクパクとさせている。
「まいどぉ」
おばちゃんの優しい声を聞いて立ち上がると、金魚の入った袋が差し出されて、彼は受け取った後に、私に渡してきた。
「えっ…。どうしたの?」
「りーちゃん、欲しかったでしょ。…1匹でごめんなさいっス」
そんな…。彼に迷惑をかけてしまったなぁ。それに、もらったとしても私の家には金魚鉢がないから飼えない。
「もらっても…。金魚鉢がないんだよね…」
「大丈夫っス。俺の家に金魚鉢があるから、もらうといいっス。…大丈夫っスよ、俺の家、もう金魚鉢がいらないなぁーって言って、どこかのリサイクルショップに売ろうとしてるんスから」
彼はニヒッと笑ってくれた。
「いいの? もらっちゃって…」
「大丈夫っスよ」
金魚を受け取った。やっぱり、綺麗だなぁ。
「ありがとう」
私は心から笑えた気がした。
歩いていくと、お腹が空いてきた。
焼き鳥の5本パックを買って、二人で分けて食べた。
フルーツ飴屋さんの前を通りかかって、何か、甘いものが食べたくなったから、買うことにした。
「りーちゃんは何の飴が好きなんスか?」
「…パイン飴かな」
パイン飴はレアものであるからなぁ。まあ、この店には売ってあったけど。
「本当っスか?」
「うん、パイン飴が好きだよ」
「俺もパイン飴が好きなんスよ〜。あの2人はりんご飴が好きだって言うんスよー」
「そうなんだよね。好きな人、少ないから」
そう言って私たちはパイン飴を買って、食べながら歩いた。
あの2人から何も連絡がこないから、優未は「帰ろう」と言いだした。
そろそろ飽きてきたから、一緒に優未の家に行って、金魚鉢を受け取った。
彼に家まで送ってもらった。
金魚をすくう気満々だったのだろう。
金魚を飼う用の水を作っていたらしい。
「本当に私にくれるの?」
「そうっス。飼い方は…」
と教えてくれた。ギャグを交えて話してくれたから、理解できた…と思う。
「ありがとね、優未」
「いいえ〜」
彼は笑ってくれた。
……好きだなぁ。
受験の夏
夏休みに入った。
夏休みになると、優未と雷斗が遊びに…というか、私の家で勉強するために遊びに来た。…図書館に行けばいいと思うのだが、なんとも言えない。
彼ら二人は塾に通っているらしい。麗虹は一人でも勉強できるらしい。ま、中1の時から気付けば勉強していた彼だから、納得できる。
二人は塾の帰りやその授業前に来ては、勉強していく。
私は彼らが勉強している間、何をしていたらいいのかわからなかった。
彼らがリビングで勉強している間、私は部屋にこもって勉強したり、家事を行っていた。
7月が終わって、8月も過ぎていくのが早い。
あっという間に、夏休みが終わっていった。課題も答えを見ながらであるが終わらせた。
夏休みが終わると、土日に彼らが勉強しに来た。
雷斗一人だったり、優未一人だったり…。もちろん、二人で来るときもあったが。
彼らとは時々、話したけど…。
実力テストでいい点が出ない話や、勉強が面倒臭いといった話など。
私もそんな時期があったなぁと実感する。
受験って面倒臭いよね。
合格するためには、勉強しなくちゃいけないけど。
意欲的になろうとは思うが、なれないんだよな。
…受験って。
夏と秋の季節際
9月に突入した。
9月になると、雷斗はあまり来なくなった。
優未が土日によく来た。
土日は実花もときどき、遊びに来たから、優未が私の部屋で勉強し、実花と私はリビングで話をしたり、ゲームをしたりした。
9月の第4土曜日。
今日は実花と遊ぶ約束はしていないかったから、1人だ。
そろそろ、彼も遊びに来ずに家で勉強をするはず…だと思ったんだけどな。
10時ごろになって、ドアのチャイムが鳴った。
扉を開けると、優未の姿があった。
「いらっしゃい」
「イェーイ、りーちゃん。今日も来ちゃったっスよ〜」
ヘラヘラと笑う優未。
家に上がらせると、早速、英語の問題集を広げ始めた。
「…塾は?」
「…今日は、休みっス。だから、りーちゃんの家でお勉強っス」
「お疲れ様。…明日は?」
「…休みっス。んで、明日も来る…っていうのが面倒臭いんスよね。だから……」
彼はまた嬉しそうに笑った。
「今日、泊めてほしいっス!」
……あのさ…。だからさ。
男女の差を考えてほしいわけよ。
まだ付き合っていないのに。ま、変なことは起こらないと思うけど。
「…荷物は?」
「もちろん、持ってきたっスよ」
そう言って、自分が持ってきた青いリュックをポン、と叩いた。
…泊まる気、満々だなぁ。
ここまで来たのだから、泊めないわけにもいかない。
「……わかったよ」
「やったぁぁぁぁぁぁあ!」
彼は大きく笑った。
そんなに笑うとは思わなかった。
彼は何も言わずに、勉強を開始した。わからないところがあれば、私に聞いてきた。英語はなんとかわかるから、教えてあげた。
彼がリビングのテーブルで勉強している間、私はお昼ご飯を作っていた。
今日の昼ご飯はボンカレーである。
彼は喜んで食べてくれた。
それから彼はまた勉強を再開。
…私、そんなに勉強してたっけ?
それくらい、彼は勉強をしていた。
あっという間に、午後の時間が過ぎていった。
午後4時を過ぎたあたりで、夕ご飯の買い出しに行かなければならなくて。
「優未…。私、買い物に行ってくるから…。勉強してて」
と言ったら。
「えぇーー! 行くに決まってるじゃないスかー」
と行ってついてきた。
外に出ると肌寒かった。もう、制服も衣替えの季節だ。半袖ではあまり、いられなさそうだ。
近くのスーパーで、具材を買う。
今日は鍋にしよう。
早いけど、キムチ鍋でいいかな。
彼にも相談したら、「いいよ」とうなずいてくれた。
豚肉やネギ、キムチ、一番重要なキムチを買って帰ってきた。彼が大きい荷物を持ってくれた。
帰ってから、キムチ鍋を作ったけど…。
辛かった。辛すぎて、水をたくさん消費した。
「辛いね」と笑いあえた。キムチ鍋だけでこんなに嬉しくなるとは思わなかった。
彼が入浴している間に、皿の片付けをする。
やっぱり、部屋の中も肌寒いなぁ。朝と夜は寒いが、昼になるとあたたかい。風邪を引きそうだな。
風呂から上がった優未は夜9時ほどに、「もう寝るね」と言い出した。逆に、彼は朝4時ほどに起きるらしい。…早いなぁと関心した。
彼に「おやすみ」と言うと、「おやすみ」と返事をしてくれた。
……いいな。夫婦ってこんな会話をするんだろうか。
彼が寝た後は、風呂に入って、髪を乾かした。
やっぱり、茶髪は嫌だなぁ。
彼が好きだと言ったって…。嬉しい言葉だけど、嫌なものは嫌だ。
歯磨きをして、10時ぐらいにソファに横になった。
タオルケットがあったが…。
寒かった。
寒いとお腹が痛くなる私は…。
本当に腹が痛くなった。
ウシさんウシさん
……寒い。
ソファに寝ているからだろうか。タオルケットだけじゃ、この寒さは防ぎようがなかった。
私の部屋のタンスに毛布が入っているが…。彼の睡眠を邪魔してしまうのではないだろうか。うーん…。
行くしかないと、起き上がった。
お腹をさすりながら、部屋へと向かう。
部屋の扉をゆっくりと開けた。 部屋では彼がスースーと寝息を立てて寝ていた。
起こさないように、そーっと部屋に入って、タンスを開けた。
タンスの確か…。一番下に入れていたはずだと思い、開けるが……。あれ?
空だった。あ。そういえば、一番下は何も入れていなかったんだ。
………じゃあ…。
その上の引き出しを開けると、あった。
毛布はどれだろうか。シーツと間違えたら、嫌だし…。暗くて見分けがつかなかった。うーん…。懐中電灯、どこだっけかと、1回リビングに戻った。
懐中電灯を探し当てて、もう一度潜入。
タンスは開けたままだったから、そのまま音を立てないようにゴソゴソと探した。
すると………。
見つけた。見つけた嬉しさでついに、
「見つけたどぉぉーー!」
と叫んでしまって後悔。
あ。
「………りーちゃん?」
とバレてしまった。起こしてしまった…。
「あ…。ごめん。今、行くから…」
「……待って」
そう言って彼が起き上がっている…のかな。毛布が動く音がした。暗くて、彼が何をしているからわからない。だから、懐中電灯で彼を照らすと…。彼が立ち上がっていた。
「りーちゃん…。行かないでよ…」
そう言って、彼が近づいてきた。
「…優未?」
彼は寝ぼけているのだろうか。
彼が急に抱きついてきた。突然すぎてびっくりした。
「…りーちゃん。なんで…いるの?」
「…寒くて…。毛布、取りに来たの」
「…寒いの? ……じゃあ、俺が暖めてあげる」
そう言って、私を抱きしめたまま、ベッドに移動を開始した。
彼が先にベッドに横になった。
「…りーちゃん。…おいでよ」
「でも……」
「来てよ」
そう言って、優しく腕を引っ張られて、ベッドに横になってしまった。
………どうしよう。
「じゃあ、ギューっね。ギュー」
そう言って、抱きめしてくる彼。…ダメだこりゃ。
「りーちゃん。あったかくなった?」
「……うん」
「ギューだ、ギュー」
……頼ってもいいのかな。甘えてもいいのかな。
「……あのね、優未」
「なぁに、りーちゃん」
「…私ね、お腹が痛いんだ。…あの…。お腹、冷やしちゃって」
「…そうなの? じゃあ、俺が…」
そう言って、彼がお腹に腕を回してきた。
「…お腹を暖めてあげるね」
「…ありがとう」
「うん。あ、でも、朝の4時になったら起きちゃうからね」
「ありがとね。そこまで考えてくれて」
「うん。…やっと、頼ってくれたね」
「え?」
「へへっ…。おやすみ」
彼は私の方に寝返りを打って、私の頭に顎を乗せていた。やっぱり、背が大きいっていいなぁ。
抱きしめられて、逆に寝れない気がする。
上を見上げると、彼はスースーと寝息を立てていた。相当、疲れているらしい。
そんな彼の横顔は可愛らしかった。
…バレないように、なんとなく。
感謝の意を表すかのように頬にキスをした。
ぱケットモンすたー
鳥の鳴く声がした。
目を開けると、ベッドに寝てて。
あ、そうかと思い出す。これは彼に連れてこられたわけじゃなくて。自分が毛布をこの部屋に取りに来たら、彼に抱きしめられて寝たのだった。
起きて、部屋の時計を見る。あ、6時半だ。
急いで起き上がって、部屋を出た。
リビングに行くと、彼が勉強をしていた。朝から、数学の勉強。
「あ、おはよう。りーちゃん」
「おはよう。…お腹空かない?」
「空いたー♪」
彼がそう言うから、目玉焼きとウィンナーを焼いて。ご飯を炊いて、味噌汁を作った。
彼は美味しそうに食べてくれた。
いいなぁ。こうやって、2人で朝ごはんを食べるって。
それからはまた、彼は勉強を再開。
……なんとなく、彼の向かいに座って、彼の問題集を眺めていた。
「……なんスか?」
「ううん、習ったなぁと思って」
フフッと笑うと、彼はじーっと私を見つめてきた。
「……なぁに?」
「…別に」
そう言うと、彼は向かいに座る私の方に顔を引き寄せてきた。
何だろうと思って、目を閉じた。
すると…。頬に何かがそっと触れた。目を開けると、彼が離れていくのが見えた。
「……何したの?」
「へ? そりゃ…。キスっスよ。まぁ、頬っスけど」
バカか、とつっこむかのように、彼の頭を叩いた。…軽く叩いたから、大丈夫なはず。
「…叩かれる筋合いはないっスよぉ。りーちゃんだって、俺にキスしてくれたでしょ?」
そう言って微笑む彼。可愛いなぁと思いつつ、悔しかったから彼の髪の毛をもしゃもしゃと撫でた。彼はなぜか嬉しそうに笑っていた。
「……もう、会いに来ないっスね」
そうだった。彼はもう受験生だ。
もう会いに来れないに決まっている。
「うん。わかってる」
「唇へのキスは、受験合格したら…ね」
「………は? な、何言ってんだよ、ったく」
「へへっ、照れてるし…。可愛いっスね」
逆に頭を撫でられた。優しく撫でられた。
「お腹は? …大丈夫っスか?」
「うん。大丈夫」
「なら、よかったっス」
「………うん。 優未も…頑張ってね。…応援しか、できないから」
「うん! 頑張るっス」
彼はまた笑ってくれた。嬉しくて、私も笑った。
昼ご飯を食べてから、また彼は勉強。
帰る時間になって。
彼は、何かを差し出してきた。
「俺、受験勉強中に、ゲームをしないように…。りーちゃん、預かっててほしいっス」
と言って渡されたのはあの、ネンテンドーの会社が作った、コンパクトな機会である。カセットにはあの世界的有名な「ぱケットモンすたー」縮めて「ぱケモン」のカセットが入っていた。
「りーちゃん、そのゲームやってもいいよ」
「うん…。いいの? 私に預けて」
「おうっス。安心できるっスから」
彼のゲーム、大切にしなきゃ。
彼は荷物をまとめて、靴を履いた。
「バイバイ、りーちゃん」
「うん。バイバイ」
彼は玄関の扉を開けて、飛び出していった。そんな背中に手を振った。
残り半年。会えなくなるのは寂しいなぁ。
プレゼント
彼らと会わなくなってから…。私も普通通りの生活を送っていた。
11月15日に実花の誕生日だったから、プレゼントとして、ピンクと黄色のピーズがたくさん連なったブレスレットをあげた。彼女は嬉しそうだったから、よかった…。
それから時間はどんどん過ぎていった。
学校でも、行事なんてないから授業だけの日々。…辛い。
あの人は……。頑張っているのだろうか。
冬休みは実花と遊んだ。勉強会をしたり、駅前に遊びに行ったり…。
彼女だって、いつも一緒にいた彼が受験だから、寂しいのだろう。私たち2人は似ているところが多すぎる。
今日もまた、彼女の家に遊びに来ていた。
彼女の部屋は相変わらず可愛らしい。…いいなぁと憧れた。
テーブルの前に座っていると、彼女がココアを持ってきてくれた。
お礼を言って、受け取った。
「…ねぇ、梨子」
「…なぁに?」
「男の子って…。何をもらったら、喜ぶかな?」
「…どうしたの、突然」
理由を聞くと、また共通点を見つける。
シェイシェイ君の誕生日は2月24日。…なんと、青春高校受験日の次の日だ。ちなみに、優未の誕生日は2月22日。青春高校受験日の前日である。お二人とも魚座だ。
「だからさ。もう、彼の誕生日の一ヶ月前くらいになってから、焦るのも嫌だなぁと思って。梨子は、何をあげるの?」
そう聞かれて、私もそうだったと思い出す。
彼に言ってしまった。「誕生日を祝ってあげる」と。
言ってしまったら、有言実行である。
でも…。何が嬉しいのだろうか。
「うーん…。私も考えなきゃ」
「だよねー…。彼に似合うものを買ってあげればいいのかな…」
2人で悩んでいた。
彼に…、似合うもの。うーん…。
ひらめいたが、これを作ってくれる人がいなければできないからなぁ…。うーん…。
一応、彼女に聞いてみる。
「ねぇ、実花」
「なぁに?」
「…オーダーメイドのアクセサリー屋さん、知ってる?」
尋ねると、彼女は笑って答えてくれた。
「知ってる!」
聞いてしまったら、行くしかなかった。
実花と共に、道を教えてもらいながら、そのアクセサリー屋さんにたどり着いた。
彼女と歩いている間も、彼女の想いびとに何をあげるかで、話し合っていた。が、なかなか決まらない。
店に着いて、店内に入る。
可愛らしいアクセサリーがたくさん並んでいた。ここは、注文した通りに商品を作ってくれるらしい。これなら、彼のプレゼントが決まった。
優しそうなおばちゃんに注文する。
「あの、作ってほしいものがあるんですけど…」
「私ね、決まったよ!」
私が注文を終え、店内を出た時。実花は突然、そう言った。
「何にしたの?」
「あのね、パンダのぬいぐるみをあげるの! シェイシェイはね、パンダが大好きなの。だから、あげたらきっと、喜んでくれるはず」
彼女は嬉しそうだった。
「お互い、頑張ろ」
「うん!」
実花のプレゼント作戦が無事に成功しますように。
優未がプレゼントを気に入ってくれますように。
2月22日
来たる2月22日。
彼の誕生日だ。試験の前日だから、明日の試験に備えるために、今日はゆっくり休んでいるだろう。
今日は土曜日。
朝から、会いにいくのも嫌だったから、夕方ごろに家を出た。
雪が少し、積もる2月。道路が滑るところもあり、ゆっくりと慎重に歩いた。
歩いて、歩いて……。
ようやく、彼の家にたどり着いた。
「佐戸川」と書かれた表札。
ピンポーンとドアのチャイムを鳴らした。すると、彼のお姉さんである、同い年の悠が出てきた。
「あ…。梨子ちゃん、久しぶり」
悠は中学校のとき、バスケ部に入っていた。運動神経抜群で前期選抜で公立高校に入学した。きっと、今もショートカットだから、バスケ部に所属しているのだろう。
「久しぶり、悠ちゃん。あの…。優未…さんは?」
「あー…。まだ帰ってきてなくて。もう少ししたら、来ると思うよ」
もしかして。前日だというのに、塾に行っているのだろうか。
「あ…。じゃあ、これ…」
直接、渡すと恥ずかしいから。彼女に渡してもらおう。
そう言って、カバンの中から小さい箱を取り出そうとしたら。彼女が止めてきた。
「あ、待っててよ。きっと、優未は喜ぶから」
彼女は私を家の中に入れてくれた。リビングに誘導してくれて、私はソファに座った。彼女は私に暖かいコーヒーをくれた。
…コーヒーって…。甘くないだろうからなぁ。佐戸川家はきっとコーヒー派なのだろう。一口すすると…。やっぱり苦かった。
「いつも…。優未のこと、ありがとね」
「いや、別に…。そんなたいしたこと、してないよ」
「ううん、してるよ。だって、あの人、自分から勉強しないのにさ。してるんだもん」
…そうだったんだ。でも、それは彼の意思であって。私のおかげではないと思う。
「あ。…私、部屋に行ってるね。あの…。待っててね」
彼女はそう言うと、そそくさと部屋に行ってしまった。…まぁ、彼女とは中学校の時から関わっているわけではないから。仕方ないんだと思う。
ソファに座って、スマホをいじっていると…。
玄関の扉の開く音がした。『ただいま〜』と叫ぶ声が聞こえた。
彼は素直だなぁと、直感的に思った。
リビングの扉が開いた。私は扉を顧みた。
そこには、チェックのマフラーを巻いた彼の姿があった。彼の表情は驚きでいっぱいだった。
「り…、りーちゃん! なんで、ここに⁉︎」
「…悠ちゃんに、入れてもらっちゃった」
そう言って笑うと、彼はリュックを投げ捨てて急に私を抱きしめてきた。
「……逢いたかったっス」
「……私も。…お誕生日、おめでとう」
彼の背中に腕をまわしていいのか、わからなかった。でも、つい、まわしてしまった。
「あのね、誕生日プレゼント…。渡したかったんだ」
そう言うと、彼はゆっくりと離れていった。
私は今度こそ、カバンから小さい箱を取り出した。
「はい、これ」
そう言って渡すと、彼は嬉しそうに笑ってくれた。
「開けてもいいっスか?」
「うん。開けてみて」
彼の反応が見たくて、その場で開けてもらうことにした。
彼へのプレゼントは…。ピアスだった。
彼の名前は「優未」と書いて、「うみ」と読むから。イルカをあしらったピアスを作ってもらった。
銀色のイルカ。明日の試験を乗り越えてほしいから。
「うわぁ! ありがとっス!」
「うん。それつけて、一緒に青春高校に行こっ」
「うん! 俺、頑張るっス!」
彼は笑ってくれた。
よかった、喜んでくれて。
どうか、彼が無事に青春高校に、入学できますように。
私は渇望した。
私が帰る時。
せっかく、悠が注いでくれたというコーヒーを飲み干さないとなぁと思って。飲んでみたけど、やっぱり苦い。
「俺、飲んであげるっスよ」
そう言って、私が飲んでいたコーヒーを全部飲んでしまった。
私より、大人だな。
「へへっ、りーちゃん可愛すぎっス」
そう言って頭を撫でられて。悔しかった。
「ふんっ。絶対、次会える時、飲んでやる」
「飲まなくていいっス。……こんなことぐらいしか、りーちゃんより大人になれないっスから」
そう言って笑う彼は幼く見えた。
そんなことない。
そう言いたかったけど、言えなかった。
「佐戸川家にココアを増やすっスね」
彼がふざけたように言う。ま、いっか。
「よろしく頼みま〜す」
私もふざけて言うと、笑ってくれた。…嬉しかったなぁ。
2月24日
彼らの戦いは終わった。
その次の日の開放感といったら…。言葉じゃ言い表せないくらい嬉しいと思う。
今日は私にとって大事な1日。
あの人の誕生日なんだ。
学校が終わってから、彼の家に直行した。彼は今、何をしているかな。
今日は月曜日。日曜日に試験だったのだから休みがほしいと思う。でも、彼らは文句を言いながら学校に行ったのだろうと想像できた。
彼の家は一軒家で、赤い屋根が可愛らしい。
…いますように。
勇気を出して、ドアのチャイムを鳴らした。数秒後、あの人が出てきてくれた。
「みかんちゃーん! 逢いたかったよぉ〜」
そう言って笑う彼。…久しぶりに見たなぁ。
「久しぶり、シェイシェイっ! あと、お誕生日、おめでとう」
「ありがとっ」
彼の家に久しぶりに入った。彼の家は変わらずに、暖かかった。
部屋に入って、彼は私にオレンジジュースをくれた。オレンジジュースが好きだから、嬉しかった。
「はい、プレゼント!」
そう言ってパンダのぬいぐるみを渡す。お気に入りの雑貨屋さんで買った、パンダのぬいぐるみ。…気に入ってくれたらいいけど。
「ありがとう」
彼は受け取って、パンダのぬいぐるみを抱きしめていた。やっぱり、彼はパンダが好きなんだ。
「あのね、聞いてよ」
そう言って、彼は今までの受験前のことを語ってくれた。
彼の通っていた塾に、梨子ととっても仲がいい優未君がいたんだとか。彼ともう一人の友達と話があって、特に、そのもう一人の人が同じ軽音楽部に入りたいということを聞いて、彼も嬉しかったらしい。
私はずっと笑ってた。…別に話がとても面白いから…ではない。面白いけど。彼と一緒にいれるだけで嬉しかったから。
「……ねぇ、みかんちゃん」
「…何?」
「…無理しないでね」
彼にそんなことを言われて、思い当たる節がなかった。でも、一応頷いておく。
「うん…。ありがとね」
「…自分の思いをちゃんと言える人ができた?」
「…ううん、まだ。梨子はいい人だよ? でもね…。シェイシェイみたいに気楽に自分のことなんて、言えないの」
「泣きたかったら、言ってね」
…優しいなぁ。優しすぎて、私のことをわかりすぎてて。彼が怖いなぁと思う時がある。今、そう思った。私は…。彼のことをわかっているかな。
「…うん」
頷いてから、無言が続いた。何を話したらいいか、わからなかった。ただ、彼と一緒にいる。ただそれだけで、嬉しいから。
とつぜん、彼が後ろから私を抱きしめてきた。どうしたことかと、焦ってしまう。
「…どうしたの?」
「ううん。俺が…。青春高校に入学できたら…。俺は軽音楽部に入るからさ。…みかんちゃんとあまり一緒にいれないかなーって思って」
「バーカ」
そう言って、私のお腹に回っている彼の手に自分の手を重ねた。言わなくても、彼はわかってると思ってた。でも、言ってあげよう。
「軽音楽部に聴きにいくよ? だって、シェイシェイの歌、聴きたいもん」
「あはは…。ありがと」
彼は強く抱きしめてきた。突然すぎて、心臓の脈が早くなっていくのがわかった。
「ねぇ、実花」
「ん? 何よ」
「…俺、実花が好きだよ。笑ってる実花も全部好きだよ」
……これって…。
告白なのかな。本当に突然すぎて、涙が出そうだ。
「…私もね。びっくりするかもしれないけど、シェイシェイが好きなんだ」
「へへっ、同じだね」
「うん」
「………じゃあ。付き合おっか」
気づけば頬に涙がつたっていた。…頷いてもいいのかな。
「………よろしく、お願いします」
「なんで敬語なんだよ」
そう言われて、それもそうだなと笑ってしまった。大切な台詞って、つい敬語で言ってしまうんだよなぁ。
「…ごめん、ごめん」
「いいよ、気にしないで」
彼のぬくもりが背中から伝わった。
梨子たちは…。
形的には「付き合っていない」ってなってるけど。
それ以上に仲が良いからなぁ…。
なんとも言えないけど。きっと、近いうちに付き合うだろうな。
もうひとつの春
入試の結果。
青春高校を受験した、優未、麗虹、雷斗。
無事に合格したみたいだった。LINEのタイムライン機能で、公表していたから。
……よかった。合格してて。
これからはまた、あの3人で集まれるんだ。
…雷斗はわからないけど。三人の仲は変わらないと思うから。
実花は彼氏ができたそうで。
きっと、シェイシェイ君だろうなって予想はついていた。
…いいなぁ、付き合ってて。だからと言って、今の優未との関係を否定しているわけではない。関係性がどうなのか、わからないけど。きっと、仲の良い方だと思う。
…両想い…なのかな。
よく好きだって言ってくれるけど。私はつい、期待してしまうけど。
年下の子は上の人との恋に対して、きっと、友達間の罰ゲーム感覚でしているようなイメージが強いんだ。だから、信用があまりできない。
3月の第2土曜日。
ドアのチャイムが鳴ったから、出てみると、優未の姿があった。
「…合格、おめでとう」
「うん、ありがとう」
LINEといった、メディア媒体では言ったけど。直接、言ってみたかったから行動に移した。彼は照れるように笑ってくれた。
「ねぇ、りーちゃん」
「なぁに?」
「……泊まっていってもいい?」
「……は?」
突然すぎて、びっくりする。そう言われてみれば…。ピクニックに行くかのような青いリュックを背負っているから…。泊まる気満々なのね。
「…しょうがないなぁ」
「本当⁉︎ やったぁー!」
彼はポップコーンが弾けるように笑っていた。
笑ってて、嬉しかった。
イルカのピアス
彼を家に入れた。
彼の左耳にはさっそく、私があげたイルカのピアスを付けていた。
やっぱりピアスをあげて、正解だったようだ。
ピアスをしたことがないから、事情がわからないのだが…。穴を空けた耳は痛くないのだろうか。穴を開けた時は流石に痛いと思うが…。今は、痛くないのだろうか。
聞きたいけど、今はそれよりももっと、聞かなきゃいけないことがあるような気がするから。
「…何、飲む?」
「コーヒーって…。あるっスか?」
「あるけど…」
「じゃあ、それで」
…コーヒーか。
やっぱり、飲めないんだよな。コーヒー牛乳は大丈夫。でも、本家のコーヒーは苦すぎてダメだ。
インスタントコーヒーの粉に、お湯を注いだ。ミルクと砂糖はお好みで入れてもらおう。
「はい、どうぞ」
「ありがとっス。…りーちゃんはココアっスか?」
「…そうだよ」
「可愛いっスね」
優しく笑ってくれる彼は、本当いい人だと思う。
ココアの粉にお湯を注いで、砂糖を小さじ一杯。甘党だから、私。
「…卒業式って、終わった?」
「終わったっスよ〜。だから、これからは自由っス!」
「そっか。…お疲れ様」
「うっす」
ココアを一口すすると、暖かくて甘かった。ココアはこうでなくちゃ。
「…一口、もらってもいいっスか?」
「いいけど、甘いよ?」
「甘いのは大好きっスよ」
私が手渡すと、ごくっと一口。彼の顔は綻んでいた。
「やっぱり、甘いっスね」
「うん。そりゃあね」
「俺のもあげるっス」
そう言って、渡してくるもんだから、飲むしかなくて。一口すすると…。…あれ。ほんのり、苦味があるものの、甘かった。ミルクとか砂糖をたくさん入れたのだろう。
「………あまいね」
「…これなら飲めるでしょ?」
頬杖をつきながら向かいに座る彼。
もしかして…。わざと甘くしてくれたのかな。そう思うと申し訳なくて。
「……ごめんね」
「ん? 何が?」
「甘く…してもらっちゃって」
「そんな…。謝らないでほしいっスよ」
「………ありがとう」
お昼時を過ぎた午後の暖かい時間。少し、眠くなってきた。
「あ。ゲーム、返すね」
部屋のクローゼットの引き出しに大切にしまっていた。彼に見せると、そうだったと納得していた。
「りーちゃん、このゲームやったっスか?」
「…ううん。…やるわけがないでしょ」
「えぇー! やってほしかったっス」
そう言うと、彼がそのゲーム機に電源をつけ、私に差し出した。
「教えてあげるっス」
彼が移動してきて、隣に座った。
ぱケットモンすたーとは、皆さんもご存知であろう。モンスターを育成し、戦ってミッションを達成していくストーリーだ。
一個一個、操作方法を教えてくれた。
彼がケラケラと笑うたびに、イルカのピアスが揺れた。ぱケットモンすたーは面白かった。
Part2.
今日は買い物をしなくてもいいかなと思った。昨日の夕飯の残りを食べようと思っていたから。でも…。
他人に昨日の残り物を出していいのだろうかと疑問に思った。
…一応、聞いてみる。
「…昨日の残り物でも、いい?」
「ん? いいっスよ。気を遣わなくても大丈夫っス」
また笑ってくれた。
彼はいつも笑ってくれるけど、どっちの意味を表しているのか、わからない。
嬉しいのか、作り笑いなのか。
昨日の夕飯はカレーライスだった。
私好みの甘口である。…彼は気に入ってくれるだろうか。
早めに夕食を食べようと思った。
「美味しいよ」と言ってくれるあたりは、優しい。
「甘くない?」と、念を押した。
「甘いけど、大丈夫っスよ」
…彼がそういうなら、大丈夫か。私も安心して、笑った。
彼が入浴している間に、食器を洗って、私の部屋の机の上を掃除した。
今日も彼をここのベッドで寝かせるから、きっと机の上も見られるだろう。
「…あがったっスよ」
彼がタオルで髪を拭きながら、リビングに帰ってきた。受験期間で、髪は切られて短くなっていた。そんな短くなった髪型も好きだ。
「りーちゃん、お風呂は?」
「今、入りますよー」
そう言って、席を立った。
彼もいるしなぁと、急いで風呂に入った。
急いだ結果、30分ほどであがった。まだ外が暑いから、短めに風呂に浸かったつもりだったのだが、結構かかっていたようで。
彼はその間、ぱケモンをしているようだった。
「ぱケモン…。楽しい?」
「楽しいっスよ、そりゃ」
そう言ってニヒッと笑う彼の様子を後ろから見ていた。
彼の後ろに座って、なんとなく、彼の背中に寄りかかった。
「…どーしたの?」
「……ううん。寄りかかりたかっただけ」
彼の背中の暖かさを感じていると、眠くなってきた。彼は何も言わず、そのままの体勢でゲームを続けていた。
つい、瞼を閉じてしまった。
お互いさま
……やっぱりこうなってしまったか。
彼の背中が暖かくてつい、目を閉じてしまったら。やっぱり、寝てしまったようだ。
そのまま、彼は私をリビングには寝かせず、私の部屋のベッドに連れてきたらしい。
気づいたら抱きしめられていた。
彼の足が私の足に触れていて、暖かかった。私の足はいつも、冬になると冷えて冷たくなってしまう。
部屋の時計を見ると、時刻は朝の5時くらい。
彼はやっぱり、ぐっすり眠っていた。
彼の寝顔はやっぱり可愛かった。
彼の寝顔を見ながらニヤニヤしていると、ふと彼が目を開けてしまった。
「あれ…」
「…寝顔、可愛いね」
「……俺?」
「うん。あんただよ」
そう言って笑うと、ふいっと顔をそらしてしまった。
言われるのはやっぱり、嫌なのかな。…男子だし。
「……ごめんね」
「ううん、大丈夫。りーちゃんの方が可愛いってことはわかってるから」
逆に私が何も言えなくなってしまった。
「ふんっ、だ」
「えへへ」
彼はいつもの自分を取り戻したようだ。また更にギュッと抱きしめてきた。
「ねぇねぇ、りーちゃん」
ここで、彼が意外な話題に変えてきた。
「…羊、好きなの?」
羊? 首をかしげたが、なんなのかわかってきた。
あの3匹のぬいぐるみのことだ。あれは、雷斗が合格祝いにくれた、黄色い羊が初めだった。
「……雷斗がくれたの。合格祝いに」
すると、彼は突然強く抱きしめてきた。どうしたことだろう。
「………また、雷斗かよ…」
ギュッと強く抱きしめてくる。
昔、彼が言っていた言葉を思い出す。
『お互いさま』だと。
もしかして、彼は雷斗にヤキモチを焼いていたのだろうか。
「優未?」
彼は黙っていた。私もこんな感じだったのだろう、あの時は。
「…大丈夫だよ。私、優未のこと、好きだから」
「…うん。俺も好き」
「じゃあ、大丈夫」
「………ありがと」
私は彼の背中に腕を回した。彼はまたエヘヘ、と笑ってくれた。
「なんか、嬉しいね。『好き』って言い合うの」
「うん…。照れるけど」
恥ずかしいね。
高1と高2
「りーちゃん、行こうっ」
春休みが明けて、私は高校2年生になった。彼が高校一年生になって。
入学式を終えた次の日から、一緒に行くことになった。
彼が迎えに来てくれた。
「おはよ」
「おはようっス」
ニコニコと笑う優未。春休み中はあまり会わなくて。高校の準備もあっただろうし、仕方ないのだけれど。
……寂しかったな、なんて彼の前では言えない。離れてから気づくもんなんだよね。
「行くっスよ? 俺、初登校っスから、緊張してるんスよ〜」
「緊張することなんてないよ。大丈夫。麗虹も雷斗もいるし」
「うん…」
…私もそうだったなぁ。懐かしいと感じた。
「麗虹と、同じクラス?」
「ううん、雷斗とっスよ」
「よかったじゃん、知ってる人いて」
「…そうっスけど…」
どうして、“けど”という言葉になるのか、わからなかった。私には言えないことだろうか。そこまで束縛はしたくないから、聞きたくはないけど。
「ま、頑張ってね」
「…おうっス!」
いつもの笑顔を見せてくれた。私も嬉しくて笑った。
今日も1日が始まる。
ビリビリパンダ
「ねぇ、梨子!」
「ん? どうしたよ、実花」
「聞いてよ。夜月がね、バンドのボーカルに選ばれたんだよ」
彼女は夜月君と付き合い始めてから、彼のことを呼び捨てで、呼ぶようになった。彼のことを嬉しそうに話してくれた。
「…ボーカルか…。すごいね」
「でしょ? しかもね、一年生でダブルボーカルやるんだって。FXILEみたいに」
「…もう一人、いるの?」
「うん。雷斗っていう人だって。…もしかして、知り合い?」
雷斗が、もう一人のボーカルかぁ。自分のことのように嬉しかった。彼が部活に入ってしまったことで、あまり会わなくなってしまった。
…元気かな。
彼女の質問に頷いた。
「その子と、夜月が仲良しなんだって。…よかった、友達できて」
「ふふっ、お母さんみたいだね、実花」
「そう?」
「うん、見える、見える」
私が笑うと、彼女も嬉しそうに笑った。
放課後、一緒に軽音楽部に行かないかと誘われた。楽しそうだったから、行くことにした。
いつから彼と会っていなかっただろうか。優未とは会ってはいるが、彼らが合格してから麗虹や雷斗とは会っていなかった。
3階にある、音楽室2に移動した。
吹奏楽部が音楽室1を使っているから、2で彼らが活動している。
実花はもう常連さんになったんだとか。
音楽室2に入ると、ギターやドラムがセットされていた。いつも、音楽の授業では1を使っているため、私は初めてこの教室に入ったことになる。
「お邪魔しま〜す」
「お、実花さんだー。…お客さん、連れてきてくれたの?」
軽音楽部の部長さんが声をかけてくれた。常連だものね。仲も良さそうだ。
「そうです。梨子です」
「…ど、どうも」
「どうも〜。ゆっくりしていってね」
部長さんは優しく笑いかけてくれた。辺りを見渡すと、雷斗の姿がない。…まだ来ていないのだろうか。
ギャラリーが座れる所があるのだそうで。私たちはそこに座った。
この部活は約2時間ほど、練習しその後は自主練をするらしい。
ガラガラと教室の扉が開いた。
真新しい制服を着た雷斗の姿があった。
「あ」
私に気づいてくれたのか、ギャラリー席に手を振ってくれた。私も手を振った。
「すごいね。梨子、顔が広いね」
「…ま、まぁね」
私は苦笑いをした。別に顔が広いわけではない。元々、出会った時三人だったから。
バンドの練習が始まった。
彼の声は変わっていなかった。かっこいい声だった。
夜月君の声はとても甘かった。FXILEのバラードの歌を歌わせたら、きっとどんな人もチョコのように溶けてしまうだろう。
練習の時間は早くも過ぎていった。
もう、2時間が経ってしまった。みんなが帰り支度をし始めた。
私は雷斗に声をかけた。
「やっほー、雷斗」
「びっくりしちゃったー。梨子ちゃんがいたからさ」
彼は笑ってくれた。
「あ。俺、今日、梨子ちゃんと一緒に帰りたい」
「……いいけど」
優未には先に帰ってもらった。なんとなくだけど、彼に軽音楽部に行くとは言っていなかった。
彼らの関係がどうなっているか、わからないけど。
なんとなく、察してしまった。今は仲が悪いんだって。
仲は悪くないです
「久しぶりだねー、こうやって話すの」
「うん。…去年の9月から…、話してなかったもんね」
帰り道を2人で並んで歩く。
「高校、楽しい?」
「うん。軽音楽部が、すっごい楽しいんだぁ」
嬉しそうに笑う雷斗。…クラスはどうなんだろうか。確か、優未と同じらしいから。
「クラスは? 楽しい?」
「楽しいけど…。軽音楽部の方が面白い」
感心した。そんなに、バンド関係のことが好きだったとは。
これって、聞いていいのかな。
恐る恐る、聞いてみる。
「ねぇ、雷斗」
「なぁに?」
「優未と…。喧嘩しちゃったの?」
「え? どうしたの、突然」
「いや……、気になっただけ」
…どうしよう。気まずくしてしまっただろうか。
「…喧嘩じゃないよ」
「…仲は悪くない?」
「うん。大丈夫だけど…。……全部、俺が悪いから」
「……何か、あったの?」
「ううん。…梨子ちゃんには、言えないんだよね。…ごめん」
「いや…。大丈夫だけど」
…なんで、私に言えないのだろうか。
男の子同士の話なのだろうか。内容は、勿論わからないけど。
それから、お互い話さなくなってしまった。それでも、気まずくはならなかった。安心した。
ある十字路に差し掛かったところで、
「じゃあ、俺、こっちなんで」
と彼は指を差した。私は直進するのだが、彼は右に曲がるらしい。
「あ、うん。…今日はありがとね」
「うん。バイバーイ」
彼に手を振って、別れた。
一人で歩くのは久しぶりだ。いつも、優未と話しながら帰っていたから。
拗ねてなければいいけど。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
…梨子ちゃんは肝心な時に限って、鈍感な気がする。
もう、誰が見たってわかるではないか。
俺は梨子ちゃんが好き。
でも、それ以上に。
優未が梨子ちゃんのことを想っている。
きっと、片思いじゃない。俺は、片思いだけど。
だから…。
わかってるんだ。俺が諦めなければいけないってこと。
でも…。辛いな。
俺は梨子ちゃんが好きなのに。俺があいつより、早く梨子ちゃんに会っていたら…。彼女は俺のことを好きになっていたのかな?
…こんなことを考えたって、何も始まらないのに。
女々しいな、俺は。
突然。
とある5月の休日。
突然、優未が遊びに来てくれた。
「やっほー。姉貴」
「やっほー」
姉貴、と呼ぶということは…。彼は複数でここに来たのだ。…誰だろうか。
彼の隣には、見慣れない男の子がいた。
彼の新しい友達っぽいなと思った。顔を見たことがあるから、きっと同じ青春高校生だろう。
目がぱっちりしていて、童顔の男の子。
二人とも私服だった。
「俺のね、新しい友達なんだぁ」
「初めまして。水野 希亮です」
「初めまして…」
私も軽く挨拶をするが、名乗らなかった。だって、知らない人だもん。
どうして、突然、彼が私に希亮君を紹介したのか、わからなかった。
「希亮がね、姉貴に会いたかったんだって」
「は、はぁ」
「よろしくお願いします、姉貴さん」
その時は思わなかった。
彼のせいであんなことになるなんて。
彼はその日のうちに、また家に来てくれた。
だから、家にあがらせて、今日の彼のことを尋ねてみた。
「…あの。どうして、彼を紹介したの?」
「あー。希亮がね、『いつも一緒にいる金髪の女の子は誰?』って聞いてきたから、説明したんスよ。そしたら、『会ってみたい』って、言ったから。…突然でごめんね」
「ううん、大丈夫だけど…」
「可愛いねって、言ってたよっス。髪の毛のことは驚いてたけど」
「…でしょうね」
「うん。やっぱり、誰が見たって、りーちゃんは可愛いんスよ」
「はいはい」
お世辞はもういらないよ。
その場にいるのが、なんだか恥ずかしくて席を立ち、キッチンへと向かった。キッチンで遅くなったが、彼へ飲み物を差し出す。
もう寒くはないから、麦茶を出した。
「ありがとう」と彼は言った。
私は元の席に座りなおした。彼は続ける。
「希亮はね、俺と同じクラスで軽音楽部に入っているんス」
「そうなんだ…。じゃあ、雷斗とも仲がいいね」
「…そうなるっスね」
「……聞いてもいい?」
気になっていたことを聞いてみる。
「うん。…なぁに?」
「雷斗と何か…。あったの?」
すると、彼は黙ってしまった。やっぱり、私には言えないことなのだろうか。雷斗と話してから数十日が経って…。ずっと気になっていた。
「いや、何もないっスよ」
「本当に?」
「うん。何もないっス」
彼は「何もないよ」の一点張りだった。もう、信じるしかなさそうだ。
「…わかった。…ごめんね」
「ううん、大丈夫っス」
そう言うと、彼は立ち上がって突然、後ろから私を抱きしめてきた。
「あと2ヶ月…。待ってね」
「2ヶ月?」
「うん、2ヶ月」
彼は嬉しそうに言った。どうして2ヶ月後なのか、わからなかった。
さびしい
希亮君と出会ってから…。
優未とはあまり会わなくなった。
希亮君がよく、軽音楽部の練習風景を見てほしいと、勧誘しているんだとか。彼も断れないんだって。
だから、帰りは実花と一緒に帰っていた。
実花は時々、夜月君と帰っているが、帰っていないほとんどは私と一緒にいてくれた。
今日もまた、実花と一緒。
6月になって、またテストの時期だ。
それに、テストが終わると、一年おきに開催される文化祭がある。テストが終わってからって……。忙しすぎるだろう。
2年生になったから、教科も増え、勉強が忙しくなる。
だから、実花と一緒に勉強会を開催した。
「よつきぃぃ……」
勉強会をしているのに、彼氏の名前を呼ぶ実花。……腹がたつが、本人の前では言わないようにした。
「…最近、どうなの?」
「……全然、会ってないんだよね…。文化祭で歌うから、軽音楽部も忙しいらしいし。うぅ、会えなくて辛いよぉ」
やっぱり、夜月君のことが好きなんだなぁって実感する。
私だって…。寂しいけど。
「梨子は? ……寂しくないの?」
「寂しいよ、そりゃあ」
私が言うと、実花はなぜか笑った。
「なんで笑うのよ」
「え? だって、梨子は私に優未君のこと、何も言ってくれないんだもん。なんか、安心したからさ」
何も言えなかった。嬉しいような、悔しいような。
「お互い大変だね」
「そうだねぇ」
笑いあってから、また勉強を再開した。
寂しいなぁ。
文化祭
テストが終わった。
テストが終わったということは、遂に、文化祭の準備を始める期間が始まろうとしていた。
私たちのクラスはお化け屋敷をやるんだって。
お化け屋敷に興味がない私は準備を手伝わずに、他のクラスをふらふらしていた。
…勿論、実花も一緒。
相変わらず、軽音楽部は忙しくて。
優未とも会えてない…。彼も正式に軽音楽部に入ったのか、そこは不明。LINEなどのやりとりも中断。倦怠期…なのかな。
私はそう思ってないけど。彼自身で「もう年上はやだー」的な感情が芽生えているのだろうか。
ま、付き合ってないからね、うん。
当日には私に仕事がないらしいから、フラフラすることにした。
「私たちのクラスね、お化け屋敷のクオリティーが高いらしいよ」
「…クオリティーが高いってことは、怖いってことだよね?」
「…そうなるね」
「……絶対、行かない」
私は断言した。怖いものなんて、この世からなくなってしまえばいいのに。
「私ね、軽音楽部のバンドの時間と重ならないときに、夜月と行くよ? 梨子は? 行かないの?」
「……たぶん、行かない…かな」
ここは断言できないけど。
……もう、嫌いになっちゃったのかな。
私も彼を頼らないようにしないとって、考えるようになった。以前、少しは頼ったけど…。もう、頼れないことに気づいた。自分のことは自分でやろう。
もう、彼には甘えられない。
自立しなければ。
優未
君とは…。
私が中2のとき、出会ったね。君は中1で。
優しかったよね、ひとりぼっちの私に声をかけてくれて。私の日々が変わっていったのも君のおかげだった。
一度、聞いてみたかったんだ。
「どうして、あの時私に声をかけてくれたのか」って。
私はね、君のことが好きなんだけど。
君は………。
もう、この質問を本人に聞くことはできないのかな。
ゆみちゃん
文化祭当日。
実花と前半、一緒に見てまわった。
カフェをやるクラスや、コスプレをして写真を撮ることができるクラスの展示など、様々であった。
実花の希望で、軽音楽部の演奏を見に行った。
夜月君と雷斗の歌が上手だった。雷斗が嬉しそうに、楽しそうに歌っている姿を見て、彼の親のように、心から嬉しかった。
午前の部が終わったので、二人で軽音楽部の楽屋に行った。
彼らの演奏は体育館のステージで行われ、楽屋、というのは体育館の裏にある、昔どこかの部活が使っていた部室を使っていた。
「お疲れ様でーす」
実花が軽快に挨拶をする。まるでマネージャーみたい。
「お疲れ様でーす」
と部員の声も返ってきた。
夜月君と雷斗はお茶を飲んでいたから、声をかけた。
「お疲れ様」
「あー、梨子ちゃん! お疲れ様っ」
「お疲れ様です」
二人が返事をしてくれたから嬉しかった。
辺りを見渡したが、優未の姿はなかった。
……やっぱり、他の女の子と一緒に回ってるのかな。
今はお昼休みだし、どこかをグルグル回っているに違いない。
「皆さーん! お昼ご飯ですよー」
そう言って、控え室に女の子が入ってきた。
見たことのない、女の子だった。ふわふわの茶髪の髪を一つのお団子にまとめていて、目がぱっちりとしていた。
「可愛い」という言葉しか似合わない女の子。いつから、この軽音楽部にいたのだろうか。
「おぉー! お昼ご飯だぁ」
部員のみんなは嬉しそうに言った。
「雷斗」
「ん? どうしたの?」
気になっていたから、聞いてみた。
「……あの子、新しい部員さん?」
「へ? …あぁ、あの子は…。ゆみちゃんです」
「…可愛いね」
「………そうですね。…梨子ちゃん、わからないの?」
「え?」
彼が何を言っているか、わからなかった。彼女には見覚えなんてないし、わかるわけがない。
正直に聞いてみた。彼に聞いていいのか、わからなかったけど。
「ねぇ……。優未がどこに行ってるか、わかる?」
「あいつは…」
「優未なら、他の女の子と一緒にいますよ」
そう答えたのは、希亮君。……そうか。
やっぱりか、と納得した。
「まっ…」
「優未は、確か1年…何組かわからないけど、女の子と一緒に学校の中、歩いてますよ。…先輩、大丈夫ですか?」
誰かの言葉を遮って、希亮君が続けた。
「そ、そっか。…うん、大丈夫だよ」
頑張って笑った。わかりきっていたことなのに、悲しいのは何故だろう。
「あ、そうだ! 梨子ちゃんさ」
「何?」
「俺、これから休み時間で、2時からまたソロでライブがあるんだけど…。それまでの時間、俺と回らない?」
「……うん。いいよ」
私はまず笑った。この寂しさと虚しさがバレないように。
「付き合わないのが悪いんだよ」
希亮は口元を歪ませた。思い続けているあいつが報われなくて、可哀想だ。
雷斗と。
彼のライブが始まるまでの時間は、彼と一緒にいた。実花は夜月君の歌を聞くらしいから。……いいなぉ、仲が良くて。
私は全然、嬉しくなかった。
彼といたら、逆に優未のことを思い出してしまって。
彼の面影が重なってしまって。
彼のことをまっすぐに見ることができなくなってしまった。
全部全部、優未のせい。
あるクラスの催しで、お化け屋敷があった。
「ねぇ、梨子ちゃん。お化け屋敷に行こうよ」
「え…。嫌だよ。怖いし…」
「大丈夫。俺がいるからさ。…ね?」
そう言われると、断ることができなくなってしまった。
「……わかったよ」
作り物だから、いいだろうって思った。
中に入って、見たけど、全然怖くなかった。
「あー、楽しかった」
彼は嬉しそうに笑っていたけど、私は全然嬉しくない。
「そうだね」と返したけど、全然嬉しくなんかない。
あの人なら。
なんて、言ってくれるのかな。
『全然、怖くなかったっスね。俺、結構怖がりだけど、全然大丈夫だったっスね」って、笑ってくれたかな。…あーあ。
お化け屋敷に行った後、またライブ会場に戻ってきていた。
「梨子ちゃん」
ライブでは、夜月君がバラードを熱唱していた。Greenの「恋唄」を歌っていた。泣ける歌である。
彼に呼ばれて、彼を見た。
「…あのね」
「…梨子ちゃんのこと、俺はずっと好きだったんだよ」
「え…?」
雷斗も……。私のことが好きだった?
なんでや、とツッコミたかった。彼らの周りに性格や外見がいい女の子がたくさん居たはずなのに。
「だから……。優未のことはわかるよ。でも…。俺とのことも考えてほしい。…俺と付き合ってほしいな」
告白だ。紛れもなく告白だ。
優未の告白が聞きたかったなぁ。
彼のことは忘れられないよ。
「ごめん…。考えておくね」
私は逃げるように、ライブ会場から去った。
バーカ、バーカ。
バーカ。
ひとり
文化祭が終わった。
もう7月になる。
突然の雷斗の告白。返事はまだ、言っていない。
告白の返事を考えるより、彼のことを忘れなきゃ…という思いの方が頭の中を多く占めていた。
付き合っていたって、両思いじゃなければ相手の方がかわいそうだろうから。
授業中でも、昼休みでも、放課後でも…。
彼のことばかり、考えてしまう。もう、顔を合わせられないんじゃないかっていうぐらい。考えて、想ってばかりで…。何も手に負えなくなってしまった。
向かえた6月最後の日曜日。
今日もまたひとりぼっち。昔のようにひとりぼっち。
何もすることがなかったから、ベッドに横になってスマホをいじっていた。
LINEにはメッセージが来ていなかったけど、なんとなく開いてみる。
友達はやっと二桁にいった辺りの数字。
個人のコメントをなんとなく眺めていた。
…あれからずっと。
彼と会話をしていない。…いつからだっけ。
カップル
ダラダラと過ごし、お昼ご飯を食べ終わった。
それからはまた、ダラダラと過ごす。
あー、憂鬱だ。
ちょうどその時。
ピンポーン、とドアのチャイムが鳴った。いつもなら、優未が来てくれて、一緒に過ごしてたっけ。
………でも、今は。きっと来てくれない。
「はーい」
と叫んで、扉を開けた。
そこにいたのは、私服姿の麗虹と…。ゆみちゃんだ。
ゆみちゃんは、清楚なワンピースを着ていた。…ほんと、近くで見ると可愛すぎて気絶しそうだ。意外なことに、身長が高い。軽く160センチは超えていると思う。
「……麗虹」
「…来ちゃいました」
なぜゆみちゃんを連れてきたのだろうか。
あ。もしかして…、と察した。
「……恋愛報告?」
「…あはっ、そんな感じっスね」
へらっと笑う彼が嬉しそうに見えた。とにかく、彼らを家に上がらせた。
彼らに麦茶を出して、テーブルの前に座った。
「…姉貴」
「…ん? どうした?」
「…いや…。優未とうまくいってますか、最近」
「へへっ? うーん……」
ま、彼らは旧友だし、わかっていると思ってたんだけどな。
「…今、倦怠期…的な?」
「……姉貴…」
…私、そんな悲しそうな顔してる?
なんで、あんたもそんな悲しそうな顔をしているんだよ。彼女を連れてきておいてさ。
同情するなら、彼の今のことを教えて欲しいのに。そんなこと、言えないんだけどね。
「…姉貴、大丈夫っスよ。あいつのことは」
「へ…?」
「姉貴の方から、動いてみたらどうっスか? 例えば…。家に押しかけてみる…的な」
「…迷惑がるでしょう」
「…そんなことないっスよ、きっと」
ニコニコと笑ってくれる麗虹。
お母さんが言うのだから、本当なのかな。
「…考えてみるね」
「うん。…あ、トイレ借りるっスね」
そう言って席を立つ彼。
ここに来てから一言も話していない、ゆみちゃん。
見知らぬ先輩といたってつまらないだろうに。よく、麗虹は連れてきたものだ。私は人見知りなのに。
私も黙っていると…。逆に彼女が話し始めた。
「雷斗に…。告白されたんですよね?」
綺麗な低い声だった。なんというか…。男の子の声真似をしたら、きっとグランプリを取れる気がする。
「…うん。返事はしてないんだけどね」
私が麗虹のように、へらっと笑うと、彼女は目をそらした。
…失礼なことをしてしまったかな。
気まずくなってしまって、近くにあった壁際の本棚に手を伸ばした。雑誌やら、中学生の頃に読んでいた漫画があって、捨ててなかったっけって、思い直した。
「先輩」
そう呼ばれて、彼女の方を見ようとしたら、右手でドンッと壁を叩かれた。彼女の顔は綺麗だった。
あれ、違う。
言うことが間違っている。彼女は女の子だよ⁇
なぜ、私なの⁇
壁ドン
「ちょちょちょ! 待って、待って」
「…待ちません」
本当に待て待て。
人生初の壁ドン。どうして、女の子にされるのだろうか。
壁ドンは漫画で読んで、キュンキュンしたのを覚えているが、実際はこんなにもキュンキュンするなんて思わなかった。…相手は女の子だけど。
まず、止めなきゃ。
「あの…。相手、間違ってない?」
「間違ってません」
「私、女の子だよ?」
「知ってます」
「あの…。あなたも女の子だよね?」
「見ればわかりますよね?」
「壁ドン…される側じゃないの?」
「する側に転向したんです。んで、最初の壁ドン相手が、先輩です」
「いやいやいや…。せめて、麗虹にしてあげてよ…」
「……」
彼女は黙ってしまった。…なんだこれ。
黙ってしまったが、彼女は手をどかしてはくれない。イチゴの香水の匂いがした。女の子らしい匂いだなぁって関心した。私、女子力がないからなぁ。
「……あの、ゆみちゃん?」
呼びかけたら、彼女と目があった。
よくよく見たら、どこかで見たことのある目だった。確信は持てないけど。
彼女は左手で私の頬に触れた。
……何する気だ、この子は。
彼女はそっと息を吐いて、言葉を発した。
「倦怠期…か。寂しい思い、させちゃったっスね」
え。
彼女の顔が近づいてきて、キスされた。
ファーストキス…であるが、彼女はきっと。
あの声はきっと。
あの目はきっと。
私が忘れられなくて、想い続けていた人だ。
双子のように
彼女がゆっくりと離れていった。
驚きで声が出ない。気づくわけがない、女の子にそっくりだから。
「……やっと、俺だって気づいたっスか?」
「………気づくわけがないよ」
「…りーちゃんが鈍感すぎるだけっスよ」
悔しくて、腹が立ってつい、彼に寄りかかった。
彼はふわふわの茶髪のカツラを外しながら、私を抱きしめてくれた。バカだな、本当に。
「バーカ」
「バカじゃないっスよ」
ヘラヘラと笑う優未。久しぶりに話したなぁ。
「ねぇ、優未」
「なぁに」
「じゃあ、希亮くんが言っていたことって、嘘なの?」
「へへっ、嘘に決まってるじゃないっスか。だって、希亮が言っている時、俺はその場にいたんスから。…希亮は、雷斗の味方っス。……ま、りーちゃんが雷斗とどこかに行くっていう話になった時は、ショックだったっスけど」
「……あ、ごめんね」
私が笑うと、彼は強く抱きしめてきた。
彼は長い話をしてくれた。
「俺と…。雷斗は好みとか性格とか…。似てるんスよ、本当に。小学生の時から俺たち3人は仲が良かったっス。んで小5の時に…。俺は実感したっス。俺と雷斗は似てるなぁって。似てるってことは、つまり………。好きな人も似るんスよ」
「りーちゃんに俺は出会って…、少しずつ会話していくうちに、好きになっていったっス。それと同時に…、雷斗にりーちゃんを紹介した時、感づいたっス。あいつもりーちゃんを好きになるんじゃないかって。…それが本当だった時、衝撃しかなかったっス。だから、あいつに悟られないようにってりーちゃんの呼び方を変えたりしてたんスけど…。ダメだったっスね」
彼はヘラヘラと笑いながら、話してくれた。
…私のせいで彼らの間に亀裂が入ってしまったのだろうか。
罪悪感しか残らなかった。
君との全てが
「……ごめんね」
「ううん。りーちゃんが謝ることじゃないっスよ」
そう言って笑ってくれたけど、内心はわからなかった。
「りーちゃん」
彼にそう呼ばれるのは改めて思うと、久しぶりすぎる。
「…なぁに」
「俺…。りーちゃんのこと、たくさん傷つけちゃったっスね」
「ううん、そんなことないよ」
「…でもね、りーちゃんとの日々は初めてのことばかりなんだ」
「……どういう意味?」
「…んーとね…。こうやって女の子と仲良くなることとか、抱きしめることとか…。キスとか、りーちゃんと過ごす日々が新鮮で楽しいんだ。…今までは悲しい思いをさせちゃったと思うけど」
平気そうに言う彼が大人に見えた。私よりも大人っぽく見えた。
「…恥ずかしいけど。…私も優未との日々が楽しいよ」
笑うと彼も嬉しそうに笑った。
麗虹はあれからトイレから帰ってこない。
トイレの前を見に行ったら、鍵がかかっていなかった。…帰ってしまったのだろうか。
久しぶりに、彼と会話できて嬉しかった。
後で麗虹にお礼を言おうと思う。
辛かったり寂しかったりする反面で、嬉しかったりときめいたり。
君との全てが、宝物のように思える。
そんな日がずっと続けばいいのにな。
仲直り
週が明けて、月曜日。
放課後に彼を呼んだ。
あの返事を返すためだ。
「急に呼び出してごめんね」
「ううん、全然」
彼は軽音楽部があるというのに、私のワガママを聞いてくれた。今、私は大切なことを彼に伝えなければならない。
「あのね…」
「…優未と仲直り、したんでしょ?」
「え…」
「んで、俺とは…。付き合えないってことでしょ。…あはは、わかってるって。俺はわかってたよ」
私は後悔した。
…そりゃ、優未のことがわからなかったから、返事をしていなかったけど…。
最初からわかっていたはずではないだろうか。
そんなすぐに、あの人を忘れられるわけがなかったんだ。
「…ごめんね。でも、嬉しかったんだ、告白されて」
「ほんと? それは嬉しいな」
「本当にありがとう」
「おう。…梨子ちゃん」
「ん? なぁに?」
「俺とこんなこと、あったけど…。また…」
「わかってるよ。大丈夫。私たちの関係は変わらないから。雷斗も気を使わなくていいんだからね」
「うん。ありがと」
彼が先にこの教室を出て行った。
彼は笑って去っていった。…これで、解決した。
もう大丈夫。また、雷斗と優未は元の関係に戻ってくれるかな。
「あーあ、失敗したな」
俺が教室を出て、少し廊下を歩いたところで希亮がいた。
「悪かったな、嘘ついてもらって」
「いや、嘘をつくのは慣れてるから」
俺があいつの前を通り過ぎると、希亮も横を並んで歩く。
「大丈夫か? お前は」
「ん? うん、大丈夫。次がある」
「お? 新しい恋か?」
「…いや、まだ梨子ちゃんのことは諦めきれないんだよね」
俺があはは、と笑うと希亮も「なんだそりゃ」と笑ってくれた。
今のままの方がいいのかもしれない。
前日
7月6日が土曜日だった。
だから、学校が休みであるため、実花の家にお邪魔した。
彼女の部屋の可愛らしさは相変わらずだった。
「やっぱ、梨子といると楽だね〜♪」
「そう? …そう言ってもらえると嬉しいけど…」
実花はなぜか嬉しそうだった。
「優未君と仲直りしたんでしょ? よかったぁ。…私ね、梨子のこと、応援してたんだよ」
「あはは…。私も安心してるんだよね」
「夜月とさ、話したんだよ、二人の今後を」
「え、そう…なんだ」
「そう。私は心配してたんだ。このまま、梨子は優未君のことを誤解したまま、時間が過ぎてしまうんじゃないかって。でも、夜月は心配してなかったんだ」
「…なんでだろ…」
「さぁ、それはわかんないんだけどさ」
久しぶりの恋バナというべきだろうか。
どうして、さっきから実花は嬉しそうなんだろうか。
「…なんで、ずっとにやけてるの?」
「はへ? …いや、にやけてないよ。……あ! 明日って梨子の誕生日だよね? プレゼント、持ってくるね」
そう言って部屋を去る実花。…どうも、怪しい。何かあったのは確かだろう。
彼女が持ってきてくれたのは、黄色くて可愛らしいリュックサックだった。ストラップとして、黒い猫がぶら下がっていた。
「はい、これがプレゼントだよっ」
「おぉー! ありがとう。すっごい嬉しい」
このリュックはきっと通学用になるだろう。私は今まで、灰色のリュックを背負っていた。正直、自分にこの明るい色が似合うか、わからないが…。
「ありがとね」
「うん、うん」
プレゼントを渡し終えてもまだにやけているから、本当にどうしたんだろうか。
異次元dreamer
その日の夜。
私は変な夢を見た。
私が金髪のカツラを被っていなくて、実花ではない、他の女の子2人と一緒に町中を歩く夢だ。その二人の女の子たちのことは見覚えがなかった。
どうして、この2人と面識があるのか、わからなかった。
町中を歩いてから、急に場面が変わり、優未が出てきた。
彼がまだ、ピアスをしていなかった時だ。
彼の無邪気な笑顔は変わらなかった。
そして、夢の中の私は彼にこう尋ねていた。
「ピアスはつけないの?」と。
すると、彼は一言。
「ピアス? なんで、つけなきゃいけないの? 別に必要がなくない?」
夢の中の彼は違っていた。
どうして、今の世界の優未はピアスをつけているのだろうか。
誕生日
目が覚めた。
いつもと同じ朝が来た。
でも、違うことがある。
今日という日は、違うんだ。今日の日付は、7月7日。
そう。今日は、私の誕生日だ。
でも、今日は何も予定がないし、きっと一人で過ごすだろう。
父も母も、仕事が忙しいと思うから。
仕方がないことなのだ。
いつもと同じように、朝食を作って食べる。
今日は豆腐の味噌汁と卵焼き、そして白いご飯。無難な朝食。どこにでもある朝食だ。
私は一人で食べた。
食べ終わり、いつものようにダラダラと過ごす。
あーあ。また今日も日常として通り過ぎてしまうのだろうな…。そう思いながら、スマホをいじっていると…。
ピンポーン、と扉のチャイムが鳴った。
「はーい」と叫んで扉の前に行くと…。
私服姿の優未がいた。
「……今日は、どうしたの?」
「ん? え? りーちゃん、今日はりーちゃんの誕生日っスよね? じゃあ、俺と一緒に遊びに行くっスよ?」
………へ?
突然の言葉にびっくりした。
「…遊びに?」
「そうっスよ! …さ、準備、準備♪」
彼が押しかけて、私は急いで身支度を整えた。
カツラを被ろうとしたら、彼が止めた。
「今日は地毛でっスよ」
「え……。うん、わかったよ」
お金をあまり持ってないのだが…。大丈夫だろうか。
彼の隣に並んで歩く。
…彼はどこへ向かっているのだろうか。
「どこに向かってる?」
「ん? …まぁ、ついてきてほしいっス」
しばらく、歩いていると、ビルが建ち並ぶ都会的なところに出てきた。久しぶりに、こんなところに来たなぁ。とあるカフェの前に、私服姿の夜月君の姿があった。
「あれ? …夜月君?」
「あ、どうもー」
「ごめんね、待たせちゃって」
「あ、全然大丈夫だよ」
夜月君は笑っていた。
…あれ? 夜月君も一緒なのかと思ったら、その隣には見たことのありそうで無さそうな、女の子がいた。
あれ?
彼はナンパをやめたんじゃ、なかったのだろうか。
私が首を傾げていると、その女の子が笑っていた。
「私だよ、私。実花だよ」
「えっ⁉︎ …み…か?」
いつも、金髪のカツラを被っていたから…。全然わからなかった。彼女は金髪のカツラを被っていなくても、2つのお団子頭であった。髪の毛の色がどうであれ、可愛いのは変わらないものだ。
「え⁉︎ 待って、私も初めてカツラを被ってない梨子を見たかも」
「だよねー、すっごいわからなかった」
「私も…。夜月が教えてくれなければ、わかんなかったぁ」
なぜか、わからなかったけど嬉しかったから、笑いあった。
それからは楽しかった。
四人で映画を見て、ドーナツ屋さんで昼食。
後はお買い物とか…。
両親の仕事が忙しくなる前は、2人に祝ってもらっていたけど。
三人に祝ってもらえるなんて、嬉しすぎた。
気付いた時にLINEのアプリを開けば、麗虹と雷斗から「おめでとう」とメッセージが来ていた。
もうそれだけで十分だ。
君のピアス
帰り道。
実花と夜月君と別れて、優未と一緒に歩いていた。
「楽しかったっスか?」
「うん、もちろん。 …ありがとね」
「あ、俺からのプレゼント」
そう言って、彼は背負っていたリュックから、小さな箱を取り出した。指輪が入っていそうな小さくて白い箱である。
「はい。 …開けてみて」
止まって、彼からもらった箱を受け取る。
白い箱を開けてみると、そこにはネックレスが入っていた。
銀色のハートのネックレス…だと思う。でも、ハートは半分欠けていて、そのもう片方はどこにあるのだろうか。
「…半分…は?」
「えぇーと…。…俺がつけちゃ…ダメスか?」
彼は照れたように笑っていた。彼は続ける。
「今頃で悪いっスけど………。俺と付き合ってください」
彼が目の前で、顔を下げていた。ぺこりと頭を下げている。…そんなことしなくたって、返事は決まっていた。
「…よろしくお願いします」
「え? ほんとっスか?」
「うん、ほんとだよ」
私が笑うと、彼はそれ以上に嬉しそうに笑っていた。
「ありがとう、告白してくれて」
「いや…。俺でいいんスか?」
「…なんで、そんなことを聞くの?」
「だって…。俺は、年下だし。高校に入ってからりーちゃんと、あまり会わなくなってしまったし。…それに。りーちゃんに悲しい思いをさせてしまったし…」
そんなに、私のことを考えてくれていたのか。
それだけで嬉しかった。
「ううん、大丈夫だよ。…そんなこと、気にしなくたって大丈夫」
「ありがとうっス。…これからもよろしくっス」
「うん、よろしくね」
…その会話が終わってからの、「付き合う」という実感が湧かなかった。
いつもと同じである。
聞いてみたかったことを聞いてみた。
「ねぇ、優未」
「…なんスか?」
「どうして…。ピアスをつけてるの?」
聞こうと思って、聞けなかったこと。聞きにくいことなのだろうかと思い、口に出すことはなかったのだが、この機会だ。聞いてみたかった。
「え? …笑わないね?」
私が頷くと、彼は話してくれた。
「…小学校の時から麗虹と雷斗と、仲が良かったんだ。麗虹は昔から、静かそうに見えるけど、実は、喧嘩が強くて。だから、一緒にいた俺と雷斗も、一緒に喧嘩に強くなって。小学生の時から、ガキ大将みたいな存在だった。麗虹はきっと、満足していたと思う、その現状に。雷斗は満足しているか、わからなかったけど。俺は嫌だった。だから、中学生になったら、変わってやろうって思ってたっス。でも、変わらなかった」
「中学に入学したら、きっと、そのガキ大将のことをみんなは、もう忘れているだろうって思ってた。だから、俺も忘れようって思ってたのに。そうはならなかったっス。中学生になると、違う小学校からも新入生が来るわけで、俺たちの噂も広まっているわけで。だから、また喧嘩ばかりっス」
「そんな時に、俺はりーちゃんと会ったっス。前から、りーちゃんのことを聞いていたっス。『先輩に金髪の人がいるが、あまり関わらないように』って、担任の先生から言われたっス。でも、実際は、可愛いし、いい人だったっス。だから、好きになるのも、そう時間はかからなかったっス」
「だから…。りーちゃんを大切にしようと思ったっス。だから…。もう喧嘩とか、悪いことはしないようにするために。りーちゃんをずっと守るために。俺はピアスを付けることにしたっス。りーちゃんと、一緒にいれるかとかわからないっスけど。俺はずっと守っていこうって思ったっス」
「……笑えちゃうっスよね?」
彼が笑っていたけど。
私は笑えなかった。正直、そのピアスはオシャレの為だと思っていた。
でも、この話を聞いて。自然と涙が溢れていた。
「……りーちゃん? …なんで、泣いてるんスか?」
「いや…。なんか、ごめん。 …嬉しくてさ」
私が泣いていると、彼は手を繋いでくれた。彼の手は暖かかった。夏になるというのに、暑いとは、思わなかった。
「俺が…。ずっと守るっスよ」
ニコッと笑う彼。私は頷いた。
これからも、よろしくね。
エピローグ
あの時。彼と出会わなければ、今はどうなっていたのだろう。
だから、あの時の出会いは『奇跡』のように思える。
これからもこの日常が続いてくれるといいなぁ。
おわり。
君のピアス
長い長い小説を読んでくださってありがとうございました!
完結しました!
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ありがとうございます!
応援してくださった皆様、ありがとうございました。
更新があまりできなくて、すいませんでした。
「書きたい」と思ったことを書き続けていたら、長くなってしまい、グダグダになってしまいました。でも、読んでくださった方々。本当に有難うございました!
無事に、完結できました。